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Saturday, October 31, 2015

「夜明け前」とちょっといい話。ここしばらく、あわただしい生活に加えて体調も思わしくなく、準備が十分にできなかった。実際、次に歌う予定の歌詞が見当たらず慌てたことも。 声をかけてくれた林君の期待に応えられたかどうか心配だが、ぼくの歌をあまり聞いたことのない方々に聞いてもらう機会が与えられたことに感謝。熱心に聞いてくださった年配の女性 (aka おばあさん)からおひねりをいただいいた。家に戻ってあけてみたら2000円も入っていた。お名前と住所がわかれば、お礼ができるのだが。







Open Mike
変則的オープンマイク。8時開演。初回出演順に(敬称略):赤羽真理、小林光夫、垣内彰、三浦久、林知洋、大槻○○、三浦薫子。2ヶ月ほどの拘置所体験談など、今夜は興味深い話が聞けた。垣内さんはスーツ姿が決まっていた。そうそう参加予定だった堀越さんは6時からのイベントには顔を出してくれたが、オープンマイクは参加せずにお帰りになった。
















Friday, October 30, 2015

今朝も朝起きて写真を撮りに出る。本当に秋が深まってきた。



disc 4の後半11曲を送ったのは夜になってから。少し肩のに荷が下りた。今日も風邪が悪化しないように、あらゆる予防薬、治療薬を試みる。夕飯に家人が今シーズン初の鍋をつくってくれた。鱈、牡蠣、糸こんにゃく、豚肉、白菜などの入った鍋。身体が温まった。明日は何とか歌えそう。

明日のオープンマイクは、家人も明日は朝から夕方までカウンセリングの会で松本へ行くとのことで、午後7時45分開場、8時開演に。久々に堀越さんが来てくれるようである。


Thursday, October 29, 2015

終日翻訳。かなり進む。 disc 4 の後半11曲は明日送れそう。数日前から鼻水が出て喉がいがらっぽい。今風邪を引いていられない。土曜日にはイベントで歌うことになっている。葛根湯、蜂蜜レモン、シオノギのPL、うがい薬など家にあるありとあらゆる風邪にきくというものを摂取する。ありがたいのは熱がないこと。


Wednesday, Octob er 28, 2015

夜のうちに雨が降ったようで、雨上がりの朝の裏山はしっとりと濡れてきれいだ。紅葉も徐々に進んでいる。





午後2コマのクラス in Matsumoto。6時前に帰宅。翻訳の継続。8時前、オーリアッドにいる家人から電話。「田中先生がお見えになってるよ」とのこと。歌声喫茶のお茶の時間を手伝うために行くことにしていたが、急いでオーリアッドへ。田中先生は顔の色艶もよく、お元気そうだった。新しい環境はそうとう居心地がよさそうだ。



9時過ぎもどり、翻訳の再開。勝負はあと2日。


Tuesday, October 27, 2015

小山雅嗣さんからアルバムジャケットのサンプルが送られてきた。さすが素晴らしいできである。気に入らないのは写真の中のぼくの顔。これはいかんとも仕方ない。

disc 4 の後半11曲の翻訳を始める。難しい。インターネットのない時代にはもっと大変だった。辞書にしても、分厚い辞書を何冊も机の周りにおいて、ああでもない、こうでもないとページをめくったもの。今はその点、オンラインの辞書があって助かっている。よく使うのは:

1.Weblio
2.英辞郎
3.Dictionary.com

今夜は満月。王城山の上に上った満月の写真を撮る。




Monday, October 26, 2015

朝起きて、外へ写真を撮りに出る。青空がいつにもましてきれいだ。



午後、2コマのクラス。最初のクラスでは、1時半から防災訓練があるので、サイレンが鳴ったら全員机の下にもぐるようにとの連絡が先週のうちにあった。学生はサイレンとともに机の下にもぐりこんだ。そこで1枚。



帰路、銀杏の木立がきれいなところがあった。車を止め、写真を撮る。このあたりは本当にきれいだ。松本へいくときの山麓線、南箕輪村へいくときの農道と、春夏秋冬いずれの季節にも楽しませてもらっている。







夜、翻訳。とりあえずdisc 3 の訳を送る。残るは disc 4。これが手ごわい。


Sunday, October 25, 2015

女鳥羽川沿いのライブハウス Give me little more に、シドニー在住の田中研二さんのライブを聞きに行ってきた。少々道に迷ったが、開演に間に合った。彼の生演奏を聞くのは初めて。シドニーから戻り、今日がツアー6日目というから、疲れがたまっているころだと思うが、感動的なライブだった。フラットピックを使ってのラグタイムギター、それに骨太のボーカル。それにきわめて含蓄のある歌詞。なんとなくひがしの君を思わせる。一番気に入った歌は2年前に亡くなったお父さんのことを歌った歌。かつて信州大学に在籍していたという彼には松本のことを歌った歌も多い。その中では「すすき川の流れるところ」がよかった。



ひがしの君の歌「ブラート・オクジャワについて」の中に、何度も繰り返される「たんたんと立ち、枯れ木のように歌う」というフレーズがある。田中さんは、すわってはいたが、まさにブラート・オクジャワを思わせる歌い方だった。聴衆をのせようとか、冗談をいって笑わせようとか、うまく歌って感銘を与えようとか、そういう「野心」のようなものが感じられなかった。まさにたんたんと2時間あまり歌って、たんたんと終わった。そしてそれはぼくにはとても好ましく思えた。

翻訳の締め切りが迫っているので、少し迷ったが、行ってよかった。


Saturday, October 24, 2015

オープンマイク、初回出演順(敬称略):近藤義也、丸山眞由美、丸山真美香、丸山俊治、坂井俊水、長島功、赤羽真理、久、原田和夫、丸山バンド、林知洋。

三浦の高校時代の同級生であり、長島君の高校時代の数学の先生である近藤君を迎えてのオープンマイク。いい音色のクラリネットを聞かせてくれた。Meditation from Thais, Traumerai, 浜辺の歌など。また来て欲しいものである。


























Friday, October 23, 2015

朝食後、家のまわりの写真を撮ったあと、チューリップの球根を20個植える。一週間ほど前、松本のケイヨーD2で買ったもの。東側の土手をなおしたとき、削ったり、重機で踏み潰したりしたりしたので、従来チューリップがあったあたりに植えなおした。以前掘り起こした30個ほどの球根を、家人が2週間前に植えなおした横。春、どんな花を咲かせるか楽しみである。





菊もようやく咲き始めた。3の畑に1本づつ植えた菊はこんもりした大きな毬のようになった。もう少ししたらもっときれいになるだろう。





夜、遅れていた翻訳再開。急がなければ。

明日のオープンマイクでは高校時代の同級生の近藤君がクラリネットを吹きにきてくれる。楽しみだ。家人の話だと、彼の奥さんは息子たちが辰野西小学校に通っていたころの先生かもしれないという。そういえば、そんな話を聞いたことがある。


Thursday, October 22, 2015

朝起きるとすぐ、あるいは朝食後、カメラをもって外に出ることが最近の日課になった。日ごとに秋が深まっていくのが分かる。今朝はライラックの葉のまわりが茶色に変色していることに気づいた。やがて完全に枯れて、落葉するだろう。オレンジ色のきれいな花をつけるツツジの葉もほんのり色づいている。白樺の木からは、風が吹くたび、ヒラヒラと葉が落ちる。まさに秋 fall である。









石崎さんからマスタリングをすませた新しいCDの音源が届いた。早速聞いてみた。とてもいい。中でも一番心を打たれたのは長男のために書いた「旅立つおまえに」である。やなぎさんのバイオリンがなんとも渋い。「あの果てしない大空へ」では辻井さんのピアノが素晴らしい。アルバム全体を、遺書あるいは遺言のようなものにしたいというぼくの意図は半分以上叶えられている。「やぎたこ」のお二人、小山卓治さん、それにエンジニアの石崎さんのおかげである。特に曲順については、ぼくの案に断固反対してくれたやなぎさんのおかげである。この曲順でなければならない。


Wednesday, October 21, 2015

今日は小型カメラをしのばせていった。但し、授業開始10分前に到着したので、時間があまりない。印刷もしなければならない。それで歩きながら片手で撮った。構図も何もない。それでもキャンパスの紅葉の雰囲気がわかってもらえるだろう。信州のこの時期は本当に美しい。

午後2コマのクラス。暑いほどの陽気である。







夜、先週から始まった「相棒」を見る。1回目は見ることができなかったが、家人のいうには新しく相棒になった反町隆史という俳優がとてもいいと言う。プロットは初期の「相棒」に通ずるところがあっていいと思ったが、ちょっと荒唐無稽な筋書きのように思えた。それでも相棒3よりずっといい。正直なところ相棒3はほとんど見ていない。相棒役の俳優がどうしても好きになれなかった。今度の俳優についても何も知らないが、雰囲気がいい。主役を食ってしまいそうな勢いである。

コヤマさんが凍結した写真を送ってくださった。解凍に手間取ったが何とか見ることができた。いくつか気に入った写真があったが、もう少し他の写真も見せてもらいたいと思った。harness で歌ったときの写真など。


Tuesday, October 20, 2015

朝、思いがけない人から電話があった。高校時代の同級生の近藤君である。彼は長距離走者であり、剣道の達人だった。数学が得意で、長年高校の数学教師をしてきた。クラシック音楽も好きだった。彼がクラリネットを吹くことは知らなかったが、高校のとき彼から数学を教わったという長島君から「近藤先生はクラリネットを吹く」と聞いたことがある。もう何年も前、短大に勤めていたころ、学生募集のためいくつもの高校を訪問したが、そんな訪問の際、彼に偶然会ったことがある。風貌は高校時代と変わらなかった。

今度の土曜日、近藤先生がきてクラリネットを吹いてくれることになった。バッハの曲を吹くという。楽しみだ。

数日前からコンピュータに Ask というタチの悪いマルウエアがくっついて困っていたが、今日は一念発起、駆除しようといろいろなことを試し、半日かかって駆除することができた。こんなことでもある種の達成感を味わった。

夜、齢八十を超えんとする女性から近況報告として3つの短歌が送られてきた。そのうちのひとつ:

  
若き日に慕ひし人ら皆逝きて 残れる夫は手足萎へたり

ぼくも「手足萎えたり」と言われないように、また運動を再開しなければ。

連日の小春日和。いよいよ秋が深まってきた。






Monday, October 19, 2015

朝起きてすぐに「たつの新聞」を見る。昨日の駅伝大会の記事が一面にあった。優勝チームは平出。昨年は宮木だった記憶がある。常勝南部は最近低迷しているようだ。ぼくの村が属している中部は5位。ぼくが走ったときも、子供たちが走ったときも、そのくらいだったと思う。驚いたことに、優勝した平出一区の走者は根橋尊くん。区間賞だ。上伊那縦断駅伝で名を馳せた根橋昌二さんの息子である。根橋さんが生きていたらさぞ喜んだことだろう。

午後2コマのクラス at 南箕輪村。先週は、ぼくが教科書を忘れて慌てた。今日はまず教科書から入る。歌は The Rose。キング牧師の I Have a Dream は、一番有名なところを解説。

夜、ようやくコヤマさんにアルバムの歌詞を送る。

今朝撮った写真。連日の好天。しかも暖かい。まさに小春日和である。





Sunday, October 18, 2015

朝、町内一周駅伝があり、しばらく東側の土手から眺める。この駅伝には、辰野に戻ってから、ぼくも長男も次男も、選手として参加したことがある。中学生のときも宮木の選手として出たことを覚えている。上島の中央線の踏み切り前後で砂利道に足を滑らせて転倒したことも。







駅伝が通り過ぎたあと、母の実家の法事に家人とともに出席。お寺での法要のあと、墓地へ行き納骨。そのあと、町の料亭にて会食。味覚の秋。美味しいものをたくさんいただいた。





夜、アルバムの歌詞カード、ライナーなどをまとめようとしたが、but in vain.。アルバムタイトルもなかなか決まらない。offnote の神谷さんに電話をして確かめたところ、11月20日ごろまでに用意できれば、12月18日のマンダラ2には間に合うとのこと。出来るだけ早く、コヤマ・マサシさんに原稿を送らなければ。


Saturday, October 17, 2015

オープンマイク。初回出演順に(敬称略):坂井俊水、原田和恵、大住尊光、赤羽真理、原田和夫、三浦久、三浦薫子、林知洋。


















Friday, October 16, 2015

昼前に村を一回り、というよりは、上の段の途中まで、写真を撮りながら歩く。藤沢さんが、剪定した小枝を燃やしていた。のどかな風景。他には誰にも会わなかった。





夜遅く、翻訳の半分を送る。あとは未訳分の音源の届くのを待つのみ。


Thursday, October 15, 2015

朝起きたら、風邪の症状がなくなっていて、一安心。

9時10分前、町の病院へ。2ヶ月に1度の定期健診。特に問題なし。血圧の薬と排尿困難改善の薬ハルナールを処方してもらう。ハルナールほど劇的に効く薬を知らない。逆に言うと、この薬を切らしていると排尿がおもうように行かず大変。

午後、2コマの授業 at 南箕輪村。授業終了後、伊那市役所近くの眼鏡市場へ。補聴器調整のため。CD制作の過程でプレイバックすると高音が強すぎて音のバランスが悪いことに気づいた。高音を少し下げ、全体を上げてもらう。帰路、大好きなマーケットに寄って買い物をしようと思ったが、暗くなり始めていて心細い。どこにも寄らずに帰ることに。

しなければいけないことが山積しているが、今夜は早く寝て、明朝することに。


Wednesday, October 14, 2015

午後2コマのクラス in 松本。残念なことにカメラをもっていかなかった。キャンパスが紅葉で綺麗だった。あがたの森公園も。

レコーディングが昨夜遅くまであり、今朝は授業の準備、そして午後2コマ、3時間。2コマ目のクラスの途中からしんどくなった。頭が痛くなり、くしゃみがとまらない。帰路は2度、車を止めて休んだ。明日は月曜日の振り替え授業、それに翻訳の締め切りもきている。万事休すかと思ったが、何が効いたのか、夕食後2階に上がって仕事を始めたらすこし楽になった。

1粒にレモン33個分のビタミンCが入っているというというサプリメントを2錠、つまりレモン66個分をとったのがよかったのか。先日金子昭二さんからいただいた蜂蜜で蜂蜜レモンをつくって飲んだのがよかったのか。それとも病院で処方してくれるがあまり普段は飲まない葛根湯がよかったのか。明日目覚めたら、完全になおっていてほしいものである。

夜、曲順を考えてみた。やなぎさん推薦の曲順でCDに焼いてみた。これを少し手直しすれば、いい曲順になるかもしれない。ぼくが推していた曲順は少し重苦しいかもしれない。家人のアイディアもやなぎさんに近い。

ヤクルトが負けてしまったようだ。明日以降是非がんばってほしい。たまにしか優勝争いに加わらないヤクルトの選手は、イザとなると緊張してしまうかも。


Tuesday, Ocotober 13, 2015

新しいCD のレコーディング。2nd session。石崎さんとやなぎさんと辻井さんにきてもらい、何箇所か修正する。修正というよりも、歌だけ数曲完全に入れなおした。クリックを使って録音しておいてよかった。彼らのおかげで素晴らしいアルバムになる予感。










Monday, October 12, 2015

今日は体育の日で祭日。学校はお休み。今日の振り替え授業は10月16日の木曜日。忘れないようにしなければ。

電子レンジが壊れてしまった。長い間わが家では電子レンジは使っていなかった。電子レンジが発する電磁波が身体に悪いという説を信じていたからである。しかし、いつごろからだろうか、7,8年前か、使い始めた。一旦使い始めたら便利なので、壊れてしまうと不便だ。早速午後隣町の家電店へ。あまりたくさん機能のついていないものを購入。同時に、ヘッドフォンも買ってきた。

夜、そのヘッドフォンで新しいアルバムを聞きなおす。明日は石崎さんとやぎたこさんが9月の録音した音の微調整のためにやってくる。曲順をどうするか、アルバムタイトルをどうするか考えなければならない。

「電線の鳥」はなかなかいい。しかし、これをアルバムタイトルにするわけにもいかない。

夕方、松茸をいただく。明日は松茸ごはんをご馳走できそうだ。


Sunday, October 11, 2015

朝食後、昨夜の後片付けにオーリアッドへ。お昼は、昨日いただいた新米のご飯に海苔と漬物。ご馳走である。秋の恵み。

終日、翻訳。納得いく言い回しがなかなか出てこなくて時間がかかる。


Saturday, October 10, 2015

今村神社、秋の例祭飾りつけ。今年から幟も提灯も新調された。隣組7・8組が飾りつけ当番。







                    ■

オープンマイク。初回出演順に(敬称略)、粟津原由子、金子昭二、三浦久、坂井俊水、原田和恵、赤羽真理、デレク・ハースト、インザウインド(Mr. and Mrs, Kikuchi) from Fukushima 、林知洋 and his friend from Shinshu Unversity.

福島から In the Wind をお迎えしてのオープンマイク。お客さんもいつもより多く、いい夜になった。In the Wind の演奏は、「赤とんぼ」「「ひまわり」「カナリア」など、オリジナル曲が説得力があってよかった。

デレクの歌を聞くのは本当に久しぶり。新曲 For the First Time も、オーリアッドのオープンマイクに言及したSaturday night at 7 o'clock ということばから始まるMoonrise もよかった。






















Friday, October 9, 2015

視覚障害者の方々との昼食会。広報などを録音して配布しているボランティアグループ「もみじの会」主催。先ず、「もみじの会」のメンバーによる朗読があった。小澤さん、岡本さん、林さん、赤羽さんが朗読した文章はいずれも素晴らしかった。林さんが読んだ八千草薫さんの文章はユーモアに溢れていた。あの永遠の乙女には見事な文才もある。天は二物を与えたもうか。





今年は例年に比べて若干参加者が少なかったが、和気藹々としたいい会だった。食事をいただきながら、全員「私の昭和30年代」について語った。どなたも貧しさに言及した。水道が村に通ったときの喜び、テレビが家についたときのうれしさなど、今ではあたりまえのことだが、みなに共通したものだった。昭和30年代は決して貧しい時代ではなく、きわめて「豊かな」時代だったと思う。

                ■

旧道から上がる坂に枕木で階段をつくってもらった。一昨日できたのだが、あまりにも段が高すぎて上りづらい。今日は少し手直ししてもらった。枕木が足りなくなったので、取り寄せるのに数日かかるとのこと。ぼくのイメージではもう少し横幅があると思っていた。ちゃんと上れれば、少しは狭くてもよしとしなければ。昔のように、牛や馬が通るわけではないので。



明日は福島から In the Wind のお二人を迎えてのオープンマイク。久々にデレクも歌いにきてくれる。楽しみだ。


Thursday, October 8, 2015

終日翻訳。合間に、庭木の剪定、網戸の片付け、煙突の掃除。冬支度。

夜、オーリアッドへ。ジブランの会。灯りがついていたのでと、お客さんが入ってきた。昔ほたる書房でアルバイトしていたOさん。現在は銀行員。国会議事堂前での抗議運動に参加してきたと熱く語る。田中さんにつていの短い文をお願いする。


Wednesday, October 7, 2015

7時50分に家を出て、伊那中央病院に8時半少し前に到着。昨年も感じたが、この病院は先生も看護師も事務局もみんな極めてプロフェッショナル、エフィシャントだ。消化器内科の井上先生にお会いし、次の検診およびポリープ摘出の日を決める。11月5日ということに。

そのあと一旦家に戻り、11時半、松本へ向けて出発。山麓線からの松本平の景色が素晴らしい。あまりの美しさに、車を止めて、何枚か撮る。





午後2コマのクラス。北山修さんの英語勉強法について書かれた本の一節を読む。英語の勉強で一番役に立ったのは「学生時代に英語の曲を歌っていたことですね。英語の言い回しを記憶するのに大変役にたったように思うし、英語文化に対する感覚を養ってくれた」。インタビューアーの「どんな曲がお勧めですか」という質問に、彼は「500マイルだな、フォークソングの」と応えている。そこで、今日はPPMの「500マイル」の映像を見て、一緒に歌う。確かにこの歌のいい点は繰り返しが多く、覚えやすいことだ。

帰路、アルプス市場と内田ファーマーズマーケットに寄る。雑茸が欲しいと思ったが、どちらにもなかった。松本を出たときは明るかったのに、家に着いたときはもう暗くなっていた。まさに、つるべ落としの秋の夕暮れ、である。

夜、BSで偶然、満州国皇帝の弟と結婚した伯爵家令嬢の人生を描いた番組を見た。通常こういう番組はあまり見ない。歴史的なドラマも好きではない。でもこれはよかった。


Tuesday, October 6, 2015

朝食後、3の畑から菊を4本移植。これで前回移植したものを含め8本移植した。変わった色の菊。他の菊はまだすべて蕾のまま。



小春日和。温かい。トンボがベンチの手すりで日向ぼっこ。





夜、明日のクラスの準備。明日は、8時半までに伊那中央病院へいかなければならない。昨年暮れの手術後1年の検査日を決めるため。大丈夫とはおもいながら、「問題ないです」と言われるまではちょっと不安。


Monday, October 5, 2015

午後2コマのクラス。バックパッカーのギターを忘れ、アカペラで 500 Miles を歌う。やはりギターがないと歌いづらい。先週金曜日、クリーンセンターへ大型ゴミを運ぶときに、外に出したままにしていた。この歌は北山修さんが、学生時代英語の勉強に役立ったと語ったことのある歌。単純な繰り返しの多い歌。それがいいのかもしれない。

英語の母音の説明。子音と比べると調音点があいまいなので、教えづらい。「あいまい母音」なる言葉があるが、ぼく自身の理解もあいまい。それだけに勉強になる。


Sunday, October 4,2015

終日、翻訳、合間をみて、庭に出て移植した菊や、昨日家人が埋めたチューリップの球根に水をやったり、午後には、ナツメの実を収穫。ナツメの木には棘があり、注意しないと手を刺してしまう。今年はナツメは豊作で、焼酎漬けにすることに。生で食べてもほのかに甘い。

そうそう、今日は朝7時から 530デイ。トングとナイロンの袋をもって、7時5分前、旧道に下りていく。誰もいない。前回は6時開始だったのに、7時だと思っていて失敗したが、今回は7時開始を確認しておいた。人がいないだけでなくゴミも落ちていない。徳本水に向かって進んでいくと軽トラがやってきた。運転席の窓から役員のKさんが顔を出して言う。「もう終わったよ」。今村時間である。

次の上の写真は今朝撮った写真。下は数ヶ月前に撮った写真。石垣と生垣を取り除いたので、東側は若干狭くなったが、前よりも開放感がある。


 



Saturday, October 3, 2015

オープンマイク。初回出演順に(敬称略)、原田和恵、名取友紀子、坂井俊水、林知洋、三浦久、赤坂修一、名取芳夫、増沢英徳、水口竜吉、田中創、松本ユリカ、水口美奈子。



























Friday, October 2, 2015

昨夜は大荒れの天気だった。一夜明けたら、快晴の美しい日に。空気が澄んで、透明な海の底にいるみたいだ。



朝10時半、大型不燃物を隣町のクリーンセンターへ運ぶ。古い灯油ストーブ、扇風機、掃除機など。帰路、お蕎麦をたべようと赤蕎麦のお店に寄ったら、すっかり変わっていた。バイキング形式のレストランになっていて、きのこ御飯、味噌汁、サラダ、何種類ものサイドディッシュ、飲み物、デザート、それに赤蕎麦のザルもついて1300円。安い。しかも美味しかった。

午後、しばらく午睡をしたのを除いて、終日、翻訳。徐々に進んでいる。

夜、ヤクルトの優勝シーンを見る。過去2年最下位だったチームを監督になった最初の年で優勝させたというのは凄いことだ。


Thursday, October 1, 2015

3の畑に植えた菊が咲き始めた。この色の菊を植えた記憶がないが、咲いているのはすべてこの色である。そのうちの3株を東の土手の近くに移植する。殺風景だった庭が少しにぎやかになった。



昼ごろから雨が降り始め、夜になると風雨ともに強くなった。台風のときと同じように庭のテーブルを片付けた。

終日、翻訳。かつて訳したもののチェック 何箇所か修正したいところが出てきた。

カナダ産松茸の松茸ごはんを、お昼と夕食に食べる。日本産とまったくかわらない。美味しかった。





Wednesday, September 30, 2015

松本キャンパス。後期最初の2コマ。教室が23番から40番にかわっていた。この教室はぼくの指定席のようなもので、長年ここを使ってきた。ここ2年ぐらいは他の教室を割り当てられたが、また戻ってきた。防音壁の部屋で、大きな声で歌っても他の教室の迷惑にならない。

まず最初に、オーストリアへ逃れたシリア人の男性についての Humans of New York からの文章の小テスト。この人はオーストリアに着くとすぐにドイツ語の勉強に専念する。1日17時間勉強した。子供向けのドイツ語の本を一日中読み、発音やヒアリングの力をつけるためにテレビを見、そして、できるだけ多くのオーストリア人と会い話すように努めた。7ヵ月後、彼はオーストリアに帰化できるかどうかの面接を受けた。

The judge couldn't believe it. He was so impressed I'd learned German so soon, that he interviewed me for only ten minutes. Then he pointed at my Syrian ID card and said, "You will never need this again. You are now an Austrian."
判事は信じられないという面持ちだったた。彼は私が短期間にドイツ語を学んだことに感銘を受けたようで、面接はわずか10分で終わった。それから彼は私のシリアの身分証明書を指差し言った。「君にはもうそれは必要ないだろう。君は今日からオーストリア人だ」

帰路、久々に TSURUYAへ。カナダ産ジャンボ松茸をみつけた。大きい。



夜8時前、オーリアッドへ。歌声喫茶のお茶の時間のお手伝い。

すぐに戻り、翻訳作業。寒くなったからか、フィービーがきて膝に乗りたがってこまる。降ろしても降ろしても乗ってくる。


Tudesday, September 29, 2015

メール受信のトラブルが解決した。コンピュータを新しく設定した際に、メールアドレスのディレクトリ容量(Whatever it might be)が、なぜか初期値の200MBに戻ってしまっていて、容量制限にひっかかっていたようだ。昼前、さくらインターネットのカスタマーサービスに電話をして、担当者の指示通りに設定を変更した。ありがたいことに、再びメールが入り始めた。

もしこの1週間ほどの間、ぼくにメールを打って、

--- The following addresses had permanent fatal errors -----

<miura@secondwind.jp>
    (reason: Insufficient permission)

上記のメッセージとともに、メールが戻ってきてしまった人がいましたら、お手数ですが、もう一度メールを打ってください。今度は必ずつながるはずです。

                   ■

家人は仕事で午後、隣町の小学校へ。ぼくは翻訳を少ししたあと、外に出て、重機で傷んだ芝生の手入れをする。芝生のための底土を入れ、種をまき、その上に目土をかぶせた。朝晩かなり寒くなってきた。もう少し早く播くべきだったかも。


二晩続けて、月見をした場所。生垣がないのもいいものである。


この間まで、日中は涼しい日陰を探してまどろんでいたフィービーは、最近は太陽が照っているところを探して日向ぼっこをしている。「ひねもす、のたりくらりかな」である。


明日は松本キャンパス、後期最初の2コマのクラス。予報では明日の辰野の最低気温は8℃とか。日中は20℃を超す。着る物に悩む季節である。


Monday, September 28, 2015

後期の初日 at 南箕輪村。講義棟の耐震リフォームのため教室が変更になり、控え室や印刷室も変わり、少々混乱する。一番の混乱は、ノート型の無線Lan の設定を変えなければいけなかったこと。事務局の方にきていただいて事なきを得た。2コマのクラス。帰路、眼鏡市場へ寄って補聴器の調整をしてもらおうと思っていたが、ノート型設定の方法の説明を聞いていて時間がかかってしまった。遠回りになる眼鏡市場へは行かず、春日街道沿いのコメリでインクを購入し家に帰る。

家のコンピュータは新しくなってから起動も早く重宝しているが、唯一メールの受信がうまくいかなくて困っている。受信できたり、できなかったり。しかし、今日家に戻ってみると、何通か入っていた。そのひとつは対訳依頼。遅くになってまた入らなくなった。明日は「さくらインターネット」に問い合わせてみよう。

昨日が中秋の名月で、今夜はスーパームーン。7時過ぎ、王城山の上にぽっかり浮かんだ大きな月を特等席で眺める。



夜、遅く再び外に出て、頭上高く上がった大きな月を見る。コーヒーを飲みながら。



その後、対訳の準備を少し。大変な作業になりそうだが、楽しみ。


Sunday, September 27, 2015

今日は父の命日。同時に中秋の名月。父は70年前の今日、1945年9月27日、東京湾で嵐にあって亡くなった。ぼくが生まれたのはそれから49日後の11月14日。だから子供のころ、父の存在を身近に感じたことはなかった。父の存在を強烈に感じ始めたのはぼくが父親になってから。父がぼくに渡そうとして落としたバトンをぼくは拾い上げて、息子たちに渡したのである。それ以後、彼らといっしょに走ってきた。そしてあるとき気がついた。父だけでなく、父の後ろに連綿とつづく先祖たちも一緒に走っているのだと。










Saturday, September 26,2015

オープンマイク。初回出演順に(敬称略):丸山俊治、赤羽真理、三浦久、長島功、三浦薫子、原田和夫。
















Friday, September 25, 2015

一日中、雨。

朝から新しいアルバムのラフミックスを何度も聞く。何度も聞くうちに、耳のほうが勝手に修正して聞いているのか、このままでもいいような気がしてきた。やなぎさんと辻井さんの意見を聞いてみる必要がある。

大相撲に波乱があった。危なげなく連勝をつづけていた照ノ富士に土がついた。足首を怪我したようだ。


Thursday, September 24, 2015

朝から曇り空。お昼ごろから小雨が降りだした。夜になっても、しとしと降り続いている。四国では避難勧告が出されるほどの大雨だったとか。

最近の朝の日課は、土手の造成にともなって移植した木や草花に水をやること。そしてベンチにすわり、王城山や国道153号線を眺めること。生垣がなくなったので見晴らしがいい。今朝も、雨が降るかわからなかったので、水をやり、ベンチにすわり伊那谷最北端の景色を眺める。



今朝10時ごろ、「電線の鳥」の「使用許諾が本国より正式におりました」とのメールがソニーミュージックパブリッシングから届いた。ありがたい。ようやく本格的にアルバムの修正作業に取り組める。今まではなんとなく宙に浮いた感じで力が入らなかった。

それで、午後、ラフミックスを何度かていねいに聞く。いくつか修正したいところがあるが、その大部分はぼくの歌唱力の問題。何曲か、あるいは曲の一部を録りなおせば解決するように思われる。あとは、楽器の音を出したり、引っ込めたりすればすみそう。辻井さんのピアノがとてもいい。もう少し前に出したい。ミックスする前の「夢のブックストア」のやなぎさんのバンジョーの音色が気になっていたが、ミックス後はとてもよくなった。

ぼくの歌の修正のひとつは「ガビオタの海」である。「多くのスローガンが声高に叫ばれ」の「声高」を従来「こえだか」と歌ってきた。9月上旬に録音したときもそう歌った。この歌が好きだった田中正幸さんから生前何度か「こわだか」が正しい読み方だと指摘された。ぼくの語感では「こえだか」と「こわだか」は若干ニュアンスが異なる。「こえだか」は単に大きな声で、「こわだか」はそこに攻撃的な響きがある。だからあえて「こえだか」と歌ってきた。しかし、調べてみたら、このことばは「こわだか」が正しいようだ。このアルバムには田中さんのことを歌った「夢のブックストア」も入っている。田中さんの指摘を尊重し、「こわだか」と歌い直したい。


Wednesday, September 23, 2015

昼前、ガレージの裏から東側の土手近くのツツジの間に3ヶ所にわけてアヤメを移植。このアヤメは2年ほど前、1の畑と農道の間にあったものを、ガレージの裏に移したもの。人間の都合であちこち移動させられてかわいそうだが、ガレージの裏では花が咲いても誰にも見られず、しかも雑草に埋もれていた。今日は雑草と一緒に思わず刈ってしまうところだった。

午後、来週月曜日から始まる後期に歌う歌を考える。毎回何か新しい歌を入れたいと思っているが、今回は何を入れようか。

日本とスコットランドのラグビーの試合を見る。前半は健闘したが、後半は雪崩をうったように攻め込まれ、終わってみれば 40-10 の大差がついた。. これがおそらく実力か。


Tuesday, September 22, 2015

夏休みも今週いっぱい。9月28日(月)から後期が始まる。その前に、庭の整理をしたいと、今日は剪定した小枝や物置から出したガラクタを、風もなく穏やか日だったので、3の畑の山際にもっていき燃やす。夕方見に行ったら、まだ少し煙が出ていたがよく燃えていた。



最近、アルミのテーブルと椅子を東側の土手の近くにおいている。王城山や国道を眺めるには丁度いい。工事のために荒れていた芝生も徐々に回復してきた。







夜、NHK総合で「デザイナーベイビー」というドラマを興味深く見る。大学病院の産婦人科医の大変さを垣間見ることができた。ドラマといえば「まれ」も今週いっぱいで終わる。正直なところ、このドラマは途中からまったく興味をなくした。本質というか主題から逸れた荒唐無稽な枝葉が多すぎた。「花子とアン」「マッサン」のように実在した人物についてのドラマのほうがテーマが一貫していて安心して見ていられる。その点、次回の「あさが来た」は期待できるかも。


Monday, September 21, 2015

朝9時半過ぎ、長男を岡谷駅まで送る。家を出る前、立て替えてもらったコンピュータ代を払おうとすると「いらない」という。押し問答の末、好意を受けることに。そろそろやってくる70回目の誕生日のお祝いとして。60回目には、彼から赤いTakamine のギターが届いた。それは今も愛用している。

昼過ぎ、外の仕事。来年のイチゴ用の畝を2つ作る。以前耕運機でV字の溝を掘ったところにもう一度耕運機をかけ、牛糞をいれ、両側から土を寄せる。ぼくの仕事は耕運機と、牛糞を運ぶこと。後は家人の仕事。

さらにノウゼンカズラの生い茂った枝を大幅に切り落とす。すっきりした。3の畑に植えた菊もようやくこんもりと膨らんできた。15本ほど等間隔で植えたが、一緒に生えている雑草を引き抜いたら、2本の菊も一緒に抜いてしまった。そのうち1本は折れてしまった。庭の東側の改修した土手の近くに植えてやる。折れた菊も植えたが、これは根づかないだろう。








Sunday, September 20, 2015

午前中、長男が新しいコンピュータを設定し、古いコンピュータからデータを移してくれた。画面は今までのより横にかなり広い。ぼくには操作がしやすいだろうと Windows 8や10ではなく7を選んでくれたとのこと。それでも今までとは勝手が違うところがあり、慣れるまでにはしばらく時間がかかりそう。うれしいのは起動が早いこととディスプレイの画面が明るいこと。



             ■

昼前、ツツジが植わっていたサンデッキ前の一画を耕し、レーキでならし、芝生の種をまく。これからだんだん寒くなる。うまくついてくれたらいいが。うまくつくと言えば、東側の土手の芝はきれいに生えそろってきた。さすがプロの仕事。





午後、うれしい贈り物。箱に入った松茸とコムソウ。友人の奥さんがわざわざ届けてくれた。聞くところによると、今年は松茸が豊作だったが、ここにきて取れなくなったとか。それで、なくなってしまう前に持ってきてくれたという。感謝。

今夜は早速、松茸ごはん。最近になく美味しく炊けた。



夜、長男から新しいコンピュータの操作を教えてもらう。彼が子供のころ、算数や国語を教えながら、何度教えてもわからないときは、声を荒げて叱責したこともある。今は、立場が逆転。しかし、彼は、ぼくが何度同じ間違いをしても、飲み込みが悪くても、いらいらせず、丁寧に教えてくれる。大声を出されたら、やる気をなくしていたかもしれない。彼は教師になるのは嫌だと、中学時代から言っていた。結局別の道を歩むことになったが、いい先生になっていたかもしれない。


Saturday, September 19, 2015

オープンマイク、初回出演順(敬称略):原田和恵、山元大造、原口克広、川島多希乃、坂井俊水、原田和夫、三浦久、田畑恵一。京都から山元大造、静岡から原口克広、そして安曇野から川島多希乃の三氏を迎えてのオープンマイク。山元くんのギターの音色、弾き方、それに譜面台の置き方まで、豊田君の影響を強く受けていることがわかる。原口さんは1ヶ月前に予約していただき了承していたのに、演奏者のリストに入れるのを忘れていて失礼した。去年4月に続いて2回目の出演。川島さんは、オーリアッドは初登場と思っていたら、お父さんと何度かきていることがわかった。原田和夫さんは、先週に続いて、シベリヤ墓参の旅のお話。お父さんの遺骨を突き止めることはできなかったとのことだが、お父さんが生きて、亡くなった地に立つことができたことは大きな慰めだっただろう。それにロシアの民衆の親切も身にしみたようだ。

















今夜もっとも印象に残ったのは、今年3月まで原口さんの上司だった元静岡地方法務局長の田畑恵一さんの話。震災後に赴任した福島や仙台での体験談。辰野町羽場出身、在住。


Friday, September 18, 2015

今日もモノ探しで始まった。ほぼ半日。あった、あった、足元の床の上。CDの表面に文字を印刷するために使うトレイ。

午後遅くに2時間ほど午睡。ぐっすり眠る。人間の三大欲求が旺盛であるのは、元気ということか。元気といえば、御獄海。西十両五枚目で5勝1敗。御嶽海より元気がいいのが、照ノ富士。6戦全勝。逸ノ城も今場所は健闘している。4勝2敗。

夜、仕事部屋の整理。特に机の上。長男が今夜遅くにきて、明日新しいコンピュータのセッティングをしてくれることになっている。机の上は物の置き場がないほどに種々雑多なものが散乱している。とりあえず不要なものはすべてダンボールに入れる。残ったのは充電器やルーターや、種々の器具の接続ケーブル。



22時34分、長男を迎えに辰野駅へ。車の中でいろいろ聞く。OSはWindows 7で、メーカーは Mouse Computer とのこと。聞いたことがない。なんでも工場は長野県にあるとか。

どんなコンピュータなのか楽しみである。


Thursday, September 17, 2015












Wednesday, September 16, 2015

藤棚の下に、昨日、鉄平石を敷いた。土手の工事にともなって、もう何年も前に長男と二人で坂道の脇に積み上げた鉄平石が不要になったのである。今朝も、何枚かをみつけ、敷く。こうしておけば、少々雨が降ってもぬかるまなくていい。



1の畑の草を刈り、刈払機を片付けようとガレージにいこうとしたところで右手に鋭い痛みを感じた。蜂に刺されたのかと思ったが、蜂の気配はない。見回すと近くのモミジの細枝になにかぶら下がっている。見たこともない虫。おそらくこの虫に手が触れたのだろう。よく見れば不気味な形をしている。右手の人差し指と中指の上のあたりが赤くなり腫れている。家人を呼び、マキロンで消毒してもらう。さらにペパーミントをスプレーしてもらう。痛みは軽減した。あのとき手袋をはずしたのがいけなかった。





facebookでこの虫について問い合わせると、すぐにこれがイラガという蛾の幼虫だと教えてくれた人がいる。さらに幼虫そのものの名前はイラムシで、その激しい痛みゆえに「電気虫」ともいうことがわかった。実際にこの虫に刺された人もいた。どうやら関西以西の暖かい地域に発生するようだ。温暖化で信州でも出るようになったのかも。

午後遅く、庭のサワラの木の切り株を重機でとってもらったあとをならし、芝生の種を蒔き、その上に薄く土をかける。1週間ほどで芽をだすだろう。



石崎さんから、先日のレコーディングのラフミックスが届いた。手直ししたいところがいくつかあるが、予想以上にいい出来で一安心。

「電線の鳥」のカバー申請のため、ソニーミュージックパブリッシングに mp3を送る。vlc から mp3への変換には「困ったときの庄司さん」の助けを借りる。問題なく許可されることを願う。「菅野有恒」を理解してもらうためには、この歌をアルバムに入れる必要がある。

午後、裏の物置の整理。子供たちが使った中学の参考書がたくさん出てきた。数学、歴史、国語、理科、地理など。ぼくの仕事部屋に持ち帰り、勉強することに。今夜はまず「ハイトップ中一数学」を開いたが、最初の解説を読んだだけで眠くなった。


Tuesday, September 15, 2015

家人は仕事で留守。昼食をつくる。野菜チャーハン。ゴーヤ、ピーマン、トマト、人参など、台所にある野菜をオリーブオイルで炒め、ご飯を加えて、塩コショウで味付け。食べて見る。悪くない。


午後、畑の整理。伸びた草をビーバーで刈り、大きく茂りすぎたメキシカンサンフラワーやコスモスも、まだ花が残っているが、かなりの部分刈りとる。大根や野沢菜用に畝を2つつくる。

家人から電話があり、もどるのは7時すぎとのこと。そこで、夕食の準備。彼女が用意しておいたトンカツを温め、松茸味の永谷園のスープの素2袋を多めの水を入れた鍋に入れ、沸騰したところで、刻んだ茗荷を入れる。そこへ戻ってきた。トンカツはやはりレンジで温めたものでなく、作りたてが美味しいようだ。

夕食後、新しい歌を書くために、いろいろためして見る。難しい。もう少し言葉をリズミカルにできたら、曲がつけやすいのだが。


Monday, September 14, 2015

朝食後、東側の土手改修にともなって別の場所に仮植えしておいた花桃や草花をほぼ元に位置に植え直した。今はまったく花がないが、来春にはチューリップをはじめいろんな花が咲くはず。





フィービーは日陰でひねもすのたりくらり。猫はいい。



夜、新曲のアイディアが浮かぶ。最近は泡のように浮かんでは消えてしまうことが多い。さてどうなるか。


Sunday, September 13, 2015

安保関連法案 Stop 集会 at 辰野町町民会館大会議室。












Saturday, September 12, 2015

オープンマイク、初回出演順:原田和恵、坂井俊水、今井輝男、原田和夫、鉄の黒鉄大、春日淳也、赤羽真理、三浦久。



















Friday, September 11, 2015

宮木長久寺にて従姉妹のご主人の葬儀。享年85歳。浄土宗とのことで、何度も「南無阿弥陀仏」を唱えた。弔辞の時間、伊那北高校出身の同年輩の同窓生が5、6人で校歌を歌ったのには驚いた。ふたりの孫娘の弔辞がよかった。精進落としのあと、もう一人の別の従姉妹を岡谷まで送る。







特別に何をしたわけでもないが、家に戻ったら、どっと疲れた。喪主および遺族の方々はもっと疲れただろう。

夜、「一路」を見る。今夜のエピソードはとくに感動的なところはなかったが、「殿」の命を狙う犯人が誰だかわかった。あと2回fr完結。




Thursday, September 10, 2015

11時から納棺の儀。12時に隣組の人たちのお見送りを受けて、伊那市の火葬場へ。この場所へ何度きたことだろう。1時から控え室で待つこと1時間40分。係の人が迎えにきて、お骨を拾う。

夜、ニュースを見て、茨城、栃木で大雨により洪水がおき、多くの人たちが避難したことを知る。鬼怒川の氾濫の映像は、まさに 3.11の津波を思わせるひどさ。明日になれば、さらに被害は拡大しているだろう。

「国民の安全と幸福」のために積極的平和主義を標榜する政府ならば、この災害、そして 3.11の被害の復旧に全力を傾けるべきだ。

夕方、階段の踊り場から見た空の色が綺麗だった。綺麗だったというよりも不気味だったというべきか。







世界中の気候がおかしくなっている。カリフォルニアでは雨が降らず山火事が続発している。日本やバングラデシュでは大洪水。難民問題など政情も不安である。今、戦争をして殺し合っているときではない。殺し合わなくても、いずれ人類は滅亡する。今こそ、互いに手を差し伸べるときである。


Wedenesday, September 9, 2015

朝、かなり強い雨と風。仕事部屋から見える白樺の枝が激しく揺ている。しかし、10時頃から風は収まり始めた。それで長いホースをもってオーリアッドへ。マイマイ蛾の卵を除去するため。もう何年も前から、夏になるとマイマイ蛾が繁殖して、お店の外壁にベッタリと卵を産み付けるようになった。いろいろな方法をためして除去しようとしたが、うまくいかない。とくに高いところは。

夏の初め、歩道にまいていた水をマイマイ蛾の卵に向けてみた。驚いたことに水があたったところは一気に無くなった。マイマイ蛾の卵が一番産み付けられているところは、2階へいくための階段の壁と天井。それで家から長いホースをもってきて、ホースの口を「ストレート」にセットして、一挙に除去した。南側の高い庇の部分は水が届かなかった。別の機会に再挑戦する。

午後遅く、陽が射し始めた。久々の太陽。やはり太陽はありがたい。写真を撮りながら、気分が明るくなるのを感じる。







夜、親戚のおじさんの通夜。享年数えの86歳。最近では長寿とは言い難いが、特筆すべきは、亡くなるまでお元気で、突然倒れ、意識不明に陥り、1週間入院して亡くなったということ。遺族にとっては心残りだろうが、誰もが望む大往生である。


Tuesday, September 8, 2015

今日も、一日雨。家人はカウンセリングの仕事で、隣町へ。ぼくは今朝まず第一に、ソニーミュージック・パブリッシングへ、「電線の鳥」のカバー申請書を送る。問題なく許可されればいいが。

昼過ぎ、雨がなかなか止まないので、傘をさして家人に頼まれていた白菜の苗を植える。種から育てた苗を先日家人が植えたが、かなり虫がくっていたとのことで、昨日若松屋から12本買ってきた。立派な大きな苗。しかし、連日の雨で畑はどろんこバレーボールの田んぼのよう。ぬかるみに足をとられながら、傘をさして、マルチに穴を開け苗を植える。途中から、傘をすて、濡れながら植える。フィービーが様子を見に来た。どろんこの中に入ろうとするので、大声を出して追い払う。

1時間ほどの午睡のあと、傘をさして土手を見に行く。フィービーはお気に入りの台の上にいて、ぼくが外に出たとたん、ついてくる。土手の上に芝がかなり植えてきた。でもまだこれから。東側の土手を直したので、庭から、そしてサンデッキから眺める景色が変わった。ぼくは気にいっている。











家に入ろうとしたら、白い壁に、鮮やかな緑のアマガエルが目に入ってきた。



夜、寝室のドアを開けてすぐのところに、死んだネズミ。フィービーの仕業だ。


Monday, September 7, 2015

今日も、ほぼ一日雨。家人は午前は病院へ、午後はカウンセリングの仕事。レコーディングの直前から家人は体調を崩し、毎日点滴を受けていたが、今日の血液検査の結果、白血球の数が正常に戻ったことがわかり、先生から完治したと言われたとのこと。よかった。

午後、若松屋へ白菜の苗と野沢菜の種を買いに行く。長田くんとしばらく話す。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は2回読んだとのこと。最近多くの不運に見舞われた彼には、この本の内容はあまりに荒唐無稽で、ピンとこないかなと恐れていたが、何かを感じてくれたようだ。

苗を買ったあと、久々に湯にいくセンターへ。今日は空いていた。知っている人は中学時代の同年生佐々木くんのみ。

夜、13日の集会で歌う歌を考える。ぼくの持ち時間は15分。若くして亡くなった白樺派の先生のことを歌った「中谷勲」も歌えるかも。白樺派の先生たちが教室に乃木将軍ではなくトルストイの写真を飾ったのは、戦争反対の意思表示をするためだったと読んだことがある。




Sunday, September 6, 2015

一日中、雨。

レコーディング、オープンマイクと続いてかなり疲れている。午睡のあと、小雨の中、傘をさしながら写真を撮りに出る。今、咲いているのは、夏の花木のメキシカンサンフラワーとムクゲ、それに秋の花、秋明菊。









昨秋サンタローザのルーサー・バーバンク記念館で25種類の花の種が入った袋を買い求めた。今年の春、その袋の種を一斉にまいた。しばらくしていろいろな花が咲き始めたが、現在咲いているのはメキシカンサンフラワーのみ。他の花も咲いているかもしれないが、背の高いメキシカンサンフラワーが繁殖し、すべてを覆ってしまった。来年は、この花の種のみ別のところにまいたほうがいいようだ。

人見知りをする臆病者のフィービーは庭の工事、レコーディングと続き、しばらくの間、ほとんど姿をみせなかった。今日は、安心して家にいて、どこに行くにもついてくる。





朝、<「戦争をする国」STOP! 辰野町の会>のメンバーの方がお見えになって、来週日曜日(9月13日)の集会で歌うように依頼された。夜、何を歌うか考えた。簡単にお引き受けしたが、ぼくの歌の中に、これだ!という歌がない。なんとか日曜日までに、その集会にふさわしい歌を書きたいものだ。


Saturday, September 5, 2015

思いがけず豪華な顔ぶれのオープンマイクになった。初回出演順に(敬称略):原田和恵、山口恵三、やぎたこ、丸山俊治、竹入隆行、三浦久、赤羽真理。後半はセッションが多く、丸山さんと原田さんで「雪のかくれんぼ」、山口さん、丸山さん、赤羽さん、原田さんで「陽のあたる道」。「やぎたこ」は後半4曲演奏したが、最後の2曲は竹入さんがハープで加わった。最後は、全員で山口さんの十八番、「陽のあたる道」の大セッション。

カメラを忘れたために、原田さんと山口さんの前半の写真が撮れなかった。原田さんの写真は、辻井さんに頼んでスマホで撮ってもらったもの。山口さんの写真は松下さんのブログから無断でお借りした。悪しからず。























竹入さんが生まれたところ、そしてぼくが3歳から7歳まで住み、現在も住んでいる今村から5人がきてくれた。彼らは竹入さんの演奏はもとより、「やぎたこ」の演奏も大いに楽しんでくれたようだ。

そうそう、丸山さんがお元気になり、手術後初めてオープンマイクに参加してくれた。まだ少々不都合があるようだが、徐々に元に戻るだろう。鼻の下に髭がたくわえられていた。クラーク・ゲイブルかゲイリー・クーパーか。ますますダンディに。


Friday, September 4, 2015

今朝、土手を見に行って驚いた。8月25日に敷いた芝生の種と肥料の入ったシートから芽が出ていた。おそらくあと2週間もすれば完全に緑の土手が出来上がるだろう。








Thursday, September 3, 2015








Wednesday, September 2, 2015








Tueday, September 1, 2015

今朝、業者がショベルカーを含む道具類をとりにきた。一応これで作業は終わったが、近々ダンプカー1台分の土を入れてくれるとのこと。それに、旧道から上がってくる坂の最後の部分に60センチほどの枕木を6本、階段のように入れてもらうことにした。これはレコーディングが終わってから。

午後、小雨の中、東の隅に山のように積まれていた生垣の木を、家の裏へ運ぶ。少々疲れたが、いい汗をかいた。昨夜から喉がいがらっぽかったけれど、直ってしまったようだ。(数日前に撮った下の写真の左下がその生垣の木)。



いよいよ明日からレコーディング。「菅野有恒」「夢のブックストア」「即宗和尚」がメインの3曲。エンジニアは石崎さん。サポートにお願いしたのは、菅野有恒さんと親しかったやなぎさん、そして彼のデュオのパートナー、辻井さん。それに、小山卓治さんが何曲かギターとヴォーカルで入ってくれることになっている。

ワーナーから出た『漂泊の友』のレコーディングのとき、編曲者の小野崎孝輔さんが「三浦さん、レコーディングは化学反応ですよ」というようなことを言った。『漂白の友』に関していえば、ぼくの実力不足もあって、あまりいい化学反応は起こらなかった。しかし、その中の「宝福寺にて」は最近になっていい化学反応がおこっているようだ。

その化学反応はレコーディングのそれというよりも、人のつながりの化学反応といったほうがいいのかも。このときのディレクターだった栗山章さんはワーナーに移る前、日本コロムビアで舟木一夫さんの「高校三年生」をディレクトした人。栗山さんからは生前そのことについて一言も聞かなかったが、『漂泊の友』が出たあと、舟木さんがNHKの「二人のビッグショー」で「宝福寺にて」を歌ったのはそのことと無縁ではないだろう。

スティーブ・ジョブズは大学を半年で退学した。そのあと、もぐりで西洋装飾文字のクラスを、それが将来役にたつかどうかではなく、それが美しいからという理由だけで、聴講した。そのことが後のマッキントッシュの画期的なフォントにつながった。「もし私が大学を中退していなければ、装飾文字を学ぶことはなかったわけですから、いかなるパソコンにも現在の素晴らしいフォントは導入されていなかったでしょう」と述べている。そして彼は言う:

将来を見て、点と点を結ぶことはできません。結ぶことができるのは、振り返ったときのみです。できることは、点と点は将来いつか結びつくと信じることです。何かを ― 直感、運命、人生、カルマ、何であれ ― 信じることです。なぜなら、そう強く信じることで、それが世間一般のやり方と違っていても、自分の心の願いに従う自信をもつことができるからです。

今回のまだタイトルが決まっていないアルバムにも、いい化学反応が起こることを願っている。菅野さんとやなぎさんの関係、数年前の小山卓治さんとの出会い、を考えると、すでにいくつかの点と点が結びついている。そうそう、『漂泊の友』のエンジニアは当時ワーナーに入社したばかりの若い石崎さんだった。40年以上の年月を超えた点と点のつながりである。あとは、ぼくがどれだけ無心に歌えるかどうかにかかっている。

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