OREAD Diary
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Wednesday, September 30, 2015
松本キャンパス。後期最初の2コマ。教室が23番から40番にかわっていた。この教室はぼくの指定席のようなもので、長年ここを使ってきた。ここ2年ぐらいは他の教室を割り当てられたが、また戻ってきた。防音壁の部屋で、大きな声で歌っても他の教室の迷惑にならない。
まず最初に、オーストリアへ逃れたシリア人の男性についての Humans of New
York からの文章の小テスト。この人はオーストリアに着くとすぐにドイツ語の勉強に専念する。1日17時間勉強した。子供向けのドイツ語の本を一日中読み、発音やヒアリングの力をつけるためにテレビを見、そして、できるだけ多くのオーストリア人と会い話すように努めた。7ヵ月後、彼はオーストリアに帰化できるかどうかの面接を受けた。
The judge couldn't believe it. He was so impressed I'd learned German so
soon, that he interviewed me for only ten minutes. Then he pointed at my
Syrian ID card and said, "You will never need this again. You are
now an Austrian."
判事は信じられないという面持ちだったた。彼は私が短期間にドイツ語を学んだことに感銘を受けたようで、面接はわずか10分で終わった。それから彼は私のシリアの身分証明書を指差し言った。「君にはもうそれは必要ないだろう。君は今日からオーストリア人だ」
帰路、久々に TSURUYAへ。カナダ産ジャンボ松茸をみつけた。大きい。
夜8時前、オーリアッドへ。歌声喫茶のお茶の時間のお手伝い。
すぐに戻り、翻訳作業。寒くなったからか、フィービーがきて膝に乗りたがってこまる。降ろしても降ろしても乗ってくる。
Tudesday, September 29, 2015
メール受信のトラブルが解決した。コンピュータを新しく設定した際に、メールアドレスのディレクトリ容量(Whatever
it might be)が、なぜか初期値の200MBに戻ってしまっていて、容量制限にひっかかっていたようだ。昼前、さくらインターネットのカスタマーサービスに電話をして、担当者の指示通りに設定を変更した。ありがたいことに、再びメールが入り始めた。
もしこの1週間ほどの間、ぼくにメールを打って、
--- The following addresses had permanent fatal errors -----
<miura@secondwind.jp>
(reason: Insufficient permission)
上記のメッセージとともに、メールが戻ってきてしまった人がいましたら、お手数ですが、もう一度メールを打ってください。今度は必ずつながるはずです。
■
家人は仕事で午後、隣町の小学校へ。ぼくは翻訳を少ししたあと、外に出て、重機で傷んだ芝生の手入れをする。芝生のための底土を入れ、種をまき、その上に目土をかぶせた。朝晩かなり寒くなってきた。もう少し早く播くべきだったかも。
二晩続けて、月見をした場所。生垣がないのもいいものである。
この間まで、日中は涼しい日陰を探してまどろんでいたフィービーは、最近は太陽が照っているところを探して日向ぼっこをしている。「ひねもす、のたりくらりかな」である。
明日は松本キャンパス、後期最初の2コマのクラス。予報では明日の辰野の最低気温は8℃とか。日中は20℃を超す。着る物に悩む季節である。
Monday, September 28, 2015
後期の初日 at 南箕輪村。講義棟の耐震リフォームのため教室が変更になり、控え室や印刷室も変わり、少々混乱する。一番の混乱は、ノート型の無線Lan
の設定を変えなければいけなかったこと。事務局の方にきていただいて事なきを得た。2コマのクラス。帰路、眼鏡市場へ寄って補聴器の調整をしてもらおうと思っていたが、ノート型設定の方法の説明を聞いていて時間がかかってしまった。遠回りになる眼鏡市場へは行かず、春日街道沿いのコメリでインクを購入し家に帰る。
家のコンピュータは新しくなってから起動も早く重宝しているが、唯一メールの受信がうまくいかなくて困っている。受信できたり、できなかったり。しかし、今日家に戻ってみると、何通か入っていた。そのひとつは対訳依頼。遅くになってまた入らなくなった。明日は「さくらインターネット」に問い合わせてみよう。
昨日が中秋の名月で、今夜はスーパームーン。7時過ぎ、王城山の上にぽっかり浮かんだ大きな月を特等席で眺める。
夜、遅く再び外に出て、頭上高く上がった大きな月を見る。コーヒーを飲みながら。
その後、対訳の準備を少し。大変な作業になりそうだが、楽しみ。
Sunday, September 27, 2015
今日は父の命日。同時に中秋の名月。父は70年前の今日、1945年9月27日、東京湾で嵐にあって亡くなった。ぼくが生まれたのはそれから49日後の11月14日。だから子供のころ、父の存在を身近に感じたことはなかった。父の存在を強烈に感じ始めたのはぼくが父親になってから。父がぼくに渡そうとして落としたバトンをぼくは拾い上げて、息子たちに渡したのである。それ以後、彼らといっしょに走ってきた。そしてあるとき気がついた。父だけでなく、父の後ろに連綿とつづく先祖たちも一緒に走っているのだと。
Saturday, September 26,2015
オープンマイク。初回出演順に(敬称略):丸山俊治、赤羽真理、三浦久、長島功、三浦薫子、原田和夫。
Friday, September 25, 2015
一日中、雨。
朝から新しいアルバムのラフミックスを何度も聞く。何度も聞くうちに、耳のほうが勝手に修正して聞いているのか、このままでもいいような気がしてきた。やなぎさんと辻井さんの意見を聞いてみる必要がある。
大相撲に波乱があった。危なげなく連勝をつづけていた照ノ富士に土がついた。足首を怪我したようだ。
Thursday, September 24, 2015
朝から曇り空。お昼ごろから小雨が降りだした。夜になっても、しとしと降り続いている。四国では避難勧告が出されるほどの大雨だったとか。
最近の朝の日課は、土手の造成にともなって移植した木や草花に水をやること。そしてベンチにすわり、王城山や国道153号線を眺めること。生垣がなくなったので見晴らしがいい。今朝も、雨が降るかわからなかったので、水をやり、ベンチにすわり伊那谷最北端の景色を眺める。
今朝10時ごろ、「電線の鳥」の「使用許諾が本国より正式におりました」とのメールがソニーミュージックパブリッシングから届いた。ありがたい。ようやく本格的にアルバムの修正作業に取り組める。今まではなんとなく宙に浮いた感じで力が入らなかった。
それで、午後、ラフミックスを何度かていねいに聞く。いくつか修正したいところがあるが、その大部分はぼくの歌唱力の問題。何曲か、あるいは曲の一部を録りなおせば解決するように思われる。あとは、楽器の音を出したり、引っ込めたりすればすみそう。辻井さんのピアノがとてもいい。もう少し前に出したい。ミックスする前の「夢のブックストア」のやなぎさんのバンジョーの音色が気になっていたが、ミックス後はとてもよくなった。
ぼくの歌の修正のひとつは「ガビオタの海」である。「多くのスローガンが声高に叫ばれ」の「声高」を従来「こえだか」と歌ってきた。9月上旬に録音したときもそう歌った。この歌が好きだった田中正幸さんから生前何度か「こわだか」が正しい読み方だと指摘された。ぼくの語感では「こえだか」と「こわだか」は若干ニュアンスが異なる。「こえだか」は単に大きな声で、「こわだか」はそこに攻撃的な響きがある。だからあえて「こえだか」と歌ってきた。しかし、調べてみたら、このことばは「こわだか」が正しいようだ。このアルバムには田中さんのことを歌った「夢のブックストア」も入っている。田中さんの指摘を尊重し、「こわだか」と歌い直したい。
Wednesday, September 23, 2015
昼前、ガレージの裏から東側の土手近くのツツジの間に3ヶ所にわけてアヤメを移植。このアヤメは2年ほど前、1の畑と農道の間にあったものを、ガレージの裏に移したもの。人間の都合であちこち移動させられてかわいそうだが、ガレージの裏では花が咲いても誰にも見られず、しかも雑草に埋もれていた。今日は雑草と一緒に思わず刈ってしまうところだった。
午後、来週月曜日から始まる後期に歌う歌を考える。毎回何か新しい歌を入れたいと思っているが、今回は何を入れようか。
日本とスコットランドのラグビーの試合を見る。前半は健闘したが、後半は雪崩をうったように攻め込まれ、終わってみれば
40-10 の大差がついた。. これがおそらく実力か。
Tuesday, September 22, 2015
夏休みも今週いっぱい。9月28日(月)から後期が始まる。その前に、庭の整理をしたいと、今日は剪定した小枝や物置から出したガラクタを、風もなく穏やか日だったので、3の畑の山際にもっていき燃やす。夕方見に行ったら、まだ少し煙が出ていたがよく燃えていた。
最近、アルミのテーブルと椅子を東側の土手の近くにおいている。王城山や国道を眺めるには丁度いい。工事のために荒れていた芝生も徐々に回復してきた。
夜、NHK総合で「デザイナーベイビー」というドラマを興味深く見る。大学病院の産婦人科医の大変さを垣間見ることができた。ドラマといえば「まれ」も今週いっぱいで終わる。正直なところ、このドラマは途中からまったく興味をなくした。本質というか主題から逸れた荒唐無稽な枝葉が多すぎた。「花子とアン」「マッサン」のように実在した人物についてのドラマのほうがテーマが一貫していて安心して見ていられる。その点、次回の「あさが来た」は期待できるかも。
Monday, September 21, 2015
朝9時半過ぎ、長男を岡谷駅まで送る。家を出る前、立て替えてもらったコンピュータ代を払おうとすると「いらない」という。押し問答の末、好意を受けることに。そろそろやってくる70回目の誕生日のお祝いとして。60回目には、彼から赤いTakamine
のギターが届いた。それは今も愛用している。
昼過ぎ、外の仕事。来年のイチゴ用の畝を2つ作る。以前耕運機でV字の溝を掘ったところにもう一度耕運機をかけ、牛糞をいれ、両側から土を寄せる。ぼくの仕事は耕運機と、牛糞を運ぶこと。後は家人の仕事。
さらにノウゼンカズラの生い茂った枝を大幅に切り落とす。すっきりした。3の畑に植えた菊もようやくこんもりと膨らんできた。15本ほど等間隔で植えたが、一緒に生えている雑草を引き抜いたら、2本の菊も一緒に抜いてしまった。そのうち1本は折れてしまった。庭の東側の改修した土手の近くに植えてやる。折れた菊も植えたが、これは根づかないだろう。
Sunday, September 20, 2015
午前中、長男が新しいコンピュータを設定し、古いコンピュータからデータを移してくれた。画面は今までのより横にかなり広い。ぼくには操作がしやすいだろうと
Windows 8や10ではなく7を選んでくれたとのこと。それでも今までとは勝手が違うところがあり、慣れるまでにはしばらく時間がかかりそう。うれしいのは起動が早いこととディスプレイの画面が明るいこと。
■
昼前、ツツジが植わっていたサンデッキ前の一画を耕し、レーキでならし、芝生の種をまく。これからだんだん寒くなる。うまくついてくれたらいいが。うまくつくと言えば、東側の土手の芝はきれいに生えそろってきた。さすがプロの仕事。
午後、うれしい贈り物。箱に入った松茸とコムソウ。友人の奥さんがわざわざ届けてくれた。聞くところによると、今年は松茸が豊作だったが、ここにきて取れなくなったとか。それで、なくなってしまう前に持ってきてくれたという。感謝。
今夜は早速、松茸ごはん。最近になく美味しく炊けた。
夜、長男から新しいコンピュータの操作を教えてもらう。彼が子供のころ、算数や国語を教えながら、何度教えてもわからないときは、声を荒げて叱責したこともある。今は、立場が逆転。しかし、彼は、ぼくが何度同じ間違いをしても、飲み込みが悪くても、いらいらせず、丁寧に教えてくれる。大声を出されたら、やる気をなくしていたかもしれない。彼は教師になるのは嫌だと、中学時代から言っていた。結局別の道を歩むことになったが、いい先生になっていたかもしれない。
Saturday, September 19, 2015
オープンマイク、初回出演順(敬称略):原田和恵、山元大造、原口克広、川島多希乃、坂井俊水、原田和夫、三浦久、田畑恵一。京都から山元大造、静岡から原口克広、そして安曇野から川島多希乃の三氏を迎えてのオープンマイク。山元くんのギターの音色、弾き方、それに譜面台の置き方まで、豊田君の影響を強く受けていることがわかる。原口さんは1ヶ月前に予約していただき了承していたのに、演奏者のリストに入れるのを忘れていて失礼した。去年4月に続いて2回目の出演。川島さんは、オーリアッドは初登場と思っていたら、お父さんと何度かきていることがわかった。原田和夫さんは、先週に続いて、シベリヤ墓参の旅のお話。お父さんの遺骨を突き止めることはできなかったとのことだが、お父さんが生きて、亡くなった地に立つことができたことは大きな慰めだっただろう。それにロシアの民衆の親切も身にしみたようだ。
今夜もっとも印象に残ったのは、今年3月まで原口さんの上司だった元静岡地方法務局長の田畑恵一さんの話。震災後に赴任した福島や仙台での体験談。辰野町羽場出身、在住。
Friday, September 18, 2015
今日もモノ探しで始まった。ほぼ半日。あった、あった、足元の床の上。CDの表面に文字を印刷するために使うトレイ。
午後遅くに2時間ほど午睡。ぐっすり眠る。人間の三大欲求が旺盛であるのは、元気ということか。元気といえば、御獄海。西十両五枚目で5勝1敗。御嶽海より元気がいいのが、照ノ富士。6戦全勝。逸ノ城も今場所は健闘している。4勝2敗。
夜、仕事部屋の整理。特に机の上。長男が今夜遅くにきて、明日新しいコンピュータのセッティングをしてくれることになっている。机の上は物の置き場がないほどに種々雑多なものが散乱している。とりあえず不要なものはすべてダンボールに入れる。残ったのは充電器やルーターや、種々の器具の接続ケーブル。
22時34分、長男を迎えに辰野駅へ。車の中でいろいろ聞く。OSはWindows 7で、メーカーは
Mouse Computer とのこと。聞いたことがない。なんでも工場は長野県にあるとか。
どんなコンピュータなのか楽しみである。
Thursday, September 17, 2015
Wednesday, September 16, 2015
藤棚の下に、昨日、鉄平石を敷いた。土手の工事にともなって、もう何年も前に長男と二人で坂道の脇に積み上げた鉄平石が不要になったのである。今朝も、何枚かをみつけ、敷く。こうしておけば、少々雨が降ってもぬかるまなくていい。
1の畑の草を刈り、刈払機を片付けようとガレージにいこうとしたところで右手に鋭い痛みを感じた。蜂に刺されたのかと思ったが、蜂の気配はない。見回すと近くのモミジの細枝になにかぶら下がっている。見たこともない虫。おそらくこの虫に手が触れたのだろう。よく見れば不気味な形をしている。右手の人差し指と中指の上のあたりが赤くなり腫れている。家人を呼び、マキロンで消毒してもらう。さらにペパーミントをスプレーしてもらう。痛みは軽減した。あのとき手袋をはずしたのがいけなかった。
facebookでこの虫について問い合わせると、すぐにこれがイラガという蛾の幼虫だと教えてくれた人がいる。さらに幼虫そのものの名前はイラムシで、その激しい痛みゆえに「電気虫」ともいうことがわかった。実際にこの虫に刺された人もいた。どうやら関西以西の暖かい地域に発生するようだ。温暖化で信州でも出るようになったのかも。
午後遅く、庭のサワラの木の切り株を重機でとってもらったあとをならし、芝生の種を蒔き、その上に薄く土をかける。1週間ほどで芽をだすだろう。
石崎さんから、先日のレコーディングのラフミックスが届いた。手直ししたいところがいくつかあるが、予想以上にいい出来で一安心。
「電線の鳥」のカバー申請のため、ソニーミュージックパブリッシングに mp3を送る。vlc
から mp3への変換には「困ったときの庄司さん」の助けを借りる。問題なく許可されることを願う。「菅野有恒」を理解してもらうためには、この歌をアルバムに入れる必要がある。
午後、裏の物置の整理。子供たちが使った中学の参考書がたくさん出てきた。数学、歴史、国語、理科、地理など。ぼくの仕事部屋に持ち帰り、勉強することに。今夜はまず「ハイトップ中一数学」を開いたが、最初の解説を読んだだけで眠くなった。
Tuesday, September 15, 2015
家人は仕事で留守。昼食をつくる。野菜チャーハン。ゴーヤ、ピーマン、トマト、人参など、台所にある野菜をオリーブオイルで炒め、ご飯を加えて、塩コショウで味付け。食べて見る。悪くない。
午後、畑の整理。伸びた草をビーバーで刈り、大きく茂りすぎたメキシカンサンフラワーやコスモスも、まだ花が残っているが、かなりの部分刈りとる。大根や野沢菜用に畝を2つつくる。
家人から電話があり、もどるのは7時すぎとのこと。そこで、夕食の準備。彼女が用意しておいたトンカツを温め、松茸味の永谷園のスープの素2袋を多めの水を入れた鍋に入れ、沸騰したところで、刻んだ茗荷を入れる。そこへ戻ってきた。トンカツはやはりレンジで温めたものでなく、作りたてが美味しいようだ。
夕食後、新しい歌を書くために、いろいろためして見る。難しい。もう少し言葉をリズミカルにできたら、曲がつけやすいのだが。
Monday, September 14, 2015
朝食後、東側の土手改修にともなって別の場所に仮植えしておいた花桃や草花をほぼ元に位置に植え直した。今はまったく花がないが、来春にはチューリップをはじめいろんな花が咲くはず。
フィービーは日陰でひねもすのたりくらり。猫はいい。
夜、新曲のアイディアが浮かぶ。最近は泡のように浮かんでは消えてしまうことが多い。さてどうなるか。
Sunday, September 13, 2015
安保関連法案 Stop 集会 at 辰野町町民会館大会議室。
Saturday, September 12, 2015
オープンマイク、初回出演順:原田和恵、坂井俊水、今井輝男、原田和夫、鉄の黒鉄大、春日淳也、赤羽真理、三浦久。
Friday, September 11, 2015
宮木長久寺にて従姉妹のご主人の葬儀。享年85歳。浄土宗とのことで、何度も「南無阿弥陀仏」を唱えた。弔辞の時間、伊那北高校出身の同年輩の同窓生が5、6人で校歌を歌ったのには驚いた。ふたりの孫娘の弔辞がよかった。精進落としのあと、もう一人の別の従姉妹を岡谷まで送る。
特別に何をしたわけでもないが、家に戻ったら、どっと疲れた。喪主および遺族の方々はもっと疲れただろう。
夜、「一路」を見る。今夜のエピソードはとくに感動的なところはなかったが、「殿」の命を狙う犯人が誰だかわかった。あと2回fr完結。
Thursday, September 10, 2015
11時から納棺の儀。12時に隣組の人たちのお見送りを受けて、伊那市の火葬場へ。この場所へ何度きたことだろう。1時から控え室で待つこと1時間40分。係の人が迎えにきて、お骨を拾う。
夜、ニュースを見て、茨城、栃木で大雨により洪水がおき、多くの人たちが避難したことを知る。鬼怒川の氾濫の映像は、まさに
3.11の津波を思わせるひどさ。明日になれば、さらに被害は拡大しているだろう。
「国民の安全と幸福」のために積極的平和主義を標榜する政府ならば、この災害、そして
3.11の被害の復旧に全力を傾けるべきだ。
夕方、階段の踊り場から見た空の色が綺麗だった。綺麗だったというよりも不気味だったというべきか。
世界中の気候がおかしくなっている。カリフォルニアでは雨が降らず山火事が続発している。日本やバングラデシュでは大洪水。難民問題など政情も不安である。今、戦争をして殺し合っているときではない。殺し合わなくても、いずれ人類は滅亡する。今こそ、互いに手を差し伸べるときである。
Wedenesday, September 9, 2015
朝、かなり強い雨と風。仕事部屋から見える白樺の枝が激しく揺ている。しかし、10時頃から風は収まり始めた。それで長いホースをもってオーリアッドへ。マイマイ蛾の卵を除去するため。もう何年も前から、夏になるとマイマイ蛾が繁殖して、お店の外壁にベッタリと卵を産み付けるようになった。いろいろな方法をためして除去しようとしたが、うまくいかない。とくに高いところは。
夏の初め、歩道にまいていた水をマイマイ蛾の卵に向けてみた。驚いたことに水があたったところは一気に無くなった。マイマイ蛾の卵が一番産み付けられているところは、2階へいくための階段の壁と天井。それで家から長いホースをもってきて、ホースの口を「ストレート」にセットして、一挙に除去した。南側の高い庇の部分は水が届かなかった。別の機会に再挑戦する。
午後遅く、陽が射し始めた。久々の太陽。やはり太陽はありがたい。写真を撮りながら、気分が明るくなるのを感じる。
夜、親戚のおじさんの通夜。享年数えの86歳。最近では長寿とは言い難いが、特筆すべきは、亡くなるまでお元気で、突然倒れ、意識不明に陥り、1週間入院して亡くなったということ。遺族にとっては心残りだろうが、誰もが望む大往生である。
Tuesday, September 8, 2015
今日も、一日雨。家人はカウンセリングの仕事で、隣町へ。ぼくは今朝まず第一に、ソニーミュージック・パブリッシングへ、「電線の鳥」のカバー申請書を送る。問題なく許可されればいいが。
昼過ぎ、雨がなかなか止まないので、傘をさして家人に頼まれていた白菜の苗を植える。種から育てた苗を先日家人が植えたが、かなり虫がくっていたとのことで、昨日若松屋から12本買ってきた。立派な大きな苗。しかし、連日の雨で畑はどろんこバレーボールの田んぼのよう。ぬかるみに足をとられながら、傘をさして、マルチに穴を開け苗を植える。途中から、傘をすて、濡れながら植える。フィービーが様子を見に来た。どろんこの中に入ろうとするので、大声を出して追い払う。
1時間ほどの午睡のあと、傘をさして土手を見に行く。フィービーはお気に入りの台の上にいて、ぼくが外に出たとたん、ついてくる。土手の上に芝がかなり植えてきた。でもまだこれから。東側の土手を直したので、庭から、そしてサンデッキから眺める景色が変わった。ぼくは気にいっている。
家に入ろうとしたら、白い壁に、鮮やかな緑のアマガエルが目に入ってきた。
夜、寝室のドアを開けてすぐのところに、死んだネズミ。フィービーの仕業だ。
Monday, September 7, 2015
今日も、ほぼ一日雨。家人は午前は病院へ、午後はカウンセリングの仕事。レコーディングの直前から家人は体調を崩し、毎日点滴を受けていたが、今日の血液検査の結果、白血球の数が正常に戻ったことがわかり、先生から完治したと言われたとのこと。よかった。
午後、若松屋へ白菜の苗と野沢菜の種を買いに行く。長田くんとしばらく話す。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」は2回読んだとのこと。最近多くの不運に見舞われた彼には、この本の内容はあまりに荒唐無稽で、ピンとこないかなと恐れていたが、何かを感じてくれたようだ。
苗を買ったあと、久々に湯にいくセンターへ。今日は空いていた。知っている人は中学時代の同年生佐々木くんのみ。
夜、13日の集会で歌う歌を考える。ぼくの持ち時間は15分。若くして亡くなった白樺派の先生のことを歌った「中谷勲」も歌えるかも。白樺派の先生たちが教室に乃木将軍ではなくトルストイの写真を飾ったのは、戦争反対の意思表示をするためだったと読んだことがある。
Sunday, September 6, 2015
一日中、雨。
レコーディング、オープンマイクと続いてかなり疲れている。午睡のあと、小雨の中、傘をさしながら写真を撮りに出る。今、咲いているのは、夏の花木のメキシカンサンフラワーとムクゲ、それに秋の花、秋明菊。
昨秋サンタローザのルーサー・バーバンク記念館で25種類の花の種が入った袋を買い求めた。今年の春、その袋の種を一斉にまいた。しばらくしていろいろな花が咲き始めたが、現在咲いているのはメキシカンサンフラワーのみ。他の花も咲いているかもしれないが、背の高いメキシカンサンフラワーが繁殖し、すべてを覆ってしまった。来年は、この花の種のみ別のところにまいたほうがいいようだ。
人見知りをする臆病者のフィービーは庭の工事、レコーディングと続き、しばらくの間、ほとんど姿をみせなかった。今日は、安心して家にいて、どこに行くにもついてくる。
朝、<「戦争をする国」STOP! 辰野町の会>のメンバーの方がお見えになって、来週日曜日(9月13日)の集会で歌うように依頼された。夜、何を歌うか考えた。簡単にお引き受けしたが、ぼくの歌の中に、これだ!という歌がない。なんとか日曜日までに、その集会にふさわしい歌を書きたいものだ。
Saturday, September 5, 2015
思いがけず豪華な顔ぶれのオープンマイクになった。初回出演順に(敬称略):原田和恵、山口恵三、やぎたこ、丸山俊治、竹入隆行、三浦久、赤羽真理。後半はセッションが多く、丸山さんと原田さんで「雪のかくれんぼ」、山口さん、丸山さん、赤羽さん、原田さんで「陽のあたる道」。「やぎたこ」は後半4曲演奏したが、最後の2曲は竹入さんがハープで加わった。最後は、全員で山口さんの十八番、「陽のあたる道」の大セッション。
カメラを忘れたために、原田さんと山口さんの前半の写真が撮れなかった。原田さんの写真は、辻井さんに頼んでスマホで撮ってもらったもの。山口さんの写真は松下さんのブログから無断でお借りした。悪しからず。
竹入さんが生まれたところ、そしてぼくが3歳から7歳まで住み、現在も住んでいる今村から5人がきてくれた。彼らは竹入さんの演奏はもとより、「やぎたこ」の演奏も大いに楽しんでくれたようだ。
そうそう、丸山さんがお元気になり、手術後初めてオープンマイクに参加してくれた。まだ少々不都合があるようだが、徐々に元に戻るだろう。鼻の下に髭がたくわえられていた。クラーク・ゲイブルかゲイリー・クーパーか。ますますダンディに。
Friday, September 4, 2015
今朝、土手を見に行って驚いた。8月25日に敷いた芝生の種と肥料の入ったシートから芽が出ていた。おそらくあと2週間もすれば完全に緑の土手が出来上がるだろう。
Thursday, September 3, 2015
Wednesday, September 2, 2015
Tueday, September 1, 2015
今朝、業者がショベルカーを含む道具類をとりにきた。一応これで作業は終わったが、近々ダンプカー1台分の土を入れてくれるとのこと。それに、旧道から上がってくる坂の最後の部分に60センチほどの枕木を6本、階段のように入れてもらうことにした。これはレコーディングが終わってから。
午後、小雨の中、東の隅に山のように積まれていた生垣の木を、家の裏へ運ぶ。少々疲れたが、いい汗をかいた。昨夜から喉がいがらっぽかったけれど、直ってしまったようだ。(数日前に撮った下の写真の左下がその生垣の木)。
いよいよ明日からレコーディング。「菅野有恒」「夢のブックストア」「即宗和尚」がメインの3曲。エンジニアは石崎さん。サポートにお願いしたのは、菅野有恒さんと親しかったやなぎさん、そして彼のデュオのパートナー、辻井さん。それに、小山卓治さんが何曲かギターとヴォーカルで入ってくれることになっている。
ワーナーから出た『漂泊の友』のレコーディングのとき、編曲者の小野崎孝輔さんが「三浦さん、レコーディングは化学反応ですよ」というようなことを言った。『漂白の友』に関していえば、ぼくの実力不足もあって、あまりいい化学反応は起こらなかった。しかし、その中の「宝福寺にて」は最近になっていい化学反応がおこっているようだ。
その化学反応はレコーディングのそれというよりも、人のつながりの化学反応といったほうがいいのかも。このときのディレクターだった栗山章さんはワーナーに移る前、日本コロムビアで舟木一夫さんの「高校三年生」をディレクトした人。栗山さんからは生前そのことについて一言も聞かなかったが、『漂泊の友』が出たあと、舟木さんがNHKの「二人のビッグショー」で「宝福寺にて」を歌ったのはそのことと無縁ではないだろう。
スティーブ・ジョブズは大学を半年で退学した。そのあと、もぐりで西洋装飾文字のクラスを、それが将来役にたつかどうかではなく、それが美しいからという理由だけで、聴講した。そのことが後のマッキントッシュの画期的なフォントにつながった。「もし私が大学を中退していなければ、装飾文字を学ぶことはなかったわけですから、いかなるパソコンにも現在の素晴らしいフォントは導入されていなかったでしょう」と述べている。そして彼は言う:
将来を見て、点と点を結ぶことはできません。結ぶことができるのは、振り返ったときのみです。できることは、点と点は将来いつか結びつくと信じることです。何かを
― 直感、運命、人生、カルマ、何であれ ― 信じることです。なぜなら、そう強く信じることで、それが世間一般のやり方と違っていても、自分の心の願いに従う自信をもつことができるからです。
今回のまだタイトルが決まっていないアルバムにも、いい化学反応が起こることを願っている。菅野さんとやなぎさんの関係、数年前の小山卓治さんとの出会い、を考えると、すでにいくつかの点と点が結びついている。そうそう、『漂泊の友』のエンジニアは当時ワーナーに入社したばかりの若い石崎さんだった。40年以上の年月を超えた点と点のつながりである。あとは、ぼくがどれだけ無心に歌えるかどうかにかかっている。
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