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Saturday October 14, 2017

千葉県柏市にある日本基督教団柏教会の聖歌隊長をしているという方から「『祈りの歌』を歌わせてください」というメールが入った。もちろんOK。早速返事を書いた。11月3日、柏教会礼拝堂で歌われるとのこと。お近くの方で、都合のつく方は聞きにいっていただけたらと思います。

土曜の夜のオープンマイク:
今夜は歌い手も聞き手もすくないかもしれないと思っていたら、唐沢千夏さんからは開演前に電話で参加の申し込みがあり、関本、遠藤両氏は、開場後しばらく背中に大きな荷物を背負って入ってきた。「それは何ですか」と問うと「カホン」とのこと。カホンをたたきながらの関本さんの軽妙なトークで、今夜のオーリアッドは終始なごやかに。

初回出演順(敬称略):関本直弘 (aka ソウル・フラワー・イヴァンジェリスト)、坂井俊水、遠藤学、唐沢千夏、三浦久、赤羽真理。













最後に関本さんの提案で、集合写真を撮ることに。ステージの上で撮ろうとしたら、「ブロンド・オン・ブロンド」のディランの写真の前でとのこと。ノーベル賞委員会がディランのノーベル文学賞受賞を発表してから今日でちょうど一年。




Friday October 13, 2013

今日は午前11時から、視覚障碍者の方々との集い・紅葉の会。数曲歌ってほしいと依頼されていたので、朝、仕事部屋に入り、何を歌うか考えようとギターをとりだした。そのとき、曽我逸郎さんのポスターが目に入ってきた。このポスターは外に貼ったらいけないが、家の中ならいいと言われ、昨夜、仕事部屋のドアに貼ったもの。そのポスタ―に、

  
平和のために
  
立ちはだかる

という言葉が書かれていた。ピンときた。これは使えるかもしれない。

長い間、We Shall Overcome の日本語訳を考えてきたが、overcome の訳が難しかった。「打ち克つだろう」と直訳してみたが、「打ち克つ」ということばはあまり日常的に使われることばではない。

ポスターの言葉を使って、「平和のために」を3回繰り返し、「立ちはだかろう」と歌ってみた。歌いづらい。「立ちはだかろう」の代わりに「立ち上がろう」と歌ってみる。かなりスムーズ。そこに前から用意していた後半の部分加えてみた。

平和のために
平和のために
平和のために 立ち上がろう
おゝ、心深く信じてる
We shall overcome someday

いけそうだ。

勇気を出して
勇気を出して
勇気を出して 声あげよう
おゝ、心深く信じてる
We shall overcome someday

手に手をとって
手に手をとって
手に手をとって さあ歩こう
おゝ、心深く信じてる
We shall overcome someday

怖れはしない
怖れはしない
怖れはしない 今この時
おゝ、心深く信じてる
We shall overcome someday

平和のために
平和のために
平和のために 立ち上がろう
おゝ、心深く信じてる
We shall overcome someday

We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Oh deep in my heart I do believe
We shall overcome someday


曽我さんのポスターのおかげで、長年苦慮してきた歌詞が一瞬のうちにできあがった。          
            ■
紅葉の会。会食の前に林淑子さんが家人の祖父について昔ぼくが書いた文の朗読をしてくださった。今江義一さん。懐かしい人である。そのあと、みなさん、それぞれの近況を語り合いながら、会食。







会食後、ぼくが「ありがとう、ミスター・コーエン」と、できたばかりの「ウイ・シャル・オーバーカム」日本語バージョンを歌う。歌いこんでいないので、ちぐはぐなところもあったが、なんとか行けそうである。


Thursday October 12, 2017

昼過ぎ、仕事着に着替え、3の畑の草刈り。草むらに隠れていた冬瓜がたくさん出てきた。



午後6時、老人福祉センターで曽我逸郎さんの個人演説会。ぼくが時間ぎりぎりに到着したときにはすでに大勢の人が集まっていた。この日の朝刊に、「自民党単独過半数の勢い」との報道があった。気勢がそがれること甚だしい。しかし、曽我さんの話を聞いて、意気消沈してばかりはいられないと思った。できることから始めなければ。帰り際に、曽我さんを紹介するハガキを渡され、知り合いに送ってほしいと依頼される。今まで、投票を棄権したことは一度もなかったが、特定の候補の後援会に入ったり、ましてやハガキを送ったりしたことは一度もなかった。



演説会のあと、7時に、オーリアッドへ。今夜はジブランの会。家人の肩の調子はだいぶよくなったが、まだ重いものは持ち上げられない。大きな鍋を持ち上げたり、棚の上のお皿を下ろしたりするのを手伝う。

9時過ぎ、家に戻り、とりあえず、20枚のハガキに宛名を書く。


Wednesday October 11, 2017

お昼を挟んで2コマのクラス。まずテストのようなもの20分。それから『We Shall Overcome 世界を変えた歌』の後半を見る。その過程でpart 3の最後の部分の音声が切れていることにきずいた。ほんと1,2分だけだが。
part 3: https://www.youtube.com/watch?v=N6r1ZFYJVaU

その部分を、学生と一緒に歌うことで補う。そのあと We Shall Overcome を通して歌い、I Have a Dream のスピーチに入る。
When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir.

下線部の訳が難しいようである。そのひとつの理由は heir を hair と呼んでしまうからである。 fall heir to は「〜を相続する」という意味。

昼過ぎのクラスでは、カズオ・イシグロの言葉を紹介した。
「書くということにおいて私にもっとも影響を与えてくれたのは、カナダ人のレナード・コーエンと彼の歌です。私は成長する過程で、彼から多くの影響を受けました。それで作家を志望するようになったのです。彼が亡くなったと聞いた日は、本当に悲しい日になりました。私は、レナード・コーエン、そしてボブ・ディランからも、大きな影響を受けました。作家になりたいと思うようになったのは、この2人と大いに関係があります」

うがった見方かもしれないが、スウェーデンのノーベル委員会は、昨年のボブ・ディランにノーベル文学賞を与えたことにたいするひとつの justification として、今年カズオ・イシグロに同賞をあたえたのではないだろうか。


Tuesday October 10, 2017

日曜日の五郎さんとのライブについての感想がいくつか届いている。

*年末ライブを一旦締めくくられた後も、年に一度は先生の歌声を聴かせていただけたらと切望していましたが、今年もラカーニャという新たな会場で、しかも中川さんの曲も堪能させていただき、家内とともに幸運なことと受け止めております。中川さんは、・・・味のある語り口の素晴らしい作品に、少なからず胸を打たれました。 今回先生の新曲もいくつか拝聴し、ますます創作活動に励まれているお姿に感服いたしております。「ありがとう、ミスター・コーエン」は語りも含め感動的でした。 

*充実したライブで楽しかったです。 三浦さんと中川五郎さんは演奏の個性が全く違う印象ですが、どこか深いところでつながっている感じもありました。 安倍総理の「福島原発はunder control」発言や、加計学園獣医学部問題など 呆れるばかりですし、 個人の自由や信念が押しつぶされる社会の流れに危機感を抱いているので、切実な思いでお二人の歌を聞きました。

*昨日のジョイントコンサートは素晴らしいものでした。 大いに楽しませていただきました。 中川さんと三浦さんの歌を同じところで聞きたいと言われ、 実現された方(お名前失念しました)に感謝です。 プロテストソングを歌われる二人のフォークシンガー、 ”動” の中川さん、”静” の三浦さん、お二人の歌とお話しが終わった後に、 お二人それぞれの持ち味が互いに高めあった、と感じられました。 コンサートに足を運んだ甲斐がありました。
辰野で来年、お二人のジョイントコンサートが実現される折には、是非伺わせていただきます。

*楽しみましたよ。ありがとう。いっしょに行った女性は信州の出身で、三浦さんの歌の中に出てきた地名など、よく知っているので親しみを感じたと言っていました。

とても久しぶりに、片桐ユズルさんの傘寿のお祝いの会以来、歌声を聞くことができて良かったです。連れ合いは初めて三浦さんの歌を聴いたのですが、「オーリアッドに行ってみたい」とブツブツ言っています。ありがとうございました。

*初めて参加した舟友さんは、オリジナル「宝福寺にて」をお聴きできて大変に喜んでおられました。


 Monday October 9. 2017

行きは電車だったが、帰りはバスで帰ってきた。新しくできた高速道路のバス停「バスタ」のおかげで便利になった。軽量な Klos のギターもありがたい。ギターを宅急便で送る必要がなくなった。昨夜聞きにきてくれたAFSの同期生山口君が「ギターの音色がよかった」と言っていたのも嬉しかった。今日彼からメールが入り「ギターの音色、ほんとうに良かったです。もちろん歌も」と書いてきてくれた。AFS同期生といえば鳥飼玖美子さんもきてくれた。彼らには今月20日(金)10期生のリユニオンで会うことになっている。

中川五郎さんに初めて会ったのは、1970年代の前半のこと。ぼくにとって、彼はその頃すでに話しかけることもはばかられるほどのスターだった。彼はフォークシンガーとしても、歌詞の対訳に関しても、そして音楽評論の分野においても、常にぼくのはるか先を歩んできた。同時に彼について、常々すごいと思っていることは、亡くなった友人のフォークシンガーたちに対する深い想いである。高田渡さんに対しても、藤村直樹さんに対しても、そして最近急逝した加川良さんに対しても。

歌の世界だけでなく、人は同業者に対して、ambivalent な感情を抱きがちである。羨望や妬みが入り込んで、素直に見ることができなくなる。だから、彼が昨日のコンサートについて次のように書いてくれたときは、驚くと同時に彼の懐の深さを感じないではいられなかった。

三浦久さんは彼の本領と言える、一人の人間の生き方、その人と自分との関わりを、リアルに具体的に名前も地名も固有名詞を全部入れて歌うバラッドを何曲もたっぷり歌われ、まさに赤心の歌が響き渡る深く優しくあたたかい夜になりました。フォーク・ソングとは、アコースティック・ギターを抱えてシンプルなコードで歌う歌といったような、そんな表面的なかたちのことを言うのではなく、心の中から溢れる思いを震える声で裸になって、打算なしに正直に誠実に歌うものを言うのだと再確認することができました。

五郎さん、ありがとう。

Sunday October 8, 2017

東京は広い。東京は人が多い。麻布十番という駅で降りてホテルにチェックインしてから下北沢のラカーニャへ行こうと考えていたが、麻布十番で降りてホテルに向かう途中、ホテルにいくことを諦め、下北沢へ。そうしないと4時のサウンドチェックに間に合わない。地下鉄を乗り換えるだけでもかなり歩かねばならない。麻布十番の駅から主催者の若松さんに電話をすることになっていたが、ケイタイを取り出して驚いた、「電池残量が少なくなっています。充電してください」という表示が出てきた。しまった、昨夜、充電するのを忘れていたようだ。それでとにかく下北沢へいって電話しようと、電車に乗った。下北沢で電話のスイッチを入れ、そこで切れたら、タクシーで行くつもりだった。下北沢で降りて驚いた。もの凄い人込みである。タクシー乗り場が近くにない。ケイタイのスイッチを入れたら、電話が来た。よかった。主催者の若松さんだ。

すぐに迎えにきてもらって、ラカーニャへ。もう他の人たちはサウンドチェックがすんでいた。簡単にサウンドチェックをすませ、6時からの開演を待つ。その間、軽く食事をしようと外に出る。しばらく歩いて、冷やしうどんとサラダを食べ、会場に戻ろうとしたが、お店が見当たらない。近くのいくつかの店に「ラカーニャ」はどこかと聞いても誰も知らないという。困った。なんどか行ったり来たりして、曲がる道をひとつ間違えていたことい気づいた。ラカーニャに着いたときは、すでに6時を少し過ぎ、すでにOAのCROTAROの二人が演奏を始めるところだった。会場は超満員。

彼らは4曲歌ったが、3曲はボブ・ディランの歌。Forever Young, It's All Over Now, Baby Blue, Mr. Tambourine Man. 英語だけでなく、自分たちの日本語訳で歌ったのがよかった。ギターも上手いし、声もいい。

中川五郎さんは、1曲目からパワー全開。She'll Be Coming 'round the Mountain when She Comesのメロディで当意即妙の歌詞で歌う。そのユーモアある歌詞に会場は爆笑の渦。そのあと数曲歌って、名曲「一台のリヤカーが立ち向かう」。この歌はいつ聞いても感動する。そして、フィナーレは18分の「烏山神社の椎の木ブルース」。最後は歌うというよりはシャウトである。鳴りやまぬ拍手。五郎さんのこれほどの熱狂的な演奏を聞いたことはなかった。すごい!

15分ほどの休憩のあと、ぼくの出番。五郎さんが歌い始めてすぐ、長男の伸也がお店に入ってくるのが見えた。彼がくると聞いていなかったので驚いたが、よかった、彼にカメラを渡し、撮ってもらうことに。しかし、ケイタイの充電を忘れていたことに続いて、2番目のトラブルはカメラにSDカードを入れるのを忘れていたことである。カメラの内臓メモリーをクリアーして撮ることに。その結果、数多くは撮れなかった。

主催者の配慮で、五郎さんのあとに歌うことになってよかった。ぼくの後に彼が歌ったら、ぼくの歌は完全に吹き飛ばされていたにちがいない。

「一通の手紙」「六朗」「宝福寺にて」「ありがとう、ミスター・コーエン」「電線の鳥」「菅野有恒」「中谷勲」「門」。「菅野有恒」を歌っているときに3番目のトラブルがやってきた。右の補聴器の電池が切れたのである。電池が切れたことを知らせる音が耳の中で断続的に鳴る。予備の電池がない。歌い終わったあと、左の補聴器の電池を取り出し、右の補聴器に入れる。右の耳のほうが少しよく聞こえるので。

そのあと、五郎さんと対談し、彼がブコウスキーの詩を読み、ぼくが宮沢賢治の生家を尋ねたときの想い出を書いた文章を読む。しかし、これが4番目のトラブル。朗読する文章のことをすっかり忘れていた。五郎さんが朗読している間、慌てて歌詞カードを探す。「雨にも負けず」の歌詞の前に、1971年8月、賢二の生家を訪ねたときの文章があった。急きょこれを読むことに。

最後はみんなで、We Shall Overcome と「風に吹かれて」を歌う。こうして3時間半を超えるコンサートが終わった。本当に予想を超えるいいコンサートになった。主催者の若松さん、快く共演することを承諾してくれた五郎さん、それに会場を提供してくれたラカーニャのみなさんに感謝したい。そして何よりも、聞きにきてくださった多くの方々に感謝したい。

帰りは長男のあとについて、渋谷に出て、そこからタクシーで麻布十番のホテルへ。長男はタクシー乗り場まで一緒に来てくれ、何やら運転手と話し、ぼくがホテルに無事着けるように気を配ってくれた。だんだんと「老いては子に従え」の段階に入りつつある。


Saturday October 7, 2017

朝から、明日の下北沢ラカーニャでのライブの準備。といっても、なにやかや、あれもこれも、いろいろ思いはするが、なかなか煮詰まらない。自分の実力以上のことをしようとしても失敗する。背伸びをせず、いつものやり方でやるより仕方がないだろう。

ネットで曽我逸郎さんを検索したら、彼がネルケ無方さんと仏教について書簡の交換をしているサイトがあった。それに京都八文字屋の甲斐さんが彼のことをよく知っているということも、甲斐さんのフェイスブックへの書き込みで、わかった。ますます、曽我さんのことをもっと知りたくなった。

家人の肩がだいぶよくなった。午後には、オーリアッドへ「臨時休業」の張り紙をしに、彼女の運転で行く。一安心。五十肩の痛さ、辛さは経験した者でなければわからない。

明日は11時過ぎのあずさで東京へ。中川五郎さんに久しぶりに会う。何年か前に高遠のブックフェアでお会いして以来である。楽しみだ。このライブの企画をしてくれた若松さんに感謝。


Friday October 6, 2017

早朝、伊那市の市議若林さんから電話があった。衆議院選に出馬することになった曽我逸郎さんが午後辰野へ行くことになったので、4時ごろ、自宅かお店で会えないかとのことだった。家人の肩の痛みはまだ残っていて、家も片付いていない。お店で4時にとお答えした。そのあとすぐ、彼の辰野の支援者から電話があり、10名ほど同席したいとのことであった。

曽我さんの良い噂は多くの人から聞いていたし、ネットで検索して読んだ彼のいくつかの文章にも感銘を受けていた。特に、大学では哲学を専攻したが、本当は仏教を勉強したかったという主旨のことばには驚いた。現在も、坐禅をし仏教の勉強を続けているようである。

実際にお会いして感じた印象は、噂や文章から得た印象と変わらなかった。もっと深く彼のことを知りたいと思った。



今、日本は、そして世界も、大きな変革の時代にある。物質的な豊かさを求めつづけたツケがここにきて世界を破滅の危機に直面させている。かつて岡倉覚三は「東洋の理想」のなかで「西洋の理想は生活手段の追求であり、東洋の理想は人生の目的の追求である」と述べた。アベノミクスだの「三本の矢」だのと目先の経済政策を変えるのではなく、根本的な mindset (心の枠組み)を変えなければならない。

曽我逸郎さんの存在は今後の日本、そして世界の大きな希望の光である。


Thursday October 5, 2017

今日は一日、ライブの準備。それぞれの歌が物語であるだけでなく、セットリスト全体がひとつの物語になるように心掛けた。主催者の若松さんからのメールによれば、ありがたいことに予約もかなり入っているようだ。

夜8時過ぎ、今年のノーベル文学賞は、日本出身のイギリス人カズオ・イシグロが受賞したというニュースが流れた。彼の書いたものを昔読んだ記憶があるが、何を読んだか覚えていない。昨年ボブ・ディランが受賞したときの熱狂というか狂騒を思い出した。今夜のNHKの9時のニュースでもかなりの時間を割いていた。

夕方の空がきれいだった。そして夕食後、王城山の上に満月が。昨夜は十五夜だったが、満月は10月6日3:40とのこと。ということは今夜の月がもっとも満月に近い月ということになる。








Wednesday October 4, 2017

昼を挟んで2コマのクラス。あがたの森公園の近くに大きなショッピングモールができたとのことで、道が混んでいると伝えられていたし、印刷物も大量にあったので、早めに家を出る。渋滞というほどではなかったが、いつもよりは交通量が多かった。

一昨日と同様、今日も「We Shall Overcome 世界を変えた歌」の前半を見る。このビデオは、後期学ぶ I Have a Dream のスピーチを理解する上で役に立つはずである。

帰路、新しいマーケットに寄るか迷ったが、横を通り、いつもの Tsuruya に寄り、切らしていたメイプルシロップを購入。

いよいよ、日曜日のライブに向けて、最終的な準備をしなければ。一番大事なのは、急に寒くなったので、体調を崩さないように注意すること。それにできるだけ早くセットリストを最終的に決めること。今のところリクエストは「碌山」と「祈りの歌」がきている。

今夜は中秋の名月。白樺の枝越しにお月さん。




Tuesday October 3, 2017

今日は潔さんが土手の草刈り、それに庭の木の剪定をしてくれた。白樺の木もちょっと淋しいほどに刈り込められたが、空がよく見える。それにこれからは太陽の光がよく通るようになる。

午後1時、家人を隣町の小学校へ送る。家に戻って、発声練習をして、それからまた4時半過ぎ、迎えに行く。まだ運転をするのは怖いようだ。五十肩の痛みをぼく自身体験していなかったら、これほどに同情的にはならなかっただろう。


Monday October 2, 2017

農学部、後期最初の授業。いつものように「テストのようなもの」からスタート。後期はキング牧師のスピーチを副教材にするので、まずその冒頭の部分の訳を問う問題。そのあと、 「We Shall Overcome 世界を変えた歌」のドキュメンタリーを半分ほど見る。後半は次回に。このドキュメンタリーは1989年1月6日に放映された。なぜ覚えているかというと、その翌日に昭和天皇が亡くなったからである。日本中に自粛ムードがたかまり、もしこのドキュメンタリーの放映が1月6日以降だったら、日の目をみることはなかったかもしれない。

録画して、その後、授業で何度も学生と一緒に見た。最近、YouTube にこの映画が3回に分けてアップされていることを知った。

We Shall Overcome 世界を変えた歌
part 1 https://www.youtube.com/watch?v=77zy1ENHzFI 2:36
part 2: https://www.youtube.com/watch?v=9Mz2MniTeig 19:44
part 3: https://www.youtube.com/watch?v=N6r1ZFYJVaU 21:35

「隣の潔さん」が午前中、イチゴの苗を植えにきてくれた。プロの仕事である。土手の草刈り、庭木の剪定も明日以降、お願いした。家人の肩が思わしくなく、ぼくも週末にライブを控え、力仕事ができないので。


Sunday October 1, 2017

530 デイ。毎年2回春と秋。道路のゴミを拾う日がある。今日がその秋の日。7時前に家を出て、暖炉のトングを手に、旧道に下り、徳本水に向かって歩く。ゴミは落ちていない。この村に戻ってきたころは、たくさんの空き缶などのゴミでいっぱいだった。不要になった生活用品が捨てられていることもあった。しかし、今、ゴミはほとんどない。継続は力なり。







7時から始まって、15分ほどで終了。

朝食後、いつもならサンデイモーニングを見るのだが、今朝はパス。わずかな希望の光をも吹き消す政界のゴタゴタ。

昼前、オーリアッドへ。昨夜の片づけ。そしてマーケットへ。お昼のため焼きそばとお好み焼きのパック、それにいくつかの食材を買う。

夕食は、肩の調子がだいぶよくなったといって、家人が、隣からいただいた新鮮なサンマを使ったサンマ御飯を炊いた。美味しかった。

夜、明日の授業の準備。



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