OREAD Diary May 1-31, 2013
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Friday, May 31, 2013
朝起きたら、稀に見る美しい日。梅雨になり数日雨が降ったりやんだりしていたが、今日は快晴。暑くもなく寒くもない。まさに perfect day。フィービーもうれしそう。庭でのんびり遊んでいる。
思わず、ミュージカル『オクラホマ』の中で歌われた歌のコーラスの部分を口ずさむ。
Oh what a beautiful morning!
Oh what a beautiful day!
I've got a wonderful feeling,
Everything is going my way.
おー、何て美しい朝
おー、何て美しい日
気分は最高
すべて思い通りに進んでいる
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_C6J9gij5SQ
4行目だけは、ぼくの現実と少しちがう。それでも、今日は気分がいい。
夜、オーリアッド。何人かのお客さん。最後に入ってきたのは、田中君。先日の彼のコンサートのことや、ぼくの東京での小山卓治さんとのライブの話。彼も小山さんの歌を YouTube で聞いたとのこと。それに清水君との出会いについても語る。そして、彼の「偉大さ」についても。最後、「流転の歌」「パーティーは終わったよ」を歌って、閉店。
Thursday, May 30, 2013
朝から雨。松本へ向かう途中、小野のあたりから、物凄い雨。まさにcats and dogs。松本へ近づくにつれて小雨に。
近々全員がTOEICのテストを受けることになっている2コマ目のクラスでは、パソコンから大型スクリーンにYouTube の練習問題を映し、答えてもらった。写真を見せ、その写真を描写する4つの文を聞かせ、適切なものを選ぶリスニングの問題。ビデオの最後に答えが出てくるので、自分で採点できる。
この他さまざまな TOEIC 対策の練習問題をYouTube で試すことができる。実力をつけるには、日ごろの学習が不可欠だが、どのような問題が出るか把握しておくことは大事である。
http://www.youtube.com/watch?v=222SfrYepXA&feature=player_embedded#!
今日の歌は Blowin' in the Wind。歌詞を解説しながら、重要な母音の練習。man, sand, banned。
夜、オーリアッド。7時半、家人と交代。遅くに田中先生。コーヒーを飲みながら四方山話。
11時、閉店、帰宅。また雨が強く降ったようで、路面がしっかり塗れていた。
■
「歌 うことは長寿への鍵」というRoxy Music のブライアン・イーノのエッセイを朝 facebook で読んだ。スーザン・ブランツがシェアしたもの。松本へ行く前で、あまり時間がなかったが、斜め読みながら、とてもいい内容で、その中の2つの重要なパラグラフをぼくなりに訳し、facebook に投稿した。以下がその訳。ひょっとしたらピート・シーガーガーが長寿で姿勢がよく、衰えない知性をもっているのは、彼がいつも聴衆と一緒に歌っているからかもしれない。
私は信じています。歌うことは、長寿、よい姿勢、安定した精神状態、高められた知性、新しい友人、より多くの自信、性的魅力、そしてユーモアのセンスをも たらす鍵だと。最近スカンジナビアで、どのような活動が健康で幸福な老後の生活に必要か調べる研究が行われました。その結果わかったことは、3つの活動が 際立っているということでした。キャンプとダンス、そして歌うことです。
だから私は歌の力を信じています。もしイギリスの教育制度を改革するように依頼されたら、毎日の授業の中心にグループで歌うことを導入するでしょう。グ ループで歌うことは人格形成に役立つばかりでなく、何よりも、他の人たちと協力することの重要性に気づかせてくれます。学校教育にこれ以上のことを期待す ることはできないでしょう。
Wednesday, May 29, 2013
朝、中学へ。1年生のクラスの読み聞かせ。何を読むか大いに迷ったが、「雨ニモマケズ」のモデルだったという説がある斉藤宗次郎について以前まとめた文を読み、「雨ニモマケズ」を歌うことに。歌い終わると、クラスの代表がお礼のことばを述べた。その言葉といい態度といい立派だった。
「雨ニモマケズ」を別の角度か見るお話をありがとうございました。
13歳の少年のことばとは思えなかった。しかし彼はぼくが何を読むかそのときまで知らなかったわけだから、これは彼の率直なことばである。ぼくが読んだ文をよく聞いて理解していなければ出てこないことば。13歳、あなあどるべからず。
家に戻り、松本へ。お昼を挟んで2コマのクラス。先週木曜日につづいて今日も、DVDではなくパソコンから直接映像を見せることに。どうしてもった早くこうしなかったのかと悔やまれる。
夜、オーリアッド。天竜ずくだし倶楽部主催の歌声喫茶。なつかしい歌の数々。参加者の大部分は年配の女性。みなさん歌がうまい。声がいい。
Tuesday, May 28, 2013
9時前に病院へ。定期健診。9時の予約なれど、かなり待たされ、終了したのは10時40分。2ヶ月前の検査の結果は、若干基準値より高いものもあったが、問題ないとのこと。
家に戻ると、ポピーが目に入ってきた。数日前に一輪咲いたが、今朝はさらに数輪開いていた。緑にポピーの紅が鮮やか。東側の花壇ではテッセンも咲いている。鉢植えのジャスミンも咲き、芳香を放っている。
午後、チャンネルを回していたら、リチャード・ウイドマークの顔が見えた。渋い顔。結局最後まで見てしまった。ヘンリー・フォンダ、アンソニー・クインも出ている西部劇。Warlock。昔、アメリカ大衆文化のクラスで西部劇をとりあげたとき、かなり多くの西部劇を見たが、これは見ていなかった。主役はヘンリー・フォンダのようにも思えるが、クレジットではウイドマークの名前がトップに出てくる。
6時半から国際交流委員会。役場会議室。姉妹都市ワイトモからの公式訪問団受け入れについて。ほたる祭りの開会式に合わせて、6月14日から18日の予定で訪問。ほたる祭りライブとかち合わなくてよかった。
家に戻り、明日の授業の準備。学生のメールへの返信。今日も早く寝ることに。3日連続で12時前就寝。明日の中学での読み聞かせは、明日の朝考えよう。
Monday, May 27, 2013
昨夜は久しぶりに合計7時間ほど眠った。爽やかな目覚め。しばらく睡眠不足が続いていた。先日の頭痛は睡眠不足、疲労、水分不足などが重なった結果に違いない。
西日本では梅雨に入ったとか。とにかく今年は季節が滅茶苦茶。寒くなったり暑くなったり。昨年の日記をみたら、この時期にはすでにイチゴが採れ始め、鳥や猿を防ぐ網をかけていた。今年はかなり遅れている。今年は5月になって寒い日が続いて生育が遅れている。
夕食後、チャンネルを回していたら、テレビ東京で、頭痛に関する健康番組をやっていた。先ず登場したのが命取りになりかねないという堆骨動脈乖離という難しい病名の頭痛。ぼくの場合は明らかに熱中症による頭痛だった。
学生のメールの返事を書いて今日も早めに寝ることに。英語で自由にメールを書くことにかなり慣れてきた学生もいる。
Sunday, May 26, 2013
Maxは、午後3時半から上田で演奏する予定とのことで、松本駅まで送ろうとしたら、奥さんの愛佳さんが、松本で開かれているクラフトフェアに行きたいと言う。調べたら、会場は、あがたの森公園。そこまでまで送ることに。毎週この公園の前を通るが、こんなにたくさんの人がいるのを見たことはない。面白そうなのでわれわれも見ようということになった。駐車場は満杯。彼らを降ろしてから、駅の近くの国府町の駐車場に止め、会場まで歩く。
売られているものは、どれも高価で手がでないが、見てまわるだけでも楽しい。歩いていたら、声をかけられた。振り向くとデイヴィッドだった。息子のヒューゴウ君も一緒。可愛い小学3年生。
シンガソングライター・サイカイアトリストのふあさんがいるのに家人が気づいた。友だちの手伝いをしているという。確か、落款や印章を売っていたような。ふあさんが前からCDを作っていることを知っていたので、「できました?」と聞くと、あと2曲で完成するとのこと。完成したときには是非オーリアッドへ歌いにきてほしいもの。
彼らを無事駅まで送り届け、国道19号を下って、家へ。途中、広丘の TSURUYA で買い物。
昼食後、畑仕事。きゅうり用の棚と、ゴーヤ用の棚をつくる。つくると言うよりは、去年つかったコンパクトの棚をそのまま運ぶだけ。今日は脱水症状のおきないように、水分を十分にとりながら。
急に暑くなった。水分と睡眠には気をつけないと。
Saturday, May 25, 2013
京都から Max Dodds を迎えてのオープンマイク。48歳。20年前に空手の修行でカナダから沖縄に行き、その後京都に住みついたという。昔は歌を歌う空手家だったが、今は空手もできる歌手とのこと。レナード・コーエン、堀六平さんと同じカナダのギター Godin を駆使し、迫力ある歌を聞かせてくれた。
トップバッター、原田和恵さん。「芭蕉布」、と最近の彼女のお気に入り「心の道路」。後者には確かに沖縄音楽の匂いが。デレク・ハースト、 In My Sky を含むオリジナル2曲。清涼感溢れる歌声。坂井俊水さん、「恋心」「ぼくらの夢」。今夜は前者がとても力強い前向きな歌に聞こえた。
ここで初登場の藤森牧男さんにスピーチをお願いする。何を隠そう、藤森さんは、4月から長谷川牧師の後任として辰野キリスト教会へ赴任された牧師さん。教会の庭に黄色い牡丹が咲いた話を枕に、1970年代初めに「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載された「黄色いリボン」のお話し。この話は何度聞いても感動する。スト破りの父親が小さな息子と酒場へ入っていったとき、仲間が暖かく迎えてくれた『鉄道員』の1シーンのように。
ここで Max Dodds 登場。Godin のギターの美しい音色に迫力あるボーカル。彼のアルバムSongs from Crooked Pine からIt's Your Dime, Fifty Rivers, A Cup of Tea, Crooked Pine など6曲。
Fifty Rivers は亡くなった五十川きよしという名前のバンド仲間のドラマーのために書いた歌とか。
多くの川を渡らねば
最後の川を渡り、家に戻るために
日が昇り、日が沈み
人は元いた場所へ戻って行く
航海の日々が終わり
船を下りるとき
あなたの顔に人々が何を見ようと
気にすることはない
誰もみな旅人に別れを告げる
一月の空の下
暗闇と寒さの中
人々は何故か分からぬまま、立ち尽くす
・・・・
Max のあと赤羽真理さん、「旅人の木」「人生の海の嵐に」。Max が他の人の演奏を聞くときの顔は真剣そのもの。歌い手の顔をしっかり見て、一言ももらすまいと聞いている。あとで彼からすべての人の歌についての的確なコメントを聞いたが、いかに真剣に聞いていたかがわかる。
休憩まで、まだ少し時間があるが、ここでぼくが歌うかどうか迷った。頭が割れるように痛い。吐き気がする。じっとりと冷汗も出ている。風邪が完治していないようだ。しかし Maxに「おまえも歌うか?是非聞きたい」といわれていたし、藤森牧師さんが初めてきてくださった日でもある。思い切って歌うことに。あとで、家人が撮った写真を見ると、どの写真も目をしっかり閉じて歌っている。歌詞を思い出そうと閉じているのかと最初思ったが、あとで気がづいた。激しい頭痛をこらえるためにしっかり目を閉じていたのだ。
1曲目は「バード・オン・ザ・ワイヤー」。2曲目は、東京で好評だった「一通の手紙」を歌おうとしたが、歌詞が見当たらない。「死は終わりではない」を歌うことに。一瞬、脳裏をかすめた、「死は終わりではない」を歌いながら死んでしまったらどうしようかと。歌いながら息を引き取るのも、それはそれで悪くないのかもしれないなどと思いながら、無事、最後まで歌い終わる。頭痛は続いている。とにかく、ここで休憩。
Larger and more photos on Oread facebook page.
15分ほどの休憩中に、家人が水分をとったほうがいいと、塩を入れた水コップに2杯、そして三温糖を入れたお湯をカップに1杯飲む。しばらくして痛みが減ってきた。それで気づいた。午前中、昼過ぎも少し、30℃近い気温の中で、太陽を浴びて、汗だくになって畑仕事をしたり、芝を刈ったりした。シャワーを浴びて体重を量ったら、2k 減っていた。減量できたと喜んでいたが、熱中症にかかっていたのだ。
後半トップの長島功さんが「無縁坂」を歌い始めるころまでに、かなり回復。長島さん、2曲目は「ブリキの魔法」。原田さん、「アベマリア」と「君は愛されるために生まれた」。デレク、オリジナルで Can You Feel the Love Tonight とTokyo。後者は「トウキョウ」ではなく「トウキオ」と発音すると、解説。坂井さん、Winding Road と「君が幸せであるように」。赤羽さん、「御手の中で」と「千両梨の実」。
ここで再度、Max 登場。後半はアルバムに入っていない新曲を含めて6曲演奏。中でも、できたばかりという Promised Land がよかった。この歌を歌う前に彼は彼の先祖について語る。彼の「ひいひいおじいちゃん」は2歳のとき、両親と姉2人とともに、19世紀中ごろ、アイルランドでの貧しい生活を逃れて約束の地、北米を目指す。しかし、カナダに着いたとき、お母さんと2人の姉は亡くなっていた。彼はいう、彼が生き延びてくれたおかげで、ぼくは命のバトンを受け取ることができたと。
俺のひいひいおじいちゃんは
2歳のとき船に乗り
両親と2人の姉と
飢餓の国から逃げ出した
そのうち、女たちはみな病気で死に
その棺桶船が外国の港に
かろうじて到着したとき
残っていたのは男の子と父親だけ
2人は死臭鼻つく検閲場を
なんとか通過したが
後悔したに違いない
どうして国を出たのかと
・・・・・・・
いくつかの曲に愛佳さんがハーモニカとパーカッションで参加。彼が最初にステージに上がったとき、彼は「彼女はぼくの黄色い牡丹です」と、藤森さんの話を受けて紹介した。藤森さんが、教会の庭に咲いた黄色い牡丹の話をしたとき、黄色は気持ちを高揚させ、光や希望を与えてくれる色だと述べていたのである。
最後、これもアルバムには入っていないお父さんのことを歌った Soldier Boy で終了。大きな拍手。Max のギターの弾き方、歌い方から学ぶところがあった。彼の言う「かっこうつけることは、かっこうわるい」という主旨の言葉は、なんとなく分かるような。彼の演奏は、スプリングスティーン風。ストレートで力強い。
参加者はあまり多くはなかったが、しみじみとした夜になった。Max に、そして参加してくださったみなさんに感謝。家に帰るころには、頭痛もすっかり消えていた。
Friday, May 24, 2013
ほたる祭りライブの新聞広告の原稿締め切りが今日の午後4時とのことで、昼過ぎから、ああでもないこうでもないと考えたが、午後には電気工事の人がきたり、銀行の人が来たりして、なかなかまとまらない。結局電話して5時半まで待ってもらい、原稿と写真をもってゆく。
そのあと家に戻らず、オーリアッドへ。
今日はボブ・ディランの誕生日。72歳。ネットでは、特に facebook では、さまざまなディランの歌や動画がアップされて、にぎやかだ。
2004年12月に行われたCBSの 60 Minutes という人気のある番組でのインタビューで、ディランは60年代初期に書いた歌は「魔法」によってもたらされたもので、もうあんな歌はもうかけないと語っていて、興味深い。
http://www.youtube.com/watch?v=-DeNCm-nxgk
「魔法によってもたらされた彼の歌が6曲聞ける動画が facebookに投稿されていた。1964年にカナダのTV局が制作したものらしいが、今まで一度も見たことがない。ここにぼくが60年代前半に「恋をした」ボブ・ディランが映っている。
http://www.youtube.com/watch?v=e9Z8Q7fIG3s&feature=player_embedded
ジョルジュ・ムスタキが亡くなった。ムスタキのLPはあるがCDはない。ジョルジュ・ブラッサンスのCDをかける。ムスタキの歌では「私の孤独」が好きだった。ずっと昔、京都の岡崎でムスタキに似た人とすれちがった。半信半疑だったが、調べてみたら、彼は当時コンサートツアーで来日中だった。その日、京都でコンサートがあったかどうか記憶にないが。あの髪といい風貌といい今でも覚えている。
http://www.youtube.com/watch?v=6eRKeAHYoAU
明日は Max Dodds を迎えての open mike。彼に会うのが楽しみだ。たくさんの人が聞きにきてくれたらいいのだが。
Thursday, May 23, 2013
信州に戻ってきたのが、1982年。その後1年は、月曜夜、京都へ行き、木曜夜、辰野に戻る生活。1983年からは完全に戻った。そのときから今年で30年。
この30年で大きく変わったものがいくつかある。その最たるものが電話である。黒いダイアル式からカラフルなプッシュフォンになり、次に子機のついたものが出て、そしてケイタイになった。それがさらにスマートフォンに。
もうひとつはAudioVisual の機器である。授業で映像を見せるということは30年前はかなり困難だった。まず学校にその設備がなかった。しばらくして、小型のテレビモニターが何台か天井から吊るされた教室ができ、VHSの映像を見ることができた。そのうちにプロジェクターで大型スクリーンに映像を映すことが可能になった。
しかしすべての教室にその装置があったわけではなかったし、ぼくが使いたいソフトがいつも手に入るとは限らなかった。
しばらく前から、映像を見せるために、DVDを使うようになった。DVDは映像は鮮明だが、頭出しが難しい。カセットテープやVHSの場合は、カウンターを使って正確に頭出しをすることができた。
今日は(ぼくにとっては)画期的な日だった。今まで動画を見せるときはDVDを使っていたが、今日初めてノート型パソコンを使ってYouTube の動画を直接大型スクリーンに映し出した。なぜもっと早くそうしなかったのか悔やまれる。コンピュータは苦手だという意識があって敬遠していたのである。
今までは映像を見せるときは、例えばスティーブ・ジョブズのスピーチであれば、家でYouTube から焼いたDVDをつかった。ジョブズのスピーチは3つの話からなっている。3番目の話から映像を映そうとすると、大変だった。早押しで近くまで行こうとすると、最初に戻ってしまったり、次のトラックに跳んでしまったり。
パソコンでYouTubeの映像を映す場合は、カーソルで正確にその場所に移動することができる。おそらく今これを読んでいる方の多くは「そんなことあたりまえじゃん」と思っておられるだろう。でもぼくにとってはこれは、アームストロング船長ではないが、one giant leap である。
クラスで長年、英語らしく発音するには口の周りの筋肉をつけることが必要だと説明し、ときには口真似させたりしてきたが、なかなかうまくいかなかった。W, U. O などの音はさらに口を丸くして突き出す必要あるが、学生は恥ずかしがって真似しようとしない者も。
最近そのことを明確に説明している YouTube を見つけた。DVDに焼いて見せようとしたが、Real Player の調子が悪く、焼けないでいた。今日はパソコンでそれを見せることができた。興味のある方は次のURLからどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=utZpEZ-pwxQ
夜、オーリアッド。遅くに一局。持久戦の末、久々の勝利。5連敗のあとの1勝。
Wednesday, May 22, 2013
真夏日。午後、松本からの帰り、国道沿いの温度計が30℃だった。5月のこの時期だから、このくらいの温度になることがあっても不思議ではない。しかし5月中旬ぐらいまで冬の寒さのときもあったから、身体にこたえる。
自宅とお店の電気代が届いたが、いずれも4月より5月の方が高かった。それは水道管が凍らないように気温が下がると自動に電気がはいる不凍栓のせいだと思われる。平均すれば、5月のほうが4月より寒かったということか。
土曜日以来のオーリアッド。今夜はいろいろなお客さん。中でも印象に残ったのは、28年前にぼくのクラスをとったことがあるという元学生。そのころぼくは39歳で、現在の彼女よりもずっと若かった。当時は学生数が多く、選択科目は、大教室での授業が多く、彼女のことはよく覚えていなかった。
彼女いわく、「あの頃先生は溌剌としていて若々しかったのに、今はちょっとお疲れのようですね」。おいおい、そう思っても、普通は「お元気そうですね」ぐらい言うもんだ、と思いながら、「そりゃ、歳だからねえ」と受け流す。
いろいろ話を聞くと、彼女も苦労してきたようだ。帰り際に五日市剛さんの『ツキを呼ぶ魔法の言葉』をあげようとすると、「それはいけません、お金を払います」といって代金を置いていった。押し売りしたみたいだが、この本が少しでも彼女の気分を楽にしてくれたらいいのだが。
ほたる祭りライブまであとちょうど1ヶ月。清水君と小山さんとぼくのライブがどんな展開をみせるかわからないが、かなり面白くなりそう。すでに予約がかなり届いているが、昨年ほどではない。早急にチラシやチケットをつくり、新聞広告を出さねば。
今日のクラスで、用意したCD-Rがほとんどなくなった。オーリアッドからもどってさらに20枚ほど焼く。
Tuesday, May 21, 2013
もう何年も前から台所を改修しようと思ってきたが、ようやく今日その工事が始まった。家人はここ数日、台所の棚や引出しの整理におおわらわ。こんな狭いところにどうしてこんなにたくさん、と思うほどたくさんのものが入っていた。半分以上は、断捨離。
大工さん、水道屋さん、ガス屋さんが、朝から6,7人やってきた。フィービーは、大きな音が怖いらしくどこかへ逃げていたが、夕方お腹がすいたとみえて戻ってきた。2人の大工さんが帰ったのが19時過ぎ。われわれもお腹がすいた。台所が使えない。外食することに。量が多く、味も悪くない台湾料理の店へ。明日のうちには新しい台所になるようである。オール電化も考えたが、電気のオブンでは十分な火力が得られないという家人の意見で、コンロもオブンもガスのままにすることに。若干の経費節約にもなるし。
午後、大工さんが働く音を聞きながら、明日の授業の準備。学生からの email には読み応えのあるものが増えてきた。一人ひとりに返事を書くのは大変な作業だが、学生が考えていることや、しているこがわかって、とてもいい。
facebookに、先日の小山卓治さんとのライブのときにお会いした Koyama Masashi さんが当日撮ったぼくの白黒写真をアップしてくれた。カラー写真とは違って独特の雰囲気がある。顔の皺が黒く、くっきり。驚いたことに多くの方が「いいね」をクリックしてくれた。
Koyama さんは小山卓治さんの詩集『旅をする言葉』を編集発行した方。写真家でもある。Koyama さんを始めとして、小山卓治さんには彼をサポートする熱狂的なファンがたくさんいる。彼らは小山卓治という魅力的な人物を、そして彼の音楽全体を愛しているのだが、『旅をする言葉』からもわかるように、彼らは特に彼の言葉を愛している。だからこそ、彼らはぼくの拙い音楽に好意的に反応してくれたのだ。
この写真のコメント欄に当日ぼくの歌を聞いた人のコメントがあった。「言葉の国の王様に逢えた・・そんな喜びを感じました。彼の語り唄は深く優しく心に響き、ゆっくりと沁み渡っていく。ふと気付くと、忘れられない声となって、今も耳の奥で揺れています」。少々持ち上げすぎで、面映く感じはするが、「言葉の国の王様」なんていう表現が出てくるところからもわかるように、これを書いた人自身詩人である。
蛇足ながら付け加えると、もちろんぼくは「言葉の国の王様」なんかではない。「言葉の国の召使い」でさえないだろう。「言葉の国の王様」の呼称にふさわしい人は他にいる。
Monday, May 20, 2013
朝起きたら、身体が重い。風邪気味だった上に、週末がかなり忙しかった。草刈りもこたえた。しかし家でじっとしていたらますます身体がなまってしまう。思い切って午後、ウオーキングへ。先ず樋田(といだ)不動尊堂の東側に咲いている藤の花を見にゆく。お堂に隠れて誰からも見られず咲いている。誰から見られなくても、きれいに咲いている。横川川の上におおいかぶさるように。
次に、近くの家の裏庭に咲いていためずらしい色と形のツツジを見ていたら、犬の鳴き声。声のするほうを見ると、大きな毛むくじゃらな犬が、警戒しながらも、人がきてくれて嬉しいという顔つきで鳴いている。そこから、旧国道を横切って、山の腰道へ。神社の前を通り、城山公園へ向かう。お寺の裏の崖にツツジがたくさん咲いている。信州は今、どこもかしこもツツジが満開。
今度の土曜日のオープンマイクに来てくれることになっているMax Dodds からメール。京都から夜行バスに乗って松本へ行くが、そこからオーリアッドへはどう行ったらいいかとの問い合わせ。夜行バスではなく、土曜の朝9時50分に京都駅前で高速バスに乗れば、中央道辰野に午後2時9分に着くと伝える。
夜、先日の harness でのライブの写真をfacebookに載せることに。 Watanabe Yukari さんが送ってくださった写真。最初のうちなかなか写真を開けることができなかったが、試行錯誤いろいろしているうちに、小山さんの最初の写真が開いた。そこからは順調にすべての写真が開いた。
たくさんの写真なので、いくつか選んで載せることに。その過程で改めて気づいた。小山さんが実に good-looking だということに。同時に、彼が、歌詞カードを譜面台におきながらも、顔を下に向けて歌詞を読んでいるような写真が一枚もないことに。ぼくは逆に、常に歌詞カードを覗き込んでいて、前を向いている写真がほとんどない。気をつけなければ。
そのあと、明後日のクラスの準備を始めたが、モニターの前でうとうと。早く寝ることに。
Sunday, May 19, 2013
朝、庭と畑が草ぼうぼうだと家人からいわれ、ぼくが刈り払い機で草を刈り、彼女が芝刈り機で芝を刈ることに。今までこの両方ともぼくがしていたが、芝刈りだけでもしてもらえれば助かる。
10時から12時までかかって草刈と芝刈り。とてもすっきり、きれいになった。
写真、上左は、2年前、石垣が崩れたときに、サンデッキの脇から、パワーシャべルで庭の南東の隅に移植してもらった白いツツジ。昨年はあまり花をつけなかったが、今年は見事に咲いている。このツツジだけでなく、今年は異常気象ながら、ひょっとしたら異常気象だからか、どの花の色も実に鮮やか。上中は目の覚めるようなオレンジ色のレンゲツツジ。下左はかりんの花。下中と右は母が好きだった牡丹の花。
午後、伊那の北村時計店へ、4月の初めに修理に出した柱時計をとりにいった。家人の壊れていたオメガの腕時計も同時に。古い時計を修理するというこの時計店のことを知ったのは、伊那でギターを制作している大屋さんのfacebook の書き込みのおかげ。明治2年製造の柱時計も、オメガの時計も、ガラクタとして廃棄される運命にあった。
早速、柱時計をリビングの壁にとりつける。1時間ごとに、ボーン、ボーンと懐かしい響き。
Saturday, May 18, 2013
朝10時、ホテルを出て、新宿駅西口のバス停へ。10時半のバスに乗り、予定より若干遅れて辰野に1時45分着。家人にオーリアッドまで送ってもらう。行きは電車だったので、ぼくの車はオーリアッドに置いてある。昨夜の飲み過ぎのせいか、疲れている。少し休むことに。
目が覚めたら、5時過ぎ。あわてて支度をし、オーリアッドへ。今夜は藤森敬一さんのCD『森に抱かれて』発売記念オープンマイク。
藤森さんのバンド「雪化粧」の3人が最初にお見えになり、サウンドチェック。キーボードの下川久美香さんはオーリアッド初登場。各地で演奏しているようで、息の合った演奏。
そのうちに、皆さんが集まり始めた。雪化粧には前半後半、たっぷり歌ってもらうことにして、まず原田和恵さん。「歌の翼に」のあと、「まだカバーしていいか許可をもらっていないのですが」と言ってから歌い始める。聞いたことがあるようだが、誰の歌だったかわからないと、思っていたら、「心の道路」というフレーズが聞こえてきた。とてもよかった。水野哲男さん、「錆びた耕運機」と「C]。水野さんの歌の多くに共通することは、弱者への暖かい眼差し。坂井俊水さん、「君が幸せであるように」と傑作「ぼくらの夢」。デレク・ハースト、オリジナルの「Goldfish」を歌い、「もののけ姫」のテーマ曲をピアノで。唐沢千夏さん、あなたの望みは何でしょうか」とレナード・コーエンの「ハレルヤ」を英語で。デレクから英語のお墨付きをもらったよう。ぼくは前者の唐沢さんの歌い方がとてもいいと思った。
ここで、藤森敬一、上坂昭人、下川久美香、三氏の「雪化粧」の演奏。CDの曲順とおりに6曲「 石の風車」「あなたへのひとりごと」「君がそばにいるだけで」「冬の星座」「心の基地にして」「落葉」。
作品のレベルの高さはもちろんのこと、藤森さんの高音がきれいにのびる声と、歌の上手さ、上坂さんの巧みなリードギター、そして今夜初めて聞く下川さんのキーボードの演奏に、感銘を受ける。上手な形容ではないかもしれないが、下川さんの演奏は、美人に例えれば、一見して美人とわかる派手な美人ではなく、しばらくして、なんて美しい人だろうと気づくような美人である。テクニックを誇示することのない控え目な演奏。それでいて、高度なテクニック。
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後半トップは長島功さん。今日は田植えをしてきたとのことで、日に焼けて真っ赤な顔。「最後の手紙」と「ブリキの魔法」。ぼくが、昨日歌って好評だった「一通の手紙」。原田さん、「God Bless You」と「君は愛されるために生まれた」。水野さん、「16」と「安曇野の春」。デレク、「Go Through」と「Hope」。数年前、 「キング牧師の日チャリティーコンサート」に出演してもらったことが縁で、彼はオーリアッドの近くに住むことを希望し、辰野か箕輪の中学のALTになるように申請した。いくつか紆余曲折があって、この4月から箕輪に来ることになった。真面目で誠実なアメリカ人。唐沢さん、2曲のところ1曲でいいと、彼女の最高傑作「広島にて」。独特なメロディ。
最後に、雪化粧の3人による2曲。新曲「もし僕の命があと一年だとしたら」と長野県に嫁いだタンザニアの女性のことを歌った「シーシー・ソーテー・サワサワ」。前者は、スティーブ・ジョブズの問いかけ「If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?(もし今日が私の人生の最後の日だとしたら、今日これからしようとしていることを、私はしたいと思うだろうか)」と共通するところがある。後者はいつ聞いても感動的。
今夜も、おかげさまで、いい夜になった。藤森さんが、今夜MCで、オーリアッドのいいところは、出演者が、自分の演奏だけでなく、他の人の演奏をしっかり聞くことだという主旨の話をしたが、昨日歌わせてもらった Harness でも同じことを感じた。他の演奏者へのリスペクト、それが他者を生かし、成長させるのではないだろうか。同時にそれは翻って自ら生かし成長させることにもなる。そのような意味で、いつもオーリアッドを支えてくださるみなさんに感謝。
来週土曜日は、京都から Max Dodds を迎えてのオープンマイク。Max には一度も会ったことはない。彼についてくわしいことは何も知らない。昨年末、彼のCD『Songs from the Crooked Pine』の対訳を依頼されて知り合った。今から会うのを楽しみにしている。歌いに聞きにお出かけください。
Friday, May 17, 2013
午後3時半、阿佐ヶ谷駅近くの Smile Hotel にチェックイン。少し休んだあと、駅前の交番でHarness の住所を見せて、場所を教えてもらう。ホテルとは逆の方向ながら駅のすぐ近く。細い路地を100メートルほど行ったところの右側にあった。ドアを開けると何人かの人たち。その中に、小山卓治さんも。写真で何度も見ているので、初対面とは思えない。握手をし、お店のオーナーでありシンガーソングライターの鎌田ひろゆきさんに紹介される。そのほか、小山さんのマネジャーや、何人かのカメラマンの方々にも。
サウンドチェック。小山さんのあと、今夜久しぶりに歌う「一通の手紙」を歌ってみる。そして最後に二人で、一緒に歌う「種の歌」と「祈りの歌」を歌ってみる。いい感じである。5時過ぎにサウンドチェック終了。
開演時間の7時半までかなり時間がある。外に出て、阿佐ヶ谷の商店街をうろつき、喫茶店でセットリストをチェック。小山さんが最初一曲歌ってぼくを紹介し、そのあとぼくが40分、彼が40分。そして一緒に前述の2曲をやることになっている。
7時少し前、コーヒー店を出てお店に戻ろうとしたが、なかなかたどり着かない。洋品店の店先にいた人に阿佐ヶ谷の駅へ行くにはどういったらいいか尋ねて、反対方向に歩いていたことが判明。お店に着いたとき、7時25分。小山さんがお店の前にいた。中に入ると超満員。熱狂的な小山さんのファンたち。
まず小山さんが1曲歌う。いきなり、
こんな世の中なんてひっくり返してやるぜ
俺のギターとおまえのサクソフォンがあったら
と、ボスとクラレンスを彷彿させる言葉から始まる歌。ロックシンガーだ。ギターワークが凄い。聴衆がその歌の余韻にまだ浸っているうちに、紹介され歌うことに。「バード・オン・ザ・ワイヤー」「一通の手紙」「ガビオタの海」。一曲ごと、みなさんがとても熱心に聞いてくれていることが伝わってくる。「Death Is Not the End」、そして「碌山」。途中何か1,2曲歌ったかもしれないが、今思い出せない。このあと、少しの休憩があって、小山さんが歌い始める。
3月の初めに彼から封書が届いて、東京に出てきて一緒にライブをしないかと誘われてから、2ヶ月半ほどしか経っていない。彼について知っていたことは、『ひまわり』というアルバムを30年ほど前ソニーミュージックから出して、そのアルバムタイトル曲が大好きだったということ。それに、佐野元春や浜田省吾らと同じように、Springsteen にインスパイアーされてきたソングライターだということ。
10年以上も前、城山隆さんという編集者から、ぼくの翻訳と、スプリングスティーンにインスパイヤーされて活動している何人かの人たちのエッセイをまとめて本を出したいとの連絡があった。その本、『スプリングスティーン 36ストーリーズ』が完成し届けられたとき、エッセイを書いた人の中に、佐野元春、小山卓治の名前があったことを覚えている。なぜか山田太一さんの名前も。
しかし彼がどんな顔をしているか知らなかった。当時はGoogle も YouTube もなかった。連絡がきてから、彼の映像や動画を見るたび、なんて格好いい男なんだと思った。今日目の当たりに見た彼は、確かに実にハンサムだ。
彼の今夜のセットリストの中ではやはり「ひまわり」が圧巻だった。
その人の女房はある日、絵葉書を受け取った
丘の上のひまわりが微笑むように揺れる写真
午後3時には荷造りと化粧をすませて
日曜日にしかかぶらない帽子を深くかぶる
彼女は部屋を出るときも笑顔を崩さない
足早に階段をおりて歩きだす
ガソリンが水溜りに虹を作る道の向こう
すすけた赤い屋根が続いてる
一枚の絵。水彩画。特に最後のコーラスの2行が喚起するイメージが好きだ。しかし、この歌をよく聞いた30年前も、今も、この歌が何を歌っているのかよくわからない。その人の女房は、セカンドヴァースでは、「窓から射しこむ工場の照り返しを浴びて」、「粗末なベッドにただ黙ってすわってる」。ひょっとしたら、粗末なベッドにすわっているのは、ファーストヴァースの「その人の女房」ではないのかもしれない。サード・ヴァースでは、その人は登場せず、印象的なのはアパートの窓という窓に干してある「ブルーの作業着」のイメージ。
ひょっとしたら、この歌は3つの異なる絵のコラージュなのかも。何を歌っているか明確ではないが、聞き終わったあと心に残る印象は明確である。それはいい絵を見たり、いい映画を見たり、いい詩を読んだりしたときに感じる「しみじみとした思い」。生きてることはそんなに悪いものじゃないというか。
「種の歌」と「祈りの歌」を、最後に一緒に歌う。今日はじめて合わせたにしてはうまく行った。二人で歌う前だったか後だったか、彼が6月22日の「ほたる祭りライブ」の話をして、もう一人のゲスト、清水国明さんに会うのが楽しみだと話す。中学時代、オールナイト日本で「あのねのね」をよく聞いていたという。そして「赤とんぼの唄」の歌詞は実にシュールだったと言い、少し歌ってみせた。それが実によかった。そのとき当日、彼に「赤とんぼの唄」を歌ってもらったらいいかもしれないと思ったが、そんなことをしたら、熱狂的な彼のファンに怒られるかも。
拍手はなりやまなかったが、予定通り、最後の2曲のセッションで、明りがつき、ライブ終了。その後、いろんな人たちに紹介されたが、その人たちの中に前述の城山さんがいて驚いた。25年も前、松本の予備校で初めて会って、今は東京の高校で英語の先生をしている熱狂的なスプリングスティーンファンの佐々木君も来ていて、今夜のライブを楽しんでくれたようだ。
そのあと、小山さんと彼のスタッフ、そして熱狂的な小山卓治/スプリングスティーンファンの何人かの人たちと、ビールを飲みながら、談論風発。面白かった。誰かがぼくのスプリングスティーンに関する発言が載っている10数年前の新聞記事をもってきてみせてくれた。「そんなこと本当に言った?」と思うような見出しで、少々当惑する。
Harness のオーナーの鎌田さんから12月14日(土)の年末ライブの前日にもう一度、ここでやらないかとオファーされる。そうしようということになった。20回記念の年末ライブは、1回目をプロデュースしてくれた清水君に出演してもらうことになっているが、小山さんにも出てもらうことに。話がどんどん広がりつつある。
生ビール4杯、最後に Four Roses の水割りを飲んでお開き。ちょっと飲み過ぎたが、楽しい一夜だった。小山さん、鎌田さんをはじめ、みなさんに感謝。
Thursday, May 16, 2013
午後2コマのクラス。Steve Jobs のスピーチの3番目のエピソード「死について」を訳し解説。そのあと、その部分のDVDを見る。
今日の歌は The Rose。ジョブズのスピーチと この歌の内容には共通するところがある。
And most important, have the courage to follow your heart and intuition. そしてもっとも重要なことなのですが、あなたの心の願いと直感に従う勇気を持ってください。
It's the heart afraid of breaking that never learns to dance
It's the dream afraid of waking that never takes a chance
傷つくことを恐れている心は、決して踊ることを学ぶことがない
覚めることを恐れている夢は、決して冒険することがない
時間がなく、教科書には入れなかった。
夜、8時、オーリアッドへ。家人と交代。昼間は暑つかったのに、夜になったら寒くなった。ストーブをつける。
少し歌の練習。今夜は早目に閉店。少し風邪気味だが、明日になれば大丈夫だろう。
Wednesday, May 15, 2013
松本へ。お昼を挟んで2コマのクラス。帰路、アルプス市場とファーマーズマーケットで、ナス、韓国トウガラシ、かぼちゃの苗を買う。
夜、オーリアッド。日が長くなり、6時といってもまだ明るい。昨日石崎さんから届いた田中君のコンサートの録音を聞く。原田さんにも聞いてもらう。途中から田中君自身が入ってきた。最後には田中先生にも少し聞いてもらう。先日の感動がよみがえってくる。
田中君が、17日はどうやって東京へ行くかと聞くので、バスで行くと答えると、中央道は東京寄りのところで工事をしていてかなり遅れるようだと教えてくれた。
家に戻りネットで調べたら、相模原から高井戸の間で工事があって2時間ほど遅れる可能性があると書かれていた。よかった、小山卓治さんとのジョイントライブのリハーサルに遅れるところだった。バスの往復予約の行きをキャンセル。電車で行くことに。帰りはバスで。土日は工事がないとのことなので。
ずっと先のことだと思っていた小山卓司さんとのコンサートはいよいよ明後日。じたばたしても仕方ない。実力以上のことをしようと思わないこと。いつものように淡々と歌えばいい。とにかく、楽しみだ。
Tuesday, May 14, 2013
今日も一日外に出ることなく、パジャマのままで過ごしてしまった。午前中は、昨日2つの本棚を撤去したリビングの整理。北側の壁にある作り付けの本棚からEVのスピーカーを下ろし、スピーカースタンドに乗せる。これで本棚のスペースをかなり確保できた。またスピーカーをスタンドに乗せることによって、音もよくなったような。John Wesley Harding を聞く。続いて Street Legal。
いずれも何百回と聞いたアルバム。前者の John Wesley Harding was a friend to the poor. 後者の、Sixteen years, sixteen banners united over the field. という最初の1行を聞くだけで、さまざまな思いが湧き起こってくる。
その後、歌の練習。Death Is Not the End, Tomorrow Is a Long Time, それに「祈りの歌」。「一通の手紙」も。
昼過ぎ、出版社から山頭火の英訳が使われた版画集のpdfが送られてきた。英語に関して修正するところはなかったが、punctuation が40年前に訳したものと統一がとれていなかった。修正して送る。
暑い一日だった。昨年は、猛暑が晩秋まで続き、そのあと急に寒くなったので、冗談で日本は四季の国から冬と夏の二季の国になってしまったと言っていたのが、現実になりつつあるような。
明日は水曜日の授業の日。明日の準備は一週間前にすませてある。でもメールの返事はもう少し書かねばならないようだ。
Monday, May 13, 2013
昨日に続き今日も快晴。快晴のみならず、夏の暑さ。冬から春を跳びこして夏へ。有名な日本の四季はいずこへ。昨年もそうだった。昨年は10月まで残暑が続き、そのあと急に寒くなった。
昼食後、隣の潔さんに頼んで、箪笥をひとつ、本箱を2つ、それにいくつかのガラクタを軽トラでオーリアッドの2階へ運んでもらう。1回では無理かと思っていたが、潔さんは手際よく荷物をまとめ、1回で終了。本箱のひとつに入っていた日本古典文学大系全100冊は、平凡社の百科事典などを2階の教室に移すことで余裕のできた作りつけの本棚へ。リビングが広くなった。桐の箪笥は軽かったが、本箱も本も重くて、汗びっしょり。
潔さんは、ぼくの歌の村の数少い理解者の一人。帰りの軽トラの中で潔さんが言う、「3枚目のアルバムの、もし今日が果てのない道ではなく、で始まる歌もいいね」。ぼくが知る限り、彼の好きなぼくの歌は「祈りの歌」「果樹園の道」「あの果てしない大空へ」「俺のいない町」、そして「一通の手紙」だった。今日新たに「明日は遠く」が加わった。
小山卓治さんとのジョイントライブはもう今週の金曜日。何を歌うか決めかねていたが、潔さんの好きな歌のいくつかを加えると、いいセットリストができそうだ。
家に着き、お茶を飲んでいるとき、潔さんが、菜の花がきれいだから見にきたらと言う。仕事から戻ってきた家人を誘って、菜の花を見に。山裾に咲いている菜の花。静寂そのもの。
夜、歌の練習。「死は終わりではない」「明日は遠く」など。「種の歌」も。
そうそう岡山の尾崎さんからメールがあり今年も七夕コンサートの前日の7月5日(金)、大正時代に建てられたと思われる古色蒼然たる岡山禁酒會舘でのコンサートに呼んでいただけることになった。こじんまりとしたあのコンサートが好きだ。そしてそこに集まってくる人たちも。
Sunday, May 12, 2013
昨日は一日中雨だったが、今日は朝から快晴。いつの間にか庭は、一足跳びに冬から夏へ。カメラをもって庭に出て、何枚か写真を撮る。青空と新緑のコントラストが鮮やか。早く咲いた藤の花は霜にあたって、枯れてしまったが、遅く咲いた花がいくつか。ツツジ、そして木瓜の花。
昼前に5つの畝にマルチをかぶせる作業。。
昼食後、長男と Skype で話しているところへ、次男からもSkype。一たん長男との通話を切って次男と話すことに。いつもは遠慮してあまり前にでないリンも母の日とのことで、まっさきに出てきた。雅樹はやんちゃで大声を出し、動き回っている。おかあさんは大変だ。
有料ながら、三組で同時に映像を見ながら話すこともできるらしい。この次はそうしようということになった。
3時過ぎ、ぼくが疲れて午睡している間に、家人が苗をかなり植えたとのこと。
夜、歌の練習。また風邪を引いたのか、身体がだるい。早く寝ることにしよう。
Saturday, May 11, 2013
トップバッターは、デレク・ハースト。高校のときに書いたピアノ曲を挟み、タイトルのない新曲と「In My Sight」。デレクの声には人を癒す力がある。坂井俊水さん、新曲「I'm Walking」と傑作「ぼくらの夢」。今夜はエレキギターを弾いて立って歌ったが、きまっていた。基本的に彼はロックンローラーである。
丸山俊治さんを取材に東京から4名の方がお見えになった。NTTなど情報通信関係200社以上の労働組合が所属する情報労連の情報誌のための取材。インタビューは別の場所ですでに済んでいるとのことで、オーリアッドでは写真撮影のみ。「おじさんたちよ」「70歳になったのだ」「心の鏡」、そして久々に聞く丸山さんのプロテストソング「デノミの灰」。このあと、取材班のリーダー田中義幸さんに取材の意図などを話していただく。7月1日、23万部発行とのこと。楽しみである。
金子昭二さん。86歳6ヶ月。元気である。さだまさしの『夢の轍』から「オーロラ」について書かれた部分を朗読。毎回テーマを決めて準備されてくる。最初にお見えになったときより、ますます元気。原田和恵さん、「祈り」に関する歌2曲、「祈ってごらんよ、わかるから」と「祈りの歌」。いつ聞いても素晴らしい歌声。彼女の声にも人を癒す力がある。
アントニー・ゴードン、若干23歳のイギリス人。3月に日本に来たばかりなのに、一生懸命日本語で話そうとする。「私の・・好きな・・ものは・・・ジョギング・・と・・スポーツ・・と・・日本料理・・です。中でも・・キンピラゴボウが好きです」。キンピラゴボウで大爆笑。誰かがチャールズ皇太子に似ていると言っていたが、そういわれれば、似ているかも。ここで休憩。
Larger and more photos on Oread facebook page.
原田和夫さん、和服で登場。今日は小諸へ高校時代の陸上部OB会に参加するために行ってきたとのこと。小諸まで往復運転して、疲れた顔もせず、やってくるとは恐るべき74歳。高校時代の苦しかった練習が今ではいい思い出であり、厳しかった顧問の先生のおかげで国体4位になれたことに感謝している、と語る。
次にぼくが「種の歌」と「祈りの歌」。前者は家では完璧に歌えるようになった(と思った)が、今夜はちょっと間違えた。5月17日(金)の小山卓治さんとのジョイントライブまでに、もう少し練習しなければ。歌う前に少し話す。最近はどこへいってもぼくが最年長者であることが多いが、今夜のオーリアッドにはぼくより年上の方が3名。しかもみなさんお元気で、セイギョク的、イヨク的に生きておられる方ばかり、という主旨の話。オーリアッドを「出会いと創造」の空間にしたいというぼくの願いが、徐々にではあるが実現しつつあるような。
次にアントニーが自ら歌いたいと志願。坂井さんに伴奏を頼み、日本語で「ぼくは・・マンチェスターに・・4年間・・住んでいました。マンチェスター・・・出身の・・オエイシーズの Don't Look Back in Anger を・・歌います」と話したあと、歌う。歌い終わったとき、歌手とギタリストに大きな拍手。
坂井さん、「The Messenger」 と「No Woman No Cry」。前者は Linkin Park、後者は Bob Marley の曲。どちらもいい歌である。長島功さん、「いのちの理由」と「ブリキの魔法」。田中創さんのライブの次の日、世界遺産になる富士山を家族で見にいったが、途中、中学生の息子が John Deer のトラクターを見つけ、昨日の歌にあったねと言ったらしい。「しっかり聞いているんだね」と家人驚く。
金子さん、さだまさしの「オーロラ」をアカペラで8分。セキギョク的、イヨク的なパフォーマンス。ただただ脱帽。
原田和恵さん、「輝く日を仰ぐとき」と「遥かな友へ」。後者は丸山さんがヴォーカルでサポート。赤羽真理さん、4月から公民館分館の主事になったとのことで忙しそう。「今すぐに」と、ご存知「千両梨の実」。デレク、ピアノではなくギターで「Heart without Boundary」。彼の歌はどれもheart-warming。丸山さん、最後に一曲、丸山さんの歌のひとつの側面、反骨精神の歌。「戦争を知らない子供たち」のパロディー、「戦争を知らない政治家たち」。「憲法9条」を世界遺産にしろ、と影の声。
今日は朝から夜まで、しとしと降る雨。乾いていた畑も潤った。いい一日だった。
Friday, May 10, 2013
朝、トウモロコシ、サツマイモ、キュウリ、ナス、レタスなどの苗を植える畝を5本作る。午後は雨になるとのことで、マルチはかけず、カラカラに乾いた土に雨水をしみ込ませることに。日曜日にマルチをかけ、苗を植える予定。
午後予報とおり雨が降り出した。まさに春雨。こまかい雨。
夜、オーリアッドへ。昼間は暑いほどだったが、夜になったら少し冷え込み、ストーブをつける。遅くに、某小学校の先生たち。芸達者である。着いたと思ったら、音楽の先生のピアノに合わせて、歌いまくる。ギター弾き語りも。一人とてもいい声の先生がいた。
アントニーもいて、Let It Be を歌わされていたが、歌詞がうろおぼえで、 コーラスの部分を繰り返すのみ。ちょっとかわいそう。イギリス人だから Let It Be を歌えるとは限らない。
日本の小中学校の音楽教育はたいしたもので、日本人の誰もが歌い、何らかの楽器を弾くことができる。ぼくの限られた体験だけで、断定的なことは言えないが、アメリカでは歌も楽器もうまい人はめちゃくちゃうまいが、そうでない人も、日本と比べて、たくさんいる。
日本では集まると一緒に歌うことが多いが、アメリカでは、おそらくイギリスでも、集まると彼らは一対一で話をすることが多い。そして動き回り、その場にいるできるだけ多くの人と、とくに知らない人と、話をしようとする。異質なバックグランドをもった人たちが集まるとき、互いを知る手続きは不可欠である。
互いによく知っている仲間が集まるとき、その手続きは不要で、共通の体験、絆を再確認するため、歌が歌われる。歌声喫茶、カラオケにもそのような機能があるように思う。
帰り際、アントニーにちょっとしたアドバイスを。「日本では集まれば歌を歌うことが多い。1,2曲英語の歌を完璧に歌えるようにしておいたほうがいいよ」。
Thursday, May 9, 2013
午後2コマのクラス。今日の歌はAmazing Grace。ジョン・ニュートン、産業革命、三角貿易などについて話したあと、1番の歌詞の2行目に出てくる wretch の重要性に言及。そのあと、スティーブ・ジョブズの2番目の話 「愛と喪失について (About Love and Loss)」を読む。
夜、オーリアッド。ジブランの会のみなさん。遅くに田中先生、「奥さん大丈夫でした?」 昨夜の顛末を手短にお話する。
11時帰宅。小山卓治さんとの阿佐ヶ谷 harness でのライブがいよいよ1週間後になった。佐久に住む彼のファンの内山さんの電話から始まった幸運な連鎖反応が、どこまでつづいてゆくか興味深いところ。今日、小山さんは次のように facebook に書き込んだ―
1997年、国際フォーラムにブルース・スプリングスティーンのライヴを見に行った時、ブルースがMCで(歌詞を翻訳してくれた)三浦久さんへ感謝の言葉を述べたことを憶えています。あの時、三浦さんは会場にいらしたのかな?
三浦さんとのジョイントライヴが近づいてきました。僕と三浦さんはきっと、同じ歌を聴いて同じように感じ、違う歌を生み出してきた、同じルーツを持ったソングライターだと思います。5/17のセットリストは、僕がブルースやボブ・ディランからインスパイアされて作った歌を並べてみようと思っています。2人の間で散る火花を体感しにきてください。
1997年1月31日、ぼくもあの会場にいた。ステージの下手寄りのほぼ中央、3列か4列目にすわっていた。今でも覚えている、ブルースがアンコールでぼくの名前を言って「ガルヴェストン・ベイ」を捧げてくれたとき、会場にちょっとしたどよめきが起こったことを。そしてぼくの左手斜め前にすわっていた今は亡き福田一郎さんが、振り向いてにっこり微笑んでくれたことも。そのときのことは長野ジャーナルのエッセイに書いた。
小山さんは「2人の間で散る火花を体感しにきてください」と書いた。尾崎豊、佐野元春、浜田省吾等と並び称される小山さんと、ぼくが対等に火花を散らすのは無理としても、ぼくの歌をぼくなりのやり方で歌いたいと思っている。不安であると同時に本当に楽しみな小山さんとの2マンライブである。
Wednesday, May 8, 2013
準備万端整えて、午前10時35分、40番教室へ。教室に入れず待っている学生が何人か。まだ前のクラスが続いているのか。中に入る。ちょっといつもと雰囲気が違う。前のクラスの先生の周りに5,6人の学生がいる。授業終了後、質問をしているのか。よく見ると、先生はマーク・Bだ。おかしいな。水曜日の1講時目はマークではないはず。
マークがぼくを見て驚いた顔で言う、「What are you doing here? It's Monday.」「What do you mean? It's Wednesday today. I teach here on Wednesday. Two classes. In the second and third period.」「It's not Wednesday today. It's Monday.」「What? It's Wednes.....」
ここまできてようやく気がついた。「そうか、今日は月曜日の授業なんだ」。月曜日の祭日が増えてからよくこういうことがあった。でも大抵12月のクリスマス前後だった。講師控え室に行くと、メアリー有賀が驚いた顔でぼくを見る。すかさずぼくが言う、「It's Monday today, isn't it? I thought it was Wednesday.」「Yea, it's Monday.」。ほかの先生たちもいっせいに笑いながら、口々に「It's Monday.」。
おかげで帰路、ゆっくり買い物ができた。まずTSURUYAに寄り、食材を買い、次にアルプス市場とファーマーズマーケットに寄り、野菜の苗を買う。トマト、キュウリ、ナス、ゴーヤ、シシトウなど。韓国トウガラシがなかったが、これはどうしてもほしい。一本の苗に、夏から秋にかけてひっきりなしに実がなる。
家に戻るとフィービーがやってきて、「どうしてこんなに早く帰ってきたの」と言いたげに寄ってきた。家人は仕事で留守。しばらくフィービーと一緒にベンチにすわり、白樺の新緑と快晴の青空を楽しむ。確かに今日はいい日だ。日々是好日。
夜、オーリアッド。7時前、電話。ライブの予約かと思ったら、西宮の家人の妹から。「お姉さんがそっちにいませんか。何度電話しても出ないんです」。「さっき家を出るときにはいたから、しばらくしてまた電話してみてください」。そのあと、何人かのお客さん。将棋に負けたところで、また電話。時計を見ると、10時。誰かと思ったら、家人の妹の痛切な声。「何度電話しても出ません」。ここでぼくも不安になってきた。すぐに家に電話。応答なし。
急いで家に帰ろうとしているところへ、田中先生。「すみません、閉店です」。事情を話し、火の元を確かめ、戸締りをし、車に飛び乗った。
ガレージに近づく前から、速度をおとし、ヘッドライトをビームにし、先日、鯖寿司の包みを探したように、見回したが、誰も倒れていない。家を出るとき、家人が、今日買ってきた苗を、明日の朝は冷え込むからガレージに入れておくと言っていたので、ひょっとしたらと思っていた。
ガレージに車を入れ、家に近づくと、台所の灯りがブラインド越しに見える。いるようだ。ドアを開けると、明るい「おかえり」という声。こんなに心配してきたのに「おかえり」もないものだと思いながら、事情を話し、すぐに妹に電話するように伝える。
家人の言うには、今日は家を出るとき電話をケイタイにとばし、カウンセリングのときはいつもそうするように、ケイタイをマナーモードにしてバッグに入れたのだが、家に帰ってからも忘れてそのままにしておいたとのこと。人騒がせな。とにかく無事でよかった。
忘れっぽい夫婦のドタバタの一日。嗚呼。
Tuesday, May 7, 2013
今日は家の外には一度も出ず、朝からずっとパジャマのまま。そうしていられるのも、5月としては寒いとはいえ、暖かくなったからか。
一日中、明日のクラスの準備、歌の練習。そして午後、ちょっとしたはずみに、繋がらなくなった家人のワイヤレスのノート型と格闘。
半日、ああだこうだと試してみたが、接続しない。結局、遅くに長男の指示で、ルーターの電源を入れなおしたら復活した。どうしてそんなことで簡単に直るのか、不思議。でもよかった。
本格的なパブリシティーはこれからだが、ほたる祭りライブの予約が入り始めた。いずれも遠方から。静岡、東京、埼玉など。昨年は、一週間前に sold out。今年はそんなことはないと思うが、小山卓治さんのファンの方からの予約がすでに5名ほど入っている。
小山さんのメールに、彼のスタッフの一人に中学時代、あのねのねのファンクラブに入っていた人がいて、「オーリアッドのライヴに何とか行きたいと言ってました」と書かれていた。小山、清水、三浦の異質な組み合わせは、けっこう面白いかもしれない。
Monday, May 6, 2013
柳沢廣先生と奥様の柳沢さつきさんの「傘寿展―詩と美術のいとなみ―」を研成ホールへ見に行く。ぼくが 2000年8月18日の夜、碌山美術館本館の入り口をステージに「三浦久、戸張孤雁のこころを歌う」というコンサートをさせていただいたとき、柳沢先生は碌山美術館の館長をされていて、大変お世話になった。先日の碌山忌コンサートでお会いしたとき、先生の彫刻と奥さんの詩の展覧会がゴールデンウイークに行われると知り、楽しみにしていた。
先生のたくさんの作品が展示されていた中で、古い家の柱や梁を利用したと思われる木彫が面白かった。母が晩年一人で住んでいた伊那富橋の近くのわが家が、道路拡張のために、取り壊されたとき、たくさんの太い柱や梁が出た。業者がすべて処分するとのことだったが、ストーブの薪にするために、少し残してもらった。でも結局、薪にするには、細かく割らねばならず、雨ざらしにしておいたら、腐ってしまった。今思えば惜しいことをした。
奥様の詩も素晴らしかった。奥様は、信州大学2年のとき友人らと詩誌「かおす」を創刊。以後60年発行しつづけ、今年131号が出るとのこと。長野県詩人協会所属。
虫の声
酷暑の 真昼
敗戦を告げる 玉音放送を 聴いた
その夜 山麓の生家の庭先では
もう キリギリスが鳴きはじめていた
虫の声の陰に
陛下の くぐもり声が 残っていた
五十六年を経ての 深夜
ニューヨーク・マンハッタンの ツインタワー崩壊の映像が
虫の声を消した
"同時多発テロ!" を 叫ばれるや
あっちの虫も こっちの虫も
哭きだした
生きとし生ける虫たちの
喧騒に
仲秋の名月 煌々と
それから十年
三・十一から 半年あまりの今夜も 庭先に
虫 集く
スズムシ コオロギ キリギリス・・・・
あれらの瓦礫の陰でも
虫は鳴いているだろうか
被爆の虫は 息絶えたか
弱虫 泣き虫 疳の虫
ふさぎの虫に 腹の虫
おさまらない虫も 怒りの虫も
有形無形の虫という虫たちよ
虫の息からでも立ち上がろう
憂愁か 鎮魂か
秋 深み
見終わって、誘われるままにロビーでお茶をいただいていたら、見覚えのある人が駐車場から歩いてくるのが見えた。矢島公平先生だ。先生から中学一年のとき数学を教わった。わが家の遠い親戚でもある。入り口まで出迎えにゆき、一緒にお茶をいただく。先生は今年米寿、88歳とのこと。見た目も若いが、塩尻の自宅から自分で運転してきたとのこと。矢島先生が塩尻の広丘小学校の校長だったとき、柳沢先生が教頭だったとのこと。奥様とも開知小学校で一緒だったことがあるらしい。
訪問客があとをたたず、長居は無用と、柳沢先生と家人のツーショットを撮らせていただいて、おいとますることに。帰り際、先生が一言、「えらい若い奥さんだねえ」。「4歳しか違いませんよ」とぼくは言ったが、家人はおそらく、その一言に気分をよくし、先生のファンになったはず。
そのあと、美術館へ。ぼくは先日の碌山忌に見たが、家人は久しぶり。本館、第一展示棟、第二展示棟をめぐり、グズベリーハウスへ。そこで、ミニアルバム『碌山』を出したとき館長をされていた山田芳弘先生にお会いした。垣内彰さん経由でいただいた先生の随筆集『夏炉冬扇』のお礼を言う。冒頭の「サンタドレアの小径」しか読んでいなかったが、とても読みやすいと感じていたので、まずそのことをお話する。『夏炉冬扇』という謙虚なタイトルについても。先生は、難しいことをわかりやすく書く名手である。
行くときは高速を使ったが、帰りは安曇野を縦断する道を南下。道路沿いの花や農産物の店に立ち寄り、塩尻の大型ホームセンターへ。鶏糞5袋を車のトランクに乗せていると、家人が誰かと話す声が聞こえてきた。振り返ると、マリアちゃんのお父さんとお母さん。マリアちゃんはしっかりとお父さんの腕の中。写真を一枚撮らせてもらう。幸せなファミリーここにあり。
今日はいい一日だった。共に傘寿(80歳)を迎えたご夫妻の彫刻と詩のコラボレーション。幸福であるための鍵は「創造」の中にあると再確認させていただいた。傘寿を迎えるまでまだしばらく時間がある。年をとったと嘆いてばかりはいられない。がんばろう。
Sunday, May 5, 2013
子供の日。端午の節句。朝起きて外を見ると、快晴。雅樹くんのために鯉のぼりを飾ろうということになった。畑に出る前、物置から鯉のぼりの入った箱を取り出し、裏から梯子を運び、白樺の木の枝にかける。
息子たちが大きくなってからは飾ったことのない鯉のぼりだったが、昨年、本当に久しぶりに、生まれたばかりの雅樹くんのために、五月人形を飾り、鯉のぼりを白樺の枝にかけた。今年は五月人形は無理としても、鯉のぼりだけでも飾ろうということになった。
その写真を撮り、そのうちの1枚を facebook にアップし、Happy Boys Day, Masaki! と書き込んだ。こうしておけば、次男が facebook をチェックしたとき気づくはず。
そのあと畑に出て、カボチャ、人参、それにインゲンのための3本の溝を掘り、肥料を入れる。昼食後、再び畑に出て作業の続き。肥料を入れた溝に土をかぶせ畝をつくり、マルチをかぶせる。汗びっしょり。
シャワーを浴びて、食卓の上の家人のパソコンのスイッチを入れたら、skype が ON になったことを知らせる音。誰かと思ったら、果たして次男からだった。facebookの鯉のぼりの写真を見るまで、今日が子供の日だということを忘れていたとのこと。ちょうど雅樹に夕食を食べさせているところだった。まだ畑にいる家人を、あわてて呼びに行く。しばし、爺さん婆さんになり、1歳半の孫に遊んでもらう。ニコニコ笑って、なにやら話しかける。と思ったら、ソファにのぼって、飛び降りてみせたりする。
夕食後、学生に渡すCD-Rを焼く。それに学生のメールへの返事も。それに5月17日に向けて歌の練習。
小山卓治さんが『種』のCDを送ってくださったので、『ガビオタの海』と『千の風』をお送りした。そしたら、メールが届き、ファンに向けたニューズレターに、今度ぼくと一緒に歌うことになった経緯を書いたと教えられた。それを読んで驚いた。『ガビオタの海』のプロデューサーで、バイオリンを弾いてくれた中井(一朗)君とも、『千の風』でバイオリンを弾いてくれた HONZIさんとも、さまざまなところで一緒に演奏してきたとのこと。
「 僕が今まで一緒にプレイした2人のバイオリニストが、どちらも三浦さんと共演していたなんて、偶然にしておくには、いい話すぎる」と書かれていた。ぼくも驚いた。残念なことに、HONZIさんはその後何年かして亡くなられてしまったし、中井君とは、あのレコーディング以来、疎遠になってしまった。元気でいてくれたらいいが。
それに6月22日の「ほたる祭りライブ」には、ゲストとして、小山さんと清水君に参加してもらうことになっているが、「清水国明さんといえば、元あのねのね。中学生の頃、毎週オールナイトニッポンを聞いていたっけ」と書かれていた。
前にも書いたが、ロックシンガーの小山さんと、ギャグソングを歌って一世を風靡した清水君と、長いストーリーソングをたどたどしく歌うぼくの3人が、どのような化学反応を起こすか楽しみである。大成功か大失敗か。しかしぼくはそんなに心配していない。3人には根底にボブ・ディランがいる。表現方法は違っていても目指しているものは同じではないか。
清水君は、とにかく忙しい。次から次へのアイディアが湧いてきて、それを実行に移して行く。今は「like国際ふれあい村」を立ち上げることに精力をそそいでいる。その案内の冒頭には次のように書かれている。
この村は、世界各国からふれあいを求めてやってきた人たちが、いいね!(LIKE!)と口をそろえて言ってくれるような、フレンドリーなコミュニティーを目指しています。富士山のふもと、富士河口湖町の森の中にあるこの村には、保育園、幼稚園、そして小学校があります。自然体験施設、各種研修施設、農園があり、多世代が共同で共生することができる住居施設もあります。
富士山が世界遺産に登録されることが決定され、彼にとっては追い風が吹き、ますます忙しくなりそうである。身体に気をつけてがんばってほしい。清水国明 Official Blog
Saturday, May 4, 2013
田中創コンサート。素晴らしい一夜になった。昨年1年かかって書いた「ブーツマン」「ソウル・ブラザー」「サンタクララが夕暮れに染まる頃」を含む12曲を中心に、それ以前に書いた名曲「東京」「ヴィンセント」「小さなルーカス」など、全18曲。見事な演奏だった。フィナーレは、恒例のOREAD All Star Band とのセッション。 Sweet Home Chicaga。その直前、アンコールで歌った新曲「グッド・タウン、マイ・タウン」もよかった。
ヨレヨレのスーツじゃ、様にならないぜ
ピカピカの革靴も買うのさ
女たちがうっとりと見つめるようになりゃ
まるで、ロバート・ジョンソン!
あいつのようだよ
グダグダにくだをまきゃ、様にならないぜ
軽やかにギターを弾くのさ
指先がなめらかに動くようになりゃ
それは、ミシシッピ・ジョン!
あいつのおかげさ
ヘイ、ヘイ!
いい町だよ、ここは
ヘイ、ヘイ!
いい町だよ、ここは
ヘイ、ボーイ!
いい夜だよ、今夜は
ブルーズが聞こえる
あのなつかしいカフェから...
何より嬉しかったのは、「息子が人前で歌うのを聞くのは初めて」というご両親が感動してくださったこと。それに奥さんのご両親も松本から駆けつけ、義理の息子の歌を初めて聞き、「よかったまた聞きたい」と言ってくださったこと。そして、昨年一年、特に後半、歌が書けなくて苦しむ田中君を一番身近で見てきた寡黙な奥さんがもらした「惚れなおしました」の一言。
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そして、感謝したい、聞きにきてくださった多くの方々に。チケット係りを志願してくださった原田さんに。都内を抜けるだけで3時間という渋滞をものともせず、PAと録音のために駆けつけてくださった石崎さんに。
感謝したい、last but not least, 素晴らしい演奏をしてくれた田中君に。今夜は心地よい眠りについていることだろう。昨夜は眠れなかったというお母さんも、きっと。
Friday, May 3, 2013
晴天の美しい日。フィービーは外に出て、ごろごろすることが多くなった。異常気象にもかかわらず、芝生はいつの間にか青くなり、白樺の葉もかなり大きくなった。
午後、畑の仕事をしようと思ったが、それには少し寒すぎる。明日の同姓の会で、氏神様の掃除をすることになっている。わが家が今年は当番。どんな様子か、下見に行くことに。杉の葉や枝が落ちている以外、たいして草は生えていない。明日はそれほど苦労しなくてすみそう。
夜、オーリアッド。明日のコンサートの打ち合わせに田中君がやってくる。すわって歌うか立って歌うか、何度か試したあと、立って歌うことに。立ったほうが、声が出ているように思えるし、客席からも見やすい。それに帽子をかぶっていても、顔に照明があたりやすい。ステージの背景も検討し、最終的にダニエル・クレイマーのディランの写真を使うことに。
お客さんは30人近くは来てくれそう。素晴らしいコンサートになりそうだ。
Thursday, May 2, 2013
木曜日の授業は午後1時から。朝がすこしゆっくりできる。昨日撮れなかったタンポポの写真を撮ろうと外に出る。タンポポを撮っていたら、ツツジの潅木に捕われるように咲いていた一輪のチュリップが話しかけてきた。「私も撮って」。東側の花壇のチュリップも、いまが最盛期。
今年は白木蓮は寒さにやられて、全開するまえにすべて茶色に萎んでしまったが、庭と畑の間にある紫木蓮がいつの間にか咲いていた。この木は何年も前に、蟻か何かにやられて枯れてしまったが、脇から芽が出て、一昨年からまた花をつけるようになった。
昼過ぎ2コマのクラス。摩擦音の10個の解説。これで子音24個すべて解説したことになる。そして歌う前、早口言葉三連発。口の周りの筋肉をつけ、同時にほぐすため。
1.武具馬具武具馬具三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具
(ぶぐばぐぶぐばぐみぶぐばぐ、あわせてぶぐばぐむぶぐばぐ)
2.蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ、合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ
3.菊栗菊栗三菊栗、合わせて菊栗六菊栗
All My Loving と Little Child を歌ったあと、今日の歌 Beautiful Brown Eyesを解説し、CDを聞き、歌う。簡単な歌で、みなすぐに歌えるようになった。そのあと、Steve Jobs のスピーチの first story を解説し、映像を見る。教科書に入る時間はなかった。
6時前に帰宅。7時半、オーリアッドへ行き家人と交代。今夜も寒い。遅くに丸山さん。隣町の歌声喫茶の帰り。5月11日(土)のオープンマイクのとき、東京から4人の取材クルーが丸山さんを取材にくるとのこと。彼らは駅前の旅館に一泊するとのことなので、かなり大掛かりな取材である。
遅くになって歌の練習。まだ少し咳が残っている。
土曜日の田中創コンサートの予約は20名近くになった。当日券を含めおそらく30名にはなるだろう。
Wednesday, May 1, 2013
朝起きて外を見る。昨日とは違い、晴天。太陽の光がまばゆい。5月は幸先がいいぞと思ったが、外に出て驚いた。5月とは思えない寒さ。
お昼を挟んで2こまのクラス。連休の谷間の日。欠席が多いかもしれないと思っていたが、ほぼ全員出席。ただマスクをした学生が目立つ。風邪を引いたようだ。
授業が終わったあと、事務局にオーディオキャビネットの鍵を返し、中庭に出たら、タンポポが咲いていた。カメラを取り出し写真を撮ろうとしたら、「電池切れ」の表示。しまった。今朝、家を出てから松本まで、山麓線沿いはもとより、いたるところにタンポポが咲いていた。小山卓治さんの「種の歌」を口ずさみながら、いろんな場所のタンポポの写真を撮ったら面白いだろうと考えていた。
でも実際には、写真を撮っていたら授業に遅れてしまう。それに山麓線沿いは駐車スペースが限られていて難しい。撮れるとしたら、キャンパス内と家の周りと、村の道路沿いか。
たんぽぽの種は空を飛び
小さな庭に花を咲かせた
少女がちっちゃな指で花を摘み
海を渡る父に贈った
花は歌う 小さな声で
笑って、さあ笑って、と
この歌は小山さんが2001年9月のニューヨーク同時多発テロのあと、グランドゼロ地点に立ち、書いた歌だといわれている。そうすると4行目の「海を渡る父」がアフガンへ赴く兵士であることがわかる。[全部の歌詞はここから]
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帰路、TSURUYAと、うちだファーマーズマーケットに寄り、食材を購入。家人から頼まれた筍は、TSURUYA にはなかったが、ファーマーズマーケットにはあった。あったはあったが一本1000円の、ものすごく大きなもの。一瞬ためらったが、話の種にもなるかと、買うことに。大きなナマズのような筍。
夜、オーリアッド。昼間も寒かったが、夜になったら更に気温がさがり、真冬並みに、ふたつの灯油ストーブに点火。
遅くに歌の練習。早く風邪をなおさないと。だいぶ良くなったが、まだ少し咳が残っている。