OREAD Diary October 1〜October 31, 2005


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October 29, Saturday

6時開店。まもなく名古屋の永田雅章さんが奥さんと娘さんと入ってくる。しばらくサウンドチェック。永田さんにお会いしたのは、7月の終わり、千曲市で開かれた全国の英語の先生たちの会(新英研)で歌わせていただいたとき。その後彼から「人前で歌ったことはないが、一度オーリアッドへ行って歌わせてもらいたい」と何度か連絡をいただいた。

7時過ぎ、ぼくが「その人がこの町に嫁いできた頃」を歌う。歌い終わるころには歌い手も聞き手も徐々に増えてきた。いそいでカウンターの中へ。


トップバッターは堀内千晴さん。先週に続き「枯葉」「ともしび」「故郷の春」をフランス語、ロシア語、韓国語で。一番テールブルにすわっていたコカリナ奏者の前野さんが、「コカリナをもってくればよかったな。<故郷の春>は好きでよく吹くんですよ」と声をかける。確かにのどかな田舎の春を思わせるいい曲である。



次に登場は藤原和義さん。彼からいただいた音源に「カントリー・ワルツ」が入っている。そのメロディーとことばが素晴らしく、車の中で繰り返し聞いている。そのことを告げると、その歌を2番目に歌ってくれた。あとの2曲は「田舎娘」と「アコロ(東アフリカの子供たちへ)」。



続いてオーリアッド初登場の田中創さん。Good Night Irene, My Sweet Home Chicago それに、Love Minus Zero/No Limit。弱冠27歳。演奏技術云々ではなく、そのソウルに驚かされる。あの若さであの渋さ。



続いて永田雅章さん。Stand by Me, 「さくら」「翼を下さい」の3曲。Stand by Me はよく歌い込まれていることがわかる。リハーサルのときよりずっとよく響いた。最初は誰でも緊張するもの。Blowin' in the Wind は今回は練習不足で断念したが、それはまた次回に。



次は久々登場の hickory こと久納さん。「青」「赤い鳥・闇・月」「ぼくは奇数」の3曲。独特のヴォーカルとギター。hickory style といえる独自のサウンドが確立されている。それに歌詞もタイトルからもわかるように、かなりシュールだ。



この時までに、かなりのお客さんが入ってきていた。その大部分は、「たつの美術館」でのクラシックコンサートが終って、藤原さんの歌を聞きたいと駆けつけてくれた人たち。さっそく藤原さんに round 2 をお願いする。

一曲目は新曲「オーリアッド(妖精)」。続いて「テネシー・ワルツ」「千の風」「バラライカ」。いつものしみじみとした歌声が流れる。場内がシーンとなり、みなが聞き耳を立てているのがわかる。「オーリアッド(妖精)」は短い歌。

  みどりあふれ、風に吹かれ、揺れるよ
  いづくからか聞こえてくる木笛(ふえ)の音
  美しく、健やかに、愛おしく、君はあこがれ
  光あふれ、愛にみちたまなざし
  ララ歌うよ、ぼくは君が好きさ

お店の名前オーリアッドは、ギリシャ神話の「山の妖精」。いつも表に出ず厨房で働いているオーリアッドの「妖精」に感謝の気持ちを込めて書いたというこの歌を聞いて、ぼくは実に嬉しく、「妖精」と呼ぶには少々とうが立っているが、その「妖精」がまだ若かりし頃書いた歌を歌う。そして「千の風」の返礼に「バラライカ」を。それにフォレスター中村さんのリクエストで「永遠の灯」。最後の歌は難しい。コードがまだ確定していない。

続いて田中創さん。Drown in My Own Tears, Sitting on Top of the World, そして Just like a Woma
n。2曲目の最後にはロバート・ジョンソンの Come On in My Kitchen をしのばせるニクイ演出。

そして今晩の最後は hickory こと加納さん。「時は流れる」「ラジオ」「ひとつひとつ」。「ラジオ」を聞きながらノスタルジックな気分になった。アメリカの50年代のラジオ全盛期の雰囲気が伝わってくる。



 
これで今夜の飛び入りライブは終了。その後しばし歓談。流れている音楽はウラジミール・ヴィソツキー。その後、3番テーブルで、田中さんに「ボブ・ディランに捧げる歌」のさわりを聞いてもらう。ディランの歌のタイトルをつなぎ合わせた歌詞。彼がその歌詞をしっかりと理解しているのがわかる。彼に My Sweet Home Chicago をお願いする。ステージで歌っているときには簡単そうに見えた彼の指使いは近くで見るとやはり複雑。ぼくにはちょっと真似ができそうもない。

そのあと、藤原さんに「オーリアッド(妖精)」を再度歌ってもらう。そして、「カントリー・ワルツ」も。静かに語りかけるように歌う藤原さんの声がオーリアッドに木霊する。「山の妖精」も近くにすわり神妙な顔。でも嬉しそう。今や「山の妖精」というよりは「山の神」に変身しているようにも思えるが・・・。昨日のバザーで売れ残った黒岩自然農法園の野菜は、4人の方に分けて買っていただき、完売。とてもいい夜だった。




October 28, Friday







辰野東小学校PTA主催のバザーに黒岩自然農法園が出品した。ぼくもお手伝いに。10時過ぎ、学校に着くと、子供たちが庭で、大木を相手になにやら作っている。学校林に置くベンチとのこと。その向こうでは山羊がのどかに草を食んでいる。森林仕事人の中村さんが児童の手をかりてCD展示用の丸太ラックを運ぶ。

農園主の黒岩さんは店舗設定に余念がない。ダンボールの上に5つの輪切りの板(古い御柱を輪切りにしたもの)を並べ、その上に野菜を置く。今朝暗いうちに起きて採ったものばかり。大根、人参、赤カブ、チンゲン菜、水菜など。一山千円。

水野先生も顔を出してくれた。CDプレーヤーからは彼の歌が流れている。門前市をなすというわけにはいかず、最初は誰も近づかない。農園主の風貌に恐れをなしたか。腕組みをして思案顔の農園主。そうでもないか。笑っているようにも見える。最終的には一山売れ残った。残った一山は土曜日のオーリアッド飛び入りライブで販売予定。早い者勝ち。絶対値打ちの野菜である。(価格の中に輪切りの御柱は含まれていません。)

6時オーリアッド開店。静かな夜。遅くなって農園主が現れた。入ってくるなり、「疲れたー。でも楽しませてもらいましたよ」


October 27, Thursday

6時過ぎ、まだ家にいた。電話が鳴り、自然農法家の黒岩さんがお店にきているという連絡を受ける。明日の辰野東小学校のバザーで彼の農作物を売るときに、ぼくのCDを展示するラックを作ってもってきてくれたとか。

お店に入ると真中に、何枚ものCDが挿さっている大きな丸太棒が立っている。唐松の大木である。驚いた。午後、森林仕事人中村さんの家の庭でつくったとのこと。ありがたいことである。

そこへおかっぱ頭の男の人が入ってくる。彼はぼくを見ると、すかさず「三浦さんですか」と言う。そうだと言うと、北海道の阿知波さんからオーリアッドのことを聞いてやってきたと付け加えた。家は大分にあり一年中車で移動しながらチャランゴの弾き語りをしているという。

教室が始まるまで30分間ほど、チャランゴの演奏と歌を楽しませてもらった。「ウァイニョの調べ」「牛車にゆられて」「コンドルは飛んで行く」「花祭り」。演奏も歌も見事な腕前。風貌も日本人というよりも、南米の人に近い。88年から3年間ボリビアに住み、2人のチャランゴ奏者に師事し腕をみがいたとのこと。91年帰国後、全国を車で旅をしながら演奏活動をつづけている。14年間旅から旅への生活。うーむ、大変だなと思う反面、羨ましくもある。

もっと聞いていたかったが、教室が始まる時間になり2階へ。そのあと彼はケーナで「インカの笛」という曲を吹いたとのこと。教室が終わり店に戻ると、もういなかった。次の演奏地は富山とか。彼の活動を紹介する「インティ・キジャ フォークローレ コンサート―日本漫遊チャランゴ弾き語りの旅/吉田徳明」というチラシが置いてあった。

チラシの下のほうに小さな字で「インティ・キジャ」の説明があった。「タイトルのインティ・キジャはアンデス地方ケチュア族の言葉で太陽と月を意味するが、大分の方言<いんちきじゃ>でもある」と書かれていた。ユーモアのセンスもあるようだ。次回いつかこの辺りを通るときはオーリアッドで「インチキジャ・フォークローレ・コンサート」を開いてもらいたいもの。

後半、森林仕事人中村さん、それにDr. Tsuchiyaがやってくる。ドクターがフラメンコギターを弾き、中村さんが「鉄道員」を弾く。そして、ぼくは「バラライカ」と「永遠の灯」を歌った。



October 26, Wednesday

久々のオーリアッド。開店直後ほたる書房の田中さんが、隣町に住む彼の親友Uさんと入ってくる。すでにかなり出来上がっている。Uさんに会うのは久しぶり。彼によれば、長野冬季オリンピックのとき、CBSのクルーが取材にオーリアッドにきたとき以来とのこと。もう7年以上も前のことになる。誰の人生にもあるように、この7年間、彼にも様々なことがあったようだ。しかし、そのときと変わらぬ颯爽とした風貌。しかもそこに深みが加わっている。

しばらくしてちょっとした飛び入りライブに。田中さんとUさんが「友よ」「山谷ブルース」「黒の舟唄」をアカペラで歌う。ぼくも田中さんのリクエストで「ガビオタの海」を歌う。最後のコーラスの部分は田中さんも一緒に。

  あなたに平和がありますように
  あなたの願いが叶いますように
  あなたが喜びに満たされますように
  あなたが自由でありますように

そこへ長島功さんが息子さんと入ってくる。長島さんはいつもの「無縁坂」。

Uさんは最近まで数年間、某特別養護老人ホームの施設長をしていたとか。一度そこで歌ってみないかと誘われた。以前から、できたらそういう場所で歌いたいと思っていた。しかし「押し売り」になったらいけないと躊躇していた。もしぼくの歌が少しでもお年寄りに喜んでいただけるなら、それ以上の喜びはない。

その後、自然農法家の黒岩さん。明後日の28日(金)、辰野東小学校で開かれるバザーに、彼の農作物を出すことになったとのこと。一山1000円の袋を5つ用意するとのこと。耕しもせず、肥料農薬も施さない完全自然農法の野菜を味わう機会はめったにない。わが家もひとつ買いますよ、と言ったら、他の人たちに買ってもらいたいので、売れ残ったらにしてほしい、と言われてしまった。バザーは午前11時半から12時半まで体育館で。駐車場は校庭。一般の参加可。

そこへ、背の高い若者がのっそり入ってきた。藤原和義さんに土曜日にはここで歌うことができると聞いてやってきたとのこと。さっそくオーディションを兼ねて歌ってもらう。というのはウソ。オーリアッドにオーディションはない。オーリアッドのステージは、上手くても下手でも、自分を表現したいと思っている人には誰にでも開かれている。ただひとつあるとすれば、他の表現者に対する配慮。

とにかくその若者が歌いだした。驚いた。彼が歌った歌は Love Minus Zero/No Limit。次に歌った歌が Sweet Home Chicago。 ディランとロバート・ジョンソン。話がはずむ。そしてぼくが Tomorrow Is A Long Time と Blowin' in the Wind を歌う。今度の土曜日、歌いにくることになったその若者の名前は、田中創。


October 22, Saturday

今晩は静かな飛び入りライブになるだろうと思っていたが、けっこう賑やかになった。

先ず、最初に入ってきたのは「津軽じょんがら節」を大正琴で演奏する小沢順子さん。しかし今晩は大正琴を持参せず、聞きにきたとのこと。7時過ぎ、ぼくが「永遠の灯」「バラライカ」「Tennessee Waltz」を歌う。歌い終わるころ、藤原和義さんが入ってくる。そこで「バラライカ」をもう一度歌い、聞いてもらう。正調「バラライカ」とは少し違うようだ。そしてもう一曲『ガビオタの海』から「もう一度だけ」を。午後塩尻へ買い物にいったとき久しぶりに『ガビオタの海』を聞いた。この歌が印象に残った。

続いて藤原さんにお願いする。『瓶のなかの球体』に収められている「グッバイフレンド」「今日は帰れない」の2曲と、それに「テネシー・ワルツ」「木枯らしの街を」など。ささやくような藤原さんの歌声が静かにしみじみとオーリアッドの空間を満たす。この頃までに歌い手も、聞きに来てくれた人たちも増えてきた。



赤羽真理さんは「鹿のように」「薔薇はあこがれ」「千両梨の実」の3曲。「千両梨の実」を歌う前に、赤羽さんは、三種類の実をつける梨の木の隠喩に触れた。それぞれ違う三種類の実。ぼくが覚えている限り、彼がこの歌をこのように解説したのは初めてだ。



「香月!」の大月さんと香さんが今夜は比較的早く入ってきた。栗林さんはいなかったが歌ってもらうことに。「ベルグゾン・ブルー」「秋桜」「ラストソング」の3曲。最後の曲のメロディーが今でも頭の中で響いている。「香月!」11月26日(土)の飛び入りライブにメインフィーチャーとして演奏予定。

 

次に登場は堀内千晴さん。秋になったので、と「枯葉」をフランス語で歌い、次にロシア語で「ともしび」、韓国語で「故郷の春」を歌う。「故郷の春」は本当にいい歌だ。

 

そのあとセカンド・ラウンドとして赤羽さんに歌ってもらう。「驚くばかりの」「放浪者の子守唄」。それからぼくが、森林仕事人中村さんのリクエストで湊谷夢吉さんの「永遠の灯」を歌う。さらに藤原さんが、前半に歌った「グッバイフレンド」などを歌う。



少し遅れてきたボブ鈴木は、今日はオリジナルを歌うとのことで、数日前にできたばかりの歌を含め3曲オリジナル。4曲目はぼくのリクエストで金森幸介さんの「もうひきかえせない」。名曲である。金森さんは12月に茅野の「パブロ」で歌うようである。

 

最後に登場は長島功さん。今日の午後、辰野西小学校一学年の竹とんぼを飛ばすイベントがあり、その懇親会のあと学年PTAの役員と先生を含む総勢5人で、セカンドラウンドが始まって少しして入ってきた。「無縁坂」と「最後の手紙」。そしてしばらく歓談後の閉店まぎわ、「秋桜」を歌う。このときまでにかなり酔いがまわっていたのがよかったのか、彼が今までオーリアッドで歌った歌の中でこの「秋桜」がもっとも説得力があった。




今夜は、長野市の友人夫妻が寄ってくれたり、諏訪からオーリアッドの噂を聞いて聞きにきて下さった方々がいたりで、けっこう忙しかった。

今晩はかなり寒く、初めてストーブをつけた。


October 21, Friday

今日も午後遅くスイミングへ。600メートル泳いだり歩いたり。水中歩き(aqua walking)にもいろいろ方法がある。爪先だけで歩いたり、踵だけで歩いたり。後ろ向きに歩いたり、カニのように横に歩いたり。爪先歩きと踵歩きを繰り返してから、プールから出て歩くと、本来の歩き方をしているような気がする。足の裏がしっかりと大地を蹴って進んでいることがわかる。

開店直後、ずっと前に『千の風』を買って下さった年輩の方がふらっと入ってきた。しばらく話したあと、『千の風』には入っていない「次郎」を聞いていただくことにする。その方は「酔ってるのか、意味がよく分からん」とおっしゃったが、酔ってなくても一度聞いただけではわからない歌である。ぼく自身久々に聞いた。中尾勘二さんの前奏と後奏のソプラノサックスがきれいだ。

その後、藤原和義さんの「バラライカ」、湊谷夢吉さんの「永遠の灯」、それに「テネシー・ワルツ」をしばらく練習。「テネシー・ワルツ」はレナード・コーエンが付け加えた歌詞を含めて練習。とてもいい歌詞だ。

 Now I wonder how a dance like the Tennessee Walts
 Colud have broken my heart so complete
 Well I couldn't blame my darlin', and who could help fallin'
 In love with my darlin' so sweet

辰野町は町長選挙の真っ只中。今度の日曜日が投票日。現職有利は変わらないが、新人も善戦するのではないかと言われている。そんな話をカウンターにすわったお客さんと話しているところへ、藤原和義さんがひょっこり。レナード・コーエンのCDを貸してほしいとのことで、ライブ盤をお貸せする。手元にはそれしかなかったので。

明日の飛び入りライブで、ぼくは藤原さんの「バラライカ」を歌う予定。前回藤原さんが「千の風」を歌ってくれた返礼として。



October 20, Thursday

午後遅くスイミングへ。9月になって半年振りにジム通いを再開した。週に2回ほどだが。今日は600メートル泳いだり歩いたり。徐々に身体が慣れてきたようだ。突発性難聴で入院したあとステロイド投与で増えた体重も、ありがたいことに最盛期より6キロ減った。それでもまだかなりオーヴァー。あと5キロなんとか減らさなければ。

前半英語教室。その前、駒ヶ根の北原さんが顔を出してくれた。岡谷の北條楽器店へ修理に出していたギターを取りに行ってきたらしい。来月になると職場の配置がえがあり、もっとオーリアッドに来れそうとのこと。直ってきたギターで一曲弾いてもらいたかったが、2階に上がる時間になってしまった。

教室が終わり階下へ降りると5番テーブルに森林仕事人の中村さん。今日は一日、冬の準備の薪割りをして節々が痛いとのことでギターは弾いてもらえなかった。

彼から湊谷夢吉さんの「永遠の灯」を歌ってほしいと頼まれたが、歌詞を家においてきてしまった。先週金曜日、この歌を中村さんたちに聞いてもらったのだが、とてもよかったとのこと。彼はまた藤原和義さんの「バラライカ」がとても気に入ったようだ。今度の飛び入りライブではこの2曲を歌ってみたい。


October 19, Wednesday

土曜日以来のオーリアッド。

寒くなってきたのか今晩はココアの注文が多かった。前からいるお客さんがココアを飲んでいるのを見て、ココアにしようという連鎖反応もあるようである。

久々に若い伊藤君と丸山さんが入ってくる。ココアを注文したあと、新しい歌ができたので聞いてもらえませんかという。5番テーブルでココアを飲んでいた二人の女性がお帰りになったあと歌ってもらうことに。そのときまでに Dr. Yajima も入ってきていて、一緒に聞く。

まず伊藤君が歌う。歌もギターも以前に聞いたときよりもの凄く上手くなっている。一生懸命練習したと見える。何よりも歌がいい。次に丸山さんが新曲を歌う。以前にも感じたが鋭い感性、するどいことばづかい。

その後、Dr. Yajima と四方山話。彼も最後はココアを注文。ココア・デイだった。

流れていた音楽はレナード・コーエンのライブ盤。


October 18, Tuesday

16日の日曜日午後2時、湊谷夢吉さんのCDレコーディングのため、プロデューサーの神谷一義さん、アレンジャー&ディレクターの渡辺勝さん、エンジニアの石崎信郎さん到着。

彼らの到着後まもなくして、湊谷さんの奥さんがやってきた。そして、藤原和義さんも。取材のため。

録音が開始されたのは4時過ぎから。最初にぼくが「永遠の灯」を吹き込む。この歌は何度も練習したが、渡辺さんからメロディが違うと2箇所指摘され、何度か歌ってようやくOKが出る。次にいとうさんが一曲録音。こちらも時間がかかっている。いとうさんが録音している間、ぼくは次の歌の練習と急遽入った翻訳の仕事。いとうさんの一曲目が終って、ちょっと寒かったが、外でBBQ。そのあと、ぼくの2曲目「静謐なり」を吹き込む。一日目が終ったのは真夜中過ぎ。

17日は、お昼近くになって録音開始。先ず、いとうさんの2曲目。そしてぼくの3曲目「懐かしい夜」。ぼくが歌った3曲の中ではこれが一番難しい。最後の2行はどうしてもメロディがつかめない。渡辺さんにギターを弾きながら歌ってもらい、メロディを確認しながら、なんとかOK。この歌は神谷さんの提案で、1オクターブ下げて歌ったが、レナード・コーエンのように低い声になった。案外面白いかもしれない。

その後、いとうさんの3曲目と、ぼくの2曲目にいとうさんの声をかぶせる作業をして終了。4時半を過ぎていた。今回ぼくが3曲、いとうさんが3曲吹き込んだ。2枚組全18曲なので、3分の1がすんだことになる。まだストリングスなど種々の楽器をかぶせる作業は残っているが。どの歌かまだ決まっていないが、藤原さんにも歌ってもらおうといことになった。

疲れたが、面白かった。湊谷夢吉とう人の歌はことばもメロディもこちらの予想を超えて変化する。歌うには難しいが、不思議な魅力がある歌ばかりである。


 
写真左、エンジニアの石崎さん。今回メインの機材はマックのコンピュータ。中、吹き込んだ歌を聞きなおしているところ。右、ギターで音をとりながら吹き込み中のいとうさん。首にはやはりタオルが。


October 15, Saturday 2005

午後3時過ぎ、いとうたかおさん到着。大きなキャンパーがオーリアッドの駐車場に横づけされる。機材を運び込むのを手伝いながら中を覗き込む。ちゃんとしたベッドがあり、煮炊きのできるコンロもついている。実は昨夜のうちに辰野に着き、荒神山の駐車場で泊まり、今朝は温泉に入ってきたとか。今回は10日間にわたるツアーで、オーリアッドが最終日。ここ数年、こうしてキャンパーに寝泊りし、日本列島を縦横に移動しながら各地で歌っているとのこと。時には一ヶ月にわたるツアーもあるようだ。大変だと思う反面、羨ましくもある。ずっと昔、憧れたことがある。映画『アリスのレストラン』に登場するVWのキャンパーに乗って日本全国を旅して歩きたいと。

入念にイフェクターなどのセッティングをしたあと、サウンドチェック。ギブソンとガットギターの2台。

予定より少し遅れて開演。前半はギブソンで5曲―「たんぽぽ」「Boy」「静かな音楽になった」「夏はまぼろし」「Friend」。5曲とも最新ライブアルバム『Folk of Ages』からの選曲。それほど暑くはないのに、顔から汗がしたたり落ちる。ピアノの上に置いたタオルで頻繁に汗をぬぐい、ギターのボディを拭く。




10分の休憩を挟んで、後半はガットギターに持ちかえて、名曲「あの日ぼくらは」からスタート。そのあと「レクイエム」「Don Don Don」。そして「解き放たれる」。これは I Shall Be Released を彼なりに訳したもの。この歌をいろんな訳で聞いたが、彼の訳、解釈にもっとも感銘を受けた。

  命の光が昇っていくよ
  太陽と向かい合って
  もういつだって、もういつだって
  解き放たれる用意はできている

そのあと、高田渡の『系図』に収められた初期のいとうさんの代表作「明日はきっと」。高田渡とともにいとうさんのファンでもある安曇野市の山岸さんはいっしょに歌っている。さらに「ラブソング」「小さな朝」「チークダンス」と続き、最後に「からだひとつが頼りの人達は」。そしてアンコールに、彼が師匠と呼ぶ高田渡の「風」と『小さな唄に手を引かれ』所収の「エアポートへ」。アンコールにアルバムタイトル曲「小さな唄に手を引かれ」を歌ってほしいと思ったが、ライブでは歌わないとのことだった。




何人もの友人から「いとうたかおはいいよ」とずっと言われてきた。今夜初めて彼の歌を聞き、彼らがなぜそう言うのか分かる気がした。そして「ついに、いとうたかおと出会った」と思った。

いとうさんのステージが終ったのは9時半を過ぎていて、そのあとCDの販売などがあり、10時過ぎから、各自一曲の飛び入りライブに。トップバッターは水野哲男さん。今年は自転車レースに何度も参加し5キロやせたとか。顔が引き締まっている。久々の「錆びた耕運機」。赤羽真理さんは「千両梨の実」。そしてボブ鈴木が「悲しいときにゃ悲しみなさい」。



続いて木曽帰りの大月高志さん。いとうさんの機材がピアノのまわりにあり、ギターで香月!のレパートリーから「誕生」。オーリアッド飛び入りライブに登場する歌い手たちもそれぞれに持ち味があって実にいい。続いて、ぼくが「君は美しい、君は素晴らしい」。この歌を聞きたいと松本からわざわざやって来てくれた人がいたので。最後にいとうさんにお願いする。ライブでは歌うことがないと言った「小さな唄に手を引かれ」。よかった。サウンドチェックのときも、このときも白いタオルを首に巻いている。天性の汗かきなのだ。背はぼくより2センチ高いのに、体重は20キロ少ない。嗚呼。



「小さな唄に手を引かれ」は、いとうたかおの歌の中でぼくがもっとも好きな歌。もっと歌ったらいいのに。

  小さな唄に手を引かれ
  ここまでやってきた
  本当のことが知りたくて
  ここまでやってきた

彼だけでなく、ぼくも、そして歌い続けている多くの友人も、みな同じ思いだろう。歌との出会いは、苦しみの始まりであり、また同時に喜びの源泉である。



October 14, Friday 2005

観劇という趣味はないが、今夜は松本の市民芸術館小ホールへ『青べか物語・パートU』を見にいった。この劇を見たいと思ったのは、招待券をいただいたということもあるが、劇の舞台である浦安は、ぼくが生まれて3歳ごろまで生活した辺りだからだ。もちろん当時のことはまったく覚えていない。

朗読劇で、ギタリストの演奏をバックに、二人の役者が山本周五郎の原作を登場人物になりきって朗読するというもので、普通の演劇を期待していたので、最初はとまどった。しかし、徐々にストーリーに引き込まれた。そして何よりもステージの壁に映し出される昔の浦安の映像に釘付けになった。おそらく、父と母が生活していただろう町並みや海の景色がそこにあった。

劇中、缶詰工場の「機械船」が海の上で漁師から魚を買うために出て行くというクダリがあった。浦安に佃煮や海苔の加工場をもっていた父は、1945年の9月27日の朝、大きな台風が来るとも知らず、機械船に乗って沖に出て行ったのだ。

オーリアッドに戻ったとき、9時40分を少し過ぎていた。森林仕事人の中村夫妻、自然農法家の黒岩さんが来ていた。黒岩さんは疲れているように見えた。今日一日かかって、昔の足踏み脱穀機で脱穀し39キロの米を収穫したとのこと。量としては大したことはないかもしれない。しかし、機械や農薬に頼らず、彼一人の労力と太陽と水の力によってできたお米である。貴重である。黒岩さんは疲れてはいるが、嬉しそうだ。

そのあと Dr. Yajima が上松美香というアルパ奏者のCDをもってきた。しばらくそのCDを聞く。「浜辺の歌」「おぼろ月夜」など懐かしいメロディが続く。彼のいうには、もう何年も前、高遠の国立少年自然の家の野外ステージの開設記念にぼくが歌ったとき、彼女もそこで演奏したとのこと。そういえば何台かのアルパとギターの演奏があったことを思い出した。

そのあと、中村さんが「山頭火」を歌い、ぼくが湊谷夢吉さんの「永遠の灯」を歌う。「永遠の灯」をなんとか歌えるようになった。

明日は「いとうたかおコンサート」。午後いとうさんから電話があり、明日3時にはオーリアッドに入るとのこと。楽しみである。



October 13, Thursday 2005

午後遅くスイミングへ。500メートルほど泳いだり歩いたり。その後オーリアッド。

英語教室のため2階に上がる時までに、ジブラーンの会の方々が3・4番テーブルにすわり『預言者』の読みあわせを始めていた。教室が終わり戻ってみるとまだ全員残っていて、コーヒーを飲みながらおしゃべりをしていた。

今晩は「宗教について」を読んだとのこと。最後から2番目の章である。

  宗教とはすべての行為であり、すべての思いではないだろうか。
  そして、石を切ったり、機を織ったりする間にも、魂からほとば
  しり出る畏敬の念ではないだろうか。

  道徳を一張羅として身にまとうよりは、むしろ裸でいたほうがい
  い。・・・自分の行為を道徳で定める者は、歌う鳥を鳥籠に閉じ
  込めてしまうようなもの。最も自由な歌は、止まり木や金網の中
  からは聞こえてこない。

  あなたの日常生活があなたの寺院であり宗教である。

  神を知りたいと思ったら、・・・あなたのまわりを見まわしなさ
  い。子供たちと遊んでいる神が見えるだろう。天空を見つめなさ
  い。雲の上を歩き、稲妻の中に両腕を伸ばし、雨とともに降りて
  くる神が見えるだろう。そして花の中で微笑み、木々の中で立ち
  上がり手を振る神が見えるだろう。

「日記に登場するジブラーンの会というのは何ですか」と何人かの人に聞かれた。その会ができた経緯は次のようである。20数年前のことだが、勤めていた短大の公開講座で、ジブラーンの『預言者』の最初の3章を訳し解説したことがあった。それがきっかけとなり、月一度勉強会を開くことになった。最終的に1987年の10月、「辰野ジブラーンを読む会」訳の『預言者』が自費出版された。2003年6月のオーリアッド再開後しばらくして、その方々が集まり、最初から読みなおす会が始まったのである。

あるとき、もう何年も前のこと、ほたる書房の田中さんが一冊の本を持ってやってきた。その本は柳澤桂子という生命科学者の『癒されて生きる』(岩波書店)という本だった。田中さんが開いて見せてくれた「あとがき」に次のように書かれていて驚いた。

  本書中のカリール・ジブラーンの詩は私が訳したが、翻訳にあたっ
  て三浦久監修・辰野ジブラーンを訳す会訳『預言者』を参考にさせ
  ていただいた。

「読む会」が「訳す会」と誤記されてはいるが、紛れもなくわれわれが訳した本である。どこでどうやって彼女のところまでこの本が旅をしたのかいまだに謎である。

柳澤桂子さんは今、自らの病との闘いをもとに般若心経を平易な日本語に訳した『生きて死ぬ智慧』(小学館)で話題を呼んでいる。


October 12, Wednesday 2005

暑からず寒からず、本当にいい季節になった。

お客さんのいないときは、湊谷夢吉さんの「永遠の灯」を聞いたり、歌ったり。ようやく一応コードも確定し、なんとか歌えるようになった。素晴らしい歌である。メロディにも歌詞にも、レナード・コーエンに通じるものがある。

 伏目がちにお互いの背中を盗み観てきた twilight
  重ねた胸の温かさ信じきれぬまま
 曖昧な手探りでそれぞれの街角を曲がる

今後のぼくの歌にも少なからず影響を及ぼしそうである。

一度読んだ本には愛着があって手放すことができず、たまる一方だった。長年にわたって、床が抜ける前に何とかして欲しいと言われつづけて、ようやく一週間前、オーリアッドに used books コーナーを設けた。

面白いことに気づいた。本棚にあったら決して手に取ることはなかっただろう本の数々を、手放す前に読んでおこうと、再読し始めたのである。かなりの速さで、重要そうなところ、面白そうなところを拾い読みしている。すでに読んだことのある本なので、少し読んだだけでもかなりの内容が蘇えってくる。

本にも困っているが、LPレコード、カセットテープ、ビデオ、CDなども一生使わないだろうと思われるものがわんさとある。今晩来たお客さんから、「アニメのレコードの処分に困っているが要らないか」と言われた。興味もないし、これ以上レコードが増えても困る。身辺整理をしようと思い始めたのは、晩年にさしかかっている証拠か。



October 11, Tuesday 2005

午後、碌山美術館の秋の企画展を見に行ってきた。連休あけのウイークデイとあって閑散としていた。おかげでゆっくりと時間をかけて見ることができた。2001年夏、旭川の中原悌次郎記念館(旭川彫刻美術館)で中原悌次郎の現存する12の作品をすべて見た。そのうちの10点が展示されている。圧倒的な存在感。碌山と出会って絵から彫刻に転じたというだけあって、碌山の「坑夫」や「文覚」に共通する力強さがある。

彼の代表作「若きカフカス人」はコーカサス(カフカス)生まれの亡命ロシア人のニンツァという若者をモデルにして制作された。ニンツァはモデルになった作品が「鬼」のように見えて、何度も壊すように頼んだという。中原の奥さんはニンツァが本当に壊してしまうかもしれないと、彼を作品に近づけないように苦労したとか。それだけに、真に迫るものがある。一度見たら忘れられない作品である。


(写真左、色づき始めた蔦に覆われた本館。中、本館の南の出口を通して撮った「女」の後姿。その向こうに伏せているのが「デスペア」。右、グズベリーハウス。ミュージアムショップはこの中にある)


October 8, Saturday 2005

歌いたいという連絡がひとつもなかったし、夕方から雨も降り始め、今夜は誰も歌いにこないかもしれないと思った。そういう晩があってもいいだろうと、今日届いたばかりの湊谷夢吉さんのCDを聞く。3曲ほど聞いたところで長島功さんが小学一年生の息子さんと二人で入ってくる。今日は宮木諏訪神社のお祭りで、オーリアッドの近所に住むお母さんに浦安の舞を見せにいってきたところだという。

そこへ藤原和義さん。一番テーブルにすわり、しばらくスピーカーから流れる歌を聞いていたが、カウンターのところへきて、「これは誰ですか。いいですね」という。ぼくもこの人の歌を初めて聞いたが、とてもいい。

そこへ小野の森林仕事人・中村東茂一さんが奥さんと入ってくる。長島さんは、息子さんを家に連れてかえりお風呂に入れてまた来るといって出ていった。

ぼくが最初に何曲か歌うことにする。「君は美しい、君は素晴らしい」「宝福寺にて」「乞食をしようと思います」を歌う。次に中村さんに「山頭火」を歌ってもらおうとするが、固辞されるので、結局ぼくが歌うことに。その後、藤原さんにお願いしようとすると、藤原さんからリクエストが入った。「野球場の歌をお願いします」。「フィールド・オブ・ドリームズ」。藤原さんは『メッセージ』を聞いてこの歌が気に入ってくれたようである。


前回のメインフィーチャーは藤原さんだったが、今夜のほうがじっくりと聞くことができた。「カントリー・ワルツ」、「カナダの木こり」「バラライカ」「愛する人のために」「暗い夜」「フリージア」「テネシー・ワルツ」の7曲。中村さんは「バラライカ」を初めて聞いて感激していた。この歌は歌声喫茶はなやかりし頃、新宿の「ともしび」で7週連続してリクエストのトップになったことがあるとか。「フリージア」は今晩初めて聞いた。フリージアの如き乙女に想いを寄せる若かりし頃の藤原さんの歌。「暗い夜」はロシアの歌で、戦場の兵士が遠い故郷の妻のことを思い出している歌。どの歌もすばらしい。



次は、息子さんをお風呂に入れてかけつけた長島さん。「無縁坂」「秋桜」、それに自作の「最後の手紙」。2曲目は中村さんのリクエスト。先週よりずっと安定していた。彼の2曲目のオリジナルが完成間近とのこと。次は子供たちをテーマに書いたらどう、と以前に勧めたことがある。どんな歌になるか楽しみである。



次に、久々登場の垣内彰さん。高村光太郎の「荻原碌山」という詩の朗誦。藤原さんと垣内さんは以前に会ったことがあることが判明。松本歯科大の山下利昭さんが碌山の作品をもとにして脚本を書いた『文覚』という劇が上演されたとき、藤原さんは劇中歌を歌い、垣内さんは照明を担当したとのこと。


[上の右側の写真をクリックすると、ちょっと読みづらいかもしれませんが、光太郎が書いた「荻原碌山」の詩が出てきます。先日ぼくが碌山美術館の庭で写真に撮ったものです。2枚をつなぎ合わせているので、場合によっては写真が上下になり、順序が逆になってしまうかもしれません]

最後、ぼくが歌ってからもう一度藤原さんに歌ってもらおうと、「一通の手紙」を歌う。この歌は中村さんが好きな歌で、時々リクエストされる。ぼく自身、秋になると「宝福寺にて」とともにこの歌を歌いたくなる。

  昨日鍬の柄に寄りかかり
  色づき始めた裏山を眺めていると
  郵便屋さんが自転車に乗って
  一通の手紙を届けてくれた


藤原さんがギターを弾き始めた段階では何の歌かわからなかった。歌い始めて驚いた。「わたしーのはかのーまーえにたーち〜」。「千の風」。しかも完全に藤原さんの歌になっている。昨日は前野さんがオカリナでこの歌を吹いてくれた。ぼくの歌を他の人が演奏したり歌ってくれたりするのは嬉しいものである。

藤原さんの「千の風」が終ったとき、すでに10時をかなり過ぎていた。中村夫妻は立ち上がり、帰ろうとする。駄目だと思ったが、「鉄道員」を弾いてくれませんかとお願いする。彼はめったに人前で演奏することがない。彼は何度か「今日は贅沢なコンサートだった」だとつぶやいていたが、彼が最後に「月光」を演奏してくれたことによって、さらに贅沢なコンサートになった。今晩は歌い手も聞き手も少なかったが、本当にしみじみとした味わい深い夜になった。



湊谷夢吉という人は、京都出身で古川(豪)君の高校の同期生だったとか。1972年から札幌に住み、漫画家として世に出たが、1988年に亡くなったとのこと。ラジカセで録音されたテープが残されていて、そのテープをもとに彼の友人山崎幹夫さんが1999年CDをつくった。そのCDが今日 offnote の神谷さんから送られてきた。神谷さんはこのCDで歌われている歌を何人かの歌い手に歌ってもらい、新たなCDを作りたいとのこと。いわゆる「湊谷夢吉トリビュート・アルバム」とでもいったものになるのかもしれない。

10月15日にオーリアッドで歌う「いとうたかお」さんとぼくもその何人かの歌い手の中に入っていて、16日にわが家で、いとうさんとぼくの歌入れが行われる。ぼくは3曲歌うことになっている。これから一週間猛練習をしなければならない。そうそう、湊谷さんの奥さんは木曽に住んでいて、15日にはオーリアッドにきてくれることになっている。それに16日のレコーディングにも。



October 7, Friday 2005

三連休の前の金曜日。

お店は暇で、ギターの練習をしているところに、オカリナ奏者の前野さん。「千の風」をオカリナで吹けるようになったとのこと。さっそく吹いてもらった。きれいな音色、きれいなメロディ。でもぼくの「千の風」とは微妙に違う。そこでギターとオカリナでメロディの違うところを確認しながら、音を決める作業をする。

ぼくの歌は歌いやすいようで実際歌ってみると難しいとよく言われる。字余りの歌が多いことが一番の理由だろうが、この作業を通してわかったことは、歌の終りのところが難しいということである。「私はその石の下に、眠ってはいません」の「ねむってはいまあーせん」や「おまえがどこにいようとも、おまえのそばにいるよ」の「おまえのそばにーいるよー」のところである。

昔、あのねのねに「パーティーは終ったよ」を教えたときも、コーラスの部分で繰り返す「パーティーはおわーたよ」のところはどうしても教えられなかった。

前野さんとのこの作業は意外と面白く、あっという間に時間が経ってしまった。最後にはなんとかオカリナの正調「千の風」が出来上がった。オカリナ教室の生徒たちにも教えたいし、11月にあるオカリナ奏者が集まる会で、吹きたいとのことであった。ありがたいことである。


October 6, Thursday 2005

午後遅くスイミングへ。少し遅れてオーリアッドに入る。野溝の武蔵さんがカウンターに。9月に植木の剪定中に落ちて左足首を骨折し、入院手術し、4日に退院したばかり。大町から自分で運転してきたという。

彼から退院数日前「自作の曲を集めたCD-Rを作ったのでもっていく」というメールが入った。「そんな無茶しないで、完治してから来て下さい」と返信しておいたのだが。

彼は20年ほど前、SBCラジオ松本局の「三浦久のダウンホームミュージック」によくリクエストを寄せてくれた人。ディラン大好き人間の一人である。骨折したのが左足で、固定されているので、オートマチック車であれば右足だけで運転できるとのこと。

彼のCD-Rを少し聞かせてもらった。ラブソング集である。それからディランやスティーヴ・グッドマンなどについてあれやこれや話し、ぼくは2階の英語教室へ。

教室が終わり、お店に戻ると長島功さん。12月10日前後に「オーリアッドで落語会を」と彼から以前話があったが、それが日程的に難しくなったとのこと。実は12月10日に千葉市の教育会館でトークライブをすることになった。前日から千葉へ行くので、ぼくのほうからも日程的に難しくなった旨連絡しようと思っていたところである。


October 5, Wednesday 2005

土曜日以来のオーリアッド。暑からず寒からず、冷房も暖房も必要ない。

オーリアッドのほぼ中央に丸テーブルがある。その上にはぼくのCDをはじめ、何人かの歌い手のCDが置かれている。土曜日、その丸テーブルの周りに丸太の椅子を置き、その上に古本を並べた。家中に本があふれて収拾がつかなくなってきたからである。今のところ200円、100円、50円の3コーナー。

今晩、その古本コーナーに本を追加しようとして、物集高量(もずめ・たかかず)という人が百歳のときに書いた『百歳は折り返し点』(昭和54年)という本が目に入ってきた。昔読んで面白かったことを思い出し、ページをめくっているうちに、つい読み耽ってしまった。

二葉亭四迷、幸田露伴、大隈重信との交流や、明治・大正・昭和にわたる飲む・打つ・買うの生活が面白く描かれている。

  誰がなんたって、バクチほど面白いものはないね。・・人間、
  生きている間は、いつだって賭けをやってるんです。バクチ
  精神のない人は、こわがっているだけで、結局、なんにもで
  きないんです。・・遠州、今の静岡県の掛川あたりではね、
  娘を嫁にやるとき、相手に必ず、「バクチは打つかい」って
  訊くんです。で、仲人なんかが、「真面目な男で、バクチな
  んてやりません」なんていおうもんなら、「この話はお断り
  だね。バクチも打てないような奴ァ、一生下積みで終るに違
  いないね。そんな男のとこへ娘をやるわけにはいかないよ」
  ってたちまち破談になるんですって。

  この女をどうしてもモノにしたいと思うと、男って奴ァ、俄
  然、勇気が出るものなんですね。・・あたしがこの歳まで生
  きてこられたのも、・・この世に女がいたから。つまり絶え
  ず恋をして、精神的に新陳代謝をおこなってきたのが、長生
  きでいた大きな理由ってわけです。現在も、四十歳の女性と
  付きあってますが、この人が三十三人目の恋人なんですよ。

にわかには信じがたい話ばかりだが、面白い。100円コーナーにこの本を置くのはもう少し先になりそうだ。

夢中になって本を読んでいて顔を上げると、森林仕事人の中村さんが目の前に。しばらくこの奇書について話す。そのあと、中村さんの依頼で「山頭火」を歌う。歌っているうちに、中村さんにこの歌の歌詞とコードを教えたことを思い出し、彼にも歌うように頼む。彼はギターをとるとアルペジオを弾きながら「山頭火は乞食僧〜♪」と見事に歌い始めた。かなり練習したようだ。自分の歌が他の人に歌われるのを聞くのは嬉しいものである。


October 1, Saturday 2005

開店後しばらくして、今日(堀金)村民から(安曇野)市民になった山岸豊さんが現れた。8月のブルーズナイト以来である。しばらくして、今日のメインフィーチャー、藤原和義さん、少し遅れて藤原さんをサポートするギタリスト、小林政樹さんが入ってくる。

サウンドチェックを兼ねて、まず藤原さんと山岸さんに歌ってもらう。藤原さんは「テネシー・ワルツ」を含む数曲。山岸さんは「町は裸ですわり込んでいる」「天気がいいから布団をほそう」の2曲。そのあとぼくが「The City of New Orleans」「千の風」「新しい光迎えよう」。


ぼくが歌い終るころから、聴衆も歌い手も徐々に増えてきた。今日歌いにきてくれた人たちの発言や歌い方から、藤原さんがこの地域の歌い手に大きな影響を与えてきたということが分かる。

先ず、長島功さん。高校生の頃から、藤原さんに憧れ、あんなふうにギターが弾けたらなと思っていたとのこと。その憧れの人の前で、今晩は少々上がり気味。1曲目、いつも安定して歌うことのできる「無縁坂」の音程が少しずれ、2曲目のあまり歌い慣れていない浜田省吾の歌はかなりずれた。緊張していることがわかる。しかし、3曲目の自作の「最後の手紙」はよかった。

赤羽真理さんは30年ほど前、藤原さんが伊那で活動していた頃からの知り合いとのこと。今晩の赤羽さん、意気込みが感じられた。「ホーボーズ・ララバイ」「驚くばかりの(アメイジング・グレイス)」「旅立ちの時」そして「千両梨の実」。彼がいつも歌う歌ばかりだが、ギターのストロークからして違っていた。緊張してもいたが、かなり練習してきたと思わせる歌い方、弾き方だった。

堀川博司さんは藤原さんとは初対面とのことだが、ずっと昔、労音にかかわっていたころ、藤原さんの「バラライカ」をよく歌ったものらしい。今日藤原さんが歌うと知り、是非お会いしたいとやってきた。「The Same Old Song」「もう引き返せない」など3曲。「もう引き返せない」は何度も聞いたが、メロディーといい言葉といい、とてもいい歌だ。

次に山岸さん。昨夜は合併のカウントダウンがあり、真夜中に花火が上がったという話しをしてから、「雪降る夜小布施で」「歌はかけがえのないもののひとつ」の2曲。語尾を引きずるような歌い方の山岸節健在である。昨年10月には彼の主催で小布施で「オーリアッド出前ライブ」をおこなったことを思い出した。

藤原さんによれば小林さんもいい歌を書くとのことで、遠慮する小林さんに無理にお願いして歌ってもらう。「生きて行くのに」。きれいなメロディーのきれいなラブソング。聞くところによると、高校生のときから小林さんは当時大学生だった藤原さんの仲間のあとについて歌っていたとか。ジョンやポールのあとを追いかけていたジョージのような存在だったかも。


ここでいよいよ今日のメインフィーチャーの藤原和義さん。「林道人夫」「日本のみなさんへ」「木枯らしの街を」「テネシー・ワルツ」など。いつものことながら、静かなていねいな歌い方が印象的。今晩初めて聞いた「日本のみなさんへ」は、1973年9月11日、クデーターによって殺されたチリのアジェンデ大統領の娘の手紙をもとにして藤原さんが書いた歌。「アメリカや豊かな者たちの言いなりにならなかった私のお父さんは、機関銃で撃ち殺されました、しかし彼の願いは民衆の心の中に生きています」という内容を含むこの歌は、30年以上過ぎた今の時代にも大きな意味をもっている。



次に登場は、明日の箕輪町でのコンサートのリハーサルを終って、駆けつけてくれたBONOBOの面々。佐野さんには8月末、みはらしファームにある彼の手作りおもちゃ屋さんでお会いしたが、池上さんに会うのは本当に久しぶり。最近は歌ではなく、模型電車作りに没頭しているとか。「月の神話が崩れても」「すこやかに」「走れ飯田線」。そしてBONOBOの最後の曲は、藤原和義さんに敬意を表して、藤原さんが書いた「ライラライライ」。彼らも藤原さんから多くの影響を受けているようだ。最後に大月高志さんとWISHの二人で「ルパン」。



最後に藤原さんにもう少し歌ってもらいたかったが、もう今晩は歌わないとのことで、しばし歓談。

家に帰ると、
藤原さんの歌を聞いた感想メールが入っていた。

  初めて藤原さんの歌を聞かせていただきましたが、ほんとう
  にお上手で、心にすーと入ってきました。歌詞と曲が見事に
  マッチしていて、いい絵を見たときのような
心安らいだ気持
  ちになりました。



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