OREAD Diary January 1〜January 31, 2005
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January 29, Saturday 2005
6時少し前オーリアッドへ入る。すでに何人かの女子高生が待っていた。土曜日に飛び入りライブの様子を見にくるとは聞いていたが、奇抜な衣装を身につけ、ドラムセットも運び込まれ、演奏する準備ができている。「マカダミア」という辰野高校1年生4人によるバンド。「ローリー」「恋の歌」の2曲。3曲目をリクエストすると再度「恋の歌」を演奏。まだ人前で演奏することに慣れていないし、決して上手いとはいえない。しかし、今後が楽しみである。おそらく次回演奏するときは、うんと上手くなっているだろう。
いつの間にか、3番テーブルに中年の男女がすわっている。女子高生の父母かなと思ったが、よく見ると野溝の武蔵こと平林盛仁さんだ。もうずっと昔、信越放送ラジオ松本局で「三浦久のダウンホーム・ミュージック」という番組をやっていたとき、よくリクエストやコメントを送ってくれた人。ディランにものすごく詳しい。その彼が、もう何年も前から演歌を書き始めた。今日歌った歌は「渡り鳥」「安曇野の人」「信濃大町地酒が似合う」「君に会えない夜」。後半また歌ってもらおうと思っていたら、明日10時から何かの試験があるとのことで、途中で帰ってしまった。彼は以前は松本の野溝に住んでいたが、今は大町在住。
時間つなぎにぼくが、「それぞれの道」「碌山」「千の風」。そろそろ次の歌い手がきてもいいころだが、まだこない。続けて「万水川慕情」「俺が生まれて育ったとこは」。最後の歌の終わりかけに WISH が入ってくる。歌い終わりカウンターを見ると、シビドゥバ・タケイさんもすわっている。
ここで女子高生が帰りかけるので、「もしロックをやりたいと思っているなら、次のシュビドゥバさんの歌を聞いておいたほうがいいよ」と引き止める。「アローン」「ぼくという証明」「ジュエルの箱」「ビッグ・レインボー」。今晩も、先週聞いた「ぼくという証明」が印象深かった。ことばもさることながらメロディラインがいい。「ビッグ・レインボー」はコーラスの部分の印象が強いし、共感するところもある。シュビドゥバさんは、歌い方といい語りといい、最初に聞いたころよりも落ち着いていて、説得力が増している。
次に松沢美由紀さんのピアノソロ。今晩は体調が悪くお酒を飲んでいないとのこと。どうりで、彼女の喚声奇声が少なかったような。逆にそのせいか、ピアノ演奏は素晴らしかった。シューマンの Aufschwung。このドイツ語は「飛翔」とか「飛躍」「跳躍」と訳されているらしい。続いて芦部清志さんが加わり WISH として、「東京」「風のInitialization」。さらに太鼓の赤羽勝史さんが加わって3人で「風と森の祭り唄」。太鼓のソロの部分があり、赤羽さんの役割が明確になった。
昨夜電話をかけてくれた松本から来た人が静かに丸テーブルにすわっている。北村智明さん。オーリアッドのことは篠原一弘さんに聞いたらしい。「歌いませんか」と声をかけたが、「聞きにきただけなので」と断られた。しかし、何度か声をかけると、それではということで自作の「デビル」「ソノ」のというタイトルの2曲を歌ってくれた。デビルは猫の名前で、ソノは犬の名前とか。その逆だったかも。タイトルと歌の内容は無関係のようだ。2曲目の「ソノ」のほうがぼくの好みである。
ここでしばし休憩。今朝、辰野郵便局へいったとき、山崎会心さんの仕事場を覗いてみた。八十二銀行辰野支店での展示会の前半が昨日終わり、「頑張れ友よ、迷いがあるから人間なんだ」の書を家にもってきてあるとのこと。それを借りてきてカウンターの上の壁に飾った。井原さん、木下さん、しばらくここに飾っておきます。また山崎さんは「二人のためにも書いてやるよ」とおっしゃっていたので、忘れなければ、書いてもらえるものと思います。展示会の後半にはぼくの「千の風」の歌詞を書いたものを飾ってあるとか。
休憩後、松沢美由紀さんのソロ演奏。ショパンの「幻想即興曲」。これまた素晴らしい。続いて赤羽勝史さんの太鼓のソロ。そして、遅れてきた堀内千晴さん。「ロッホ・ローモンド」「サンタルチア」「ともしび」。1曲目はどこかで聞いたメロディ。彼がこの歌を歌うのを聞くのは初めて。
次に芦部さんのソロで、「In the Sparkling Night」「街道(みち)の傍らで」。そして、松沢さんが加わり「すこやかに」。この歌は芦部さんの最高傑作だと思う。更に赤羽さんが加わり再度「風と森の祭り唄」。これで今晩の演奏は終了。
「香月!」の3人がそのあと練習を終えて入ってきたが、今晩は「いがらんが酔っているので」(大月高志弁)とのことで演奏なし。来週はいがらんこと栗林秀和さんが歌ってくれるようである。閉店まで歓談。
January 28, Friday 2005
今晩はソニーから送られてきた紙ジャケットのCDを聞いたが、気に入った順序は、ティム・ハーディンとエリック・アンダーソン。次に、エリオット・マーフィーとアル・クーパー。スティーブ・フォーバートは70年代に聞いたときも、そのメロディラインが好きになれなかったが、30年後に聞いても同じ感想をもった。
トニー・コジネクという人は知らない人で、聞かなかったが、ひょっとしたら一番よかったりして。エリオット・マーフィーに関しては、やはり、「アメリカン・ヒーロー」の前作の「ナイト・ライツ」がいい。この「アメリカン・ヒーロー」ではスプリングスティーンを意識し過ぎている。
明日は飛び入りライブ。松本に住んでいるという人から、オーリアッドのことを友だちに聞いて、歌わないけれど聞きにいきたいという電話があった。歌いたい人も聞きたい人も是非お出かけ下さい。
January 27, Thursday 2005
この写真は、オーリアッドのママさんが昨日八十二銀行辰野支店へ行ったとき、ロビーの「山崎会心書道展」で、ケイタイのカメラで撮ったもの。「頑張れ友よ迷いがあるから人間なんだ」と書かれている。先週土曜日の日記にも書いたが、これは、井原仁志さんの「がんばれ友よ」という歌のタイトルと、木下卓也さんの「迷いがあるから人間なんだ」という歌のタイトルを合わせたもの。
ぼくよりもはるかに先輩の山崎さんが、若者たちの歌を聞いて感動し、このような書を書く感性に感嘆する。オーリアッドのステージの壁にかけてある佐藤勝彦さんの書と絵にただならぬ「殺気」を感じたりする山崎さんは、やはりただ者ではない。
前半、英語教室。残念ながら昨夜の日記で書いた6枚の紙ジャケットのCDを家においてきてしまった。再度、今晩も、Mooney & his Lucky Rhythm を先ず聞く。演奏の確かさに驚く。ジャグバンド風でもあるが、ジャズにも聞こえてくる。とてもいい。
料飲食店組合の新年会でお会いした「千石」のご主人田中久さんが遅くになってくる。その後 Dr. Tsuchiya もきて、しばし野球談義。「千石」の田中さんは、野球が大好きで漫画も好きで、お店には600冊の漫画がそろっているとか。田中誠一君がきたらぜひとも連れていかなければ。そして田中君のチームと「千石」の田中さんのチームの交流試合の話を具体化させなければ。できたらぼくもピンチヒッターか何かでちょっと出してもらいた。
January 26, Wednesday 2005
久々のオーリアッド。先ず、土曜日の後片付け。けっこう時間がかかる。今晩聞いた音楽は、土曜日にボブ鈴木がもってきってきてくれた Mooney & his Lucky Rhythm の Fats with us というアルバム。出だしからボブ鈴木サウンド。ご機嫌なジャグバンド風音楽。アメリカのバンドかと思っていたら突然に日本語で歌いだした。英語の発音のナチュラルさは驚異的。日本語で歌うときより英語で歌うときのほうが上手い。バンドの演奏も素晴らしい。
お店は暇で、以前拾い読みした篠田顕子著『愛の両側』(原書房)を読む。ぼくの体験とオーバーラップするとこもあるが、著者の体験のスケールに、そしてその深さに、ぼくは足元にも及ばない。
先日、スプリングスティーンのアルバムが紙ジャケットで発売されることになったという連絡をもらったが、今晩オーリアッドから戻ってみると、エリオット・マーフィー『アメリカン・ヒーロー』、ティム・ハーディン『電線の鳥』、エリック・アンダーソン『ブルー・リバー』、アル・クーパー『赤心の歌』、スティーブ・フォーバート『アライヴ・オン・アライヴァル』、トニー・コジネク『バッド・ガール・ソングス』の6枚の紙ジャケットのアルバムが届いていた。
エリオット・マーフィーのジャケットのオビには 訳詞/三浦久 と書かれていた。このアルバムのことはすっかり忘れていた。1976年の作品である。ということはほぼ30年前のこと。嗚呼。
エリオット・マーフィーといえば、このアルバムの前作『ナイト・ライツ』だ。これがぼくが訳した最初のエリオット・マーフィーのアルバムで、訳したときから大好きだった。特にA面トップ「ダイヤモンズ・バイ・ザ・ヤード」が。
好みからいえば、ぼくはスプリングスティーンより、エリオット・マーフィーのほうが好きだったかもしれない。「ブルース・スプリングスティーンは夜を疾走し、エリオット・マーフィーは夜にうずくまる」とどこかに書いた記憶がある。
明日はどのアルバムから聞こうか。
January 22, Saturday 2005
オーリアッド初登場の人たちもいて楽しい夜になった。最初、ほどんどお客さんのいない時間、ぼくが「それぞれの道」「俺が生まれて育ったとこは」「万水川慕情」「千の風」を歌い、飯田からきた木下卓也さんにバトンタッチ。木下さんが歌う前に、彼に、彼が前回歌ったとき、書家の山崎会心さんが、彼の「迷いがあるから人間なんだ」という歌のタイトルと、井原仁志さんの「がんばれ友よ」という歌のタイトルが気に入って、この二つをくっつけて、「がんばれ友よ、迷いがあるから人間なんだ」という書を書き、現在それが、八十二銀行辰野支店で開かれている「山崎会心書道展」で展示されている、という話をした。
そこで彼は「東京19」を歌ったあと、ぼくが話した山崎さんの話に触れ、「迷いがあるから人間なんだ」を歌う。最後に「勇気の歌」。次に堀内千晴さん、山崎さんの書の話を聞いて、ゲーテの「努力する限り人間は迷うものだ」ということばをドイツ語で紹介したあと、韓国語で「故郷の春」、フランス語で「サクランボの実るころ」。井原さんも、山崎さんの話を受けて、まず「がんばれ友よ」を歌う。そして「遠い春」「太陽が南に寄る季節」。ノリのある歌とギターが心地よい。
次は、3ヶ月前に、東京は葛飾柴又から伊那へ移り住んだというオーリアッド初登場の「たかよさん」。「億万分の自分」「一人旅2」「マフラー」を歌う。小柄ながら身体全体をつかってスケールの大きな歌を歌う。次に「今日は武井文哉として歌います」といってシュビドゥバ・タケイさん登場。「ぼくという証明」「ビッグ・レインボー」「ジュエルの箱」。ぼくには武井文哉とシュビドゥバ・タケイの違いがわからないが、今夜は一曲目の「ぼくという証明」が印象深かった。次もオーリアッド初登場。岡谷市川岸在住、つまり辰野のすぐ隣に住む堀川博司さん。「風の学校」と「天王寺思い出通り」。大塚まさじさんの大ファンとのこと。歌もうまい。
畑山靖司さんの風貌からいつもジョルジュ・ムスタキを想像してしまう。今夜は「鳥のように、花のように」「訪ねておいで」「雨はいつか」。いつものように伸びのある落ち着いた歌声。このときまでにオーリアッドはほぼ満席の盛況。次に、トップバッターだった木下卓也さんに新曲「目の前の川を渡ろう」を歌ってもらったあと、大月高志さんにピアノの演奏をお願いする。「カノン」が響き始めるやいなやざわついていた会場がシーンと静まりかえる。
次の二人もオーリアッド初登場。ボーカル、ギター、長谷村在住の山田守人さんと5弦ベース、南箕輪村在住の斉藤勇さん。二人とも長年音楽をやってきた人だけがもつ独特の雰囲気をもっている。演奏が始まるやいなや、その卓越した技量に脱帽。楽しませてもらった。「Let the Good Times Roll」「私の青空」「会いたくて会いたくて」。初登場ということでサービス精神を発揮したのか、異なるジャンルの歌を歌ったが、ぼくとしては何といっても一曲目のブルーズにつきる。
最後に登場したのは、今年は御柱もないし、区の役員からも解放されたので、オーリアッドに何度もきたいというボブ・鈴木さん。山田さんと斉藤さんのサポートで「On the Sunny Side of the Street」「Mojo Feeling」「雨のブルーズ」。ボブ鈴木節は健在だ。
演奏が終わったのが10時40分ごろ。それから11時半まで歓談。
今晩最初から最後まで聞いてくれたのは、6時の開店直後に入ってきた塩尻に住むAさん。先日辰野町料飲食組合の新年会でお会いした人である。彼は自分では歌わないが、とても楽しかったといって帰っていた。
January 21, Friday 2005
今日は、アルフレット・ハウゼのベスト・セレクションを繰り返し聞いた。彼の訃報を知ったのは昨日だったか。コンチネンタル・タンゴのファンではないが、なぜか彼の名前を知っているし、CDもある。「碧空」が好きだからだろう。子供のころ、母がそのメロディを口ずさんでいた記憶がある。
小野藤沢の中村さんがぶらりと入ってきたとき、「ラ・クンパルシータ」が流れていた。CDが終わったとき、中村さんはステージに上がり、ギターをとり、「ラ・クンパルシータ」を弾いた。彼がこの曲を弾くのを聞いたのは初めてだと思う。その他に、「禁じられた遊び」「鉄道員」「ソルの練習曲月光」。
宮木公民館の館長さんはじめ、役員の方々が会議のあときてくれた。先日のコンサートが好評だったとのこと。嬉しい限りである。
明日は、今年3度目の飛び入りライブ。久しぶりにボブ鈴木がやってくる
January 20, Thursday 2005
前半英語教室。後半店に下りていくとクラシックが流れている。案の定、土屋先生と漆原先生が6番テーブルにすわっている。それにもうひとり、初めてお会いする、いや、どこかでお会いした方がすわっている。辰野病院のレントゲン室にいると聞いて納得した。
今晩聞いた音楽。グレン・グールドでバッハの「インヴェンションとシンフォニア」、アルトゥロ・ ベネデッティ・ミケランジェリのピアノをフィーチャーしたベートーベンの「皇帝」、トン・コープマンとティニ・マトーのハープシコードによるバッハの「フーガの技法」。最後は、モーツアルトの「レクイエムニ短調」。カール・リヒター指揮。
漆原先生曰く、「バッハの音楽は天上のもので、モーツアルトの音楽は天上と人間を結びつけるもの。ベートーベンは人間の喜び哀しみを音楽にした」。クラシック音楽に疎いぼくだが、なんとなく分かるような気がする。
バッハが生まれたのが1685年。同じ年に生まれた有名な音楽家は誰かと漆原先生が問う。ルネッサンスの時代だということで、当てずっぽうに「イタリアのスカーラッティ」というと「当たり」だという。もうひとりはドイツで生まれたというので、「ヘンデル」というと、これも当たりだという。まぐれにふたりとも当たってしまった。
スカーラッティという名前を知っていたのは、UCSBで受講した音楽の時間に、「オーチェサーテ、ディーピアガールミ、オーラショテミーモリール」とイタリア語で歌った歌がスカーラッティ作だったからだ。なぜかこの歌は印象に残っている。40年近くも前に音楽のクラスで歌った歌を今でも歌詞を見ないで歌えるというのも不思議だ。
レントゲン技師の林さんは、ぼくの母のことを覚えていた。何度かレントゲンを撮って下さったとか。母は晩年、何度か骨折した。肺炎も何度も患った。ぼくが昨年12月、突発性難聴でMRIの検査を受けたときは別の技師だったようだ。
11時過ぎ、店を閉めて外に出ると粉雪が舞っている。積もらなければいいが。
土曜日の飛び入りライブ、ボブ鈴木から、友だちを誘って歌いにいきたいと連絡が入った。
January 19, Wednesday 2005
オーリアッドに入る前にスイミングに行った。ジャグージーに入っていると、後ろから「こんにちわ」という声がする。振り向くとNさんだ。「コンサートよかったですよ」。Nさんはほぼ毎日スイミングにいくようで、ぼくはめったにいかないが、いくたびに一緒になる。コンサートの数日前にも会い、宮木公民館でのコンサートについて話しておいたのである。「娘さんと一緒にきて下さって、ありがとうございました」というと、怪訝そうな顔をして、「娘じゃなくて、女房ですよ」という。てっきり娘さんかと思った。
久々に Dr. Yajima がきて、国際交流協会の機関紙をもってきてくれた。ニュージーランドのワイトモ・ディストリクトと辰野町が姉妹都市になって今年が10周年とか。10年というのは長いようで短い、短いようで長い。
遅くなって長島功さんが、先日のコンサートで販売したCDと本の残りをもってきたくれた。彼のお母さんも聞きにきていて、「歌を聞いて泣いたのは初めて」といったとか。彼のお母さんはぼくの母をよく知っている。また、役員の方々からもコンサートをしてよかったという声が多かったらしい。ありがたいことである。
今日はオーリアッド特製カレーに玄米ではなく、ナンをつけて出した。好評だった。ぼくも夕飯にカレー&ナンを食べたが美味しかった。ナンと玄米を選択できるようにするか思案中。
January 17, Monday 2005
午後2時少しまえ、電話が鳴った。「ビョウインショクインクミアイですが」と聞こえた。病院職員組合から何の電話だろうと思った。講演かコンサートの依頼かと思ったが、どうも要領をえない。何度かとんちんかんな受け応えのあと、「料飲食店組合」ということがわかった。しまった!2時から飲食店組合の新年会があった。急いで服を着替え(それまでパジャマのままだった)、いさみ寿司本店へ。
さすがに飲食店組合の新年会。料理が美味しかった。カニ、土瓶蒸し、お寿司、お造り、焼き魚、てんぷら、まだあったが思い出せない。
ビンゴでは、トイレの消臭剤があたった。
何よりもよかったことは、いろんな人たちと話ができたこと。4月から早朝野球をやらないかと誘われもした。うーん、朝5時半から野球をする元気はないが、田中誠一君が、彼の野球チームと辰野の野球チームと試合ができたら面白いといっていたのを思い出した。その話をすると、「それはいい、是非やりましょう。野球のあと、パークホテルで交流会をして、温泉に入ってもらって・・・」と話がどんどん進んでいく。
今年はぼくも久々に野球をすることになるかもしれない。
*「料飲食店組合」とう名前は聞き慣れないが、飲食店と料亭の組合が合併してこう呼ばれるようになったとか。辰野以外にはあまりないらしい。
January 16, Sunday 2005
辰野町公民館宮木分館主催の「ふるさと講演会、三浦久コンサート」は、大雪の中、多くの方々が参加して下さり、いいコンサートになった。嬉しかったのは、宮木区以外からもたくさんの人が参加してくれたこと。松本、宮田村、南箕輪村からも来てくれた人がいた。
「ふるさと」にまつわる歌は最近あまり歌っていないので、時々、コードや歌詞を間違えたところがある。特にアンコールで歌った「旅立つおまえに」は、歌詞を書いた紙が見つからず、途中、その場で一部作詞しながら歌った状態で、さんざんだった。でも全体的には、いいコンサートだったと思う。
感動したのは、聴衆のみなさんと歌った「ゴンドラの唄」。最後、1番をみなさんだけで再度歌ってもらったが、男性と女性の声がきれいに交じり合い、きれいだった。一緒に歌った「ふるさと」では長島功さんにギターで入ってもらった。
January 15, Saturday 2005
開店直後は雪の影響はないように思えた。降ってはいたが、すぐ溶けてしまって道路に積もる様子はなかった。しかし、しばらくすると、みるみるうちに積もり始めた。
7時を過ぎても歌い手はこない。この雪では仕方ないだろうと、明日のコンサートの練習のため、日頃歌っていない歌を中心に誰もいない客席に向かって、ワンマン・ソロコンサート。「万水川慕情」「俺が生まれて育ったとこは」「年をとって歯が抜け」「旅立つおまえに」「薫子」など。
後半になって、歌い手が次々登場。辰野町在住の人たちだ。長島功さん。赤羽真理さん。それに大月高志さん。長島さんはオリジナル曲の「最後の手紙」、それにさだまさしの「ふるさと」。オリジナル曲は改訂を繰り返している。よくなっている。
赤羽さんは「放浪者の子守唄」「森の小道」そして「千両梨の実」。赤羽さんは今晩下諏訪へ上田正樹のコンサートを聞きにいってきたとのこと。その影響か、歌い方が渋くなっている。「千両梨の実」は特によかった。
大月さんはギターインストラメンタルでオールナイトニッポンのテーマ曲「ビタースイートサンバ」と「グリーンスリーブズ」。前者を聞いたとき、70年代の前半から中ごろにかけて深夜放送をよく聞いていたころのことが思い出された。
そのあと、長島さんが「無縁坂」。そしてぼくが、赤羽さんのリクエストに応えて「風に吹かれて」。上田正樹さんもこの曲を今晩カバーしていたようだ。さらに「明日は遠く」そして「千の風」を歌って今晩の飛び入りライブは終了。11時半、外に出ると、大雪。天気予報ははずれなかった。
今晩は前半と後半に珍しいお客さんがきてくれた。是非またきてほしいもの。
January 14, Friday 2005
今日も寒い一日。お客さんは少ないだろうと思っていたら、後半けっこう忙しくなった。
小野藤沢の中村さんと辰野病院の土屋先生は、お互い、オーリアッドで何度か見かけたことはあるが、話したのは今日が初めてのこと。ふたりに共通するクラシックギターの話題に始まり、清水次郎長、山岡鉄舟、南方熊楠、岡倉天心、利休、陸羽と話が広がり、面白かった。彼らのこの分野における知識の豊富さには驚かされる。
帰り際、中村さんの「衣装」に驚嘆した土屋先生のために記念撮影。ウイークデイには普通カメラをもってこないが、充電器をお店においたままだったので、充電しようと、カメラをもってきていた。中村さんは、前世、モンゴルの馬頭琴奏者だったか。
明日は飛び入りライブデー。雪が降るとの予報。今のところ歌いにきたいと連絡をくれた人はいないが、何人かは歌いにきてくれるだろう。
明後日は宮木公民館で「三浦久コンサート」。この日は南信で30センチの積雪が予報されている。特に、楽しみにしていて下さる年配の方々が雪のために来られなくなることが心配だ。
January 13, Thursday 2005
前半、セカンドウインド英語教室。9時過ぎオーリアッドに入る。宮木公民館の役員の方々がおみえになっていた。16日のコンサートのタイムスケジュールや役割分担などが印刷された予定表をいただいた。
それによると役員の方々の集合時間が午前10時となっている。ちょっと早すぎないかというと、その日は雪が降るとの予報なので、みんなでまず雪かきをしなければならないだろうとのこと。大雪にならなければいいが。
駐車場は石川島の駐車場を借りてあるので心配ないとのことだった。
多くの方々の協力があって初めてコンサートを行うことができる。ありがたいことである。
閉店間際、16日に向けて何曲か練習する。久々に「旅立つおまえに」を歌ってみようかと思っている。
今おまえはおまえの足で
おまえの道を歩き始める
がんばれがんばれ、おまえの未来は
おまえの手の中にある
おまえがこの世に生まれてから
喜びも悲しみも分かちあってきた
小さな手の半ズボンの少年は
今はどこにいるのだろう
頬を打つ風は冷たいけど
春の陽射し降りそそぐ朝
おまえは胸をはり
この町を出る
天竜川、王城山
おまえを育ててくれた町
あこがれだけをカバンにつめて
おまえはひとり旅立つ
がんばれがんばれ、おまえの未来は
おまえの手の中にある
January 12, Wednesday 2005
土曜日以来のオーリアッド。暖房をつけても部屋全体が冷え切っていて、なかなか暖まらない。この冬一番の冷え込みではないだろうか。
ジュディ・コリンズ、次にタウンズ・ヴァン・ザントを聞きながら、長野ジャーナルのエッセイを書く。完成するにはもう少し時間がかかりそう。
荻原碌山に影響を与えた人に井口喜源治という人がいる。彼の詩に「次郎」という詩がある。文語調の長い詩である。ずっと前、この詩にメロディをつけて歌ってみたことがある。ことばを見ればおよその意味がわかるが、音として聞いただけではわからないところが多い。それで、ことばを分かりやすくし、さらに、三分の一ほどに縮めてみた。
スキーの帰りだといって寄ってくれた長島功さんに聞いてもらう。「文語調なので逆に新鮮」とのこと。「碌山」を歌ったあと、井口喜源治について語り、この歌を歌うといいかもしれない。1月16日(日)に宮木公民館で行われる「ふるさと講演会、三浦久コンサート」で歌ってみようか。
水豊かなる万水川の
ほとりにわれは生まれけり
川辺の柳うちけぶり
すみれのにおう春の朝
万水川は「よろずいがわ」と読む。
閉店後、家に戻り玄関先の温度計を見たら−8℃。寒いはずである。明日の朝はさらに冷え込むだろう。
January 8, Saturday 2005
今年最初の飛び入りライブ。新人の出演もあり大いに盛り上がった。トップバッターは、開店直後に入ってきた堀内千晴さん。「故郷の春」(韓国語)と「ともしび」(ロシア語)の2曲。次に長島功さん。彼がこの時間帯に歌うことは稀である。今日は、宮木公民館館長の高倉さんを含め、何人かの役員が顔を揃えたので、早い段階の出演となった。「掌」「転宅」。前者は以前にも聞いたがいい歌だ。次に、赤羽孝昌さん。何を歌うかと思ったら、「千の風」だった。車の中でCDにあわせて歌っているらしい。次回は、ギターの伴奏をつけさせてもらおうか。
次にぼくが赤羽さんの「千の風」を受けて、またぼくの歌を聞いたことがないという公民館長さんに聞いてもらうため、「千の風」「丁度よい」そして「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。ぼくのあとに、水野哲男さん、赤羽真理さん、禅茶さん。
水野さんは「白馬村を離れるときにつくった歌」「君の声が聞こえない」など3曲。以前にも聞いたことのある「君の声が聞こえない」が、今回説得力をもってせまってきた。赤羽さんは「千両梨の実」。いつ聞いてもいい歌だ。そろそろ次の新曲も聞いてみたい。
禅茶さんはかなり早い時間にきて一番テーブルにすわっていたのに、WISHの松沢さんにいわれるまで歌を歌う人だとは気づかず失礼した。WISHのHPでその風変わりな名前を何度か目にはしていたが、ずっと男の人だと思っていた。今回はWISHを聞きにきたのでと固辞されたが、お願いして歌ってもらう。「問いかけ」という歌を歌う。独特の世界をもっているようだ。
次にWISH登場。「東京」「すこやかに」「風のInitialization」。「すこやかに」はいつ聞いてもいい。心が鎮まる。3曲目は、タイトルおよび歌詞のinitialize が initialization に変わった。最初びっくりしたが、聞いているうちに違和感がなくなった。
次に登場したのがシュビドゥバ・タケイさん。「Bloody Night」「Big Rainbow」「星になった君に」。2曲目は新曲。挫折を繰り返しながらもミュージシャンになる夢を追いつづける男の歌。音楽を目指している者は誰でも、多かれ少なかれ、同じような思いを抱いているに違いない。しかし、虹は夢を追いつづけることの中にある。いつまでも歌い続けてほしい。宮沢賢治曰く、求道即道。
若者ふたり、伊藤君と丸山さんがきた。伊藤君は歌詞を書いたノートを間違えてもってきてしまったとのことで歌わなかったが、丸山愛さんが「泣いていたこの場所で」を歌う。以前にも聞いた歌。シュビドゥバさんのあとでは歌いづらかったと思うが、堂々と歌う。一音キーを上げればもっと歌いやすかったはず。
イガランさんがソロ・デビュー。「雨の降る日に」「老人のつぶやき」の2曲。MCは落ち着いていたが、歌うときはちょっと緊張気味。それは、恥をかくことを恐れず、場数を踏むことで克服できるはず。おそらく、12月の今年最後の飛び入りライブでは、彼は堂々とオリジナルを歌っているに違いない。
ここで芦部さんの新曲を聞きたいという声が多く、芦部さんが「君が悲しくて」を歌う。この「君」が誰なのかとシュビドゥバさんは興味深々の様子。
最後に大月さんとイガランさんで「誕生」。「香月!」のレパートリーの中ではぼくの好きな歌のひとつ。今日は香さんがいなかったので、「香月!」ではなく、「月!」ということになる。香さんが「香」、大月さんが「月」とすると、イガランさんは「!」なのか。
10時20分、演奏終了。その後、12時近くまで歓談。ぼくは1月16日(日)のコンサートのことで、宮木公民館の役員の方々と話し合う。「第2回ふるさと講演会」と銘打たれているが、去年講演会をするまでは、宮木区の神社仏閣などの歴史的建造物や遺跡をを訪問するイベントであったとか。それを講演会に、そして更にコンサートに変えるにあたって、さまざまな意見が出たとか。コンサートをやろうと決めた彼らの期待に応えるためにも、いいコンサートにしたいものである。