OREAD Diary  August 1-31, 2013

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Saturday, August 31, 2013

にぎやかなオープンマイクになった。6時開店と同時に、ぼくが住む今村から3人の人が、今夜のオープンマイクに急遽出演してくれることになったタケバンの竹入隆行さんに会いにやってきた。そのうちの2人は竹入姓。その一人は「隣の潔さん」。7時の開演まで大いに話が弾んだようである。

前半トップはデレク・ハースト、We Are the World とオリジナル曲。佐藤つぐみさん、オリジナルを含む2曲。高校時代ロックバンドでベースを弾いていたとはいえ、3ヶ月前にギターを弾き始めたとは思えない進歩。丸山俊治さん、おじさんシリーズ2曲。「おじさんたちよ」「職人になったおじさんたち」。原田和恵さん「芭蕉布」と丸山さんの「雪のかくれんぼ」。坂井俊水さん、「恋心」と「ぼくらの夢」。三浦久、「I Have a Dream」。50年前の8月28日に、キング牧師がワシントンDCで行ったスピーチのもっとも有名な部分に曲をつけたもの。そして、久々に顔を出してくれた小野藤沢の中村さんのために「一通の手紙」。

ここで竹入隆行さんに歌ってもらうことに。歌う前に自らの生い立ちについて手短に話す。今村で生まれ、物心ついたときには、飯田に住んでいて、育ったのは大阪とのこと。ふるさと今村のことはまったく覚えていないが、数年前ら先祖の墓参りにやってくるようになったとのこと。歌った歌は「理(ことわり)」と「残された力」。ロックバンドヴォーカリストのギター1本の弾き語り。淡々と、ときには激しく。特に後者は亡くなった仲間(たち)への挽歌とか。心に響くものがあった。

続いて、山口恵三&オーリアッド・オールスターバンド、「Stand by Me」と恒例の「日のあたる道」。今夜は前半にこの歌を。前半最後は、リサ・ハスコールさん、フルートとピアノで小曲を1曲づつ。

ここで休憩、佐藤さんのおみやげの会津のお菓子「菩薩の心」をいただく。生チョコ入りのレアサブレ。美味しかった。













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後半トップは小宮山敏明さん、「イパネマの娘」を含むボサノバ2曲。小宮山さんはかなり早くからお見えになっていたのに、お待たせしてしまった。唐沢千夏さん、クラシックギターの演奏。知らなかった、月一回、千葉までレッスンを受けにいっているとか。演奏もよかったが、ギターを抱えたときの姿勢が見事。長島功さん、「月の心」。赤羽真理さん、「種の歌」。前回よりずっとよかった。かなり練習したような。

次に、今夜は見学だけでもと、開店直後からきて、ずっと聞いていたくださった諏訪の西沢稔さんにお願いする。「夏祭り」。上手い! 佐藤さん、「Fire Cracker」 with S. Sakai on guitar。二人の呼吸がぴたりと合い、心地よいリズミカルなギター。坂井さん、「風の日」。原田さん 、「降っても晴れても」with T. Maruyama on mouth harp and K. Yamaguchi on cajon。デレク、オリジナルの佳曲「Heart without Boundary」。山口さん、「The Rose」を日本語で。都はるみが歌うヴァージョンとか。かなり原詩にちかい訳詞。ここで、三浦が「夢のブックストア」。今夜は出演者が多く、後半は歌うつもりがなかったが、1,2週間前に、ぼくが留守のときに訪ねてくれて、ほたる書房の話をしていったという方が入ってきたので。今夜最後は、丸山さんの「70歳になったのだ」 witn Oread All Star Band。最高の盛り上がり。

今夜は、近くから、遠くから聞きにきてくださった方も多く、にぎやかで充実したオープンマイクになった。ありがとうございました。

竹入隆行さんとギタリストの原敬二さんのユニット「タケイジ」のコンサートは10月19日(土)、オーリアッドで。The Oread Band も競演予定。


Friday, August 30, 2013

午前中、畑仕事。ジャガイモを収穫したあとに、鶏糞をまき、耕運機で起こす。白菜、野沢菜用。それから裏にまわり、ジャングルのように生い茂っている草を刈り払う。涼しくなったとはいえ、汗びっしょり。

「ジャングルのように生い茂っている」は少々誇張し過ぎと思う人がいるかもしれないが、背の高い草や木の枝に、空家の隣家から押し寄せるつる草がからまって文字通りジャングルのよう。

午後、岡谷のスカラ座へ。『少年H』。ウイークデイにこの映画館に行けば、いつもがらがらだったが、今日はほぼ満員。映画の前半3分の1は、前の列にすわっている2人のおばさんの会話が気になって集中できなかったが、「ちょっとうるさいです」と注意してからは、映画に集中できた。昭和20年生まれのぼくが実際に経験しえなかった戦争突入から敗戦までの一般の人々の生活がリアルに描かれていた。

最後に少年Hが独り立ちしてゆくあたりが、もう少し丁寧に描かれていればとは思ったが、シニア割引1000円に十分値する映画。少年Hのお父さんは仕立て屋さん。ミシンが映画の中で重要な役割を演じていたが、同じシンガーのミシンがわが家にもあったことを思い出した。それにぼくの名前のイニシャルもH。あれほど大きくはなかったが、胸元にHのイニシャルがついたセーターがあったような。そうそう、妹役の子役がよかった。

夜、オーリアッド。ジョン・クーンズが撮影編集し、YouTubeにアップしてくれたI Have a Dream の歌の練習。キング牧師がワシントン大行進でこの演説をしてから、先日28日でちょうど50年。この歌のアクセス数もここにきて伸びている。

久々に一局。開始早々の奇襲作戦にやられた。王を囲う前に、銀と飛車と角で攻められ万事休す。うむ。

台風の影響か、今夜は蒸し暑い。家に戻り温度計を見たら22℃。


Thursday, August 29, 2013

今朝、タケバンの竹入隆行さんから、メールが入った。明後日の土曜日、先祖の墓参りにくるのでオーリアッドに寄るとのことで、オープンマイクにも参加してもらうことに。

昨年の8月後半、オーリアッドに長身痩躯の金髪青年が突然現れた。それが、タケイリバンド、略してタケバンのリーダー、竹入隆行さんだった。ぼくと彼の共通点は先祖が辰野町今村に住んでいたこと。その後、何度かメールのやり取りがあり、ぜひ一度オーリアッドで演奏したいとの申し出があり、10月19日(土)、彼と彼のバンドのギタリストの原敬二さんの二人でやってくることになった。2人で演奏するときは、タケイリのタケイとハラケイジのケイジをくっつけてユニット名はタケイジ。同時に地元のミュージシャンにも出てほしいとのことで、オーリアッドの常連メンバーでthe (New) Oread Band を結成することに。

今年のほたる祭りライブは、清水国明・小山卓治・三浦久のかなり異質な組み合わせだったが、タケバン とオーリアッド、タケイジとオーリアッド・バンドはそれ以上に異質で、今からどうなることかとハラハラ。でもそれだけに楽しみでもある。

とにかくタケバンの音楽はロックンロール。彼らのレパートリーのSelfish Boogie と情熱のロックンロールを聞けば彼らの音楽がギンギンのロックであることがわかる。。しかし当日はタケバンではなくヴォーカルとギタリストの2人のユニット、タケイジである。おそらくもっと静かな演奏になるはず。全国どこでもチケットは前売り3000円、当日3500円とのことだが、オーリアッドでは、特別に2000円と2500円でいいとのこと。できるだけ多くの先祖の地の人に聞いてもらいたいとのことで。

土曜日のオープンマイクが楽しみ。今村からもオープンマイクが始まる前に、タケイリさんに会に何人かくる予定。

オーリアッド。スピーカーからはエミルー・ハリス。澄んだ美しい声。Wi-Fiが設置されてから、Kindle が使いやすくなった。『チベット旅行記』と『
The Wonderful Adventures of Nils』 (ニルスの不思議な旅)を読み進む。後者は子供たちが小さかった頃、みんなで楽しんだアニメの原作の英語版。


Wednesday, August 28, 2013

午前中、町営病院の耳鼻咽喉科へ行ってきた。

今使っているのはpanasonic の補聴器 ONWA である。補聴器と呼ばれているが、実際は集音器。数ヶ月前、家人が京都でお母さんを耳鼻科に連れていったとき、集音器を使っていると難聴が進むという話を聞いてきた。それ以来、早く耳鼻科へいって検査してもらい、ちゃんとした補聴器をつけたほうがいいと言われてきた。「夏休みになったら・・」と引き延ばしてきたが、とうとう観念して耳鼻科へ。

結論から言うと、「集音器を使っていると難聴が進むということはない」とのこと。しかし、検査を受けたら、難聴がかなり進んでいることが判明。専任教員時代この病院で受けた健康診断のデータが残っていた。退職後も、何回か聴力検査を受けている。10年前は低音域から高音域まですべての周波数において、50dB以下だったのに、2年前はほぼすべて50dB の線上に並んでいた。今回は、すべてその線の下、60〜65dBの範囲内にあった。

認定補聴器技能者のいる数軒の眼鏡屋さんを紹介される。そう急ぐこともないが、無料の試用期間があるというので、一度行ってみようかと思っている。

夕方涼しくなってから、イチゴ畑だったところを耕運機で耕す。週末雨が降る前に、大根の種をまきたい。

夜、オーリアッド。天竜ずくだし倶楽部主催の「歌声喫茶」。なつかしい唱歌やフォークソングの数々。いつも感じることだが、みなさん歌が好きで、歌が上手い。


ターメリック(ウコン)とオリーブオイルがアルツハイマーの予防や治療に効果があるという記事を読んだ。歌声喫茶終了後、ナスを輪切りにし、一つまみの塩を入れ、オリーブオイルとターメリックで炒めてみた。ナスがターメリックとオリーブオイルを吸い込み実に美味しかった。

丁度50年前の今日(時差があるので若干のズレはあるが)、キング牧師がワシントン記念堂のリンカーン像の前で、20万人の聴衆にむかって、I Have a Dream (私には夢がある)という歴史的な演説を行った。

AFSでアメリカに渡ってから50年、ワシントン大行進から50年、11月22日には、ケネディ大統領が暗殺されてから50年。来年2月は、ビートルズが初めてアメリカで演奏してから50年。

「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん」と、今夜の歌声喫茶で皆さん歌っていたが、ぼくはその歳を今はるかに超えている。長い時が流れたものである。

若き日の絵巻は早も閉じてしまった
命の春はいつのまにか暮れてしまった
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった
 
      「ルバイヤート」より、小川亮作訳


Tuesday, August 27, 2013

日中はまだ暑いので、4時過ぎ、日がかげるころからトウモロコシとスイカの畑の整理。猿対策用の杭と網を撤去し、刈り払い機でトウモロコシの茎をなぎ倒す。これはけっこう快感。スイカは草に覆われている。刈り払い機を使うまえに、草叢の中のスイカをいくつかとる。中には大きなものも。しかし腐りかけているのもいくつか。

フィービーは庭のベンチで夕涼み。

畑と家の周りの草を刈り終えるころには、薄暗くなってきた。日が短くなった。

夜、Kindle で遊ぶ。ペルシャの詩人オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」をダウンロードして読む。Kindle は、聞いたことはあるが、読んだことのない古典を、無料でダウンロードして試し読みするには最高である。「ルバイヤート」はヘラクレイトスの万物流転や悲観主義の哲学者と共通するところがあり、気に入った。

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった
だが、向こうから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、かえる旅人を見なかった。

                
 (小川亮作訳)


Monday、August 26, 2013

1969年7月の終わり、数人の友人とタサハラのMountain Zen Center へ行き、4日間お世話になった。日本に帰国する3週間ほど前のことである。そのときの指導者は日本人の禅僧チノウさんだった。アメリカ人の雲水たちが彼をそう呼んでいたので、ぼくたちも彼をチノウさんと呼んだ。茅野なのか、知納なのか、漢字でどう書くかはわからなかった。

後年、京都でその話を梶山先生にしたところ、「オトガワ君だ」と教えられた。フルネームは乙川弘文(おとがわ・こうぶん)である。乙川さんは1961年に駒沢大学を卒業したあと、65年まで京大大学院で学んだようだ。

昨日、50年前の羽田空港で撮った写真を探したが、出てこなかった。そのかわり、乙川さんと一緒に撮った写真が出てきた。

スティーブ・ジョブズが一昨年10月亡くなったあと、彼が長い間、禅に傾倒し、坐禅をしてきたことが話題になった。そして、その指導をした乙川さんは、しばらくの間、アメリカでも日本でも脚光をあびた。しかし残念なことに、乙川さんは、すでに2002年、スイスで池に落ちた5歳の自分の娘を助けようとして亡くなってしまっていた。

調べてみたら乙川さんの生年月日は1938年2月1日。ということはこの写真の彼は31歳。ぼくは23歳である。そうそう、チノウさんは、漢字では知野さんであることがわかった。彼の旧姓とのこと。乙川という名前のお坊さんの家に養子に入ったのだろうか。

こんな写真も出てきた。長男1歳の誕生日。住んでいたのは叡電修学院駅近くの京福修学院マンション。後ろに見えるカーテンも茶色の椅子も、信州に戻ってからも長い間使ってきた。このとき家人28歳。36年前のことである。





こんな写真も出てきた。左端は、やしきたかじん、右端はPEP、のちの京都レコード社長、中川さん。ぼくとやしきたかじんに挟まれているのが一匹狼のリーダー。名前が思い出せない。堀君だったか。

1971年か72年ごろの写真。「あのねのね」はまだ京都レコードに入っていなかった。







Sunday, August 25, 2013

寝苦しく、夜中に何度も目が覚めたが、最終的に目覚めたのは9時半。朝方はしっかりと眠れたようだ。家にいてもこんなに遅くまで寝ていることはない。よほど疲れていたとみえる。

長男にKindle の Skype 設定をしてもらい、家人と話す。これは便利。今朝の防災訓練は雨の中で行なわれたとのこと。今まで防災訓練の日が雨だったことはなかった。

そのあと、彼と新宿へ。先ず高速バス停で、帰りに乗るバスを1時間遅らせて1時半にしてもらい、京王デパートのレストラン街へお昼を食べに。「さぼてん」というお店でトンカツを食べる。美味しかった。そのあと、Kindleの付属品がほしいと、ヨドバシカメラへ行くが 、Kindle はあつかっていないとのこと。どこにあるか聞くと、ビックカメラにあるという。いくつもの種類のタブレットが市販されているが、それぞれの店が異なるタブレットを扱っているのかも。ビックカメラへ行き、Kindle売り場の店員さんにいろいろ説明を受け、いくつか設定してもらう。それにタッチペンとイヤホンを買う。しまった。カメラの設定を聞くのを忘れた。

長男のおかげでいろいろ助かった。東京へ行くたびに駅の券売機が新しくなっていて、戸惑う。乗り換する線を示さないと、スロットが閉じていてコインを入れられない。乗り換え駅でスルーする改札を通るとき、切符を取るのを忘れてしまった。しばらくして気づいて戻ったが、見つからない。そんなときも彼は冷静に駅員と対応して話をつけてくれた。

彼が小さいとき、へまをすると、けっこうきつく怒ったり注意したりしたが、彼はぼくがへまをしても腹を立てることもない。今更ながらあんなに怒らなければよかった、と反省。いよいよ、老いたら子に従えの年齢になったような。

1時半、バスに乗る。Kindle で河口慧海の『チベット旅行記』の続きを読む。往復のバスの中でかなり読み進んだ。自由自在に文字を拡大できるだけでなく、タッチするだけでページが替わり、次に読むときも、読むべきページが出てくる。複数同時に読んでいても、どれも読むべきページを示してくれる。

3時間足らずで辰野着。家人が迎えにきてくれていた。バスを降りて先ず感じたことは、
涼しい!

AFS10期生の羽田出発50周年のリユニオンに参加してよかった。ぼくの歌は惨々たるものだったが、いろんな人に会い、いろんな人の話を聞き、大いに刺激を受けた。

家に着いてから、50年前、羽田まで送りにきてくれた人たちと撮った写真がどこかにあるはずと探したが出てこなかった。どこかにあるはず。



Saturday, Augsut 24, 2013

高速バスで新宿へ。そこから羽田空港行きのリムジンに乗り換え、4時10分、第二ターミナル到着。しばらく3階のコーヒーショップで休み、5時少し前、5階イタリア料理店 Castelmola へ。AFS10期生130名が羽田空港を出発してから50年経ったことを記念してのリユニオン。会場へ到着したときは、もう人でごったがえしていた。あちこちに輪ができ、笑い声や歓声が聞こえてきた。

まさに丁度半世紀前の1963年8月24日午後10時、羽田空港からDC8に乗ってハワイ経由でサンフランシスコ国際空港へ。そのときの感動が昨日のことのように思い出される。「追憶の60年代カリフォルニア」ではDC10と書いてしまったが、それはぼくの勘違いだった。

130名中、62名参加。遠くはスウェーデンからやってきた人も。11名はすでに亡くなられているとのこと。

いよいよリユニオン開始。幹事の吉良君が、持参したポータブルPAシステムを使って挨拶しようとするが、音がでない。不吉な予感。あとで歌うように要請されている。しかし、あのアンプとマイクだと音が出たとしてもそれほど助けにはならなかっただろう。結局マイクなしの挨拶のあと、食事をいただきながら、しばらく歓談。それから全員のスピーチということに。海外からやってきた7名は2分、日本在住者は1分。

マイクはないし、久しぶりに会った友人と話し込んでいる人たちもいて、耳の遠いぼくには聞き取りづらい。

スピーチは予想されたように、時間オーバー続出。一次会が終わったとき、まだスピーチをしていない人が20名ほど。ぼくもその一人。二次会は外のデッキでと聞いていたが、雨の心配もあり、引き続き同じ会場で。

ぼくがそのトップバッター。基本的にスピーチの内容は1年間のAFS体験がその後の人生にいかなる影響を与えたかというもの、ぼくは2つのことを話す。ひとつは、60年代前半にアメリカで始まったフォーソング・リバイバルとの遭遇がその後のぼくの人生を定義したということ。もうひとつは、50年代の延長線上にあった豊かで保守的なアメリカを1年間体験したおかげで、60年代後半の対抗文化をより複合的に見ることができるようになったということ。

全員のスピーチが終わったところで、ぼくに歌えと言う。二次会では、吉良君らがフォークソングをみんなと一緒に歌うと思っていた。ぼくはその合間に1,2曲歌えばいいと思っていた。ところが、歌うのはぼくだけだと言う。どうしようと思いながら、 ケネディ暗殺前後に全米のラジオから流れてきたI Want to Hold Your Hand のイントロを弾き、そのあと、「Blowin' in the Wind」「Take Me Home, Country Roads」を部分的に、そして「We Shall Overcome」を一緒に。最後に「祈りの歌」。「Country Road」は予定していなかったが、スピーチの中で、West Virginia に滞在したという人がいて、あちこちから「Almost heaven」とか「Blueridge Montain」というような声が聞こえてきたので。

歌い終わったとき、まばらな拍手。どっと疲れた。


いいこともあった。歌い終わるとすぐに、一人の人が話しかけてきた。覚えている限り、以前に彼と話したことはなかった。ブルーズハープを吹くという。話しているうちに、彼が blues の大ファで、ぼくが訳したいくつかのCDも持っていることが判明。特にそのブックレットを訳した『マーティン・スコセッシのブルース:ある音楽の旅』ももっているという。このDVD5枚組は、今では入手不可能だが、素晴らしい作品である。彼は1分間スピーチで、アメリカの高校で自由を体験したからか、大学卒業後NHKに就職したが、窮屈で仕方なく、マクドネル・ダグラス社に転職したと話す。現在はメディア対応トレーニングの会社をやっているとのこと。

彼のその話に大いに興味をもったが、もっと興味をもったのは、彼が小説も書いていて、そのひとつが織田祐二主演の『Best Guy』という映画になったという話。その映画のプロデューサーも務めたという。

二次会が終わり、さあ三次会へということになったが、今夜は長男のアパートに泊めてもらうことになっているので、帰ることに。そうしたら、その人も帰るという。一緒に帰ることに。彼のおかげで電車の乗り換えもスムーズに。五反田で長男に会い、池上線に乗って彼の住む雪が谷大塚へ。

彼のアパートに着いたら、どっと疲れた。成人式や同窓会、宴会の席では、歌わないほうがよさそうだ。でも、今年の年末ライブに来てくれるという人も何人かいたので、歌ってよかったのかも。


Friday, August 23, 2013

朝食後、身支度をして山の麓の茗荷畑へ。残念ながら、2つしか取れなかった。まだ早いのか。仕方なしに、ゴーヤを取ろうと歩いて行くと、オクラの花が目に入ってきた。なんと清楚で美しい花だろう。観賞用の花としても十分に通用する。

ゴーヤはたくさんとれた。熟れすぎて黄色くなっているものも。こうなったら捨てるより仕方ない。写真用にひとつ。ナスも大きくなりすぎたものも。ナスのカゴの真ん中に見える小さなピンクの蟹の爪のようなものが茗荷。

家にもどると、シュウメイギクが一輪咲いていた。この秋一番乗り。この花も好きだ。

オーリアッド。Kindle で河口慧海の『チベット旅行記』を読んでいる。面白い。ところどころ信じ難い記述もあるが、彼の道を求める熱意には圧倒される。

遅くに、ドクターT、そしてしばらくして田中先生。お二人がオーリアッドで顔を合わせるのは初めて。前から、彼らが出会ったら、どんな展開になるかと思っていた。いや、心配していた。面白い夜になった。ドクターがクラシックギターを弾き、田中先生がピアノを弾き、ぼくも1曲、禅に詳しいドクターに聞いてもらいたいと、「即宗和尚」を歌う。

最後は、因果、縁起を巡って、それにTPPを巡って、喧々諤々の歯に衣きせぬ議論、というか言い合いに。こんな風に忌憚なく話すことができるというのは、貴重なこと。根底にあるのは、 agree to disagree の精神。



Thursday、Augsut 22, 2013

ようやく今日から夏休みが始まるような。9回裏、延岡学園の最後の打者が三振するのを見てから松本へ。成績提出、締め切り1時間半前。帰路、久しぶりにTSURUYA並柳店へ。パスタソースなど食材を購入。

それにしても、なぜ延岡学園は、9回裏無死、ランナー1,2塁で送りバントをしなかったのか。強攻策で万事休す。同点延長でなく、一気に試合を決めてしまいたかったのか。

7時過ぎ、オーリアッド。すでにジブランの会の方々。

遅くに、Martin の backpacker で歌の練習。明日、東京へはバックパッカーをもって行くつもり。この暑さの中、重いギターをもって人混みの中を歩くのは大変。

それにしても暑い。むし暑い。帰路、5時過ぎ、善知鳥峠を越えたところにある温度計は34℃、家の近く、上島手前の温度計が33℃。8月下旬の夕方、この暑さ信がたい。会う人毎に、挨拶は「暑いですね」。



Wednesday, August 21, 2013

朝食後、外に出てサンデッキの上の植木鉢に水をやっていたら、突然、ケタタマシイ蝉の声。右耳の補聴器がハウリングをおこしている。どこにいるかと思ったら、すぐ目の先の柱にとまっていた。慌ててカメラをとりにもどり、シャッターを切る。もう一枚、少し近づいて撮ろうとしたら、逃げられた。最近はこのアブラゼミの鳴き声をよく聞く。7月にはヒグラシだった。

見回すと、いろんな花が咲いている。梅の木の下には、大きなピンクのバラ2輪。東の花壇にはリンドウ。カリンの木にはたくさんの実がなっている。

採点はほぼ終わり、あとは成績表に記入するだけ。明日もって行くことに。


オーリアッド。テイクアウトのピザが出たあと、しばらくして団体のお客さん。てんてこ舞い。ありがたい。わが家の畑のキュウリとトマトをたくさん食べていただく。

家にもどり、ニュースを見ていたら、花巻東の156センチの選手のファウル打法が禁じられたとのことだった。昼間、少し見たが、なぜ彼がねばることなく簡単に打ってアウトになってしまったのか不思議に思っていた。前回の試合でファウルでねばる彼の姿に感動していたので残念。すごい技術だと思った。小柄な野球少年たちにとっては憧れの的、希望の星だっただろうに。



Tuesday, August 20, 2013

今日は文字通り背水の陣。終日採点。高校野球が今日は休息日でよかった。できたら明日のうちに提出したい。採点はすべて終わったが、まだ出席や提出物などを加味して最終成績をつけなければならない。難儀なのが途中から引き受けたクラス。

歌の問題の最後に、前期に歌った歌の中でどの歌が気に入ったか、できたらその理由も書きなさいという質問をした。1番人気はダントツで Take Me Home, Coungry Roads。その理由は子供のころからアニメの日本語ヴァージョンを聞いたり歌ったりしてきたから。

次に、ビートルズのLittle Child、そして All My Loving がくる。その理由は2つ。ひとつは小さなときから、お父さんが車の中でビートルズを聞いていて、馴染みがあるから。もうひとつは、他の歌に比べてリズミカルで軽快だから。次に人気のあるのは、ほぼ同数で Amazing Grace と The Rose。 The Rose は歌の内容に共感を示す学生が多い。

今週土曜日、羽田空港内のレストランでAFS10期生のリユニオンが開かれる。50年前のこの日、つまり1963年8月24日の夜、全国から集まった130名の高校生が羽田からアメリカへ向かって飛び立った。飛行機が離陸し、舞い上がったときのドキドキわくわくした気持ちを、今でもよく覚えている。

リユニオンには60名ほどが参加するとのこと。海外在住者も6,7名やってくる。この会で何か歌ってほしいと言われている。こういう会で歌うのは苦手である。同窓会というのは久しぶりに会う人たちと旧交を温めることが中心で、誰も歌など聞きたいとは思わないだろう。「そういう雰囲気になったら歌わせてもらいます」と答えておいたが、一応何を歌うか考えておかねば。

1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件の前後から、アメリカのラジオ局はいっせいにビートルズの I Want to Hold Your Hand (邦題:抱きしめたい)を流し始めた。言葉はわからなかったが、そのビートに体が反応した。ビートルズといえば、先ずぼくはこの歌を思い出す。同じ年にアメリカにわたったほかの人たちも、おそらく同じだろう。この歌を交えて、Blowin' in the Windを含むいくつかの歌をメドレー風に歌ったらどうだろうと今考えている。Blowin' in the Wind を初めて聞いたのは I Want to Hold Your Hand を聞いた直後のこと。そのあたりの経緯は次のURLから。http://www.nagano.net/journal/miura/961014.html

リユニオンの会場では1人1分のスピーチが課せられていて、時間がないかもしれない。続いて二次会が場所を移して行われる。そこで歌うことになるかもしれない。いずれにしろ、今 I Want to Hold Your Hand を練習しておけば、
後期の歌に、この歌を加えることができる。


Monday, August 19, 2013

朝食後、耕運機をかけ、仮植え用イチゴ畑を作る。ガソリンの携行缶から耕運機にガソリンを入れるとき、今までは気にしていなかったが、ガス抜きのネジをゆるめる。周りに火の気はないので心配ないと思ったが、念のため。

今年はたくさん野菜を作りすぎた。来年は規模を縮小しようと話している。草取り、猿対策に時間がかかる。ズキニはまだ小さいと採らずにいると、一日でジャンボナマズに変身する。キュウリもナスも草に隠れていて、気づいたときには、too big to eat。

終日採点。高校野球に何度も中断されながら。今日は4試合とも白熱した試合。いずれも1点差。2試合は延長戦。あまりの接戦に、息苦しくなり、テレビを2度消した。2点差で勝っていたチーム、9回の裏、ツーアウト、走者なし、ほぼ勝利を手中にしていたが、投手が熱中症にかかり、投手交代。延長10回、3対2で負けた。この結果は後で知ったこと。リアルタイムでは見ていられなかった。

それにしてもなんという暑さ。ぼくが住んでいるところは、かつてはお盆が過ぎれば秋風が吹き、涼しくなった。今日も日中は30℃を超えた。


Sunday, August 18, 2013

終日、採点。何とか目処がついた。毎回採点をしながら、次回は採点しやすい問題にしようと思いながら、同じことの繰り返し。次回こそ。

昨夜、鮎をたくさんいただいた。横川川で釣ったものだという。鮎を焼いたことのない家人のために焼き方をインターネット調べる。ついでに食べ方も。夕食にいただく。美味しかった。食べ方に書いてあったように食べると、食べやすい。今までは箸で肉をとろうとしても、骨が多すぎて上手にとれなかった。

残りを冷凍しようとしているところへ、いつもお世話になっている村の人がやってきた。その人に「鮎は好きですか」ときくと、大好きだと言う。数匹お裾分け。「貴重なものを」と大変喜ばれた。天然の鮎は非常に高価なものらしい。

午後家人の買い物について行き、「吸水速乾、きらりとした風合で優れた通気性」のステテコ2枚組、セール特価580円を買う。「風合」という言葉を目にしたのは久しぶり。早速はいてみる。通気性がいいとはいえ、ズボンの下にもう一枚はくわけだから、若干暑くるしいような。外出するときはけば、また違った感想になるかも。冬のモモヒキがわりにはいいかも。

そうそう、今朝の新聞で青空文庫を創設した富田倫生さんが亡くなったと知った。そのあと、浜野智さんからもメールがあった。もう何年も前、ぼくが東京で歌ったとき、浜野さんと一緒に聞きにきてくれたことがあった。お会いしたのは、そのときが最初で最後だった。メールのやり取りは何回かあったが。

彼にとってもご遺族にとっても、無念のことだっただろう。でも彼はひとつの大きな仕事を成し遂げた。「青空文庫」はこれからますます必要とされ、成長して行くだろう。ご冥福を祈る。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130817/k10013841521000.html


Saturday, August 17, 2013

旅の力、家族の力、愛の力、お金の力、さまざまなものに力がある。今夜は、実に「歌の力」というものを感じさせてもらった夜。オーリアッドに集う人たちの歌の力、歌の底力に圧倒された。

最初にやってきたのは、中川賢司さん。オーリアッドのことは坂井俊水さんに聞いたとか。初登場でトップバッターはしんどいだろうと、先ず原田和恵さんに歌ってもらう。「You Raise Me Up」、そして最近お年寄りたちの前で歌って好評だったという「糸」、そして「めぐり会い」。中川さん、「Fly Me to the Moon」 「酒とバラの日々」「Night and Day」。サンバというかボサノバというか、軽快なリズム。坂井俊水さん「朧月夜」「恋心」「ぼくらの夢」。「ぼくらの夢」を書いたことによって、坂井さんの、ぼくが「失恋三部作」と呼ぶ彼のラブソングに生命が与えられた。丸山俊治さん、先日の「満蒙開拓団・青少年義勇軍引揚げものがたり」のイベントで歌いたかったが、曲数に制限があり歌えなかったという「昼間の花火」「とうもろこしの葉っぱ」、そして「デノミの灰」。彼の歌は常に進化している。

続いて原田和夫さんに、そのイベントに参加したときの感想を話してもらう。原田さんは、お父さんの仕事の関係で満州に幼い頃住んでいたことがある。林友ホールでの引揚げ体験者の方々のお話は涙なしでは聞けなかったと語る。ぼくが「一通の手紙」を歌って、赤羽真理さん。意表をついて「種の歌」から。そして「許し」。ここで休憩。和恵さん差し入れの美味しいシュークリームをいただく。それにわが家の畑のスイカも。










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後半は逆順で赤羽さんから。「約束」「千両梨の実」。丸山さん「人生の椅子取りゲーム」「戦争を知らない政治家たち」。後者は赤羽さんのマンドリンのサポート。中川さん、オーリアッドの歌い手たちのオリジナル曲に触発されたといい、後半2曲はオリジナル。「You Are Not Alone/君は一人じゃない」「My Empty Dream/虚ろな夢」。素晴らしかった。巧みなギターワークと簡潔で的を射た言葉。

仕事の関係で遅くなった長島功さん、「ブリキの魔法」と、数日前に完成したお母さんに捧げる歌「月の心」。「静かに静かに夜が更けて行く/窓の外には月明かり/遠くに見える山並み」という、病院の一室でお母さんを看病していたときの情景から始まる。彼が今までに書いたオリジナルは3曲。この歌がぼくは一番好きだ。そして、この歌を書くことによって、お父さんに捧げた「ブリキの魔法」が新たな力を獲得した。

遅くに藤森和弘さんがやってきた。長い間腰痛に悩まされてきたが、検査をしたら骨折していたとわかり、手術をして、しばらく入院していたとのこと。ぼくの好きな「住みなれたこの町で」を歌ってもらう。確か、藤森さんがオーリアッドにくるようになって書いた最初のオリジナル? 手術・入院の影響はまったくないようだ。和恵さん、「降っても晴れても(太陽は空にある)」「祈りの歌」。前者は松本のマシュマロママという人の歌とか。最後にぼくが田中正幸さんを偲んで「夢のブックストア」。

「感動すると疲れない」と前から感じてきた。今夜はそのことが実証された。「歌の力」とは何だろう。いい歌とは何だろう。その答えは千差万別、10人いれば10の答えがあっていい。ぼくにとっては、それは、心の叫び、魂の叫びである。その人の存在の中心から出てくる言葉。歌わずにはいられない言葉。そのような言葉を吐くとき、人は、受けようとか、賞賛されようとか思ってはいないだろう。

「月の心」の最後のほうで、長島さんは泣きそうになるのを必死にこらえているような表情を見せた。おそらく彼は歌を書きながら、何度も涙を流したことだろう。そして、この歌を完成させたことによって、彼はお母さんとの別離の悲しみを乗り越えることができたに違いない。というよりは、おそらく、この歌を書くことで、以前にもましてお母さんの存在は身近なものになったことだろう。

ぼくにとって歌の力は、それである。つまり、歌の力とは、歌を書き歌う人を癒し、聞く人の心も癒す力である。オリジナルであれ、カバーであれ、歌には人を癒す力がある。今夜はそんな歌をたくさん聞かせてもらった。ありがとうございました。


Friday, August 16, 2013

大芝荘での同窓会。楽しかった。4時に集合とのことで、4時に到着したが、ぼくより先に来ていたのは克彦君だけ。彼は小学校、中学校を通して同級生だったばかりでなく、保育園も一緒だった。会うのはおそらく40年ぶり。立派になっていた。警察学校の副校長や警察署長を務めたあと退職し、今は長野市で悠々自適の生活。言葉遣いといい、物腰といい、ぼくが覚えている克彦君とはすっかり変わっていた。

もう一人、保育園から中学まで一緒だったのが猛利君。彼と会うのは一年ぶり。昨年、東京での同級会で会った。彼とは中学時代陸上部で一緒だった。共に1500メートルの選手。勝ったり負けたり。彼も今はカメラやフィルム関係の会社を退職し、悠々自適。「金を残しても仕方ない」と、年に一度は奥さんと海外旅行へ行くとのこと。今年はイタリアへ行ってきたとか。

会ってもまったくわからなかった人が3人。一人は正一君。安城市から参加。ぼくが覚えている彼は大男だった。今はそれほど大きくない。彼は上島という村の出身。昨日書いたことでぼくが勘違いしていたことがある。彼は上島にあった川島小学校の分校に1年から4年まで通い、5年から辰野西小学校に編入したとのこと。だから彼と一緒に小学校へ歩いたことはなかった。今日の参加者8名の中、この分校出身者4名。ぼくはこの分校の存在を子供のころはまったく知らなかった。

温泉に入ったあと、宴会。それまでにサトミさんと一子さんの2人も到着。今村出身のサトミさんはすぐにわかったが、上島出身の一子さんは分からなかった。もう一人分からなかった人が、上島出身の光春君。彼は愛知県警を定年退職して、これまた悠々自適の生活。一度もクラスが一緒だったことがない人は、久しぶりに会っても覚えていないことが多いようだ。

もう一人の参加者は次男君。彼がこの同窓会の仕掛け人。千葉から参加。彼も上島分校出身だが、彼とは中学のとき3年間一緒だった。昨年の東京での同級会の仕掛け人。

昔話や病気の話で盛り上がる。それに亡くなった同年生の話もいくつか。小学校、中学校時代のアルバムをもってきた人がいた。懐かしい写真の数々。二次会は、次男君の部屋で11時過ぎまで。

そのあと、就寝。ぼくは克彦君と猛利君と同室。二人とも、白いタイツのようなものをはいている。ぼくが知っているステテコとは形が違うが、ステテコだと言う。はかなければ気持ちが悪いという。暑くないかと聞くと、暑くないと言う。ぼくはステテコをはいたことがない。そんなに快適なら試してみようか。



Thursday, August 15, 2013

夕方6時前、オーリアッドへ向かう車のフロントガラスに雨がパラパラ。恵の雨。ありがたい。畑に水をやる必要がない。雨がようやく降り出した。

そう思いながら、お店に入り、オーディオのスイッチを入れる。最近よく聞いている Billy Joe Shaver が流れてくる。オーリアッドは完璧ではないが、防音シートや砂を入れたブロックなどで防音対策を施してある。それゆえか、ぼくの耳が遠いからか、8時過ぎ、電話が鳴り、音楽を止めるまで、雨の音にも雷鳴にも気づかなかった。

外に出ると激しい雨。諏訪湖の花火大会も中止になったとか。1982年にぼくが信州に戻ってから、花火大会が中止になったのは初めてではないだろうか。

11時少し前、閉店し外に出る。雨は止んでいたが、普段はほとんど車の通らない道に、たくさんの車。国道に出ると更に多くの車。県外ナンバーも多い。高速道路が閉鎖されたのかも。

明日は、大芝高原の大芝荘で珍しい同窓会に出席することになっている。今から60年前、辰野西小学校に入学した。行きも帰りも、およそ3キロの道のりを歩いた。行くときは姉たちや近所の上級生たちも一緒だったが、帰りは1年生だけで帰ってきた。その1年生たちの同窓会。ぼくはその年の11月に今のオーリアッドのある宮木に引っ越したので、彼らと一緒に歩いたのはそれほど長くない。

この同年会はしばらく行われていなかったが、再開するにあったってぼくにも声をかけようということになったらしい。8名出席とのこと。そのうち何人かとは本当に久しぶりに会う。おそらくお互いまったくわからないだろう。


Wednesday, August 14, 2013

暑い一日。でもここ数日の暑さに比べると、少しまし。朝食後、半分枯れかけた東側のひまわりと、農道を隔てて西側にある元ひまわり畑のひまわりをすべて、刈り払い機で切り倒す。東の花壇に移植したのは失敗だった。すべて朝日が昇るほうを向いていて、こちらにはお尻ばかり。ひまわりは漢字では向日葵。太陽の動きに添って花の向きを変えると思っていたが、そうでもないらしい。

成績提出は8月22日。まだ先のことと思っていたが、あと一週間。午後、高校野球をときどき見ながら、採点。山梨の日川高校が大阪桐蔭と接戦を演じたが、惜しくも敗退。県立高校だという。昨年優勝チームを相手に、臆することなく見事な試合。

オーリアッド。お盆になると、この町出身で大阪の大学で教えていた人が、訪ねてくれたもの。しかし、2,3年前、ローカル新聞で亡くなったことを知った。ぼくよりも歳は若かったが、京大出身で、住んでいたところも近く、共通の話題があって、会うのが楽しみだった。静かな夜。そんなことを思い出した。

Wi-Fiを入れてから、最初の営業日。 Kindle でWeb に接続し、しばらく遊ぶ。やはりパソコンほどには自由に使えない。旅先では重宝しそう。読書にはもってこい。先日ダウンロードした河口慧海著『チベット旅行記』を読みはじめる。紙の本でも持っているが、途中でギブアップした本。なぜか online で読むと読みやすい。

しかし、いろんな機器が増え、机の上では、いくつもの充電器のコードがからまりあっている。充電するときに、間違えてしまうこともあるほど。



Tuesday, Augst 13, 2013

お盆初日。家人が盆棚のセッティングをする間、昨日刈ったススキで盆棚用の敷物を編む。盆棚と言っても昔のような大きなものでなく、経机と小さな机を仏壇の前に置くだけ。その後飾りつけ。床の間にお盆用の掛け軸をかける。グラジオラス、百日草、そしてユリを庭からとってきて飾る。曲がったナスときゅうりで牛と馬をつくる。スイカもお供え用にひとつ。信州のお盆の習慣を家人は今ではぼくより知っている。

夕方、迎え火。白樺の皮を剥いできて、燃やす。白樺の皮は油を含んでいて、よく燃える。

先祖の霊が戻ってくるなんて荒唐無稽なことだと言う人もいるだろう。ぼく自身、若いころはそう思っていた。それは先祖を敬い、先祖に感謝するということの象徴的な表現であり行為である。先祖崇拝という言葉で片付けることのできない何かがある。そのベクトルは過去ではなく、未来へ向かっている。そうすることで人は現在の自分を受け入れ、未来へ向かうことができる。

そんなことを考えていたら、家人が言う。「フィービーが、迎え火を焚くころから、ちょっとおびえたように鳴きだし、うろうろしている。猫は敏感で、戻ってきた先祖の霊を感じているのかも」。おいおい、と思ったが、ひょっとしたら、本当に戻ってきたのかも。



Monday, August 12, 2013

朝食後、先ず一番にお墓の掃除。昔の石塔はどれも苔むし、風情があるが、黒っぽい新しい墓石は、表面がスムーズなだけに、ただ汚れて見えるだけ。猿たちの休憩場所になっているのか、トウモロコシの芯や皮が散乱している。水をかけ、タワシでゴシゴシ。一度洗剤で洗う必要あり。

昼前、NTTの人が新しい電話を取り付けにきてくれた。今まで使っていたファックスと子機の調子が悪く、新しいものに変えることに。ファックスにも進歩が。感光紙のロールではなく、普通のA4のコピー紙でファックスを受けることができる。

昼食後、1時半から、今度はお店に Wi-Fi を設置してもらう。先ず、今までのルーターを新しいものにかえ、さらにアンテナが2つあるコントローラーを設置。これでKindle もお店で使えるようになった。

今日も暑い。四国の四万十市では41℃の国内観測史上最高の気温だったとか。信州に戻ってから30年、こんなに暑い夏は初めて。信州だけではない、日本列島、北から南までどこも暑い。

お盆前に採点をすませてしまいたいと思っていたが、難しくなった。嫌なことを後にのばしたり、部屋の片づけができないのは、「大人の発達障害に違いない。ひょっとしたらアスペルガー症候群かも」とは家人の弁。確かに。


Sunday, August 11, 2013

暑い一日。昨日に続き、今日も40℃を超えたところもあったとか。

コンピュータの調子が悪く、なかなか Facebook に写真のアップができなかった。調べているうちに、 Adbe Flash Player の最新ヴァージョンを install すればいいと分かった。試行錯誤の末、何とか install。しかし写真のアップはできたが、まだ以前のように編集できない。しなければいけないことがまだあるに違いない。

家人がお施餓鬼のため、お寺にいっている間、午睡。4時半過ぎ、起こされる、田中誠一君から、夕方寄ると電話があったとのこと。Facebook で彼が、2週間ほど東京を離れ、四国の漫画甲子園を皮切りに、各地を旅していることを知っていた。

5時半ごろ、野菜をとっているところへ彼がやってきた。元気そう。いつもエネルギッシュで、若々しい。しかし話しているうちに、ぼくと10歳しか違わないと判明。そうか、そうすると、彼に初めてあったのは、ぼくは27か28のときだった。

夕食後、いい歌ができたというので、聞かせてもらうことに。しかしその歌詞を書いた紙を、旅の途中に、誰かに上げてしまって手元になく、中国の少林寺へ旅したときに書いたという歌を聞かせてもらった。面壁九年の達磨大師のことを歌った歌。いい歌である。彼の歌の中で一番印象に残っているのは、彼が16歳のときに書いたという「春風吹いて・・・」で始まる歌。はるか昔、その歌を聞いて、彼を京都レコードに紹介した。彼のステージネームは「あさもりかい」だった。

温泉に入ってから東京へ帰ると言っていたが、無事入れたかどうか。家を出たとき、すでに8時を過ぎていた。


今日は、少し頭が痛い。追突事故後、しばらく感じたような痛み。おそらく暑さのせいだろう。昨夜は遅くまで世界陸上を見てしまった。今夜は早く寝ることに。


Saturday, August 10, 2013

今夜は出演者が少いので、家人が大正琴を持参し、9月の敬老会で琴の会が演奏する「長崎の鐘」と「山のロザリア」の練習。その後、引き続き、トップバッターとして同じ曲を演奏してもらうことに。「山のロザリア」のほうが安心して聞いていられる。

金子昭二さん、アンジェラ・アキの「十五の君へ」の朗読。毎回趣向を凝らしたパフォーマンス。驚くことに金子さんは回を重ねる毎に、だんだん若くなってくる。坂井俊水さん、先週に引き続き「朧月夜」から。おそらく彼はこの歌を学校では習わなかっただろうと思い、どうしてこの歌を? と聞くと、ある女性歌手がこの歌をカバーしているのを聞いたからとの返事。中島美嘉だったか。つづいて「ぼくらの夢」「I'm Walking それでいいさ」。

オーリアッド2度目の登場、梅村浩司さん。「今話題の歌を歌います」と言ってから歌い始める。ぼくにはあまり馴染みのない曲。どうして今話題なのかもわからない。後で解説を聞いて納得。映画『風立ちぬ』に使われている「ひこうき雲」という歌とのこと。次にオリジナル2曲。「君のせい」「ぼくの作るオムライスにはかなわないよ」。前者は、客席の女の子に一目ぼれして、コードや歌詞を間違えたのは君のせいだという歌。この歌が気に入った。

名取芳夫さん、梅村さんの1曲目に触発されて、映画『風立ちぬ』の主人公、堀越二郎について。小説『風立ちぬ』を書いた堀辰雄や富士見高原病院への言及も。名取友紀子さん、「エム」「異邦人」「テネシー・ワルツ」の演奏。最初に指が鍵盤に触れた瞬間、彼女の上達ぶりが分かった。

ここで、ぼくが生まれる直前に亡くなった父の話をし、命の継続の不思議について触れ、「フィールド・オブ・ドリームズ」を歌う。次に、この歌を歌っている間に入ってきたデレク・ハーストにお願いする。今日は、同僚との花火パーティがあり、欠席と聞いていたが。新曲の Here I Am とマイケル・ジャクソンの Man in the Mirror。前者は前に住んでいた町を訪ねたら、子供だと思っていた人が、素敵な女性になっていたという主旨の歌。先日信濃町へ行って書いた歌か。ここで休憩。名取さんご夫妻の差し入れの Foucher のクッキーをいただく。











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後半トップは金子さん。河島英五の「風になれ」をアカペラで歌いながら、高く上げた両手でスカーフを揺らし、風になるパフォーマンス。垣内昭さん、笑顔の写真を通して戦争と平和について考える「笑顔の力」というイベントについて語る。赤羽真理さん、「御手の中で」と「旅人の木」。梅村さん、「オブラディ・オブラダ」と「オー、シャンゼリゼ」。いつも全力投球。ときには力を抜くことも必要かも。名取(芳)さん、「サウンド・オブ・ミュージック」と「エーデルワイス」。高校時代、合唱部だったとか。いい声である。名取(友)さん、「愛の讃歌」と、ぼくのリクエストに応えて「太陽がいっぱい」。

次にぼくが「千の風」。歌う前に、映画『太陽がいっぱい』に登場したマリー・ラフォレについて語る。この映画を見たとき、ぼくはまだ高校生。こんな綺麗な女性がこの世にいるのかと思った。後年、京都でフリー・ジャーナリストのアラン・ルマットと友達になった。マリー・ラフォレの話をしたら、彼が彼女の知り合いだと知って驚いた。

長島功さん、8月14日までに完成させると宣言した亡きお母さんに捧げる歌が途中まで出来たと言って、途中まで歌う。いい歌になりそう。そして「ブリキの魔法」。デレク、Hope を含む2曲。坂井さん、「ワインディング・ロード」と「君が幸せであるように」。最後は、赤羽さん「今すぐに」「千両梨の実」。

今夜は出演予定者の数人からキャンセルのメールが入り、最初はどうなることかと思ったが、終わってみれば、いつにもまして賑やかに。Many thanks!



Friday, August 9, 2013

暑い一日。昼過ぎ、丸山俊治さんが、歌で参加する「歌と語りでつづる引揚ものがたり」―満蒙開拓団・青少年義勇軍の逃避行―を聞きに行くことに。会場の林友ホールのある場所はだいたい分かっていたが、最後に迷う。着いたときはすでに2時近く、駐車場は満杯。会場に入れたのは、会の始まる直前。

前半と後半に分かれていて、前半は4名の方が開拓団や引揚げの体験談を語る。その中で、一番印象に残ったのは、もと長野県の中学校で社会科を教えていたという方の話と資料。話の中で彼は青少年義勇軍には、信濃教育会が積極的にかかわっていたと語る。また資料によれば、義勇軍に参加した若者の数は全国で長野県が4768名で一番だった。

家に帰りネットで調べてみたら、このサイトが出てきた。それによれば、長野県がダントツ一位であることに変わりないが、数はさらに跳ね上がり、6595名になっていた。

長野県が一番多く義勇軍を送り出した背景には、先生たちの勧めがあったというだけでなく、当時の県民の貧しさともかかわりがあっただろう。時代状況が違う中、一方的に先生たちだけを責めるわけにはいかないが、そのことを反省し、今後の教訓にすべきであることは言うまでもない。









後半は、3人の歌手の歌。最初の二人の歌は、言葉もメロディも伴奏も、そのものずばりの演歌。歌の上手さに感銘を受けたが、正直なところ、言葉がもうひとつ心に届かない。最後に登場の丸山さんの「満州の丘」「ぼんぼん」は何度も聞いた歌だが、紋切り型の言葉ではなく、具体的な記述があり、情景が目に浮かんできて、心に響くものがあった。

最後に丸山さんの伴奏で3人がステージで「りんごの唄」と「ふるさと」を聴衆と一緒に大合唱。ステージで歌う演歌歌手の一人がマイクに口を近づけすぎて、彼女の声しか聞こえなかったのが残念。「ふるさと」が終わる直前に退室。オーリアッドの開店時間に遅れないように。

この会に参加してよかった。学ぶところが多かった。丸山さんのおかげである。


Thursday, August 8, 2013

最近の朝の行事は、BSで7時半から連続ドラマを見て、続いて自転車で日本列島を旅する番組を見るというものだったが、今週初めから、連続ドラマのあとの番組は、震災後の奥の細道をたどる番組に変わった。それが実にいい。今日は、その番組のあと、チャンネルを変えずにいたら、「旅のちから」という番組になった。見るともなしに見ていたのだが、徐々に引き付けられ最後まで見てしまった。

旅をする人は、ブラザートムという人。彼が会いに行く人は Ashley Bryan (アシュリー・ブライアン)という90歳の童話作家。現在はメイン州の人口100人足らずの島に住んでいる。ブラザートムという人の名前は聞いたことがあったが、何をしている人か知らなかった。アシュリーさんのことは初めて知った。二人に感銘を受けた。

次の出版社のサイトで、アシュリー・ブライアンのメッセージのいくつかを見ることができる。
http://authors.simonandschuster.com/Ashley-Bryan/706174

エンジのカサブランカが最初に開き、次に白、そして最後にピンクが開いた。最初に咲いたエンジの花はすでに散ってしまった。この花はガレージの影にある。朝太陽が当たる順序に花が咲くのがわかる。早く咲く花は早く散る。グラジオラスも見事に一輪咲いている。なんという鮮やかな色か。最後の写真は、昨日オーリアッドへでかけようと農道に出たとたんに見かけたサルの一匹。カメラを向けたとたん他のサルたちは逃げてしまったが、このサルだけがとぼけた顔をしてなにやら食べていた。

オーリアッド。2週間前のオープンマイクに佐藤さんの映像を撮りにきた牛山さんがやってきた。そのときの映像のDVDをいただいたが、そのあとやってきた原田さんに、先ず見てもらうことに。牛山さんは、仕事が仕事だけに、このような映像処理が得意のようである。彼が初めて買ったディランのLPレコードは『欲望』とのことで、それを聞きながら、しばし歓談。

夜になっても蒸し暑い一日。


Wednesday, August 7, 2013

昼前、家具店へ取り寄せていた食器棚を取りに行き、午後組み立て。組み立てて届けてもらうと5000円近くかかるというので、取りに行くことにしたが、組み立て始めて、後悔。大変な作業。結局下の部分を組立てるのに3時間近くかかった。汗だく。上の部分は明日ということに。電動のスクリュードライバーがあってよかった。これがなければ組み立てはほとんど不可能。

古い食器棚は家人の嫁入り道具のひとつだたので、38年以上使ってきたことになる。最近扉の具合が調子悪くなっていた。冷蔵庫と壁の間に入れなければいけない幅60センチほどのスリムな食器だな。これとほぼ同じサイズのものを先日見つけた。あと30年はこれで大丈夫だろう。

夜、オーリアッド。遅くに田中先生。もう夏休みで湘南にお帰りかと思っていたが、今日は松本で幼児教育の講演&ワークショップをされてきたとか。疲れたとのことだったが、お元気そう。

遅くに少し歌の練習。新しい歌を書きたいと思いながら、どうも集中できない。採点を済ませてしまわないと、何も始まらないかも。


Tuesday, August 6, 2013

昼過ぎ、オーリアッドへ。屋根にソーラーを取り付けるための打ち合わせ。以前にもお世話になった電気屋さん。配電盤などを調べ、問題なく設置できるとのこと。実際の設置は8月末か9月初めになるらしい。

今日も屋根のペンキ塗り替え作業はなし。各地で大雨になっているようだが、このあたりは午前中少し降ったくらいで、大雨の心配なし。

家人が6時半、予定より2時間遅れて、飯綱高原での研修会から戻ってきた。中央道で事故があり、渋滞に巻き込まれたとのこと。無事で何より。飯綱高原より辰野のほうが涼しいし、景色もいいとは、家人の弁。子供たちが小さかった頃、「どこかへ連れていかなければ可哀想」という彼女に、半分冗談で「ここはリゾート地だから、どこかへわざわざ行く必要はない」と言ったぼくの言葉がようやくわかったかも。

夜、Kindle の使い方をネットで調べる。ようやく文字の拡大方法がわかった。マニュアルがついていないので、ネットで調べるより仕方ないが、マニュアルがない分、価格が安いのかも。いずれにしろ、これが完全に使いこなせるようになったら、まさに魔法のタブレット。魔法の小さな monolith。



Monday, August 5, 2013

8月になってもう5日も経ってしまった。採点もまだ始めていない。何とかしなければ。今日は、たまっていたメールの返事を書いたり、10月に予定されている講演会用のプロフィールやレジメを書いたり、気になっていたことの少しを済ませた。

オーリアッドにWi-Fi をつけるという話が以前あったが、NTTに頼むと無料で設置できることがわかった。月々の費用もかからないとのこと。午後、お店でNTTの人と会い、12日に設置してもらえることになった。これで Kindle も使えるようになる。

午前中、雨。午後は少し晴れ間も出たが、夜になってまた降り出した。一時はかなり激しく降った。お店の屋根のペンキ塗り替えは今日は休むとの連絡があった。

今年の前半はかなり多忙だった。特に5月から木曜日に3コマ教えるようになってから大変になった。6月の追突事故後の体調の悪さも加わり、生活のパターンを少し変える必要があると感じている。12月14日(土)のマンダラ2での年末ライブの前日、阿佐ヶ谷の harnessでライブを 行うことになっていた。しかし、水木と授業をした後、2日続けてライブを行うのは、今のぼくには体力的に無理。延期してもらうことにした。3月の春休みまで。


Sunday, August 4, 2013

今学期歌った全8曲を、歌詞を見ないで歌うのを聞いてほしいという学生からの申し出があり、昼過ぎ、松本へ。午後2時生協前の広場で会う。広場は日曜日とあって、閑散としていた。

2時少し過ぎ、学生到着。早速1曲目の All My Loving から始めてもらう。よく覚えている。発音も悪くない。続いて、 Little Child, Beautiful Brown Eyes も卒なくこなす。Amazing Grace の2番の3行目が出てこなかった。それに次の The Rose の2番の4行目、And the soul afraid of dying が出てこなかった。その前はすべて It's で始まっていたので、ここもIt's で覚えてしまった。Take Me Home, Country Roads は無事にこなしたが、次のBlowin' in the Wind の2番の一行目、How many years can a mountain exist....? が How many years must a mountain exist.....? になってしまっていた。実は PPMは、この学生のように must で歌っている。助動詞 can と must の違いだけでたいした違いではないと思われるかもしれないが、意味の上ではここは must でなければならない。

人間が木を切り、石を切り出し、雨が降り、やがて山が崩れ、海に押し流されるまで、山はどのくらい存在できるのか、どのくらい耐え忍ぶことができるのか?と問うているのである。must であれば、山は海に押し流されるのを待ち望んでいることになってしまう。

最後の We Shall Overcome は無事に歌い終え、最後に、間違えた3曲をもう一度歌ってもらう。やはり、3曲とも同じところで間違った。「完璧に覚え、正しい発音とリズムで歌う」ことが条件ではあるが、この学生の努力は認めなければならない。発音はかなりいい。これからの2ヶ月の夏休み、 Steve Jobs のスピーチを聞き、歌を歌い、それにクラスで指示したインターネットのサイトを利用して毎日英語に接してほしいもの。卒業に必要な単位のためではなく、一生使える道具を手に入れるために。

帰路、TSURUYA により、食材を購入。オーリアッドの屋根のペンキを塗っている人たちのために、飲み物と「あずきアイス」も2パック購入。

今日は家人がカウンセリング学会の研修会に行って留守。夜は一人でだらだらとテレビを見てしまった。そのうちに「二四の瞳」をやりだした。思わず最後まで見てしまった。同名の昔の映画も見たはずだが、あまり覚えていない。新しい映画を見たような。Kindle で昔読んだ本を読み直すと、ほとんど初めて読むような気がする。年を取ることのいい点なのか悪い点なのか。そうそう、阿知波一道さんの妹さんがこの映画に出演していて、いい味を出していた。後半、彼女が大石先生を認めるシーンがあればもっとよかったのだが。もちろんこれは彼女の問題ではなく脚本の問題なのだが。


Saturday, August 3, 2013

デレクが弟のクリストファーと、友人 aja-studio の柴さん家族とともに一番乗り。お母さんもくると聞いていたので、思わす「Where's your mother?」と聞くと、体調を崩していて、家で明日の帰国に備えて休んでいるとのこと。

まずデレクに始めてもらう。In My Sky と Heart witout Bundaries。2曲目はクリストファーがギターで参加。坂井俊水さん、1曲目意表をついて「朧月夜」。ぼくの好きな唱歌のひとつ。続いて新曲 I'm Walking。丸山俊治さん、久々に聞く「小さな王様」、そして「演奏列車」。この選曲は柴さんの小さな二人の子供たちのためか。

次は本当に久々登場の小宮山敏明さんのギター演奏。「今日は一日中、川島小学校の tree house を作るのを手伝ってチェーンソーを使ったので、指が動かない」とのことだったが、以前にもまして見事な演奏。「朝日のように」。大阪出身で長野に移住したギタリストの作品とのこと。2曲目は、「鬼平犯科帳」で使われていた曲とか。ここでクリストファー再度登場。Santaria と I'm Coming Home の2曲。

山口恵三さん、ここでぼくが予定している参加者の登場を待つために、「即宗和尚」と「バード・オン・ザ・ワイヤー」。そのあと、デレクとクリストファーが Moment in a Picture Frame など2曲。前半最後は、赤羽真理さん、「鹿のように」「千両梨の実」。ここでしばらく休憩。武居先生差し入れの小粒のマフィンをいただく。















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後半トップは長島功さん。「最後の手紙」と「ブリキの魔法」。お母さんを追悼する歌はまだのよう。デレクは明日お母さんと弟がアメリカへ帰るとのことで、今夜は早く帰りたいとのこと。デレクにここで1曲弾いてもらう。彼のオリジナル曲はメロディが美しい。続いて坂井さん、「恋心」「ぼくらの夢」。客席から「いい歌だね」「ギターがいい」との声がかかる。

丸山さん、1曲目は茨木のり子さんの「一番私がきれいだったとき」。作曲は佐久間順平さんとか。ピート・シーガーも片桐ユズルさんの英訳に曲をつけて歌っている。この詩を解説するYouTubeがあった。丸山さん2曲目は、名曲「人生の椅子取りゲーム」。小宮山さん、正調クラシックギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」と「禁じられた遊び」。山口さん、「いろんなジャンルの音楽を演奏してきたが、年を取るにつれて、やはり原点の60年代のフォークソングに戻ってきた」と言い、 Scarborough Fair と Blowin' in the Windを歌う。ギターの演奏が素晴らしい。赤羽さん、「君は神様と話したことがあるかい」と「人生の海の嵐に」。最後は飯田での「よっちゃん」のコンサートから戻ったばかりの原田和恵さん。満面の笑顔で God Bless You。

最後は、山口さんが来るときは恒例となった「陽のあたる道」の大セッション。そのために、丸山さんはウッドベースを、赤羽さんはマンドリンをわざわざもってきた。小宮山さんの奥さんもタンバリンで参加。大いに盛り上がる。「陽のあたる道」1曲だけではもったいなく、「若者たち」をリクエスト。途中、ぼくも思わず参加して歌う。

  君のあと人は今はもういない
  なのになぜ何を探して
  君は行くのか
  あてもないのに


今夜もみなさんのおかげでとてもいい夜になった。来週は名取さんご夫妻も来られるようである。



Friday, August 2, 2013

オーリアッドの建物が完成したのが1985年の夏。そのときから丁度28年が経った。数年も前から屋根のペンキがはげて見苦しいのに気づいていた。先立つものがあれば、いつでもできたのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。昨日から業者が入ってペンキを塗りなおす作業が始まった。

午後、その様子を見にいった。洗浄がおわり、中2階の屋根の下塗りがおわったところで、お店の屋根はまだ下塗りもされていなかった。完了するまでに4,5日かかるらしい。今回思い切って、ソーラーシステムを導入することにした。

夜、オーリアッド。最近将棋をする時間がなかったが、今夜は一局指すことができた。先手を取って、勢いよくスタートしたのに、矢倉に組もうとして、王の位置を間違えるというありえないミス。一挙に形勢逆転。あっさり勝負あり。

遅くなって、Kindle を久々に開け、三木清の『人生論ノート』の続きを読む。「旅について」の章を読み、思い出した。1969年8月アメリカから戻り、すぐ京都へ行った。その後数年、長期休暇には、山頭火の足跡を追って旅をした。そのころ愛読したのが、この「旅」の章。

旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している人が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分かるものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。(『人生論ノート』より)

二元的に人を賢い人と愚かな人に分けるのはちょっとおおざっぱ過ぎる。人には賢いところと愚かなところが共存している。旅によって、その賢い部分はますます賢くなり、愚かな部分はますます愚かになる。山頭火がその顕著な例である。

当時旅に出ていつも感じたことは、どこへ行っても人々が親切だということ。車に乗せてくれた人、車に乗せてくれた上、食事をご馳走してくれた人。お小遣までくれた人。一晩泊めてくれた人。旅から戻ると、人間に対する信頼というか未来への希望というか、漠然とした肯定的な感情が心に満ちていた。その気持ちを感じたくて、何度も旅に出たのだと思う。旅から戻るたび、山頭火のような放浪者にはなれないとも思い知らされたが。



Thursday, Augsut 1, 2013

今学期最後の試験を2つして、夕方家 に戻ったら、ガレージの横にカサブランカがいい匂いをさせていた。昨日咲いているのに気づいたが、写真を撮る余裕がなかった。カメラを取りに家に入り、花 と雲の写真を撮る。フィービーもどこからともなく現れて、ぼくのあとについてくる。

松本へ行くとき、昨夜長島君がクリーンアップしてくれたCDプレーヤーにCD-Rを入れる。商品として発売されるCDよりも自分で作ったCD-Rのほうがリ ジェクトされることが多い。そのCD-Rは2006年の秋、オースティンへ、ケン・オニールに会に行ったときに、彼からもらった100枚ほどのCD-Rの 1枚。おそるおそるそのディスクをプレイヤーに入れる。いつものように、いったん入って、すぐに出てきてしまうかと身構えたが、その気配はない。表示がで て、音楽が流れ始めた。Billy Joe Shaver の Freedom's Child というアルバム。ジョニー・キャッシュ風の演奏。軽快なカントリー・ミュージック。キャッシュへの傾倒を思わせる That's Why the Man in Black Sings the Blues なんていうタイトルの歌もある。松本に着くまでに、大半を聞いた。とてもいい。





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2つの試験が終わり、帰路再度、CDプレイヤーでBilly Joe Shaver を聞く。いい歌がいくつもある。彼の歌を聞きながら、彼のような歌を
書いてみたいという思いに駆られる。夏休みがんばってみようか。幸せな連鎖反応が起こりそうな。ケンからもらったCDが100枚ほど入ったパックは宝の山。今まで、それを放置しておいたのが悔やまれる。半分近くは彼がオースティンなどのライブ会場で録音した Townes van Zandt の歌。