OREAD Diary
May 1〜May 31, 2007
May 31, Thursday 2007
朝から松本。曇天。昼から降り出した。一時、かなり激しい雨。
夕方、家に戻り、少し休憩。それから、役場での会議へ。交通安全推進協議会。これは町の組織で、交通安全協会とは別。区長は自動的に理事になっている。1時間弱で終了。シナリオどおり。質問、意見なし。
全国的にも、県内も町内も、交通事故は大幅に減ってきているとのこと。飲酒運転の罰則が強化された上、福岡の事故後、ドライバーの飲酒運転に対する意識が高まったためだろう。さらに死亡事故を減らすためには、後部座席のシートベルト着用も義務化されるべきだろう。フロントシートはシートベルトとエアバッグで保護されている。バックシートはシートベルトをしなければ無防備だ。
今日松本で、6月23日には「○○安協ブルーズ」を歌ってほしいとリクエストされたが、それはちょっと難しい。
会議のあとオーリアッドへ。7月3日の下諏訪での「ジョン・ウエズリー・ハーディング with 中川五郎」のコンサートを主催するMさんが帰ったところだった。メールとファックスでお誘いを受けていたが、その日は区長会の旅行の最中。残念ながら行くことができない。
Mさんによれば、ジョン・ウエズリー・ハーディングは、スプリングスティーンにオープニングを依頼された唯一のアーティストとか。
「ジョン・ウエズリー・ハーディング with 中川五郎」
日時:7月3日(火)19:00開場、19:30開演
メール予約:3000円、当日3500円 (要ワンドリンク・オーダー)
会場:下諏訪町西四王 Retro Bar 雷電
予約問合せ:ボンゴビート bongokun@hotmail.com
そういえば、千葉の齋藤さんからも、以前メールでこのコンサートの案内をいただいていた。
May 30, Wednesday 2007
6時から「ほたる祭り実行委員会」、7時半から「総おどり大会参加連代表者会議」。去年までは傍観者でいられたが、今年はそういうわけにもいかない。これだけのイベントを実行するには大変な費用と労力が必要だと知る。
Is it really worth it? という思いがないわけではない。母や姉たちと浴衣を着て、松尾峡へほたるを見に行った子供のころを思い出す。純粋に蛍を楽しむ、静かなお祭りだった。
会議からオーリアッドへ戻ると Eric Clapton。
遅くなって歌の練習。「私は私なりのやり方で自由になろうとした」。
May 29, Tuesday 2007
30年前、京産大のぼくのクラスにいたという人から今日手紙が届いた。先日CDを注文してくれた人である。
そのときのテキストはジミー・カーターの Why Not the Best? でした。これを
選んだのは1ページ目にボブ・ディランとディラン・トーマスが好きと書いていた
からと言われたことを思い出しました。
ジミー・カーターが大統領になったあとのことで、彼の自伝を教科書に使ったことは覚えている。しかし、そんな話をしたことも、1ページ目に何が書かれていたかも、まったく覚えていない。覚えていることは、当事カーターの博愛主義に期待していたということ。しかし、彼は2期目の選挙でレーガンに破れてしまった。あのままカーターが2期務めていたら、その後の世界史は変わっていただろう。
また、この元産大生は、ぼくの影響でボブ・ディランや山頭火に興味をもち、「仕事で松山や防府、小豆島などへ行ったときは、山頭火や放哉の足跡を訪ねたり、四国へ行ったときなども八十八ヶ所の寺を廻るようにしています」と書いてきた。いいかげんな教師ではあったが、30年後にこんな手紙が届けられるというのは、ありがたいことである。
May 28, Monday 2007
朝起きて外を見ると、快晴の美しい日。木々の影は濃く、夏の色。今年初めての半袖シャツを着て、外に出る。気持ちのいい風が吹いている。
昼過ぎ、芝を刈り、そのあと久々にスイミングへ。更衣室で見知らぬお年寄りから話しかけられた。彼は、背骨の狭窄症で手術をしたと言い、その跡を見せてくれた。リハビリのために、2週間前からプールで歩き始めたとのこと。ぼくは自分では彼よりずっと若いと思ったが、彼は多分同じような年寄りがいると思って話しかけたのに違いない。
夜、前から見たいと思っていた「阿弥陀堂だより」を見た。正確にいうと半分見た。後半は完全に眠っていた。前半だけの印象だが、「三丁目の夕日」に共通する類型的なものを感じた。
大臣が自殺したというニュースを聞いて驚いた。もっと別の生き方があっただろうに。
May 27, Sunday 2007
忙しい一日。午前中は山へ。山といっても山の麓。わが家から歩いてすぐのところ。今村の入り口、徳本水から旧道沿いに、そして裏山の奥まで、33の菩薩の石仏がある。そのそれぞれに標識を立てることになった。ヒノキの間伐材を利用して、長さ1メートル、直径15センチほどの丸太を用意し、皮を鎌ではぎ、さらにそれを大工のKさんの家に運び、まん中で半分に切る作業。いかに体力がないかを実感。
午後は4時からお寺で会議。終了後、諏訪の英語クラスへ。
May 26, Saturday 2007
朝から快晴。気持ちのいい一日。
「王城山に黄色い月がのぼり」などをぼくが歌ったあと、藤森和弘さん。「人生に勇気」「ほたるの町のラブソング」など。続いて、大月高志さん、今夜はピアノソロはなく、ピアノ弾き語りで「誕生」。次に久々登場、芦部清志さん。「風の子供たち」「川ガキたちの夏」など。テーマは子供たち。説得力ある歌唱力。赤羽真理さん、「花はどこへ行った」「旅人の木」など。ぼくが前半の最後に一曲、「バード・オン・ザ・ワイヤー」。ようやく日本語で歌う決心がついた。
後半トップ、藤森さん。大月さんのギターのサポートで「愛音」。大月さんの軽快なギターの音が心地よい。さらにピアノのサポートで「今日は土曜日」など。三段目中央の写真は、大月さんのたくさんの鋲が打たれたジーンズ。実は、これは、右足の鋲のひとつが左のすね部分の穴にからんでとれなくなってしまった写真。芦部さん、「街道の傍らで」「輪舞のように」など。「街道の傍らで」は彼の歌の中でも好きな歌のひとつ。赤羽さん、名曲「千両梨の実」。
ここで本日の飛び入りライブ終了、となるはずだった。しかし、赤羽さんが歌いはじめる前に、土屋文夫さんがギターをもって入ってきた。
Dr. T という名で何回かこの日記に登場したお医者さん。母の主治医だった人。そこで、ぼくが、母の死によって完成した「千の風」を、大月さんのサポートで歌い、そのあと、土屋さんにお願いする。彼は一人の人間が荼毘にふされたとき発散される炭素は、地球を取り巻く大気に偏在していると語ったあと、ラグタイム風ギターインストラメンタル。
その後しばし歓談。明日は8時半から山作業。
May 25, Friday 2007
朝から雨。気温も低い。外の仕事ができないので、買い物に行くことに。eneloop
という充電できる電池と充電器を下諏訪のエイデンで、更に諏訪まで足を伸ばし、ぼくの制服であるジーンズをライトオンで。ジーンズは今までサイズ36だったのが、34になった。2インチ、5センチ以上細くなったことになる。細くなったというと聞こえがいいが、まだ太い。32になれば、タンスの中の昔のジーンズがはけるようになる。
役場での「ほたる祭り」の総おどりに関する会議に出たあと、8時過ぎ、オーリアッドに。ディランの
Rolling Thunder Revue のdisc one がかかっていた。久しぶりだ。Mr. Tambourine
Man も Blowin' in the Wind もゆったりと穏やかに歌われていて、新鮮だった。
遅くなって歌の練習。11時過ぎ、外に出ると一日中降り続けた雨が上っていた。雨上がりの爽やかな匂い。
May 24, Thursday 2007
朝早く、恒例になったSさんからのメール。「おめでとうございます」の一言。ボブ・ディランの誕生日。今日は松本へ行く日。学生たちにディランの歌との出会いについて語ったあと、「風に吹かれて」を歌う。
6時過ぎ、オーリアッドへ。今晩、誰を聞くかは決まっていたが、何を聞くか迷った。結局、選んだのは、Bob Dylan, Freewheelin' Bob Dylan そして The Times They Are A-Changin'。彼の最初の3枚である。一枚目 Bob Dylan は Song to Woody を除いて、長い間、それほど好きになれなかった。今、その真に迫る歌い方に圧倒される。歌と歌い手の間に隙間がない。完全にひとつになっている。楽器は自分のギターとハーモニカだけ。虚飾は何もない。ひとつの理想がそこにある。ユートピアと言うべきか。
短い春を飛び越して突然夏がやってきた。最近始めたアイスクリームがよく出る。ウイスキーとも合うようである。
May 23, Wednesday 2007
大変だとは聞いていたが、区長というのは確かに忙しい。今日は3時から老人福祉センターで社会福祉協議会評議員会議。いつのまにか、社協の評議員になっていた。前段、昨年度の決算と今年度の予算の説明を受ける。ただただ長い数字の羅列に圧倒される。チンプンカンプン。最後に区民から徴収する会費の説明を受ける。これは分かりやすい。
6時開店。厨房に入っていて気がつかなかった。Hさんがカウンターの前に立っていた。あわてて挨拶すると、「ほたる祭りライブのチケットを買いにきました」とのこと。Hさんは辰野にも会社のある某企業の代表で、辰野にはあまり来ないとのことだが、昨年もライブに来て下さった。
カウンターにすわると、「三浦さんの歌とはジャンルが違うかもしれませんが、聞いてください」と一枚のCDを取り出した。同じものを2枚買ってしまったとのこと。感謝していただくことに。ジャケットには、Josh
Groban という初めて聞く名前とハンサムな若者の顔写真。以前、Hさんがアメリカの会社に勤めていた頃、この人の歌がよくテレビで流れていたとか。早速聞かせてもらう。クラシック風の歌い方。曲もイタリア語の歌があったりして、アメリカ的というよりはヨーロッパの雰囲気。きれいなメロディラインが随処に。
明日はボブ・ディランの66回目の誕生日。Don't Look Back の Deluxe Edition
を見ようかな。
May 22, Tuesday 2007
朝食後、花や野菜に水をやろうと外に出た。ホースをもって畑に近づいてびっくり仰天。昨日植えたトマトの苗がすべて倒れ、黒いマルチが剥されている。畝の中央がえぐられている。イノシシにやられたようだ。肥料として生ゴミでつくった堆肥を入れたのがいけなかった。幸い、苗は倒れていたが、折れていなかった。再度植えなおす。
ぼくの住む村ではサルの被害は以前からあった。今年はイノシシの被害が多いと聞く。植えたジャガイモの種芋を全部食べられたという家もある。先日はオーリアッド終了後、午後11時過ぎ、徳本水のカーブで旧道に入り、しばらく進むと、ヘッドライトの中に大きな動物が浮かび上がった。一瞬カモシカかと思ったが、イノシシだった。土手を登って逃げていく。あわてて車から降りてカメラのシャッターを押したが、写っていたのは土手ばかり。
午後、疲れて何もできない。週末の疲れが出たのだろう。3時間ほど昼寝。目覚めたのは夕方。外に出て、ベンチにすわり裏山を眺める。気分がよくなっている。眠っている間に、夢を見た。眠ることで身体が休まり、夢を見ることで、沈んでいた心が少し癒されたのか。夢の内容は覚えていない。
May 21, Monday 2007
Live in Dublin のボーナストラック3曲の対訳を昼前に送る。その中の1曲は When the Saints Go Marching In である。このタイトルの最後に In がついている。歌詞でもこのフレーズが繰り返される。In をどう訳したらいいか苦慮する。
この In は「中へ」という副詞である。「聖者が町にやってくる」という定着した邦題は、marching
in の marching の g が脱落して、マーチン・ニ(ン) と聞こえるところから、「町に」聖者たちが行進しながらやってくるという訳になったものと思われる。語呂合わせとしては面白いが、町にやってくるとはどこにも書かれていない。
さらに、go は離れていくという意味である。go marching in は、行進して入ってくるのではなく、行進して入っていくのである。どこへ入っていくのか。直接触れられていないが、他のヴァースから、彼らが入っていくのは天国の門だということがわかる。聖者たちが行進して、天国の門の中に入っていくとき、私もその仲間に入りたい、と歌っているのである。
そんなことは知っていたという人もいるだろうが、ぼくにとっては新しい発見だった。小さな頃からよく聞いていたこの歌が新しい意味を持ち始めた。そのような「発見」も翻訳の醍醐味のひとつ。
午後、トマトの苗を植える。いくつかの花の苗も。
夜、仏教について考えた。 それは少なくとも死者のためではなく、生きている者のためにあるはず。
May 20, Sunday 2007
長い一日だった。
5時半起床。530デイというのは5時半起床の意か。しかし早起きは3文の得。普段は見ることのできない、早朝の景色の美しさを堪能した。
左の写真は、昨年7月豪雨災害で陥没した徳本水のカーブ。応急処置で道路の補修は2週間もたたずに済んだが、現場はずっと工事が継続しているように見える。近い将来ふたつの橋がかかって直線になるとのことで、その準備も行われているのかもしれない。人間の都合に合わせて、曲がったものを真っ直ぐにし、凹んだところを埋め、見慣れた景色を変えてしまう。本当に必要なことは他にあるように思うのだが。中と右は早朝のわが家の庭。まだ上りきらない朝日が長い影をつくっている。別の場所のよう。
夜7時から「英語で楽しむストーリーテリングとインディアンフルートの夕べ」。4時にオーリアッドに入り、昨日の後片付けと、今日の準備。5時に主催者の寺澤則子さんと、出演者のジェフ・ミード氏、それに清水容子さんが入ってくる。少し遅れて、インディアンフルートの「のなかかつみ」さん。前半はミード氏の3つのストーリーテリング。その2つめのMUJINAの前に、同じ物語を清水容子さんが日本語で語る。原作は小泉八雲。松本、諏訪、伊那、そして地元の辰野からも、多くの方々が聞きにやってきた。みなとても熱心に聞いている。
後半の最初は、「のなかかつみ」さんのインディアンフルートとドラムの演奏。素晴らしかった。フルート一本で森羅万象の音を出す。最後にミード氏のネイティヴ・アメリカンに伝わる「ジャンピング・マウス」の話。のなかさんがフルートとドラムで合わせる。
いつものコンサートとは違った楽しさ、面白さがあった。また語るときのミード氏の姿勢、ジェスチャー、アイコンタクト、声の調子などから、学ぶところが多かった。
May 19, Saturday 2007
飛び入りライブ。開店後しばらくして何人かのお客さん。まだ歌い手が誰もいない。そこで、ぼくが「オーリアッド・バンドの歌」「あの果てしない大空へ」など。次に、久々登場の赤羽孝昌さん、「みんなちがってみんないい」。藤森和弘さん、「今日は土曜日」「子守唄のように」など。赤羽真理さん、「あなたを待つ人がいる」「旅人の木」など。ここで前半終了。
後半のスタートはぼくの「フィールド・オブ・ドリームズ」。続いて藤森さん、「愛音」「住みなれたこの町で」など。「住みなれたこの町で」には大月高志さんのピアノのサポート。この歌を藤森さんが書いたのは昨年1月だったとのこと。以後、本当に短い間に彼はいい歌をたくさん書いた。続いて大月さん、「カノン」。曲の後半にさしかかる頃の右手の早業、いつ聞いても鳥肌がたつ。赤羽さん、「人生の嵐」をソロで、「千両梨の実」を大月さんのサポートで。
最後に大月さんのギター・インストラメンタル、ドボルザークの「家路〜新世界より」。懐かしいメロディ。考えてみたら、ぼくが中学2年のとき初めてギターを手にして、ボロンボロンと弾いたメロディが「家路」だった。ぼくがどうして最初のギターを手に入れたかについては次のボタンから。
その後しばし歓談。明日は530(ゴミゼロ)デイ。5時半には起きなければならない。いつもより早目に閉店。
May 18, Friday 2007
午前10時半、役場へ。川島線バス運営委員会。極めて形式的な会議。次の会議は来年とのこと。そのときまでに、ぼくはお役御免。昼過ぎ、耕運機をかけ、トマト用の畝を作る。トマト用のカヴァーを移動するのは後日ということに。これが重労働。
6時、オーリアッドに入る前に、ほたる祭りライブ用のチラシを作る。オーリアッドに入るとすぐに電話。大阪の人。『千の風』の注文。話しているうちに、彼は昔、産大のぼくのクラスにいたということが判明。ぼくが35歳ぐらいのころというから、今から26年、あるいは27年前のこと。
先日の同窓会で会ったM先輩からも電話。開口一番、「三浦君はいまだに青春してるんだね」。うーむ。誉め言葉として聞いておこう。話しているうちに彼は昔茨城にあった会社から京大の工学部へ留学していたとのこと。70年から72年の2年間。ひょっとして何度かすれ違っていたかもしれない。再会を約束。
今日も Townes Van Zandt。なんという説得力のあるメロディライン! 遅くなって、スプリングスティーンの Live in Dublin の未訳曲を訳しているところへ T先生。岡倉覚三の Book of Tea を和訳したらとの先生のサジェスチョン。この本は彼の愛読書であり、ぼくの愛読書。面白いかもしれない。
May 17, Thursday 2007
変な天気。雨が降ったりやんだり。気温が下がったり上ったり。松本の帰り、153号線の温度計の表示は13度だった。
夕方松本から帰り、少し休んでオーリアッドへ。開店後しばらくしてTさんがやってくる。今度の日曜日にオーリアッドを会場として開かれる「英語で楽しむストーリーテリング」の主催者。当日の打ち合わせ。感動的な語りで、英語がわからなくても充分に楽しめるらしい。インディアンフルートの演奏もある。参加希望者はオーリアッドのメールアドレス宛てに申し込んで下さい。
「英語で楽しむストーリーテリング」
日時:5月20日(日)午後7時〜8時半(6時半開場)
会場:オーリアッド
参加費:2000円。
出演者:Dr. Geoff Mead、のなかかつみ、清水容子
*公演終了後、ミード氏を囲んでの懇親会があります。
今夜は、Anthology of Townes Van Zandt vol. two を聞く。Tecumseh
Valley が入っていた。
May 16, Wednesday 2007
6時開店後しばらくして、第三分団長のIさんが入ってくる。「先ほど、火の見やぐらの屋根をなおしておきました。5年や10年は大丈夫でしょう」とのこと。一昨日連絡して、屋根を何とかしなければ、と話しておいたのである。
お聞きすると、剥がれた銅版を自分で張り合わせ、リベットを打って固定し、さらに穴の開いたところはコーキングで埋めたという。電気工事などの仕事で高いところに上るのは慣れていると聞いてはいたが、驚いた。感謝。これで台風の季節になっても安心である。
2階の教室にあった少年少女用の『ああ無情』を読み始めたら面白くて最後まで読んでしまった。ジャン・バルジャンの話は子どものときに読んだ記憶があるが、細かいところはすっかり忘れていた。ジャン・バルジャンを追いかけるジャベール警部と、『逃亡者』の中で、ドクター・キンブルを追いかけるジェラード警部が二重写しに。
短縮版ではなく、完訳本を読んでみたいとも思ったが、もう長いものは読めないだろう。昔のロシアやヨーロッパの小説には長いものが多かった。
昨年秋、オースティンへ行ったときに友人からもらった Anthology of Townes Van Zandt
vol. one を聞く。懐かしい歌声。
May 15, Tuesday 2007
昨日は異常に疲れていた。風邪を引いていたのかもしれない。今日はまだ洟が少し出るが、気分は上向き。
昨日に引き続き今日も音楽とは関係ない一日。昼過ぎ、ビーバー用の燃料を買いに行く。畑と家の周辺の草を刈るため。家の裏が一番ひどい。草ぼうぼう。ビーバーのタンクを満タンにし、それがなくなるまで草刈り。かなりきれいになった。そのあと、キュウリ、ナス、スイカ、ピーマン、ズキニの苗を植える。今年は数を少なくして、それぞれ2,3本なので簡単。
夕飯後、ネットに接続しようとしたが、できない。先日直してもらって、ようやく直ったのに、また悪くなったのかとうんざり。NTTのOさんに電話するとNTT東日本の元で故障しているとのこと。すぐに直るかと思っていたら、なかなか接続できない。11時半過ぎ、お風呂から出て起動してみたら接続できた。よかった。
こういう事態が起きると、立派なインターネット依存症だということがわかる。
May 14, Monday 2007
昨夜は2回目の区の委員会があり、今日はほぼ一日、役場へ提出する町道補修の要望書を作ったり、役場へ何度かでかけたりして過ごした。慣れないことで何度も書類を書き直した。火の見やぐらの屋根の修理の要望もあり、破損部分の写真を撮り、こちらは消防署へ相談に。
左の写真は、区の委員会のメンバーのKさんに頼んで撮ってもらったもの。高所恐怖症のぼくには絶対無理。Kさんは火の見やぐらの梯子をかけ上り、身を乗り出して屋根の上の破損部分の写真を撮ってくれた。昨夜の会で、銅版がはずれていて、風が吹くとガタガタ鳴って眠れないと、近くに住む人たちから苦情があったと報告を受けた。この写真から想像すると、風が強いときには、大きなカスタネットかシンバルが鳴っているように聞こえるに違いない。台風の季節になる前に修理する必要がある。
右の写真はぼくが下から撮ったもの、この写真ではおびただしく説得力に欠ける。
「三浦久ホームページ」の掲示板に猫と花の写真のURLを載せたところ、猫の写真の評判がいいようである。今朝、火の見やぐらの写真を撮りにいく前にソフィーとフィービーの写真を撮った。次のURLからどうぞ。http://www.secondwind.jp/cats4.htm
May 12, Saturday 2007
午後3時から高校の同窓会。6時過ぎオーリアッドに入る。しばらくして山岸豊さんが「ジョンが来れなくなった」と言いながら入ってくる。サックスのマウスピースをどこかに置き忘れてしまったらしい。先ずぼくが歌ったあと、山岸さんにお願いする。「音楽は贈物(Music
Is a Gift)」など。この歌は昨年泰阜村でおこなわれた Out of Folk に出演したときにジョン・サンダーズとの会話の中でできた歌。Out
of Folk 主宰者の中島裕志さんもしっかり聞いている。次に藤森和弘さん、「人生に勇気」「子守唄のように」など。
中島さん、今日は奥さんとのユニット。「ふたつの舟」「シーベック・シーモア」など。息の合った演奏。いつもこの時間までには登場する赤羽真理さんが、まだ現れない。そこで、ぼくが「花語らず」「次郎」を歌う。ここで前半終了。
後半のスタートは、中島ユニットのサポートで山岸さんの「夕暮れ」。山岸さん、続いてソロで「時間」など。藤森さん、「今日は土曜日」「住みなれたこの町で」など。続いて中島さんと奥さんで、「田舎の古い家の跡には/夏草ばかり」と歌う懐かしいふるさとの家を歌った歌。奥さんとのハーモニーがきれい。それにアイリッシュのインストラメンタルなど。オートーハープの音色が美しい。いつまでも聞いていたい気分になる。赤羽さんはとうとう現れず、最後にぼくが「千の風」を歌って本日の飛び入りライブ終了、と思っているところへ、赤羽さん。名曲「千両梨の実」。
その後しばし歓談。山岸さんは、7月1日(日)に友人のサックス奏者のジョンとフルート奏者のステファニーために「さよならコンサート」を安曇野市のホールで開く。出演者募集中。ジョンとステファニーは、今年の夏シカゴに戻るとのこと。中島さんは今年の
Out of Folk を6月23日(土)、24日(日)に計画している。Out of Folk の詳細は、次のURLから。http://www.clio.ne.jp/home/hrs/index.html
同窓会で、微笑みながら近づいてくる人がいた。見覚えのない人である。その人は胸の名札を指差し名前を言った。一年先輩のMさんだ。よく見れば、高校生のころの涼しい目は今も健在。ほんとうに懐かしい。4年前に帰省し、箕輪に住んでいるとのこと。40数年ぶりの再会。
May 11, Friday 2007
今晩はディランを聞きたくなった。ディランが孫の幼稚園で歌って子供たちに怖がられたという昨日読んだ記事のせいか。聞いたのは、1963年10月26日のカーネギーホールでのライブ盤。22歳にして、すでに円熟した演奏。円熟した歌詞。どの歌も印象に残るが、今のぼくには、Lay
Down Your Weary Tune がもっとも心に沁みる。
澄んだ川面を見下ろし
曲がりくねる水の流れを見ていた
それは賛美歌のように穏やかに流れ
竪琴のような調べを奏でた
おまえの疲れた曲をやめ
おまえがかき鳴らす歌をやめ
身を休めるがいい、いかなる声も歌えない
自然の弦が奏でる調べの下に
若干22歳の若者の歌とは思えない。
遅くなって大月さんと上島さん。上島さんから、彼の所属する組織での講演を依頼される。8月前半。歌を歌ってもいいとのことで、お引き受けすることに。
明日の飛び入りライブのため、ピザ生地とタコスの肉を炒める。ピザ生地はイーストを新しくしたら、よくふくらむようになった。学ぶことが多い。
May 10, Thursday 2007
午前中は晴れて暑いくらいだったが、午後、雨が降り始めると急速に気温が下がった。夕方、松本からの帰り、153号線沿いの温度計を見たら8℃だった。急激な変化に身体が戸惑っている。
7時近く、オーリアッドに入る。すでにジブランの会の方々がほとんど集まっておられた。
ソニーミュージックのSさんから届いたニューズレターで知ったのだが、ディランは、孫の幼稚園で歌い、子供たちに怖がられたらしい。調べてみたら、5月3日のニューヨークポスト紙に次のような短い記事が載っていた。
2007年5月3日--ロサンゼルス郊外の高額所得者たちが住むカラバサスの幼稚園に通う子供たちが、
家に帰って、親たちに、ギターで「怖い」歌を歌う「変なおじさん」がやってくると話している。この「変な」
おじさんは、何を隠そう、ボブ・ディラン。彼の孫(ジェイコブ・ディランの息子)がこの幼稚園に通っている。
ディランは冗談半分にこの幼稚園の子供たちに歌って聞かせてきたが、子供たちは、このおじさんが、
音楽の世界の伝説的人物であることを知らない。彼らにとって、ディランは「ギターを弾く変なおじさん」に
過ぎないようだ。
もとの英語では、子供たちが親に話したり、ディランが子供たちに歌ったりするところは、現在完了進行形が使われている。それから判断すれば、何度か歌いにいっていることになる。今後もあるかもしれない。オリジナルの記事は、(おそらく当分の間)次の矢印から読むことができます。
この記事に添えられている写真を見る限り、「怖い」のは彼の歌だけではない。顔も怖い! ディランも人の子、孫が可愛いんだろうね。実に羨ましい。
May 9, Wednesday 2007
明日は松本。先週は連休で休講だったので二週間ぶり。その準備をする必要がありながら、昼過ぎ庭に出ると、しなければいけないことが次から次に出てきて、なかなか家に入れない。冬の間、ガーレージにしまってあった木製のベンチを外に出そうとしたら、新聞紙にくるんで置いていた白菜がいくつか腐っている。どろどろになって、ベンチに流れだしている。外に出し、洗い流す。
芝生も雑草も伸びている。思い切って芝を刈ることに。そのうちに、前から移植したいと思っていた背の低い芍薬やツツジが目に入ってきた。とりあえず、一番小さな芍薬を移植する。
目前の仕事を先延ばしにするための常套手段である。これではいけないと、まだ移植したいものはあったが、中に入る。
6時、オーリアッド。先週土曜日の「飛び入りライブ」後、初のオーリアッド。コンピュータのスイッチを入れる。エラーのため再起動する必要があるという主旨の警告が出る。今まで見たこともない警告である。何度やっても同じこと。家から送った資料を見ることができない。先週は冷凍庫が壊れた。形あるものは必ず壊れるとはいえ、困った。
今夜聞いたのはエミルー・ハリス。遅くなって、何人かのお客さん。
May 8, Tuesday 2007
今日は放っておいた畑仕事を少し。いくつかの事情が重なり、今年は、野菜の種類も量も少なくしようと思っている。しかし、キュウリ、ナス、トマト、トウモロコシなど、基本的な野菜ははずせない。昼前、畑全体に耕運機をかけ、午後2本の畝を作る。
今年一番の暑い日。大いに汗をかく。夕方久しぶりにスイミングへ。畑仕事とスイミングでかなり疲れた。徐々に身体をならさなければ。
いい言葉を見つけた。ミケランジェロの言葉だという。
The greatest danger for most of us is not that our aim is too high
and we miss it, but that it is too low and we reach it.
私たちの大部分にとって最も大きな危険は、目標が高すぎて達成できないことではなく、
目標が低すぎて達成してしまうことである。
碌山の「蕾にして凋落せんもまた面白し・・」と通ずるところがあるかも。
May 5, Saturday 2007
素敵な夜になった。大勢の歌い手、大勢のお客さん。
先ず、ぼくが I Have a Dream と「果樹園の道」を歌う。今日、名古屋から歌いにきた永田雅章さんと出会ったのは、2年前、千曲市で開かれた全国の英語の先生たちの会で、I
Have a Dream を歌ったとき。藤森和弘さん、「人生に勇気」など3曲。ベッキー・ジリッグ(ダニエルの妹)、自作の愛の歌、そして日本に来る前に書いた、日本訪問を楽しみにしている歌。彼女の繊細で艶のある声は実に
soothing。
そのあと、ダニエルがオーストラリアのアボリジニーの楽器、ディジリデューを吹く。二人の甥の一人がスティックで拍子をとり、もう一人が唸る。そのあと、ダニエル、日本にいて遠くに住む二人の甥を懐かしく思い出している歌。篠原一弘さん、「ひまわり」「コースケの歌」など3曲。赤羽真理さん、大月高志さんと春日淳也さんのサポートで「旅人の木」「千両梨の実」。大月さん、「カノン」。盛大な拍手。
ここで前半終了。
後半トップは Mr. Babaのトーク。今日初めてお会いするICUの先輩。先日きてくれた佐藤尚志さんに東京から会いに白馬にきたら、オーリアッドに連れてこられたとか。空手家とのことで、威風堂々の趣き。昔はジャズのベーシストだったとか。Mr.
Baba のあと、ぼくが「千の風」。茅野市からCDを買いにきて下さった方のために。続いて、名古屋の永田さん。Stand
by Me, Country Road。
藤森さん、「愛音」「今日は土曜日」。春日さんと大月さんのサポートで。ベッキー、自作の愛の歌2曲。ダニエル、妹と一緒にアボリジニーの女性賢者の知恵の言葉に曲をつけた歌。続いて、守屋武志さん、Get
Back。サポートは大月、ダニエル、春日の三氏。大いに盛り上がる。篠原さん、一番愛した人への歌。最後にぼくが、赤羽さんと
Amazing Grace を歌ったあと、今日聞きにきてくれた、60年代に青春をすごした人たちに捧げる「ガビオタの海」。
その後しばし歓談。歌で世界を変えることはできない。でも人の心を結びつけることはできる。そんなことを実感した夜。
May 4, Friday 2007
第三回早春賦音楽祭。10時過ぎ、長男の運転で会場に着く。大勢の人出。隣接する駐車場はいっぱいで、ぼくだけ降ろしてもらい、最初に歌う予定のEステージのある多目的ホールへ。12時前後、「ファミリーソング・コンテスト」のゲストとして「千の風」を歌う。午後2時半から40分ほど、展望テラスにて歌う。「碌山」「次郎」「千の風」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「新しい光迎えよう」。「みかんの花咲く丘」を最後の歌の前にみなさんと歌う。
午後、歌う前、一人の女性が話しかけてきた。「私を覚えていますか。途中で転校しましたが、5年まで同級でした」。うーむ、わからない。「ナカザワさん?」と聞くと、「ハッタです」と言う。「ハッタ・ユウコさん?」と頭に浮かんだ名前をいうと「ハッタ・カズコですとの返事」。
その名前を聞いて、色白のおかっぱ頭の少女がいたことをおぼろげながら思い出した。松本に住んでいて、時々ぼくの名前を新聞で見かけるので、一度聞きたいと思っていたとのこと。そうそう、飛び入りライブによくきてくれる安曇野市の川島茂さんも聞きにきてくれた。去年聞いて今年も聞きたくなって来たという年輩の方もいた。感謝。
帰りの渋滞が凄かった。3時半に会場をあとにしたのだが、高速にたどり着くまで1時間半以上かかった。家に着いたのが6時過ぎ。オーリアッドは7時にオープン。すぐに、最近時々きてくれる男性一人女性五人のグループがコーヒーを飲みにきた。続いて、大月高志さんが入ってくる。そこで、是非6人のグループのために、大月さんにピアノを弾いて欲しいとお願いする。ぼくの「千の風」に伴奏をつけてもらったあと、「カノン」を弾いてもらう。大きな拍手。大月さんがウイークデイにくることは珍しいので、みなさん彼のピアノは初めて。感激していた。
そのあと、本当に久しぶりに、初期のオーリアッドバンドのヴォーカル、帰省中のF.
Tanaka さんの家族がやってきた。お兄さんの家族も。先ず、現在大阪でミュージシャンを目指しているというYugo君が一曲自作の歌を歌い、お父さんが、昔よく歌った「河原町のジュリー」を歌う。独特の節回しは健在。そして一緒に「オーリアッド・バンド」の歌。大月さんに再度「カノン」をお願いしたあと、お兄さんのリクエストで、ぼくがお兄さんと一緒に「ガビオタの海」。
みなさんお帰りになったあと、大月さんと音楽四方山話。教会コンサートで香さんが「千の風」を歌ったときは、ピアノではなくギターを弾いたとのこと。是非今度聞かせてもらいたいものである。
May 3, Thursday 2007
午前10時半から、姉妹都市ワイトモ・ディストリクトから寄贈された一対の木彫の柱の除幕式が行われた。場所はほたる童謡公園のワイトモ・ガーデン。両町長の挨拶の通訳をする。式典のあと、童謡公園でピクニック。式典の記念植樹の際、木の歌を歌ったマオリ族のミリアさんと話す。
彼女から夜のパーティでこの歌をもう一度歌うが、ギターを弾いてくれないかと頼まれる。彼女によれば、10数年前、初めてワイトモを訪れたとき、マオリ族の集会場で、2年前に亡くなった彼女の夫サニーのギターを借りてぼくが歌ったとのこと。
すっかり忘れていた。ギターを弾くには少し練習する必要がある。一緒にオーリアッドへ行き、練習。コードがよく分からないところがあるが、何とか弾けるようになった。
歌詞は、Joyce Kilmer という人の Trees という詩で、とてもいい。
I think that I shall never see
A poem lovely as a tree
A tree whose hungry mouth is prest
Against the earth's sweet flowing breast
A tree that looks at God all day
And lifts her leafy arms to pray
A tree that may in summer wear
A nest of robins in her hair
Upon whose bosom snow has lain
Who intimately lives with rain
Poems are made by fools like me
But only God can make a tree
決して見ることはないだろう
木ほどに美しい詩を
その乾いた口は
大地の甘い豊かな水脈にしっかりとあてられ
一日中神を見つめ
祈るために、緑の葉におおわれた両腕を上げる
夏には駒鳥たちの巣を
その頭髪に宿し
胸には雪が積もり
雨が親しく降り注ぐ
私のような愚かな者でも詩は作れる
しかし木を作ることができるのは神のみ
(三浦久訳)
夕方、パークホテルにてフェアウエル・パーティー。練習したにもかかわらず、あまり上手に伴奏できなかった。出だしのリズムが練習のときと違っていたので、ミリアさんは歌いづらかったと思う。彼女と、それからもう一人のマオリ族のモンテさんにお会いできてよかった。
お二人が子供のころは学校でマオリ語を話すと、鞭やベルトで手をたたかれたとのこと。モンテさんのスピーチはすべてマオリ語で行われた。事前に英語のスクリプトをもらっていたので、英語で話すと思い込んでいた。最初はどう訳していいかとまどったが、途中からいただいたスクリプトを訳せばいいと気づいて、事なきを得た。立派なスピーチだった。
May 2, Wednesday 2007
天気予報は晴れだったが、曇りで、時折小雨がぱらついた。午後少し日が差した。
昼過ぎ、American Land edition の訳を送る。American Land はアメリカの初期の移民のことを歌っているが、内容的には
Born in the USA だ。Deportee を思わせる箇所もいくつかある。
午後は区の雑用のいくつか。
May 1, Tuesday 2007
暑いの寒いのといっているうちに、もう5月。今日は朝から小雨がぱらつき、肌寒い。
週末の疲れがまだ抜けないようで、朝から翻訳をしたり、区の仕事をしたりしながら、何度も居眠り。午後遅く、これではいけないと外に出て、少し身体を動かす。自己流の柔軟体操をして、しばらく雑草を抜く。30分ほどで終了。庭はきれいになるし、身体も軽くなるし、一石二鳥とはこのこと。
The Seeger Sessions Amercan Land version の未訳部分を訳している。初めて訳す
American Land に加えて、前回のCDリリース後にネットで紹介され、あわてて訳した2曲と、その2曲を含むボーナストラック5曲のスプリングスティーン自身の解説もその中に含まれている。ああでもないこうでもないと訳を考える時間は至福のひととき。いろいろ学ぶことが多い。
子供の頃、祖母が夕食のあとよく、背中を丸めて、居眠りをしていたのを思い出す。いびきをかいて、その音で目がさめたりして、大笑いしたこともある。今まさにその同じことをぼくがしている。コンピュータの前で、おそらくあの頃の祖母と同じような格好で、居眠りをしている。
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