OREAD Diary September 1〜September 30, 2006
September 30, Saturday 2006
朝8時前家を出て豊科高校へ。9時から安曇教育研究集会が始まり、まず二人の先生の挨拶。次に今年東海大会で金賞を獲得したという豊科高校ブラスバンド部の実に見事な演奏。10分の休憩を挟んで、ぼくのトークライブ。最後の質問の時間に「風に吹かれて」に関する質問が出る。大町高校の山岸、小山両先生に出てきてもらって、会場のみなさんと一緒に歌う。
午後家に帰り、リヴィングストン・テイラーの翻訳。かなり進んでいるが、一曲難しいものがあり、立ち往生。5時過ぎオーリアッドへ。
今晩はいつも早くきてくれる藤森和弘さんが遅い。(あとで知ったのだが、藤森さんは今夜は神社のお祭りで、歌ってきたとのこと。おひねりが飛んできたらしい。)しばらく辰野を訪問しているという方が、インターネットでオーリアッドのことを知ったと、早くから聞きにきてくれているのに、誰もこない。そこでぼくが「門」「千の風」などを数曲。
そのうち徐々にみなさん集まってきてくれた。トップバッター、赤羽真理さん。「離農のうた」「人生の嵐に」「鹿のように」。最初の歌はずっと前に一度聞いたことがある。今回この歌を聞いて率直に思った。赤羽さんは実に歌がうまくなった。
続いて大月さん。香月!の名曲「誕生」と「カノン」。「誕生」を歌ったあと、大月さんは、自分で詩を書いて曲をつけようとしているがなかなか難しく人前ではなかなか発表できそうもない、という主旨の話をした。そんなことを言わずに、是非歌ってほしいもの。それに香月!。再結成といかないまでも、気楽にたまには集まって歌ってほしい。「秋桜」を是非また聞きたい。
続いてダニエル・ジリッグさん。先ずオリジナルの Don't Tell Me Ships Are
Sinking から。そして Don't Worry, Be Happy と Walking into Doors。最初の歌はできたばかりで歌いなれていないのか、コーラスのフォルセットのところで少しバランスを崩したが、とてもいい歌である。ディランの
Cat's in the Well を思い出した。ディランは最近またこの歌をコンサートで歌っているようである。アルバム
Under the Red Sky の中では好きな歌だった。
続いて久々登場、遠藤淳一郎さん。まずインストラメンタルで Ten Years Gone、それから
I'm a Man。さらにボトルネックを使って、ブルーズのインストラメンタル。遠藤さんの歌うときの口の形を見ていると、明らかに英語のネイティヴスピーカーの口の動きである。最近、英語の発音と歌う筋肉(内喉頭筋)」の関係に興味をもっているが、明らかに遠藤さんの歌う筋肉は発達している。天性のものか、後天的に身につけたものか。
次に太田裕士さん。今夜は、おもむろにピアノの前にすわり、静かに弾き始める。心にうかぶメロディをその場で音にしているようだ。途中、「虹の中へ」のメロディが聞こえてきた。歌うのかと思っていると、また別のメロディに変わり、導入時と同じように、静かに消え入るようにフィニッシュ。写真を撮るのを忘れていた。
ここから後半。神社での奉納演奏を終えて駆けつけてくれた藤森さん。「人生に勇気」「子守唄のように」「住みなれたこの町で」。全曲オリジナル。完全にカヴァーシンガーから脱却した。大月、太田両氏のサポート。
次に赤羽さん、「旅人の木」「千両梨の実」の2曲を、上記の両氏とギターに遠藤さんを向かえて。続いて、遠藤さんの
Hotel California。いつ聞いても名曲である。ギターにダニエルが加わる。
次に、ぼくが「碌山」を歌う。大月、太田、遠藤の三氏のサポートで。そして、ダニエルが、その同じ三氏のサポートで、意表をついて
Sesame Street のテーマ曲。大いに盛り上がる。最後、藤森さん、大月、太田両氏のサポートで
Close Your Eyes。写真でもわかるように、彼がギターを弾かないヴァージョン。
これで本日の飛び入りライブ終了。その後しばし歓談。今日はオーリアッドでタバコの吸える最後の日。へヴィースモーカーの遠藤さん、「吸いたくなったら外へ行って、いつも持っている携帯灰皿を使って吸います」とのこと。Thank
you!
September 29, Friday 2006
午後遅く、豊科高校へ機材のセッティングに行ってきた。明日午前中、安曇教育研究集会で歌わせていただくことになっている。ぼくの時間は10時からだが、開会が9時で、豊科高校のブラスバンド部の演奏がぼくの前にあるので、9時前のセッティングが難しいだろうとのことで。やはり今日のうちに行っておいてよかった。ブラスバンド部の部員が一生懸命手伝ってくれた。大町高校の山岸先生もきてくださった。
7時過ぎオーリアッドに入る。今夜も、タウンズ・ヴァン・ザントのライブ盤。テキサスのケン・オニールはいわゆるブートレッグの蒐集家だったとみえて、さまざまなライブの音源がある。それにしてもタウンズはいい。渋い。
閉店後、明日のために練習を始めたが、眠くなり、15分ほどで終了。
September 28, Thursday 2006
前半英語教室。後半オーリアッド。遅くなって歌の練習。今晩は歌っているうちに居眠りするようなことはなかった。ようやく時差ぼけから解放されつつある。今回は長くかかった。
終日翻訳。といっても、集中してできたのはわずかだったが。後半を訳していて、リヴィングストンが語りの中で「ブラザー、ジェイムズ・・・」言うところがある。はっと、思って調べてみたら、リヴィングストンはジェイムズ・テーラーの息子ではなく、弟だった(二日前の日記の記述を修正)。いずれにしろこの人の歌も語りも面白い。ウィットに富んでいる。笑いころげながら訳している。こういう体験は珍しい。
岐阜の瀬上敏雄さんから『一期一詩、<こころの詩>をよむ』(春秋社)という本が送られてきた。 瀬上さんは、ずっと昔、70年代初め、ぼくがヒッチハイクと野宿の旅をしていたころ、旅をしながら売ることができるようにと「三浦久の歌」というソングブックを作ってくださった方。今月発売されたばかりのその本の中に、「馬」という童謡があった。
馬はだまって 戦争に行った
馬は黙って 大砲を引いた
馬はたおれた 御国のために
それでも起とうと 足うごかした
兵隊さんが すぐ駈けよった
それでも馬は もううごかない
馬は夢みた 田舎のことを
田ん圃たがやす 夢みて死んだ
茶木滋という人の詩で、1940年の作品だという。あの時代にこのような童謡が歌われたというだけでも驚くが、先週テキサスから帰り、日本の田圃の美しさに感動したばかりなので、最後のヴァースが心に沁みる。
この童謡のメロディを知っている方がいたら、教えていただけませんか。
September 27, Wednesday 2006
今朝、リヴィングストン・テイラーの対訳をしているところへ、The Byrds の新しいボックスセット(4 CDs & 1 DVD)
There Is a Season のブックレットの校正が届いた。邦題は『巡る季節の中で』。読み始めたら面白い。写真入りながら、90ページもあるものを、一気に読んでしまった。1944年生まれとすべきところを、1994年にしているところが2箇所あった。さらにいくつか不自然なところを修正。
訳していたときも感じたが、これを読むと、バーズというのは爽やかなハーモニーや12弦ギターの響きとは裏腹に、内部にはいろいろな葛藤を抱えていたことがわかる。メンバーの入れ替えも激しかった。しかし、その葛藤こそが彼らのエネルギーだったのかもしれない。先日のテキサスでも、バーズが好きだという人が何人もいた。後半のバーズはかなりカントリーに近かったということもあるだろうが。
オースティンのケン・オニールからもらったタウンズ・ヴァン・ザントのミネソタ大学でのライブ盤を聞く。ディランが半年だけ在籍した大学。Tecumseh
Valley や Pancho & Lefty のように聞きなれた歌の他に、Ballad of Ira
Hayes などのカバーも含まれている。語りはそれほど多くないが、好感がもてる。本当にこの人は凄い。
閉店後、今週末の2つのコンサートに向けて少し練習。しかし、時差ぼけがまだ続いていて、あまりの眠さに、うとうと。諦めて家に帰ることに。
September 26, Tuesday 2006
朝から雨模様。日中は気温が上ったが、朝晩は寒かった。思わずフリースの上着を着た。夏が異常に暑かったので急激な気温の低下がこたえる。それに時差ぼけも続いていて、体調はすこぶる悪い。
それでも今日は一日、昨日届いた翻訳の仕事。ジェイムズ・テイラーの弟、リヴィングストン・テイラーのライブ盤。初めて聞くが、面白い。エスプリのきいた面白さである。お兄さんとは少し趣を異にする。
それから午後しばらく、 Amazon.co.jp から届いたYUBAメソッドのCDを聞きながら、ヴォイストレイニング。本の宣伝文のように、上手くなるとは思わないが、最近、歌における声の重要性を感じているので、しばらく続けてみたい。この秋はコンサートもいくつか続くことだし。
September 25, Monday 2006
秋の気配がいたるところに感じられる。彼岸も過ぎ、日が短くなった。気温も下がり、時には寒いくらい。空気が澄み、星がきれいだ。虫のすだく声もしきりに聞こえてくる。「次郎」の2番は秋のもの寂しさを的確に描写している。
芦の葉末に風そよぎ
木の葉かつ散る秋の暮れ
夜長の夢のさえさえて
眠りかねたる折からに
乗り下しゆく川船の
欸乃(ふなうた)耳にひびくとき
人の浮世のある意味を
くるしき胸におぼえたり
今、ここに2番の歌詞を書き写しながら、これは秋の「もの寂しさを的確に描写している」というには少々語弊がある気がしてきた。ここに感じられるのは、秋の「もの寂しさ」というよりは「もの苦しさ」ではないか。
「次郎」という井口喜源治さんの詩は、万水川(よろずいがわ)のほとりで生まれた人が、少年期を経て、都会へ出て行き、年老いて、故郷へ戻ってくる一生を描いている。この2番は、だから少年あるいは青年が感じる秋である。秋の向こうには、確実に冬があり、そして春がある。そこには抑えきれない性欲や、功名心や、野心などが渦巻いている。それは決して否定的なことではない。「生きようとする意志」と言い換えることもできるはず。
同じ季節でも見る人の年齢によって異なってくるのは当然である。還暦を過ぎたぼくが感じる秋とは少し違うようだ。ぼくの感じる秋は、最後のヴァースに近いかもしれない。
ああ人の世のさまざまや
草葉に宿る白露を
かざしの玉と誰かみる
鎌倉山の星月夜
野菊の栄えと誰か知る
浮世を夢とさとりては
幼なじみのこの川の
ほとりに安く過ごさばや
オーリアッドを smokefree にすることを歓迎するという趣旨のメールや掲示板への書き込みがあった。10月1日以後、smoker
の方々からどのような反応があるか心配であるが、歓迎してくれる方も多いのではないかと安心した。
横浜の「大倉山水曜コンサート」の事務局の方からお電話をいただいた。このコンサートはクラシック音楽家のためのもので、フォークコンサートは今まで一度もなかったとのことだが、来年9月5日(水)、由緒あるそのコンサートで歌わせていただくことになった。ほぼ一年先のことである。こんなに先の予定が決まったことは初めて。
体調を整えて、秋と冬を通り過ぎ、春を迎えたい。
September 23, Saturday 2006
長野市での「千の風 いのちの歌を聴く」というイベントに参加して、オーリアッドに戻ったときにはすでに8時をかなり過ぎていた。帰路、あまりの眠さに3度休憩し、仮眠をとったからである。ぼくが眠っている間、太田裕士さんは、外に出て、サックスを吹いたりしていたようだ。
オーリアッドに着いた時、演奏していたのは大月高志さん。藤森和弘さんと赤羽真理さんの演奏はすでに終っていた。藤森さんは「妹よ」「幸せになろうよ」を含む4曲。赤羽さん、「千両梨の実」「驚くばかりの」を含む4曲。
大月さんは Let It Be の演奏のあと、藤森さんと Close Your Eyes。前回聞くことができなかった、大月さんのピアノと藤森さんのヴォーカルだけのヴァージョン。よかった。続いて、大月さんのピアノと太田裕士さんのサックスで
Canon と Merry Christmas, Mr. Lawrence。 久々に聞く二人の共演。「チャーチコンサート、感謝の贈り物」を思い出した。その後、太田さんのジャズサックス・ソロ。見事な演奏。やはり彼はジャズを吹くときが一番生き生きしている。
続いてぼくが、太田さんのサポートで「夕方のおかあさん」「果樹園の道」、そして「千の風」。最近この3曲をセットのように歌うことが多くなった。
前回に続いて参加してくれたブレット・アダムズ。Aphrodite, Waiting for You,
Send Me on My Way のオリジナル曲3曲。前回とはうってかわった落ち着いた演奏。よかった。
次はいつも笑顔のダニエル。1曲目は意表をついて The Last Thing on My Mind。完全に自分の歌にしている。続いて、Fred
Finns。アイリッシュ・ジグのインストラメンタル。最後にオリジナルの Stay
を太田さんのサックスと一緒に。
ここで前半終了。10分休憩。2番テーブルにすわっていたYご夫妻とお話する。彼らは東京在住で、われわれの仲人さん。先日、土曜日に辰野へ行くのでコンサートのことで話したいことがある、と電話をいただいていた。横浜の大倉山水曜コンサートに出演しないかとのことだった。このコンサートは一年前にすべてスケジュールが決まっていて、出演するのは、来年になるとのこと。ありがたいお話である。
後半は最近は基本的にセッションということになっている。トップバッターは藤森さん。1曲目は大月さんのギターのサポートで「22才の別れ」。2曲目、オリジナルで「子守唄のように」。ピアノ、大月高士;サックス、太田裕士。この歌は藤森さんのオリジナルの中でも出色の作品。彼がカバーするどの歌と比べても遜色ない。
続いてぼくが、Yご夫妻の「お彼岸なので、彼岸花のあの歌を」とのリクエストで、大月さんと太田さんにサポートをお願いし、「宝福寺にて」。そのあと赤羽真理さん、同じサポートで「千両梨の実」。続いて、大月さんと太田さんに、ブレットのギターが加わり、ダニエルのヴォーカルで、即興のブルーズを一曲。最後はダニエルがもう一曲ブルーズを歌い本日の飛び入りライブ終了。最後の歌のタイトルを聞くのを忘れた。彼はブルーズを歌うときが一番のびのびしている。
その後しばし歓談。
オーリアッドを再開店した3年3ヶ月前、オーリアッドを Smoke Free(禁煙)にするかどうか迷った。しかしいろいろ考えて踏み切れなかった。先週、オースティンのホンキートンクをいくつかまわって、どこも禁煙であることを知った。それで決心がついた。
本日来てくださった方々の中で、タバコを吸う藤森さんと大月さんに、意見を聞いてみた。藤森さんは、「オーリアッドへはタバコを吸いにくるのではなく、歌を歌いにくるのでかまわない」とのありがたいお言葉。大月さんは、「電車に乗るときは禁煙車に乗る」とのことで、これまた了承していただけたようだ。
Smoke Free というのは禁煙を意味する言葉で、よく使われる表現だが、厳密にいえば、smoke-free
あるいは smokefree という形容詞である。「タバコの煙のない」という意味である。Smoke
Free だと、Smoke を動詞ととれば、「自由にタバコを吸って下さい」という意味にもとれる。お間違えのないように。
というわけで、10月1日からオーリアッドは Smoke Free になります。次の飛び入りライブの9月30日(土)がオーリアッドでタバコを吸える最後の日です。ご協力をお願いいたします。
September 22, Friday 2006
午前11時過ぎ、安曇野市穂高のビューホテル着。安曇野市になってから最初のヴォランティア・サンクスデイの余興として歌う機会を与えられた。ホテルはカーナビーが指示を諦めてしまうほど入り組んだ山道の奥にあった。早目に家を出てよかった。
サウンドチェックのあと昼食をいただき、1時から2時までトークライブ。「碌山」「次郎」(ショートヴァージョン)「夕方のおかあさん」「千の風」「果樹園の道」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「丁度よい」。そして最後にみなさんと一緒に「ふるさと」。「丁度よい」は主催者からのリクエスト。1時間という短い枠だと、余分な話をしないので、密度のこいものになる傾向がある。終ってから多くの方々が話しかけてくださった。
行きは高速を使ったが、帰りはサラダ街道を通ってきた。上の右の写真は梓川付近の「金色に揺れる稲穂の波」。テキサスのだだっ広い荒涼とした風景を見たあと、こういう風景を見ると、水田が日本の景観に大いに貢献していることがわかる。なんと落ち着く景色だろう。足元でイナゴがたくさん飛び跳ねた。
明日は長野市で歌うことになっている。太田裕士さんも来てくれるとのことで、今夜遅く一緒に練習。「千の風・いのちの詩を聴く」の詳細は次の通り。
http://www.secondwind.jp/naganolocaldesignjuku06.htm
一週間前までに予約を、とのことだが、当日でも受け付けてもらえるとのこと。お近くの方はどうぞ。
September 21, Thursday 2006
前半英語教室。後半、オーリアッドへ降りて行き、トミー・ハンコックからもらったLUBBOCK
LIGHTS をかける。1曲目のインストラメンタルはあまりぱっとしないと思っていたら、2曲目、女性ヴォーカルが流れてきた。Sweet
Kind of Love。奥さんのシャーリーンだ。その厚みのある温かい、まろやかな声に唖然とした。何という声だろう。ケン・オニールによれば、このアルバムは Supernatural Family Band の最盛期のアルバムとのこと。
シャーリーンが人前で歌ったのは8歳のとき。テキサス州ラボックのラジオ番組で歌ったのである。その後テレビが登場すると、ラボックのテレビ局の番組でレギュラーとして歌うようになる。13歳のときからバンドで歌い始め、14歳のとき、トミーに乞われて彼のバンドに加入。16歳のとき、トミーと結婚。その後、67歳の現在まで歌い続けてきたシンガーである。彼女と会って話したときは、彼女を歌手として感じることはなかった。どこにでもいる気さくで陽気なアメリカ人のおばさんだった。しかし、こうしてCDで彼女が歌うの聞くと、本場のカントリーシンガーの実力に圧倒される。
遅くなって、明日の安曇野市穂高ビューホテルでのトークライブの練習。テキサスに行っている間、ギターに触れたのは一度だけ。それも短い間。歌ったのもそのときだけ。まだ何を歌うか決めていないが、「千の風」「夕方のおかあさん」「果樹園の道」、それに「何もない青空」を歌ってみる。「果樹園の道」は4カポでCのコードを、つまりEで弾いていたが、カポをつけずにGで弾くといい感じだ。
September 20, Wednesday 2006
久々のオーリアッド。しばらく留守をしている間に大分涼しくなった。半袖では寒いほど。オースティンは、滞在中、昼間は30℃から35℃はあったが、不思議と汗をかかなかった。車も建物も徹底して冷房が効いているし、外を歩いて汗が出ても、すぐに蒸発してしまうのか、べとつかない。。
今日は時差ぼけで、やはりぼくにはこの小さな田舎の町がいい、と思いながら、一日中うつらうつら。眠いような眠くないような。数日はこの状態が続くだろう。
オースティンで入手した Lyle Lovett の Step Inside This House を聞く。Guy
Clark作のアルバムタイトル曲がいい。それに、Michael Martin Murphey作の West
Texas Highway も。
後者は、いい服を着て、でかいシボレーを運転する男が、昔、汚い服を着たヒッチハイカーを乗せてやったことを思い出す話。乗せてもらった男は、イーストテキサス出身で、ロデオの仕事をしていたが、単調な仕事に飽きて、放浪の旅に出たと言う。そしてハスケルへ行くところで、アビリーンに女がいると付け加える。シボレーを運転する男は、その陽気な放浪者をハスケルで下ろしてやる。この歌は次のような述懐で終る。
でもぼくは今でも思うことがある
あれから長い時が流れたのに
いい服を着て
でかいシボレーを運転している男が彼で
ハスケルに向い
アビリーンに女がいる男がぼくだったらよかったと
こんなふうに思ったことは一度もないという人は少ないだろう。
September 19, Tuesday 2006
長いような短いようなオースティンへの旅が終って、今夜遅く家に着いた。旅から帰るといつも、Home
Sweet Home やはり家はいいと思う。旅に出るのは家に戻るためであるようだ。
オースティンではいくつかのよく知られたホンキートンク、日本式に言うライブハウスを訪ねた。Jovita's(ホビタズ)、Broken Spoke(ブロウクン・スポウク)、Threadgill's(スレッドギルズ)など。ホビタズとブロウクン・スポウクについては、トミー・ハンコックとの関連で三浦久HPの掲示板で触れた。
スレッドギルズでは、今テキサスで注目されている若手のカントリーバンド The
Texas Sapphires のリーダーBilly Brent Malkus に会った。涼しい目をした若者である。ビリーの英語はとてもクリアー。テキサス訛がない。出身はどこかと聞くと、メリーランド州だと言う。週の一日は新聞を販売店にトラックで運ぶ仕事をしながら音楽を続けている。オースティンにもナッシュビルにもこのような若者がたくさんいるようだ。クリス・クリストファーソンもかつてはナッシュビルのスタジオで、ジャニターをしながらチャンスを待っていた。
写真:(左)スレッドギルズ入り口、(中)店内、(右)壁に貼られていた若きスプリングスティーンの写真。
オースティンのレコード店 Waterloo Records で、The Texas Sapphires のCDをはじめ、ケン・オニールの勧めでいくつかのCDを購入した。その中には
Townes Van Zandt, Patty Griffin, Lyle Lovett が含まれている。オースティンにきて、タウンズ・ヴァン・ザントの人気の凄さに驚いた。ぼくは彼のことを浜野智さんの紹介で知り、CDを2枚もっている。ウォータールーCD店には彼のCDが50枚はあっただろう。そればかりではない。会う人みんなタウンズを絶賛する。彼がブルーズを歌う Acoustic Blue と彼が他の人の歌をカバーするRoadsongsを購入した。後者にはスプリングスティーンの Racing in the Street も入っている。早速聞いてみたが、完全にタウンズの歌だ。
17日の土曜日の夜、ケン・オニールの家に何人か集まって小さなコンサートが開かれた。その中に
Dave Goodin がいた。彼は彼のCDと一枚の写真をくれた。その写真を見て驚いた。彼は3回もミスター・ユニヴァースに選ばれたボディービルダーだった。彼は自作の歌はなかったが、ギターも歌も上手だった。もらったCDには
All along the Watchtower がカバーされていた。ボディービルダーとシンガーというのは今までぼくの中では接点がなかった。デイヴの歌を聞いて認識を新たにした。
*右のデイヴの写真をクリックすると拡大写真を見ることができます。
*次のURLからも彼の写真をいくつか見ることができます。
http://www.bodybuildingreviews.net/DaveGoodin/DaveGoodin.html
旅に出る前日の日記に、コンバーターが見つからなくて苦労したと書いたが、結局コンバーターは必要なかった。オースティンに着いてからよく見たら、カメラの充電器にもビデオの充電器にも、INPUT(定格入力)100V-240V
となっていた。つまり日本でもアメリカでもコンバーターなしで使えるのである。便利になったものだ。
もうひとつ、訪ねたすべてのオースティンのホンキートンクが Smoke Free、 つまり、禁煙で、タバコを吸っている人がいなかった。
September 11, Monday 2006
一日中、明日からの旅行の準備。切羽つまらなければ何もできない性分で、最後になって慌てている。その中で一番時間がかかったのが電圧を変えるコンバーターを探し出すこと。一年前にNZへもっていったはずだが、カバンの中にも引き出しの中にも、どこにもない。夕方になってようやく見つかった。リビングの机の上にあった。
オースティンへ行く楽しみの一つは、オースティンがライブハウスのメッカだということ。
案内書には、オースティンには「毎晩150ヶ所でライブ演奏が行われている」(as many as 150
live music venues on any given evening" と書かれていた。カントリー、ブルーズ、ジャズ、ロックンロールとなんでもあるようだ。
音楽だけでなく、それらのライブミュージック・ヴェニューでの食べ物や飲み物の中に、オーリアッドのメニューに反映できるものがあったらいいのだが。
また訪ねて行く友人からのメールには、
I'm asking some friends to see if we can pull together a "get together"
while you're here, with some local musicians. One you will meet is Tommy
Hancock, at 77 a livig legend in Texas music.
と書かれていた。「77歳のテキサス・ミュージックの伝説的存在、トミー・ハンコック」に会うのが楽しみだ。http://www.musicaustin.com/country/thancock.html
■
旅行中、この日記の更新はありません。「三浦久ホームページ」の掲示板のほうに、書き込めれば、書き込みたいと思っています。
また、9月18日(月)の10時から14時まで、メインテナンス作業のためにこのページにアクセスできなくなるとの連絡が入っています。
September 9, Saturday 2006
午後6時少し前、オーリアッドに入る。丸山俊治さんからのファックスが入っていた。今夜ベースをもっていくので、セッションタイムにみなさんと一緒に演奏したいとのこと。歌声喫茶の縁である。
開店後すぐに入ってきた人は、木曜日にきてくださった某会社の社長さん。「『追憶の60年代カリフォルニア』面白かったですよ」。「久しぶりに『ジャック&ベティ』の名前を目にして懐かしかった」。今から半世紀ほど前、彼は四国の海辺の町で、ぼくは信州の山に囲まれた小さな町で、同じ教科書を使って英語を勉強したのだ。「5万円を出してくれた社長さんの話もよかったし、頭の中にあるものは当時と今も変わらないというところも面白かった」。
次に入ってきたのは、見知らぬ背の高い人。ギターを下げている。「川島茂さんですか」と聞くと、そうだという。一週間前に9月9日の飛び入りライブに参加したいというメールが届いていた。オーリアッドについてはDRBの春日さんから聞いたとのこと。奥さんも一緒だった。「どちらからですか」と聞くと、安曇野市だという。そこでまだ7時前だったが、お二人に安曇野ゆかりの「碌山」と「次郎」(ショートヴァージョン)を聞いてもらう。ぼくが歌い終わるころには、大きなウッドベースを抱えた丸山さんを含め何人かが入ってきた。
そこでオーリアッド初登場、川島茂さんにお願いする。「いつの間にか少女は」「時代がぼくを変えても」「太陽と埃の中へ」。1曲目のギターが鳴り始めたとたん思ったのは、ひがしのひとし風にいえば「おぬしやるな」。入ってきたときの第一印象は加藤和彦似だと思ったが、歌を聞いて、井上陽水に変わった。オリジナルの2曲目の最初の部分を聞いて、かなりポリティカルな歌かと思ったら、最後はすてきなラブソングに。
春日淳也さん。DRBで前半のみ参加するというメールが入っていたが、あとの二人が来ないので、ソロで歌ってもらうことに。「とうとう節」「酒飲み音頭」「みよし食堂」の3曲。久しぶりに彼が歌うのを聞いたが、歌い方が安定し、上手くなった。歌詞の発想が面白い。
藤森和弘さん。「人生に勇気」「戦争を知らない子供たち」「翼を下さい」。1曲目のオリジナル以外の歌を彼が歌うのを初めて聞いた。2曲目を歌う前に、5年前の9.11と、それに続く、アフガニスタン、イラクでの戦争に言及した。ほんとうにあの時からあと2、3日で5年が経とうとしている。
そのときまでには、DRBのほかの二人のメンバー田中創さんと山岸洋史さんも到着していて、Sweet
Home Chicago, Sitting on Top of the World, Willing の3曲。最初の2曲のベースはなぜか山岸さんではなく、丸山さん。3曲目はベースなしで田中さんと春日さんの二人で。今夜は10時から松本で演奏するとのことで、8時半にはオーリアッドを出たいといっていたが、その後の演奏もしばらく聞いていて、結局出発したのは9時をかなり回っていた。
次もオーリアッド初登場、樵(きこり)のbさん。小池コータロー君から、「富士見できこりをやっている友だちのbくんも一緒に行きます」と書かれていた人だ。一曲目「今夜も柿色の月が」の演奏が始まった途端、またもや「おぬしやるな」という印象。声もさることながらギターの音色が素晴らしい。2曲目「明日へ行く」。そして3曲目はギターインストラメンタル。風貌といい演奏といい、只者ではなさそう。
続いてコータロー君。「バンドワゴン」「待ち合わせ」「キングでビスケットタイム」。2曲目は9月16日(土)に彼のお店「くるみ」で歌うことになっている友部正人の歌。3曲目は小さなころからよく通い、いろんな音楽を聞かせてもらったというジーンズショップ「キング」とそのオーナー、ボブ鈴木へ捧げた歌。ジーンズショップは昨年末閉店した。
コータロー君のこの歌を聞いたら、今日は歌わないと言っていたボブ鈴木に登場してもらわなければ。On
the Sunny Side of the Streetを丸山さんのウッドベースとコータロー君のリードギターで。ボブにとってはコータロー君は息子のような存在だろう。
次に、赤羽真理さん。今夜は、大月高志さんのピアノのサポートで「千両梨の実」一曲のみ。いつ聞いても素晴らしい歌。宇和島出身の社長さんも、「あの歌はいいですね」と、先日きたときに言っていた。
今晩はこれないかもしれないと言っていたダニエルが友だちと二人で入ってきた。先ずダニエルが、Your
Faceを含む2曲。最初の曲のタイトルを聞きそびれた。
次にダニエルの友人、ブレット・アダムズ。初登場。Rocky Raccoon と オリジナルの
Aphrodite。2曲目の曲名を紹介するとき「アフロダイティ」と、「ダイ」にアクセントをつけて言ったが、聞き取れず、何度か聞きなおすうちに、日本風に発音すれば「アフロディテ」、ギリシャ神話の愛と美の女神とわかる。エロスの母でもある。後で話してわかったのだが、ブレットはカリフォルニアのオークランド出身。カリフォルニア大学バークレー校で哲学を専攻したとのこと。
久々登場、芦部清志さん。「チェインジ・ユアセルフ」と「輪舞(ロンド)」をソロで、WISHで「林檎」を。「輪舞」を歌う前に、数ヶ月前に亡くなったお父さんの話をした。その話を聞いてからこの歌を聞くと、印象がかなり違う。
今夜は歌い手が多く、ブレイクなしで、オーリアッド・セッションパーティーへ。一曲ずつ。先ず、早くからきてくれた川島さんにお願いする。「飾りじゃないのよ涙は」。セッションバンド: ピアノ、大月高志; ギター、小池コータロー; ベース、丸山俊治; パーカッション、樵のbさん。続いて、藤森さん。Close
Your Eyes。セッションバンドにボブ鈴木のハーモニカが加わる。藤森さんはギターを弾かずヴォーカルのみ。あとでこの曲は大月さんのピアノと藤森さんのヴォーカルだけでやる予定だったと知った。道理でピアノがいつにもまして迫力があった。失礼しました。次回は是非お願いします。
続いて小池コータロー君、ご存知「プカプカ」。コータロー君は西岡恭蔵さんを師と仰いでいる。以前、西岡キョーゾーに因んで小池コーゾーと名乗っていたことがあった。次にダニエル。Walk
Right In と I Shall Be Released。一曲目は with the session band without
Otsuki-san。2曲目のフィナーレは、大月さんが再度参加してフルメンバーで。これで今夜のセッションパーティー終了。
今晩の飛び入りライブには初登場の人を含め多くのミュージシャンが参加してくれた。ありがたいことである。そして何よりも、みなが互いの歌に耳を傾け、そして一緒に和気藹々と音楽を「つくる」のを楽しんでいるのは、大いなる喜びである。オーリアッドが目指す空間が少し近づいてきたような。
トップページでもお知らせしましたが、オーリアッドは来週一週間お休みいたします。次回の飛び入りライブは9月23日(土)です。
September 8, Friday 2006
6時、オーリアッドへ入る。ファックスが届いていた。9月30日に豊科高校で開催される安曇教育研究集会の日程などが書かれた「安曇教文通信」だった。それによるとぼくは午前10時から11時半まで講演(トークライブ)をすることになっている。
コンピュータをオンにし、メールをチェックする。ジャンクメールに混じってソニーからのメルマガが入っていた。「ボブ・ディラン、30年ぶりのNo.1!」というタイトルの下に、次のように書かれていた。
ニュー・アルバム『モダン・タイムズ』で、30年ぶりにボブ・
ディランが全米ビルボード・アルバム・チャート1位を獲得しま
した。これは'76年の『欲望』以来のこと。また、ニールセン・
サウンドスキャンでの調査が始まった'91年以降のディランの作
品の中では、初登場順位・週間売り上げともに最高のものとなり
ました。
オリコンでも総合順位23位というから凄い。確かにいいアルバムである。
後半少し忙しかった。11時過ぎ閉店。外に出ると地面が濡れていた。雨が降ったようだ。
September 7, Thursday 2006
前半英語教室。9時過ぎ階下に降りていくと、しばらくして最近何度かきてくれた隣町に住む人が顔を出してくれた。個人的な話をするのはこれが初めて。四国の宇和島出身だという。40年前に長野県の某大企業に就職し、現在は自分で会社を経営しているとのこと。
宇和島と聞いて思い出した。今から34、5年前のこと、野宿とヒッチハイクで四国遍路の旅をしたことがある。宇和島の手前の町から高校生のバイクに乗せてもらった。その高校生は猛スピードで曲がりくねった山道を駆け下りた。背中には重いリュックを背負い、右手にはギターケースをもち、振り落とされないように、左腕で高校生の身体を抱えていた。宇和島についたとき、ギターケースの取っ手を握り締めていた手が開かなかった。
高校生がぼくを下ろしてくれたところは和霊公園という公園で、その公園の砂場に寝袋を敷き眠った。翌朝目が覚めたら、たくさんの小さな顔がぼくを見下ろしていた。近くの保育園の子供たちだった。
そんな思い出話を彼とした。近くには和霊神社があり、子供のころ、彼はよくそこで遊んだらしい。ぼくは昨年還暦を迎え、彼は今年迎えた。これからが青春です、とその人は言った。
September 6, Wednesday 2006
夕方から雨になった。オーリアッドに入ると、以前、福生でライブハウスをやっていて、今は白樺湖のちかくでペンションをやっているという人がきていた。初対面である。洋楽だけでなく日本のフォークソングにも詳しく、昔、がらん堂では武蔵野タンポポ団の演奏をよく聞いたとのこと。南正人も好きとのこと。
ディランの初来日のコンサートは武道館で見たし、ベルリンではディランとサンタナとジョーン・バエズが同じステージで演奏するのを見たという。サンタナの「哀愁のヨーロッパ」がよかったらしい。本職は料理人で、ベルリンにはドイツ料理の修業に行っていたようだ。
一緒に、Modern Times と The Seeger Sessions を聞く。
閉店間際にいくつか歌の練習。The Death Is Not the End, Tomorrow Is a Long
Time, Mr. Tambourine Man などを歌ってみる。それに「フリーウエイ101」も。
September 5, Tuesday 2006
朝からパソコンに向い、昨夜届いた追加のライナーを訳し、BMGから出ることになったロイ・オービソンの唯一のライブ盤の英詞と対訳を再チェック。すべて聞きなおしたので、時間がかかったが、より正確にすることができたし、訳も少し改善できたと思う。それよりも何よりも、ロイ・オービソンという人の音楽に深く接することができてよかった。彼の声域の広さと歌唱力には驚かされる。それに彼の書くメロディの美しさに。
午後遅くに庭に出て写真を撮った。まだまだ暑いが、秋の気配がここかしこに。赤トンボの写真を撮っていたら、畑の唐辛子が目に入ってきた。韓国語では、赤トンボは唐辛子トンボというらしい。「おとぐすりコンサート」のDVDで
Ryu がそう語っていたので正しいだろう。かつて「あのねのね」は一世を風靡した「赤トンボの唄」で、「赤トンボ、赤トンボの羽をとったら唐辛子」と歌っていたような気がする。
*「三浦久ホームページ」の掲示板からもアクセスできますが、次の矢印をクリックすればここからもアクセスできます。赤トンボや唐辛子やコスモスなどの写真です。一枚はトップページに使っています。
September 4, Monday 2006
終日、土曜日に届いた初校の校正作業。訳しているときに念を入れて間違いのないようにしたつもりだが、いくつかとんでもない間違いがあった。それに今回は歌詞の聞き取り作業もあったので、行替をどうするかというところで迷った。校正の段階で再度聞きなおし、いくつか修正した。
夜、途中からだったが、渥美清の生涯を描いたドキュメンタリーを見た。他にしなければいけないこともあったが、つい引き込まれて最後まで見てしまった。「男はつらいよ」シリーズはそんなに見てないし、それほど好きではないが、彼の役者根性には恐れ入った。
子供のころ憧れていたいくつかの職業は、今ではそれほど魅力的だとは思えないし、価値があるとも思えない。そう思うようになったのは、残された時間が少なくなったからか。残された時間で何をしたらいいのか、すべきなのか。今日はそんなことを漠然と考えていたので、渥美清のドキュメンタリーを見て、少しはっとした。
September 2, Saturday 2006
ジミー矢島さんが八ヶ岳山麓に始めたそば処「からまつ亭」に一度行きたいと思っていた。翻訳も一段落ついたので、思い切って今日行ってきた。
初秋の美しい日。ボブ鈴木から「わかりづらいところですよ」と聞いていたが、確かにわかりづらい。しかし、大通りに大きな看板を出して、たくさんの観光客が群れをなしているところだったら、「からまつ亭」の魅力は半減するだろう。蕎麦御膳をいただく。家人は八ヶ岳蕎麦、ぼくは縄文蕎麦の大盛り。美味しくて、縄文蕎麦大盛りをもう一枚。蕎麦も美味しかったが、ぼくが感心したのはつゆの美味しさ。かなり知られたお蕎麦屋さんでも、(ぼくには)つゆがしょっぱ過ぎることが多い。「からまつ亭」のつゆは、しょっぱくなく、しかもコクがある。
食後、ジミーさんに一曲お願いする。19歳のときに書いたというスローなブルーズ「夕方」。渋い、いい歌だ。
しばらく歓談したあと、他のお客さんも入ってきたので、おいとまし、野辺山へ。知り合いのペンションが野辺山にある。挨拶していこうと訪ねたが、留守だった。4時半帰宅。しばらく休んでオーリアッドへ。
■
八ヶ岳山麓までのドライブで疲れたので、6時開店後、2階で仮眠。電話で起こされる。お客さんが来たとのこと。1時間は眠ったみたい。今晩は前半、歌い手ではないお客さんが多かった。注文の品がほぼ出たところで藤森和弘さんにお願いする。
「子守唄のように」「住みなれたこの町で」を含む自作の曲3曲。「子守唄のように」は先週仕事をしながら書いた歌とのこと。自分の歌が、昔、母や父から歌ってもらった子守唄のように、あなたを癒すことができたらいいのだが、という歌。いい歌だ。藤森さんは最近立て続けにいいオリジナルを書いている。ソングライターとしての才能に目ざめたよう。
大月高志さん。「イエスタデイ」「カノン」を含む3曲。いつにも増してしっとりした演奏。よかった。飛び入りライブと知らずに入ったお客さんたちからも大きな拍手。楽譜をもっていないとのことで、「主よ、人の望みの喜びを」は弾いてもらえなかった。
遠藤淳一郎さん。「ホワイト・サマーとカシミール」「レインソング」、いずれもギターのインストラメンタル。オープンチューニング。最近ますますギターの腕を上げたような気がする。あるいは本来の実力が戻ってきたというべきか。後半のセッションではハーモニカを吹いたが、これがまたよかった。ミュージシャン
Junichiro Endo である。
ダニエル・ジリッグさん。Positively 4th Street, Sister's Kids, Your Face
の3曲。2曲目は先週書いた曲で、オーストラリアの妹さんの二人の息子、つまりダニエルの二人の甥のことが歌われる心温まる歌。「ダンおじさんに会いたいよう」という小さな甥たちの声。
ギターとボーカル、田中創さん。ハーモニカ、春日淳也さん。Ol' 55, Love in
Vain, You Are a Big Girl Now の3曲。3曲目を歌う前にディランの新しいアルバムを一昨日買って聞いたがすばらしかったと話す。最後の曲
Ain't Talkin' が気に入った様子。
赤羽真理さん。「千両梨の実」「輝く日を仰ぎ見て」「花語らず」の3曲。1曲目は今日はとくに、ゆっくりと、しっとりと、実に説得力があった。3曲目は驚くことにぼくの歌。ちょっとメロディが変わっていたが、それはそれで新鮮に響いた。
これで前半終了。Ain't Talkin' の8分48秒間の休憩。後半のトップに、ぼくが「花語らず」を歌う。この歌は1969年サンタバーバラで当時の南禅寺管長柴山全慶老師にお会いしたあと、老師の詩に曲をつけたもの。その後長い間忘れていたが、『ガビオタの海』(1999年)のレコーディングの際、古い日記を見ていたら、この詩が書かれていた。そしてそのあとに老師の詩に曲をつけたと書かれていた。不思議なことに2,3回歌ってみたら、メロディもすぐに思い出した。
花は黙って咲き
黙って散って行く
そうして再び枝に帰らない
けれどもその一時、一処(ひとところ)に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真(まこと)である
永遠にほろびぬ生命の
よろこびが
悔いなくそこに
輝いている
『ガビオタの海』にこの曲を入れる際、東福寺の福島慶道老師を通して、南禅寺僧堂より許可をいただいた。
いよいよ、ここから最近恒例になったオーリアッド飛び入りライブ・セッションパーティー。先ず藤森さん。1曲目新曲「子守唄のように」を春日さんのハーモニカと一緒に。そして「Close
Your Eyes」。ピアノ、大月高志; ギター、田中創; ハーモニカ、春日淳也。
次に遠藤さん。1曲目 Hotel California。ピアノ、大月高志; パーカッション、春日淳也;
ギター、田中創。続いて Let It Be。セッションバンドのギターが、田中さんからダニエルにかわる。Hotel
California はいつ聞いてもいい。
次にダニエル。1曲目、Lay Down Sally。ハーモニカ、遠藤淳一郎; パーカッション、春日淳也;
ギター、田中創。2曲目、I Shall Be Released。上記バンドにピアノの大月さんが戻り、遠藤さんはハープとボーカルに。
最後に、田中創さん。ご存知 Sweet Home Chicago と Good Night Irene。バンドは今夜のオーリアッド・セッションバンド、フルメンバー。素晴らしい演奏。堪能した。
一般のお客さんは前半で帰ってしまったが、本当は後半を聞いてほしかった。ぼく自身、今日は疲れていたが、後半の演奏を聞いて疲れがとれた。それほど素晴らしかった。
是非多くのみなさんに、オーリアッド飛び入りライブの後半のセッションパーティーを聞いてもらいたいものである。
September 1, Friday 2006
昼食後、オーリアッドへ。CDをかけたとき右側のスピーカーの音が出ないので、石崎信郎さんに電話で助けを求める。即座にミキサーの内部でチャンネル2が接触不良になっているので、別のチャンネルに変えたらいいとのこと。チャンネル3に変えたらいい音で鳴り出した。ギターの音がラインでとれない件に関してもいろいろサジェスションをもらったが、こちらはうまくいかなかった。
今晩は回復したスピーカーでディランの新しいアルバム『モダン・タイムズ』を聞く。先ず気に入ったのは、4曲目の
When the Deal Goes Down、6曲目の Workingman's Blues #2、それに最後の長編8分48秒の
Ain't Talkin'。ディランの歌にそっと寄り添うように演奏するバンドもいい。ディランの静かに語りかけるような歌い方もいい。両者ともに押し付けがましさがない。わざとらしさがない。人馬一体、時には速く、時にはゆっくり、変幻自在に進んでいく。昨日書いた「超ひも理論」の証明がここにあるかのよう。
Time Out of Mind, Love and Theft の過去2枚アルバムと同じ範疇に入るサウンドと内容。だが断然今回の Modern Times がいい。ディラン、65歳。恐るべし。
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