OREAD Diary May 1〜May 31, 2005

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May 28, Saturday 2005

静かな飛び入りライブデー。まずぼくが「死は終わりではない」「あの果てしない大空へ」「門」を歌う。2番目の歌は、次男が15歳でクライストチャーチの高校へ出発する前日に書いて、翌朝、彼が旅立つ前に歌って聞かせた歌。彼の旅立ちの日、ぼくは上田で歌う機会があり、成田まで見送りに行けなかった。飛行機が飛び立つ頃、この歌を歌ったことを覚えている。

今晩この歌を歌ったのは、堀内千晴さんが、松本城を案内したニュージーランド人から礼状が届いたと言って、絵葉書を見せてくれたから。その絵葉書にはカシミア・ヒルから見下ろしたクライストチャーチの全景が写っていた。次男はニュージーランドへ行ってから9年目を迎えている。長い時間が経ったものだ。

続いて堀内千春夫妻が「おぼろ月夜」「学生時代」「ふるさと」「牧場の朝」を歌う。いつもは外国語の歌を歌うことが多い堀内さんだが、今晩はいつも家で奥さんが日本語の勉強のために歌っているという日本語の歌を一緒に歌う。



続いて藤森和弘さん。「Jeep]「夏祭り」「ひまわり」、それにぼくのリクエストに応えて「ろくなもんじゃねえ」と「とんぼ」。最後に彼が一番気に入っている歌だという「東京青春朝焼け物語」。



ここでしばらく休憩したあと、ぼくが Today, Can't Help Falling in Love, We Shall Overcome (Springsteen version), Blowin' in the Wind を歌う。そのあと、堀内さんに「故郷の春」の一番の韓国語の歌詞をカタカナで書いてもらって、歌ってもらう。彼がこの歌を歌うのを何度も聞いているので、メロディは頭の中に入っている。これに日本語の言葉をつけて歌ったら、いい歌になるだろう。そのあと、藤森さんが、今までに歌ったことのない「青葉城恋歌」「大きな古時計」「花」を歌う。
 


最後に登場は、2番目の子供(1歳4ヶ月)を寝かせつけながら自分も眠ってしまい遅れてしまったという長島功さん。ぼくも子供たちが小さな頃はそういうことがよくあった。最近は定番となった「最後の手紙」「無縁坂」を歌う。



その後、しばらくギター談義。長島さんはマーティンのポール・サイモン・モデルを今日修理に出したとのことで、別のマーティンをもってきた。


May 27, Friday 2005

銀座の「青羅」という画廊で開かれている知人の絵の個展を見るため。とんぼ返りのバスの往復だったが、帰りのバスではぐっすり眠れ、家にいるより疲れがとれたかもしれない。何よりも、昔お世話になった方の絵を見ることができてよかった。

7時ごろ辰野に着き、いったん家に戻り、9時過ぎからオーリアッドへ。長島君が器楽クラブの仲間と来ていた。そのうちの一人は数ヶ月前に、眼瞼下垂の手術を受けたばかりのKさん。見違えるように顔が明るくなっていて驚いた。調子がいいようである。

Dr. Yajima が、6月8日にやってくるワイトモ(辰野の姉妹都市)の一行について話にやってきた。6月11日(土)の午後、辰野町制50周年、ワイトモとの姉妹都市締結10周年の記念式典がある。すでに式典の通訳は町から依頼され引き受けてある。そのほかについてはできるだけ、若い人たち、新しい人たちにやってもらうのがいいだろうと思っている。


May 26, Friday 2005

久々に土屋先生来訪。スプリングスティーンの「リープ・オブ・フェイス(Leap of Faith)」から話題はキルケゴールへ。「死に至る病」、つまり絶望から新しい人生の段階への跳躍について。スプリングスティーンのこの歌の歌詞に、

  俺は傷心や絶望にうんざりしていた
  だからワイルドピッチに飛びつくようにおまえに飛びついた

というところがある。キルケゴールにだってこんなワイルドな表現はできないだろう。

「グローリー・デイズ」、それに『ボーン・イン・ザ・USA』の写真のバックポケットの赤い野球帽といい、スプリングスティーンはどうも野球が好きみたいだ。

赤い野球帽で思い出した。ホールデン・コールフィールドの帽子も赤いハンチングだった。ホールデンは死んでしまった赤毛の弟のアリーになりたいと赤いハンチングをかぶったという説がある。アリーは野球が好きだった。


May 25, Wednesday 2005

朝から体調が思わしくなく辰野病院へ。口の中が腫れて飲むことも食べることもできない。首の両側のリンパも腫れている。おたふく風邪かなと思ったが、そうではなかった。唾液の出る腺が炎症をおこしているとのこと。点滴を打ってもらい、抗生物質を処方してもらう。午後には症状が改善し、少し食べることができるようになった。過労と睡眠不足のせいだと思われる。午後中、横になっていた。

夕方、オーリアッドへ。体調ばかりでなくコンピュータの調子も悪く、水野哲男さんが夕方寄ってくれることになっていた。お店に入ってきた彼を見て驚いた。ライダー姿である。どうしたのですか、と聞くと、自転車で通勤しているとのこと。コンピュータの不調はすぐに改善された。

お店の前で彼のライダー姿を一枚。シャツは明るいところでは黄色に見えるが、暗闇ではこのように光って見える。さらに自転車の後ろにも点滅する赤色のランプがついている。



彼を見送ったあと、しばらく『ラッキー・タウン』を聞き、9時過ぎ家に戻り、そのままベッドへ直行。黒岩さんと入れ違いになってしまった。


May 22, Sunday 2005

今朝は「530(ゴミゼロ)デイ」で、6時前起床。今村の旧道から徳本水までのゴミを拾い、帰ってきて再び寝る。起きたときは11時を過ぎていた。簡単な朝食の後、よしださんにダルシマーの演奏方法を学ぶ。今までは単音でメロディを弾いていただけだが、基本の3つのコードの押さえ方を教えてもらう。コードを弾くことができると、歌いながら弾くのに都合がいい。

その後、山沿いの道を通って伊那へ。「みはらしファーム」で井村君の両親がやっている「はるか」という喫茶店でコーヒーを飲み、よしださんを伊那駅へ送る。今夜は、飯田のふぉのでライブとのこと。

夜は、諏訪のLSECでのレッスン。少々疲れ気味である。


May 21, Saturday 2005

よしだよしこさん、午後3時ごろ辰野駅着。しばらく休んでもらったあと、昨年サンタローザで買ってきたダルシマーを弾いてもらう。彼女によれば、いい木を使っていて、悪くないものらしい。確かに彼女が弾くといい音がする。彼女が昨年、村上律さんと一緒に寄ってくれたとき、車に乗っていたダルシマーをもってきて弾いてくれた。その音色が素晴らしく、サンタローザに行ったとき、楽器店を覗いて買ったのがこのダルシマー。そのダルシマーも楽器店の人気のない棚の上で埃をかぶっていた。そう思うと、人との出会いの不思議を思う。



5時前、オーリアッドに入り、サウンドチェック。彼女はボーカルにかけるリバーブの種類と強さを決めるのにかなりの時間をかけて入念にチェック。やはりプロは違うと思わされる一瞬。

7時10分ごろ開演。先ず一曲目は、レナード・コーエンとジェニファー・ジョーンズの合作の 「Too Late Love Comes」 を彼女なりに訳した歌。澄んだ歌声と軽快なギターの響きがオーリアッドの空間を満たす。歌い終わったときの拍手が強く長い。この歌と次の「砂の唄」は戦争にまつわる歌。しかし、仰々しい反戦歌でないところが彼女らしい。「命の河」「幼稚園のトリ小屋の前で」など、いくつか印象に残った歌があった。



休憩はなかったが、真ん中あたりで、ダルシマーの弾き語りが2曲。「道ばたでおぼえた唄」「A Case of You」。前者は「シーベック・シーモア」に彼女なりの言葉をつけたもの。アイリッシュのメロディがダルシマーの音色によく合っている。後者はジョニー・ミッチェルの曲らしい。

 

後半は、「崩れ落ちるものを感じるかい」「Donut Man」「私の青空」などがよかった。「Donut Man」は高田渡さんと一緒に訳を考えた歌らしい。「彼の残したものはドーナツの穴だけ」という歌詞が今でも余韻として残っている。「私の青空」はエノケンの歌だが高田渡さんも好んで歌ったらしい。最近この歌はオーリアッドの飛び入りライブでもよく聞くようになった。

「私の青空」が最後の曲。拍手鳴りやまず、アンコール。「虹の王国」、そして、ぼくのリクエストで「Amazing Grace」。今回初めてオーリアッドにきてくれたお客さんも多かった。皆さんよしださんの歌を堪能して下さったようだ。その後、11時半ごろまで歓談。



彼女の右手の指の爪が異常に長く白いので、どうしたのかと聞くと、ピンポンを爪の形に切り、アロンアルファで貼り付けてあるとのこと。なるほど、そういう手もあったのかと思わされた。ぼくもよく爪が割れて往生することがある。


May 20, Friday 2005
午前中、よしだよしこさんから電話があり、予定としては明日4時ごろオーリアッドに入るとのこと。昨年彼女がオーリアッドで歌ったのは5月28日。そのとき、家の畑のイチゴをご馳走した記憶がある。今年は、まだ小さな青い実がついているだけ。やはり、今年は春になってから寒い日が続いたことがわかる。

『ヒューマン・タッチ』のライナーを書き終えて、ソニーへ送ったのが8時過ぎ。その後オーリアッドへ。『ヒューマン・タッチ』と『ラッキー・タウン』の2枚のアルバムが同時発売されたのが1992年の3月。オーリアッドの2階の和室でこの2枚を翻訳したことを覚えている。

そのときは何がなんだか分からないままただ訳していた。あれから13年。今聞きなおすと、『ラッキー・タウン』へのつながりがよくわかる。その間にブルースは離婚、再婚、子供の誕生を経験した。その経験がすべて作品に反映されている。

遅くに黒岩さん。今晩は彼の興味のない話で退屈させてしまったかもしれない。反省。


May 19, Thursday 2005

前半、セカンドウインド英語教室。9時過ぎ、オーリアッドに入ると、大月さんと上島さんが1番テーブルに。大月さんの足の調子が悪いと聞いていたので心配していたが、回復したようで何より。

「よしだよしこコンサート」はいよいよ明後日。おかげさまで、昨年以上の入場者数になるのではないかと思われる。高田渡さんに「また歌ってみないか」と言われて活動を再開した彼女だけに、高田さんが亡くなられたことは大きなショックだったようだ。

  ・・川の底にひっそりと沈めていた30年間の思い出
  があれやこれやとかき混ぜられて落ち着かない毎日で
  した。それと同時に、これからの自分のことも静かに
  考える機会にもなりました。

というメールが入っている。彼女の新しい境地で歌われる歌が楽しみだ。ダルシマーの弾き語りも。


May 18, Wednesday 2005

昨日は稀に見る好天だった。今日は再び小雨がふったりやんだりの肌寒い一日。6時半過ぎ、オーリアッドへ。ボブ・ディランが流れていた。最近はスプリングスティーンばかり聞いているので、ディランの歌と声が新鮮に聞こえてきた。若かった頃のディランの有無を言わせぬ説得力。Bob Dylan: Live 1964。

久々に垣内さん。いつものように、なにやらいろんな楽しいことをやっているようだ。そのアイディアと、それを実行に移すエネルギーにはいつも感心させられる。

遅くなって黒岩さん。農作業のときに手袋をしないという彼の手は草の汁がしみこんで汚れている。働く農夫の手。所得番付とは関係のない手。

  The gamblin's man is rich and the workin' man is poor.

最近ウディのこの一行がよく頭に浮かぶ。ただ rich だから happy とは限らない。もちろん poor だから happy とも言えないが。少なくとも黒岩さんを見ていると楽しそうだ。


May 14, Saturday 2005

飛び入りライブデー。奇しくも、ブルーズと高田渡追悼の夕べとなった。

いつも7時を過ぎないと歌い手が集まってこないので、7時過ぎまで家で『トンネル・オブ・ラブ』のライナーを書き、ソニーへ送ったあと、オーリアッドへ。山岸豊さんがすでにきていた。とりあえず、サウンドチェックということで歌いはじめてもらう。山岸さんがこれほどに高田渡ファンだったとは知らなかった。歌詞も見ずに、「系図」「告別式」「酒」「夜風のブルース」「69」「みみず」と立て続けに歌った。最初の2曲はぼくも知っていた。彼のあと、ぼくが「私は風の声を聞いた」など数曲。

そのうちに、徐々に歌い手が到着し始める。先ず最初に、川岸の堀川博司さん。新品のギブソンを抱えて、「もう引き返せない」「風の学校」「花の都ペシャワール」。オーリアッド3回目だが、落ち着いた見事な演奏。1曲目はボブ鈴木もよく歌う歌。いい歌だ。



次に山岸さんが、本番として登場。新曲「歌はかけがえのないものの一つ」、それに「時間」と「ゆうとととうきょう」。新曲は、音楽が与えてくれたさまざまの出会いに感謝する歌。コーラスの部分が印象的。実は彼の弾いているギターも新品のマーティンとか。ぼくは、おそらく一生、マーティンともギブソンとも縁がないだろう。



次に、ボブ鈴木が、ベースの小池耕太郎君、リードギターの山田守人さんと、Sweet Sue Just You, All of Me, The Sunny Side of the Street 。ここから、演奏者、くんずほぐれつ入り乱れてのブルーズ・ナイト。



次に山田さんが、That's All Right, Hoochie Coochie Man, Dream Boatを歌う。彼は今晩初めてエレキギターを持ってきた。リードギターを弾きながら歌う、渋い演奏。そこに、ボブのハープが絶妙なタイミングで入ってくる。山田さんのもってきたギターアンプも新品の中古とか。



次に、小池君が、ベースをギターに持ち替えて、「君住む町に」「ハッピー・スウィンギング・ブルーズ」「さらばジャマイカ」。西岡恭蔵さんを師匠と仰ぐ若者の気持ちのいい演奏。かつて、恭蔵さんも、同じステージで歌ってくれたことがあった。

彼が3曲歌い終わったあと、そのままそこに残ってもらって、ボブと守人さんに入ってもらい、一曲歌ってもらう。ぼくのリクエストに応えて「プカプカ」を歌う。本当に恭蔵さんがそこにいるような錯覚に陥った。



次に山岸さんに、ベース小池耕太郎、リードギター山田守人で、一曲歌ってもらう。彼が選んだ曲は高田渡の「告別式」。山岸さんは一人で歌うときよりも、バンドで歌ったほうが、のびのびと歌っているようだ。とてもいい「告別式」だった。次にボブが、バックはそのままで、「靴が一足あったなら」。これも高田渡の歌だという。聞いたことのあるメロディ。途中から「グッドナイト、アイリーン」だと気がついた。最後に守人さんがソロで「私は私よ」を歌う。聞いたことのない曲だったが、これも高田渡だという。



その後、しばらく歓談。ブルーズ・ナイトをやろうという話で、大いに盛り上がったが、明日、穂高でのコンサートの準備もあり、いつもより早めお開き。楽しい夜だった。


May 13, Friday 2005

今日も寒い。夜の9時過ぎまで家で仕事をし、その後、オーリアッドへ。長島功さんがステージで歌っているところだった。そのあと中村さんに「鉄道員」「ジャニー・ギター」を弾いてもらい、黒岩さんに「太陽がいっぱい」「シェルブールの雨傘」などを弾いてもらった。

ぼくも数曲歌ったが、一日家でコンピュータの前にすわっていて疲れているのか、声がでない。日曜日は穂高町の市民タイムス安曇野支社の山光ホールでコンサートがある。明日は身体を休めたほうがよさそうだ。

「私は来週、ひょんなことから名古屋万博の米国館で、ダルシマーを演奏することになってしまい、曲目もある程度決められていて、すっかりその練習に追われています」と書かれたメールがよしだよしこさんから届いた。彼女はそのあと、5月21日(土)にオーリアッドで歌うことになっている。ダルシマーの演奏が期待できそうだ。

May 12, Thursday 2005

前半、セカンドウインド英語教室。クラスが終わり、オーリアッドへ行くと、ジブラーンの会の方々がまだいつもの3、4番テーブルで話していた。今日は「話すことについて」と「時間について」を読んだとのこと。

  自分の考えに平安が保てなくなったとき、あなたは話し
  始める。心の孤独のに耐えられなくなったとき、あなた
  は唇に生き始める。声の響きは気を紛らわせ、ひと時の
  楽しみを与えてくれる。―「話すことについて」より

     
あなたは時間や季節に従って、あなたの生活を調整し、
  あなたの魂の行方さえ導きたいと願っている。時間から、
  あなたは小川を作り、その岸にすわってその流れを見た
  いと思っている。しかしあなたの中の無窮なるものは、
  生命が無窮であることに気づいている。―「時間について」より 

今晩はコーヒーを飲んだだけで、あとはまかせて、家に帰り、明日締め切りのスプリングスティーンに関するエッセイを書く。



May 11, Wednesday 2005

久々のオーリアッド。前半、依頼されていた、スプリングスティーンの新作と9.11後のアメリカとの関連についてのエッセイを書く。最後ま書けなかったが、方向が見えてきた。ガスリー、ディラン、スプリングスティーンと受け継がれているものがある。

本来なら、今日の午後書き終えたかったのだが、突然の停電。2時から何もできなかった。いつもは停電があってもすぐに復旧するのに、今日はなかなか電気がつかなかった。30分ほどして、家の電気系統に故障でも起きたのかと心配になり、中部電力に電話を入れる。「案内を出したはずだが、近くに何かの工事があり、4時まで停電」とのこと。原因がわかって一安心。

今日は一日寒かった。オーリッドも暖房を入れた。自然農法家の黒岩さんが住む小野では今朝霜が降りて、彼が植えた野菜の苗は全滅してしまったとか。わが家がある今村は大丈夫だった。今村の海抜は800メートルないが、彼の住んでいるところは900を超えている。

時間を見つけては今度の日曜日の山光ホールでのコンサートの準備をしている。何曲か黒岩さんに聞いてもらう。フィンガーピッキングで弾く「私は風の声を聞いた」がいいとのこと。そのほか、「新しい光迎えよう」「次郎」「松毬」を歌う。

本日、『デビルズ&ダスト』の発売日。


May 7, Saturday 2005

飛び入りライブデー。いつも思うことなのだが、同じ飛び入りライブデーはないということ。参加者がまったく同じであっても。ヘラクレイトスが「同じ川の流れに二度と足を入れることはできない」と言ったように。今晩もまた実に「異なった」、そして実に愉快な飛び入りライブデーだった。

最初にぼくが「次郎」「死は終わりではない」「千の風」を歌う。

そのあと田中誠一君が「夜の旅人たち」「ゴルゴダの丘」「夢と愛と情熱と生きているということ」「時計仕掛けの一日」を歌う。一曲目はインストラメンタル。2曲目は河島英五の曲。3、4曲目は昔書いたというオリジナル。3曲目のタイトルは例の「酒と涙と・・」の影響か。




田中君が書いた新曲「地球の一滴(しずく)」。吉田拓郎風のメロディラインと歌い方が印象的。ここでダラーズのリーダー、荒木淳さんのベースが入る。小型スピーカー内臓の小ぶりのベース。これは使いやすいと思った。

そのあと荒木さんがピアノ弾き語りで「イマジン」を歌う。9月に彼が手がけたジョン・レノンのムック本が小学館から発売されるとのこと。


次に久々登場の水野哲男さん。「君の声が聞こえない」「C」と自身の教育現場での体験を歌にしたリアリティのある歌。久しぶりに聞いたせいか、いつもよりインパクトがあった。つづいて、「青い空に」「錆びた耕耘機」。今年は少しは時間の余裕がありそうで、もう少し歌いにこれるかもしれないとのこと。




ここでぼくが「Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?」「一通の手紙」。一曲目はいつもは歌わないママさんと二人でと思ったが、お客さんが入ってきて一人で歌うことに。最後にリクエストに応えて「風に吹かれて」。

続いて謎のピアニスト嬢、Miss Katsuno が「イマジン」「ヘイ・ジュード」「アメージング・グレース」をメドレーで。

 

次に田中君再登場。ベースに荒木さん。「春夏秋冬」、そして彼自身の「春夏秋冬」ともいえるオリジナル曲「季節風」。この歌は70年代の中ごろ、精華短大のおんぼろセミナーハウスで初めて聞いた。30年後の今聞いても新鮮だ。

  春風吹いてぼくの身体をすり抜けて
  金蘭の花、咲き乱れ
  野原を駆け巡る君とぼく
  ・・・

そのあと田中君は「流れ星とまれ」を歌う。これは英五君からもらったテープの中に入っていた曲で、英五君自身はレコーディングしていないとのこと。前にも彼が歌うのを聞いたことがある。いい歌である。



 

次に田中君再登場。ベースに荒木さん。「春夏秋冬」、そして彼自身の「春夏秋冬」ともいえるオリジナル曲「季節風」。この歌は70年代の中ごろ、精華短大のおんぼろセミナーハウスで初めて聞いた。30年後の今聞いても新鮮だ。

  春風吹いてぼくの身体をすり抜けて
  金蘭の花、咲き乱れ
  野原を駆け巡る君とぼく
  ・・・

つづいて水野さん再登場。「白馬村を離れるとき作った歌」「16」「24時間」。2曲目の歌は彼が教えた児童が、高校生のとき(16歳のとき)、白馬のオリンピックジャンプ台から滑り下りて、事故で亡くなったときのことを歌った歌。

そのあと荒木さんが「どうしてこんなに悲しいんだろう」のピアノ弾き語り。先の「イマジン」よりも彼の音域に合っていて聞きやすい。

最後に、ボスマンのギターで、長島功さんが「最後の手紙」と「無縁坂」。「最後の手紙」の作り始めのときしか知らなかった水野さんが、「いい歌になりましたね」と絶賛。



そのあと歓談。途中、辰野町料飲食店組合長さんが入ってきて、談論風発。大いに盛り上がった。最後に、組合長さんに、水野さんのリードギターで、「千の風」を聞いてもらって、本日の長い飛び入りライブ終了。

 


May 6, Friday 2005

ようやく『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のライナーを書き終えた。他のアルバムについて書くときよりも力が入り、時間がかかってしまった。何といっても、スプリングスティーンの最大のヒットアルバムである。

オーリアッドへ行く前に『トンネル・オブ・ラブ』にとりかかった。このアルバムは1987年に翻訳したときに聞いてから、あまり聞くこともなかったアルバムである。今回聞きなおしていい歌がいくつかあると思った。Tougher than the Rest, Walk like a Man, Brilliant Disguiseなど。このアルバムに関しては、Walk like a Man を中心に父との和解について、そしてそこから話を広げて、ベトナム戦争によって引き裂かれたアメリカが「和解」へ向かおうとするいくつかの現象について書きたいと思っている。そしてもちろんこのアルバムの最大テーマである男と女の愛についても。

午後、田中誠一君から電話があり、明日の飛び入りライブに荒木淳さんと参加したいとのこと。何でも明日の午後、松本でサッカーの試合があるので、それを見にくるとのこと。東京から見にくるというのは、Jリーグの試合があるのだろうか。

明日のオーリアッドの特別メニューは裏山で採れたコシアブラのてんぷら。歌いに聞きにお出かけ下さい。


May 5, Thursday 2005

午後遅くオーリアッドへ。外の看板の蛍光灯をかえるため。最近点滅するようになっていた。この看板は1985年8月に初代オーリアッドが開店したときからのもの。太い鉄柱の上に、Coffee & Music OREAD と書かれた長方形のプラスティックの箱が乗っている。

一昨年再オープンするにあたってこの看板の中を見たとき、木の枠に腐りかけているところがあった。だから蛍光灯をかえるだけでなく、腐りかけた部分を補強する必要があった。これが大変だった。CD用の棚を作ったときに残った木を利用して何とか補強したが、応急手当の域を出ない。いずれ全面的になおす必要があるだろう。

そのあと家に戻り、9時過ぎまで『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のライナー。その後オーリアッドへ。昼間蛍光灯をかえた看板が明るい。

コンサートに向けて何曲か練習。「門」「ガビオタの海」「松毬」など。



May 4, Wednesday 2005

スプリングスティーンの『デビルズ&ダスト』がアメリカを含む世界10カ国で初登場No.1というニュースが入ってきた。日本発売は5月11日。CDとDVDの2枚セット。

7月に紙ジャケで再リリースされる『ボーン・イン・ザ・USA』のための歌詞からみたライナーを完成させようと思ったが、途中でやめて、7時過ぎオーリアッドへ。「ノー・サレンダー」を聞いていたとき、突然背筋がゾクゾクっとするような感覚に襲われた。「ノー・サレンダー」「ボビー・ジーン」「アイム・ゴーイング・ダウン」「グローリー・デイズ」「ダンシング・イン・ザ・ダーク」「マイ・ホームタウン」とつづく後半は圧巻である。

土曜日以来久々のオーリアッド。アイスコーヒーの注文が入った。しまった!用意していなかった。いつの間にか、アイスコーヒーの季節になっていた。


May 3, Tuesday 2005

ありがたいことに、ミニアルバム『碌山』の評判がいい。中でも「次郎」がいいという声が多い。こんなに長くて難しい詩を歌にしても、誰も聞いてくれなかもしれないと思ったが、記録として残す価値はあるだろうと、CDに入れた。杞憂に過ぎなかった。井口喜源治の格調高い詩のおかげである。

昨日は大口の注文も入り、早速追加プレスをお願いした。

ほたる祭りライブに関島岳郎さんが来てくれることになった。中尾勘二さんとHONZIさんもスケジュールを調節して来てくれる可能性がある。いつもとは違ったほたる祭りライブになりそうである。CDの「千の風」や「次郎」を再現できるかもしれない。

広島市の中学校から『カムサハムニダ、イ・スヒョン』の注文が入った。最近、学校関係者からこのCDの注文が増えている。授業の一環として使われているようである。


May 2, Monday 2005


岡谷の北條楽器へ。初めてお父さんの北條さんと長い間話す。かつて銀座の十字屋という楽器店に勤めていたとのこと。そして歌声喫茶やダンスホールでアコーディオンを弾いていたこともあるとか。

彼の話しを聞いて、一度北條さんを囲む夕べを開きたいと思った。彼の若いころの話しを聞いたり、アコーディオンを弾いてもらって、みなで歌ったり、歌い手が一曲ずつ歌ったりしたら楽しいだろう思う。是非、実現させたい。

スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・USA』以後のアルバムについて、歌詞から見たライナーを書き始めた。それ以前のアルバムについてはすでに書いて送ってある。1973年のファーストアルバム『アズベリー・パークからの挨拶』から2002年の『ザ・ライジング』までの30年間に書かれた作品を数ヶ月の間に、聞き、読むということは実に面白い、得がたい体験である。

今まで断片的だと思っていたものが、互いに関連していることに気づいたり、彼の作品がアメリカのその時々の社会の状況を反映していることを再確認したり、いくつもの発見があった。

「学校よりも3分間のレコードから多くのことを学んだ」というのは「ノー・サレンだー」の中の有名な一行だが、ぼくは今あらためて、スプリングスティーンのレコードからアメリカについて多くのことを学んでいる。



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