OREAD Diary December 1-31、2013
                 

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Tuesday, December 31, 2013

午前中、長男と窓拭き。リビングはペアガラスだが、それ以外はすべて二重窓なので、倍の時間がかかる。最後はばてて、長男に任せることに。窓拭きは疲れる。

午後家人に頼まれ隣村の生活クラブの班長の家に、豆腐一丁、牛乳2本を取りに行く。寒い日で車で行こうかと思ったが、最近歩いてない。写真を撮りながら歩いてゆくことに。

先ず、和室の床の間に、長男の新しい門出のはなむけにかけた掛け軸を撮る。金毛獅子児(きんもうのししじ)と書いてある。長男が1976年に生まれたとき、福島慶道老師が書いてくださったもの。次に外に出て、玄関のドアにかけたしめ飾りを撮る。マンダラ2でのライブの翌日、ホテルの近くの無印良品のお店でみつけたもの。ちょっと洒落ている。

そのあと旧道へ下り、南下し、徳本水の湧水を撮る。右側の白く写っているのはツララ。牛乳と豆腐を袋に入れ、国道を横切り、樋田不動尊堂へ。ここは幼い頃、祖母に連れられてよくきたところ。

旧道を北上し、わが家に近づくと煙突から白い煙が出ている。生垣に阻まれてよく見えないが、ちょっとした風情がある。何枚か撮る。





夜、神棚にはお神酒と鰯を、仏壇に小さなお皿に載せたご馳走を供え、一年の感謝をささげ、家人の作った歳取りのご馳走をいただく。子供の頃は嫌いだったブリの粕煮は今や大好物。数の子、煮しめ、栗きんとん、黒豆、茶碗蒸しなど、美味しいものばかり。

テレビは紅白とボクシングを交互に見ることに。後半はボクシングに専念。面白い試合が続いた。内山対ニカラグアのボクサーの試合は激しい打ち合いに。今まで見たボクシングのベスト3に入る試合だった。それだけに、紅白の飛んだり跳ねたりの画一的な演出はつまらなかった。ちょっと言わせてもらえば、反論異論は覚悟の上、オーリアッドのオープンマイクのほうがどれだけレベルが高いことか。

今年は「即宗和尚」1曲しか書けなかった。新年が始まったと思ったら、年末になっていた、そんな感じの1年だった。来年はもう少し自覚的に生き、歌をもっと書きたいもの。



Monday,December 30, 2013

朝9時から、村の神社の清掃。元旦の朝の行事に向けて。神社委員4人と、区長と区長代理の2人の計6人。元旦の朝は、区長と区長代理だけが社務所に詰めて、お参りにくる村人の挨拶を受け、お神酒をふるまう。ぼくも何年か前、それを経験した。




1時間半ほどで終了。神社の近くの山へ登る道の脇にある枯れた杉の葉を集め、大きなナイロンの袋に入れて持ち帰る。ストーブの焚きつけ用。

午後2時前、岡谷駅まで長男を迎えに行く。中央線で人身事故があり電車が遅れたとのことで、辰野を通る電車に乗り継ぎが上手くできなかったよう。

NZの次男とskype で話す。先日2歳の誕生日を迎えたばかりのMasaki君は今日は描いた絵をたくさんみせたくれた。手をたたいてほめてやると、ニッコリほほ笑む。下の右の写真は、ピカソでも描けなような斬新な形と色合い。



Facebook の投稿で、紀野一義先生の訃報を知る。体調を崩して入院されていたが、先週土曜日、肺炎でお亡くなりになったとのこと。享年91歳。アメリカにいたときに母から送られてきた『禅―現代に生きるもの』に魅了され、帰国後、京都に住むようになってから、先生が四条通りのホールで行った講演を聞きに行った。講演のあと、控室でお会いした。それ以後大変お世話になった。

ぼくが曲がりなりにもフォークシンガーとして歌い始めることができたのは、先生が主宰している仏教の会で歌わせていただいたからである。ぼくが京都から辰野へ戻ってきてから、一度先生がわが家を訪ねて下さったことがあった。伊那のお寺へ講演に行かれる途中だった。充分なおもてなしもできなかったことが、今でも心苦しく思い出される。

昨年の4月だったか5月だったか、お送りしたCD『祈り』へのお礼の電話を奥様からいただき、先生とも少しお話した。それが最後になった。どうしてもっと早くお見舞いに行かなかったのかと悔やまれる。心からの感謝を込めて、ご冥福をお祈りいたします。



Sunday, December 29, 2013


玄関先の温度計が今朝7時、−11℃を指していた。この冬一番の寒さ。日中も気温は上がらず、寒い一日。大掃除をしなければいけないが、窓ふきをするには寒すぎる。家人の指示で、神棚の掃除。

午後オーリアッドへ。昨夜の後片付け。そのあと脚を延ばし、ホームセンターへ灯油を買いに。

テレビはどこも年末の特別番組。いい番組もある。気をつけないと見過ぎてしまう。

最近、岡潔さんに続いて、藤原正彦さんの「日本人の矜持」(新潮文庫)を読み直している。これは9人の著名な方々との対話からなる本であるが、その随所で藤原さんは「情緒」の重要性を述べている。例えば、五木寛之さんとの対話の中で次のように述べている。

歌謡曲は日本の情緒を凝縮した文化遺産ですよ。私は大学で教えているのですが、学生たちを見ていると、ひと昔前に比べ、最も落ちているのが情緒力です。学力も「ゆとり教育」で落ちているけれど、情緒力はさらにひどい。これが無くなると大変ですよ。美しさなどを感じる心は、数学や芸術の源泉ですから。私は唱歌や童謡、そして昭和の歌謡曲も教科書に加えてほしいと考えています。日本の文化、伝統を学ぶという意味もありますが、情緒教育として非常にいい。親子で一緒にうたえる歌を持つということも重要です。(p. 179)

小学生に英語を教えるべきかどうかということに対しても藤原さんは一家言をもっている。全面的に賛成できないところもあるが、なるほどと思うところもある。来年2月23日(日)のキング牧師の日チャリティーコンサートには、鳥飼玖美子さんが来て「60年代のアメリカとキング牧師」のテーマでお話してくださることになっている。彼女はどちらかというと小学生への英語教育に関しては藤原さんに近い考え方をしている。このテーマについて少し語ってもらうのもいいかもしれない。


Saturday, December 28, 2013

2013年最後のオープンマイク。何回か臨時休業やほたる祭りライブのようなイベントが入ってできないこともあったが、年間土曜日が単純に計算して4×12=48回あるとして、少なくとも40回は開いてきた。それも常連の歌い手の方々を始め、多くのみなさんのご協力のおかげである。

今夜の前半は各2曲づつ。トップはデレク・ハースト。デレクの歌では Saturday night, 7 o'clock, music starts とオーリアッドのオープンマイクの描写から始まる新曲が印象的。坂井俊水さん、「ぼくらの夢」はいつ聞いてもいい。名曲である。原田和恵さん、以前よく歌った「君は愛されるために生まれた」をアカペラで、ヘンデルの「あゝ感謝せん」を朗々と。初登場山浦祐貴さん、「どうして」と「誰かへのありがとう」。よかった。

丸山俊治さん、今夜は丸山さんの女性ファンが大挙して押し寄せてきた。つかこうへいは役者の家族が見にきたときには、その役者の台詞を急遽増やしたという。1曲増やして3曲お願いする。初期の名作ばかり。「おばさんたちよ」「三角広場に桜咲くころ」「小さな王様」。おばさんたちの盛大な拍手。黄色い歓声も上がったような。

堀越哲朗さん、今夜はエスラジは持参せず、ギターでサカキナナオの詩に曲をつけた「七行」「ラブレター」。小宇宙から大宇宙まで、無限の広がり。原田和夫さん、丸山さんの「小さな王様」を聞いて、彼の家でも孫が来たときは同じようなことがおこると話す。今夜は孫のトモノリ君がきているとのことで、前半終了後、いそいでお帰りになった。

赤羽真理さん、「種の歌」「許し」。後者の歌を聞くたび、いつも粛然たる気持ちになる。前半最後は三浦が両小野小学校の子供たちの感想を引用させてもらったあと「それぞれの道」、そして今年書いた唯一の曲「即宗和尚」。ここで前半終了。













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後半トップは垣内彰さん。碌山美術館で下関からやってきたご夫婦との運命的について語る。1978年のことだったらしい。先週下関を訪問したのはそのご縁で。和恵さん、You Raised Me Up と「祈りの歌」。前者はデレクのピアノとヴォーカルのサポートもあり、今夜のハイライトのひとつだった。

坂井さん、佐藤つぐみさんの「November」への熱いアンサーソング。そしてオーリアッドで初めて歌ったという「なごり雪」。デレク、オリジナルのピアノ・インストゥラメンタル。きれいなメロディ。丸山 さん「職人になったおじさんたち」を 坂井、赤羽、原田、デレクのサポートで賑やかに、そして最新の風刺曲。

堀越さん、サカキさんの詩「ハタラキ」に曲をつけた歌、それに石原吉郎の詩に曲をつけた「橋を渡るフランソワ」。石原吉郎の詩は活字で読んでも難しいが、歌われるとさらに難しくなるような。堀越さんの卒論のテーマが「石原吉郎」だったと聞いて驚いた。昔、石原吉郎に夢中だったことがあった。一度お話を聞きたいものだ。彼が亡くなったのは1977年11月14日。ぼくの誕生日だったのでよく覚えている。

赤羽さん、「人生の海の嵐に」と「千両梨の実」。最後に三浦が、いつも厨房で、そしてカウンターの背後で「控え目に」働いている家人のために、ずっと昔に書いた歌を、その歌ができたエピソードを紹介してから、歌う。

今おまえのおかげでぼくは喜びにあふれる歌
今おまえのおかげでぼくは自分自身だ

このブリッジの言葉は、この歌が書かれた28歳の時より、68歳の今のほうがより真実である。

                      ■

最初のオーリアッドは1985年8月にスタートし、90年代に入りさまざまな事情で休業することになりました。2003年6月13日に再開してから、今年の6月13日で満10年を迎え、現在、11年目の半ばを過ぎたところです。飽きやすく、気まぐれなぼくには3年続くかどうかと危ぶむ声もありましたが、こんなに長く続けられたのは、協力してくださった多くの皆さんのおかげです。改めて感謝申し上げます。

あとどのくらい続けられるかわかりませんが、オーリアッドを「かつては子供であった大人たちの出会いの場、創造の空間にしたい」という初心を忘れず、もうしばらく続けようと思います。オーリアッドは、他の演奏者への敬意と配慮を示していただける限り、上手い下手は問いません、どなたでも参加できます。是非あなたの「声」を聞かせて下さい。


Friday, December 27, 2013

朝起きて階下に降りてまず手に取るのが「たつの新聞」。今朝の新聞を手にして目に入ってきた見出しは「長島聖君(辰野中3年)県選抜に―中学ラグビー全国大会へ」だった。そして彼の大きな写真。最初の試合は29日(日)東大阪の花園ラグビー場。

夜、お父さんがオーリアッドにやってきて「明日のオープンマイクに出られなくなった」と言う。「オープンマイクで歌ったあと、家族を乗せて花園へ向かうつもりだったが、天気予報によると雪が降るらしいので、早目に出ることにした」と付け加える。もちろんそのほうがいい。徹夜の運転はこたえるし、関ヶ原は雪が多く、通行止めになることも多い。

初戦の相手は京都府中学校選抜とのこと。これは手強い相手である。がんばってほしいもの。



今夜はめずらしいお客さんが一人。町の商工会会長。ほたる祭り期間中に何度かお会いした。ワイトモからのお客さんと一緒に。インフルエンザの予防接種を今日受けたという彼の言葉から健康談議に。互いに血圧が高いことが判明。ぼくが「10数年前、役場の血圧計で測ったとき、上が150で下が100だったので、降圧剤をのみ始めた」と言うと、「それじゃあ薬をのむ必要ないじゃん」と言う。彼は現在薬をのんでその数値だと言う。

そこでお得意のターメリックの話をし、スペシャルドリンクをサービスする。そして、ターメリックをとるようになってから降圧剤でも下がることのなかった下の血圧が下がった話をする。事実、毎朝朝食後血圧を測ることにしているが、最近は上が130前後、下は90以下、時には80前後のこともある。エパデールS900もとっているので、その効果もあるかもしれない。スペシャルドリンクの作り方を教えておいた。

11時、帰宅。温度計は−4℃。年賀状にとりかかろうとここ数日思っているが、なかなか始められない。何とかしなければ。


Thursday, December 26, 2013

今日も寒い一日。太陽は出たのだが。

アラミーダのブラウンソンさんから Season's Greetings が届いた。当然ハワードとメアリーの二人からと思って封を切った。驚いたことに、ハワードが4月19日に亡くなったと知らされた。封筒の差出人を確認すると奥さんの名前しか書かれていなかった。

ブラウンソン夫妻と彼らの子供たちについては『追憶の60年代カリフォルニア』第10章「人生の一日」の中で、ヘイトアシュベリーに行く前、数日お世話になった素敵な家族として紹介した。覚えている人もいるかもしれない。最初にお会いしたのは、サンタローザの高校に一年通ったとき。アラミーダとサンタローザの留学生の交換プログラムで一週間ホームステイさせてもらった。それがきっかけとなり、その数年後、サンタバーバラへ行ったときも何度か訪ね、帰国してからも、カリフォルニアを訪問するたびにお会いした。会えないときは電話をした。最後に会ったのは、2009年4月13日から3日間レナード・コーエンのコンサートを聞きに、オークランドへいったとき。

今日届いた「季節の挨拶」に We had a wonderful celebratiion of his life in May, with lots of singing, of course.と書いてあった。「5月に彼の生を祝って素晴らしいパーティーをしました。もちろん多くの歌とともに」。「彼の死を弔う」のではなく「彼の生を祝う」というのがいい。ハワードは若いころから男声合唱団に入って歌っていた。息子や娘たちはそれぞれいろんな楽器を演奏する。おそらく賑やかなパ−ティーだったことだろう。

アラミーダの新聞 Alameda Sun に彼の訃報が載っていた。彼が常に音楽とともにあったことがわかる。

Howdy Brownson, song-leader, barbershopper, safety engineer, community volunteer and Cal alum extraordinaire, has sung his last tune. (ハウディ・ブラウンソン、歌の指導者、バーバーショップ・シンガー、安全工学のエンジニア、コミュニティ・ボランティア、UCバークレーの熱心な同窓生、はついに彼の最後の歌を歌った。)

barbarshopper というのは、この場合は床屋さんではなく、アカペラの男性四重合唱団員の意味である。
お世話になった方々が一人また一人とこの世を去って行く。それは仕方ないことだろう。Thank you for everything, Howard! It was great knowing you. May you rest in peace!.

夜、オーリアッド。静かな夜。遅れていた学生のメールへの返事がかなり書けた。


Wednesday, December 25, 2013

今朝は久しぶりに8時まで寝てしまった。「ごちそうさん」を途中から見ながら朝食。大好評を博した「あまちゃん」のあとだけに、このドラマはどうなるかと心配したが、大健闘。高視聴率を続けている。その要因のひとつは意地悪な義姉を演じたキムラ緑子さんの熱演。もうひとつは主人公の杏さんの天性の明るさだろう。それにもちろんストーリー展開の面白さ。常に何らかの謎を残して、次回に期待させる。

ドラマが終わって、しばらくして窓の外を「怪しげな」人影が通り過ぎるのが見えた。ドアベルがなる。ドアを開けると誰もいない。この時期よくくる「押し売り」ではないかと、いぶかしげな顔つきで外に出ると男の人が立っていた。し、しまった!両小野小学校の校長先生。

乱雑なリビングに上がってもらい、ストーブに火をつける。今月初めに両小野小学校で行ったミニライブのDVDを持参して下さった。それに6年生全員(31名)が書いた感想を貼った3枚の画用紙も。

しばらくお話して、3月の卒業式までに互いの時間の都合がついたら、もう一度ミニコンサートをさせていただくことになった。先生がお帰りになったあと、感想を読ませてもらう。担任の先生に促されて書いたのだろうが、子供たちの気持ちが伝わってきてジーンときた。「それぞれの道」に対する感想が圧倒的に多い。

とてもいい曲をありがとうございました。1ばん良かった曲は、「いじめ」についての曲です。とてもいい曲でした!聞いている時、心がじーんとなってびっくりしました。また来てください!

いじめについての曲が私たち子どもにもわかるやさしい言葉でできていてとても心にひびきました。「ふるさと」を全校で歌うことができてうれしかったです。またきてほしいです。

今日の演そうで私の心もクラスでいじめを受けていた人の心も少し軽くなったように感じます。これからもいろんなところへ行って皆の心の荷物を軽くしていって下さい。

素晴らしい歌をありがとうございます。自分の人生を見直そうと思いました。人のことをもっと考えるようにします。

「皆の心の荷物」「自分の人生を見直す」というような表現が小学6年生の口から出るとは驚き。細かいところまでよく聞いていると感心した感想もあった。

今日は素敵な歌をありがとうございました。ぼくが感じたことは、久さんの歌の歌詞の中にあった「権力を求めたがもらったのは無力だった」という所です。ぼくは「人間誰しも失敗しても立ち直れる」と思いました。

こんなのもあった。ギターを弾く子かな。

弾き語りはふつうはコードをやるのに、アルペジオをしていたのがすごいと思いました。かなり集中しないとアルペジオ語り(造語)はできないと思う。

子供たちの感想を読ませてもらって、これはぼくにとって、ミニライブをさせてもらったことを含め、2013年最高の贈り物だと実感した。みなさん本当にありがとう。

夜、オーリアッド。開店してまもなくしデレクがやってくる。教会の礼拝に行くと言う。ぼくは昨日行ったが、今夜も特別な集会があるのだろうか。7時20分まで話をして、デレクはでかけていった。しばらくしてドアが開く。お客さんかと思って顔を伸ばすと、果たしてデレクが立っていた。教会の入り口は暗く誰もいなかったとのこと。昨夜と間違えたのか。それからまた1時間ほど四方山話。土曜のオープンマイクのときはあまり話ができないので、よかった。

その後、校長先生からいただいたDVDを見る。出だしの話はけっこう難しいのに、1年生の子供たちも一生懸命聞いている。30分ほどの間、子供たちは私語もせず、よそ見もせず、聞いている。最後に「ふるさと」を歌ったときは、みな大きな声で歌ってくれた。当日も感激したが、DVDを見て再度感激。

今日の昼前、12月14日のマンダラ2での年末ライブにきてくださった毎日新聞の城島さんからメールが入った。

  拙文ですが、これの《その80》をクリックしてください。
  
http://mainichi.jp/feature/tanokore/jojima2/archive/ 

先日のマンダラ2での年末ライブのことを、特に「ヴィクター・マトム」との関連で、書いてくださった。面映ゆく感じるところもあるが、ぼくが伝えようと意図したことがコンサイスに書かれていた。感謝


Tuesday, December 24, 2013

午後、家の周りの整理。あちこちに散乱している農具、農業用資材、肥料の入った袋、植木鉢などをまとめて、物置やガレージにしまう。寒い日だったが働いているうちに暖かくなった。

ささやかなクリスマスディナーのあと、赤羽真理さんから案内をいただいた辰野教会の「クリスマスイブ・キャンドルライト礼拝」に行くことに

聖歌隊によるクリスマスの歌(伴奏は原田和恵さん)、シューベルトの「アベマリア」のフルート演奏、最後に藤森牧師さんのキリスト誕生にまつわるお話。いずれもすばらしかった。

昔、京都にいたとき、1970年か71年の12月24日、河原町のカトリック教会の真夜中のミサに行ったことがある。厳かではあったが、演劇を見ているようで、あまり入り込めなかった。今夜の礼拝は自然でこじんまりとしていてよかった。信者のみなさんの他に一般の人も、我々を含め、ちらほら。来年もこのキャンドルライト礼拝を行うとのこと。信者でなくても誰でも参加できるとのことなので、本物のクリスマスの雰囲気を味わうために参加されたらどうでしょう。




礼拝のあと、階下のホールでお茶をいただき、おいとますることに。気温は低く、凍えるような寒さだったが、暖かい気持ちで家路に着く。牧師さんの「クリスマスは和解の時」という言葉を反芻しながら。


Monday、December 23, 2013

昨夜遅く長男がやってきた。中学時代の友だちと数人と駅近くの居酒屋で久しぶりに飲んだとか。今朝は7時半過ぎの電車で東京へ。駅まで送る。

朝食後、家人に促され下の和室の断捨離。使ってないビデオテープ、カセットテープの多くを捨てることに。もったいないが仕方ない。いくつかは永久保存の箱へ。

妻と息子と別居中の男が、小学校の校庭で野球をしていた息子を連れ出し、息子と自分に灯油をかけ火をつけるという事件が東京であった。父親は死に、息子は意識不明の重体とか。何とも痛ましい事件である。どんな事情があるにせよ、9歳の息子を道ずれにするとは。

家族と別居して絶望の極みにあったとしても、何とか新しい人生を切り開けなかっただろうか。最近報道されるストーカー殺人の一種である。息子が妻の身代りになってしまった。

明るい話題は、フィギャースケート全日本選手権で、鈴木明子が金メダルをとり、ソチオリンピック代表になったこと。失礼な言い方になるかもしれないが、彼女の体型はフィギャースケート向きではない。人には言えない血のにじむような努力の賜物だろう。彼女の努力と忍耐に乾杯!

facebook にとてもいい写真があった。



ぼく好みの景色、ぼく好みの色合い。



Sunday, December 22, 2013

寒い一日。朝起きたらうっすらと雪が積もっていた。雪かきに出るほどではないと思ったが、前回不覚にも寝過して出られなかったので、旧道へおり、しばらく雪かき。

昼過ぎ、昨夜の後片付けのためオーリアッドへ。そのあと隣町の温泉へ。寒い日曜日、混んでいた。しかし温泉はいい。身体が芯からあたたまる。帰路、温泉の近くのパン屋さんへ。村の知人の息子夫婦が去年だったか一昨年だったか始めた天然酵母のパン屋さん。彼らはそれまで安曇野穂高神社の境内に店を出していた。ちょっとわかりずらいところにあって、今までも温泉に行くたびに何度か探したが見つからなかった。

数週間前に家人が見つけてパンを買ってきた。辰野と箕輪の間にあるリサイクルショップの南側の細い道を西に向かって200メートルほど行ったところ。洒落た小さな建物。夢のパン屋さん。生きることにこだわる二人を応援したくなる。

ここ数週間、翻訳、学校、ライブと大忙しだった。身体が疲れている。専任教員だった頃、長い休暇が始まるとよく体調をくずした。今はそれほどでもないが、やはり気が緩むのか、かなり疲れている。4時ごろ少し休もうとベッドに横になったら9時まで眠ってしまった。階下へ降りて行くと家人がテレビを見ていた。劇場版「相棒」。ときどき午後再放送で見る「相棒」ほど面白くない。と、言いながら最後まで見てしまった。


Saturday, December 21, 2013

ボブ鈴木追悼のライブをオーリアッドで、というコータロー君との約束を果したいと心にとめてはいたが、なかなかその機会がなかった。今夜皆さんの協力を得てようやく実現できた。しかもぼくの予想をはるかに超えて心に残る素晴らしい追悼ライブになった。

先ずコータロー君にボブについて、そして彼が今年3月に主催した追悼ライブについて、語ってもらう。そのあと彼からボブの奥さん陽子さんを紹介してもらう。陽子さんは名前のとおり陽気に、しかし時には涙をこらえながら、ボブの想い出を語る。

前半出演者は順に、(敬称略)小池コータロー、山岸豊(with 山田守人&春日淳也)、赤羽真理、松下元英、Derek Hurst、原田和恵、中村進、佐藤つぐみ (with 坂井俊水)、坂井俊水、山田守人 (with Washboard Kitazawa)、丸山俊治、長島功、田中創。みなさんボブとの想い出を語りながらの熱演。ここでボブがWhat a Wonderful World と On the Sunny Side of the Street を日本語で。2005年11月の Rolling 60's Live Party の音源。前半終了。

















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後半は雪化粧(藤森敬一&上坂昭人)、三浦久。そして Session Time。先ず丸山俊治とOREAD BAND「70歳になったのだ」。続いて中村進と Bob Suzuki Tribute Band 「I Shall Be Released」。最後は田中創とAll Star Blues Band「Sweet Home Chicago」。いずれも大いに盛り上がる。ステージの壁に掲げられた垣内彰さんがつくってくれた大きな写真のボブも一緒に歌っているように見えた。この写真が今回の追悼ライブに果たした功績はとても大きい。垣内さんに感謝。

ライブ終了後、みなさん去りがたくいくつかのグループに分かれ歓談。陽子さん差し入れのお酒もすぐ空に。最後に残った人たちで記念撮影。





                          


みなさんが帰ったあと、佐藤さんと坂井君がまだ残っていた。坂井君が1曲歌いたいという。そうだった、春からオーリアッドのオープンマイクを大いに元気づけてくれた佐藤つぐみさんが、オーリアッドへくるのは、今日が最後。以前佐藤さんが歌った坂井君に捧げた「November」への answer song を坂井君が歌いたいという。二人の輝く青春の1ページを目撃できたのはオーリアッドをやっていたおかげ。



佐藤さんは数日後にふるさと会津若松へ帰るが、研修にきていた辰野のカメラメーカーに今後くることもあるとのこと。その時はオーリアッドに顔を出してほしいもの。待っています。

長い一日で疲れたが、心地よい疲れ。


Friday, December 20, 2013

粉雪の舞う寒い日。先日師走になったと思ったらもう3分の2が過ぎた。

夜、オーリアッド。明日のボブ鈴木追悼オープンマイクのためにPAのチェック。Takeiji のライブのとき録音できなかったので、今夜試行錯誤いろいろ接続を試したが効果なし。石崎さんに電話しようと思ったらケイタイの電池切れ。その後もいろいろいじっていたら、まったく動かなくなってしまった。スイッチが入らない。壊れてしまったかと青くなったが、コンセントが抜けていただけだった。

いろいろ触ったせいか、音質はとてもよくなったような。そこへ赤羽真理さん。教会のクリスマス例会の案内をもってきてくれた。四方山話。定年退職して現在はしばらく家にいて、自由な時間を楽しんでいるようだ。

ボブ鈴木追悼オープンマイクへの出演希望者はかなり増えてきた。あまり沢山は歌ってもらえないかもしれないが、ボブを偲ぶしみじみとしたライブになってほしいと思っている。途中、ボブ自身も声だけだが出演する予定である。

7時開演です。出演予定者はできるだけ開演時間前にきてください。もちろん聞きにきてくださる方々も大歓迎です。


Thursday, December 19, 2013

関東および長野県の南部に雪が降ると予想されていたので、明朝は早く起きて雪かきに出なければと思って寝る。最初にに目が覚めたのが4時、次に目が覚めたのが、7時過ぎ。6時からの雪かきに欠席。朝食後旧道へ下り、その後つもった雪をかく。家の周りはすっかり雪景色。白黒の世界。



山麓線にも雪が少し残っていてノロノロ運転。しかしいつもより交通量が少なくスムーズに進む。午後2コマのクラス。冬休み前、最後のクラス。

夜、オーリアッド。垣内彰さんがボブ鈴木の写真を拡大してもってきたくれた。早速土曜の「ボブ鈴木追悼スペシャルオープンマイク」のためにステージの壁に貼らせてもらう。土曜日は垣内さんは下関へ行っていて参加できないとのこと。

久しぶりに根橋唱二さんの甥の根橋努さんがやってくる。今度の日曜日ピアノの発表会があるとのことで、2曲弾いてくれた。ジャズ風にアレンジされた松田聖子の曲と Merry Christmas, Mr. Lawrence。ピアノのレッスンを始めて5年とのこと。大したものである。



猪瀬さんがとうとう辞任した。ギリシャ悲劇を地で行く展開。ひとつの判断のミスによって、大きな幸福から大きな不幸へ。ただこの悲劇の幕は完全に下りてはいない。黒幕、本当に悪い奴の顔は隠されている。


Wednesday, December 18, 2013

昼を挟んで3コマのクラス、学生からのメールにクリスマスが近いのでクリスマスの歌を歌いたいというのがあった。急遽、Jingle Bells, Silent Night, The Noel, White Christmasの歌詞を用意する。Jingle Bells は発音とリズムについて4月から学生に伝えようとしてきたことが凝縮されている。

Dashing through the snow
In a one-horse open sleigh,
O'er the fields we go,
Laughing all the way;
Bells on bob-tail ring,
making spirits bright,
What fun it is to ride and sing
A sleighing song tonight


毎月の最終水曜日に行われている天竜ずく出し倶楽部の歌声喫茶が今月は1週早めて今日行われた。「雪の降る町を」「冬の星座」など。美しい歌声。



11時前家に戻り、明日のクラスの準備。遅れていたemailの返事はほど書けたが、テストの採点は完了できそうもない。冬休みの宿題。


Tuesday, December 17, 2013

昨夜遅くから、そして今朝早くから、対訳と解説の最終校正。大幅に書き直したいところもあって、時間がかかってしまった。午後2時、送る。

その後、学生のメールの返事。テストの採点。返事は明日の分はすべておわったが、採点はまだ。返すのは休み明けになりそう。

夜遅く、ボブ鈴木にお世話になったという千葉に住んでいる方からメールが入った。

16日は、Bob鈴木さんの命日ということで、Bobさん絡みのFacebookを見ていたら、三浦さんのHPに行き着きました。 三浦さんのことは、Bobさんから色々聞いておりました。 また、店にも連れて行ってあげるよと言われていたのですが・・・ 残念です。

三浦さんのDiaryを読んでいて、一つ謎が解けたことがあります。 それは、レナード・コーエンのDVDです。Bobさんが何年か前に送ってくれました。そう、3枚の内の1枚です。凄く良かったです。 そう言えばと思い先週末も見直したばっかりでした。まさか、こんな経緯があるとは思ってもいませんでした。それで思わずメールをしてしまいました。

21日は、お伺いしたかったのですが、所用があり残念ながら行けません。 陽子さんやコータローに、よろしくと伝えてください。

関東では、明日から明後日に掛けて雪が降る降らないで騒いでおります。そちらは、雪はかなり積もっているのでしょうか? では。 Bobさんに乾杯!

この人は2010年5月1日の日記を読んだのだろう。そこにはボブがコーエンの Live in London のDVDを3枚買いにきたことが書かれている。

6時少し前、オーリアッドの駐車場着。車を止めて横を見ると、高級車が入ってきた。中には、片手を上げ、ぼくを見て微笑んでいる紳士が一人。どなたかと思いながら近づくと、果たしてボブ鈴木だった。豊田君のコンサートのときにレナード・コーエンの Live in London (DVD) を買ってくれたのだが、あまりによかったので、上げたい人がいるともう3枚買いにきてくれたのである。

「こんなに何度も見たDVDはほかにありません」とのこと。Ditto! (『ゴースト、ニューヨークの幻』風に)。1年以上経った今でも、そのCDをよ く聞いている。オーリアッドで、車の中で。ボブに1曲歌うように頼む。最近はギターをもつこともなく握力が落ちていると言いながら、「バーボン・ダブル」を歌ってくれた。ボブ 鈴木節健在。更に体力を回復して、また歌いにきて欲しいもの。




今度の土曜日のボブ鈴木追悼オープンマイクへの参加者も徐々に増えてきた。きっとボブを偲ぶ素晴らしい夜になるだろう。


Monday, December 16, 2013

終日、いくつかの字幕の字句をああでもないこうでもないと考える。時間がないとのことなので、修正できたものから順に送ったが、最後に送ったのは午後6時過ぎ。間に合わなかったかも。詳しくは次のURLで。http://ameblo.jp/high-hopes/

とにかくこの DVDは凄い。今年の6月ロンドンで行われた Wrecking Ball World Tour の中で行われた Born in the USA 全曲ライブ。1時間のライブだが、その疾走感はものすごい。あっという間に最後まできてしまう感じ。

年末ライブの感想や写真が徐々に送られてきている。ぼく自身は、かなり緊張し、疲れてもいて、いろいろな間違いを犯したので(いつものことながら)、ちょっと意気消沈していたが、みなさんが優しい好意的な言葉をかけてくださるので、少しづつ気分は回復してきたような。

今週が冬休み前、松本へ行く最後の週。明日はメールの返事を書き、中間試験の採点をしなければ。


Sunday, December 15, 2013

10時少し前、ホテルをチェックアウト。近くのL.L. Beanへ。それからマルイ&無印良品のお店へ。そのあと、新宿へ行き、1時の高速バスに乗る。

4時過ぎ、家に戻り、メールをチェックしたら Born in the USA のDVDの字幕チェックが待っていた。エンドロールに流れる曲の対訳の見直しも。一応送ることができたのは、朝の4時近く。明朝再度チェックできたらすることに。


Saturday, December 14, 2013

第20回三浦久年末ライブ in 東京、みなさんのおかげで無事終了。振り返ってみて、20回もよく続いたものと思う。マンダラ2の中野さんからも、個人が20年間継続してマンダラ2でライブをしたのは初めてではないかと言われる。これもみなさんのご協力のおかげである。20回のうち18回来てくれた人もいる。今年きてくれた最高齢者は91歳の女性。この方も10回以上は来てくださった。

開演19時。出演は三浦 with (野間&中井)、田中、小山(1曲 with 中井)、小山&清水(赤とんぼの唄)、清水の順。そして最後に全員で「種の歌」「祈りの歌」 We Shall Overcome、「パーティーは終わったよ」を歌って終了。22時近く。その後、12時近くまで打ち上げ。







ぼくのセットリストは「セカンド・ウインド」「ヴィクター・マトム」「Bird on the Wire」「I have a Dream」「雨ニモマケズ」。何人かから「ヴィクター・マトム」がよかったと言われた。先日の「クローズアップ現代」に彼が出ていたとも。清水君が20周年のプレゼントとしてコンサートのDVDを制作してくれるとのことで、プロのカメラマンがきて4台のカメラで撮影をしてくれた。それを見るのは嬉しいような恐ろしいような。


Friday, December 13, 2013


小雪が舞う寒い一日。昼前にオーリアッドへ行き、昨夜の片付けと、明日もって行くギターやジェラルミンのケースなどを家にもってくる。そして今夜はオーリアッドを休むことに。明日の準備があまりできていないので。

毎日新聞の城島さんからメールが入り、次のように書かれていた。おそらくぼくが数日前日記に書いた次の文を読まれたのだろう。―「ネルソン・マンデラ氏の葬儀に世界中の要人が集まった。今夜TVを見ていて驚いたことは、アフリカの人々が歌い踊っている姿である。嬉しいときも悲しいときも、彼らは歌い踊るのだろう」。

南アフリカの 人はデモの抗議行動や悲しい時に歌ったり踊ったりするのか、と思う人は多いでしょうね。私もそう思っていましたが、アパルトヘイト時代に米国に亡命してい たジャズトランペット奏者のヒュー・マセケラに会った時、彼は76年のソウェト蜂起を例にこう言いました。「子供たちが 撃たれた時、彼らは歌って踊っていた。南アの人間は悲しさを明るく表現する方法を持っているんだ。楽しんでいるように見えるかもしれないが、実はとても 怒っている。私の音楽もそう。『南アの人は歌ってばかりいるから、自由になれない』と言われたが、それがこの国を救ったんだよ」

城島さんはヨハネスブルグでヒュー・マスケラにインタビューして書いた記事の全文を送ってくださった。その中の次のマスケラの言葉に、というよりはネルソン・マンデラの言葉に、大いに感銘を受けた。。

アフリカでは弾圧から自由へと変わる時に争いが起こり、国をメチャクチャにしてしまうことが多い。南アも同じようになる寸前だったが、マンデラは「弾圧してきた人たちを守り、彼らと一緒にこの国をつくり上げていこうと国民に呼びかけた。こんな例は過去の歴史にあっただろうか。本当に驚くべきことだ。特に40歳代で刑務所に入れられ、70代になって釈放され、何の苦しみや恨みもないマンデラには驚かされる。


清水君からメールが入った。仙台から塩釜に向かっているところとか。明日名取市の市長との会議が終わり次第マンダラ2へ駆けつけるとのこと。いつものことながら、彼の行動範囲の広さには驚かされる。安全運転でお願いしたい。記録ビデオを撮りたいがミキサーからラインアウトをもらえるかとも書いてあった。それは大丈夫だろう。

明日はフォークの神様のコンサートがあって来れないと言っていた石崎さんが来てくれることになった。神様のコンサートは昼間とのことで、設定は他の人に頼んで、コンサートが始まるまでには駆けつけられるとのこと。

20回目の年末ライブ。みなさんの協力を得て、いいコンサートになりそうだ。


Thursday, December 12, 2013

朝6時に起き、対訳とライナーの校正。11時までに送ることができた。そのあと松本へ。駅の近くの楽器店でギターの弦を買う。レジの近くにあったハーモニカも。よく使うAとB。午後1時からの授業には充分間に合うと思っていたら、楽器店で時間を使い過ぎた。いつもの駐車場へ行く時間がない。ひょっとして空いているかもしれないと図書館脇の駐車場へ。しまった、工事中で使えない。そのとき工事関係の人が声をかけてくれた。「あの赤い車の後ろに止めたらいい」。5分遅れて授業開始。

夜7時過ぎ、オーリアッドへ。今夜はジブランの会を含めたくさんのお客さん。赤羽さんが正装をして大きな花束を抱えてやってきた。いつにもまして爽やかな笑顔。長年勤めた会社を定年退職したとのこと。5番テーブルにすわってもらい、垣内さんに写真を撮ってもらう。そのあと赤羽さんの送別会に参加した人たちが三々五々集まってきて、二次会に。

みなさんがおかえりになったあと、弦を変える。初めて弦を巻く winder を使ったが、これがとても便利。カッターまでついている。今まで使わなかったのが悔やまれる。これがあれば弦を変えるのは苦にならないだろう。

11時過ぎ、家に戻る。いよいよ年末ライブは明後日。明日は一日その準備に使える。


Wednesday, December 11,2013

9時半、松本へ。お昼を挟んで3コマのクラス。それぞれのクラスで後期最後の曲 Knockin' on Heaven's Door を歌う。

帰路、アルプス市場でくるみを買おうとしたら売り切れだった。昨日のNHKの番組でくるみの効用を取り上げた番組をやったらしい。かわりに、マカダミアナッツを買う。これは身体に悪い?美味しいので食べ過ぎる。

夜、オーリアッド。8時、家人と交代。久しぶりに坂井君が歌っていた。ボブ鈴木追悼オープンマイクには2人でやってくるとのこと。彼が帰ったあと、年末ライブに向けて練習。「ヴィクター・マトム」を歌っていて、後半感動して涙が出そうになる。どの歌もそうだが、書いているときはいつも泣きながら書いている。この歌を最初に書いたときの気持ちが戻ってきたのか。

家に戻り、学生のメールの返事を書こうと、gmailを開けると、対訳とライナーのゲラ刷りが送られてきていた。年末ライブ明けかと思っていたが、仕事が早い。少し見始めたが、眠い。明日の朝することに。明日は授業が午後2コマなので、若干時間がある。とにかく明日中に済ませてしまわなければ年末ライブに支障がでる。


Tuesday, December 10, 2013

朝起きたら雨が降っていた。みぞれまじりのような。昼過ぎには雨もやみ陽が射し始めたが、いつ雪が降るかわからない。午後隣町へ買い物へ行くついでに、タイヤを変えてもらうことに。いつもは自分で変えるのだが、年末ライブが近い。大事をとることに。

ネルソン・マンデラ氏の葬儀に世界中の要人が集まった。今夜TVを見ていて驚いたことは、アフリカの人々が歌い踊っている姿である。嬉しいときも悲しいときも、彼らは歌い踊るのだろう。中井君と夜メールのやり取りをしていたら、昨夜のクローズアップ現代にヴィクター・マトムが出ていたとか。やはり年末ライブでは「ヴィクター・マトム」を歌おうと思う。

中間試験の採点はできなかったが、メールの返事はとりあえず全部書いた。


Monday, December 9, 2013

今日の朝一で送ってほしいとメールが入っていた。「訳者から見た『ハイ・ホープス』」というライナー。がんばろうとしたが、昨夜は睡魔に襲われ、12時前にベッドへ。5時に起き出し、仕事部屋へ。10時までに送ろうとがんばったが、難しい。お昼までには送りますとメールを打つ。12時に再度、3時までにとメール。結局送ることができたおは6時40分。とにかくよかった何とか書き上げて。読み直してないので、校正の段階で大幅に修正する必要があるだろう。

こんなに遅筆では文筆業は務まらない。でもこうして締め切りがあるから、若干遅れたとしても何とか書くことができる。そして書いている最中、突然ひらめくことがある。隠れた鉱脈にツルハシの先が当るような。そうなればしめたもの。

夕食後、年末ライブに向けて歌の練習。


Sunday, December 9, 2013

長男は金曜日の夜遅くきて、昔の写真やビデオをチェックし、ビデオをDVDに焼いたりして、今朝早く東京へ戻る。ぼくも子供たちが小さなころの動画をいくつか一緒に見たが、まったく忘れているものが多く、こんな時代もあったのだと、感慨もひとしお。長い間しまってあったので、フィルムが劣化しているものも。

今日も終日、仕事部屋でライナーを書く。書きやすい歌となかなか書けない歌がある。抽象的な歌は難しい。具体的なストーリのある歌は、書きやすい。



Saturday, December 8, 2013


今年は村の同姓の会(金山様かなやまさま)の当屋なので、朝8時、幟を持って三浦姓の祠へ行き、お神酒とお米と塩を供え、幟を2つの石灯篭にかける。本来竿にさして立てるべきものだが、いつの間にか簡易化されて、こうなったようだ。

すぐに、それらのものを下げ、11時に隣町のながた荘へ。温泉に入り、12時から会食。和気あいあいとした2時間。



3時過ぎ家に戻り、NZの次男と skype で話す。雅樹君はますます可愛くなった。来月末には会うことができる。



夜、オーリアッド。今夜は参加予定者が少なかったので、さみしい夜になるかと思ったら、リサがまずやってきた。さらに30年前にぼくのクラスにいたという女性がやってきた。メールを打ったとのことだったが気がつかなかった。家にもどりチェックしたら迷惑メールに入っていた。

今夜の出演者は、出演順に、リサ・ハスコール、三浦久、金子昭二、西澤(旧姓田畑)恵美、リサ、三浦、金子、垣内彰、赤羽真理、西澤、長島功の順。







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西澤さんは、今年の夏からジャズを歌い始めたとのことで、声量のある声で You Are So Nice to Come Home to など。リサは明日クリスマスの歌をパーティで演奏する予定とのことで、Silent Night など、フルートとピアノで。金子さんは「上を向いて歩こう」を独自の歌い方で。垣内さんは、先日の両小野小での「雨ニモマケズ」のミニコンサートについて。赤羽さん「主は今生きておられる」「千両梨の実」。 長島さん「ブリキの魔法」と「月のこころ」。ぼくは久々に「ヴィクター・マトム」を歌う。

今夜は若干早目に終わり、家に戻る。長男としばらく話したあと、仕事部屋へ。


Friday, December 6, 2013

来年1月14日(日本では1月22日)に発売が予定されているブルース・スプリングスティーンの『ハイ・ホープス』のライナーを訳者の観点から書いてほしいと依頼された。今日はあれやこれやといろいろ考えたが、まとまらない。この作品を聞く限り、前作の『レッキング・ボール』以上に、スプリングスティーンはアメリカが、そして世界が、置かれている状況を、深刻に受け止めている。昨日の日記に引用した岡潔さんの言葉そのもののような―
どれくらい深いかとのぞきこんで見たのだが、谷底は見るよしもなかったのである。もし転落し始めたら、今度こそ国の滅亡が待つばかりである。

アメリカも、日本も、世界中が、底なしの谷に転落しつつあるような。

昨日、ネルソン・マンデラが亡くなった。今夜、オーリアッドで、「ヴィクター・マトム」を歌ってみる。この歌は中井君がプロデュース&ディレクトしてくれた『ガビオタの海』に入っている。来週土曜日(12月14日)の年末ライブで歌ってもいいかもしれない。

・・・・
政府はぼくが18のとき
ぼくたちの言葉を奪おうとした
白人の言葉、アフリカーンスしか
しゃべってはいけないと言われた

350年間ぼくたちはずっと
奪われ続けてきた
でもぼくたちの言葉だけは
奪わせるわけにはいかなかった

だから1,976年6月16日
ソウェトで学生が一斉に立ち上がった
一握りの白人の政府に
No と言うために

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ 


1990年2月、長い闘争の末
ネルソン・マンデラは釈放された
そして1994年5月10日
ぼくたちの大統領になった

ぼくは今カメラマンとして働き
子どもたちに写真を教えている
彼らが南アフリカの未来を
撮り続けることができるように

ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーサ
ウマンデルゾブーヤ
ウマンデルゾブーサ 
    
from 三浦久「ヴィクター・マトム」 on 『ガビオタの海』 OREAD RECORDS OR-003


午後、明日の同姓の会の果物やお菓子を買いに新しくできたマーケットへ。同姓の会の祠に供えるお神酒も。今年はわが家が当家である。

夜、オーリアッド。歌の練習。「ヴィクター・マトム」など。10時半過ぎ、長男を迎えに駅へ。元気そうでなにより。


Thursday, December 5, 2013

午後2コマのクラス。中間試験。いずれのクラスも教科書に入る時間がない。今までの歌をいくつか歌う。用意した歌で残っているのはKnockin' on Heaven's Door のみ。冬休みが始まる前にはこの歌も歌えるだろう。

6時前帰宅し、7時半オーリアッドへ。家人と交代。遅くに丸山さん。隣町の歌声喫茶の帰り。ますます若くなって、お元気そう。『2001年宇宙の旅』の最後、monolith と遭遇した宇宙飛行士はどんどん若返り、ついには赤ちゃんになってしまう。いくらなんでもそれはないだろうが、どこまで若返ることか・・・。

本棚にあった岡潔著『日本のこころ』を拾い読みする。随所に傍線が引いてある。面白い、というか身につまされる。彼は60年後の日本はどうなってしまうかと嘆く。

・・こどものころ私は『三十万年前の世界』という本を読んだことがある。三十万年前というのは、そのころは、人類が火を使いはじめたのは三十万年前だと思われていたからである。大変面白かったが、その一説にこんなことが書いてあった。興る民族と滅びる民族では、その一番大きなちがいは、興る民族は夜の闇を恐れない。夜は一人ひとり別の位置にすわって、一人で思索することを好む。ところが滅びる民族の特徴は、これと反対で、変に夜の闇におびえ、夜は一かたまりにかたまってでないとおられない。(pp. 315-316)

彼が「60年後」と言ってから、すでに50年は経っている。

・道は断崖にきわまっていることを知ったから、どれくらい深いかとのぞきこんで見たのだが、谷底は見るよしもなかったのである。もし転落し始めたら、今度こそ国の滅亡が待つばかりである。(pp. 334-335)

早速 Kindle store で『日本民族の危機』を注文ダウンロードした。


Wednesday, December 4, 2013

3コマのクラス。いずれも最初の50分は中間試験。キング牧師のスピーチ。読解とヒアリング。残りは今まで歌った歌。ひとつのクラスでは先週時間がなく教えられなかった Heart with No Companion を解説し歌う。 

6時近く家に戻る。一昨日、朝の朝礼の時間に「雨ニモマケズ」を歌わせていただいた両小野小学校の校長先生から丁寧な礼状が届いていた。何枚かの写真も。本当に素晴らしい機会を与えていただいたことに対し、ぼくこそ感謝しなければ。

写真の一枚は、「雨ニモマケズ」暗誦の認定書をもらった子供たちの名前とともに、一般の人たちの名前が書かれた大きな横長の木札。早速ぼくの名前も加えられていた。驚くことに、ぼくの前、11月7日に認定書をもらったのは粟津原さんだった。福祉体験学習の先生としてこの小学校へ来たようだ。



粟津原さんにとって「雨ニモマケズ」の暗誦は簡単だっただろう。彼女は全盲の元気のいい女性。ぼくの歌も何曲か、歌うことができる。もちろん歌詞を見ないで。

7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。とりあえず、まずスペシャルドリンクで身体をあたためる。ノート型を家に置いてきたので、久しぶりにKindle で遊ぶ。驚いたことに、「雨ニモマケズ」暗誦認定書を facebook にアップしたのだが、「like (いいね)」が50人を超えていた。いつもは多くても20人ぐらい。みなさん関心があるのかな。もし「雨ニモマケズ」を暗誦できたら、チャレンジしてみたらどうでしょう。連絡いただければ、校長先生に紹介しますよ。


Tuesday, December 3, 2013


終日翻訳。夜9時過ぎ、とりあえず終了。送る。

午後しばらく野沢菜の収穫を手伝う。漬物にできるように、包丁で蕪を切り落とし、葉の部分をそろえる。

夕方外に出ると夕焼けがきれい。カメラを取りに戻り、何枚か撮る。子供のころは美しい自然を見てもそれほど美しいとは思わなかった。歳をとるにつれ、自然の美しさが身にしみる。子供は自然の一部なので、自然を客観的に見ることがないのだろう。

 
 I see skies of blue, clouds of white
  The bright blessed day, the dark sacred night
  And I think to myself what a wonderful world





夜遅く明日の中間試験の問題を途中まで作る。後は明日の朝ということに。


Monday, December 2, 2013

朝7時半、垣内彰さんと共に家を出て、両小野小学校へ。会場は多目的ホール。機材を設定しサウンドチェックをしていると子供たちが、三々五々やってきて、興味深そうにのぞきこむ。Let It Beを歌うと、さらに近くに寄ってきた。校長先生が子供たちは英語の歌に興味があると教えてくれる。

8時15分開始。校長先生の挨拶のあと、「雨ニモマケズ」のモデルと言われている斎藤宗次郎について話し、歌い始める。歌い始めたとたん、何人かの子供たちが顔を見合わせてにっこり。おそらく自分たちが苦労して覚えた詩が歌われたので驚くと同時に嬉しかったのだろう。歌い終わるまで、彼らの集中力はすごかった。

英語の歌に興味があるとのことだったので、予定にはなかったが、ここでBlowing in the Wind のショートヴァージョンを日本語と英語で。そして次は校長先生から要請のあった「それぞれの道」。この歌ができた経緯を話してから、歌う。この歌こそ子供たちには難しいだろうと思ったが、熱心に聞いてくれた。




All photos by Akira Kakiuchi

「それぞれの道」を歌って終了と思っていたら、校長先生がもう少し時間があるのでもう1曲歌ってほしいと言われる。歌詞も何も用意していなかたので、歌詞を見ないで歌える比較的短い「祈りの歌」を歌うことに。途中1個所歌詞を忘れ、歌いなおすという醜態を演じたが、なんとか無事終了。そして最後に、ぼくばかり歌っていてはいけないと、「ふるさと」の1番を一緒に歌ったあと、もう一度子供たちだけで歌ってもらう。子供たちののびのびしたきれいな歌声を聞きながら、とても幸せな気分に。子供たちみんなにハグしてやりたいような。そこで垣内さんにお願いして、全員の写真を撮ってもらうことに。ぼくは真中の後ろで黒いジャケットを着て手を上げている。


Photo by Akira Kakiuchi

そのあと、校長室でお茶をいただきながら、しばし歓談。辰野と塩尻の人権擁護委員の方も一緒に。その場で校長先生から「雨ニモマケズ」を暗記しているという認定証をいただく。「雨ニモマケズ」を暗記した100名ほどの児童と地域の方々の名前が書かれた紙が廊下の壁に貼ってあったが、そこにぼくの名前を加えてくださるとのこと。

今までにいろいろな賞状をもらたが、この認定証が一番嬉しい。何と素晴らしい機会を与えられたことか。



10時、家に戻り、終日、またまた、ああでもないこうでもないと、苦しいが楽しい翻訳作業。



Sunday, December 1, 2013

ああでもないこうでもないと、終日翻訳。かなり出来上がってきたが、難所がいくつか。ここがクリアーできれば、あとは一気に行けるはず。

夜、明日、両小野小学校で歌う歌の練習。心配なのは小学校低学年の子供たちにとってはぼくの歌は退屈ではないかということ。でも校長先生から要請された歌は2曲。「雨ニモマケズ」と「それぞれの道」。

なんとかなるだろう。いつも、それでなんとかなってきた。