OREAD Diary
April 1〜April 30, 2008
To Past OREAD Diaries
Back to OREAD Homepage
April 29, Tuesday 2008
午後2時から、村のお寺で新しい護摩檀のお披露目があった。昨日からの歯茎の痛みが止まらず、外から写真を撮るだけにしようと2時半ごろ自転車で出かけた。「どうぞ中へ」と言われたが、高尾様と本堂と六地蔵の写真を撮って家に戻る。
高尾様というのは、護摩壇の披露が行われたお堂。芸能の神が祭られているとかで、昔は芸妓たちが大勢お参りにきたという。
ジェレミア・ライト牧師が、27日の日曜日に NAACP (全国黒人地位向上協会)の総会で行った演説の全文を読んだ。彼は今年の初めまでオバマが所属している教会の牧師だった人。ヒラリー陣営から、「反白人」「反アメリカ」だと言われて議論を呼んでいる。しかし、彼の演説を読めば、「反白人」「反アメリカ」が、彼の発言の一部を文脈と関係なしに取り出してつくったレッテルだとわかる。http://edition.cnn.com/2008/POLITICS/04/28/wright.transcript/index.html
April 28, Monday 2008
ここ数日、疲れ気味。農作業と公民館の引越し作業のせいか。歯茎が痛んで、ものがよく噛めない。
午後、ドアベルが鳴るので出てみると、立っていたのは、ボブ鈴木。一瞬目を疑った。スーツを着ていたのである。彼とのつきあいは長いが、ブルージーンズとカジュアルなシャツ以外の彼を見たことがない。営業で近くまできたとのこと。しばし歓談。ボブ・スマイルは健在だった。
午後遅く、痛みに耐えかねて、Y先生に診てもらいに。消毒のクスリを塗ってもらい、痛み止めのクスリを処方してもらう。そのあと、栗林博物館へ。瀬戸剛君の個展を見に。昨年、日本芸術院賞を受賞してから最初の個展とのこと。40点ほどの作品が並んでいる。彼の作品の特徴はディフォルメされた女性の柔らかい曲線美。一点だけ、碌山の「坑夫」を思わせる力強い男性像があった。
瀬戸君の作品はもちろんだが、この博物館を主宰する栗林章保さんの木彫がなかなかよかった。栗林さんは、目立て職人で、目立て会社の社長さん。一階には、彼が30年にわたって集めたという世界のノコギリや斧のコレクションが展示されている。今年81歳とのこと。ロマンに満ちた81歳。若い!
そうそう、会場に画家の新村稔君がいた。瀬戸君も新村君もぼくも中学の同年生。
午後しばらく、フィービーとソフィーと遊ぶ。いつの間にか、白樺の木も若葉におおわれている。ソフィーは木登りがだいぶ上手になった。
夕食後、痛み止めのクスリを飲む。今は、だいぶ痛みが薄らいでいる。明日の朝は完治していてくれたらいいのだが。
April 26, Saturday 2008
午前中、近々取り壊される公民館から、プレハブの仮施設への最後の引越し作業。委員の中に大工さんがいて、必要なものを作ったり、取り付けたりしてくれて、大いに助かる。不要になる備品は区民がもらえるとのことで、鏡をもらって帰る。50年前、公民館ができたとき、祖母と母が寄付をしたもの。剥げかかってはいるが「和光」というお店の名前がかろうじて見える。
飛び入りライブ。祖山春男さん、先ず「鹿の遠音」。尺八の渋い低音。そこへ時々、高音の鹿の鳴き声。一瞬にしてオーリアッドが深山に。杉本等さん、森と鹿のあと、「野バラと鳩」から。その他「林道人夫」などあわせて4曲。後者は藤原和義さんが書いた歌。藤森和弘さん、「人生に勇気」「子守唄のように」「愛音」の3曲。
続いてフォークデュオのピミエンタのお二人。山梨の長坂から。「エル・コンドラ・パサ」もよかったが、前半もっとも印象に残ったのは4曲目「カエホンデ・ブルーハス」。異なるサイズのケーナとサンポーニャを何度も持ち替えての熱演
次に、ケーナに対抗できるのは尺八しかないと、祖山さんにお願いする。「津軽山唄」など2曲。ケーナの引き起こす風の音と尺八の風の音は違う。ふたつの笛ができた風土に依るものか。
祖山さんのあと、ぼくが「果樹園の道」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「私は風の声を聞いた」、そして大月高志さんのサポートで「千の風」。最近入手したマーティンD35を使う。「カムサハムニダ」のとき、「音が鳴りすぎて弾きづらい」と感じた。あとで、それはギターのせいではなく弾き方のせいと判明。いつもはフィンガーで弾くのに、ピックで弾いていた。続いて大月さんに「カノン」をお願いする。ここで前半終了。
後半は、藤森さんから。「今日は土曜日」「小さな幸せ」「住みなれたこの町で」の3曲。祖山さん、「秋田おばこ」「木曽節」の2曲。ピミエンタのお二人「遥かなるアンデス」「花祭り」など3曲。最後の曲「花祭り」は歌も入り、大いに盛り上がる。
ピミエンタのお二人のおかげで、バラエティに富む「飛び入りライブ」になった。その後しばし歓談。尺八とケーナの話題など。11時閉店し、外に出ると静かな雨。家に戻ると、ソフィーとフィービーがドアのところで待っていた。
April 25, Friday 2008
朝、マーティンの弦を変えた。手元にあった custom light に。確かにいい音。
午後は、今夜の分館長・主事会議に向けての資料の整理。こういう仕事が苦手である。散逸した資料を探すだけで時間が経ってしまう。
7時、町民会館大会議室へ。印刷したはずの年間行事予定がない。印刷しただけで、置いてきてしまったようだ。8時過ぎ終了。その後オーリアッドへ。見なれた顔の方々が6番テーブルに。
昨年の区長会で一緒だった方々や町の福祉関係の方々。Hさんがアカペラで、数曲歌う。上手い。ぼくも促され「次郎」のショートヴァージョンを。
しばらくして、Sさんがお坊さんと入ってきた。隣町の曹洞宗のお坊さんとのこと。話をしているうちに、12月に彼のお寺で歌わせていただくことに。感謝。
11時過ぎ閉店。まだまだ風は冷たい。
April 24, Thursday 2008
松本へ。朝から雨。春雨。地面がしっとりと濡れている。山麓線は花盛り。これから、信州が一番美しい季節。
夕方戻り、オーリアッドへ。今夜は珍しく大賑わい。カナダからのお客さん多数。
日本は安全で清潔だと異口同音に言う。そして、人々は親切で、丁寧で、シャイだと。確かに、旅人の目にはそう映るかもしれない。実情はかなり違うとしても。
そしてまた同時に、世界各地の紛争や災害を思うとき、彼らの印象は、それほど的外れではないのかも、とも思う。
事件や災害の映像を、マスメディアによって、繰り返し見せられることによって、また日本全国の小さな事故や災害までも微にいり細にいり報道されることによって、事件や災害が急増していると思わされているのかもしれない。事実、少年犯罪にいたっては、その件数において、ノスタルジーをもって語られる昭和30年代より、はるかに減っているという報告を読んだことがある。
11時過ぎ、食器を洗い、玄米を炊く予約をして外に出る。小雨まじりの冷たい風。春は駆け足ではやってこない。
April 23, Wednesday 2008
今朝はトウモロコシの種を蒔いた。先日作った畝に肥料を入れ、土をかぶせ、その上を覆ったマルチに穴を開け、2粒づつ入れた。
トウモロコシの種を蒔きながら、ふと、ジョニー・キャッシュの I Wanted So という歌を思い出した。亡くなった父親への思いを歌った歌。
多くのことを伝えたかった、あの老いた人に
彼が春に蒔いたトウモロコシが10フィートになったとか
彼が注文した本が昨日郵便で届いたとか
でも彼は一言もいわず、静かに息絶えた
午後、マーティンD35がわが家にやってきた。10年ほど弦をかえてないとのことだが、弾いてみると、いい音がする。ネックに少し傷があるが、問題にするほどではない。断る理由が見当たらない。先日打診があったときから、おそらくこうなるだろうとは思っていた。大事に使わせてもらうつもりである。
7時過ぎ、オーリアッドへ。しばらくして、ドクターYがやってくる。四方山話。隣町の権現さくらの話になり、彼は奥さんと見にいったとのこと。樹齢千年とか。来年は是非見に行きたいもの。
昨日の碌山忌コンサートの合間に、碌山の絵やデッサンを見に、昨日オープンしたという杜江館(碌山絵画展示室・図書室・会議室)へ行った。その展示室の案内板に、碌山の絵画に対する言葉が記されていて感銘を受けた。
画家は技巧によって外形を写すのではなく、研究性をもって
対象(モチーフ)の奥にある生命感を描かなければならない。
決して技巧を否定しているのではなく、それだけに終ってはいけないという警告だろう。
April 22, Tuesday 2008
病院の定期検診の予約は10時半になっていたが、一時間早く出かけた。しかし、結局家に戻ったのはいつもとあまり変わらない12時少し前。急遽仕度して、碌山美術館へ。今回は、シンセサイザー奏者の影武者さんの機材が使われることになり、ぼくの機材を運ぶ必要がなくなった。助かった。重いアンプ、スピーカーなどを4回車に載せたり降ろしたりするのは疲れる。
天気もよく、とてもいいコンサートになった。出演は、西山紀子さんと早春賦愛唱会のみなさん、桂聰子さん、折井清純さん、影武者さん、そしてぼく。「碌山」「次郎」「千の風」を歌う。
終了後何人かの方が話しかけて下さった。そのうちの一人は、『まぶたで健康革命』の著者、松尾先生の奥様。お会いするのは5,6年ぶり。以前にもまして若々しく、最初どなたかわからなかった。本が出版された後、先生は大変お忙しいようである。
隣町の某社会長、山口さんも聴衆の中にいた。驚いた。新聞でこのコンサートのことを知ったらしい。オーリアッドとは違う環境でぼくの歌を聞いて、いつもと少し違った印象をもったようだ。
2年前、奈良から、常念岳の麓に住みたかったので堀金村に移住したというご夫婦から『碌山』のジャケットにサインを頼まれた。「次郎」の詩が気に入ったようである。
水豊かなる万水の
ほとりにわれは生まれけり
河辺の柳うちけぶり
すみれの匂う春の朝
雲雀の声に夢さめて
雀の巣をばあさりつつ
水鶏の雛のあとを追い
世のさま知らで過ごしけり
*全文
ミュージアムショップに置いていただいていた『碌山』は完売していて、先日増刷されてきたCDを、今日、納品させていただいた。コンサート終了後、何枚か売れたようである。
安曇野へでかけたときは、たいてい、開運堂のロールケーキを買うのに、今日は、帰路、開運堂の前を素通りし、農産物市場で、押し麦、筍、ワサビの花、菜の花、キクイモ、パセリ、などを買う。
明らかに、これは、今日、病院で待っている間に読んだ『病気にならない生き方』(新谷弘実著)の影響。amazon.co.jp でチェックしてみたら、意外と賛否両論のある本だ。特にお医者さんからの反論が多い。でも、ぼく自身は、信じがたいところ、本当かなと思うところがなかったわけではないが、けっこういいことが書いてあると思った。できることは実行しようと思う。よく噛んで食べることなど。
April 21, Monday 2008
午前中、昨夜の総会で指摘された資料の不備を修正。各戸に配布する8ページの文章。印刷は後日に。
わが家の近くの畑、農作業の合間に休んでいた80歳を超えた老夫婦の後姿が美しい。許可を得て撮影させてもらうことに。お二人からは農業についていつも教えてもらっったり、援助してもらったり。
今日も、昨夜買ってきたネギ苗を植えていると、余ったからといってネギ苗をもってきて下さった。2列の畝に植えきれないほど。今年はたくさんのネギが収穫できそう。
夜、オーリアッドへ。明日の碌山忌コンサートのためにギターとハーモニカを取りに。明朝は、病院で定期検診を受けたあと安曇野へ。病院で待たされて、ギターを取りに行く時間がなくなってはいけないので。
宮木へ向かいながら、左手を見ると、王城山の上に大きな月。暖かい春の夜。地球の息吹が聞こえてくるようだ。
April 20, Sunday 2008
疲れていたと見えて、今朝、起きたらすでに8時。最近では珍しい。
昼前、家人とネギ苗を買いに行くついでに、わが町の桜の名所をドライブ。先ず、宮木公園、それから病院前で左折して、城前通りを抜けて、荒神山へ。どこも今が盛りと咲いている。ドクターYの家は公園を借景に、庭にも大きな桜の木。桜の花に埋もれているかのよう。
午後は午睡のあと、ネギを植える畝を2本つくる。
夜は区の初総会。区長が終ってほっとしすぎていたようだ。総務委員長としての職務がおろそかになっていた。反省。
まだ先のことだと思っていた碌山忌のコンサートは明後日の4月22日。今朝、西山さんから電話があった。今回は、シンセサイザーの影武者さんのおかげで、機材をもっていかなくてもいいようだ。ありがたい。
April 19, Saturday 2008
忙しい一日。午前9時から、区の西側の山沿い1300メートルに電柵を設置する。電柵といっても、昨年末、取り外した電線を張るだけ。ポールは昨年のまま。それでも3段の電線を張っていくので、かなり時間がかかる。総勢11人。12時過ぎ終了。
疲れたが、雨上がりのすがすがしい春の朝、いい運動になった。桜や梅や、名も知らぬたくさんの野の花に、目を楽しませてもらう。
途中、花の咲いた伸びたフキノトウは、テンプラにすると美味しいと教えられる。早速お昼に、裏庭の花の咲いたフキノトウを摘んでテンプラにしてもらう。本当に美味しい。
午後3時半から、高校の同窓会。パークホテル。「伊那谷北部の古水系について」という記念講演のあと、懇親会。同窓会長で、マンダラ2の年末ライブによくきてくださる大先輩、林尚孝さんはじめ、久しぶりに会う方々ともっと話したかったが、残念ながら中座。辰野北部農業集落排水処理施設維持管理組合総会に出席するため。総会は短時間で終わった。この会は名前は長いが会議は短い。
オーリアッドへ。すでに藤森和弘さんのご家族が、食事をしていた。「愛音ちゃんも今夜は歌ってくれる?」と聞くとニコッと笑って「うん」。藤森さん、「小さな幸せ」から。本当に、愛音ちゃんのニコッを見たら、幸せにならずにはいられない。
藤森さん、その後「子守唄のように」「おまえの歌が聞こえる」「今日は土曜日」など。そのあと、ぼくが「碌山」と「果樹園の道」。前者は歌詞カードを見ないで初めて人前で歌った。一ヶ所忘れて、歌いなおしたが、これなら歌詞を見ないでも歌えそう。愛音ちゃん、「とんぼのめがね」「チューリップ」「ぞうさん」。いつも以上に大きな声でしっかり歌えた。
赤羽真理さん、「旅人の木」「鹿のように」「千両梨の実」。最後の曲は大月高志さんのサポートで。素晴らしい。このときまでに、同窓会の二次会を終えた方々が何人か来てくれていて、盛大な拍手。
大月さん、「ローズ」「イエスタデイ」「カノン」をメドレーで。これまた、盛大な拍手。同窓生の一人、田中正幸さん、「時代遅れ」と「酒と涙と・・」を藤森さんのギターで。田中さんの声が実にいい。上手い!と思った。そう言うと、「同窓会で校歌を歌ってきた効果」だとか。我が母校の校歌は日本で一番長いと言われている。
田中さんのあと藤森さんが、大月さんのサポートで「愛音」と「住みなれたこの町で」。そのあと、朗読の会の Y. Akahane さんに朗読をお願いする。彼女が本棚から選んだ本は『父の帽子』。森鴎外の娘森茉莉のエッセイ集。その中から、赤羽さんは本のタイトルとなっているエッセイを読んだ。咄嗟に、大月さんに、バックで静かにピアノを弾いてほしいとお願いする。
素晴らしかった。赤羽さんの朗読も、大月さんのピアノも。そして森茉莉さんのエッセイも。今夜のハイライトだった。是非、オーリアッドの飛び入りライブに「朗読」が定着してほしいもの。
そのあと、ぼくが大月さんのサポートで「千の風」、そして最後に赤羽真理さんに入ってもらい、3人で「アメイジング・グレイス」。
その後しばし歓談。長い充実した一日の終わり。
すべてに、すべての人に、感謝。
April 18, Friday 2008
午前11時、小雨の中、歩いて区の公民館へ。建築業者との打ち合わせ。この公民館も25日過ぎには取り壊されることになった。プレハブの仮設公民館を、区の山際に建てることに。
午後は、今年度の区の役員の名簿と隣組の一覧表の最終チェック。日曜日の区の総会までに戸数分印刷しなければならない。
夜7時から、町民会館の会議室で、子育て支援マスター会議。主旨はわかるが、実際にどう行動していいか、何をしたらいいかわからない。
会議のあとオーリアッドへ。古い友人がコーヒーを飲んでいた。中村天風の話を少しした。励ますつもりで。
スプリングスティーンがオバマ支持を表明したようだ。それは前から予測できたこと。ヒラリーの最近の揚げ足取り発言の酷さに、いよいよ神輿を上げたのに違いない。少し遅すぎた感もある。
明日は朝から電柵の設置。ジャガイモを植えたので、イノシシ対策を早くしたほうがいい。
April 17, Thursday 2008
雨の中、松本へ。楽しい2コマの授業。帰路、あがたの森の喫茶店へ。生憎の雨だが、いたるところ満開の桜、桜、桜。
6時過ぎオーリアッドへ。昨夜気に入ったポール・サイモンの歌がわかった。A Church Is Burning という歌。アルバムタイトルは、The Paul Simon song book。ライナーを見たら、1965年にリリースされ、2004年に復刻されたもの。ポールの弾き語りソロアルバム。
サイモン&ガーファンケルは嫌いではないが、熱狂的に好きになったことがない。このアルバムを聞いて、その理由がわかった気がした。洗練され過ぎているのだ。加工され過ぎていると言ったほうが適切か。このポール一人のアルバムからは、彼のリアルな息づかいが聞こえてくる。特に A Church Is Burning からは。
この歌は初めて聞いた。ガーファンケルと歌っているヴァージョンもあるのだろうか。
11時閉店。外に出ると、まだ降っていたが、小降りになっていた。
amazon.co.jp で検索するかぎり、「ベスト・オブ・ジョニー・キャッシュTVショー」は一時売り上げランキングが落ちていたが、また盛り返してきたようだ。多くの人に見てもらいたい作品。ちょっと高いが、値段をはるかに超えた価値がある。A splendid time is guaranteed.
April 16, Wednesday 2008
今日も午前中、畑仕事。家人が朝、買いに行ってきたジャガイモとキャベツとレタスを植える。そら豆も。ジャガイモ以外は数は少ない。そら豆は今年初めて試しに植えてみた。
午後は疲れて、4時まで昼寝。7時から会議。介護予防センター建設に伴うプレハブの仮設「公民館」について。
8時過ぎオーリアッドへ入ると、スピーカーからポール・サイモンの知らない歌が流れていた。いま手もとにそのCDがないので、タイトルが分からないが、ああいいなと思った。
禅の本の翻訳を少しする。
明日は松本。
April 15, Tuesday 2008
昼過ぎ、三本刃(鍬)と鶏糞肥料を買いに行き、昨日に続いて今日も畑仕事。ジャガイモ用に掘った2本の畝に鶏糞を入れ、三本刃で土をかぶせる。続いて、花壇の整備。
去年の秋、庭の整理ができなかったので、落ち葉が、特に大きな朴の葉が、草花の芽を被っている。それを取り除く。チューリップが、朴の葉を突き破って伸びている。何枚もの葉を突き破り、葉脈に縛られるような形で身動きできなくなっているものもある。それをていねいに一枚一枚はがしていく。慌てると、芽を折ったり、抜いてしまったりすることになる。
暖かくなってソフィーとフィービーは庭に出ることを好むようになった。最近の彼らの楽しみは木登り。猫にしては木登りが下手で、上るのはいいが、下りるとき、さてどうしたものかと、うろうろしている。
夜、禅の本の英訳を始めた。続けられるかどうか分からないが、今の浮き足立った気分を落ち着かせる効果があるようだ。早速、ジムのところへ2ページ分送った。毎日少しでも訳せたらいいのだが。
April 14, Monday 2008
朝、庭でソフィーとフィービーと遊んでいるところへ、軽トラが止まった。運転席から「エンドウの苗が余ったのでいらないか」と言いながら、村の北に住む友人が出てきた。
感謝していただき、昼過ぎ、ガレージの裏の畑に、70本ほどの苗を植える。今年こそはしっかりと野菜を育てたい。
午後遅くスイミングへ。泳ぎながら水中で、サウナの中でも、「碌山」の歌詞の暗記に努める。4月22日の碌山忌記念コンサートではできたら歌詞カードを見ないで歌いたいもの。
昼前にメール便が届いた。中から1969年12月8日号の LIFE が出てきた。表紙は、機関車の大きな車輪の前でギターを弾くジョニー・キャッシュの写真(絵?)。
カレンダーを切って作られたメモ用紙も出てきた。「大昔買ってコレクションしていたものですが、三浦さんがもっていた方が役にたちそうなのでさしあげます」と書かれていた。よく見るとカレンダーは新大宮三丁目「くすりのイスズ」のカレンダーだ。古川君、貴重なものをありがとう。
本当に今日は、I get by with a little help from my friends の一日だった。
夜には、マーティンD35を格安でどうかというメールも入った。「今後、私がこのギターを弾く機会はそれほどないでしょう。ギターにとっては、弾く機会の多い三浦さんにもってもらったほうが幸せでしょう」と書かれていた。
一生持つことはないだろうと思っていたマーティンである。欲しい。しかし家にはギターがいっぱいある。今愛用しているのは、長男が還暦に贈ってくれた赤い TAKAMINE。他にもう1台 野間さんが選んでくれた TAKAMINE がある。その他、GUILD が2台。Ovation 1台。YAMAHA が1台、学生のお父さんの遺作の IBANEZ 2台。名前のわからないギターも2台ある。
しかも、ぼくにはギターのよしあしを云々するほどの技量がない。高いギターだから上手に弾けるわけでもないだろう。そんな想いが、頭の中を駆け巡る。あきらめよう。
そう思ったが、でもやっぱりあきらめられない。来週一度、実物を見せてもらうことに。
April 13, Sunday 2008
夜、10時過ぎ、区の初委員会から戻り、教育テレビで「神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い〜」を途中から見る。見終わったあと、続けて、見逃した最初の15分を、録画で見る。
大西巨人という名前も『神聖喜劇』という書名も知っていた。しかし、難解な本だろうと敬遠し、今まで一度も手にしたことはなかった。番組を見終わった今も、よし読んでやろう、という決心がついたわけではない。何しろ全5巻の大長編である。
でも、この番組を通して、主人公、東堂太郎、つまり大西巨人の思想、生き方、存在のありかたに、圧倒された。原著は無理としても、岩田カズヒロさんが脚本を書いた漫画を読んでみるのも面白いかも。
岩田さんは2度番組に登場した。ぼくの知る岩田さんが、近づきがたい人に思えた。とてつもない仕事をしたものである。
午前中、今年最初の畑仕事。じゃがいも用の畝を2本作る。昨年は、いくつかの事情が重なって畑がしっかりできなかった。今年は、がんばろうと思っている。
朝、碌山忌コンサートについて西山さんより電話があった。午後2時からとのこと。その日は「碌山」「次郎」の2曲は欠かせない。ショートヴァージョンにする必要があるだろう、後者は。
April 12, Saturday 2008
前半、藤森和弘独演会。オリジナルのすべて。そしていくつかのカバー曲。そのあと、大月高志さんにピアノをお願いする。「カノン」と「イエスタデイ」。
後半は、祖山春男さんの尺八のソロとセッションの数々。祖山、藤森、大月の三氏で「昴」。尺八の伴奏で詩吟を唸る松尾文男さん。ぼくが、ソロで歌ったあと、大月さんのサポートで「千の風」。そして祖山さんと「みかんの花咲く丘」。
松澤今朝博さん、大月さんのサポートで「遠くへ行きたい」。森繁久弥風トークと歌。会場からヤンヤの喝采。最後に藤森さん、大月さんのサポートで久しぶりに "Close Your Eyes"。説得力ある演奏と歌唱力。
最後の最後に祖山さん、秋田の民謡をソロで。尺八にはやはり民謡が合う。穴が5つしかなく、指の押さえ方と息の強弱で微妙な音色を紡ぎだす尺八は、西洋音階と合わせるのは難しそう。しかし、ジャズなどにも取り入れられている。祖山さんのおかげで楽しい夜になった。是非また演奏しにきてもらいたいもの。
その後、しばし歓談。
April 11, Friday 2008
少し遅れてオーリアッドへ。カウンターで、高校の一年先輩Mさんがコーヒーを飲んでいた。隣の町から会いにきてくれたのだ。Mさんは、大学での専攻は理系だったが、現在はむしろ文学や宗教に関心があるという。話題が尽きず、あっという間に時間が過ぎてしまった。
Mさんは「歌によって正義を振りかざしてはいけない」という主旨のことを言った。彼はおそらく、歌だけでなく、すべての言動について言ったのだろう。時々、正義の御旗を振りかざしてしまうことがある。こころしなければ。
碌山、井口喜源治、清沢洌などに関心があるというMさん。カウンターに積んでおいた一昨日届いたばかりの『碌山』のCDを買ってくださった。感謝。
マフィア・コーポレーションの岩田カズヒロさんから、「神聖喜劇ふたたび〜作家・大西巨人の闘い〜」という番組の案内が届いた。岩田さんは、清水寺奉納コンサートをプロデュースした人。岩田さんを知る人は、コンサートやファッションショーをプロデュースする岩田さんと、大西巨人氏といかなる関係があるのかといぶかしがるかもしれない。何を隠そう、岩田さんは大西氏の『神聖喜劇』を脚色し、漫画にした人なのである。その功績で、彼は、昨年、日本漫画家協会賞大賞や手塚治虫文化賞を受賞している。
手塚治虫賞の受賞を報じる朝日新聞の記事に次のようなところがあった。
大西巨人さんが四半世紀かけて完成させた戦後文学の傑作
「神聖喜劇」。その大ファンだという岩田和博さんが「どうし
てもビジュアル化したい」と考え、以前の仕事仲間、のぞゑの
ぶひささんに話を持ちかけたのが始まりだった。
番組は、4月13日(日)午後10時〜 NHK教育テレビで放映される。岩田さんは「大西巨人氏の今の姿がテレビで見られる稀有な機会です。私もチラッと映るかも知れません」と書いてきた。楽しみだ。
岩田さんはスプリングスティーンの大ファンでもある。
April 10, Thursday 2008
朝、雨の中、松本へ。山麓線の雑木林が薄い霧に覆われて幻想的。午後遅く、雨の中、同じ道を通って家に戻る。
4月のキャンパスは新入生があふれ、活気に満ちている。「履修案内」を手に、教室を探している。ぼくにもかつてそういう時代があった。夢のよう。
彼らから見たら、ぼくは老人にしか見えないだろう。気分的には、彼らと変わらないのに。難聴気味の耳には彼らの会話は外国語のよう。
夜、オーリアッド。静かな夜。昨日届いた岡林信康著『バンザイなこっちゃ!』を半分読む。面白い。11時過ぎ閉店。外はまだ雨。
April showers bring May flowers.
April 9, Wednesday 2008
昨日、横浜在住の大先輩のデンティスト、K先生から電話をいただき、to be or not to be のハムレット的ダブルバインドに決着をつけた。そこで、今朝、ドクターYに奥歯のわずか残っている歯を抜いてもらう。
そのあと、役場の教育委員会へ。そこで驚くべきことを知った。少なくともぼくには驚きだった。現在、町には青少年育成推進員会なるものは存在しないとのこと。平成16年2月22日に「子育て支援組織の再編について」という議題で話し合われ、それまであった「子ども会育成会」「青少年育成推進員」「子育て支援マスター」が、「子育て支援マスター」に統一されたとのこと。
ということは、平成17年度から青少年育成推進員は存在しなかったことになる。それでもぼくは20年度の区の青少年育成推進員に任命された。ぼくだけでなく、過去3年間、実体のない名目だけの推進員が存在したのだ。誰も気づかなかったとは、是如何。
10年ほど前、よく各地の青少年育成推進員会から講演を依頼された。そのつど、先ずこの会は不要ですと述べたことを思い出す。いずれにしろ、ありがたいことに、ぼくの役職がひとつ減った。
土曜日以来のオーリアッド。神谷さんに増刷を頼んでおいた『碌山』が今日届いた。早速10枚、カウンターに並べる。この4曲入りCDは2005年4月22日発売。3年でほぼ千枚が売れたことになる。会社の創立記念日の記念品に300枚買ってくださったK社長のおかげでもある。
明日から松本での新学期。夕方ようやくタイヤをノーマルに替え、夜、オーリアッドでバックパッカーの弦を替える。明日は、やはり All My Loving か。
April 8, Tuesday 2008
また悪い癖が出てしまった。朝から探し物。町の教育委員会から届いた2通の通知。午後になって、家人がそのうちのひとつを見つけてくれたが、もうひとつはまだ不明。
朝から雨。テレビで見る東京のような激しい降りではなかった。午後遅くには青空も出て、陽がさした。真冬の寒さとは違うが、まだまだ寒い。ストーブが欠かせない。
この一週間、夢遊病者のように、呆然と過ごしてしまった。意識はあるし、しなければいけないことはしているが、現実感に乏しい。何に対してもコミットできない感じ。身体も、どこも悪いところはないが、全体に力が入らない。浮遊しているかのよう。
burnout syndrome に違いない。今週からまた、木曜日には松本へ行くことになる。気を取り直して、その準備を始めよう。今年はどんな歌を歌おうか。
April 7, Monday 2008
今夜は会合はないと思っていたら、電話がかかってきた。4月から区の介護予防組織の運営委員になっているとのこと。慌てて、公民館へ。7つ目の役職?
ジム・グリーンからメールがあった。中国の大学で教えていたが、再びサイゴンに戻ったようだ。これから数年はまたここに住むとのこと。
昨年9月京都で会ったとき、彼から共同で翻訳をしないかと持ちかけられた。禅の本。大変な時間と労力のいる作業。インターネットの時代。離れていても共同作業はできる。そのとき、「来年3月までは無理」と断った。その3月が過ぎ、4月になったが、忙しさに変わりない。踏ん切りがつかないでいる。
古川君から「七夕コンサート」についてのメールがあった。今年は7月5日(土)6日(日)。今年が36回目。このコンサートが続いてきたのは、ひとえに古川君のおかげ。ひがしの君が今年は出演してくれたらいいのだが。
Matsuiが好調である。なぜか彼が打つと嬉しい。シカゴカブズのFukudome は、イリノイ州では、同州出身で、民主党の大統領候補指名を目指している上院議員と同じくらい人気があるようだ。よく打っている。
April 6, Sunday 2008
夜、長い名前の会合に出席した。
「辰野北部農業集落排水処理施設維持管理組合理事会」
名前は長いが、会議は短く、1時間ほどで終わった。飲み会もなく、よかった。
午後、教育テレビの「こころの時間」を見る。飛騨高山、千光寺の大下大圓さん出演。彼のお寺を訪ねたのは70年代末。まだ彼は20代で、ぼくは30代の初めだった。初めてお会いしたとき、彼の仏教に対する並々ならぬ情熱を感じた。今回テレビを見て、彼のその思いが、さらに広く深くなっていることを知った。
「仏教とは何か」という問いに対し、彼はひとつの明確な答えをもっている。それは「仏教は生きている人のためにある」ということ。多いに共感する。葬式と法事のためだけでいいはずがない。
マーティン・ブーバーは宗教の危険は宗教であると言った。「宗教的」であらんとして、逆に宗教から離れてしまう。仏教の危険は仏教である。葬式と法事は、仏教からもっとも離れたところにある、と言ったら、ちょっと言い過ぎか。
April 5, Saturday 2008
4月最初の飛び入りライブ。トップバッターは藤森和弘さん。今日は前半後半通じて全曲オリジナル。安定感のある歌い方。前半「おまえの歌が聞こえる」「愛音」など。久々登場のふあさん、女性ふたりのサポートを得て、説得力ある歌の数々。前半もっとも印象に残ったのは「もう少しここに」。ピアノ、井上喜久美さん、パーカッションとヴォーカル、永田民子さん。永田さんが歌ったシャンソン「ラスト・チャンス・キャバレー」もよかった。
丸山俊治さん、新聞で目にした投稿に曲をつけた新曲を挟み、「三角広場の桜咲く頃」と「おじさんたちよ」。多くの共感の笑いと拍手。ぼくが「その人がこの町に嫁いできた頃」と「旅立つおまえに」を歌ったあと、前半最後、大月高志さんの「カノン」。
後半は、先日の東京ドームのX-Japan のコンサートに3日間連続して行ったというトシの熱狂的なファンの飯塚さんのトークから。とにかく凄かったらしい。オーリアッドの30人ほどのお客さんの前で静かに歌った「普通の」若者が、5万人の聴衆の熱狂的な喚声を浴びながら絶叫して歌う。「その両方がトシさん」と彼女は言う。やはり彼女はX-Japan のファンというよりも、トシのファンなのだ。そして、彼女は言う、「今日オーリアッドで歌った人たちも本当によかった」。
藤森さん、大月さんのサポートで「小さな幸せ」など。ふあさん、井上さん永田さんと共に「小さい少年」など。ソロで歌った「彼女のことを歌いたくて」はふあさんの最高傑作かも。電車の中の一情景。丸山さん、「結婚の歌」と「今日の日は本日限り」。後者には客席からふあさんの鳴り物が入り、盛り上がる。大月さん、Merry Christmas, Mr. Lawrence。客席がシーンと静まり返る。みんなが耳をそばだてているのがわかる。赤羽真理さん、大月さんのサポートで「千両梨の実」。最後にぼくも大月さんのサポートで「千の風」。
その後、しばし歓談。
April 4, Friday 2008
あの日から40年が経った。感慨深いものがある。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されたのは、1968年4月4日午後6時1分(日本時間では5日の午前9時1分)。場所はテネシー州メンフィスのホテルのバルコニー。
CNNをはじめ、アメリカのマスメディアは大きくこのニュースを取り上げていた。
その前日から、彼は、ごみ収集作業員のストライクを組織するのを助けるためメンフィスにきていた。メンフィスに行くために乗った飛行機は、爆破予告があり、大幅に遅れた。彼を殺すという脅迫電話もかかっていた。その前夜行った演説で、彼は次のように語った。
他の人と同じように、私も長生きがしたい。長寿を願う。でも、今、
私はそのことをあまり心配していません。神の御心に従うだけです。
神は私に山頂に行くことを許してくれました。遥かかなたに約束の
地が見えました。私はあなたがたと一緒にそこへ行くことはできな
いかもしれない。でも今夜、みなさんに知ってもらいたいことは、私
は行けなくても、私たちの人種が一緒に、いつの日か、約束の地に
到達するだろう、ということです。今夜、私は幸せです。何も心配し
ていません。いかなる人も恐れていません。私の目は主の到来の
栄光を見たのです。
彼が「私たちの人種が一緒に、いつの日か、約束の地に到達するだろう」と語ったその時が、ひょっとしたら40年後の今年やってくるかもしれない。バラク・オバマが、その夢を実現してくれるかもしれない。as a people をぼくは「私たちの人種が一緒に」と訳したが、黒人の人たちが約束の地に到達することは、白人にとっても同じことを意味する。オバマは、黒人白人のみならず、あらゆる人種の垣根を超えようとしている。その意味では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの演説のこの部分は、40年後の現在、新たなコンテクストの中で、「私たちがみんな一緒に」と理解すべきなのかもしれない。
事はそう簡単ではないことは十分承知している。しかし、「約束の地」に少しでも近づいてもらいたいと願わずにはいられない。
私には夢がある。私の4人の小さな子供たちが、いつの日か、彼ら
の皮膚の色ではなく、彼らの人格によって判断される国に住むよう
になるという夢が。
私には夢がある。いつの日か、小さな黒人の男の子と女の子が、小
さな白人の男の子と女の子と、手をつなぐことができるようになる
という夢が。
April 3, Thursday 2008
午後、2ヶ月ぶりの松本。北アルプスの雪はだいぶ融けたが、山麓線にまだ花はない。クラスは来週から。今日は、ネイティヴの先生たちが作った新しい教科書のオリエンテーション。昨年までのやたらと嵩の多いバインダーの教科書と違って、スリムで軽い。使いやすそう。
帰路、久しぶりに「小沢」のお蕎麦を食べようと、国体道路を南下する。前回来たのは、3ヶ月前、、次男の義理の兄とフィアンセを連れてきたとき。この道路の両側の風景は一変した。まだ工事中のところもあるが、道路が拡張され、新しい洒落た建物が並んでいる。水車のある「小沢」だけが、以前の風景を偲ばせる。
蕎麦が話題になると、それぞれみんな一家言あり、どこがいい、あそこがいい、そこはだめ、と喧々諤々となる。ぼくはやはり「小沢」のお蕎麦が好きだ。なんといっても「つゆ」がいい。
夕方戻り、オーリアッドへ。遅くに、歌声喫茶帰りの丸山さん。また新曲ができたようだ。ぼくはなかなか新曲ができない。構想はいくつかあるのだが。
今夜は、久しぶりにタウンズ・ヴァンザント。2年前、オースティンの友人からもらったCD-R。ヴァンザント節ともいうべき、メロディが静かにオーリアッドを満たす。
名前はキャロラインだと彼女は言った
炭鉱夫の娘
彼女はとても自由で
いつも太陽が彼女の傍らにあると
ぼくには思えた
こんな歌が書けたらいいのだが。
April 2, Wednesday 2008
朝、区の新三役と一緒に役場へ。町長、副町長、各課への挨拶まわり。この一年で実に多くの役場の方々と知り合いになったと実感。
午後、少し仮眠をとり、オーリアッドへ。先ず、カレーの仕込み。
遅くなって歌の練習。中村天風の教えるクンバハカの姿勢をとると、喉が緩み声が出やすくなることを実感する。その方法とは、
(1)肛門を締める
(2)肩の力を抜く
(3)下腹丹田に気を込める
この3つを同時に行うのである。丹田はお腹の表面ではなく、背骨に近いところにあると意識すると気を込めやすい。この姿勢によって、上半身がリラックスし、下半身に重心が移る。声がスムーズの喉を通過していくのがわかる。
11時過ぎ家に戻り、家人に録画しておいてもらった「ためしてガッテン」を見る。松尾先生に眼瞼下垂の手術をしていただいたのが2002年1月。ということは、そのときからもう6年が経ったことになる。先生は、少しお痩せになり、前よりも若く見えた。
昨日、3月18日に刊行された先生の『まぶたで健康革命』(小学館)が出版社より送られてきた。本の最後に載せられると聞いていたぼくのアブリッジされた体験談は、恐縮することに、目次のあとの冒頭に載せられていた。願わくは、先生の書かれた本文への、よき導入であらんことを!
いずれにしろ、ぼくにとっては「眼瞼下垂症との不思議な出会い」は「松尾先生との不思議な出会い」と同義語である。先生にお会いできたこと、そして手術をしていただいたことに対し、感謝してもしきれない。
*「眼瞼下垂症との不思議な出会い」は、三浦久ホームページ(http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/miura.htm )の Essays をクリックすると読むことができます。
April 1, Tuesday 2008
何人かの方から、一年間ご苦労様というメールをいただいた。感謝。
但し、区の役員としては、規定で、一年間残らなければならないし、順番で公民館分館長もまわってくる。分館長に付随して、3つか4つの役もついてくる。小さな村に住む宿命。それでも、過去一年と比べれば、気分的にはすごく楽。
朝から、新区長に渡すファイルの最終整備。これに時間がかかった。2つのプラスティックボックスいっぱいのファイルを渡したのは、午後2時。すでに渡してある過去の資料や物を含めると一部屋を占有するほどの量。コンピュータの時代、何とかならないか。
夜は、新旧三役で20年度の予算編成会議。介護予防センター建設に付随する予算を多めにとる。
明日は役場に行き、区の新三役を、町長をはじめ、副町長、各課の課長に紹介することになっている。思えばぼくも一年前、前区長に連れられて役場へ行って紹介された。うーむ、まだまだ解放されてないぞ。