OREAD Diary  May 1-31
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May 31, Tuesday 2011

もう5月最後の日。まさに、Time flies like an arrow. 光陰矢のごとし。ここ数ヶ月、心ここにあらずのような毎日を送ってきたが、明日から6月、しゃんとしなければ。中村天風さんのいうように、セキギョク的に動かなければ。

今日は久しぶりにいい天気だった。午後2クラスの授業。火曜日のクラスは今日でスティーブ・ジョブズのスピーチ終了。有線放送の朗読の時間のために抄訳を録音したが、そのテープが役立った。学生の心にジョブズの伝えたかったことが残ってくれたらいいのだが。Stay Hungry, Stay Foolish!

夜、メアリーが Facebookに投稿したバイリンガルの人はアルツハイマーにかかりずらいというニューヨークタイムズの記事を読む。バイリンガルの人はそう多くはない。メアリーはぼくの知る数少ないバイリンガルの一人。ぼく自身はバイリンガルではないが、歳をとってからも外国語と接することは、脳を活性化させるいい方法に違いない。そう願いたいが、最近の物忘れの酷さから見ると、ぼくの場合は当てはまらないかも。

Among other benefits, the regular use of two languages appears to delay the onest of Alzheimer's disease symptoms. (いくつかのメリットがある中で、特に2つの言語を常に使うことはアルツハイマーの開始を遅らせるように思われる。)

詳しくは: http://www.nytimes.com/2011/05/31/science/31conversation.html?_r=2


May 30, Monday 2011

先週金曜日に甲信越が梅雨入りしたと発表されてから、ずっと雨がふったりやんだりだった。梅雨らしい梅雨である。今日久々に少し太陽が顔を出した。台風の影響か風は強い。午後、たつの新聞へ「ほたる祭りライブ」の広告の原稿を届ける。

そのあと、長野日報社の支局へ。チラシと写真を届ける。丁度一年前、同じようにチラシと写真を届けたとき、支局長さんに「どんな歌を歌いますか」と聞かれて「祈りの歌」の一節を口ずさんだ。それが縁となって、今年一月の美術館でのコンサートになった。そして、それが縁となって「第10回まつしろ現代美術フェスティバル」の期間中の7月17日(日)に松代藩文武学校というところで歌わせていただくことになった。「内外の一流アーティストによる前衛的オブジェやパフォーマンスに混じって、ぼくの歌が通用するか不安です」というと、「大丈夫、三浦さんの歌は文武学校に合いますよ」とのこと。そうだといいのだが。

夜、Facebook で、「Email でライティングを学ぶクラス」にいる中国からの留学生と、メッセージの交換。彼の英語は4月の初めに比べると見違えるほど上達した。彼の努力にもよるだろうが、interactive なネットでのメッセージ交換は外国語の習得には有効のようだ。

そのあと、明日のクラスの準備。いつになっても採点は苦手である。


May 29, Sunday 2011

朝、メールを開けたら 、知らない名前の人から Facebook にメッセージが届いていた。

  ハロー、三浦さん。あなたはわたしを知りませんが、私はサンタロー
  ザのドン・エンブレンの友人でした。私はあなたの60年代についての
  本を持っていて、わたしの下手な日本語で (with my heta nihongo) 少
  しずつ読んでいます。

「友人でした」と過去形になっているところが気になった。グーグルで検索してみると、ドンは2009年4月24日に亡くなっていた。享年90歳。彼が亡くなる一週間ほど前、ぼくはサンタローザから50マイルほど離れたオークランドにいた。レナード・コーエンのコンサートを聞くため。なぜそのとき電話しなかったのかと悔やまれる。電話をしても、話はできなかったかも知れないが。

彼を最後に訪ねたのは、2004年の10月の初めのこと。モンゴメリー高校 class of 64 の40周年の同窓会に参加するためサンタローザへ行ったとき。
その10年前、30周年のときは、家族4人で彼の家に泊めてもらった。お世話になった方々の訃報を聞くことが多くなった。歳を取るということはこういうことなのか。今日は一日彼のことを思い、しんみりしていた。

昔、「アルバイトニュース」という雑誌に、短いエッセイを連載したことがあった。彼との出会いについて書いたものが残っている。

  人の出会いというものは不思議なもので、毎日毎日顔を合わせながら
  も、表面的なつきあいで終わる人もいれば、初対面の時からなんとなく
  親しみを感じて、2,3度会ううちに旧知の間柄のように感じる人もいる。

  ドン・エンブレンには去年の8月初めて会った。彼はカリフォルニア州サ
  ンタローザのシティ・カレッジの英文学の先生であり、詩人である。年齢
  は60歳ぐ らい。彼は彼の編集している詩の雑誌の特集号を作るために、
  日本の詩人の詩を集めに来日した。ぼくが、4,5年前に英訳した山頭
  火の俳句がたまたま彼の目 に入り、彼に会うことになったのである。

  彼は今年の8月帰国するまで、京都の岩倉に住んでいた。学校を出て
  からは、なかなか友人と呼ぶことのできるような人との出会いは少なく
  なったのだが、彼とは随分親しくなった。年齢の差も、人種の違いも感
  じなかった。それは彼の精神の若さゆえだろう。

  彼は実に好奇心が旺盛だった。日常のどんな些細なことにも興味を持っ
  た。いつもノートを持ち歩き、頻繁にメモを取っていた。また、納豆でも
  塩辛でもなんでも食べた。

  彼から学んだことは多いが、中でも「仕事」については教えられた。彼は
  いつも仕事をしていた。訪ねて行くと、必ずタイプライターにむかってい
  た。ひとつの仕事を終えると、すぐに次の仕事をはじめた。怠惰なぼく
  にとっては驚きだった。

  ある日、「なぜそんなにいつも仕事ばかりするのか」ときくと、「仕事と遊
  びは区別ができない。私にとって仕事は遊びのようなものだ」という意味
  の返事が返ってきた。

  彼に初めて会ったぼくの友人のひとりが、「彼は黄金の目と、黄金の耳
  を持っている。あの目を見ただけで、彼を信用できる」と言った。ぼくは
  ドン・エンブ レンの他に、黄金の目を持った男を3人知っている。宮澤
  賢治とボブ・ディランと、そしてぼくの友人ジム・グリーンである。
                                  (1978年10月1日)


「彼は黄金の目と、黄金の耳を持っている」と言ったのは、ひがしのひとしである。


May 28, Saturday 2011

G3s(ジーサンズ) の3回目のライブが茅野の「くるみ」であった。リハーサルのあと、堀六平、三浦久、加奈崎芳太郎の順で歌う。今回が3回目。グッドニュースの木下さんと、「くるみ」の卓越したエンジニアの小池さんのおかげで、今までで一番いいライブになった。三橋美智也を彷彿させる堀さんのボーカルも冴え渡り、加奈崎さんも軽快かつダイナミックにギターをかき鳴らし、正にロックンローラーの面目躍如。ぼくも二人の「先輩」に挟まれて、「千の風」「碌山」「ガビオタの海」「祈りの歌」を歌わせてもらった。最後に「北帰行」「若者たち」「Good Night Irene」をみなさんと一緒に。





木下さんがパブリシティーをしっかりしてくれたおかげで、何人かの懐かしい方々に会うことができた。中でも、小学校のときの同級生の妹さんから声をかけられたのには驚いた。名前を聞くまではわからなかった。短時間だったが彼女のご両親にお世話になった話をした。もう50年ほども前のことなのに、彼女のすべての家族の顔をしっかり思いだすことができる。

今夜は家人も一緒にきたので、打ち上げではビールとハイボールをいただき、11時過ぎ、「くるみ」を辞し、12時前帰宅。いい夜になった。みなさんに、感謝。


May 27, Friday 2011

朝起きて、庭を見に行って驚いた。東側の花壇が掘り起こされている。チューリップが咲いていたところ。球根が食べられた痕跡がある。数年前、区で西側の山の麓に1.6キロの電気柵を設置してから、イノシシが出なくなっていたが、最近、東側から侵入してくるという話を聞いていた。区の有害鳥獣対策委員の方に連絡すると、やはり昨晩イノシシが出て、被害にあった家もいくつかあったよう。

イチゴも赤くなり始め、鳥がつつきに来ていたので、ネットを張ることに。午後、チューリップ畑へ行くと、テッセンが開いていた。テッセンはどんな漢字かと思って調べてみると「鉄線」だった。由来は、蔓が針金のように強いからとか。清楚な美しい花。レンゲツツジも咲いている。レンゲツツジの色が好きだ。




午後、「ほたる祭りライブ」のチラシをつくり、情報誌などに送る。明日の G3s のコンサートでも配りたいと思う。

夜、オーリアッド。開店してしばらくして、ドアが開く音。こんなに早く誰かなと思ったら、本当に久しぶりに相撲好きのお客さん。この前会ったのは、病院から一時帰宅したとき。半年ほど前のことか。いつものように紙とペンを渡すと、堰を切ったように書き始めた。病院は退院し、隣町のグループホームに入り、最近、町内のグループホームに入所したとのこと。それから、大相撲の八百長問題や技量検査場所について、それに、『仁』という漫画について、彼はA4の紙にびっしり書いた。『仁』は全20巻全部読んだとのこと。同名のテレビドラマがあることは知っていたが、漫画が原作とは知らなかった。

彼は漫画が好きで、若い頃、アシスタントになりたいと、何人かの漫画家に連絡を取ったが、残念ながら全部断られたらしい。クスリのせいか、彼の顔は以前にも増して表情が乏しくなっていた。医療に対する不信感もかなり熱心に書いてくれたが、ぼくにはその是非がわからない。苦労の多かった彼の人生が、今後少しでも安らかなものであってほしいと願う。

11時閉店し外に出ると雨が降っていた。雨がよく降る。台風もきているらしい。


May 26, Thursday 2011

朝8時15分、電話が鳴る。家人が受けて、平謝りに謝っている。「すぐ行きます」と言っている。中学校からの電話だった。しまった!今朝8時20分から読み聞かせの依頼を受けていた。5分では絶対に間に合わない。電話をかけ直し、すみません、今日は休ませてください」とお願いする。代わりに司書の先生が読んで下さったと後で知った。コンピュータの調子が悪く、そのことばかり気になって、すっかり忘れていた。ご迷惑をかけてしまった。

午後2コマのクラス。詳しくは書かないが最後のクラスでもうっかりした忘れ物があった。Oさんから「忘れ物の歌」を書くようにとずっと前、冗談で言われたが、忘れ物の度合いはますます酷くなっているようだ。本当に自分が誰だか忘れてしまいそうだ。

夜7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。しばらくして原田さん。珍しく、桂馬と角を使って勝つ。そのあと、「これを持っていますか」と原田さんがポケットから鍵のいっぱいついたキーホルダーを取り出す。そのホルダーの背についたスイッチを押すと光が出る。明るい。超小型懐中電灯。しかも電源はソーラーパネル。もの珍しそうに手にとって見ていると、原田さんはポケットから同じものをたくさん取り出した。最近扱っている商品とのこと。早速、特別価格で2個いただくことに。夜遅く、ガレージから玄関まで歩くとき、これは都合がいい。

遅くなって、明後日の G3s(ジーサンズ)のコンサートのための練習。ここ数日、コンピュータ同様、ぼくの体調も悪かったが、なんとか歌えそうである。


May 25, Wednesday 2011

ここ数日コンピュータの調子が悪かった。軽くしようと、いろいろ余分なものを削除しているうちに、インターネットにアクセスできなくなり、当然、メールも送れなくなった。夜、塩尻のコンピュータ会社に勤めている下澤さんに見てもらったら、一発のクリックで、削除したものを全部回復してくれた。凄い!彼の診断では、外付けハードディスクが壊れかけていて、それが不調の原因ではないかとのこと。確かに、外付けハードディスクをオンにすると変な音がしていた。写真や音楽や、なにやかや、なんでもそこに放り込んでいた。

最悪、すべての情報が失われるかもしれないとのこと。ガラクタを溜め込んだ物置みたいなもので、失ってしまったら、逆にせいせいするかも。ぼくの部屋も、物置も、頭の中も、ガラクタが詰まっている。断捨離を断行しなければ。



May 24, Tuesday 2011

ボブ・ディランの70歳の誕生日。今日はクラスで『追憶の60年代カリフォルニア』第一章、ボディガ・ベイで初めて「風に吹かれて」を、友だちの車の中で聞いたときの衝撃に触れた部分を読み、歌詞を説明し、CDを聞き、みなで歌う。

1963年の冬、JFKが暗殺された直後のことだった。ぼくは18歳。ボブ・ディラン、22歳。あれからほぼ半世紀が経った。

先日送っていただいた Bob Dylan Concert: Brandeis University 1963 に入っている Bob Dylan's Dream は昔から好きな歌だった。その中に「We never thought we could ever get old 年を取るなんて思ってもみなかった」という一行がある。本当にそうだ。彼が70に、ぼくが66になるなんて思いもよらなかった。

この歌は1963年に発売された彼の2枚目のアルバム『フリーホイーリング』に入っている。驚くべきことは、老人が昔を懐古するようなこの佳曲を、ディランが21歳のときに書いたこと。

ボブ・ディランの夢

西へ向かう汽車の中
休息を取ろうと少し眠った
何人かの昔の友だちの夢をみた
その夢はぼくを悲しくさせた

半分濡れた目でぼくは思い出した
友だちと多くの午後を過ごし
一緒にいくつもの嵐に耐え
笑ったり歌ったりして夜を明かした部屋のことを

帽子が掛けられた薪ストーブのまわり
ぼくたちは語りそして歌った
外の世界に対して冗談を言いながら
ぼくたちは満足し、何も望まなかった

年を取るなんて思ってもみなかった
世の荒波にもまれるなんて思ってもみなかった
いつまでも一緒にいられると思っていた
でもそんなことはできるはずがなかった

白と黒を区別するのは簡単だった
正と不正を区別するのも簡単だった
選択肢は少なく、ぼくたちの道が
いくつにも分かれるなんて思いもしなかった

なんて多くの年月が流れ去ったのだろう
なんて多くの賭けに勝ったり負けたりしたのだろう
友だちはみんな別々の道を行き
再び会うことはなかった

あの部屋にみんなで一緒にもう一度
すわって話しができたらいいのだが
もしあの頃に戻ることができるなら
一万ドルでも喜んで差し出すだろう

           (miura訳)

オリジナルの歌詞は次のURLから:
http://www.bobdylan.com/songs/bob-dylans-dream


May 23, Monday 2011

朝からコンピュータの調子が悪い。久しぶりにフリーズして動かない。仕方なしに、古いコンピュータに切り替えて作業をする。しばらくしたら、トラブル解消。しかし午後再び同じトラブル。放っておけばなおるだろうと、小雨の中、レインコートを着て、ビーバーで畑の周りの草を刈る

大正琴の教室から帰ってきた家人が「あれも刈っちゃったの?」とあきれたように言う。「あれって?」「ガレージの横に生えてたの」「三つ葉のこと?」「あれはカルダモンよ」。匂いをかいだら三つ葉のような匂いがした。三つ葉にしては背が高い。使い物にならないだろうと刈ってしまったが、悪いことをした。

コンピュータの調子は、その後いったん回復したが、また同じトラブル。今、古いコンピュータでこの日記を書いている。

明日は松本へ。明日はボブ・ディランの70回目の誕生日。古希。「風に吹かれて」を歌おうかな。



May 22, Sunday 2011

午前9時、親戚の家へ。柩に釘を打つ儀式のあと、柩を霊柩車に運び、マイクロバスに乗り、伊那の火葬場へ。控え室で待つこと1時間40分。その間、故人の姪や甥だという初対面の方々と話す。故人の人柄を偲ばせる穏やかな方々。

12時過ぎ、家に戻り、昼食後少し眠ることに。そのあと、今夜のLSECのクラスの準備。先日、四日市の小林さんが送ってくれたピーター・ドラッカーが95歳のときに書いたという詩の訳詩をもとに、英語の原詩を探しだし、それを今夜の教材に使うことに。その作業の中で、この詩はドラッカーではなく、85歳のナディーン・ステアとういう女性の詩だということがわかった。しかし同じような詩を他の名前の人が書いたというサイトもあり、どれが正しいかは分からない。ぼくなりに訳してみた。

人生をもう一度やりなおせるなら

もっと間違いを犯し
リラックスし、肩の力を抜いて
今の人生より、もっと馬鹿なことをしよう
あまり物事を真剣に考えず
一か八かの冒険をしてみよう

もっと多くの山に登り、もっと多くの川で泳ぎ
アイスクリームはたくさん、豆は少なく食べよう
この人生よりもっと多くの問題に直面するかもしれない
でもありもしない問題に思い悩むことのないようにしよう

今まで私はあまりにも慎重に、健全に、生きてきた
いつも、いつも
来る日も来る日も

もちろん素晴らしい瞬間がなかったわけではない
でも人生をもう一度やり直せるなら
そんな瞬間を増やしたい
つまり、生きたいと思う、
できることなら、一瞬、一瞬を
何年も先のことを思い煩うことなく

私は心配性で、どこへ行くにも持って出かけたもの
体温計、お湯の入ったポット
レインコートに、救命用具
でも人生をもう一度やりなおせるなら、もっと身軽に旅をしよう

人生をもう一度やり直せるなら
春にはもっと早く素足になり
秋にはもっと遅くまで素足でいよう
もっとたくさん踊りに行き
もっと何度もメリーゴーランドに乗り
もっとたくさんのひな菊を摘もう
         (ナディーン・ステア、85歳、miura訳)

原文はhttp://www.omidia.com/thought/p_nadine.html


6時半から岡谷のイルフプラザへ。前回のテキストの暗記した部分の朗誦のあと、この英文を渡し、最初の部分を訳してもらう。「こんなふうに生きられたらいいけれど」という声。確かに。そのあと、
El Condor Pasaを歌う。歌唱指導をするまでもなく、みなさんよく知っていた。いくつか過去に学んだ歌も歌う。そのあと、おのずと、震災の話に。みなさんが真剣に今回の震災について考えていることが伝わってくる。東京に住むお孫さんの健康を心配されている方もいた。

ここ数日、あわただしい日が続いた。G3sやほたる祭りライブの準備を始めなければ。



May 21, Saturday 2011


朝10時過ぎ、松本へ。人文学部の建物。JALT(全国語学教育学会)のConference に参加するため。11時から基調講演。演題は Rugby Players and Fairy Stories (ラグビー選手とお伽噺)。この演題を読めば、誰でもラグビー選手とお伽噺がどこで繋がるか興味をもつだろう。最後にその謎が解けた。Waring 氏は、日本の英語教育では英語を読む絶対量が少ないことを指摘し、易しい英語で書かれた本をたくさん読む Extensive Reading を勧める。少なくとも30万語を読む必要があるが、本の選択は各自に任せるべきだと言う。彼の経験では、マッチョなイメージのラグビー選手が、Extensive Reading のクラスで好んで読む本はお伽噺とのこと。

お昼は、会場で弁当を買い、いつもの共通教育の講師控え室で、デイヴィッドと食べる。彼のお昼は奥さんが作ってくれたという玄米のお弁当。その玄米の量に驚かされる。ぼくの3食分はある。それでも彼は痩せている。昼食後、Conference に戻り、いくつかのプリゼンテーションを聴講。Computer-Assisted Language Learning は興味深かった。小学校で英語教育が導入されたとのことで、小学校の先生の英語教育に対する意識を調査した発表もあった。




今夜は6時からパーティがあるとのことだが、それまでいるわけにはいかない。3時過ぎ、外に出る。美須々ケ丘高校のグランドから喚声が聞こえてくる。野球をしているようだ。覗いてみると、長野吉田と美須々ケ丘が試合をしていた。面白そうだが、家に帰ることに。途中、頼まれていた西瓜の苗を3本買う。

                         ■

松本から戻り、少し休憩したあと、親戚の家の通夜に。6時半から枕経、7時納棺。通夜ぶるまいは失礼してオーリアッドへ。原田和恵さんが歌っていた。客席には、熱狂的なビートルズファンの根本さんと、ジャズ好きの福島さん。それに、武居先生。原田さんは最後に「God Bless You」を歌ってステージを降りた。その前にサティの「ジムノペディ第1番」「G線上のアリア」などを演奏したようである。原田さんがオーリアッドでサティを弾くのは初めて?

次にぼくが「ジョン・レノンに捧げる歌」と「碌山」。赤羽真理さん、夏の野外礼拝の下見のために、牧師さんと枝垂れ栗の群生地にいって来たと話たあと「旅人の木」。そして「許し」と「千両梨の実」。赤羽さんの歌を初めて聞いたという福島さんは、感銘を受けたよう。特に最後の歌に。ここで休憩。





後半、トップは原田さん。ヘンデルのピアノ曲のあと、「ささやかなこの人生」と「そばにいるよ」。ぼくが「シスター・ローザ・パークス」と「あの果てしない大空へ」。

垣内彰さん、40年前に碌山美術館で出会った山口県のご夫婦についてのお話。そのときの縁で、彼らが信州にくるたびにお会いしていたが、ご主人亡きあと、奥さんから遺品の万年筆をプレゼントされた話は感動的。垣内さんと一緒に、ご主人の好きな梓川に遺灰を播いた話も。先日も、もう90歳近いという奥さんを安曇野を中心に案内したようである。「おひさま」に出てくる水車小屋と道祖神の前で、垣内夫妻と奥さんの三人が写っている写真を Facebook で見たことがある。品のいい素敵な方だった。

赤羽さん、「鹿のように」と「人生の嵐に」。そして、ぼくが赤羽さんのリクエストで、遺灰を播くシーンのある「フランチェスカ」を歌おうとしたが、歌詞カードが見つからず、代わりに「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。そのあと原田、赤羽、三浦で「アメイジング・グレイス」。客席のみなさんにも歌ってもらう。根本さんはロッド・スチュアートの「アメイジング・グレイス」が好きとのこと。大いに盛り上がる。

みなが歌い終わり、帰り始めたところへ長島功さん。明日の「ふれあい広場」で歌うように要請されたらしい。その練習を兼ねて「最後の手紙」。これですべて終了。

来週の土曜日は、オーリアッドは臨時休業いたします。オープンマイクはありません。ご注意ください。


May 20, Friday 2011

朝から「ほたる祭りライブ」の案内を書くのに苦労する。ときどき外に出て野菜の苗に水をやったり、芝生を刈ったり。気温はぐんぐん上がる。30℃近くまで。昼過ぎ、親戚のおばあさんの訃報が届く。早速着替えて、お線香を上げに。小さな子供の頃からよくお世話になった。本当に穏やかで上品な方であった。年取ってからも、それは変わらなかった。享年96歳。

夜、遅れてオーリアッドへ。家人と交代。今日送られてきた Bob Dylan in Cencert: Brandeis University 1963 を聞く。Talkin' John Birch Paranoid Blues や Talkin' Bear Mountain Picnic Massacre Blues など、昔、きれいな色のついたブートレッグのレコードで聞いた歌が入っている。デジタル処理されたのか、ちょっと音が綺麗過ぎるような。

明日は、JALTの会へ。締め切り日の夜に送ったアプリケーションは間に合わなかったようで、明日はいくつか興味あるプリゼンテーションを聞くだけ。気楽である。

ほたる祭りライブのタイトルは、迷ったが、「原点への回帰―再生への道を求めて」に落ち着いた。「原点への回帰―誰もが自分の言葉で歌い始めた頃」もいいと思ったが、振り返るだけでなく、未来への展望を感じさせる前者に決めた。

     第15回三浦久ほたる祭りライブ
          「原点への回帰―再生への道を求めて」

 

   日時:6月18日(土)開場午後6時半、開演7時
   会場:オーリアッド(辰野町宮木 伊那富橋から4軒目)
   出演:三浦久 with 野間義男、ジェームス・ドーシー
   チケット:前売り・予約:2000円、当日2500円
   予約・問合せ:miura@secondwind.jp まで

ジェームス・ドーシーさんは、ニューハンプシャー州ハノーヴァーにあるダートマス大学の日本語・日本文学の教授で、坂口安吾や小林秀雄などの研究で知られている。同時に日本の大衆文化にも関心があり、現在、サバティカル(長期休暇)で来日中で、60年代後半から70年代前半にかけての日本のフォークソング運動、特に、岡林信康の作品及び足跡について調べている。アメリカ人研究者から見た日本のフォークソング運動について、流暢な日本語で、語っていただく予定。
 

May 19, Thursday 2011

忙しい一日。忙しいというより、あわただしいと言うべきか。その原因のひとつは、クラスで使う資料を作成しプリントアウトしたのだが、それをカバンに入れずに家を出たところから始まる。クラスの前、それに気づき、急遽、講師控え室に戻り、記憶を頼りに、作り直したが、極めて不完全なものに。次に、今日の歌El Condor Pasa を歌おうとバックパッカーのギターを取り出すと、カポがついていない。カポなしで、臨機応変にキーを変えることはぼくには難しい。その後も、いくつかの不都合が。しかし、どちらのクラスにも意欲的な学生がいて救われる。

帰路、家電店に寄り、パソコン用のキーボードとUSBのハブを購入。7時、オーリアッドへ。家人と交代。早速キーボードを取り付ける。できるだけコンパクトなものをと思って購入したが、テンキーのついた大きなサイズのほうがよかったか。

今夜は珍しいお客さんが何人か。四方山話に花が咲き、家に戻ったのは11時半過ぎ。

岡山の尾崎さんよりメールあり。7月1日(金)の禁酒會館でのマンスリーライブに呼んでいただいていたのだが、よしだよしこさんがゲストに入るとのこと。よしださんにお会いするのは久しぶり。岡山市近辺にお住まいの方は是非どうぞ。
  

  岡山禁酒會館マンスリーライブ vol. 129
  日時:7月1日(金)午後6時30分
  出演:三浦久、よしだよしこ、OZAKI UNIT
  会場:岡山禁酒會舘2F(市電・城下電停徒歩2分)
  チケット:2000円
  主催・音楽集団「木々の緑、風そして人々の歌」
  (問合せ:090-5371-7793 尾崎)


May 18, Wednesday 2011

今朝はとてもいい天気。ソフィーはしばらく外の冒険を楽しんだ。その間しばらく、花や野菜の苗に水をやり、家人が先日友人からいただいたコンニャク芋を3つ、新しい畑に植える。手作りのこんにゃくが楽しみだ。

いつのまにか、ガレージの裏の牡丹が咲いていた。表に移植してやろうと毎年話しながら、いつも花の季節が過ぎると忘れてしまう。今年こそは何とか。

午後2時から1時間。、伊那東部中学の3年生のクラスでトークライブ。歌った歌は、「風に吹かれて」「シスター・ローザ・パークス」。「We Shall Overcome」、そして「碌山」。トークは1963年のケネディ大統領の暗殺から入り、キング牧師の公民権運動。 We Shall Overcome の歌唱指導。最後はスティーブ・ジョブズのStay Hungry. Stay Foolish. 

終了後、女子生徒たちが機材を運んでくれた。よく笑う元気のいい子供たち。最後に記念撮影。ぼくの横にいるのはこのクラスの子ではない。ブラジル出身の男子生徒。オープンで人なつこい。



夜、オーリアッド。コンピュータ用の机を、なんとかカウンターの中に置いた。ノート型のビルトインのキーボードでは上手く打てない。ネットサーフィングだけならそれでいいが、タイプを打つ量が多いときは、デスクトップ用のキーボードをつけたい。机を置いたことで、キーボードが置きやすくなった。


May 17, Tuesday 2011

朝、松本へでかける準備をしていると、突然、雷鳴轟き、激しい雨。ありがたいことに、雨はすぐに止み薄日が射し始めた。

午後最初のクラスが終わったあと、一人の学生が話しかけてきた。「4講時がおわったら、 Amazing Grace を一緒に弾いてみたい」と。先週、黒いバイオリンケースを抱えていた永田君。4時10分過ぎ、彼がやってきた。この教室はもともと防音壁の音楽室で、二重ドア。30分ほど一緒に、
Amazing Grace と、今日歌った El Condor Pasa を練習。なかなかいい感じである。とりあえず、来週はクラスで Amazing Grace を一緒にやろうということになった。さてどうなるか。

夜遅く原田さんから、松本のJUST での丸山さんのライブの写真が送られてきた。知らなかったが、丸山さんはこの週末体調を崩して寝ていたとのことだが、「丸山さんらしいトークと歌で2時間ちょっと、楽しいライブでした」と書き添えられていた。

満月。目前の忙しさに追われて、しかも雨や曇りの日もあり、今夜仕事部屋から外を見るまで、気づかなかった。2階のベランダに出て、前方、西の山の上に輝く満月を「スポーツ連射」で撮る。



明日は午後、伊那東部中学校の3年生のクラスへトークライブにいくことになっている。さてどんな話をしたらいいか。


May 16, Monday 2011

午後3時、茅野のカントリー・キッチン「くるみ」へ。5月28日(土)の夜、この場所で加奈崎芳太郎さん、堀六平さんとぼくの3人(G3s)でコンサートを行うことになっているが、グッドニュースの木下さんの計らいで、一人でも多くのお客さんにきていただきたいと、プレスコンフェランスが開かれた。4つの新聞社の記者の方々が取材にきてくださった。取材というよりは、こちら側から一方的に話してしまった感じがなきにしもあらずだが。



  5月28日(土) 午後6時開場、6時半開演
  G3s(グレートスリー or ジーサンズ)が行く!
  出演:加奈崎芳太郎、堀六平、三浦久
  会場: カントリーキッチン「くるみ」
       茅野市ちの236-7  (tel: 0266-72-5240)
  チャージ:2500円+1オーダー
  問合せ・予約:グッドニュース  (tel: 0266-54-7210)
       あるいは、オーリアッドmiura@secondwind.jp まで


夜、明日のクラスの準備、テストの採点など。昼夜の寒暖の差が大きく、体調維持が大変。


May 15, Sunday 2011

数日前、NHK出版から一冊の本が送られてきた。包みを開けると『インド数学の発想―IT大国の源流をたどる』という新書が出てきた。著者の矢野道雄さんからの献本だった。矢野さんは大学院時代の先輩で、サンスクリットと苦闘しているとき大変お世話になった。親切に教えていただいたのに、結局ぼくはサンスクリットには縁なき衆生だった。空しく格闘しただけに終わってしまった。

いただいた本を今日読み始めた。「インド人は19の段まで掛け算を覚えている」とよく言われるが、それが本当かどうかというところから、話は始まる。インドの最高の頭脳を集めているというインド工科大学の大学生50人にアンケートをとったところ、38人の回答者がいて、19x19まで暗記している者は5人だった。一番多かったのは10x10までを覚えているという15人。矢野さんはこの結果から「インド人は九九を19の段まで覚えている」という説は根拠がないと考えているようだ。しかし、彼がインドに行くたびに集めた小学生の算数の教科書の中には20の段までの掛け算の表のあるものもあったようだ。

なるほどと思ったのは円周率の表記。日本では、3から再び3.14 に戻ったようだが、彼が覗いたインドの学校では22/7(七分の二十二)と教えていたらしい。これならいかなる誤差もない。

まだ最初の部分を読んだだけだが、数学が大の苦手のぼくでも興味をもって読み続けられそう。『インド数学の発想―IT大国の源流をたどる』、本日発売。

昨日植えたばかりの苗に朝晩水をやる。ハンダマは楽しみだ。毎年ナスは上手く育たないが、今年はなんとか上手く育てたいもの。夕方、庭の整理を兼ねて剪定した小枝を焚いて、ダッチオブンで鶏肉、玉ねぎ、人参、ジャガイモの蒸し焼き。火力が強すぎて少し焦げたが、美味しかった。特に玉ねぎの甘さは格別。


May 14, Saturday 2011

今夜のオープンマイク、トップバッターは原田和恵さん、シューマンの「子供の情景」からの曲を含むピアノ曲、3曲、そして「君は愛されるために生まれた」の弾き語り。藤森さん、「人生に勇気」「子守唄のように」「愛音」など4曲。赤羽さん、「鹿のように」の次に、意表をついて「一人寝の子守唄」。そして「一人の手」「許し」。歌いにくるといっていた長島功さんがこないので、ぼくが歌うことに。「ありがとう、ミスター・コーエン」と「次郎」。原田和男さん、「キリストには代えられません」を久々に歌ったあと、相馬久子先生の思い出。ここで休憩。そこへ長島さん。






休憩後、長島さん、4月からPTAの役から解放され時間がとれるようになったので、これからはできるだけ歌いにきたいと語ったあと、「無縁坂」。そして「いのちの理由」と「秋桜」。2曲目は初めて聞く歌。震災後に書かれた歌かと尋ねると、震災前とのこと。原田和恵さん、初めて買ってもらったレコードはリチャード・クレイダーマンとのことで、「渚のアデリアーヌ」の演奏、そして丸山さんが好きだという「G線上のアリア」。最後に「忘れないで」の弾き語り。「渚のアデリアーヌ」を聞きながら、初期オーリアッドが80年代半ばにオープンしたあと、ときどきやってきてリチャード・クレイダーマンを華麗に弾いてくれた人のことを思い出した。風の便りに、もう何年も前に亡くなったと聞いた。

藤森さん、「今日は土曜日」のあと、「長島さんが、南の男の母の歌を歌ったので、北の男の父の歌を歌います」と言って「父さん」を歌う。なるほど、長島さんと藤森さんが敬愛するふたりの歌い手がいろんな形で切磋琢磨し影響しあっていたことがわかる。藤森さんの最後の曲は「若者たち」。愛音ちゃんにも歌ってもらおうとしたら、一番テーブルのベンチで熟睡中。赤羽さん、「森の小道」「御手の中で」、そして「千両梨の実」。今夜は最後の曲に聖書の一節が入らなかった。最後に長島さんに、オリジナル「最後の手紙」を歌ってもらって、今夜のオープンマイク終了。その後、しばし歓談。今夜は家人留守のため、オーダーが出るのが遅かったり、ピザを焦がしてしまったり、ご迷惑をおかけした。みなさんのご協力に感謝。

                    ■

今日朝から、遅れていた野菜の苗を植えた。トマト、ゴーヤ、ピーマン、アオト、タカノツメ、ブロッコリー、ピーナツなど。珍しいのは「ハンダマ」という葉野菜(写真左)。先日アルプス市場で見つけて、3本買ってきた。調べてみたら、沖縄の野菜で、アントシアニンや鉄分が多く含まれていて、サラダや天ぷらにいいらしい。http://okinawaisland.jp/SHOP/vegi20070.html




May 13, Friday 2011


数日続いた雨が上がり、今日は朝からいい天気。家の周り緑はとても深くなり、いろんな花が咲いている。フェンスを作って蔓を這わせた藤の花も咲き始めた。4月の初めに植えたジャガイモも芽を出し、かなり大きくなった。




今日は野菜の苗を植える予定だったが、突発的な用事が生じて、明日に延ばすことに。

今夜は久しぶりにパブロ・カザルス演奏のバッハの無伴奏チェロ組曲を聞く。遅くに原田さん。いいところまで行ったが、最後、またまた逆転負け。


May 12, Thursday 2011

松本からの帰り、今日もアルプス市場へ。いくつか野菜の苗を買う。先日買いそこねたピーマンとアオトとタカノツメ。それにゴーヤ。普通のゴーヤの他にサラダ用ゴーヤというのがあった。試しに1本カゴに入れる。ピーナツは種をまくことにしているが、苗があったので、これも試しに2本。

オーリアッド。ジブランの方々。勉強の合間に「おひさま」に対する感想が聞こえてくる。斉藤由貴が演ずるところの「主婦が邪魔よね〜」と、どなたかが言うと、同意する声が次々に。まったく同じことを感じていた。彼女の演じる役がなくてもまったくかまわないが、あったとしても、もう少し落ち着いた演技ができないものか。もちろん彼女は女優だから、脚本に書かれていることを演出家の言うように演じているだけなのだろうが。

ディランファンの友人から次のようなサイトが送られてきた。ディランファンにはたまらない代物である。しかし、寝不足にならないよう要注意。http://www.dylanvideo.com/

その中に、テレビ番組で Blowing in the Wind, Man of Constant Sorrow, Ballad of Hollis Brown を歌う映像があった。この映像を見ながら、こういうディランが好きだと再確認。
http://www.dylanvideo.com/apps/videos/videos/show/9968840-folk-songs-more-folk-songs-wbc-tv-may-1963


May 11, Wednesday 2011

今日も一日、雨。丸二日降りつづけた。昨日買った苗を植えることができなかった。午後4時、いつもの定期健診。家で図ると高い血圧が病院で計ったら123−78 と理想的な数字。普通は病院で計ると高くなるらしいが。

オーリアッド。太田君が今日最終的に歌を入れなおして完成したというCDをもってきて聞かせてくれた。前回聞いたときよりずっといい。歌だけでなく、何曲かはミックスダウンをやりなおしたようだ。

遅くにやってきた垣内さんにも聞いてもらう。彼も気に入ったようである。特に前半が。ぼくも1曲目「弁財天御真言」から2曲目の「天の河原で」へ移るところが好きだ。4曲目「丘の上の風」もいい。

11時閉店し外に出ると雨は上がっていた。このままやんでくれたらいいが、天気予報によれば、台風が近づいているようだ。

木村先生から第10回松代現代美術フェスティバルの企画書が送られてきた。フェスティバルは7月3日から18日まで。17日(日)に、ぼくにも1時間ほど歌う時間が与えられている。企画書を見て少々怖気づいた。現代美術の作家やコンテンポラリー・パフォーマンスの方々を前にして、ぼくの歌が通用するかどうか。しかし、こんな機会はそうあるものではない。

企画書に書かれていた「過去の歴史を踏まえて、日本と韓国との関係を、アートの面から再考察し、第2次世界大戦で遺された第1級の戦争遺跡をもつ松代から、平和のメッセージを世界に発信する」という趣旨の言葉を頼りに、思い切って参加してみようと思う。


May 10, Tuesday 2011

朝からかなり激しい雨。夕方松本から戻るときも同じように、いや、もっと激しい雨。その雨の中、アルプス市場により、トマトとナスの苗を買う。それにオクラの苗も。ピーマンも欲しかったが、激しい雨の中、探したが見当たらない。木曜日にまたよることにする。

昼過ぎ、1時からのクラスが始まる前、黒い長方形のケースをもった学生がまん前の席にすわっている。何が入っているかと聞くと、バイオリンだという。じゃあ「アメイジング・グレイス」をクラスで弾いてくれないかと頼んだが断られた。クラス終了後、彼がきて言う、みんなの前では恥ずかしいが、ぼくと二人だけならかまわないと。次のクラスがあって、その場でセッションはできなかったが、近々そんな機会がもてたらと思う。この教室は音楽室で防音壁に囲まれている。彼のバイオリンが加わって、クラス全員で歌えたら、素晴らしい。

2つのクラスともに小テストのあと、「アメイジング・グレイス」の作詞者ジョン・ニュートンについての映像を15分ぐらいにまとめたものを見る。1番の歌詞にある ..that saved a wretch like me (私のような悪人を救ってくれた・・)というところの意味が明確になってくれたらいいのだが。


May 9, Monday 2011

今日も25℃を超える暑い日になった。ただ昨日と違って曇り空で、風も強かった。昼前、今年から新たに加わった2つの畑の狭いほうに3本の畝をつくり、そのうちの2本にマルチを被せる。山際ゆえ、猿が敬遠するピーマンやナスなどを植える予定。

午後、「六朗」の手直しを試みる。疲れのせいか集中できない。気分転換に城山公園までウオーキング。「六朗」を口ずさみながら。

夜、明日のクラスの準備。ゴールデンウイークも終わり、いよいよこれから。


May 8, Sunday 2011


爽やかな夏の日。まだまだ寒いと思っていたら、突然、25℃を超える夏日。家人は心配している、今年も昨年のように冬が春を跳びこして長い蒸し暑い夏に突入するのではないかと。

しかし今日は寒くなく、蒸し暑くなく、一年にそう何日もない美しい日。白樺の若葉が風にそよぎ、チューリップは昨日にも増して色鮮やか。ライラックの花には珍しい蝶。その美しい一日に、おまけが付いた。美しい三日月。夕暮れの西の空。





午後ずっと農作業。トマトの苗床を覆うビニールシートをフレームに被せる。その北側にマルチを敷き、その上にフレームを設置し、網をかける。ゴーヤ用。

ゴールデンウイークもこれで終わり。今週からまた日常に戻る。

今年の「ほたる祭りライブ」は6月18日(土)に行うことになりました。ゲストスピーカーとして、日本文学研究家で、現在サバティカルで慶応大学にきているダートマス大学教授ジェイムズ・ドーシーさんに参加していただけることになりました。ドーシーさんの現在の関心は、60年代後半から70年代前半にかけての日本のフォークソング運動です。ほたる祭りライブの詳細は今週中に。


May 7, Saturday 2011

午後急に思いついて裏山へ。コシアブラを採りに。しかし、残念。時すでに遅し。採りつくされている。わずかに残っている小さなものをいくつか採ることができた。やはり連休の初めに来なければいけなかった。遅くとも中ごろまでには。しかし、いいウオーキングができたし、夕食にわずかだったが美味しいコシアブラの天ぷらをいただくことができた。




オープンマイク。最初に入ってきたのは林呉(はやし・くれ)さん。オーリアッドは2回目の登場。メールを午後遅くに打ったとのことだが見ていなかった。久々にぼくが「六朗」を歌ったあと林さんにお願いする。先週は、歌ってもらう曲数を制限せざるを得なかったので、今日は前半一人4曲ということに。「彼女は風」「紅茶でもどうぞ」「土鳩(ドバト)」、そして稲妻に打たれて狼になったという男のことを歌った「彼」。原田和恵さん、「G線上のアリア」「異国から」のピアノ演奏。そして「ささやかなこの人生」「糸」の弾き語り。藤森和弘さん、「人生に勇気」「子守唄のように」、20歳の頃に書いたという「片思い」、そして「愛音」。原田和夫さん、牧師をしていたが現在療養中という友人を、最近東京へ訪ねて行ったときの話。若いころ、共に諏訪湖で洗礼を受けた仲とか。赤羽真理さん、「ホーボーの子守歌」「花はどこへ行った」「旅人の木」「御手の中で」。ここで休憩。スピーカーからは、ナンシー・グリフィス。







後半トップはぼくが「中谷勲」と「オーリアッドバンドの歌」。両者に出てくる「万五郎」という地名は、子供のころから「マ」にアクセントを置いて「マグロ」と発音してきた。しかし辰野以外で歌うとこれが魚のマグロと間違えられる。「マンゴロウ」と歌うべきか。次に休憩中に生姜紅茶を飲んだ林さん、もう一度歌いますと「紅茶でもどう」を歌い、更に忌野清志郎訳の「500マイル」。原田さん、三木露風・山田耕作コンビによる「野ばら」をアカペラで、そしてピアノの演奏、「トロイメライ」。ここで愛音ちゃん登場。「カントリーロード」。おいちゃんのギターとヴォーカルのサポート。藤森さん、「青葉城恋歌」。上手い!聞きほれていて、2曲目のタイトルを聞きそびれた。最後、赤羽さん「人生の海の嵐に」と「千両梨の実」。

10時半オープンマイク終了。その後しばし歓談。1番と2番のテーブルの間では、愛音ちゃんが、干してあった靴紐で作ったという綾取りで盛り上がる。子供のころに遊んだ遊びは何年経っても覚えているものだ。


May 6, Friday 2011

午後、長男が東京へ戻ったあと、フェンスの4本の支柱がセメントで固まっているのを確かめて、藤の蔓をフェンスに巻き付ける。蔓が端まで這っていってくれたらいいのだが。完全に枯れていた紫木蓮の花が、昨年に続き今年も、根元から伸びていた小枝に咲いた。大きな枯れた幹は、一昨日、木の剪定をしたとき、両手で引っ張ったら簡単に倒れてしまった。



今年のゴールデン・ウイークはよく働いた。両腕が筋肉痛。

オーリアッド。今夜は、原田さんとの暗黙のルールを破り、2局指すことに。最初の勝負があまりにもあっけなく終わってしまったので。1勝1敗。

関島さんから4曲分の仮ミックスが届いた。どの歌も、なかなか素敵なアレンジ。特に「祈りの歌」のバイオリンは素晴らしい。ただ、ぼくの歌がもうひとつ。真夜中過ぎ、いくつか修正をお願いするメールを送る。


May 5, Thursday 2011

ようやく午後、畑と庭の間にフェンスを設置。これは藤の蔓を這わせるためのフェンス。藤棚をつくるのは大変なので、町角で見かけた藤フェンスを真似することに。フェンスを支える4本の柱をセメントで固めたが、蔓を這わせるのはセメントが完全に乾いて固くなってから。さて上手くいくかどうか。

白いライラックの花が咲いた。控えめな白い花。新田次郎のように、ぼくも白い花が好きだ。



この3日間はよく働いた。昨日今日と長男が手伝ってくれて助かった。慰労を兼ね、老舗の鰻店で食事をし、その後オーリアッドへ。

遅くに丸山さん。箕輪の歌声喫茶の帰り。精力的に各地で演奏活動をしているようである。5月17日(火)には、松本のJUST でソロのライブをするとのこと。

今朝、NHKのBSで見た「心のビートで踊れ」という番組はよかった。SPEEDというグループにいたという歌手が、ワシントンDCのギャローデット大学を訪ねる。彼女には聴覚障害をもつ息子がいる。この大学は聴覚障害者のための大学で、彼女が日本で見て驚愕した耳の聞こえないメンバーによるダンスグループの本拠地。耳が聞こえないのに、どうして正確にリズムを刻み踊ることができるのか。その方法が番組の中で解き明かされる。感動した。リズム感の悪いぼくには大いに勉強になった。英語と日本語、そして英語の手話と日本語の手話の4つの言語を巧みに使いこなして通訳した若い日本人女性にも感銘を受ける。


May 4, Wednesday 2011

昼食をはさんで、畑と庭の仕事。藤のフェンスを作る前に、庭と畑の間の木や低木の枝を剪定する必要がある。その作業を始めたら思いのほか時間がかかってしまった。それをしている間、家人と長男が金属のパイプを繋いでフレームを組み立てた。この上に、トマトの木のための透明なビニールシートをかぶせる。夕食は廃材を燃やして、ダッチオブンで鶏肉、ニンジン、ジャガイモ、タマネギを蒸し焼き。ダッチオブンのことを教えてくれた白馬の佐藤さんに感謝。重宝している。



夜、オーリアッド。スピーカーからはロイ・オービソン。原田さんと一局。追い詰めたが逃げられ、最後には万事休す。うーむ、詰めが甘い。


May 3, Tuesday 2011

曇天。少し肌寒い。風もある。今年も昨年同様、春がなくて猛暑の夏になり、秋がなくて冬に突入するのではないかと家人は心配する。それでもやはり季節は春。チューリップが咲いた。

午後は今日も畑の仕事。今年から戻ってきた畑の小さいほうに苦土石灰と鶏糞をまく。そのあと、芝刈り。それにサンデッキの下の腐った小枝や薪を取り除く作業。




午後遅く、長男帰省。明日は彼に手伝ってもらって、藤棚ならず、藤の垣根を作ろうと思っている。上手くいくかどうか。


May 2, Monday 2011

11時半ごろだったと思う。テレビを見ていたら、オサマ・ビンラディンが殺されたらしいというテロップが流れた。早速CNNにチャンネルを回す。ビンラディンの顔写真がアップで写され、Osama bin Laden Is Dead という大きな見出し。そのあと、12時半ごろ、オバマ大統領がビン・ラディンがアメリカ軍の襲撃によって殺されたことを発表した。

そのスピーチ:http://www.youtube.com/watch?v=ZNYmK19-d0U&feature=player_embedded

昨年の8月にはすでにビンラディンの居場所に関する情報を得ていたようだ。アフガニスタンからのアメリカ軍の撤退や来年の大統領選を前にして、失敗は許されない。襲撃は周到に計画されて敢行されたようだ。違和感を感じたのは、真夜中にもかかわらずホワイトハウスの前にたくさんの人が集まり、まるでフットボールの試合に勝ったかのように、USA, USA と叫んでいたこと。

無差別テロが拡大される恐れもあるが、「アラブの春」の機運とともに、これ以上無意味な流血が繰り返されないことを願うばかり。

午後は、畑の仕事。2本の畝を作り、1本にはマルチを被せる。マルチを被せたほうはトマト用。もうひとつに、生姜、自然薯、里芋のタネイモを埋めた。


May 1, Sunday 2011

いつの間にか、5月。気がつけば1年の半分近くが過ぎている。震災後、時間の感覚が狂ってしまったかのよう。時間ばかりか、空間も。同じ場所にいながら同じ場所ではないような。但し、震災前も、多かれ少なかれ、同じような感じをもつことはあった。

昨夜遅く家に戻り、ドアを開けたとたん、ソフィーが逃げ出した。フィービーが逃げ出さないように寝室に閉じ込め、玄関のドアを少し開けたままにしておく。なかなか戻ってこない。結局戻ってきたのは午前3時。雨が降り出し、背中がぬれていた。

戻ってきた彼は悪いことをしたと思ったのか、顔色をうかがうような仕草。でも責められない。時には自由に飛び回りたいだろう。しかし、おかげで朝から寝不足。

昼食後、オーリアッドへ。途中までウオーキング。徳本水のカーブのところに立派な歩道がつき、ますます歩きやすくなった。バイパスができた今となっては、ほとんど車が通らず、こんな立派な歩道は無用な気がしないでもないが。宮所の信号で農道に入り、しばらくいってから、後からきた家人に乗せてもらう。昨夜の後片付け。ナンシー・グリフィスの Other Voices Other Rooms を聞きながら。

午後、パッケージが届いた。ロイ・オービソンの THE MONUMENT SINGLES COLLECTION (モニュメント・シングル・コレクション)と、同時に発売されるモニュメント時代のアルバム4枚が入っていた。発売5月11日。『モニュメント・シングル・コレクション』は完全生産限定盤(CD2枚、DVD1枚)。全41曲の数曲を除いてぼくが以前に訳したものだった。最近、「プリティ・ウーマン」が何かのCMに使われているのを聞いた気がする。

完全生産限定盤といえば、S&Gの『明日へ架ける橋』の40周年記念完全限定盤(CD2枚、DVD1枚)はアマゾンでも在庫がなくなったようだ。6800円で出品者が売りに出している。限定盤でない通常盤(CD1枚、DVD1枚)は今でも available。


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