OREAD Diary June 1〜30
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June 30, Thursday 2005
コンピュータの不調と闘いながら、終日『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』のライナー。長野ジャーナルのエッセイはここ数ヶ月お休みさせていただいているが、17タイトルのライナーを書くということは、長野ジャーナルの一年半分のエッセイを3ヶ月ほどで書くことを意味する。しかもそれだけでなく、200曲以上の難解な歌詞を総チェックする作業もある。実はライナーを書く以上に、訳詞のチェックに時間がかかてしまった。完璧とは言いがたいが、訳詞はかなり改善されたはず。長野ジャーナルのエッセイはもう少し先になりそう。
今日はオーリアッドは完全に妻に頼み、英語教室のあと家に戻る。家に戻ってダウンしていたコンピュータを入れたところテキサスの友人からメールが届いていた。「狂牛病の起源を辿ればテキサスに」というキャプション付きの写真が添付されていた。牛の顔がブッシュの顔になっている写真である。引き続き『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』のライナー。
June 29, Wednesday 2005
6月も今日と明日しかない。この一ヶ月は実に速かった。
今晩は夜10時近くまで家で『グレイテスト・ヒッツ』のライナーを書く。もう少しで完成というところでコンピュータが動かなくなった。いったん動かなくなると電源を切断してしばらくそのままにしておかなければいけない。電源を切断してオーリアッドへ。
水曜日は辰野の商店の定休日とあって、町の中は閑散としていた。ほたる祭りの後もけっこう人が出ていたが、今晩はとても静かだ。
久々に Anthology of American Folk Music を聞く。
June 25, Saturday 2005
飛び入りライブデー。暑い一日だった。
先ず、ぼくが「ほたる祭りライブ」の当日できた新曲「君は素晴らしい、君は美しい」を歌う。まだ歌うたびに、メロディが若干変わるが、ようやく定着してきた。写真を撮ろうとした妻が、フラッシュカードが入っていないという。しまった。まだ早い時間なので、取りに戻ることに。
ほぼ一ヶ月ぶりに堀内夫妻登場。今晩はお二人で彼らが行っている教会の賛美歌を歌う。「悩めるイスラエル」「高き山よ」「み空に麗し」「心に平和を」。最後に堀内さんが韓国語で「故郷の春」。
ここでぼくが、昨日赤羽孝昌さんの奥さんから「明日は歌って下さい」と言われていた「碌山」を歌う。さらに「門」。孝昌さんは昨日から、ロッククライミングに行っているとのこと。
次に駒ヶ根から昨夜に引き続き来てくれた北原清人さん。今晩は Taylor の自分のギター持参。「カノン」「ティノ」「風の歌」の3曲。一曲目はちょっと緊張したのか何度か中断したが、昨日に比べ、自分のギターだと弾きやすそうである。Taylor
の乾いた歯切れのいい音が心地よい。
次は長島功さん。「ふるさと」「転宅」それに自作の「最後の手紙」。北原清人さんと長島さんは20年ほど前からの友人で、昨日偶然オーリアッドで会ったとのこと。「最後の手紙」は長島さんが敬愛していた先輩の死が契機にできた歌だが、この先輩は北原さんとの共通の友人だったらしい。
ここでまたぼくが、北原さんから「ぼくのギターを弾いてみて下さい」といわれ「私は風の声を聞いた」を歌う。歯切れのいい音で、弾いていて気持ちがいい。実は、北原さんは、20年ほど前、信越放送飯田局制作の番組でぼくがこの歌うを聞いたことがあり、それが印象に残っているとのこと。ぼくはこの番組で何を歌ったのか忘れていた。この番組に出演したときにお会いしたのが飯田のブルーズシンガー中山昭さん。人と人のつながりの不思議を思う。
最後に、「今日は暑くて倒れるかと思った」と言う自然農法家、幻のピアニスト、黒岩光男さんに演奏をお願いする。彼はウイークデーのお客さんがいないところではいつも弾いてもらっているが、飛び入りライブ初登場。「太陽がいっぱい」「シェルブールの雨傘」「モルダウ」の3曲。
塩尻からほたるを見に来たという若いカップルによれば、ほたるも人もたくさん出ていたとのこと。彼らはほたる祭り期間中にも一度見にきたが、その時とは比べられないほど出ていたようである。今年は一度も行ってないので、お店が終わったあと見に行こうかと思ったが、家に戻れば、スプリングスティーンの『18トラックス』と『グレイテスト・ヒット』が待っている。今年は諦めることに。
June 24, Friday 2005
今日は、最終的にLive in New York City の「凍てついた十番街」の中のボスの語りを決定し、訳して送ったが、一行だけどうしても聞き取れない。しかし、それはあまり決定的なものではない。そこがわからなくても、充分に楽しめる。Live 1975-85 でも感じたが、ボスの語りは面白い。
今までの訳をチェックしたアルバムに入っていなくて、Live in New York City に初登場の歌が4曲ある。その歌詞をチェックしているところに、電話があり、駒ヶ根から「カノン」をギターで弾く人がきているとのこと。上記の4曲の修正版を送ったあと、オーリアッドへ。その人は、先日奥さんときてくれた有賀君の友だちだった。
その後、オーリアッドは飛び入りライブ状態に。まずぼくが、数曲歌い、北原清人さんが「カノン」「風の歌」のギター演奏。ぼくのギターでは弾きづらそう。特に「カノン」はボディの上のネックまで使うので、ボディがくびれていないと、指が届かないようだ。その後、中村東茂一さんが客席で「鉄道員」をはじめ何曲かギターを弾き、垣内彰さんが、中村さんのギター伴奏で、高村光太郎の詩を二つ朗誦。その後、長島功君が、中村さんのリクエストで「秋桜」無縁坂」など。長島さんのマーティンで、北原さんが再度「風の歌」を弾く。とてもよかった。
June 23, Thursday 2005
庭木の移植を挟み、一日中、『ザ・ライジング』の対訳チェック。それに『Live
in New York City』の「凍てついた十番街」のボスの語りの聞き取り作業。聞き取れないところは、メールを通して、ネイティヴのボス・ファンの助けを求めるのだが、それでも聞き取れないところは聞き取れない。夕方までに『ザ・ライジング』の修正した対訳は送ることができたが、聞き取りはあともう少し。
前半、英語教室。後半オーリアッドへ。静かだが、時折、ほたるを見に来たと思われるお客さんが入ってくる。ここにきて暑くなり、ほたるの数は増えてはいるらしいが、今年は例年に比べて少ないようだ。ほたる発生数は現在の暑さではなく、4月の雨量と関係があるとのこと。
久しぶりに、『瓶のなかの球体』disc 2 を聞く。このディスクの最後に、関島岳郎さんの「鳥の歌」のチューバソロが入っている。個性的なシンガーたちの個性的な歌声が印象的。このアルバムは、ウルマ堂から通販で購入できる。ウルマ堂のトップページに「当店のおすすめ!」としてアルバム・カバーの写真が載っている。URLは:http://www.max.hi-ho.ne.jp/ulmado/
June 22, Wednesday 2005
土曜日以来のオーリアッド。ほたる祭りライブのときの喧騒がうそのよう。
岡谷市在住の高校の先輩K氏が、伊那のグリーンファームへ、ジャイアント・ブルーベリーの苗木を買いに行った帰りだと言って寄ってくれた。以前にも何度か店の前を通ったがいつも閉まっていたとのこと。オーリアッドの営業時間は水から土の午後6時から11時までとお話しする。
先日のライブのお手伝いをしてくれた自然農法家の黒岩さんが8時過ぎ、花を引きあげましょうか、といって入ってきた。土曜日のライブのときに、彼が大きな鉢に彼の畑に生えている金鶏草(きんけいそう)と赤爪草をどっさり入れてもってきてくれたのである。何本か枯れかかってはいたが、それを取り除けばまだまだきれいなので土曜日までお借りすることにする。写真がないのが残念。
先週木曜日に突然現れた熱狂的スプリングスティーン・ファンのY.O.氏より、スプリングスティーンのポスターの前で撮った写真が送られてきた。
ぼくはスプリングスティーンの4枚目のアルバム『闇に吠える街』(1978年)以後、アルバムが出るたびに対訳を担当してきたが、多くのスプリングスティーン・ファンのように彼のことについて知っているわけではない。特に彼のプライベートな生活や、Eストリート・バンドのメンバーについての知識は皆無に近い。もちろん彼の歌は好きではあったが、長い間、ぼくは決して熱狂的なファンではなかった。
ところが最近、遅ればせながら、「本当にこの人は凄い!」と感じ始めている。今度のソニーの17タイトル紙ジャケ化のために、すべての訳詩の見直しと、すべてのアルバムに対して歌詞から見たライナー執筆の依頼を受けた。数ヶ月で過去の全アルバムを聞き、その内容を考えるという作業を通して、彼の才能と誠実さと偉大さを実感している。この作業を通してわかったことの一つは、彼の作品のテーマが、対象は異なっても、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984年)を分岐点として、その前も後も変わっていないということ。
今日はその一期分の発売日。朝、サンプル盤6枚が届いた。それらを手にしたとき、最初にLPレコードとして出たときの状態をできるだけ忠実に再現したいというS氏をはじめとするソニーの担当者の熱意が伝わってきた。ぼくが書いたライナーを読んで感じたことは、言葉足らずのところや、重複しているところがあるものの、比較的読みやすく書かれているのではないかということ。
June 18, Saturday 2005
「第9回ほたる祭りライブ」無事終了。
東京から駆けつけてくれた関島、中尾、HONZI、石崎の4氏に感謝。バンドと一緒に演奏することに慣れていないぼくは、前半ちょっと緊張気味だったが、最終的にはとてもいいコンサートになったと思う。今まで一番いい「ほたる祭りライブ」だったと何人かの人たちに言われた。彼らのおかげである。
また大勢の方々が聞きに来て下さった。千葉の吉田さん、大船の境野さん、京都の藤原さんは遠路はるばる来て下さった。ありがたいことである。藤原さんには30年ぶりにお会いした。信州大学の韓国人留学生もヨン先生と一緒にたくさん来てくれた。4月に日本にきたばかりというのに、彼らの日本語を駆使する能力は大したものである。ぼくの歌の内容がしっかりと理解できていたようだし、打ち上げで「アリラン」を歌ってもらったときの短いスピーチもなかなかのものだった。
数日前に碌山美術館でぼくの『碌山』を購入し、その中の「次郎」を気に入ってくれた穂高町の高橋さんが友人のクマさんと来てくれた。高橋さんは穂高駅前で「ひつじ屋」というレンタサイクル店とカフェを経営していて、クマさんは観光客を乗せて万水川(よろずいがわ)を下る舟の船頭をしているとのこと。高橋さんのカフェでのライブと、万水川の舟下りをタイアップさせたイベントが実現するかもしれない。
*パソコン及びホームページ・ビルダー不調につき、日記の更新が思うように行きません。これだけ書くだけでかなりの時間がかかってしまいました。写真アップは後日。
June 17, Friday 2005
今晩から3日間、ほたる祭りの歩行者天国が、伊那富橋の下辰野側から辰野駅まで続くとあって、結構にぎやかだった。松尾峡へほたるを見に行ってきたというお客さんによれば、けっこう出ていたとのこと。祭りの終わりになってようやくほたるが出始めたようだ。
明日の「ほたる祭りライブ」に向けて山崎會心さんから、「千の風」の書を借りてきた。佐藤勝彦さんの「六地蔵」をはずして、ステージの壁に飾った。雰囲気が変わった。
おかげさまで、ライブは盛況が予想される。何人かの懐かしい人たちが来てくれることになっている。中でも30年ぶりにお会いすることになる京都のFさんにお会いするのが楽しみだ。
June 16, Thursday 2005
オープン後しばらくして立派な紳士が入ってきた。ぼくを見ると、「三浦久さんですね」という。この人は一体誰だろうと、ちょっと身構えた。「前からお会いしたかったんです。私ブルース・スプリングスティーンの大ファンで、三浦さんがスプリングスティーンについて書いたものを、暗記するくらいに読みましたよ」というのを聞いて、警戒心がほどけた。
彼は、財布からボスの85年の初来日のときのチケットと97年のトム・ジョード・ツアーのチケットを取り出して見せてくれた。本当にボスが好きだということがわかる。ぼくが、これから2階へ行って英語を教えなければいけないと言うと、終わるまで待っていると言う。
教室終了後から閉店までお話する。とにかくボスについて詳しい。ぼく自身教えられることがたくさんあった。彼は愛知県のある大きな会社の社長さんで、辰野には仕事の関係で、2ヶ月に一度ほどくるとのこと。辰野にも工場があるようだ。
彼は学生時代にはギターを弾いて歌っていたこともあるらしい。古いギターの埃を払って、また歌いだし、飛び入りライブに出演してくれたらいいのだが。年齢も出身大学も現長野県知事と同じ。
ボブ鈴木よりファックス。7月8月のオーリアッドのスケジュールを聞いてきた。そして、「ブルーズの達人ジミー矢島氏も都合がつけば参加したいようですし、茅野のスーパーギタリスト、アミーゴ国枝君も誘ってみようと思っています」と書かれていた。ブルーズ・ナイトを本格的に計画する時期がきたようだ。
June 15, Wednesday 2005
ほたる祭りの時期になると、町外からのお客さんが時折寄ってくれる。今晩も初めてのお客さんが何組か寄ってくれた。平日にしては忙しい日だった。松本のミカちゃんという人から預かっていた絵葉書が初めて売れた。しかも4枚も。彼女は、オーリアッドの雰囲気が好きなので、売れなくても置いてもらうだけでいいと言っていたが、I
was very happy for her.
「昨日がオーリアッド再開2周年だったんですね」と言いながら、大月高志さんが送別会の帰りだといって寄ってくれた。本当に、短いようにも長いようにも思える2年間だった。
関島さんからメールが入り、18日は、吉祥寺に10時に集合し、辰野へ向かうと連絡があった。2時からリハーサルを始められればと思う。最終的なセットリストは決まっていないが、石崎さんもきて録音機材をもってきてくれるとのことなので、『千の風』以外の曲も何曲か彼らのサポートで歌ってみたいと思っている。「ガビオタの海」「門」「宝福寺にて」など。