OREAD Diary
         March 1-31, 2015

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Tuesday, March 31, 2015

何度も家人に促されてようやく仕事部屋の整理を始めた。午後4時間かけて、少なくとも床が見えるようになった。不要な印刷物と本を処分。試験用紙は5年間は保管しなければいけないので、箱にまとめる。西側の壁一面の本棚も整理すれば、もっとすっきりするだろう。

途中休憩して高校野球を見る。大阪桐蔭高校が10対0で負けている。目を疑ったが、やはり10 対 0。敦賀気比の選手が満塁ホームランを2打席連続で打ったとか。2度続けて満塁の打席に立つことができるだけでも奇跡に近いのに、2打席とも満塁ホームランとは。

北海道の東海大四高も決勝に進み。明日対決。春の選抜で、雪深い福井と北海道の高校が決勝戦に進むというのも珍しいのではないだろうか。いままでの勢いからいう福井が優勢か。

夜、日本とウズベキスタンのサッカーの試合を後半30分だけ見る。5対1の快勝。新しい監督の好采配か。


Monday, March 30, 2015

午前8時から区の森林生産組合の山の下見。3年前にも参加したが、そのときに比べると今日は、道を遮る倒木がいくつかあったが、道に沿ってあるいたので楽だった。前回は、急な斜面を必死の思いで上った。







午後2時から公民館で会議と慰労会。様々な話題が飛び交う。県議選の話題も。


Sunday, March 29, 2015

Maritn Luther King, Jr. Day Benefit Concert



























Saturday, March 28, 2015















Friday, March 27, 2015

世界的にハチが減っているようである。"Fruitless Fall: The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisid"(何も実らない秋: ミツバチの大量死と差し迫った農業の危機) によれば、いろいろな原因が考えられるがまだこれだという原因はつきとめられていないようだ。農薬、電磁波、殺虫剤、長距離の移動を伴う過労働など。おそらくそれらが複合的に作用しているのだろう。

今朝、今年最初の農作業。管理機をガレージから出して、じゃがいも用の畝を作ろうとしたのだが、管理機が動かない。エンジンがかからない。それで、庭をブラブラしていたら福寿草が群生しているところにミツバチが飛んでいた。上記の本を読んだばかりだったので、わが家の庭にはまだハチがきてくれると嬉しくなった。カメラをとりにいき、写真をとる。ハチの写真を撮ることで、蝶々とハチの違いがわかった。蝶々は花に止まると、しばらく羽を下ろして静止していることが多い。ところがハチは絶えず動いている。写真を撮るチャンスがなかなかない。







管理機はヤンマーの支社に電話をして直してもらうことに。直しに行けるのは来週月曜だと言われていたが、午後、隣町までタイヤを替えにいき、温泉に入り、家に帰ると ヤンマーのトラックが止まっていた。中から人が出てきて、直しておきました。プラグがいけなかった」とのこと。早速、予定通り、ジャガイモを植える畑を耕す。

今日からプロ野球開幕。最近はBS局でほとんどすべての試合を見ることができる。いくつかハシゴして見る。日本ハムの大谷はそれほど調子はよくなかったが、6回まで投げ、勝利投手に。彼の投げたときの右脚の跳ね上がり方が好きだ。


Thursday, March 26, 2015

朝はかなり冷えたが、、午後は気温が少し上昇。村を一周し、そのあと湯にいくセンターへ。昨日回数券と割引券を購入したが、家人が留守で、どこにあるかわからない。仕方なし正規の料金で入ろうとしたら、今日は「風呂(26)の日」で割引料金だった。前回の「風呂の日」は混んでいたが今日はそうでもなかった。「隣の潔さん」に初めて温泉の中で会った。以前は駐車場だった。

Germanwings の飛行機墜落事故の原因が、副操縦士による故意の墜落の可能性があると夜のニュースでやっていた。そんな馬鹿なと思ったが、テロの可能性、あるいは精神疾患など考え考えられる。それにしても亡くなった方々は気の毒。

「マッサン」がいよいよ終わりに近づいてきた。エリーが亡くなった。

Wednesday, March 25, 2015

荒このみさんから手紙が届いた。3月8日にセルマの行進に参加してきたとのこと。チャリティイベントに参加したかったが、読者会の予定がすでにあって残念ながら参加できないとのこと。ニューヨーク在住の友人が日本にきていて、ひょっとしたら、辰野までくるかもしれないとのこと。来てくれるといいが。

歩こうかと思ったが寒すぎので温泉へ。夜、天竜ずくだしクラブ例会。


Tuesday, March 24, 2015


キング牧師の日チャリティーイベントへの参加者が徐々に増えてきた。広島大学大学院教授の新田先生もトークで参加してくださることに。専門はアメリカ文学。キング牧師、あるいはベトナム戦争とアメリカ文学について語っていただけるかも。

中学時代の同級生も何人かきてくれるようだ。


Monday, March 23, 2015

朝、庭の東側に生えているふきのとうを採る。そのあと、枯葉や枯れ枝を燃やし、庭の整理。かなりすっきりした。そのうちに風が強くなった。火のついた枯葉が舞い上がったら大変。水をかけて消す。


夕飯にふきのとうの天ぷら。美味しかった。たくさんは食べられないが、確かに春の味覚。


遅咲きの福寿草が綺麗に咲いていた。それに早咲きのクロッカスも。





Sunday, March 22, 2015

神社委員としての最後の奉仕。4年間はながかった。でもその間、参加できなかった日も多く、みなさんのおかげでなんとか務めることができた。

9時から1時間ほど境内の掃除と神殿の飾り付け。午後1時半から宮司さんを迎えての神道の儀式。4年かかってようやく供物の上げ下ろしの方法を覚えた。






儀式終了後、直会(なおらい)。最後なので、今日はお神酒をいただく。美味しかった。

3時半、家に戻り、千秋楽を見る。逸ノ城 vs. 照ノ富士。2場所連続の水入り取り直しの熱戦。見応えがあった。照ノ富士の勝ち。照ノ富士と白鵬の決定戦を期待したが、白鵬が日馬富士をくだし優勝を決める。結びの一番も熱戦だった。

お神酒のせいか、猛烈に眠い。今夜は早く寝ることに。


Saturday, March 21, 2015

第16回朗読の会「ひびき」お話を聴く会 礎 IV

朗読の会ひびきのメンバーの方々には頭が下がる。今年の発表は辰野町の基礎を築いた人々の4回目。中村七十と江戸末期に小野村(現在の辰野町小野)から横浜村へ行き、明治の初めには横浜の副市長になった小野光賢についての朗読。後者については横浜まで行って資料を収集してきたとのこと。

朗読もぼくが最初に聞いたころより格段に腕を上げている。彼らは視覚障害者の方々のために町の広報などを録音して届けているので、今年も視覚障害者の方々も何人かお見えになった。





毎年取り上げられた人物の一人について歌を書いてきたが、今年はできなかった。波乱万丈の人生については歌が書きやすい。功なり名をなした人物については書きづらい。碌山のように人妻に恋した彫刻家については書きやすいが、素晴らしい作品を残してはいるが、市井の人物として質実に生きた彫刻家については書きづらい。歌は書けなかったが、今年も大いに勉強になった。枕草子について、それに七十さんの作品について。

最後に、七十さんの娘さん、千世子さんに紹介された。記念の写真を撮らせていただく。



OREAD OPEN MIKE 3/21

今夜の出演者は初回出演順に、(敬称略)山岸豊、原田和恵、折井鐘子、丸山俊治、小沢ミカ&ミキ、小沢綾、三浦久、竹入修二、Ms X、坂井俊水。

折井さんが、紹介してくれたFOP(進行性骨化性線維異型成症)という難病の話しは衝撃的だった。筋肉が骨に変化する病気とのこと。現在治療法は見つかっていないとのことだが、iPS細胞を使っての治療法が研究されはじめたらしい。詳しくは『神様からの宿題』(ポプラ社)参照のこと。

久々に聞いた丸山さんの「昼間の花火」、インパクトがあった。初登場の小学生の小沢ミカちゃんとミキちゃんがのびのびと歌ってくれてとてもよかった。今夜一番の拍手を受けたような。










竹入修二さん、ベトナムの写真を見せてくれた。時間の関係で後半急がせてしまったが、3月29日のチャリティーイベントでは、再編集したものを見せてもらえる予定。

朗読の会ひびきの発表会とオープンマイクが続き、少々お疲れたが、みなさんのおかげでいい一日になった。


Friday, March 20, 2015

朝10時半から「朗読の会ひびき」にリハーサル。今年は中村七十と小野光賢。プロジェクターで映像を使いながらの朗読。特に中村七十についての朗読は、彼の作品の映像を見ることによって、書かれたものを読んだだけのときより、よく分かる気がした。

その後、昼食会。




2時半、家に戻る。庭の東側のふきのとうがあちこちで開いて、食べごろになっていた。



夜、光賢さんについての歌を書こうと四苦八苦。マッサンのお父さんが麹ばかりに拘っていたが、あるとき見方を変えて、米に拘ってみたと今朝の番組で語ったのを思い出し、歌の視点を変えてことばを紡ごうとしたが、何も出てこない。今年は朗読の会用の歌を書くことは断念せざるをえないだろう。


Thursday, March 19, 2015

朗読の会ひびき」の発表会は今年は彫刻家の中村七十(なかむら・しちじゅう)と実業家小野光賢(おの・みつかた)を取り上げる。辰野町小野はかつて「憑(たのめ)の里」と呼ばれ、枕草子にも登場すると何度か聞いたことがある。今回歌を書こうと、調べてみたら、枕草子66段に出てくる。誰もが知っている1段はつぎのように始まる。

春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

66段に「たのめの里」が登場する。

里は  逢坂の里。ながめの里。いさめの里。ひとづまの里。たのめの里。朝風の里。夕日の里。十市の里。伏見の里。長井の里。  つまとりの里、人にとられたるにやあらん、わが取りたるにやあらん、いづれもをかし。

つまり小野光賢が生まれ育った現辰野町小野は平安時代には「たのめの里」として全国に知られていたことになる。幕府は1858年「日米修好通商条約を」結んだあと、1年後に横浜を開港するため全国から人材を募った。光賢は「これは国家の一大事である。募集にお応じないわけにいかない」と横浜行きを決意する。そのとき彼は41歳だったという。

最後に彼は横浜の副市長にまでなったが、明治3年、病を得て、明治5年、後を息子の光景に託し、ふるさとに戻り、明治33年、83歳でなくなるまで悠々自適の生活を送ったという。

いい人生を送ったとは思うが、なかなか歌にするのは難しい。


Wednesday, March 18, 2015

家人もようやく春休みになり、前から見たいと思っていた「アメリカン・スナイパー」を見に岡谷のスカラ座へ。「ディア・ハンター」ほどの衝撃はなかったが、イラク戦争を題材にした見ごたえのある映画だった。クリス・カイルを演じたブラッドリー・クーパーはなんとなく「ディア・ハンター」のマイケル役のロバート・デ・ニーロを思わせた。

日経ビジネス on line によればアフガン・イラク戦争を通じてのアメリカ兵の死者数よりも帰国後自殺した兵士の数のほうが圧倒的に多いらしい。どの程度正確な数字かはわからないが、年平均8000人が自殺しているらしい。戦死者が6000人ほどだから、自殺者の数を合計すれば、自殺者の数は戦死者の数倍、ひょっとしたら十数倍になるかも。自殺しないまでも精神に異常をきたしている人の数はさらに増えるだろう。

夜、寝ようと仕事部屋からでようとドアを開けたらフィービーが入ってきた。もう一度椅子にすわって、彼がいつものように膝に跳び乗るのを待ったが、跳び乗ってこない。足元でごそごそしている。見ると、何かくわえている。灰褐色で艶のある皮膚。モグラだ。それからが大変。モグラを取り上げようとすると階下へ逃げていき、食卓の下に隠れる。食卓を動かすと、一瞬モグラを口から放した。それを何枚か重ねたティッシューでつかみ、外にでて、雨の中、畑の隅に穴を掘り埋める。

深夜のモグラ捕物帳。



Tuesday, March 17, 2015

暖かい一日。ふきのとうも開き始めた。5,6個採って、夕食にふき味噌を作ってもらった。早春の味。福寿草もあちこちに咲いている。

丸太を片付けたら、その下に何本かのチューリップの芽が押さえつけられていた。昨秋から庭に放っておいた竹で編んだ壊れたテーブルの下にも何か生えていたらいけないと、どかそうとしたら、重い。なにが入っているかと見ると、茶色い毛の動物が入っている。大変、狐でもいるかとよく見るとフィービーだった。









午後遅く、「湯にいくセンター」へ行くことに。1泊2日の旅で疲れたのか、家人は両方のふくらはぎが痛いといい、ぼくは大腿部が痛む。温泉に入って、少しよくなったような。

今週は土曜日の午後「朗読の会ひびき」の発表会。夜はオープンマイク。前日の金曜日の午前中、朗読の会のリハーサル。29日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」の予約も徐々に増えてきた。


Monday, March 16, 2015

9時すぎチェックアウト。宿に荷物を預けて、島の探索に。3つの神社、サミュエル・コッキング庭園、灯台兼展望台などを巡る。小さな島だからすぐ回れると思ったら、2時間以上かかってしまった。


宿の前で宿の人が撮ってくれた写真。




初めてセルフタイマーを使って撮った写真。この島の各地にセルフタイマーで撮れるようにカメラを載せる台が設置されていた。


サミュエル・コッキング庭園の一部。かなり広い庭園で何人かの人が忙しく働いていた。白梅、紅梅、椿がきれいに咲いていた。




お昼はここで。


京都の三年坂を思わせる土産物の店が軒を連ねている。ウイークデイながら、観光客がいっぱい。



昨日夕方、駅からこの橋を通って島に渡り、この橋を通って戻ってきた。鎌倉に寄るか、川崎の事件現場に行くか迷ったが、歩き疲れてしまい、まっすぐ家に戻ることに。町田経由で八王子に出て、スーパーあずさに乗ってもどってきた。5時前には家に着いた。ルービー婚記念の小さな旅。記憶に残る旅になった。

駅の駐車場に止めた車に乗って、町のメインストリートを通って家にもどったが、江の島の賑わいを見たあとだけに、その寂れ方がひどく目に付いた。


Sunday, March 15, 2015

40年前の3月30日に結婚した。記念にどこかへ行こうかということになった。3月29日(日)はキング牧師の日チャリティーコンサートで、この週末は難しい。それで3月22日23日に行こうと最初予定したが、22日の午後神社委員の最後の務めがあることがわかり、断念。結局、2週間早めることに。開業したばかりの北陸新幹線に乗って金沢へ行こうと計画を立てたが、同じ考えを持った人が多いと見えて、宿がとれない。それで、長男夫婦に会いに行き、そのあと江の島に一泊するプランに変えた。宿は岩本楼という老舗の旅館に予約できた




家を出たのが9時。辰野から岡谷へ、八王子で電車を乗り換え、東急田園都市線のあざみ野駅下車。お昼をご馳走になり、4時頃お暇する。できたら例の事件がおきた多摩川の堤防にいきたいと思ったが、そうしていたら、チェックインに間に合いそうもない。小田急江ノ島線で、江の島へ。6時少し過ぎ、チェックイン。夕食をいただくまえに、洞窟風呂に入る。確かに、洞窟がお風呂になっている。


岩本楼ホームページより

夕食にはいろいろ出たが、やはり印象に残ったのはサザエのつぼ焼き。小学6年のときだったと思う。鎌倉に住む従兄弟の宏之さんに連れられて江ノ島へ行ったことがある。そのときサザエのつぼ焼きを食べた。それ以来、江の島というと連想するのはサザエのつぼ焼きである。いつもは飲まない日本酒を熱燗でいただく。美味しかった。夕食後、今度はローマ風呂という風呂に入り、早めに就寝。



Saturday, March 14, 2015

毎日寒い。今日は世間ではいわゆるホワイトデイ。ぼくには関係ないと思っていたら、坂井君からみなさんへとホワイトデイのケーキの差し入れ。休憩時間にみなさんでいただく。

今日の出演者は、初回出演順に、(敬称略)原田和恵、坂井俊水、スキッパー赤羽こと赤羽謙一、丸山俊治、原田和夫、三浦久、有賀ミカ、赤羽真理、宮下浩一。

すきっぱー赤羽さんの1曲目The House of the Rising Sun には意表をつかれた。素晴らしかった。彼の後半の曲 Rawhideもよかった。丸山さん、ベルトを外し、椅子をたたいて、ムチの音を。










宮下さんは神奈川の座間市在住。石崎さんの紹介で、伊那市へいく途中寄ってくれた。原田和夫さんと坂井くんに感謝 for providing transportation for him.

原田和恵さんは修理にだしていたハープが直って、わざわざ山梨県までとりにいってきたとのこと。「雪のかくれんぼ」にはハープの音色がよくあう。

丸山さんは先週から今週にかけて体の「修理点検」のために忙しかったようだが、お元気そうでなにより。白内障の手術もされたとのこと。ぼくも診てもらおう。夜間の運転の眩しさが激減するとのこと。

みなさんのおかげで、とてもいい夜になった。最後は久々に Amazing Grace。2番は歌詞を忘れて、アーアー、ウーウーで。


Friday, March 13, 2015

今日は午後、2階の廊下に積んであるダンボールの整理。2階の廊下のクロスは一部自分たちで張り替えたが、32年前に家を建てたときのままのものが半分残っている。ふすぐれたり、猫が引っ掻いたりして極めて見苦しい。次男の家族が休暇でくる前に自分たちで張り替えようとも思ったが、10年前と違い、家人は仕事が忙しくなり、ぼくは体力も落ちた。それで業者に頼むことにした。

業者が今日見に来てくれるというので、とにかく2階のガラクタを整理することに。かなり捨てるものもあったが、ぼくの狭い仕事部屋に移しただけのものも多い。狭い部屋がさらに狭く。クロスの張替えは4月になってからということに。

「雲霧仁左衛門2」を見る。第6回。「雲霧1」を見てないものだから、よくわからないところがあったが、今夜のドラマでなぜ雲霧仁左衛門が藤堂藩の武士から盗賊になったかが明かされる。「仇をうつ」と今回初めて登場した兄が言う。しかし仇をうつ相手が誰なのか、なぜ仇をうつのかはわからない。

今朝、家のまわりを歩いたら、ふきのとうの芽がいくつも出ていた。しかしまだ摘んで食べるには小さすぎる。数日すれば食べごろになるだろう。ふき味噌は大好物。



Thursday, March 12, 2015

寒い一日。午後、村を一周しようと歩き始めたが風が冷たい。結局、上の農道を北へ行かず、南へ向かう。「隣の潔さん」の家で引き返し、家の近くの坂を下りて旧道へ。そして旧道から家へ上る坂を。その間わずか25分。それでも身体は温かい。隣の潔さんの家に行く途中に形のいい木が生えている。久々のその木の写真を1枚。

丸太の写真は潔さんが昨秋切ってくれた木を短く切ってぼくのために保管してくれているもの。丸太や薪が積まれたところを見るとなぜか、心が豊かになる。






1月と2月お休みをしていたジブランの会が今夜あった。会が始まる前、キング牧師の垂れ幕を飾る。7回目のチャリティーコンサートが近づいてきた。楽しみである。ジブランの会のメンバーの一人は山登りによく出かける。今朝の「グレート・トラバース」は剱岳だった。まさに剱のような絶壁を田中陽希は登っていった。彼女に「見ましたか」と聞くと、「見ましたよ。私も剱岳は何度か登りましたよ」とのこと。すごい! 高所恐怖症のぼくには無理。尊敬してしまう。




Wednesday, March 11, 2015

東日本大震災4周年。午後2時46分前、追悼式典を見るために階下へ。宮城県の遺族代表の19歳の女性の言葉が胸を打った。

・・・しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。

お母さんの「行かないで」という声を振り切って自分だけ助かったことを非難する人はいないだろう。おそらく彼女と似たケースはたくさんあったに違いない。一緒に残って流された人もいただろうし、苦渋の決断で助けるのを断念した人もいただろう。

「キング牧師の日チャリティーコンサート」の案内をfacebook およびOread のHPにもようやくアップした。



Tuesday, March 10, 2015

今朝、庭の東側に水仙が枯葉を押し上げて芽をだしているのをみつけた。枯葉を取り除いてやった後しばらくして雪が降り始めた。枯葉はそのままにしておいたほうがよかったかも。



春休みになって、テレビを見ることが多くなった。今日は朝、BSプレミアムで「地球大進化 第2回繰り返される栄枯盛衰のドラマ」を見た。これは勉強になった。人類が魚から進化してきた過程がよくわかった。

午後は、昼食後、偶然、マカロニウエスタン「続・さすらいの一匹狼」を見てしまった。なぜかぼくはマカロニ・ウエスタンをあまり見たことがない。これも初めて。面白かった。イタリア語の西部劇。

映画が終わったあと、家人に頼まれていた「いなっせ」へ、クライストチャーチの雅樹くんの好物「乾燥納豆」を買いに行く。帰路、「ながたの湯」へ行くと、本日定休。福澤君が言っていたのを思い出した。「ながたの湯は火曜日休み」。

夕食後、日本とオール・ヨーロッパの野球の試合を途中から見る。3対1で負けていたが、8回表に逆転。4対3。オール・ヨーロッパは、サッカーはいざ知らず、野球は弱いと思っていたが、あにはからんや。すごい迫力。


Monday, March 9, 2015

午後、家人と「かやぶきの館」の薬草風呂に入りにいってきた。薬草の香りが 心地よかった。サウナもあり、いい汗をかいた。しかしやはり、温泉のほうが温まる。凍り餅が軒下にぶら下がっていた。子供のころは、わが家の軒下にも新聞紙に包んだ凍り餅が下がっていた。熱いお湯をかけて、お砂糖を入れて食べる凍り餅はぼくの大好物。先日も湯にいくセンターで購入し堪能した。その凍り餅は母の友人の息子さんの名前が記されていて安心して食べることができた。少々高価ではあったが。







田中(誠一)君がフォルクスワーゲンのヴァンで生活するブルージェイズの投手ダニエル・ノリスの記事を facebook にシェアしていた。http://minimarisuto.jp/vanman/

昔、「アリスのレストラン」という映画を見てから、ぼくもフォルクスワーゲンのヴァンで旅をしたいと思ったことがある。ダルヴィッシュが今季は肘の怪我で投げられないかもしれないという。今年はマー君とダニエルにがんばってほしいもの。



Sunday, March 8, 2015

午後、中川村の文化センターへ。ミュージカル「だれもしらないみつばちのものがたり」を見に行く。数日前、朝日新聞でこのミュージカルのことを知り、電話で予約をとった。太田君もfacebook のstatusにこのミュージカルのことを書いていたけれど、新聞で詳しい内容を読まなかったら、行くことはなかっただろう。

ナビに頼りながら行ったが、かなり道に迷い、到着したのは4時5分。もう始まっているのではと心配したが、開演したのは4時10分。最初から見ることができた。

これを見たいと思ったのは、古い友人ベニシアから、世界中でミツバチが激減していることを警告する歌が書けないかと言われていたので。1月には彼女が書いた英語の詩が送られてきた。まだ何も手をつけていないが、なんとか完成させたい。

今日のミュージカルはぼくが書こうとしている歌にはそれほど参考にはならなかったが、行ってよかった。あれだけの人数の人たちが協力してひとつのステージを作り上げるのは大変だっただろう。太田君も元気にサックスを吹いていた。一度オーリアッドに来たことのある尺八のエンドウ・ケンジさんもいた。





ぼくの席は前から3列目で、見回してもだれも写真を撮っていない。写真を撮ってはいけない雰囲気。それで上演中は遠慮していたが、最後の全員の挨拶のとき、こっそり撮る。

行く時は高速を使ったが、帰りは下の道を使う。夜の運転が最近苦手になった。ライトがやけに眩しい。LEDになったせいか、白内障になりつつあるのか。一度眼科で診てもらおう。

ダルビッシュが肘を傷めて、今期は投げられないかもしれないという。これにはがっかり。是非ともマー君にはがんばってほしいもの。


Saturday, March 7, 2015

初めての人も何人か参加してくれて、とてもいいオープンマイクになった。初回出演順に:(敬称略)丸山眞弓、坂井俊水、山口恵三、赤羽真理、中山モニカ、井上明美、原田和夫、三浦久、小沢綾、Mr. Nakanishi。

井上さんは昔から「あのねのね」のファンだったとのことで、一緒に「パーティーは終わったよ」を歌う。彼女が彼らの熱心なファンだったということはすぐ分かった。突然の指名にも関わらず、歌詞をしっかり覚えていたし、「流転の唄」が映画『冒険者』の中で使われたことも知っていた。

モニカ・ナカヤマさんはハンク・ウイリアムズの Lonesome Whistle を歌った。とてもよかった、次回来ることがあれば I Saw the Light を歌うように頼んでおいた。














最後は恒例の山口恵三&the Oread Band で「陽のあたる道」。大いに盛り上がる。その前の写真は、みなさんがお帰りになったあと、商工会長と一緒に。


Friday, March 6, 2015

『アメリカン・スナイパー』の評判がいいので、見たいなと思って岡谷スカラ座のスケジュールを見たら、『海の向こうの甲子園』が今日までとのことだった。この映画も見たいと思っていた。11時5分から上映開始。早速、スカラ座へ。

1931年、日本統治下の台湾。それまで1勝もしたことのない旧制中学・嘉義(かぎ)農林学校の野球チーム嘉農(KANO)が、台湾の大会で優勝し、全国中等学校野球大会でも準優勝してしまうというあまりにも劇的な物語。フィクションかと思ったら、ほぼ実話のようである。3時間を超える長編。正直に言って前半はもう少し編集してもいいと思ったところもある。しかし後半、特に最後のシーンは実に感動的。野球好きにはおすすめ。

日本では上映する映画館が少ないようである。しかも、そろそろ上映終了になる。あとはDVDを待つより仕方がないかも。

予告編:
https://www.youtube.com/watch?v=V1T-dwaEr_k


Thursday, March 5, 2015

昨夜友人から、急なことだけれど、今日隣町のお寺で仏像の入仏開眼供養があるが参加しないかとの電話。それで朝から興味津々行ってきた。鎌倉時代に作られたもので、かつて別のお寺にあった仏像というから、今更ながら開眼供養は不要とも思ったが、新しい場所に入るためには新しい供養が必要なのかも。

昼過ぎ家に戻ったあと、ずっと机に向かっていたので、夕方村を一回りしようと外に出て歩き始めたが、風が冷たく、隣の潔さんの家の近くまで行って戻ってきた。明日は啓蟄。虫も這い出す暖かい日(啓蟄)だそうだが、信州はまだまだ寒い。ただ空が綺麗だったので、写真を何枚か。







「キング牧師の日チャリティーコンサート」への予約が少しずつ入り始めた。午後遅く、家人に頼んでローカル新聞社にチラシをもっていってもらう。「週間いな」「週間すわ」のイベント情報案内担当者にもメールを打ちイベント欄への掲載を依頼する。


Wednesday, March 4, 2015

午後、学生の成績のことで農学部の事務局へ。その帰り、大芝高原の温泉に入ってきた。ここは広い。以前にもきたことはあるのに、どこから入っていいか迷うほど。50分後に落ち合う予定が、今回も家人を10分待たせてしまった。ここは施設的には近隣の温泉施設の中ではもっとも充実している。サウナで温まったあと、露天のジャグジーに。ただ泉質ということになると「ながたの湯」それに「湯にいくセンター」にはかなわないように思う。

夜遅くようやく「オーリアッド通信」を書きあげ、久しぶりに一斉メールを送る。メールアドレスが変わったのか、undeliverable と記されて戻ってくるものがかなりあった。


Tuesday, March 3, 2015

朗読の会「ひびき」の発表会に向けて、それに今後のいくつかのライブに向けて新しい歌を書きたいと、ギターを弾く。何も出てこない。ただ「ありがとう、ミスター・コーエン」の手直しが少しできた。

午後、ウオーキング。今日は写真を撮らずに、ひたすら歩く。旧道から国道を横切り、線路を渡り、線路下の農道を北上し上島へ。上島で再度旧道(三州街道)に入り、旧道を南下して歩いていたら、道沿いの木の枝に何かかかっているのが見えた。近づいてみると見覚えのある色。更に近づくと、そればぼくのお守りだった。驚いた。家から1キロも離れたところにある木の枝にぼくのお守りがかかっているなんて。おそらく一週間ほど前、写真を撮りながら歩いたときに落としたものだろう。よかった、みつかって。

家人は今日も仕事で遅くなった。ぼくが夕飯をつくることに。ブロッコリーとマイタケを細かく切って、鍋に入れ、水とシチューの粉、それにミルクもいれ、よく煮る。美味しいシチュウができた。それにフライパンにオリーブオイルをいれ、薄く切った牛肉を入れ、すき焼き用のタレをかける。家人が帰ってくるまでに、夕飯の用意ができた。

「ほんとうは怖い家庭の医学」という番組で、腸内フローラについてやっていた。先日NHKでも取り上げていたエピソードである。その中で、同じ食事を2人の人に食べてもらって体重の増減を比べるという実験があった。そこで分かったことは、体重が増えた人は便秘気味であるということ。確かにぼくにはそれが当てはまる。しかし、最近は症状が改善されてきている。一時は90キロ近かった体重が、コンスタントに80キロ前後にとどまっている。処方されている酸化マグネシウム(重カマ)を毎晩寝る前に服用しているせいだと思われる。



Monday, March 2, 2015

「キング牧師の日チャリティーコンサート」以外にも、3月から7月にかけてイベントが決まりつつある。一番早いのは3月21日(土)午後1時からの「朗読の会ひびきの発表会」。5月9日(土)は「やぎたこ投銭ライブ with 丸山俊治」。5月21日(木)は「福澤さや&深見順也ライブ」。6月20日(土)「第19回三浦久ほたる祭りライブ with 古川豪」。7月11日(土)「小山卓治ソロコンサート」など。その間にぼくがでかけて行くライブもいくつかある。まだ詳細が決まっていず、正式な発表ができないものもあるが。

先日福澤さんと話していたら、彼女と一緒にやる北海道の歌い手がぼくのことを知っているというので、どうしてだろうと思っていた。彼の名前を見て思い出した。小山卓治さんが北海道ツアーに行ったときに一緒にやった深見順也というシンガー。おそらく小山さんからぼくのことを聞いたのだろう。どんな歌を歌うか楽しみ。

午後遅く、村を一周りし、その後、湯にいくセンターへ。駐車場に車を止めて降りようとしたら、「隣の潔さん」が斜め前の車に乗り込むところだった。歩いていって、エンジンをかけようとしていた彼に挨拶。今日は彼以外の知り合いにはあわなかった。というより、温泉に入っている間、お客さんは数人しかいず、閑散としていた。やはり先日の「風呂の日」は特別だったのだ。

夕食後、録画しておいた「限界集落株式会社」の最終回を家人と見る。毎週土曜日、オーリアッドへ行く前、録画の予約をし、日曜か月曜に見てきた。盛り上がりにかけるドラマだったにも関わらず毎回興味をもって見たのは、わが村が限界集落に近きづつあり、われわれも真似事のような農業をやているからか。最終回の最後の10分にこのドラマのすべてがあると思った。限界集落であっても、もうけることを優先するのではなく、不祥事を起こした村人を切り捨てずに、皆で協力していく姿勢。見終わったあと、家人に釘をさされた。「今年は畑をしっかりやろう」。

そのあと途中から3時間スペシャルのクイズ番組を見てしまった。教師軍団の強さが際立っていた。最後のポーツマス条約締結のときの日本の外交官の名前が即座に出たのには驚いた。小村壽太郎。聞いたこともなかった。おそらく日本史か世界史の教科書では読んでいただろうが、完全に忘れていた。

遅くに手塚さんからメールが入った。「アンサンブル楽」の演奏は3月29日は無理とのこと。また別の機会にお願いしたいと思う。。


Sunday, March 1, 2015

いよいよ3月。

午後、次のようなメールが届いた。

1月に2度お店に行ったのですが真っ暗でした。それでホームページを見たら、土曜日しか営業していないことを知りました。オーリアッド通信を送っていただいてもいつも返信をしない不届きものですが、楽しみにしていますので是非お送りください。

オーリアッド通信は不定期に年に数回一斉メールでお送りしていて、毎年12月の終わりには「キング牧師の日チャリティーコンサート」に関する通信をお送りしてきた。しかし、今年は、昨年の12月末の手術以後1ヶ月は安静にと言われ、かつ疲労や寒さも手伝って、何もする意欲もわかず、「キング牧師の日チャリティーコンサート」をするかどうかさえ決められないでいた。

ところが何人もの方々から「チャリティーコンサートはどうなっていますか」との問い合わせをいただき、やるならば、会計年度内にやろうということで、急遽3月29日(日)に決まった。イベントの内容も徐々に煮詰まってきた。数日のうちに「オーリアッド通信」あるいは facebookのイベント欄で発表したいと思う。



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