OREAD Diary October 1-31, 2016
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Monday October 31, 2016
昨夜も、というより、朝方、喘息の発作のような咳が止まらず、ベッドから出て、仕事部屋へ。咳が出始めると寝ているより、起きたほうが凌ぎやすい。2週間、風邪の薬を処方してもらい、飲み続けたが直らない。ということはこれは風邪ではなく、喘息に違いない。昼間はそれほど咳が出ない。午後2コマのクラスがあったが、咳き込んで困るということはなかった。明日は病院へいって、症状を話し、喘息の薬を処方してもらおう。但し、これは素人判断。最終的にはお医者さんに任せるより仕方ないだろうが。
ボブ・ディランノーベル賞受賞のニュースで、コーエンの新しいアルバムが霞んでしまったが、昨日今日といくつか好意的な反応があった。中でも詩のような形式で書いてくれた方がいた。
・・・言葉を選び、言葉を紡ぎ、
言葉を伝える喜びと光、
そして
対訳の背景にある貴台の苦悶に
居ても立っても居られなくなりました。・・・
昨日もCohen氏の新譜を聴き
想いを巡らせた次第、
夜の静寂と闇の中で
彼の低い声と
彼の心臓の鼓動のようなビートと
歌詞、
そして貴台の言葉を
何度も何度も聴き、そして読む日々が
暫く続きそうです。
こんな反応をいただくと、ああでもないこうでもないと四苦八苦した日々が懐かしく思い出される。癒される思いさえする。感謝。
Sunday October 30, 2016
Saturday October 29, 2016
オープンマイク、初回登場順に:(敬称略)原田和夫、三浦久、赤羽真理、垣内彰、長島功。
今夜は講演の打ち合わせでお見えになる予定だった小島先生がこれなくなり、赤羽さんとぼくだけになるかと思っていたら、垣内さんと長島君がきてくれた。垣内さんはコーエンの You Want It Darkerを購入しに、長島君はほんとうに久々に歌いに。しばらく「苦悩の時期」があったようだが、彼の肩にあった重荷が今日取り除かれたとのこと。
原田さんはお元気だ。まだまだいろいろなアイディアを心にいだき、チャレンジしようとしている。今夜の帽子はなかなか似合っている。 垣内さんは、好奇心旺盛でなんでも人並み以上にこなしてしまうが、本職はエンジニア。今夜はぼくにはまったくわからない機械設計の話。赤羽さんは町公民館分館長。文化祭をひかえて忙しそう。今夜もオーリアッドへ来ようとして、会社の駐車場まで行ってしまったとか。
ぼくは Mr. Tambourine Man, Love Minus Zero などディランの歌を中心に。「王城山に黄色い月が上り」も。改めてディランの詩を吟味して驚かされるのは見事な脚韻、頭韻、直喩、暗喩が実に豊であるということ。誰かがディランは現代のシェイクスピアだといったが、それはまさに正当な暗喩だ。
Friday, October 28, 2016
朝起きたとき、比較的調子がよかった。このままよくなってくれたらいいが。階下に降りていくと家人が言う「椎茸が大きくなってる!」。朝食後カメラをもって見に行くと、ほんとうに大きくなってる。4日でこんなに大きくなった。
午後ボブ・ディランの初期のアルバムについて復習。改めた感じたのは、62年から66年にかけてのディランの旺盛な創作活動である。この4年間で彼は不滅の6枚のアルバムを残している。しかも64年には『時代は変わる』と『アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン』の2枚、65年には『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』と『追憶のハイウエイ61』の2枚をリリースしているのである。
1. Bob Dylan March 19, 1962
2. The Freewheelin' Bob Dylan May 27, 1963
3. The Times They Are a-Changin' January 13, 1964
4. Another Side of Bob Dylan August 8, 1964
5. Bringing It All Back Home March 22, 1965
6. Highway 61 Revisited August 30, 1965
7. Blonde on Blonde May 16, 1966
「時代は変わる」から『アナザーサイド・オブ・ボブ・ディラン』への詩の内容の変化はケネディー大統領の暗殺と深くかかわっている。1963年11月22日にケネディー大統領が暗殺されたときには、すでに『時代は変わる』の録音は終了していた。大統領の暗殺を知り、彼はそれまでのような直接的なプロテストソングを歌うことに危惧の念を抱いたと言われている。そこから内省的な、一読して何を歌っているかわからないシュールリアリスティックの歌詞が生まれたとどこかで読んだことがある。
フィル・オウクスは『ブリンギング・オール・バック・ホームを聞いて、これ以上のアルバムを出すのはディランといえども難しいだろうと思っていたら、すぐにはるかにそれをしのぐ『追憶のハイウエイ61』が出た。それでもうこれ以上は無理だと思っていたら『ブロンド・オン・ブロンド』が出たので、仰天した、というようなことが、確かアンソニー・スキャドゥトの『ボブ・ディラン』という伝記に出ていた。
Thursday, October 27, 2016
早朝の今朝の景色。かなり寒い。
1週間ほどまえから階下の食堂と二階の寝室でヒーターを使いはじめた。富士通ゼネラルの温水ルームヒーター。階下のヒーターのフィルターが少し破けているし、以前に点検してもらってからもう3年が経っているので、今日業者にきてもらい、室外器と室内機のオーバーホールをしてもらった。1時間半ほどで整備終了。ヒーターの機能がかなりよくなった。
Wednesday, October 26, 2016
2日続けて点滴をとのことで、今朝も10時過ぎに病院へ。11時半には松本へ向かわなければ授業に遅れる。点滴の速度を速めてもらう。一つ目の抗生剤の点滴はすぐ終わったが、2本目の栄養剤の入った点滴は2倍の量で時間がかかる。遅れるわけにはいかない。三分の一を残して、針を抜いてもらう。
キャンパスに着き、出勤簿に印鑑をつきに行き、メールボックスをチェックしたら、いくつもの不要印刷物の間に1枚の葉書が入っていた。
この度はボブ・ディラン氏のノーベル文学賞受賞おめでとうございます。私とボブ・ディラン氏の曲との出会いは三浦先生の「アメリカ大衆文化」でした。今でも歌詞がすぐ思い出せ感動しています。今は〇〇市の○○中学校で教員10年目を迎えています。
そのクラスは今は開講されていない。毎年多くの学生が受講した。彼の名前を覚えてはいないが、こんなふうに「感動」を伝えてくれて嬉しかった。そのクラスで名前を覚えているのは、卒業後「風に吹かれて」という屋台のラーメン屋を始め、今は高校の先生をしているS君だけだ。
Tuesday, October 25, 2016
昨夜は咳が出て何度も目が覚め、よく眠れなかった。一週間前に処方してもらった薬もなくなったので、病院へ行って診てもらうことに。10時にいって、1時間ほど待って診察していただいた。前回とは異なる抗生物質を処方される。咳や痰をとめるくすりは同じ。点滴を受けたほうがいいとのことで、1時間半ほど点滴を受ける。そのあと薬局へ薬をもらいに行く。家に戻ったときは、1時半を過ぎていた。
毎日新聞の夕刊に先日取材を受けた記事が今日掲載されたとの連絡があった。現在は大都市でしか毎日新聞の夕刊は手にできないらしい。ネットでは読むことができるとのことで、さっそく検索する。少々事実と違うところがあったり、ヘッドラインや写真のキャプションに少々「不満」はあるものの、熱心に取材してくださった鈴木さんに感謝。写真うつりが悪いのは鈴木さんのせいではない。記事の最後の部分が気に入っている。
http://mainichi.jp/articles/20161025/dde/012/040/012000c
風邪がかなりひどくなっている。明日は病院で点滴を受けたあと松本へ。早く直さなければ、
Monday, October 24, 2016
午後2コマのクラス。1時半、サイレンが鳴り、防災訓練が始まる。昨年は小型カメラをもっていて、学生が机の下に避難しているところを写真に撮ったが、今年はカメラがない。1分後にアナウンスがあり、全員体育館へ避難するようにとの指示。しかしこれはアナウンスだけ。実際にはここで授業再開。こんな訓練でもないよりはいいだろう。
飯田の丸山小学校の校長先生から11月19日の講演会のちらしが送られてきた。
丸山小学校PTA講演会(歌とおはなし)
日時:11月19日(土)14:15--15:25
会場:丸山小学校体育館
講師:三浦久
演題:「人生についてぼくがボブ・ディランから学んだこと」
どなたでも聴講できます。上履き持参のこと。
これはぼくに、ディランをもう一度吟味しながら聞く機会を与えてくれそうである。11月25日には、同じテーマで伊那のシニア大学でも話す(歌う)ことになっている。
Sunday, October 23,2016
日本ハムが今日も負けて2敗。広島も嫌いなチームではないので、どちらでもいいのだが、それにしても最初の2戦では広島の強さが際立った。ダントツの強さでセリーグを制したのがまぐれではないことがわかる。
今日は風邪をなおそうと、畑仕事は家人に任せ、午後昨夜の片づけにオーリアッドへ行った以外は、家であたたかくしていた。しかしまだ本調子ではない。かなりよくなっているのだが。
そうそう、昨夜のオープンマイクに、中学時代の同年生の岡君がきてくれた。ディランがノーベル文学賞を受賞したと聞き、伊那のレコード店へ行き、ディランのベストアルバムを買ったとのこと。そしてぼくの新しいアルバム『九つの物語』も今夜買ってくれた。
大阪の庄司さんから夜、メールが入った。
・・それにしても、「ボブ・ディランは無礼で傲慢だ」と殆どのニュースがノーベル賞「批判した」「苦言を呈した」と伝えていたニュースは、確かに大いなる誤報ですね。まあ、いい加減な話をまき散らすのはいまに始まったことではありませんが。最後まで読むと180度意味が違っています。
それで調べてみた。New York Times にそのことに関する記事があった。それを読むと、180度意味が違っているとは思わないが、スウェーデンアカデミー全体が彼が無作法で傲慢だといっているのではないことがわかる。彼らは誠意をもって彼を授賞式に迎えようとしている。
“A member of the academy, Per Wastberg, has publicly expressed his disappointment at Bob Dylan’s omitted response. This is Mr. Wastberg’s private opinion and is not to be taken as the official standpoint of the Swedish Academy.”
スウェーデンアカデミーのメンバーである Per Wastberg が、ボブ・ディランが沈黙を保っていることに対する失望を表明しましたが、これは彼個人の意見であって、スウェーデンアカデミーの全体の見解であありません。
Saurday October 22, 2016
Oread Saturday Night Open Mike 初回出演順(敬称略):原田和恵、坂井俊水、服部ふあ、大月高志、赤羽真理、香月!(香&大月高志)、三浦久。今夜のオープンマイクで特筆すべきは、香月!の演奏を10数年振りに聞けたこと。「誕生」「コスモス」「白うさぎな毎日」(いずれも、香作詞、大月高志作曲)を前半に歌ったが、香さんの声は以前より円熟し説得力がました。それにあらためてこれらの歌のメロディーラインの美しさに感銘を受けた。坂井君は2週つづけて帽子をかぶらずに演奏。何か心境の変化でもあったのか。歌声が明るく力強くなった。
Friday October 21, 2016
11月19日(金)に飯田の丸山小学校で講演をすることは去年の終わりか、今年の初めには決まっていた。M校長先生が辰野の小学校の校長先生だったころ、一度頼まれて、早朝「雨ニモ負ケズ」をはじめいくつかの歌を歌いにいったことがある。M先生は子供たちに「雨ニモ負ケズ」の暗記を奨励し、暗記ができた子供には「認定書」を渡していた。実はぼくも、認定書をいただいた。
そこにはこう書いてある。
あなたは宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の全文を暗唱できることを証明します。さらに宮澤賢治の言葉や心を深く理解し、辛いとき、迷ったとき、この詩を暗唱してみてください。この詩はあなたの一生の宝物です。
日付を見ると平成25年12月2日となっている。そのあと先生からご丁寧な礼状が届き、子供たちの感想もいただいた。その感想は子供だからとあなどれないものばかり。
子供たちの感想のいくつか:
とてもいい曲をありがとうございました。1ばん良かった曲は、「いじめ」についての曲です。とてもいい曲でした!聞いている時、心がじーんとなってびっくりしました。また来てください!
いじめについての曲が私たち子どもにもわかるやさしい言葉でできていてとても心にひびきました。今日の演そうで私の心もクラスでいじめを受けていた人の心も少し軽くなったように感じます。これからもいろんなところへ行って皆の心の荷物を軽くしていって下さい。
今日は素敵な歌をありがとうございました。ぼくが感じたことは、久さんの歌の歌詞の中にあった「権力を求めたが与えられたのは無力だった」という所です。ぼくは「人間誰しも失敗しても立ち直れる」と思いました。
実は、昨日探し物をしたときに、探していたものはみつからなかったが、いくつか貴重なものが出てきた。ジムの手紙、それにK校長先生からの礼状。先生は特に、サウンドチェックで歌った「風に吹かれて」に感じるものがあったようだ。
早朝の声出しのときに、偶然に歌われた「風に吹かれて」、今の社会・学校教育の中にある多くの問題に対する問いかけと示唆がありました。時代が変わっても、生きるために大切なものは変わらない想いでした。先生の発する言葉、メロディ、音のすべてが新鮮で、でも以前からずっと大事に思ってきたことで溢れていました。この一瞬一瞬を大切に切り取り、自分自身の思いに重ね合わせ、自分の中で大切に醸成していきたいと思いました。・・・またご迷惑にならないほどにお願いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
いただいたときは軽く読み流していたが、昨日読み返したときは感動した。先生が飯田へ移られて2年目、こうして再びお呼びいただいたことによって、そのときのことばが単なる社交辞令ではなかったことがわかる。実は、今朝先生からお電話をいただいだいた。演題やプロフィールについて。演題については、先生からいくつか提案していただいた。そのひとつは「生きる上で本当に大切なことは何か」である。その言葉はぼくがディランから学んだこととして中日新聞に出ていたものだという。ちょっと大上段に振りかぶり過ぎている。「人生についてぼくがボブ・ディランから学んだこと」がいいかもしれない。
Thursday Octovber 20, 2016
朝起きたら、のどの調子が昨日より悪い。身体もだるい。まだ治っていないようだ。臀部の痛みはだいぶ引いてきたが。
今日は朝から探し物。毎日新聞のSさんに頼まれたサンタローザで初めてスージーに書いてもらった「風に吹かれて」の歌詞。つい最近も見たのだが、どこで見たのか思いだせない。
探し物を中断し、10時からほぼ2時間 CNNでPresidential Debate を見る。3回とも見たが今回が一番ひどかった。ディベイトになっていない。中傷合戦。特にトランプが酷い。お昼を食べて、オーリアッドへ。そこでも探し物。出てこない。諦めて帰ってきたら、家人が仕事からもどり、事情を話すと一緒に探してくれるという。ぼくの仕事部屋。それからオーリアッドへ。オーリアッドでは彼女がステージ裏の物置からいくつかのファイルの入った箱をもってきた。ここにありそうと期待したがなかった。最終的にはあきらめることに。その旨メールを打つ。
しかし、この「大探し物 Day」 の副産物として貴重なものがいくつか出てきた。その一つは亡くなる前にカンボジアのジム・グリーンから届いた手紙。
わが家の庭もだいぶ秋らしくなってきた。ことしは秋が遅れている。
Wednesday October 19, 2016
毎日新聞のSさんと山麓線を通って松本へ。学食でお昼を食べたあと、12時過ぎ、共通教育の室長さんにお会いする。室長のKさんから、写真を撮る前にぼくから学生に事情を説明し、写真を撮られたくない学生がいたら撮らないようにとの注意を受ける。写真を撮られたくない学生は1名。彼女がすわっていたところは、写らないようにするには難しい場所ではなかった。
授業はいつものパターン。20分の「テストのようなもの」。今日はイギリスの新聞 The Telegraph の記事を使う。最初の2つは和訳、3番目はテキストをみないでI Have a Dream の最初の一文を書くこと。
1.Bob Dylan has won the 2016 Nobel Prize in Literature "for having created new poetic expressions within the great American song tradition". Sara Danius, the Nobel Prize permanent secretary, said: "He is a great poet in the English tradition."
2.Speaking after the announcement, Prof Danius compared Dylan to the Ancient Greek poets: "Homer and Sappho-- they wrote poetic texts that were meant to be performed with instruments . . . it's the same with Bob Dylan."
3. Write down the first sentence of I Have a Dream speech without looking at the script.
その解説後、Blowin' in the Wind, All My Loving, Little Child, The Rose を歌う。いずれも前期に歌った歌。そのあと予定していたWhat a Wonderful World! をスキップして、ディランの Tomorrow Is a Long Time を歌う。歌詞を解説し、Rod Stewart とJohn Winn のヴァージョンの映像を見る。甲乙つけがたし。しかしこの歌の背景を知るにはジョン・ウインのヴァージョンがいい。彼はグリニッチヴィレッジでこの歌を書いたばかりのディランに会い、この歌を彼が歌ってくれたと話すところから始まる。両者の映像を見たあと学生と一緒に歌う。
Rod Stewart: https://www.youtube.com/watch?v=Eqho7jpQjJ8
John Winn: https://www.youtube.com/watch?v=oiPBnKph70w
キング牧師のスピーチはほんの少ししか進めなかった。
授業終了後、Sさんを松本駅まで送り、あがたの森の喫茶店へコーヒーを飲みに。そのあと、公園の写真を撮りにいったが、期待したほど紅葉は進んでいなかった。
気管支の調子も昨日よりはいいし、臀部の痛みも和らいできた。早めに診てもらってよかった。
今夜の「ためしてガッテン」は、頻尿、尿漏れ、残尿感防止法についてだった。大いに参考になった。
Tuesday October 18, 2016
歳をとったと実感する毎日。少し寒くなったと思ったら、数日前から、気管支がやられ、昨夜はソファから立ち上がったら、身体がよろけ、どしんと尻もちをついた。尻もちをついただけならいいが、夜中に右の臀部が痛くて目が覚めた。手をやると、その部分が固くなり、腫れている。階下に降り、モーラステープを貼る。
朝、病院へ行こうとしているところに電話。毎日新聞の記者の方。これから辰野へ行って会いたいとのこと。これから病院に行くので、午後にしてほしいと告げる。
病院では抗生物質を処方してもらう。クラヴィットという強力な抗生物質。臀部のほうは歩いているうちに痛みが減ってきたので、整形で診てもらわないことに。診てもらっていて遅くなったら、わざわざ東京から来てくれる記者に迷惑をかけてしまう。
2時から5時まで取材を受ける。ボブ・ディランについてだが、なぜかぼくの半生についての質問が多い。そのあと、今日は家人が留守なので、外へ一緒に食事に出る。途中オーリアッドに寄って中を見てもらう。
辰野の鰻をご馳走しようとしたら、逆にご馳走されてしまった。ホテルにお送りし、家に戻る。
明日は松本。彼も松本までくるらしい。さてどうなるか。
Monday October 17, 2016
ディランがノーベル賞を受賞したあと最初のクラス。南箕輪村の農学部。先週月曜日は祭日だったので、今日が後期2回目。毎回最初の20分は、辞書を使ってもいい「テストのようなもの」を行う。「テストのようなもの」というのはこの出来不出来が成績には反映されないからである。通常は Humans of New York からの記事を使うが、今日はディランのノーベル賞受賞の記事の冒頭と「風に吹かれて」のファースト・ヴァースを訳してもらうことに。
1. The Swedish Academy handed Bob Dylan a remarkable, unexpected accolade on Thursday, announcing the singer as the recipient of the 2016 Nobel Prize in literature. In a succinct statement, the Academy said Dylan deserved the honor "for having created new poetic expressions within the great American song tradition."
2. How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
How many times must the cannonballs fly
Before they’re forever banned?
The answer, my friend, is blowin’ in the wind
The answer is blowin’ in the wind
「テストのようなもの」の解説をしたあと、今日の歌の予定を Beautiful Brown Eyes から、7週目に歌う予定だったディランの Tomorrow Is a Long Time に変更。歌詞を解説したあと、Ian and Sylvia と Judy Collins 、それにぼくのヴァージョンをYouTube で見てもらう。そのあと一緒に歌う。ディランのオリジナルヴァージョンはYouTubeに入っていない。次回はGreatest Hits vol. 2のCDを持っていく必要がある。ディランはこの歌を正式に録音しなかった。歌詞をちょっと間違えたライヴヴァージョンが、Greatest Hits vol. 2 に入っている。
最後にキング牧師の I Have a Dream の冒頭の部分を解説し、その映像を見る。ここで Time up。
1. I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.
2. Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.
3.But one hundred years later, the Negro still is not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land.
学生がみんな去り、窓の施錠をしているところへ、学生がひとりあわてて入ってきた。一昨年ぼくのクラスにいたKさん。彼女は昨年も、単位とは関係なく、毎回クラスに来て、真ん前にすわって授業を受けた。希望の大学院に行くには、TOFLE の試験の成績が重要なので、リスニングの力をつけたいとの理由で。「どうだった?」と聞くと、「東大は駄目でした。一次は通ったのですが。でも京大に行くことになりました」と言う。よかった。彼女の必死の努力が報われた。
Sunday October 16, 2016
日本ハムがホークスを破って日本シリーズ進出を決めた。大谷の大車輪の活躍。栗山監督の負けたら自分の責任、勝ってもおごらない謙虚な姿勢が好きだ。
27歳のときから、いくつもの学校で英語を教えてきた。どのクラスでも「風に吹かれて」を教えた。ディランの文学賞受賞を聞いてぼくのことを思い出してくれていた人がいたようだ。たくさんのお祝いメールをいただいた。あたかもぼくがノーベル文学賞を受賞したかのように。そのいくつか。
*ボブ・ディランよかったですね。先生はどんなにお喜びかと思い、お祝いのメールをさせていただきます。この受賞を聞いて、真っ先に先生のことが頭を過りました。
*予備校を卒業してから30年以上経ちました。ご無沙汰しておりました。ボブディランのノーベル賞受賞を聞いて三浦先生はやはり分かっておられたと思い出しました。受賞おめでとうございます。
*授業で唄ったことを思い出しました。確か新学期に薄い英語の本を沢山買わされ、それが教科書かと思っていたら全く使用せず。 自宅で自分で読むように言われて、テストはその本から出題されました。ほぼ月に一冊(注:正しくは2週間に1冊)読んで、小テストです。 薄い本とはいえ、辛かった記憶があります。 普段の教科書は歌詞カードや映画でした。 歌も沢山歌い、最後の授業は先生の弾き語りライヴでした。 今、思い出しても型破りな英語の授業でした。 多読の重要性に気づいたのは最近です。
熱烈な舟木一夫ファンの方からもいただいた。
*ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞受賞のニュースに接して、先生がどんなにかお喜びだろうと、すぐにそう思いました。ボブ・ディラン氏の偉大さも本当には判っていないかも知れないのですが、先生が機会あるごとにご紹介されてきたボブ・ディラン氏と「風に吹かれて」が世界的に評価されたのが嬉しくて、また、舟木さんがそのような方の曲を歌って下さっていることが誇らしくて・・・
ニュースサイトでは、官房長官が会見で「私ども団塊世代にとっては非常に憧れたスターだった」と語ったと報じられている。憧れてはいたが歌の言葉にはまったく注意を払わなかったということか。
明日は信大南箕輪キャンパス。受賞後最初のクラス。このクラスでは前期に「風に吹かれて」を教えている。クラスの最初に一緒に歌うことになるだろう。
Saturday October 15, 2016
オープンマイク、初回出演順(敬称略):坂井俊水、とものり、原田和夫、丸山俊治、服部ふあ、赤羽真理、三浦久、川島弘。
特筆すべきは、原田和夫さんが孫のとものり君とやってきたこと。3,4歳のころ何度かきたことがあったが、現在小学1年生とのことで、見違えるように成長していた。積極的に話し、ピアノを弾き。おじいさんの面倒を見ている。おじいさんの笑顔がとものり君への想いのすべてを語っている。
ボブ・ディランがノーベル賞をもらってから最初のオープンマイク、それぞれがディランへの想い語ったあと、歌う。もと高校の先生、現プラットのオーナー川島弘さんにも、ディランの文学賞受賞についての感想を語ってもらう。坂井君の Black High Heels はディラン的な雰囲気がある。丸山さんは、今日は立って歌ったが、立ち姿が格好いい。彼の誕生日は1941年のディランのわずか4日前。ディランも頑張っているが、丸山さんもすごい。
ふわさんは、 Freewheelin' Bob Dylan に入っている Corrina Corrina を日本語で歌う。この歌はぼくも大好きな歌。ミシシッピー・ジョン・ハートのヴァージョンもいいが、やはりディランの Corrina Corrina がいい。ぼくは、Blowin' in the Wind, Mr. Tambourinman, Death Is Not the End を歌う。
最後に残った4人で、ディランのポスターの前で記念写真。ディランの文学賞受賞が世の中に何らかのインパクトを与えてほしいと思っている。歌手が文学賞をもらったことに異議を唱える人もいるが、彼の言葉のもつ威力がわかれば、そのような意見も払しょくされていくだろう。
Friday October 14, 2016
一日中、てんやわんや。8時半NBSの取材クルーがやってきた。インタビュー慣れというか、どこも質問はほぼ同じなので、考えながら話すほうがいいとおもいながら、すらすらと言葉が出てきてしまう。11時少し前、オーリアッドへ。視覚障碍者の方々との「紅葉の会」の昼食会。中日新聞の記者の方がきて写真を撮りたいというので、林さんの朗読に合わせてぼくが「一万マイル」を歌う。予定では後半だったが。
そのあと、2階でインタビューを受ける。それが終わって下に降りていき、昼食会。「ひびき」の方々の朗読のあと、ぼくの歌と思っていたら、ぼくがインタビューを受けている間に、朗読は終わったとのこと。リクエストのあった「旅立つおまえに」を含め4曲ほど歌わせてもらう。
そのあと、家人と南箕輪村へ。
夜は少し、歌の練習。それにいただいたメールへの返事などを書く。早めに寝ることに。
Thursday October 13, 2016
今夜はジブランの会。8時にコーヒーを淹れに行く。お店に着いてしばらくしてケイタイが鳴る。受話器の向こうで何か声がする。「ノーベル賞・・・ディラン・・」とか言っている。よく聞こえない。「ちょっとすみません」と言って、右耳の補聴器をはずし、もう一度受話器をしっかり耳に当てる。信毎の記者からだった。「もうご存知と思いますがボブ・ディランがノーベル賞を受賞しました」。そこまで聞いて彼をさえぎった。「えっ、ディランが?てっきり村上春樹だろうと思ってました」。
コーヒーを淹れなければならず、15分後にかけなおしてもらうことに。コーヒーを淹れ始めたらお店の電話が鳴った。家人にとってもらう。中日新聞とのこと。こちらから電話をかけると伝えて電話番号をきいておいてと頼む。15分後、約束通り、信毎の記者からでんわがあった。ディランの受賞についていくつか質問される。率直に答える。電話を切るとすぐにまた鳴った。長野放送から、明日朝取材に来たいとのこと。明日は11時からお店でイベントがあり10時には家を出なければいけないと伝えると、9時前にくるとのこと。
えらいことになってきた。おそらく家にも電話がかかってきているだろう。あとは家人に任せ、急いで家に帰る。玄関を開けると電話が鳴っている。慌てて、電話のあるダイニングへ。受話器をとったら切れてしまった。かかってきた履歴をみたら「非通知」が4件あった。2階の仕事部屋へ入るとまた電話がなった。フジテレビだった。矢継ぎ早の質問。あまり深く考えずに答える。
中日新聞に電話をかけるのが遅くなった。電話をするとすでに担当者がお店に向かっているという。家人もそれまでに帰ってきていた。家にきてもらうように住所と電話番号を伝える。その記者が家に到着したのは9時半ごろ。それからインタビューを受ける。その後も電話がいくつかあり、その記者がわが家を出たのが午前0時半。さすがに疲れた。ノーベル賞の凄さが身に染みてわかった。
それと同時に自分に言い聞かせたことは、ディランの価値はノーベル賞を受賞してもしなくても変わらないということ。そのことをしっかり押さえておく必要がある。周囲の狂騒に踊ろされないようにしなければ。
中日新聞の記者が帰ったあと、メールをチェックすると、精華、駿台予備校、豊南、信大でぼくのクラスにいた人たちからメールがはいっていた。あたかもぼくが受賞したかの口ぶりのものもあったが、それはそれで素直に受け取っておこう。すべてのぼくのクラスで「風に吹かれて」を教えてきた。メールやfacebookで反応しないまでも、ぼくのクラスにいた多くの人たちが、テレビやラジオから流れる「風に吹かれて」を聞いて、一緒に口ずさんだに違いない。
Wednesday October 12, 2016
朝起きて撮った写真の一枚。今年は気温が高かったせいか、白樺の木が色づくのが遅い。それでも最近は気温が低くなり、朝晩はヒーターを入れるようになった。
午後1コマの授業。先週の復習を兼ね「テストのようなもの」。そのあと Beautiful Brown Eyes を歌う。前期もそうだったが、このクラスには意欲的な学生が多い。歌声もしっかりしている。発音もいい。こういうクラスは疲れない。日本ハムが大谷の活躍で勝利。セリーグは広島が DeNAをくだす。そのあと、「相棒」の新しいシリーズを見る。面白かったが、でもやはりこのドラマは権力の悪に立ち向かう筋書きのものがいい。
Tuesday October 11, 2016
町の病院へ。定期検診。前回の血液検査結果を聞く。
MMP-3(関節リウマチ)、KL-6 (間質性肺炎)、高感度PSA(前立腺癌、肥大等)、シスタチンC(腎機能)の数値はすべて正常だった。手の指の関節が両手共に痛むが、リウマチではなく、転倒したとの衝撃の余波かも。
昨日はアメリカ大統領選挙の第2回討論会を見た。討論というよりは子供の喧嘩、言い合いの様相を呈していた。明らかにヒラリーに分があったが、トランプは前回よりも支持率を上げた。アメリカには一定の割合で、銃規制に反対し、ロッカールームで「卑猥な」話をし、バラク・オバマを否定する人たちがいることを知っている。「イージー・ライダー」にはそのようなアメリカ人が登場した。その人たちを理論で説得するのは難しい。ピーター・フォンダ演ずる Captain America が最後のシーンでつぶやく、We blew it. (俺たちは失敗した)。
いくつもの大統領選挙の討論会を見てきたが、今回ほど低俗なものを見たことがない。しかし記憶に残るディベイトにはなるだろう。8年前はバラク・オバマの Yes, we can. が席捲した。
夜、明日のクラスの準備を少し。
Monday October 10, 2016
ネルソン・マンデラを慕い、南アフリカへいき、大統領選挙準備の手伝いをしていたエイミー・ビールというアメリカ人の女性が殺されたという事件は衝撃的だった。そのことを知ったのは2001年9月11日のツインタワーが崩れ落ちた数日後のこと。ディランのメーリングリストのハワードという人の投稿からだった。
その投稿を読んだときに書いた文を引用する。
エイミー・ビールは、スタンフォード大学卒業後、アパルトヘイトが終わりつつある南アフリカへ行った。ネルソン・マンデラが彼女の英雄で、彼女は歴史的な平和と和解のプロセスに参加したいと強く思った。彼女は1年間ボランティアとして働いた。そしてアメリカへ帰る日の2日前、4人の黒人の若者に車から引きずり出され、殺されてしまった。4人は裁判にかけられた。彼らは、彼女について知っていたことは、彼女が白人だということだけだったと言った。裁判長は彼らに懲役18年の刑を言い渡した。
しばらくして、エイミーの両親のところへ南アフリカから1本のビデオテープが届いた。それは、殺人犯の1人の若者の母親が泣き崩れながら、エイミーの母親に許しを乞うているテープだった。このテープがエイミーの両親を変えた。彼らはエイミーの生と死が意味を持つことができるためには、娘の理不尽な死に対する怒りや悲しみを乗り越えなければいけないと感じた。そして、その事件を引き起こした社会的・文化的な背景を理解しなければならないと感じた。
4年後、4人の若者は、「真実と和解委員会」に恩赦を願い出た。エイミーの両親は、委員会に恩赦を認めるよう嘆願するために、南アフリカへ渡った。南アフリカへ行く前に、彼らは、会社も家も売り、さらにいろんな団体から寄付を募り、「エイミー・ビール財団」を設立した。 今、数百人の人たちがエイミー・ビール財団と財団が支援する会社によって雇われている。エイミーの両親が最初に雇ったのは、エイミーを殺した4人の若者だった。彼らは今、財団を担う中心的な役割を果たしている。
ハワードは次のように投稿を締めくくっている。
彼らの話を聞いたとき、どうしてそんなことが可能だろうかと思った。言葉では理解できる。しかし、自分の娘に同じことが起こったら、彼らのように行動することは無理だと思った。しかし、今日の悲劇を目撃した後、ぼくはエイミーの両親と同じ場所に立つことを学ばなければならないと感じた。しかも今すぐに。時間はあまり残されていない。ぼくは今、世界の指導者たちが、人類のために、エイミーの両親が立っている場所に行くことができる地図を作成することを切望する。手遅れになる前に。
今日エイミー・ビールの映画が作られるということを知った。前から、彼女のことを歌にしたいと思っていた。これを契機にひと踏ん張りしてみようという気になってきた。
Sunday October 9, 2016
「隣の潔さん」に頼まれていたマンドリンの弦が届いたので、もっていく。潔さんはいなかったが、フィービーの友だちだったマリちゃんがいた。抱っこしようと近づいたら身構えて、一目散に逃げてしまった。
今日も長い柄のトリマーで土手の草を刈る。充電式で力はないが、長い斜面の土手の草を刈るには都合がいい。しかし、思ったより重く、長く使っていると肩が凝る。
夜は涼しいというよりは、寒くなってきた。いよいよ秋到来。そして冬が来る。
Saturday October 8, 2016
オープンマイク初回出演順敬称略:服部ふあ、坂井俊水、大住尊光、原田和夫、三浦久、赤羽真理、三浦薫子。
坂井君の若い友人大住君が2年ぶりぐらいに来てくれた。大学4年生。就職が決まったとのこと。迫力ある歌唱。久々登場の原田さん。転んで骨折し、しばらく入院していたとのこと。元気になられてよかった。後半、「あざみの歌」「ふるさと」など唱歌を朗々と。ふあさんの歌では「誰かがきっと見ていてくれる」に感銘を受ける。坂井君の「僕らの夢」はいつ聞いてもいい。赤羽さん珍しく「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌う。この歌はぼくが京都へ行ったあと、1970年か71年によくラジオや喫茶店で聞いたものである。名曲である。
ぼくは今夜はラブソングを中心に。最後は「旅立つおまえに」と Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot? を家人と一緒に。
Thursday October 6, 2016
台風一過のすがすがしい朝。光と影のコントラストが美しい。
届いたばかりの柄の長いトリマーで土手の草を刈る。まだ慣れないため時間がかかるが、コツをつかめば使いやすくなるだろう。
夜、日本vs.イラクのサッカーを見る。久々に前半後半通して見た。引き分けだろうと思っていたら、additional time に山口蛍が劇的なゴールを決める。長友と香川は終始ベンチに。新旧交替のときがきているようだ。
Wednesday October 5, 2016
ついてない一日。
11時半、松本へ行こうと車に乗り、エンジンをかけたがうんともすんとも言わない。しまった。バッテリーが上がってしまったようだ。あとでわかったことだが、スモールランプが月曜日の夕方から点いていたようだ。家人が今日は家にいてよかった。もし昨日だったら、彼女は7時半に家を出ていた。彼女の車を借りて松本へ。
キャンパスに着いたとき、駐車場のゲートを上げるカードを忘れてきたことに気づいた。慌てて、有料駐車場へ。印刷室へ行き、小テスト(テストのようなもの)を印刷。学生に配り始めて気づいた。まったく違うものを印刷していた。急きょ印刷室に戻り、再印刷。学生がテストを受けている間にパソコンの設定をする。スイッチを ON にしても画面が現れない。事務局に連絡し調整しに来てもらう。 少し手間取ったが、なんとか使えるようになった。
ほかにもいくつか思うようにいかないことがあった。こんな日も珍しい。
夕方家に戻り、庭のテーブルや椅子を片づける。台風18号の影響で夜になると風雨が強くなるとの予報。でも2日前よりも進路が日本海にそれ、長野県は直撃されないよう。ありがたい。
Tuesday October 4, 2016
昨日の日記に書いたステッパーの通販サイトのレビューを見たら、「最高体重100kgと記載されているが、取扱い説明書には使用体重制限80kgと書いてある」というのがあった。同じ思いを持った人がいたようだ。80キロを超えていても問題なさそうだ。
午前中、1時間ほど、3の畑の草を刈る。もう少しこまめにやっておけばいいものを、草がのびて種をつけてからするものだから苦労する。
Monday October 3, 2016
午後2コマのクラス at 南箕輪村。後期初の授業。前期は学校側の都合で4講時と5講時だったが、今日からもとに戻って3、4講時となった。授業後、春日街道を通って帰宅。街道沿いに「あじーな」という地域の農家が出品しているお店がある。前期は授業が終わるのが6時近くだったので、寄らなかったが、これからは寄ることができる。茸が出ていた。アミタケ、コムソウ、それにマツタケを少々購入。うむ、時間割が正常に戻ったのはいいようなわるいような。「あじーな」に寄りすぎないようい気を付けなければ。
Sunday October 2, 2016
530デイ。現場についたときにはほぼ終わっていた。いつもそうだ。7時だからといって7時に行ったのでは遅い。
大腿部の筋力が落ちている。4月に転倒して左手を骨折したのもそれが原因である。片足立ちとかスクワットを家人に進められてやってきたが、長続きしない。
それで通販でツイスターステッパーなるものを購入。最近テレビや新聞で頻繁に宣伝されたものは14000円ほどしたが、ぼくのは9000円である。説明書を読んでいた家人が大声を上げる。「体重80キロを超える人は使用不可だって!」。宣伝の段階でそれを言ってほしかった。ぼくは現在82キロと83キロの間である。
壊れても仕方ないと、今日は一に何度かこの機械に乗る。かなりよさそうである。大腿部の筋肉が少しついたような。大事なことは継続すること。そうすればもとは取れる。
Saturday October 1, 2016
オープンマイク初回出演順(敬称略):宮原哲史、坂井俊水、原田和恵、宮原美紀、三浦久、三沢賢介。
特筆すべきは坂井くんの甥の哲史くんが歌いにきてくれたこと。オーリアッド、2度目の登場。歌いだしたときの低音に魅了された。また哲史くんのお母さんも一言、息子と弟の演奏について語ってくれた。
更に今夜はもうひとつのサプライズが。三澤珈琲店の三澤さんが寄ってくれた。初孫の写真をみせてくれたばかりでなく、生命の誕生の感動を、ヘンデルの Sarabande を演奏することによって表現してくれた。
三澤さんの演奏を久々に聞いたが、実によかった。また聞かせてもらいたいもの。
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