OREAD Diary
September 1 - 30, 2009
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September 30, 2009 Wednesday
朝から雨。明日から始まる後期のための準備。昼過ぎ、温泉へ。意外に混んでいた。雨の日は利用者が多いのかも。
温泉へ行く前に、先日送ったブックレット訳の校正が届く。しまった。最後のほうにあったディレクターの1ページ分の文章を訳すのを忘れていた。オーリアッドへ行く前、とりあえず訳し終える。それほど長くないし、内容がいいので訳していても楽しい。前に訳したプロデューサーの文章とは大違い。プロデューサーの書いたものを訳すのに四苦八苦して時間がかかったので、ディレクターの文章をうっかり忘れてしまったようだ。
オーリアッド。遅くなって、歌の練習。Hallelujah そして Yesterday。明日は Yesterday を使うつもり。今学期は、歌詞を覚えてもらおうと思っているので、最初の歌にはうってつけである。短いし、誰でも知っている。久しぶりに歌ったのでコードを忘れていた。逆に Halleluiah は長くて、歌詞が難しい。一曲コーエンの歌を入れたいと思い、何にするか迷った。Suzanne や Bird on the Wire も考えたが、 Hallelujha にすることに。他の人にもカバーされているし、コーラスの部分は一緒に歌いやすい。これを全部歌詞を見ないで歌えるようになるのは難しい。せめて 1st verse だけでも。学生に覚えることを期待するためには、ぼく自身が見本を見せなければ。大変だ。
11時、閉店。外に出ると路面はまだしっかり濡れているが、雨はやんでいた。いよいよ明日から10月。2009年も残り3ヶ月。
September 29, 2009 Tuesday
一日中家にいて、後期に使う教材を揃えたり、教科書の下調べをしたり。使う歌も一応決めた。ビートルズ4曲、S&G1曲、レナード・コーエン1曲、それにトラディショナル1曲。ボブ・ディランが入っていないが、この7曲で、段数を2にして、A4の裏表を使って、いっぱいになってしまった。必要とあれば、様子を見ながら付け加えることにしよう。
9月24日のイスラエルのコンサートで「アンセム」を歌う前に、コーエンが、子供を戦争で失くしたイスラエルとパレスチナの平和を求める親の会(The Bereaved Parents for Peace) に言及するYouTube を見つけた。感動的である。
http://www.youtube.com/watch?v=MLGWXsAp7GA
ありがとう、友よ、こんなにもあたたかく私を迎えてくれて。少し前のことでした、子供たちを失くしたパレスチナとイスラエルの親たちが作った平和を求める組織があることを知ったのは。紛争によって多くを失った国境を隔てた家族が、絶望的な悲しみの中で、互いの「敵」に手を差し伸べ、同じ苦しみを味わっている者たち同士が、痛みを分かち合い団結したのです。
それは友好とか対立とかいう概念をはるかに超えた人間の心の中にある深い思いやりの証しです。それは、許しでもなく忘却でもなく、武器を置くことでもありません。それは、平和とも違います。もちろん、上手く行けば、平和の始まりになるかもしれませんが。それは、人間の悲しみに対する根源的な反応、人間の苦悩に対するたぐいまれなる、聖なる、聖なる、聖なる反応です。神の祝福がありますように!
私は、この方たちの崇高なる企てに対して深く頭を垂れ、敬意を表します。だから;
鐘を鳴らせ、まだ鳴る鐘を
完璧な捧げ物はない
あらゆるものに裂け目がある
光はそこから入ってくる
September 28, 2009 Monday
ここ数日、かなり気温の高い日が続いている。昨夜などは、真夏の夕立のような雨が降った。そろそろ10月で、この時期になると、年によっては暖房をつけることもある。しかし今年は、時々冷房をつけたりしている。シャツも夏用のシャツ一枚で間に合っている。確かに異常気象である。
午後、10月1日から始まる後期のための歌詞カードを作り始めた。どの歌を入れるかで迷い、まだ完成していない。She's Leaving Home 入れたいのだが、ぼくのギターの技術では難しい。
午後遅くネギの土寄せをし、耕運機で畝をひとつ掘る。タマネギ用。いい運動である。
■
次のURLをクリックすると、コーエンのイスラエルでのコンサートの最後の部分を見ることができます。
http://www.youtube.com/user/MajorTom2oo1
「そんなふうにサヨナラを言ってはいけない」を歌い、さらに全員で「ウイザー・ザウ・ゴウスト」を歌ったあと、コーエンは、ミュージシャンはもとより、裏方のスタッフも紹介し、彼ら全員を代表して、聴衆に感謝の気持ちを伝えます。そして、7分10秒経ったあたりから、次のように語り始めます。
もう一度、戦争で子供たちを失ったイスラエルとパレスチナの平和を求める親の会 (The Bereaved Parents for Peace) のメン バーに、敬意を表したいと思います。彼らはときには、ナイーブであるとか愚かであるとか、見当違いをしているとか、敗北主義者であるとか、さまざまに誹謗中傷されてきました。そんなことはありません。断じてそんなことはありません。友よ、彼らは勝利を、多分、唯一の勝利を獲得したのです。心の勝利を獲得したのです。絶望、報復、そして憎しみに対して。
親愛なる友よ!「主があなたがたを祝福し、お守り下さいますように。主が微笑みかけ、お恵みを与えて下さいますように。主が慈しみのまなざしを向け、平和を与えて下さいますように」。ゴッド・ブレッス・ユー。おやすみ、友よ!
「主があなたを祝福し・・」で始まる最後の祈りをコーエンはヘブライ語で行ないます。平和を意味する「シャローム」ということばが聞こえてきます。この祈りは、ディランの Forever Young を彷彿させます。
September 27, 2009 Sunday
午前中、お焼香のため、90歳で亡くなったMさんのお葬式へ。ぼくが子供の頃、母や祖母がお世話になった方。喪主はお孫さんで、辰野から離れて住んでいるのでぼくのことは知らないだろうが、当時お世話になったことに対してMさんに一言お礼が言いたかった。
夜は岡谷へ、LSECのレッスン。到着すると、すぐに「Sailing」を教えてほしいとのこと。CDも用意されている。それで歌詞を教え、 Sailing を歌う。有名な歌だし、言葉は比較的簡単なのですぐに歌えるようになった。次に、今までの歌の中から、Amzaing Grace と Dance Me to the End of Love を歌う。今まで多くの歌を歌ってきたが、歌詞をみながらであった。これからは歌詞を見ないで歌えるようにしたいと、家を出るときに考えていた。それで来月の宿題は、 Sailing と Amazing Grace を歌詞を見ないで歌えるようにしてくること。
9月24日に、レナード・コーエンのコンサートが、イスラエルで行なわれた。その翌日、中東の Sky News の記者がレナード・コーエンに宛ててオープン・レターを書いた。一読して感動した。多くの人に読んでもらいたいと思い、なんとか自分なりに訳して、ホームページのBBSに載せたが、ここにも引用することにする。
*
レナード・コーエン様
「時には、人生に対する考えが完全に覆されるような経験をすることがある」と人は言います。そんな経験はありえないと私は思ってきました。中東で働く ジャーナリストとして、悲観的懐疑主義の世界に私は生きてきました。そうせざるをえなかったのです。自爆テロ、戦争、難民キャンプ、常に不調に終わる和平交渉など、毎日目前に繰り広げられる血なまぐさい暴力的シーンを嫌というほど見続けてきたのですから。
でも昨日の夜は違いました。それは、私にとって、そしておそらく多くの人たちにとって、人生感が完全に覆された夜になりました。昨夜、あなたは霊感に満ち た音楽を私たちに与えてくれました。あなたは、3時間以上にわたり、私たちと、5万人のイスラエル人、パレスチナ人、若者、老人、宗教を信じる者、信じな い者たちと、あなたの音楽と魂を分かち合ってくれました。私たちは、昨夜あなたと出会ったと確信をもって言うことができます。私たちは子供たちに、そして 孫たちに伝えるでしょう、あなたが和解と寛容をもたらそうと懸命に努力したことを。そして私たちにも努力させようとしたことを。そして少なくとも3時間の間、それは成功したのです。
あなたは、この地域の紛争によって子供たちをなくしたイスラエルとパレスチナの親たちに、そしてナイーブだと誹られながらも、平和のために戦いつづけているすべての人たちに、「ハレルヤ」をささげました。あなたの歌を聞きながら、5万人の聴衆が、今でも心の中に生きている愛する者たちを抱きしめて、共に 祈りました。あなたの歌を聞きながら、私は、悲観的懐疑主義が洗い流されていくのを感じました。一瞬の間、あなたが言う和解と寛容が可能かもしれないと感 じました。
コンサートの終わり、真夜中近くなって、あなたは訛りのあるヘブライ語で聴衆のために祈りました。それは、ユダヤ教の新年ロシュ・ハシャナと贖罪の日ヨム・キッパの間に行なわれたコンサートに、なんてふさわしいものだったでしょう。
あなたは常に「手放すこと」「執着しないこと」を歌ってきました。でも、昨夜は、誰もがあなたの教えに従うことは難しいと感じました。私たちは皆、夜が終 わらないことを、あなたがずっと歌い続けてくれることを、心から願ったのです。一瞬の間であったとしても、人生に対する考えが完全に覆されるような経験は そうはあるものではありません。でも昨夜、あなたは、私たちすべてのために、イスラエル人、パレスチナ人、中東に住むすべての人のために、それを可能にし てくれたのです。
ありがとう、ミスター・コーエン。
ヨナット・フリリング
September 26, 2009 Saturday
午後、家人に誘われて辰野高校での講演会に。上伊那の高校の先生方の教研集会。昨年末、派遣村の村長として知られるようになった方の講演会。今朝の4時まで「朝まで生テレビ」に出演し、午前中は松代で講演をし、午後は辰野でとのこと。しかし驚くことに、少しも眠そうでない。
ところが、猛烈な睡魔がぼくを襲った。前半の大半をウトウト。失礼になってはいけないと、休憩時間に、家人を残してオーリアッドへ。コーヒーを飲み、一息つき、昨夜の後片付け。
夜、飛び入りライブ。原田さん、久々登場。着物姿で「キリストには代えられません」。丸山さん、原田さんの言葉に触発されて書いたという「いつか叶うといいですね」を本人の前で初めて披露。飯塚さん、先週購入して、昨夜見たレナード・コーエンのDVD『ライヴ・イン・ロンドン』があまりにも素晴らしかったので、もう一枚欲しいと今夜もきてくれた。来週安曇野でトシさんに会うので、彼の誕生日のプレゼントにしたいとのこと。XJapanの「ハレルヤ」も面白いかも。
先ず、ぼくがコーエンの「スザンヌ」と「私は風の声を聞いた」。「スザンヌ」は昔日本語に訳して歌ったことがあるが、その訳を書いたノートが見つからない。この歌と出会ったときのことを『追憶の60年代カリフォルニア』に書いた。その一節を朗読したあと、英語で歌うことに。丸山さん、宮木分館で開かれた「桂九雀落語会」へ行ってきたとのことで、「200人も入って大成功でした」と語りながら3曲。久々に聞く「職人となったおじさんたち」など。赤羽さん、今日は山へ行き、冬に備えて木の枝を軽トラで3回も運んだとのことで、「森の小道」など3曲。大月さん、「カノン」と「Merry Chirstmas, Mr. Lawrence」。後者は久々に聞いた。よかった。今、新しい曲を練習中とのこと。来週聞くことができたらいいのだが。大月さんのあと、飯塚さん。『ライヴ・イン・ロンドン』の感想など。5年前、XJapanのトシさんがオーリアッドで歌ったのは飯塚さんの紹介による。ここで前半終了。
後半トップは原田さん。「キリストには代えられません」。教会でのコンサート以来。サポートは赤羽さんとぼく。丸山さん、「いつか叶うといいですね」、そして「心の鏡」。赤羽さん、「人生の海の嵐に」「今すぐに」をソロで、「千両梨の実」を大月さんのサポートで。最後にぼくが「バード・オン・ザ・ワイヤー」と「祈りの歌」。サポートは大月さん。ここで終了、と思ったら、長島さんが分館長の垣内さんと一緒に入ってきた。「桂九雀落語会」は長島さんの紹介で、分館主催で開かれたとのこと。二人とも落語会の大成功で上機嫌。何かを主催するのは大変なこと。肩の荷が下りたことだろう。久しぶりに長島さんに歌ってもらうことに。「最後の手紙」。安定した伸びのある声。その後、しばし歓談。
桂九雀といえば桂枝雀の弟子。長島さんが歌っている姿をファインダーから見て、なんとなく、枝雀に似てきたと思った。昔、広小路の京都府立芸術文化会館で枝雀の独演会を聞いた。独特の落語だった。みなが笑っているところで、笑えないところもあったが、印象に残っている。辰野に戻ってから、連続テレビドラマに登場した彼を見た。その後、彼の訃報を聞いた。うつ病に悩まされていたとは知らなかった。
September 25, 2009 Friday
テルアビブでのコンサートで、レナード・コーエンは4曲目の「電線の鳥」を歌ったあと、次のように語ったとのこと。
イスラエルのみなさんのために演奏できることは大きな栄誉です。・・・今夜は平和のため、みなさんのため、そして私たちのために、私たちがもってるすべてを出し切って、最高の演奏をお聞かせします。
コンサートを見た人が Cohen Forum に次のような投稿をしていた。
2時間前に家に帰りました。それ以来フォーラムに投稿して、あのマジカルな経験をみなさんと分かち合いたいと思っていたのですが、その感動を表す言葉が見つかりません。
だから、とりあえず、レナードと彼のバンドへの感謝の気持ちを伝えたいと思います。彼らは、レナードがコンサートの初めに約束した約束を守ってくれました。彼らの持ってるすべてを与えてくれました。「アンセム」を聞いているとき、身の危険を省みず、コンサートを行い、すべてを与えてくれたレナードへの感謝の気持ちが突然湧き起こり、涙がとまりませんでした。
次のURLから、テルアビブのサッカー場でレナード・コーエンが歌う「ハレルヤ」を聞くことができます。
http://www.youtube.com/watch?v=04-A22Ne42k
午後、松本へ。コンピュータ (e-learning) の講習会。夜は、第一回朗読講座 at OREAD。今夜はレッスンというよりも、講師の美咲蘭さんの朗読を聞く会。老若男女の声色を駆使するその巧みな朗読にみなさん吸い込まれるように耳を傾けていた。休憩後、3曲歌わせてもらう。「バード・オン・ザ・ワイヤー」「碌山」「祈りの歌」。その後、また美咲さんが朗読され、終了。講座は2回目からは町のボランティアセンターで行なわれる。
忙しい日だったが、楽しくも有意義な一日。
September 24, 2009 Thursday
昼前、確定した英語の歌詞とナーレーション、その訳、そしてライナー訳を送った。午後は、少し畑の仕事。
6時からオーリアッド。後半、歌の練習。「私は風の声を聞いた」など。明日の「第一回朗読講座」で何曲か歌うように依頼されている。何を歌うか迷うところだが、storytelling という点から考えると「碌山」ははずせない。「フィールド・オブ・ドリームズ」も考えたが、ちょっと長すぎる。
朗読講座の関係者から電話があり、定員を超える申し込みがあったとのこと。よかった。
現地時間で今夜、日本時間では明日の早朝、レナード・コーエンはテルアビブのサッカー場で48000人の聴衆の前でコンサートを行なうことになっている。彼のこのコンサートに対して多くの抗議が寄せられたようだ。彼はそのあと西岸地区のラマラでもコンサートを計画したが実現しなかった。
今回のテルアビブでのコンサートの収益はすべてコーエンが設立した、イスラエルとパレスチナの和解のための基金「和解と寛容と平和のための基金」 (Fund for Reconsiliation, Tolerance and Peace)に移され、イスラエルとパレスチナの平和のために努力している組織や個人に与えられるとのことである。その額、150万ドルとも200万ドルともいわれている。
彼のコンサートが無事終了することを、そして彼の音楽が少しでもこの地に和解の機運をもたらしてくれることを祈らずにはいられない。
http://www.leonardcohenforum.com/viewtopic.php?f=35&p=195952
September 23, 2009 Wednesday
シルバーウイーク最後の日。今日も、コンピュータの前。何度修正しても、読み直すたびに新たに修正したい箇所が出てくる。永遠に終わらない。それを切り上げさせてくれるのが締め切り。明日は、何が何でも送らなければ。
8時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。スピーカーからは Peter, Paul and Mary の A-Soalin' が流れている。
Hey ho, nobody home, meat nor drink nor money have I none
Yet shall we be merry, hey ho, nobody home.
Hey ho, nobody home, meat nor drink nor money have I none
Yet shall we be merry, hey ho, nobody home.
Hey ho, nobody home.
ヘイホー、誰か家いませんか、俺には肉も酒も金もありません
でも陽気にいこう、ヘイホー、誰か家にいませんか
ヘイホー、誰か家にいませんか、俺には肉も酒も金もありません
でも陽気にいこう、ヘイホー、誰か家にいませんか
ヘイホー、誰か家にいませんか
http://www.youtube.com/watch?v=Rps6Pnrts9c&feature=related
昔、意味もわからないままよく歌った歌だ。コーラスの部分はなおさら分からなかった。Soal, a soal, a soal cake, please good missus a soul cake. 意味は分からなかったが、歌えば気分が上向いた。
遅くなって、歌の練習。先週土曜日に歌った「山頭火/俺のいない町」を最初からピックを使って歌ってみた。このほうが後半の高音が出やすいようだ。それに、gotta さんが提案してくれたように、ぼくの昔の歌「電線の一羽の鳥のように」と「バード・オン・ザ・ワイヤー」を続けて歌ってみる。もう少し工夫する余地があるが、いけるかもしれない。
September 22, 2009 Tuesday
テレビは、シルバーウイークで賑わう行楽地や、帰省ラッシュで渋滞する高速道路の映像をひっきりなしに流している。それとは無縁に今日もコンピュータに向かう。何度も同じところを行ったり来たり。しかしその過程の中で、ぴたりとした訳が見つかることがある。少なくとも、この作業はぼくには苦痛ではない。という言うよりも、とても楽しい作業である。もしこれが脳に刺激を与える効果があるなら、老化現象を遅らせる役に立っているかもしれない。
先日古書店で求めた川島隆太著『朝刊10分の音読で「脳力」が育つ』という本の中に、脳の老化を防ぐには、(1)音読、(2)単純な算数の計算、(3)読み聞かせ、(4)読書、(5)書くこと、がいいと書かれていた。
脳は使えば使うほど鍛えられるとも書かれていた。98歳で英語の勉強を始めたおばあさんの話もあった。翻訳については何も触れられていなかったが、効果があると信じたい。
昔の寺子屋の「読み、書き、算盤」は極めて理にかなた勉強方法だった。漢文の素読は、まさに音読である。ぼくが小学校の頃は、クラス全員で国語の教科書をよく音読した。あれは、先生が息抜きをするためではなく、子供たちの脳のために役立っていたのだ。
レナード・コーエンはバルセロナでの3時間のコンサートを無事終えたようである。75歳の誕生日の記念すべきコンサート。コンサートの最後に彼は、
May your life be sweet as apples dipped in honey!
みんさんの人生がハチミツに浸したリンゴのように甘美でありますように!
と言って、ステージを降りたとのこと。
ユダヤ暦における新年を意味するロシュ・ハシャナ (Rosh Hashana)のお祭り ではハチミツに浸したリンゴが食され、 Happy New Year! というところを、May the new year be sweet as apples dipped in honey! と言ったりするようである。コーエンはその言葉を少し変えて最後の挨拶にしたのだろう。
因みに、ユダヤ暦の新年は年によって異なるようだが、今年は9月18日の日没から。彼の誕生日の21日はまさに新年早々である。
September 21, 2009 Monday
朝食後、墓参へ。花と線香を上げ、般若心経を唱える。
今日はレナード・コーエンの75回目の誕生日、宮沢賢治の命日。コーエンが生まれたのは1934年9月21日。宮沢賢治没後ちょうど一年。
レナード・コーエンは健康を回復し、今日の夜(日本時間では22日早朝)に予定されていたバルセロナでのコンサートは行なわれるようである。http://www.guardian.co.uk/music/2009/sep/21/leonard-cohen-hospital
この記事によると、コーエンは食中毒にかかっていたようだ。また、バルセロナのコンサートのあとは24日にテルアビブのサッカー場でのコンサートが予定されている。コーエンはテルアビブと西岸地区にあるラマラでもコンサートを行なう予定だったが、両方のコンサートへの反対運動がおこり、ラマラでのコンサートは中止されたようだ。コーエンはユダヤ人ではあるが、宗教的対立を超えた平和の使者としては最適の人物に思えるのだが。
午後、長男が東京へ戻る前、DVDシュリンクなるソフトを使って、DVDをパソコンに取り込む方法を教えてもらう。これでDVDに関する作業が楽になる。少なくとも、探し回らなくてもいい。
夜は、仕事の続き。作業はほぼ終わっているが、もう一度細かい部分のチェック。
September 20, 2009 Sunday
朝8時過ぎ、gotta さんと奥さんが、松本へ行く途中、立ち寄ってくれた。ふたりとも猫好きである。いつもはお客さんがくると二階へ逃げてしまう猫たちだが、そのことがわかるのか、最初遠くからこわごわ様子を見ていたが、だんだんと近づいてきた。そんな猫たちを奥さんが一眼レフのカメラに収める。彼らは昨日は、霧が峰、蓼科を訪問し、今日は、松本城、碌山美術館を見て、木曽へ下り、妻籠、馬籠を見て、大阪へ帰るとのこと。突然の訪問で驚いたが、会えて嬉しかった。
彼らが松本へ向けて出発したあと、メールをチェックすると、Leonard Cohen Recovers from Collapse (レナード・コーエン倒れたが、回復)という見出しが目に入ってきた。9月18日、スペインのバレンシアでのコンサートでのこと。胃の調子が悪かったらしい。病院に運ばれたが、今は回復しているようである。よかった。明日はレナード・コーエンの75回目の誕生日。身体に気をつけて、佐々木老師のように "Excuse me for not dying" と言うほどに長生きしてもらいたいもの。
レナードが倒れたのは、「電線の鳥」を歌っているとき。そのときの模様をYouTube で見ることができる。3分30秒あたり。http://www.youtube.com/watch?v=f3upf6BdRXk
夕方、帰省中の長男とダッチオブンで鶏肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギの蒸し焼き。電子レンジでチンする正反対の料理。炭をおこすだけでほぼ30分、蒸し焼きが出来上がるまで30分。しかし、一口食べれば、その価値がわかる。夕食後、ときどき接続が切れてしまったコンピュータをチェックしてもらった。どこをどうしたのか、スムーズに動くようになった。切れることもなくなった。ありがたい。
夜、木名瀬先生より電話。お元気そうな声。11月には90歳になるとのこと。今度東京へ行くときには、是非お会いしたいもの。
September 19, 2009 Saturday
連休初日のオープンマイク、どうなることか心配だったが、思いがけない人たちも遠方より訪ねてくれて、賑やかな夜になった。ぼくのホームページを作成管理してくれている大阪在住の gotta さん夫妻が7時過ぎに現われたのには驚いた。千葉の名取夫妻、それに北海道までトシさんのコンサートに行ってきたという飯塚さんも。大月さんの「カノン」を聞きたいと、先日の教会でのコンサートを聞いたというお母さんと娘さんも来てくれた。
藤森さん愛音三部作「小さな幸せ」「もうすぐ一年生」「愛音」でスタート。今日もギターは Martin D28SH。Peter, Paul and Mary の Peter Yarrowのギターも同じ型の Martin D28S とのこと。丸山さん、昨日「今日は夜釣りです」とメールが入った。「三角広場に桜が咲く頃」を歌ったあと、昨夜の釣果「ぶどう畑の散歩道」を歌う。この歌は、「三角広場」の続編とも言える歌。いい歌である。赤羽(真)さん、「鹿のように」「私を待つ人がいる」「千両梨の実」。ぼくが「山頭火/俺のいない町」と「バード・オン・ザ・ワイヤー」。前者は七夕コンサートに行くたびに gotta さんからリクエストされていた歌。歌詞カードがなかったので舎利礼文を覚えているか自信なかったが、歌い始めたら、すらすら出てきた。前半最後は名取さん、最近もっとも印象に残ったという学生が書いた短歌の話。
休憩後の冒頭、飯塚さんにトシ・コンサートについて少し語ってもらう。最近は、またロックシンガーに戻ったようである。藤森さん、「チェインジ」と青汁のCMでも流れたという曲のカバー。丸山さん、「心の鏡」「いつか叶うといいですね」。赤羽さん、新曲「今すぐに」と「人生の嵐に」。ぼくが明日から彼岸ということで、大月さんのサポートで「千の風」。ここで長い間待っていただいたお母さんと娘さんのために大月さんに「カノン」をお願いする。その後、先々週に続いて田中さん登場。「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」と「東京」。前者は赤羽さんのリクエスト、後者はぼくのリクエスト。最後に、大月さんと田中さんで Sweet Home Chicago。盛大な拍手。最後の最後、藤森さんが名取さんの奥さんのピアノで歌いたいとのことで、「翼を下さい」。大月さんにも入ってもらって、連弾。
その後、しばし歓談。gottaさんの奥さんは大のブルーズファン。Sweet Home Chicago がよかったとのこと。堪能されたようである。gottaさんにも歌ってもらいたかったが、今夜は遠慮された。次回来るときは、是非。
September 18, 2009 Friday
昨夜は久しぶりに寝つきが悪く、寝たと思ったらすぐに目が覚めてしまい、しばらく本を読んだり、また寝たり。若い頃は、不眠症といわないまでも、床に入ってもなかなか眠れなかった。時には、一睡もせずに朝を迎えたことも何度か。「若きウエルテルの悩み」。
朝起きてから、電話とメールで連絡をとる。心配していたことは杞憂に終わり、今日の晩は良く眠れるだろう。
午後、翻訳の最後の仕上げ。できたら今日中に送っていしまいたい。そう思ったが、いかんせん眠くて集中できない。昼寝をすることに。今日送っても明日から連休。締め切りは連休明けの24日。それまで待つことに。
6時から、オーリアッド。カウンターの中でギターを弾きながら、大声で I Want to Hold Your Hand を歌っていて、ふと前を見ると赤羽(孝)さんが立っていた。赤羽さんがくると話題はコーエン。最近 Sharon Robinson のCDも買って聞いているとか。最近聞くのは、Live in London, Ten New Songs それにシャロンの Everybody Knows とのこと。掲示板に書き込んでくれたひなゆきさんのお母さんの話をする。Dear Heather は聞いたことがないというので、貸せることに。
遅くに長島さん。木遣りの練習帰りとのこと。明日は小学校の運動会で、息子さんは小学校5年生とか。この間、一年生になったばかりと思っていたら、もう小学5年生。
本日締め切りの朗読講座には、定員40名+αが集まったようである。
September 17, 2009 Thursday
昼過ぎ、伊那の病院へ義兄のお見舞いに。先週手術をして来週初めには退院とのこと。元気そうだった。8月の終わりに贈った五日市剛、村上和男、中村天風の3氏の本が、枕元に置かれていた。何度か読み返したとのこと。五日市さんは、どのような状況においても、病気になっても、ツイてる、ありがとう、感謝します、ということが肝心と説く。村上さんは、病気になったとき、「治るんだ」と思う人と「もうダメだ」と思う人とでは大きな違い出てくる、心のあり方が遺伝子の働きに影響を与えるという。中村さんは、何事においても、セキギョク的な心の態度が大事だという。「暑いなぁ〜、やりきれないな」でなく「暑いなぁ〜、よけい元気がでるな」と言えという。3氏は同じことをいっているように思われる。
掲示板にも書き込まれていたが、Peter, Paul and Mary のメアリー・トラヴァースが亡くなった。享年72歳。彼女が歌う晩年の映像を何度か見たことがある。異様に太っていて驚いた。白血病治療のための骨髄移植の副作用だったとか。
1967年の春だったか秋だったか、UCSBのRobertson Gym で、Peter, Paul and Mary のコンサートを見た。コンサート終了後、ステージの横で、ピーターとメアリーがファンに囲まれていた。ぼくもその中に入って、日本からもっていった彼らのソングブックにサインをしてもらった。そのときピーターが、「ぼくたちは日本ではビートルズと同じくらい人気がある」と言ったことを覚えている。
今夜は、後半、追悼の気持ちを込めて The Very Best of Peter, Paul and Mary をかけた。Dr. Y も学生時代によく聞いたとのことで、いくつものタイトルを覚えていた。彼が最初に挙げたタイトルは Cruel War だったので、その曲から聞くことに。ぼくは何といっても Blowin' in the Wind。久しぶりに彼らの歌を聞いたが、懐かしい歌が次から次へと流れた。その後やってきたほたる書房の田中さんも、いくつかの曲を一緒に聞く。みな同じ時代を共有してきた。
Dr. Y から、昨日の Diary のイケダ・ハヤト の「ハヤト」が間違っている、隼人ではなく、勇人とだとの指摘を受けた。確かに。早速訂正。感謝。
September 16, 2009 Wednesday
朝8時10分、読み聞かせのため、中学校へ。1年2組。今回も『追憶の60年代カリフォルニア』の一章から抜粋を読み、「風に吹かれて」を英語と日本語で歌う。読んだ部分に、1963年の日本の首相は池田勇人だったというくだりがある。そこから、今日が日本にとって歴史的な一日であるという話を少し。今回も挙手をしてもらった。ディランを知っている人、0人。ビートルズとマイケル・ジャクソンは全員が知っていた。
午後、テレビで首班指名選挙を見ながら、今日は確かに歴史的な日であると実感した。夕方、オーリアッドへ行く前、鳩山さんの記者会見を少し見た。彼の声や顔つき、そして話しの内容に誠実さが感じられた。以前は心もとなく感じた「友愛」という彼の政治理念が頼もしいものに思えた。オーリアッドから戻ってから見た各閣僚の記者会見にも、野党のときには感じられなかった威厳があった。それは空威張りとか権力をかさに着た威厳とは違う威厳。野党になった自民党が単に与党の足を引っ張ろうとするようなことをしていたら、再び政権を担うことは難しいだろう。
7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交替。スピーカーからは Leonard Cohen Live in Londonのdisc one。毎週水曜日開店直後にくるお客さんが、「ルパン」が聞きたいとのことで、水曜日にはこのアルバムが常にCDプレーヤーの中に。2曲目の「フューチャー」の、
When they said REPENT, REPENT
I wonder what they meant
When they said REPENT, REPENT
I wonder what they meant
When they said REPENT, REPENT
I wonder what they meant
この部分の REPENT(悔い改めよ) が「ルパン」に聞こえるらしい。確かに、2音節目の「パ」にアクセントを置けば、「リペント」よりも原音により近い音である。
遅くなって歌の練習。I Want to Hold Your Hand など。10月から始まる後期にはビートルズを大幅に増やしたい。もちろんディランの歌もいくつかは。Time, They're A-Changing なんかいいかもしれない。
September 15, 2009 Tuesday
今日も秋晴れの美しい一日。午前中は、部屋で仕事。遅々として進まず。翻訳しやすい文章がいい文章だとは限らないが、仲間内だけで通用する言葉や業界用語 (jargon)に満ちた文章は、ぼくにとっては悪文である。翻訳するのが大変。
午後は、松本へ。マーク・Bの助けを借りるため。彼の研究室ではなく、自宅へ行くことに。高速道路が無料になればありがたいと思いながら、高速で松本へ。自宅はインターの近く。1時間ほど質問。大いに助けられた。それでも分からないところは、勘に頼るより仕方ない。
マークの二人の息子は5歳と3歳。とても可愛い。我が家にもこんな時代があったなと感慨深いものが。帰りは19号線で帰ることに。少し見ない間に道路沿いの景色が大きく変わっている。松本市内はかなり混んでいたが、塩尻に近づくにつれ、車はスムーズに流れ始めた。高速道路が無料になれば、国道の車の流れはよりスムーズになるだろう。便利になる。しかし国道の通行量が減れば困る人も出てくる。いろいろな想いが頭をよぎる。
いよいよ明日は政権交替。
September 14, 2009 Monday
午前中、2階で仕事をしながら、ときどき階下に下り、テレビを見る。シアトル・マリーナーズ対テキサス・レンジャーズ。ダブルヘッダーの2試合目。リアルタイムで見ることはできなかったが、イチローが9年連続200本安打を達成した直後のVTRを見た。彼がバッターボックスから一塁に向かって懸命に走る映像が繰り返し流れた。内野安打であることはわかったが、球がどこへ飛んだかわからなかった。後のニュースでそれがショートゴロで、ショートストップがあきらめて球を一塁に送球しなかったことを知った。
脱帽。凄い。Hats off to Ichiro!! 前人未到の記録である。今後も破られることはないだろう。
悪戦苦闘してきた「悪文」もなんとか訳し終えた。見直したいところがいくつか残っているが。
今朝届いたメルマガにクラリネット奏者の北村英治さんの文章が載っていて、いたく感心した。落語とジャズの関係について書かれたもの。彼はおばあさんの影響で小学生のころから落語を聞いて育ったようだ。彼のひいきの噺家は簡潔な表現を得意とした八代目の三笑亭可楽だったとのこと。
私は省略の美学と呼んでいる。「芝浜」の夜明けのくだり、可楽は「空が白んできやがった」と一言で済ませる。他の噺家は波の様子などを細かに描写するが可楽はその一言だけで、聞き手の中に、情景がぱっと広がってくる。
落語にはジャズの演奏と共通する部分もある。演奏する場合、テクニックをひけらかすのではなく、いかに省略して表現すればよいかと常に考えている。名人は一音だけで、聞き手をうならせることができる。これからも勉強し続けなければ。
これは落語とジャズだけでなく、他のことに当てはまりそうだ。
September 13, 2009 Sunday
昨日の雨がウソに思えるほど快晴の一日。一日中パジャマのままでパソコンの前。悪戦苦闘。あいまいな表現が多くて訳しづらい悪文。疲れる。猫を庭に連れ出す以外、外に出ることがなかった。
こういう文を読んでいると、気持ちが安らぐ何かを読みたくなる。幸い、昨日、アマゾンからリルケの Letters To A Young Poet が届いていた。先日急に英訳本が読みたくなってアマゾンに注文したもの。この本は高校生のとき、高安国世訳(『若き新人への手紙』)を読んだときから愛読書になった。サンタバーバラに住んでいたときは Unicorn Bookstore で英訳本を見つけた。その本がどこかにあるはずだが、何ヶ所かに分散している保存場所のどこにあるかわからない。まだダンボールに入ったままかもしれない。何年か前、信州大学のブックストアでドイツ語の本を見つけ、将来いつか原文で読んでみたいと購入したが、今のところは眺めているだけ。
リルケは詩人になりたいという若者からの手紙に答えて、自分の詩がいいかどうか他人に判断してもらうことは止めるように忠告したあと、次のように言う。
No one can advise or help you-no one. There is only one thing you should do. Go into yourself. Find out the reason that commands you to write; see whether it has spread its roots into the very depths of your heart; confess to yourslef whether you would have to die if you were forbidden to write.
誰もあなたに忠告したり助けたりすることはできません、誰一人として。あなたがすべきことはただ一つ。あなた自身の中に入り込み、あなたに書くことを命じる動機を見つけ出すこと。そしてそれがあなたの心の奥深く、十分に根を張っているかどうか、もし書くことを禁じられたら死ななければならないかどうか、自ら判断すること。
こんな思いを抱いて歌を書いていた頃があった。歌を書くことが救いであった時代があった。歌を書くことでいくつもの困難を乗り越えてきた。多くの時間が流れ、いま鏡をのぞきこめば、一人の年老いた男がそこにいる。もう一度、初心に戻ることができるだろうか。丸山さんの言う「心の鏡」に写る自分を取り戻せるだろうか。
September 12, 2009 Saturday
朝から雨。恵の雨。午後にはかなり激しく降る。ホースで撒く水に換算するとものすごい量。これでしばらく水遣りから解放される。
久しぶりにお見えになった山口さんが、ロータリークラブの交換留学生を連れてきた。ドイツ出身の16歳。Anna。3週間前に日本に来たばかり。「コンニチワ、ニホンゴワ、ムズカシイデス」とのことで英語で簡単に自己紹介。残念ながら歌は歌ってもらえなかった。山口さんは近い将来二胡を演奏してくれるようである。前にも何度かそんな話しが・・・。
辰野の16歳、川島君、Take an A Train など。背も高いが、腕も指も長い。テナーサックスを弾くのにぴったりの体つき。藤森さん、「もうすぐ一年生」など。赤羽さん、「今すぐに」など。藤森さんと赤羽さんのこれらの歌は8月15日の「魚釣り大会」で最初に釣り上げたもの。まだ一ヶ月経っていない。両方の歌とも聞けば聞くほどよくなる。また「魚釣り大会」をやろうか。
大月さん、教え子たちに招待されて同級会に出かけていくお父さんからネクタイの締め方を聞かれたが、最近ネクタイをしたことがないので、教えようとしたが忘れていたという話のあと、「カノン」。最近大月さんのトークが面白い。大月さんのあと、川島君、そして山口さん&Annaと続いて、前半終了。
今夜は聴衆も比較的多く、休憩時間をいつもより長くとって、後半へ。トップは藤森さん。「今日は土曜日」のあと、意表をついて、We Shall Overcome。英語で完璧に。Annaへの配慮。1964年、ぼくもドイツ人の女の子とこの歌を歌ったことがある。
<http://www.nagano.net/journal/miura/961114.html>
大月さんのサポートでぼくが「祈りの歌」と「セカンド・ウインド」を歌ったあと川島君。2曲。前半よりもリラックスしてノリのある演奏。盛大な拍手。赤羽さん、原田和恵さんのサポートで、「そばにいるよ」。この歌は先日「オリーブ」というグループがチャーチコンサートで1曲目に歌った歌。原田さんはそのメンバー。いい歌である。赤羽さん、ソロで「森の小道」。これでライブ終了。
藤森さんの指定席の1番テーブルで、藤森さんが川島君と川島君のお父さんと話している。ビールを飲もうと1番テーブルへ行くと、藤森さんが話しかけてきた。「今度川島君がくるときは、大田さんに連絡して・・・」と言いかけて、藤森さん、「あっ、来た!」。振り向くと太田さんが立っていた。岡谷で演奏した帰りとか。早速、Open Mike 番外編。太田さん、ソロで「アラバマに星落ちて」。太田さん独特の艶のある、腰のある、スピード感のある演奏。美しいメロディ。続いて大月さんと「カノン」をベースにした improvisation。ソロで弾くときよりも、大月さんのピアノは奔放で勢いがある。これがジャズの面白さか。最後に、太田さんと川島君、アルトとテナーのサックスで「枯葉」。ベテランと新人の競演。川島君にとっては得がたい体験になったはず。
とてもいい夜になった。家に戻ってから、「アラバマに星落ちて」を検索したら、Stars Fell on Alabama というのがあった。有名なジャズのスタンダードのようだ。こんな YouTube があった。
http://www.youtube.com/watch?v=AVObfmOSNGg
September 11, 2009 Friday
8年前になる。その瞬間をよく覚えている。リアルタイムでCNNを見ていた。世界貿易センターの二つのタワーが白煙を上げて、次々と崩れ落ちたのである。あのときから世界はレナード・コーエンが歌う「フューチャー」に突入したようだ。
すべてはあらゆる方向に崩れ落ち
何もない、何もない
予測できるものは何もない
世界の吹雪は
境界を越え
魂の秩序を
くつがえした
8年後の今も報復の応酬は終わっていない。
その日のことは「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」の「第60回ハイヌーン」に書いた。
http://www.nagano.net/journal/miura/010914.html
長野ジャーナルのぼくのこのコーナーは、ちょっと遅れる予定が、97回で中断したままもう何年も経ってしまった。何とか100回までは書きたいと思っているのだが、どうなることか。
ようやく、歌詞とナレーションの英語がほぼ完全に確定できた。リンからのメールによると、ポールは winamp というソフトを使って、回りのノイズを下げ、メインの音声のみを際立たせて聞き取ったらしい。そんなソフトがあるとは知らなかった。
夕方6時からオーリアッド。先週に比べて今週は静かである。早めに閉店し帰宅する。
September 10, 2009 Thursday
午後3時過ぎ、疲れたので「湯にいくセンター」へ行くことに。温泉、サウナ、水風呂、サウナ、ぬるい源泉、温泉の順に入る。これはいい。スイミングほど疲れないし、隣町まで行く必要もない。何といっても空いている。
夕方、オーリアッドへ行く前、野菜への水やり。ここ数日、家人に頼まれて朝晩野菜に水をやっている。白菜、野沢菜、イチゴ、ニンジンなど。雨が降らず気温が高かったものだから、白菜の芽がいくつか枯れてしまった。水をやり始めてからかなり大きくなった。植物にとって、動物にとっても、いかに水が大事がわかる。
6時、オーリアッド。ジブランの会の方々。
合間を見て翻訳。だいぶ進んだ。最後の最後、聞き取れないところを、友人や親戚に助けを求めた。11時閉店し家に戻ると、リンとポールからメールが入っていた。コーエン風に、Thank you so much, friends.
September 9, 2009 Wednesday 09-09-09
午後、何気なく見始めた西部劇を、途中少し抜けたが、最後まで見てしまった。Hour of the Gun (邦題『墓石と決闘』)。ワイアット・アープとドッグ・ホリデイの物語。1967年の作品。何度か以前同じパターンの映画を見たことがある。しかし、これは初めて。ジョン・ヴォイトが端役で出ていた。2年後彼は『真夜中のカウボーイ』でスターになる。彼の映画でもっとも印象深かったのは、1978年の Coming Home (邦題『帰郷』)。最後のシーン。キャプテン・ハイドが軍服を脱いで真っ裸で海に泳いでいく。死ぬためなのか、生まれ変わるためなのか。学生とよく議論したものである。
映画のあと病院へ。月一回の定期健診。前回受けた血液検査の結果、γ-GTPと中性脂肪が基準値より若干高いが問題ないとのこと。処方箋に、目薬とモーラステープを加えてもらう。
7月後半、安曇野の山荘で行なわれた日野原先生の講演の前に「祈りの歌」を歌わせていただいたが、そのときお会いしたTさんから、お便りが届いた。お母さんたちの勉強会で「祈りの歌」を紹介していただいたようである。ありがたいことである。また安曇野での会のときの写真が同封されていた。日野原先生をはじめ、みなさんの笑顔が素敵だ。どんな言葉にもまさる笑顔。
7時半過ぎ、オーリアッドへ。静かな夜。翻訳の続きを。
September 8, 2009 Tuesday
今日も真夏のような一日。昼ごろ、玄関先の温度計は32℃をさしていた。
ビートルズのリマスター盤のボックスセットが明日発売とのことで、購入するかどうか迷っている。京都にいたころから、教材として、ビートルズにはお世話になった。彼らへの感謝と敬意を表すために買うべき、という声が心の中から聞こえてくる。同時に、もうすでにすべてのアルバムをカセットとLPとCDの3種類で持っている、今更ながら、その手に乗るべきではない、という声もする。音のよしあしには、ぼくはあまり関心がない。それでも「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を含む何枚かのアルバムは、リマスター盤を聞いてみたい。
ホームページの掲示板にひなゆきさんという方が書き込んでくれた文章を読んだら、コーエンの「ハレルヤ」をDEVOという4人組がカバーしていて、おかあさんがそれを聞いていたとのことだった。早速検索してみたら、IL DIVO というバンドが歌っているYouTube が出てきた。歌っている言葉は英語ではない。これが素晴らしい。実に美しい。
http://www.youtube.com/watch?v=f2SZ-nCBmsU
クロアチアのプーラという町にあるローマ時代に建てられたコロシアムでのコンサートの映像のよう。ぼくは知らなかったが、かなり人気のあるグループで、日本にも来たことがあるようだ。
終日、コンピュータの前。Slow but steady, 前進している。
September 7, 2009 Monday
秋晴れの好日。というよりも、夏のような一日。終日家にいて翻訳。午後、あまりの眠さに午睡。2時間弱。
夜、先週に引き続きTVタックルを見る。時には激高してみせる老獪な評論家はあまり好きではないが、首班指名では鳩山由紀夫と書いて民主党にエールを送れというアドバイスには一理ある。首班指名に民主党の党首の名前を書くのは難しいとしても、少なくとも今回の民主党の勝利にエールを送るべきである。それがポーズであったとしても、アメリカの選挙では、負けた候補が電話を入れて勝者を讃えるという習慣がある。負けた日本文理の投手と勝った中京大中京の投手が互いの健闘を讃えあって笑顔でハグしたのは見ていて気持ちよかった。
その後、仕事に戻る。まだ締め切りには余裕があるが、できるだけ早く終わらせたい。
September 6, 2009 Sunday
午前7時、防災訓練。隣組単位で集合して公民館へ。村民の6割を超える参加者。奉仕団員による救急法のデモンストレーション、消防団員による消火器および消火栓の使い方の説明。小型ポンプによる消火訓練。そのあと、村内のすべての消火栓の点検。
午前10時半、家人と教会へ。礼拝後、昼食をいただき、午後1時半から「秋のチャーチコンサート」。前半トップは、教会の若者たちのバンド「オリーブ」の演奏。赤羽さん、大月さんがサポート。さわやかな歌声。赤羽さん「千両梨の実」を大月さんのサポートで。「旅人の木」「今すぐに」をソロで。そのあと原田さんの「キリストには代えられません」。原田さんの歌声に多くの賛辞が寄せられた。前半最後は、大月さん、「カノン」を演奏するようになった経緯を話してから演奏。教会のホールがグランドピアノの美しい音色で満たされる。後半、ぼくが「幼い頃野原には」からスタートし、「千の風」で終わる全7曲。最後の3曲「バード・オン・ザ・ワイヤー」「祈りの歌」「千の風」は大月さんのサポートで。フィーナーレは、オリーブのみなさんにも加わってもらい、聴衆のみなさんと一緒に「アメイジング・グレイス」。
The first 4 photos by miura and the last 5 by T. Maruyama.
一曲目に何を歌うか迷っていた。教会員のSさんが、一昨年の朗読の会でぼくの歌を聞いた「Aさんが楽しみにしている」と耳打ちをしてくださった。そこで急遽「幼い頃野原には」を歌うことに。歌詞がジェラルミンのケースに入っていてよかった。Aさんは全盲の年配の女性で、朗読の会の方々が町の広報などをテープに録音して届けている方。昨年の朗読の会のとき、Aさんがこの歌をリクエストしてくださった。でもそのときは最後のアンコールのときで、咄嗟に歌詞の用意ができず、時間もなく、リクエストにお応えすることができなかった。コンサートのあとSさんとAさんとお話しする。Aさんが喜んでくださったようで、よかった。長谷川牧師ご夫妻との出会いは、連鎖反応のように更に多くの出会へと導いてくれた。感謝。
September 5, 2009 Saturday
久々登場は、伊那市の田中さんと春日さん。春日さんがマンドリンを弾くのを見るのは初めて。田中さんの歌にもギターにも、心に響くものがある。説得力がある。今夜は I'll Fly Away と「小さなルーカス」。
守屋さんが6時過ぎに、そのあとしばらくして、LSEC の秋澤さんが、個人的な用事できてくれた。お二人に、新曲を聞いてもらう。聞いていた家人が、「最初できたときは、もっとゆっくりだったはず」とのコメント。確かに、自分で歌っていてどこか違うと思っていた。守屋さん、以前 Leonard Cohen Live in London のCDを購入してくれたが、今夜は DVD も。CD は iPod に入れてよく聞いているようである。「あの低音の渋い声」に魅せられているよう。藤森さん、「人生に勇気」をで始まり、次に新曲「もうすぐ一年生」。秋澤さんのお孫さんが来年一年生になると知り、リクエスト。そして「小さな幸せ」。今日もギターは3週続けてMartin HD28VS。垣内さん、近況報告。仕事のことと趣味の写真のこと。今年も県の写真展に応募したようである。赤羽(真)さん、「旅人の木」、そのあと新曲「今すぐに」。そして「千両梨の実」。ここで休憩。
後半トップは、原田さん。「キリストには代えられません」。明日のチャーチコンサートで原田さんが歌う歌。今日の午後リハーサルで歌ったときには、たくさんの拍手。原田さん、歌ったあと、この歌と出会ったころの話。ほぼ50年前。原田さんとぼくは、その頃面識はなかったが、同じ教会で何度か、おそらく、頻繁に、顔を合わせていたはず。不思議な縁である。藤森さん、「今日は土曜日」「おまえの歌が聞こえる」「チェインジ」。大月さん、今夜は親友の上島さんもきて、彼に捧げる意味で、「栄冠は君に輝く」、そして「カノン」。上島さんが高校球児だったとは知らなかった。この2曲とも、上島さんの披露宴で演奏した曲とか。大月さんのあと、前述の田中・春日ユニット。また是非歌いにきてもらいたいもの。
10時半過ぎライブ終了。その後しばし歓談。上島さんと今年の甲子園の話。本当に今年の高校野球は白熱した試合が多かった。まえにも書いたが、昔は130キロで投げる高校生は稀だった。今は150キロで投げる者も複数いる。ダルビッシュ、マー君の例でもわかるように、すぐにでもプロで通用する。
家にもどると、満月が今夜も美しい。The Full Corn Moon。7月、8月と雨だったり曇ったりで満月を見ることができなかった。明日は7時から防災訓練。午後1時半から辰野キリスト教会での「秋のチャーチコンサート」。
September 4, 2009 Friday
午前中、明後日の防災訓練に備えて、敷地の北西の角にある消火栓のまわりの草刈り。公民館の駐車場での合同訓練のあと、村内のすべての消火栓の点検と放水が行なわれることになっている。
午後、注文しておいたスチームクリーナーなるものが届き、早速オーリアッドの厨房の換気扇の掃除をしに行く。うーむ、あまりにも多くの油が付着した換気扇には期待したほどの速攻効果はなかったが、壁やテーブルなどには効果がある。まな板や包丁などへの殺菌効果もあるようだ。
夜、オーリアッド。前半は暇で聞き取りなどの作業をしていたが、後半一転して大忙し。ビートルズ好きのNさんたち。途中、若い人から「マディー・ウオーターズがありますか」と言われ、I'm Ready をかける。突然オーリアッドが Blues House に。
12時過ぎ、家に戻り車から降りると、雲ひとつない南の空に、満月。Full corn moon!
September 3, 2009 Thursday
昨夜遅く、パジャマに着替えるとき、シャツを脱ごうとして、胸のポケットに手があたった。なにやら固いものが入っている。取り出してみたら、湯にいくセンターのロッカーのカギ。しまった!カギをもってきてしまった。ロッカーを開けた状態では、カギは抜けないはず。ということは、服を着たあと、上の空でロッカーにカギをかけ、胸のポケットに入れて出てきたしまったのだろう。
今朝、カギを返しに行ったついでに、また温泉とサウナに入ることに。ぼこぼこ泡が出る、ぬるめの源泉の浅い浴槽があり、サウナのあと、しばらく身体を横たえる。身体が軽くなったよう。ケガの功名ならず、カギの功名。2日続けて温泉に。
家にもどり、昨夜録画しておいてもらった『ギルバート・グレイプ』(What's Eating Gilbert Grape?)を見る。ひとりの人間の心象風景と考えると分かりやすいかも。弟も、母親も自分の心の中の側面。自由になるために克服しなければならない何か。
午後は聞き取り作業。かなり進んだが、冒頭のMCが手強い。
夜、オーリアッド。原田さんと赤羽(真)さんと「キリストには代えられません」の練習。今度の土曜日の午後開かれる「チャーチコンサート」で歌うことになっている。とてもよくなった。しばらくして丸山さん。隣町の歌声喫茶の帰りとか。話題は、選挙、年金、レナード・コーエン。
遅くなって新曲の練習。もう少し歌い込まねば。まだ自信をもって歌えない。
September 2, 2009 Wednesday
朝起きて先ず体温を計る。36度。平熱に戻っている。そのあとも何回か計ったが、もう大丈夫。36度6分を超すことはなかった。時節柄、少し心配したが、よかった。
昼過ぎ、野沢菜用の畝をつくったあと、「諏訪っ子ランド」へ泳ぎに行こうかと迷っているところへ、仕事が届く。諏訪まで往復する時間がもったいない。荒神山の「湯にいくセンター」ですませることに。温泉に入り、サウナと水風呂に入り、少し楽になったような。
帰宅後、先ずMCの聞き取りから始める。一箇所を除いてなんとかなりそうだ。冒頭の司会者の言葉がこもっていて聞き取れない。歌詞を変えて歌っているところもあるが、これは問題ない。
夜、7時半、オーリアッドへ。家人と交替。ウイークデイにしては忙しい日。カウンターには某学習塾の校長先生。選挙やレナード・コーエンの話など。
September 1, 2009 Tuesday
9月の最初の日。午後遅く、猫たちを遊ばせに外に出たら空がきれいだ。それに今年の碌山忌(4月22日)に碌山美術館で種をもらったヒマワリが咲いている。夏が終わる頃に咲き始めた。小さなヒマワリである。カメラを取りに戻り、空と花の写真をいくつか撮る。ガレージの西側にはマリーゴールドなど、いろんな花が咲いている。シュウメイギクも咲き始めた。シュウメイギクは秋明菊と書くらしい。
夕食前、腕がだるいので揉んでもらおうと腕を差し出すと、家人が「熱があるんじゃないの」という。計ってみると、微熱がある。時期が時期だけに今夜は早く寝ることに。畑仕事がちょっと続いたので疲れたのだろう。