OREAD Diary
Novembember 1-30, 2016
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Wednesday November 30, 2016
家人は朝から野沢菜を漬ける準備。35年ほど前、京都からここへ引っ越したときは、まったく田舎の暮らしに慣れていなかった。今では畑作業から漬物まで何でもこなす。なまけもののぼくとは違ってよく働く。近所の人たちの評判もぼくよりずっといい。
午後2コマのクラス。今日は車にバックパッカー(ギター)を忘れてきてしまい、あわてて取りに行った。往復かなりの距離を走った。汗だく。Midterm exam part 2 のあと、今まで歌った歌をほぼ全部歌い、今日の歌 Let It Be を歌う。オリジナルヴァージョンでは、ポールは3番の I wake up to the sound of music のところを、前置詞 to を強調して歌っている。これは英語のリズムの法則に反している。ライブヴァージョンでは、to the sound of music の to the は弱で歌い、sound を強調する正しいリズで歌っているのもある。しかし前者の歌い方のほうが説得力がある。
夕方、NHK長野の打越さんより電話。今度の土曜日ふたたびオーリアッドに来たいとのこと。5時ごろから、ぼくにインタビューし、更に7時からのオープンマイクのシーンもいくつか撮影したいとのこと。さてどうなることか。先週のように自然な雰囲気を出せればいいが。
Tuesday November 29, 2017
家人は朝から隣町の小学校へ。ぼくは一日中、家の中。ひたすらモニターを見ながら、キーボードをたたく。ああでもないこうでもないと、ない知恵をしぼりながら、訳をひねりだす。手が痛む。目が霞む。なぜか今日は右わき腹まで痛くなった。少し歩こうと、午後遅く、昨夜の森林組合の理事会を欠席したことを謝りに、理事長宅へ。風が冷たい。いつの間にか季節は冬。
午後おそく、来年度の人権に関する講演会の依頼に2人の方が尋ねてきてくださった。電話だけでもいいものを、わざわざご丁寧に。
先週金曜日以来、整骨医へいくのを控えている。行けば少なくとも1時間はかかる。翻訳が終わったら、行くことにしよう。
夜、翻訳の継続。睡魔に襲われ遅々として進まず。
Monday November 28, 2016
ニュージーランドに住む次男の嫁に誕生日のメールを送ったら、その返事が今朝届いた。その最後にマサキのことばが引用されていた。
マミー、おじいちゃんとおばあちゃんがここに住んでいて、彼らの家がぼくんちのとなりにあって、いつも会えたらいいのにね。Wouldn't it be good, Mummy, if Ojiichan and Obaachan lived here and their house was next to our house and we could visit them all the time!
思わず、目頭が・・・。Thank you, thank you.
午後2コマのクラス。5-paragraph essay の書き方の説明。歌は Over and Over.
夜は翻訳。とにかく 12月5日の締め切に間に合わさなければ。復刻される10枚のアルバムのうち、ぼくが担当しなかったアルバムはライブ盤を含めて4枚。その内の3枚は訳し終えた。あと、1枚。そしてぼくが訳した6枚の再チェックもしなければ。がんばろう。
Sunday November 26, 2016
朝9時半、昨夜のオープンマイクに参加してくれた三重の花岡さんと西川さんが訪ねてくれた。翻訳の仕事に追われていて、残念ながら、短い時間しかお会いできなかった。雨の中、彼らは諏訪の原田泰治美術館へ。雪でなくてよかった。花岡さんの車はノーマルタイヤだった。
金曜日のシニア大学でのトークライブの記事がデジタル信毎に出ていた。前半のみを聞いて書かれた記事ではあるが、ありがたいことである。
翻訳家でフォークシンガーの三浦久さんは25日、伊那市のいなっせで開いた県シニア大学伊那学部の公開講座で、自身の人生と重ねながら、ノーベル文学賞受賞が決まった米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディランさんについて語った。三浦さんはディランさんの曲の歌詞を対訳しており、受講した約200人とディランさんの代表曲「風に吹かれて」を歌った。
米国に留学していた高校時代、車のラジオで聞いた「風に吹かれて」がディランさんとの出会いだったと紹介。再び渡米した大学時代に「ミスター・タンブリンマン」を聞き、「さらにのめり込んだ」と話した。
講座では、「風に吹かれて」の英語歌詞を示しながら、受講者に発音や日本語訳を解説。歌詞の特徴に韻を踏むことが多い点を挙げ、ミュージシャンに対する受賞決定への批判については「詞を独立して見ても素晴らしい」と持論を語った。
三浦さんは、ディランさんとカナダのシンガー・ソングライター、レナード・コーエンさんの関係についても紹介。ディランさんはコーエンさんが好きだったといい、今月上旬、コーエンさんの死去が報道されたことから、受賞決定後に沈黙を続けた理由の一つとして、「ディランさんはある意味で喪に服していたのではないか」と推測した。
コーエンの死は11月7日で、公表されたのは11日だった。ボブ・ディランのノーベル賞受賞が発表されたのが10月13日だった。だから受賞決定後のディランの沈黙とは関係ないが、12月10日の授賞式欠席はコーエンに敬意を表してかもしれないと話した。少なくとも、ディランは今まで多くのミュージシャンの友人の死に際し、即座に弔意を表してきたが、コーエンに対するそれは未だに聞いていない。
Saturday Novem ber 26, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):原田和恵、味澤宏、花岡誠、打越裕樹、堀内翼、小島貴弘、原田和夫、粟津原由子、赤羽真理、井上喜久美、三浦久、長島功。
それぞれみなさん素晴らしい演奏だった。特にオーリアッド出演2回目の味澤さんのギターインストゥルメンタルには感銘を受けた。後半は歌を歌ったが、説得力があった。これまたオーリアッド2回目出演の三重県の花岡さんの演奏も、1回目と比べるとうんとよかった。1回目は緊張していたのかも。小島先生といっしょにやってきた某中学の数学の先生の歌もよかった。「本日のセットリスト」を書くようにお願いしたが、見当たらなかった。書くのを忘れたのか、ぼくがどこかへ置き忘れたか。ファーストネームは確か「翼」だった。ラストネームが思い出せない。
お店をオープンして最初に入ってきたのは打越さん。ディランのノーベル賞受賞以来何度か連絡をいただいていた。ドアを開けて入ってきた人は毎晩夕方「イブニング信州」で見かける端正な顔立ちのアナウンサーだった。てっきり番組のディレクターだろうと思っていた。打越さんは最後までつきあってくれ、粟津原さんのマイクスタンドの役割まで率先して引き受けてくれた。
粟津原さんはハーモニカで秋にふさわしい曲を何曲か吹いてくれた。最後は家人のアイディアで粟津原さんのハーモニカに合わせて「ふるさと」の大合唱。
原田和夫さんが、年末特別ライブのチケットを、昨日のシニア大学のトークライブに一緒にいった「友人」の分も含めて3枚予約してくださった。
遅くに家に戻りメールをチェックしたら、中学と高校の同窓で1年後輩の栗林君からメールが入っていた。
ぼくが大失敗だったと思っていた昨日のシニア大学の「講演」に奥さんと一緒に聞きにきてくれたようで、そのことについて好意的に書いてくれていた。少し気持ちが上向きになった。
昨日は女房が通うシニア大学の人達に交じり三浦さんの講演と歌を聞かせていただきました。・・・演題の「音楽と人生」の意味をのせたオリジナル曲はシニア大学の多くの方々に、改めて自分の人生と重ね合わせ、振り返る契機を与えてくれたように思います。12月17日の年末ライブですが、私は直前にインドネシア出張があり、ハードスケジュールになりますが、前売り券2枚(一枚20,000円と記載されていますが2,000円ですよね)お願いします。
20,000円は、もちろん 2,000円。
Friday November 25, 2016
シニア大学伊那学部でのトークライブ。午後1時半からの予定。いくつかの事情が重なって、「いなっせ」に到着したのが1時20分。今日は自分でPAの設定をしなくてもいいので、間に合うと思ったが、立体駐車場のゲートが満車のため開かない。困った。管理室へ行き、すったもんだしているうちに、1台の車が下りてきた。会場の7階ホールについたのが、1時半。ところが司会者(主宰者)のT先生がぼくを探しに行っているとのことで、すぐに始められない。結局10分ほど遅れてスタート。
演題「音楽と人生」、副題「人生についてぼくがボブ・ディランから学んだこと」。演題や副題にボブ・ディランの名前をつけるとうまくいかないということを、先週土曜日と今日で学んだ。ボブ・ディランについて話し始めると収拾がつかなくなる。ボブ・ディランに引っかきまわされる。「群盲象を評す」になってしまう。あれも話しこれも話すが、空回りしてしまう。ボブ・ディランは説明できない、感じることができるだけ。と再確認。まさに How does it feel?
「風に吹かれて」「ミスター・タンブリンマン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「明日は遠く」「ラブ・マイナス・ゼロ」「バラッド・イン・プレイン・D」の中から、ぼくがディランの「真髄」と思う歌詞と「禅」との関連で解説し、そのあと、「風に吹かれて」と「明日は遠く」を歌って前半終了。前者はみなさんと一緒に。
後半は、ぼくの歌を聞いてもらう。「碌山」「中谷勲」「即宗和尚」「電線の鳥」「菅野有恒」「祈りのうた」。こちらのほうはまあまあよかったと思う。
CDもそこそこ売れ、12月17日の「三浦久年末特別ライブーディランとコーエンに思いを馳せて」に来てくださる方も何人かいるようだ。「追憶の60年代カリフォルニア」がほしいという方もいたが、これは 「Amazon で中古本を注文してください」とお伝えする。一時は最も安いものでも定価の倍以上だったが、最近は安いのは400円台に落ち着いたようだ。今調べたら、一番高いのは2750円,、一番安いのは442円。プラス送料250円。定価は740円+税。
5時ごろ家に戻る。疲労困憊。連日連夜の翻訳による寝不足がたたっている。でも頑張らねば。今までぼくの訳でなかったコーエンの4枚のアルバムを訳させてもらえるというのは極めてチャレンジングではあるが、同時に意欲が駆り立てられもする。
Thursday November 24, 2016
朝起きて外を見たら、辺り一面雪景色。最近は天気予報がよく当たる。それにしても11月のこの時期にこれだけ雪が降るのは異常である。東京にも降ったようである。
今日は一日翻訳と明日の講演の準備。いろいろ準備をしてきたが、いつものように、行き当たりばったり、口から出まかせになってしまいそう。
外の気温は、午前11時で−6℃だった。真冬の寒さ。
Wednesday November 23, 2016
朝食後、家人に促されて大根を抜く。天候不順で野菜のできがもう一つと彼女は嘆いていたが、それほど大きくはないがいい大根がたくさん採れた。
そのあと家に入り、翻訳の継続。そして昼食後、12月17日(土)の「三浦久年末ライブ―ボブ・ディランとレナード・コーエンに思いを馳せて」の新聞広告の原稿を書き、家人に新聞社にもっていってもらう。今回は野間さんにサポートで入ってもらうことになっている。
それに特筆すべきは菅野有恒さんの妹さんが来てくれることになった。このコンサートを企画する前に、彼女から12月にオーリアッドへ行きたいとのメールがあった。お兄さんが生前来たいと思っていたが、来れなかったので、代わりに来たいのかなと思ったら、そうではないという。一番最近のメールには、
兄のことを歌って下さっている三浦さんに会うために、兄の代わりにではなく、兄のためでもなく、私が私のために行きたいと思ったからです。
と書かれていた。
Tuesday November 22, 2016
終日翻訳。午後遅く、すわりっぱなしだったので、お尻が痛くなった。歩くことに。夏の間は草が生い茂って近づけなかった尻尾だけ元気な狐の死骸のあったところへ行ってみた。跡形もなかった。川が増水したときに流されたのだろう。家を出たときは明るかったのに、家に戻ったときはもう暗くなっていた。釣瓶落としの秋の夕暮れ。
Monday November 21, 2016
朝食後、すぐに、といっても8時過ぎ、小野の整骨医へ。おかげで腰の状態はだいぶよくなった。かえってきて、午後のクラスの準備。12時過ぎ、南箕輪へ。2コマのクラス。中間テスト part 2 をそれぞれ最初の25分で行う。今日の歌は Will the Circle Be Unbroken? 先週の Bird on the Wire に比べると歌いやすい。教科書のモデルエッセイを読み、それに基づいた、英作文の答えを黒板に書く。筆記体は読めないというので、時間がかかる。筆記体でなくてもぼくのハンドライティングはよみずらい。
そのあと、5-paragraph essay の書き方についてのビデオを見ようとしたが、時間切れ。来週ということに。
夜、レナード・コーエンの復刻盤のための翻訳。今夜は Live Songs を中心に。長い Don't Pass Me By で立ち往生。
pdf のファイルを庄司さんがワードのファイルにかえてくれて大いに助かっている。それに『最近の唄』のLPからのデータを送ってくれた。「買う前に一言かけてくれればよかったのに」と書かれていた。facebookで問い合わせただけだった。庄司さんは facebookに入っていなかった。アマゾンからそのCDは昨日届いた。もとの値段の3倍近くしたが、ありがたかった。
Sunday November20, 2016
昨日の松川町ほどではないが、11月になってから今村にもよく霧がでる。今朝も周囲の山々に霧がかかり美しい。
今日は一日中、レナード・コーエンと向き合う。それで気づいた。初期のアルバムの歌は過去6年に出た3枚のアルバムに比べると、訳しやすいと。
『最近の唄』がアマゾンから届いた。ブックレットもLPレコードの歌詞カードの情報を網羅している。早速スキャンしたが、pdf の画像である。それをワードに変換しようと苦労したが but in vain.
Saturday November 19, 2016
雨と霧の中、飯田の丸山小学校へ。4階建ての大きな小学校。2時15分から2時25分までトークライブ。70分という時間は決して短い時間ではないが、あれもこれも詰め込もうとして、消化不良、尻切れトンボになってしまった。今回呼んでいただいた熊谷先生の期待に応えられなかったのではないかと心配である。でも、ディランも言っている:
彼女は知ってる、失敗ほどの成功はないし
失敗はまったく成功ではないと
She knows there's no success like failure
And that failures are no success at all
そう考えれば「成功」でもなく「失敗」でもなかったのかもしれない。すくなくとも次の talk live に向けて大いに学ぶところがあった。
静岡から聞きにきてくれた Ikeya 君のメールが遅くに届いた。彼のメールを読んで若干慰められた。
三浦さんのお話、歌を聴いて、歌とは何か、を確認するよい機会となりました。 NHK FMで時々やっているとことんシリーズ、今回はとことんフォークソングという番組、昼から夜の23時までずっとフォークソング三昧の番組をやったのですが、リクエストを受け付けていて、合わせて、あなたの考えるフォークの定義も募集していました。 僕はウッディガスリーの歌うThis Train Is Bound for Glory をリクエスト、定義も一緒に送ったら、番組の2番目に読まれ、定義は、司会のなぎら健壱さんをして「今度、使わせてもらおう!」」と言っていただきました。僕は番組が単なる懐メロ特集になるのをけん制する意味も込めて、こんな定義を送りました。「たとえ大昔に作られた歌でも「あれ、これって今の僕のことじゃん!」って思わせる歌」 三浦さんが声を出して歌えば、それは今の歌になっているのです。
またその場で購入していただいた『九つの物語』の感想も書かれていた。
何度も何度も聴きました。とてもいいですね。確かに遺書のように聴こえました。・・・すべての曲に関連があって、トータルアルバムとしても聴きごたえがありました。奥様に送った歌。(ハンマーダルシマーでしょうか。どの曲もミュージシャンは素晴らしいですね。余計な音がなく、三浦さんの声を前面に出す、素晴らしいバックアップです) 和尚様の歌は、昔のことなのに今の僕に響く、まさにフォークソングと思いました。レナードコーエンの歌はもはや三浦さんの歌になっている、と思いました。・・・前回、一月に訪れた時も思ったのですが、その前にOreadに伺った6年前よりも三浦さんはお元気で、そして今回も、そう思いました。それは Dylan の My Back Pagesのようでありました。また、機会を見て、是非Oreadに伺おうと思います。
熊谷先生には感謝してもしきれない。お土産に「大名きんつば」をいただいた。子供の頃はよくきんつばを食べたが、こんなに大きな美味しいきんつばは初めて。
今夜、オーリアッドを休業にしておいてよかった。帰路は途中から家人に運転を頼んだが、家に着いたら疲労困憊していた。翻訳を少しして、寝ることにする。
Friday Novemb er 18, 2016
小野の整骨医へ。今朝も腰と左手の薬指へ電気をあててもらう。腰の痛みはだいぶ減った。帰路、脚を延ばして小野の藤沢の中村さんのところへ、フィービーが使っていた猫グッズのいくつかを届ける。ミーちゃんは元気に家じゅうを、時には庭を走り回ている。時にはひょいとぼくの膝に飛び乗ったりする。
午後、明日の講演の準備をだらだらしているところへ、コーエンの過去のアルバム全10枚を復刻するという電話があった。ぼくが訳してない4枚を含めて、対訳を依頼される。チャレンジングな仕事であるが、願ってもないこと。早速、歌詞と今までの対訳を送ってもらうことに。『最近の唄』は、なぜか会社に保管されていないとのことで、家中、それにオーリアッド棚も探したが見当たらない。facebookで問い合わせたら、「アマゾンに一点だけ中古で出ていました」とのメッセージを送ってくれた人がいた。原田和尚の娘さん。早速注文する。助かった。
Thurday November 17, 2016
朝、起きたら腰が痛い。前から少し痛かったが、今日は起きられないほど。家人の勧めで小野の整骨医へ。この整骨医には10年ほど前お世話になったことがある。腰と同時に骨折した後遺症か、かなり痛む左手も診てもらうことに。明後日は飯田の丸山小学校でトークライブをするとになっている。万全を期して。1時間ほど、電気を当ててもらう。かなり楽になった。しばらく通うことになりそうだ。
小野まで来たので、藤沢の杣人中村さんを訪ねることに。相変わらず悠々自適の生活。咳が出てこまると話すと、柚子のしぼり汁に蜂蜜を入れてお湯でといた飲み物を出してくれた。確かにこれはいい。中村さんが3か月前に田圃から拾ってきたという子猫が走り回っていた。名前はミーちゃん。可愛い猫である。
年末ライブはないのかという問い合わせがいくつかあった。マンダラ2での年末ライブは昨年で終了したが、こじんまりとした年末ライブをオーリアッドでやってもいいかもしれないと思うようになった。
今後のオーリアッドの予定:
11月19日(土)臨時休業
11月26日(土)オープンマイク。三重県名張市の花岡、西川両氏参加予定。
12月03日(土)オープンマイク
12月10日(土)オープンマイク「ボブ・ディランノーベル賞受賞記念」
12月17日(土)三浦久「レナード・コーエン追悼」年末ライブ with 野間義男 and a special guest from Sendai
12月24日(土)本年度最後のオープンマイク
夜遅く、浜松在住のIさんから「明後日は秋葉街道を通って飯田に行きたいと思います」というメールが入った。丸山小学校でのトークライブに来てくれるとのこと。ありがたいことである。
ディランは12月10日のノーベル賞授賞式には先約があって出席できないとの手紙を主宰者に送ったらしい。いやはや、お騒がせな人ではある。授賞式に出なくても、ノーベル文学賞を受賞したことに変わりはない。
Wednesday November 16, 2016
午後1コマのクラス in 松本。前半30分、中間試験 part oneを行う。来週水曜日は祭日なので、 part two は再来週。
Bird on the Wire を歌う前に学生に聞いてみた。「レナード・コーエンを知っている人?」予想通り、まったく手は上がらなかった。歌詞を解説し、コーエンのオリジナル音源をかけてから、一緒に歌う。やはりこの歌は今までの歌より歌うのが難しい。少なくとも、クラス全員で大合唱する類の歌ではない。
クラスが始まる前、講師控室へいったら、来年度時間割を担当するM.B先生がいて、来年度は月水とも松本で教えられないかと打診を受ける。月曜日の南箕輪キャンパスがとても気に入っているので、「ちょっと考えさせてほしい」と待ってもらうことに。
予定としては来年度は前期休む予定だったが、半期の休みは、再来年の後期にとることに。来年と再来年のなかで半期休めばいいと方針が変わったとのことなので。雪のことを考えると後期に休んだほうがいい。
Tuesday Novemer 15, 2016
家の庭も、村のまわりの山々も紅葉のまっさかり。春の新緑、秋の紅葉、そして四季折々の空の色。戻ってきてよかった。反者道之動 The movement of Tao is in returning. (「道徳経 40章)
昨夜は小雨が降っていて、スーパームーンを見ることができなかった。一日遅れながら、今夜、王城山の上に上る大きな月を見た。ときどき雲に隠れてしまったが、雲間に輝く月も風情があった。
夜、とぎれとぎれにサウジアラビアと日本のサッカーの試合を見た。日本の選手の動きがよかった。最初のPKに関しては少々ラッキーだった気がしないでもない。2点目は完ぺきなゴールだった。本田と香川がスタメンを外れた。ここにも新旧交替の波が押し寄せている。
レナード・コーエンは11月7日(月)に亡くなったが、公表されたのは、10日(日本時間では11日)になってからである。大統領選挙後の混乱と喧騒を避けたのか、葬儀を身内だけで静かに執り行いたかったのか。いずれにしろ、トランプの「登場」とコーエンの「退場」はいかにも対照的である。
Monday November 14, 2016
71回目の誕生日。確かに老いを感じる。身体の節々が痛み、動作も緩慢になった。でも不思議なことに気持ちは20歳のころと変わらない。レナード・コーエンが長い間のブランクのあとツアーを始めたときに言ったことば:「最後にロンドンで演奏したのは10数年前で、そのとき私は Just a kid with a crazy dreamだった」。「クレイジーな夢をもった子供」だったというのである。71歳のぼくの身体のなかにもまだいる。クレイジーな夢をもった子供が。
午後2コマの授業 in 南箕輪村。後期の歌のリストに Bird on the Wire を入れておいた。12月になってから歌おうと思っていた。しかし、先週の訃報を受けて、今日歌うことに。
ボブ・ディランさえ知らない学生が多いのだから、誰もレナード・コーエンを知らないだろう。敢えて聞かないことにした。簡単に彼の経歴を話し、歌詞を訳し解説する。そのあと音源を聞いてから、一緒に歌う。2度通して。2度目は、最後の繰り返しを学生だけで歌ってもらう。レナード・コーエンの「レ」の字も知らなかった若者が、綺麗な声で歌っている。ジーンと来るものがあった。
Oh, like a bird on the wire
Like a drunk in a midnight choir
I have tried in my way to be free.
40年以上も前、レナード・コーエンに京都で会ったとき、インタビューをする機会が与えられた。そのテープを起こしたものが先日出てきた。夜、それをタイプに打つことにしたが、わら紙に書かれたハンドライティングが読みずらい。それに左手を骨折した後遺症で、左手の薬指が自由に動かない。遅々として進まず。気長にやるより仕方ない。
Sunday November 13, 2016
家人は朝から、農協祭の手伝いに、ぼくは午後、昨夜のあと片づけにオーリアッドへ。
昨夜初めて登場した畑春彦さんはグリムスパンキィーの大ファンとのことで、彼らのカバーをいくつか歌った。彼によれば彼らは今東京でかなり人気が出てきたとのこと。畑さんのギターもボーカルもとてもいい。今度は一度オリジナルを聞かせてもらいたいもの。
そうそう、昨夜はオープンしてしばらくして、年配の紳士が入ってきた。「4人ですが、いいですか」と言う。「いいですよ。7時からはライブなのであまり話はできないかもしれませんが」と言うと、外に出て、もう3人の方を連れてきた。1番テーブルにご案内する。辰野東中学時代の同級生とのこと。最初に入ってきた方が自己紹介をされたときに思い出した。昨年ぼくのCD『九つの物語』を5枚注文してくれた八王子にお住いのKさんだと。彼はぼくの高校の2年上の先輩で、何度もコンパで顔を合わせたことがあるはずだが、今となってはその頃の面影が失われている。
7時半にはほかの場所へ行く約束があるという彼らの要望で、歌う順番をかえてもらって、ぼくが前半2番目に歌う。「中谷勲」「薫子」「即宗和尚」。2曲目はkさんのリクエスト。
Saturday November 12, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):増沢学、三浦久、坂井俊水、畑春彦/大畑祐馬、今井輝夫、ふあ、赤羽真理、原田和恵、垣内彰。
Friday November 11, 2016
レナード・コーエンが亡くなったという知らせが午前11時ごろ届く。ひとつは、Live in London のCDおよびDVDの対訳に関してお世話になった栗原さんから。それに最後のアルバム You Want It Darker など最近のアルバムを担当されている関口さんから。検索するとウエブのニュースなどでも報じられていた。そのあと、多くの人たちから、彼の死を悼むメールや書き込みが届く。
いずれこうなると思ってはいたが、どこかでまだ大丈夫と思っていた。彼の師、佐々木老師が亡くなったのは107歳だった。それまでにはまだかなりあると思っていた。
1968年の夏、アイラヴィスタのアパートの窓から入り込んできた不思議な歌を聞いて、一緒にいた友だちになんという歌か聞いた。「スザンヌ」だと教えられた。そう教えてくれたのが誰だったか思い出せない。ジムだったか、テイヨーだったか、あるいはほかの誰だったか。すぐにレコード店へ行って Songs of Leonard Cohen を手に入れた。それいらい彼のファンだった。近畿放送でラジオ番組を持つことができたとき、ぼくが選曲できるときは、ボブ・ディランとレナード・コーエンばかりをかけた。それでディレクターの荒川さんからソニーの洋楽のディレクターを紹介された。青柳さんという名前だったと思うが、その後知り合ったソニーの関係者に尋ねても誰も「青柳さん」を知らないという。ぼくの勘違いだったか。
いずれにしろ、コーエンの5枚目のアルバム New Skin for the Old Ceremony の対訳を依頼された。それがぼくの最初のアルバム対訳の仕事である。今読めば、几帳面に訳していて、ぎこちない。まあ、今も、その頃とあまり変わっていないかもしれないが。いつも心がけているのは、できるだけ英語のニュアンスが失われないように訳したいということ。
レナード・コーエンの音楽に出会えたことは、ぼくにとって大きな幸運のひとつであった。
Thursday November 10, 2016
一日中、暗い気持ちで過ごす。
Wednesday Novemb er 9, 2016
かなり差が開いたときでも、最後は逆転するだろうと楽観していた。希望的観測に過ぎなかった。
Tuesday November 8, 2016
火曜日は特に予定のない自由な日だが、過去3回の火曜日は病院通いとなった。咳の状態はまだ完全ではないが、しばらく様子をみることにした。熱はない。風邪というよりは、アレルギーかもしれない。
ということで、今日は講演にむけての準備をしっかりしようと意気込んだが、午後はBSで映画を見てしまった。ヒッチコックの映画は今までにたくさん見たが、「めまい」は見てなかった。入念にプロットが練られたいい映画だ。キム・ノバクは好きな女優である。『ピクニック』の彼女が印象的だった。『めまい』のジェイムズ・スチュアート、『ピクニック』のウイリアム・ホールデン。渋くていい俳優だった。
庭の紅葉が色づくのがかなり遅れていたが、今日は見事に真っ赤になった。母がはるか昔に植えた紅葉の木。庭には4,5本の紅葉の木があるが、これが一番美しい。
すでにアメリカ大統領選挙は東海岸から徐々に投票が始まっている。朝、ヒラリー・クリントンを応援するフィラデルフィアで開かれた最後の集会をYouTubeで見た。ここで感銘を受けたのはミシェール・オバマのスピーチである。それにクリントンの娘チェルシーの落ち着いた立ち振る舞いと短いスピーチ。よもやトランプが勝つことはないと思うが、蓋をあけてみないと分からない。少々不安である。
Monday November 7, 2016
午後2コマのクラス。夕方家にもどたら、Book Depository というイギリスの本屋さんから本が届いていた。Steven Heine という人が書いた本。
BARGININ' FOR SALVATION
― BOB DYLAN A ZEN MASTER?
BARGAININ' FOR SALVATION は「救いを求めて」とでも訳せるだろうか。サブタイトルは明確だ。「ボブ・ディランは禅の老師?」。ディランと禅の関係について書かれた本。最初の10ページほど読んだが、かなり面白い。ぼく自身、ディランと禅について過去何度も言及してきた。同じように考えている人がいると知ることは心強い。
Sunday November 6, 2016
昨日は文化祭の作品搬入5時締切のところ、5時半に「今村の四季と人々」の写真集を公民館にもっていった。プリンターのトラブル、というよりはパソコンのトラブルで、思うようにプリントアウトできず、かろうじて50枚ほどの写真を紙に貼って提出。家人は絵手紙とクラフトテープでつくったバッグを提出。
以前はもっと農作物や花などの展示が多かったが、ここ数年少なくなった。
午後4時、公民館へ出展した作品をとりに行く。カウンセラー学会の総会で遅くなる家人から頼まれていた「隣の潔さん」の奥さんの作品ももらってくる。作品を提出した人一人につき、ティッシュペーパー5箱の「お礼」。わが家は10箱いただいた。ここ数週間風邪を引いていてティッシューをよく使ったのでありがたい。
Saturday Novemer 5, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):山口恵三、丸山俊治、服部ふあ、Don't Worries、原田和夫、田中恵子、小島貴弘、今井君、丸山眞弓、三浦久、長島功。
今夜は珍しいお客さんが何人かきてくれた。いつもと少し違った雰囲気。オーリアッドを続けることに「ごしたくなる」ことがある。こういう日があると、もう少しがんばろうかと思う。
何といっても今井君が開店後すぐに入ってきたのには驚いた。最初誰だか分らなかった。オーリアッドのホームページに小島先生の名前を見つけてかけつけたとのこと。先生が辰野中学に勤めていたころ、よく呼ばれてクラスで話をしたり歌ったりする機会を与えられた。今井君はそのクラスの中心的存在だった。そのときからもう8年以上が経っている。大学卒業後、中学時代に決めていた職業につき、今また長野県に戻ってきた。その頃からギターを弾き始めた。昨夜久しぶりに聞かせてもらった。ギターも歌も長足の進歩。
小島先生が野球のユニフォームにジャンパーを羽織って現れたのは、それから1時間ほどして。ぼくが今井君のほうを指さすと、先生は「おっ」と驚きの声を上げ、つたつたと歩いて行き、今井君の手を握った。何年ぶりの再会か。
原田和夫さんが、明日教会で歌うことになっている田中恵子さんを連れてきて下さった。神戸在住とのこと。田中さんはジャズピアノの演奏と、歌を1曲歌ってくださった。さすがにプロ。ピアノも歌も素晴らしかった。久々登場の山口さんももうしばらくは神戸の住人とのことで、なにやら神戸の話をしていた。山口さんの1曲目は、「十字架に帰ろう」。
Don't Worries の真美香さんのパーカッションが板についてきた。丸山さんが、ひがしの君の「おせいさん」を歌ったのには驚いた。何度も聞いた歌なのに、丸山さんのカバーを聞いて、初めて理解できた言葉もあった。
そうそう、各人の演奏に関していつも何も言わない家人が「長島さんの歌い方が肩の力が抜けてよかった」と言ったので驚いた。まさにふわさんのいう「高い声で歌う必要はない」というところか。
Friday November 4, 2016
一難去ってまた一難。体調がよくなってきたと思ったら、プリンターの調子が悪くなった。家人のノート型からは無線で印刷できるのに、ぼくのデスクトップからはできない。村の文化祭に出す写真を大量にプリントアウトしなければならないのに、困ったことだ。データをUSBスティックに移して、家人のパソコンから印刷することができるかもしれない。明日試してみよう。
ディランの初期の歌が大量につまったYouTube のサイトを見つけた。誰にでも勧められるサイトではないが、初期のディランのアコースティックサウンドが好きな人にはたまらないはず。
https://www.youtube.com/watch?v=_HRFIqE3zs4
Thursday November 3, 2016
文化の日。比較的暖かい一日。青空がきれいだった。体調もだいぶよくなった。今年は4月の骨折以来、体調が思わしくなかった。ようやく蠍座の季節になった。これを機に上向きになってくれたらいいが。
午後オーリアッドへ。本棚にあるボブ・ディラン関係の本を何冊かもってきた。ボブ・ディランについてもう一度勉強しなおしたい。
『追憶のハイウエイ61』を初めて聞いたときの驚きを、フィル・オウクスは次のように述べている。
『追憶のハイウエイ61』に至るまで、彼のアルバムが出るたび、ぼくの心の中の秘かな怖れは、だんだんと大きくなっていた。オー・マイ・ゴッド、次に彼は何ができる?これ以上のものを作れるはずがない。でも『追憶のハイウエイ61』をターンテーブルに乗せたとき、笑わずにはいられなかった。馬鹿げてる。ありえない。どうして人間にこんなことができる?こんなことが可能だろうか。そこには信じがたいほどに豊かなイメージの世界が広がっていた。(p. 221 Anthony Scaduto, Bob Dylan, Sphere Books Ltd., London 1972, tr. miura)
Wednesday November 2, 2016
午後1コマのクラス。松本。今日は学生に乗せられて、いつもより歌に時間をかけてしまった。来週は気をつけないと。クラスの冒頭に行う「テストのようなもの」の内容がよかったと一人の学生が授業終了後話しかけてきた。そういうフィードバックはうれしい。
それは Humans of New York に載っていた病院の緊急処置室ではたらく看護師の話。彼女は口下手で、自分の感情を相手に伝えることができない。だから人間関係もうまくいかない。しかしその性格は緊急処置室ではたらくには向いていると彼女は思っていた。彼女はヨーロッパ旅行中に、正反対の性格をした男性と出会い、つき合い始める。家族に紹介し、メキシコを一緒に旅をしたりする。ところがそのあと彼はイギリスを一人で旅しているとき、交通事故にあって死んでしまう。それ以後彼女は、緊急処置室で接する患者に以前より心を開いて接することができるようになる。ざっとこんな話である。学生はこの話のどこに共感したのだろうか。
“I don’t communicate my feelings. My entire family was like that. We’ve always sort of just swept things under the rug. I think that’s what makes me a good ER nurse. I don’t take things home with me. I can separate myself emotionally and just focus on what needs to be done. But it also makes me pretty bad at relationships.
I met Gavin while traveling in Europe last year. We traveled together for two weeks, then he came home and met my family, and then we went to Mexico for a week. After that we talked every day. Gavin was the opposite of me. He was warm and happy and touchy. He’d even tell random strangers that they looked nice. But I pulled back the moment we got too close. Because I don’t like the feeling of being dependent on someone.
Gavin was killed in a car crash at the end of January. He was alone in England and I didn’t even find out until days after it happened. I’ve tried to handle it like I always do. I try not to think about it or talk about it. But it’s not working so well this time. I’m taking things more personally at work. If a patient comes in the ER with similar injuries, I always ask myself: ‘What if this was Gavin?’”
今朝の椎茸。CDケースとほぼ同じ大きさ。今夜の夕食の一品に。
Tuesday November 1, 2016
昨夜は比較的よく眠れたが、やはり朝方、咳が出た。10時、病院へ。「2週間以上クスリを飲んでいても直らないのは、風邪ではなく喘息ではないか」と問う。聴診器を胸に当ててみてから、「喘息の可能性は少ない。CTの検査を受けるように」と指示される。先ず、点滴を受け、CTの検査を受ける。CTの画像を見て、GERD (Gastroesophageal reflux disease) 胃食道逆流症だと言われる。それに効く薬を処方される。薬を飲んだら、比較的症状がよくなった気がする。すでに3週間、咳に悩まされてきた。ということはディランのノーベル賞受賞の発表があってから3週間近くが経ったことになる。そろそろ直ってくれないと。
病院で待っている間に、ずっと前に読んだDavid Boucher の Dylan & Cohen, Poets of Rock and Roll (Continuum)を読み直す。まだIntroduction だけだが、学ぶところが大いにあった。彼がノーベル賞を受賞したのは「偉大なアメリカの歌の伝統に新しい詩的な表現を創造したこと」に対してであった。ということは、彼が受賞したのは最近のシナトラのカバーではないし、初期のプロテストソングに対してでもない。
彼が「偉大なアメリカの歌の伝統に新しい詩的な表現を創造した」のはいつのことか。その時について Bouche は次のように書いている。
In February1964,faithful to the Beat Generation, he went on the road for twnety days with three companions, who took turns driving while Dylan sat in back of the station wagon and typed. Two of the songs from this excursion were "Chimes of Freedom" and "Mr. Tambourine Man." This marks the most significant trandition and extention of his expressive songs, and a conscious adoption of Rimbaud as his model, along with an unequivocal rejection of the genre that he had done so much to popularize. (p.10)
1964年2月、ビート世代の生き方に忠実に、彼は3人の友だちと旅に出た。3人が交代で運転し、ディランはステーションワゴンの後部座席にすわりタイプを打った。この旅の途上でできた歌の2つは「チャイムズ・オブ・フリーダム」と「ミスター・タンブリンマン」だった。まさにこの時が、彼の歌が、表現に富んだ詩的な表現に移行し発展する始まりだったのである。同時にそれは彼がランボーを意識的にモデルに採用し、彼が広めるのに大いに貢献したトピカルソングというジャンルを明確に拒否したときでもあった。
そしてこの2つの名曲のうち「チャイムズ・オブ・フリーダム」は4枚目の『アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン』に、「ミスター・タンブリンマン」は5枚目の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に収められている。
なぜディランがこの時期、トピカルソング(プロテストソング)からシュールリアリスティックな詩的な表現に移行したのかということに関しては、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺が大きくかかわっている。