OREAD Diary April 1-30, 2013
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Tuesday, April 30, 2013
毎日、寒い寒いと言っているうちに、もう4月最後の日になってしまった。一年の三分の一が過ぎたことになる。光陰矢の如し。Time and tide wait for no man.
午後、出版社へ山頭火の翻訳を送る。締め切り2日前に送ることができたなんて信じがたい。ジム・グリーンや何人かの facebook friends のおかげ。
久しぶりに引いた風邪は徐々によくなりつつある。まだ少し咳が残っているが、熱はないし、身体のだるさも少なくなった。
明日から5月。忙しくなる。がんばろう。
ふりかへらない道をいそぐ
Hurrying along the road
Not looking back
~ Santoka
Monday, April 29, 2013
昨夜は久しぶりに早く寝たら、夜中に何度か目が覚めてしまった。それでも合計すれば6時間半は寝ただろう。風邪はだいぶよくなった。まだ喉がいがらっぽく、咳が時々出る。鼻水の初期の症状から、徐々に段階を経て回復に向かっていることがわかる。
今日は山頭火の訳を決定する作業。いくつかある訳のどれを選ぶか苦慮。簡潔で、分かりやすく、リズムがあるかどうかという観点から選ぶことに。ジムはもちろん、何人かのfacebook friend の意見も入れ、なんとか選んだ。まだ1,2迷っているものもあるが、明日中には送れるだろう。
平行して、学生のメールの返事、そしてクラス用のCD-Rの作成。先週木曜日にブランクCDを渡してくれた学生には、次のクラスで渡せそうだ。
初めて山頭火を知ったのは、1967年、サンタバーバラにいたとき。母に頼んで仏教に関する本を10冊送ってもらったのだが、その中に紀野一義著『禅 -- 現代に生きるもの』(NHKブックス)が入っていた。その本に山頭火について書かれているところがあり、こんな禅僧がいたんだと、驚いた。その1,2年後、同じ著者の『遍歴放浪の世界』(NHKブックス)を読み、更に詳しく知った。ぼくが日本に帰ってから、四国、東北、そして九州へ、野宿とヒッチハイクの旅をしたのは山頭火に憧れていたからである。旅から帰るたびに、山頭火にはなれないと思い知らされはしたが。今思えば、真似事のような旅ではあったが、かけがえのない貴重な日々であった。
草の中に寝てゐたのか波の音
Oh I slept
Buried in the grass
The sound of waves!
~ Santoka
Sunday, April 28, 2013
一昨日の朝から調子が悪くなり、今日も一日畑仕事はできず。昨日から家人が同じ症状。鼻水が出て、喉が少し痛く、身体がだるい。それに微熱。先週の強行軍、特に野外でのコンサートの寒さがいけなかったようだ。
昨夜のうちにジムから未訳16句の彼の再校が送られてきた。今日は、一日、それをひとつづつ、山頭火全集を参照しながら、ああでもないこうでもないと、ひねくり回す。そういう作業は決していやではない。いやではないというより、けっこう楽しい。いいリズムと簡潔な訳語が見つかったときは、それはもう至福のときと言っていい。
ぼくのfacebook friends には、ぼくとジムが訳した Fire on the Mountain: The Selected Haiku of a Wandering Zen Monk を読んで、世界中から friend request を送ってくれた人たちがいる。そして彼らは日常的に英語の俳句を書いて自分で撮った写真とともに facebook に投稿している。今、どっちにしていいか迷っている訳のいくつかを彼らに送って、選んでもらうのも面白いかも。
1973年の秋から74年の春にかけて、京大西部講堂裏の6畳一間の下宿で、ジムと寒さに震えながら、カードに一句ずつ手書きで訳を書いていった頃とは、時代は大きく変わった。通信手段においては、ジョブズが予言したようにまさに「革命」が起こった。カンボジア在住のジムと現在はメールで簡単にやり取りできる。山頭火や彼が生きた時代について調べるにも、単語や同義語を探すにも、すべてonline でできてしまう。
原稿締め切りは5月2日。できたらその前に送れるといいのだが。まだ体調が万全でない。早く寝ることに。
Saturday, April 27, 2013
山口さんちのお蕎麦をいただくオープンマイク。大賑わい。休憩時間、山口さんが、自ら栽培、収穫、製粉、蕎麦打ちし、料理してくださったお蕎麦をいただく。都会で生まれ育った山口さんが、短期間でこれらのことができるようになったのはインターネットのおかげとか。蕎麦つゆも自家製とのこと。とても美味しく、大好評だった。
前半の出演は山口恵三、佐藤光徳、小林孝一、原田和恵、 Sweat Cold、Derek Hurst、中村美代子、中島由美子、長島功、三浦久の順。中村さんと中島さんは、3月30日のオープンマイクに集った方々が「自閉症啓発デイ・ライトアップ計画」に賛同し寄付をしたことに対し、律儀にも、お礼と報告にきてくれたのである。4月2日の夜、高島城の天守閣が見事にライトアップされたようである。
Larger and more photos on Oread facebook page.
後半は、Derek、山口、佐藤、小林、原田、Sweat Cold、藤森玉穂 with friends 、長島、赤羽真理、坂井俊水の順。そしてフィナーレは、恒例の「日のあたる道」の大セッション。
今日はGolden Week の初日。多くのみなさんが、遠くは山梨から、参加してくださった。感謝。
来週土曜日は「田中創ソロコンサート」のため、オープンマイクはありません。素晴らしいコンサートになることが予想されます。コンサートはライブ録音されます。
Friday, April 26, 2013
朝から鼻水が出て目がかゆい。いつものことなので、すぐになおるだろうと思っていたが、朝食後もなおらない。しかし熱はない。ガレージの裏のかぼちゃ畑の整理をすることに。猿対策のための金網と網を取り除く。秋にやっておくべきだった。
今日は一日変な天候。晴れていたと思ったら、急に雨が降り出したり、また照ったり。全国各地でヒョウが降ったとニュースが言っていた。ここはヒョウは降らなかったが、気温は低く、風は冷たかった。
午後、東の花壇に咲いたチューリップの写真を撮る。一昨年の春先、イノシシに花壇を掘り返され、球根を食べられてしまった。「イノシシが球根を食べると、細かく砕かれて、逆にたくさん咲く」と村の人に言われたが、昨年は少ししか咲かなかった。しかし、今年は、去年よりはたくさん咲いた。ひょっとしたら来年はもっと咲くかも。
オーリアッド。開店直後にお客さん。初めての人。東京から農業をしに、4月初めに諏訪の上野地区に引っ越してきたとか。話しているうちに、ギターを弾き、オリジナル曲もあるというので、何曲か歌ってもらうことに。歌もギターもとても上手い。土曜日にはオープンマイクがあると伝えておいた。
そのあと、2週間前デレクときたイギリス人のアントニーがコーヒーを飲みにきてくれた。車を買ったようだ。イギリスも日本も同じ側を運転するので、狭い路地は怖いが、あとは問題ないとのこと。ストーンヘンジの近くの町の出身で、大学での専攻は music production だったという。音楽プロデューサーの仕事。ビートルズのプロデューサーだった George Martin のような。サウンドエンジニアリングも学んだとのこと。道理で、26歳にしては、ビーチボーイズのPet Sound とか、ビートルズの Sgt. Peppers とか、60年代の音楽に詳しいわけだ。
彼と話しているところへ団体のお客さん。てんてこ舞い。
11時過ぎ、家に戻る。メールをチェックすると、ジムから16の俳句の彼の訳が送られてきていた。さっと目を通しただけで、寝ることに。もう少しリズムをよくしたいが、まだ鼻はむずむずしている。集中できない。鼻風邪を引いてしまったかもしれない。明日検討することに。
Thursday, April 25, 2013
午後2コマのクラス。4講時のクラスで4人の学生がブランクCDをもってきた。しまった。このクラスに言うのを忘れていた。今学期歌う歌とジョブズのスピーチを入れたCD-R は、連休明けまで用意できないと。
家に戻り、メールをチェックするとジム・グリーンから返事があった。昨夜、山頭火の俳句16句を共訳する時間があるかという内容のメールを打っておいたのである。「喜んで協力したい」と書かれていた。
オーリアッドへ行く前に、早速その16句のラフの訳をし、それぞれの句の背景をぼくのできる範囲で書いてジムに送る。オーリアッドへ入ったのは、9時少し前。田中先生と垣内さんが話をしていた。「感性を磨くにはどうしたらいいか」というような難しい話。
遅くに、赤羽(真)さん。ちょうど田中先生がピアノを弾いていたとき。初めて田中先生のピアノを聞く赤羽さん、「凄いですね」。
家に戻り、山頭火の訳の続き。
やっと郵便が来てそれから熟柿のおちるだけ
とりあえずジムに送るために訳したものを見ていたら、「熟柿のおちるだけ」を文字通り訳しただけ。「郵便」と「熟柿」が無関係に並列されている。しかも「おちるだけ」の「だけ」が訳し切れていない。いろいろ調べていたら、「熟柿の落ちるのを待つ」には「好機を待ち望む」という意味があり、英語では bide one's time だとあった。なるほど。秋になり、彼には2つの待ち望むことがあった。友からの手紙と柿が熟すこと。歯の悪かった山頭火にとっては、豆腐同様、熟柿は大好物だっただろう。
つまり、待ち望んでいた手紙が届いたので、あとは柿の実が熟すのを待つだけ、という気持ちか。
ジョン・レノンが書いたNorwegian Wood に bide one's time が使われている。
I sat on a rug, biding my time, drinking her wine
We talked until two and then she said, "It's time for bed"
京都、穂高、松本と今週は忙しかった。少々疲れている。早目に寝ることに。
Wednesday, April 24, 2013
お昼を挟んで2コマのクラス。ジョージ・オウサワの外国語学習方法について昔書いた文を読む。彼は外国語を勉強するときは、発音だけは先生について 20時間から30時間正式に教わる必要があるが、あとは自学自習しかない、と言う。現在は、DVDやインターネットがあるので、発音も自学自習できる。しかし、教えてもらえば多くの時間が節約できる。
今日の歌は Little Child。昨年はこの歌は歌わなかったが、破擦音の練習のためには欠かせない。破擦音の説明のあと、Steve Jobs のスピーチの最初の話 (connecting the dots)を映像で見せ、冒頭の部分を音読。そして、出てくる意味のあるグループごとに理解して行く方法、つまりスラッシュ・リーディング(スラッシュは実際に入れても入れなくてもいいが)を説明。当然、英語を聞くときも、スラッシュ・ヒアリングでなければ間に合わない。
オーリアッド。今夜は歌声喫茶。参加した人は、歌声喫茶が昨年12月にオーリアッドで再開されてから一番多いような。
家に戻り、メールをチェック。山頭火の英訳を使いたいとのメール。それに未訳の句の翻訳の依頼も。早速いくつか訳し始める。
Tuesday, April 23, 2013
今朝、区の神社総代長に連れられて、宮司さんのお宅を訪問した。300年以上も前に建てられた家とのことだが、余分な装飾品のない簡素な美に感銘を受けた。すべての部屋が禅寺のよう。簡にして素、調和と美にあふれている。宮司さんの身のこなし方も美しく、幼いころから礼儀作法をしっかかり教えられてきたに違いない。付け焼刃ではこうはいかない。
facebookで大きな写真を見ることができます。https://www.facebook.com/hisashi.miura1
終日、明日のクラスの準備。学生からの email に短い返信を書く。大変な作業ではあるが、学生とコミュニケーションをとる上で、大いに役立っている。
Monday, April 22, 2013
「碌山」を歌わなかった碌山忌記念コンサート
ぼくが初めて碌山忌記念コンサートで歌わせていただいたのは、2002年の4月の碌山忌。そのころはまだ4月22日の命日ではなく、命日に近い日曜日に行われていた。「碌山」という歌を書いたのは、その2年前のこと。2000年8月18日、碌山美術館の本館の入り口をステージにした「三浦久 戸張弧雁のこころをうたう」というタイトルのコンサートで歌わせていただいたが、そのころは碌山についてほとんど何も知らず、戸張弧雁(とばり・こがん)という人の名前は聞いたことさえなかった。
コンサートに向けて、彼らについて知ろうと、荻原守衛著『彫刻真髄』(碌山美術館)、仁科惇著『碌山と信州の美術』(郷土出版社)、『愛と美に生きる』(碌山美術館)、相馬黒光著『黙移』(平凡社)を読んだ。『彫刻真髄』は荻原守衛著となっているが、親友の戸張弧雁が守衛(碌山の本名)の書いたものや、守衛について書かれたものを集めて編集した部厚い本。
感動した。ここに桁外れの男がいた。数日かかって、完成したのはコンサートの前日。その日たまたま訪ねてくれた友人夫妻にできたばかりの歌を聞いてもらった。奥さんが涙を流して聞いてくれたのを覚えている。
コンサートでこの歌を歌ったときも、美術館の多くの方々から喜んでいただいた。その後、各地でこの歌を歌ったが、この歌を聞いて碌山美術館を訪ねた人が何人もいることを知っている。北海道や九州からも。
その後、2001年を除いて、毎年碌山忌にはこの歌を歌わせてもらってきた。今年も歌うつもりだった。西山紀子さんのオルガン演奏のあと、ぼくの出番に。「今西山さんが弾いたオルガンはかつて梓川村の倭(やまと)小学校にあったもので、中谷勲さんが使っていたピアノでした」と紹介し、「中谷勲」を歌う。次に歌ったのは、昨日、福島慶道老師の法事で東福寺に行ったので、そんな話をしながら、老師の師であった柴山全慶老師が書いた詩に曲をつけた「花語らず」。短くするために、繰り返しは省略。
そのときまでに、寒くて、手がかじかんできた。コンサートが始まった1時半には太陽も出ていたが、ぼくが歌い始めた3時には、客席は第一展示棟の陰になって陽が当たらない。風が強くなり、刺すように冷たい。聞いているみなさんも辛そうである。急遽、10分もする「碌山」の代わりに、「ここがぼくのふるさと(aka 「薫子」を歌うことに。「碌山」を聞きたかったという人もいたが、これでよかったと思う。
*最後の写真は垣内彰氏提供
今まで「碌山を偲ぶ会」に出たことはなかったが、今日は勧められるままに参加することに。学芸員の方の研究発表のあと、6時からグズベリーハウスで偲ぶ会。初めての参加だったが、2000年のコンサートのとき、館長だった柳沢先生、友の会会長だった榊原さん、碌山研究の第一人者の仁科先生、現友の会会長の腰原さんをはじめ、碌山に魅かれて集うみなさんにお会いできてよかった。
たくさんのご馳走が出て、お腹いっぱい。胴回りがまた3cm増え、元にもどってしまったかも。高速を飛ばして家に帰る。忙かったが、充実した一日。今日も、日日是好日。
Sunday, April 21, 2013
苦労したかいがあり、礼服のズボンのボタンもホックもとめることができ、福島慶道老師三回忌(大祥忌)の法要に無事いってきた。と、言いたいところだが、朝から晩まで、波乱万丈の一日。
先ず、起きたら、一面の雪景色。おそるおそるノーマルタイヤで坂道を下りて旧道から国道へ。宮木の信号の手前、獣医さんの駐車場に一台のパトカー。その反対側に前面が大破した乗用車。スリップしたに違いない。すべらないように、ゆっくりバス停へ。
高速道路は雪の影響もなくバスは順調に京都へ。梶山先生の『菩薩ということ』(人文書院)を三分の二ほど読見返したころで深草着。藤の森で京阪に乗り、東福寺駅へ。
法要も葬儀と同じ本堂(仏殿)で行われると思い込んでいたが、本堂へ行ってもその気配がない。聞いてみると、僧堂の近くの普門院で行われるとのこと。通天橋を通って普門院へ。おかげで、新緑の美しい紅葉を見ることができた。葬儀とは異なり、法要はこじんまりとして、招待された参列者は100名ほど。読経も東福僧堂の老師と雲水たちだけで行われた。福島老師がお元気だったころ何度も訪れた普門院。再訪できてよかった。
法要が始まる前、半年ほどの間、雲水のみなさんと一緒に生活させていただいた僧堂をのぞいてみた。何もわからず坐って、「趙州の無字」と格闘していた頃のことが蘇ってきた。一瞬、脚の痛みに絶え、合掌低頭して、老師の警策を受けているぼく自身が姿が見えた。何とかけがえのない時間だったことか。
法要が終わって立ち上がると、後ろから「三浦さん!」と声をかけられた。振り向くと、老師の晩年、老師のお世話をしてくださった日赤の言語療法士の方、ぼくのCDを何枚か購入して、老師と一緒に聞いてくださったと聞いたことがある。彼女が The Calligraphy of Fukushima Keido Roshi というアメリカで出版された本をいただいて持っているが、宝の持ち腐れだからぼくにもっていてほしいと言う。
そんな貴重なものを、と辞退したが、結局いただくことに。京都日赤病院は東福寺のすぐ近くにある。彼女がその本を病院まで取りにいっている間、ぼくは近くのお寿司屋さんで待つことに。本をもって戻ってきた彼女と一緒にお昼をいただき、家人の好きな鯖寿司を一本おみやげに。ずっしりと重い包みだ。
そのあと、JR奈良線で京都駅へ。地下街の書店で本を数冊を買い、おみやげのお菓子を買い、阪急ホテルの前のバス停へ。4時にバスが出るまでに15分ほどある。ホテルに入り、バス停の見えるレストランでコーヒーを飲む。4つの紙袋をぎゅうぎゅうに詰めてひとつにまとめたあと、引き出物の袋に入っていた『趙州録提唱』(春秋社)を読み始めた。老師の弟子たちがテープをおこして、先月出版された本。面白い。話し言葉がそのまま生かされている。まるで老師が目の前で話しているのを聞いているような錯覚に襲われる。
ふと目を上げると、バスが止っている。時計を見ると4時少し過ぎ。あわててひとつにまとめた紙袋をもってレジへ。コーヒー代は600円。千円札を出して、おつりはいりませんと、外に飛び出る。かろうじて間に合い、最後尾の席にすわる。バスが高速に入り、しばらくして気がついた。ショルダーバッグがない。ホテルのレストランに置いてきてしまった。あわてて家人に電話。
何度かけても出ない。そのうちバッテリーがなくなった。バスが多賀のSAで止ったとき、公衆電話から電話をする。今度は出た。ホテルのバス停の見えるレストランに電話をしてバッグがあるか確かめてもらうよう頼む。次の休憩ストップで電話すると、阪急ホテルの近くのレストランに電話したがなかったという。ホテルの中のレストランだと念を押し、バスに乗る。
辰野が近づいてきた。下りるときにチケットを渡さなければいけない。必死にあちこち探したが、ない。仕方なしにバスが止ってから運転手さんに、その旨告げると、「最初から渡してありません」。うむ。
重い紙袋をもってバス停から駐車場へ。明日の碌山美術館でのコンサートのためにギターや譜面台を取りにオーリアッドに寄り、家に電話すると、バッグがあったとのこと。よかった。
家について紙袋を家人に渡す。紙袋の中身をひとつづつ取り出しながら彼女が「鯖寿司がない」と一言。電話で鯖寿司をおみやげに買ったと伝えておいたのである。彼女がそう言わなければ、鯖寿司は永遠に失われていた。
紙袋の中をもう一度探したがない。しかし、底の片端に小さな穴があいていた。詰め替えたとき縦に入れたので、重さで底が破れたのだ。車の中を探したがない。懐中電灯をもってバス停の駐車場へ。駐車場の入り口から車を止めておいたところまでキョロキョロ見回しながら歩く。ない。県道を横切り、バス停へ行く坂を上ったが、ない。疎水の橋を渡り、しばらく行くと、前方左側、暗闇の中、細長い黒いものが横たわっていた。あった、あった。見つけるためには、失う必要がある?
家にもどり、大笑いしながら、お茶を飲み、鯖寿司をいただく。こんな美味しい鯖寿司は食べたことがない。
いろいろあったが、今日は老師の法要に参加してよかった。日日是好日。にちにちこれこうにち。Everyday is a good day!
Saturday, April 20, 2013
楽しいオープンマイクだった。
デレク・ハーストが同じ町に住む保育園で教えているというテキサス出身のエリザベス・ストックホーストさんとやってきた。名取夫妻も久しぶりに千葉から。白内障の手術を終えたばかりの丸山俊治さんも。
先ずデレクが「100 Years」というカバー曲を歌い、次に、一昨年まで住んでいた信濃町を去るときに書いた歌を歌う。3曲目、坂井俊水さんのギターで 「Let it Be」。
坂井さん、1曲目「Let It Be」を自ら歌う。そして 「No Woman No Cry」と新曲「ぼくらの夢」。この2曲はぼくの好きな歌。名取友紀子さん、「Fallin in Love」と「愛の讃歌」をピアノで。丸山さん「マザーロードの旅」と、2曲目は意表をついて「祈りの歌」。ぼくがここで、「ミン・オン・トゥイーのバラード」を久々に。この歌をラジオで聞いて仕事を変えたというデリヘルドライバーの話を歌う前に。
原田和恵さん、長野市のボーカルレッスンから急いで戻ってきて、「God Bless You」と、今日が誕生日とのことで「よっちゃんのハッピーバースデイ」を、な、なんとギターを弾いて歌う。名取、坂井、丸山三氏のサポート。長島功さん、「いのちの理由」と「心の秘密基地」。ここで休憩。
名取(友)さんの差し入れのチョコレートと原田さん提供のお菓子をいただく。名取さんの誕生日も数日前だったとのこと。Happy Birthday to you both。
後半トップは、エリザベスさん。自己紹介をし、子供の歌を1曲。デレクが、「次の歌は日本語でいえば以心伝心というような意味の歌です」といい、「Hear Always Knows for Sure」を歌う。丸山さん、「70歳になったのだ」。新たな挿入句もあり、聞かせる。
次に原田和男さんの短いスピーチがあり、続いて奥さんの弘子さんが、先日亡くなった友人のキヨさんの思い出を語る。和恵さん、名取(友)さんと「人生の扉」。続いて名取芳夫さん、先日京都の教会へ移られた長谷川牧師夫妻に、お会いした話。カウンセリングの研修会が京都で行われたとのこと。友紀子さん、「太陽がいっぱい」の演奏。この曲はいつ聞いてもいい。長島さん、「ブリキの魔法」。最後に丸山さん、和恵さんと「雪のかくれんぼ」をデュエット。名曲である。
Friday, April 19, 2013
「隣の潔」さんの奥さんから昨日松本へ行く前、ネギの苗が欲しければ取りにきてとの電話。早速今朝もらいに行く。300本ほど勝手に苗床からもらってきた。2本の溝を作り、そのうちの1本に植えた。もう1本は疲れたので、明日ということに。
見回すと、チューリップがようやく咲き始めた。ライラックは小さな蕾がいっぱいついている。もう少ししたら、いい匂いのする小さな白い花がいっぱい咲く。
午後、家人のラボ・チューター時代の飯田市に住む先輩から電話があった。先日の「思い出会」の会場「砂払温泉」を紹介してくださった方。家人は生憎留守ですと伝えると、ぼくに用事だという。飯田の大きな病院で定期的に行われるロビーコンサートへのお誘いだった。詳細は未定だが、7月13日(土)の午後になりそう。ありがたいことである。
午後遅く、ジョギングへ。風が刺すように冷たい。今日は、旧道へ下り、北へ向かって走り、森林生産組合長宅へ。そこから、神社の石段を上り、上峠の鉄塔のところまで行き、引き返すというコース。下峠から山の神様までの七曲の道は険しいが、神社から鉄塔までは、ほぼ直線の、なだらかな上り坂。鉄塔に着き、折り返す。家に戻るころまでには、身体はポカポカ、かなりの汗。
オーリアッド。夜になったら更に寒くなった。真冬のよう。ふたつの灯油ストーブに火をつける。珍しいお客さん。昔、SBC(信越放送)松本局で「三浦久のダウンホームミュージック」という番組を持たせてもらったとき、毎週のようにリクエストはがきを書いてくれた人。ペンネーム、野溝の武蔵さん。熱狂的なディランファン。ボブ・ディランに関してはぼくよりも詳しい。しばし『ボブ・ディラン読本』など、ディラン関連の話で盛り上がる。
遅くなって、歌の練習。月曜日の「碌山忌記念コンサート」に向けて久々に「碌山」を歌ってみる。それに「種の歌」も。
今日、藤森敬一さんのHPがアップされ、ぼくが書かせてもらった文も載っていた。藤森さんの歌の魅力を十分に伝えることができただろうか。
Thursday, April 18, 2013
朝食後、藤森敬一さんのCD『森に抱かれて』の推薦文を読み返し、若干修正して送る。その後、家の周りを5,6週走る。今日は松本から帰ったあと走る時間がない。
午後2コマのクラス。昨日と同じ歌を歌い、シュリーマンの英語勉強方法についての話。そして、まだ正式な名簿が届いていないので、出席チェックをかねてディクテーション。ざっと見ただけだが、よくできている。2つのクラスの教科書は異なるが、どんな教科書か説明しただけで、内容には入れず。来週から本格的な授業。
しばらく控え室で休んでから、家に戻る。8時近く、オーリアッドへ。家人と交代。パンを買いにきてくださったお客さんが一人。「静かな夜ですね」。
うれしいことに、ジョギングと腹筋運動と節食、それに農作業の効果が徐々に出てきたよう。礼服のズボンのホックが無理すればかけられるようになった。日曜日までにはもっと楽にかけられるようになっているはず、I hope。
Wednesday, April 17, 2013
昼を挟んで、2コマのクラス。今日は教科書は最後に少し触れただけで、シュリーマンの外国語学習法についてかつて書いたエッセイを読み、英語のリズムと発音について、特に閉鎖音と鼻音について説明。それを踏まえて、先週の1st verse だけの4曲を歌い、All My Loving。そしてディクテーション。Steve Jobs にはまだ入れない。
帰路、久しぶりに「アルプス市場」へ。頼まれたブロッコリー、キャベツの苗と、その横に並んでいたスティックセニョリータという初めて見る苗も買う。これは茎ブロッコリーとも呼ばれ、アスパラのように茎も食べられるとか。鶏糞と有機肥料も購入。そのあと、国道19号線に出て、家電店でインクを購入。しばらく格安インクを使ってきたがトラブル続きで、前回から純正品を使うことにした。高いが仕方ない。
家に戻り、裏山へ行こうと思ったが、あまり時間がない。夕食前、家の周りを10週ほどジョギング。そのあとオーリアッドへ。
ここ数日、藤森敬一さんの new album 『森に抱かれて』の推薦文を書こうと四苦八苦。彼の歌の上手さ、声のよさは折り紙つき。でも声がよくて歌が上手いシンガーは世の中にはたくさんいる。どうしたら彼の歌の魅力を伝えることができるか。ようやく何とか切り口が見えてきたような。
できたら今夜中に送りたいと思っていたが、もう少し推敲し、明朝送ることに。
Tuesday, April 16, 2013
今日も裏山へ。写真を撮っているとき以外は超スローのジョギング。
上左は山の神様のふたつの祠。中は下峠から上峠へ向かう道。右は上峠から下る道。その道を下っていたら、軽トラが上ってきた。村の若者だった。神社の社務所の屋根を修理しペンキを塗ったとのこと。昨日、社務所の屋根が赤く塗られているのに気づいた。村の山裾を歩いていたら、働いている人がいた。近づいて何をしているか聞くと、ブロッコリーの苗を植えるところに、殺菌剤をまいているとのこと。
家人が午後、ラボの英語教室の「思い出会」から戻ってきた。飯田の温泉のある民宿が会場だったとのことで、飯田のお菓子をたくさんお土産に。飯田のお菓子は美味しいものが多い。誘惑に負けてちょっと食べ過ぎた。それでも確実に体重は減っている。
明日は松本へ。
Monday, April 15, 2013
先日教会の葬儀に参列したとき、礼服のズボンのホックが止められなかった。かろうじてベルトで締めて、事なきをえたが、しまりが悪いことこの上ない。今度の日曜日、京都東福寺での福島慶道老師三回忌の法事に参列することになっている。新しい礼服を、少なくもズボンだけでも、買いに行こうか迷ったが、いや待てよ、ズボンが太くなったら、それにあわせて胴回りが太くなるに決まっている。ここは一念発起、日曜日までに胴回りを3センチ減らすことに。
というわけで、午後、裏山へ走りに行く。もう20年近くも前になる。毎朝裏山を駆け上った。足首を捻挫するまで1年半ほど続いた。その頃70キロ代後半だった体重は今や80キロ代後半。今日は、駆け上るというよりは、よたよた這い上がるという感じ。それでも七曲りの山道を下峠(しもとうげ)の「山の神」まで、立ち止まることなく、超スローのジョギングで登る。そこから更に、上峠(かみとうげ)までゆるやかな上り道を、よたよた進む。よたよたではあっても歩きはしなかった。上峠からは下り坂。ここまでくればしめたもの。
NHKのBS2に、自転車で各地を巡る番組がある。その主役の火野正平がときどき「人生下り坂最高!」という名言を吐く。確かに、下り坂最高! しばらく軽快に下っていると、右手前方に、ふきのとうの群生が目に入ってきた。ふきのとうはもう食べあきたと思っていたが、貧乏性である、気がついたときは、立ち止まって摘んでいた。ずぼんの両方のポケットがいっぱい。
ポケットのふくらみを気にしながら、走り始める。しばらく進むと、左の土手から数匹の猿が、キャッキャと声を上げながら、山のほうへ逃げて行く。ここでまた立ち止まる。彼らが見えなくなってから走り始めたが、神社の見えるあたりでまた立ち止まる。猿の大群が、おそらく20数頭が、奇声を発しながら、いっせいに山へ駆け上って行く。襲われては困ると、咄嗟に大声で歌い始める。Hey, Mr. Tabourinman, play a song for me・・・。...
残念ながらカメラをもっていなかった。カメラがあったら、いい写真が撮れたのに。
家に着くと、柿の木の下に水仙が咲いていた。なかなか咲かない東側の花壇の水仙ばかり気にしていたが、忘れていた西側の水仙が咲いていた。カメラをとりに行き、家の周りの花を撮る。
上段の左と中は木蓮。右はレンギョウ。2列目左はこの時期に咲くツツジ「春一番」。中は裏の梅の花、右が柿の木の下の水仙。3列目左は木瓜の花。中と右はヒヤシンス。下段は、ぼくが写真を撮るのを見にきた好奇心旺盛なフィービー。コンポストに跳びのって、高みの見物。最後のは去年のカボチャ畑の網にひっかかって困っているフィービー。
そのあと風呂に入り、血圧を計って驚いた。上114、下68。完璧な数字である。胴回り3センチ減らすためにも、血圧コントロールのためにも、裏山ジョギングは続けなければ。
Sunday, April 14, 2013
10時過ぎ、伊那の文化会館へ「星野富広-- 花の詩画展」を見に行く。風の強い日で、家人の軽自動車が吹き飛ばされそう。駐車場に車を止め、会場へ歩き始めたとたん、くしゃみが出て、洟が止まらなくなった。空中を舞っている埃や花粉にやられたらしい。ハンカチを鼻に当てて、作品を見るはめに。
星野富広さんの詩画集は家にも確か2,3冊あるはず。でもそれらを見たのはもうずっと前のこと。今日、たくさんの原画を目の当たりにし、大きな刺激、激励を受けた。
「ヒヤシャンセが咲いたど」
父はヒヤシンスの花を
そう呼んで
自分だけの
ユーモアに
ひとりで笑った
・・・あの時一緒に 笑ってあげればよかった・・・
父のいない庭で
小さな声で言ってみる
「ヒヤシャンセが咲いたど」
この詩が印象に残ったのは、今わが家の庭にヒヤシンスが咲いているからか。
帰路、国道を避け、春日街道から山沿いの道を通って、家に戻る。途中、「あじーな」でジャガイモの種芋を購入。「男爵」「キタアカリ」など4種類を1キロずつ。
辰野に入り、北大出(きたおいで)、羽場を過ぎ、神戸(ごうど)に入ると、道路と西天竜(疎水)の間の土手に、たくさんの水仙。
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一昨日、3つの畑を大型耕運機で耕してもらった。その内のひとつに、昨日の朝、ジャガイモ用の3本の畝をつくるために溝を掘ろうと、外に出たとたん、大きなネズミが庭に横たわっていた。びっくりして悲鳴を上げる。フィービーの仕業だ。フィービーはどこにいるかと見渡すと、悠然とサンデッキに横たわっている。ぼくが驚いたのを素知らぬ顔で楽しんでいるかのよう。
ネズミをスコップに乗せ、山裾に運び、埋めて戻ってくると、フィービーが必死にネズミを探している。さっきは余裕綽々だったのに。さあああてこれから耕運機で畝を作ろうと、農道を隔てた畑に行くと、しばらくしてフィービーがやってきた。その途端、バタバタという羽音が聞こえた。見上げると、鷲か鳶か、大きな鳥が舞い上がるところだった。去年の秋、ソフィーが突如いなくなった。鷲にさらわれたのではないかと言う人がいた。そのときは、それはないだろうと思ったが、その可能性も否定できないかも。
右下の写真はようやく開き始めた白木蓮の花。早く開いた花は、一昨日、昨日の寒さにやられて茶色に変色している。急ぎすぎてもいけないようだ。
Saturday, April 13, 2013
6時、オーリアッドに着いたとき、すでに駐車場には車が一台止まっていた。ドアの前に立っていたのは藤森玉穂さんと友だち。昨年秋以来。本当に久しぶり。冬の運転が苦手とか。
そのあと、デレク・ハースト。彼に続いて入ってきたのは彼の4人の友だち。ジェイムズ、アントニー、そしてダニエルの近隣の小学校や中学校で英語を教えているALTの先生たち。そしてジェームズの友だちの東京の大学生、冨水君。
7時、オープンマイク、スタート。デレク・ハースト、「 Hope」「Tokyo」「Hurt without Bandadge」のオリジナル3曲。オーリアッドの雰囲気に慣れたのか、前回よりもリラックスしている感じ。原田和恵さん、一曲目の賛美歌を歌い始めた瞬間から、その声の変化に驚かされる。もともときれいな声をしているが、今夜はいつにも増して声に艶と軽やかさがある。田中先生のアドバイスの効果か。つづいて「この広い野原いっぱい」「ゴッド・ブレッス・ユー」。原田さんのあと、隣町の中学で教えているアントニーの短いスピーチ。写真を撮るのを忘れた。(Sorry about that.)
金子昭二さん、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」の訳詩を読み、当時の黒人差別の酷い現実に言及する。さらに春の選抜野球大会の開会式で北海道の女子高生が「君が代」を見事に歌った話。そして、後半太鼓を叩きながらアカペラで歌う「ラ・マルセイエーズ」が、いかに革命歌として作られ、それがやがてえフランス国家になっていったかを語る。
金子さんの話を聞いた大学4年で就活中だという冨永君、ステージに上り、「君が代」をファンキーな声で歌う。ちょっと意表をつかれた感じ。冨永君の真意はどこに。
久々登場、堀越哲朗さん。前半はギターで「七行」「弱くなる」など、ナナオサカキの詩に曲をつけた歌。「弱くなる」は身につまされた。老いて弱くなる足腰、しかし一番弱くなるものは何か。ここで、今日は歌わないといっていた藤森さんに無理にお願いし、「マシュケナダ」のセッション。ジェイムズやダニエルも参加。盛り上がる。
坂井俊水さん、最初の歌はおそらくカバーだと思われる英語の歌。2曲目は新曲「ぼくらの夢」。最近のラブソングにはない、明るさが、希望が、感じられる歌。唐沢千夏さん、最近の異常な強風について書いた新曲「風」と「あなたの望みは何ですか」。久々に聞かせてもらったが、声に明るさが加わり、曲もあまり長くなく、よかった。長い歌の多いぼくが言えた義理ではないが。
垣内彰さん、高遠の桜の撮影裏話と、写真の魅力と難しさについて。ここでデレクに1曲歌ってもらう。彼が最初に歌ったときは、一緒に来た友だちと藤森さんたちしかいなかったので。タイトルは「The Day」。Carpe Diem (その日をつかめ)というラテン語の言葉が下敷きになっている。この言葉は映画『いまを生きる』のもとにもなっている。最後にぼくと原田さんで「祈りの歌」を歌って前半終了。
休憩の間に、武居先生差し入れの大福餅と原田さん差し入れのお菓子をいただく。それに、ぼくが午後、山裾でとったふきのとうのてんぷらも。ALTの先生たち、「初めて食べたが、美味しかった」。少なくともこの季節特有の「ふきのとう」を味わったことは、話の種にはなるだろう。
後半、トップは伊藤まゆみさん。短いスピーチをお願いする。田中君のコンサートに関する情報を得ようとオーリアッドのHPを覗いたらオープンマイクがあると知りやってきたとのこと。娘さんは東京で inaho というステージネームで歌っているとのこと。HPがあるというので検索したら出てきた。http://ameblo.jp/inaho07-1111/
赤羽真理さん、「闇の中に独り」「千両梨の実」。後者の最後に聖書の句が入る。ときどきこの句が変わるが、今夜は昨日の葬儀で藤森牧師が取り上げたコリント人への第2の手紙 5章17節。堀越さん、後半はエスラジの演奏。その音色の美しさにみな聞きほれる。特に初めて聞くアメリカ人の先生たちは身を乗り出している。インド音楽の旋律が響いていたと思ったら、突然聞きなれた旋律に。「早春賦」、そして「さとうきび畑」。堀越さんは、演奏する前、岡谷の笠原書店を中心に5月1日から6日まで展開される「古本市」の案内。詳しくは次のFacebook page で。https://www.facebook.com/okayafuruhon
唐沢さん、意表をついてこれまた「君が代」。冨永君へのアンサー? 2曲目は、彼女が歌を歌うきっかけとなったという広島体験の歌。「広島にて」。以前聞いたときは、終わったと思ったら、また始まり、延々と続いたが、今夜は、比較的にコンパクトに。この歌のメロディは頭に住みついてなかなか離れない。
続いて再度デレクが登場。まず、高校のときに書いたというピアノ曲。これがまた素晴らしく美しい。彼のピアノ弾き語りでなく、ピアノの演奏を聞くのは初めてだと思うが、これからも是非聞かせてほしい。金子さん、小脇に抱えた太鼓を叩きながら「ラ・マルセイエーズ」を、フランス語とおぼしき言葉で歌う。一行だけ、日本語がはいる―進め、進め、わが祖国の自由を守れ!
原田さん、賛美歌と「今日の日はさようなら」。今夜の原田さんは絶好調。次にぼくが「即宗和尚」を歌って、最後に、赤羽さんと原田さんと一緒に、Amazing Grace を英語と日本語で。客席のみなさんにも一緒に。
みなさんのおかげで、いいオープンマイクになった。ジェイムズが帰り際にカウンターに近づいて言う、「いろんな人の歌が聞けて楽しかった。歌だけでなくスピーチもあり、いろんな意見があり、よかった。また来ます」。
5月4日(土)の「田中創コンサート」の予約者が今夜だけで4名。すでに10名は超えている。まだまだ増えそう。
Friday, April 12, 2013
今日は隣組の方の葬式が辰野教会であった。彼女はぼくが知る限り村の唯一クリスチャンだった。家人は前夜式に参列したが、今日は伊那へ行く用事があるとのことで、ぼくが参列することに。考えてみると、正式な教会での葬儀に参列したのは初めて。
3月末に着任されたばかりの藤森牧男牧師の司会進行で進められた。歌われた4曲の賛美歌のうち2曲は、故人が生前自分の葬儀で歌ってほしいと希望していたものとのことで、1曲は「いつくしみ深き」、もう1曲は赤羽真理さんがオープンマイクでよく歌う「人生の海の嵐に」だった。
友人代表として原田弘子さんが、故人を偲ぶ言葉を述べた。教会の庭の手入れをしながら故人と交わした言葉のいくつかを紹介されたが、教会がいかに故人にとって大きな慰めであったかが伝わってきた。
牧師さんの説教は、故人が生前好きだった聖書の言葉「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント人への第2の手紙 5章17節)に基づいたものであった。そして牧師さんは、故人が生前家族に「私が死んだら牧師さんに渡してほしい」と頼んでおいたという手紙(「彼女の信仰の証」)を読まれた。そこには、彼女が若くして二進も三進もいかない苦境に直面したとき、いかに信仰が彼女を「新しく造られた者」にしてくれたか書かれていた。
式がすべて終わったとき、故人の人となりがしみじみとした余韻となって心に残った。この葬儀に参列することによって、彼女のことが生前よりずっとよく理解できたように思う。これからも彼女の声や微笑を忘れることはないだろう。こんなに心のこもった葬儀に参列したことがあっただろうか。
式のあと、会食があり、家に帰る。教会のすぐ近くに、辰野の桜の名所、城前通りがある。車を福祉センターの駐車場に止めて、写真を撮ろうとすると、軽自動車が反対側の歩道寄りに止まっている。その後ろに何台もの車がよけて通ろうとしている。邪魔な車だと思っていたら、な、なんと家人の車。伊那からの帰り、彼女も桜を見ようと、荒神山経由でこの桜並木にきたとのこと。見事な桜だった。
家に戻ると、小山卓治さんから封書が届いていた。中を開けるとデビュー20周年を記念して作られたというCD『種』が入っていた。そしてカードには5月17日と6月22日を楽しみにしていると書かれていた。ぼくも、「不思議に満ちた幸運な連鎖反応」によってもたらされた小山さんとのコンサートを心待ちにしている。
夜、オーリアッド。そのCDをまず聞く。「種の歌」が断然いいが、次にぼくがいいと思ったのは「ユリエ」という歌。彼がロックシンガーだとうことがわかる歌もいくつか。
今夜はものすごく寒く、お客さんはこないかもしれないと思っていたら、初めての若者たちが4人入ってきた。そのうちの一人がタバコをくわえている。「ここは禁煙です」言うと、すぐ外に消しにいった。礼儀ただしい若者たち。そのあと長島君もやってきた。明日は息子のラグビーの遠征で長野市まで行くのでこれないかもしれないとのこと。
そうそう、今日の教会での葬儀、原田さんのお孫さんもきていた。おじいさんもおばあさんも、彼女を見るときは満面の笑顔。おじいさんの期待に応えて、おかあさんに抱かれたマリアちゃんの写真をアップ。おじいさん似かな。
Thursday, April 11, 2013
今朝の雪といい、今夜の寒さといい、驚くことばかり。真冬並み。一面の雪景色を見て、タイヤを替えないでいてよかったと思ったが、春の雪である。11時半、松本へ向かうときには、すっかり溶けていた。
午後2コマのクラス。今日はキャンパスも風が強く、寒かった。生協前広場は毎年この時期、ガイダンスの本をもった新入生でごったがえしている。さすがに今日は少ない。
帰路、今日は買い物をしないで帰ろうと、TSUTAYA のある「やまびこ道路」ではなく、山中まわりで山麓線へ。しかし、内田ファーマーズマーケットが目に入ってきた。久しぶりなので立ち寄ることに。いくつか珍しい野菜を買う。ウド、蕎麦の花、ニラなど。ひとつだけ残っていたタケシヤの焼きそばも。
オーリアッド。7時過ぎに入ったときには、すでにジブランの会の方々が3、4番テーブルに。
遅くに歌の練習。しかし歌いながら、うとうと。早目に切り上げることに。家に戻ると、温度は0℃。真冬の0℃よりずっと寒く感じる。
堀越さんから、今度の土曜日、オープンマイクに参加したいとのメール。それに5月4日の「田中創コンサート」の予約も。
Wednesday, April 10, 2013
新年度最初の授業。駐車場に車を止め、しばらく歩くと見事な桜。写真を撮ろうとカメラを構えたら、メモリー残量なし。SDカードを入れるのを忘れた。
最初のクラスがおわって、カバンに教材を入れようとしているところへ声をかけられた。顔を上げると、正統派ヒッピーが立っていた。髪は肩までのび、髭も伸び放題。まだいたんだ、こんな格好の学生が。かつての自分が目の前にいるかのよう。「7年生ですが、このクラスを取ってもいいですか」。断る理由もない。「もちろんいいよ。真面目にやるなら」。
例年最初の歌は All My Loving だが、今年は趣向を変えて、My Grandfather's Clock, My Bonnie, Red River Valley, There's a Hole in the Bottom of the Sea の最初の部分を歌い、英語のリズム、音の連続による音の変化、そして英語と日本語の構造の違いを簡単に説明する。 All My Loving は来週。
今年は学生たちが大きな声でリピートしたり、歌ったりすると思ったが、今考えてみたら、新しい Panasonic の補聴器のせいかもしれない。
帰路、TSURUYA に寄り、食材を購入。試しに全粒粉のスパゲッティも買い物カゴに。
山麓線に入る前、コンビニでオレンジジュースを買う。喉があまりに渇いていたので。アイスクリームのケースを覗いたらコーンポタージュのガリガリ君。昨年売り出したときは売れすぎて、手に入らなかった。車に乗り込み、早速、ほうばる。美味い。まさにポタージュの味。
オーリアッド。原田さん、坂井君、それにプルーン入りのパンを買いにきた田中先生。それぞれが演奏し、音楽談義。田中先生のピアノの演奏は、今まで聞いた中で一番熱が入っていた。
11時閉店、車で家に向かいながら、身体の調子がいいことに気づいた。最近続いていた頭痛もない。2コマ、時間にして3時間の授業は、身体にいいのかもしれない。脳が刺激を受け、運動にもなっている。
家に着き、温度計を見る。2℃。けっこう寒い。家に入ると、家人が言う、「明日は雪が降るようよ」。タイヤを替えなくてよかった。
Tuesday, April 9, 2013
終日、明日から始まる新学期のクラスのための準備。
夜10時、BS-TBSで、清水(国明)君が出演するという新番組「湯のまち放浪記」を見る。正直なところ、6月のほたる祭りライブに来てくれるので、最初の部分を見ておこう、というぐらいの気持ちだったのだが、だんだんと引き込まれ、最後まで見てしまった。
何といってもその映像の美しさに魅了された。青い海を背景にした、露天風呂の映像の美しさ。「つぶやき」を文字で入れることによって、清水君特有のおしゃべりを極力抑えたのもよかった。カメラマンの女性との混浴シーンもあるのかと思ったが、それはなかった。彼女は常にカメラをもって、写真を撮っている。スチルの写真と動画の組み合わせも面白い。BSならではの番組。
夜遅く、須坂のパン屋さんのブログを読み、いかにしてぼくのCDが小山卓治さんのところへ届けられたか知る。それはまさに、「祈りの歌」がぼくのところへ届けられたのと同じ「不思議に満ちた幸せな連鎖反応」だった。そのCDが、まさか去年のFM長野の番組でプレゼントした3枚のCDの一枚とは知らなかった。その番組にぼくが出演した経緯も、今思えば、「不思議に満ちた幸せな連鎖反応」。
http://blog.goo.ne.jp/panya117/e/e001975f49349c8b5d13e911f201bff3
あまりの異常な気候のせいか、どうも体調が思わしくない。LEDのぎらぎらする光も目にはよくないのかも。明日からまた忙しい生活が始まる。がんばないと。
Monday, April 8, 2013
午後、少々頭が痛く、疲れていたので、身体を動かしたほうがいいだろうと散歩に出かける。思いがけず長い散歩になった。いつものコースでなく、旧道から国道へ出て、橋のところから上辰野へ。線路をわたり、細い道を北へ。七蔵寺へ行く道と唐木沢へ行く道の分岐点。唐木沢へ行く道を選ぶ。平坦な気持ちよさそうな道。ところが、しばらく行くと、崖崩れがあり、木が何本も倒れていて行く手をふさいでいる。
引き返すことも考えたが、左の急斜面の土手づたいに、なんとか反対側へ。土手から道に這い上がると、そこに大きな岩。その岩陰に、カタクリの花。しばらく行くと、もう一箇所、木が倒れて道をふさいでいた。ここを過ぎると右手に水仙が群生していた。久しぶりに、土筆も見た。
もうここは唐木沢の村。しばらく行くと、おばあさんが一輪車を押している。不審人物と思われないかと心配しながら、会釈をして通り過ぎる。しばらく行くと高台の家から人が出てきた。いよいよ警戒されているかと思ったが、よく見ると、中学時代の同級生の松沢東三君。今から、4,5年前、彼が彫った仏像を見せてもらったことがある。彼の仕事場へ行き、最近の作品を見せてもらう。前よりも、かなり腕を上げている。NHKの木彫の番組を見て独力で始めたとのことだが、これはすごい。
家に着いて時計を見ると5時を過ぎていた。大正琴のレッスンから戻っていた家人が言う、「裏山に行ってるのかと思った」。3時前に家を出たので、2時間半ほど歩いたことになる。疲れはしたが、気分はいい。
夜、明後日から始まる今年度前期のクラスの準備。教科書以外に渡すプリントを何にするか迷っている。ここ数年、スティーブ・ジョブズのスピーチを使ってきた。最初のころは彼の名前すら知らない学生もいたが、最近は、彼は誰もが知る存在になり、スピーチの内容も、いろんなところで紹介されている。今更ながらという感がなきにしもあらず。しかし、このスピーチはこれから大学生活を始める学生にとって、大きな示唆に富んでいる。英語も比較的読みやすい。他に適当なものが見つからなければ、今年もこのスピーチを使うことになりそう。
Sunday, April 7, 2013
朝8時少し過ぎ、家人があわててぼくの部屋のドアを開けて言う。「忘れてた、8時からセギサライだった」。しまった!昨日まで覚えていたのに。雨合羽を着て、長靴をはいて、ジョレンをもって、旧道下の小川へ。川底はコンクリートで固められていて、昔ほど泥がたまらない。作業は簡単。10分もすると、川下から何人かの人たちがジョレンを担いで戻ってきた。田圃をもっている人たちは、このあと田圃の用水路の掃除をしに出かけたが、ぼくは川の堤防に生えているフキノトウをとって家に戻る。
午後、先日古い箪笥から出てきた川端玉章の3本の掛け軸の写真を撮り、無料で鑑定してくれるという古美術商へ送る。贋物とは思わないが、どの程度の価値があるか分かればありがたい。
各地で強風の被害が出たようだが、ぼくが住むこの山裾の村ではほとんど吹かなかった。雨もそれほど降らなかった。昨日、あわてて庭のテーブルや椅子、それに植木鉢などを片付けたが、徒労に終わってよかった。
雨も風もたいしたことはなかったが、冬のように寒い一日だった。夕方、フキノトウのテンプラを「隣の潔さん」の家へおすそ分けに持っていったのだが、風が刺すように冷たかった。まだ当分桜は咲きそうにない。
Saturday, April 6, 2013
6時開店直後、デレク・ハーストが入ってきた。デレクと初めて会ったのは2010年秋のこと。県の総合教育センターで行われた外国語指導助手(ALT)研修会で「英語の歌を使った授業」という話をさせてもらったとき。真ん前の席にわっていた男が、話が終わると、すくっと立ち上がって話しかけてきた。それがデレクだった。信濃町の中学のALTで、ピアノの弾き語りをしているとのことだった。
翌年1月の「キング牧師の日チャリティーコンサート」に信濃町から歌いに来てくれた。その翌年2011年1月のキング牧師の日にも、音楽活動がしやすいと、東京に移って教えていたにもかかわらず、駆けつけてくれた。昨年暮れ、「クリスマスのころ伊那に行くので、会いたい」とのメールが入ったが、年末ライブや何やら多忙で、会えなかった。その後彼はしばらくアメリカに戻っていたが、今年3月再び長野県にもどってきた。しかも、隣町の中学で教えるために。
トップバッターをデレクにお願いする。「Let It Be」「Tokyo」「Hope」の3曲。3曲目はギターで。1曲目を除いてはオリジナル。2曲目は東京の生活に疲れて書いた歌とのこと。コロラド州ボールダーやハワイの自然の中で育った彼には、信州のほうが住みやすりだろう。山口恵三さん、1曲目は、原田和恵さんと一緒に「スカーボロ・フェア」。次に「もう一歩」、そして 「All My Loving」。原田さん、意表をついて「川の流れのように」と「もうすぐ春ですね」。そしてピアノで「G線上のアリア」。最初の2曲は、日本の歌謡曲、ニューミュージックに疎いぼくでも知っている有名な曲。特に2曲目は好きな歌。原田さんのこの歌の弾き語りもとてもよかった。
ぼくが「即宗和尚」「菅野有恒」「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌う。1曲目を歌う前、増水した川で娘を渡してやった2人の雲水の話をすると、デレクは知っていた。この逸話は日本ではあまり知られていないが、禅に興味のある世界中の人々に知られているようだ。坂井俊水さん、先ず「Georgia on My Mind」、そしてオリジナルで「恋心」。赤羽真理さんA「鹿のように」と「千両梨の実」。ここで休憩。原田さん差し入れのお菓子をいただく。
後半トップはぼくが「種の歌」。そして原田さんと一緒に「祈りの歌」。長島功さん、先週披露してくれた新曲を少し手直しして歌う。「心の中の秘密基地/明日への希望に生まれ変われ」というフレーズが印象的。続いて「ブリキの魔法」。次にデレクが、3年前のキング牧師の日に歌った「In My Sky」、そして「Go Through (突き抜けろ)」を日本語で。友達のお父さんに訳してもらったとか。山口さん、ウクレレで「エル・コンドラ・パサ」を原田さんと一緒に、そして軽快な「日曜日よりの使者」。原田さん「祈ってごらん、わかるから」。坂井さん、「Tomorrow Never Knows」「君が幸せであるように」。そして恒例の「日のあたる道」のセッション。
暴風大雨警報が出ているなか、歌いにきてくれた皆さんに感謝。今夜は少々早目に終わることに。外に出ると風は吹いていなかったが、雨がかなり降った様子。道路がかなり濡れている。
Friday, April 5, 2013
暖かい、というよりは、暑い日。フィービーはサンデッキの下。クレバーな猫。常に一番快適な場所に陣取っている。
数日前、「ひょっとして庄司さんは持っていないかしら、ぼくが初めて、1970年代の初め、朝日新聞関西版の夕刊で取り上げられた記事を」と書いたところ、庄司さんから早速メールが届いた。
・・・長野ジャーナルの連載・・・第50回-イメージの詩で、ロバート・シェルトンとディランの関係に触れながら、自分にとってそういう存在だったと語られている朝日新聞記者、赤塚龍輔さんとの関係についての詳しい記述が見つかり、当該記事の掲載日が、1971年11月18日とはっきり記載されていたので、このおかげで入手の見込みが立ちました。当時、私はまだ11歳の小学生で、この記事を読んだ記憶はさすがにありませんでしたが。
・・・早速、中央図書館で記事のコピーを取ってきました。ただ、文字はなんとか読めるものの、写真は階調が潰れて不鮮明でまともな状態ではありません。機械の調子がいまひとつで、コピー料金が高いため、細かい濃度調節ができなかった事情もあります。その点に関しては、どうかご寛恕の程を・・・。
庄司さんは、長野ジャーナルのエッセイ「イメージの詩」を読んで、わざわざ大阪の市立中央図書館まで行って、その記事をコピーしてきてくれたのである。そのエッセイに赤塚さんのことを書いたことはすっかり忘れていた。
そして忘れていたのは、<「無常」歌うババチい男>という副題のついたこの記事の内容である。今これを読むとちょっと気恥ずかしい。書かれている内容も、事実でないこともいくつか。もちろん当たっているところもあるが。
「フォークを歌うのは、人の心との出会いを求めて、学者になる気はない。まあ、将来は田舎に引きこもって、百姓でもしたいな」と語ったというぼくの言葉が引用されている。「学者になる気はない」と実際語ったのかもしれないが、若干事実と異なる。このときまでに、サンスクリットとチベット語のあまりの難しさに圧倒され、学者になることは諦めざるをえなかった。「将来田舎に引きこもって・・百姓でもしたいな」というところは、今のぼくの生活を考えると、当たらずとも遠からずか。
「薄暗い舞台の中央。スポットの光の中に、いともババチい男の顔が、ヌッと現れる。髪の毛はボウボウ。ヒゲも伸びほうだい。一見ルンペンふうのその男が、やおらマイクに近づき・・・」「しまりのないジーパンに、よれよれの背広、カビの生えたゴワゴワの軍隊シューズ―なんともカッコ悪い三浦の姿が、かえって受けるらしい」。
この記述の大部分は当たっている。確かに当時ぼくは本当に貧しく、新しい服を買う余裕はなかった。サンタバーバラの救世軍のカウンターで買った服や靴を身につけていた。でもそれがカッコ悪いとは思わなかった。サンタバーバラでも京都でも、友だちはみんな似たり寄ったりの格好をしていた。
最後の「・・・かえって受けるらしい」というところは違和感がある。「私は風の声を聞いた」や「人生70年のブルース」が当時わずかであったとしても注目を浴びたのは、ぼくの汚い格好ではなく、これらの歌の背後にあるスピリットゆえだったと思いたい。そしてそのスピリットは、40年後の今も失っていないつもり。赤塚さんの言う当時の「皮肉っぽい調子」はできるだけ避けようとはしているが。
庄司さんが送ってくれた写真がもっと鮮明だったら、ここにアップできたのだが、ほとんど真っ黒で、ぼくの姿がわからないほど。どんなに「ババチかった」のかぼく自身見たかった。そうそう、先日、写真を整理していたら、このころの写真が出てきた。ぼくにはルンペンふうにも、ババチくも見えないのだが。
オーリアッド。スピーカーからはカーリー・サイモン。ピザの注文のお客さん。オブンを250℃にセットし、ピザの台を伸ばし、ピザソースをかけ、具をのせ、チーズをかけ、いざオブンに入れようとすると、オブンが冷たい。セットしただけで、スイッチを押すのを忘れていた。かなりお待たせしてしまった。遅くに、家人が立ち寄る。隣町の高校の新らしい先生方の歓迎会の帰り。閉店近く、歌の練習。「種の歌」は実にいい歌である。メロディといい歌詞といい素晴らしい。歌ってみると、その歌詞の深さに改めて感銘を受ける。
Thursday, April 4, 2013
朝、宅配業者が陸前高田夢プロジェクトへ送る本をとりにきた。とりあえず8箱分の本。このプロジェクトが終わる前に、もう少し送りたい。
数日前、通販でオーダーしたロマネスコの種が届いた。ロマネスコといっても聞いたことのない人が多いだろう。ぼくも昨年秋、TSURUYA 並柳店でみかけるまで知らなかった。ブロッコリーとカリフラワーを掛け合わせたような野菜である。苗床を作り、種を蒔く。収穫時期を分けるために、3度にわけて蒔くことにする。うまく芽が出て、苗ができるといいが。ブロッコリーは猿がとらないので、この野菜にも猿が興味をもたないことを願う。
午後、パン作りの手伝い。一度、全工程を一人でやったこともあったが、最近は「ずく」がなくなった。今日の新しい試みはプルーンを入れたこと。試しに食べてみたが、これが美味しい。
オーリアッド。最初に入ってきたのが、Y先生。1歳半になったという孫娘の写真を見せてくれた。先生によく似ている。しばらくして、田中先生。今日はフレッシュマン・キャンプで高遠へ行くといっていたので、来ないと思っていた。ナビを使って夜辰野へ戻ろうとしたら、諏訪に出てしまったとのこと。杖突峠を下ってしまったようだ。
パンを焼いておいてよかった。レーズンと胡桃入りのパンを5個。そしてお店でプルーン入りをひとつ。プルーン入りが気に入ったようで、来週水曜日にはプルーン入りを含めて欲しいとのこと。Y先生の娘さんの一人が音楽大学を出ているとのことで、音楽の話題で盛り上がり、意気投合されたよう。
そこへ、丸山さん。先週土曜日、白内障の手術をされたので、入ってきたときには驚いた。隣町の歌声喫茶は今週は休むものと思っていた。まだ片方の目だけで、来週土曜日にもう片方の手術をするとのことだが、「よく見えるようになりました。女の人がみんな美人に見えます」。
丸山さんが帰ったあと入ってきた原田和恵さんにその話をすると、原田さん「是非今夜お会いしたかった」。
閉店前、「種の歌」の練習。小山さんにコードを教えてもらってよかった。ぼくが使っていたコードは2箇所違っていた。いい歌である。
庭の水仙が一輪咲いた。梅や白木蓮の蕾もふくらんでいる。これからまさに百花繚乱、いろんな花が、ぞくぞくと咲き始める。
Wednesday, April 3, 2013
朝早く、清水君からメールが入る。「熊本ロケ、今から朝風呂シーンです。チンコ見えないように入るのは、けっこう大変です」。彼らしいギャグ。「湯のまち放浪記」という4月9日からBSTBSで始まる新番組のロケに行っているようである。全国の温泉を美女と巡るというなんともうらやましい番組。
ダルビッシュが先発するレインジャーズ対アストロズの最初の2イニングだけ見て、オーリアッドへ。ダルビッシュはこの2回で、打者6人に対し、三振が5。初回の球数は多かったが、素晴らしい滑り出し。
10時から、昼を挟んで2時まで、昨日広げたがらくたの後片付け。ギターケース、ケーブルやマイク、CD、ポスターなどを、ステージ裏の物置に戻し、寄付する本、残す本、捨てる本にわけ、ダンボールに詰める。寄付する本は、家の分を合わせてダンボール8箱に。店の2階にもまだあるが、それは後日。身体のあちこちが筋肉痛。特に左のわき腹が痛い。
家に戻り、ダルビッシュの結果を見る。驚いた。27人目の打者に、股間を抜かれるヒットを打たれるまでパーフェクト・ピッチング。三振14個。最後の一人で完全試合を逃したが、見事なピッチング。
小山卓治さんから、昨夜お願いした「種の歌」のコードが届いていた。ありがたい。これから一生懸命練習しよう。
6時、オーリアッド。先ず入ってきたのが、田中先生。干しブドウとくるみの入ったパンがほしいとのこと。「すみません。今日はパンを焼けませんでした。明日は大丈夫です」。「明日はフレッシュマンキャンプでこれません」。「土曜日も大丈夫。焼き立てがあります」。
田中先生と入れ替わりに長島君。先週土曜日に歌ったときは、2番しかなかった歌に、3番がついたようだ。歌を書くことの楽しさがわかったと言う。これからどんどん歌が書けそう。
遅くに坂井君。新曲を含め何曲か聞かせてもらう。新曲のリズムとメロディが好きだ。閉店前、「種の歌」の練習。何とか歌えそうである。
デビュー30周年のイベントで忙しい小山さんと、例のごとくいつも忙しい清水君が、時間を工面して、今年のほたる祭りライブに参加してくれることになった。どんな化学反応がおきるか興味津々。原田さんも小山さんの歌を生で聞くのが楽しみとのこと。彼女にも打ち上げで「祈りの歌」を歌ってもらいたいもの。
Tuesday, April 2, 2013
先月初め、ギター職人の大屋さんから、伊那市に時計修理の匠がいると教えられた。今日、古い柱時計を修理してもらうために持っていった。物心ついたころから、その時計の音を聞いて育った。眠れない夜など、時計の音を数えて、朝を迎えたことも。明治2年に製作されたものとか。「今忙しいので、すぐにとりかかれないが、1ヶ月ほどで修理できます」とのこと。よかった。あの懐かしい音をまた聞くことができる。
帰路、伊那の TSURUYA へ寄り、食材を買う。松本並柳店と商品の配置が同じで、わかりやすい。プリン体が多いというので、シシャモは敬遠。パン用の粉、くるみ、レーズン、それにピザ用のチーズなど。
そのあとオーリアッドへ。お昼を軽くすませたあと、ステージ裏の物置の断捨離。乱雑に詰め込まれた本、CD、ギター、ギターケースなど、すべて運び出し、不要なものは捨てることに。な、なんとたくさんのものが、小さなスペースに入っていたことよ。5,6箱の本の入ったダンボールからは、復興支援に出せる本を選ぶ。4時過ぎ、疲れたので中断。続きは明日の朝。
ポール・ウイリアムズが亡くなったと3月31日の日記に書いたところ、庄司さんからメールが入った。
昨日のOread Dairyでポール・ウイリアムズの訃報を知り、いまやすっかり変色してしまった「ボブ・ディラン/ 一粒の砂にさえも」を久し振りに取り出して眺め直しました。・・・あの頃、困惑していた私に取って、ユリイカに掲載された論文「エデンの園への回帰」と、この書が、どれだけ大きな示唆に富み、掴み所のない信仰に関わる問題の理解のために力を与えてくれたことか。1-2年前、大阪・四天王寺の古本市で見かけたことがありますが、絶版で入手難のせいか、定価の倍近い2000円の値が付いているのを見かけたことがあります。当時の朝日新聞夕刊-土曜の手帳欄に載った書評の切り抜きが挟んであったので、・・・画像ファイルにしておきます。
朝日新聞-夕刊-土曜の手帳_1982.2.06
https://dl.dropbox.com/u/48805666/asahi_1982-2-06.jpg
この記事のことは知らなかった。ひょっとして庄司さんは持っていないかしら、ぼくが初めて、1970年代の初め、朝日新聞関西版の夕刊で取り上げられた記事を。それは「汚いかっこうのヒッピー・フォークシンガーが京都に現れた」というような内容の記事。今は亡き赤塚龍輔さんによって書かれたもの。その記事を切り抜いてもっていたのだが、もうかなり前に紛失してしまった。
赤塚さんには大変お世話になった。その後、彼がかかわっていた映画評論の雑誌にも文章を書かせていただいた。ユリイカの「エデンの園への回帰」も『追憶の60年代カリフォルニア』も、原点はそのエッセイにある。残念ながら、その雑誌も、今、見当たらない。
今年のほたる祭りライブには、清水国明、小山卓治両氏が歌いにきてくれることになった。ふたりとも「祈りの歌」をカバーしてくれている。三者三様、異色の組み合わせ。化学反応によっては、極めて面白い「ほたる祭りライブ」になりそう。
そうそう、清水君といえば、今朝の朝日新聞の「患者を生きる」というシリーズ記事に取り上げられていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130402-00000013-asahik-life
Monday, April 1, 2013
「関東甲信の平均気温は平年(2010年まで30年間平均)を2.7度上回り、1946年の統計開始以来最高となった」という online の記事があった。3月になってもいつまでも寒いと思っていたぼくの実感とは異なる。温度差が激しく、初夏のような暑さの日もあったので、平均すると高くなったのか。あるいは老化現象で、寒さに過敏になったのか。
午後遅く、家人が、プラの入った大きなごみ袋を3袋、ゴミステーションに出してきてほしいという。国道153号沿いのステーションまで、歩いていくことに。ゴミを出したあと、さらに歩くつもりで、カメラをもち、ウオーキングシューズをはいて家を出る。
山の腰道を通り、神社を過ぎると、西の斜面に日当たりのいい土手がある。そこで去年たくさんのフキノトウを採った。今年も、あった、あった。袋がないので、フリースのポケットに入れる。いつもはそこから城山公園まで歩くのだが、今日はそこで引き返し、神社のところで国道に出て、北に向かい、橋の手前で、左の土手を下り、樋田(といだ)不動尊堂へ行く。もう各地で桜が咲いたというニュースを耳にしたが、不動尊堂の桜はまだまだ咲きそうもない。
そこから、徳本水の湧き水へ。そこへ行くまでの道路の右側に、木のガードレールがある。これは田中知事が残した遺産である。景観の点からいうと、このガードレールはとてもいい。強度も実証済み。若干費用が嵩んだとしても、長野県全域にこのガードレールが設置されていたら、県外から訪れる人たちは目をみはっただろう。
旧道に入ってしばらく行くと、左手に湧き水が出ていて、その周りに水仙がいっぱい生えている。つぼみが大きく膨らんでいるが、咲いているのは一輪だけ。「その人がこの町に嫁いできた頃」の3番の「水仙」はここの水仙である。
飯田線の土手に土筆が顔を出し
徳本水の水仙も咲き始めた
南信パルプの煙、東から西へ
この町に春がきたんだ
旧道沿いにもフキノトウがたくさん生えていた。家に戻り、ざるに入れたらフィービーがやってきた。新しいものにはいつでも興味津々。
今日のお昼に、庭で採れたフキノトウをてんぷらにして食べたので、採ってきたフキノトウは明日、一部をフキ味噌に、残りはてんぷらに。
今日も午前中は断捨離。かなり整理ができた。明日はオーリアッドの本を整理する予定