OREAD Diary October 1-31, 2011

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October 31, Monday 2011

午後、南箕輪村の農学部へ。2コマの授業。今日はDVDを忘れず持参。Amazing Grace の詩を書いたジョン・ニュートンについての短い映像と、スティーブ・ジョブズのスピーチの最初のふたつのストーリーの部分を見る。そのあと、3rd story 「死について」の部分を読んで解説。

このキャンパスは紅葉が美しい。こんな景色を見るといつも八木重吉の詩を思い出す。

  このあかるさのなかへ
  ひとつの素朴な琴をおけば
  秋の美しさに耐えかねて
  琴はしづかに鳴りいだすだらう





ヤクルトががんばったようで嬉しい夜。

真保呂さんから昨日の「きのこライブ」で歌っているぼくの写真がたくさん送られてきた。感謝。昨日も書いたが、彼がいなかったら「きのこライブ」は成立しなかった。


October 30, Sunday 2011

横川峡紅葉祭りの「きのこライブ」

リハーサルの後半から小雨が。昨日はあんなに晴れていたのに。野外ライブの宿命。雨には弱い。でも小雨にけむる紅葉も美しい。

急ごしらへのテントは小さく、観客も少なかったが、風情のあるコンサートになった。能舞台を有効に使わないまま放っておくのはもったいないと、「きのこライブ」の発案し、多くの人を説得し実現させた野澤隆生さんに共感し、協力することになった。機材を提供したがエンジニアがいない。前日、機材セッティングからサウンドチェックまで山口真保呂さんがすべてかかわり、今日はエンジニアを一手に引き受けてくれた。真保呂さんがいなければ大変なことになっていた。

ぼくは午後のチャーチコンサートがあるため、早目に歌わせてもらう。Nagomi というバンドのあと、11時40分から40分間。先ず「年をとって歯が抜け」を、歌詞を少し変えて歌う―、「春には王城山へタラの芽つみに/秋には横川峡の紅葉祭り」。そのあと「碌山」「祈りの歌」「宝福寺にて」「ガビオタの海」「薫子」を歌う。

野外コンサートは苦手である。でも歌い終わったあと太田君が言うには「空気感があってとてもよかった」とのこと。そしてぼくの歌を最初に聞いた伊那のスキー場での野外コンサートを思い出したとも。あのときも彼が近づいてきて声をかけてくれた。彼は東京から信州へ戻ってきたばかりだった。





Last three photos by 堀六平

歌い終わったあと、茅葺の館前の広場の屋台へ。「茸うどん」を食べに。松茸がどっさり乗ったうどん。美味しかった。うどんを食べていると若い男性が話しかけてくれた。「彫刻家の歌、よかったです」。別れ際に、彼がFM長野の人で、辰野町の番組を制作している人だと知った。

太田君のジャズバンド、きらきら音楽旅団、それに堀六平さんの演奏を聞けずに心残りだったが、会場をあとに。家に寄り、家人をピックアップして辰野キリスト教会へ。ちょうどリハーサルが終わり、コンサートが始まるところだった。

                         

秋のチャーチコンサート「歌うふるさとの仲間たち」 at 辰野キリスト教会

前半:教会の若者たちのグループ「オーリブ」の演奏。「出会い」「スマイル」「君は愛されるため生まれた」「主の祝福があるように」。赤羽真理さん、「誰もみな」と「千両梨の実」。後者は大月高志さんのサポート。大月さん、「カノン」、そして、「アンジー」。後者は、大月さんの新しいギター、コール・クラークによるインストラメンタル。丸山俊治さん、「70歳になったのだ」「セピア色の安曇野」。松商学園放送部が丸山さんの演奏の撮影にきていた。前半最後は藤森敬一さん、「落葉」「Sisi Sote Sawasawa(人はみな同じ)」。後者を聞きながら涙を流し、あるいは、こらえている人が何人も。






後半は、田中創さんの「東京」「ハレルヤ、ハレルヤ」から。後者はチャーチコンサートにはぴったりの選曲。手拍子も出て、盛り上がった。そのあと、ぼくが「雨ニモマケズ」と「中谷勲」、そして粟津原ゆう子さんの「果樹園の道」、原田和夫さんの「キリストには代えられません」。最後に全員で「アメイジング・グレイス」。

この秋のチャーチコンサートが始まってから、今年は6回目だという。参加できない年もあったが、もうそんなに経ったのかと感慨深いものがある。今年は藤森敬一さん、田中創さんの参加もあって、コンサートとして充実していたように思う。

このような場を提供してくださる長谷川牧師ご夫妻をはじめ、教会関係者のみなさんに感謝。ひとつのイベントを継続して行くことの大変さは、ぼくもよくわかっている。


October 29, Saturday 2011

大盛況の10月最後のオープンマイク。

出演順に、前半、丸山俊治、山口真保呂&美都子、太田裕士、坂井俊水、名取友紀子、名取芳夫、林呉。後半、赤羽真理、原田和恵、長谷川ひさい、岡只良、太田裕士&岡只良、丸山俊治、山口真保呂&美都子、坂井俊水、名取芳夫、名取友紀子、林呉、三浦久。

みなそれぞれに素晴らしい演奏。前半とくに印象に残ったのは名取友紀子さん。「長足の進歩」としか言いようがない見事な演奏。音楽とは別の次元で感動的。林呉さんの新曲「歌声」は、彼の音楽感を伝えてくれる。心地よい波動に包まれた。太田裕士さん、「今日はサックスはもってこなかった」と、ピアノ演奏のみ。ピアノも上手いと知っていたが、今日の jazz-oriented あるいは jazz-inspired piano は以前にもまして説得力があった。







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後半もそれぞれによかった。岡さんの初のソロ、 Fly Me to the Moon。原田さんの「おひさま」のテーマ曲。その譜面を初めて渡されてなんなく弾きこなした太田さん、一度だけ「あっ、ごめん」が出たが。亡くなった友人の歌「ちゃらんぼ」を、「この歌を歌わなければ永遠に失われてしまう」と歌った真保呂さんと美都子さんの友への想い。歌詞と写真を載せた資料を配ってから歌った丸山さんの「セピア色の安曇野」。聞けば聞くほど、丸山少年の先生への思慕の念、感謝の気持ちが伝わってくる。

長谷川さん、故郷新潟から辰野へ戻る電車の中で知った震災の話と祈りについて。そして明日の教会でのコンサート「歌うふるさとの仲間たち」の話。オーリアッドの話。

最近、冗談で肩書きを「お客の入らないライブハウスの店番」ということがある。冗談というよりも、それは現実なのだが、3年は続けたいと思って再開したオーリアッドも、おかげさまで、今年の6月で8年が過ぎた。その間、多くの人との出会いがあった。多くの歌、音楽を聞かせてもらった。毎週欠かさず歌いにきてくれる人、オーリアッドにきてから歌を書きはじめ、次から次へと新曲を生み出す人、数年のうちに演奏技術が格段に進歩した人、確立したミュージシャンでありながら、常にさらに上を目指しチャレンジする人。必ずビール3本を飲み、売り上げに貢献してくれる人(冗談です)。多くの音楽を愛する人たちのおかげで、ここまで来ることができた。

オーリアッドを1985年に始めたとき、「オーリアッドがかつては子供であった大人たちの出会いの場、創造の空間になれたらと思う」と書いた。長い休業のあと、2003年に再開したときも、その思いは変わらなかった。 そして今、老若男女、上手い人も、*それほどでない人も、お互いの音楽を聞き合い、刺激し合い、影響し合うオーリアッドのオープンマイクを思うにつけ、続けてきてよかったと思っている。

そして何よりも、オーリアッドに集う人たちの歌や音楽を、そして人生経験を、聞かせてもらって、もっとも刺激を受け、影響を受け、勉強させてもらっているのはぼく自身である。かけがえのない体験である。あと何年続けることができるか、それは神のみぞ知る。ただ、元気でいる限り、これからも「お客の入らないライブハウスの店番」を続けるつもりである。

*「それほどでない人」と書くことに少々抵抗を感じたが、もし自分が「それほどでない人」だと思った人がいるならば、そしてぼくもその一人なのだが、次のことを付け加えておきたい。8年間多くの人の演奏を聞いて感じたことは、演奏が、あるいは歌が上手いことは、人を感動させるために絶対不可欠の要素ではないということ。


October 28, Friday 2011

日帰りで京都へ。家人のお父さんの葬儀。家族葬とのことで、こじんまりとしたいい葬儀だった。お父さんは、80を過ぎても青年の雰囲気をもっていて、倒れる前日まで車に乗っていたという。享年85歳。子供たちが小さいときはいろいろお世話になった。長男は東京から葬儀に参列し、次男には葬儀の始まる時間に、ニュージーランドから京都に向かって黙祷するようメールを出しておいた。

行きのバスと電車の中で、梶山雄一著『菩薩ということ』(人文書院)を読む。1984年に出版された本なので、27年ぶりに読み返したことになる。この本のタイトルと同じタイトルの第一章は、富山県教育委員会主催の小学校長研修会における講演である。講演もすばらしいが、感銘を受けたのは、最後につけられていた質疑応答の部分。校長先生たちの的を射た質問、そして梶山先生の核心をついた回答。温厚な先生からは想像もできない過激な答えもあって驚いた。

先ほど、道徳は相対的なものだと申しましたけれど、仏教の個々の教義、浄土思想とか、輪廻思想とかも、やはり相対的なものなんですね。それぞれの社会の必要に応じて生まれてきたもので、社会のほうが変化すればこれをそのままのありのままの形で維持していくということはできなくなる。これも、歴史の必然だと思うんです。このような転換期に際しては、われわれは、やっぱり自分に正直になって、自分が信ずることができないものは、これは勇気をだして否定する。それが、親鸞なら親鸞の正直さを真似することになるだろうと思います。(p. 93)

最近身近な人たちの訃報に接することが多くなった。「今日が人生の最後の日だと思って生きれば、必ずあたる日がくる」「もし今日が人生の最後の日だとしたら、今日これからしようとしていることは自分が本当にしたいことだろうか」―スティーブ・ジョブズのスピーチの言葉がますます重く感じられる。


October 27, Thursday 2011

夜、少し遅れてオーリアッド入る。メールボックスに差出人の名前の書いてない四角い封筒が。CDのよう。封を開けると Ralph McTell という人のディランの70歳の誕生日を祝してリリースしたDon't Think Twice It's Alright: A tribute to Bob Dylan on his 70th birthday。

札幌の川股君からだった。川股君にはいろいろな思い出がある。一度はまだ京都にいたころ、『ユリイカ』のディラン特集号にぼくが書いた文を読んで、北海道から会いにきてくれた。それから81年か82年だったか、札幌へぼくを呼んでコンサートを開いてくれた。その月の月給だったか、退職金だったかを全部投じて。

そのときのチケットはまだ壁に貼ってある。会場は玉光堂琴似店Gスタジオとなっている。彼は今家具職人として活躍している。



家人のお父さんが昨日午前1時急逝した。明日は臨時休業とさせていただきます。土曜日は営業し、飛び入りライブは行います。


October 26, Wednesday 2011

朝からライナーの校正。何度校正しても、更に修正したいところが出てきて困る。どこかで区切りをつけなければ。

時々、外に出て、トレッキングポールをもって歩き回る。そのうちに、東側のハチヤ柿の木に実が付いているのに気づいた。今年はまったくなっていないかと思っていたが、霜が降りて葉がおちたあと、柿がよく見える。30個はついている。そのうちの20個ほどを高枝バサミで切り取る。高枝バサミでもとれないものは鳥のために残すことに。さらに西側のタクヤの柿の木へ行き、先日取り残したものをとる。しかしこちらは豊作でまだまだとりきれない。



午後遅くに、ジャスラックから録音許諾番号が届く。早速デザイナーの石崎芳夫さんのところへ送る。いつもお世話になっているエンジニアの石崎さんのお兄さん。

昨日はマイクスタンドを2本注文したが、今日はシュアのマイク2本とケーブルを2本注文。土曜日までには届きそうである。

11時家に戻り、さら校正の続き。ほぼなんとか終わりにできそう。


October 25, Tuesday 2011

今日も10月末とは思えない暖かさ。午後2コマのクラス。今日はキング牧師のスピーチのもっとも有名な部分。何度この部分を読んだり聞いたりしたことか。それでも毎回新たな発見があり感動がある。教えることは学ぶこと。日々実感。ありがたいことである。

こんなYouTube を見つけた。キング牧師の演説の動画ではなく、このスピーチのテキストだけからなる映像。冒頭の I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation. という一文が抜けているが、残りのすべてのテキストが表示される。これを見ながら文字を追い、意味をつかむ練習をすれば英語を英語のままで理解する力を養うことができる。画面のテキストをキング牧師の音声に合わせて繰り返し読めば、英語のリズムを容易に身につけることができるはず。http://www.youtube.com/watch?v=gevdV4LvipQ

今日も家人が留守で、ピッツェリアで夕食。前回は5時前でランチメニューだったので一人分の量でよかったが、今日は5時過ぎで、ピザは2人分から。美味しかったがやはり多すぎ。半分食べて残りは包んでもらうことに。

ジャスラックから録音許諾番号が届いているかと思ったが、メールボックスには何も入っていなかった。明日は届いてほしいもの。30日の能舞台でのコンサートに向けてマイクスタンドを2本注文。土曜日までに届いてくれるといいが。


October 24, Monday 2011

朝、町のコメリにインクがあるか電話でたずねたところ、あるとのこと。開店時間9時半を待って買いに行く。不安が適中した。あまり品が揃っていない。ぼくが希望したセットの純正インクはなく、最も必要としていた Black だけ、互換用があった。それをひとつだけ買い、家に戻りセットしたら印刷できた。午後のクラスの準備。

午後2コマのクラス in 南箕輪村。今日から教室が変更になりDVDを見ることができるようになった。ところが、何と、DVDをもっていくのを忘れた。今日はジョブズのスピーチはCDで聞き、その2つめのストーリー Love and Loss (愛と喪失)について解説。その中で、彼はアップルを首になったとき、一世代前の起業家たちを失望させてしまった、彼らから受け取ったバトンを落としてしまったと感じ、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに謝りにいくところがある。

前者は当然ウイリアム・ヒューレットと共同でヒューレット・パッカード社を創設した人物である。後者の名前は何度も耳にしたが詳しく知らなかった。調べてみたら、半導体集積回路(IC)の発明者であり、インテルの共同創設者だった。「シリコンバレーの市長」とも呼ばれていたようだ。

クラスのあと、伊那のヤマダ電機へ。インクを買いに。純正品もあったが、ブラックが互換用なので、他のインクも互換用に。

夜、今朝早く送られてきたCDのブックレット用のライナーの二校をすませ送る。

今日は暖かかった。10月の下旬とは思えない。


October 23, Sunday 2011


昨夜から降り始めた雨は今朝も降っていた。柔らかい雨。昼近くに上がる。玄関先の鉢植えの菊が咲いてとてもきれい。潔さんからもらったもの。それを、庭の真ん中に置いてみる。大きな木を2本切り、他の木も枝を落とした庭は殺風景だったが、これを置いただけで、明るくなった。まさに、「バラが咲いた」ではなく「キクが咲いた」。



朝から、 歌詞カード、ライナーなど、校正をすませ、出来たものから送る。4時、「日野原重明 100歳 いのちのメッセージ」を見る。今朝、丸山さんからメールが入り、見ることを勧められた番組。驚くことに、安曇野の山荘で、去年、一昨年とお会いしたときより若く見える。白衣を着て働いている姿ゆえだろうか。先生を見ていると、まだまだ老け込んではいられないと思わされる。

食欲の秋。新米も、茸も、くだものも、みな美味しく、ちょっと食べすぎ。気をつけねば。遅くなって明日の授業の準備。困ったことは、新しいプリンタのインクがなくなって、印刷できなくなってしまったこと。古いプリンタのインクはいっぱいあるのに。


October 22, Saturday 2011

朝、新しいCDのジャッケットとライナー&歌詞カードのデザインが届く。なかなかいい。歌詞やライナーは修正したいところがいくつかある。夕方までにはチェックして送りたいと思ったが、疲れていて集中できない。明日することに。

6時前に、オーリアッドへ。昨日の今日で、2日連続のオープンマイクのよう。

ぼくが先ず「雨ニモマケズ」と I Have a Dream を繋ぎ合わせたものを歌う。これは昨夜イドリスがのおかげでこのふたつの歌を急遽折衷して歌ったら、好評だったので。そして「中谷勲」。次に久々登場の川島茂さん。「プロポーズ」と新曲「最後の役目」、そして娘さんたちとのバンドで歌っているという「ありがとう、合鴨」。2曲目は、遠い親戚の葬儀に参列したときの正直な気持ちを歌ったもの。相変わらずの美声。

丸山俊治さん、今夜は先ずポケットから何かを取り出し、口にあてる。口琴、Jew's harp だ。凄い。新しいことに対しいつもセキギョク的。お孫さんとの楽しいミュージック・パレードの話のあと「小さな王様」と「一番最後に」。そして松商学園放送部との取材打ち合わせの話のあと「70歳になったのだ」。

赤羽真理さん、「旅人の木」「誰もみな」、そして「千両梨の実」。2曲目は初めて聞く。新曲かなと思ったら、カバーとのこと。いい歌である。原田和恵さん、今日は長野市の美容院で丸山さんのCDを聞いてもらったという話のあと、「G線上のアリア」「めぐり合い」、そして日本語と英語で「アメイジング・グレイス」。ここで休憩。原田さんの長野市のおみやげのお菓子をいただく。スピーカーからは、ハンク・ウイリアムズ。





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後半トップ、ぼくが「果樹園の道」と「電線の上の一羽の鳥のように」。川島さん、「時代がぼくを変えても」、そして「厄年が過ぎて身につけたものは・・・」でコーラスが始まる歌。今夜は陽水は歌わなかった。丸山さん、後半、原田和夫ご夫妻がお見えになり、先ず原田さんの小学校の先生を歌った「白雪先生」。そして次に丸山さん自身の先生を歌った「セピア色の安曇野」。今年中に東京に住む先生をお訪ねして、先生とご主人の前でミニコンサートを開きたいとのこと。うーむ、なんとセキギョク的な。

春日淳也さん、今日は雨でバイクがすべり、対抗車線に投げ出されたが、対向車がこなくて命拾いしたという話のあと、「雨は降ったかい」、そして「ジョー・ストラマーに捧げる歌」。両者ともオリジナル、斬新、ロックンロール。

赤羽さん「主の十字架は輝けり」「私が悩むときも」。前者は大阪に住むアメリカ人宣教師が書いた賛美歌とのこと。関東大震災のとき、彼はたまたま東京にいて、被災した人たちを助けようと避難場所へ向かう。避難場所に近づくと、遠く夕闇の中に浮かあがる十字架の光が目に入ってきた。そのときの感動を書いたものとか。その十字架の光は、実は被災者が灯すロウソクの光だった。原田和恵さん、賛美歌を2曲。「明日を守られるイエス様」「主の愛が今」。ここでオープンマイク終了。

閉店時間まで歓談。スピーカーからは休憩に引き続き、ハンク・ウイリアムズ。


October 21, Friday 2011

思いがけず楽しい夜になった。県の教育委員会でALT のアドバイザーをしているスティーブンから水曜日にメールが届いた。「金曜日にオーリアッドへいきたい」と。そして「タコスが食べたい」と。最近はあまり出ないタコスは作らないでいたが、家人に頼んで作ってもらうことに。

スティーブンが友達のアイさんとやってきたのは、7時過ぎ。11月21日に塩尻にある県の総合教育センターで行われる Skills Devlopment Conference の話にきたのかなと思っていたら、しばらくしたら、次から次への外国人の先生たちが入ってきた。オーダーは、一名を除いてみな「タコス」。途中ひき肉がなくなり、買いに行くほど。

そのうちに、大学で音楽を、しかもジャズギターを、専攻したというスティーブンがギターを弾き歌い始めると、ジャマイカのキングストン出身のイドリスがジャンベをたたく。すごい、ものすごいリズム感。ダブルのジャックダニエルズを3杯のんだサラもジャンベをたたき即興の歌を歌う。これまたすごい迫力。

ぼくにも歌えというので、「雨ニモマケズ」を歌いだしたら、イドリスが「I can't understand what you are singing about !」という。急遽、 I Have a Dream に変え、最後はまた賢治に戻り、お経でしめる。ダニエルが即興のピアノを引き始めると、スティーブンとイドリスが加わり、ジャムセッション。今夜のハイライト。1番テーブルにいた2人のお客も、びっくり仰天。楽しんでくれたようだ。

モリーは自作の詩と物語を読む。会話のところでは、イドリスと二人で。彼女は詩人。以前来たときも、iPad に保存された自作の詩を読んだことを思いだした。





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10時を過ぎてから、スティーブンがぼくのために一曲歌てくれると言う。何かなと思っていたら、コーエンの「ハレルヤ」だった。途中からサラもステージに上がり、一緒に歌う。客席からも、コーラスを一緒に歌う声が。そのあと、お返しにぼくが「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌い、写真はないが、ニューヨークはバッファロー出身のジェレマイヤが挨拶。そして、スティーブンがアイさんを紹介し、今夜の impromptu jam session 終了。若いとはいえ、彼らのエネルギーは凄い。

スティーブンに、そして今夜集まってくれたみなさんに感謝。

今日の午後、ようやく著作権協会への録音許可申請書をファックスで送る。不備なところを問い合わせる電話が入り、2,3修正。来週初めには許諾書が送られてくるようだ。年末ライブには間に合いそう。


October 20, Thursday 2011

5時過ぎ、松本からの帰路、山麓線に入る。松本平が夕焼けに染まっている。思わず車を脇道に止め、写真を撮る。この道は四季折々実に美しい。




7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。しばらくして4人のお客さん。そのうちのひとりがギターを弾きたいとのことでマイクをセットし、裏の物置からギターを取り出す。先週土曜にはジャズ、そして昨日は歌声喫茶があり、ステージは片付けたままだった。その人がギターを一度スクロールしただけで、これはすごいと思った。友達から歌も歌ってくれといわれ、まず英語で、次に日本語で。トム・ウエイツの声で「なごり雪」。

新しいアルバム用の写真を探していたら、ハードディスクが壊れたとき失われたと思っていた写真が保存されているファイルが出てきた。よかった。その中に、この日記で何度か言及したことのあるタサハラマ禅ウンテンセンターの標識の前で撮った写真があった。このとき23歳。うーむ。ほぼ43年前。




October 19, Wednesday 2011

朝5時過ぎ目がさめ、外を見ると空がほぼ全面うろこ雲に覆われている。あわててカメラをもって外に出る。下弦の月が、雲間に見える。

昼前、ひとつの締め切り(Skills Development Conference のためのアブストラクトとプロフィール)を送り、午後はもうひとつの締め切り(これはすでに大幅に締め切りをオーバーしている)にとりかかり、まだ完全ではないが、とりあえずできたところを送ってからオーリアッドへ。6時半過ぎ。そこへ電話。がーん!そうだ先週、公民館の都合がつかなくなったので、オーリアッドで歌声喫茶ができないかと頼まれていた。お店につくと、すでに何人かの人が待っている。

7時から9時まで歌声喫茶。懐かしい唱歌や古い歌謡曲。みなさんとても上手い。後半冒頭、丸山さんが「70歳になったのだ」、長島さんが「秋桜」を歌う。終了後、おふたりと話す。土曜日のジャズはよかったとのこと。特にドラマーの演奏に二人とも感銘を受けたようだ。音は大きいのにうるさくなかったとのこと。なんとなくわかるような。「太田さんは仙人のように貫禄がでてきた」とも。




下の列左は、潔さんからもらった菊の鉢植え。小さな赤い花が咲き始めとてもきれいだ。その右は、イチイの木の下の石の祠。その右は、家人が昨日、松田君に誘われて mushroom hunting に行った成果。ぼくは仕事があっていけなかったが、中学時代の担任の河西先生、同級生数人が、松田君の茸山へ招待された。今夜は早速ご飯に入れていただいた。やはり、カナダ産よりはうんと美味しい。特に歯応えが全然違う。感謝。河西先生は80過ぎとのことだが、お元気だったとのこと。


October 18, Tuesday 2011

朝8時過ぎ、中学校へ。読み聞かせのため。今日は1年から3年まで全クラスで、町内の2つの朗読の会のメンバーが読み聞かせをした。ぼくが参加するようになって、これは初めてのこと。ぼくの担当は1年5組。宮沢賢治かスティーブ・ジョブズか。迷ったが、スティーブ・ジョブズにする。基準は、今どちらにより感動しているか。斎藤宗次郎もいいが、今はやはりスティーブだ。スタンフォード大学でのスピーチの3つめの話、死についての部分を読む。

読む前に、スティーブ・ジョブズを知っている人?と聞くと、4,5人の手が上がった。何をした人?と一番前にすわっている男の子に聞くと、「マックを作った人」という答えが返ってきた。2年ほど前に、同じ質問をしたときは、手がひとつ上がっただけだった。そのとき手を上げた女子生徒は、2番目の質問に対しては「アップルをつくった人」という答えが返ってきた。

家に戻り、午後のクラスの準備をすませ、秋晴れの山麓線を松本へ。実に美しい。キャンパスも色づき始めている。今日の歌は Imagine。みんな知っていて単純な歌に思えるが、意外と歌いずらい。そのあと、キング牧師のスピーチ。ようやく半分ほど終わったところ。来週は、「私には夢があります」と繰り返す、もっとも有名な部分。

クラスでどういうわけか USA for Africa の話を始めて、Boomtown Rats のBob Geldof の名前は出てきたのに、それに Lionel Richie の名前も出てきたのに、Michael Jackson がまったく思い出せなかった。思い出そうと思えば思うほど、ますますわからなくなった。回線が完全に切断されてしまったかのよう。

今夜は家人が留守のため、松本で食事をすませることに。国体道路にあるピッツェリアに初めて入る。パスタとピザ、そしてサラダ。イタリアンコーヒーも。美味しかった。

家に戻り、11月21日(月)のALTの先生たちのコンフェランスで行うプリゼンテイションのために、プロフィールとアウトラインを作成する。締め切りは明日。正式名称は、Skills Development Conference. 昨年に引き続き依頼されたが、まったく同じことをするわけにもいかず、ちょっと困っている。ただ今回、 Skills Development とは関係ないが、全国の ALT の先生たちが、そして、すでに本国に戻った ex-ALT の先生たちも、3.11の震災のあと、被災地のために救いの手を差し伸べてくれたことに言及し、ALTの存在価値に触れたいと思っている。


October 17, Monday 2011

昼前、松本の共通教育の事務局から預かってきたDVDプレーヤーをもって、南箕輪村、農学部の事務局へ。2週間前の最初のクラスでDVDが見せられなかったと、翌日松本へ行ったときに話したら、早速対応してくれた。来週からは教室を変更して学生にDVDを見せることができそうだ。ありがたい。

講師控室に行くと、後期が始まる直前にやめ、そのあとをぼくが引き受けたケルトンがいる。他の先生たちに挨拶にきたとか。しかも、「あかはね」の高遠万十のおみやげをもって。なんと律儀な。ケルトンに関してはいい思い出ばかり。翻訳も何度か助けてもらった。最も感銘をうけたのは彼の正義感。あまり具体的には書けないが。

2つのとても気持ちのいい授業。うーむ、このキャンパスは松本に比べて、学生数が少ないこともあって、落ち着いている。学生も熱心だ。下の写真は4講時が終わったあと、教室の窓から撮った写真。紅葉にはまだ早いが、それでも美しい。



午後遅く、土曜日のコンサートにきてくれた松田君から電話。「コンサートはよかった。みんなすごいね。2000円じゃあ安いよ。あんな素晴らしい演奏はここらじゃ滅多に聞けない」とのこと。よかった。

夜、明日の松本での授業の準備。それに明朝の中学での読み聞かせをどうするか考える。

CD『祈り』のライナーをできるだけ早く書き終えて送らなければ。今朝最終マスタリングのすんだ音源が石崎さんから送られてきた。石崎さんにはお世話になった。ぼくのわがままで何度も修正してもらったが最終的にとてもよくなった。「中谷勲」も、いくつか音を引っ込めたり出したりして、よくなった。


October 16, Sunday 2011

昨日、岡谷発午後3時40分の特急「はまかいじ号」に乗って、甲府で乗り換え、身延線で静岡へ行く予定だった。家人に駅まで送ってもらい、改札でその旨伝えたところ、身延線が先月の台風12号の影響で未だに不通箇所があり、バスでその間を輸送しているとのこと。この電車でいけば、最終のバスに間に合うが、静岡に着くのは10時過ぎになるとのこと。ガーン!!急遽、八王子から新横浜、そして新幹線で静岡へいく路線に変更。それでも一郷先生にお会いする時間に30分以上送れてしまった。静岡駅に着くと先生と副住職の息子さんが待っていてくださった。近くの料亭で夕食をご馳走になる。美味しかった。

駅前のホテルアソシアに宿をとっていただいていて、一泊。朝タクシーで真勝寺へ。約束の9時より少し早めに着いたので、近くを散歩。このあたりにはたくさんのお寺があって驚く。そのひとつに由比正雪の首塚があるお寺があった。由比正雪という名前は子供の頃から聞いて知っていたが、どんな人だか定かでない。中に入って説明文を読む(下の上の列、真ん中の写真をクリックすると大きな写真を見ることができます)。

9時過ぎ、真勝寺へ戻り、サウンドチェック。前回は車で機材を持参したが、今回は学生時代ヒップホップのDJをしていたという副住職さんにPAの手配をお願いしたところ、PA業者に頼んで立派な機材がセッティングされていて、恐縮。しばらくサウンドチェックとリハーサル。

午前10時から勤行。檀信徒の皆さんも大きな声で唱えておられる。小休憩のあと、ぼくのトークライブ。「山頭火」「雨ニモマケズ」「祈りの歌」「中谷勲」「碌山」「花語らず」など。みなさんと一緒に歌った歌は「みかんの花咲く丘」。真勝寺には合唱団もあるとのことで、皆さんとても上手である。作詞は静岡県出身の藤田省吾、作曲は長野県出身の海沼実。静岡と信州を結ぶ歌。スティーブ・ジョブズの話もする。





昼食後に開かれる座談会にも出席してほしいとのことだったので、一参加者として参加するつもりだったが、ぼくの歌やトークについて質問する会とのことで、少々戸惑ったが、4年前に来たときに歌った「碌山」を聞いて、そのあと、2度も碌山美術館を訪ねた方とか、『追憶の60年代カリフォルニア』を読んで、これは映画にしたらいいという方もいて、和気あいあいとした楽しい時間だった。(誰か映画にしてくれる人はいないものか。)

最後は何曲か歌うことに。その中のひとつが「流転の歌」。この歌は副住職さんがYouTube で聞いて感激した歌とか。そのほか、午前中にみなさんと歌う予定だったが時間の関係で割愛した「ゴンドラの唄」をみなさんと一緒に、そしてリクエストに応えて「宝福寺にて」も。あっという間に1時間が過ぎ、おいとますることに。一郷先生と、そしてご家族のみなさんと記念写真。

昨夜通夜があり、今日も午後3時半から葬儀のある忙しさの中で、副住職の一郷真さんには何から何までお世話になった。

一郷先生は大学院時代の先輩、現在は京都光華女子大学学長である。一郷先生も、スティーブ・ジョブズの禅の師匠だった乙川弘文師も、そして劣等生だったぼくも、梶山雄一先生の教えを受けた。昨夜は、静岡市出身の梶山先生を偲び、木村無相さんや山頭火やスティーブ・ジョブズの話で盛り上がった。お酒もいただき、とても楽しく、いつもより饒舌になり、ご迷惑をかけてしまったかもしれない。

帰路も、静岡から、新横浜、八王子経由で辰野へ。迎えにきてくれた家人に、「静岡はかなり暑かった」というと、「今日は辰野も暑かった」とのこと。ニュースによれば全国的に気温が上がり、ところによっては真夏日のところもあったようだ。

家に着き、昨夜のオーリアッドのコンサートの詳細を聞く。迫力のあるすばらしい演奏だったとのこと。演奏者、そして聞きにきて下さった皆さんに感謝。


October 15, Saturday 2011


太田裕士カルテット Jazz Concert。ぼくは3時過ぎの電車で、家人と、手伝いにきてくれた長男に任せて、静岡市へ。翌朝、真勝寺で行われる「しんらん教室」で歌わせていただくため。

オーリアッドのライブは、アンコールも含め2時間半の熱演で大いに盛り上がったようだ。

セットリストは:

  1. Relaxin' at Camaliro
  2. Bye, Bye Blackbird
  3. My One & Only Love
  4. So What?
  5. Like Bud ( written by H. Ohta)





all photos by k. miura

  6. My Favorite Things
  7. 天の河原で (written by H. Ohta)
  8. When You Wish Upon a Star
  9. No More Blues (Chega de Saudade)
  10. Autumn Leaves
  (encore)
  11. Blue Monk

お客さんも、秋の夜長、素晴らしい演奏を楽しんでくれたようである。オーリアッドに初めて来た人たちもいたとのこと。是非土曜日のオープンマイクにも足を運んでもらいたいもの。

太田裕士さんをはじめカルテットのみなさんに感謝。


October 14, Friday 2011

一昨日の日記に書いたラフマニノフのLPレコードがオーリアッドの棚にあった。ジャケットを見る限り、CDとLPはまったく同じに見えるが、内容を調べると、やはりLPにはベートーベンのピアノコンチェルトが入っていなかった。レコードにはA面とB面があって、片面にラフマニノフ、裏面にベートーベンで、ぼくはラフマニノフの面だけを聞いていたのかもしれない、と一昨日の日記を書いたあと一瞬思ったりもしたが、最初の印象が正しかった。

LPレコードはラフマニノフだけが入っている。しかも、A面とB面にわかれて。ジャケットに書かれていた情報は次の通り。

  LSC-2601 LIVING STERO

  RCA VICTOR
  RED SEAL

  RACHMANINOFF
  CONCERT NO. 2
  VAN CLIBURN
  FRITZ REINER
  CHICAGO SYMPHONY

  SIDE ONE
   I. Moderato; Allegro
   II Adagio sostenuto

  Side Two
   III Allegro scherzando


昔のLPをCDで復刻するとき、ボーナストラックがつけられることがある。賛否両論あるだろうが、ぼくとしては昔のままであったほうが嬉しい。余分なものがついているとノスタルジーにひたる邪魔になる。

夜、オーリアッド。丸山さんの大町でのコンサートのCDを聞いていたら年配のご夫婦が入ってきた。ピラフとピザの注文。出すのにかなり時間がかかったので、食べ終わるまでにCDのほぼ全部を聞いてもらったことになる。「70歳になったのだ」が終わり、お帰りになるとき、奥さんがレジをすませながら、「今の歌はあなたが歌っているんですか」と聞く。えっ、やはり70歳過ぎに見られているのかと、先月「あかり」で歌ったときに、70歳か80歳だと思った、と言われたことを思い出した。

今夜は珍しいお客さんがやってきた。ずっと前、7.8年前に「ほたる祭りライブ」にきてくれた穂高の川下り屋さん。知り合いにいい歌い手がいて、一度オーリアッドで歌えたらとのこと。もちろん大歓迎。その歌い手の人と、さらに何人かで「自分復興イラスト展」を開いているとのこと。

  自分復興イラスト展

  とき:10月8日(土)〜10月25日(土) 午前10時から深夜12時まで
  ところ:スワンガーデン平安堂あづみの店展示コーナー
  参加アーティスト:チーム半径5m、Shiho、よしざわまこと、Y. きょうこ、ちゅうたろう

明日のジャズコンサートのチケット予約の電話がいくつか。それに直接買いにきてくれた方も何人か。予想以上の大入りになりそう。


October 13, Thusday 2011

白馬童子さんが、今朝早く、スティーブ・ジョブズに関するURLを送ってくれた。クリックしたら、スティーブ・ジョブズが、今年の6月7日にアップルの本社があるクーパーティーノの市議会で、新しい社屋の建設について説明する映像が出てきた。その中で彼はヒューレット・パッカード社へ「周波数カウンター」の部品をもらいに行ったのは13歳のときだったと述べている。昨日の日記に書いたが、ヒューレット・パッカード社のウエブサイトでは12歳になっていた。しかしそれは大した問題ではない。12歳であれ13歳であれ、とにかくすごい。そこからすべてが始まったと言っていい。

http://www.youtube.com/watch?v=gtuz5OmOh_M

学生にも今日この映像の最初の5分を見せる。感動したのは、12000人が入れる社屋をクーパーティーノの町に建てるために購入した土地は、かつてヒューレット・パッカード社が所有していたもの。スティーブは13歳のときに彼を助けてくれたビル・ヒューレットや彼の会社に恩返ししたかったのではないだろうか。そこは彼にとっては聖地。他の誰かに汚されたくなかったのだ。

その社屋は巨大な宇宙船が舞い降りたような姿をしている。次のURLをクリックすると上記と同じ市議会で説明する動画が出てくる。スクロールダウンすると新しい社屋の完成予想図が3っつ出てくる。

http://www.cupertino.org/index.aspx?recordid=463&page=26

夜、オーリアッドへ。すでにジブランの会の方々お見えになっていた。

今夜は15日(土)の太田裕士カルテット JAZZ Concert の予約が相次いだ。盛況が予想される。


October 12, Wednesday 2011

終日コンピュータの前。四苦八苦。なかなか思うような文が書けない。夜になってオーリアッドでも作業を継続。何とか山を越えたような。もう一息。

お昼に、昨日のカナダ産ジャンボ松茸を使った松茸ご飯。こんな大きな傘の開いたものは大味だろうと思っていたが、あにはからんや、実に美味しかった。しかしそれが問題だった。お昼も夕食も食べすぎた。体重計の目盛りを見て驚く。今までの努力が水の泡。

午後、いつもの定期健診に。この一週間ほど、朝一番に計る血圧が高い。寒くなったせいか。あるいは、後期が始まり、忙しくなったせいか。2ヶ月前に減らした降圧剤を元に戻すか先生に相談する。病院で計ったら130/88で問題ないとのことで、もう1ヶ月様子を見ることに。

夜、オーリアッド。久々に、ラフマニノフの piano concert No. 2 in C minor を聞く。演奏はヴァン・クライバーン。今は昔、UCSBのミュージック・リスニング・ラウンジでアルバイトしていたとき、多くの人がリクエストしたLPレコード。それでぼくも聞き始めた。素晴らしかった。帰国する前、そのレコードを買った。何年か前にAmazon.com でCDを見つけ、取り寄せた。LPレコードにはラフマニノフしか入っていなかった気がするが、CDにはベートーベンの Piano Concerto No. 5 "Emperor"も入っている。得した気もするが、やはりもとのラフマニノフだけのほうがよかった。

遅くにやってきたお客さん―「めずらしくクラシックですね」。

夕方、オーリアッドへ向かうべく国道153号線を「宮木」の信号で左折。前方に見事な満月。11時閉店し、外に出るとうす雲がかかり、朧月夜。それはそれで美しい。



October 11, Tuesday 2011


今朝6時半、お寺の駐車場集合。7時から昨日行方不明になった人の捜索開始。ぼくは事情を話し、駐車場に顔を出しただけで失礼させてもらう。9時過ぎ、家人が興奮して二階に上がってきて言う、「今、区長の奥さんから電話があって、みつかったらしいよ」。命にも別状なかったらしい。よかった。家人は捜索隊の人たちが戻ってくるまえに、公民館へ。お茶のお手伝い。

10時過ぎ、松本へ。ファーマーズ・マーケットとアルプス市場に寄って、キャンパスへ。アルプス市場でジャンボカナダ産松茸を購入。とにかく大きい。重さ350グラム。国産はちょっと手が出ない値段。



午後2つのクラス。今日の歌は Greensleeves。そのあと、キング牧師のスピーチを読む前に、スティーブ・ジョブズがウイリアム・ヒューレットに電話したときの話をする。

先週木曜日のクラスで、ジョブズ死亡後のCNNの記事を読んだ。その中に、


As a teenager, he phoned William Hewlett, president of Hewlett-Packard, to request parts for a school project. He got them, along with an offer of a summer job at HP.

ティーンエージャーのとき、彼はヒューレット・パッカード社のウイリアム・ヒューレットに電話をし、学校の一研究のために部品をもらえないかと電話をした。彼は部品をもらったばかりでなく、ヒューレット・パッカード社で夏休みの間アルバイトまでさせてもらったのである。

という一文があった。そのときは、何の疑いもなく思い込んだ。彼が社長に電話をしたのは高校生のときだったと。彼が部品をもらって何を作ろうとしていたのか知りたくて調べたら、ヒューレット・パッカード社のウエブサイトに出ていた。驚いた、彼が電話をしたのは、高校生のときではなく、8年生、日本風に言うと中学2年生のときだったのである。

When he was in eighth grade, Steve Jobs decided to build a frequency counter for a school project and needed parts. Someone suggested that he call Bill Hewlett. Finding a William Hewlett in the telephone book, the 12-year-old Jobs called and asked, "Is this the Bill Hewlett of Hewlett-Packard?" "Yes," said Bill. Jobs made his request. Bill spent some time talking to him about his project. Several days later, Jobs went to HP and picked up a bag full of parts that Bill had put together for him. Subsequently, Jobs landed a summer job at HP.

中学2年のとき、スティーブ・ジョブズは学校の一研究に、周波数カウンターを組み立てることを決めた。しかし部品がなかった。誰かがビル・ヒューレットに電話したらどうかと提案した。電話帳の中にウイリアム・ヒューレットの名前を見つけると、12歳のジョブズは電話をかけて聞いた、「ヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットさんでしょうか?」。ビルが「そうだよ」とこたえると、ジョブズは部品が欲しいと頼み、しばらく彼のプロジェクトについて話した。数日後、ジョブズはヒューレット・パッカード社へ行き、ビルが用意してくれた部品がいっぱい入った袋をもらったのである。そればかりでなく、夏休みの仕事まで手に入れたのだ。


そして、この夏休みの仕事をすることで、彼は将来アップルを共同で立ち上げたスティーヴ・ウォズニアックと出会うのである。12歳のスティーブ・ジョブズも凄いが、見知らぬ少年からの電話に真正面から対応したウイリアム・ヒューレットも凄い。おおらかな時代だった。一本の電話が、現在のアップルのテクノロジーと繋がっている。


October 10. Monday 2011

今日が締め切りと自分で決めて、朝からライナーの続きを書く。かなり順調に進んだが、中断しなければならなくなった。午後遅く連絡が入った。村の年配の女性が茸を採りにいって行方不明と。男性は山へ、女性は炊き出しに公民館へ。消防団分団もいくつかやってきた。

トレッキングポールを使って、下峠から上峠まで歩いた。小さな村の小さな山と思っていたが、一旦山に入るとその広さに圧倒される。そのうちに暗くなり始め、山を下りる。公民館から戻ってきた家人によれば、明朝7時から捜索を開始するとのこと。無事でいてくれるといいが。

夜、明日のクラスの準備。プリンターが新しくなり、CDの表面に字を書く方法がわからない。ディスクトレイがない。プリンターが入ってきた箱を探す。よかった。その中にあった。


October 9, Sunday 2011

水曜日から始めて5日かかってすべてのひまわりを収穫。15列あったので、平均して一日3列、猿に食べられたものを割り引いても全部で1000本はあっただろう。ハサミで頭を切り落とし、残った茎はビーバーで切り倒した。 問題は種をはずす作業。最初の方法は板に釘を10本ほど打って、それにひまわりの種の部分をこすりつけるというもの。2番目の方法は、潔さんから借りた短い木槌で叩くというもの。3番目は近所のおばさんから教えたもらった方法。これが一番よかった。篩(ふるい)の網の部分にこすりつけると、種が面白いように網の目を通って下に落ちる。種を取るのはもっぱら家人の仕事。種がとれたのはまだ四分の一か。

大根、野沢菜、白菜などの冬用の野菜を除くと、畑はすっかりさみしくなった。その中で異彩を放っているのがチリペッパー、タカノ爪。火が燃えているよう。美しい赤。



夜、アルバムのブックレット用にライナーノートを完成させようといろいろ試みたが、アイディアが出てこない。疲れすぎているのかも。こういうときは寝るに限る。明日考えることにしよう。


October 8, Saturday 2011

秋晴れの美しい一日。バラエティに富んだ素晴らしいオープンマイクになった。

「生まれてくる日は丁度よい/死んで行く日も丁度よい」という言葉が入った「丁度よい」を歌って、スティーブ・ジョブズの死に言及しようとしているところへ、たくさんの可愛いお客さん。愛音ちゃんの妹達といとこ達。彼らの飲み物を用意するためステージを降り、神戸からやってきた山口恵三さんにお願いする。今夜はウクレレ持参。「El Condor Pasa」のあと、意表をついてベンチャーズの「ダイアモンド・ヘッド」と「パイプライン」をウクレレで。凄い!

続いて、きらきら音楽旅団、というよりも山口真保呂&美都子夫妻。今夜はインストラメンタルは1曲もなく、歌を歌うとのこと。前半は真保呂さんの歌。「海に映る月」「きらきら光る」「遠雷」。2曲目はオリジナル、3曲目は友部正人の曲。久しぶりに聞いた。次に太田裕士さん、制作中のアルバムに収められているピアノ曲を3曲。「丘の上の風」「天の河原で」「ケロちゃん」。CDよりも、自由に大胆に。

藤森和弘さん、「人生に勇気」「おまえの歌が聞こえる」を歌ったあと、5人の可愛いお客さんを紹介。みんな笑顔の素敵な子供達。愛されて育っていることがわかる。「マルモの掟」を歌いながらお遊戯。拍手喝采鳴りやまず。赤羽真理さん、「鹿のように」「私を待つ人がいる」、そして水野源三さんの詩に曲をつけた「今すぐに」。前半最後は、原田和恵さん、今夜ピアノも歌もできない理由を説明。ひびが入った左手首にギブスをはめてもらい、今日届いた新車を運転したら、内装の臭いなどで喘息が出てしまったとのこと。

休憩。原田さんから差し入れられた木曽の銘菓「栗子餅」をいただく。昨日、古い愛車の最後のドライブに木曽へいってきたとのこと。実に美味しいお菓子である。スピーカーからは、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」。そのあと、先日大町で行われた丸山俊治さんのコンサートのライブ盤から、「満州の丘」。ライブ盤は真保呂さんからいただいた。とてもいい音で録れている。










後半、最初にぼくが、スティーブ・ジョブズの死について、そして昨日の日記に書いた禅僧乙川弘文(おとがわ・こうぶん)師の不慮の死について、語ったあと、「俺が生まれた育ったことは」と「中谷勲」。後者は太田さんのサポート。続いて神戸の山口さん、「コーヒー・ルンバ」、そして「カントリー・ロード」の日本語ヴァージョン。次に真保呂&美都子のお二人。後半は美都子さんの歌。人前で歌うのは初めてとのことだったが、多くの楽器を弾きこなす抜群の音楽センスの持ち主。歌も素晴らしかった。「いけないルージュマジック」「ひょっこりひょうたん島」、そして自ら詩を書き、真保呂さんが曲をつけた「クリームソーダ」。フルヴァージョンで。今後も是非歌ってほしいもの。藤森さん、後半はカバーで「交差点」と「ステイ・ドリーム」。赤羽さん、「許し」と「千両梨の実」。後者は太田さんのサックスのサポート。太田さんは、ギターの岡只良さんと二人で、「Like Someone in Love」「No More Blues (Chega de Saudade)」、そして「When You Wish upon a Star」。「ジャズはお互いの音を聞きながら、サウンドを作り上げていく音楽」と太田さんが言うとおり、スリリングな演奏。聞くところによると、岡さんは、一時ハリウッドに住みジャズギターを演奏していたとか。

最後に、「カントリー・ロード」の一大セッション。

来週は「太田裕士カルテット Jazz Live」のため、オープンマイクはありません。ご都合がつきましたら、本格的なジャズの演奏を聞きにお出かけください。A splendid time is guaranteed.


October 7, Friday 2011

今朝は比較的暖かい。ひまわりを収穫しようと畑へ。そこへ潔さんが軽トラでやってきた。自分で作った菊の鉢植えと、薪をもってきてくれた。ついでに家の周りの廃材を片付けてもらうことに。トラックで2往復してもらって、かなりきれいになった。感謝。

昼過ぎ、ひまわりを3列収穫。潔さんが、昔、稲の穂を叩いて籾を落としたという木槌を貸してくれた。ひまわりにはちょっと向いていないかもしれない。

関島さんから「中谷勲」のアレンジが届く。トラックダウンをすれば変わるかもしれないが、冒頭が少々淋しい感じ。そこに何か入れてもらうようにお願いする。

夜、オーリアッド。パティ・ペイジの Tennessee Waltz のCDを探す。パティのアルバムは出てこなかったが、ジャズのスタンダードのアンソロジーに入っているのが見つかった。後期に使う歌のひとつ。来週は希望者に全曲プラスキング牧師のスピーチの CD-R を渡さなければならない。

いくつか歌の練習。ボブ・マーリーの One Love。Facebook にスーザンがアップした One Love/ Playing for Change のヴァージョンを聞いて感動した。何人ものミュージシャンによる見事な演奏。http://www.youtube.com/watch?v=BBdaBYVJlUQ

  One love, one heart
  Let's get together and feel all right
  ひとつの愛、ひとつの心
  さあみんなで一緒に気分よくなろう
 


October 6, Thursday 2011

何をどう書いたらいいか。そう遠くない将来必ずこの日がくるとわかっていたのに、スティーブ・ジョブズの訃報を知ったとき少なからず動揺した。同時にこれほど準備万端、従容として死を迎えた彼に、羨望にも似た気持ちを抱いたことも確かである。禅の老師か古武士のごとき泰然自若とした死。

彼が死について語った中に次のようなところがある。

遅からず必ず死ぬ日がくるということを覚えておくことは、私の経験では、人生の大きな選択をする上で、もっとも役に立つツールです。ほとんどすべてのこと―他人の期待、自尊心、屈辱や失敗に対する怖れ―は、死を前にすれば、なんでもなくなってしまうからです。そして、本当に重要なことだけが残るのです。いつか必ず死ぬということを覚えておくことは、私が知る限り、失うものがあると考える罠に陥らないもっとも有用な方法です。あなたにはもともと失うものなんてないのです。あなたの心の本当の願いに従えない理由なんてないのです。

下線部分「あなたにはもともと失うものなんてないのです」は意訳で、もとの英語は You are already naked.である。直訳すれば「あなたはすでに裸である」。「裸で生まれてきて、もともと失うものはない」という意味である。学生に説明するときは、これに「本来無一物」と付け加えることがある。

「本来無一物」は六祖慧能(えのう)の言葉。スティーブ・ジョブズの死についての考えは禅に影響されている。彼はロスアルトスの禅センターで修行をしたことがある。その時の師が乙川弘文(Kobun Otogawa)老師である。乙川老師はスティーブ・ジョブズの結婚式の導師を務めた。

1969年の夏、タサハラ・ゼン・マウンテン・センター(Tassajara Zen Mountain Center)で乙川師に会ったことがある。次の文の「チノウ」さんというのが乙川師である。今でも漢字でどう書くか分からない。


予約もなしに行ったわけだから、断られるかもしれないと思ったが、夜は野宿するという条件で、雲水と一緒に生活できることになった。剃髪し墨染めの衣を着たアメリカ人の雲水を見るのはこれが初めてだった。20人はいたと思う。4時半に起床。その後、食事、作務、坐禅の繰り返し。午後には長い休憩もあった。指導していたのは「チノウさん」という日本人の禅僧だったが、チノウという名前を漢字でどう書いたのか思い出せない。(http://www.nagano.net/journal/miura/980514.html より)

今日のクラスでは、Steve Jobs, Apple founder, dies というCNNの最新ニュースを読む。前期に彼のスピーチをテキストとして使い、その映像を何度も見た学生たち。彼らがスティーブの生き方、死に方に、何かを感じてくれていたらいいのだが。


October 5, Wednesday 2011

天気予報によると、10時ごろから雨が降り出すとのことで、朝食後すぐ畑に出る。仮植えしたイチゴの苗を鍬で掘り起こし、マルチを被せた畝に本植えする作業。家人は昨日からこの作業をはじめている。昨日の50本とあわせて100本ほど植えたら、二人とも腰が痛くなった。まだ100本以上残っているが、違う作業をしたほうがいい。ひまわりを収穫することに。開花してから45日したらとってもいいとのこと。すでに50日は経っている。

ひまわりの頭の部分をハサミで切り、一輪車へ。ガレージにブルーシートをしき、その上にのせる。作業を始めて気づいた。1200本のひまわりをそのままのせるとかなりかさ張る。ガレージに入りきらない。種をはずして袋に入れることに。大変な作業だ。家人が板に釘を打って、種をはずす道具をつくる。これは便利。結局収穫したひまわりは2列のみ。

その後、終わりかけのピーマン、韓国とうがらし、トマト、ズキニなどをとっているところに雨が降り出した。イチゴ用のもう1本の畝にマルチをかけてから、家に入る。もうお昼に近い。雨が予報より遅れたため、かなり仕事ができた。



午後、明日のクラスの準備。後期に歌う歌のCDの作製。まだ完成せず。

夜、オーリアッド。灯油のストーブを物置から取り出し、灯油を入れ、火をつける。これからこのストーブに半年以上はお世話になる。

静かな夜、途中まで読んでいたファビエンヌ・ヴェルディエ著、野口園子訳『静かなる旅人』(静山社)を読了。文化大革命後の中国でさまざまな困難に遭遇しながらも、10年の長きにわったって書や絵を学んだフランス人。

この本の日本語版が出るにあたっての「まえがき」に、彼女は先ず「中国で十年近くも勉強を続けることができたのは、日本のおかげだと思っているからです」と書き、その理由の2番目に仙高フ絵をあげた。

私が肌身離さず持っていたのが、日本人画家、仙高フ絵です。この一枚の絵のおかげで、私は中国での困難な年月を耐えることができたのです。フランスを出発するとき、私はこの画家の「蛙」(出光美術館蔵)の絵葉書を、ポケットにしのばせていました。この「蛙」を眺めない日は、一日たりともありませんでした。私が必要としていた忍耐力を、この絵が与えてくれたのです。(p. 2)

厳しい監視下にあっても、彼女は何人かの素晴らしい芸術家と出会っている。中でも、黄先生との出会いから決定的な影響を受ける。

10年の留学を終え、フランスに戻ったあと、彼女は再びフランス文化担当官として北京に赴く。それを知った黄先生は四川から北京まで彼女に会いに行く。

あんたはなぜこんなところにいるんだ。自分の人生がどうなるかわかっていうのか。私はあんたに六年間、書のもっとも本質的な精神を伝授したつもりだ。それなのに、そのあんたが役人になり下がるとは、どういうつもりだ!・・・もうおしまいだ。あんたの目標も、修業に励んだことも、絵を描くときの心構えを教えたのも、すべては水の泡だ。いまにきっと、あんたは政治的な駆け引きに翻弄されて、役人としての昇進が心痛の種になる。・・・政治には絶対かかわるなとあれほど言ったのに、忘れてしまったのか!(p. 299)

その後彼女は、黄先生の忠告に従って、パリ郊外の田舎に移り住み、創作活動に専念している。

田舎で絵を描いていると、ささやかな木の芽がふくらむときにも、大自然が奏でる音楽が聞こえてくることがある。・・・めぐる季節ごとにその美しさを繰り返し増していく自然のいとなみが、たえることのない生命を確信させてくれる。(p. 319)

彼女の作品の写真を見ることができる。仙高ニ比べるとかなり重いタッチである。


October 4, Tuesday 2011


今朝も寒かった。家人が新聞をとりにいって温度計を見たら2℃だったとのこと。真冬の寒さ。

後期最初のクラス in 松本。数名の最履修の学生を除いて、前期と同じ学生。キャンパスも4月の初めと比べると静かだ。今日の歌は Yesterday と Beautiful Brown Eyes。

前期は教科書の他にスティーブ・ジョブズのスピーチを使ったが、後期はキング牧師のスピーチを使う。

I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.

という一文から I Have a Dream は始まる。先ず、この文を訳してもらい、つづけてこのスピーチを使って、ディクテーション。ディクテーションといっても、括弧の中に単語を入れるというもので、これはかなりできた。しかし和訳が完全に出来た者は少なかった。英語を英語のままで理解できるようになるためには、多読が不可欠だが、時には精読も必要である。 I Have a Dream は精読に適したテキスト。

授業中にケイタイに電話が入った。授業が終わったあと電話をしたが、今度は相手が出なかった。帰宅した直後に再度電話が入った。神戸在住の高校時代の同級生、高橋君だった。辰野を通ったので電話したが用事が済んだので、神戸へ帰るところで、名古屋にいるとのこと。会えなくて残念。

夜遅くにメールが入った。営業の社員に同行して、辰野駅からタクシーで中箕輪のサンメディカルという会社を訪ねたとのこと。帰りにも、タクシーでオーリアッドの前を通ったので、電話をしたとのこと。彼はもう何年も前、諏訪に帰省したとき、奥さんとオーリアッドを訪ねてくれたことがある。得意のPPMの歌を歌ってくれた。

サンメディカルという会社は知らなかったが、「日本で初めて人工補助心臓を開発し、商業生産を今年から開始した会社で、社長は清陵の12年後輩で上智の後輩でもある」という主旨のことが書かれていた。そんなすごい会社が伊那谷にあったとは。

半期だけの約束で引き受けたが、2日続けての夏休み明けの授業。少々疲れた。徐々に身体が慣れてくれればいいが。


October 3, Monday 2011

午後、本当に久しぶりに南箕輪村にある農学部へ。2つのクラス。それぞれ25名以下の落ち着いたクラス。教科書を使わないので、今日は早目に出かけ、4種類のプリントを用意。スティーブ・ジョブズのスピーチのスクリプト、英語の歌詞、英語のリズムと発音について説明した文、そしてディクテーション用紙。

困ったのは教室にDVDを見る装置がないこと。最近の松本キャンパスはAudioVisual の設備が充実している。但し、教えるにも学ぶにも、コンピュータを含め最新機器に依存し過ぎるのも考えもの。なければないで何とかやっていけるはず。多分。

帰路、春日街道沿いのコメリに寄り、ビーバー用の燃料とオイル、それに替刃を購入。家に戻って、少し草刈をしようと思っていたが、疲れていて断念。

夕食後、ニュースを見ながらうたた寝。目が覚めたらソフィーがぼくの上に乗っていた。そのあとしばらく明日のクラスの準備。

夏休みが終わって後期が始まったと思ったら、冬の寒さ。ニュースによれば北日本では雪の降ったところもあるようだ。長野県も山には雪。


October 2, Sunday 2011


午前9時から村の神社のお掃除。1時間ほど。午後行われる秋の例祭のため。今年4月から神社委員。大祓の儀が行われた7月17日は、松代藩文武学校でのコンサートがあり、代理の方にお願いして欠席させていただいた。

午後2時からと聞いていたが、1時半過ぎ電話があり、急遽神社へ。すでに宮司さん初め、委員のみなさん、それに来賓の区長さんがお集まりになっていた。供物を下げる儀式のリハーサルのあと、
本番開始。宮司さんの祝詞のあと、神社委員長と区長が玉串を奉納。宮司さんの神道、仏教、キリスト教などの宗教に関するお話や、大安、仏滅などの六曜がいかに無意味なものであるかというお話のあと、直会(なおらい)のため別室へ。

本来直会も神事の続きで、神に捧げたものを神殿で共にいただくことで、神霊の力に預かるという意味があるが、便宜上別室で行うという主旨のお話をされたあと、宮司さんは次の予定があり退席。退席される前、カバンから「この本をアマゾンから取り寄せました」と言いながら、一冊の本を取り出した。驚いた。和田静香さんの『コンビニ店員は見たっ!』。

そのあと直会は2時間ほど続き、少々日本酒をいただいた。久しぶりに飲む冷の清酒は美味しかった。「隣の潔さん」も神社委員の一人。家人に迎えにきてもらって一緒に帰る。

明日から後期が始まる。9月に入ってから連絡があり、「突然先生が辞めたので、半年だけ月曜午後2コマ、南箕輪村のキャンパスで教えてもらえないか」と依頼される。以前このキャンパスで長い間教えていたことがある。夜はその準備。前任者のアメリカ人の先生は教科書を使わず、ハンドアウト(プリント)を配って授業をしていたとのこと。ぼくもそうしようと思う。ドーシー先生も言っていたが、語学の教科書にはつまらないものが多い。とりあえず、困ったときのスティーブ・ジョブズ。

宮司さんによると、六曜は旧暦の月と日の数字を足して、6で割った「あまり」の数で決まるとのこと。あまりが0の場合は大安、1が赤口、2が先勝、3が友引、4が先負、そして5が仏滅。因みに今日は旧暦の9月6日。9+6=15。15÷6=2...あまり3。よって今日は友引。「六曜とは根拠のないこんないい加減なもの」とのこと。

ぼくは六曜をあまり気にしないが、家人はけっこう信じているほう。96歳で亡くなった祖母は、死ぬまで毎月、「良い日悪い日」を便箋に書いて送ってきた。ぼくはその紙をほとんど見ないで屑篭に投げ捨てていた。今考えると、ぼくのために、暦を見ながらたどたどしい字で一生懸命書いてくれた祖母の気持ちを思うと、粛然たる気持ちになる。六曜は信じていなくても、祖母の一途な思いは信じることができる。


October 1, Saturday 2011

午後貸切で行われた発表会は、コーラスグループではなく、声楽を学ぶ方々の発表会だった。8名の方が、それぞれ1曲づつ先生のピアノに合わせて、イタリア歌曲からテレビドラマのテーマ曲まで、さまざまなジャンルの歌を歌った。見事な歌唱力。特に先生の歌声はさすがだった。歌われた方の中に、お世話になった信大の先生の奥様がいらした。久しぶりにお会いできて嬉しかった。お元気そうで何より。



                         

今夜のオープンマイクは、秋祭りや、引越しの手伝いなどでみなさん遅れて登場。最初に現れたのは松川町の林呉さん。先ず、ぼくが「果樹園の道」「旅立つおまえに」「俺が生まれて育ったとこは」を歌ったあと、林さんにお願いする。「ネイビー・ブルー」「重ね色」「紅茶でもどうですか」。高音の繊細な歌声と柔らかいギターの音色が心地よい。原田和恵さん、左手首に包帯をしているので、どうしたのかと思ったら、階段を踏み外して転倒し、骨にヒビが入ったとか。最近、左手の怪我が続いている。「ピアノが弾けないので」と、アカペラで「シンシア」。原田知世さんの歌とか。「おひさま」の陽子のお母さん役?

藤森和弘さん、朝から飲んでいた上、近所の神社の秋祭りに寄ってまた飲んできたとのことで、上機嫌。笑顔が絶えない。「人生に勇気」「子守唄のように」「「おまえの歌が聞こえる」。赤羽真理さん、娘さんの引越しの手伝いで愛知県まで行ってきたとか。「旅人の木」「「人生の海の嵐に」「千両梨の実」。2曲目はリズムが思い出せないとのことで途中で中断。ぼくにもそういうことがよくある。

ここで休憩。スピーカーからはドノバンの『サンシャイン・スーパーマン』。武居先生より差し入れられた草もちをいただく。本物のヨモギがたっぷり入った草もち。美味しかった。それに千葉の齋藤さんからいただいた烏龍茶も。







後半トップを原田和夫さんにお願いする。最近読んでいる本についての話。物質を構成する最小単位から広大無辺の宇宙まで、聖書の創世記との関連において語られた。忙しい会長職にあっても、常に永遠に通じることに思いを馳せている原田さんは若い!サミュエル・ウルマンの言葉を思い出した。

  年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは
  何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似
  たる事物や思想に対する、欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の
  如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味
(岡田義夫訳)

林さん、「500マイル」をギター弾き語りで、そして 「Yesterday Once More」はピアノで。ピアノは弾き初めてそれほど経っていないとのことだが、とてもよかった。原田和恵さん、「おひさま」のテーマ曲を歌う。垣内彰さんから預かっていたその歌の楽譜をお渡ししたところ、左手の指1本でピアノを弾いて歌う。藤森さん、原田さんを呼びいれデュエット。「海・その愛」。ふたりの声が見事にブレンドしていい雰囲気。藤森さん2曲目は長島さんが好んで歌う「秋桜」。藤森さんが歌うとまた違った味わい。

「オヒサマニア」の垣内さん、ドラマ「おひさま」について語る。来週は、九州から年配のオヒサマニアの友人が訪ねてきて、「おひさま」のロケ地を巡る予定とのこと。今日が最終回。次のドラマは朝の仕事に差し支えるので見ないかもしれないとのこと。それほどにこのドラマに集中したことがわかる。初回の「百白花」のテーブルの上に碌山の作品集を発見したことが、その引き金になったようだ。

わが家でもこのドラマをほぼ毎日見た。家人は最後まで楽しんだようだが、ぼくは陽子が結婚して松本に住むようになってからの展開に違和感を感じ始めた。時間的空間的な把握に無理がある。最後に1曲、「パーティーは終わったよ」を歌って、今夜の飛び入りライブ終了。

その後、しばし歓談。

                    

昨日午後、重機が運ばれてきた。今朝、重機が通れるようにツツジを2本移植し、昼前から本格的な作業。石が坂道を転げ落ちないよう細心の注意を払いながら、石垣の中に張り巡らされたケヤキの太い根を重機で掘り出して、石を積みなおす作業。午後、オーリアッドでの発表会に行っている間に、作業はほぼ完了していた。そのあと、サンデッキの前のツツジを、石垣の近くに移植してもらう。パワーシャベルの威力は凄い。




台風12号の影響で何日も大雨が降ったとき、石垣が心配になって見にいったら、大きな石がいくつか崩れ落ちそうになっていた。潔さんに見てもらったら、雨と言うより、ケヤキの木の根が原因とのこと。すぐさまケヤキの木を切ってくれた潔さんに、そして瞬く間にケヤキの根を取り除き、石垣を積みなおしてくれた信州ハウジング土木部の塚田さんと橋本にさんに感謝。それに会長の松田君に。

松田君は伊那北高校出身。太田君のコンサートにも都合をつけて来てくれようである。白馬童子さんもやってくる。盛況が予想される。


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