OREAD Diary
August 1〜August 31, 2008


August 31, Sunday 2008

朝起きると頭が痛い。眼瞼下垂の手術を受けてからこんなひどい頭痛は初めて。金土と続いたライブ、それにモニターに向かってタイプを打つ作業が続いているせいと思われる。モーラステープを首筋と腕に貼る。

7時から防災訓練に参加。去年は区長として準備が大変だった。今年は区の一役員ということで、気楽だった。組長による各組の「避難者」数の報告、奉仕団による怪我人の手当てデモンストレーション、消防団員による消火器の使い方の説明、それに、消火栓放水デモンストレーション。最後に区長挨拶。

午後、仕事を再開。タイプを打ちながら、何度もうとうと。なかなか進まないので、ベッドにもぐりこむ。数10分仮眠をとるつもりが、2時間以上眠ってしまった。よほど疲れていたに違いない。

6時半から、岡谷のイルフプラザでの英語クラス。ミシェール・オバマのスピーチをA4の紙の両面に印刷してもって行く。表を説明しながら読み、裏を読もうとして気がついた。両面同じものを印刷していた。最近、この種の間違いが多い。気をつけなければ。

明日から9月。値上げラッシュの中、ガソリンが少し安くなるようだ。ありがたいことに、頭痛は夕方までに収まった。モーラステープが効いたのか、午睡がよかったのか。


August 30, Saturday 2008

開店後、最初に入ってきたのは、舟木さんの大ファンのMさん。開口一番「コンサートは今日じゃないんですか」。「昨日でした」。(そう思った人がMさんの他にも数人いたようである。)

先日も大阪梅田まで舟木さんのコンサートを聞きにいってきたというMさんのために、4曲目の「碌山」を「宝福寺にて」に変えて、昨夜歌った最初の4曲を歌う。続いて藤森和弘さん。1曲目いつものように「人生に勇気」から。途中意表をついて We Shall Overcome の一番を挿入。「おまえの歌が聞こえる」「生きて」他。

垣内彰さん。8月16日の諏訪湖花火を自転車で見にいったかえり、転倒して顔を打った話。それに最近仕事の関係で長野市に住み始め、週末辰野にもどるというお話。そして最近国歌のメロディに乗せてマオリ語のポカレカレアナを歌うと上手く行くことに気づいたという話、とその実演。

赤羽真理さん、「人生の海の嵐に」「薔薇は憧れ」他。そのあと、ぼくがMさんのために、昨夜のコンサートの後半の4曲。大月高志さんにサポートをお願いする。そして大月さん、昨夜のコンサートについて語ったあと、ピアノソロ。Merry Christmas, Mr. L.



 


10分休憩後、早く帰らなければならないMさんが赤羽さんにリクエスト、「千両梨の実」。サポートは大月さん。何度聞いても素晴らしい。

最後に藤森さん。「住みなれたこの町で」他。前半「生きて」を聞いたときも感じたが、藤森さんの声が、以前にもまして透明感をましている。それとともに説得力も。

その後、しばし歓談。昨日のコンサートや、来年秋の教会での「赤羽真理&三浦久ジョイントコンサート」について。

11時閉店。雨は上がっていた。明日は防災訓練。


August 29, Friday 2008


「サマータイム・コンサート in オーリアッド」。大雨のため中央線が不通になり、ちょっと心配したが、4人全員4時過ぎ到着。関島、神谷、石崎の3氏は、京都からの帰りで、中央道は順調に流れていたとのこと。鈴木さんは東京から電車で来る予定が、中央線が不通になり、そのため高速バスがすべて満席。仕方なし車で来たとのこと。途中、中央道閉鎖の情報もあったが、無事到着。

午後7時半開演。まずぼくが前半の1時間。全8曲。最初の4曲「サンタバーバラの夏」「一通の手紙」「もし君がぼくを必要としたら」「碌山」を、大月高志さんのサポートで。5曲目から8曲目、「祈りの歌」「シスター・ローザ・パークス」「I Have a Dream」「千の風」は、関島さんに入ってもらい3人で。

今日8月29日(アメリカ時間で8月28日)は、キング牧師がリンカーン・メモリアル・ホールの前で、20万人の聴衆を前に I Have a Dream の演説をした記念すべき日。そして、今日は、バラク・オバマが、正式に民主党の大統領候補の指名を受け、受託演説を行った日でもある。そこで、60年代カリフォルニアでの体験を歌った歌や、キング牧師に関係ある歌を中心に歌う。

「千の風」では、関島さんのチューバが、ファーストヴァースのあとのブリッジ冒頭から効果的に入り、ちょっとゾクッときた。何の打ち合わせもしなかったが、大月さんはいつもここから入るが、今日はセカンド・ヴァース冒頭まで待っていた。阿吽の呼吸。ここで10分休憩。





後半、鈴木常吉さん。ギターとアコーディオンを持ち替えながら、関島さんの重厚なチューバのサポートで「疫病の神」から「石」まで10数曲。独特なメロディー。盛大な拍手。アンコールに「サマータイム」。

最後に、聴衆のみなさんに歌詞を配り、 We Shall Overcome の合唱。ぼくなりの45周年へのトリビュート。

昨日の日記に書いた蕎麦打ち名人Aさんが、打ったばかりのお蕎麦を大量にもって、聞きにきてくれた。終了後、彼が湯がいて盛り付けてくれたお蕎麦を、これまた彼が持参してくれたツユで、みなさんといただく。一口食べて、みなさん異口同音に「おいしい!」。本当に美味しかった。

ウイークデイにもかかわらず、お出かけくださった方々に感謝。おかげで、いいコンサートになった。ありがとうございました。


August 28, Thusday 2008

朝から、コンピュータに向かい、翻訳。よく分からないところや、いい訳が浮かばないところがあると、速度が鈍る。時には完全に立ち往生。そんなときは階下に降り、気分転換。CNNで民主党の党大会の様子を眺める。

今日は3日目。ビル・クリントンがスピーチをし、最後は副大統領候補ジョー・バイデンのスピーチ。ビルは、ヒラリーの指名獲得にやっきになっている頃の顔つきとは一変し、穏やかになり、オバマ支持を訴えた。

バイデンは、友人であるマケインの人間性を評価しながらも、外交政策、特にイラク、アフガニスタン、イランに関する彼の判断が間違っていたことを厳しく指摘。そして、何度も、もしマケインが大統領になれば、それはブッシュの8年の延長であるというスローガン、John McCain, More of the Same を繰り返した。

いよいよ明日は、オバマが登場する。それは、奇しくも、45年前、キング牧師がワシントンD.C.のリンカーン記念堂の前で、I Have a Dream の演説を行った日。オバマがどうのようなアクセプタンス・スピーチ(指名受託演説)をするか楽しみである。

キング牧師はかつて、

  私には夢があります。私の4人の小さな子供たちが、いつの日か、皮膚の色
  ではなく、人格の内容によって判断される国に住むことができるようになる
  という夢が。

と、語った。この演説が行われてから45年後、キング牧師の夢が実現しようとしている。オバマは皮膚の色とは関係なく、彼の人格の内容によって、民主党大統領候補の指名を獲得した。アメリカが真に「皮膚の色」を超えることができるかどうかは、11月4日の大統領選挙にかかっている。

明日の鈴木常吉さんとのコンサートでは、I Have a Dream を歌い、できたら最後に、みなさんと We Shall Overcome を歌いたいと思っている。

夜、6時半から、役場の会議室で「第60回ほたる祭り実行委員会総会」。分館長として参加。いくつかの反省点はあったが、今年のほたる祭りは大量のほたるの発生に助けられて「大成功」だったというのが、大方の意見。

そのあとオーリアッドへ。蕎麦打ち名人のAさんから、蕎麦の話、それに歩くときの正しい姿勢についての講義を受ける。ぼくの脚はO脚で、歩くときは、左足が左に大きく開いているとのこと。これを直す運動を教えてもらう。新蕎麦が収穫でき次第、お蕎麦を打ってもらえるようである。楽しみ。

*「私には夢がある」の演説が行われたワシントン大行進は、1963年8月28日に行われた。日本時間では8月29日。


August 27, Wednesday 2008

昼前、CNNでヒラリー・クリントンの民主党の党大会におけるスピーチを聞く。今まで聞いた彼女のスピーチの中で一番よかった。文化の違いとはいえ、日本の政治家たちからこのようなインスピレーションに満ちたスピーチを聞くことは稀である。

午後1時45分から、辰野中学でブックトーク。テーマは命。今日は、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「祈りの歌」を歌う。合い間に、Amazing Grace の1番と We Shall Overcome の1〜3番を一緒に歌う。

4日間にわたって3年生の4クラスでブックトークを行った。この機会を与えられたことに感謝。とてもいい経験になった。

ブックトーク後、校長室で、お茶をいただきながら、西駒登山から帰ったばかりの校長先生とお話する。

夜、オーリアッド。久しぶりに Rodrigo y Gabriela を聞く。それに David Gilmour も。まったく違うギターながら、どちらにも感銘を受ける。

遅くなって、原田技研の原田さん。去年は3000株のイチゴを会社の横の畑に植え、今年のシーズンには近くの小学校に連絡して、子供たちにイチゴ狩りにきてもらったとか。今年は5000株を植える予定とのこと。来年のシーズンには、小学生に開放すると同時に、ジャムにして販売し、利益をユニセフに寄付したいとのこと。頭が下がる。わが家は150から200株といったところか。

家に戻る前、「シスター・ローザ・パークス」をマーティンD-35で弾いてみる。悪くない。でもコンサートではやはり Takamine を使うかもしれない。D-35 にもう少し慣れる必要がある。

明後日は、鈴木常吉/三浦久「サマータイム」コンサート。楽しみである。



August 26, Tuesday 2008

終日翻訳。まだ先は長い。

昼前、CNNで民主党大会初日のミシェール・オバマのスピーチを聞く。感動した。村上和雄さんは、人は感動すると、いい遺伝子が ON になると言う。ミシェールのスピーチを聞いて、ぼくの眠っていた遺伝子のいくつかが ON なったかも。

  夜、この小さな娘を、そして彼女の妹を、寝かせつけるとき、私は思います、
  いつの日か、彼女たちは自分の家族をもつだろうと。そして、いつの日か、
  彼女たちは―そしてみなさんの息子さんや娘さんたちも―自分の子供たち
  に話すだろうと。この選挙で私たちが共に何をしたかを。彼らは話すでしょう、
  いかに私たちが、恐怖ではなく、希望に耳を傾けたのかを。いかに私たちが、
  疑うことではなく、夢を追い求めることを選択したのかを。いかに、この偉大
  な国において、シカゴのサウスサイドの女の子が大学へ行き、さらにロースク
  ールで学ぶことができ、ハワイのシングルマザーの息子が、ホワイトハウスま
  で行くことができたのかを。つまり、彼らは話すでしょう、この選挙で、私たち
  がいかに本来あるべき姿に世界を変えようと、努力したかを。(tr. by miura)

夜、オーリアッドで大月さんと金曜日の「鈴木常吉/三浦久サマータイムコンサート」のリハーサル。今まで一緒にやったことのない「一通の手紙」「シスター・ローザ・パークス」など。

神谷さんからメールがあり、一行は4時にオーリアッドに入るとのこと。初めてお会いする鈴木常吉さんの歌やアコーディオンが楽しみ。それに、関島岳郎さんとの再会も。



August 25, Monday 2008

午前中、翻訳。涼しくなって有難い。ぼくの2階の部屋でも仕事がしやすくなった。

11時頃、amazon.co.jp より村上和雄著『生命の暗号』が届く。早速、今日の午後3時10分からのブックトークの時間に読むところを決めるために、拾い読み。しかし、一部を読んだだけでは、この本のよさが伝わらないことが判明。全体の内容を要約する必要がある。

その作業が完成したのが、2時50分。急いで中学へ。途中、ギターとハーモニカを取りにオーリアッドに寄る。図書室へ行き、カバンを開けて、驚いた。せっかく作った資料がない。プリントアウトしたまま、カバンに入れるのを忘れたようだ。

上島先生が、生命についての何冊かの本を紹介したあと、「アルー」を歌う。そしてそのあと、 Amazing Grace と We Shall Overcome を3年2組のみなさんと歌う。みんな大きな声で歌ってくれた。それから、先生が、さらに何冊か本を紹介したあと、「それぞれの道」。

「それぞれの道」の前に用意した資料を読むつもりだったが、記憶を頼りにぼそぼそ話す。あまり時間もなかったので、それでよかったのかもしれない。

家に帰ってプリンターのところを見たら、トレイの上にあった。少し修正して、明日印刷して生徒たちに渡してもらうように上島先生にメールで送る。

先週木曜日のブックトークの生徒たちの感想文をいただいた。どんなことが書かれているか、不安と期待をもって読ませてもらった。どの文からも生徒たちが一生懸命書いてくれたことが伝わってきた。

  
キング牧師のことは社会の時間に少し勉強しました。映像で I Have a Dream
  の演説も見ました。僕はとても感動して涙が出そうになりました。歌っていた
  だいた I Have a Dream は、演説とメロディーのイメージがピッタリで、この時
  も僕はまた涙が出そうになりました。


嬉しかった。



August 24, Sunday 2008

朝起きて外を見る。大雨。猫たちが外に出たがるが、この雨では無理。昼過ぎ雨がやんでから出してやる。

朝食後、昨日届いた某ボックスセットのブックレットの訳を開始。膨大な量。さらに100曲以上の対訳も。大変だが、長い間、楽しめそう。

バラク・オバマが副大統領候補にジョー・バイデンを選んだ。二人が並ぶと、親子ほど年齢が離れて見える。実際にはオバマ47歳、バイデン64歳。それほどの差ではない。オバマが歳のわりに若く見え、バイデンが歳のわりに老けて見えるということだろう。いずれにしろヒラリーでなくてよかった。因みに、ヒラリー、60歳。マケイン、71歳(あと5日で72歳)。ケネディが大統領に就任したとき、43歳。

夜、仮設公民館へ。区の拡大委員会。介護予防センターの名称について。区民から寄せられた30以上の名称の中からひとつを選ぶ作業。まだ公表できないが、話し合いと投票の結果、ひとつの名称を選ぶ。

明日は午後、辰野中学で3回目のブックトーク。テーマは「命」。歌は「アルー」と「それぞれの道」。それに、 Amazing Grace と We Shall Overcome も。本は、村上和雄さんの『生命の暗号』の一節を紹介したいと思っている。


August 23, Saturday 2008

2週間ぶりの飛び入りライブ。最初に現れたのは静岡の池谷和士さん。開口一番「長野は寒いですね」。よく見れば、アロハシャツに半ズボン。今日は長野県のみならず、全国的に気温が低く、9月後半の気温だったとか。

池谷さん、自作の英語の歌を、日本語で解説したあと4曲。Saturday Morning など。藤森和弘さん、意表をついて「小さな幸せ」から。4曲。そのあとぼくが「サンタバーバラの夏」など。

ここで客席の3人の方に語っていただくことに。先ず、飯塚さん。札幌までトシさんのコンサートを見にいってきたとのこと。彼女はよく自分のことを普通のおばさんと言うが、普通のおばさんではなかなかそこまでできません。

原田さん。中国に住んでいた幼いころの思い出。お父さんとお母さんと過ごした幸せな幼年時代。それが昭和20年8月15日を境に一変する。そのとき原田さん6歳。今、その中国でオリンピックが開かれている。原田さんにはいろんな想いがあるに違いない。

盛林さん、最初に聞いたフォークソングは、お兄さんの影響で、荒木一郎の「空に星があるように」とのこと。この歌にはぼくも思い出がある。初めて聞いたのは、1967年、サンタバーバラでのこと。いい歌だと思った。近いうちに盛林さんの弾き語りが聞けそうである。

赤羽真理さん、3曲。最後の曲は名曲「千両梨の実」。大月高志さんのピアノのサポート。大月さん、「カノン」。盛大な拍手。ここで前半終了。



 



後半トップは、池谷さん。自作の英語の歌2曲。From the Hiding Place など。そして3曲目に最近日本語で書いたという歌。45歳の自分の年齢から「45」。攻撃の刃が内にも向かうとかなり違った印象になるはず。藤森さん、飯塚さんの話を聞いて「大空と大地の中で」から。3曲目は大月さんのサポートで「住みなれたこの町で」。ぼくが、来週金曜日の「サマータイム・コンサート」の練習を兼ねて、大月さんと「祈りの歌」と「千の風」。そして最後に、最近恒例になった「アメイジング・グレイス」。赤羽さんにボーカルで入ってもらい、客席のみなさんと一緒に歌う。

ここで終了。と思ったら、愛音ちゃんが「おいちゃん」を迎えに入ってきた。ぼくの伴奏で「ぞうさん」を歌ってもらおうとしたら、「おいちゃんじゃなきゃイヤ!」とのこと。おいちゃんにお願いして「ぞうさん」「チューリップ」「トンボのメガネ」。愛音ちゃんの歌を初めて聞くみなさんは、その可愛らしさに思わず顔がほころび、大きな拍手。先日5歳になったばかりとのこと。ますます可愛くなった。

ここで終了。その後しばし歓談。藤森さんから、弦の張り方、弦の種類など、弦についての講義を受ける。修理が済んだD-35 の音がもうひとつぼくの好みに合わない。弦を変えてみようか。

11時過ぎ、後片付けをすませ、外に出ると小雨が降っている。秋の涼しさ。


August 22, Friday 2008

夜7時、10月19日(日)の町内一周駅伝大会のブロック代表者会議 at 町民会館大会議室。町内を8つのブロックにわけて行われる駅伝。中部ブロック代表には、6区の6人の分館長が順番になるとのこと。今年は幸か不幸か、今村区の番。

この駅伝の歴史は長く、今年が52回目。中学生のころ、宮木区の選手として出場したことがある。二人の息子たちも、中学生のときに走った。

選手集め、練習、そして大会当日と、先が思いやられる。しかし、これも何かのめぐり合わせ、セキギョク的に受け止めよう。

会議が少し長引き、9時ごろオーリアッドへ。隣町の会社に勤める二人の方が英語の勉強方法について聞きたいと、1番テーブルでコーヒーを飲んでいた。英語のリズムと、音の連続による音の変化を身につけることの重要性をお話する。そのデモンストレーションとして、I Have a Dream を歌う。

英語には強く読む品詞と弱く読む品詞が決まっている。そして強と強の間にいくつ弱があってもリズムが変わらない。

    I have a dream that my four little children will one day live
    in a nation where they will not be judged by the color of their
    skin but by the content of their character.

 
 私には夢があります。私の4人の小さな子供たちが、いつの日か、
  皮膚の色ではなく、人格の内容によって判断される国に住むこと
  ができるようになるという夢が。


例えば、2行目から3行目にかけての

  in a nation where they will not be judged by the color of their skin

の強く読まれる単語の色を変えると、次のようになる。

  in a nation where they will not be judged by the color of their skin

nation と not の間には where they willの3語の弱がある。強と強の間にいくつ弱があってもリズムは変わらないわけだから、where they will は速く弱く読まれなければならない。英語が聞き取れないのはこの部分なのである。

*このことに関心のある方は、次のURLをクリックして、その後半部分を読んでみて下さい。http://www.nagano.net/journal/miura/980814.html

11時過ぎ家にもどり、メールをチェックすると、昨日のブックトークに関して、担任の先生から丁寧なお礼のメールが入っていた。感謝しなければいけないのはぼくのほう。得がたい体験をさせていただいた。


August 21, Thursday 2008

午前中、辰中の図書室でブックトーク。このクラスの生徒たちとは5月の「読み聞かせ」の時間に一度顔を合わせてある。その点、初対面だった昨日のクラスより、リラックスできた。

内容は、昨日とほぼ同じだが、今日はトップに ジョン・ニュートンについて話し、Amazing Grace の一番を歌う。「長野の冬季オリンピックの閉会式でレーナ・マリアが歌いましたね」と話したが、考えてみたら、冬季オリンピックは、1998年2月のこと。中学3年生の彼らは4歳か5歳だった。見たとしても、覚えているはずがない。でもこの歌はどこかで聞いたことがあるはず。

歌いこんでいるうちに「シスター・ローザ・パークス」がだんだんとまとまってきた。言葉もいくつか変わり、コードも定着した。

終了後、担任の先生と少し話す。ケイタイの着うたが「リバー」だと聞いて驚いた。

午後は少し昼寝をしたあと、探し物。出てこない。明日続けることに。

オーリアッド。修理が済んだマーティンD-35を弾いて「シスター・ローザ」などの練習。次回のブックトークは来週の月曜日。歌は「それぞれの道」と「アルー」。テーマは「命について」。

*調べてみたら、レーナ・マリアが Amazing Grace を歌ったのは、1998年2月の冬季オリンピックの閉会式ではなく、1998年3月のパラリンピックの開会式だった。


August 20, Wednesday 2008

午前中、辰野中学でブックトーク。与えられた役割を充分に果たせたか分からないが、生徒たちは熱心に聞いてくれた。キング牧師やローザ・パークスについて、少しでも関心をもってくれたらいいのだが。We Shall Overcome の歌唱指導をして一緒に歌ったときは、ほろりと来た。皆しっかり歌った。

午後は、4時から仮設公民館で、建設中の介護予防センターに関する工程会議。内装の決定。小さなサンプルを見ながら決めるのは難しい。壁、絨毯、天井、落ち着いた無難な色に決定。

夜、オーリアッド。建築家の宮澤さんが久々に。彼の無農薬の田圃でとれた精米したばかりのお米をいただく。感謝。3月に会った時、4月から名古屋の大学の専任になるとのことだったが、今夜名刺をいただく。名古屋女子大学教授。専門は生活創造デザイン。

閉店時間まで話す。建築のみならず、広い分野にわたる彼の知識には驚かされる。



August 19, Tuesday 2008

午後2時から辰野中学の図書室で、明日のブックトークの打ち合わせ。明日から2学期が始まる。キング牧師、ローザ・パークス、それにジョン・ニュートンなどについて、本の一部を読みながら、話し、歌うつもり。ぼくに与えられた時間は25分ほど。上島先生の本の紹介のトークが25分。さてどうなることか。心配であると同時に、楽しみでもある。

夜、ブックトークの準備をしながら、中国との野球の試合を見る。まだ中国との間には力の差があるようだ。

オリンピック選手に対するインタビュアーの「愚かな」質問が多い。勝った者も、負けた者も、みんな精一杯だったのだ。


August 18, Monday 2008

午前中、久しぶりに松本へ。成績の提出と、10月からの駐車場許可証の申請。そのあと、駅前の楽器店へ行き、修理済みのギターを受け取る。剥げかけていたブリッジがしっかりと固定されていた。

午後、20日からのブックトークの打ち合わせのために、中学へ行くつもりだったが、お盆の行事のせいか、久々に松本まで往復したせいか、異様に疲れている。電話をして、明日にしてもらう。横になって高校野球の決勝戦を見ていたら、いつの間にか眠っていた。目が覚めたら、終っていた。大差の試合になったものだ。

夕方、涼しくなってから、久々の芝刈り。特に東側は放置しておいたので、延び放題。小一時間かかったが、きれいになった。芝刈り機の音に驚いて遠巻きに見ていた猫たちが、刈った芝を捨てに行き戻って見ると、一匹は芝刈り機の上で、もう一匹はタイヤに手をかけて、不思議そうに見ている。残念、カメラが近くになかった。



August 17, Sunday 2008

一昨日の夜は諏訪湖花火大会、昨夜は区の納涼祭。60回目という花火大会は予想を超えて素晴らしかった。納涼祭は多くの方々の協力を得て、無事終了。ちょっと飲みすぎた。予報では午後3時から9時まで雨。ほたる祭り総おどりに続いて雨だったらどうしようと思ったが、杞憂に終った。降らなかった。分館長としての重要な仕事の2つ目終了。

今朝はラジオ体操のあと、運動公園へ。昨夜の後片付け。ラジオ体操は今朝が最後。この期間中、ほぼ毎朝6時半、仮設公民館横の空地へ行き、子供たちと一緒にラジオ体操。子育て支援マスターとしての任務。その名前にふさわしいことは他に何もしなかったが。

松本の楽器店から連絡があった。修理に出していたギターが直ってきたとのこと。ブリッジが剥げかけていた以外は問題はなかったらしい。明日、成績提出のために松本へ行く。帰りに寄ってこようと思う。


August 16, Saturday 2008

 




August 15, Friday 2008







August 14, Thursday 2008

先祖の霊を迎え、一族が集まって、故人を偲ぶお盆。盆棚にはナスとキュウリでできた牛と馬を供える。先祖の霊には、馬に乗って早く戻ってきてほしい、帰るときには牛に乗ってゆっくり帰ってほしい、という気持ちの表れだと聞いたことがある。

しかし、お盆もお正月も、ぼくが子供のころとは様変わりしてしまった。盆も正月も、日常の時間とは違う聖なる時間ではなくなってしまった。

特に今年あわただしく感じるのは、オリンピックのせい?

終日、採点。ややこしい。

夜は、オーリアッド。昨夜に引き続き、レナード・コーエンの Recent Songs を聞く。ある意味、お盆にふさわしい鎮魂歌の数々。

このアルバムの最後の歌は、Ballad of the Absent Mare。禅の十牛図をもとにした歌。十牛図では逃げた牡牛を牧童が探しに行き、見つけた牡牛に乗って戻ってくる。最後は牛も牧童もひとつになり自他を超える。

しかしコーエンの歌では、牛が馬にかわっている。しかも雌馬である。逃げた雌馬を探しに行き、一体となる。コーエンの歌の特徴のひとつであるセクシャリティがここでも顕著である。最後は、馬も人も煙のように消えてなくなる。


August 13, Wednesday 2008

  すべてがめまぐるしく過ぎていく
  昨日のことさえすぐに忘れ去られる


「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の冒頭の2行。そんな毎日を過ごしている。8月になったと思ったら、もう半分過ぎようとしている。

今日はお盆の最初の日。迎え火を焚いてから、オーリアッドへ。土曜日以来。帰省客がちらほらと。スピーカーからはコーエンの Recent Songs。遥か昔に訳したアルバム。ぼくのフェイバリット・アルバムのひとつ。コーエンのお母さんが亡くなったあとリリースされたアルバム。深い悲しみが伝わってくる。

遅くなって「シスター・ローザ・パークス」の日本語詩の修正。なんとかなりそう。


August 12, Tuesday 2008

午前中、定期検診。胸部レントゲンと心電図もとる。異常なし。

延ばし延ばしにしていた採点の締め切りが近づいてきた。ぼくの悪い癖。昼過ぎ、しばらく採点をし、夕方になって、少し畑仕事。

夜は、採点の続きと、中学校でのブックトークについての準備。「シスター・ローザ・パークス」の日本語詩を推敲する。できたら明日は、何を読み、何を歌うか、確定したい。

オリンピック。時々テレビを見る。日本選手の活躍を見るのは嬉しいものだ。でも、テレビは、余りにも金、金と、金メダルをとることがすべてであるかのように言い過ぎる。

オリンピックがくるたびにスチュアート・プレスリーのことを思い出す。彼はアイラヴィスタのインターナショナル・ホールに住んでいた数学専攻のアメリカ人。1968年10月、ぼくのアパートの共同レクレーションルームで、彼とメキシコ・オリンピックを見ていた。

続けて何人ものアメリカ人選手が表彰台に上り、アメリカ国歌が演奏され、国旗が掲揚されたとき、彼が突然ぼつりと言った―「アメリカが金メダルを取りすぎて恥ずかしい」。彼の言う意味がよく分からず、聞き返すと、彼は同じ言葉を繰り返した。

金メダル同様、各国の金メダルに対する報奨金の違いを云々する人たちもいる。そんなことを比較して何になるのだろう。「美人」アスリートに異常に注目するのも見苦しい。

今、ザーという激しい音が聞こえてきた。雨が降り始めたようだ。久々の雨。ありがたい。畑はカラカラに乾いている。


August 11, Monday 2008


午後、「打ち上げ花火の許可が出たので、許可証を取りに行ってほしい」との連絡が花火業者から入る。16日の納涼祭の最後を飾る打ち上げ花火の許可を上伊那地方事務所に申請しておいたのである。明日にしよかとも思ったが、明日は、午前中はいつもの定期検診。今日行ったほうが時間の節約になると、4時過ぎ、思い切って行くことに。

3階、商工観光課で許可証をもらう。往復、村上和雄さんの「笑いと健康」のCDを聞く。往復の1時間で、CDをほぼ聞き終わる。遺伝子のスイッチを ON にするものは、楽しい、嬉しいという気持ち、感動、感謝、祈りだと彼は言う。「笑み筋」という笑うときの筋肉についての話も興味深い。

戻ってから、大根と白菜の畝を3本掘る。畑で働くには早朝か夕方に限る。


August 10, Sunday 2008

今朝は疲れていたのか、寝過ごし、ラジオ体操に間に合わなかった。昼前にオーリアッドへ行き、昨夜の後片付け。小一時間。

夕方、陽が落ちてから、耕耘機をかける。ジャガイモを掘ったあとに、大根と白菜用の畝を作るため。ほぼ作業が終ったころ、家人が大きな声で呼ぶ。何かと思ったら、カブトムシがいると言う。

立派な角をもったオスである。メスのカブトムシを見ることは時々ある。オスは珍しい。男の子の孫のいる友人のことが頭をよぎったが、写真を撮るだけにした。カブトムシはどこかへ歩いていった。

 

村上和雄さんは、「世界中の学者が集まっても、世界の富を集めても、人間は細胞一個、創ることができない。人間は60兆の細胞でできている。60兆の、つまり地球人口の一万倍の、小さな生き物が私たちの身体の中に生きている。遺伝子レベルで考えると、人間が生きているということは、本当に素晴らしい、ありがたいことなのである」という主旨のことを述べている。また「人間の身体は宇宙生命150億年の結晶である」とも。

昨日見た生まれたばかりのアゲハチョウも、今日見たカブトムシも、同じ宇宙生命150億年の結晶である。彼らを見ていると、生命の不思議を思わざるをえない。

また村上さんは「私たちは宇宙の元素からできている。宇宙からの借り物である。借り物は返さなければいけない」とも述べている。死ぬことは、借りていたものをお返しすること。借りていた元素を宇宙に解き放つことなのである。人間も、カブトムシも、アゲハチョウも。

まさに、一生は胡蝶の夢。


August 9, Saturday 2008

地元辰野はもとより、東京、名古屋、伊那、ミネソタ、岡谷、京都、台北からの参加があり、大にぎわいの Saturday Night Live になった。

先ずぼくが「祈りの歌」などを歌ったあと、高知での「まんが甲子園」の帰りという田中誠一さんにお願いする。「春夏秋冬」、そして、「英五さんからもらった」という「祈り(ゴルゴダの丘)」。伸びのある高音が魅力的。続いて、名古屋からご家族でやってきた松浦秀人さん。「最後のパズル・ピース」「患者様の歌」など。田中さんとは対照的にゆったりとした太い声。藤森和弘さん、松浦さんの歌も風貌も河島英五を彷彿させるといいながら、先ず「風は旅人」。人はいろんなところで影響しあい繋がっている。

パティ・ドーシャーさん(from Minnesota) 、熊谷健さんのギターで Don't Think Twice, It's Alright など。両親の聞くディランやバエズを聞いて育ったとのことで、古いフォークソングを得意とする。増沢学さん「ミンゴスのママへ」、そして奥さん(piano)と二人の息子さん(vocal & percussion)のファミリーバンドで「キセキ」。見事な演奏。あんな風に家族で歌えたらいいね、という声が聞こえてきた。盛大な拍手。

続いて、増沢さんのふるさと、天橋立の同級生、佐々木昇さん。激しいギターワーク、それに迫力ある歌声は増沢さんに共通するものがある。「サンセット・バレー」が印象に残った。前半最後は赤羽真理さん、「鹿のように」など。最後の「千両梨の実」は大月高志さんのサポートで。ここで前半終了。
(ごめん、前半の藤森さんの写真を撮り忘れた。)


 




休憩時間に田中さんから「まんが甲子園」の会場に展示したという「ちばてつや」さんの原画のパネルを見せてもらう。未発表の作品らしい。

後半トップは、ペイフン さん (from Taipei)。今日は見学のつもりだったが、みなさんの歌を聞いて歌いたくなったとのこと。故国台湾の歌。月を見ながら、戦争に行った恋人に早く戻ってほしいと願う歌。澄んだ歌声。熊谷さん「私が一番きれいだったとき」など。巧みなラグタイムギターに、味わいある歌声。続いて熊谷さん、パティと「500マイル」。英語と日本語で。

田中さん「傘がない」。松浦さん「名古屋のライブハウスでは2度歌うことはない」といいながら、「昨日のシャツを脱ぎ捨てて」など。藤森さん、大月さんのギターとピアノのサポートで「愛音」など。最後にぼくが大月さんのサポートで「千の風」。そして、赤羽さんにも加わってもらい、みなさんと一緒に「アメイジング・グレイス」。

その後、しばし歓談。長い夜になったが、みなさんからいい歌を聞かせてもらい、楽しい一夜になった。

*来週土曜日(16日)は、区の盆行事のため臨時休業します。飛び入りライブはありません。13日(水)14日(木)15日(金)は通常営業いたします。


August 8, Friday 2008


暑い、とにかく暑い。どこへ行っても、交わされる言葉は、「今年の夏は暑いですね」。本当に。

6時、お店を開け、駐車場と前の歩道に水を撒く。しばらくして、入ってきたのは、ぼくの気功の先生、パークホテル総支配人の盛林洋史さん。先日の気功のレッスンが終ったあと、「千の風」のコードを教えてほしいと言われた。「オーリアッドへ来てきただければいつでもお教えします」と伝えておいた。

今日ギターを買ったとのことで、早速、コードを紙に書いてお渡しする。ギターを弾くのは20年ぶりといいながら、見事に弾く。是非、近い将来、飛び入りライブに出演して欲しいもの。

盛林さんに新曲「祈りの歌」を聞いてもらおうと歌い始めたところへ大月高志さん。早速、サポートをお願いする。そして「千の風」も。

盛林さんは、ホテルのある荒神山の名前をつけた全国規模の音楽祭を開催したいと考えている。New Port Folk Festival とか Monterey Jazz Festival のように、Kojin-yama Music Festival が定着し、全国からミュージシャンが押し寄せ、いつも音楽が溢れているような町にしたいとのこと。面白くなりそうだ。

盛林さんは中村天風にも村上和雄にも詳しい。後者の『人は何のために「祈る」のか』を今読んでいるとのこと。ぼくはその本を amazon.co.jp に注文したが、まだ届いていない。

村上和雄ふうにいえば、不思議な力、something great が、動き出し、使われていなかった遺伝子がONになったかのよう。


August 7, Thursday 2008

9時から、香住寺にて、区のお年寄り(徳寿会)と小学生との交流会。子育て支援マスターとして全面的に協力。子供たちがどの程度参加するのか、参加しても、お年寄りとうまく交流できるか心配だった。杞憂に過ぎなかった。交流は大成功。子供たちが素晴らしかった。臆することなく、おじいさんおばあさんたちと一緒に、ラジオ体操、絵手紙、おてだま、なわとび、紙ヒコーキと、盛りだくさんの遊びを楽しんだ。彼らの遊びに対する「貪欲」さは、眩しいばかり。

また、多くの方々にお世話になった。特に、とてもいい挨拶をして下さった副住職の備前秀俊さん。昔の子供の遊びについて話して下さった90歳近い今もかくしゃくとした熊谷久志先生。絵手紙の指導をして下さったかつて小中学校の美術の先生だった堀内安雄先生。そして参加して下さった多くの方々。おかげで、とてもいい交流会になった。



残念ながら、絵手紙を描く時間が充分にとれなかった。新しい公民館ができたら、絵手紙講座を堀内先生にお願いしたいと思っている。堀内先生の絵手紙についてのお話で、参考になったのは、1.下手でいい、下手がいい。2.ハガキだけを机に置いて描こうとすると、絵が小さくなる。ハガキを大きな紙の上に置いて、はみ出すくらいに描け。この2点。実際に実技も行ったが、子供たちの絵はどれも、勢いよくハガキからはみ出し、いい味を出していた。

               ■

オーリアッド。珍しく開店時間の6時前に開店。大工さんの「蓬莱行」をかけようとして、「瓶の中の球体」をかけてしまった。最初の We Shall Overcome のインストラメンタルのあと、ひがしの(ひとし)君の Down by the Riverside が流れてきた。それを聞いたら無性に彼と話したくなり、電話をする。受話器の向こうから、彼の声。そして笑い声。かなり長時間、四方山話。中でも中村天風について。彼は詳しい。「笑いと健康」という点において、彼を見習う必要がある。彼は実によく笑う。ほがらかに。

おそくなって「蓬莱行」を聞く。原田技研の原田さんが、8月29日のサマータイム・コンサート(鈴木常吉&三浦久)のコンサートのチケットを買ってくださったので、11月には沖縄の大工哲弘さんが来ますよと、聞いてもらったのである。「瓶の中の球体」も「蓬莱行」も、久々に聞いたが両方とも実に素晴らしい。恐るべし神谷一義。恐るべし関島・中尾・渡辺のミュージシャンたち。

それにしても今日は暑かった。いい一日だった。


August 6, Wednesday 2008


昨日からコンピュータの調子がおかしく、トップページに、「スパイウエアが入り込み駆除できないので、手動で駆除して下さい」という主旨のメッセージが大きく出た。どうしていいか分からず、Spybot-Search and Destroy という無料のファイルをダウンロードし、作業にかかった。古風なウイルスのトロイの木馬が3つも入っていた。その他にもいろいろ入っていて、その数は何と30を超えていた。ウイルスバスター2008に入っているのにどうしてだろう。とにかくそれらのものを一挙に削除できたときは嬉しかった。

それが最終的に削除できたのが、午後2時ごろ。そのあと、延ばし延ばしにしていた採点と成績付けを始め、7時にはオーリアッドに入ろうと思っていた。6時過ぎ電話が。「おい、三浦、今日は同級会の日だぞ」「8月6日じゃないの?」「何いってるんだ、今日は8月6日だぞ」「えっ、これから行く」。

というわけで、同級会のことはすっかり忘れていた。明日の香住寺でのお年寄りと小学生の交流会のことはしっかり覚えていたのだが。1時間遅れて諏訪の仙岳へ。東京からも2人が参加し総勢15名、それに矢嶋寿男先生。家に戻ったのは、12時前。遅れたが参加できてよかった。

コンピューターは何とか正常に戻ったようだ。


August 5, Tuesday 2008

気功の日。パークホテルへ。11時スタート。先生の指導のもと、先ず、両足と両手を徹底的に揉みほぐす。そのあと、気を、両手で透明のボールを支えているように持ち、押したり、広げたり、ゆすったり。そして、その気を顔や頭にもっていく。3回目にして、ようやく、先生が何を目指しているかおぼろげながらわかってきた。

最後に、坐禅。前回、今まで教わった坐り方と、足の組み方(半跏趺坐)、手の結び方(法界定印)が逆だったので、古い慣れたやり方に固執したが、今回は、積極的に新しい方法を試みた。それが結果としてよかった。身体の歪みに気づかされた。

12時終了。その後、温泉へ。露天風呂に入りながら、王城山の上に聳える入道雲を眺めていると、いつも一緒に気功のレッスンを受けている年配の方が話しかけてきた。腰痛があるので、このレッスンに受け始めたが、だいぶよくなったとのこと。彼は、今まで一度も休むことなく5回皆勤。ぼくは2回休んだ。

午後2時半過ぎ、雷をともなう激しい雨。乾ききった畑には恵みの雨だが、あまりの豪雨に災害が起きなければいいがと思っているところへ、区長から電話。隣村との境の水路が氾濫して近くの工場に水が入りそうとのこと。あわててジョレンをもって駆けつける。

区長、区長代理とぼくの3人が集まった。水路に垂れている雑草を土手に上げたりしているうちに、雨もやみ、水かさも徐々に減り始めた。大事に至らなくてよかった。ニュースによれば、東京では、マンホールの中で作業していた人たちが、亡くなったり行方不明になったりしたとのこと。30代40代の働き盛りの人たち。気の毒だ。


August 4, Monday 2008

6時半、ラジオ体操。朝食後、家人の運転手となって、伊那富地区をまわる。10軒ほどの民生委員の方々のお宅へ配布物を届けるため。北大出(きたおいで)のHさんご夫妻と庭先で話しこむ。ご主人の癌が完治した話をお聞きする。

もう何年も前に信大病院へ彼を見舞ったことを思い出した。医師からも絶望視されていたのに、不思議な石の力によって、治ってしまったとのこと。元気になる遺伝子がONになったのに違いない。

午後、8月後半の中学でのブックトークの準備を少しして、スイミングへ。300メートル、泳いだり歩いたり。家に戻り、高校野球3日目第二試合の最後の攻防を見る。

圧倒的に有利だった徳島の鳴門工業が9回表に秋田の本荘高校に逆転され勝負あったかと思ったら、9回裏、鳴門工が再逆転し、試合終了。両方に勝たせたいと思わせる熱戦。

先月初めに京都で歌ったとき、サンタバーバラでお世話になった目幸黙僊(みゆき・もくせん)先生が、今年の11月まで京大の客員教授できておられることを知った。先日、お電話でお話した。ぼくがユングについて学んだのは目幸先生から。

ユングの言うシンクロニシティ(共時性)を正しく理解しているかわからないが、今ぼくの周りで、一連の不思議な出来事が、起こりつつある。時間と空間を超えて、様々なことや人が繋がっているのを感じる。遺伝子ONの状態である。


August 3, Sunday 2008

今朝は寝過ごしてラジオ体操に行けなかった。昨日は、朝、ラジオ体操のあと、運動公園の草取り。そのあと、アレチウリの駆除。夜は飛び入りライブ。かなり疲れていたに違いない。

運動公園の草取りは、お盆の納涼祭のバレーボール大会の準備。今日は、その納涼祭の案内の回覧板を、組長宅へ届ける。

午後は、しばらく午睡。2時間以上眠ってしまった。夕方、ジャガイモを掘り、気になっていた庭木の剪定。

剪定を始めたと思ったら、左肩にチクリと来た。刺した蜂は見えなかったが、剪定していた雪柳の木に、蜂の巣があり、その周りを怒った蜂がぶんぶん飛んでいた。家人があわて重曹を水に溶いて塗ってくれた。そのおかげか、腫れなかった。大きな蜂でなくてよかった。

今夜は、今朝届いた村上和雄さんの「笑いと健康」というCDを聞いた。この著名な遺伝子学者が、笑うことで遺伝子が活性化されて、病気がなおったり、長生きしたりすると考えていることが面白い。笑うことで、元気になる遺伝子がONになると彼は言う。天風会の予備修練会の昼食のとき、みんなでさあ笑いましょうといって、ワッハッハと大笑いしたことを思い出した。

彼の説は科学的でないという批判もあるようだが、今のところ、彼の言っていることに共感している。「遺伝子の働きを阻害するのは否定的な心である」という彼の言葉は、中村天風に通じるものがある。amazon.co.jp に彼の『人は何のために「祈る」のか』という本を注文した。最近、ぼくの中で、ある種の遺伝子がONになったと感じている。


August 2, Saurday 2008


ハーモニカは時々音がゆがんだり、つまったり、出なくなったりする。そんなときは、1.強く吹いたり吸ったりする。2.勢いよく蛇口の水を通す。それでも駄目なら、3.カバーをはずすし、リードに挟まっている細かい紙くずやヒゲを取り除く。

「テネシー・ワルツ」はAのキーで歌っているが、最近Aのハーモニカの調子が悪い。「テネシー・ワルツ」を歌いながら、Aのハーモニカの様子を見ているところへ、藤森和弘さん。

そのあと、木曜日に初めてオーリアッドに来た神戸出身の若者が入ってきて、6番テーブルへ。藤森さん、いつもの「人生に勇気」からスタート。そして「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」。続いてぼくがキーをA♭にかえて「テネシー・ワルツ」。続いて同じキーの「新しい光迎えよう」。そして最後に「アニー・イナシオのバラード」。赤羽真理さん「陽の当たるところへ」「風車」「放浪者の子守唄」。ここで前半終了。


 


後半のトップに、6番テーブルの若者に自己紹介をお願いする。物怖じすることなく、淡々と語ってくれた。好感がもてた。前田幸弘さん。バイクが好きで、神戸からもってきた250ccのバイクで、休日には遠出を楽しんでいるとのこと。スキーも好きらしい。バイクとスキーとくれば、長野県ほどいいところはないだろう。

藤森さん、ソロで「青春旅情」。大月高志さんのサポートで「今日は土曜日」「住みなれたこの町で」。ぼくが、大月さんにサポートをお願いし「千の風」「アルー」「「祈りの歌」。「祈りの歌」のキーはA。休憩時間にAのハーモニカのカバーをはずすと、ミとファのあたりのリードの一部が錆びていた。カビていたのかも。変色している部分をドライバーの先で削り、蓋をしたら元に戻ったが、新しいAのハーモニカを買ったほうがいいようだ。

赤羽さん、ソロで「鹿のように」。大月さんと一緒に「旅人の木」「千両梨の実」。

一曲目を歌う前に、赤羽さんは次のような主旨の話をした。先日、大阪の叔母さん(お母さんの姉妹)から電話があって、大阪で牧師をしていた彼のおじいさんの写真が、先月の朝日新聞に載っていると教えられた。それは、第二次大戦に日本が突入する直前、若かった頃のおじいさんが、神戸に滞在していた東欧のユダヤ人たちに、リンゴを渡している写真だった。

それを聞いてすぐに分かった。それは、リトアニアの領事だった杉原千畝(すぎはら・ちうね)から日本通過のビザを発給されたユダヤ人たちだ。杉原は、政府の命令を無視して、ナチスの迫害を逃れてポーランドから逃げてきたユダヤ人たちに、領事館が閉鎖されるまでの一ヶ月間、彼らのために通過ビザを発給しつづけた。彼は6000人のユダヤ人の逃亡を助けたといわれている。

Chiune Sugihara Story というテキストを何度も多読の教科書に使ったことを思い出した。朝日新聞に載ったという赤羽さんのおじいさんの写真を是非見てみたい。

終了後、しばし歓談。来週の飛び入りライブは賑やかになりそう。



August 1, Friday 2008


6時半、ラジオ体操。朝食後、農作業。日中は暑くて働けない。働くなら、朝と夕方。ジャガイモを4分の1ほど掘る。皮の赤いジャガイモ。サラダにすると色がきれい。トウモロコシやゴーヤ、ピーマンなども採る。今年はゴーヤがあまり生らないと思っていたら葉にかくて下の方に何本かあった。そのうちに暑くなり、ギヴアップ。

午後は、昼過ぎ少し昼寝をしたあと、新聞社2社へ、取材依頼のファックスを打つ。7日に行われる高齢者と子供たちの交流会と、16日のお盆の納涼祭の取材依頼。依頼文を作るため、けっこう時間がかかり、スイミングへ行く時間がなくなってしまった。

オーリアッド。原田技研の原田さん。最近、自転車で通勤していて、帰りによく寄ってくださる。5キロほどある夜道は自転車では大変でしょうと言うと、危険ではないし、高校時代、5000メートルの選手で、国体に出たこともあって、足には自信があるとのこと。そこから、原田さんの幼いころのお話を伺うことに。終戦のときは6歳で、大連にいたとのこと。大らかで懐かしい雰囲気は、そこから来るのかも。

今夜はカントリーのアンソロジー。「エルパソ」が流れてきた。この歌は『ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー』に入っていた。マーティ・ロビンズの声が実にいい。以前だったら聞き流していたところ。ジョニーがマーティを紹介するときの言葉さえ思い出した。


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