September 30, Sunday 2007
9月最後の日。朝から雨。肌寒い。先ほど玄関先の温度計をチェックしたら12度強。
ニュージーランドに住む次男からメールがあった。今日からサマータイムが始まったとのこと。時差が3時間から4時間に。こちらは、サマータイムと裏腹に、これから日が短くなり、寒くなる。つるべ落としの秋の暮れ。
若い頃は秋が一番好きだった。今は、春かな。
午後は遅れていたメールの返信をいくつか送り、今週木曜日から始まる後期のクラスの準備を始める。
夜、Lake Suwa English Club へ。年配の方々が熱心に勉強しにくる。The Rose
と Amazing Grace を歌い、そのあと、各自が家で聞き取ってきた英文のチェック。数年前に始めたときのことを思うと、長足の進歩。
千葉市に住むKさんから、千葉市にも碌山の女像があるとのメールが入った。
三浦さんの歌で荻原碌山を知り、去年の暮れには碌山美術館へも
行ってきました。ところで、彫刻「女」が碌山美術館以外にもあるのを
ご存知ですか?千葉市の亥鼻公園に千葉大学教育学部沿革碑が設
置されていますが、この沿革碑の上に彫刻「女」が設置されています。
碌山と千葉大学教育学部との間に何か関係があるのだろうか。次の写真が添付されていた。確かに女像だ。
September 29, Saturday 2007
開店後、最初に入ってきたのはふあさん。しばらくディランやスプリングスティーンやコーエンの話。
先ず、ふあさんに歌ってもらうことに。「もう少しここに」「彼女のために歌いたくて」など。一曲目を歌い始めた途端、ふあワールドが広がった。藤森和弘さん、一曲目「今日は土曜日」。最後は、先週の二十歳の若者を思い出して、二十歳のときに書いたという「片想い」。小穴正幸さん、「ミスター・ボージャングルズ」「太陽のもと新しきものはなし」など。2曲目は「伝道の書」より。「ターン、ターン、ターン」と同じテーマを歌った小穴さん独自の歌。
赤羽真理さん、「ホーボーズ・ララバイ」「旅人の木」。3曲目は「千両梨の実」は大月高志さんのサポートで。大月さん、「カノン」「ザ・ローズ」のピアノ独奏。ダニエル、The
Sun Ain't Rising, Runner Girl, Tree House の3曲。
前半の最後、ぼくが「千の風」「僕は唱歌が下手でした」「花語らず」。一曲目は3日前に亡くなった
HONZIさんのために。彼女は不思議な縁で『千の風』のレコーディングに参加してくれた。バイオリンとアコーディオン。素晴らしいミュージシャンだった。
後半。ふあさん、村上昭夫の詩に曲をつけた「うた」から。ぼくも昔、この詩に曲をつけて歌っていたことがある。ひょっとしたら、歌おうとしていただけだったかもしれない。メロディを覚えていないので。
高い声でうたう必要はない
小雨のように
地をぬらしてゆけばいい
きれいな声でうたう必要はない
驟雨のように
空のわずかなすき間を
通り過ぎればよい
(後略)
驟雨は「しゅうう」、夕立、にわか雨のこと。ふあさんは、「通り雨」だったか「にわか雨」だったかに変えて歌っていた。確かにそのほうが分かりやすい。
藤森さん、「愛音」「おまえの歌が聞こえる」を大月さんのサポートで。最後「人の駱駝」をソロで。小穴さん、「もう一度だけでも」など。最後の「レクイエム」を大月さんのサポートで。ダニエル、Wonerful
Tonight と、もう一曲ブルーズをソロで。最後に Knockin' on Heaven's Doorを大月、ふあ、小穴の三氏とのセッションで。大いに盛り上がる。
その後しばし歓談。11時閉店。外に出ると、少々寒い。夏から冬に突入したよう。そういえば今年は春もあまりなかったような気がする。
September 28, Friday 2007
よく眠った。夜中に何度か目覚めたが、最終的に目覚めたのは9時過ぎ。疲れていたのか、昨夜行った銭湯がよかったのか、こんなにゆっくり眠ったのは久しぶり。
ゲストハウスは狭いながら居心地がいい。オーナーは身体全体から平和を放射している。攻撃性というものが一切感じられない。おそらく長い間、世界を旅してきたのだろう。
このゲストハウスは新大宮商店街に近い。しかもイスズ薬局の裏にある。それでリクト君の顔が見たいと思い、大宮通りに出て、イスズ薬局を探す。すぐ見つかったが、シャッターが下りている。電話をしたが、返事がない。残念、と思いながらマイケルの家のほうへ歩き始めた。50メートルほどいったところで、後ろから「三浦さ〜ん」という声。振り向くと古川君が手を振っている。リクト君には会えなかったが、コーヒーを一杯ご馳走になった。朝の忙しいときにお邪魔して、迷惑をかけてしまった。
マイケルはすでに仕事にでかけていた。10時半ジムとテイヨーと花園大学へ。ジムは「ほう居士」(「ほう居士」の「ほう」はヤマイダレに龍)の語録を英訳し、来春シャンバラプレスから出版されることになっているが、その序文をジェフ・ショアーに書いてもらいたいとのことで打ち合わせに。
ジェフに花園大学に芳澤という名前の人がいないかというと、「いるいる」と言って、連れていってくれた。秘書の女性に芳澤先生に会いたいというと、しばらくしてその人が出てきた。ジェフが彼にぼくの名前をいうと、彼は開口一番「ジジイになったな」。相変わらず口が悪い。名刺をいただいた。花園大学国際禅学研究所教授・副所長という肩書きの下に芳澤勝弘と書かれていた。
芳澤さんは高校の一年先輩。40数年ぶりに会ったことになる。道ですれちがってもお互いに分からないだろう。お昼を挟んで、二度芳澤さんの話を聞いた。彼は白隠の書画の研究をしていて、その道の権威らしい。多くの専門書の他に、『白隠―禅画の世界』(中公新書)という一般向けの本も出している。一冊いただいた。今彼は、ニューヨークで白隠の個展を開きたいと奔走されている。そのエネルギーに驚嘆する。
芳澤さんと別れてジムとテイヨーを探すと彼らは碧眼の禅僧と話していた。トム・カーシュナーだと紹介された。どこかで聞いた名前だと思ったが、バスに乗る時間が近づいていた。ぼくも名前を言い、三人と別れた。ジェフはすでに授業にいっていていなかった。
バスに乗ってから、トム・カーシュナーが、トーマス・カーシュナーだと気づいた。『禅僧になったアメリカ人』(禅文化研究所)の著者だ。しまった、「あなたの本を読みました。面白かったです」と一言いいたかった。
一泊二日の短い旅だったが、刺激に満ちた旅であった。芳澤さんは、「原」村の出身。山荘をもっていて時々帰省するとのこと。またお会いしたいもの。白隠は駿河の「原」の出身。出家したのも「原」の松蔭寺。これも何かの縁か。
September 27, Thursday 2007
バスにて京都へ。1時10分前という約束だったが、彼らが現れたのは1時20分前。ジムとテイヨーとマイケル。彼らに会うのは4年ぶり。みんな元気そう。老師に会うのは1時。しばし東福僧堂の門の横で立ち話。
1時、僧堂の玄関で「ごめんください」と叫ぶと、奥から雲水の「どーれー」という大声。中に通される。老師はすでに応接室に出てきておられた。3年前にお会いしたときよりお元気そう。満面の笑み。ジムとテイヨーと一緒に老師にお会いするのは、おそらく30年振り。彼らが宝福寺で修行していたころ。
お昼をいただき、思い出話に花が咲く。3時過ぎ、老師の弟子で花園大学教授のジェフ・ショアー氏がやってくる。ここから専門的な話に。テイヨーとジムは、日曜日から2日間僧堂に入り、坐禅と独参をすることに。
午後4時過ぎ、マイケルの家に行き、しばし歓談。彼の家に4人泊まれないことはないが、ちょっと窮屈。近くの
Bon というゲストハウスにチェックインする。7時過ぎ、4人で、近くの居酒屋「鬼太鼓」へ。
9時過ぎ、明日仕事があるとのことでマイケルは家に戻り、ジムとテイヨーと拾得へ。テリーとしばし歓談。彼らとテリーには共通の友人もいて、話が尽きない。
11時、二人はマイケルの家に。ぼくはゲストハウスに。近くの銭湯に行く。素晴らしい銭湯。サウナあり、電気湯あり、ミルク湯あり、ジャグジーあり、他にも思い出せないものがいくつかあり、これで貸しタオル付で420円。安い。疲れが一気にとれた。
明日はジェフに会いに花園大学へ行くことに。
September 26, Wednesday 2007
午後、老人福祉センターにて、社会福祉協議会評議員会。主として赤い羽根募金について。ボランティアとか寄付とかいう言葉を聞くと、いつも少し懐疑的になる。半強制的に割り当てられた「ボランティア活動」も「寄付」も、形容矛盾としか思えない。
6時からオーリアッド。前半、先週から見始めた『自転車泥棒』を見る。ずっと前に映画館で見たことがあるが、細部は完全に忘れていた。レストランで父と息子がピザを食べるシーンは覚えていた。金持ちの息子との対比が鮮明だった。最初から救いが感じられない重苦しい映画だが、最後にちょっと希望を抱かせてくれる
後半、ドクターY。四方山話。11時閉店。外に出ると肌寒い。空には大きな月。
September 25, Tuesday 2007
今日も暑かった。夜になってようやく涼しくなった。夕食後、外に出て空を見る。王城山の上に雲があって月は見えない。雲が明るくなっているあたりにあることはわかる。
真夜中過ぎて、もう一度外に出た。すでに西の山のほうに傾いてはいたが、雲ひとつない夜空に、大きな丸い月がこうこうと輝いている。中秋の名月。耳を澄ますと、虫の音があちこちから。
ここ数ヶ月、ジム・グリーンと何度かメールのやりとりがあり、明後日、京都で会うことになった。東福寺の老師を訪問することが一番の目的。明日、彼はベトナムから到着する。驚いたことに、今朝京都のマイケル・ホフマンから電話があり、ヴァーモントからテイヨー・ゲイブラーも明日の夜、到着するとのこと。4人で老師を訪問することになりそうだ。
『追憶の60年代カリフォルニア』はまだ終っていない。
*ジムとテイヨー、そして老師との出会いについては、『追憶の60年代カリフォルニア』の16章「ボブ・ディランの夢」、あるいは長野ジャーナルの
第17回 を、マイケルとの出会いは長野ジャーナルの 第60回 を、参照のこと。
September 24, Monday 2007
朝、墓参りに。「千の風」の1番を歌い、般若心経を唱える。それから、ご無沙汰ばかりしている母の実家へ線香を上げに。その後、区の関係で、人に会い、正午に戻る。
昨日は午前中、国道153号線(徳本水)道路改良にともなう地権者と伊那建設事務所による境界の杭打ちに立ち会い、午後は、区の委員会と夏の賦銭。賦銭(ブセン)というのは、区の仕事に対する費用弁償の支払い。それに会計監査。そのあと飲み会。
昨日はスプリングスティーンの58回目の誕生日。彼の衰えを知らぬ創作意欲には驚かされる。MAGIC
発売に併せて行われるツアーのチケットは爆発的に売れているようだ。ソニーの担当者によれば、ロンドンが10分、アイルランドが8分、地元ニュージャージーのコンチネンタルエアライン・アリーナとニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにいたっては1分で完売したとのこと。1分で完売というのは実感としてわからない。そんなことが物理的に可能なのか?
今日は、オーリアッドから西へ3軒目にある辰野警部交番を何度かTVで見ることに。それに親しい友人の家も。その事件は友人の家の近くで起きた。誰にとっても救われない事件。
September 22, Saturday 2007
飛び入りライブ。開店してすぐ、何人かの思いがけないお客さん。先ずぼくが「ガビオタの海」「果樹園の道」など。お客さんの一人は
ryu のファンで『おとぐすり』をもっているとのこと。続いて、オーリアッド初登場、若干二十歳の大学生、名取裕太さん。オリジナルの「線」「ブリキの玩具」他。人前で歌うのは初めてとのことで緊張気味。でも、盛大な拍手。ステージを降りるときも新たな拍手。続いて22年前二十歳だったという藤森和弘さん。いつものように「人生に勇気」から。安定した歌いっぷり。
セカンドラウンドも最初の3人。ぼくが久々に、次男のために書いた「あの果てしない大空へ」を歌う。それから、『おとぐすり』にも入っている「みかんの花咲く丘」をみなさんと一緒に。さらに「ふるさと」も。名取さん、亡くなった友人に捧げた「五町の星」など。セカンドラウンドになって、リラックスしたのか彼本来ののびやかな声。
藤森さん、「愛音」「今日は土曜日」「おまえの歌が聞こえる」。来月の今日、この3曲目の主人公が亡くなってちょうど5年とのこと。時間が経っても、親しい人の死を忘れることはないし、思い出すたびに悲しみに満たされる。それでも、その悲しみを癒してくれるのは時間以外にない。前半終了。10分休憩
後半は、ダニエルから。Runner Girl, The Sun Ain't Rising など。続いて守屋武志さんと
Two of Us. 赤羽真理さん、久々登場の太田裕士さんのピアノとサックスのサポートで「旅人の木」「千両梨の実」。後者の途中で、サックスが鳴り始める。なんてメローで、気分を高揚させてくれるサウンドだろう。太田さん、ピアノ弾き語り「虹の中へ」、ピアノソロ「天の河原で」。そしてサックスソロ。更に、ご存知「ドレッソング」。そのあと、太田さんのサポートで藤森さん「上を向いて歩こう」、名取さん
I Love You、そしてダニエルと守屋さん Imagine。これで本日の飛び入りライブ終了。
その後しばし歓談。名取さんは、他の歌い手たちを聞いて大いに勉強になった様子。冬休みになったらまた来てほしいもの。ドレッシングは完売したようだ。
September 21, Friday 2007
今日も暑かった。午前中、明後日の会議資料の準備を始め、そのあと買い物に。プリンターのインクと、オーリアッドのカウンター及びステージ照明用ハロゲンランプ。両者とも小さいものなのに極めて高価。お昼に久しぶりにお寿司でもと思ったが、財布の中はほぼ空に。仕方なしにうどんにする。
午後遅く、オーリアッドへ。ヘッジトリマーで、看板を覆っているヒイラギの葉を落とす。
6時開店。しばらくして家人から電話。八ヶ岳のSAにいるとのこと。実は彼女は、今村の大正琴の会に昨年入り、昨日、辰野町の大正琴を演奏する人たち59人とNHKホールで演奏した。うーむ。NHKホールで歌うというのはぼくの長年の夢。先を越されたようだ。
最近、お客さんのいないときはDVDで名画を見ていることが多い。昨夜見始めた『自転車泥棒』を見ようとしているところへ、ドクターT。ドクターは森羅万象、あらゆることに一家言をもっている。今夜は、先ず縄文文化について教えを受ける。それから話は、いつものように道元から宇宙へ。
例によって帰宅が遅くなった。
September 20, Thursday 2007
真夏のように暑い一日。このあたりは昔からお盆が過ぎれば涼しくなると言われているが、9月中旬を過ぎてこの暑さ。
午後遅く、久しぶりに庭の芝を刈る。暑さのせいで芝も雑草も伸びが速い。
6時少し前、オーリアッドへ。8時ごろ、ギターを下げた若者が入ってくる。誰かなと思っていると、「一月ほど前に来た名取です」と言う。それでも誰かわからずにいると、「小横川の名取です」と言う。それで分かった。お盆過ぎ、某県議が飲み屋で会ったと言って連れてきた若者。思い出した、そのとき彼の感性に驚いたことを。
神奈川県の某大学2年生。高校時代は付属高校で野球をしていたとのこと。大学では野球をやらずに、もっぱら音楽に熱中しているらしい。
遅くなって歌ってもらうことに。あのときは、無造作に裸の小さなギターを背負ってきた。今夜は
Gibson。無意識から浮かび上がる言葉を書きとめたような歌詞。ストーリーがないので、(ひょっとしたらあるかもしれないが)、言葉を追っていると、「道に迷って」しまうが、ギター、声、歌詞が三位一体となった感性の歌とでもいおうか。うまく表現できない。
今度の土曜日、歌いにきてくれるとのこと。楽しみだ。
September 19, Wednesday 2007
午前中、畑の草を刈る。汗びっしょり。今年は事情があって、春先から畑がおろそかになってしまった。来年こそはいい畑をつくりたいもの。自分で食べるものは自分でつくりたい、という思いをもってこの地に戻ってきた。その思いが十分に果たされているとはいいがたい。特に今年は。今年の夏は、見るに見かねた隣近所の方々から、たくさん野菜をいただいた。ありがたいことである。
午後、CDの発送。『碌山』は残り少なくなってきた。『カムサハムニダ、イ・スヒョン』はあと残り2,
3枚と思っていたら、100枚入りの箱がひとつ見つかった。
お店は暇。後半歌の練習。「宝福寺にて」「果樹園の道」にハーモニカを入れようとしたが、下のラが出ないので難しい。ワン・オクターブ上げると、上のソの音が出しづらい。
閉店後、いつもと逆のコースで家に帰った。辰野のメインストリートに人影はなかった。
September 17, Monday 2007
11時半から14時近くまで、来賓として、区公民館で開かれた敬老会に出席。祝辞を述べる。25年前、この先祖の地に戻ってきたとき、中心となって区を支えていた方々が席についておられる。時の流れの速さを思うと同時に、その席にぼくがすわるのもそう遠い将来ではないと思うと、感慨深いものがある。
午後は、疲れて夕方まで昼寝。夜、スプリングスティーンの二校に目を通す。数ヶ所修正。
September 16, Sunday 2007
昨夜は浅間縄文ミュージアム近くの旅館に宿をとってもらった。美味しいお酒をいただいたあと、宿に入ったのが11時半。横になったら、そのまま眠っていた。目が覚めたら、6時半。
8時過ぎ、車を取りにミュージアムへ。お茶をいただきながら、堤さんと飯島さんと話す。9月29日(土)から11月25日(日)まで開かれる「山頭火
信濃の旅」のチラシをいただく。チラシには、山頭火の句がいくつか載っていた。次のような知らない、あるいは記憶してない、句もあった。
なるほど信濃の月が出ている
風かをるしなののくにの水のよろしさ
山頭火は3度信州を旅したようだ。昭和9年、木曽路と飯田。昭和11年、佐久と長野。昭和14年、伊那路。
1970年代の初め、山頭火の足跡を追って四国、九州、それに彼の故郷、山口県防府を訪ねたことがある。しかし彼の信州での足跡に関してはあまり知らなかった。飯田のあたりで病に倒れ、
しぐるるや死なないでいる
と、読んだことは知っていたし、何年も前、村上護さんのお供をして、伊那の井月(せいげつ)のお墓を訪ねたこともあるのだが。
9時過ぎミュージアムを後に。「農ん喜村(のんきむら)」という道の駅のようなところで休憩。野菜、茸、そしてそば粉を買う。家に着いたのが11時半。ソフィーとフィービーが玄関で待っていた。
明日は区の敬老会。来賓として祝辞を述べなければならない。
September 15, Saturday 2007
午後3時半、浅間縄文ミュージアム到着。早速、ミュージアムの主任学芸員、堤隆さんに館内を案内していただく。ヴィンテージ・ギターの展示場では、この展示会の主催者
Best Friends 代表、飯島伸一さんに紹介される。みなさんギターを大事にきれいに使っている
(or 保存している)ことが分かる。
コンサートは縄文時代の母と娘が土器を作っているレプリカが展示されている部屋で行われた。レプリカを壁の背後に移し、そこがステージになった。PAは飯島さんが用意してくれた。取り外し可能なアンプがスピーカーに内臓された
YAMAHA の機材。軽量だが音は悪くない。最近は機材の運搬だけで疲れてしまうので、こんな機材があれば助かる。
コンサートのタイトルが「千の風に吹かれて」なので、「風に吹かれて」との出会い、「千の風」のできた経緯などを語りながら、最近よく歌う歌を中心に歌った。事前のリクエストがあり「ミン・オン・トゥイー・バラード」を久々に歌う。反省点もあるが、全般的にはいいコンサートにな
ったと思う。反省点のひとつは「山頭火」を歌うのを、用意していたのに、飛ばしてしまったこと。
終了後、Best Friends のメンバー、堤さん、そして聞きにきてくださった加瀬清志さんと打ち上げ。楽しいお酒だった。加瀬さんはいつお会いしても好奇心いっぱいの少年のような顔をしている。日本記念日協会代表。
Best Friends のメンバーの方々は全員、ギターを弾き歌うとのこと。コンサートも時々開いているようである。是非、オーリアッドの飛び入りライブに歌いにきてもらいたいもの。御代田町からは片道2時間かかるので、そういつもというわけにはいかないだろうが。
September 14, Friday 2007
先週の飛び入りライブのあと、オーリアッドの機材を使って「僕は唱歌が下手でした」を録音した。それに他の曲もいくつか加えてCD-Rをつくり、「僕は唱歌が・・」に曲をつけるように依頼して下さった高校の大先輩に送った。今日、お礼のはがきが届いた。
「僕は唱歌が下手でした」をはじめ9曲入りのCDをお送り頂き有難うございまし
た。涙が止まりませんでした。作者も浮かばれましょう。
喜んでいただいてよかった。しかし、感謝しなければいけないのはぼくのほう。感動的な詩を教えてもらったおかげで、いい歌ができた。
今夜は前半、DVDプレーヤーで A Streetcar Named Desire (「欲望という名の電車」)を途切れ途切れに見た。前から見たいと思っていた作品。ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドーの主演。若いころのブランドーは実に魅力的。ヴィヴィアン・リーは『風と共に去りぬ』の頃の美貌はなくなっていたが、役柄は没落した南部の農園主の気位の高い娘という設定。スカーレット・オハラを知る者にはうってつけの役に思える。調べてみたら、『風と共に去りぬ』が制作されたのが1939年、『欲望という名の電車』は1951年。両者の間には12年の隔たりがある。
遅くなって少し忙しくなった。今夜からメニューに「甘酒」を加えた。生姜入りで
400円。早くも第一号のお客さん。「これは美味しいね」とのこと。生姜を入れると実に味わい深い味になる。
明日は御代田町の浅間縄文美術館でコンサート。オーリアッドは臨時休業。
September 13, Thursday 2007
午前中、ライナーの校正の続き。一箇所、何度試みても、頭にあるものを文章化できない。しかし、これ以上引き延ばせない。11時前に送る。午後、スイミングへ行く途中郵便局に寄り、クイズ当選者へライブ音源のCD-Rを発送する。お待たせしました。
夜、ジブラーンの会。半年以上都合で休んでいたメンバーの方がお見えになった。元気そうでよかった。
遅くなって明後日のコンサートの練習。「三浦久トーク&ライブ at 浅間縄文ミュージアム」。最近あまり歌っていない「山頭火」「こおろぎが歌うように」。それに最近よく歌う「果樹園の道」。
生姜紅茶を初めて注文した二人のお客さん、「美味しかったです。身体が温まりました」。実感のこもった言葉。こういうのは嬉しい。甘酒をメニューに入れるか思案中。甘酒は「肝臓を強化し、髪をふさふさにし、皮膚を美しくする飲む若返り薬」とのこと。
こんなに素晴らしい伝統的な飲み物をメニューに入れないのは「犯罪」に等しいだろう。
September 12, Wednesday 2007
今日は
のんびり過ごす予定だった。ところが、朝早く、メール便が届く。対訳とエッセイの初校原稿。月曜朝メールで送ったものが印刷されて水曜の朝届く。仕事が早い。というよりも、ぼくが締め切りを延ばしてもらったのがいけないのだが。すぐ取りかかる。
昼過ぎ、1時から行われる友人のお父さんの葬儀へ。お焼香をさせていただいただけで家に戻り、仕事を続ける。
対訳の校正は3時までに済ませ送る。「対訳者から見た『マジック』」というライナーの校正は途中で切り上げ、オーリアッドへ。一箇所大幅に書き換えなければならないところがある。ネット上の文章は間違いに気づいたときに修正できるが、紙に印刷されたものはそういう訳にはいかない。できるだけ間違いの少ないものにしようと思うと時間がかかる。
首相の辞意表明には驚いた。特措法がらみとなると彼も 9.11 の犠牲者か。
September 11, Tuesday 2007
午前中、定期検診のため病院へ。ドクターTから、疲れには甘酒がいいと教えてもらう。ビタミンB群が豊富に入っているとのこと。江戸時代、甘酒は夏ばて防止のための夏の飲み物だったらしい。自分で麹から作るのが一番いいが、スーパーでも本格的な甘酒を買えるとのこと。
午後久々にスイミングへ。帰りスーパーに寄り、甘酒を買う。Googleで調べたら、甘酒は肝臓を強くし、髪をふさふさにし、色白にするとのこと。うそー、ぼくの知っている麹屋さんには髪がない、と思ったが、試してみる価値はありそう。
夜になって、ようやく、過去いくつかのライブの音源から選曲した CD-R を焼いた。「風」の入った歌詞のタイトルを当てるクイズ正解者に送るため。この作業が遅れていた一番の理由は忙しかったからだが、もうひとつは大倉山でのコンサートの音源を使いたいと思っていたからである。残念なことに、大倉山のコンサートは機材の不調で録音できなかった。
今日は9月11日。6年前のあの衝撃を今でもよく覚えている。あのときから世界はイノセンスを失ってしまったかのよう。
エデンの門の中に住んでいたときは
神はわれらの味方だったが
転がる石のように追われてからは
人はもう人を信じない
家という家のドアの上には
立ち入り禁止の札がかかり
ただ将棋盤の上の駒のように
マギーの農場で働くばかり
September 10, Monday 2007
長い一日。懸案のエッセイを書き上げたのは今朝10時。早速送ったあと、役場に提出する防災訓練の報告書を作成。1時少し前、役場に到着し、1時半から町議会の傍聴。5分経つか経たないうちに睡魔に襲われた。30分ほど我慢したが、いたたまれずに中座。40分ほど自主休憩。最後また傍聴席に戻る。うーむ。ぼくに向いていない仕事はたくさんあるが、質問する側であれ、答弁する側であれ、あの議場にすわる仕事はぼくには絶対無理。
3時から5時まで区長会。こっちのほうが面白い。5時から6時過ぎまで、役場食堂にて慰労会。久々にすき焼きを食べた。美味しかった。そのあと二次会へ、ということになり、エッセイも終ったので、気分も軽く参加した。伊那富橋から下辰野側へ3軒か4軒行ったところにあるカラオケスナック。初めて行ったがとても広い。カラオケの装置も内装もお金がかかっていそう。ぼくは歌わずにもっぱら話し、飲んだ。区長会のメンバーはけっこう面白い。
September 9, Sunday 2007
終日、エッセイを書く。否、書こうと四苦八苦。産みの苦しみか。苦しんだからいいものが書けるとも限らないが。
夜10時半、なんとか書き上げる目処がたち、休憩に階下に降りていくと、現代版『生きる』の最後の場面。通夜の席で市役所の助役やその取り巻きが、公園建設の功績を我がものにしようとしているところだった。もう主人公は亡くなっていたが、回想場面で、ブランコを漕ぎながら「ゴンドラの唄」を歌うところが出てきた。
最後に、大工哲弘さんが歌う「ゴンドラの唄」がオーヴァーラップした。大工さんの声はどこで聞いてもわかる。神谷さんのつくったCDに収められているヴァージョンだと思う。ただ、最後のクレジットに大工さんの名前はなかった。どうして?
明日は区長会。議会傍聴もある。長い一日になりそうだ。
September 8, Saturday 2007
朝、ダニエルから用事ができていけなくなったというメールが入り、今夜は赤羽真理さんと藤森和弘さんとぼくの三人だけ、それもまたよし、と思っていたら、小穴正幸さんが現れた。後半、「夢見るシャンソン人形」のようなフランスの女子高生セシール登場。素敵な夜に。
久しぶりに今夜は第3ラウンドまで。第1ラウンド、各4曲から5曲、第2ラウンド、各3曲。第3ラウンド、各1曲。赤羽さんは第2ラウンドから。セシールは第3ラウンドのみ。
ぼくは「サンタバーバラの夏」「果樹園の道」「宝福寺にて」など、大倉山で歌った歌を中心に歌い、藤森さんは「人生に勇気」「今日は土曜日」「愛音」など。小穴さんは、初めて聞く歌が多かったが、一番印象に残ったのは毎回歌っている「レクイエム」。彼の歌い方は最近変化し、説得力が増している。赤羽さんは意表をついて「花語らず」から。そして「人生の海の嵐に」「旅人の木」。そこへ隣町のYさん夫妻がやってきた。一緒に来たのは彼らの家に滞在しているフランスからの交換留学生セシール。ここでしばらく休憩。
第3ラウンド、藤森さん「おまえの歌が聞こえる」、小穴さん「アメイジング・グレイス」、赤羽さん「千両梨の実」。そしてぼくが「僕は唱歌が下手でした」。最後にセシールにお願いして、1曲歌ってもらう。フランスの子供の歌「アルエット」。小さなひばりの毛を全部むっしてしまおうという歌。ナーサリーライムに通じるナンセンスソングの一種か。
その後、しばし歓談。フランス語は2年間勉強したのに、完全に忘れている。40年以上も前のこと。11時閉店。
September 7, Friday 2007
昨夜オーリアッドは臨時休業。一昨日に続き2日連続。台風がきていたし、あまりにも疲れていたので。今朝は早くからいくつかの電話。電話が鳴るたび、台風による被害連絡かと身構える。寝る前、いつでも飛び出せるように、雨合羽と懐中電灯を用意しておいた。が、何もなかった。よかった。
久々のオーリアッド。今晩は前半比較的大勢のお客さん。後半は暇。締め切りを延ばしてもらったエッセイの続きを書く。頭にはいろいろアイディアはあるのだが、まとまった時間がとれずに集中できない。明日の予定は、早朝の公民館の庭の草取りと、夜の飛び入りライブ以外はなにもない。明日は書き上げたい。11時閉店。
September 6, Thursday 2007
昨夜の、
大倉山水曜コンサート「千の風に吹かれて」は、多くの方々のご協力をえて、とてもいいコンサートになった。今のところ「果樹園の道」「風に吹かれて」「碌山」「千の風」「僕は唱歌が下手でした」「オーリアッド・メドレー」がよかったという声が耳に入っている。
いつもよりサウンドがよかったという声もあった。それは音響担当の石崎さんのおかげだが、石崎さんによれば、機材はオーリアッドのものと変わらないが、天井の高い教会のような建物のせいだろうとのこと。
Photos in the upper row by i. matsuo and those in the lower by a. sakaino.
多くの方々のお世話になった。野間さん、太田さん、石崎さん。水曜コンサート事務局の方々、CD販売を一手に引き受けて下さった名取さん。写真を送って下さった境野さん。そして、聞きにきて下さったすべての方々。ありがとうございました。
いくつかの新しい出会いがあった。旧交を温める機会も。
September 4, Tuesday 2007
蒸し暑い一日。窓を開けていても家の中は暑い。猫たちも暑いので、木の
床に身体をぴったりとくっつけて寝ている。昼前、彼らを外に連れ出し、ベンチにすわらせ、その前で歌の練習。神妙な顔をして聞いている。風が吹くと気持ちがいい。
午後、堀六平さんが、飯田の帰りだといって寄ってくれた。コーヒーを飲みながら庭で話す。彼は今唱歌をいろんなところで歌っているとか。この3年で200ヶ所ほど回ったというから凄い。近い将来オーリアッドの飛び入りライブに来たいとのこと。
夕方またソフィーとフィービーを連れ出し、明日歌う歌を中心に歌う。拍子やコードを確かめる。3拍子の歌を4拍子で歌ったり、その逆だったりしないように。
夜は、地域の会合へ。9時半帰宅。そのあと、少し明日の準備。歌詞カードを揃える。
September 3, Monday 2007
ずっと先のことだと思っていた横浜の大倉山水曜コンサートは、いよいよ明後日ということになった。ホテルを予約し、電車の切符を手配し、準備万端整った。と言いたいところだが、実は、昨日は最近になく体調がわるかった。
どうなることかと心配したが、一晩ゆっくり眠り、朝病院へ行き、診てもらったら、たいしたことはないと言われた。点滴も打つ必要がないとのこと。点滴を打ってもらったら気分よくなるかなと思ったが、針がささって痛いだけで何の効果もないから止めておけという。若い女医。処方してもらった薬だけで、午後はかなり楽になった。夜になったら更に気分がいい。これなら大丈夫。
今夜9時、コンサート主催者代表Oさんからお電話をいただいた。最後の打ち合わせ。水曜コンサートはクラシックを中心としたコンサートが多く、前もって作曲者名入りプログラムをつくったりすることに戸惑ったが、ここまできたら、じたばたしても仕方ない。全力尽くすのみ。
当日午後5時ごろまで電話予約可で、残席があれば、開演10分前より予約なしでも入れるとのこと。もしこれを読んでいる方の中に、お近くにお住まの人がいましたら、どうぞおでかけ下さい。詳しくは
ほぼ一日、エッセイの推敲と翻訳の修正。分かったような分からないようなところが、これだ!と意味がつかめたときは、うれしいものだ。それが特に難しく、何日も考えていたものであればなお更。
September 2, Sunday 2007
午前6時起床。6時半、ヘルメットをかぶり、消防団の法被を着て、区公民館の前庭へ。ぼくが到着する前に、会計のTさんがすでに来ていた。そのうちに役員や奉仕団の人たちが集まってきた。
7時ちょうど、サイレンがなり、避難勧告が防災無線のスピーカーから流れる。防災訓練の開始。サイレンを聞いた人たちがぞくぞくと「避難」してくる。1組から8組までの隣組が列になり、組長が参加世帯数と総参加人数を会計のTさんに報告し、Tさんがその数を合計し、ぼくがそれを町の災害対策本部へ報告。
その後、区長代理のAさんの司会で、奉仕団による応急手当訓練、消防団による消火器取扱い訓練、区の役員による小型ポンプによる消火訓練、再度消防団による消火栓訓練が行われた。小型ポンプの扱いは昨日練習しておいたので、きわめてスムーズに行われた。消防団員Nさんの講評のあと、ぼくが一言挨拶。形式的な挨拶は苦手だが、立場上やむをえない。
そのあと、分かれて、各組にある消火栓の訓練に移ったが、ぼくは町の防災訓練のメイン会場である小野駅前へ。唐木沢区の区長Kさんが、駐車場が少ないから一緒に行こうと迎えにきてくれる。
メイン会場では、模擬の臨時町議会が開かれたり、保存食の展示があったり、さまざまな救助訓練が行われた。10時前、ようやく閉会のセレモニー。
8月末の「ふるさと探訪」、それに今日の防災訓練と続き、疲れた。体調はすこぶる悪い。今夜は早めに寝ることにする。明日起きたら元気になっていることを願う。
そうそう、10月21日(日)、静岡市葵区長沼の真勝寺で歌わせていただくことになった。
September 1, Saturday 2007
いよいよ9月。公私ともにスケジュールがいっぱい。少々疲れ気味。体調も最近になく低調。なんとか乗り切らねば。
最初に入ってきたのは、澤田真弓さんと甕綾子さんの一行。続いて藤森和弘さん。先ず、食事を先にすませた藤森さんにお願いする。オーリアッドのイチロー。トップバッター、高打率、高出塁率。「子守唄のように」「住みなれたこの町で」など。続いて澤田さん。最初に「アイルランドの丘」と「柳の木」をメドレーで。巧みな演奏。美しいメロディ。甕さん、「エリナー・プランケット」と「シーベック・シーモア」。郷愁を誘うメロディ。
次にぼくが「僕は唱歌が下手でした」「果樹園の道」、そして久々に「新しい光迎えよう」。3曲目の最中に何度か咳が出て中断。大倉山水曜コンサートまであと数日。何とかしなければ。仕事の関係で遅くなると言っていたダニエルが早めにやってきた。9月いっぱいは早くこれるとか。新曲
Tree House, Stars in Your Eyes など。2ヶ月前に生まれた長男も大きくなったようだ。大月高志さん。40になる前の四十肩で右腕が上がらないとのことで、The Rose 一曲のみ。四十肩とは思えない演奏。ここで前半終了。
後半トップは赤羽真理さん。「旅人の木」「千両梨の実」。2曲目の前、赤羽さん、「肩の痛いところすみませんが」と大月さんにサポートをお願いする。次に藤森さん、「四十肩のときはあまり大事にしていてもいけない。使ったほうがいい」と言って、大月さんのサポートで「愛音」「今日は土曜日」など。澤田さん、「ブラインド・メアリー」、それにオリジナル歌曲「鈴の音」など。甕さん、スコットランド民謡「アニー・ローリー」など。これまた懐かしいメロディ。ダニエル、
He's a Friend of Mine など。最後に、ダニエルと大月さんの Get Back の競演。ダニエルのギター、大月さんのピアノを堪能した。
明日早朝の防災訓練のため、今夜は早目に、といっても11時少し前に閉店。みなさん食器を運ぶなど協力して下さった。感謝。