OREAD Diary
January 1-31, 2-15
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Saturday, January 31, 2015
初登場の丸山眞弓さんを迎えてのオープンマイク。彼女の身近な人について、きれいごとだけでなく、リアルな感情をストレートに歌った歌に感銘を受ける。また今夜、丸山眞弓さん、丸山俊治さん、原田和恵さんの3人が、よねやまたかこさん作の「戦争をしない国」を三者三様に歌う。この歌は以前に丸山(俊)さんが歌うのを聞いてとてもいいと思ったが、今夜、3人に聞かせてもらい、その思いを新たにした。まさに今こそ歌われなければいけない歌。歌詞もさることながら、「ああ、なんて素晴らしい、二度と戦争をしない国」のメロディラインがいい。
後半最後、聞きにきてくださった、竹入修二さんに、先月訪問したというベトナムについて話してもらう。そのあと、彼の話をうけて、ぼくのベトナム体験を語る。13年前、ジム・グリーンを訪ねてサイゴンへ行った。バーモントからはテイヨー・ゲイブラーがやってきた。一日、北ベトナム出身のベトナム人ガイドに案内されて、アメリカ人と日本人がベトコンが掘った迷路のようなせまいトンネルを訪ねた。
70余年前、日本軍はアジアに進攻し、ベトナムから大量の米を調達した。そのせいでベトナム人200万人が餓死したと言われている。40数年前、アメリカ軍は、ベトナム戦争を戦い、多数の死者を出しただけでなく、枯葉剤を散布することで、今でもその被害は続いている。
過ぎてしまえば、戦争がいかに愚かしいものであるかわかる。憎しみの連鎖、報復合戦がもたらすものでいいものは一つもない。行き着く先は、人類滅亡と、地球破壊だけである。
ぼくのベトナム体験記:
http://www.nagano.net/journal/miura/010314.html
Friday, January 30, 2015
朝から何度も雪かき。雪かきの合間に写真を撮る。
少しづつ採点をしている。毎年成績の提出が締切間際になってしまう。今年はできるだけ早く済ませ、シラバスを作成しなければ。
夜、森林生産組合の総会へ。慰労会をパスさせてもらって帰宅。
Thursday, January 29, 2015
寒い一日。昨夜、歌声喫茶が終わり家に戻ったとき、玄関先の温度計は−7℃を指していた。今朝起きて、新聞をとりにいくとき見たら−12℃だった。最近では最も低い気温。
終日、期末試験の採点。もっとも苦手な作業。しっかり書けている学生もいて、元気づけられる。しかし何度繰り返しても、学ぶ意欲がない学生には馬の耳に念仏。馬耳東風。馬を川辺まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。嗚呼。
Wednesday,January 28, 2015
天竜づくだし倶楽部主催の本年度最初の歌声喫茶 。いつも感じることなのだが、ここに参加する人たちの歌声のなんと綺麗なこと。
昼を挟んで2コマのクラス。期末試験。帰路、久々にあがたの森の喫茶店へ。コーヒーを飲みながら、Kindle で「勇気の心理学アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本」を読む。「嫌われる勇気」ほど感動はしなかったが、この本のほうがアドラー理解のためには役立つかも。ずっと昔読んで少々違和感を感じた 「どうしたら幸せになれるか」を書いたB. W. ウルフがアドラーの門下生だったと知り、納得した。
Tuesday, January 27, 2015
午後2つの試験。帰路、ケイヨーD2に寄り、車の足元に敷くゴムのシートを購入。ガレージの前がぬかるんでしまい車に乗るたびに、どろんこになるので。これで少しはよくなる。
たいてい夜は7時のニュースをみて2階へ上がるのだが、今夜は続いて、クローズアップ現代「詩人・吉野弘」の世界」を見る。前からこの詩人のことは知っていたし、彼の詩集も一冊もっている。平易な言葉で日常の機微を詠む彼の詩のスタイルが好きだった。今夜とりあげられた「祝婚歌」も「夕焼け」も好きだった。しかし、今夜は今まで以上に彼の言葉が心に届いた。
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難する資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
・・・・・
Monday, January 26, 2015
午後、two classes at 南箕輪村。そのあと、内視鏡手術をした12月22日(月)の補講を1クラス。もうひとつのクラスの補講は来週試験のあとに。出席しなくても不利にはならないと言ってあるので、出席した学生は少なかったが、個人的な話ができて、よかった。60分で切り上げようと思っていたのに、結局いつもと同じ90分になってしまった。
夜、明日の期末試験の問題を2つ作る。
Sunday, January 25, 2015
久々に Skypeで雅樹くんと話す。3歳と2ヶ月。赤ちゃんから少年になりつつある。ちょうど1年前の今日が長男の結婚式。次男の家族はニュージーランドから式に参列するためにやってきて3週間ほど滞在していった。今年も5月の終わりにくることになった。ほたる祭りの頃まで滞在できるとのこと。楽しみだ。
手術から1ヶ月が過ぎ、普通の生活に戻ってもいいと言われているのに、何もする気になれなくて困る。身体がだるく、集中できない。今日も、期末試験をつくろうと長時間パソコンの前にすわっていたが、遅々として進まず。まるで入口の石段でごろごろしているフィービーのよう。
散歩をして気分転換をしたいと思って外に出たが、どこへいっても雪ばかり。家の周りをぐるっと回っておしまい。しばらく安静にしていたせいか、筋力が落ちている。歩いているとときどきふらつく。気をつけなければ。
この英語でいうところの lethargic な気分は、今朝知った2人の人質のうちの一人が殺害されたというニュースと無関係ではないだろう。
Saturday, January 24, 2015
新年になって3回目のオープンマイク。オーリアッドの常連が集っての素敵な夜になった。出演順に、丸山俊治、原田和恵、太田裕士、三浦久、赤羽真理。休憩時間、武居先生の差し入れの草餅と味噌餡の入ったお餅をいただく。
Friday, January 23, 2015
火曜日に家人が寝室で見つけた鳥の亡骸をようやく今朝、藤棚の下の土に返してやった。火曜日、ぼくが仕事に出たあと、これを見つけた家人は、びっくりして「うわっ」と大声を上げたようだ。その声を聞いてフィービーが逃げていったという。フィービーの仕業である。
家人がこの鳥を袋に入れてガーレージに置いておいたのだが、翌日その袋の中を見せられたとき、ぼくも驚いて「うわっ」と大声を上げた。雀よりもずっと大きい。
Wednesday, January 21, 2015
Thursday, January 22, 2015
朝から雪。午後は雨になった。気圧のせいか、寒さのせいか、気分が落ち込んでいる。しかし、風邪はようやく治りつつある。身体が軽くなった。
午前中、テニスの全豪オープン2回戦、錦織選手の試合を見る。格下の相手とのことで、楽に勝てると思っていたが、豈図らんや、第一セットを落とし大苦戦。第二セットは苦戦したものの7-5で勝ち、第三セットは 6-2で一方的勝利。第4セットも接戦でタイブレークになったが、タイブレークは1本も落とさず 6-0で勝ち、試合をものにした。
内視鏡で大腸の腺腫摘出手術を受けたの先月22日。1ヶ月が経った。手術後1ヶ月は安静にというお医者さんの忠告に従って、雪かきなどの力仕事は避け、可能な限り家で静養していた。そのせいか、この1ヶ月はとても長く感じた。
でもよかった。おかげで、一応これで完治したと言える。早期発見、早期治療のおかげである。この間、みなさんからお寄せいただいた。ご厚情に感謝いたします。
UAEと日本のサッカーの試合を見る。まれに見る熱戦。1−1の同点で延長に入り、それでも決着がつかず、PK戦に。本田と香川がはずし、日本破れる。試合そのものは日本が断然有利に進めていた。
夜、期末試験の問題を考える。どうしても難しい問題にしようとしてしまう。気をつけなければ。
お昼を挟んで2コマ。昨日の授業と同じくここでも2本のスピーチを見る。そして前期と後期の歌から10曲選んで歌う。昼過ぎのクラスには全日本クラスのスケート選手が4人いて、大会参加のために、期末試験が受けられない。追試申請を出すよう指導。そのうち一人はノルウエーのワールドカップに参加するとのこと。がんばってほしいものである。
久々に歌を書きたいという気持ちになってきた。それも長編を。エイミー・ビールについて過去に書いたものを読みなおしている。これは1993年8月に南アフリカで殺されたアメリカ人女子大生の話。いま吹き荒れている中東をめぐる問題とも無関係ではない。なんとか途中で挫折しないようにがんばりたい。過去、何度か途中でギブアップしてしまった。
Tuesday, January 20, 2015
午後2コマのクラス。期末試験を残してはいるが、今年度最後の授業。 スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチとキング牧師のI Have a Dreamのビデオを見る。前者は前期の初めに、後者は後期の初めに学んだもの。最初にこれらのスピーチを聞いたときよりも、聞き取るようになっていたらいいのだが。彼らのメッセージが学生の心に届いていてくれたらいいのだが。
Monday, January 19, 2015
今朝起きたら、風邪はますますひどくなっているよう。声が出ない。「碌山」の最初の2行を歌ってみる。
それは明治30年
安曇野の春の始め
2行目の「安曇野の」の一番高音の「野」が出ない。今日は午後1時から授業がある。学生と一緒に歌も歌う。困った。家中にある風邪に効きそうなものを全部飲む。葛根湯、シオノギのPL、プロポリス、アリナミン、枇杷茶、水素水、龍角散。久々にプロポリスを飲んだが、これがかなり効きそうな気がした。
Sunday, January 18, 2015
数日前から、鼻水が出てくしゃみをしていたが、今日はとうとう本格的に風邪を引いてしまったようだ。熱はないので、インフルエンザではないと思うが。身体がだるくてしんどい。今週は期末試験前の大事な週。寝込んではいられない。
都道府県対抗の駅伝大会を見た。昨年は長野県が優勝しているとのことだったので、期待したが、10以下の記録で連覇はならなかった。箱根駅伝で活躍した青学の神野選手は愛知県のチームのアンカーとして出場したが、1区の選手がゴール寸前で倒れ、タスキを2区の選手にわたすのに、投げたとのことでチームは失格になってしまった。
夜は明日のクラスの準備を少し。明日の朝起きたときは、風邪がなおっていたらいいのだが。
Saturday, January 17, 2015
Friday, January 16, 2015
Live in Dubline の校正を送ることができたのは、結局、午後1時になってしまった。全33曲、英詩と対訳をチェックするだけでもそうとう時間がかかる。しかも、1曲1曲が長い。とりあえず送ることができてよかった。
朝早くに、ほんやら堂が火事ですというfacebookのメッセージが届いた。信じ難かった。ネットで調べてみたら本当だった。ほんやら堂へ初めて行ったのは1973年、七夕コンサートの打ち合わせに行ったときだったと思う。そこで他の4人のメンバーに会った。それから片桐ユズルさんが中心になって活動していたオーラル派の詩の朗読会に呼ばれて歌ったことがあった。その詩人たちの詩を片桐さんが編集した「ほんやら堂の詩人たち」という本が晶文社から出た。その中にぼくの歌もいくつか加えてもらった。南正人の歌を初めて聞いたのも」ほんやら堂だった。振り返ってみればいろんなことが思いだされる。
Thursday, January 15, 2015
さて今日から少しリラックスできると思っていたら、午後、 Live in Dublin の校生をお願いしたいとの電話があった。そのあと、夜、校正原稿が届く。PDFで送られてきた20ページの原稿には、校正マン(maybe ウーマン)によるチェックがいっぱい入っている。
そのPDFの原稿を印刷しようとしたがうまくいかない。前はできたのに。いろいろいじっているうちに、プリンタのドライバを削除してしまった。さあ大変。いろいろ試みたがダメ。プリンタのセットアップCD-ROMを探し出してインストールしようとしたが、これもダメ。ぼくが四苦八苦しているのを見ていた家人が長男に連絡。彼から電話がきて、CD-ROM の扱い方を教わり、あれあれ、驚くばかり、あっという間に動きだした。
できたら今夜中に済ませて送りたかったが、疲れてしまい到底無理。明日の朝のうちに送れたらいいが。
昼頃から雪が舞い始め、夕方からは本格的な雪に。今夜は森林組合の理事会があったが、体調のこともあり欠席させてもらう。
Wednesday, January 14, 2015
昼を挟んで2コマのクラス。今学期学んだ10曲の歌をもとにした英作文の練習。そして全10曲を歌う。これらの歌をすべて歌詞を見ないで歌うことができれば、自分の気持ちを英語で表すことがかなり容易になるはず。Imagine を歌う前、フランスの週刊新聞社のテロ事件について少し話す。まさにこの歌の2番の歌詞が、この事件の根底にある。
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too.
想像してごらん、国なんてないって
そんなに難しいことじゃない
そのために殺したり死んだりする大義なんてない
宗教だって
帰路、ヤマダ電機によって通販で入手した自動車用ナビのACアダプターを買おうとしたら、ないとのこと。昨日はケーヨーD2にもなかった。家に帰って通販でしらべたら、あった。さっそく注文。
Tuesday, January 13, 2015
木名瀬先生のことを思っている。今週の初め、先生の娘さんから先生の訃報が伝えられた。昨年11月体調を崩し、入院していたが、今月4日に亡くなったとのこと。享年95歳。
先生には大変お世話になった。特に先生はニュージーランドとのつながりが強く、豊南短大の留学プログラム、辰野とワイトモの姉妹都市締結など、先生が豊南に赴任されなかったなら、それらは存在してはいなかった。先生のおかげで多くの若者たちが、ニュージーランドへ留学したり、短期のホームステイをしたりする機会が与えられた。若者たちだけでなく、町の人々の多くも、ニュージーランドを訪ねたり、ニュージーランドから辰野を訪問する人たちとの交流を持つことができた。
初めて先生と一緒にクライストチャーチのヒルモートン高校へ学生を連れていったときのことをよく覚えている。ヒルモートンに学生を預けたあと、先生と二人でニュージーランドの北の端にあるワンガレイ・ガールズハイスクールを訪ね、先生とは旧知の間柄のブライアン校長先生にお会いした。最初先生はこの町と辰野が姉妹都市になったらどうかと考えていた。
そのあと、ワイトモを訪問し、そこでレス・マンロー町長にお会いした。先生とマンロー町長はともに第二次世界大戦中、戦闘機のパイロットだったということもあり、意気投合されていた。土ボタルの洞窟に案内されてその不思議な光をみたとき、姉妹都市はこの町がいいと思った。先生にもそうお伝えした。
その後、当時の小沢町長や樋口議長等とワイトモを訪問した。ワイトモからもマンロー町長やミュアー助役等の訪問があり、今から20年前の4月、正式に姉妹都市提携の調印が行われた。
木名瀬先生に最初につてれいってもらったヒルモートン高校の校長先生のおかげで、次男はその高校に中学卒業と同時に留学し、最初は英語もわからず苦労しただろうが、何とか卒業し、カンタベリー大学で学び、今はクライストチャーチの病院で看護師として働いている。15歳だった、次男が初めてニュジーランドへ渡ったのは。そろそろ20年になる。
木名瀬先生には公私ともにお世話になった。目を閉じれば、先生のほがらかな笑顔が浮かんでくる。そうそう、ぼくが短大を辞めようとしてとき、「三浦先生が辞めるなら、ぼくも辞める」と強い口調で引き止められたことがあった。あのとき「叱責」の言葉にも大いに感謝している。それから何年後か、先生が定年退職された年に、ぼくも辞めた。
Monday, January 12, 2015
今朝は朝焼けがきれいだった。王城山の上。
サッカーはパレスチナに勝ったが、恵まれた日本の選手が活躍するのも当然に思えた。パレスチナの選手たちは練習も思うようにできないのでは?
フランスでの新聞社襲撃事件を追悼するデモ行進がパリで行われた。各国の首脳を中心に数十万人が参加したという。しかもイスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長も参加したという。フランス全土では300万人を超える人が参加したらしい。これを機会に宗教や民族を超えて中東のあの地域が、いっきに寛容と融和に向かうならば、払われた多くの犠牲も報われるのだが。
Sunday, January 11, 2015
早起きたときは太陽が出ていたが、徐々に曇りはじめ、午後には雪になった。あまりの寒さに、午後、隣町の温泉はいくことに。その前にお店に行き、昨夜の後片付け。温泉の駐車場はいっぱい。今までこんなに混んでいたことはなかった。上の駐車場へ車をとめることに。
駐車場が混んでいた割には、温泉そのものは混んでいなかった。長い間湯船につかり、サウナに入り、再度湯船へ。これでおよそ50分。2時に入って、2時50分に待合室で落ち合おうと約束していたが、服を着て、濡れた頭をドライヤーで乾かしていたら3時になってしまった。10分待たせてしまったようだ。
帰路コメリに寄り、灯油を購入。寒いので灯油の消費が増える。次回の配達は1週間後とのことで、いくらか補充しておくことに。
大相撲新場所が今日から始まった。遠藤 vs 逸ノ城だけ見た。遠藤は新入幕の場所はよかったが、その後は負けてばかりいると思っていたが、先場所は10勝5敗だった。悪くない、今日の相撲も完璧だった。逸ノ城は巨体を生かせず、簡単に勝負あり。やはりもう少し経験をつむ必要がありそうだ。
Satruday, January 10, 2015
本年度最初のオープンマイク。出演順に、(敬称略)原田和恵、金子昭二、坂井俊水、赤羽真理、大月高志、三浦久、長島勲、垣内彰。休憩時間には、丸山さんと原田さんが差し入れてくたお菓子をいただく。後半の最後には、最後全員で、Amazing Grace を歌う。
Friday, January 9, 2015
久しぶりに終日家に。休み明け最初の週のクラスが終わり、翻訳の締切が終わり、ほっとしたのか、何もする気になれない。おそらくとても疲れているのだろう。寒さのせいもあるかも。
午後、井上先生からいただいた村上光照老師の「仏の心を生きる」というDVDを見る。これを見るのは2度目。村上老師の話の中で、蝶や鳥が彼の身体に止まりにくるという話を聞いて、即宗和尚のネズミのエピソードを思い出した。深い宗教的体験をした人にはそういうことが実際にあるに違いない。
夜少しギターを弾いて歌う。明日は久々のオープンマイク at OREAD。
Thursday, January 8, 2015
先月27日に退院してから、初めての診察 at 11 at 伊那中央病院。診察というよりは、先月の内視鏡手術の説明を手術時の写真を見せてもらいながら、受ける。結論からいえば、退院時にお聞きしたときと同じ。完全に腫瘍は除去されたので、転移の心配はないとのこと。ほんとうにありがたい。
帰宅後、Live in Dublin の bonus tracks 3曲の対訳と、2曲目の Anyhow が始まる前のコーエンのトークの訳を送る。“Nurse, would you mind tapping out a few bubbles from my IV?”が訳に苦労した。お医者さんを含む何人かの意見を聞いて、「看護師さん、私の点滴の管から気泡をとってくれませんか」とする。IV は静脈注射だが、泡、あるいは気泡を tap out (軽くたたいて出す、引き出す)というところから、点滴がいいという結論。ちなみに点滴は IVDというらしい。
夜、ギターの弦を変える。
Wednesday, January 7, 2015
2コマ目のクラス終了後、家人から電話があり、今日はどこにも寄らずに急いで帰宅。Live in London の bonus track のトークの訳が抜けていると連絡があったとのこと。早速、担当者と電話で話す。トークに関してはスクリプトをいただいていたので、それを訳してお送りしたが、ボーナストラックのトークはスクリプトに入っていなかった。
実はDVDを見たとき、どこにボーナストラックが入っているかわからず、Old Ideas の英詩と対訳をお送りしておいた。これが間違いの元だった。早速、ボーナストラックの場所を教わり、まず聞いて見る。ガーン! いつものことながら、歌詞がところどころ変更されている。まず、それを聞きとる。かなり時間がかかってしまった。トークに関しては英語の字幕があるので、とりあえず、それを書き出す。新しい英詩のみまず送り、その対訳とトークの訳は明日ということに。
今日はとてもいい天気。車に乗っていると日差しが強く、暑いくらい。行きも帰りも、北アルプスの雪をいただいた山稜が青空を背景に美しい。写真を撮りたかったが行きも帰りも急いでいて、その余裕がなかった。
パリの週刊誌の本社で乱射事件があり、12人が死亡したというニュースは、まさにコーエンの The Future を思わせる。コーエンの極めて悲観的な言葉を思い出させる。
私たちは今、世界崩壊後の余波の中で生きている。私たちが直面している問題はいかに世界の終わりを避けることができるかではない。世界はすでに終わったという知識をもってどう生きるかということである。
Tuesday, January 6, 2015
朝から大雨。雪でなくてよかった。午後2コマのクラス。クラスが終わったあと、事務局へ。12月に休講した2クラスの補講をどうしたらいいか相談する。今年は試験期間が2週間あるとのことで、1週目に補講をし2週目に試験をすることに。試験期間が2週間あるのは、現在、共通教育の建物が耐震工事中で、教室が足りないからとのこと。
今年度は3日6コマを担当したが、とても大変だった。4月からは2日4コマに減らしてもらった。月曜日と水曜日。午後2コマづつ。午後2コマというのは好きだ。午前中に下調べができる。
帰路、ケイヨーD2に寄り、Maxell のCD-Rのパックを買う。先日やいたCD-Rは質が悪く、車のCDプレーヤーでも、ポータブルのプレーヤーでもうまく鳴らないことが判明。突然忘れたころに音が出ることも。
久々に読んだ中村天風のことば:
この中には病気の人もおありでしょう。また運命的に恵まれない人もありましょう。それを恵まれない、恵まれないと言ってからに、お互いの生きる世界を暗くして、窓をあければ明るい座敷を、窓をしめて暗くしているような人生を生きるのでは、人間と生まれたからには、もったいないこどではないでしょうか。・・・人の命はいっぺん死んでしまったら、二度とこの世に出られません。である以上、たとえ現在がどうであろうとも、三寸の息絶えて、万事休す、その日まで生きているんですから、死なないかぎりは生きているんですから、たとえどんなことがあろうとも、生きているというこのありがたさを心に思い、どんな辛いことがあるとも、どんな悲しいことがあろうとも、すべてこの俺がもっと高い心の境地になるための、天の試練なり、というふうに考えて、それを喜びと感謝に振り替えたら、どうでしょう。(宇野千代聞き書き「中村天風の生きる手本」 三笠書房、pp. 225-6)
「どんな辛いことがあるとも、どんな悲しいことがあろうとも、すべてこの俺がもっと高い境地になるための、天の試練なり」というところがいい。
今朝届いたメルマガに『女子の武士道』という本が紹介されていた。その中にあった著者の武士の娘だったという祖母が語った言葉がいい。
人生というのは思いがけない出来事にみちているものです。祖母は「なぜこんなときにこんなことが」と思わずにはいられない事態に見舞われても、必ず「これこそが宝だと心得るように」と教えました。
中村天風の言葉に通ずるところがある。
Monday, January 5, 2015
午後2コマのクラス in 南箕輪村。今日はいっきに 2曲 Nowhere Man と Turn Turn Turn を歌い、これで後期に用意した全10曲を歌ったことに。前者は以前にも取り上げたことがあるが、後者は初めてではないだろうか。曲を聞き、歌詞を訳してから、旧約聖書「伝道の書」の冒頭の部分「空の空、空の空、一切は空である」と第3章1-8節を読む。。
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時がある、
・・・・・
ピート・シーガーは最後に、「平和に時があり、誓ってもいいまだ手遅れではないと」を加えている。そうすることによって、この歌は厭世観に満ちた詩から、希望の歌に変化した。但し、「伝道の書」の作者の意図とは少し離れてしまったかもしれない。
今日読んだ教科書の文章に ミラー・ニューロン(mirror neuron)について書かれたところがあった。
The recent discovery of mirror neurons in humans leads to scientists' belief that the brain can influence altruistic behavior. 人間の脳の中にあるミラー細胞の最近の発見によって、科学者たちは、脳は利他的な行動に影響をあたえることができると信じるようになった。
と一応訳してみたが、ミラー・ニューロンなるものが何かよくわからない。 Wikipedia で調べてみたがもう一つわからない。いろいろ読んでいるうちに、おぼろげながらわかったことは、人間の脳の中には他者に共感する細胞があるということ。それが鏡細胞と呼ばれるのは、鏡に写すように、他者が泣いているのを見て自分も悲しくなり、他社が笑っているのを見て自分も笑うからだろう。いずれにしろ、共感することができるのは人間だけのようである。
詩人というのはミラー細胞の多い人なのかも。
Sunday, January, 5, 2015
今日も寒い一日。
明日からまた日常生活が始まる。今学期歌った歌は、学生用に作ったサイトで聞けるようにしてあるので、CDは作らないつもりだったが、冬休みが始まる前、何人かの学生から、後期のCDはもらえないのかと聞かれた。それで今日、急遽作ることに。
Last Thing on My Mind と Turn Turn Turn の2曲の音源がコンピュータに入っていない。CDもない。オーリアッドへいけばあるが、寒いし、探すのが大変。そこで YouTubeの音を mp3 に変換できないかと検索したら、まさにそのためのサイトがあった。これは便利。
これがそのサイト: http://www.youtube-mp3.org/jp
YouTube の URL をインプットし、動画変換をクリックするとすぐに mp3に変換してくれる。
クリスマスに贈ったトトロのぬいぐるみを雅樹君が気に入っているとリンからメールが入った。夜寝るときは一緒に寝ているようだし、みんなに「じいちゃんとばあちゃん」からもらってと話してるらしい。(Msaki absolutely loves Tottoro (he sleeps with him in his bed at night). He tells everyone proudly that "jiichan and baachan" gave him Tottoro.
それは昨年11月下旬、AFS Japan 60周年のreunion に参加した翌日、東急ハンズでみつけたもの。気に入ってくれてよかった。
Saturday, January 3, 2015
昨日に続き今日も天気がいい。こんな日は気温が低い。放射冷却。箱年駅伝の最初と最後を見る。青山学院の圧倒的な勝利。最後は追いつかれるかもしれないと思っていたが、逆に大きく差を広げての優勝だった。
午後、マーティンのチューニングをして、ひがしの君の「ブラート・オクジャワについて」を弾いてみる。しっかりした音色である。よく響く。以前は鳴りすぎると思って敬遠していたが、いい音である。しばらく使ってみよう。
夜、残していた中間試験の採点。10時すぎ階下へ降りてニュースを見ようとしたら、『京都人の密かな愉しみ』なるドラマをやっていて、つい最後まで見てしまった。美しい映像。しかしこれを見たあと考えた。このドラマを見た人はまた京都や京都人を誤解するのではないかと。いい方へ。
Friday, January 2, 2015
毎年箱根駅伝を楽しみにしている。今年の往路にはドラマがあった。体育系のイメージからは遠い青山学院大学が、5区の山登りで劇的にトップに出て逃げ切った。2位とは4分以上の差をつけたので、明日の復路もがぜん有利に。それにしても5区を走った神野大地君には驚いた。名前も堂々としているが、、その走りが見事である。名前通り、山登りの神、三代目就任にふさわしい。
長男は午前中に帰るとのことで、駅まで送る。先月22日に内視鏡手術をして以来初めてハンドルを握る。来週月曜日には冬休みが終わる。運転に慣れておかなければ。帰路、オーリアッドに寄り、長い間使わなかったマーティンをもち帰った。今年は赤いタカミネと併用しようと思う。
身体の調子は悪くない。手術したところも痛まない。問題は食べ過ぎ。身体を動かさないで食べてばかりいるので、体重が増えてしまった。明日から糖質制限ダイエットを再開すべき。
Thursday, January 1, 2015
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新しい年。朝起きて階下へ降りてゆくと、リビングの窓を通して東の空に太陽が昇りつつあるのが見えた。カメラを取りに行き、サンデッキに出て、シャッターを押す。
元旦の朝は、村の神社とお寺にお参りするのが恒例となっているが、1982年にこの地に戻って以来初めて、家人と長男に任せて、ぼくは家にいることに。神社の長い石段を上るのは身体によくないだろうと。
家にいてニューイヤー駅伝を見ながら、うとうとしているところへ家人と長男が戻ってきた。年賀状がきていたようだ。
印象に残った言葉を少し:
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」 高倉健さんの座右の名で、生涯私淑された天台宗の酒井雄哉大阿闍梨の言葉です。酒井大阿闍梨には二度お会いしましたがニコヤカで偉ぶらないオーラのある方でした。
今年は戦後70年という大なき節目の年。沖縄の民謡協会九団体が心を一つに、歌、三線で沖縄から不戦の誓い、平和の発信をしようと一月四日、「第一回新春民謡合同弾き初め会」を開催することになりました。
10月11日に男の子が生まれました。老骨にムチ打って子育て中です。
十億の人に十億の母あらむも、わが母にまさる母ありなむや (暁烏敏)
レナード・コーエンの新作、ディランの「ベースメント・テープス」、スプリングスティーンのリマスターBOXに圧倒されております。
去年はDylan 3回見ました。元気でした。私も元気です。
有賀峠越えのOREADでは異色なイベントがいくつかありました。中でも映画「カンタ!ティモール」は圧巻でした。
Peace comes when we begin to look within our heart. It begins with inner serenity. Breathe slowly...
最近物が見えづらくなってきました。であればこそ、本質的なものを見据えて生きていかなければ。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」(2コリント 4:18)
今ほとんどなくなったもの―女の子の家に電話するとき「父親が出ないでくれ」という祈るような気持ち。「あっ、ヒューズが飛んじゃった」というセリフ。部厚い辞書を持ち歩く学生。今やコンサイスも広辞苑も厚さ3ミリの「辞書機能」。適当な長さの春と秋。そのうち雨期と乾期だけになってしまうかも。鼻を垂らす小学生。鼻を吹いてテカテカに光っている袖。正しい日本語を話すアナウンサーや解説者。
小樽は雪にやられてます。
昨年から区民農園で家庭菜園を始めました。わずかな広さですが、それでも収穫の楽しみを味わっています。
老年期を「第三の人生」というそうで、今年は「生まれ変わる年」にしたいと思っています。
今年のお楽しみは3月のCSNとジャクソン・ブラウンです。
寒炉深く炭を撥く
孤燈復た明るからず
寂寞として半夜を過すに
壁を透して渓声遠し(良寛)今年の3月末に42年勤めた大学を退職することになりました。最後の講義は3月末にパリ大学でする予定です。
馬齢を重ねたせいか、不摂生な生活のせいか、医療費がかさむこの頃です。達者が一番と痛感しています。
いつまでもお元気でいてください。
まだまだたくさんありますが、このくらいで。