OREAD Diary June 1〜June 30, 2004

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June 30, Wednesday 2004

6月も今日で終わり。気がついてみると、もう今年も半年が過ぎてしまった。

大工さんのコンサートの新聞広告を見たという何人かの方から予約が入る。岡谷に住むというOさんは、「凄いですね、辰野に大工さんがくるなんて」と驚いた様子。大工さんが辰野へ歌いにきてくれるのはひとえに off note の神谷さんのおかげ。

しばらく前から、もとX-Japanのボーカルだったトシさんのコンサートができないかという打診を受けていた。今夜最終的に行うということが決定された。日時は9月18日(土)7時開演。詳細は後日。



June 27, Sunday 2004

オリジナル・オーリアッドでは何回かあったが、再開したオーリアッドでは、今日初めて、子供たちのピアノ発表会が、午後1時半からあった。町内の藤森ピアノ教室で学ぶ子供たちである。小さな子供たちがピアノを弾く姿を見て、わが家の息子たちが小さかった頃を思い出した。何回か彼らのピアノの発表会を聞きにいったものだ。

子供たちが緊張した面持ちで挨拶し、椅子に腰掛け、ピアノを弾き始める瞬間のお父さんやお母さんの気持ちが手に取るようにわかる。上手に弾けた子も、途中で間違えた子もいたが、みんな一生懸命で気持ちがいい。子供が小学校を卒業する頃までが、家族としてもっとも充実しているときなのではないかとふと思った。子供はもちろん親も未来に向けて意欲的である。



お琴を弾いて歌った姉妹がいて、そのかわいらしい歌声に魅せられた。先生ご夫妻のフルートとギターによる「グリーン・スリーブズ」の演奏もよかった。ゲストによるフルートとピアノの合奏もあった。みんなが音楽を楽しんでいる。こんな風にオーリアッドを使ってもらえるというのは嬉しいことだ。

 

午後7時からの諏訪のLSECの英語クラスに行く前にオーリアッドのステージに飾ってあった佐藤勝彦さんの六地蔵をはずして、ディラン初来日のときのポスターを飾ってみた。久しぶりに取り出したので、かびているところがあった。これからはときどき虫干しのために飾ったほうがよさそうだ。諏訪へは少し時間前に着いたので諏訪湖畔へいってみた。夕暮れの諏訪湖がきれいだった。



その後、9時まで英語のレッスン。年配の方々が多いにもかかわらず、みんな熱心だ。まず、歌を歌って英語の音を出す訓練。Cucamonga California, All My Loving, Can't Help Falling in Love, Take Me Home Country Roads を歌う。Spoken American English の Lesson 2 から 4 までのダイアログの暗唱。そのあと、コーヒーをいただきながら英語で(日本語もときに交えて)自由に語り、最後に、Jazz Chants の中のいくつかの文を交互に読んで英語のリズムの復習。

あっという間に2時間が過ぎる。誰かが、英語を学んでいると痴呆にならないと最近の新聞に書いてあったといったが、このクラスにきている人たちを見ていると、そのとおりかもしれないと思わされる。


June 26, Saturday 2004 「飛び入りライブ」

久々の飛び入りライブ。6時少し前オーリアッドに着くとすでに車が一台止まっている。堀金村の山岸豊さんだ。今日は諏訪湖の森で、3月まで同僚だった先生の結婚式だったとか。奥さんと息子さんも一緒だったが、先に帰り、山岸さんは電車で帰るとのこと。

中に入ってしばらくすると、ギターケースをさげた背の高い人が入ってきた。はたして、昨夜電話をもらったギブソンJ45の持ち主ルネ(流音)さんだった。

二人にサウンドチェックをかねて何曲か歌ってもらう。そしてぼくも、「フリーウエイ101」「丁度よい」それに、本当に久々に「スーとジョンのバラード」。その後続々と歌い手登場。

トップバッターは
杉本等さん。杉本さんは今まで何度もオーリアッドに来てくれたが、歌ってくれたのは初めて。伴奏でギターを弾いたことはあったが。「君の面影」「歩き出そう、あなたと」。タイトルは聞き取れなかったが、母親に書いた若い兵士の手紙をもとに書いた歌。それにディランの The Lonesome Death of Hattie Carroll のメロディにことばをつけた「26のテーマ」。最後に「看護婦の君に」。共感できるテーマの歌が多かった。これからも歌ってもらいたいもの。



次に山岸さん登場。披露宴で飲み、オーリアッドにきてからも、電車で帰るので安心と、かなり飲んだので、いつもより酔っていたはず。それでも、今日の披露宴で歌ったという新曲「遠距離恋愛」をはじめ、定番の「冬の夜小布施で」「木陰の季節」「ゆうとときょうと」をしっかり歌う。

それに運のいいことに、電車で帰らなくてもいいことになった。次に歌ってもらった流音さんが、偶然、ご近所であることがわかり、帰りに乗せてもらえることになった。




流音さんはサウンドチェックでは、「大きな古時計」や日本のフォークソングを歌ったが、本番では、シャンソンだった。ぼくが知っているのは、ムスタキの「私の孤独」だけだった。彼自身の訳で歌っているとのこと。長い間ギターを手にしなかったとのことだが、これからはときには歌いにきてもらいたいもの。

ムスタキといえば、京都に住んでいたころ、河原町ですれちがったことがある。本当に彼なのか半信半疑だったが、あとで、彼のコンサートが京都会館であったことを知り、やはりムスタキだったと確信した。白い髭と鋭い目が印象的だった。


 

次は藤森和弘さん。今日はまた別のギターをもってきた。オベーションのスーパーアダマスとか。写真でわかるように高そうなギターである。それに今日は長渕ではなく、「こうせつおじさんを歌います」と「神田川」「赤ちょうちん」それに「夢一夜」。昔「赤ちょうちん」はよくラジオから流れていて聞いたが、久しぶりに聞いた。なかなかいい歌だと思った。藤森さんの声もこの歌のときが一番きれいにのびているようだった。

 

次に芦部清志さん。初めて聞く「亀のブルーズ」から入る。カズーを合間に吹きながら熱唱する。彼の歌のことばといいメロディといい、いつ聞いてもさすがと思わせるものがある。2曲目は「チェインジ・マイセルフ」。何度も繰り返される Change myself! が長い間聞き取れなかったが、最後にわかった。ここは自分に言い聞かせるとしても、Change yourself! と歌ったほうがいいのでは。

最後の2曲はピアノの松沢美由紀さんと二人で「月と海」「すこやかに」。「すこやかに」はいつ聞いてもいい歌だ。それに今晩はこの曲の松沢さんのピアノがとてもよかった。



次に赤羽真理さん。まず定番の「旅立ちの時」。そして、今日見に行ってきたという『パッション』というキリスト受難を描いた映画につてい語ったあと、「人生の嵐」を含む2曲の賛美歌。「人生の嵐」はとてもいい歌だ。『パッション』はぼくも見に行きたいと思っている。そういえばまだ『トロイ』も見ていない。



最後に、山梨県高根町の中村進さん登場。先月初めて歌いにきてくれたときも卓越したギターワークでみんなの度肝を抜いたが、今晩もまず一曲目、ブルース・コバーンの「狐の手袋」というインストラメンタルで、みんなに「ため息」をつかせる。そのあと、「風の通り道」「水」。そして、大月高志さんのピアノが入って、ブルーズ「天国行きの汽車」。



今晩は歌い手が多くセカンド・ラウンドはなかったが、最後まで残っていた人たちでギター談義に花が咲く。中村さんと山岸さんのセッションもあった。みんな歌が好き、ギターが好きな人たちだ。




June 25, Friday 2004

開店後まもなく赤羽真理さんがネクタイ姿で入ってくる。東京への出張の帰りとか。オーリアッドで歌うときの雰囲気とはちょっと違う。今年4月から塩尻の保育園に勤め始めたという娘さんが、帰宅途中立ち寄り、お父さんを乗せて一緒に帰っていった。うれしそうな赤羽さん。ちょっと羨ましい。

今日から本格的に「大工哲弘コンサート」のパブリシティを始める。プレスリリースをいくつかの新聞社にファックスで送り、たつの新聞に広告をお願いする。長野市の「お茶ぐら・ゆいまある」の吉本隆生さんにも連絡する。確か彼は長野県における「沖縄親善大使」だった。あいにく不在で奥さんと話したが、大工さんがくるというと驚いていた。

大工さんの『蓬莱行』を聞く。何度聞いても飽きない。名盤である。大工さんの三線と歌声がオーリアッドに響き渡ることを想像するとワクワクする。

明日の飛び入りライブ、それにオーリアッドでのコンサートに関するいくつかの問い合わせの電話あり。ギブソンJ45をもっているという人が歌いにきてくれるといいが。


June 24, Thursday 2004

前半セカンドウインド英語教室。お店に下りていくと長島君がきていた。しばらく先日のほたる祭りライブについて話す。当日のぼくのギターの1弦と6弦の音が強く出すぎて、中間の音があまり聞こえなかったとのこと。マイクとラインの両方で音をひろったが、ラインの音が強すぎたのかも。

ほたる祭りが終わり、人通りも少なくなった。お店は前のように暇になり、閉店まで、インターネットでダウンロードしたコードつきの歌詞を取り出して歌った。My Back Pages, Me and Bobbie McGee, Hard Traveling, Song to Woody, Can't Help but Wonder Where I'm Bound など。どれも好きな歌だが、ひとつとしてちゃんと歌えない。もう少し練習しなければ。

  自由とは失うものが何にも残されていないこと
  自由なんて一銭の価値もない、でも一銭もかからない
  気分よく感じるのは簡単だった、ボビーがブルーズを歌うとき
  気分よく感じるだけで充分だった
  それだけで充分だった、ぼくとボビー・マギーには


June 23, Wednesday 2004

土曜日のほたる祭りライブ以来の営業日。日曜日にある程度片付けたが、まだコマゴマしたものが残っている。いつもより早目に店に入り後片付け。意外と時間がかかる。同時にカレーの仕込み。

下諏訪のEDENに出しておいたノート型パソコンが修理されてきた。思ったより早かった。修理に出したとき、データが失われても文句をいわないという主旨の項目があって、同意の署名をした。心の中では、すべて失われても、余分なものがなくなり軽くなっていいかなとも思っていたが、何も失われていなかった。早速使ってみたが快適である。

Dr. Yajima がふらりとやってくる。夜はコーヒーを飲まないとのことで、新しくメニューに加わったアイスココアを勧める。アイスココアを飲みながら四方山話。土曜日のライブのこと、パソコンのこと、健康のこと、車の運転のこと。先生は車の運転が好きで、いくら車を運転しても疲れないとのこと。先日も栃木へ行って一泊し、帰りは4時間一度も休まずに戻ってきたとか。先生はよくぼくの掲示板を読んでくれているようで、松本からの帰り、途中で休んだとか眠ったとか書いてあるのを読んで信じがたい思いだという。

2002年1月に眼瞼下垂(がんけんかすい)の手術を受けるまで、ぼくにとっては長距離運転することは恐怖だった。異常に疲れ、注意が散漫になり、ときには道路が急に浮き上がるような気がすることがあった。手術後は楽になった。長時間運転すればもちろん疲れるが、以前ほどではなくなった。先日も三重県河芸町へ車で行ったが、道路が浮き上がるようなことは一度もなかった。往復何度か休憩はしたが。

そうそう 先生が歯科大学の学生だったとき、お父さんから買ってもらったエレキギターをもっていたと聞いて驚いた。先生とエレキギターの取り合わせを想像するのはちょっと難しい。そのギターは、最近まで蔵にあったが、家の周りの世話をしてくれるおじさんが、蔵の整理をして、ガラクタを燃やした際、一緒に燃やしまったとか。そ、それはひどい。いくら埃にまみれていても、燃やすことはないのに。

余談だが、昨年三重県河芸町で歌ったときに眼瞼下垂の相談を受けたMさんは、先月歌ったときも来てくれて、6月9日に松本の相沢病院で手術を受けることになっているといった。数日前、手術が無事終わり、体調がよくなっているというメールをいただいた。手術後まだ一週間とのことだったので、まだまだ瞼がはれていたり、見づらかったりするだろうが、2、3ヶ月すればその効果ははっきりとわかるはず。

Mさん以外にも最近、ぼくの「眼瞼下垂症との不思議な出会い」を読んで、手術を受けた、あるいは診察してもらったという数人の方からメールをいただいた。関心のある方は次のURLをクリックしてみて下さい。
http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/miura2/ganken02.htm


June 20, Sunday 2004

朝飯を食べているときにマルコが、午後2時、遅くとも3時には東京へ戻っていたいという。スイスが朝になる時間で仕事の電話がかかってくるかもしれないとのこと。月曜日の記事は日曜日のうちに送らなければならないので、日曜日はそれほどゆっくりできないらしい。「駅すぱーと」で調べてみると、新宿に午後1時36分に着くスーパーあずさ14号がある。岡谷には止まらない特急で、上諏訪駅まで妻と長男と一緒に送っていった。

有賀峠を越えているときマルコが、「この辺りは本当に緑が多いね」という。彼のアパートは品川の御殿山というところにあるらしい。そこがどのようなところか想像できないが、大都会の真ん中であることは確かだろう。山手線の線路からは離れているようだが、ときには電車の音も聞こえてくるらしい。田舎の空気が吸いたくなったらいつでも来るようにいっておいた。

マルコを送ったあとボブ鈴木が経営するジーンズショップ KING へ。長男の勤める会社は金曜日はカジュアルデーで、普段着で出勤できるらしい。先週金曜日は会社が終わったあと、ライブの手伝いのためにそのまま辰野へ戻ってきた。彼がはいていたジーンズがあまりにも擦り切れていたので、新しいジーンズを買ってやろうということになった。店においてあった竹でできた香をたく入れ物も購入した。オーリアッドで使うのに丁度いい。

その後、諏訪湖畔の「ホルツはつしま」でお昼を食べ、一旦家に戻り、長男は4時ごろの電車で東京へ。

あとでわかったことだが、昨日のライブに約束どおり矢ヶ崎君がきてくれていた。彼と思われる声が聞こえたが定かでなかった。金曜日に彼が店に来たとき、「琵琶湖周航の歌」が好きだといったが、歌詞がなくて歌えなかった。それでアンコールのあとみなさんと一緒に歌おうと思い、彼がいるか聞くと、次に行く会があって帰ったばかりとのこと。それで「琵琶湖周航の歌」は割愛し、We Shall Overcome を歌った。

あとから、彼がバラの花をもってきてくれていたことがわかった。そのバラの花は一日経ったら見事に開いて、それはそれはきれいだ。妻に、「無骨な」矢ヶ崎君がこんなきれいな花をもってきてくれるとは思わなかったな、というと、某有名デパートの役員だったんだからそりゃ違うわよ、というようなことをいった。色といい、花の開き具合といい実に見事で、写真に撮らずにはいられなかった。わが家の庭のバラの花は、開いたと思ったら虫が喰い、見るも無残な姿になってしまう。

 

June 19, Saturday 2004 「第8回ほたる祭りライブ」 

第8回ほたる祭りライブ、多くの方々のご協力を得て無事終了しました。ありがとうございました。

ほぼ定刻の午後7時、昨年冒頭で歌い大失敗した「その人がこの町に嫁いできた頃」でスタート。昨年は4拍子のこの歌を3拍子で歌い始め、途中でやめるわけにもいかず、無理矢理ことばを押し込めて歌ったがひどい出来。そのことが気になり、他の歌にも影響を与え、ライブ全体としても及第点はつけられなかった。今年はちゃんと4拍子で。

今年再度この歌を歌ったのは、この歌に登場する「南信パルプ」が今年の6月で操業を停止したから。物心つく頃から南信パルプの煙を見て育ってきたので一抹の淋しさを禁じえない。あのひどい臭いがなくなったのは嬉しいのだが。2曲目は、ビートルズの When I'm 64 からアイディアをもらった「年をとって歯が抜け」。この歌にも、今年の夏、休止される「町営プール」が出てくる。時代は変わりつつある。いや、時代は変わった。


 

その後、「アルバカーキの空は今日も」「幼いころ野原には」「紙ヒコーキ」「父よ」「千の風」。そして皆さんと一緒に「ゴンドラの唄」と「ふるさと」。朗々としたいい声で歌って下さる方もいて、盛り上がる。休憩を入れる予定はなかったが、一緒に歌うつもりの「アリラン」と「琵琶湖周航の歌」のコードを書いた紙が見当たらない。急遽、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌って休憩。

休憩中に急いでその紙を見つけ、休憩後、客席の灯りがついているうちに、「風に吹かれて」「アリラン」をみなさんと歌い、2部に入る。「もう一度だけ」「前立腺肥大の歌」「ミン・オン・トゥイーのバラード」「宝福寺てに」「新しい光迎えよう」「碌山」を歌う。アンコールで「フリーウエイ101」、そして最後は「ガビオタの海」でしめるつもりが、歌詞カードが見つからず「あの果てしない大空へ」。

最後はみなさんと We Shall Overcome を歌って終了。開演後2時間以上もたっていたので「琵琶湖周航の歌」は割愛。

 

打ち上げにもたくさんの方が残って下さった。信大からはヨン先生、研究生のチェイさん、理学部大学院生の又木君。20年近く前松本予備校でぼくのクラスにいたという横内君。諏訪のLSECの方々。彼らと一緒にきたメキシコの留学生コレット。スイスのジャーナリスト、マルコ・カウフマン。それに6月から日本勤務になり香港から戻った横浜の境野さん。台湾への出張から朝もどり、そのまま辰野へ直行したとか。そしてオーリアッドを支えてくれる地元の方々。



そして最後は飛び入りライブ。水野哲男さん、赤羽真理さん、長島功さん、ふあさんが歌ってくれた。11時過ぎ、多くの方がお帰りになり、マルコは妻が松尾峡へホタルを見に案内する。残った者たちで更に飲み、語り、歌っているところへ、寝屋川の三宅健二さんが(綺麗な)奥さんと小学生の息子さんと入ってくる。息子にホタルを見せたくてやってきたとか。



ホタルを初めて見たというマルコは帰ってくるなり"It was amazing!"と興奮気味。妻によれば雨が降り始めていたが、ホタルは飛んでいたとのこと。最後にふあさんが It's A Hard Rain's A-Gonna Fall の彼の日本語バージョンを歌って、第8回ほたる祭りライブはすべて終了。



多くの方々にお世話になった。特に、中村東茂一さんには受けつけのお手伝いをしていただき、水野哲男さんには写真を撮っていただいた。ありがとうございました。

The first six photos by T. Mizuno & the rest by miura


June 18, Friday 2004

「第8回ほたる祭りライブ」はいよいよ明日。年1回の地元でのワンマン・コンサート。準備万端とはいかないが、昨年に比べると少し余裕がある。いいコンサートにしたいものだ。でもやはり少し緊張している。

9時過ぎ、中学時代の友人、矢ヶ崎和秀君が訪ねてくれた。2年前にお父さんが亡くなり、80過ぎのお母さんが一人暮らしをしているので、今辰野と東京を往復しているらしい。彼とは小学校、中学校を通して一度も同じクラスだったことはないが、共通の友人もたくさんいたし、存在感のある男だったのでよく知っていた。運動神経が抜群で、野球もバスケットも飛び抜けてうまかった。松商学園へ進学し、3年のときエースとして甲子園へ出場した。

その後、風の便りに彼の消息について聞くことはあったが、実際のところ、どうしているかわからなかった。5、6年前だったと思う、もっと前かもしれない。吉祥寺のマンダラ2でのライブに、かなり遅れてではあったが、顔を出してくれたことがある。中学の同窓会名簿に彼の名前を見つけ、案内のハガキを出したのだ。そのときはゆっくり話すことができなかった。だから昨夜はほんとうに久しぶりに、40数年ぶりに、話したことになる。

彼が「ゴンドラの唄」が好きだというので、ギターを弾いて一緒に歌った。低音のいい声だ。明日のライブにもくるといっていたが、かなり酔っていた。覚えているかどうか。

長男の伸也が今夜遅く明日の手伝いのために東京から戻ってきてくれた。帯広にいたら、こうはいかない。


June 17, Thursday 2004

開店後しばらくして「ジブラーンの会」の一人の方が、会を代表して土曜日のライブのために花を届けて下さった。ありがたいことである。

スイスのジャーナリスト、マルコ・カウフマンから今夜再度メールで、最終的に「ほたる祭りライブ」に来るという連絡が入った。先日信大で会ったときにははっきりしていなかったが、ヨン先生からも連絡があり、韓国からの研究生を含め4,5人で来てくれるとのこと。

閉店前に寄ってくれたほたる書房の田中さんを誘って松尾峡へ。上平出の駐車場へ車を入れ、いつもの方向に歩いて行こうとすると、彼がそっちは遠回りだといって逆の方向に歩き始めた。すぐに橋があり、それをわたると前方にホタルが飛ぶのが見えてきた。いつもはかなり遠回りしていたようだ。

最初ホタルはそれほどいないと思ったが、奥に進むにつれて、だんだんと増えてきた。例年と比較しても多いのではないかと思った。少なくとも、今年はかなり広い範囲にたくさんのホタルが光っているように思えた。月も星も見えないかなり暗い夜だったので、ホタルの光が際立って見えたのかもしれない。残念なことに、カメラをもっていくのを忘れてしまった。

昨年は松尾峡があまりにもきれいに整備され過ぎて風情がないと感じたが、今夜はそう感じなかった。慣れたからかもしれないが、ひとつは、昨年はトイレの建物が不夜城のように煌々とライトアップされて闇に浮かび上がっていたのが、今年はあまり目立たないようになっていたからかもしれない。あるいは11時を過ぎていたので、ライトが消されていただけなのかも。


June 16, Wednesday 2004

連日晴天が続いている。今朝などは梅雨の合間の晴天という感じではなく、夏の朝の感じだった。日差しが強く、影が濃い。気温はかなり高いが、湿度が低いので過ごしやすい。この天気が土曜日まで続いてくれるといいのだが。

今夜はお客さんがいなくなってから「ほたる祭りライブ」の準備。「幼いころ野原には」「セカンド・ウインド」「その人がこの町に嫁いできたころ」など、日頃歌っていない歌を中心に練習する。「幼いころ野原には」はいつ歌ってもいい歌だと思う。「宝福寺にて」は今までハーモニカをつけなかったが、今夜はハーモニカを入れてみた。

茅野からホタルを見に来たというお客さんに「どうでしたか」と聞くと、「いましたよ、でも去年のほうが多かった気がします」との返事。今年のほうが多いという人もいるし、「たつの新聞」にもそう書いてあったが、あまり晴天が続き湿度が低いのはホタルの発生にはマイナスかも。雨上がりの蒸し暑い夜がホタルの発生には適しているのかもしれない。

一度自分の目で確かめてみる必要がある。明日の夜、オーリアッドを閉めてから見に行ってみようか。


June 14, Monday 2004

梅雨の合間の稀に見る美しい一日。一昨日、石崎信郎さんから電話があった。仕事で長野にいるが月曜日に会えないかとのこと。今日の午前十時半に、中村ブンさんというシンガーとギタリストの箱守寿夫さんと3人で訪ねてくれた。石崎さんは、今は昔、ぼくがワーナーパイオニアから出した『私は風の声を聞いた』と『漂泊の友』のレコーディング・エンジニアだった人。そのことを知ったのは、去年10月のオーリアッドでのエミグラント・コンサートのとき。

中村ブンさんは昔、橘雄介さんの事務所に所属していて、みなみらんぼうさんやギタリストの千代正行さんをよく知っていたとのこと。ぼくは初対面だと思っていたら、一度ワーナーが企画したフィルムコンサートで会ったこともあるらしい。

橘さんの好意で、何度か、らんぼうさんと千代さんと同じステージで歌わせてもらった。長男の伸也が無認可の0歳児保育園でお世話になっているときに、らんぼうさんとひがしの君とぼくの3人で京都教育文化センターでチャリティーコンサートを開いたこともある。そのときは、谷山浩子さんも飛び入りで参加してくれた。伸也が今27歳ということは、もう27年も前のことだ。橘さんは現在、京田辺市の市会議員。


今日は一年でも数日しかないだろうというほどの素晴らしい天気。暑くもなく寒くもなく。だから家には入らず、外でお茶を飲み、お昼を食べた。昼食後、中村さんとぼくが何曲か歌いあった。彼は優しい声で優しいメロディの歌を歌う。彼もギタリストの箱守さんもガットギターだ。今年のうちに彼のコンサートがオーリアッドで開けそうだ。





中村ブンさんは俳優としても多くのテレビドラマや映画に出演しているようなので、知っている人も多いだろう。彼のホームページは次のURLから。http://www.ne.jp/asahi/bun/cyan/

午後は、マディ・ウオーターズの3枚の復刻版のライナー翻訳の校正。ほとんど校正は済んでいたが、2、3箇所、オリジナルの英語に照らし合わせる必要があった。しかし、ぼくの悪い癖、英語版ライナーが、足の踏み場もないぼくの部屋のどこかに紛れ込んで見つからない。探すのに時間がかかってしまった。なんとか月曜日中には送るという約束を果たすことができた。


June 13, Sunday 2004


日曜日は本来休日だが、今日は店を開けることにした。「ほたる祭り」の最大イベント「町民総おどり」の日で、伊那富橋から下辰野の四つ角まで歩行者天国になり、かなりの人出が予想されるからである。

ぼくは午後6時から今村区の連に加わり「総おどり」に参加した。従来「ほたる小唄」の踊りは、前に進み、そして後ろに下がり、また前に進みと、なかなか進まない。それで、今年は新しい振り付けで、後ろに下がる部分をなくしすべて前進ということになった。その速いことはやいこと。40分の休憩前に、最初にすれちがった連と再び出会い、出発した地点にかなり近づいていた。去年までは最後まで踊っても、半周できるかどうかだった。

休憩時間にオーリアッドに戻り、総おどりが終わったあとに入ってくるであろうお客さんを待った。期待したほどではなかったが、一時はオーリアッドのテーブルすべてにお客さんがすわっていた。普段では考えれないほどの盛況。

10時過ぎ、カウンターには大月高志さんがすわっていて、いつものジャックダニエルズを飲んでいた。そこへ長島功さんが入ってきて横にすわった。しばらく話しているうちに、X-Japan の話になった。大月さんは武道館へ3度も彼らのコンサートを見にいったとのこと。そこでお願いして、Endless Rain を弾いてもらった。この曲は母の葬儀のとき長男の伸也が弾いた曲。初めてオーリアッドに Endless Rain が鳴り響いた。

その後いろいろ話しているうちに、去年の今日(6月13日)、オーリアッドを再開したことを思い出した。そこで大月さんはジャックで、長島さんと妻はコーヒーで、ぼくは「いいちこ」のお湯割りで、乾杯!多くの方々の協力を得てなんとか一年つづいてきた。ありがたいことである。


June 12, Saturday 2004

垣内彰氏プロデュースによるYAMA-SHOWSの2回目のオーリアッド・コンサート。今回はレギュラーメンバーに加えて、ベースに岡本さん、パーカッションに「はた坊」を迎えてのフルメンバー。迫力あるロックンロールを展開した。

午後3時過ぎセッティングを開始し、3時半からリハーサル。ぼくは、ミキサーの音のバランスをとってから、しばらく2階へ行き、マディ・ウオーターズ復刻3部作のライナーの翻訳の校正。月曜締め切り。5時半ごろ下に降りるとまだリハーサル中。アンコール用の「虹」を歌っている最中だった。

少し遅れて7時40分開演。前半歌った歌は「君への想い」「だしおしみ」「大人になるってこと」「やさしさ」「Home Town」「献血したいぜ」「ゼロ」。松本や大町からきた若い女性のファンが多く、いつものオーリアッドとは一味違った喚声、熱狂に包まれた。




15分の休憩後、「オレソン」「プレゼント」「不倫の恋」「こころ」「菜の花」「抱いてくれ」「強気の男」。そしてアンコールに「虹」「ロードソング」。後半最後の2曲のロックンロール「抱いてくれ」「強気の男」で、会場は最高に盛り上がった。

メンバーがステージを下りたあとも拍手は鳴り止まず、4人は再びステージに上がり、「虹」を歌う。いい歌だ。親元を離れて生活している人、あるいは、したことのある人で、「どこでも調達できるもの」がいっぱい入った小包を受け取ったことのある人は多いだろう。子供の気持ち、親の気持ちが、見事に歌いこまれた歌。Over the Rainbow にも通じる恋人へのやさしい気持ちも。



今夜のYAMA-SHOWSのコンサートから伝わってきたことは、前回にもまして、彼らが音楽を楽しんでいるということ。もっちゃんのリズムギター、ボーカル、くのやんのリードギター、ボーカル、岡本さんのベース、はた坊のさまざまな打楽器。それらすべてがひとつになり、印象深いコンサートになった。

コンサート終了後しばらく休憩。都合でコンサート後に到着した大月高志さんにピアノを弾いてもらう。最初は「イエスタデイ」をBGM風に演奏していたが、「ゲット・バック」をブルーズ風に弾き始めると、岡本さん、はた坊も加わり、セッションが始まった。見事な演奏。最初はおしゃべりしていた人たちもみなステージに集中。そのあと信大生の中覚史君がブルーハーツの「ラブレター」を歌うと、もっちゃんが触発されたのか、「青空」を歌った。確かにYAMA-SHOWS とブルーハーツには共通するところがある。



コンサートが始まってからオーリアッドに入ってきた人たちは、壁面にふたりの大きな顔が浮かび上がっていて驚いたことだろう。垣内彰氏の写真が印刷されたバナーである。

 



June 11, Friday 2004

閉店近くになって母の主治医であった土屋先生来訪。伊那で開かれた疥癬に関する講演会に出席した帰りとのこと。「レイ・チャールズ」が亡くなりましたね」というと、「えっ」と驚いていた。スピーカーからは初期のブルーズが流れていた。St. Louis Blues が流れてくると、「これはW.C. ハンディのセントルイス・ブルースだね」という。かなりブルーズに詳しいようだ。そして、数曲後にトランペットが聞こえてくると喜んで、「ジャズのミュージシャンではルイ・アームストロングが一番好きだ」という。曲は、Savoy Blues。どうも先生は言葉のある歌よりも、器楽だけの曲のほうが好きなようだ。

結局勧められるままにぼくも飲み始め、最終的に家に帰ったのが1時半。先生と話していると、宗教、哲学、心理学、物理学と話題が豊富で飽きることがない。

レイ・チャールズといえば、いい歌がたくさんあるが、ぼくが一番好きなのはGeorgia on My Mind。それに、We Are the World の making のフィルムでのレイ・チャールズも忘れがたい。本当に天才という名にふさわしい人だった。

明日はYAMA-SHOWSコンサート。7時30分開演。コンサート終了後は通常営業。


June 10, Thurday 2004

前半、「セカンドウインド英語教室」。中一クラス。スタートして2ヶ月半。英語のリズムの訓練をしているが(といっても、ぼくのあとについて読ませたり、英語の歌を歌ったりしているだけだが)、全員、ほぼ完璧に英語のリズムと音を獲得した。大学生だとこうはいかない。やはりできるだけ早い段階で、英語の音声の訓練をすべきだ。

後半、「ほたる祭りライブ」のための練習。今晩、電話で宮田村の川手さんから「ほたる祭りライブ」の予約が入った。友人と友人の息子の3人で来てくれるとのこと。その高校生の息子が「フリーウエイ101」が好きで毎日聞いているので、是非歌ってほしいと頼まれた。リクエストがあればどの歌でもできる限り歌うようにしてきたが、さて困った。この歌はCDではスプリングスティーン風のアレンジで、ものすごいドライブ感がある。ぼくのギターではあの疾走感は出せない。とにかく今夜何度か歌ってみた。もう少し練習すれば、CDのようには演奏できないが、ライブでも歌えるかもしれない。

   夕べはテキーラをしこたま飲んだ
   世界はまだ回ってるみたい
   朝の冷たい風がほほをなぜる
   北へ向かうフリーウエイ101
   左には太平洋、右にはコースト・レインジ
   どこまでもつづく青い空
   サンタマリア、サンルイスオビスポ
   マウンテンビューまでまだ遠い
   So keep on driving, yeah, keep on driving
   Driving on Freeway 101

時々この歌がいいという人に出会う。この歌はぼくが書いた言葉に中井(一朗)君が曲をつけたもの。確かにぼくの典型的なメロディやリズムとは違っている。実は先日の河芸町西教寺でのコンサートでも高校の先生からこの歌をリクエストされた。その時はお断りせざるをえなかった。

12日(土)は辰野町のほたる祭りの初日。駅から伊那富橋まで歩行者天国になる。オーリアッドでは、YAMA-SHOWSコンサート。コンサート終了後は通常営業。13日(日)も歩行者天国。夕方1時間半ほど、辰野町の各地区や団体が参加する総おどり大会。ぼくも今村区のおどり連の一員として参加する予定。オーリアッドは通常、日曜休業だが、この日は午後6時から営業予定。辰野のほたるを見に来る方がいましたら、お寄り下さい。


June 9, Wednesday 2004

ジブラーンの会の方が4人お見えになった。月に1回オーリアッドに集まって、昔訳した『預言者』の中の数章を読んだり、おしゃべりをしたりしている。ぼくも参加できるときは参加させてもらっているが、できないことが多い。今晩もセカンドウインド英語教室で学ぶ高校生が質問にきたりして、参加できなかった。

今晩は前回に引き続き「食べることと飲むことについて」、そして「仕事について」を読んだようである。

  仕事は目に見えるようにされた愛である。もし愛をもって
  働くことができず、ただいやいや働くのなら、働くのをや
  めて、寺院の門にすわり、喜びをもって働く人々の施しを
  受けたほうがましである。

  もし心を込めずにパンを焼くならば、あなたは苦いパンを
  焼いて、人の空腹の半分しか満たすことができない。もし
  いやいやながらブドウをつぶすならば、その気持ちがワイ
  ンの中に毒を生じさせる。

  そしてたとえ、あなたが天使のように歌うことができても、
  歌うことを愛していないならば、人々の耳を塞いで、昼の
  声や夜の声に耳を傾けることを不可能にしてしまう。
                 「仕事について」より

スイスのジャーナリスト、マルコ・カウフマンより7月19日の「ほたる祭りライブ」に来たいとのメールあり。田中誠一君より、7月10日の大工哲弘さんのコンサートの予約6名が入る。彼の漫画家仲間がきてくれるようである。齋藤皓太さんよりメールあり。7月31日の飛び入りライブに歌いにきたいとのこと。「何もない青空」をまた聞くことができる。新曲もあるかもしれない。



June 5, Saturday 2004

飛び入りライブデー。今日のメインは「香月!」。オーリアッド3回目の登場。「香月!」目当ての小さなお子さん連れのお客さんも多かったし、ステージのセッティングの関係もあり、先ず「香月!」に登場してもらう。彼らに関して驚くことはその度に新しい側面を見せてくれること。今回は電子ピアノを多用したアレンジだった。前回は2台のギターのアンサンブルの妙を堪能させてもらった。

 

セットリストは、
「X〜微熱の街〜」「しっぽのキモチ」「Strawberry Night」「だるまさんがころんだ」「24・7」「余白」「しろうさぎなまいにち」「誕生〜Brandy Egg Nogg」。そしてアンコールで、「Ann〜ラストソング〜」。

一回聞いただけでは聞き取れないが、「香月!」の歌の歌詞はなかなかのもの。例えば、「Strawberry Night」の最後の部分はことば遊びもあったりして面白い。

   ルーズなルージュと深紅のシルクの夢の night
   不実な果実も齧れば paradise… strawberry
   ピンクの禁句もリズムに乗せれば so very fine
   愛撫もライブも感じるままに strawberry night

アンコールの「Ann〜ラストソング〜」は、いつ聞いてもいい。そのメロディラインの美しさは格別である。

 

10分ほどの休憩後、ぼくが歌う。「ほたる祭りライブ」に都合で来れないので、今日歌ってもらえないかと頼まれていたのである。昨日の日記に書いたように、6月4日は、15年前、天安門に民主化を求めて集まっていた若者たちが当局によって力づくで排除された日。まずそのころ書いた「ミカイル・Gへ」「セカンド・ウインド」を歌う。さらに「ジョン・レノンに捧げる歌」「碌山」「アルー」「丁度よい」など。

次に堀内千春さんが韓国語で「故郷の春」「果樹園への道」、そして日本語で「冬の星座」。季節外れの「冬の星座」を歌う理由を述べていたが、思い出せない。次に現代座という劇団の俳優、中村保好さんが、現在長野県の各地で公演中の「虹の立つ海」の劇中歌を、大月高志さんのピアノ伴奏で歌う。劇の中では2人の女性と一緒に立って歌うとのこと。

 

この劇は「埋め立てられた浜辺」を舞台に、「現代に絶望した老人」と「未来の少女」との出会いを通して環境問題への意識を啓発する劇とのこと。 7月13日(火)には塩尻のレザンホールで公演される。詳しくは現代座ホームページ参照。http://www.gendaiza.org/

次に藤森和弘さん。飛び入りライブで歌うのは2回目。「ジープ」を歌ったところで、中村保好さんを連れてきてくれた工藤順子さんから「順子」のリクエスト。そして最後に「幸せになろうよ」。風邪を引いていて声が出ないといいながら、なかなかの歌い振り。

ここで今日の「飛び入りライブ」終了、と思いきや、小さな可愛いふたりのピアニストによる前衛風連弾。そして最後の最後、ピアノの連弾中に都合で遅れてきた赤羽真理さんが、「風車」「陽のあたるところ」「人生の海の嵐」を歌う。「風車」は初めて聞いた。



さまざまな歌、さまざまな歌い手。そして、さまざまな「飛び入りライブ」。面白い。

そうそう今日は、大月さんが昨夜設置してくれた装置のおかげで、ボーカルにリバーブがかかっていた。ひょっとしたらぼくの声もいつもよりよく聞こえたかも。普通ぼくはどこへ歌いに行ってもリバーブを切ってもらうが、「ほたる祭りライブ」までに、リバーブについて研究してみる必要がありそうだ。


June 4, Friday 2004

ちょうど15年前、つまり1989年の6月4日、民主化を求め天安門広場を埋め尽くす学生や市民を排除するために、何台もの戦車が天安門広場に進入した。寝転がってテレビを見ていたら、一人の若者が戦車の前に立ちはだかる映像が目に入ってきた。思わず起き上がり、その一部始終を見た。最後に連行されたあの若者は今はどうなっているのだろう。

そのころからぼくは再び歌の活動を始めた。その年の10月にはベルリンの壁が崩壊した。世界は確実にいい方向へ向かっていると確信した。

 ひとつの時代が終わりを告げ、新しい時代が今始まる
 長い暗い道は終わり、風が向きを変える
 1968年プラハに吹いた風は、1989年天安門に吹き荒れ
 やがてベルリンの壁を崩し、チャウセスクの心臓を吹きぬけた

今、あまりにも楽観的であった自分自身を恥じる。しかし、長い目で見たら、ぼくが生きている間は無理としても、人類が、人種や宗教や思想の違いを超えて共存する方向へ向かっていると信じたい。それにしても、活動を再開してからもう15年も経ってしまったのだ。嗚呼!

閉店まぎわ、「香月!」の大月さんと栗林(いがらん)さんが入ってきた。玄米カレーを食べたあと、大月さんが、明日の「飛び入りライブ」のために、オーリアッドのPAシステムにリバーブを設定したいとのことで、なにやら装置を取り付けた。若干の試行錯誤のあと無事セッティング終了。しばらくこの装置を貸しておいてもらえることになった。

明日の「香月!」の飛び入りライブ出演について、昨日の「たつの新聞」に載せた「ほたる祭りライブ」の広告の下に1行、<6月5日(土)には、辰野町在住の大月高志さんのバンド「香月!」のライブがある>とつけ加えた。大月さんの周りではかなり読んだ人がいたようだ。そのうちの何人かは聞きにきてくれるとのこと。しかし、バンド名を「かげつ」と読んだ人が多かったようである。「こうげつ」が正しい読み方。そうそう、「!」もバンド名の一部で、重要な要素らしいから、「こうげつ!」が正しい。


June 3, Thursday 2004

前半、セカンドウインド英語教室。裏のドアからオーリアッドに入るとカントリーが流れている。ハンク・ウイリアムズの I'm So Lonesome I Could Cry だ。にぎやかな話し声も聞こえてくる。カントリーはその中の一人の方のリクエストとのこと。

  あの孤独なヨタカの鳴声
  飛ぶこともできないほど悲しそう
  遠くに聞こえる、夜汽車の音
  俺はさみしくて今にも泣きだしそう

  駒鳥の啼き声を聞いたことがある?
  木の葉が落ち始めるころ
  生きる気力を失してしまったように啼くよ
  俺もさみしくて今にも泣きだしそう

  音もなく落ちる流れ星が
  一瞬、紫色の空を染める
  おまえは一体どこにいる?
  俺はさみしくて今にも泣きだしそう

後半、店は静かで、昨夜長島功さんが弦を支える棒を固定し、弦を変えてくれたギターを少し弾いてみた。蜂に刺された親指を今日治療してもらい、包帯が巻いてあるので、うまくネックを握れない。音が少し固い気がしないでもなかったが、いい音だ。


June 2, Wednesday 2004

先週土曜日以来のオーリアッド。今、家の庭にはあまり花が咲いていない。マーガレットとレモンバームとシダの葉をオーリアッドのテーブルの上に飾る。白と緑だけだが、これがまた清楚でいい。

午前中、家のまわりの草を刈っているとき、左手の親指の腹を蜂に刺された。親指が使えないということがこんなに不便だとは思わなかった。河芸町へ歌いに行く前にギターの弦を変えるつもりだったが、時間に追われてできなかった。それで、今日オーリアッドに入ってから、変えようとしたのだが、親指の刺されたところがあたると痛くてあきらめた。そこへ長島功さんがやってきた。

お願いすると彼は手馴れた手つきで弦を変え始めた。しばらくして彼は、ネックと糸巻きの間の白いプラスティックの棒が剥がれているといった。この状態だと弦がブレて音がびびるとのこと。彼はもっていた接着剤でその白い棒を固定し、弦を変えてくれた。助かった。

先週の金曜日からアイスコーヒーを始めた。3月のまだ寒いうちに、入ってくるなり「アイスコーヒー」という年配の人がいた。「まだやっていないんですが」とお断りすると、「じゃあ、ホット」といってブレンドを飲んでくれた。同じことが数度繰り返された。その人はしばらく顔を出さなかった。今晩久しぶりに彼が入ってきた。彼が口を開く前に、ぼくのほうから「アイスコーヒーありますよ」というと、彼はにっこり笑った。

彼はいつも本棚の横の1番テーブルにすわり、おいしそうに煙草をくゆらせながら、長い間かけてコーヒーを味わう。彼のことについては何も知らない。オーリアッドが彼にとって、ひとときのやすらぎの場であればいいのだが。