OREAD Diary
December 1-31, 2016
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Saturday December 31, 2016
午後3時過ぎ。長男を迎えに辰野駅へ。12月の特別年末ライブにも手伝いにきてくれたのだが、「老いた」両親の面倒をみにかけつけてくれた。それに、先日、札幌へ奥さんの好きなエグザイル(三代目?)のコンサートへ行ったときのお土産をもってきてくれた。コンサートはメンバーが事故で怪我をし、中止になってしまったようだが。来年の夏に代わりのコンサートがあるとのこと。
家人はキッチンでお節料理と今夜の歳とりのご馳走とをつくっている。食べるものに関しては彼女は手を抜かない。ありがたいことではあるが、もう少し、手を抜いてもいい。年越しそばは村のそば打ち名人が届けてくださった。感謝。
夜はご馳走をいただきながら、紅白と格闘技を半々に見る。紅白は正直つまらない。集団で踊ったり跳ねたりするグループが増えた。舞台装置や演出がやかましい。騒々しい。
今年は、4月のボブ・ディランのコンサート直前に、転倒し、左手を骨折したことが悔やまれる。コンサートに行けなくなったばかりでなく、その後の生活にも少なからず支障をきたした。しかし、手の甲の骨折程度ですんでよかった。もっと酷い事態になっていたことだってありえる。2か月ほどで、ギブスもとれ、ギターも弾けるようになった。ただ、弾いているあいだは夢中のせいか、痛みを感じないが、弾きおわったあと、特に翌日、かなり痛む。
10月13日のボブ・ディランのノーベル賞受賞のニュース以来、ぼくの生活は一変した。忙しくなった。新聞、テレビ、ラジオの取材が相次いだ。ただ「ディランが好きだ、好きだ」と半世紀にわたって語ってきただけなのに、ありがたいことである。
また11月10日(日本時間11日)にレナード・コーエンの逝去が報じられてから、さらに忙しくなった。彼が亡くなったのは11月7日だが、発表されたのは身内だけで葬儀を終えた11月10日のことだった。彼の最後のアルバムを訳しているときに、もう先はそう長くはないと感じていたが、こんなに突然、訃報を聞くことになるは。信じがたい思いだった。
レナード・コーエンの訃報後忙しくなったのは、11月18日にソニーから、初期の彼のアルバム10枚を復刻するとのことで、10枚全部の対訳の見直しを依頼されたからである。10枚のうち6枚はぼくが訳したもの。4枚は他の方が訳したもの。発売は来年1月25日。年末年始の休みがあり、締め切は12月12日の月曜日。大変だった。2,3日遅れたが、なんとか終了。
11月19日、飯田市の丸山小学校、11月25日、伊那のシニア大学、12月9日、伊那の春富中学で、ディラン関連のトークライブがあった。いずれも気負いすぎて若干空回りした感もあるが、ディランいついて考えるいい機会になった。この機会を与えてくださった方々に感謝したい。
12月17日には、野間さんと有恒さんの妹さんを迎えて、ディランの受賞を祝し、コーエンの逝去を悼む「特別年末ライブ」をオーリアッドで開いた。こじんまりとしたライブでいいと思っていた。それでも多くの方々が来てくださった。有恒さんの妹さん、遠藤実千代さんにお会いできてよかった。素敵な人だった。野間さんの演奏も好評だった。
悲喜交々の2016年だった。でも確かに何かが始まろうとしている。来年は初心にもどって、もう一度、歌ってみよう。
Friday Decemer 30, 2016
今日は家人の指示に従って、神棚、玄関、下の和室の掃除をする。神棚の掃除が一番大変。高いところに置いてあるので、脚立に上って、2つの小さな社の周りに置いてあるお札、古銭、大黒様や弁天様の木像などを手渡しでおろし、最後に2つの社を下ろす。それを家人がきれいにし、またもとにもどす。もどすときに、どこにあったか分からなくなることがあり、ひともんちゃく。
ぼくの祖母は信心深いというか迷信深いというか、神棚と仏壇の前で毎日長い間祈っていた。母は信心がなかったわけではないが、あまり熱心ではなかった。家人はかなり祖母に近いところがある。あるいは家人のお婆さんに似たというべきか。彼女のお婆さんも信心深かった。神様のおかげで「大難が小難になった」というのがおばあさんの口癖だったようだ。
夜は久しぶりに、TV三昧。ボクシングとNHKの時代劇を交互に。ボクシングは3戦あったが、最後の日本人同士の世界チャンピオン戦が見ごたえがあった。
Thursday December 29, 2016
昨夜、radikoプレミアムに登録しておいたので、今朝SBCラジオ「モーニングワイド」を聞くことができた。8時15分からほぼ10分のオンエアー。限られた時間ではあったが、遠藤さんの思いを中心にていねいにまとめられていた。遠藤さんのクラリネットの「ダニーボーイ」もよかった。
「菅野有恒」という歌について常々、2つの願いをもっていた。1つは、アメリカの古いバラッドが、大きな出来事や事件を記録として残しているように、東日本大震災震災を記録しておきたいという願い。もう1つは、会ったことのない友人菅野有恒がこの歌の中で生き続けてほしいという願い。今朝のこの番組を聞きながら、もう1つの願いを加えたいと思った。それは、あの震災直後に世界中の人々から寄せられた善意を思い出す契機になってほしいという願いである。
午後遅く、仮眠をとる。頭痛がし、微熱もある。これで熱が上がり続ければインフルエンザの可能性があると家人が脅す。目を覚ましたとき、頭痛はまだ少しあったが、熱は上がっていなかった。
頭痛がし微熱が出たのは、神社の近くへ、暖炉の焚き付け用に、杉やカラマツの落ち葉を拾いにいったせいかもしれない。大きな段ボールいっぱい拾ってきた。
Wednesday December 28, 2016
前から見たいと思っていた「君の名は」を家人と午後見に行く。この映画は学生たちに人気がある。映画評も素晴らしい。冬休みが始まり、ようやく時間がとれた。岡谷のスカラ座。少し遅れて入った。暗くてよくわからないが、ほぼ満席。映画が終わって見回すと、ほとんどが若い人たちである。若者に人気があることがわかる。
しかし、ぼくにはわかりづらい映画だった。複雑に交錯するストーリー展開についていけなかった。ぼくにはアニメーションに対する偏見があるのかも。
Tuesday December 27, 2016
10時過ぎ、NHK長野の打越さんから電話があった。明日28日放映予定だったディランについての再放送は、今朝の11時40分からの「ひるとく」に変更になったとのこと。あと1時間ほどしかない。前回も感じたが、いまならもっと気の利いたことを言えたのに思った。しかしありがたいことに富山で放映された分にも反響はあったらしい。いずれにしろ、このインタビューを受けたことは、ディランについて再考するいい機会になった。
「あなたにとってボブ・ディランとは?」というソニーミュージックからのアンケートに応えておいたが、今日それがアップされたと連絡があった。ぼくの答えは、考えた挙句、結局、ボブ・ディランは、ぼくにとって、大きな謎だということ。ひとつの謎、公案のようなもの。他のディランファンの千差万別の答えを読むのも面白い。100人いれば100人のボブ・ディラン。http://www.110107.com/mob/pageShw.php?site=OTONANO&ima=5053&cd=Message_toD
午後から夜にかけて年賀状を書く。昔は最高500枚ほど出したこともあるが、最近は150から200枚。高齢になった方々から「今年で年賀状はおしまいにします」と書かれた年賀状をいただくことがある。ぼくも今や申し分ない高齢者。そうしたいと思いつつ、元旦に年賀状が届かないのも淋しい。ながい付き合いの方々や、先にただいた方には書くようにしている。
SBCの小森さんから連絡があった。
先日はお忙しいところ、取材にご対応をいただき、改めて御礼申し上げます。遠藤さんのお話、三浦さんとのご縁などのあたりにフォーカスをした内容で、29日木曜日のSBCラジオの朝ワイド「ラジオJ」内、8:15〜8:24の「Jポイント」コーナーにて放送させていただく予定です。
わが家は山の麓にあるためか、ラジオがうまく受信できない。聞き取れるだろうか。
Monday December 26, 2016
午後、2コマのクラス。冬休み前、最後のクラス。いつものテストのようなものをしたあと、後期に予定した全11曲のうち、また歌ってない 1曲を除いて全部歌う。さすがに Bird on the Wire は歌いづらそうだ。そのあと、キング牧師の I Have a Dream のビデオを時間まで見る。期末試験は歌とキング牧師が中心である。
Saturday December 24, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):大月高志、中山昭、美月、松下元英、Add 9th、しげまつ、坂井俊水、三浦久、原田和恵、長島功。
Friday December 23, 2016
朝起きて外を見たら、太陽の光がきらきら輝いている。朝食前、新しいカメラをもって外へ。いくつか写真を撮る。このカメラは光をとらえるのに向いている。明るく鮮やかな映像。
午後、ディランの歌をいくつか練習。それぞれ日本語で歌いたいと訳を試みるが、うまくいかない。英語でメドレーで歌うことになるかも。
Thursday December 22, 2016
午後、久しぶりに「湯にいくセンター」へ。整骨医もいいが、温泉も腰痛にはいいかもしれない。手の痛みにも。
今日は一日中、小雨。夜になって激しく降った。風も強かった。この風が新潟の糸魚川の火事をおおきなものにしたようだ。150棟ほどの家が焼けてしまったようだ。地震、雷、火事、親父。最後の親父をのぞいて、今でもおそろしいものばかり。
My Back Pages と One Too Many Mornings の練習を少し。少しは歌えるようになった。
Wednesday December 21, 2016
午後1コマのクラス in 松本。冬休み前、最後のクラス。歌った歌は The Last Thing on My Mind.
帰路、アルプス市場に寄り、家人に頼まれていた長芋を買う。
夜、天竜ずくだし倶楽部主催の歌声喫茶。お茶を淹れる時間前に行き、後半は家人を交替。新しいカメラで撮影してみた
。
ちょっと加工したら変な色になってしまった。
Tuesday December 10, 2016
久々に整骨医へ。腰はそれほどひどくないが、骨折した左手と、肘が痛む。土曜日のライブの影響に違いない。ギターを弾いているときは夢中になっているのか感じないが、翌日になって痛みが出るようだ。寒いせいもあるかもしれない。
午後遅くなって、村をぐるっとウオーキング。新しいミラーレスのカメラをもって。まだマニュアルもしっかり読んでないので、細かい設定はしていない。もどってきて、パソコンに写真を入れ、いろいろ編集機能を試していたら、いくつかのフィルターを使うことができると知った。それぞれ試してみて、冬枯れの感じを出すには ZEKEというフィルターがいいことがわかった。いつもこれを使うわけにはいかないだろうが、たまには面白い。
昨夜一晩「あなたにとってボブ・ディランとは?」を考えて答えが見つからなかった。そこでそのままをぼくの答えとして送ることに。
ぼくにとってボブ・ディランとは:ひとつの大きな謎。公案。白隠の「隻手音声」、趙州の「無字」。答えはどこにもなく、またいたるところにある。つまり風に舞っている。One big enigma. A koan like Hakuin's One Hand Clapping and Joshu's Mu. The answer is nowhere to be found yet it is everywhere.
Monday December 19, 2016
午後2コマのクラス。「テストのようなもの」に選んだ英文はニューヨーク、クイーンズ地区のコミュニティ・カレッジで英語を教えている先生のことば。
I teach English at a community college in Queens. I love the job, but I hate grading papers. I’d prefer to just have one continuous discussion about Shakespeare. I envy the math teachers who can just put their tests through a Scantron machine. Placing value on a student’s writing is much more nuanced and complicated. 「教えるのは大好きだが、レポートを読んで成績をつけるのが苦手。マークシート式の試験を装置に通して採点できる数学の教師がうらやましい。文章を評価するのははるかに微妙で複雑である」という主旨の文章。
大学の数学の試験がマークシート方式だとは思わないが、ぼくもいつも同じようなことを考える。採点がなんとか簡単にならないかと。教えることは嫌いではない。むしろ楽しいくらいだ。しかし如何せん、テストを採点したり、提出された課題のエッセイを読み成績をつけることが大の苦手である。
農学部へ向かっている途中、電話が鳴った。車を脇に寄せ、ケイタイを耳にあてる。打越さんだった。要件は2つ。ひとつは、ディランに関するインタビューの再放送は予定通り12月28日(水)の「ひるとく」(11:40ー12:00)に行われるとのこと、もうひとつは、NHK富山局からの映像を使用したいという要請を受け、了承しておいたのだが、それは先週木曜日にすでに放映されたとのこと。
家に戻り、メールをチェックしたら、ソニーの栗原さんからコメントを求めるメールが入っていた。「あなたにとってボブ・ディランとは?」。これが難しい。この問いは、白隠の「隻手音声」、趙州の「狗子に仏性ありやなしや」と同じ公案だ。一晩考えたが答えが見つからない。一晩寝て、明日考えよう。
Sunday December 18, 2016
10時前、遠藤さんをホテルに迎えに行き、先ず、小野藤沢の杣人中村さんのお宅を訪問。コーヒーをいただき、近所の仏師の仏像を見せてもらったあと、自衛隊の射撃訓練場へ続く道をしばし歩く。ミーちゃんが走り回ってかわいい。
そのあと、かやぶきの館へお昼を食べに。温かい山菜そばにしたが、ザル蕎麦にしておけばよかった。そのあと、わが家に寄ってもらい、しばし歓談。遠藤さんと話していて感心することは、感性がとても豊かだということ。含蓄のあることばが随所にでてくる。考えさせられた言葉は「兄や私の家族に起こったとは特別なことではなく、陸前高田にはそのような人たちがたくさんいる」という言葉。
Saturday Decemb er 17, 2016
仙台から有恒さんの妹さん、遠藤実千代さんを迎えての「特別年末ライブ」。2日前にたつの新聞に支局長さんがいい記事を書いてくれたこともあって、たくさんのお客さん。遠くは埼玉、千葉、東京からきてくれた人も。たつの新聞、信毎の記者、それにSBCのディレクターも取材に駆けつけてくれた。
先ずぼくが「門」を歌ってスタート。その後、野間さん家族のことを歌った歌を2曲。「人生は捨てたものじゃない、おまえのママのような素敵な女性に出会うことだってある」というところが印象的だった。次に遠藤さんのクラリネットと野間さんのギターで「ダニー・ボーイ」。素晴らしかった。普段は付属品を合わせると10キロを超えるバスクラリネットを吹いているが、持参したのは通常のクラリネット。吹きなれていないといいながら、いい音色を届けてくれた。
そのあと、遠藤さんをみなさんに紹介し、お兄さんの有恒さんについての質問をいくつか。「兄は友だちにするには最高の人だったと思うが、家族としては大変なところもあった」という主旨の言葉になんとなく納得。
このあとぼくが歌う。「電線の鳥」「菅野有恒」「夢のブックストア」「ガビオタの海」「即宗和尚」「明日は遠く」「死は終わりではない」「私信」など。途中、「風に吹かれて」と We Shall Overcome をみなさんと一緒に。
最後の歌「祈りの歌」うぃ歌い終わったとたん、アンコールおばさんから「アンコール」の呼び声。アンコールに応えて、比較的短い「パーティーは終わったよ」を歌う。コーラスの部分は聴衆のみなさんも一緒に。
最後に、野間さんのギターと遠藤さんのクラリネットの演奏で「ふるさと」の大合唱。すばらしい大合唱になった。
Friday December 16, 2016
NHK長野の打越さんからメールがあった。
ご好評につき再放送の情報です。 長野県内向けにお昼前にお送りしている番組で 取材させて頂いた内容を再放送することになりました。 「ひるとく」午前11:40−午後12:00 ▼放送予定=12/28(水) 取り急ぎご連絡差し上げます。ぼく自身は言いたいことの半分も言えなかったという思いがあって、ちょっと失望していたので、好評だったというのは嬉しいかぎり。打越さんのリードと編集がよかったのだろう。あのあと、わずかな時間だったのに、多くの人たちから「見ましたよ」と声をかけられた。夕方のあの時間帯は多くの人がみる時間なのかもしれない。
明日は、いよいよ年末ライブ。有恒さんの妹さんからは「遠足前の小学生のようにワクワクしています」とのメールが入った。今回は体調を崩したり、翻訳で忙しかったりして、あまりパブリシティが出来なかった。それでもぼくの歌をサポートしてくれる方々が集まってくれそうである。細々と歌い続けてきてよかった。何で歌うか、何を歌うか、考えるいい機会である。ビッグサーの岩の上にすわり、太平洋を眺めながら日本に帰ったら何をしたいかと考えたときのことをもう一度思い出さなければならない。あのときの「燃えるような思い」をわずかでも取り戻したいもの。
Thursday December 15, 2016
寒い朝。外に出て久しぶりに写真を撮る。
朝食後、オーリアッドへギターを取りに行く。明後日のライブに向けて弦を換えるために。
今朝のたつの新聞にライブの案内の記事が出たおかげで、何人かの人から予約が入った。
夜、送ったと思っていた Live Songs の初校が届いていなかったようで、慌てて再度送る。どうもコンピュータの調子が悪い。今度は届いてくれたらいいが。
昨夜が満月だったが、今夜の月もきれいだった。
Wednesday December 14, 2016
午後、1コマのクラス。帰路、アルプス市場にてジャンボニンニクを買う。
昨日読んだ Voice of America のサイトにニンニクの効用についての記事が載っていた。 それによれば、ニンニクが身体にいいのは身体の中にhydrogen sulfide (硫化水素)を作り出すからだという。Garlic, The Key to Long Life?
At first, hydrogen sulfide does not seem very healthy. In fact, it is toxic and flammable. It smells like rotten eggs. But it does an important job in our bodies. Hydrogen sulfide relaxes blood vessels. 硫化水素はあまり身体に良さそうには思えない。しかし、硫化水素と聞くと、あまり身体によさそうには思えない。事実、有毒であり、可燃性がある。腐った卵のようなにおいがする。しかし、われわれの身体に重要な作用を及ぼす。血管を柔らかくするのである。
その結果、血圧が下がるらしい。試してみる価値あり。
帰宅後、レナード・コーエンのアルバム10枚の対訳の校正の最後に残っていた Live Songsの校正を送る。過去に自分が訳したもの、他の人が訳したものを見直すというのは、新たな発見があって楽しい。今回はこの Live Songs の中の Don't Pass Me By の理解が深まる発見があった。
今までこの歌の最後のところは、コーエンが、「家に帰るときは、ここへ来た人とは別の人と帰りなさい」と歌っているように思った。女好きのコーエン (And who isn't?) らしいと思った。ところがその解釈だと、どうも歌全体のトーンとあわない。なんども読み返すうちに、まったく違ったことを言っているのだとおもうようになった。彼は「ここにきたときのあなたとは違った人になって帰りなさい」と言っていたのだ。Don't be the peson you came with.(あなたがここへ一緒に来た人ではあるな)というのはそういうことに違いない。そうするとこの歌は素晴らしい広がりを持ち始める。
翻訳の楽しみのひとつはこんな発見である。
Tuesday December 13, 2016
朝、起きたら雪。かなり激しく降っている。このまま降り続けたらかなり積もると心配したが、すぐに雨に変わった。よかった。
午前中、4枚分の校正を送る。昼過ぎ、地元の新聞社に記事掲載のお願いに行き、その脚で伊那の眼鏡市場へ。補聴器のクリーンアップをしてもらいに。
土曜日の特別年末ライブへの参加者が徐々に増えてきた。伊那から戻ってきてメールをチェックしたら、長野にあるラジオ局のディレクターからライブを取材したいとのメールがあった。最近、ディランのことで何度か取材してもらった新聞社からも取材の依頼がきている。それに今日は小学校時代の同級生からも来てくれるとの連絡があった。今回はこじんまりとしたコンサートでいいと思っていたが、6月のほたる祭りライブほどではないが、盛況になりそう。ありがたいことである。
Monday December 12, 2016
午後2コマのクラス。今日は変則的なクラス。変則的でなかった日はない気もするが、今日は特に変則的。ボブ・ディランの代読されたスピーチを読み、解説する。そのあと、 A Hard Rain's A-Gonna Fall の歌詞を大型スクリーンに映し声を出して読んだあと、意味を解説する。そのあと、 Pattie Smith の歴史的パフォーマンスを見る。前半緊張のあまり、演奏をやめてしまったところは、彼女にしてみたら一世一代の不覚と思ったかもしれない。しかし、ぼくが思うに、そのことによって後世に語り継がれる演奏になった。あの歌のもつ、緊張感、危機感を伝えることができた。パティ・スミスの精神性がそのことによって際立った。
最後に、教科書の Curriculm Vitae つまり、履歴書の書き方を解説し、実際に書いてもらう。
帰路、「あじーな」により、食材をいくつか購入。地域の人が作っている駄菓子が売っていた。昔懐かしい「ゴマネジ」を購入。車の中から食べ始めた。美味しい。
夜、コーエンの校正。ゴマネジはほとんどなくなった。
Sunday december 11, 2016
昼過ぎ、昨夜の片づけにオーリアッドへ。終日、「ある女たらしの死」の校正。このアルバムはコーエンの失敗作と思っていた。彼の詩とフィル・スペクターのアレンジはまったくあってないと思っていた。
こうして、もう一度、詩を吟味してよみなおすと、そこはさすがコーエン。失敗作として片づけるにはもったいない。いい歌がいくつかある。但し、やはり彼の歌はロックンロールには向いていない。しかし、このあとの Various Positions, I'm Your Man それに The Future というような傑作アルバムができたのは、Death of a Ladies' Man の「失敗」があったからかもしれない。失敗は成功のもと。あるいは、There's no success like failure and failure's no success at all.
Saturday December 10, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):坂井俊水、丸山俊治、ふあ、内海温、畑春彦、三浦久、田中創、太田裕士、山田守人、春日順也、赤羽真理。
ノーベル賞授賞式のお祝いがストックホルムで行われる日、時差の関係で、日本時間では11日の未明、ノ―ベル文学賞を受賞したディランは参列しないが、彼のスピーチが代読され、パティ・スミスが A Hard Rain's A-Gonna Fallを、に歌うことになっている。 いずれにしろ、この記念すべき日がオーリアッドのオープンマイクと重なった。少人数でもいいから、ディラン受賞記念のオープンマイクにしたいと思い、ホームぺ―ジとフェイスブックで告知した。幸運なことに、昨日の「イブニング信州」でぼくが少し出演したディラン関連のコーナーの最後で、アナウンサーの打越さんが「明日はオーリアッドでディランの受賞を祝うイベントがある」という主旨の話をしてくれたので、歌い手以外の方もいつもより多くきてくれた。中でも1950年代に4年間ニューヨークに住んだという伊那市の医師内海温さんから朝「オーリアッドはどこにある」との電話をいただいた。彼は友人と2人で7時前にオーリアッドに到着した。現在86歳とのこと。
内海さんは86歳とは思えない声で、50年代の豊かなアメリカでの体験を語り、更にレノンが1980年に暗殺されたあと、セントラルパークのジョン・レノンを偲ぶ碑を訪問したときの想いを語る。ジョンが生きていたら、ノーベル文学賞はひょっとしたらディラン・レノン同時受賞になっていたかもしれないと、言外に仄めかす。
信濃毎日新聞と中日新聞の記者が取材にきてくれた。明日の朝刊に載せたいとのこと。それでここで参加ミュージシャン全員にステージに上ってもらい「風に吹かれて」を歌う。英語と日本語で。
どれだけ道を歩いたら人間と呼ばれるのだろう
どれだけ海を渡ったら鳩は休めるのだろう
どれだけ弾丸(たま)が飛んだら戦争は終わるのだろう
いいかい友よ、その答えは風に舞ってるだけさ
春日君が、前半の最後だった。そのあと、田中君を中心に Sweet Home Chicago を歌ってもらうことに。盛り上がった。
このあと後半の順番がジャンケンによって決められ、最後は赤羽さん。「旅人の木」。
最後の最後、比較的簡単に一緒に歌える We Shall Overcome の大合唱で締めくくる。
みなさんのご協力によって、ボブ・ディランノーベル賞受賞記念オープンマイク無事終了。とてもいい夜になった。
Friday December 9, 2016
午後1時30分から3時まで、春富中学の2年生にぼくの話と歌を聞いてもらう。長丁場になったが、みんな熱心に聞いてくれた。先ず最初に「風に吹かれて」の一番の英語を解説し、一緒に歌う。そのあと、「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「それぞれの道」「あの果てしない大空へ」などを歌う。見ると床にしりもちをついてすわっている。中にはもじもじしている子もいる。お尻が痛いのに違いない。それで全員に立ってもらって、最後に歌う予定だった We Shall Overcome を歌うことに。始まる前に、小島先生からこの歌は事前学習で全員歌えるようになっているとお聞きしていた。大きな声でしっかり歌える。最後一番を繰り返すところで女子のみに歌ってもらった。のびのびとしたいい声だった。すぐ横にいた小島先生の声が大きすぎて女子の声はまったく聞こえなかったのである。
後半は、「電線の鳥」「菅野有恒」「祈りの歌」を中心に。終わったあと何人かの子供たちが話しかけてくれた。最近行ったトークライブでは今日が一番よかった。そうそう、先日小島先生と一緒にオーリアッドにきてくれた若い数学の先生の堀内先生が、ディランのファーストから7枚目の Blonde on Blonde までをCDを購入して聞いたとのことだった。「ディランの中で聞くべきアルバムは何ですか」という質問に対するぼくの答えを忠実に実行したようだ。
6時10分からのNHK長野の「イーブニング信州」で先日取材されたディランについての映像が流れた。長時間いろいろ取材されたが、打越さんは「風に吹かれて」に的を絞ったようだ。それは賢明な方法だったかもしれない。ぼくが How many roads must a man walk down/Before you call him a man? を読み、日本語訳を加えたところで、ディランがその部分を歌う映像をかぶせたところは「これでもか、これでもか」と念を押すようで効果的だった。春富中学の子供たちは、ここのところがよくわかったはず。
写真写りが悪いと悲観していたが、何人の人たちから好意的な反応があった。「髪を切ったほうがいい」という意見も2件あった。あの日は翻訳に追われていて、髭も整えていこうと思っていたが、忘れてしまった。
Thursday December 8, 2016
久しぶりに時間の余裕ができた。午後、歌を書こうかとギターをもったが、何も出てこない。それなら本格的に寒くなる前に煙突の掃除をしようかと思ったが、明日春富中学へ話にいくことを思いだした。オーリアッドへギターとマイクスタンドをとりにいく。
夜はソニーから初校のための一枚分のpdf が届く。The Death of a Ladies Man。それに明日のトークライブのための準備を少し。
Wednesday December 7, 2016
午後1コマのクラス。今日は、テストのようなものでは、ディランのノーベル賞受賞に関してアル・ゴアが書いた文章から引用した。
「風に吹かれて」が私の世代に与えた影響は計り知れない。この歌は公民権運動のターニングポイントとなった歌で、当時の社会の状況を明確に示した歌であった。不公平な法律と差別い対する抗議の歌であった。「風に吹かれて」はわれわれの意識を変えた偉大な歌のひとつである。
といった主旨の文。このあと、 A Hard Rain's A-Gonna Fall の歌詞を配り解説し、字幕つきのYouTubeを見る。
https://www.youtube.com/watch?v=rT8yTLzg-JU
夜、訳していなかったセカンドとサードの bonus tracks の訳と、Live Songsの中の Don't Pass Me By の訳を完成し送る。Don't Pass Me By の I sing this for the Jews and the Gypsies and the smoke that they made.の the smoke that they made が分からなくて、遅れていた。何人かの人に質問のメールを送ったら、一番最初に返事をくれたのはニュージーランドの義理の娘だった。この煙は、強制収容所の中で焼き殺された人たちの煙ではないかとのこと。なるほど、なるほど。It makes perfect sense. 隣町に住むケルトンからも、さらに詳しい同様の答えが届いた。ありがとう。
Tuesday December 6, 2016
朝、病院へ定期検診。11時の予約が12時になってもまだ番がこない。翻訳に戻らなければと、別の日にしてもらおうとお願いする。もう少しで順番が来ると言われ、待つことに。名前を呼ばれ、急いで診察してもらう。家についたときには、途中オーリアッドに寄って Essential Leonard Cohen のCDを探したこともあって、1時半にだった。
そのアルバムは以前ぼくが訳したもので、その中に Night Comes On が入っている。 オーリアッドで見つからなかったので、ソニーに連絡し、送ってもらうことに。
コーエンのファーストアルバムのボーナストラック2曲を訳し送る。今日はあまりに疲れたので、早く寝ることに。早くと言っても12時前に。
Monday December 5, 2016
午後2コマのクラス。5 Paragaraph Essay についての資料を渡す。歌は Let It Be。
夜、昨夜送ったいくかの翻訳が届いていないことが判明。最近、コンピュータの調子が悪い。慌てて、Yahoo mail で送りなおす。それからLive Songs の中の長い歌、Don't Pass Me By の最後の部分を訳さないで送っていたという連絡をもらった。調べたら、その通りだった。これは明日考えることに。とにかく10枚分のアルバムの訳を修正したり、新たに訳したりするために、ぼくの机の上も、椅子のまわりも、いつにもまして混乱状態。コンピュータの中も同様。整理できないこの悪癖は、もうなおらないだろう。
Sunday December 4, 2016
終日翻訳。今日は同姓の会の忘年会がパークホテルであった。ぼくは12時から1時まで、昼食を食べるだけに参加。対訳は、前送った4枚と合わせて9枚分を送る。まだ送ってないのはVarious Positions。このアルバムには Dance me to the End of Love と Hallelujah が含まれている。この2つは Live in Lodon にもあったので、以前に訳していたのでよかった。ほかにも難しい曲がたくさん。中でも Coming Back to You が難しい。
明日の午前中に送ることができればいいが。
Saturday December 3, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):打越裕樹、三浦久、福山民子、赤羽やよい、坂井俊水、原田和恵、丸山眞弓&真美香、青木裕子、清水純一、芝喜美夫、赤羽真理。
Friday December 2, 2016
終日翻訳。ようやく5枚分発送。あと5枚。なんとかしなければ。
明日は午後4時半にNHKのクルーが入り、セッティングのあと、30分ほどの取材。7時からのオープンマイクの様子も撮りたいとのこと。但し、全体の枠が5分から7分とのことで、どんなふうに収まるか興味のあるところ。
腰痛治療のため行き始めた整骨医へもしばらく行けないでいる。翻訳が終わったらいくことにしよう。
Thursday December 1, 2016
終日翻訳。夕方、アルバム2枚の訳を送る。もう1枚送りたいが、難しいかも。
たつの新聞の広告で知る。パークホテルで、期間限定で、新宿「さぼてん」のとんかつが食べられると。家人とお昼をたべにいくことに。東京へ出たときにはよくとんかつを食べる。今日食べたとんかつは悪くなかったが、やはり東京のとんかつ屋で食べるのとは若干違う。でも美味しかった。
過去の翻訳のデータの管理がずさんで苦労している。明日は3,4枚分送りたいもの。がんばろう。