OREAD Diary
September 1-30, 2014

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Tuesday, September 30, 2014

松本キャンパスでの後期初日。教材を印刷するためにいつもより30分早く家を出る。共通教育の事務局がある建物が耐震装置を加える作業で来年3月まで使えなくなり、臨時の事務局へ。そこで、分かったことは、後期は火曜日は午後2コマだということ。4月の段階で分かっていたのに、完全に忘れていた。この逆でなくてよかった。十分に時間をかけて印刷することができた。

帰路、TSURUYA、アルプス市場にて買い物。雑きのこがあるかと思ったら松茸しかない。清水の舞台から飛び降りたつもりで、思い切って購入。

家に戻り、メールをチェックしたらワーディングされた歌詞が届いていた。ありがたい。さっそく、翻訳の続き。しかし、直ぐに眠くなり、12時まで寝る。その後、朝まで仕事。最近は夜中に起きて朝まで仕事をすることに慣れてきた。ああでもないこうでもないと、ぐだぐだ考えて、時間ばかり経ってしまう。しかし、それが嫌にならないというのは、やはりこの仕事がぼくに一番向いているのかも。


Monday, September 29, 2014

後期最初の日。今日は南箕輪村 。Two classes in the afternoon。後期に歌う歌の歌詞カードとキング牧師のスピーチの短縮版のコピーを渡す。 スピーチの冒頭の部分訳してもらう。後期は教室で辞書を使いならが作業する時間を設けたい。ぼくがしゃべっていなくてもいいということもあるが、学生が能動的に学習してほしいので。ケイタイやスマホの辞書を使っている学生が目立つ。電子辞書もちらほら。紙の辞書は皆無。

外国語の学習には辞書は不可欠。常に辞書を引く姿勢が必要である。同じ単語を、何度でも。「花子とアナ」の中で、花子は知らない単語に出くわすと、いつも辞書を引いていた。手元になければ、その単語を頭の中で繰り返しながら、家に戻り、引いていた。あのくらいの学習意欲があれば、英語は6か月でなんとかなる、というのがぼくの説である。 

帰路、アジーナに寄り、お米を5キロ買う。雑きのこはコムソウしかなかったが、これも1パック。そのあと、ながたの温泉へ。疲れていたし、足腰が少し痛むので。夕方にしては混んでいて、サウナはいっぱいでパスしたが、温泉にゆっくり浸かる。

夕食後、ニュージーランドの次男から電話。御嶽山の噴火はニュージーランドでも大きく報じられたとのこと。わが家は大丈夫かと心配の電話。被災された方々は気の毒だったが、わが家のあたりは、少々火山灰が降った程度。

その後、睡魔に襲われ、横になったら、まさに丸太のように12時まで熟睡。これから朝まで、ああでもないこうでもないと考えなければ。それに明日のクラスの準備も少し。


Sunday, September 28, 2014

The 8th and Last Church Concert at 辰野キリスト教会。


















Saturday, September 27, 2014


「カンタ!ティモール」上映会 at OREAD












Friday, September 26, 2014

昨日の続き。少しづつ前に進んでいる。昨日聞き取れなかったところが、急に聞き取れたり、急に意味が閃いたり。そこが面白い。

家人は今日は午前も午後も忙しかった。夜は家にいたかっただろうが、頼んで今夜もオーリアッドへ行ってもらう。

不思議なことに、今日新たな翻訳の仕事が入った。「花子とアン」を見て翻訳をもっとしたいと思い始めたばかり。大変ではあるが、ありがたい。

今朝は、花子のところへインクに匂いも新しい『赤毛のアン』のできたばかりの本が届けられた。多くはないがぼくもそんな経験をしたことがある。あの喜びは何ごとにも代えがたい。紙とインク。キンドル版では味わえない喜び。

逸ノ城が昨日は大関に、今日は横綱に勝った。明日はいよいよ横綱白鵬である。これに勝ったら凄い。日本の大相撲に革命を起こしそうだ。この男は。

明日はオーリアッドで『カンタ!ティモール』の上映会。昼夜2回。定員まで行ってはいないが、かなりの人たちが見に来てくれることになっている。東京から昼夜2回予約してきた人もいる。ありがたいことである。



Thursday,September 25, 2014


朝、音源が届いた。それを聞きながら今まで確定して歌詞をチェックしたら、まったく違う歌詞だったり、大幅に違っていたり、本来6ヴァースあるものを3ヴァースしか歌ってなかったり。古い歌というのは往々にしてそういうことがある。いろんなヴァージョンがあったり、ヴァースが付け加えられたり削られたりしている。

仕方ないから、ひとつほとつ聞きながら修正し始めたが、録音状態が悪かったり、早口だったりして聞き取れないものもある。時間があればなんとかできるかもしれないが、時間が限られている。プロの業者にワーディングをお願いしてもらうことに。

今夜は、家人にオーリアッドへ行ってもらう。


Wednesday, September 24, 2014

Santa Rosaからもどったのは、先週月曜日。時差ボケがなおっていい頃だが、ちょうど一週間前に依頼された翻訳の仕事が重なり、昼夜逆転の(or rather 昼夜の区別のない)生活になり、眠くなったら寝て、目が覚めたら仕事をする生活。どこからどこまでが時差ボケなのかわからなくなってしまった。来週から学校が始まる。それまでになんとか目処をつけなければ。

秋場所が面白い。見るのは夕飯を食べながら後半の5,6番だけ。逸ノ城の活躍はニュースや新聞で聞いたり見たりしていたが、リアルタイムで取り組みを見るのは今日が初めて。相手は大関稀勢の里。勝負はあっけなかった。立ち会い少しかわった逸ノ城の注文相撲に稀勢の里が簡単にはまってしまった。強い。どこの国出身かは関係ない。こんな途方もない怪物が出てくると、俄然面白くなる。このまま勝ち進んで優勝してしまったら、更に面白い。大きな図体に、笑顔が可愛い。ヒールにはなれないあどけない顔である。

日刊スポーツに逸ノ城について次のような記述があった。これには誰もかなわない。

192センチ、199キロ。太もも92センチの巨体とバランス感覚はモンゴルで遊牧生活を送った少年期に礎がある。来日後の驚きは蛇口をひねれば水が出ること。遊牧民の家屋ゲルから約500メートル離れた川から水をくみ、10リットルバケツ2個を運ぶのが日課。途中で石などにぶつけて水をこぼすと戻ってくみ直し。「涙が出そうでしたけれど、お母さんに怒られるから」。大自然の中で、諦めず、黙々と努力する姿勢を身に付けた。

今夜はオーリアッドは歌声喫茶の日。お茶の時間だけのお手伝いに。







オーリアッドから戻り、仕事再開。もう少しですべてのラフの訳が完成する。音源が明日届く。それを聞いて、言葉を確定し、もう一度、すべて修正する必要がある。苦しくも楽しい作業。後期の授業の準備もしなければ。



Tuesay, September 23, 2014

お彼岸のお中日。家人と朝食後、お墓参りに。以前は山の麓にたくさんの石頭がならび、その前に、土葬されたり、遺灰が埋められりしている地面にいくつかの自然石が置かれていた。母が亡くなったあと、もう土葬の時代ではないし、骨壷を埋めるのも大変と、将来のことを考えて、石頭はそのままに、土葬の部分を整地、祈祷してもらい、今風の先祖代々の墓を建てた。今考えれば、高いお金を出してそうする必要はなかったかもしれない。昔の墓のほうが風情があったし、遺骨は自然に返りやすかった。今更元には戻せないが。

終日翻訳。以前に訳したものもいくつか使えたので、かなりはかどった。それでもまだ道は遠い。仕事に疲れると、外にでて家の周りを歩いたり走ったり。すっかり秋になった。






Monday, September 22, 2014

朝10時から、オーリアッドのある宮木東町三丁目の「きずな会」の会食会。今年で3回目。今回も会食の前に1時間ほど歌わせていただいた。前回何を歌ったか忘れてしまったというと、彼らも覚えてないので何でもいいという。やりやすい。

「一通の手紙」「宝福寺にて」「バード・オン・ザ・ワイヤー」「菅野有恒」「ここがぼくのふるさと」を話を交えながら歌わせていただく。3曲目にハーモニカを入れようと、ハーモニカホルダーを探したが、ない。立ち上がってカウンターの中まで探しにいったがない。厨房に行き、食事の準備をしている家人に聞くと、「ここにかかってるじゃない」と首を指差す。嗚呼!

昨夜から家人が準備した食事は好評だった。そのあと、家人は町内の高校へ。ぼくは家に戻り、翻訳。解凍できなかったものを、ワードのファイルに変換してもらうよう今朝お願いしておいたが、家に戻ったら届いていた。ありがたい。

昨夜はほぼ徹夜の状態だった。2階に上がる前に、テレビをつけたらクリント・イーストウッドの古い映画をやっていた。見始めたら面白い。しかし、いつの間にか眠っていて、目が覚めたときは終わっていた。

夕食後、眠くてベッドに入り、起きたのは11時。これから朝方までがんばろう。



Sunday, September 21, 2014

終日翻訳。前半と後半を除いて、真ん中の17曲はしっかり歌詞が確定できた。

5年前の9月24日、レナード・コーエンはテルアビブのサッカー競技場で5万人の聴衆を前に演奏した。その翌日中東のFox TVのプロデューサーが Sky News
にレナード・コーエンに宛ててオープン・レターを書いた。一読して感動した。あまりに感動したので、直接作者に連絡をとって、この記事を歌にする許可を得た。

一応歌にはしたのだが、満足するできではなく、最近は歌はなくなっていた。今日また彼女が facebook で新しいアルバム Popular Problemsについて、コーエンに呼びかけるメッセージを書いていた。

それを読んで、5年前に書いた歌のことを思い出し、それを facebookに載せた。またこの歌を歌ってみようか。以下に、5年前の彼女のオープンレターを再録することにする。今日はコーエンの80回目の誕生日。ニューアルバムは2日後に発売される。日本盤は10月21日。
                    

レナード・コーエン様

「時には、人生に対する考えが完全に覆されるような経験をすることがある」と人は言います。そんな経験はありえないと私は思ってきました。中東で働く ジャーナリストとして、悲観的懐疑主義の世界に私は生きてきました。そうせざるをえなかったのです。自爆テロ、戦争、難民キャンプ、常に不調に終わる和平交渉など、毎日目前に繰り広げられる血なまぐさい暴力的シーンを嫌というほど見続けてきたのですから。

でも昨日の夜は違いました。それは、私にとって、そしておそらく多くの人たちにとって、人生感が完全に覆された夜になりました。昨夜、あなたは霊感に満ち た音楽を私たちに与えてくれました。あなたは、3時間以上にわたり、私たちと、5万人のイスラエル人、パレスチナ人、若者、老人、宗教を信じる者、信じな い者たちと、あなたの音楽と魂を分かち合ってくれました。私たちは、昨夜あなたと出会ったと確信をもって言うことができます。私たちは子供たちに、そして 孫たちに伝えるでしょう、あなたが和解と寛容をもたらそうと懸命に努力したことを。そして私たちにも努力させようとしたことを。そして少なくとも3時間の間、それは成功したのです。

あなたは、この地域の紛争によって子供たちをなくしたイスラエルとパレスチナの親たちに、そしてナイーブだと誹られながらも、平和のために戦いつづけているすべての人たちに、「ハレルヤ」をささげました。あなたの歌を聞きながら、5万人の聴衆が、今でも心の中に生きている愛する者たちを抱きしめて、共に 祈りました。あなたの歌を聞きながら、私は、悲観的懐疑主義が洗い流されていくのを感じました。一瞬の間、あなたが言う和解と寛容が可能かもしれないと感 じました。

コンサートの終わり、真夜中近くなって、あなたは訛りのあるヘブライ語で聴衆のために祈りました。それは、ユダヤ教の新年ロシュ・ハシャナと贖罪の日ヨム・キッパの間に行なわれたコンサートに、なんてふさわしいものだったでしょう。

あなたは常に「手放すこと」「執着しないこと」を歌ってきました。でも、昨夜は、誰もがあなたの教えに従うことは難しいと感じました。私たちは皆、夜が終 わらないことを、あなたがずっと歌い続けてくれることを、心から願ったのです。一瞬の間であったとしても、人生に対する考えが完全に覆されるような経験は そうはあるものではありません。でも昨夜、あなたは、私たちすべてのために、イスラエル人、パレスチナ人、中東に住むすべての人のために、それを可能にし てくれたのです。

ありがとう、ミスター・コーエン。

ヨナット・フリーリング


Saturday, September 20, 2014

お昼に昨日いただいた松茸を使った松茸ご飯をいただく。松茸ご飯はいけない。糖質制限ダイエットには極めて有害である。あまりの美味しさに、3杯も食べてしまった。たまにはいいか。

オープンマイク。最初に登場は千葉からやってきた名取友紀子さん。今日は今まで聞いたことのない曲も含めてたくさん弾いてもらった。落ち着いた演奏でよかった。中でも、やはりぼくのお気に入りは「太陽がいっぱい」。

原田和恵さん、ハープの演奏。 Kimloch of Kimloch など。ハープの伴奏で「アメイジング・グレイス」も。ハープの演奏に説得力が出てきた。後半はピアノで「トロイメライ」「糸」など。

坂井俊水さん、詩の朗読や「大丈夫」などの新曲。それにいつもの「風の日には」「ぼくらの夢」など。











赤羽真理さん、「バラは憧れ」「千両梨の実」「許し」など。「千両梨」には坂井さんのベースが入った。ぼくが「「明日は遠く」「死は終わりではない」、そして「菅野有恒」。

今夜は7時にスタートし、演奏者も少なかったので、最初の3人は3順することに。それだけにそれぞれの演奏をじっくり聞くことができた。来週は「カンタ!ティモール」鑑賞会のため、オープンマイクはありません。次回は、10月4日です。


Friday, September 19, 2014

友人に誘われて、駒ヶ根の山にキノコ狩りに。昨年、一昨年とぼくは忙しく家人が行かせてもらったが、今年は彼女が忙しい。実際にぼくが採ったのは、ここにあるよと教えられて、2,3本だが。最終的に10本近い松茸をいただく。他に、コムソウなどの雑キノコもたくさん。感謝。

稲穂が黄金色に輝き、美しい。ほんとうに水田は日本の景観の骨子である。富士山以上に日本の美しさに貢献している。カリフォルニアから帰ると特にその思いが強い。




午後は、時差ボケとキノコ採りの疲れでベッドに横になったら眠ってしまった。目が覚めて時計を見たら5時50分。外は薄暗い。まだもう一眠りできると思ったところで気がついた。朝ではなく夕方だと。家人はまだ仕事からもどっていない。

昨夜メールをもらった。霧ヶ峰に住む根本さんが、東京の友人須藤さんとお店にやってくる。以前須藤さんはオーリアッドにきて、学生時代にギターを弾いて歌っていたことを思い出し、また歌いだしたとか。土曜日に歌うのはまだできないが、金曜日ならとのこと。

7時前、おふたりがやってきた。家人もそれまでには帰ってきた。ピザが焼けるまで、さっそく須藤さんに歌ってもらうことに。先ず思ったことはギターの音色が素晴らしいということ。そして淡々と歌う歌い方も。ディランやビートルズや、デイヴ・クラーク・ファイヴの歌など。

そのあとしばらく歓談。ここへ来る前に、おふたりは霧が峰の家でコーエンの Live in London を見てきたとのこと。コーエンの話題で話がはずむ。

あとになって坂井君がやってきた。須藤、坂井、三浦でミニライブ。




10時過ぎ閉店し、急いで帰宅。翻訳の仕事、歌詞の確定の継続。そのうちの数曲は以前に訳したことがあると判明。しかしそのデータが残っていない。ブックレットを探さなければ。こうして毎日何かを探し続ける。


Thursday, September 18, 2014

どうもまだ時差ボケが続いていて一日、うとうと。でもうとうとしながらも、帰国後依頼された、対訳の歌詞を解凍し確定する作業をする。これがなかなか難しい。音源が届いたら、実際に歌われている言葉とすり合わせる必要もありそう。大変だが楽しい作業。

午後遅く、ウオーキング。秋の気配がいたるところに。









夜、オーリアッド。開店直後にお客さん。しばらく休んでいたので、いくつかの食材がない。スパゲッティのソースも切らしていた。さっそく注文しなければ。


Wednesday, September 17, 2014

この写真はサンタローザの Luther Burbank Home and Gardens の壁に飾られていた写真を写したもの。前列中央の大きな人物はトーマス・エジソン。向かって右がバーバンクである。その斜め後ろの背の高い男がヘンリー・フォードである。この写真がいつ撮られたかわからないが、バーバンクは1926年に亡くなっているので、20世紀前半であることは間違いない。

トーマス・エジソン: 1847-1931
ヘンリー・フォード: 1863-1947
ルーサー・バーバンク: 1849-1926



調べてみたら、エジソンもフォードもバーバンクの友だちでサンタローザの彼の家を訪ねたことがあるとのこと。そんなときに撮られた写真かも。
http://www.lutherburbank.org/about-us/luther-burbank


こんなサイトも出てきた。それによるとこの写真は1915年にバーバンクの家の前で撮られたものらしい。
http://www.sonic.net/~rb45/P-I-F.htm

いずれにしろ、この3人は20世紀のアメリカの隆盛に大いに貢献した。エジソンやフォードほどにバーバンクは知られていないが、特に農業、食物の分野における彼の功績は計り知れないものがある。

サンタローザの何人かの友人にお礼のメール。彼らのおかげで今回の訪問は実に素晴らしいものになった。


Tuesday, September 16, 2014

今日は一日うとうと。しなければいけないことがあるが、集中できない。時差ボケだ。家人は、今日からカウンセリングのため、塩尻の小学校へ。時差ボケをものともしない。

今回の卒業50周年のリユニオンが、40周年と30周年のリユニオンと比べて、もっとも充実していたと感じたのは、トム・ピクストンとテッド・ストラブに会えたからだと思う。特にトムとはサンフランシスコへ送ってもらう車の中でいろいろ話をすることができた。彼らについては『追憶の60年代カリフォルニア』の中で、亡くなったジョン・ヒューイットとともに、次のように書いた。

 1964年のモンゴメリー高校のイヤーブックを開けると、「ジョン・ヒューイット、ベイエリア・エンジニアリング・スカラーシップ獲得」という見出しのついたジョンの写真が、学校の全景写真の次のページに載っている。大きなトロフィーの横に立っている誇らしげなジョンの顔が印象的だ。ベイエリアの79の高校から選抜された学生たちの中で、トップの成績だったと記事には書かれている。
 
ジョンとテッドは、バンジョー弾きのトム・ピクストンと共に、キングストン・トリオ風のフォークグループをつくっていた。彼らが演奏するときはいつも聞きに行った。彼らはお揃いの縦縞のボタンダウンのシャツを着て、<漕げよマイケル>や<グリーンバック・ダラー>や<トム・ドゥーリー>を歌った。ぼくも見よう見まねでコードを覚え、彼らと一緒にパーティーなどで歌うようになった。(p. 21)

現在、
トムはオレゴン州で弁護士事務所を開き、テッドはオレゴン州立大学で海洋物理学(physical oceanography)を教えている。


Monday, September 15, 2014

朝7時前に起きる。 Daylight Saving Time いわゆる夏時間のため、7時といってもまだ薄暗い。朝食を食べ、フロントへ鍵を返し、料金を払う。サンタローザで泊まった宿は日本にいるときにすでにカードで払っていたが、ここは前日までキャンセル可能とのことで、フロントで精算することに。日本で予約したときは、135ドルほどとのことで、二人分ならまあまあと思っていたが、実際には、2種類のtax がついて150ドルほどになっていた。それでも安いといえば安い。

シャトルバスで空港へ。午前11時すぎ、離陸。日付変更線を越えて、午後2持頃、成田着。往復の飛行機の中、コンプレッションソックスをはいたおかげで、足がむくまず助かった。

もう10年ほど前から、飛行機に乗るときはエコノミック症候群防止のためコンプレッションソックスをはくことにしている。2年ほど前クライストチャーチへでかけたときは、はくのを忘れ、向こうに着いたときは、脚がぱんぱんに張っていた。帰りには、次男が買ってきてくれたコンプレッションソックスをはき、ことなきを得た。

成田イクスプレス、高速バスと乗り継いで、夜8時に家に着く。留守の間、フィービーの世話を「隣の潔さん」の奥さんにお願いしておいた。餌と水を毎日変えてもらうように。家に着いても、フィービーが出てこない。そのうちに、どこからかニヤーニャーと鳴く声が聞こえてきた。でも姿は見えない。サンデッキの下にいるようだ。30分ほどしてようやく出てきた。長い間留守をしたことに、腹を立てて、拗ねているようだ。猫にもちゃんと心があることがわかる。

短い旅ではあったが、充実したいい旅になった。サンタローザと同窓会のみに焦点を当てたのがよかった。


Sunday, September 14, 2014

朝10時半、約束通りトムが迎えにきてくれた。昨夜同窓会帰りに、明日アラミーダに行くのでサンフランシスコまで乗せてくれると彼から言われた。ありがたい。バスで行くとなると、ちょっとややこしい。

来た時とは逆に、Freeway 101 を南下。ゴールデンゲイト・ブリッジを過ぎ、San Francisco International Airport 近くの City Garden Hotel に1時すぎ到着。チェックインには少々早かったが、なんとか鍵をもらって、荷物を置き、トムにサンフランシスコ No.1観光地 Fisherman's Wharf まで送ってもらう。トムは、アラミーダの息子の家へ。2か月前に生まれた18番目の孫に会いに行くため。

トムには子供が7人いて、孫が現在18人。今年中には20人になるとのこと。昨夜のパーティーで、孫が7人いる人が、孫の数が一番多いとのことで、ワインを一びんもらったと思ったので、なぜ「俺には18人いる」と言わなかったのかと聞くと、彼が言う「あれは孫ではなく、ひ孫だ」。great-grandchildren の great が聞き取れなかったようだ。それにしてもひ孫が7人とは。



フィッシャーマンズ・ウォーフの海鮮レストランで昼食をとる。家人の写真を撮っていたら、近くにいた人が、二人一緒に撮ってくれると言う。逆光ではあるが、バックが映えて、これはこれで面白い。



昼食後、乗り降り自由の観光バスのチケットを買い、屋根のない2階席の真ん前にすわる。しばらくサンフランシスコの町並みを眺めていたが、Union Square で下りることに。昔一度、この近くのホテルに泊まったことがある。

トイレに行きたくなり、屋台で何かを売っている人に尋ねると、公園内にはないとのこと。一番近いのは道路を隔てて建っている Macy's の中だという。観光地として有名な Union Square に公衆トイレがなく、近くのデパートのトイレに行かねばならぬとは。




Macy's で少し買い物をし、Ben and Jerry's のアイスクリームを食べ、外に出る。もう4時を過ぎている。バスに乗って観光するのを諦めて、 BART の駅を探す。1枚8ドルほどのチケットを2枚同時に買おうと20ドル紙幣を入れて、指示通りに操作するが何も出てこない。まごまごしていたら、若い黒人女性が寄ってきて、助けてくれた。正確には、助けようとしてくれたと言うべきか。彼女がやっても何も出てこない。

丁寧にお断りして、もう一度最初から自分でやろうとしていたら、また一人、今度は中年の女性が近づいてきて助けてくれるという。今度は一発でうまくいった。チケットを手にし、お釣りをもらおうとしたら、彼女が言う Can I have the change? そ、そうか、そういう商売だったのだ。

BARTは混んでいたが、座ることができた。次の駅で、白髪の老夫婦が乗り込んできた。空いた席はない。われわれの横が Priority Seats (優先席)になっているが、そこの座っている若者は二人共スマホを見ていて彼らに気づかない。あるいは気づかないふりをしている。彼らに席を譲るように言うか、われわれが立つか躊躇しているうちに、向かいの席があき、老夫婦はすわることができた。よかった。

空港の駅で降り、空港内のお店で夕食用のサンドイッチとサラダを買う。ホテルでは朝食しか食べられないとのことだったので。空港からホテルまで無料のシャトルバスに乗る。6,7分で着いてしまった。時間前にチェックインした部屋は、長いこと使われなかったかのような汚い部屋で、しかも、広大な敷地の一番端にある。左右は物置である。家人が憤慨して、フロントへ行き、変えてもらうという。ぼくは我慢できないほどではないと思ったが、彼女は絶対変えてもらうと言って出て行った。こういうときの彼女は頼もしい。しばらくして新しい鍵をもらってもどってきた。そのあとまたいくつかトラブルがあったが、このくらいにしておこう。


Saturday, September 13, 2014


















Friday, September 12, 2014












Thursday, September 11, 2014


51年前の8月24日(土)、DC8に乗って、130人の日本人高校生が羽田から、サンフランシスコ国際空港に着いた。その後3日間スタンフォード大学でオリエンテーションが行われ、それぞれが全米各地の滞在先へ移っていった。幸運なことに、ぼくのホームステイ先は、すぐ近くのサンタローザだった。

8月27日の朝、ミスター・ハーヴィーと息子のジョンが、迎えにきてくれた。そのとき初めてゴールデンゲート・ブリッジを渡った。そのときの感激は今でも忘れられない。その後何度もこの橋を渡ったが、あのとき以上に感激したことはない。橋の上の方に霧がかかり、赤い橋と青い空と白い霧が幻想的な美しさを作り出していた。とうとうアメリカにやってきたと思った。ぼくはハーヴィー家にお世話になりながら、モンゴメリー高校の3年生に編入し、翌年6月卒業した。

今回、空港からバスに乗り、この橋を渡ったのは、卒業してから50年が経った記念のリユニオンに参加するため。Freeway 101 を北に向かって進むと、標識に書かれた懐かしい町の名が次々と出てくる。San Rafael, Novato, Petaluma, Sebastopol そして、Santa Rosa。





サンタローザのバス停で降り、タクシーで予約しておいたホテルへ。ホテルというよりはモーテルに近い。Best Westernチェーンの Garden Inn, Santa Rosa。すぐ横になりたいところ、家人の提案で、ここで寝たら、時差ボケがなおらない、夜まで寝ない方がいいと、 Charles Shulz Museum へ行くことに。10年前の40th Reunion に来たとき彼女が気に行った場所。





突然われわれの前にライナスが現れた。いつものお気に入りの毛布はもっていなかったが。そのあと、歩いて近くの Whole Foods Market へ行き、夕食のための食料品の購入。宿に戻り、夕食を食べ、シャワーを浴びて就寝。飛行機ではほとんど眠れなかった。長い一日。



ooWednesday, September 10, 2014

夕方、ヤクヌケが一箇所あったとのことでメールが入った。よかった。明日だったらもうチェックできなかった。

Tuesday, September 9, 2014

Leonard Cohen の新しいアルバム POPULAR PROBLEMS の対訳と訳者ノートの再校が昨夜遅く届く。校正マンがチェックしたところを含め、今朝もう一度最初から見直す。対訳のほうは修正したいところはなかったが、訳者ノートは、何カ所か表現を変えることに。結局送り返すことができたのは、昼過ぎ。

そのあと、映画「カンタ!ティーモル」上映会について、チラシより若干詳しい資料を作り、伊那へ仕事に出かける家人に、ローカル新聞のオフィスに届けてもらう。映画の上映会は9月27日である。

午後遅く、山の麓のミョウガ畑へミョウガを採りに行く。家人はヘビが出るといって、ここには近づいたことがない。ヘビなんかいないよと口癖のようにぼくは言うが、今日はヘビが出た。出たというより、密集して生えているミョウガの根元をかき分けていたら、紐のようなものが丸まっていた。よくみたら、細長い蛇だった。あわててカメラをとりに家に戻る。カメラをもってミョウガ畑に戻ったが、ヘビはどこにもいなかった。残念。

錦織選手は負けてしまった。

蜘蛛の宇宙遊泳の写真が撮れた。








Monday, September 8, 2014

The Harvest Moon. 中秋の名月。









September 7, Sunday, 2014


朝は少し肌寒かったが、日中はかなり暑くなった。サッチモの What a Wonderful World を口ずさみたくなるような美しい一日。





午後、昨夜の後片付けにオーリアッドへ。昨日は楽しかった。50数年ぶりに会った人たちも多かった。それぞれに年輪を刻んだ風貌。紅顔の美少女、美少年も、みな年老いた。しかし、みなそれぞれに美しい。かつては気後れを感じて話しかけることもできなかった少女たちにも、今は平気で話しかけられる。

錦織と書いて、ニシコリと読むとはしらなかった。ニシキオリと読んでいた。全米オープンで一昨日準決勝戦に勝ち、明日はいよいよ決勝戦だ。

まだ子供たちが小さかったころ、一時期、みんなでテニスの試合をよく見たことがある。マッケンローとかボルグが活躍していた時代。ラリーの応酬を固唾を呑んで見たものだ。


September 6, Saturday, 2014

  辰野中学校昭和35年度卒業生 古希の集い



午後3時半から受付開始。4時、パークホテル前にて記念撮影。そのあと、飯島君、瀬戸君のスピーチとぼくの歌。持ち時間それぞれ15分。5時から懇親会を行うと司会者が告げる。スピーチが始まったのが4時25分。えっ、と思う。一人15分だと、前の二人が15分話したらぼくの持ち時間は5分になってしまう。

政府参与の飯島君、複雑な世界情勢についての話。ベトナムは中国、フランス、アメリカという3つの大国に勝利した唯一の国という話にはなるほどと思った。正確に15分で終了。彫刻家の瀬戸君、物を見る目についての哲学的な話。ソクラテスやアリストレスの美学論。15分経っても終わらない。司会者がタイムオーバーと告げても延々と続く。再度司会者が注意をし、終わったのが5時5分。

困った。ギターを抱え、椅子にすわり「早くビールが飲みたいと思っている人が多いでしょうから、3曲歌う予定でしたが、2曲にします」と言うと、「時間はあるから3曲やってよ」との幹事の声。予定通り3曲歌うことに。「ここがぼくのふるさと(薫子)」「菅野有恒」「祈りの歌」。2番目の曲が好評だった。

そのあと、宴会場に移り、懇親会。50数年ぶりに会う人も多く、最初は誰だか分からない人もいたが、話すうちに飲むうちに、昔の面影が浮かび始めた。

各クラス、それぞれ自己紹介などで、宴会は延々と続く。8時過ぎ中座させてもらいオーリアッドへ。






             
  
OREAD オープンマイク 9/6/14

裏口からオーリアッドへ入ると原田輝夫さんと藤崎そうさんが歌っていた。とてもいい感じだった。その次に藤崎さんとオーリアッド初登場の田代裕美さんの演奏。田代さんのボーカルが実に素晴らしく聞き惚れる。藤崎さんのオカリナもいい音だ。

そのあと、お馴染みの坂井俊水、丸山俊治、今井輝男、赤羽真理のみなさん。ここでしばらく休憩。その時までに、同窓会帰りの同級生が何人か来てくれた。






後半は、長島功 (with 坂井)、原田和恵、原田和夫、三浦久、坂井俊水、今井輝夫、丸山俊治 (with 赤羽、坂井、原田)の順。原田さんの「照っても晴れても」では自然と手拍子が入り、一緒に口ずさむ声も聞こえてきた。丸山さんの「70歳になったのだ」は古希を迎えつつある同窓生に大いに受け、盛り上がる。この時までに、二次会帰りの同窓生も何人か加わり、かなり賑やかに。





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最後に、三浦、赤羽、丸山、坂井、原田、長島で恒例の Amazing Grace を英語と日本語で。11時近くオープンマイク終了。その後、12時過ぎまで同級生、同窓生と歓談。その中で突然、瀬戸君が真金寺の林即宗和尚の話をするので驚いた。真金寺の歴代和尚さんと瀬戸くんの家は親しかったらしい。「即宗和尚」を歌おうとしたが、歌詞がない。12月19日(金)にマンダラ2で歌う約束をする。瀬戸くんは今までにも何度も美人モデルを連れてマンダラ2へ聞きにきてくれた。

同窓会、オープンマイクと忙しかったが、みなさんのおかげで良い一日だった。

                
 

マンダラ2での年末ライブは昨年20回目が終わり、それで終わりにしようと思っていたが、中野さんより電話があり、今年もう一年やることに。詳細は未定だが、今年はゲストなしのソロライブにしようと思う。「三浦久が歌う九つの物語〜サリンジャー風に」と仮題をつけておいた。

来週木曜日から一週間、サンタローザへ行って留守にします。来週のオープンマイクはありません。次回のオープンマイクは9月20日(土)です。9月27日(土)も「カンタ!ティモール」上映会につき、オープンマイクはありません。


September 5, Friday, 2014

朝から昼過ぎまでかかってなんとか対訳と訳者ノートの初校終了。優秀な校正マンのチェックが入っていて助かった。最終的にはかなりの部分を書き直すことに。ずっと前から悩んでいた longing の訳を最終的に決めた。

最初は単純に憧れと訳していたが、あまりにも夢見る少女的である。そのあと、愛欲、情熱、情欲といろいろ考えたが、今朝いい言葉が見つかった。渇望。四聖諦の2番目の苦しみの原因。求めても求めても満たされぬ思い。昨夜、レナード・コーエンの詩集 Book of Longing をKindleでダウンロードして読んだおかげ。

因みに、amazon.co.jp で購入したKindleのタブレットはアメリカの amazon からはKindle本をダウンロードできない。しかし、パソコンにアメリカ版 Kindle のアプリをダウンロードしておけば、使い分けることができる。パソコンだと仕事がしやすい。

夜、オーリアッド。しばらく歌の練習。久しぶりに「丁度よい」を歌ってみる。疲れているせいか、声がよく出ない。こういう歌を歌いたくなるのは「丁度いい」と思っていないからにちがいない。ネルケ無方さんが、「愛してる」と確認し合わなければいけないのは、愛がないからだと最近読んだ本の中に書いていた。

 
おまえはおまえで丁度よい
 顔も身体も名も姓も
 おまえはそれで丁度よい
 貧しさだって丁度よい

 親も子供も丁度よい
 息子の嫁も孫も丁度よい
 幸もも不幸も丁度よい
 喜び悲しみ丁度よい

  歩んだおまえの人生
  悪くもなければ良くもない
  それはおまえに丁度よい
  おまえはおまえで丁度よい


遅くにお客さん。四方山話。来た時は元気がなくてちょっと心配したが、帰るときは笑顔だった。お互い、忙しすぎるのは身体によくない。


September 4, Thursday, 2014

午後、とうもろこし畑の整理。役に立たなかった猿対策用ネットをはずし、杭を抜き、とうもろこしの茎を刈払機で上から細かく刻んで取り除く。雨が降ってきて、マルチをはがし、耕運機をかけるところまではできなかった。ここは来年のいちご畑になる予定。

夜、オーリアッド。ジブランの会の方々。今夜は久々に全員参加。ぼくよりも年上の方もいるのに、みなさんお元気だ。熱心だ。

9時終了後、早めに閉めて帰宅。一昨日送った対訳と「訳者ノート」を手直しするため。対訳したうちの一語がどうしても納得できず、喉に刺さった魚の小骨のように気になっていたが、いいアイディアが浮かんだ。

家に戻ってメールをチェックしたら、ライナーの校正刷りが届いていた。ブックレットの英詩には繰り返しの部分は省略されているが、繰り返しではあるが、若干違う言葉が使われているところは訳しておいたのだが、そうしないほうが良さそうだ。「訳者ノート」に説明を加えよう。

1時過ぎまで、ああでもないこうでもないと、校正作業。眠い。残りは明日。サンタローザへ行く前に、完了しなければ。


September 3, Wednesday, 2014

芝刈りをした。よく雨が降ったし、翻訳の仕事もあって、長い間芝を刈れなかった。雑草がいっぱい生えていても、芝刈りをすると、それなりにきれいに見える。それに芝を刈ったあとの匂いが好きだ。シュウメイギクが咲き始め、秋の始まりを告げている。



グリーンのペンキを塗ったような鮮やかな緑色のアマガエルが、裏の蔓植物の葉の上に朝から夕方まですわっていた。この葉は、家人が隣の空家の敷地から押し寄せる蔓植物を鎌で切ったもので、枯れかけている。それだけにカエルの緑が映えるようだ。只管打坐、無念無想、こんなふうに坐れたら素晴らしい。



今年は気候のせいか、蜘蛛が庭のいたるところに巣をつくっている。注意しないと、庭を歩くたびに蜘蛛の巣にひっかかる。もう10年ほど前になるか、庭や家のまわりに、蜂の巣がたくさんできたことがある。最近はあまり蜂を見かけない。異常気象のせいか。





夜、オーリアッド。土曜の午後、パークホテルで行われる中学同窓会で歌う歌を少し練習。何を歌うか迷っている。やはり「祈りの歌」ははずせないだろう。


September 2, Tuesday, 2014

午後4時30分に対訳を、午後9時近く「訳者ノート」を送る。ああでもないこうでもないと考えながら訳したり、文章を書いたりするのは好きだが、見直すたびに修正したくなる癖はどうにかならないものか。自信がないからだろう。花子のように、すらすらと原稿用紙に訳を書くのは神業に見える。

それでも、ひと仕事が終わると、出来栄えのよしあしは別にして、なんとも言えぬ充実感がある。これがぼくに向いている仕事かも。

しばらく雨が続き、しかも翻訳に追われて、庭や畑をほうっておいた。明日は晴れたら、先ず芝を刈ろう。


September 1, Monday, 2014

朝起きたら、小雨が降っていた。それがだんだん強く降り始めて、午後はしばらく集中豪雨のように降った。今もまだ少し降っているようだ。ほとんど一日降り続けた。

対訳はできたが、「訳者ノート」を書けずに、まだ送られずにいる。しかし遅れたおかげで、コーエンに関する2冊の本をKindle で手に入れることができた。午後、インターネットでコーエンと佐々木老師との出会いについて調べていたら、本のサンプルページが出てきた。そのタイトルをアマゾンで検索したら、Kindle 版があることが分かった。その横にあった本もダウンロード。

Mikal Gilmore, Stories Done: Writings on the 60s and Its Discontent, FREE PRESS, New York ,2008
Jeff Burger, ed., Leonard Cohen on Leonard Cohen, Chicago, Review Press, Inc., .

以上の2冊。便利な世の中になったものだ。先日お会いしたドクターTや家人を含め、紙の本のほうがいいと言う人が多い。しかしぼくには電子本はありがたい。注文したら即座にKindleにダウンロードされ、即座に読むことができる。Kindle のみならず、もうひとつのタブレット(docomo の Arrows)にも同時にダンロードされる。つまり2冊の本を1冊分の値段で買えるのである。しかも紙の本と比べて格段に安い。上記のMikal Gilmore の本は紙の本だと2485円、Kindle だと 1062円。Jeff Burger の本は3329円が1343円。単純な引き算をすると、5814円 −2405円=3409円の節約である。

次のURLはコーエンが佐々木老師について語っているものである。これも役に立った。

https://www.youtube.com/watch?v=4-BIp7yeJ94



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