OREAD Diary
October 1 〜 October 31
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October 31, Wednesday 2007
役場から「広報たつの」などの12種類の配布物が昨日届いた。今朝それを8つの隣組の戸数分に分け、自転車に乗って組長宅へ届ける。10月の最後の日というのに、まったく寒くない。それでも裏山に目をやれば、ほのかに色づいて、やはり秋がきたと実感する。
午後、Dell から液晶モニターが届いた。早速取り付ける。大きな明るい画面。不思議なことに、パソコンの動きも軽快になったような。
夜、土曜日以来のオーリアッド。前半は家人に頼み、明日のクラスで使いたい Pat Garrett & Billy the Kid のビデオを探す。やっとのことで見つけたが、老保安官が死ぬところで Knockin' on Heaven's Door が聞こえてこない。解説を読んだら、オリジナルのショーター・ヴァージョンにはあった歌が、特別版のロンガー・ヴァージョンではギターだけになったと書かれていた。残念。
8時過ぎ、「出勤」。家人が膨らませておいたピザ生地を100グラムごとに分け、ラップに包み、冷凍する。スピーカーからはボブ・ディラン。
少し早めに帰宅。ニュースを見たら、中日が日本ハムに勝っていた。選手としても凄かったが、監督としての落合博満は実に凄い。監督4年間でリーグ優勝3回、2位一回。ピンチでもチャンスでも、眉ひとつ動かさない。今年はおそらく、53年ぶりに、日本シリーズ優勝を中日にもたらすだろう。
October 30, Tuesday 2007
ここ数日、パソコンの調子が悪い。イライラがつのり、精神衛生上よくない。空き容量を増やすために、重いファイルを外付ハードディスクに移し、ウイルスバスターやアドウエアでウイルスやスパイウエアーを検索して、何とか動くようになった。それでもまだ遅い。11月中にはこの村にも光ケーブルが通る。もう少しスムーズに動くようになってくれたらいいのだが。
パソコンの調子が悪い分、本が読めた。先日、香住寺の檀信徒大会で購入した大下大圓さんの『いい加減に生きる』(講談社)。「無は心のリセットの教え」という章には、なるほどと思わされた。心の再起動。
「お寺は、広い意味では、NPOであり、伝統儀式や葬儀、法事だけでは、今の社会的要請に応えられない」という主旨の「あとがき」をはじめ、共感するところの多い本である。
October 27, Saturday 2007
飛び入りライブ。出演順に、前半、藤森和弘、大平俊郎、Haluka、三浦久(no photo)、よねやまたかこ、月之民、赤羽真理 with 大月高志。後半、藤森和弘 with 大月高志、井原仁志、伊藤貴司、月之民、Haluka with よねやまたかこ、よねやまたかこ with 甕綾子&Haluka、大平俊郎、大月高志の各氏。
最初の写真で、藤森さんが弾いているギターは、「おまえの歌が聞こえる」に登場するギブソン。今月22日が弟さんの命日。それで、前回と今回だけ、このギターを持ってくることにしたという。いい音がした。
7時過ぎから閉店時間間際まで、長丁場のライブ。随所にいい歌や演奏があり、楽しませてもらった。台風の関東地方への接近にともない、開店時には激しい雨。後片付けをすませ、11時50分、外に出ると、雨は上がっていた。
■
今朝の「たつの新聞」に、上辰野に住むYさんの死亡広告が載っていた。突然の訃報で驚いた。享年70歳。去年の春、彼が突然わが家を訪ねてきた。「辰野町に住む知り合いを回って、連歌を書いてもらっている」と、ノートを置いていった。友好以外の目的はない、と表紙に書かれていた。一週間後、そのノートを取りにきた。家人が上の句を書き、ぼくが下の句を書いた。
今月初め、彼がまた新しいノートをもってやってきた。忙しかったので、放っておいたが、家人に促され、彼女の上の句に合わせ、下の句をあわてて書き、ご自宅までお届けした。道に迷ったが、通りがかった人に尋ねて教えてもらった。不在だったので、ノートを玄関に置いてきた。
王城山に登る道のところまで戻ったとき、軽トラとすれちがった。ひょっとしたらと思い、車を止めると、その車も止まった。車から降りると、その車からも人が降りてきた。麦藁帽子の下の顔は、やはりYさんだった。書くのが遅れて申し訳ない旨つげ、二、三ことばを交わした。ノートを預かったときにいただいた梨のお礼を言うと、「今年は天気がわるく、いい梨が取れなかった」と言った。それが10月13日。亡くなったのは、新聞によると、10月24日未明。
突然、笑顔で戸口に現れ、わけのわからないままに連歌を書くように頼まれたが、彼がどんな人か、どんな経歴の人か、知らなかった。でもその「汚らしい」服装といい、無精ヒゲの生えた顔といい、好感がもてた。
今、グーグルで検索してみたら、彼は、1977年から98年まで、20年以上、中国で日本語を教えていたようだ。その体験を綴った『中国を行く』(東洋出版)という本も出している。リューマチで寝たきりの奥さんも、『楽しい母ちゃん百姓』(文芸社)という本を出している。
死亡広告の最後には次のように書かれていた。
葬儀は故人の遺志により近親者のみにて葬送の儀を執り行いました
生前大変お世話になりましたこと心より感謝申し上げます ご香典
ご供花など一切のお心遣いは固くご辞退申し上げます
これを読んだとき、なぜ、一面識もないぼくを彼が訪ねてきたか、わかったような気がした。ぼくも、ほぼ4年前、母が亡くなったとき、文面は違うが、同じような内容の死亡広告を出したのである。
彼が現れなかったら決して書かれることのなかった家人とぼくの拙い連歌を、それを連歌と呼んでいいかどうかも分からないが、彼の冥福を祈ってここに記すことにする。去年書いたものは覚えていない。2週間前、彼の家に届けたもの。
赤そばの花にさそわれ山路行く
空もほんのり茜に染まる
October 26, Friday 2007
朝起きて外を見ると、雨。霧雨。庭がしっとりと濡れて、落ち葉の黄色と芝生の緑のコントラストが鮮やか。
昨日置いてきた液晶モニターの見積書がファックスで届いた。交換する部品は7800円だが、基本技術料が21860円、それに消費税1483円がついて、合計31143円とのこと。修理して使いたいと思っても、修理代が新品より高いと、新品を買ったほうがいいということになってしまう。
早速DELLの17インチ液晶モニターを注文する。別売の雷ガード+ネットワークプロテクションなるものがついて、配送料込みで、25475円。
午後、雨はかなり激しくなった。猫たちは外に出られず、うらめしそう。激しい雨の中、古い友だちが訪ねてくれた。しばし四方山話。
6時、オーリアッドへ。遅くなって、Y先生。先日の日記を読んで、「真勝寺に行くには、静岡ではなく清水で下りたほうがよかったのでは」とのこと。まさにその通り。富士で東名に乗るまでに何度もNaviにだまされたので、清水インターで下りるように指示されたが、無視して静岡まで行ったのがいけなかった。約束の時間に遅れてしまった。
11時、外に出る。雨は止んでいたが、雨のにおいが一面に。気温もそれほど低くない。こんな夜は好きだ。
October 25, Thursday 2007
松本へ。今日は、前回から歌い始めた Knockin' on Heaven's Door の映像を見てもらう。ディランの30周年記念ライブのビデオ。家でチェックしたとき、この曲の前の My Back Pages の演奏が素晴らしかった。これも同時に見てもらう。
久々にこのビデオの My Back Pages を見たが、ほんとうに凄い。エリック・クラプトンは、ギターはもちろんのこと、声も歌い方も実にいい。渋い。後半のニール・ヤングのギターも聞かせる。
帰路、エプソンの持ち込み修理工場へ寄り、電源が入らなくなったモニターを預ける。明日、ファックスで見積もりが届くとのこと。先日、静岡から戻り、電源を入れても、何も映らなかった。接続不良かと思ってが、どうではないらしい。NTT-ME のOさんから古いモニターがないかとのアドバイスを受けた。急遽、古いモニターを取り付けたところ、使えることがわかり、事なきをえた。コンピュータに依存する生活は実に危うい。持ち込み修理工場についてもOさんから教えてもらった。
疲れていて、少し休み、オーリアッドへは7時半ごろ入る。すでに歌声喫茶が始まっていた。懐かしい歌の数々。リクエスト・コーナーでは次から次へと曲名が叫ばれる。回数を重ねるたびに、いい雰囲気になってきた。
歌声喫茶のスタッフもいなくなり、ひっそりしたオーリアッドで、歌の練習。My Back Pages。前から一人では、中途半端ながら、よく歌っていたが、人前で歌ったことはない。練習して、できたら、日本語のヴァースも加えて歌えたらと思う。でもこの歌の言葉は極めて難解で、コーラスの部分を除いては、日本語にしずらい。その点、真心ブラザーズは凄い。
October 24, Wednesday 2007
一日、さまざまな区関係の雑用に追われる。その多くは気が進まず先延ばしにしてきたもの。たとえば、「有害図書自販機」設置場所の他の町に住む地主に、業者との契約更新に関して電話を入れること。あれやこれやで一日が終る。
夜は久々のオーリアッド。なぜか今夜は、ティム・ハーディン。『バード・オン・ザ・ワイヤー』。彼の声、そして歌い方から学ぶことは多い。オーリアッドを再開して、もっともよかったことは、CDから、そして歌いにきてくれる歌い手たちから、「声」や歌い方について学んだこと。それまでは、ただがむしゃらに歌うだけ。発声法とか歌い方に注意を払うことはなかった。
明日は松本。夜は、歌声喫茶。
October 23, Tuesday 2007
午前10時半、自転車で、国道153号線の香住寺入り口へ。数日前役場から、信号機の点灯検査が行われると連絡があった。区民長年の念願だった信号機がようやく設置されたのである。1時間半ほど、さまざまな調節が行われ、ついに点灯された。正式な点灯式は後日行われる予定。
朝夕の通勤ラッシュ時には、国道に出るのが大変だった。これで楽になるだろう。
午後は、信号機運用開始についての回覧文書を各組長宅に配ったあと、町に出て、昨夜注文がきた『ガビオタの海』を郵送する。そのあと役場へ行き、いくつかの書類を提出。
カリフォルニア南部で山火事が猛威をふるっている。昔住んでいたサンタバーバラでもサンタアナの風が吹くことがあった。文字通り、熱風である。それほど大きくはなかったが、山火事も一度経験した。毎年、カリフォルニアのどこかで山火事が発生するが、今年のは桁外れに大きいようだ。しかも同時多発テロならぬ、同時多発火災。
October 22, Monday 2007
香住寺にて高野山真言宗長野宗務支所の檀信徒大会。去年まで檀信徒という呼び方さえ知らなかった。香住寺の総代の方々と一緒に三区の区長もお手伝いするとのことで、午前8時に集合。9時ごろから集り始めた長野県全域の真言宗のお寺の関係者の受付のお手伝い。
10時から式典があり、11時から大下大圓さんの法話―「密教と心のケア〜いま求められている仏教とは」。パワーポイントを使ってのお話は実にわかりやすかった。同時に、さまざまなボランティア活動を通しての体験談は感動的でもあった。
大圓さんに初めて会ったのはぼくが34歳、大圓さんが25歳ごろのこと。彼のお寺、飛騨の千光寺を訪ね、円空仏を見せてもらい、一晩泊めていただいた。立派なお坊さんになられたものだ。
彼の話は在家の人たちと同時に、プロのお坊さんたちへのメッセージでもあるように思えた。死者のためではなく、生きている者たちのための仏教。
大圓さんの話を聞くことができたのは区長という任務にあったから。そう思えば、区長も悪いことばかりではない。今日集まった100人の人たちだけでなく、もっと多くの人たちに彼の話を聞いてもらいたかった。町民会館の大ホールでできなかったものか。
会食後、後片付け。テーブルを片付けたり、本堂のセッティングをもとに戻したり。
金曜日から続いた「公務」もこれで一区切り。明日からまた日常に戻る。
October 21, Sunday 2007
午前9時半、ホテルからタクシーで真勝寺へ。静岡市のタクシーは9月からすべて禁煙になったとのこと。最近タクシーに乗ることはあまりないが、他の地域はどうなのだろう。
真勝寺に着くと、昨夜お会いできなかったご住職の一郷正道さんが出迎えて下さった。今年の4月から京都光華女子大学の学長に就任され、多忙を極めているようだ。
10時から「しんらん教室」。最初の30分は勤行。南無阿弥陀仏が何度も節をつけて唱和される。10分休憩後、トークライブ。「それぞれの道」「ミン・オン・トゥイーのバラード」と続け、「山頭火」を挟んで、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」と「碌山」、そして「千の風」。そのあとみなさんと一緒に「ふるさと」「ゴンドラの唄」「みかんの花咲く丘」。真勝寺には混声合唱団があるとのことで、みなさんいい声をしている。今度合唱団でぼくの「千の風」を歌ってくださるとのこと。楽しみだ。最後に「丁度よい」を歌って終了。
終了後、CDを買ってくださった多くの方々からサインを求められる。8月にオーリアッドでオートハープを弾いてくれた山下さんも『ガビオタの海』を買い、話しかけてくださった。弟さんご夫妻と一緒だった。島田市の池谷さんも聞きにきてくれた。彼は2度オーリアッドに歌いにきたことがある。『追憶の60年代カリフォルニア』を買ってくれた男の人もホームページを見てこのトークライブを知ったようだ。
お昼をいただいて、2時近く、真勝寺をあとに。その前に記念写真。一郷さんは大学院時代の先輩で、ぼくが京産大で非常勤をしていたとき大変お世話になった先生。10年ほど前にも一度呼んでいただいたことがある。
帰りは、往きとは違う道を通って帰る。途中眠くなり、30分ほど仮眠。身延山付近のバイパスは、そして中央道へ入る前の高速道路は、高架の部分が多く、高所恐怖症のぼくは何度も冷や汗。休憩をとりながら、6時半過ぎ帰宅。疲れたが、とても有意義な小旅行だった。お世話になったみなさんに感謝。
October 20, Saturday 2007
飛び入りライブ。店主不在にもかかわらず、報告によると、初めて聞きにきてくださった方々も何人かいて、いいライブになったようだ。演奏者はオーリアッド不動のクリーンナップ、藤森和弘、赤羽真理、大月高志の三氏、に加えて、久々に長島功さんが歌いにきてくれたとのこと。
all photos by k.miura
初めて聞きにきてくださった方々には、また聞きにきてほしいもの。その中にはギターを弾いて歌う人もいたようだ。次回は歌ってくれるといいのだが。
■
午後1時半に家を出る。静岡市内に入ってから少々道に迷ったが、真勝寺に6時半着。ヒップホップのDJをやっていたこともあるという副住職さんに手伝っていただき、セッティング。そのあと、タクシーで、ご住職の奥様と副住職ご夫妻と和風料理店で会食。ご住職は京都からまだ帰ってきていなかった。海の幸を山のようにご馳走になる。10時半ごろまで談論風発。楽しかった。
静岡駅近くのホテルアソシアに宿をとっていただいていた。改装なったばかりのホテルで、すべてが新しい。カード式の鍵は珍しくないが、ドアを開けるのにロックの部分に押し当てるだけというカード式の鍵は初めて。しばらくどうして開けたらいいかわからなかった。
中日が巨人に勝ったことを確認して寝ることに。
October 19, Friday 2007
午後、高遠北小学校にてトークライブ。高遠の町の中心部で左に曲がり、しばらく直進。素晴らしい田園風景が広がる。道端や家々の庭には、赤や黄色の花が咲き、生垣などもきれいに整えられている。ところどころまだ刈り取られていない稲穂が揺れている。景色に見とれていて、学校の入り口を見落としてしまったほど。引き返し、斜めの坂道を上ると校舎が見えてきた。
児童数70名ほどの小さな学校。学校の庭も、学内もきれいに掃除されていて気持ちがいい。トイレの花瓶には子供が描いた絵が焼き付けられていた。実にいい。圧倒的にお母さんが多かったが、お父さんもちらほら。それに、おじいさん、おばあさん、地域の方々も何人か聞きにきてくださった。なごやかな雰囲気のいいトークライブになったと思う。感謝。
夕方、家に戻る。オーリアッドは家人に頼み、しばらく仮眠。9時過ぎオーリアッドへ。比較的忙しい日。11時閉店。午後から降り始めた雨がまだ降っていた。明日は静岡まで車で行くことになっている。晴れてくれるといいが。飛び入りライブは通常通りあります。
October 18, Thursday 2007
終日、松本。帰路、前から気になっていたタイヤをかえてもらう。明後日の静岡行きに備えて。店頭に並んでいるのはすでにすべてスタッドレス。メーカーから30分で取り寄せることができるとのことで、近くの書店で待つことに。立ち読みの楽しみから遠ざかっていたが、いいものである。興味のある本を2冊購入。そのうちの一冊は『高校生が感動した「論語」』(祥伝社新書)。タイヤがなかったからこそ出会えた本。
数ページ拾い読みしただけで、これは分かりやすいいい訳だと思った。「子曰く、詩三百、一言以ってこれを蔽う、曰く思い邪なし」の訳は次の通り。
詩経には三百余りの詩があるが、共通点を一言でいえば、「邪心がない」
というに尽きるね。有名になろうとか、読み手を感動させてやろうとか、
そんな欲得のない純真無垢な心を蘇らせたいものだよねェ。
うむ。こんなのもあった。「子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如何。人にして仁ならずんば、楽を如何せん」の訳。
愛情がこもっていなければ、いくら表面上うやうやしくしたって礼儀とは
言えないだろう。どれほど美声で歌っても情愛が伝わってこなければ音楽
とは呼べまいよ。
襟を正さすずにはいられない言葉であり、翻訳である。
6時からオーリアッド。開店直後に入ってきたお客さん、「アイスコーヒー」。こんなに寒くなったのにと思ったが、少し待ってもらいアイスコーヒーをつくる。
遅くなって、トークライブのための練習。「楽を如何せん」と言われないように歌うには如何せん。
October 17, Wednesday 2007
今朝 amazon.com からパッケージが届いた。3枚のDVD。そのうちの一枚は、Power Yoga for Beginners。スタミナをつけるためのヨガとのキャッチコピーにつられて購入したもの。最初のほうを見た。インストラクターが「ボディは過去、マインドは未来、それを繋ぐのが呼吸である」と呼吸の重要性を力説していた。
しばらく、インストラクターの掛け声に合わせて、身体を動かし、息を吐き、息を吸ってみた。なんとなく頭がすっきりし、身体が軽くなったような。途中から、ついていけない身体の動きになりギブアップ。
19日の金曜日は高遠北小学校で、21日の日曜日は静岡市の真勝寺で、トークライブ。真勝寺では、いくつかのリクエストがあり、今夜は後半その練習。特に「ゴンドラの唄」。この歌のコードはすぐに忘れてしまう。「みかんの花咲く丘」はリクエストされていないが、是非みなさんと一緒に歌いたい。作曲の海沼実は長野県出身で、作詞の藤田省吾は静岡県出身。
11時閉店。家に戻り、空を見る。気温はまだそれほど低くないのに、すでに冬の空。降るように星が瞬いている。
October 16, Tuesday 2007
今日は、比較的時間の余裕があり、明後日の松本の準備をし、畑の整理をし、猫たちの写真を撮り、下野さんから教えてもらった CBSの60 MINUTES のスプリングスティーンのインタービューを聞いた。
スプリングスティーンの次の発言に興味をもった。
インタービューアー:新しいアルバムのいくつかの曲は物議をかも
すかもしれませんが、これらの歌で何を伝えようとしているのですか。
なぜまだ歌を書き続けているのですか。
スプリングスティーン:アメリカ人とは何かということに興味があ
るんだ。ぼくたちが住んでいる国、子供たちに残していく国に興味が
あるんだ。その国がどんな国か定義することに興味がある。
インタビュアー:・・・「イッツ・ア・ロング・ウォーク・ホーム」。
この歌はどういう歌ですか。何について書いているんですか。
スプリングスティーン:えー、そうだね。ぼくがしようとしている
ことは、アメリカの理想とアメリカの現実との間の距離を示す地図を
つくること。そのようにぼくの音楽はレイアウトされている。
インタビューアーの次のコメントもいい:スプリングスティーンは、自分が長いアメリカの伝統を受け継ぐ者だと考えている。ベトナム戦争の時代から世界大恐慌の時代まで、つまりディランからガスリーにまでさかのぼる伝統を受け継ぐ者だと。
このインタビューの一部の映像を見ることができるサイトを見つけた。http://60minutes.yahoo.com/segment/99/bruce_springsteen
ソフィーとフィービーの写真は
October 15, Monday 2007
昨日今日と区の仕事がいくつか。昨日の早朝の530(ゴミゼロ)清掃から始まり、今夜のお寺での檀信徒大会打ち合わせまで。少々疲れた。あと5ヶ月半。
今年こそ英語の勉強方法についての本を完成したいと思いながら、そして、その完成を待っているというありがたいメールをいくつかいただきながらも、なかなか手につかない。しかし徐々に、頭の中に新しいアイディアが定着しつつある。それは Speak like you sing, sing like you speak. 「歌うように話せ、話すように歌え」ということ。そして diaphragmatic breathing (横隔膜呼吸、腹式呼吸)の重要性。ヴォイストレーニングと英語の勉強を兼ね備えた今までにない一石二鳥の本になりそうだ。と大風呂敷を広げておこう。
そうそう、一昨日、飛び入りライブが終って家に戻り、テレビをつけたら若い頃の二ール・ヤングの映像が流れていた。素晴らしかった。あんな風にギターが弾けて歌えたら、と思わずにはいられなかった。以後、ときどき Heart of Gold を口ずさんでいる。
Heart of Gold といえば、中断したままの長野ジャーナルのエッセイの最後(第97回)のタイトルが「ハート・オブ・ゴールド」。このエッセイに関しても多くの方々から再開を期待するメールが届いている。いつとは明言できないが、必ず再開したいと思っている。加瀬さんも再開しませんか。
October 13, Saturday 2007
飛び入りライブ。開店よりかなり前にオーリアッドに着く。すでに大きな車が止まっている。車中に人影はない。今夜聞きにきてくれると電話があった白馬童子こと佐藤尚志さんと奥さんに違いない。5時に着き、町を「探検」してきたとのこと。ICUの先輩。
先ず佐藤さんのリクエストでぼくが「僕は唱歌が下手でした」を歌う。藤森和弘さん、「風は旅人」「今日は土曜日」「住みなれたこの町で」「おまえの歌が聞こえる」。ここでまたぼくが佐藤さんのリクエストで、「明日は遠く」「ミスター・タンブリンマン」。赤羽真理さん「旅人の木」「森の小道」「驚くばかりの」。ここで前半終了。
後半は大月高志さんのピアノ独奏から。 「ローズ」と「カノン」。佐藤さんは大月さんの大ファン。盛大な拍手喝采。藤森さん、大月さんのギターのサポートで「愛音」。そしてソロで「酒と涙と・・」などのカバー。赤羽さん、「ホーボーズ・ララバイ」をソロで、そして大月さんのサポートで「千両梨の実」。
次に歌ってくれたのは赤羽義幸さん。初登場。「鹿のように」、そして「レット・イット・ビー」の日本語ヴァージョン。前者はソロで、後者はお父さんと一緒に。初々しさに盛大な拍手。最後にぼくが、初めて聞きに来てくれた方のリクエストで「千の風」。そのあと、佐藤さんにもステージに上ってもらい、大月さんと赤羽さんのサポートで、「風に吹かれて」「オーリアッド・バンドの歌」「ウイー・シャル・オーヴァーカム」。最後に、みなさんと一緒に「みかんの花咲く丘」。
しばし歓談。以前から白馬へ佐藤さんの住む古民家を訪ねたいと思いながら約束が果たせないでいる。雪が降る前に行けたらいいのだが。白馬童子主催、古民家オーリアッド・ライブを開いてもらって、皆で押しかけるというのもいいアイディアかも。
October 12, Friday 2007
午前中、檀徒総代と三区の区長で、お寺の裏にあるサツキ山の土手の草刈りと境内の掃除。10月22日に行われる檀信徒大会の準備。午後、家人が午前中につくっておいたマルチをかぶせた畝に近所の二軒の篤農家からいただいたイチゴの苗を植える。わが家の苗も含めて100本以上。
今夜は甘酒のお客さんが一人いた。甘酒は肝臓によく、皮膚を若返らせ、髪の毛にもいい影響があるとのことで最近よく飲んでいる。メニューにも加えたが、あまり出ない。これから寒くなるので、飲んでみようと思う人が増えるかも。
家に帰ってメールをチェックしたら、ソニーのSさんからメールが入っていた。ニュージャージーのコンサートへ行ってきたようだ。「会場が揺れるくらいの Bruuuuuuceコール!凄まじかったです」。そして、US, UK, Canana, Austria, Denmark, Ireland, Italy, Norway, Spain, Sweden の10ヶ国で初登場 No.1 だったと書かれていた。MAGIC 日本盤は10月24日発売。
October 11, Thursday 2007
今日が山頭火の命日だと、Sさんのメールで知らされた。山頭火はコロリ往生を願っていた。念願どおりと言っていいだろう。昭和15年10月11日午前4時、最後の住処となった松山の一草庵で、句会後、酒に酔って眠っているうちに亡くなった。享年57歳。
おちついて死ねそうな草枯るる
松本へ。午後、クラスのあと e-learning 用のインタビューを受ける。Which country do you think makes the best movie? (一番いい映画を作る国はどこだと思うか)という質問があった。インタビューアーがイギリス人なので、イギリスと答えたかったが、はたと困った。見たイギリス映画が思い浮かばない。
最近DVDで Goodbye Mr. Chips(1939年) と Waterloo Bridge(『哀愁』) を見た。両者とも、セッティングはイギリスだが、イギリスで作られたのかわからない。Waterloo Bridge はイギリス映画かと問うと、その若いイギリス人の先生はその映画を知らなかった。
先ほど調べてみたら、両者ともハリウッド製。考えてみたら、ぼくが今までに見た外国映画でいいと思ったのは圧倒的にアメリカ映画が多い。しかも、50年代、60年代のもの。最近のSFXを多用した映画は好きになれない。
夜、ジブランの会。スピーカーからは、ナンシー・グリフィス、Other Voices, Other Rooms。
October 10, Wednesday 2007
久々の好天。昼過ぎ、区の用事で消防署へ。区内に設置されている消火栓のホースのことで質問。そのあと、野暮用で岡谷へ。書店に寄り、立ち読み。買うかどうか迷った本があったが、結局もとの場所に戻す。何年か納税額日本一だったという人の本。重要なのは positive & affirmative thinking。
土曜日以後、最初のオーリアッド。6時開店。しばらくして、I さん。同郷の友人とともに。その人はニュージーランドのオークランドに10年ほど住んでいて、2ヶ月前に帰国したばかりとのこと。
I さんのリクエストで「千の風」を歌う。I さんにも歌ってもらう。U2の One。よかった。
10月10日というと、すぐ「体育の日」が頭に浮かぶ。いつごろからか、この日も普通の日になってしまった。3連休ばかりでなく、週の途中に一日休日があるのもいいと思うのだが。
11時閉店し、外に出る。ひんやりとした外気が気持ちいい。
October 9, Tuesday 2007
10月になってから雨がよく降る。今日も朝からジメジメした天気。気温も低くなった。今夜初めてヒーターをつけた。これから半年、ヒーターのお世話になる。
午前中、病院へ。月に一度の定期検診。問題なし。午後、木曜日のクラスのための準備。遅くなって、区の用事で役場へ。
10月21日(日)に静岡市の真勝寺で行われる「しんらん教室」でのトークライブの詳細が今日届いた。午前10時から30分勤行があり、そのあと12時まで歌わせていただくことに。通常、「しんらん教室」の出席者は80名ほどとのこと。会場である本堂のキャパシティは200名で、一般の方々の聴講も十分に可能とのこと。お近くにお住まいの方で、興味のある方はおでかけ下さい。詳細は
October 7, Sunday 2007
「山頭火 信濃の旅」展を見に、御代田町の浅間縄文ミュージアムへ行ってきた。秋晴れのいい天気。浅間山がきれいだった。
なるほど信濃の月が出てゐる
という句と顔写真の垂れ幕の横で記念写真。山頭火は日常生活においては、ある意味、だらしないところがあった。しかし、この写真の顔には、強い意志が感じられる。旅と句作への強い意志。
この展覧会での新たな発見は彼の書の見事さ。いままで直筆といっても、本や雑誌で、写真に撮られた小さなものを見ただけ。今回、直筆の掛け軸をいくつか見て、その美しさに畏れ入った。
「なるほど信濃の月が出てゐる」は、昭和14年5月3日夜、高遠城址で詠んだ句。その日の午後、山頭火は井月(せいげつ)の墓を訪ねている。
お墓撫でさすりつつ、はるばるまいりました
という句が、井月への山頭火の思いのすべてを語っている。
時間をかけて山頭火展を見たあと、歩いて隣にあるメルシャン軽井沢美術館へ。「印象派とその源流展」が行われていた。ほとんどの作品に付けられていた千住博さんの解説がいい。絵の見方というものを初めて教わったような。
美術館、ミュージアムショップ、それにワイン&ウイスキーの試飲ができるメルシャンプラザのどれも魅力的。しかし、一番魅力的なのは、それらの建物が点在する公園のような敷地。
帰路、和田村の「ふれあいの湯」に入り、家に戻ったのが午後6時。久しぶりに、のんびりした一日。
「山頭火 信濃の旅」展は11月25日まで。山頭火ファンには、一見の価値ある展覧会です。
山頭火は乞食僧
水を求めて歩いた
日本の端から端まで
歌をつくって歩いた
October 6, Saturday 2007
臼田町からリイチさんが、奥さんと3歳の可愛い娘さんと一緒にやってきた。先日、浅間縄文ミュージアムで歌わせていただいたご縁。初登場なので若干のサウンドチェックをしてもらったあと、ぼくがトップバッターに。「ミン・オン・トゥイーのバラード」「山頭火/俺のいない町」。
続いて藤森さん、「今日は土曜日」「住みなれたこの町で」、そして「愛音」。最後の歌で歌われている愛音(あいね)ちゃんがやってきたのは、この歌が歌われたあと。愛音ちゃんに会うのは久しぶり。ますます大きく可愛くなっていた。リイチさん、「心の扉」「淡い想い」、そして「恋の着く先」。先ずギターの音色に感銘を受ける。去年のつま恋でのコンサートを記念して作られた200本限定 YAMAHA The FG Sunset とのこと。
前半最後は、川島茂さん。「長いタイトルのラブソング」「40's(四十代)」「雨の交差点」。いつものことながら、よく伸びるハイトーンの澄んだ歌声。
後半、まずぼくが「アルバカーキの空は今日も」と「明日は遠く」。藤森さん「人生に勇気」「子守唄のように」、そして今月22日が6回忌になるという弟さんのために書いた「おまえの歌が聞こえる」。リイチさん、「涙の旋律」「月光」「琥珀色の恋物語」。前半もそうだったが、リイチさんの歌のタイトルはロマンティック。タイトルを聞いただけで、ある種のイメージが膨らむ。
ここで、今日、演奏の打ち合わせに東京へ行き、少し遅れてきた大月高志さんにお願いする。「カノン」。何度聞いても飽きない音楽が存在するということを証明する曲と演奏。最後に川島茂さん。「青い夏」「ニュー・スタート」「最後のニュース」。最後の曲は大月さんのピアノとともに。
これで終了、しばし歓談、と思ったら、4歳の愛音ねちゃんが藤森さんのレパートリーを歌うという。少々緊張気味に「人生に勇気」、そして「住みなれたこの町で」。「しゅみなれたー」と可愛い歌声。大喝采。ここで臼田からやってきた3歳の「あみちゃん」もステージに。「ちょうちょ」を藤森さんと大月さんのサポートで歌う。これまた拍手喝采。誰だって初めてのところで歌うのは緊張するもの。お父さんもそうだった。是非また歌いにきてほしいもの。
しばし歓談。和菓子をつくっているというリイチさんからいただいた楕円形のどら焼きを皆さんにお裾分け。家に帰っていただいた。美味しかった。ダイエット中。半分にしておこうと思ったが、耐えられず、ひとつ半いただくことに。
October 5, Friday 2007
マイケル・ホフマンからメールが届いた。It was great having the whole gang together for a while. と書かれていた。先日、東福僧堂の門のところで撮った写真が添付されていた。ジムとテイヨーに初めて会ったのは、ぼくが22歳のとき。マイケルに会ったのは24歳のとき。送られてきた写真を見て、過ぎ去った日々に思いを馳せた。一週間の予定だったので、ジムはベトナムへ、テイヨーはヴァーモントへすでに戻っているはず。
Mavis Staples の We'll Never Turn Back が気に入ってよく聞いている。時々ディランかと思うときがある。声といい歌い方といい。彼女は彼に大きな影響を与えたようだ。
明日は、飛び入りライブ。御代田町のリイチさんが歌いにくることになっている。どんな歌を聞かせてくれるか楽しみだ。
遅くなって歌の練習。古い歌をいくつか。
October 4, Thursday 2007
朝、余裕をもって家を出るつもりが、いつもの9時半に。探し物。山麓線を通って松本へ。後期最初の授業。先ず、The Rose を教材に聞き取り練習。初めての歌だが、かなり聞き取れた。全問聞き取れた者もいる。さらに驚いたことは、すぐ歌えるようになったこと。音感とリズム感がいい。
6時過ぎ、オーリアッドへ。もう真っ暗。日が短くなった。だが暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい季節である。遅くなってMさん。箕輪での歌声喫茶の帰りとのこと。ベースとピアノを弾き、絵を描き、山に登り、定年後の人生を楽しんでいる。今年の夏、蓼科山に登ったら頂上の山小屋にアップライトのピアノがあって、急遽、彼の伴奏で、みなで歌ったとのこと。山頂の山小屋にピアノとは珍しい。ヘリコプターで運んだらしい。
数日に分けて Goodbye, Mr. Chips を見終えた。先週京都へ行ったときに買った安いDVDの中のひとつ。1939年の映画で、ピーター・オトゥール主演の1969年のものではない。見ているうちに、昔、多読のクラスで Goodbye, Mr. Chips(語学春秋社)を使ったことを思い出した。これは1939年の映画に基づいている。チップス先生の奥さんが亡くなったのは、1969年の映画では、ドイツ空軍の空襲によってだったが、39年版では、難産がその原因だった。
閉店前、少し歌の練習。
October 3, Wednesday 2007
スプリングスティーンの MAGIC が昨日世界中で発売された(日本盤は10月24日)。イギリス人の友人からガーディアン紙に掲載された批評記事が送られてきた。http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2182371,00.html
長い記事であるが、次のところに共感した。
ブルース・スプリングスティーンは今58歳、そして今週、30年以上ほとんど同じ
メンバーのEストリートバンドとワールドツアーを始めた。音楽的にはスプリン
グスティーンは、彼の「グローリー・デイズ(栄光の日々)」を再訪しているよ
うに響くかもしれないが、歌詞の上では、このアルバムは現在に完全にコミット
している。その中の歌はすべて、建国の理想から外れてしまったアメリカへの祈
りである。
オーリアッドのノート型を使い始めて、ほぼ2ヶ月。最初からインストールされていた Norton のお試し期間があと2日。今夜はそれを更新。時間がかかったが何とかダウンロードできた。
11時閉店。家に帰って、明日の松本行きの準備。
October 2, Tuesday 2007
相変わらず人生の半分、探しものをして生きている。どうもこれだけは死ぬまで直りそうもない。ただ探してるものは出てこなくても、その過程で、別のものを見つけるということがある。 今日もそんなものがひとつ出てきた。出てきた、というよりは、遭遇したというべきか。それが家にあることさえ知らずにいたのだから。調べてみたら、アメリカでは4月24日、日本では8月22日発売。
Mavis Staples の We'll Never Turn Back というCD。50年代、60年代の公民権運動で歌われた歌を集めて、ライ・クーダーのプロデュースで制作されたアルバム。感激した。このような歌のアルバムにありがちな古臭さをまったく感じさせない。ライ・クーダーのギターとメイヴィスの歌唱力ゆえか。ひょっとしたら、今年一番のお気に入りアルバムになるかも。
沖縄に歌いにこないかというメールをいただいた。残念! その日は他の予定がはいっている。ただ70年代中頃にぼくのクラスにいた人たちからのメールだけに嬉しかった。みんなそれぞれがんばって生きている。
あなたもぼくもあの時代を抜けて
なんとかここまで歩いてきた
いくつもの過ち、後悔を抱きながらも
今ここにこうして生きている
あなたに平和がありますように
あなたの願いがかないますように
あなたが喜びに満たされますように
あなたが自由でありますように
October 1, Monday 2007
今朝も朝から、小雨が降っている。霧雨というべきか。昨日ほどではないが気温も低い。
木曜日から始まる後期クラス用の歌を選び、歌詞カードを作る。基本的には昨年と同じだが、今年は The Rose を入れることに。
午後スイミングへ。9月は酒席も多く、暴飲暴食とはいわぬまでも、少々飲み過ぎ、食べ過ぎ。10月は節制すべし。
京都で芳澤さんにお会いしてから、白隠について再び興味がわいてきた。白隠が教えた「軟酥の法」という健康法を試している。