OREAD Diary
February 1-28, 2011
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February 28, Monday 2011
朝から、来年度の前期後期のシラバスをオンラインで書き込む。雛形があるのでそれをもとにして書けばいいのだが、途中、2度も切断してしまい、結局終わったのは、お昼過ぎ。
家人と前から約束していた映画『ソーシャル・ネットワーク』を見に行く。岡谷のスカラ座。近くのレストランで早い夕食をすませ、開演5時半の5分前に館内に入る。一組のカップルがすわっているだけ。思わず「お邪魔してすみません」と軽い冗談が出るほど。そのあとひとりの男性が。今日アカデミー賞の「脚色賞」「編集賞」「作曲賞」を受賞した作品なので、もうすこし込んでいると思ったのだが。
率直な感想は、面白くなかった。途中居眠りをして、家人に起こされた。最後、まだストーリーとして20分は残っているだろうと思い、トイレに行って戻ってきたら、スクリーンにはエンドロールが、ビートルズの Baby You're a Rich Man と共に、流れている。
映画館に映画を見に行って結末を見なかった映画はこれが初めて。どうも落ち着かないので、家に戻り検索したら、スクリプトが出てきた。早速、見逃した部分のスクリプトを読む。映画の冒頭に出てきた Facebook をつくるきっかけとなった喧嘩別れしたエリカという女性の名前を、主人公のマークが Facebookのサーチ欄に書き込む。彼女の名前と写真が出てくる。マークの言動に傷ついた彼女も Facebook に登録していたのだ。映画は、マークが"Add as a friend" をクリックし、その返答を待っているところで終わる。ちょっといいシーン。映像を見たかったな。
映画が気に入らなかった理由はいくつかあるが、そのひとつは、ぼくが60年代に経験したアメリカの大学の排他的なフラターニティ(男子学生クラブ)とソローリティ(女子学生クラブ)の馬鹿げたパーティのシーンが何度も出てきたこと。あの頃、ぼくの友だちの間ではこのWASPのエリート主義的排他的クラブは評判が悪かった。
明晩は上伊那農業高校定時制の最後の卒業生の予餞会で30分ほどのトークライブをすることになっている。3月末をもって、長い歴史をもつ上農の定時制は終わりを告げ、箕輪進修高校の定時制と統合されるとのこと。
February 27, Sunday 2011
うわっ。もうあと一日で2月も終わり。もう新年が始まって2ヶ月が経ってしまう。信じ難い。午後、3種類のライナー訳の校正。夕方、送る。
次男は今日からクライストチャーチの病院でボランティアとして働き始めた。彼が2年前にもう一度学校に戻って看護の勉強をしたいと言ったときは驚いたが、しばらくしてとてもいい選択をしたと思うようになった。彼の性格に合っている。ボランティアの仕事は学校から看護科の学生に要請があったようだ。彼の学校 (Christchurch Polytechnic Institute of Technology)は、地震の被害が多かったところに極めて近い。学校のサイトを見ていたら、2つのキャンパスのひとつは、規制線の中にあるとのこと。
夜、LSECのクラス。先月から短い文章を正しいリズムで読み、それを翻訳するという試みを始めた。無味乾燥な文章では面白くないので、心に残る名言のような文章を探しているが、今日読んだものの中に、次のような一節があった。
Beginning today, I will look in the mirror and I will see a person worthy of my respect and admiration. This capable person looking back at me is someone I enjoy spending time with and someone I would like to get to know better.
これはなかなか含蓄のある言葉だ。スティーブ・ジョブズは鏡を見て、今日が最後の日だったら、今日これからしようとしていることをしたいと思うだろうか」と自問したが、この文章の主人公は鏡の中に何を見ているのか、見たいと思っているのか。
今夜のクラスでは正解者は一人。なかなか難しかったようだ。みなさんならどう訳しますか。いい訳が出来た人は miura@secondwind. jp までお送りください。正解者には、何らかのご褒美を。間違えた方には、添削してお返しします。正解者、不正解者の氏名を公表することはありません。
February 26, Saturday 2011
夜、オーリアッド。オープンマイク。久々に「六朗」を歌ったあと、原田和恵さんにお願いする。ご両親にプレゼントした沖縄旅行の話をされたあと、「ふれあい」を歌い、続いてピアノで「G線上のアリア」、そして「God Bless You」。藤森和弘さん、今日のギターは Gibson Advanced Jumbo とのこと。「今日は土曜日」「愛音」、カバーで「悲しい時には」。
本日初登場は今井俊行さん。今日は見学だけとのことだったが、無理やりお願いしてステージへ。手馴れた手つきで、ペグをまわし、変則チューニングに。そして弾き始めた。おじさんたちはみんなびっくり。見事な演奏。マイケル・ヘッジズの曲とのこと。
続いて原田和夫さん。沖縄旅行の話。ひめゆりの塔の前では涙がとまらなかったとのこと。ジンベイ鮫の大きさに驚き、ホエールウオッチングに感動し、沖縄の人たちの人情に胸を熱くしたお話し。素晴らしい一週間だったようだ。
赤羽真理さん、「森の小道」「千両梨の実」、そして「今すぐに」。クライストチャーチの行方不明者の方々が「今すぐに」救済されることを願わずにはいられないが、報道で知る限り、なかなか難しいようだ。赤羽さん、しばらく体調を崩していたようだが、カメラのファインダーを通して見る限り、体力&気力が回復してきたようだ。
ここで休憩。原田さんの沖縄土産の「紅いもタルト」をいただく。スピーカーからは Simon & Garfunkel の「ボクサー」。休憩時間に、マイケル・ヘッジズの曲を演奏した今井さんと話す。驚くことに次男の中学のときの同級生で、わが家にも遊びにきたことがあるとのこと。
後半。今井さんが次男の同級生と知り、クライストチャーチに住む次男と地震の話を少しして、「バード・オン・ザ・ワイヤー」と「祈りの歌」。続いて原田和恵さん、英語の歌のあと「そばにいるよ」「君は愛されるため生まれた」。藤森さん、沖縄の土産話を受けて「花」。そして「思い出まくら」と「元気だしていこう」。赤羽さん、「私を待つ人がいる」「人生の海の嵐に」。
そのあと、赤羽、藤森、原田、3曲目からは三浦(薫)も加わって、「私を待つ人がいる」「イチゴ白書をもう一度」「風」「あの素晴らしい愛をもう一度」。楽しいひととき。
February 25, Friday 2011
いよいよ春の気配。昨年5月、家の前のイチイの木に取り付けた巣箱でシジュウカラの雛が4羽孵った。昨日も今日も、そのシジュウカラが飛んできて、巣を覗いている。中には入らなかった。ひょっとしたら去年育った4羽のうちの1羽か。今日はそのあと、キジバトも飛んできてイチイの木にとまった。キジバトも去年の秋、そのイチイの木に巣をつくり2羽の雛が孵ったが、そのときのキジバトだろうか。
もしシジュウカラとキジバトが同時に卵を産んだらどうしよう。そのイチイの木はぼくの仕事部屋のすぐ近く。落ち着いて仕事ができないかも。
午後、新年度のシラバスをオンラインで入力しようとしたが、上手くいかない。教科書一覧のファイルが開かない。doc.は開くが、docx.がついたものが開かない。締め切りは来週月曜日。事務局に電話してpdf で送ってもらい事なきを得た。
夜、オーリアッド。今から17年ほど前、クライストチャーチへ一緒にいった当時町の職員だった方から電話があった。開口一番その方は「えらいことになりましたね。私たちが行ったあの町ですよね。あの塔にも上りました。上った記念の証明書をいただきました」。
それで思い出した。そのときクライストチャーチへ行ったのは、後に町の姉妹都市になるワイトモを当時の町長さんや何人かの議員さんと一緒に訪問したときである。もちろん木名瀬先生も一緒だった。ぼくもその証明書をもらった記憶がある。
ライナーノートの訳を校正したら、自分で書いたのにうまく意味が取れないところがいくつか。元の英語とは関係なく日本語として読みやすい訳がいいと言う人もいるが、ぼくはどちらかというと、直訳型で、英語のニュアンスが残っている訳を好む。しかし、意味が取れなかったらどうしようもない。ああでもないこうでもないと頭をひねる。前にも書いたが、この「ああでもないこうでもない」時間はぼくにとってはもっとも楽しい時間。忘れ物の多い最近であるが、「ああでもないこうでもない」と考えていると、正に時間を忘れてしまう。
February 24, Thursday 2011
朝、中学へ読み聞かせに。『追憶の60年代カリフォルニア』の14章「サウンド・オブ・サイレンス」の抜粋を読み、最後にこの歌の1番と2番を歌う。読む前に、「サイモンとガーファンケルを知っている人?」と聞くと、後ろのほうで「はい」という声。よく見ると、担任の先生だった。40人ほどの生徒は誰も知らなかった。予測はしていたが、「やはり」という感じだ。「明治は遠くなりにけり」ならず、「60年代は遠くなりにけり」である。
今日も次男に電話を入れる。壊れた友達の家の片付けを手伝いに行ってきたとのこと。途中道路が液状化状態のところがあったようだ。日本のレスキュー隊も現地で救助作業を開始したが、完全に崩れ落ちた建物の状態から察するに、生存者がいる可能性は少ないだろう。
木名瀬先生にお電話をする。先生はクライストチャーチにたくさんの友人を持っておられる。さぞ心をいためておられるだろうと心配していたが、91歳とは思えない元気な声。次男夫婦や何人かの共通の友人の無事を伝える。
ぼくが初めて先生のお会いしたのは、20年ほど前のこと。先生はそれまで勤めていた大学の学生を連れて何度もニュージーランドへ研修旅行に行かれたとのことで、いろいろお話を伺った。オークランドといえば、カリフォルニアのバークレーの近くの町だと思っていたぼくは、ニュージーランドにもオークランドがあると知って驚いた。もちろんクライストチャーチという町の名前は先生から初めて聞いた。
その後、先生にお供して何度かこの町を訪れた。こんな美しい町が地球上にあるのかと思った。大聖堂を最初に見たのも先生に連れられて、この町にあるヒルモートン高校を訪問したとき。次男がヒルモートン高校へ留学したのはその時の縁である。一緒に学生を引率して行ったことも何度かある。「ポカレカレアナ」という歌も先生から教わった。
しばしクライストチャーチの思い出話。近々またお電話することを約束して電話を切る。
7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。スピーカーからはサイモンとガーファンケル。メロディは聞いていたが、内容にまで注意を払わなかった歌にもいい歌があるあることを最近知った。America, Song for the Asking , For Emily, Feeling Groovy など。しかし、ぼくが今一番好きな歌は The Boxerである。
年月は足早に過ぎ去り
前よりは波風が立たなくなった
ぼくは昔より年を取り
未来の自分より若い
でも珍しいことじゃない
決して不思議なことじゃない
どんなに変わったように見えても
人は本質的には変わらない
どんなに変わっても
本質的には何も変わらない
太田君がブログを始めたようである。彼の即興のサックス演奏が素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=5byxUez97JY&feature=player_embedded#at=12
February 23, Wednesday 2011
ここ数日は外に出ることもなく狭い仕事部屋にこもっていた。今朝は暖かいし、太陽も輝いている。朝食後、外に出て、セロトニンを増やそうと太陽に向かって自己流体操。下を見ると、福寿草が咲いていた。小さなスノードロップも。不思議なことに、福寿草の花を見ただけで元気になった。家人に話すと、昨日は咲いていなかったとのこと。今朝、太陽の光を浴びて初めて花開いたのだろう。しばらく楽しませてもらえる。
フィービーも今年最初の木登り。ソフィーは外に出るのを嫌がった。寒がりやである。
昼過ぎ、二校用のDVDが届く。1時間ほどのプログラムが2まい入っている。ここまでくるとそれほど時間はかからない。ひとつは6時ごろ、もうひとつは9時過ぎ送ることができた。Making of The Bridge Over Troubled Water. 感動的である。
その後、オーリアッドへ。家人と交代。
まだ多くの人が生き埋めになっているようである。一刻も早く救出されんことを。
February 22, Tuesday 2011
クライストチャーチのシンボルであるこの美しい大聖堂の塔が真ん中から二つに折れ、上の部分が下の部分の横に並んで写っている映像を見たときは驚いた。(と、思ったのはぼくの間違いだった。横に並んでいたと思ったのは、この写真に写っている礼拝堂だった。ということは、塔は礼拝堂の屋根の先端とほぼ同じ高さのところから崩れ落ちたことになる。)
午前中連絡が取れなかった次男から、午後電話があり、一安心。地震が起こったとき、ポリテクニックの図書館にいたとのこと。本が飛び出たり、ガラスが割れたりしたらしいが、建物自体は無事だったようだ。ポリテクニックから大聖堂までは1.5キロほど離れているとのこと。図書館にいた人たちはみんな机の下に避難したらしい。
この写真は2005年12月に、彼の卒業式に行ったときに撮ったもの。この塔の上まで何度か上ったこともある。
安否の確認がまだとれていない人が何人もいるようである。その中には日本人の学生も含まれている。彼らの無事を祈りたい。そしてすみやかなクライストチャーチの町の復興を。
February 21, Monday 2011
ようやく昼を過ぎてから、DVDの監修を送る。
February 20, Sunday 2011
Amazon.com に注文していた Old Crow Medicine Show のアルバムが数日前に届く。今日仕事の合間にようやく聞いた。ブルーグラスの軽快なリズムが気持ちを持ち上げてくれる。一番気に入ったのは、やはり松本のサウスバウンド・シックスがオーリアッドで1ヶ月ほどまえ演奏した Wagon Wheel。
今日中にDVDの字幕の監修を済ませて送りたいと思ったが、いくつかの難所で立ち往生。3分の2ほどを送り、あとは明日ということにさせてもらう。
いくつかの難所について Facebook で問い合わせてみたら、何人かの方々から即座に答えが返ってきた。日本の真夜中は、アメリカ西海岸の朝。ちょうどいい時間だった。今回のエジプト革命では Facebook や Twitter が大活躍したという。Facebook にあまり熱心でなかったが、これはすごいシステムだと思うようになってきた。しかしまだ Twitter を始めようという気には至っていない。
家人は今朝早く(義理の)叔父さんの一周忌の法事に出かけ、夜遅く戻ってきた。知多半島先端の美浜町。昨年はぼくも一緒に行ったが、今回は仕事の関係で失礼させていただくことに。
February 19, Saturday 2011
字幕監修の仕事に追われ寝不足が続いている。しかもちょっと風邪気味。最悪の体調だったが、不思議なことにオープンマイクが終わる頃には体調、気分ともに上向きに。声を出すことは身体にいいに違いない。しかし何と言っても歌いにきてくれる方々の笑顔が一番のクスリ。
ぼくが歌えるサイモンとガーファンクルの歌は「サウンド・オブ・サイレンス」と「スカーボロ・フェア」。それを歌ったあと藤森和弘さんにお願いする。先ず、「もうすぐ一年生」の「一年生」を「二年生」に変えて歌う。続いて「人生に勇気」「子守唄のように」。そして久々に聞く「住み慣れたこの町で」。続いて赤羽真理さん。「愛に生き、平和に生き」「御言葉なる」を歌ったあと、「花は黙って咲き、黙って散って行く〜」と歌い始めた。「花語らず」だ。赤羽さんが歌う「花語らず」を聞きながら、柴山全慶老師のことを、そして福島慶道老師のことを思った。
そのあとぼくが「レナード・コーエンに捧げる歌」と「花語らず」を歌う。福島老師を通して南禅寺から許可をいただき、この歌を『ガビオタの海』に入れたのはもう10年以上も前のこと。もう一度これをシンプルにレコーディングしなおしてもいいかもしれないと思い始めた。ここで休憩。
後半は先ず、藤森さん、2週間前「きらきら音楽旅団」のベーシストとして参加してくれた松橋亮輔さんのパーカッションのサポートで「長い夜」。そしてソロで「君が好きさ」と「今日は土曜日」。次に赤羽さん、「森の小道」「人生の嵐に」のあと「千両梨の実」を松橋さんと一緒に。その後、松橋さんにソロをお願いする。硬い乾いた音が、高く低く、強く弱く、響き渡る。ベースが専門かと思ったら、ドラムズとのこと。納得。次にぼくが「ガビオタの海」を松橋さんのサポートで歌い、続いて藤森さんにも入ってもらい、3人で We Shall Overcome 。
気づいたら、2番テーブルに一人の「酔っ払い」が。赤羽孝昌さんだ。「みんな違ってみんないい」を歌ってもらおうと思ったら、歌詞が思い出せないとのこと。そうこうしているうちに、藤森さんがギターを弾き始めた。イントロを聞いただけで、新酒の利き酒会に行って酔っ払ったという赤羽(孝)さんにぴったりの選曲だと思った。「酒と涙と男と女」。孝昌さんがその歌を歌ったあと、藤森さんソロで「ほろ酔いで」。最近は北海道の師匠の歌ばかり歌っていた藤森さんだが、彼が歌う河島英五の歌もなかなかいい。藤森さんの音域に合っているような。赤羽(真)さんに最後1曲歌ってもらったあと、最後の最後、松橋、赤羽(真)、三浦で Amazing Grace。
10時半、オープンマイク終了。その後しばらく歓談。みなさんがお帰りになったあと、赤羽孝昌さんと久しぶりに話す。お元気そうで何より。
家に戻ると、今夜も大きなお月さんが頭上にくっきり。あちこち溶けずに残っている雪が白く浮かび上がる。
February 18, Friday 2011
今夜は満月。夜には晴れ上がってお月さんが綺麗に見えた。聞くところによると、今月は Full Moon in Leo (獅子座の満月)とのこと。獅子座の満月は、個人の創造性を高めることによって多くの人と共感の絆を深めることができる時だとか。Not bad.
Full moon in Leo. Photo by miura.
Mr. & Mrs. Harada in Okinawa on vacation. Photo taken and sent by their
daughter Kazue.
February 17, Thursday 2011
今日も終日、字幕との格闘。午後何とか1本目の監修をすませ、送る。続いて2本目に入る。こちらのほうが量は圧倒的に多いが、修正すべきところは少ないようだ。できたら明日の午後には送りたい。
7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。2週間ほど前、lactation consultant (授乳コンサルタント)の資格更新のための書類を翻訳してほしいと頼まれたが、その方がお見えになっていた。かなりの量。全部訳すのは大変。お会いして更新申請書記入に必要なところだけ口頭でお伝えすることに。1時間ほどで終了。おかげで、lactation を含め、postnatal とか mothercraft とか、普段あまり縁のない用語の勉強になった。
11時閉店して家に戻る。小雨が降っている。車の温度計は5度。かなり暖かい。これで雪もかなり溶けるだろう。
February 16, Wednesday 2011
終日、DVDの字幕と格闘。大変だが楽しい仕事。いつの間にか時間が経っている。
3時半、定期健診で病院へ。待合室で長松寺の和尚さんにお会いする。病院で会って、お元気そうというのも変だが、お元気そうだった。ぼくのほうも特に問題なし。先月できなかった血液検査をする。結果は来月。
夜、9時近くになってオーリアッドへ。家人と交代。オーリアッドへ行く前に字幕の校正を送りたいとがんばったが、無理だった。明日ということに。
今日もマヒワは来なかったようだ。
February 15, Tuesday 2011
大雪になった。朝6時、旧道へ雪かきにいき、そのあと家の周りの雪をかく。家の周りは、歩けるだけの道を作る。全部かくとなると大変。朝食後、オーリアッドへ雪かきにいこうと思ったが、リビングから見ると国道が渋滞していて車が動かない。あとで行こうと思い、仕事を始めたら夢中になり、雪かきはすっかり忘れてしまった。
朝からライナーノートのチェック。結局全面的に書き直すことに。それが済んで送ったら、午後遅くにDVDの字幕チェックの仕事が届いた。午前中に届くはずのものが、大雪で遅れたのだろう。
マークに プリゼンテーションのレジメを送る。5月に信大で行われるJALTコンフェランスでのプリゼンテーション。そのあと、DVDの字幕の作業に取りかかる。ぼくが最初にDVDの仕事とかかわったのは「ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー」。感動的な作品で、本当に楽しませてもらった。短いスペースの中に言葉を凝縮するのは至難のわざだが、上手くできたときの醍醐味はまた格別。しかし、この仕事はどなたかが訳したものを監修するというもので、かなり大幅に修正させてもらったが、限界があった。
次にかかわったのが、レナード・コーエンのLive in London。これはCDとDVDがまったく同じで、CDの訳をそのままDVDに使うことができた。画面に合わせて字数を合わせたり改行したりする作業はあったが、比較的スムーズに作業が進んだ。今見れば、修正したいところもいくつかあるが、このDVDはぼくのお気に入り。これほど感動したDVDはない。歌を書いたり、人前で歌ったりすることについて、多くを教えられた。
今日は火曜日、本来なら松本へ行く日。春休みでよかった。
February 14, Monday 2011
今日は朝から曇り空。午後3時ごろから雪が降り始めた。翻訳の仕事を中断し、階下に下りて行くと、家人が「また鳥がきているよ」という。見ると、一羽の鳥が雪の枝に止まっている。カメラを取りに戻り、台所の窓をそっと開けて、シャッターを押す。2枚撮ったところで、大きな鳥(オナガ?)がきて、マヒワを追い払ってしまった。昨日も一昨日もたくさんの仲間と一緒に来ていたのに、どうしたのだろう。
みんなどこかへ飛んでいってしまい、一人残されたのか。
あなたと初めて会った時も
夕焼けがきれいだった
仲間からはぐれた水鳥が
波に追われていた
大雪になった。夜、町民会館で会合があった家人の送り迎えをしたが、今年一番の雪。旧道から上の段にあがる坂道を上れずに引き返した車の跡があった。明日の朝は、確実に雪かき。
バレンタインズ・デイ。Facebookにこんないいビデオが投稿されていた。「A Reminder of the Important Things in Life」(人生において大切なことの覚書)。
http://www.youtube.com/watch?v=choOYBFZBVA
February 13, Sunday 2011
今日は一転していい天気。太陽を浴びてセロトニンを増やそうとカメラを持って外に出る。青空を撮ろうと見上げたら、頭上に昨日の鳥がいた。きれいな鳥である。
February 12, Saturday 2011
朝から翻訳。日本語にも、もってまわった難解な表現が多用される文章があるように、英語にもある。そういう文章は直訳すると、意味不明のチンプンカンプンなものになってしまう。作者は一体何を言おうとしているのかということを念頭に、先ず、枝葉を無視して、主語と述語がどうなっているかを考えなければならない。しんどいことではあるが、作者の意図が、謎解きできたときは、ホールインワンとまではいかなくても、かなりの快感である。
夜、オーリアッド。久々に飯田から大平俊郎さんを迎えての2月2度目のオープンマイク。
先ずぼくが「バード・オン・ザ・ワイヤー」と「レナード・コーエンに捧げる歌」を歌ったあと、原田和恵さんにお願いする。最初の2曲は初めて聞く曲。厨房に入っていて名前を聞きそびれた。3曲目はご存知「君は愛されるために生まれた」。厨房に入っている間に、どなたかが亡くなった話をされたようだが、それも聞きそびれた。
大平さん、「英雄だったはずの男」「さすが!一万尺」、そして「十六夜」。歌と歌の間の語りを含めて、「オペレッタのようですね」と原田さん。続いて藤森和弘さん。今夜は「今日は土曜日」から。そして「愛音」、「おまえの歌が聞こえる」。最後の歌を歌う前に、原田さんが言及した亡くなった方について語る。藤森さんも知っている人のようだ。まだ40代とのこと。(後で詳しく聞こうと思っていて、忘れてしまった。)
原田和夫さん、3分スピーチ。昨日下諏訪で行われた佐久の小学校の同級会の話。幹事だったようである。露天風呂から見る雪景色の美しさ、そして午前2時まで続いた旧友との語らいについて語る。写真を見てもお分かりいただけるように、若い!
次にぼくが「流転のうた」と「祈りの歌」を歌ったあと、原田和恵さんが作ってきてくださったチョコレートケーキをいただきながら、15分ほど休憩。休憩時間に流れた音楽は サイモン&ガーファンクルの Live 1969。
後半トップは、赤羽真理さん。「愛に生き、平和に生き」、「今すぐに」、そして「千両梨の実」。原田和恵さん、「あなたのなさることは」「ささやかなこの人生」、そして「God Bless You」。2曲目は、先週、藤森さんのギターと松橋さんのパーカッションのサポートで歌った歌。今夜は、藤森さんのギターのみ。その写真を撮ったつもりだったが、撮るのを忘れていたようだ。
大平さん、前半はかなり抑えた歌だったが、後半は一転「過激な」歌に。「やったぞ!河の源を見つけたぞ」「夜の戦い」「スッポンのタコ親父」の3曲。初めて聞いた人たちは驚いたに違いない。続いて藤森さん、「チェインジ」、そしてバレンンタインデイも近いとのことで、ラブソングを2曲。20歳の頃書いたという「片想い」、そして「サボテンの花」。この歌が主題歌として使われていたTVドラマを子供たちが小さかった頃よく見たもの。
最後に、赤羽さん、「人生の海の嵐に」、そして「ホーボーズ・ララバイ」。愛音ちゃんにも歌ってもらおうと思ったが、恥ずかしがって歌ってくれなかった。4月にはもう小学2年生。藤森さんに今の愛音ちゃんのことを歌った「もうすぐ小学2年生」という歌を作ってもらいたいもの。原田和夫さんと記念撮影。71歳と7歳。
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下の写真は、今日の昼ごろ、わが家の白樺の木にとまっていた小鳥。白樺の芽か種を食べにきたのだろう。久々にやってきた蕎麦打ち名人の赤羽さんに見てもらったら、即座に「それはヒワだよ」とのこと。家に戻って Facebook を開ける。午後 Facebook に写真を載せ、知っている人はいませんかと書き込んでおいた。垣内彰さんが、写真仲間に見せたら「マヒワ」だと言われたと、書き込んでくれていた。初めて見た鳥だが、なかなか綺麗な鳥である。
February 11, Friday 2011
今年に入ってから全国各地で大雪が降ったが、長野県南部は今年は積もるほどの雪は降らなかった。今朝も目が覚め、すぐに窓の外をみる。一安心。うっすらと積もっているだけ。でも昼ごろから降り始め、4時ごろまでに深いところでは20センチほどに積もった。旧道の雪かきに。
6時、オーリアッドへ。雪かき。こんな雪の日は誰もこないだろうと思っていたら、ご家族4人できてくれた人がいた。数年前に仕事を辞め、農業を始めた人。家でぼくの『千の風』を聞いていたら生で聞きたくなったとのこと。お父さんのリクエストの「カムサハムニダ、イ・スヒョン」、娘さんのリクエストの「碌山」を歌う。「千の風」「紙ヒコーキ」などの名前もあがったが、他に歌ったのは「流転のうた」「祈りの歌」。それに「レナード・コーエンに捧げる歌」。そうそう、息子さんからは、ずっと昔、中学校でぼくが歌うのを聞いたという「ミン・オン・トゥイーのバラード」をリクエストされたが、歌詞カードが見当たらなかった。
彼らがくるまえ、「流転のうた」を練習していた。25歳ごろ、今から40年前に書いた歌。2日前に、どなたかがぼくのファーストアルバム『私は風の声を聞いた』の中のこの歌を YouTube にアップしてくれていて、それを聞いたら、今では歌うことのないこの歌が、とても新鮮に聞こえてきた。こんなにゆっくり歌っていたのかと思うくらいゆっくり歌っている。ウッドベースやケーナの音もいい。
編曲のクニさんに、「レナード・コーエン風のサウンドにしてほしい」とお願いしたら、「レナード・コーエン? 知らないなあ、イノガシラ・コーエンなら知ってるけど」という返事が返ってきたことを懐かしく思い出す。今聞いてみると、素晴らしいアレンジである。http://www.youtube.com/watch?v=LNL3Mm-VYJg
11時閉店。雪はかなり小降りになった。もう一度雪かきをして、帰宅。明日も雪の予報。
February10, Thursday 2011
午後遅く電話がかかってきた。受話器を取ると、「三浦久さんですか」と言う。知らない男の人。マンションのセールスか、保険の勧誘かと身構える。予想に反して、「昨日、北小野のスタンドでガソリンを入れましたか」と言う。「ええ、入れましたが」と答えると、すかさず「エネオスのカードをお預かりしています」という返事。何度もセルフサービスのスタンドでガソリンを入れたが、カードを忘れてきたことは今まで一度もなかった。自分が誰だか忘れてしまうのも、そう遠い将来のことではないかもしれない。気をつけなければ。それにしてもよかった、カードを紛失したり、誰かに持っていかれなくて。
オーリアッド。ジブランの会。S&G の Live 1969 を聞く。遅くに原田さん。前回四間飛車で勝ったので、今夜も同じ手を使ったが完敗。やはり同じ手は2度続けては通用しない。
この週末は大雪の予報。あまり積もらなければいいが。
February 9, Wednesday 2011
朝からラストスパートで採点と成績づけ。12時ごろまでには終わらせる予定が、何と4時近くまでかかってしまった。急いで支度をして松本へ。途中、ガソリンがないことに気づき、セルフサービスのスタンドへ。山麓線に入ると、のろのろ運転のダンプカー。急いでいるときに限って・・・。5時までには着けないかも。あがたの森のあたりで電話を入れる。すみません、少し遅れるかもしれません。「大丈夫です。安全運転できてください」。
5時5分、生協横の駐車場着。そこから全力疾走で事務局へ。ぼくが入ると同時に、出て行く先生もいたので、遅れたのはぼくだけではなさそう。と、思っていたら、ぼくのあとから入ってくる人も。
年2回、いつももっと早くしようと思いながら、同じことを繰り返している。帰りにマークの研究室を覗き、少し話す。マークもまだ成績を出していなかった。彼の場合はオンラインで入力するので、少し遅れてもいいらしい。
オーリアッドには7時過ぎに入り、家人と交代。しばらくして入ってきたお客さん、「先日、めずらしくサイモンとガーファンケルがかかっていましたね」と言う。サイモンとガーファンケルのファンだという。そこで、『The Simon and Garfunkel Collection-17 of Their All Time Greatest Recordings』をかける。高校時代、ポール・サイモンのフィンガーピッキングを習得しようと一生懸命練習したらしい。
昨日の日記に「そのうちに自分が誰だか忘れてしまったら、どうしよう」と書いたら、午後「これを歌にしてください(笑)」というメールが入り、思わず笑ってしまった。枚挙にいとまのない物忘れの例をあげ、最後にこの一行をもってくる。面白い。
無私、無心、無我、忘我。「自分が誰だか忘れる」というのはそれほどいけないことではないかもしれない。問題はむしろ、なかなか自分を忘れられないこと。
February 8, Tuesday 2011
嬉しい勘違いで、成績提出の締め切りは今日ではなく明日だった。時間の余裕ができたので、翻訳の仕事をしていたら、結構難しくて時間がかかってしまった。採点を始めたのは午後遅くなってから。明日のお昼までにはなんとかなるだろう。
忘れ物が多くて困る。これはもうかなり前からあるが、最近特に増えてきた。先週土曜日のオープンマイクで「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌おうと、D#m のハーモニカを探したが見あたらない。困ったな、どこへいったんだろうとうろうろしているところに、客席から、「ハーモニカホルダーに入っているのがそうじゃないですか」と声がかかった。首にかかっているホルダーを下げてみると、果たして D#m だった。
昨日の朝、ホテルで目を覚まし、朝飯を食べにいこうと、服を着はじめて気がついた。ブレザーはあるが、コートがない。しまった。昨日の二次会会場に置いてきた。何度か電話をしたが、お店がまだ開いていない。家に着いたあと、電話をして、あることがわかった。明日、送ってもらうことに。
そのうちに自分が誰だか忘れてしまったら、どうしよう。
February 7, Monday 2011
パレスサイド・ホテルは文字通り、パレス(御所)の西側、烏丸通りにある。チェックアウトして、地下鉄の駅へ向かう前に、御所の庭に入る。朝方雨が降ったようで、地面が少し濡れている。広々としたスペースが好きで、昔京都に住んでいたときは、よくここへ来たものである。白梅が咲いていた。九条邸跡の池には白鷺がとまっていた。雀も鳩もいた。ここに住んでいる鳥たちは恵まれている。
新幹線とバスを乗り継いで3時前、帰宅。成績提出は明日が締め切り。夕食後、採点。疲れていて集中できないので、明日の朝、続きをやることに。明日の午後には提出できるだろう。
February 6, Sunday 2011
片桐ユズルさんの傘寿を祝う会が午後2時から、京都のパレスサイド・ホテルであった。片桐さんを初め多くの懐かしい方々にお会いした。片桐さんは80歳とは思えない若さ。ぼくが覚えている片桐さんとまったく変わらない。50代といっても通用するかも。
秋山基夫さんの詩の朗読、中川五郎さんの歌、そして矢口以文さんの詩の朗読があった。秋山さんには70年代から何度もお会いして、詩の朗読も聞いたことがあるが、今日読まれた登山で死にそうになる詩は初めて聞いた。実に面白い。秋山さん独特の岡山弁。五郎さんは、片桐さんの詩に曲をつけた「いつも戸口までだったね」を含む3曲と、彼の最近の傑作「小さなリヤカーが立ち向かう」を歌う。最後の歌を聞くのは高遠以来2回目。ローザ・パークスのことを歌うあたりから俄然引き込まれる、ヴィクトル・ハラで最高潮に。
次に詩を読まれた矢口以文(やぐち・よりふみ)さんにお会いするのは初めて。『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』(コールサック社)の中から、何篇か読まれる。宮城県に住んでいた少年時代に体験した空襲の思い出をつづった「戦争中ぼくらの町に海軍航空基地があった」や、戦後教科書を墨で塗りつぶした体験を読んだ「塗りつぶした」や、ベトナム帰還兵についての詩「アレン・ネルソンさん」など。とても静かな口調で「過激な」詩を読まれる。静かな口調だけに、なおさら説得力がある。
休憩時間のあと、中尾ハジメさんがお兄さんの子供の頃の思い出を語り、主催者のひとり宮崎隆さんが、東京在住の詩人(名前を失念)から今日の会のために送られてきた詩を代読。休憩時間に宮崎さんから歌ってほしいといわれ、彼の詩の朗読が終わったあと、五郎さんのギターを借りて「祈りの歌」を歌わせてもらう。
最後にユズルさんの講演。彼のライフワークである一般意味論とアレキサンダー・テクニークについて。後者については名前しかしらなかったが、ユズルさんの背がまっすぐ伸び、首筋が柔らかそうに見えるのは、このテクニーク故ではないかと興味を持つ。5時半終了。
7時から、元田中の「アンチョビ・カフェ」というイタリア料理のレストランに場所を変えて二次会。「傘寿を祝う会」の休憩時間に片桐さんから紹介されたジェイムズ・ドーシーさんと話す。ダートマス大学教授で、今、サバティカルで慶応大学で研究しているとのこと。研究のテーマは日本の大衆文化。とくに、60年代から70年代にかけての日本のフォークソングとのこと。日本語がとても流暢。そのほか、ぼくの席の近くには、ロサンゼルス在住で、日本文化を伝える新聞Cultural News を発行している東繁春さん、立命館大学教授の中川吉晴さん、ラジネーシの弟子で、今日の主催者の一人の辻本恒さん、それに「数寄和」大津の店長でアレキサンダー・テクニークを学んでいる麻田有代さん、それに内観的身体技法の角南和弘さんがいて、大いに刺激を受ける。
9時半、京都駅へ行く宮崎さんのタクシーに相乗りさせてもらい、東さんと角南さんと一緒にホテルに戻る。少々無理してやってきたが、来てよかった。
February 5, Saturday 2011
多彩なミュージシャンが参加する楽しい一夜になった。
トップバッターは、5時からリハーサルをした「きらきら音楽旅団」のみなさん。ギター/ボーカルの山口真保呂さん、ピアノ/鍵盤ハーモニカの山口美都子さん、チェロ/パーカッションの大森彩さん、それにベース/パーカッションの松橋亮輔さん。これでフルメンバーかと思ったら、今夜はバイオリン奏者がいないとのこと。「アイリッシュ・メドレー」「リベルタンゴ」、ベースをフィーチャーした「トレイシーの肖像」「とてつもない」など。最後に松橋さんに、珍しい形の五弦ベースの解説をしてもらう。特注品のようである。このベースをもった松橋さんの姿が美しい。
2番目に登場は野溝の武蔵さんと大町からやってきた奥原哲也さん。ロックバンドのギターとボーカルを担当するロックンローラー。1曲目カバー曲「例えばぼくが死んだら」を歌ったあと、オリジナルで「涙の少女」と「花と夢」。オリジナルにいいものがあると思った。続いて法事帰りの丸山俊治さん。山口さんのリクエストに応えて先ず「おじさんたちよ」。そして「白雪先生」と新曲「デノミの灰」。語りといい、歌い方といい、最近の丸山さんの充実振りを示す演奏。特に、ボーカルに深みと艶が出てきたような。続いて、久々登場の藤森和弘さん。「人生に勇気」「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」の3曲。いつもながらのダイナミックな演奏。途中、なぜ帽子かぶっているかとうい話をし、後半には帽子をとると明言。
続いて、長野市へ某講習会に行き、善光寺のライトアップを見てきたという原田和恵さん。「ゴッド・ブレッス・ユウ」を歌う前に、今日体験した驚いたことについて語る。ひとつは弟にギターを買ってやろうと思い楽器店に入ったら、10,500,000円という値札のついたギターがあったとのこと。店員に0がひとつ多いのではないかと思い聞いてみると、間違いではなく、社長の私物ではあるが、お望みであればお売りしますと言われて驚いたという話。もうひとつの驚いた話は割愛。長くなるので。
C. Ariga さん、原田さんのギターの値段の話を受けて、バイオリンの値段について語る。億単位のバイオリンもあるそうな。因みに、Ariga さんのバイオリンはユタ州に住んでいたときに購入したもので、かなり著名な作者によるものとか。「楽しき農夫」など2曲。前半最後にぼくが「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌い、先日の偲ぶ会について少し話す。ここで休憩。
休憩中も、ステージでは松橋さんとAriga さんがパーカッションの競演。
後半トップは丸山さん。久々に「三角広場に桜咲く頃」、そして柴田トヨさんの詩に曲をつけた「風と陽射しと私」。藤森さん、松橋さんと Arigaさんのダブル・パーカッションをバックに、「我が良き友よ」。そして「春の足跡」。そして最後に帽子をとる。奥さんがバリカンの歯をを間違えて、筋が入ってしまったとのこと。ベリー・ファッショナブル。
Ariga さん、ヘンデルの「ブーレー」を演奏したあと、歌詞カードを配り、真保呂さんと松橋さんのサポートでチベットのマントラの歌「Om Tara Dance」を歌唱指導してから、みなさんと一緒に歌う。歌詞(マントラ)は、
Om Tara Tut Tare Ture Soha
これを4回繰り返すのが one verseで、それを5回繰り返す。
http://www.youtube.com/watch?v=S4qmWbdbxEk&feature=related
原田さん、先ず、松橋さん、藤森さんのサポートで1曲。曲名を聞き忘れた。軽快な曲。そして名曲「君は愛されるために生まれた」。
今夜のオープンナイトの締めくくりは、キラキラ音楽旅団。1曲目、チェロの大森さんをフィーチャーした曲。どこかで聞いた曲だと思ったら映画『送り人』のテーマだった。次に松橋さんの好みの曲、東京スカパラダイス・オーケストラの「Tongues of Fire」。そして最後の曲、山口夫妻合作の「クリームソーダ」。拍手鳴りやまず、アンコールで、「モーニング・ナイトキャップ」。
終了後も、音楽談義に花が咲く。今夜は、マリンバ奏者の伊藤聡さんも大勢で見学にきてくれた。赤羽真理さんは用事ができたとのことでも演奏はしなかったが顔を出してくれた。11時過ぎ家に戻ると、伊藤さんからメールが入っていた。一度オーリアッドでマリンバ・コンサートを企画したいとのこと。
February 4, Friday 2011
昨日が節分、今日は立春。昨日と比べて今日は暖かい。季節は確実に巡りつつある。1月は気分が滅入るほどに寒く、そして忙しかった。これからは気温の上昇とともに、気分も上向きになってほしいもの。
片桐ユズルさんの傘寿を祝う会の案内が、しばらく前に届いていたが、まだ先のことと思っているうちに、よくあることだが、そのはがきを見失ってしまった。2月の中ごろかと思っていたが、ウエブサイトで調べたら、明後日だと判明。あわてて宮崎隆さんに出席したい旨、電話をする。翻訳の仕事もとりあえず終わり、火曜日締め切りの成績提出も、今日明日で何とかなりそう。
片桐さんに初めてお会いしたのは、1970年か71年のこと。ぼくが25 歳で、片桐さんが40歳のころ。1973年からは、いくつかの偶然が重なり、同じ学校で教えることになり、いろいろお世話になった。彼が主催する「かわら版キャラバン」に同行させてもらい、歌ったこともある。あれから40年。振り返ってみると、あの頃は本当に密度の濃い時間が流れていた。
夜、オーリアッド。 昼間は暖かかったが、やはり夜になると冷える。採点をしているところへ、お客さん。PTAの役員の方々。年度末が近づき、各団体は今、役員の改選で忙しい時期。ぼく自身は、何年か続いた区の役員から、昨年4月に解放され、ありがたいことである。
11時家に戻ると、昨日送った対訳のうち一曲分について、修正してほしい旨のメールがあった。早速、その仕事にとりかかる。
最初この歌を訳すときから、silvergirl をどう訳すか迷った。調べてみると、最初この歌は2番しかなかったのに、この歌の作者の(後に妻になった)ガールフレンドが、髪に白髪が出てきて、落ち込んでいたので、3番を付け加えて励ましたとのこと。だから silvergirl は、「白髪の少女よ」という呼びかけである。しかしそれではあんまりだ。ここのところは最初訳したときも悩んだところ。またsilvergirl はドラッグを打つ注射針のことだというい人もいた。
最初、カタカナで音写することを考えたが、それでは意味不明。それで恋人に対する一般的な呼びかけである「愛しい人よ」と無難に訳しておいた。必要ならカタカナでルビをふったらいいとも考えた。しかし「愛しい人」ではちょっとインパクトが足りなかったようだ。最終的には直訳の「銀色の少女よ」に収まった。これは昔、片桐ユズルさんから教わったこと ― 意味不明のときは、直訳したらいい、と。silvergirl のあとに、いくつか光輝くイメージが出てくるので、「銀色の少女」は、コンテクスト上は、かなりぴたりと収まる。
February 3, Thursday 2011
午後7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。しばらくして、大きなリュックを背負った若者が入ってくる。丸テーブルにすわりコーヒーを注文する。それから何かを読みながら11時近くまで。他にも何人かお客さんがきたが、彼はその間一言もしゃべらない。閉店時間近く、リュックをもってカウンターのところへ代金を払いに来た。「旅の途中ですか」ときくと、「東京から歩いてきた」と言う。驚いて「これからどこへいくの」ときくと、「駒ヶ根まで歩いていく」と言う。この寒さの中、何と無謀な、と思ったが、彼の顔は穏やかで、気負いは感じられない。何か心に期するところがあるのだろう。
こういう若者には親近感を覚える。若い頃の自分を見るような。ぼくも若いころ、野宿とヒッチハイクの旅をしたものだが、真冬に、しかも真夜中に、歩いたりしたことは一度もない。
トム・パクストンの古い歌を、名前もしらない彼に捧げよう。
And here's to you my ramblin' boy
May all your ramblin' bring you joy
And here's to you my ramblin' boy
May all your ramblin' bring you joy.
乾杯、私のさすらいの友に
君のさすらいが喜びでありますように
乾杯、私のさすらいの友に
君のさすらいが喜びでありますように
夕方、訳を送る。校正の段階で修正できたらありがたい。
February 2, Wednesday 2011
先日のオープンマイクでサウスバウンド・シックスのケイト・ホフマンが歌ったWagon Wheel という歌は、もともとボブ・ディランが映画『Pat Garrett and Billy the Kid』のために書いた作品がもとになっていると知った。ディランのヴァージョンはRock Me Mama というタイトルだったようだ。そのコーラスの部分を使って、Old Crow Medicine Show の Ketch Secor (ケッチ・セカーと読むのかな)がヴァースを書いてWagon Wheel という歌が生まれたようだ。いずれにしろ、この歌は最近聞いた歌としては one of the best。
ディランの Rock Me Mama:
http://www.youtube.com/watch?v=VNTsYfjBcuQ&feature=player_embedded#
Old Crow Medicine Show の Wagon Wheel:
http://www.youtube.com/watch?v=O2vJUadjdmo&feature=fvw
南へ向かった、松の生い茂る土地へ行くため
今、ノースカロライナへ入ろうと、親指を立て
道路をじっとみつめ
ヘッドライトが見えないか祈ってるところ
海岸まで17時間で着き
ハナミズキを摘んで花束を作った
これから、ローリーへ行くんだ
今夜は会える、あの娘に
だから、俺を揺らしてくれ、ママ、幌馬車の車輪のように
好きなように揺らしてくれ
ねえ、ママ、俺を揺らしてくれ
俺を揺らしてくれ、ママ、風や雨のように
揺らしてくれ、ママ、南へ向かう汽車のように
ねえ、ママ、俺を揺らしてくれ
Headed down south to the land of the pines
And I'm thumbin' my way into North Caroline
Starin' up the road
And pray to God I see headlights
I made it down the coast in seventeen hours
Pickin' me a bouquet of dogwood flowers
And I'm a hopin' for Raleigh
I can see my baby tonight
So rock me mama like a wagon wheel
Rock me mama anyway you feel
Hey mama rock me
Rock me mama like the wind and the rain
Rock me mama like a south-bound train
Hey mama rock me
参考までにファーストヴァースとコーラスを訳してみた。英詞は次のURLから。
http://www.digihitch.com/road-culture/music-lyrics/1249
Southbound Six というバンド名は、この歌の southbound train から来ていると、納得。ケイトがアメリカに戻る前、もう一度この歌を歌いにきてくれたらいいのだが。
終日、翻訳。締め切りは明後日。ほぼ完成しているが、1,2箇所、どうしても決断できないところがある。ラスベガスのレナード・コーエンのコンサートで会った英文学のプロフェッサーからも質問に対する返事がきたが、かえって難しくなってしまったような。
夜、オーリアッド。久しぶりに今井君が顔を出してくれた。今年の4月からは高校3年生とのこと。いろんな意味で成長した彼を見て、一安心。
February 1, Tuesday 2011
今日から2月。2011年の12分の1が早くも過ぎた。この1ヶ月は忙しかった。昨年12月のラスベガス行きの疲労が十分に回復しないまま、いくつかのイベントがあり、補講や期末試験や結婚式があり、さらに翻訳の仕事が加わった。その上、寒さが厳しかった。ありがたかったのは、大雪が降らなかったこと。雪かきが加わったら、さらに体力が消耗していたはず。
今日の午後、2つの試験。採点と成績付けは残っているが学校のほうは4月までお休み。翻訳もほぼ完了。この春休みは、少しゆっくりしたいもの、と思いつつ、そうもいかないだろうな。
試験のあと、マーク・Bと話す。5月に松本であるあるJALTの全国大会で昨年11月にした「釈迦に説法」のプリゼンテーションをするよう要請される。最終決断をする前に、もう少し考える時間がある。
夜、睡魔に襲われながら、英詞を確定する作業。これをしてよかった。The Only Living Boy in New York の長い後奏の最後のほうに、Here I am が2度繰り返される。これは従来の歌詞カードには入っていない。これがあることによって、ブリッジの Half of the time we're gone but we don't know where/ And we don't know where と、その後に続く Here I am の意味が鮮明になる。そして、このタイトルの意味も。
この living は boy の後にあるか前にあるかで意味がまったく違ってくる。ただ、流れからいうと、文法的には少しおかしくても、living alone in New York と訳さざるをえないかもしれない。「人は通常、生きてる半分の時間はどこにいるかわからないかのように生きているのに、ぼくは24時間いつも自分がニューヨークにいることを意識している」というニュアンスの意味を訳に込められるか、難しいところだ。
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「キング牧師の日チャリティーコンサート」にご協力いただいたみなさんへ:
チャリティーコンサートの際はご協力いただきありがとうございました。1月31日、お寄せいただいたお金を民際センターへ送金しました。今年は多くの方々のご協力を得て、カンボジアの子供5名、ラオスの子供4名、計9名を一年間学校へ通うお手伝いができることになりました。詳細は次のURLをクリックしてください。http://www.secondwind.jp/kingfurikomi2011.htm
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