OREAD Diary April 1〜April 30
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April 30, Friday 2004
茶木みやこコンサート。「一人の道」「泪橋」「幻の人」を含む1時間半。昔一緒に何度かコンサートをしたこともあるし、最近では数年前、「拾得」の七夕コンサートのゲストとして数曲歌うのを聞いたことがあるが、彼女のワンマン・コンサートを聞くのはこれが初めて。印象に残った歌はやはり「一人の道」。円谷選手の自死は個人的なものだが、彼を死に追いやったものはある種の普遍性をもっている。今それは「自己責任」ということばを振りかざし、個人を窮地に追い詰めている。
新しい歌でぼくが気にいったのは、「Keep Going」。彼女によれば、9・11の際、救助にあたった消防士が
Keep going! と 叫んでいるのをテレビで見て、再び歌い始めた自分を励ますために、そのことばを入れて歌を書いたとのこと。
打ち上げの席で、辰野町にも熱狂的な茶木みやこファンが2人いることがわかった。「たつの新聞」に掲載されたコンサート案内の記事を読み、「ほたる書房」でチケットを買い、聞きにきてくれた。茶木さんも彼女たちに会えたことを喜んでいた。
「飛び入りライブ」常連の堀内さんにはよく驚かされるが、今回も驚かされた。学生時代、20年以上も前、ラジオから流れた「一人の道」を録音したというテープを聞かせてくれたのである。茶木さんの声が若い。それに歌の冒頭、円谷選手が国立競技場に入ってくるときのアナウンサーの熱狂的な実況が臨場感をかもし出す。ぼくも京都へいったばかりのころ、70年代の初め、深夜放送のラジオから流れるこの歌をよく聞いたものだ。
それほど多くなかったが、打ち上げに残った人たちは、茶木さんが生で歌う「一人の道」を聞く幸運をもつことができた。マイクを通さない茶木さんの声は透き通っていてとてもきれいだ。打ち上げでは、オーリアッド「飛び入りライブ」常連の赤羽さんが「森の小道」、長島さんが「転宅」、堀内さんが「果樹園の道」(韓国語)を歌い、ぼくも「ガビオタの海」「オーリアッド・バンドの歌」を歌った。
明日は土曜日、飛び入りライブデー。松本から歌う精神科医ふわ&安藤則男コンビ(and
maybe 伊藤享, too)と、神戸からぼくの高校時代の同級生で、ぼくの最初のフォークギターの師、高橋尚が来ることになっている。高橋君は「ぼくは歌わないよ」といっているが、是非歌ってもらいたいもの。PPMの
Very Last Day など、彼は昔、レコードそっくりに演奏することができた。赤羽真理さんにも歌いにくるようにお願いしておいた。
April 29, Thursday 2004
昨日ほどではないが夜になると少し冷え込む。まだ暖房が必要だ。夕食に、午後家の裏山から採ってきた「コシアブラ」のてんぷらを食べた。明日と明後日の特別メニューに加えるための試食である。美味しかった。「コシアブラ」を知らない方は次のURLをクリックしてみて下さい。北海道医療大学薬学部のサイトです。http://www.geocities.jp/maruhotigar/kosiabura.htm
明日はいよいよ茶木みやこさんのコンサート。ここへきて予約も増えてきた。東京の人からも電話があり、オーリアッドへのアクセス方法を聞かれた。茶木さんは今晩京都でのライブを終えて、明日車で辰野へ向かうとのこと。4時には着く予定だが、連休で高速道路が渋滞しなければいいが。
連休のせいかお店は暇だった。というよりも、いつものように暇だった。ローレンス・コーンのロバート・ジョンソンに関するエッセイの翻訳が進んだ。
April 28, Wednesday 2004
御柱も終わり、翻訳も一段落し、久し振りに庭をまわってみる。花壇に見慣れぬ花が咲いている。妻に聞くとアネモネだという。きれいな花だ。
午後、妻と買い物がてら、前から行きたいと思っていた大高一克さんご夫妻の「猫の窯」という喫茶店を訪ねた。中央アルプスの麓、人家まばらな山道に迷いながらようやくたどりつくと本日休業の札。せっかく来たのだからと裏に回ってみると、大高さんが、作業台で小さな金づちを使ってステンドグラスで何やら作っている。
休業日にもかかわらず、コーヒーと、奥さんが焼いたパンと手作りのアップルパイをご馳走になった。美味しかった。最初に庭に入ったとき、左手に大きな窯が見えた。大高さんは陶芸をするんだなと思ったのだが、実はこの窯は奥さんがパンを焼くための窯だった。薪で加熱して余熱で焼くというこだわりのパンだ。
彼らは横浜から数年前に伊那へIターンし、1年前からこの喫茶店を始めたとのこと。営業日および時間は、木曜日から日曜日、午前10時から午後6時まで。冬の間は休業。水曜日から土曜日、午後6時から11時までのオーリアッドといい勝負。今度は営業中に訪ねたい。「猫の窯」の詳細については、次のURLから。http://www.janis.or.jp/users/onopee/nekonokama.htm
久々のオーリアッド。最初はお客さんも来ず、しばらく、ケブ・モーの「キープ・イット・シンプル」というアルバムを聞きながら、新たに入った翻訳の仕事をする。1990年にリリースされたロバート・ジョンソンの『コンプリート・レコーディングス』をプロデュースした
Lawrence Cohn の書き下ろしエッセイ。けっこうの長さだ。でも、面白い。
しばらくして大月高志さんが寄ってくれた。メーデーの帰りとのこと。音楽のことなどいろいろ話す。彼とこんなにじっくり話すのは初めて。途中、翻訳するのが難しかった音楽の専門用語について教えてもらう。彼のバンド「香月!」は今度の土曜日(5月1日)、飯田のCANVAS(飯田市知久町2-1
熊谷ビル)でライブ。6時45分開場、7時30分開演。チャージ1000円(ドリンク別)。お近くにお住まいの方はどうぞ。
茶木さんのコンサートは明後日だ。大月さんも友だちと来てくれることになっている。
April 24, Saturday 2004
辰野の御柱の初日。朝から御柱を引き、長距離歩いて疲れきっていたのに、夕方、オーリアッドに入ったら身体がしゃきっとする。よほど水に合っているに違いない。
今夜の飛び入りライブ、トップバッターは岡谷市の増沢学さん。「サーカスにはピエロが」「ロンリー・スター(Idiot
Wind)」それに、「天王寺思いで通り」。初登場ながら、そしてまだ「若い」のに、なかなか渋い歌とギターワーク。次に、大阪は寝屋川から高速を飛ばしてやってきた「30年ぶりの友」こと三宅健二さんの詩の朗読と歌。歌は印象に残っていないが、詩は面白かった。長い詩の一部を引用しても面白さが伝わらないかもしれないが、雰囲気はわかってもらえるかもしれない。
めかけに身請けというよりも、なって下さいいいなづけ
アップリケの前掛けで作って下さいおみをつけ
コロッケ大好き唐揚げしいたけ煮付け、お茶漬け振り掛け、夕餉の盛り付け
私がやります後片付け、ついでにやりますアイロン掛け、布団上げ
掃除もしましょう、風呂桶、パンを焼いたら真っ黒こげ
次に松本の甕(もたい)綾子さん。コンサーティーナとボタンアコーディオンによるアイリッシュ・ミュージックを数曲。安藤則男さんのギターの伴奏付。久し振りにお見えになった寄藤先生が殊のほか喜ばれて、甕さんがオーリアッドに来るときはまた聞きに来たいとのこと。次に安藤則男さんにディランの歌を2曲歌ってもらう。最初に歌った増沢さんがディラン狂とわかったので。
メインの阿知波一道さんに登場してもらう前にぼくが「アルバカーキの空は今日も(DU)」「千の風」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌う。
阿知波さんが登場し歌い始めると客席が静まり返った。「時間という名の列車に乗って」「踊ってよギリヤークさん」「Peace
to You」「坊主A」などほぼ1時間。彼のCDを聞いてすっかりファンになった長島君は阿知波さんと一緒に小声で歌っている。「坊主A」などの替え歌シリーズでは会場が笑いの渦。最後は、「雨にも負けず」をステージを下りてマイクなしで客席のみんなの手拍子とともに歌う。今回阿知波さんの歌を聞いて、歌手としてパフォーマーとして円熟しつつあるのを感じた。
阿知波さんのあと15分休憩。そのあと松本のSTILL(安藤則男&伊藤享)の演奏。彼らの演奏は同じ曲でも毎回違う。今回はベースの伊藤さんをフィーチャーし、全曲ベースの音が際立って聞こえてくる。「フォーエバー・ヤング」「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」「おれがちびすけだったころ」「「朝日のあたる家」など。「アイ・シャル・ビー・リリースト」は最初に歌った増沢さんも参加。そのあと諏訪の堀内さんが韓国語で「果樹園の道」。初めて聞いたが、とてもいい歌。最後に阿知波さんに2曲歌ってもらう。1曲目は「パトナの少年」、2曲目は「ラーメンライス」をSTILLと一緒に。盛り上がった。
東京の現代座という劇団の中村保好さんという方もお見えになっていて、劇中歌を歌ってもらいたいと思っていたが、時間の関係で1部が終わったところでお帰りになった。また今日は遠方より参加した人が多かった。東京から以前河島英五のライブを聞きにオーリアッドへ来たという人が来てくれたり、ほたる書房の田中さんが神奈川から来たという人を連れてきてくれたり、兵庫県からも一人来たりと、小さな田舎のライブハウスとしてはけっこう広範囲から集まった。ありがたいことである。
阿知波さんを囲んでライブ後も盛り上がった。明日の御柱がなければもう少しゆっくりと歓談したいところだった。12時閉店。
御柱の写真は次の photos をクリック。 photos
April 23, Friday 2004
5時半にオーリアッドに着くとすでに豊田勇造君が飯田の吉川さんと待っていた。今校正をしているブルーズに関する翻訳について2、3質問したあと、「アンコールへの道」「唇かみしめて」を歌ってもらう。「アンコールへの道」は初めて聞く歌。昨年アンコールワットへ旅したあと書いた歌とのこと。「唇かみしめて」は最近の豊田君の歌の中ではぼくが一番好きな歌。
その後、明日の諏訪での豊田勇造コンサートを中心になって担っている岡谷の中島さん、諏訪のボブ鈴木がやってくる。ここでボブが「川をくだって」「もしも賀茂川(諏訪湖)がウイスキーなら」「イマジン」など何曲か歌い、豊田君がリードをつけた。ボブが気持ちよさそうに歌っている。とてもいい雰囲気だ。豊田君の乾いたギブソンのサウンドがオーリアッドの木の壁に反響する。とてもきれいだ。カウンターにすわっていた長島君が思わず「かっこういい」とつぶやく。
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豊田勇造の歌やギターをこんなに贅沢に聞けるのもオーリアッドのおかげ。
明日は辰野の御柱。朝から、昼食を挟んで午後4時まで御柱を引くことになっている。夜は飛び入りライブ。阿知波さんが北海道から歌いに来るのに、聞き手が少なかったらどうしようと思っていたが、かなり多くの人が聞きにきてくれるようである。ありがたいことだ。
April 22, Thursday 2004
今日は第94回碌山忌。3時からのコンサートに出演するために1時に家を出る。2時、碌山美術館着。機材のセッティングをすませ少し音のチェック。最初は西山紀子さんによる碌山美術館所有の古い足踏みオルガンの演奏。続いて、彼女が主宰する早春賦愛唱会の「早春賦」「ふるさと」「信濃の国」などの合唱。次に折井清純さんのマンドリン演奏。「さくら」など。とてもきれいな音色だ。次に桂姉妹のフルート演奏。最初の「春の小川」の演奏から引き込まれる。息の合った二重奏。美術館の中庭のやわらかい光の中、桂姉妹がすくっと立って演奏する姿は美しい。最後に、ぼくが「DU」「千の風」「碌山」を歌う。
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午後6時45分から飯田善國さんの「碌山と私と西洋」という講演を聞く。碌山のように飯田さんも最初画家を志していたが、イタリアへ行き運命が変わる。碌山にとってのロダンの「考える人」は、飯田さんにとってはミケランジェロのピエタ像だった。バチカン・ミュージアムでその像を見たとき彼は思わずサンダルをはいたマリアの足に触っていたという。彼はいう、「おそらく碌山もロダンの彫刻を見て、触らずにはいられなかっただろう」と。また彼は「いい彫刻を見れば、触りたくなってあたりまえ。彫刻はいくら写真で見てもだめ。実物を見て、触らなければ」という。わかるような気がする。美しいものを見たら触りたくなる、これ人情なり。穂高に「IIDA・KAN」という彼の作品を展示している美術館が2000年に設立されたらしい。近いうちに見に行こう。触っても怒られないだろう。
8時から懇親会。60名ほどの参加。疲れていたので失礼とは思いながら中座させてもらう。それでも家に着いたときは10時を過ぎていた。今晩、オーリアッドは妻に代わってもらった。ボブ鈴木から電話があり、明日豊田君に会いにくるかもしれないとのこと。いい一日だった。
April 21, Wednesday 2004
午前中、茶木みやこさんより電話があった。4月30日(金)は午後4時ごろオーリアッドに入るとのこと。車で来るとのことだが、彼女のHPによれば前日29日の夜は彼女のホームグラウンド京都の都雅都雅(トガトガ)でコンサートがあるので、30日の朝京都を出て辰野へ向かうことになる。30代のころはぼくもよく京都辰野間を車で往復したものだ。でも最近は電車を利用することが多くなった。伊北インターから京都南インターまでちょうど300キロ。
夜、豊田勇造君から電話。明後日の午後6時、オーリアッドに顔を出すとのこと。ブルーズに関するブックレットの校正をしているところなので、ちょうどよかった。いくつか聞きたいことがある。
お客さんがいなくなってから、明日歌う予定の「碌山」「千の風」「DU」、それに「宝福寺にて」の練習。「宝福寺にて」は通常キーはBなのだが、Cで歌ってみた。Cでも大丈夫、まだ声が出る。
北海道から阿知波一道さんがやってくる24日(土)の飛び入りライブは盛況が予想される。昨日紹介した阿知波さんを取り上げたTVニュースの動画は掲載期間が終了して見られなくなってしまったみたいだ。
April 18, Sunday 2004
今度の土曜日の飛び入りライブにきてくれる北海道の阿知波一道さんをGoogleで検索したら、北海道のTV局のサイトをヒットしました。最近彼の活動がニュースで取り上げられたようです。次のURLをクリックしてみて下さい。Real
Player をクリックすれば動画も見ることができます。
http://www.stv.ne.jp/news/search?idno=20040413185042
April 17, Saturday 2004
今日の飛び入りライブは、最初出足が低調だったが、後半偶然お店の前を通りかかり、コーヒーが飲みたくなって寄ったという川崎市のご夫婦をはじめ、かなり多くの方が集まってくれた。
トップバッターは、芦部清志さんと松沢美由紀さん。松沢さんはBONOBOのコンサート以来2度目。芦部さんは今回、全曲松沢さんのピアノ伴奏つきで歌う。中でも、「すこやかに」は彼女のピアノ伴奏のみ。聞くところによると、今CD製作の話が進んでいて、この曲は今日初めてオーリアッドで合わせてみたとのこと。とにかく素晴らしい歌で、誰もいないときの練習を含めると、今日は合計3回この歌を聞いた。
芦部さんの声を張り上げない抑制の効いた歌い方を邪魔しないように、松沢さんのピアノが伸びやかに優しくサポートする。
この星のすべての子どもたちの
澄んだ瞳が涙で
あふれることのないように
いい歌だ。他に、「月と海」「林檎」「東京」など。
次に篠原一弘さんが御柱の法被を着て登場。ケーブルテレビの御柱チャンネルで、原村の幟がなびくあたり、「中新田」という赤い文字が染めこまれた法被を何度も見た。川を渡るときには、雪の舞い降る中、次々と胸までもある水嵩の川に飛び込むシーンが印象に残っている。篠原さんがいないかと目を凝らしたが見当たらなかった。今日、「篠原さんも川に飛び込みましたか」と聞くと、飛び込んだという。見ているだけで寒くなった。
「初恋」「弘介のうた」「ふるさと」などたっぷり聞かせてもらった。彼の歌の特徴というか、彼の歌でぼくが好きなところは、日常的な情景を具体的に描写するところ。例えば「初恋」のファースト・バースは次のように始まる。
給食が終わるといつも音楽室のピアノに向かい
君のために作った歌を歌っていたあの頃
「給食が終わる」というフレーズだけで一気に中学の教室が目の前に広がる。「弘介のうた」の冒頭の4行は次の通り、
君が生まれたのは大雪の降った次の日
ぬけるような青空とまぶしすぎる一面の白
駐車場の車はすっかり雪にうもれて
近くのさびれた食堂でおそい昼めしを食べた
雪の白さと空の青さの対比、それに「近くのさびれた食堂」が効いている。人生の大きな出来事の瞬間には、見慣れた風景が突然輝いて見えることがある。
次に久々に岡田章さんに歌ってもらう。今日は Piano Man が出ず、Imagine と
Let It Be。凄い迫力だ。松沢美由紀さんが彼の歌がよかったといっていた。彼の後、ぼくが「DU」を歌い、大月高志さんに「パッヘルベルのカノン」をお願いする。今日はピアノの伴奏で歌う人が多かったし、小野の中村さんをはじめ、彼のピアノを聞いたことのない人が多かったので。次に、堀内さんが、珍しく今日は日本語で、彼の教会で歌う賛美歌のひとつ「真理、胸に照り」を歌う。いつもは歌詞を見ないで外国語の長い歌を歌うのに今日はテキストを見ながら。最後にもう一度、篠原さんに歌ってもらう。「ひまわり」。
いつか見に行こうね、一面に咲くいっぱいの太陽を
私がかくれちゃうくらい背が高かったら
迷子にならないようにずっと手をつないでいてね
その大きな手でしっかりとつかまえててね
ひまわりのようにあなたをずっと見つめてるから
April 16, Friday 2004
午後3時、翻訳完了。1ヶ月で訳した量、ざっと見積もって原稿用紙320枚。「送信」ボタンを押したときの何たる開放感。こんないい気分は久し振り。苦アレバ楽アリ。コレ人生ノ真理ナリ。
遅くなって水野哲雄さんが顔を出してくれた。4月から1年生の担任だとか。そういえば水野さんが入学式でギターを弾いて1年生を迎えている映像をケーブルテレビのニュースで見た。「1年生は可愛いでしょう」というと、「可愛いけれど、大変です」と笑いながらいう。そして「6年生を送り出して、1年生の担任をさせてもらうのはとてもいい経験です」とつけ加えた。
思い出してみれば、もう50年以上も前のこと、1年生になったばかりの教室では、「先生、おしっこ!」なんていう声が聞こえたり、ときにはもらしてしまう子もいた。昭和27年4月辰野西小学校1年仁組の教室でのこと。担任の先生は米沢嘉子先生。昨日や明日のことに煩わされず、一日がとても長く、一年が永遠に思えたころの話。
そんな子供たちと毎日接することが得がたい体験でないはずがない。またたくさんの歌が生まれることだろう。
April 15, Thursday 2004
昨夜は徹夜。今日の正午までに翻訳終了予定だったが、夜中に、ラフで訳しておいた最後の部分が消えているのを発見。青くなる。必死で訳しなおしたが間に合わない。明日の午後3時まで延ばしてもらえることになった。今晩は完全に店を妻に任せ、自宅にて翻訳。
豊田君より電話。22日(木)に飯田、24日(土)に諏訪でライブがあって23日があいているのでオーリアッドに寄りたいとのこと。昼間であれば自宅で、夜ならオーリアッドで会う約束をする。彼に会うのは昨年の七夕コンサート以来か。元気そうだった。
April 14, Wednesday 2004
ジブラーンの会の方々がきて下さった。毎回、昔訳した「預言者」の数章をみなで音読することにしているが、今回ぼくは参加できなかった。店は妻にまかせ、早めに家に戻り、The Blues: A Musical Journey というブックレットの翻訳。12日(月)が締め切りだったが、出来ている部分を送り、数日延ばしてもらうことにした。明日の正午が最後の
deadline。「デッドライン」とはよくぞ名づけたもの。
April 10, Saturday 2004
飛び入りライブデー。まず山岸豊さん。もう何回か山岸さんを聞くうちに、彼がディランの大ファンであるということがわかってきた。今日も1st
round で、I Shall Be Releasedを、2nd round で、 It's All Over
Now, Baby Blue を歌う。前者は日本語で、後者は英語で。今日彼が歌った歌の中で一番印象に残ったのは、「ゆうとときょうと」。先週春休みを利用して学生時代を過ごした京都へ、小学生の息子さんの「ゆうと」君を連れて行ってきたことを歌にしたもの。できたてのほやほや。
君もいつの日か京都の町で
暮らしてみたらいいと思うよ
ぼくは若い頃この町で
大事な何かを手に入れたんだ
続いて前橋から歌いにきてくれた Lotus さん。Lotus というのは、彼が以前やっていたというバンド名で、ソロになってからも、その名前を継続して使っているとのこと。ギターも歌も上手い。ハーモニカも。「Get
Wise」「日暮し」「ダンデライオン」など6曲ほど。一番いいなと思ったのは、
午前4時、町外れに夜行列車が止まる
その屋根に乗って、俺は出て行くよ
というコーラスがある歌。CDに入っていないのでタイトルがわからない。これはLotus
さんに限らないのだけれど、バンドで歌っていた人の歌は、バンドの大音響と対抗するためか、熱唱型の人が多く、またことばが現代詩的で、聞いていてイメージをつかみにくいことがある。おそらくそれは、彼らが何かを伝えるということより、「音」を大事にしているからではないかと思う。好みの違い、感性の違いといってしまえばそれだけだが。
家に戻り、Lotus さんからいただいた CD「my little frictions」を聞かせていただいた。CDの歌もサウンドもオーリアッドでの演奏よりずっといい。ということは、オーリアッドのPAに問題があるのかも。壊れているエコーマシーンを早く直してもらわなければ。CDの歌の中では、「海のかけら」が断然よかった。
次に「くのやん」こと久納ヒサシさんが「You've Got to Hide Your Love Away」「夜のトンネル」「菜の花」の3曲。2nd
round では、ストーンズの As Tears Go By と「奥の細道」ならず「ぼくの細道」。彼のほのぼのとした表情、「くの節」ともいえる暖かい声、いつ聞いてもいい。
「くのやん」のあと、堀内さんが韓国語、フランス語、ロシヤ語の歌を。次に赤羽真理さんが3月末に沖縄へ行ってきたときの話を交えながら「森の小道」など3曲。辰野には雪が降っていてコートを着てでかけたのに、沖縄は暑かったとのこと。一度ぼくも沖縄へ行ってみたいもの。そしてsecond
round に入る前に、大月高志さんの「パッヘルベルのカノン」。いつ聞いても凄い。
second round が終わったあと、遅れてきた長島功さんに歌ってもらう。2番目の子供が生まれた喜び、親のありがたさを語りながら、「無縁坂」「転宅」を歌う。そうそうぼくも「DU」「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を2回に分けて歌う。
April 9, Friday 2004
今晩、前半は暇で、翻訳がかなり進んだ。後半、少し忙しくなる。辰野病院のT先生もお見えになる。下社の木落としを見物して帰ってきた田中君と先生とけっこう話があって、盛り上がっている。タイプを打ちながら聞くとはなしに聞いていると、「釣りきち三平」「ちびまる子ちゃん」「杉浦茂」なんていうタイトルや名前が聞こえてくる。T先生の話題は広い。禅から、宇宙から、「ちびまる子ちゃん」まで。
田中君は、木落としを見て「久し振りに身体が震えましたよ」といっていた。特に、もう暗くなりかけてからの3本目が凄かったらしい。劇画の原作者だけに、ある構想が思いついたようだ。
明日は飛び入りライブデー。遠くは群馬県前橋から Lotus さんが、近くは堀金村の山岸さん、松本の久納さんが、歌いにきてくれることになっている。ぼくも歌います。お出かけ下さい。
April 8, Thursday 2004
今夜、東京から田中誠一君と彼の友だちがやってきた。明日の下社の御柱の木落としを見に行くため。林功一さんからぼくも誘われていたが、翻訳の締め切りがあり、諦めざるをえない。残念。
9時ごろ、「たつの湯にいくセンター」の温泉から帰ってきた田中君が、「車のラジオで、イラクで日本人3人が人質になったといってましたよ」と教えてくれた。家に帰ってテレビをみたら、政府の要人が「こんな暴力は許しがたい」という主旨のことをいっていた。先日もアメリカ政府の報道官が同じことをいっていた。ぼこぼこに殴っておいて、ちょっと殴り返してきたら、「暴力はやめろ」というようなもの。
少なくともテレビの報道で見る限り、3人はイラクの民衆の側に立った行動を行ってきた。18歳の若者は劣化ウラン弾の廃絶を訴える活動をしてきた。彼らの活動が理解されれば、よもや殺されることはないと思うが、楽観的過ぎるだろうか。日本政府は自衛隊を撤退すべきである。少なくとも、イラク国外に移動させるべきだ。イラク全土が戦闘地域であることは最早疑う余地がない。
4月11日の日曜日。荒神山のホタルドームの前で「イラクで死なないで!殺さないで!早く帰れ!」という抗議運動があります。音の出るものをもってどうぞ参加して下さい。詳しくは、次のURLをクリック。http://www.secondwind.jp/chirashi1.htm
今でも世界の戦場では劣化ウラン弾が飛び交っている
ボスニア、コソボ、アフガニスタン、そして再びイラクでも
ウラン238 半減期45億年
今日も目に見えないほこりになって砂漠の空を飛んでいる
今晩、久納ヒサシさんから、10日(土)の飛び入りライブで歌いたいというメールが届いた。にぎやかくなりそうだ。
April 7, Wednesday 2004
昨日、北海道の阿知波一道さんよりメールがあった。4月21日から25日まで名古屋へ来る用事があって、24日(土)の飛び入りライブに参加したいのことであった。阿知波さんには一度「ほたる祭りライブ」に来て歌ってもらったことがある。好評だった。昨年オーリアッドを再オープンしてから、店で阿知波さんのCDをかけたところ、是非生で聞きたいという人も現れた。
今度の土曜日に群馬県の前橋市から歌いにくるという Lotusさん、こと仲野さんからもメールが入った。野間義男さんの知り合いのようだ。どんな歌を聞かせてくれるか楽しみだ。
April 3, Saturday 2004
飛び入りライブデー。久々に予約者なしの日だった。どうなることかと思っていたら、水野哲男さんが先ず入ってきた。お父さん大好きの4月から年長組になった娘さん(ごめんね、名前を聞いたのに忘れてしまった)も一緒だった。最初の写真で、ピアノの椅子にすわってお父さんの歌を聞いている姿は微笑ましくもあり、羨ましくもある。
水野さんは小学校の先生。先日の卒業式で、担任した6年生を送り出したばかり。今回歌った歌の中に教え子を送り出した「ほろ苦い」気持ちを歌った新曲があった。いい歌だ。その卒業生の一人、松本さんが両親ときてくれた。彼女は合唱団に入っているとのことで、水野さんの伴奏で何曲か歌った。とても上手だ。しかし何よりもぼくが感心したのは、彼女のはきはきとした受け答え、しっかりした態度。
水野さんのあと、ぼくが「DU」「千の風」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌う。「DU」とは
depleted uranium 劣化ウランのこと。昨日の日記にも書いたように、これは東京の館野公一さんの歌。彼の許可を得て、歌いやすいように現在修正中。メロディもことばもまだ定まらない。それでも、この歌のインパクトは聞く人に伝わるようだ。
次にボブ鈴木がやってきた。2月末以来、今年2度目。諏訪の上社は御柱の真最中。彼が経営するジーンズ・ショップ前の通りも、もの凄い人出だが販売と結びつかないとこぼす。いつもは時間の制約があるが、今日はたくさんいい歌を聞かせてもらった。その中でぼくが一番いいと思ったのは、
夢は色褪せてく、ぼくは年老いてゆく
でもまだへこたれちゃいない
おー、夕日を追いかけてく奴の歌が聞こえる
もう引き返せない
というコーラスが入る歌。何度かこのコーラスが繰り返され、最後に「もう引き返せない」が「もう引き返さない」と歌われる。自ら選んだ人生に対する決意を感じさせる終わり方だ。
堀内千晴さんは、今日は休みで、休みにはいつもそうしているように、松本城へ行き、ボランティアとして外国人観光客のために観光案内をしてきたとのこと。5ヶ国語を話すという彼はいろんな国の人を案内したようだが、今日は特にフランス人が多かったとのことで、フランス語の歌(「枯葉」等)2、3曲とアポリネールの詩「ミラボー橋」を朗読する。
その後、大月高志さんにお願いして、まだ彼のピアノを聞いたことのない人たちのために、Merry
Christmas, Mr. Lawrence と「パッヘルベルのキャノン」を弾いてもらう。いつ聞いても凄い。彼がピアノを弾き終わる頃、以前に一度来たことのある、Mr. H. Karasawa が入ってくる。コーヒーを飲んだあと、英語の歌を2曲歌う。タイトルを聞くのを忘れた。Aisa
というバンドの歌だったか。
最後にぼくが「 Can't Help Falling in Love」、「 We Shall Overcome」、「
Cucamonga, California」、「 Blowin' in the Wind」をBGMとして歌ったあと、ボブ鈴木に、「行けるところまで一緒に行こうよ/そこから先は自分で見つける」というコーラスの入った歌をリクエスト。何度聞いてもいい歌だ。それで終わり、と思ったら、「Stand
by Me」のリクエストがあり、ボブ鈴木が大月さんを呼んでセッション。これが今夜のハイライト。素晴らしかった。
4月30日(金)の茶木みやこさんのコンサートのチケットとポスターを作り、いつものように辰野駅近くのほたる書房と伊那の三澤珈琲店においてもらうことにした。
チケットは当然のことながらオーリアッドにもあります。メールでも予約できます。是非お出かけ下さい。その日はゴールデン・ウイークのイブ、遠方の方は、新緑の信州への小旅行はいかがでしょう。信州の一番美しい時です。
April 2, Friday 2004
小野藤沢の中村東茂一さんが、のそっと入ってきた。帽子掛けに帽子をかけ、カウンターにすわる。ちょっと西部劇を思わせる景色。コーヒーを飲んだあと、「鉄道員」など数曲を弾いてもらう。1曲若山牧水の、
白鳥は 悲しからずや 空の青
海のあをにも 染まずただよふ
を、ギターに合わせて歌う。クラシックギターの演奏の最中に1曲これが入るだけで雰囲気が変わる。いい感じだ。
4月11日(日)荒神山公園で行われる「音の抗議」集会へ中村さんを誘う。辰野町在住、あるいは近辺にお住まいの方でご都合のつく方は是非参加して下さい。鍋でも釜でも、拍子木でも、音の出るものを何かご持参下さい。詳細は、→
その会で歌いたいと、館野公一さんの「DU」を練習しているところ。DUとはdepleted uranium「劣化ウラン」のこと。館野さんの許可を得て、歌いやすいように、ことばを整理し、メロディも変えさせてもらった。まだ歌うたびにことばやメロディが変わるが、とにかくパワフルな歌。4月11日に歌うにはもっとも適切な歌だと思う。
アルバカーキの空は今日も
青く晴れ上がっているが
俺の頭に住みついた痛み
今日も消えることはない
節々がしびれ鈍く痛む
自分の身体じゃないみたい
もう何年もこの痛みが消えない
砂漠から戻ってから
館野さんのオリジナルは彼の「語り歌WEB」で聞くことができます。
初めてきたお客さんに、茶木みやこ、よしだよしこ、三浦久、大工哲弘のコンサート・スケジュールが載ったチラシを渡す。「一人の道」を口ずさむと、知っているという。「三浦久さんは、辰野の人じゃないですか。名前は聞いたことがあります」という。「そうです」と答えておく。
April 1, Thursday 2004
いよいよ4月。オーリアッドを再開してから10ヶ月近く経ったことになる。振り返ってみれば早いもの。ビジネスとしてはなかなか難しいが、「飛び入りライブ」も徐々に定着してきたし、新しい出会いもいくつかあった。そして、何にもまして、ギターや歌を愛している人たちがこの地域にもたくさんこいるとわかったことが嬉しい。
今月は30日(金)に、茶木みやこさんのコンサートがある。是非多くの方々に参加してほしい。これから本格的にパブリシティに励まなければならない。彼女が歌っている「一人の道」は傑作である。
ある日走ったその後で
ぼくは静かに考えた
誰のために走るのか
若い力をすり減らし
雨の降る日も風の日も
一人の世界を突っ走る
何のために進むのか
痛い足をがまんして
ぼくが京都へ行ったのが、1969年秋。その後しばらくして、ラジオからよく流れてきた歌が、円谷選手のことを歌ったこの歌。ピンクピクルスという同志社女子大の2人の学生のグループが歌っていた。その一人が茶木さんだった。その後数年して、彼女と一緒に何回かコンサートを行った。
生で彼女の歌を聞いたことのない人が多いと思います。是非彼女の澄んだ歌声を聞きにおでかけ下さい。メールにて予約受付中です。
もう無理な話だけれど、根橋唱ニさんに聞いてもらいたかった。