ヴィクター・マトム

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ

1976年6月16日
ソウェトで学生がいっせいに立ち上がった
一握りの白人の政府に
NOと言うために

学生はオーランド地区の集会を目指し
あらゆる方角から集まってきた
解放の歌、自由の歌を
歌いながら

集会を阻止しようと、装甲車で道をふさぎ
警察がぼくたちに向かって叫んだ
「さあ家に帰るんだ、子供でも容赦しないぞ」
でも歌いながら、ぼくたちは歩き続けた

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ

その時、警察が無差別に発砲した
頭をかすめ弾丸が飛んでいった
銃声と悲鳴と泣き叫ぶ声の中
友達が何人も倒れていた

逃げまどいながら、憎しみにかられ
奴らを殺してやりたいと思った
でもぼくたちに武器はなかった
道にころがっている石ころ以外には

次の日の朝、新聞に
一枚の写真が載った
銃で撃ち殺された血塗れの男の子が
運ばれている写真だった

埃っぽいソウェトの大通りを
男の子を抱えた若者が走っていく
そのかたわらを一人の少女が
泣きながらついて行く

その時ぼくは写真はことばよりも
多くを伝えることができると知った
カメラは銃よりも強力な
武器になることを知った

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ

ぼくの名前はヴィクター・マトム
1959年6月4日
南アフリカの黒人居住区
ソウェトで生まれた

小さな頃から生きて行くために
道路の穴を埋める仕事をした
バスやタクシーの運転手が
車の中から小銭を投げてくれた

その小銭をため13才のとき
中古のコダックを買った
写真の技術は立ち読みで覚えた
店主に何度も追い出されながら

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ

政府はぼくが18歳のとき
ぼくたちの言葉を奪おうとした
白人の言葉、アフリカーンスしか
しゃべってはいけないといわれた

350年間、ぼくたちはずっと
奪われて続けてきた
でもぼくたちの言葉だけは
奪わせるわけにはいかなかった

だから1976年6月16日
ソウェトで学生がいっせいに立ち上がった
一握りの白人の政府に
NOと言うために

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ

1990年2月、長い闘争の末
ネルソン・マンデラは釈放された
そして1994年5月10日
ぼくたちの大統領になった

ぼくは今カメラマンとして働き
子どもたちに写真を教えている
彼らが南アフリカの未来を
撮り続けることができるように
彼らが南アフリカの未来を
撮り続けることができるように

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ