OREAD Diary November 1〜November 30, 2005



November 26, Saturday 2005

「香月!」をフィーチャーした飛び入りライブデー。7時ごろメンバー到着。サウンドチェック。その間に彼らの友だちやファン多数来場。大きなレンズのカメラを持って待機しているのは垣内彰さん。

7時半過ぎ、香月!の演奏が始まる。「ビタミンU」「24+7」「秋桜」「X〜微熱の街」と続いて、「千の風」。以前、この歌を歌うかもしれないと聞いたことがあるが、前奏が流れ、実際に香さんが「わたしーのはかのー」と歌い始めたときは驚いた。最後の「だからわたしのはかのー」を歌う前に間奏が入っていて、ああいう歌い方もいいなと思った。最後の曲は、人と人の出会いの不思議を歌う「誕生」。この歌のメインボーカルは大月高志さん。何度聞いてもいい歌である。「Ann〜Last Song」がなかったのが残念。




ウラジミール安田さん、オーリアッド2度目の登場。前回はブルーズマンたちとの競演で熱気を帯びた激しい演奏。今回は静かな「大人の」演奏。どちらにしても卓越した技術に感嘆する。即興の「OREAD Blues」 から入り、「Mysty」「 Georgia on My Mind」。 そして最後に「Day by Day」。安田さんを聞きたいとやってきた自然農法家の黒岩さんの目は、安田さんの指先をじっと見つめて動かない。



次に安田さんの伴奏で香さんが歌う。「Autumn Leaves」「 All of Me」「 You'd Be So Nice to Come Home」、そして「Fly Me to the Moon」 の4曲。香月!の「女の子」の香さんとはちょっと違う「大人」の雰囲気を漂わせた香さんがそこにいる。



今晩の飛び入りライブはこれで終了。いわゆる「香月!」ファミリーによる演奏のみであったが、ローソクの灯りのもと、ブランデーでも飲みながら聞きたいようなしっとりとしたいいコンサートだった。その後しばし歓談。

最後に残ったのはカウンターにいた黒岩さんと、今晩初めてお見えになった北野公男さん。初めてというよりは、彼によれば2度目とか。20年ほど前に信大のブルーグラスバンドが演奏したときに、初期のオーリアッドに聞きにきたことがあるとのこと。話しているうちに、北野さんは「フィールド・オブ・ドリームズ」というブルーグラスのバンドのフィドルを担当しているということがわかった。そして、明日の塩尻市の「市民タイムス塩尻ホール」で午後3時から始まる「古川豪コンサート」で演奏するとのことも。昨年の同じ会場での古川君のコンサートで、ぼくも4曲歌わせてもらった。

最後にぼくが、北野さんの属するバンド名の歌「フィールド・オブ・ドリームズ」を歌っておひらき。今晩は明日からの旅行にそなえて11時には閉店したいと思っていたが、それよりも若干早く終ることができた。と、思ったら、電気を消そうとしているところに一人登場。やはり今夜も最終的に店を出たのは11時を過ぎていた。

明日から「オーリアッド日記」はしばらくお休みします。旅行中、できたら、三浦久ホームページの掲示板に書き込みます。



November 25, Friday 2005

開店後しばらくして某新聞の記者Mさんが入ってくる。先日のRolling 60's Live Party の最中の火事の話題になる。タバコの火の不始末が原因だったらしい。火元も類焼した方々も本当に気の毒。でもあの密集地帯で3軒だけですんだのは不幸中の幸いとしかいいようがない。

昨年度の宮木公民館役員の方々が、思い出会のあと寄ってくれた。彼らの任期は今年の3月まで。彼らに依頼されて歌ったのは今年の1月のこと。あれからもうほぼ一年が経とうとしている。

水曜日、『ボーン・トゥ・ラン』のトークライブ終了後、菊田さんという方が話しかけて下さった。名刺にはMLBプロデューサーと書かれていた。彼からメールが入り、以前何度かメールを交換していたことがわかった。そしてはたと気付いた。NHKBSの大リーグ中継の前後にスプリングスティーンの「ボーン・トゥ・ラン」が流れるのは、菊田さんの意向が反映されているのではないか、と。

スプリングスティーンが野球が好きだということは、「グローリー・デイズ」のような作品からも、『ボーン・イン・ザ・USA』のカバーの赤い野球帽からも、彼のいくつかの発言からもわかるが、どうしてメジャーリーグ中継に「明日なき暴走」が流れるのかわからなかった。何か一件落着した気分。

夕方、長野大学の下野隆生さんから水曜日に放映されたスコセッシ監督の『ボブ・ディラン:No Direction Home』を録画したDVDが送られてきた。わが家のDVDプレイヤーがDVD-RAMという規格のディスクに対応していれば見ることができると書かれていた。オーリアッドから帰ってから再生してみた。ちゃんと写っている。ありがたい。全編210分。ぼくが水曜日にホテルのTVで見たのは最後の四分の一ほど。今は見ている時間的余裕がない。できるだけ早く見たいものだ。


November 24, Thursday 2005

昨日は乃木坂のSME (Sony Music Entertainment)のライブテリアで開催された Born to Run 30th Anniversary Special Event に参加した。前半 Making of Born to Run の上映。応募者の中から250名が抽選で選ばれたとのこと。かなりの応募があったようである。

メイキングのフィルム上映後、15分の休憩を挟んで、トークライブ。司会は長い間スプリングスティーンを担当してきたソニーの白木哲也さんで、パネリストが最近モンマス大学で開催されたスプリングスティーン・シンポジウムにも参加したという音楽評論家の五十嵐正さんと対訳者のぼく。後半、喜久野俊和さんも加わった。

喜久野さんは長年ソニーの洋楽のディレクターでスプリングスティーンを担当した方。かつてお世話になった方である。喜久野さんに最後に会ったのは、1997年1月の「ゴースト・オブ・トム・ジョード」ツアーのとき。現在彼はユーズミュージックという有線GROUPに属する会社の副社長。彼らはみんな熱狂的なスプリングスティーンのファン。1時間はあっという間に過ぎてしまった。

 

  

二部では リマスターされた Thunder Road, Born to Run そして Jungleland の3曲を最高級の再生装置を使って再生した。そしてパネリストがそれぞれがの曲についてコメント。この3曲のうちでぼくが一番好きなのはなんといっても Thunder Road。

  網戸がバタンとしまり
  メアリーのドレスが揺れる

冒頭のこの二行を聞いただけで、背筋がぞくっとし、多くのイメージが喚起される。そして、

  町は負け犬でいっぱい
  でも俺は勝つためにここから走り抜ける

という最後の二行は、この歌ばかりでなく、このアルバム全体のテーマを見事に収斂している。疾走感あふれるメロディーと演奏も見事である。

今夜は前半英語教室。後半オーリアッド。土曜日の喧騒が嘘のように静かである。赤い Takamine で「その人がこの町に嫁いで来たころ」を歌ってみた。今度はマンダラ2での年末ライブの準備をしなければならない。


November 20, Monday 2005

昨日朝食後、上西夫妻が車で西宮へ向かったあと、ひがしの君、テリー、野間さんと庭で歓談。空は真っ青、雲ひとつない。この澄んだ空気の中でギターを弾いたらどんな音がするかとテリーが言うので、ギルドをもってきて、ひがしの君に弾いてもらう。もう何年も前に、この庭でアイディアが浮かんだという「何も知らずに」をリクエスト。


  大きな木にもたれて空を見る
  空の深さをぼくは知らない
  大きな木にもたれて空を見る
  その木の名前をぼくは知らない
  何にも知らずに生まれてきて
  死んでゆくぼくは街のみなしご



その後、パークホテルの温泉へ。野間さんは温泉に入らず、家人と近くの美術館へ。露天風呂でテリーに昔銀閣寺の近くにあったライブハウスの名前を聞くと即座に「サーカス&サーカス」だと教えてくれた。思い出した。デイヴィッド・ボウイと行ったのは「サーカス&サーカス」だった。

昼食後、ひがしの君は1時半ごろのバスで東京へ。野間さんは2時半ごろの電車で東京へ。テリーは4時過ぎのバスで京都へ。テリーはバスを待つ間、オーリアッドへ戻り、皿洗いを手伝ってくれた。さすがプロフェッショナル。あっという間に土曜日の山のようなお皿やコップがきれいになった。



テリーが帰った後、疲れてうとうと。今日もほとんど一日うとうと。パスポート残存期間問題で眠れなかったことと、Rolling 60's Live Party の疲れが出たようだ。でも悪い疲れではない。パスポート問題はクリアーされたし、ライブパーティーも、多くの方々の協力を得て、予想した以上に素晴らしいものになった。もし両方とも悪い方に転んでいたら、その疲れは倍加していただろう。


November 19, Saturday 2005

還暦記念の「Rolling 60's Live Party」。昔からの友人、そして最近知り合った友人たちが歌いにきてくれた。みんないい歳のおじさんである。今回は敢えてパブリシティーはインターネットの案内だけにしたが、ありがたいことに、多くの方々が聞きにきて下さった。

朝から、石崎信郎さんがオーリアッドのPAの点検をし、録音の準備をしてくれた。今まであったマイクが突然鳴らなくなる原因も突き止めてくれた。午後2時サウンドチェック開始。6時半の開場までにほぼ出演者全員のサウンドチェック終了。

7時正確にスタート。次男から贈られた赤と黒のジャージを着、家人から贈られた赤い帽子と靴下を身につけ、長男から贈られた赤い Takamine をもち、ステージに上る。そうそうギターのネックには野間義男さんから贈られた赤いカポ。うーむ、まるでサンタクロースだ。あるいはピエロ。でも悪い気分ではない。これなら、「絶対要らないよ!」と断った赤いちゃんちゃんこでもよかったかも。

歌い手が多いのでそれぞれが歌う歌は1から3曲。まずぼくが「サンタバーバラの夏」、次に赤羽真理さん「千両梨の実」。山岸豊さん「アイ・シャル・ビー・リリースト」、長島功さん「最後の手紙」。水野哲男さん「錆びた耕運機」「C」。ここまで野間義男さんにリードをつけてもらう。聞きなれた歌も彼のリードが入ることによって一味違って聞こえてくる。

 

   

続いて中村ブンさん。ギタリストは箱守寿夫さん。「ふりむくな哀」を含む3曲。役者である。聴衆の心をつかむ話術に長けている。3曲目に歌った「ふりむくな哀」が気に入った。中山昭さん「フィッシング・ブルーズ」を含む3曲。ちょっと身体の調子が悪いとのことで元気がない。お酒が入っていないせいかも。それでもいつもの中山節。山田守人さん「伊那の勘太郎ブギ」を含む3曲。ボブ鈴木「ワット・ア・ワンダフル・ワールド」を含む2曲。山田さんとボブの一曲ずつに、ウオッシュボードの北沢さんが入る。ドクターふあ「島」を含む2曲。リードギターに安藤則男さん。「島」はいつ聞いてもいい。この曲につけた安藤さんのスライドギターがよかった。





つづいて拾得のテリー。「ラッキー・オールド・サン」「プラウド・メアリー」「Sitting on the Dock of the Bay」。3曲目のオーティス・レディングのこの曲を聞きながら、1969年の秋、京都御所の庭で彼がこの歌を歌ったときのことを思い出していた。それはぼくが京都に着いた次の日、1969年9月11日のこと。



藤原和義さん。「オーリアッド(妖精)」「カントリー・ワルツ」「バラライカ」。淡々と丁寧に歌ういつもの藤原節。しかし今夜はとりわけ説得力があった。会場は水を打ったように静まり返り、文字通り、「針が床に落ちる音が聞こえる」ほど。満員の聴衆一人ひとりの心に、彼のことばとメロディーが入り込んでいくのが感じられた。



そしていよいよ、ひがしの(ひとし)君。一曲目はずっと昔聞いたことがあるような気がする。タイトルはわからないがぼくのことを歌っている。長男が生まれたころ書かれた歌にちがいない。「そして彼の息子はシンヤ君」というフレーズがある。2曲目は「ブラート・オクジャワについて」。ロシヤの詩人オクジャワに捧げた歌。大好きな歌だ。そして彼の歌の中でもっとも知られている歌「マキシム」。「マキシム」には野間さんのリードが入る。今晩はわずか3曲だったが、彼を初めて聞いた人はおそらく彼の歌が好きになっただろう。彼を長い間知っているが、one of his best performances ever.



最後にぼくが「千の風」と「ガビオタの海」。歌い終わると、客席のほうから Happy Birthday to You の歌声。よく見ると中山昭さんがギターを弾き、ほかの人たちも歌っている。ぼくの誕生日は11月14日、中山さんは15日。そして何と今日19日はひがしの君の誕生日。

その歌が終ったあと、ぼくの中学時代の同級生3人にステージに上がってもらい、一言挨拶してもらう。3人ともこの数ヶ月の間に還暦をむかえたばかり。みんなで渡れば怖くない・・・。いやいや、過ぎてしまえば還暦はなんともない。

2時間半のコンサート。出演者のみなさんの協力を得て、スムーズに進行した。いいコンサートだった。



そしてそのあと、ほたる書房の田中さんの音頭で「乾杯!」。パーティーが始まる。スピーチあり歌あり、とくに深夜を過ぎてから、おそらくコンサート以上に濃密な歌がいくつか歌われた。リードギターを弾き続けた野間さんも「酒と泪と男と女」を歌う。午前2時半おひらき。「おじさんたちの長い夜」だった。しかし「とてもいい夜」だった。

 

歌いにきてくれたすべての歌い手に、聞きにきて下さったすべての方々に、感謝いたします。たくさんの花束やお祝いの品々に感謝いたします。ミキシング及びレコーディングをすべて一人でやってくれた石崎信郎さん、西宮から手伝いにきてくれ、餃子をはじめ数々の料理を作ってくれた上西夫妻、それからカウンターを手伝ったくれた黒岩さんに、感謝いたします。

みなさん、ありがとう!



November 18, Friday 2005

昨夜オーリアッドから戻ってメールを開けて、パスポートの残存期間が数日足りないことが判明。有効期限10年なのでまだまだ大丈夫と思っていたのがいけなかった。更新手続きを今日したとしても最短で手にできるのが28日。One day too late.インターネットでいろいろ調べているうちに一睡もできず。何度も旅行したがこんなことは初めて。

出発日を遅らせても、とにかく更新申請に長野地方事務所まで行く覚悟だったが、朝、家人のアドバイスで、NZの次男に電話。クライストチャーチ空港の入管に、数日であれば、and/or 渡航理由などによっては、考慮されるかどうか聞いてもらうことに。彼はいなかったが、リンがいて事情を話す。

しばらくして電話が鳴った。先ず No と聞こえてきたので、No way. だろうと、観念した。が、No problem. だった。ニュージーランドの法律で、その国の領事館がある町に旅行する場合はパスポート残存期間1ヶ月でいいとのこと。それは Policy A2.5 (規定A2.5)といわれるもの。その (e) の (ii)に「パスポートなどの更新ができる領事館がある場合は残存期間1ヶ月でいい」と書かれている。ああ、よかった。その規定に興味のある方は次の矢印から。   

開店後しばらくして寄藤先生ご夫妻がお見えになる。お願いしておいた息子さんの文平さんが出演した「情熱大陸」のビデオをもってきて下さった。先生はぼくの新しい赤いギターに触ってもいいですかといい、弾き始める。Home on the Range だ。歌もどうぞと、マイクのスイッチを入れる。数年前、ぼくがまだ農学部で教えていたころ、先生は初めてギターを弾き始めた。遠慮気味に歌ったのか声はまだ小さかったが、見事に歌い、弾く。先生に飛び入りライブで歌ってもらえるのもそう長い先ではなさそうだ。カメラをもっていかなかったのが残念。

先生が歌っている間に大月高志さんがさっぱりした髪型で入ってくる。その後彼の友人たちも。

遅くなって、下諏訪でのコンサートを終えた中村ブンさんとギタリストの箱守寿夫さん、そしてエンジニアの石崎信郎さんが入ってくる。中村さんに一曲歌ってもらうことに。素晴らしいメロディーと歌唱力。それに箱守さんのリードギターが小気味よい。カメラがないのが残念。

明日は「ローリング60'sライブパーティー」。いろんなところから歌いに聞きにやってきてくれる。どんなコンサートになるか不安であると同時に楽しみである。



November 17, Thursday 2005

ここ数日本当に寒くなった。オーリアッドから家に戻ったとき、3℃しかなかった。明日の朝は零下になるとのこと。

前半、英語教室。9時過ぎ階下へおりていくとジブラーンの会の方々がまだ3,4番テーブルで話をしていた。今晩は「死について」を読んだとのこと。あとがき的な「別れ」を除けば最終章である。

  あなた方は死の秘密を知りたいと思っている。しかし、生そのも
  のの中にそれを求めることなくして、どうしてそれを見出せようか。

孔子の「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや」にも通じているような言葉だ。

ジブラーンの死の捉えかたはまさに「千の風」の世界である。

  死ぬということは、風の中に裸で立ち、太陽の中にとけ込むとい
  うこと以外の何であろうか。呼吸が止まるということは、休みな
  き潮の満ち引きから呼吸を自由にするということ以外の何であろ
  うか。そうすることによって呼吸は肉体から立ち上がり、広がり、
  何ものにも妨げられることなく、神を探すことができる。

  沈黙の川の水を飲むとき、あなた方はほんとうに歌い始める。山
  の頂上に辿りついたとき、あなた方はほんとうに登り始める。そ
  して肉体が土に帰るとき、その時こそ、あなた方はほんとうに踊
  り始めるのだ。

今晩初めて赤い Takamine をオーリアッドへ持っていき、閉店後に音を出してみた。弾きやすく、乾いたいい音がする。



November 16, Wednesday 2005

午後諏訪の文化センターでトークライブ。年輩の方が多かったので、久々に「丁度よい」を歌う。この歌の入った『千の風』がよく売れた。ありがたいことに、ホームページの掲示板やこの日記の案内を見てきてくださった方も何人かいたとのこと。感謝。

終ったあと、役員の方々とお茶を飲んだ。みなさん年齢の割りに肌がきれい。艶がある。そうだ諏訪の人たちは毎日温泉に入る環境にある。自分の家でいつでも温泉に入れるなんて実に羨ましい。特に寒い冬には。

土曜日以来のオーリアッドは冷え切っていて、灯油のストーブとエアコンのヒーターをつけてもなかなかあたたまらない。築20年の木造の建物、乾燥して隙間ができ、冷たい空気が入り込んでくるのかも。

パソコンに向かい、ソニーへ送る校正作業をしているところへ藤原和義さん。伊那へ行った帰りだという。先週土曜日に忘れていった歌詞カードの入ったファイルとカポを取りに来た。ひがしの君の『水の記憶』を一緒に聞く。藤原さんもひがしの君も、ギターは Taylor。藤原さんはひがしの君のギターワークに大いに感心していた。

藤原さんが訳した、というよりは書いた「テネシー・ワルツ」の歌詞を教えてもらう。一緒に歌ってみたが、なかなか難しい。うまく歌えるようになったら、ぼくのレパートリーに入れたいと思う。

11時過ぎ家に戻る。頭上に大きな丸い月。庭が昼間のように明るい。火星もオリオン座もかすんで見える。



November 14, Monday 2005

長男が生まれたときぼくは30で、次男が生まれたときは35だった。そのときからほぼ30年と25年が経ったことになる。この間のぼく自身の変化はそれほどでもないが、彼らの変化は目覚しい。生まれたばかりのおぎゃーおぎゃーと泣いていた赤ん坊が、やがて這いだし、つかまり立ちし、歩くようになった。ことばを覚え、学び、徐々に行動半径を広げ、そして独立していった。

そして今日ぼくはいわゆる「還暦」を迎え、再び「赤ん坊」に戻る。「還暦」という言葉は嫌いだと思っていたが、実際に迎えてみると、それほど悪くもない。一生を、生まれてから死ぬまでの直線と見るよりは、循環する円とみなすほうが、なんとなくゆったりした気分になれる。円には始まりも終わりもない。禅僧が好んで円を描くのもこのことと関係があるに違いない。しかし、空想ついでに空想を重ねれば、人の一生も、動物も植物も、時間も、宇宙も、直線か円のどちらかというのではなく、循環しながら、初めから終わりに向かって進んでいるように思われる。だが、それとてもさらに大きな円のひとこまと見ることもできる。そして、それがまたさらに・・・。果てがない。

  人も草も風も時もそして愛も
  すべてのものが流れています
  その流れを見ているぼくもまた
  すべてのものとともに流れています
        
   ―「宝福寺にて」

昨日の夕方届いた大きな荷物の中からでてきたのは赤い Takamine のギター。長男からだった。それを見たとき、一瞬のうちに様々な思いが押し寄せ、涙をとめることができなかった。



今日の午後は、ニュージーランドに住む次男から、半分黒く半分赤いラグビーのジャージが届いた。背中には30という数字がある。なんで半分赤なのかと思ったが、おそらくまだ「赤ん坊」に戻るには早すぎる、まだまだ30のつもりでがんばれという、次男特有のユーモアだと解釈した。そのあと電話で話し、黒の部分が All Blacks、赤の部分が British & Irish Lions のユニフォームであることが判明。この秋ライオンズがニュージーランドに遠征し、オール・ブラックスと対戦し、オール・ブラックスが全勝したとのこと。3勝0敗。それを記念したジャージなのである。背中の3が黒い部分にあり、0が赤い部分にあるのはそのことを意味しているらしい。



今週土曜日の「ローリング60'sライブパーティー」にはこのジャージを着て、赤い Takamine を弾こうと思っている。


November 12, Saturday 2005

開店後しばらくしてドアが開き、見知らぬ人が入ってきた、と思ったら藤原和義さんだった。ハンチングをかぶり、まだ濃くはないが口ひげをたくわえている。なかなかのダンディ。

トップバッターを藤原さんにお願いする。「テネシー・ワルツ」「千の風」を含む5曲。その中に 今日初めて聞いた The Last Thing on My Mind の日本語ヴァージョンが含まれていた。
『追憶の60年代カリフォルニア』を読んだ藤原さんが、そうだこの歌があったと、思い出したらしい。トム・パクストンのオリジナルとは、メロディーも歌詞も微妙に違う藤原節である。ぼくの好きな彼の歌の一つになった。

 

次に登場は諏訪の井原仁志さん。「スピード」「風になりたい」「染まりゆく街」。軽快なギター。今日の午後購入したばかりのマーティンはまだ鳴りが悪いと家においてきたという。続いて、オーリアッド初登場の飯田の長沼隆之さん。「青春ダンディ」「マイ・バック・ページ」、それに出来たばかりのまだタイトルのない歌。「マイ・バック・ページ」は、ディランが出演した映画 Masked and Anonymous のサウンドトラック盤冒頭の真心ブラザーズによるカヴァーのカヴァー。驚いた。続いて飯田の木下卓也さん。「暮れてゆく海」「ひとりぼっちの夜」「黒い雨」。2曲目の最後のシーン、猫を膝にのせ公園のベンチにすわる老人のイメージが印象的。それに世界中に降る黒い雨も。



堀内千晴さんは、それぞれの国の言葉で「ともしび」「枯葉」「故郷の春」。一曲目の「ともしび」は藤原さんの伴奏つき。(木曽の)大月高志さんは今夜はギターソロ。「グリーン・スリーブズ」と「スイート・ビター・サンバ」。後者を聞くとオールナイトニッポンを、そして京都に住んでいた若かりし頃を思い出す。大月さんはぼくのギターを使ったのだが、こんなにいい音がするのかと驚いた。続いて赤羽真理さん。いつもの「千両梨の実」。歌詞カードなしで歌うのは初めてではなかろうか。



次にぼくが2曲。母の命日なので「千の風」。そして次男のために書いた「あの果てしない大空へ」。母が亡くなる前の一週間毎日現れ、その後も法事のたびに現れた鳥は、今年は現れなかった。

最後に藤原さんが3曲。1曲目は最初に歌った The Last Thing on My Mind の日本語ヴァージョン、3曲目は名曲「カントリー・ワルツ」。2曲目のタイトルは聞きそびれた。その後しばし歓談。長島功さんが遅くに「喜楽クラブの練習が長引いて、連れてこれなかった」といってやってきた。喜楽クラブは明日、宮木の公民館で演奏するとのこと。



November 11, Friday 2005

曇り空の寒い日。夜になって雨になった。

開店後しばらくして、いつもチーズケーキを食べにきてくれるお客さん。今日は切らしていて失望させてしまった。明日は用意できるはず。

久々にオーリアッドでパソコンに向かう。先日電話インタビューを受けた。いかにしてぼくがデイヴィッド・ボウイと出会い、It's No Game を訳すようになったかの経緯について。その校正用の原稿が送られてきた。ぼくが彼に会ったのは1980年3月のこと。しかし当時の日記には、会ったのは3回と簡単に記述されているだけ。肝心なことは何も書かれていない。しかし、記憶というものは不思議なもの。いくつかの切れ端から、様々なことが思い出され始めた。インタービュー時点では忘れていたが、校正しているうちに思い出したこともあり、楽しみながら修正。

明日は母の命日、久々に『千の風』を通して聞く。自画自賛になるけれど、とてもいいアルバムである。

遅くなって長島功さん。音楽のこと、家族のことなど、四方山話。



November 10, Thursday 2005

前半英語教室。

後半、お店は暇で、5番テーブルにすわり、11月19日の「ローリング60's Live Party」で歌おうと思っている古い歌を練習した。しかし、午後の講演の疲れか、うとうとしていることが多かった。

午後は隣町の箕輪中部小学校でトークライブ。広い体育館で少々寒かったが、一時間半、熱心に聞いて下さった。終ったあと多くのお母さんから握手を求められた。いろんなところで歌ったり語ったりしてきたが、PTAの講演会でこんなにたくさんの方々から握手を求められたのは初めて。すべてのCDと本を買って下さった方もいた

始まる直前、水野先生が奥さんといっしょにすわっているのに気づいた。驚いた。サウンドチェックもあまりできないまま始まったので、1曲目が終ったあと、彼に音のバランスを聞いた。ギターの音が大きすぎると指摘され、さっそく下げる。

     
     photo by t. mizuno

終ったあと校長室でしばし歓談。壁に新田次郎の色紙が飾ってあるのに気づいた。『聖職の碑』に描かれている駒ケ岳で集団遭難した子供たちはこの学校の子供たちだったのだ。それは大正二年、箕輪中部小学校が中箕輪尋常高等小学校であった時代のこと。

この小説が1978年映画化されたとき、烏丸通りの勤労会館で開かれた試写会へ行った。鶴田浩二扮するところの赤羽校長が駒ケ岳を仰ぎながら妻にむかって「こういう山を見ながら育つから良い子が育つのだ」という主旨のことを言ったのを今でも覚えている。

そんな話をしたら、同席していたPTAの役員の二人の方が「ぼくたちはその映画にエキストラとして出ました」とのこと。小学6年と中学1年のときのことだったらしい。箕輪中部小学校では、今でも命日の8月26日には、児童全員が家からもってきた花を校庭の記念碑に手向け、手を合わせるとのことだった。

校長室に入るドアの横の壁に、大書された「雨ニモ負ケズ」が貼られていた。そのまわりに、子供たちの名前が書き込まれている。学年も書かれている。この詩を暗記して校長先生の前で暗唱できたら自分で名前と学年を書いていくのだとか。水野先生の一年生の娘さんの名前もしっかりと書き込まれていた。


November 9, Wednesday 2005

11月19日(土)の「ローリング 60's ライブパーティー/おじさんたちの長い夜」の詳細をトップページにアップした。さっそく、「贅沢というか多彩というか、すごいメンバーですね」というメールが入った。出演者のおおまかなプロフィールは次の矢印から。

久々のオーリアッド。ロバート・ジョンソンを聞いているところへ、某高校で英語を教えているM先生が入ってくる。彼は山田守人さんの後輩にあたるとか。オーリアッドのカレーが食べたくなったとのこと。以前伊那に「サンサーラ」というインドカレーの店があったが、その店のカレーと似ているとのことだった。また19日は東京へ行く予定があるので、少し遅れるが、「ローリング 60's ライブパーティー」に参加したいとのことだった。その後、レッドベリー、ライ・クーダー、ミシシッピー・ジョン・ハート、デイヴィッド・ボウイなどについて四方山話。

今朝はいつもより早く起きて外に出た。冷たい。温度計を見るとプラス1℃。その冷気の中、庭の白樺の黄色い葉が朝日を浴びて輝いている。裏山に目をやると、裏山も見事に輝いている。早起きもいいものだ。

 




November 5, Saturday 2005

7時になり、まだ誰もいない客席に向かって 一人で歌い始める。「永遠の灯」を歌っているところへ藤原和義さん。そのあと、土曜日は初めてだが、他の日に何度かきたことがあるお母さんと娘さんが入ってくる。さっそく藤原さんに歌ってもらうことに。

一曲目は先週初めて聞いた「オーリアッド(妖精)」。その後、「かもめ」「ウーリャン」「「林道工夫」「でいだらぼっち」「木枯しの街を」。最後の歌は印象に残った。いつも静かな藤原さんだが、この歌は比較的力が入っていた。藤原さんが歌い始めてから、徐々に歌い手も聞き手も増えてきた。



赤羽真理さんは藤原さんのTaylor のギターを借りて、「鹿のように」「千両梨の実」の2曲。何度聞いても、「千両梨の実」は色あせない。名曲である。Taylor のギターは小ぶりながらよく鳴る。



赤羽さんのあと、ぼくが「ガビオタの海」と「千の風」。「千の風」は2年前の母の死に触発されて完成した歌。明日は母の三回忌の法事。母が亡くなったとき、裏山の紅葉がきれいだったことを覚えている。今日の午後庭を掃除しながら裏山を見ると、いつの間にかきれいに色づいていた。同じ季節が巡ってきたのだ。



時間は不思議だ。あの時からとても長い時間が流れたようにも思うが、きわめて短かったような気もする。確かなことは、「いつもおまえのそばにいるよ」という歌詞は真実だということ。


ぼくのあと、田中創さん。Ol' 55, Stand by Me, King of Bohemia の3曲。渋い歌を歌う。彼の歌はすべて、英語の歌のカバーなのだが、見事に彼自身の歌にしている。彼と歌が離れていない、歌とひとつになっている。続いて、春日淳也さんがリードギターで加わる。Wild Horse, Shooting Star, Sweet Home Chicago の3曲。ローリング・ストーンズ、ディラン、ロバート・ジョンソン、この3人の名前を耳にしただけで、この若者の音楽の好みが分かるというもの。Shooting Star がよかった。



続いて大月高志さん。久々に彼の「カノン」を聞いた。今はあまりピアノを弾く環境にないとのことだったが、さすがである。盛大な拍手。11月26日の飛び入りライブは彼のバンド「香月!」がメインフィーチャー。



最後に藤原さんに「テネシー・ワルツ」「カントリー・ワルツ」「バラライカ」の3曲をお願いする。「バラライカ」にまつわる彼のMCが面白く、この歌を理解するうえで役立った。彼の歌を聞くたびに、藤原さんのことが少しずつ分かってくるような気がする。



今晩は、飛び入りライブということを知らずに来た人が何人かいた。それぞれ、歌に引き込まれて最後まで聞いて下さった。最初に娘さんと入ってきたお母さんが、帰り際「今日は私の誕生日で、娘がオーリアッドのチーズケーキを食べにいこう」と誘ってくれたと言う。さっそく大月さんにピアノを弾いてもらい Happy Birthday to you♪。もう一人は某学校の校長先生。話したいことがあってやってきたのだが、だんだんと歌に熱が入り最後まで。「実によかった」と言ってお帰りになった。

田中創さんのお姉さんとドイツ人の夫ステファンもきてくれた。彼は数年前信大農学部で学び、現在高遠で林業をしているという。森林仕事人の中村さんがいたら話がはずんだだろう。ステファンに「ヘルマン・ヘッセが好きだ」というと、「ぼくは読んだことがありません」という返事。ドイツ人のおじさんが日本人の若者に「倉田百三が好きです」といったら、おそらく同じ返事が返ってくるだろう。

11時ジャスト閉店。


November 4, Friday 2005

先月26日にリリースされたジャクソン・ブラウンの JACKSON BROWNE solo acoustic vol. 1 を聞く。このアルバムで、まず最初に感銘を受けたのがアルバムカヴァーのアートワーク。おそらく今までにぼくが手にしたCDカヴァーの中で one of the best いや the best だと言っていいだろう。セピア色のバックを背景に、白いゆったりとしたシャツを着たジャクソンが、こげ茶色のギブソンを胸のところで斜めに抱え、高く上がったネックを押さえるために左手を伸ばし、うつむいてギターの音に耳を傾けている。

70年代中ごろ、友人のマイケル・ホフマンからもらったテープでジャクソンの歌を初めて聞いた。熱狂的なファンというわけではなかったが、1st album Jackson Browne から5th album Running on Empty まで、LPをもっていた。一度は大阪のフェスティヴァルホールへコンサートを聞きに行ったこともある。

久しぶりに彼の歌声を聞いて、しみじみとした思いになった。よく知っている歌、初めて聞く歌もあった。ここに誠実に歌い続けている男がいる。彼は声高にプロテストするタイプではないが、 Lives in the Balance のように、アメリカ政府の好戦的外交政策に真正面から意義を申し立てている歌もある。

Eのハーモニカの音がこもり始めたので解体しているところへ長島功さん。ちょうど細いプラスのねじ回しが欲しいと思っていたところ。彼の車にはいろいろな工具が積まれている。細いねじ回しがないかと聞くとすぐにもってきてくれた。すべて分解し、リードをひとつひとつ掃除した。かなりいい音になった。

後半は忙しくなり、家に戻ったときは12時を過ぎていた。車から降りると、南南東の空にオリオン座。頭上には黄色く輝く大きな星。地球に接近しているという火星か。


November 3, Thursday 2005

セカンドウインド英語教室が始まる一時間ほど前、オカリナ奏者の前野さんがやってきた。「千の風」がようやくCDの音に近い形で吹けるようになったとのこと。さっそく吹いてもらう。とてもいい。最後の部分のメロディーとリズムを少し修正したら、さらによくなった。彼のオカリナ教室の生徒のみなさんと一緒に練習するということだが、全員で「千の風」を吹くところを聞いてみたいものである。

9時過ぎ、英語教室から戻ると、黒岩さんがきていて前野さんと話していた。

昨日発売になった The Concert For Bangladesh を聞く。その中の Blowin' in the Wind を聞いて、黒岩さんが「オリジナルと歌い方が全然違う」と言う。そこでディランはこの歌のみならず、すべての歌を同じに歌うことがないと話し、Blowin' in the Wind のいくつかのヴァージョンを聞いてもらう。ぼくが一番好きなのは、Free Wheelin' に入っているオリジナル。2番目に好きなのはこのバングラデシュのヴァージョンである。

この The Concert for Bangladesh ではディランは次の6曲を歌っている。

  1. Hard Rain's A-Gonna Fall
  2. It Takes a Lot to Laugh,  It Takes a Train to Cry
  3. Blowin' in the Wind
  4. Mr. Tambourine Man
  5. Just Like a Woman
  6. Love Minus Zero/No Limit

どの歌も素晴らしい。ディランのPerforming Artist としての一つのピークがここにあるとぼくは思っている。


November 2, Wednesday 2005

土曜日以来のオーリアッド。先ず土曜日の後片付け。久々にキタローのシルクロードをCDプレイヤーに、そしてストーブに灯油を入れる。そこへ垣内彰さん。「これをかけてくれますか」と「高田渡トリビュートアルバム」を差し出す。区切りのいいところでキタローからタカダワタルへ。じっくり聞けたのはナカガワゴローが歌う「系図」まで。そのあと何人かお客さんが入ってくる。

そのうちの一人、Dr. Yajima が「これをかけてくれますか」と一枚のCDを差し出す。ロシア生まれ、ニュージーランド在住の19歳のYULIAという女性歌手の Into the West というアルバム。英語のScarborough Fair、フランス語の L'Hymne a L'amour(愛の賛歌)をはじめ、マオリ語の歌(「ホキ・ホキ・トヌ・マイ」)やロシヤ語の歌(「黒い瞳」)も歌っている。きれいな歌声。堀内千晴さんにぴったりのアルバム。

最後まで残ったのはほたる書房の田中さんと自然農法家の黒岩さん。田中さんが藤原和義さんの「バラライカ」が聞きたいというので、藤原さんからいただいた音源から「バラライカ」と「かもめ」を聞いてもらう。そのあと、ぼくがギターを弾き、3人で「バラライカ」を歌う。そして黒岩さんのリクエストで「宝福寺にて」を歌い、閉店。この歌にあるように、「秋ももうだいぶ深まりました」。


November 1, Tuesday 2005

いよいよ11月。さそり座の季節。今月はぼく自身のコンサートや講演がいくつか予定されていて、忙しくなりそうだ。

中でも、11月19日に「ローリング 60's ライブパーティー」がオーリアッドである。「Rolling 60's」 と名づけたのは「還暦」だからだが、60年代という意味もある。よくも悪くも、ぼくは今もあの時代の意識から抜け出せないままでいる。そして歌いに集まってくれる友人たちもその点で共通しているように思われる。さらに「Rolling」には、60を過ぎても「転がる石」のようでありたいという気持ちが込められている。

どんなライブパーティーになるか皆目予想がつかない。現在参加が確認できているミュージシャンは、ひがしのひとし、拾得のテリー、野間義男、中山昭、藤原和義、ボブ鈴木&フレンズ、ケサランパサラン雑技団(安藤則男&ドクターふあ)、中村ブンの各氏である。もちろんぼくも何曲か歌う予定。一部はライブで、二部が打ち上げ。二部のほうが盛り上がる予感もする。

 
三浦久ローリング 60's ライブパーティー
 日時:11月19日(土)開場6時半、開演7時
 会場:オーリアッド
 出演:ひがしのひとし、拾得のテリー、野間義男、中山昭、
    藤原和義、ボブ鈴木&フレンズ、ケサランパサラン雑技団、
    中村ブン、三浦久
and others
 チャージ:1000円(今年還暦の人は無料)
 打ち上げ:1000円
 予約・問合せ:miura@secondwind.jp


昨日は松本へ行くためにドアを開けて外に出たら、あまりにもいい天気。山麓線が美しいだろうと思い、家に戻りカメラをカバンに。しかし、行きは時間がなくて、朝日を浴びて輝く北アルプスの峰々を撮ることができなかった。帰りに、キャンパスやら、あがたの森やら、山麓線沿いの写真を撮った。本当に穏やかなきれいな一日だった。



 


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