OREAD Diary
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Wednesday, December 31, 2014

2014年、最後の日。静かな一日。家人はおせち作りに、今夜のお年取のご馳走づくりに忙しい。例年ぼくがする神棚や仏壇の準備も長男に頼むことに。高い神棚にお神酒を載せるために踏み台に上ったりするのはまだ控えたほうがいいとのことで。

なんて一年がすぎるのが早いのだろう。何もしないうちに一年経ってしまったようだ。でも振り返ってみれば、いくつか印象に残っていることがある。

先ず1月末の長男の結婚。良い縁を得て良い人と巡りあった。その結婚式に参列するために、次男の家族がニュージーランドからやってきた。次男は次男なりに異国がんばっている。ときには辛いことや淋しいこともあるに違いないが。

ライブ関係では次のライブが印象に残っている、3月の小山卓治さんとのジョイント at harness。6月の小山さん、中井くんを迎えてのほたる祭りライブ。7月の京都拾得での七夕コンサート。残念ながらぼくの歌を理解し評価してくれた数少ない人の一人、ひがしの君の追悼コンサートになってしまった。そして12月のマンダラ2での年末ライブ。

7月には原田和尚の出版記念の会に出席するため飛騨高山へ。そこでネルケ無方さんに会った。8月には紀野先生のお別れの結集に参加するため高野山へ。

9月にはモンゴメリー高校 class of 64 の卒業50周年のリユニオンに参加。家人とサンタローザへ。懐かしい多くの人びとに会った。懐かしいといえば、サンタローザへ行く1週間前、町のパークホテルで開かれた中学の同窓会でも、多くの懐かしい人々に会った。紅顔の美少女美少年はみんな古稀を迎える爺さん婆さんになっていた。ここで出会った関東在住の同年生5人がマンダラ2のライブにきてくれた。

今年もっとも印象に残ったことは、やはり、今月22日の大腸の腺腫除去の内視鏡手術である。ポリープを除去する簡単な手術を予想していたが、4時間半の大手術になった。病理検査の結果、初期の大腸癌と判明。手遅れになる前に、完全に切除することができて、本当にラッキー。

今年後半は、翻訳の仕事も多かった。レナード・コーエン、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル。それに今回新たに翻訳はしなかったが、過去に翻訳したものが使われたスプリングスティーン。

こうして振り返って見ると、この一年何もしないうちに過ぎてしまったわけではなさそうだ。多くのことをしたし、多くの人に出会った。

ご協力いただいた多くの方々に感謝。そして、今こうして生きていることにも。



Tuesday, December 30, 2014


今朝は9時から神社委員として村の神社の年末の清掃がある。これも長男に行ってもらうことに。ありがたい。ぼくは、いくつかのやり残した仕事をする。その一つはまだ返していないクラスの中間試験の採点。

このクラスにはスピードスケートの選手が4人いる。そのうちの一人、一戸誠太郎君は今年のほたる祭りライブに来てくれた。一昨日のサンデーモーニングで、彼の名前が出てきて驚いた。
広市で行われたスピードスケートの全日本選手権で、19歳のウィリアムソン師円(日本電産サンキョー)が優勝し、2位は18歳の一戸誠太郎(信州大)だったとのこと。

調べてみたら、ふたりは今年の3月まで山形中央高校の同級生だった。

http://www.yamagata-np.jp/news/201412/24/kj_2014122400589.php

部屋で仕事をしているとフィービーが邪魔をしにくる。膝に乗りたがる。しばらく留守をしていたので、無碍に追い返すこともせず、しばらく乗せておく。夏は暑苦しいが、冬には暖房効果があっていい。



夜、facebook を見ていたら、鈴木大拙師と犬養道子さんの対談のYouTube が載っていた。とてもよかった。宗教とは何かという犬養さんの問いに、見事な返事を大拙師は返した。それに対して「わかったようなわからないような」という率直な感想を述べた犬養さんもさすがである。犬養さんの話し方は、宮木神社の宮司さんの話し方に似ていて驚いた。昔の良家の子女はああいう物言いをしたのだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=3AKxPpfQs54


Monday, December 29, 2014

朝起きると一面の雪景色。彩子さんは、「わっ、きれい」と言いながらスマホで写真を撮っている。長男はぼくの代わりに旧道の雪かきに。長男がとてもいいタイミングできてくれたが、来なければ、家人が行くつもりだった。みんなぼくを病人扱いするが、ありがたいことである。





彩子さんは仕事の関係で、9時過ぎのあずさで帰る。大雪が降ったので中央線が不通だったら大変と思ったが、ちゃんと走っていたようだ。よかった。長男はもう数日滞在することに。


Sunday, December 28, 2014

朝食後クライストチャーチの次男から電話があり、しばらく Skype で話す。雅樹くんはわれわれがクリスマスに贈ったトトロのぬいぐるみが気に入ったようだ。



そのあと、
家人と長男夫妻が近所の家に挨拶に行き、帰ってきてから家の前で写真を撮る。それからお昼を食べに天竜川沿いのうなぎ屋へ。



みんな口々に、うなぎは精が強すぎるのでぼくは食べないほうがいいと言う。仕方なしぼくはニジマスの塩焼き定食に。3人は、うな重。みんなぼくを病人扱いして、重いものは持たせないし、食べ物にも気を使ってくれる。ありがたいと思わなければ。それに病院で少食に慣れたせいか、それまでも糖質制限ダイエットをしていたせいか、うな重をそれほど食べたいとも思わない。あれほど好きだった「おさか」の鰻なのだが。

午後、年賀状を印刷する。毎年宛名書きに苦労した。今年は長男が買ってきてくれた「らくらく筆ぐるめ年賀状2015年版」で宛名書きをする。これも簡単そうにみえて、ぼくにはかなり複雑。何枚か失敗する。それでも手で書くよりもはるかに早い。20年ほど前は400枚ほど書いていた年賀状はここ数年は200枚。これだけでも手書きとなると大変。


Saturday, December 27, 2014

朝6時、起床。カーテンを開けて外を見る。地面に雪は残っているが、からりと晴れた美しい日。朝食前、初めて許可されたシャワーを浴びる。お風呂は許可されなかった。朝食は、入院して初めて一般食。白飯、みそ汁、白す干、大根おろし、鉄火みそ。美味しかった。



午前9時、井上先生がお見えになり、今後の生活の注意点をお話してくださる。1ヶ月は安静にすること。睡眠を十分にとり、刺激の強いもの、お酒、コーヒー、にんにく、唐辛子などは避けたほうがいいとのこと。ぼくの場合は、睡眠不足に特に注意しなければならないだろう。

井上先生は、先日お話してくださった村上光照老師が今年の1月NHKのこころの時間に出演したときの「仏の世界を生きる」という番組をブルーレイディスクに焼いてもってきてくださった。いい先生に手術をしていただいたものである。

9時40分、家人が迎えにきてくれた。病院は今日から年末年始の休暇に入り、事務局も休んでいるので、支払いは後日ということになった。ナースステーションでお礼をいい、外に出る。風が冷たい。

10時すぎ、家に戻り、早速ライナーの訳を見直し、ソニーへ送る。間に合ってよかった。

                    ■

午後3時少し前、オーリアッドへ。今夜のオーリアッドでライブを行うメンバーが3時にリハーサルのためにやってくるとのこと。家人はしなければいけない買い物があるとのことで、ぼくがお留守番。3時過ぎ、フルートの赤羽泉美さん、マリンバの亀井恵さん、キーボードの今井亮太郎君がやってくる。コロムビアレコードのプロデューサー早川隆浩さんも。大きなマリンバが組み立てられステージの中央に。向かって左には今井君のキーボード。そのうちに家人がもどってきて、ぼくは送ってもらって家に戻ることに。

それに今日は7時過ぎ、長男夫妻がやってくることになっている。今夜は残念ながら、コンサートは聞けないと思っていたら、8時頃、家人から電話。カメラを忘れたとのこと。長男の運転で3人でオーリアッドへ。裏口から入り、カメラを渡し、ぼくと彩子さんは、カウンターの中で前半最後の曲、1曲だけ聞くことができた。フルート、マリンバ、キーボードが掛け合いながらお客さんを巻き込み進んでいく。いっぱい入ったお客さんたちも楽しそう。よかった。

安静にしていなければいけないぼくは、すぐにまた家へ。







家人が家に戻ったのは12時近く。後片付けなどで手間取ったようだ。しばらく皆で話をし、休むことに。


Friday, December 26, 2014

夕方、ベッドにすわって、ライナーの訳を見直しているとき、先生がお見えになった。摘出した腺腫の病理検査の結果が出たとのこと。きわめて初期の大腸癌だったという。「大腸癌」と聞いたときは、一瞬血の気が引く思い。最近、ぼくの村のぼくより若い人が大腸癌で亡くなったばかり。しかし先生はすぐに「すべてきれいに摘出できたので、転移する心配はありません」とつけ加えた。

それを聞いた瞬間思わず立ち上がり、先生の手をとって、「ありがとうございます」と頭を下げていた。いいタイミングで手術を受けたものである。いい先生に手術していただいたものである。まさに五日市剛さんの言う「ツイテル、ツイテル」である。

先生がお見えになる前、耳鼻科にも診てもらった。しかしこちらのほうは期待通りにはいかなかった。ぼくの難聴は治る可能性はないとのこと。いい補聴器を使うより他に方法はないらしい。

明朝退院ということになった。ありがたい。ライナー訳の締切は年内とのことだったので、帰宅したらもう一度見直して、送りたい。

  偉大なことを成し遂げたいと
  健康を求めたのに
  与えられたのは病気だった
  何が偉大か学ぶために


この歌詞の4行目はオリジナルの英詩にはない。ぼくが訳しているうちに、そう書きたくなって書いたものである。自分で書きながら、その偉大なものが何か分からないでいた。今、それがおぼろげながらわかったような気がする。これから規則正しい生活を心がけたいと思っている。


Thurday, December 25, 2014

今朝起きたら鼻かぜを引いたようだ。昨夜遅く体を洗おうと、バスタブに少しお湯を入れ、身体を洗ったのがいけなかったか。でもたいしたことはなさそう。看護士さんの言うには、点滴の中には抗生剤が含まれているので、風邪は重くならないだろうとのこと。

午前の回診にきた井上先生に耳鼻科で難聴の診察をしてもらえるかお聞きしたところ、明日の午後診てもらえることになった。ありがたい。

家人が好物の鳩サブレをもってきてくれた。先日mandala 2 で従兄弟の宏之さんからいただいたもの。おいしかった。お昼も、七分粥が出た。そろそろ何でも食べられそう。



午後回診にこられた先生と話す。先生が仏教、特に禅に関心があることを知りおどろく。坂村真民さん、紀野先生、ネルケ無方さんについてもよく知っていた。それにぼくが知らなかった村上光照という曹洞宗の禅僧について教えてもらった。タブレットで検索して、彼について知ったが実に凄い人だ。沢木興道老師の弟子で、京大大学院理学部で、湯川秀樹のもとで素粒子の研究をしていた人とか。これから少し調べてみよう。


Wednesday, December, 24, 2014


熱も血圧も正常。先生が9時過ぎにやってきて、お昼には重湯を食べてもいいということになった。Live in Dublin のライナーの翻訳を再開する。テーブルをベッドの上からベッドの脇にもってきて、ベッドにすわることにしたので働きやすい。

1215分、重湯、野菜スープ、カスタードクリーム、それに小さなパックのアップルジュースの献立のお昼が届く。スープには野菜の姿は一切見えない。重湯にも米粒は一切ない。それでもすべておいしかった。


先生が午後3時過ぎ再びやってきて、お腹の調子を聞く。痛くないというと、今週末には退院できるだろうとのこと。ありがたい。

夕食は、3分粥とコーンクリームスープ、半ぺんと小松菜のだし煮、トマトのみじん切り。それにヨーグルト。美味しかった。




夜はテレビと翻訳。


Tuesday, December 23, 2014

昨夜は一時少し痛んだが、耐えられない痛みではなく、よく眠れた。今朝の窓外の景色は美しかった。



よほど疲れていたのだろう、午前も午後も眠っていることが多かった。手術後に渡された診断書によると、今回の手術はポリープではなく腺腫摘出の手術だった。細胞検査の結果次第で早期大腸癌の可能性もあるとのこと。検査の結果がわかるのは1月になる可能性もあるとのこと。

夜、SBC でしばらく筋力対決番組を見てしまった。見ているだけで力が入り、手術後の体にはよくないことこの上ない。


Monday, December 22, 2014

9時に少し遅れて家人の運転する車で病院着。受付を済ませ、2階の消化器内科の受付へ。すぐに5階の病室へ案内される。狭い個室だが、バストイレつき。窓から見る景色がすばらしい。



すぐに2リットルの下剤と1リットルの水を2時間けけて飲む。何度もトイレへ。最後は水のようにきれいになる。

最初12時半、手術開始と聞いていたが、外来の患者が多く、時間がかかり、2階の手術室に入ったのは1時半すぎ。手術が始まったのは2時。内視鏡手術の何人かの経験者から、辛いのは下剤を飲む時だけで、手術は30分ほどで終わると聞いていたので、そのつもりでいたが、
手術室の壁にかかっている時計が2時半になっても終わりそうにない。

最終的に終わったのは午後6時半。4時間半の大手術だった。最後は切り取った腺腫が大きすぎてなかなか外にでず、時間がかかった。手術は内視鏡を入れるために肛門に麻酔をしたが、それ以外は麻酔なし。ときどき痛みはしたが、耐えられない痛みではなかった。目の前のモニターで手術の一部始終を見ることができた。

4時間半。
手術を受けるほうも大変だったが、手術をしてくださった先生も大変だった。それに外で待っていた家人も。病理検査の結果次第では癌の場合もあるとのことだが、とりあえず、無事終了。






入院予定は1週間。今日明日は点滴で栄養をとり、食事はなし。


Sunday, December 21, 2014

翻訳とライブと続いて疲れがたまっていたのだろう、今日は少々グロッギー。今日は終日ベッドの中。だいぶ疲れがとれた。

明日から数日間、検査入院することになっている。スティーブ・ジョブズの言葉を思い出している。もちろん、ぼくの場合はジョブズほど深刻ではない。それでも彼の言葉に共感するところがある。

誰も死にたくはありません。天国へ行くことを願っている人たちさえ、死にたいと思う人はいません。しかし、死は誰にとっても避けることのできない運命です。死を免れた人はいません。でも、だからいいんです。おそらく死は命あるものにとって最高の発明品だからです。死は命を再生してくれます。死は、新しいものを迎えるために、古いものを取り除く働きをしてくれます。みなさんは今、新しい。でも今からそれほど遠くない将来、古いものになり、取り除かれる運命にあります。大げさな表現を許してください。でも真実なんです。


みなさんの時間は限られています。だから誰かの人生を生きることで無駄にしないで下さい。世間一般に信じられている説を鵜呑みにしてはいけません。そうすることは、他の人の考えを生きることです。他人の意見の騒音に、あなたの心の声が、かき消されてしまわないように。そしてもっとも重要なことですが、あなたの心と直感に従う勇気を持ってください。あなたの心と直感は、なぜかすでに、あなたの本当の願いを知っています。そのほかはすべて、二次的です。(miura


こう生きたいと常に思ってきた。しかしぼくの弱い心は常に安易な方向に流れがちである。もう一度ジョブズの言葉に思いを馳せなければならない。


Saturday, December 20, 2014

昨日、夕方家に戻った。岡谷駅に家人の車を止めておいたのだが、今年一番の猛烈な寒さのせいか、バッテリーが上がっていた。ロードサービスをお願いして事なきを得たが、1時間ほど寒さの中で待つことに。前からバッテリーを変えた方がいいと言われていたとのこと。何事も早めに手を打っておいたほうがいいという教訓か。

昨夜は疲れていたとみえてよく寝た。しかし鼻水が出て、喉が少しいがらっぽい。鼻風邪をひいたかも。

ライブの感想がおいおい届いている。それを読むとぼくが心配しているほどには悪くなかったようだ。

今回は、三浦さんの歌とその背景にある物語の語り、原点のライブだと思います。三浦さんの歌と物語が、とてもよくシンクロしていて、時間を忘れ、ライブが短く感じたほどです。最近、ライブでは聴いていなかった「純ちゃん」、そして、純ちゃんの今、両親の支え、とても感動しました。

今夜は一曲ごとに二度感動をもらえる歌を沢山聴かせていただいた と言う感想です。「純ちゃん」は、この国の教育問題をいくつも浮き彫りに、具体的に 問題提起されていて感動しました。 私が関係している市民運動グループは「元学校の先生」が多く、そこで出てくる課題を大変具体的に歌詞にされていると思いました。
 
コンサート本当によかったです。一途に生きた昔の人の生きざまに、こんな時代の人間だからこそ心動かされるのだろうと思いました。娘は「菅野有恒」がよかったと言っています。この歌のあと「門」が歌われ、私は初めてこの歌の意味がわかった気がしました。

私にとって久し振りの年末ライブでしたが、三浦さんの歌とトークをたっぷり楽しませていただきました。 今回は長い歌を歌われたとのことですが、まず歌へのイントロダクションとしてトークを聞き、歌が進むにつれ頭の中に情景が徐々に浮かび、歌が終わると同時に三浦さんが歌に託されたメッセージが伝わる、という良い時間を過ごすことができました。

昨晩は久しぶりに魂が洗われる思い(と言ったらオーバーかな)をしました。多くの曲で心が重なる思いをしたのは事実です。特に辰野の本屋さん、お寺さん、中谷いさおさん、碌山のうたでは自分の中の信州を強く意識させられました。そして「有恒さん」も含め、これらの詩のベースにある三浦君の心のありかたを感じました。またフィールドオブドリームスは、息子が小学校のころ野球を始めたのに伴って、全く野球に縁がなかった自分が野球に関心を持ち始め、手当たり次第見たり読んだりした中の一つでした。野球にとどまらない想いをしたものです。機会があったら(この年になったら機会は作るものですが)また三浦君のうたを聴きたいものです。とりあえずはCDで。

27歳のときに作られたという「おまえがいなければ何も見えなかっただろう」「”おまえがいなければ今もさすらっていただろう」「今、おまえのおかげでぼくは自分自身だ」という歌詞のタイトルはなんと言うのでしょうか。このように歌われたら、どんなことでも耐えられるわよねと友人と話したことでした。

舟木さんのファンの方からは次のようなメッセージが。

「宝福寺にて」は、いろいろあって心身ともに傷ついていた時期に、舟木さんに生きる力を呼び覚ました曲だと私は思っています。ですから、舟木さんの思いが乗せられてこちらに届き、舟木さんの歌唱力でとても清々しく、澄んだ気持ちが伝わってきます。三浦さんのオリジナルは、なんて味のある「宝福寺にて」だろうと思いながらお聴きしました。楠の梢を渡って来る風の感触、すべてが流れているだけの悠久の時間、そして流れているすべてのものと共にある自分、、、「宝福寺にて」が、「歌の持つ力」を内包している曲であると、しみじみと思いながら聴かせて頂きました。 

*感想をお寄せいただきありがとうございました。無断で、しかも若干表現を変えて掲載させていただいたものもあります。ご了承ください。


Friday, December 19, 2014


21回目の三浦久年末ライブ in 東京。おかげさまでとてもいいライブになった。「三浦久、九つの物語を歌う」というタイトルの2時間40分のコンサート。レナード・コーエンの Live in Dublinの3時間には及ばないが。

今回は初めてぼくの歌を聞いてくださる方も多く、退屈されたのではないかと心配したが、終わったあとの反応ではみなさん楽しんでくださったよう。









休憩時間に客席のほうに歩いていくと小山卓治さんが暗い入口の近くに立っていた。彼がライブを聞きにくると彼のファンの方から聞いてはいたが、半信半疑だった。最後に「祈りの歌」を一緒に歌うようにお願いする。

今回は打ち上げにも大勢の人たちが残ってくれ、それぞれ感想を話してくれた。一番反応の多かったのは「菅野有恒」だった。「フィールド・オブ・ドリームズ」「純ちゃん」「夢のブックストア」にもたくさんの反応があった。

反省もいくつかある。長い歌の場合、歌いながら他のことを考えていることがある。そういうときは、言葉を忘れたり、コードを間違えたりする。今夜も何回かあった。しかし、翻訳に追われ、準備が十分にできなかったことを考えると、まずまずの出来だったのではないかと思う、と、自分を慰める。


Thursday, December 18, 2014

結局、夕方6時になってしまった。Live in Dublin の歌詞とナレーションの訳を送る。音源を聞いて修正した英詩も。

夜、明日のライブの準備。タカミネの弦を変える。Field of Dreams はいつもフィンガーで弾いているが、ピックで弾いてみる。爪が乾燥していて、少し欠けたところがある。ひっかかって弾きずらい。

今回は完全ソロライブにしたので、何人聞きにきてくれるか不安だったが、かなりの人から参加したいとの連絡があった。ありがたいことである。ぼくの歌を初めて聞く人も多い。選曲に迷うところ。「九つの物語」にこだわり過ぎないほうがいいかも。舟木一夫さんのファンの方も何人かきてくれる。「宝福寺にて」もどこかで歌うことになるだろう。


Wednesday, December 17, 2014

昼を挟んで2コマのクラス。2コマ目のクラスのあと、3人の学生が近づいてきた。そのうちの一人が「先生、これ」と、おもむろに小さな封筒をカバンから出し、机の上に置いた。手にとると「運気向上 夢を掴むお守り」と書いてある。先日内視鏡検査の話をしたので、ぼくの健康を気遣ってくれたのだろう。嬉しかった。

今日も辰野にはたくさんの雪があったのに、松本はまったくなかった。全国各地で大量の積雪が報告されているが、この2日間、松本にまったく雪がない。驚いた。

夜、 Live in Dublin の訳。A4の紙100枚近い膨大な量なので、一通りチェックするだけでも、ものすごい時間がかかる。今夜中に終わらそうと思ったが、さあこれからというときに、コンピュータが動かなくなった。コンピュータというよりはワードが。困った。明日の朝になったら、自ずと解決しているかも。


Tuesday, December 16, 2014

午後2コマのクラス in 松本。今日の歌は Nowhere Man。ぼくの好きなビートルズの歌のひとつ。ビートルズというよりもジョン・レノンと言うべきか。

 Doesn't have a poing of view
 Knows not where he's going to
 Isn't he a bit like you and me


この歌詞には共感する。

朝から雪が降り始め、かなり積もったので、いつもより20分早く家を出たのに、5分遅れて授業を始める。国道153号線には大型トラックがいっぱい。高速道路が閉鎖になったのだろうか。しかし、山麓線の途中から雪はみぞれにかわり、松本に入ると完全に雨。地面に雪の跡もない。

帰りも、善知鳥峠(うとうとうげ)を越えるまでは雪がなかった。雪はなかったが、山麓線はものすごい霧。雪道も
霧の中も運転は疲れる。

国道153号線を右に折れ、わが村に入ると、今度はものすごい雪。車が横に滑るのを感じる。家に着いてガレージに車を入れようとしたが、タイヤが空滑りして、進まない。先日購入した幅広い雪かきをもってきて、使う、2,3度使って、諦めた。みぞれのような雪の重いこと。それで金属のシャベルを使って、とりあえず、ガレージの前だけの雪を取り除く。

しばらくして家人も帰ってきた。やはり雪道、疲れたようだ。

とうとうまた冬がやってきた。






Monday, Dxecember 15, 2014

午後2コマのクラス at 農学部。冬休み明け提出の 5 paragraph essay の課題の説明。


Sunday, Dcember 14, 2015

いろいろなギターチューナーをつかってきたが、今年の誕生日に名張の花岡誠さんから珍しいチューナーをいただいた。サウンドホールにつけるもので、見やすくて、操作しやすくて、とても便利。


Photo borrowed from A. Kakiuchi's facebook without permission.


Saturday, December 13, 2014

今年最後のオープンマイク。おかげさまで盛況でした。出演順に、(敬称略)原田照夫、SIDEWATER''S、Lisa Hascall、今井輝男、川島茂&His Daughter、赤羽真理、垣内彰、原田和夫、三浦久。












初めての出演者もあり、バラエティに富んだ楽しい夜になった。

一年間、オープンマイクへのご協力ありがとうございました。来年2015年の最初のオープンマイクは1月10日(土)です。

12月20日(土)はマンダラ2での年末ライブの翌日につき臨時休業いたします。
12月27日(土)は赤羽泉美(flute)、亀井恵(marimba)&今井亮太郎(piano) WHITE BOSSA CONCERT です。


Friday, December 12, 2015

11時過ぎ、荷物を出しに行き、帰路、ホームセンター寄ったら楢の薪を売っていた・10把買うことに。最近は朝起きてすぐに暖炉に火をつけることが多くなった。

終日、翻訳。A4で51ページあるから、原稿用紙にしたら200枚近いはず。そうそう、歌詞ではなく、字幕の語りの訳は別だから、もっとあるだろう。

最近、水素水の入浴剤をいただき、夜2回、朝1回、お風呂に入っている。身体があたたまって調子がいい。水素水生成機もお借りし、飲んでいる。効果があってくれればいいが。


Thursday, December 11, 2014

午前9時、定期検診のため病院へ。待合室で血圧を測って立ち上がると、ぼくを見ている人がいる。目があった。ちょっと会釈をし、顔を背けたら、話しかけてきた。「三浦先生ですよね」。果たして、中谷勲さんの姪の方だった。「中谷勲」の歌を書いているとき、昨年亡くなったご主人からたくさんの資料を見せていただき、大いに助けられた。

「先日、先生の歌を聞いたとのことで、遠くからわが家を訪ねてくれたご夫婦がいました。嬉しかったです」とおっしゃる。「近々東京で歌いますが、必ず<中谷勲>を歌います」と伝える。この歌ほど、近親者の方々に喜んでいただいた歌はない。

家に戻り、終日翻訳。Live in Dublin の英語の歌詞の確定。Live in London を共通する歌もあるが、そのまま転載するわけにはいかない。歌詞を変えて歌ったり、省略したり、付け加えて歌っているところがいくつもあるので。


Wdnesday, Decmeber 10, 2014

昼を挟んで2コマのクラス。歌った歌は昨日に続きLet It Be と Imagine。そしてparagarph writing の解説と練習。.

Tuesday, December 9, 2014

昼過ぎ、2コマのクラス。Let It Be と Imagine を歌う。

Monday, December 8, 2014

今朝の天声人語は次のように始まっていた。

今年の七曜は73年前と同じ巡りである。1941年12月8日の月曜の朝、臨時ニュースがラジオから流れた。そのときの心情を、有名無名の多くの人が歌に詠んだ。「日米が正に戦ふこのニュース 頬こはばりて我は聴きいつ」(田中みゆき)。「宣戦のビラに痺れしごとき街 今朝の静けさかつて見ざりき」(平井乙麿)。

もし今朝のニュースで日中の開戦が伝えられたら、みんなどんな反応を示すだろう。そんなことを想像するだけでも恐ろしい。

想像力が欠如しているのだろうか。集団的自衛権、特定秘密保護法をおしすすめようなんて。

今日は「想像してごらん」と歌ったジョン・レノンの命日。2つのクラスで彼の歌を歌った。

想像してごらん、国なんてないって
そんなに難しいことじゃない
殺したり死んだりしなければならない大義なんてない
宗教もない
想像してごらん、すべての人が平和に生きてるって

夜、翻訳。


Sunday, December 7, 2014

終日翻訳、というよりも、翻訳するテキストのチェックと修正。 同じ歌でも、ディランほどではないが、コーエンも歌うたびに、けっこう細かいところで歌詞を変えている。

大阪の庄司さんが、一昨日、ダウロードできる無料のDVDソフトを教えてくれた。早速ダウンロードした。おかげでDVDを聞きながら、歌詞の異なっているところをかなりスムーズにチェックできるようになった。困ったときの庄司さん。感謝してもしきれない。


Saturday, December 6, 2014














Friday, December 5, 2014

朝起きたら雪景色。
薄化粧。







終日、 Live in Dublin。そうそう、午前中、家人を手伝って野沢菜を採る。





寒かった。


Thursday, December 4, 2014

ぼくのパソコンにはReal Player と Windows Media Player の両方が入っているが、どちらもいつからか DVD が見れなくなっている。CDは聞いたり、取り込んだり、書き込んだりできる。今朝、新しいヴァージョンをダウンロードしようとしたが、in vain。仕方なしに、お店に、今は使ってない Dell のノート型をとりにいってきた。そこに入っている Media Directで DVD を見ることができた。早速、字幕の対訳にとりかかる。 Live in Dublin。基本的な線は Live in London を踏襲しているが、当然のことながらいくつかの違いはある。

終日、曲間のナレーションを英語の字幕を見ながら、書き写す。そして、その3分の1ほどを訳す。日本語訳を読んで、もとの英語が想像できる訳にしようと務める。すべてうまく行ったわけではないが。

大変だが楽しい仕事。これがぼくに一番向いているようだ。



Wednesday, December 3, 2014

午前6時半起床。寒い、窓の外を見ると、うっすらと雪が積もっている。服を着替え、階下に下り、リビングの灯油ヒーターのスイッチを入れ、暖炉の火を点ける。神社の脇から拾ってきた杉の葉を一掴み入れ、その上に小枝を乗せ、さらに薪を2本乗せる。そして灯油を少し垂らしマッチで火をつけると勢いよく燃え出す。寒くなるとこれが日課に。

昼を挟んで2コマのクラス。昨日に続いて、今日も代車で松本へ。いよいよスケートのシーズン。教育学部のクラスには4名のスピードスケートの選手がいる。彼らはこれから授業を欠席していくつかの大会に参加する。顧問の先生から欠席理由書が届いた。それによると、帯広、釧路などで開催される全日本学生スピードスケート選手権や全日本スピードスケート選手権に参加するようだ。昨年もクラスに女子のスケート選手が1人いた。今年は男子2人、女子2人の4人である。がんばってほしいもの。

今日は長島君の工場へ4時半頃着いた。先ず、腐食した部分を見せてもらう。もっと大きく穴があいているかと思ったが、それほどではない。しかし触るとぼろぼろ崩れる。これ以上乗るのは無理だろう。

さらば、ぼくの HONDA CV-R!







予定通り、代車として借りていた車を譲ってもらうことに。手続きはすべて工場がやってくれるとのことで、その車に乗って帰る。今までの CV-R よりはるかに状態がいい。

ここしばらくバイオリズムも運気も低迷しているように感じていたが、この車のことにくわえて、今朝メールを開けたら、翻訳の仕事が届いていた。これから年末にかけて、マンダラ2でのライブやその他の予定もあるので、大変ではあるが、この仕事は断れない。


Tuesday, December 2, 2014


朝、長島君から電話があり、ぼくの車のボディの底は腐って穴があいているとのこと。無理したら車検に通らないこともないが、買い換えたほうがいいだろうとのこと。話しているうちに、代車のトヨタ・スパシオを格安で譲ってもらえることに。最終的に決めるには、一度彼の工場へ行って、腐乱状態を見て、納得してからにしてほしいとのこと。確かにそれはいいアイディアだ。

それで、午後4時10分に授業が終わってから、彼の工場へ行く約束をする。しかし、今日は結局行けなかった。松本から家の近くまでもどったときはすでに6時を超えていて、あまりにも疲れていた。家に寄って少し休もうと、家に入ったところに、電話。長島君からだった。事情を話し、明日の午後にしてもらう。

1969年に日本に帰ってきてから乗った車は圧倒的に HONDA が多かった。その間、Skyline と Laurel の2台の日産にも乗った。 TOYOTA にも乗りたい思っていたが、図らずも、こんな形でトヨタに乗ることになるとは。正直なところ、いままで乗っていた HONDA CV-R は、次の電気自動車を購入するまで乗り続けようと思っていたが、残念ながらまだ電気自動車は簡単に手に入らない。

夜、明日返却する中間試験の採点。このクラスは良くできている。


Monday, December 1, 2014

午後、2コマのクラス。 at 南箕輪村。先週の中間テストを返す。Tomorrow Is a Long Time を歌う。

夜、急に寒くなった。明日は雪マークのあるところもあるが、南信は大丈夫そうだ。夜、長島君が、車検のために車を取りに来て、代わりの車を置いていってくれた。あまり運転したことのないトヨタ車。明朝、少し農道で運転してみよう。雪が降らないことを願う。


Sunday, Novmeber 30, 2014

午後、伊那の本屋さんへ雅樹くんの誕生日のプレゼントを買いに出かける。クリスマスのプレゼントは先日東京へ出かけたときに買ったが、誕生日のプレゼントはまだだった。早いものだ、12月14日で満3歳になる。

いい本があればと思ったが、これと言ったものがない。やはり新宿の紀伊国屋とは違う。DVDなら英語と日本語のいいものがあるかもしれないと家人が言う。CD/DVDセクションへ行くと、「スヌーピーのクリスマス」というDVDがあった。英語と日本語の両方で見ることができる。これに決める。

夜、明日のクラスに返却する中間試験の採点。明日の朝がんばればなんとかなりそう。

                     ■

昨日は午前11時30分から箕輪町の「ながた荘」で、恒例の同姓の会が開かれた。全員参加すれば12人だが、2名都合がつかず、10名の参加。同じ村にいても1年ぶりに会う人も何人か。1時間早く出かけ、まずゆっくり温泉に入る。そのあと、食事会。会費の割に豪華なご馳走。2時間近く食べたに話したり。最後にもう一度温泉へ。極楽、極楽と口走りたくなるような素晴らしい温泉である。


Saturday, November 29, 2014














Friday, November 28, 2014

霧の朝。葉を落とした木々の黒いシルエットが美しい。







Facebookにも同様の写真をアップしたらところ、アメリカ人の詩人の facebook friend が、冬の空が美しいと書き込んでくれたので、ぼくには空ではなくて、葉を落とした黒い木々のシルエットが美しいと書いたところ、彼女はやはり冬の空に思い入れがあると書いてきた。その感じ方の違いが面白い。ただこれは陰と陽のように切り離すことができないはず。

背景も状況も違うが、葉を落とした木々の黒いシルエットを歌にしたことがある。もう何十年も前に加茂川の堤防にすわって、黒い木々の枝のシルエットとオレンジ色の落日を眺めながら、遠くサンタバーバラに住んでいた頃のことを偲びながら書いた歌。「ガビオタの海」。

 川の流れはとても静かだ
 葉を落として木々が並んでいる
 黒いシルエットの枝の向こう
 オレンジ色の太陽が沈む



Thursday, November 27, 2014


今日は前からしなければいけないと思っていたことをいくつかすることができた。ぼくの悪い癖で、複数のことを同時に企てることができない。ひとつが終わらなければ次のことに手が付かない。それがアスペルガー症候群なのかADHD(注意欠如・多動性障害)なのかわからないが、なんからの精神的、心理的障害にちがいない。

先ず、免許の更新をした。前回は塩尻の交通センターまで行ったが、オーリアッドの近くの交番でもできるとのことでそこへ行く。視力の検査がパスするか不安だった。最初ぼやけて見えたので、困ったと思ったが、遠近両用メガネの下のほうを通して見ていることに気づいた。頭を下げ顎を下げ、上目遣いにみたら、全部見えた。○の欠けたところを指摘する検査。

そうそうその前に、クレジットカードの問題をクリアーした。さくらインターネットサービスから、ぼくのクレジットカードの期限が今月末になっているので、新しいカードに更新するようにというメールが再三入っていた。そんなはずはない、2008年まで有効なはず。クレジットカードの番号を盗み出す詐欺かと思って放っておいたが、いよいよ今月末が近づいてきた。放っておいてインターネットに接続できなくなってはいけないと、電話とメールで確かめると、なぜか彼らの言い分が正しかった。去年だったか一昨年だったか、iij から「さくら」に乗り換えたが、クレジットカードの番号も、そのまま移されたのかもしれない。

もうひとつしたことは、ひがしの君の奥さんから「ブラート・オクジャワについて」の歌詞とコードを送ってもらっていたが、その礼状を出していなかった。霊前へのお供えとともに礼状を送った。さらに、Facebook の event欄に、12月19日(金)の「三浦久が歌う九つの物語(サリンジャー風に)」をようやくアップした。

この数日でしなければいけないことは、6つのクラスの中間試験の採点。今年は依頼されて6クラスを受け持ったが、やはり大変だった。来年度は、4コマに減らしてもらうことに。


Wednesday, November 26, 2014

今日も一日雨。今日は3講時、2時30分で終わり。帰路、あがたの森の喫茶店へ。雨の日で駐車場にも比較的スムーズに入れた。車からおりて、喫茶店のある旧制高校会館へ歩いていくと「お汁粉」の桃太郎旗が見える。

喫茶店に入ると、閑散としている。こんなに空いている日は珍しい。雨のせいか。早速「お汁粉」を注文。ポットの緑茶、お汁粉、そして野沢菜の漬物のセット。お汁粉にはしっかりしたお餅が2つ入っている。漬物がもう少し多かったらよかった。あるいは塩昆布の佃煮でもあれば。でも美味しかった。

夜、天竜づくだし倶楽部主催の歌声喫茶 at OREAD。8時のお茶の時間に間に合うようにオーリアッドへ。



お茶のあとしばらくみなさんの歌う歌をしばらく聞き、あとは家人に任せ、帰宅。12月19日(金)のマンダラ2でのライブのパブリシティーのため。これが最後のマンダラ2での年末ライブになるかもしれない。

久々に「純ちゃん」を歌おうと、「純ちゃん」の近況を知るためにお母さんに連絡を取った。10日ほど前のこと。数日後彼から直接メールが入った。今年の1月からモロッコのカサブランカにいて、旅行社の支店を現地の3人の人と共に立ち上げているところだとか。順調に進んでいたが「エボラ熱とシリア内戦激化によるイスラム圏全般に対する不安感から、あっという間に失速…」してまったとか。「純ちゃん」のことである。どんな困難に直面しても、へこたれることはないだろう。


Tuesday, November 25, 2014

11時40分、雨の中、松本へ。午後2コマのクラス。雨降りのせいか駐車場がいっぱい。車をとめる場所をさがすのに時間がかかり、印刷している時間がない。事務局の方に小テストと資料の印刷をお願いして教室へ。

今日の歌は Tomorrow Is a Long Time。この歌は仮定法の勉強になる。

2コマ目のクラスでは、killer bee についての文章を読んだ。killer beeというのは、アフリカのミツバチとセイヨウミツバチの交配によって生まれた極めて攻撃的なミツバチとのこと。彼らは集団で、そのかず4000匹から10000匹で人を襲うというから恐ろしい。そして、その数は急激い増えているという。

先日東京へ行く前の日、ベニシアの事務所から電話があり、ベニシアがぼくを探しているという。探すもなにも、メールをくれればいいものをと思ったが、ぼくのアドレスをなくしてしまったらしい。電話もかけたが、繋がらなかったとか。夜、彼女の自宅へ電話をし、しばらく話す。

結論から言うと、彼女がぼくに伝えたかったことは、世界中からミツバチがいなくなっているということ。そして、そのことについて歌ができないかとのこと。彼女は講演でその話をするとのことなので、その話の内容を送るように頼んでおいた。彼女がメールや facebookや、携帯電話をできるだけ控えているのは、ミツバチの減少は電波や電磁波と関係があるからとか。

ミツバチが減少しているならば、キラービーも減少しているに違いない。


Monday, November 24, 2014

昼過ぎ、大根とネギの収穫。大根はモロへ入れ、残りを畑に掘った長細い穴にいける。ネギも。ネギは3畝のうちの1畝をとっただけ。残りは後日。

NZの次男より電話あり。ネットで長野県北部地震について知り、電話をしたとのこと。ただ、先にアップしておいた下の大根やネギの写真を見て、被害はなかったと思っていたとのこと。

南信は大丈夫だったが、次男が以前来たときに訪問した白馬村の佐藤さんの家は震源地に近く、倒壊はしなかったが、かなり被害を受けたと伝える。








夜、今日収穫した大根で家人がふろふき大根をつくってくれた。もらいものの金山寺味噌をのせていただく。美味しかった。

明日は午後、松本で2コマのクラス。先日の中間試験の採点をしなければ。

               ■
午後遅く、いつもお世話になっている村の人が細い大根をもって訪ねてきた。と思ったら、人参だという。収穫した人参の中に一本だけ白い人参がまざっていたとか。珍しいので写真を撮ってほしいともってきたとのこと。確かに珍しい。

彼が帰ったあと、ウオーキングに行くことに。土、日と東京でよく歩いた。電車を乗り換えるだけでかなり歩いた。それで歩くことを継続しようと、ウオーキングシューズに履き替え、いつもとちがうルートを歩く。中央東線の支線を越えて横川川のほとりへ。夕空がきれいだ。さらさらと音を立てて流れる川も心を落ち着かせてくれる。










とてもいいウオーキングだった。ただ家にもどって気づいた。トレーナーのズボンにものすごい数の草の実がくっついて、とれない。どうしよう。


Sunday, November 23, 2014


AFS日本60周年記念祝典の参加は突然決めたものだから、これが3連休の初日と知らずに、楽天トラベルで調べても、じゃらんで調べても、宿がない。最後に、数年前カンボジアでレナード・コーエンがコンサートをすると聞き、プノンペンにホテルを予約したときの Agoda という多国籍トラベルエイジェントを通して、外国人旅行者用の簡易ホテルが見つかった。そのカンボジアでのコンサートはキャンセルされ、そのかわりにラスベガスでのコンサートに行くことになった。しかしそのときのエイジェントのおかげでホテルが見つかったのだから、何が幸いするかわからない。

昨夜、ホテルに入ってから、家人に電話をすると、「今緊急地震速報が流れている、あ、揺れてる、揺れてる」と叫ぶ。まさにその瞬間に電話をしたのである。

今朝になって知った。わが家がある南信は震度3でそれほど揺れなかったようだが、震源地の白馬村や小谷村では大きな被害が出たと。しかし、住民の防災意識の高さもあって、死者はゼロとのこと。よかった。白馬には何人かの知り合いがいる。心配だ。

長男から連絡があり、新宿で会うことに。国立西洋美術館のフェルディナント・ホドラー展を見たあと、新宿へ。ホドラーというスイスの画家は知らなかったが、とてもよかった。色調といい、躍動感といい。



長男と東急ハンズと高島屋のブックストアでNZの雅樹くんのためのクリスマスプレゼントを探し、お昼を一緒に食べ、ぼくは3時のあずさで、辰野へ。迎えにきてくれた家人が言うには、白馬の白馬童子さんこと佐藤さんに電話をしたところ、大変な揺れだったが、家は無事だったとのこと。調べてみたら、彼の家は白馬村神城にある。一番揺れたところだ。無事で何より。


Saturday, November 22, 2014

午後2時から、新宿のハイヤット・リージェンシーで開かれたAFS100周年AFS日本60周年記念祝典およびレセプションに参列した。10期生の参加が少ないとの連絡を受けて急遽参加をきめたのだが、ふたをあけてみると、全体で1000人近い参加者。

高円宮妃殿下をはじめ何人かの来賓挨拶のあと、ケネディ大統領が1963年7月、ホワイトハウスの中庭で一年間の留学を終えて帰国するAFS生に向けて行われたスピーチのビデオを見た。これが素晴らしかった。もし彼がその年11月に暗殺されなければ、ぼくも翌年7月に同じ場所で彼のスピーチを聞くはずだった。

そのビデオのあと鳥飼玖美子さんの「AFS100年:留学から異文化理解へ」という講演。講演もよかったが、最後の質疑応答における話がよかった。小学校からの英語教育にたいする疑問を投げかけた質問者にたいして、今後は国語教育と英語教育をどのように連携させるかが重要だという彼女の意見は、以前のまず母語を学び、それから英語をという彼女のスタンスから変化しているように思えた。そしてそれはよい変化であるように思えた。

ぼく自身は常々、国語をちゃんと学んでからでなければ英語(あるいは外国語)を学ぶべきでないという意見には賛成ではなかった。英語を学ぶことは、国語を学ぶ上でプラスになると思ってきた。文法や構造の違う言語と日本語を比較検討することで、日本語の理解が深まると思ってきた。だから鳥飼さんの言う、両方の言語を連携させるようなカリキュラムができれば、それは英語教育にも国語教育にもいいことだと思う。














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気品あふれる高円宮妃殿下の写真は、「ご来賓の写真をインターネットに投稿掲載することはお控えください」と、文章および口頭で注意があったため、掲載を控えました。

レセプションの会場で、10期生のみなさんにお会いできた。急な申込みだったが、来てよかった。先日も書いたが、この1963年から64年にかけての一年間の留学体験がなければ、その後のぼくの人生はまったく違ったものになっていただろう。もちろん、比較はできないので、どっちがよかったと断定はできないが、その後のすべての喜び悲しみを含め、これでよかったと思っている。


Friday, November 20, 2014

午前中、家人と伊那へ。帰路、すでに1時を回っていたので、箕輪のバイパス通りのステーキハウスでお昼を食べることに。以前ここは越前屋という海鮮料理のレストランだった。久しぶりに美味しいハンバーグを食べた。

夕方、隣の潔さんが、先日切り倒した木を40センチの長さに切り、タガに入れてもってきてくれた。その数、40はある。まだすぐにはストーブに入れられないが、半年ほど乾かせば、薪として使えるだろう。

明日東京へ行くために、今夜は早く寝ようとしたが、結局今夜も寝るのは1時を過ぎてしまった。


Thursday, November 19, 2014

朝9時から村の神社の清掃に参加。神社委員として。落ち葉がすべて落ちたこの時期毎年行われる。今年は現委員長と前委員長の二人がエンジンブロワーをもってきてくれたので、作業がはかどった。強力な風を吹かせて地面や屋根の上の落ち葉を吹き飛ばしてしまった。

仕事が終わったあと、焚付用の杉の葉を集めて持ち帰る。マットレスが入っていた大きなナイロンの袋に半分ほど詰めたので、ひと冬もちそう。

神社委員の任期は4年。あと数ヶ月でお役御免になる。都合が悪くて参加できないこともあったが、この委員の仕事は嫌いではなかった。










午後は隣の潔さんと一緒に小野藤沢の中村さんのところへ。お借りしていた梯子を返しに。潔さんは中村さんから松の剪定方法と、ロープの結び方、それにチェンソーの刃の目立ての仕方を教えてもらう。

夜、MLB vs, 侍ジャパンの試合を見る。これが最終戦。日本が6対4で勝った。


Wednesday, November 18, 2014

2コマのクラス。昼前のクラスは中間試験、昼過ぎは通常の授業。帰路、ホームセンターに寄り、家人に頼まれていたおしぼりなど購入。レジを通り、外へ出ようとしているとき、後ろから話かけられた。誰かと思ったら、隣の潔さんだった。チェーンソーの目立て用のヤスリを買いにきたとのこと。

家に戻り、メールをチェックすると、AFS日本協会から記念式典参加費入金確認のメールが入っていた。今度の土曜日AFS日本60周年の式典が東京で開かれる。ぼくはAFSの10期生である。同じく10期生の鳥飼玖美子さんが記念講演をされることになっている。彼女には今年の春、キング牧師の日チャリティーコンサートの際、大変お世話になった。

当日会費を払えばいいと思っていたが、昨夜メールが入り、銀行振込みかオンラインのクレジットカードで至急払うようにとのことだった。連絡をもらってよかった。払わないで行ったら門前払いされていたかも。早速クレジットカードで支払った。

AFSには大変お世話になった。1963年、当時どの家も貧しかったが、特に我が家は貧しかった。1ドル360円、1時間のアルバイト料80円から100円の時代だった。そんな時代にアメリカに渡り、一年間勉強することができたのは、AFSのおかげである。その後のぼくの人生の展開は、その経験なしでは考えられない。感謝してもしきれない。


Tuesday, November 17, 2014

早めのお昼を食べ、11時40分、松本へ。午後2コマ。中間試験。50分ほど。残りの時間、The Last Thing on My Mind と Tennessee Waltz を歌い、そのあと、コーエンのLive in London を見る。

3時間近いDVD。最後まで見られないことは分かっていた。せめて4曲目 Bird on the Wire までは行きたいと思っていたが、最初のクラスでは最初の2曲 Dance me to the End of Love と The Futureのみ。次のクラスでは3曲目の Ain't No Cure for Love までしか見られなかった。次回 Bird on the Wire だけ見るとするか。

このDVDの字幕を見ながら聞いていると、もとの英語が聞こえてくる、とぼくは思っている。日頃学生に語っているできるだけ英語に忠実に訳す方法の参考になってくれたらいいが。

今日は家人が仕事で帰りが遅くなるので、どこにも寄らず帰宅。大相撲を見ながら、じゃがいも、セロリ、にんにく、カリフラワーを刻んで鍋に入れて煮る。家人が帰宅するときまでには、しっかり煮えていて、それにカレーをかけて食べる。なかなかの味。

年末ライブへの反応が徐々に届いている。ありがたいことである。それに「明日は遠く」のYouTube も好評である。


Monday, November 16, 2014

中間試験 at 農学部 classes. こんなにたくさんの学生がいたかと思うほどの出席率。

長男が「明日は遠く」を YouTube にアップしてくれた。これはジム・グリーン、ひがしの君、それに数年前突然いなくなったソフィを追悼するためのもの。彼らが写っている写真も入れた。https://www.youtube.com/watch?v=2ArLedufrm8

夜、知らない方から friend request があり、OKすると、次のようなメッセージが入った。

私は37年前に京都大学内共同保育所で保育士をしていました。三浦さんの長男さんをお預かりしました。その折にチャリティーコンサートを一緒にさせていただきました。夫がその折にポスターを描きました。今回FBを通して、ひがしのひとしさんが亡くなられたこをを知りました。・・長野の三浦さんのライブハウスにも行ってみたいです。

写真やお名前を見ても思い出せなかったが、長男ともども大変お世話になった方であった。長男は0歳児のときから共同保育所にお世話になった。その保育所の資金援助のためにひがしの君と、みなみらんぼうさんを誘ってコンサートを開いたことがあった。会場は京都教育文化センターだった。そうそう、それにらんぼうさんが連れてきた、まだ無名だった谷山浩子さんにも歌ってもらった。らんぼうさんのギタリストは千代正行さんだった。らんぼうさんのマネジャーは橘雄介さんだった。ひとつの friend request から37年前の記憶が次々と蘇ってきた。打ち上げは今出川通り、京大農学部近く、詩人尼崎安四の奥さんと娘さんがやっていた「みみづく亭」という居酒屋だった。

長男が0歳のときだから、まさに37年前。FBを通して時空を超えてつながることができるのは、実に嬉しいことだ。


Saturday, November 15, 2014

初回出演順(敬称略)、原田和恵、川端みどり、原田和夫、三浦久、三浦薫子、吉岡郁子、武居美智子。一番最初に入ってきたのは、川端さん。小山卓治さんのファンとのこと。今年の5月に名古屋で小山さんのコンサートに行き、「祈りの歌」を聞き、オーリアッドについて知ったとか。6月のほたる祭りライブに来たかったが来れず、今回近くにくる用事があって寄ってくれたとか。

吉岡さんにお会いするのは久振り。実は、「アニー・イナシオのバラード」のアニーをぼくに紹介してくれたのは吉岡さん。今、アニーはどうしていることか。

原田和夫さん、シニア大学で俳句を学んでいるとのことで、一句披露してくれた。

  
晩秋の雲の流れに涙する





















昨日はぼくの69回目の誕生日。思いがけず原田和恵さんからバースデイソングのプレゼント。それに青い薔薇の花束も。ありがとうございました。それにしてもあっという間の69年。浦島太郎の物語には、すべの人に向けられた教訓が含まれている。



Friday, November 14, 2014

長野県シニア大学伊那学部のクラスでお話させていただいた。歌わせていただいたと言ったほうがいいか。10時半から12時20分まで。間に休憩10分。タイトルは「音楽と人生
ー 振り向けばそこに歌があった」。同じタイトルで今年で7年目。


ここ数回は「いなっせ」の設備の整ったホールで行われていたが、今年はもと上伊那図書館だった創造館。「いなっせ」ではプロのエンジニアが音響を担当してくれたが、創造館ではぼくの簡易PAシステムを持ち込んで設定しなければならなかった。しかしこの会場は予想以上によかった。


何がいいといって、会場の雰囲気がいい。辰野町出身の実業家武井覚太郎が私財を投入して昭和5年に完成した建物である。歴史の重み、伝統の重みが、壁にも床にも天井にも感じられる。そしてその広さがいい。広すぎず、狭すぎず。

10時から朝の会、司会は原田和夫さん。そのあとシニア大学事務局の竹中先生のお話のあと、10時30分、ぼくの出番。

今日はぼくの69回目の誕生日。調べてみたら、還暦は満60歳、数えの61歳。古稀は満69歳、数えの70歳である。そんな話をし、When I'm 64 の替え歌「年をとって歯が抜け」から始める。




休憩時間に、そして終了後、何人かの方々が話しかけてくださった。少なくとも退屈はされなかったようだ。よかった。

帰路、先日食べたハルピンラーメンが美味しかったので、春日街道ぞいのラーメン店に入る。これには少し失望。その後、思いついて「ながたの湯」へ。この温泉はいつ入ってもいい。メインの温泉に長い間浸かり、サウナに入り、露天風呂に行き、またサウナに。最後に再度メインの温泉。更衣室で体重を計ったら79.4kg。4月から確実に10kg 痩せた。もう数キロ落とせたらダイエットはやめようと思う。

幸先のいい古稀の初日。



Thursday, November 13, 2014

ジブランの会のみなさんが、ぼくの明日の誕生日を覚えていたくださり、会の始まる前に花束を贈って下さった。ありがたいことである。この方々に初めてお会いしたのは、ぼくが辰野へ戻ってきて数年してから。ほぼ30年前である。ジブラーンの『預言者』をいっしょに訳し、本にした仲である。勉強熱心な方々で、今はジブラーンから離れて日本の古典文学を輪読されている。



明日は長野県シニア大学伊那学部での講演。帰宅後、その準備。すでに送ってあるレジメにそって、何を話すか、何を歌うか決める。そして歌う歌の歌詞をプリントアウト。


Wednesday, November 12, 2014

昼を挟んで2コマのクラス。先週の水曜日は月曜日のクラスの振替日でこのクラスの授業はなかった。2週間ぶりに顔を合わせたことになる。いつもの小テストを行い、来週の中間テストの範囲などについて話す。

忘れていた。昼食後の教育学部のクラスは、何人かの学生が都合が悪いとのことで来週ではなく、再来週にすると決めていた。野球部の学生2人が千葉で開かれるインターカレッジの野球大会に出場するためにその日は都合が悪かった。他の何人かの学生も、介護実習があって来れないとのことだった。小中学校の教員免許を取得するために今は介護実習が必修のようだ。

帰路、前から一度食べたいと思っていたハルピンラーメンのお店に入る。松本の国体道路沿い、並柳にある。糖質制限ダイエットを始めてからラーメン店に入るのは初めて。ちょっと罪の意識を感じながらも、美味しかった。固めの麺。ほどよい辛さ。大きなチャーシュー。さらにいけないことに、うちだファーマーズマーケットでりんごと牛乳のソフトクリームを食べる。いけない、いけない、と思いながら、この美味しさは抵抗しがたい。

ぼくが子供のころ、日米野球といえば、圧倒的にアメリカが強く、日本が勝ったりすると、奇跡としか思えなかった。ところが今は互角に渡り合っている。今夜は、実況では2イニングまでしか見なかったが、前田や大谷の好投で2-0で勝ったとニュースで知った。



Tuesday, November 11, 2014

後期は各クラス最初の20分ぐらい小テストをする。テストをつくるのはそれほど大変ではない。大変なのは採点である。採点した試験を次のクラスで返す。そして難しいところを解説する。

テストは辞書持ち込み可。電子辞書とスマホの辞書が半々か。紙の辞書を使っている学生も数人。しばらくして気づいた。スマホはインターネットである。例えばキング牧師のスピーチの中から問題を出した場合、スマホで検索すれば和訳も出てくる。「スマホを使う人は辞書機能のみ使うこと」と伝えることに。来週の中間試験、それに期末試験には、辞書使用不可と伝えてある。辞書持ち込み可にしてわかったことは、家で辞書を引いて勉強しなくなってしまった。

今日は、午後2コマのクラス。昼過ぎのクラスが始まる前、先週葬式があって休んだという学生が、先週返したテストを返してほしい、と言ってきた。「どなたの葬儀だったの」と聞くと、「母です」との返事。祖父か祖母か、あるいは親戚のお年寄りを想定していたので、咄嗟に言葉が出なかった。享年52歳とのこと。

家族の死、親しい人の死に直面すると、人生観が変わる。その学生が、時間はかかるだろうが、悲しみを乗り越え、いままで以上にしっかり生きてほしいもの。おそらく彼にとって、お母さんはいままで以上に身近な存在になり、彼を見守ってくれているだろう。

そういえば母が亡くなったのは2003年11月12日。あれからちょうど11年経ったことになる。日本風というか仏教風に数えれば12回忌ということになる。来年は13回忌。


Monday, November 10, 2014

午後2コマのクラス in 南箕輪村。今日は家人のデスクトップを借りてゆき、事務局の方に学校で使えるように設定してもらう。とても調子がよかった。みんなが共同で使っているパソコンは故障ではないにしても、どこか動きがにぶい。


今日の歌は Tom Paxton の The Last Thing on my Mind。この歌は60年代に初めて知ってからずっと好きな歌。シンプルなわずかな言葉で喪失の感情を見事にとらえている。

クラスではトム・パクストンとライアム・クランシーのヴァージョンを見る。これが実にいい。
http://www.youtube.com/watch?v=NWMiFieDwsA

帰路、隣町のdocomo shop へ。ケイタイの電池を替えてもらおうとしたら、10日後にわが家に直接送られてくるとか。簡単にすぐ替えてくれたいいものを。何かそうしなければいけない理由があるのだろうか。

       
    

今朝も8時から隣の潔さんがきてくれて、大木の枝を払ってくれた。これらの木の枝が太陽を遮って旧道に光があたらなかった。だから雪が降ると、わが家の下のあたりはなかなか雪が溶けない。今年は大丈夫かも。





Sunday, November 9, 2014

一日中、静かに雨が降りつづけた。終わりかけの紅葉がしっとり濡れている。こういう風情もいい。この雨は、昨日移植した菊のためにもありがたい。

大相撲九州場所が始まった。初日から大入満員。明らかに逸ノ城効果。しかし日馬富士との一番はあまりにも呆気なかった。相手は横綱、あまり多くを期待してはかわいそうか。

夜明日のクラスの準備。小テストの採点。



Saturday, November 8, 2014

11月2度目のオープンマイク。今夜は予期せぬ出演者もあり、多彩なオープンマイクになった。

初回出演順(敬称略)、坂井俊水、富野航之朗、原田和夫、折井鐘子、Patrick Murphrey, 原田和恵、赤羽真理、三浦久、藤森玉穂、赤羽泉美。折井さんは富士山の清掃ボランティアの帰路寄ってくれて、その活動について話してくれた。テキサス出身で岡谷市在住のパトリックは藤森さんに連れられてやってきた。世界の多くの国に住み、さまざまな言語に関心があり、異文化理解について語る。

藤森さん、久々の登場。しつこくおねがいし、彼女の十八番「マシュケナダ」を歌ってもらう。フルートの赤羽泉美さんの絶妙な伴奏とパーカッション三人組のサポートで、大いに盛り上がる。赤羽泉美さん、今夜はフルートは吹かないといっていたが、「マシュケナダ」のあと一曲聞かせてくれた。12月にコロムビアレコードから発売されるCDに収められている曲とか。その発売記念ライブを12月27日(土)にオーリアッドで行うことに。詳細は未定。





















坂井さん、珍しい機材をもってきて、即興エレキ演奏。この伴奏に歌を乗せたら迫力ありそう。他にアコギで「風の日には」「ぼくらの夢」など。富野さん「埴生の宿」「もろびとこぞりて」など。腹式呼吸でオカリナを吹くコツを会得したとかで、前回よりも演奏がまとまっていた。原田和恵さん、ハープとピアノで「君は愛されるため生まれた」など。ハープを弾きながら歌う姿が様になってきた。赤羽真理さん、今日は蜂に刺されたとのことで、少々しんどそう。「私を待つ人がいる」「千両梨の実」など。三浦久が「死は終わりではない」と「バード・オン・ザ・ワイヤー」を日本語と英語で。

後半は前述のように藤森さんの「マシュケナダ」で大いに盛り上がった。後半最後、赤羽真理さんが「今すぐに」を歌ったあと、折井さんがもう一言しゃべりたいと、ステージへ。11月17日夜7時から1時間、長野放送の「NBS月曜スペシャル」で折井さんが関わっている活動が取り上げられるとのこと。詳細はわかりませんが、詳しいことがわかったら、この日記でもお知らせします。これは長野県在住の人しか見ることができません。

オープンマイクは、いつも変化に富んでいる。そこが面白い。

        ■


今日は一日中、外で働く。畑の整理、そして山沿いの畑に植えてあった菊の株を掘り返し、家のまわりに植える。近所の家からいただいた白い菊が多かったので、赤と黄の菊を「隣の潔」さんのところへもらいに行く。来年は3色の菊の花を咲かせようと思う。







Friday, November 7, 2014


内視鏡検査の結果、幸い、悪性のものはなかった。一安心。大腸の内視鏡検査を受けたことのない人の参考までに述べると、検査そのものは胃カメラよりも楽である。長い棒を喉に突っ込まれるような感覚は一切ない。苦痛なのは検査を受けるまえの準備。2リットルのモビプレップという下剤と1リットルの水を休憩を挟んで3時間かけてのみ、完全に腸内をきれいにしなければならない。

今日検査を受けた人はぼくを含めて4人。飲み方の説明を無視して、どんどん飲んでしまった人が1人(大腸内視鏡検査のベテランか)、1リットル飲んだだけで腸内がきれいになった人が1人。彼らは昼前に検査を終了した。もう1人の人とぼくが午後検査を受けた。ぼくの場合は最後に検査を受けることになったので、一日仕事になってしまった。午前8時15分に家を出て、戻ったのは午後4時。大変だったが、受けてよかった。


家に戻ると潔さんがまだ高い木の上で枝を払っていた。かなり明るくなった。





昨夜の8時から断食をしていたわけだから、夕食が美味しかった。血圧を測ったら正常といいうか、それ以上に下がっていた。腸内洗浄の効果か。今夜はぐっすり眠れそう。


Thursday, Novemer 6, 2014


昨日から「隣の潔さん」が再度、南東の土手の高い木の枝を払いにきてくれている。おかげで今朝は、朝日が以前より早く射し始めた。今日もほぼ一日働いてくれた。昼前、彼のチェーンソーは大きくて重いので、木の上では使いづらいというので、急遽ホームセンターへ小型チェンソーを買いに行く。昼過ぎ、そのチェーンソーを使って作業をしてもらう。なかなか都合がいいようだ。





サイモンとガーファンクルのコンプリート・アルバム・ボックスセットのライナーノートの訳を依頼されたのは9月の中頃で、10月10日に訳を送った。送ったあと1箇所誤訳に気づいた。校正の段階で修正しようと思っていたが、なかなかレイアウトが送られてこない。


今朝その修正箇所を送ったところ折り返し返事がきた。社内の校正チームですでに「念校までいっている」とのことだった。「念校」という言葉を初めて聞いた。辞書で調べてみたら「校了の直前にもう一度念のために行う校正」とのこと。ぎりぎりセーフ。恥をかかずに済んだ。

午後、シニア大学の講演のレジメを送る。

明日は
伊那中央病院で内視鏡の検査。胃の検査と違い、大腸の検査は準備が大変。


Wednesday, November 5, 2014

今日は月曜日の振替授業。南箕輪村へ。午後2コマ。久々にパソコンを使い、いままで歌った歌の動画を見る。 Yesterdayを歌うポール・マッカートニーをみて、彼のギターの弾き方が実にシンプルで素晴らしいと思った。こんなふうに気負わずに弾けたらと思う。真似してみたら難しい。


http://www.youtube.com/watch?v=lH5x1ChYhcI

夜、来週金曜日のシニア大学でのレジメを考える。今回も一緒に歌う歌は「ゴンドラの唄」と「みかんの花咲く丘」にしようと思う。前者は今の朝ドラの中でもよく歌われる唄。

Tuesday, November 4, 2014

昔は占いに凝っていた。手相、星占い、四柱推命。最近はまったく関心がなくなった。しかし、偶然今日の蠍座の運勢を見たら、総合運、金運、仕事運といずれも星一つ、12星座中11位。確かに当たっているような。今日はあまりいい日ではなかった。

午後2コマのクラス。小テストに Humans of New York の文章を加える。

I've stopped trying to change my father. He's in poor health, and I've been trying to get him to exercise more and eat right. Every time I visit him, I suggest improvements to his diet and routine. He never listens. He gets angry. So I’ve decided to let it go, and spend our remaining time together on his terms.

簡単な英語であるが想像力を働かせる必要があるところがある。例えば、"spend our remaining time together on his terms." ここが上手く訳せればかなりの力があると見ていい。ぼくには父はいなかったが、この息子の気持ちはよくわかる。お父さんの気持ちも。


Monday, November 3, 2014

区の公民館で文化祭が開かれた。家人は絵手紙や手芸を、ぼくは「今村の秋 2014」という写真を出品した。






公民館のホールに入ると区の最長老、熊谷久志先生がすわっておられた。97歳。お元気である。積極的に行事や会合に出席し、読書もかかさない。先生の短歌が数首表装されて出品されていた。その中のひとつ―
    
少しでも呆けの防止にならばとて
         机に坐り今日も本読む




夜、明日のクラスの準備。先週の小テストの採点など。


Sunday, November 2, 2014

昨日は雨、今日は曇り、時々雨。区の公民館の文化祭へここ数年写真を出している。今年も何か出そうと頭の中で考えながら写真を撮りためてきたが、今日の朝からプリントアウト。家人は昨日今日と2日間松本でカウンセリングの研修会。午後彼女が帰宅後、台紙に貼る作業を手伝ってもらい、彼女の絵手紙と手芸と一緒に公民館へもっていってもらう。午後6時の締切り30分前。


今年のテーマは「今村の秋」。いろんなお宅の花や木や、徳本水から今村神社までの路傍の風景の写真。それにフィービーの写真も何枚か。


Saturday, November 1, 2014

雨の中、隣の潔さんと一緒に小野藤沢の中村さんのところへ高い木に昇るための梯子を借りに行く。中村さん宅を訪問するのは久振り。先ず彼の家の外壁の色が変わっていて驚いた。周囲の紅葉とマッチして不思議な御伽噺のような雰囲気を醸し出している。まさに中村東茂一ワールドである。


梯子は3段分かれていて、それをつなぐと8メートルの長さになるという。プロの梯子である。しばらくお邪魔してコーヒーをご馳走になり、ギターの演奏を聞かせてもらう。彼の弾く「鉄道員」がぼくは好きだ。




         ■

今夜のオープンマイクは出演者は初回出演順に、原田和恵、堀越哲朗、名取友紀子、原田和夫、
それに高遠在住の堀越さんのお知り合いの方(失礼、名前を書いた紙が現在行方不明)、三浦久の順。


















後半、原田さん、ピアノで「花鳥風月」「Sailing」など。名取さん「時代」「太陽がいっぱい」など。ぼくがお二人のサポートで「Amazing Grace」。堀越さん、ギターで石原吉郎とナナオ・サカキの詩を歌う。渋い、しかし難解である。


今夜は堀越さんのエスラジを久々にお聞きできてよかった。土曜日の夜には通常仕事があって来れれないとのことだが、ぜひまたエスラジを聞かせてほしい。



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