OREAD Diary
November 1-30, 2010
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November 30, Tuesday 2010
午後2コマのクラス。今日の歌は Mr. Tambourine Man。Bringing It All Back Home の B 面の一曲目。フォークロックの扉を開いた歌。クラスでは、コーラスを挟んで、1番、2番、4番を歌う。
The Byrds (バーズ)のヴァージョンはあまりにもシンプリファイされている。コーラスのあとに2番を歌い、次にコーラスが2度繰り返されるだけ。だからこそヒットしたともいえる。彼らのヴァージョンで特筆すべきはリッケンバッカーの12弦ギターの響き。ロジャー・マッギンがジョージ・ハリソンが弾いているのを見て、採り入れたといわれている。
ボブ・ディランのデビュー30周年記念のコンサートではマッギンは2番と3番を歌っていた。3番でなく4番を歌うべきだと思ったことを覚えている。Let me forget about today until tomorrow が最後にくる4番のヴァースに、この歌を理解する鍵がある。
難しい歌だが、学生にとって、ぼくにとっても、 Hallelijah よりはずっと歌いやすい。
The Byrds の「ミスター・タンブリンマン」:
http://www.youtube.com/watch?v=06rGW0AQGiY
■
明日はオーリアッドで朗読グループ「ひびき」主催による「第3回蛍サロン」があります。小松舎人さんが、師と仰ぐ彫刻家・瀬戸団治さんについて語ります。ぼくも辰野にまつわる歌を何曲か歌う予定です。
とき: 2010年12月1日(水)午後7時〜9時
ところ: オーリアッド(辰野町宮木 伊那富橋から4軒目)
おはなし:小松舎人―長年薫陶を受けた彫刻家・瀬戸団治さんの人となりや
作品について語ります。
うた: 三浦久―辰野を歌った歌を何曲か歌います。
さんかひ:ワン・ドリンクのオーダー
しゅさい:朗読グループ「ひびき」
November 29, Monday 2010
昨日探していたものは今日も出てこなかった。でも幸運なことに、3週間前から探していたものが出てきた。学生の提出物の一部。これがなくなったら大変だった。昨日から探しているものも、必ず部屋の中にあるはず。そのうちに出てくるだろう。
オンラインで注文しておいたコンプレッション・ソックスなるものが一週間前に届いた。長時間飛行機に乗るときにこれをはくと、エコノミー症候群を予防できるとか。ソックスにしてはかなり高価だが、もし効能書き通りなら安いもの。
午後それを試着して、村をぐるりと歩いたり走ったり。かなり締め付けがきつくて、はくのに苦労したが、ふくらはぎが圧迫されて、脚が軽くなった感じ。兵隊が脚に巻いたゲートルと同じ作用があるのだろう。村の人たちも山作業に行くときは地下足袋にゲートルだ。
夜、明日のクラスの準備。採点がたまってきている、注意しなければ。
November 28, Sunday 2010
朝から一日探し物。目の前にあるはずのものが、ない。2日前にそこに置いたはずなのに。困った。
浜野サトルさんのサイトを久々に訪問し、ジャーナルを読んだら Evernote なるものに言及されていた。これはデータのバックアップ用にきわめて便利。とりあえずダウンロードして、歌詞を何曲か入れてみた。小テストなども入れておけば、いつでもどこでも取り出せる。
白鵬が優勝した。しかし豊ノ島も稀勢の海も、魁皇もよくがんばった。いろいろな粛清があったばかりで、迫力ある真剣な相撲が多かった。いい相撲が増えれば相撲人気も回復するはず。
身体が疲れていて、何をしていても、油断をするとすぐ居眠りをしてしまう。今夜は早く寝ることに。もうすぐ12月。探し物は、また明日。
November 27, Saturday 2010
丸山俊治さん、「今日は初心に戻って」といいながら、先ず「おじさんたちよ」。そして「職人になったおじさんたち」「満州の丘」「新宿に降る雪」。丸山俊治名曲集。空から落ちてくる落下傘の花、あちこちで炸裂する爆弾、その中を屍を踏み越えて進む「満州の丘」の光景は、実にリアル。原田和恵さん、「新しい光迎えよう」「G線上のアリア」。そしてクリスマスが近づくとよく歌うという「くしき光」と「ひつじは眠れり」。美しい声。彼女の所属する教会の聖歌隊がオーリアッドへキャロリングにやってくるのは12月23日(木・祭)。午後8時過ぎ。
原田和夫さん、丸山さんの「満州の丘」を聞いて、子供時代をすごした満州の思い出。よく薬草採りに出かけたとのこと。妹さんを亡くすという辛い体験も。原田さんと丸山さんを見ていると多くの共通点がある。お二人とも、あまり世間体にとらわれない独自の世界をもち、飄々と生きている。それはおそらく幼児期の極限状態の体験からきているのだろう。スティーブ・ジョブズの言葉が思い出される。
いつか必ず死ぬということを覚えておくことは、私が知る限り、失ったら困るものがあると考える罠に陥らないためにもっとも有用な方法です。本来無一物。あなたにはもともと失うものはないのです。あなたの心の本当の願いに従えない理由はないのです。―スティーブ・ジョブズ
原田さんのトークのあと、ぼくが昨日のシニア大学でのトークライブで歌う予定だったが時間の都合で歌えなかった「それぞれの道」を歌う。そして、その歌ができた経緯をお話する。前半最後は赤羽真理さん。「森の小道」「野に咲く花はどこへ行った」「御手の中で」。
後半。丸山さん、企業におけるリストラや大学生の就職難の話をしてから「ブルペン・キャッチャー」。そして「白雪先生」と、お孫さんのつぶやきがタイトルになった「雪のかくれんぼ」。またそろそろ雪の季節。この一年はなんと速く過ぎ去ったことか。
原田和恵さん、後半は歌や演奏ではなく、今日の午後、長野市で受けた自律神経を鍛えるエクササイズの指導。口からゆっくりと息を吐き切り、一気に鼻から吸い込む。これを3回くり返し、気持ちを落ち着けた後、左右の手足が順に重くなるとイメージし、さらに次に手足が温かくなることをイメージするというような説明をされた。プロのインストラクターになれるのではないかと思われるほど堂に入っている。
次に大月高志さんの演奏。「アイ・ラブ・ユー」「カノン」「Merry Christmas, Mr. Lawrence」。先週も感じたが、ピアノに寄せる想いが伝わってくる演奏。原田(和)さんのリラクセーションのエクササイズの影響もあってか、みなさん目を閉じてじっくりと聞いている。
大月さんのあと、赤羽さんが「人生の海の嵐に」、とギターインストラメンタル、そして「ホーボーズ・ララバイ」。最後にぼくが、12月のオーリアッドのオープンマイクの予定をお話し、「幼いころ野原には」を歌って Closing Time。
12月のオープンマイクは、12月4日(土)と25日(土)です。11日(土)と18日(土)は、オーリアッド臨時休業のため、オープンマイクはありません。来年1月は8日(土)が最初のオープンマイクです。
November 26, Friday 2010
午前10時10分から12時まで「いなっせ」のホールでトークライブ。「振り返ればいつもそこに歌があった」。小さい頃、暗い裸電球の下、家族で、雑音交じりのラジオを囲んで聞いた「りんごの唄」から、小学校の唱歌、そして三橋美智也、春日八郎、三浦洸一を経て、ブラザーズ・フォーの「グリーン・フィールズ」や小林旭の「北帰行」や舟木一夫の「高校三年生」。
そして60年代カリフォルニアで聞いた、PPM、ビートルズ、ボブ・ディラン、レナード・コーエン。振り返れば、本当に、いつもそこ歌があった。「りんごの唄」から「ハレルヤ」まで、実に長い道程だった。同時に、あっという間だった気もする。
「年を取って歯が抜け」「Blowing in the Wind」「バード・オン・ザ・ワイヤー」「I Have a Dream」を、公民権運動の話を織り交ぜて、前半に。「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「祈りの歌」などを後半に。みなさんと一緒に歌った歌は「ゴンドラの唄」と「みかんの花咲く丘」。
最後にスティーブ・ジョブズの「死」に対する言葉と Stay Hungry, Stay Foolish!!という言葉を引用して、締めくくる。皆さん熱心に聞いてくださった。感謝。残念ながら、「それぞれの道」を歌う時間がなかった。終わったあと、ぼくと同じ1945年生まれだという方が話しかけてくださった。「お聞きできて本当によかった」という彼女の言葉に救われる思い。
一週間に3回のトークライブ。さすがに疲れた。午後は、うとうとして過ごす。6時から、村の公民館で、森林生産組合の会議と慰労会。慰労会を中座して、8時前オーリアッドへ。家人と交替。
November 25, Thursday 2010
今朝も雪をかぶった北アルプスが美しかった。午後2コマのクラス。4時限が終わったあと、共通の授業の先生方と来週のクラスの資料印刷作業。手分けをしてやれば速いもの。
7時過ぎにオーリアッドに入り、家人と交替。今、153号線の徳本水カーブをまっすぐにする工事が最終段階に入っている。旧道から国道へ出るのが極めて難しい。12月半ばまでには完成するようである。見慣れた景色が大きく変わってしまうことに一抹の淋しさを感じながらも、ここまできたら早く完成してほしいもの。
遅くなって、明日のトークライブの練習。「いなっせ」には高橋さんとういPAの専門家がいて、安心しておまかせできる。ぼくの機材をもっていく必要がない。これはありがたい。最近はできるだけ軽い機材に換えたが、それでも何度も積んだり降ろしたりするのは疲れる。タイトルは、昨年度と同じ「音楽と人生―振り返るといつもそこに歌があった」。タイトルは同じでも、まったく同じことをするわけにはいかない。いじめの問題が最近またクローズアップされている。今年は「それぞれの道」を歌おうかと思っている。
コーエンのプノンペンのコンサートがキャンセルされなければ、明日のトークライブのあと、すぐに成田へ向かう必要があった。この一週間忙しく、身体が疲れている。これでよかったのかもしれない。キャンセルされなければ、もちろん、なんとかしただろうが。
November 24, Wednesday 2010
9月の終わりに連絡をもらってから、この日が来るのを楽しみにしていた。同時に少し恐れてもいた。長野県の中学と高校のALTの先生方に、いかに歌を通して英語を教えているかという話をしてほしいというのである。歌を通して教えているのは英語のリズムと発音。英語を母語とする人たちに、何を話せようか。釈迦に説法、魚に泳ぎを教えるようなもの。
でも同時に、いつも山麓線を通るたび見上げる長野県総合教育センターで話ができることに加えて、若い外国の英語の先生たちに会うことも楽しみだった。
photos by erin king
考えていたことがすべて思い通りに話せたわけではない。でも、ジョークを言えば笑ってくれるし、話の途中に質問はあるし、ハーバード大学白熱授業には及ぶべくもないが、でもそんな雰囲気も少々あって、楽しかった。終わったあとにも、いくつかの好意的なフィードバック。Entertaining and informative だったという感想はうれしかった。とくに informative は。釈迦に説法ではあったが、少しでも役に立つ話ができたとしたら、苦労のかいがあったというもの。
英語のリズムと発音を説明する上で、一緒に何曲か歌う。Heart with No Companion, All My Loving, Amazing Grace, Can't Help Falling in Love など。最後にダニエル・ピアースのリクエストで Hallelujah。最後の最後、ぼくが I Have a Dream を歌って Closing Time。
November 23, Tuesday 2010
勤労感謝の日。明日の講演の準備に今日一日を使えるというのはありがたい。文字通り、感謝の日。
午後、猿の集団が玄関先につるしてある干し柿をとりにやってきた。ものすごい数の猿。一匹は、玄関先の屋根を支える柱をよじ登っていたと家人が言う。芝生の上で、トラの風船にむかって唸っていた猿も数匹いたとか。彼女の驚いた声に、「コラッ」と叫びながら外に飛び出すと、坂の下からもたくさん上ってきて山に向かって猛スピードで走っていく。大きいのから小さいものまで、総勢30匹はいたに違いない。口に柿をくわえたのもいた。赤ん坊をおぶった母猿もいたらしい。カメラがあったら、スーパーショットが撮れたのに。
終日、英語のリズムと発音に関していままで自己流に教えてきたことを整理する。おかげで、いろいろ勉強になった。あらたな発見もあった。10前には、いや5年前にもなかった発音を学ぶサイトがインターネット上に多数あることも知る。インターネットが一般に普及してから10年ほど経ったが、その充実ぶりには目を見張るものがある。中でも次のサイトは役に立つ。Podcast で実際に音声を聞くことができる。
http://www.pronuncian.com/materials/podcasts/Episode_20.aspx
国の内外でいろいろな問題が起きている。政治の世界における足の引っ張り合いには目を覆いたくなる。瑣末な言葉尻をとらえて罵り合っている場合ではないのに。
November 22, Monday 2010
昨夜は雲ひとつなく、満月が美しく見えた。しかし今日は朝から雨。一日、しとしと降り続けた。
金曜日のシニア大学での講演のレジメを作り、昼過ぎに送る。そのあと、明後日の外国語指導助手研修会でのプレゼンテーションの準備。今まで気負って、いろいろ資料を集めてきたが、自分の実力以上のことができるわけもない。実際に日ごろ学生に説明していることを英語でやればいいと思った途端、気が楽になった。
英語を母語とする人たちは英語を話すとき、英語のリズムを意識しないだろう。それは空気のようなもの。意識的になる必要がない。われわれが日本語のリズムに無頓着であるように。
英語はstress-timed language (強勢拍リズムの言語)であり、英語は syllable-timed language (音節拍リズムの言語)である。最近は流暢な日本語を話す外国人が増えたが、以前は、おかしなアクセントの日本語を話す外国人が多かった。それは、日本語を英語のリズムで話していたからである。日本人が英語を話すとき、抑揚がなくフラットに聞こえるのは、日本語を話すときと同じに、すべてのシラブルを同じ強さ(弱さ?)で話すからである。
俳句は5-7-5のシラブルからなる。それぞれのシラブルは等しい強さと長さで読まれる。ところが、英語のリズムは基本的にバックビート。ロックのリズム。アイアンビック・ペンタミーター(弱強五歩格)。強と強の間にいくつ弱があってもリズムは変わらない。
英語の歌を歌えば、そのリズムを身につけることができる。大きな声で、繰り返し歌うこと。歌うことは音読に通じる。読書百篇 義 自ずから 見る(どくしょひゃっぺん ぎ おのずからあらわる)。論語の素読。意味が分らなくても、とにかく音読しているうちに意味がわかってくる。歌っているうちに自ずからリズムが身についてくる。はずである。
November 21, Sunday 2010
「11月10日のオーリアッド日記の鳥(写真左)は、オナガではなくヒヨドリだと思います」というメールをいただいた。そうだよね、オナガはもっと大きくて、尻尾の部分が文字通りもっと長い。ありがとう、山口さん。
中と右の写真は今夜、真夜中過ぎに撮った写真。満月の時間は11月22日午前2時27分とのことなので、これは限りなく満月に近い満月。庭はまるで昼間のように明るい。
終日、水曜日と金曜日のトークの準備。火曜日が祭日でありがたい。
隠岐の島の方から『ガビオタの海』の注文が入った。内田良子さんの講演を聞いて、「それぞれの道」を「周りの人と一緒に聞きたいと思いました」と書かれていた。内田さんに、そして注文してくださったSさんに、感謝。
November 20, Saturday 2010
本日のオープンマイクは、Honan College の音楽愛好会のメンバーによるハンドベルおよびピアノ演奏のおかげで、いつもとちがって若々しい雰囲気に。
先ずぼくが、「あの果てしない大空へ」と「果樹園の道」を歌う。そのときまでに、Honan の学生総勢8名が到着し、1、2番のテーブルにすわる。赤羽真理さん、「私を待つ人がいる」と「旅人の木」。そしてそのあと、久々登場の、少しスリムになった大月高志さん。「カノン」と「Merry Christmas, Mr. Lawrence」の華麗な演奏。
次に、Honan group を代表して、飯島君(ファースト・ネームを聞きそびれた)がピアノを弾く。大月さんのあとなので、少し心配したが、臆することなく堂々たる演奏。曲名は「マグネット」。哀愁を帯びた美しい曲。ひがしの君の言い草を借りれば、「おぬしやるな」という感じ。
続いて、小久保梨茉さん指揮によるハンドベルの演奏。曲目は GReeeeN の「愛唄」。柔らかいハンドベルの音色が心地よい。彼らの演奏のあと、原田和夫さんが、「青春時代は実に素晴らしい」といいながら、彼らへの励ましのメッセージ。学生の中に原田さんのふるさと小諸からきている学生がいて、ふるさとについての話も少し。
ここで休憩。原田和恵さんが差し入れてくださったナッツやベリーがたくさん入ったケーキを、皆さんでいただく。美味しかった。感謝。
後半トップは、久々登場、少々酩酊ぎみの田中正幸さん。「ガビオタの海」。田中さんはぼくより4歳若い。60年代後半から70年代初めの激動の時代を生きた「同志」。「倒れた者も、歩き続けた者も、みんな必死だった」時代。
あなたに平和がありますように
あなたの願いが叶いますように
あなたが喜びに満たされますように
あながた自由でありますように
続いて原田和恵さん、今日は駒ヶ根であったマンドリン・コンサートへ行ったのだが、ハンドベルの演奏を聞きたいと高速を飛ばしてきたとか。ハンドベルの演奏に間に合ってよかった。「糸」「そばにいるよ」「君は愛されるために生まれた」の3曲。次に、これまた久々登場の唐沢仁さん。ナイロン弦のギターでインストラメンタルを2曲。赤羽さんの「千両梨の実」のあと、こんどはスチール弦のギターでもう1曲インストラメンタル。以前よりもずっと音色が力強くなっているように思えた。
赤羽さん、「鹿のように」と「許し」をソロで歌ったあと、大月さんのサポートで「千両梨の実」。久々にオーリアッドで行われたふたりのコラボレーション。素晴らしかった。相乗効果というのか、互いに相手のいいところを引き出しあっているかのよう。特に、赤羽さんのボーカルには、天にも昇らんばかりの躍動感が。
最後に、大月さんがピアノソロを2曲。先日の教会コンサートで演奏した曲。「G線上のアリア」とベートーベンの「悲愴」。美しいメロディ。
Honanの学生たちの演奏、そして久々登場の何人かの方々のおかげで、とてもいいオープンマイクになった。
12月23日(木)は、恒例のたつの教会のキャロリング隊がオーリアッドにもやってくるとのこと。そのときにも Honan group のクリスマスキャロルのハンドベルを聞くことができるかもしれない。クリスマスの歌とハンドベルは相性がいい。
■
オーリアッドの冷蔵庫を買い換えた直後に、エコポイント制度が始まった。エコポイントについて何も知らなかった。地上デジタル放送の開始される来年7月までにはテレビを買い換えようとは思っていたが、まだ先にことと思っていた。しかし、あと半月でエコポイントがつかなくなると知り、とうとう買い換えることに。「テレビを換えたら実にきれいに映るので、もっとはやく換えておけばよかった」と、先週丸山さんがオープンマイクで語った言葉にも後押しされた。
午後、家人と大型家電店にでかける。ものすごい人。説明を受けるためにもらった整理番号が18。待ちに待ってようやく順番が。説明をしてくれた人がソニーの人で、結局ソニーの Bravia 40Vを購入することに。エコポイント制度というのはそのポイント分だけ割引いてくれると思っていたら、各地の特産品と引き換えられる制度とのこと。それでも価格は、ブルーレイなどの付属品が一切つかないものにしたので、予定の10万円以内に収まった。実際にテレビを取り付けにきてくれるのは年末とのこと。
オーリアッド出かける前、王城山のうえに大きな丸い月が。満月だと思ったが、オーリアッドから戻ってから調べてみたら、満月は11月22日(月)の 02:27 とのこと。明日の晩の真夜中に見る月が満月にもっとも近いことになる。
November 19, Friday 2010
稀に見るほどに美しく晴れ上がった日。昼過ぎ、善知鳥(うとう)峠を下りて塩尻の町に入ると前方に雪をいただいた北アルプス連邦。真っ青な空を背景に、くっきりと浮かび上がっている。見事である。
筑摩野中学校にてトークライブ。時間オーバーで最後は駆け足に。伝えたいことが十分に伝わらなかったのではないか、期待に応えられなかったのではないか、という思いが鉛のように心の中に。それでも、スティーブ・ジョブズの Stay Hungry, Stay Foolish (大切なことは、本当に自分がしたいと思っていることを、人からどういわれようと、すること)というメッセージを受けとめてくれた生徒が一人でも二人でも、いてくれたらいいのだが。
「感動すると疲れない」という言葉は本当である。自分の話や歌に自分で感動できないときは、実に疲れる。生徒たちはもっと疲れただろう。
オーリアッド、10時過ぎに大勢のお客さん。バスケットボールをしてきた帰りとか。食べ物のオーダーがたくさん。てんてこまい。でもありがたい。「ハリー・ポッター」を見てきたという長島さん親子を長い間待たせてしまった。申し訳ない。
コーエンの「アンセム」は次のように始まる。
The birds they sang
at the break of day
Start again
I seemed to hear them say
Do not dwell on what
has passed away
or what is yet to be.
鳥たちが歌った
夜明け
再び始めろと
彼らは歌っているようだった
過ぎ去ったことに
思い煩うなと
これから来ることにも
次のURLはコーエン自身が歌う「アンセム」。見事なグラフィックと英語の字幕つき。Do no dwell on what has passed away. と言い聞かせてがんばろう。http://www.youtube.com/watch?v=5zKk76YkF1U
November 18, Thursday 2010
松本へ向かう山麓線。牛伏寺(ごふくじ)を過ぎたあたり、前方には青空が見えるのに、なんと、雹が降ってきた。かなり大粒。フロントガラスが割れるとは思わなかったが、ちょっと恐ろしかった。
2コマのクラス。両クラスともキング牧師のスピーチの最後の小テスト。前期には Steve Jobsの、後期にはキング牧師のスピーチを学んだ。ともにインスピレーションに満ちたスピーチ。学生の心に何かが残ってくれたらいいのだが。
4講時が終わったあと Mark B. と少し話す。彼は今から、来年夏に松本で行われることになっている JALT の全国大会の準備で大忙し。
オーリアッド。久々に原田さんと、1局。なぜか、あっけなく勝負あり。手を抜いてくれたのか。そこへ、前にハンドベルの演奏をしたいと言っていた短大生がやってきた。今度の土曜日、総勢6人でくるとのこと。 GReeeeNの「愛唄」などを演奏するとのこと。 Greeeenというバンドの名前は聞いたことがある。歯科大の学生で、小文字の e が4つ続いているのは歯をイメージしていると聞いてなるほどと思った。歌は聞いたことがない。YouTube にあった。
http://www.youtube.com/watch?v=DiskZx4g0u4&feature=related
11時家に戻り、明日の筑摩野中学でのトークライブの準備。話したいこと、歌いたい歌はたくさんある。しかしそれをどうプリゼントするかが難しい。
November 17, Wednesday 2010
午後、定期健診に。そのあとインフルエンザの予防接種を受ける。インフルエンザの予防接種はずっと昔一度受けたことがある。今回受ける気になったのは、インフルエンザにかかってコーエンのコンサートに行けなくなったら大変なので。それに、高齢者は、予防接種を、無料ではないが、割引で受けられるとの連絡が役場からきていた。シニア・シチズンにもいいことはある。
今日、Facebook に投稿されていた動画にCat Stevens の Father and Son があった。初めて聞く歌だが、いい歌である。キャット・スティーブンズの名前は昔からよく聞いていたし、確かCDも一枚あったはず。でも彼がどんな歌を歌っているか覚えていない。
今夜オーリアッドで、Cat Stevens の CD を探したが出てこなかった。出てこないはずである、ぼくがもっていると思っていたアルバムは Cat Stevens ではなくて Tim Buckley だった。二人を混同していた。何てことだ。
ティム・バックリーの歌で一番好きなのは Once I Was である。ベトナム戦争の映画『帰郷』 (Coming Home) に使われていた。大好きな映画、大好きな歌。
http://www.youtube.com/watch?v=QZ0f5_rz4u4&feature=related
ティムの息子が、コーエンの「ハレルヤ」をカバーしてセンセーションを巻き起こしたジェフ・バックリーである。息子のジェフが、お父さんの「ワンス・アイ・ウォズ」を歌う動画がある。英語の字幕つき。歌う前に息子は、「この歌を初めてお母さんから聞かせてもらったときは6歳で、退屈な歌だと思った」というようなことを笑いながら語っている。この歌はいかなる6歳にとっても退屈だろう。両親はジェフが生まれる前に離婚して、彼はこのときまだ一度もお父さんに会ったことがなかった。父は29歳で、息子は30歳で、それぞれ悲劇的な「事故」で亡くなった。息子は父の音楽とは別のものを目指したとのことだが、今聞くとなんて二人は似ているのだろう。http://www.youtube.com/watch?v=bKzO3DJk6gQ&feature=related
Susan Boyle が新しいアルバムでコーエンの「ハレルヤ」を歌っていると知ったのはつい最近のこと。それがすでにYouTube にあった。スリー・ヴァースしか、正確には、2.5ヴァースしか歌っていない。これではこの歌の真の意味が伝わらない。少なくとも最後のヴァースは入れるべきだ。でも彼女の音楽を聞く人たちは、歌の意味ではなく、彼女の歌声を聞くのだろう。http://www.youtube.com/watch?v=X0h1O7LxQSc
今夜も水分をしっかりとって寝ることにしよう。
November 16, Tuesday 2010
今朝起きたら、舌の左側が大きく腫れていて声が出ない。口の中がヒリヒリする。しかし、これより酷い状態を何年か前に経験していたので、それほど驚かない。そのときは舌ばかりでなく、頬まで腫れて、それは酷い顔になった。何事が起こったのか分らず、慌てて病院へ行った。薬を処方してもらい、一日で腫れは引いた。
今日は午後1時から2コマのクラスがある。声が出なかったらどうしよう。イソジンとアズノールでうがいをし、水分を取り、家人が急遽作ってくれたおかゆをおそるおそる食べ、出ない声を無理して「それは明治30年、安曇野の春の初め・・・」と唸っているうちに、かすれてはいるが何とか声が出るようになってきた。
2クラスとも、小テストをし、キング牧師の演説を最初から最後まで通して聞き、「ハレルヤ」を解説し、最初の2ヴァースを一緒に歌う。そうそう、ひとつのクラスでは George Washington Carver についてのエッセイを読む。
ピーナツバターの発明者。黒人の農科学者、人道主義者。トーマス・エジソンから年10万ドルの報酬で誘われたが断り、アラバマ州のタスキギー大学で月給125ドルで研究を続けたという。自動車王ヘンリー・フォードからの誘いも断っている。
クラスではまだ声はしゃがれていて小声でしか話せなかったが、夕方家に戻ったときにはほぼ完全に回復していた。こういう場合は大事をとって安静にしているより、口や喉を使ったほうがいいようだ。それに大量の水分をとること。
仕事部屋も寝室も台所も暖房をしていて、空気が乾燥している。喉が渇く。昨夜寝るとき喉の渇きに気づいていたが、そのまま寝てしまった。夜中に一度目がさめたときは喉がからからだった。そこで水分をとればよかったものをそのまま再び寝てしまった。それがいけなかった。
今夜は十分に水分をとった。さて寝るとするか。
November 15, Monday 2010
終日、今週末から始まるいくつかのプリゼンテーションの準備。なかなかまとまらない。文章を書くときの締め切りと同じで、切羽詰らなければアイディアがわいてこない。
昔、辰野中学のAETだったキャサリンから Facebook に入るように言われ、入ったはいいが、十分には使いこなせないでいる。昨日は多くの人から birthday wishes の書き込みがあり、久々にFacebookを覗いてみた。マウントシャスタ、エルサレム、リトルトン(コロラド)、シカゴ、東京、松本などから、中には会ったことのない人からのbirthday wishes も。
私信が公開されるようで書き込むには少々抵抗もあるが、それでもこの Facebook は人と人との、特に世界に広がる知らない人との、つながりをもつにはいい方法である。
いよいよ高齢者の仲間入り。60になったのはついこの間のような気がしていたが、もう5年が経ってしまったのかと驚く。5年がまるで1年のよう。次の5年を大事にしなければ。元気に、セキギョク的に。幸いなことにぼくの周りには尊敬すべきロールモデルが何人もいる。
そうそう夕食時、つけたテレビがちょうど白鵬と稀勢の里の取り組み直前。稀勢の里はいい力士である。面構えからふてぶてしい。でも今の白鵬には歯が立たないだろうと思っていたら、あにはからんや。白鵬が土曜の外に弾き飛ばされた。観衆のなかに仰向けに倒れた白鵬の苦笑いが印象的。
白鵬は悔しかっただろうが、同時にホッとしたことだろう。
November 14, Sunday 2010
ヨナット・フリーリングさんからメールがあった。その中に Any time to see him is a treat to the soul. という一文があった。彼とはレナード・コーエンのこと。
彼女は中東フォックステレビのプロデューサー。彼女は、昨年9月にレナード・コーエンがテルアビブでコンサートをしたあと、 Dear Mr. Cohen で始まり、Thank You, Mr. Cohen で終わる感動的な記事を書いた。本当にすばらしい記事で、何度も読み返した。そしてその記事をもとに「ありがとう、ミスター・コーエン」という歌を書いた。
今年の8月に彼女のメールアドレスを探し出し、遅ればせながら、彼女の記事を歌にしてもいいか尋ねた。直ちに「いかなる形で使ってもらってもかまわない」という返事がきた。歌詞を英訳して送ると約束しながらまだ果たせないでいる。まだまだ歌が発展途上にあるからである。でもそう待たせるわけにはいかない。なんとかしなければ。
冒頭の英語は「彼を見るときはいつも、魂が癒される」とでも訳そうか。彼女の先月のメールに、先日彼のコンサートがテレビで放映されたとあった。Live in London に収められなかった Famous Blue Raincoat や Chelsea Hotel #2 などを集めた Songs from the Road も素晴らしいが、できたらテルアビブでのコンサートのDVDが出て欲しいもの。Live in Tel Aviv。その意味で、Live in Phnom Penh も実現してほしかった。しかし、彼が「ダイアを質にいれても、ダイアそのものの価値は変わらない」(That Don't Make It Junk) という主旨の歌を歌っているように、プノンペンであれ、ラスベガスであれ、レナード・コーエンはレナード・コーエン。どこで聞こうとそれは魂の癒し。
午後遅く、先日の続きで、家の裏に積まれている剪定した木の枝を燃やす。小山のようにあった小枝が半分以上なくなり、すっきりした。意外と広いスペース。余裕があれば、小さなログハウスでも建てたいところ。
November 13, Saturday 2010
毎週オープンマイクがあっても、決して同じということがない。同じ顔ぶれであっても、同じ歌であっても、まるで生き物のように相貌を変える。前回のキーワードは「インド」。今夜は「死」。中でも印象深かったのは、名取芳夫さんが「涙」ながらに歌った歌。そして赤羽真理さんが「千両梨の実」の最後に組み入れた聖書のことば。
トップバッターを丸山俊治さんにお願いする。いよいよ季節到来の「山スキーの歌」のあと、死を通しての再会を願う「あなたは私」。そして「あなたと共に」。原田和恵さん、「新しい光迎えよう」と、原田さんのお父さんの十八番「キリストには代えられません」。そしてピアノソロ「G線上のアリア」。
サイモンとガーファンケルの「サウンド・オブ・サイレンス」の3番に、「ほかの声が決して分かち合うことのない歌を書いている人々」 (People writing songs that voices never share) という一行がある。自分が書いた歌をほかの人が分かち合ってくれるというのは実にうれしいこと。ありがとう、原田さん。「新しい光迎えよう」は、もう何年も前に、息子の理不尽な死に打ちのめされそうになっていたお父さんのことを思って書いた歌。書いたというよりは、千歳空港のホテルの一室で突然出てきた歌。
赤羽真理さん、「鹿のように」「私を待つ人がいる」「御手の中で」。藤森和弘さん「今日は土曜日」。そして弟さんの突然の死を歌った「おまえの歌が聞こえる」、そして彼の師匠のカバーで「初恋」。名取由紀子さん、先月のオープンマイクでお会いした三浦綾子研究家森下先生の読書会に東京で参加したときの話をしたあと、「シェルブールの雨傘」「白い恋人たち」「I Love You」。ぼくが、タウンズ・ヴァン・ザントの If I Needed You の日本語ヴァージョン「もし君がぼくを必要としたら」と「新しい光迎えよう」を歌い、前半終了。
名取芳夫さん、親しい人の死について語ったあとアカペラで「琵琶湖周航の歌」。初めから胸に迫るものがあったが、次のヴァースに至って嗚咽にも似た歌い方に。
瑠璃の花園、珊瑚の宮
古い伝えの竹生島
仏の御手に抱かれて
眠れ乙女子、やすらけく
名取由紀子さん、「太陽がいっぱい」、そして森下先生に誉められたという「家路」。確かに彼女のひたむきでシンプルな演奏には heart-warming なものがある。藤森さん、名取(芳)さんの話と歌を受けて、弟さんの死について手短に触れたあと、河島英五の「生きてりゃいいさ」。そして「寒い夜」。赤羽さん「ホーボーズ・ララバイ」「千両梨の実」。「千両梨の実」の最後に赤羽さんはいつも聖書の一節を挿入するが、今夜はヨハネ伝12章24節。
一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし。
一人の人の死は、多くの実りをもたらす契機になりえる。難しいことではあるが。
原田和恵さん、「日々主はそばにいまして」、小さな甥のためによく子守唄として歌うという「君は愛されるために生まれた」。丸山さん、原田和夫さんのオーリアッド・オープンマイクのトークに触発されて書いた2曲「白雪先生」と「いつか叶うといいですね」を、本人の前で。後者には、新しいヴァースが加わっていた。原田和夫さん、丸山さんの歌を受けて小学校の先生と幼いころの満州の思い出。
10月17日のNHK教育テレビの日曜美術館で碌山が取り上げられたとのことで、ぼくが最後に、前からリクエストされていた「碌山」を歌う。ぼく自身はその番組を見逃してしまったが、それ以後、碌山や相馬黒光に言及するブログが増えているようだ。ぼくの「碌山」を聞いて相馬黒光について、かなり前、ある老子風哲学者が書いたエッセイがある。そのエッセイを引用しているブログもあった。
黒光さんがどんな女性であったかぼくにはわからない。相当魅力的な人であったことは確かである。
November 12, Friday 2010
寒い一日。朝、少し雨模様。そのうちに止んだので、焚き火をして、枯れ枝などを燃やそうかと思ったが風が強い。今日は断念。風が吹くたびに木の葉がはらはらと散る。モミジの木の下は、赤い丸いラグが敷かれたよう。
午後、来週から始まるいくつかのプリゼンテーションの準備。とくに24日(水)にネイティブの先生方の前で、歌を使って英語のリズムを教える方法を語るのは、釈迦に説法の如きで緊張する。しかし、彼らはその違いに無頓着であることが多い。強く読む品詞、弱く読む品詞があるというようなことはあまり意識していない。強と強の間にいくつ弱があってもリズムは変わらないということも。彼らにとってはそれは空気のようなもの。意識する必要がないのである。
シュリーマンが外国語の学習について語ったとき、ひとこともリズムや発音について述べなかったのは、彼が習得した言語がドイツ語と同じインドヨーロッパ語族に属していたからだ。まったく異なる体系をもつ日本語を母語とする日本人が英語を学ぶ上で、先ず学ばなければいけないのはそのリズムと発音。そしてそれを学ぶのにもっともいい教材は歌である。というようなことを語りたいと思っている。
オーリアッド。前半、今日庄司さんが送ってくれたマイケル・ホフマンの映像を見る。1998年に関西テレビが制作した番組「墨と水の心 京都〜画家マイケル・ホフマン」をDVD化したもの。懐かしい場所や人が随所に出てきた。彼が昔住んでいた鷹が峰には何度も行ったことがある。直原玉青さんに会いに、彼に連れられて守口市のご自宅を訪問したこともある。
後半お客さん。合間を見て、『山暮らし始末記』の続きを読む。真似できない体験と筆力。ぐんぐん読ませる。
November 11, Thursday 2010
4時間目のクラスの学生は、12月のはじめに全員 TOEIC の試験を受けることになっている。その準備として、音読を勧める。シュリーマンの外国語学習方法や「超音読英語勉強法」について解説したあと、実力をつけるためには、感動的な物語やスピーチを正しいリズムで「音読」することが重要であると力説する。そのためにはこのクラスで読んでいるキング牧師の I Have a Dream のスピーチが最適であるとも。
ほぼ17分のキング牧師のスピーチを試験の日まで毎日1回、できたら、2回でも3回でも、音読し、今までクラスで歌ってきた歌を歌詞を見ないで歌えるようにすれば、問題集を毎日やるよりも効果があるはずである。正しいリズムで英語を音読することで、英語のセンス(勘)を身につけることができる。TOEIC の試験には英語のセンスが必要である。
クラスが終わったあと、一人の学生が話しかけてきた。来年の春休みにスペインの「巡礼の道」を自転車で走る計画を立てているが、音読をすれば本当に上達するのかと。まだ数ヶ月ある。大丈夫、死に物狂いでやれば、絶対大丈夫、と伝える。
こういう学生がいるのはうれしい。去年だったか、今年だったか、スペインの高校生たちが何日もかけて「巡礼の道」を歩くドキュメンタリーを見たことがある。あの800キロ以上の道を自転車で走り終わるころには、彼の英語はかなり上達しているだろう。いや、走り終わるころには、彼は英語以上の何かを身につけているはずである。
夕方家に戻ると、堀越哲朗さんの『山暮らし始末記』(太田出版)が届いていた。今夜、読み始めたら、下に置けなくなり、気がついたら閉店時間を20分もオーバーしていた。この本はすごい。
堀六平さんのマネジャーの上條さんからメールがあった。松本にライブハウスをつくる計画があり、「三人の会」をそこでやりたいとのことだった。コンサートは12月22日(水)に予定されているようである。
November 10, Wednesday 2010
庭の南東の隅にあるモミジは毎年きれいに紅葉するが、今年は畑の近くにあるモミジもきれいに色づいた。
朝から畑の整理。トマトのカバーをはずす。枠は来年までそのままに。青いトマトがたくさんとれた。ピクルスとジャムに。そのあと、ビーバーで枯れた背の高い雑草を刈る。
午後、昨日松本から帰ったときに、家人が言っていたリビングの窓にぶつかって死んだ小鳥(多分オナガ)を、東側の柿の木の下に埋める。ベンジャミンのお墓の横。ここには数年前死んだ2匹の生まれたばかりの子猫も眠っている。
数日前Y先生が話してくれた ― 先日偶然、ずっと昔のSBCの番組のビデオを見たら、最後にぼくと家人がベンジャミンと散歩しているシーンがあったと。ベンジャミンとはよく裏山を走ったもの。
夜、オーリアッド。静かな夜。小テストの採点をしたり、今日届いた音読を勧める英語学習法の本を読んだり。歌の練習も。
11時帰宅。玄関先の温度計、2℃弱。寒い。
November 9, Tuesday 2010
朝食後、二階に上がり今日の授業の準備をしていると、家人の大きな声。何事かと思って階下に下りていくと、サルがいるとのこと。わが家の畑にも隣の畑にも、山の麓にも。再び二階に上がりカメラをもってベランダへ。
家人が大きな声を出したものだから、サルたちはみんな山に向かって一目散。少なくとも20匹はいただろう。でも山麓にいたサルは少し逃げる振りをしたものの、様子をみて戻ってきて、柿の木の下に落ちている柿を食べている。この柿の木は彼らが10月31日にわが家の柿の木を襲撃した時に同時に襲ったもの。おそらく渋かったのだろう、少しかじっただけの柿がたくさん落ちていた。それが熟して甘くなっていたに違いない。
わが家の畑からも何匹か逃げていったが、大根を何本かかじられたようだ。
午後2コマのクラス。これらのクラスでは先週 The Sound of Silence の3番までしか歌わなかった。今日は最後まで。キング牧師のスピーチも今日は最後の部分の解説。彼のスピーチはきわめてポーエティック。比喩的な表現に満ちている。
唯一よく理解できないところは、次のところ。
I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together.
私には夢があります。いつの日かすべての谷が高くされ、すべての丘や山が低くされ、でこぼこしたところが平らにされ、曲がったところがまっすぐにされ、主の栄光があらわされ、すべての人が共にそれを見るという夢が。
ここを読むたびに思う。みんな違ってみんないいのではないかと。ここはイザヤ書40章の4-5節の引用である。違和感を感じるのは、この言葉が使われているコンテクストが、聖書とキング牧師のスピーチでは違っているからに違いない。
November 8, Monday 2010
午後、城山公園までウオーキング。それまで少し雨が降っていたが、城山公園に着く頃には陽が射し始めていた。黄色いモミジが太陽の光を浴びて美しい。守屋山も今日はしっかり見えた。
土曜日にエスラジの見事な演奏をしてくれた堀越さんからメールが届いた。購入していただいたレナード・コーエンの Live in London (DVD)の感想が書かれていた。ルーベン君を含めてみんなで見たとのこと。「あんなに密度の濃いコンサートを見るのは初めてでした。74歳という年を感じさせないというより、むしろあの年だからこそできる円熟のライブという雰囲気ですっかり堪能しました」と書かれていた。
ルーベン君の両親は来週メルボルンで開かれるコーエンのコンサートのチケットを予約してあるとも書かれていた。調べてみたら、メルボルンは今週の12日(金)13日(土)の2日間、Rod Laver というアリーナで開かれる。
昨日、浜野サトルさんからメールがあった。青空文庫で公開してきた山頭火の英訳を置いてあったisweb というサーバーが先月末で消滅して、ファイルが開けない状態になっているが、どうしたらいいかとのことであった。選択肢は3つ。浜野さんが管理するか、ぼくが管理するか、青空文庫での公開をやめるか。
ジム・グリーンと一緒に訳した山頭火の英訳を、浜野さんに勧められて青空文庫に入れてもらったときは、こんなものを読む人がいるのかと思ったが、今、グーグルで santoka hisashi miura を入れて検索すると、世界中の山頭火ファンや研究者に読まれていることが分る。少なくとも、参考文献のひとつとして引用されている。だから青空文庫での公開は続けたほうが親切だと思う。管理はコンピュータのプロの浜野さんにお願いしたほうが安心である。
というような返事を昨日送っておいた。今夜遅く浜野さんからメールが入り、青空文庫で再度読むことができるようになったとの連絡があった。アクセスしてみると以前よりもきれになって、読みやすくなっている。興味のある方は次のURLからどうぞ。
http://onedaywalk.sakura.ne.jp/aozora/fire/
『ディランにはじまる』(晶文社 1978) を読んだときから、ぼくは浜野さんの文章のファンだったが、青空文庫でも「新都市音楽ノート」という評論集を読むことができる。その最後はレナード・コーエンについてである。
http://onedaywalk.sakura.ne.jp/aozora/toshiongaku/
November 7, Sunday 2010
レナード・コーエンの「ハレルヤ」は多くの人にカバーされて、世界的に評価の高い歌ではあるが、もうひとつこの歌が何を歌っているのか分らなかった。でも最近次のようなコーエンの言葉を読み、なるほどと膝を叩きたくなるほど納得した。この歌は「まだ鳴る鐘を鳴らせ/完璧な捧げものはない/あらゆるものに裂け目がある/光はそこから入ってくる」と歌われる「アンセム」と共通するテーマを持っている。
I wanted to write something in the tradition of the hallelujah choruses but from a different point of view... It's the notion that there is no perfection- that this is a broken world and we live with broken hearts and broken lives but still that is no alibi for anything. On the contrary, you have to stand up and say hallelujah under those circumstances.--Leonard Cohen
ハレルヤ・コーラスの伝統にそって、しかし異なる視点からの歌を書きたいと思った。・・・その基本にあるのは完璧なものはないという想い、つまり世界は壊れている、そして私たちの心も、私たちの人生も壊れているという想い。でもそれを言い訳にしてはいけない。むしろその逆で、そのような状況にあるからこそ、あなたは立ち上がり、ハレルヤと叫ばなければならないんだ。―レナード・コーエン
この言葉を見つけたのは、ニール・ダイアモンドが「ハレルヤ」を歌う YouTube の書き込みの中。もともと2008年に、フランスの音楽雑誌のインタビューに応えて語った言葉のようだ。そうそう、ニール・ダイアモンドの「ハレルヤ」は素晴らしい。ぼくはジェフよりもこっちが好きだ。http://www.youtube.com/watch?v=xg9osCVIZ58
今日も午後遅く、少し焚き火を。庭の紅葉もかなり色づいた。去年と比べると一週間遅れている。
中日とロッテの2日続けての延長戦には驚いた。中日が負けて残念だが、バレンタイン監督のころからロッテも嫌いな球団ではない。
November 6, Saturday 2010
今日は風のないいい天気。朝から、家の周りに積んでおいた剪定した木の枝などの整理。北東の隅に集めて燃やすことに。夕方までに、全部とはいかないまでもかなりきれいになった。しかしぼくはいぶされて燻製人間に。
家人は午前中、藪田グリーンファームへ上野大根の収穫手伝いに。来週はそれを漬け込むとか。
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オープン・マイク。先ずぼくが「バード・オンザ・ワイヤー」と「ガビオタの海」を歌ったあと、日本中を徒歩とヒッチハイクで旅しているオーストラリア人のルーベン・シュミット君に歌ってもらうことに。驚ろいたことは、彼がまだ若干20歳というだけでなく、彼の世界で一番好きなミュージシャンが細野晴臣だということ。先ず一曲目、日本語で「シメンドウカ」。シメンソカではないかと聞くと、シメンドウカだと言う。調べてみたらあった。「四面道歌」。次にオリジナルのWhat You Want, You Can Do。確かに、彼はそれを実践している。もう1曲、日本語で歌ったが、タイトルを聞きそびれた。
続いて堀越哲朗さん。ルーベン君のホストファーザー。取り出したのは不思議な楽器。シタールのようにも見えるが全体的にほっそりしている。インドのエスラジという楽器とのこと。先ずエスラジのソロを1曲。なんともいえぬ幽玄な響き。本場でインド人の先生からマンツーマンで指導を受けたという。見事な演奏。そのあと、奥さんの芳枝さんがエスラジの演奏に合わせ「赤い橋」と「モズが枯れ木で」を歌う。エスラジのゆったりした共鳴音と芳枝さんの美しい高音の絶妙な組み合わせ。
原田和恵さん、先日の秋田への旅について語ったあと、「トロイメライ」の演奏。そしてタイトルを聞きそびれた英語の歌と名曲「そばにいるよ」。藤森和弘さん、「今日は土曜日」「愛音」、そして「ガンジス」。藤森さんが「ガンジス」を歌うのを聞くのは2度目。いい歌である。赤羽真理さん、「私を待つ人がいる」「旅人の木」「許し」の3曲。2曲目には「昔インドの・・」とインドが出てくる。藤森さんも赤羽さんも、堀越さんのエスラジ (esraj)の演奏を聞いて選曲したことはあきらか。有機的につながるオープンマイクの醍醐味。ここで休憩。
休憩時間にかかった音楽は、レナード・コーエンの Dance Me to the End of Love と The Future。後半は先ずぼくが「年をとって歯が抜け (When I'm 64)」と「祈りの歌」を歌い、次にルーベン君。2曲のところ1曲でいいと、「おばけ」という歌。モーサム・トーンベンダーという日本のバンドの歌とか。恐れ入った。続いて堀越哲朗さんのエスラジのソロ、そして芳枝さんが「さとうきび畑」を歌う。お二人はオーリアッドで行われた最初の大工哲弘さんのコンサートにお見えになったとのこと。原田さん、ピアノソロ「G線上のアリア」のあと、最近よく歌っている「糸」。運命の不思議な出会いを縦糸と横糸になぞらえた歌。藤森さん、リクエストに応えて「海・その愛」、そして「木枯らしに抱かれて」。オーリアッドの「赤いラーメン」(ナポリタン)が食べたいといってついてきた愛音ちゃんに歌ってもらおうと思ったら、ぐっすり眠っていた。原田和夫さんに秋田旅行のお話を聞く。印象に残った言葉は「秋田には美人が多いですね」。今夜の最後は赤羽さん、ご存知「千両梨の実」と「今すぐに」。
今日はルーベン君と堀越さんご夫妻の登場により、オーリアッドの空間はいつもとは違った雰囲気に。異質なものとの出会いは常に刺激的である。ルーベン君は近々大阪へ向けて旅立つとのこと。Wish him godspeed! 堀越さんにはまた是非エスラジの音色を聞かせてもらいたいもの。
November 5, Friday 2010
昨日の朝、松本へ行く直前に、キジが家の東側の庭をスーと走っていくのが見えた。一瞬キジバトがもどってきたのかと思った。しかし、よく見るとキジだった。山道などで見かけたことはあるが、家の庭で見るとは。
今日の午後のこと。家人が大きな声を出すので、何事かと降りていくと、庭の南側から東に向けて狐が歩いていったとのこと。家人は先日も昼間、近くの農道を歩いている狐を見たと言う。いろんな動物がやってくる。熊は大丈夫か。もう冬眠しているだろうか。
午後歯医者さんへ。部分入れ歯の型どり。これからコンサートや講演がいくつか続く。それまでにはできてくるといいが。目には眼鏡、耳には補聴器、口には部分入れ歯。もうすぐ高齢者の仲間入り。嗚呼!
6時。オーリアッド。寒い。灯油のストーブとエアコンのヒーターをつけてもなかなか温まらない。いよいよ本格的な冬。
スピーカーからはEssential Leonard Cohen。そのあと、With the Beatles。昔、サンタバーバラにいたときだったか、京都へ行ってからだったか、ぼくの二人の英雄、ボブ・ディランとレナード・コーエンのアルバムを、歌詞ではなく、サウンドを意識して、聞き比べたことがあった。もっとも大きな違いはリズムだった。コーエンの歌には躍動するリズムが欠けているように思えた。 昨日、今日と、Essential を聞いていても、それを感じた。それに、声の勢い。
ところが Live in London のコーエンは、その両者が大きく変化している。リズムに関してはハビエル・マスやロスコー・ベックをはじめとする卓越したミュージシャンたちの演奏により、きわめてリズミカル、ミュージカルになっている。
声の勢いというか力強さに関しては、マウントボールディでの毎日の読経のせいか、長年悩まされたうつ病がなおり、「抑えても抑えきれない愉快な気持ち」が出てきたせいか、あるいは、その両方のせいか、若い頃の声以上に勢いがあり、説得力がある。昨日の日記に「彼のアーティストとしての生涯のなかで最もクリエイティブな時期を迎えている」と書いたのは、そういう意味である。
12月10日11日のラスベガスでのコンサートで3年にわたったワールドツアーが終了する。しかしこれで終わってしまうわけではないだろう。コーエン・フォーラムにロスコー・ベックの言葉が引用されていた。
「私たちは新しいアルバムの制作について話している。レナードは新しいアルバムが出たら、またツアーをやろうと話している。それが神の御心なら、そうなるだろう」。
"We're talking about making a new record and Leonard is talking about touring again once the new record is out. God willing, that's what we'll all do."
新しいアルバムができたら、ぜひ日本にもきてほしい。バンドメンバーはそのままにしても、他のツアーメンバーの数を減らし、logistical difficulties を軽減することはできないものか。あるいは、そのままのツアーメンバーでも、国際フォーラムを満員にするほどの聴衆が集まれば可能なはず。
November 4, Thursday 2010
昨日につづき、今日も美しい一日。一昨日松本へ行ったとき、キャンパスの紅葉がきれいだった。青空に映える北アルプスも美しかった。今日はカメラを持っていくことに。しかし、クラスの準備に追われ、家を出る時間が遅れてしまった。山麓線の路肩に車をとめ、新雪をいただいた北アルプスの写真を撮る時間がなくなった。
キャンパスの写真は、上段は駐車場から教室のある建物へ歩いていく途中に撮ったもの。下段は、クラス終了後、5時近くになって、生協前の広場で撮ったもの。薄暗くなりかけていて、本来の鮮やかな色ではない。それでもきれいだ。ケイタイのカメラで撮っている学生もいた。
キング牧師のスピーチの小テストもいよいよ後半になってきた。今日は次のところまで。
私には夢があります。いつの日か、酷い人種差別主義者や、常に異を唱え、連邦政府の決定を無効にしようとしている知事がいるアラバマ州で ― いつの日か、そのアラバマ州で、小さな黒人の男の子と女の子が、小さな白人の男の子と女の子と、兄弟姉妹として、手をつなぐことができるという夢が。今日、私には夢があります!
そのあと、最初からここまでの映像を見る。最初のクラスで見たときはほとんど聞き取れなかった学生たちも、あとで聞いてみるとかなり聞き取れるようになっていた。
そのあと、今まで歌った3曲を歌い、今日の歌に。火曜のクラス同様「サウンド・オブ・サイレンス」。歌う前に学生に聞いてみる―「サイモンとガーファンケル」という名前を聞いたことがない人は手を上げてみて。な、なんと。3分の1以上の手が上がる。次のクラスではちゃんと数えてみた。23人。クラスの半分以上の学生。いや、3分の2か。ディランやコーエンの名前は聞いたことがなくても、サイモンとガーファンケルは知っているだろうと思っていたが、あにはからんや。
6時少し過ぎ、オーリアッドへ。スピーカーからは新しい Essential Leonard Cohen。確かに一般受けする歌や声ではないかもしれない。でもこれほどに流行とは無関係に歌を書き歌い続けてきた人がほかにいるだろうか。 確かに Death of a Ladies' Man (1977年)においては、フィル・スペクターをプロデューサーに迎え、かなりポップな音楽を作ろうとしたこともあった。しかしこのアルバムがコーエンのエッセンスを伝えているとは言い難い。事実、このアルバムからコーエンは1曲も、エッセンシャルに入れていない。
いずれにしろ、76歳の現在、レナード・コーエンは、彼のアーティストとしての生涯のなかで最もクリエイティブな時期を迎えている。
November 3, Wednesday 2010
文化の日。見事な秋晴れ。
朝、昨日買ったたまねぎの苗50本を植える。200本はすでに家人がかなり前に植えたが、そのあと腰が痛いとのことで、ぼくが植えることに。50本植えただけで、腰が痛くなった。200本は大変だった。
家人が友人から種芋をもらって植えたアピオスという聞きなれない名前のイモを掘る。掘ると土の中から蔓でつながった小さなイモが出てきた。何でも北米のネイティブアメリカンの栄養源だったとか。イソフラボンが大量に含まれ、肥満、糖尿病、高血圧、勢力減退、肝臓疾患、腰痛、便秘などに効き目があるらしい。ぼくのための食べ物?
続いて、落花生を引き抜く。「たくさん種を蒔いたのに、カラスに食べられてしまった」とのこと。芽が出たのは3本。それでもテーブルいっぱいの落花生。
先日とった柿を家人が皮をむき、軒先に吊るした。すだれのようにとはいかないが、秋の風情。
区の公民館で開かれている文化祭の展示会を見に行く。4時終了とのことで20分ほど前に行くが、すでに後片付けが始まっていてゆっくり見ることができなかった。昨日家人が出しておいてくれたぼくの「フォトアルバム」も展示されていた。「今年我が家を訪れた生き物たち」と「キジバトの雛が孵りました」の2種類。青大将が小鳥の巣箱から顔を出している写真には皆さん驚いたようである。
午後、The Darkness on the Edge of Town Story の正式な英詩が届き、以前に訳したものと比較して、行をそろえるなどの作業。以前はブックレットに載っていた手書きの歌詞をもとに訳したが、改行やスペースが違っているところがかなりあった。見直すことで、訳抜けも数行見つかり、訳を付け加えた。よかった。
11時過ぎ、オーリアッドから戻り、もう一度見直し、送る。
家に戻ったとき、玄関先の温度計は0℃を指していた。冬がきた。
November 2, Tuesday 2010
午後、2コマのクラス。今日の歌は The Sound of Silence。歌詞を解説し、一緒に歌う前に、次のような話をする。
サイモンとがーファンケルは、Tom & Jerryという名でデビューし、1964年、この歌が入ったアルバム Wednesday Morning, 3 A.M. をリリースした。しかしほとんど評価されず、ポール・サイモンは意気消沈し、イギリスへわたりソロで、彼の言葉を借りれば one-man band としてコーヒーショップなどを回っていた。その間に、アメリカでは、各地のラジオ局にこの歌のリクエストが届き始めた。プロデューサーのトム・ウイルソンはチャンスとばかりに、当時ヒットしていたバーズの「ミスター・タンブリンマン」を真似てエレキギターをかぶせて再リリースする。それが大ヒットへとつながった。バーズの「ミスター・タンブリンマン」、そして「サウンド・オブ・サイレンス」によって、フォークロックなる呼称が定着した。その後のことは誰もが知っているように、映画『卒業』に使われ世界的に知られるようになった。
松本からの帰路、牛伏寺(ごふくじ)近くのファーマーズ・マーケットで、家人に頼まれていた補充用のたまねぎの苗を50本買う。ついでにボリュームたっぷりの焼きそばも。
夜は、中日のあまりにふがいない戦いぶりに途中で見ることをやめ二階へ。メールを開けたら、多くのスパムメールの間に信じがたいメールが入っていた。ロンドンのチケットマスターからプノンペンのコーエンのコンサートがキャンセルされたという知らせ。何ということだ!!先ずハワイがキャンセルされ、次はプノンペン。プノンペンでコーエンを聞くのを楽しみにしていた。多くの試練や困難を経験したあの国で、彼が何を語るか、何を歌うか、興味があった。
キャンセルの理由はハワイのときと同じ insurmountable logistical difficulties。直訳すれば「乗り越えられない運搬上の問題」。理由にならない理由である。キャンセルを決定したのは地元のプロモーターとのこと。採算がとれないからか。首相が後援者だったはずだが。
その後、飛行機およびホテルの予約のキャンセルに追われた。うむ、ここまできたら次は最終日のラスベガスへ行くしかないかも。まだチケットは取れそう。
疲れた。
November 1, Monday 2010
翻訳の仕事が続いたり、コンピュータの調子が悪かったりで、このところ部屋にこもることが多かった。運動不足である。それで今朝は久々に城山公園まであるくことに。歩き始める前に、今朝外に出た家人が、サルに大根がかじられたと騒いでいたので、その大根の写真を撮る。昨日、柿がやられたときに大根もやられたのに違いない。かじられた柿の写真も撮る。
運動不足は明らかだった。途中でしんどくなり、引き返そうと思ったが、思い直し、なんとか目的地に到着。雲が多く守屋山は見えなかったが、気持ちのいい景色。下段左は城山公園の色づき始めた木。我が家の庭も少しずつ色づき始めてはいるが、例年のようにきれいではない。昨年の11月1日は、母の七回忌の法事だった。真っ赤に色づいた紅葉の下で記念撮影をしたことを覚えている。
散歩からもどり、梯子と高枝バサミをつかって残っている柿をとる。30個はあっただろうか。梯子にのぼって、高枝バサミを使うものだから、両腕が疲れた。肩がこり、少し頭痛がする。
夜は明日のクラスの準備。明日は The Sound of Silence を歌うことに。それに区の公民館の文化祭用に、この一年で撮った我が家を訪れた生き物たちの写真をプリントアウトする。そのいくつかを下に。
春、シジュウカラがイチイの木に取り付けた巣箱に卵を産み、4,5匹の雛が孵った。秋にはそのイチイの木の枝にキジバトが巣をつくり産卵し、2羽の雛が孵った。先祖の地に戻って28年。初めての経験である。