OREAD DiaryMarch 1-31, 2013
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Sunday, March 31, 2013
朝起きて外を見ると、小雨が降っている。新聞を取りに出て、温度計を見ると4℃。真冬と比べたらかなり高いが、なぜかとても寒く感じる。灯油と薪のストーブの両方をつける。雨はすぐに止むだろうと思っていたが、一日中降り続けた。
今日も断捨離を少し。陸前高田の図書館支援に提供する本を、リビングの床に集める。山のように集まった。5冊以上なら大和運輸がとりにきてくれるとのこと。ありがたい。送った本は古書店が買い取り、その代金が図書館に送られるとのこと。確かに、全国から送られてきた雑多の本をそのまま図書館に置くわけにはいかないだろう。
音楽評論家ポール・ウイリアムズの訃報を知った。どこだったかはっきり覚えていないが、京都にいたとき一度会ったことがある。確か、日本人の奥さんと一緒だった。そのとき、彼の著書 Bob Dylan--What Happened? の対訳を依頼された。もう絶版になっているが、『ボブ・ディラン/ 一粒の砂にさえも』(プレイガイド・ジャーナル社)がその訳本。享年65歳。若すぎる。
いよいよ明日から4月。今年の春休みは翻訳の仕事が一切なかった。そのため、幸か不幸か、かなりのんびり過ごすことができた。明日から徐々に新学期の準備を始めよう。
Saturday, March 30, 2013
サウンドチェックを兼ねて歌っているところへ原田和恵さん。1曲目、京都の信愛教会へ先日赴任された長谷川牧師ご夫妻の娘さんのオリジナル「大切な人へ」。その後、LSECの原さんが「エーデルワイス」と「Amazing Grace」を原田さんと一緒に。さらに、原田さん、「主が私の手を」「時代」「移り行く時の間も」など。
田中創さん、Richard Thompson の「Walking the Long Miles Home」と Keb Mo の「Henry」。後者は、Keb Mo 自身のよりも、ぼくには素晴らしく聞こえる。水野哲男さん、「卒業」「白馬村を離れるときに書いた歌」。今教えているクラスの児童の保護者の中に、水野さんが昔教えた子供がいて、時の流れを感じると語る。ぼくにもそういう経験がある。最近老いたと感じるのは、警察官、郵便配達の人、テレビのキャスターたちが、「子供」にしか見えないとき。ここで休憩。
後半トップは、中村美代子さん。軽度自閉症児支援ウォーキング&ブルーライトアップのためのカンパのお願い。4月2日(火)午後5時から、諏訪湖ヨットハーバーに集まり、高島城までウォーク。今夜みなさんから、3600円が寄せられた。
続いて、長島功さん。1曲目は「道草」。1番は自分自身が子供だったころの道草の思い出、2番は4月から中3になる息子の道草の思い出。3番はまだ書けていないが、小学生の娘の道草についてになる予定。2曲目は「ブリキの魔法」。赤羽真理さん、「陽の当たるところへ」。そして聞くたびに厳粛な気持ちにさせられる「許し」。坂井俊水さん、新曲「君にはじめえて会った日のこと」、そして「君が幸せであるように」。I hope she is happy, too.
原田さん、事情があって今夜オーリアッドに来れなかった丸山さんに捧ぐ「遥かな友へ」。そして原田さんとぼくで「祈りの歌」。この前の日曜日、ぼくが体調を崩し、教会で一緒に歌えなかったので。次に、ぼくが「ここがぼくのふるさと」(also known as 「薫子」)。今日が38回目の結婚記念日。それを忘れていたせめてもの罪滅ぼしに。水野哲男さん、「卒業II」と「錆びた耕運機」。水野さんの歌には、教え子たちについての歌が多い。
田中さん、昨年7月の曲「ソウル・ブラザー」。そして辰野教会の秋のコンサートで歌って喝采を博した「ハレルヤ」。 最後に恒例の Sweet Home Chicago のセッション。大いに盛り上がる。
5月4日(土)の「田中創ワンマンライブ」は、早くも予約が相継ぎ、盛況が予想される。
Friday, March 29, 2013
断捨離2日目。2階の和室も、ぼくの仕事部屋も、かなりすっきり。それにしても捨てられない性格というものはなかなか直らないもの。特に本とCDに関しては、捨てることも売ることもできない。本に関しては今回は、陸前高田の図書館支援のために古本が活用できるとのことで、思い切って整理することに。http://books-rikuzen.jp/
CDは、レコード会社から届いたサンプル盤や友人知人から贈られたものを含め、夥しい数にのぼる。残された人生を使っても聞き切れる量ではない。これも徐々に整理しなければ。VHSのテープは半年ほど前に、貴重なものを除いて、市販のもの、ダビングしたものを問わず、大方処分した。今は、教材として使うにも、DVDやYouTube を使うことができる。
去年の夏、母の部屋だった下の和室から、2階の和室へ、2つの箪笥を運んで、部屋の真ん中に無造作においておいたが、ここも整理しなければと、ひとつの箪笥を移動して家人の箪笥の横に並べた。その過程で、すべての引き出しを抜き出した、その中に比較的大きな長方形の箱があった。前からこの箱に気づいていたのだが、寺小屋用の算盤が入っているものと思い込んでいた。蓋を開けてみて、驚いた。掛け軸が3本入っていた。子供のころ、よく祖母から家には「ぎょくしょうの三幅の掛け軸がある」と何度か聞かされた。これがそれに違いない。確かに、玉章と書かれている。調べてみたら川端玉章という日本画家の作品だった。鑑定団に出してみようか。
夜、オーリアッド。田中先生、そして原田さん。今夜は将棋をせず、四方山話。お二人に「即宗和尚」の歌を聞いてもらう。そうしたら、田中先生は曹洞宗のお寺と縁が深いことが判明。特に、佐久の常泉寺というお寺とは深い縁があるとのことで、先生の名前の「常」はそこからきているようである。
キリスト教の礼拝では賛美歌があるが、仏教にはないという話をすると、いやいや、駒沢大学、淑徳大学で教えていたときは、音楽法要で、先生がピアノを弾き、合唱団が歌も歌ったといわれ、その曲をピアノで弾いてくださった。田中先生は頼んでもなかなか弾いてくれない。得をした気分。
家に戻り、日本ハムの新人大谷が大活躍したことを知る。投げそして打つことができる交流戦が楽しみ。
Thursday, March 28, 2013
朝食後、しばらく休んでから、今年最初の本格的農作業。本格的と言っても、イチゴの畝の上に冬の間被せておいた藁(ワラ)を取り去り、苗と一緒に生えている雑草を抜いたり、畝と畝の間に生えている雑草を草かきで削る簡単な作業。フィービーが様子を見に来て、しばらくうろうろ。
左上の写真はイチゴの畝に藁がかかっている状態。イチゴの苗は期待したほど大きくはない。右下は、イチゴのとなりの玉葱の畝。こちらは大きいしっかりした苗になった。
午後、家人に促され、春休みになって初めての断捨離。2階の和室に押し込んでいた本やCDを整理し、不要なものは捨てることに。1時間ほど。午前の農作業の疲れもあり、ちょっと足腰が痛む
オーリアッド。「即宗和尚」を練習しているところへ原田和恵さん。カフェオーレのテイクアウト。そこへお父さんの和夫さん。そして坂井君。坂井君の新曲はほぼ完成している。「ミッシング・ユー」や「ワインディング・ロード」の頃より、時間がたち、より客観的に、距離を置いて、眺められるようになっている。
将棋は今夜も負け。うむ。
11時、家に戻ると、古川君からのメール。今年の七夕コンサートは7月6日(土)7日(日)になりそうだ。
Wednesday, March 27, 2013
昼前、買い物に。猫の餌、農作業用長靴、時計の電池など。この時計は30年前、京都から辰野へ戻るときに、学生たちが贈ってくれた世界の主要都市の時刻がわかる時計。電池が切れてしまい、長い間、おそらく25年ほど、埃を被っていた。たまたま家人の料理用タイマーの電池が切れ、調べたところ同じ電池であることが判明。家に帰って電池を入れると、すぐに動き出した。よかった。
午後、久しぶりに昼寝。よほど疲れていたのだろう。2時間ほどぐっすり。その間、家人はパンづくり。
6時、オーリアッドへ。今夜は歌声喫茶の日。一番最初に入ってきて、テーブルのセッティングなどを手伝ってくれたのは丸山さん。その後、長島、岩垂の両氏。そして今夜はアコーディオンを弾く人も。休憩を挟んで、20曲近い歌を歌う。好評だったのは復興支援のためによくテレビでも歌われる「花は咲く」。リクエストに応じて2度続けて歌う。
垣内さんが、敬愛する宮崎学さんの写真集を5冊、無料で希望者にあげてほしいと、歌声喫茶の終了間際、もってきてくれた。歌声喫茶終了後、即「完売」。
歌声喫茶終了と同時に田中君が入ってくる。彼が昨年一年かかって書いた12曲を歌う「田中創コンサート」を3月中にやろうと昨年末に話したが、木工の技術専門学校の卒業式や作品展示会、それに新しい仕事などで忙しく、3月は無理だったようだ。今夜彼と話して、5月4日(土)に行うことになった。オープンマイク的なものにすることも考えたが、1月から12月までの12曲、それ以前に書いた「東京」や「ハレルヤ」などのマスターピースを加えるとなると、ソロコンサートのほうがいいだろうということになった。
今後若干の変更はあるかもしれないが、詳細は以下のとおり。
田中創コンサート
日時: 2013年5月4日(土)18:00開場、19:00開演
チケット: 前売り1000円、当日1200円 (+1drink order)
メール・電話予約可: オーリアッド
閉店前、カウンターで、田中君に小山卓治さんの「ひまわり」を聞いてもらおうとCDを探したが見当たらない。そこで阿知波一道さんの「田中さん」と「Peace to You」を聞いてもらうことに。ディラン通の田中君、「Peace to You 、ボブ・ディランのようなサウンドでいいですね」。
Tuesday, March 26, 2013
9時から病院へ。血液検査をしたあといつもの定期健診。血液検査の結果、UA(尿酸)の値が基準よりも若干高いことが判明。昨夜の役員会のあとの慰労会でビールを飲んだのがいけなかったか。あるいは、最近疲労が溜まっていたからか。家人に言わせると、最近、ナッツ類を食べ過ぎたのではないかと言う。ナッツにもプリン体がたくさん含まれているらしい。何が原因かわからないが、気をつけなければ。
寒い一日。特に風が冷たい。城山公園まで歩くことに。耕運機で畑を耕している人がいる。いよいよ農作業が始まる。山の腰道を行くと、5,6人の子供たちが楽しそうに遊んでいる。「何をしているの?」と聞くと、「基地を作ってる」とのこと。昔ぼくもよく基地をつくって遊んだもの。
帰路、ふきのとうが山際の土手にたくさん生えていた。わが家の庭のもいつくか採って、夕食のてんぷらに。
6時半から役場の会議室で、姉妹都市ワイトモからの訪問団受け入れについての国際交流委員会。ほたる祭り期間中に6名ほどが訪問されるようだ。しかし、具体的な連絡がまだなく、詳細については、後日再度会議を開くことに。
Monday, March 25, 2013
今朝もかなり寒かった。寒暖の差がはなはだ激しい。福島慶道老師の提唱でよく聞いた話―「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」。寒い時は寒さでおまえさんを殺せ、熱い時は熱さでおまえさんを殺せ。『碧巌録』に出てくる話である。
「殺せ」とは物騒だが、「ひとつになる」ということ。つまり、寒い時には、寒さから逃げずに、寒さそのものになりきれということ。もちろん、これは暑さ寒さだけのことではない。寒暑、白黒、善悪、つまり二元を超えろという教え。福島老師の言葉を借りれば「超二元の体験」。言うは易し、行うは難し。
午後、少し気温があがり、外に出る。フィービーもついてきてサンデッキの上でゴロゴロ。東側の庭のライラックの木の近く、ふきのとうがたくさん出ている。寒い寒いと言いながらも、確実に暖かくなっている。
午後5時から区の森林生産組合の役員会。来年度の計画の確認、そして懇親会。今夜はオーリアッドもなく、差し迫った締め切りもなく、最後近くまで懇親会に参加。組合長が自分で揚げたというふきのとうの天ぷらが美味しかった。
Sunday, March 24, 2013
10時半、辰野教会へ。長谷川牧師が務める最後の礼拝の日。7年ほど前、赤羽真理さんが、初めてオーリアッドへ長谷川ご夫妻を連れてきてくれた日のことをよく覚えている。その後、毎年1回は教会で歌わせていただいてきた。そして何よりも感謝しなければいけないのは、ご夫妻から『私が経験した魂のストーリー』という本をいただいたことである。その本に載っていた南軍の無名兵士の詩に曲をつけようとしたがつけられず、原詩をネットで探し出し、ぼくなりに訳し言葉を加えてできたのが、「祈りの歌」である。ご夫妻が辰野教会へ赴任されてこなければ、「祈りの歌」はこの世に存在することはなかった。
長谷川牧師の説教はもちろんのこと、信者の方々の牧師ご夫妻に寄せる熱い送別の言葉に感銘を受ける。それに、司会をされた松田さんの声にも。歌を歌ったら素晴らしいシンガーになること請け合いである。
礼拝のあと、下の部屋でフェアウエル・ランチ・パーティーがあり、その余興のひとつとして「祈りの歌」を歌わせていただくことになっていた。しかし、礼拝の途中から頭が痛くなった。それに身体があまりにだるい。ここ数日の無理がたたったに違いない。副牧師さんにお話して、欠席させていただくことに。原田さんにも、粟津原さんにも連絡できず、申し訳なかった。
家に戻り、軽い昼食のあと休むことに。家人は、午後遅くに隣町の高校で日本語を教えてきた外国籍の子供たちが卒業するとのことで、お祝いの会食に。
牧師さんの説教をお聞きしながら考えていた。信じるということの意味について。「コリント人への手紙」の13章13節に「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」とある。しかし、信・望・愛の3つに優劣をつけるのはむずかしい。この3つは同じではないか。この3つはinterdependent だと思われる。愛なくして信も望もなく、信なくして愛も望もない。信じるということは、愛すること。わかりやすく言うと、受け入れることではないか、というようなことを考えていた。
そんなことを考えたのは、昨日できた歌の中に、即宗和尚の「仏教は因果を信じることだ」という言葉を引用したのだが、それがどういう意味なのか昨日からずっと考えていたからかも。
「因果を信じる」とは「因果を受け入れる」ということ。それは「祈りの歌」の「満たされた人生を生きたいと/すべてを求めたのに/あたえられたのは私のこの人生/受け入れることを学ぶように」と通じているように思われる。
Saturday, March 23, 2013
綱渡りのような一日。家人は12時前にオーリアッドへ。「ひびき」のメンバーが到着する前に鍵を開けるために。歌が完成したのが、12時半。彼女に電話して迎えにきてもらう。オーリアッドに着くと、すでにメンバーは全員集まり、お客さんも何人か入っている。急いでテーブルの並べ替え。ステージのセッティング。そしてプロジェクターのスクリーン用に、キング牧師の垂れ幕を裏返す。すぐに開場の1時がきて、お客さんがどんどん入ってくる。できたばかりの歌を一度通して歌おうと思っていたが、それもできなくなった。
1時半開演。前半、小沢さんと林さんの「わが祖父春日勝人 明治青年の記」と、鈴木さんと池上さんの「アララギ派家人松井芒人」の朗読。ここで休憩。40人以上のコーヒーを淹れる。てんてこまい。後半は、沖山さん、岡本さん、福山さんによる「辰野の良寛さん 即宗和尚」の朗読。
そのあと、「辰野を歌う」というタイトルがつけられたぼくのミニコンサート。1曲目は「即宗和尚」。初めて通して歌う。Bで作ったが、Bのハーモニカが見当たらない。Aで歌うことに。歌う前に、原担山老師と久我環渓老師の若かりしころの逸話を紹介する。そして、この著名な高僧二人のもとで修行した即宗和尚が、いくつかの栄転の招請を断り、辰野の山寺で、猫や鼠と遊びながら生涯を終えた「偉業」について語る。歌い初めはどうなることか、ひやひやだったが、何とか最後まで歌うことができた。続いて、「夢のブックストア」「ここがぼくのふるさと」、そして「中谷勲」。いずれも辰野町とかかわりのある歌。
終わったあと、先日お伺いしたときにお留守だった、真金寺の奥様が話しかけてくださった。「留守をしていて申し訳ありませんでした」とおっしゃられたが、あの高台の境内から、伊那谷を、そして西駒を中心とする中央アルプスの山々を眺めただけでも、お伺いした甲斐があった。それは冒頭の歌詞に反映されている。
山のお寺の鐘が鳴る
夕暮れ迫る山里に、
谷を染める夕焼け空に
鐘の音の余韻が溶けてゆく
朗読の会「ひびき」のおかげで新曲「即宗和尚」ができた。2年前の発表会のために「中谷勲」を書いた。そして考えてみたら「祈りの歌」も、もう何年も前、ぼくの歌と「ひびき」の皆さんの朗読とのコラボレーションの結果できたもの。そう考えると「ひびき」の皆さんには感謝してもしきれない。
■
午後4時半、いったん家に戻り、6時前、再度オーリアッドへ。
しばらく「即宗和尚」の歌を練習。そこへ原田和恵さん。な、なんと、即宗和尚が30年ほど住職として住んだ真金寺は、子供のころ原田さんの遊び場だったとか。もちろん、原田さんが遊んでいたころ、即宗和尚さんはいなかったが。
原田さんに、トップバッターをお願いする。「祈ってごらんよ、わかるから」「そばにいるよ」、そしてシューマンの「異国より」をピアノで。「そばにいるよ」はぼくの好きな歌。丸山俊治さん、家人の好きな「さあ今から」を歌ったあと、「セピア色の安曇野」と「一番最後に」。最後の歌は小さな王様への呼びかけであると同時に人を押しのけても先へ先へと急ぐ大人たちへのメッセージでもある。小さな王様は4月から一年生とのこと。また新しい歌がいくつもできそう。
坂井俊水さん。まだ完成していないと言いながら、リクエストに応じて新曲「初めて君に会った日のこと」。そして赤いギターに持ち替えて「赤いタンバリン」。最後に「Tomorrow Never Knows」。山口恵三さん。「うちのお父さん」を軽快に歌ったあと、S & G の「The Sound of Silence」と「Mrs. Robinson」。藤森和弘さん、久々に河島英五のカバー、「風は旅人」。そして「およげたいやきくん」。昔、よく子門真人に似ていると言われたことを思い出した。最後に、愛音ちゃんとミレイちゃんと一緒に「カントリーロード」。
長島勲さん、先日のチャリティーコンサートに触れたあと「最後の手紙」と「花」。そして前半最後、ぼくが「即宗和尚」。ここで休憩。
後半トップは赤羽真理さん。水野源三さんの詩に曲をつけた「今すぐに」と、「フリー」。原田さん、「Loving You」と辰野教会の長谷川牧師ご夫妻が、明日の礼拝を最後に京都の教会へ移られるとのことで「神ともにいまして」。丸山さん、彼岸を迎えて親友の卓郎さんの墓参りをしてきた話をし、卓郎さんがルート66を66歳のときに走破した偉業を讃えた歌「マザーロードの旅」。そして「三角広場に桜咲く頃」。後者は丸山さんの初期の代表作のひとつ。懐かしい歌。
山口さん、前半に続いて S & G で「Scarborough Fair」と、ビートルズで「All My Loving」。巧みなギターワーク。長島さん、「いのちの理由」、そして「ブリキの魔法」。次に、原田さんとぼくで「祈りの歌」。午後の「ひびき」の発表会にきていた粟津原さんから、副牧師さんからぼくに、明日の集会で「祈りの歌」を歌ってほしいと伝言を頼まれたと言われたので。
最後に恒例の山口さんを中心にした「日のあたる場所」のセッション。いつ聞いても、この歌は気持ちをアップリフトしてくれる。
11時前に家に帰る。長い一日が終わり、身体が疲れているのがわかる。お茶の入った湯飲みをもって階段を上ったら、途中、足がもつれてよろめき、お茶をこぼしてしまった。一緒にあがってきたフィービーを避けようとしたせいもあるが。
今朝 skype で話したとき、長男に「祈りの歌」をYouTubeに載せてくれないかと頼んだ。午後遅く家に戻ったとき、すでにアップされていた。
http://www.youtube.com/watch?v=q8jj9BmyGxk
Friday, March 22, 2013
朝から、即宗和尚の歌を書き進める。でもまだ完成には至らない。
午後、村のお寺の副住職さんが、彼岸の供養に、お経を上げにきてくださった。朗々としたいい声でお経を読まれ、気持ちがいい。
オーリアッド。久々に田中先生。それに、先日の復興支援コンサートの実行委員長の垣内さん。6万円近いお金を送ることができそうとのこと。復興支援というには、雀の涙ほどもない額かもしれないが、「ただ飲み食いするだけではなく、何か意義のあることをしよう」という還暦を迎えた方々の心意気を感じてもらえれば。
垣内さんが帰ったあと、実行委員会のメンバーの方がやってきた。先日のコンサートがよかったと、『祈り』を一枚買ってくださった。以前にも一度きたことのある洋楽好きの友達も一緒で、彼は6月の Van Halen のコンサートのチケットを予約したという。田中先生を交えて、音楽談義。クラシックとフォークとロックと、ジャンル違いでかみ合わないところもあったが。
いよいよ「ひびき」の発表会は明日の午後。即宗和尚の歌はようやく何とか形になってきた。説得力ある物語にするにどうしたらいいか。何を足して何を削ったらいいか。その匙加減が難しい。
Thursday, March 21, 2013
朝食後、裏山へ墓参りに。ここ数日の強風によって、墓地にたくさんの小枝が落ちていた。まずそれを取り除く作業から。花を供え、線香を上げ、四弘請願、般若心経を唱える。小枝はストーブの焚きつけにするために抱えられるだけ持ち帰る。
そのあと、今日も終日、即宗和尚。歌というものは不思議で、何の努力もなく、5分でできてしまう歌もあれば、書き始めてから、何年たっても完成しない歌もある。先ず、大きな感動があり、そこから言葉が出てくる。例えば「碌山」は一日で、厳密に言えば、10時間ほどでできた。最後は、自分で自分の歌に感動して、泣きながら、言葉を紡いでいた。
「即宗和尚」さんの資料を読んだとき、これを歌にするのは難しいと思った。すくなくとも、「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「ヴィクター・マトム」「中谷勲」のような、善と悪、光と影、つまりドラマに乏しい、感動する要素に欠けている。
資料を読む限り、和尚さんは、まさに辰野の良寛さんで、村人に慕われ、猫や鼠、そして雀を可愛がり、貧しい人には物を施し、お店でもらった団扇に女の絵が描かれていれば、遠路はるばる返しに行くほどに、品行方正、清廉潔白な人であった。
正し過ぎてドラマにしづらい。しかし何度も資料を読むうち、不思議な感動を覚え始めた。江戸から明治にかけての二人の傑出した高僧、原担山老師と久我環渓老師に師事し修行し、徳行の誉れ高かった和尚さんが、「他の招請による一切の栄転を謝絶して」、信州の寒村の山寺の住職として、「黙々として、質実綿密な行状に終始」したというところを読んだからである。もし彼が、出世して、永平寺か総持寺の管長になって生涯を終えたというなら、立身出世物語としては面白いだろうが、歌としては平板になってしまう。浪花節になってしまう。
その部分をどう歌に表現できるか。勝負はここにかかっている。
午後、「隣の潔さん」がやってきて、『ガビオタの海』のCDが欲しいと言う。なんでも今夜は一晩中起きていて警備をする仕事が入ったので、そのアルバムを聞きながら仕事をすると言う。特に「私は風の声を聞いた」を聞きたいと言う。潔さんは最近ぼくのお経の入った歌、「山頭火」「俺のいない町」「私は風の声を聞いた」などに興味があるようだ。
夜、オーリアッド。まず長島君が入ってくる。しばらく先日の公民館でのチャリティーコンサートの話。多くの人から「ブリキの魔法」がよかったと言われたとのこと。そして、歌わせてもらったことで、いろいろ学ぶことがあり、呼んでくれた垣内さんに感謝しているとのこと。確かに、ぼく自身、学ぶことが多く、主催してくれた垣内さんをはじめ、宮木還暦会の方々に感謝。
しばらくして、久しぶりに Doctors T & U。しばし歓談。いつものように文化論、宗教論、宇宙論へと続く難しい話。お酒が入っているためか、ときには的外れになることもあったが。最後、U先生と将棋を指すことに。先生とは過去二度対戦し、一勝一敗。今日は熱戦ではあったが、完敗。
Wednesday, March 20, 2013
終日、即宗和尚さんと格闘。あと二日半。うむ、窮鼠猫を噛む。切羽詰らなければ、アイディアが浮かばない。もうかなり切羽詰っている。でもまだまだ「これだ!」というアイディアがわいてこない。出だしの3ヴァースだけは、一応できたが。
「窮鼠・・」といえば、即宗和尚さん、お寺で飼っていた猫たちの首に長方形の小さな板をつけ、歩くと前脚があったって音が出るようにしていたとか。猫がネズミが捕れないようにしているのだ。そればかりではない、お寺には「あかずの間」があって、そこで和尚さんネズミに餌をやり、一緒に遊んでいたとか。
和尚は猫が好きであった。斑の大猫が二匹、和尚の
膝もとを離れなかった。しかも猫の首には、巾五寸と三
寸ぐらいの板札が結びつけられていて、歩くごとに、カタ
ンコトンと、前脚で蹴るような仕掛けになっていた。
和尚の説によると、猫は鼠を追うもので、捕らせるもの
ではないという。猫もそれに馴らされていた。
室中ワキの茶頭寮は、あかずの部屋とされていた。ひ
まがあると和尚はこの一室に閉ぢこもる。
若僧たちは、忍び足でソッとのぞきに行った。菓子の
あき箱に籾を入れて、和尚が一しょに遊んでいる。
膝の上の、籾を入れた菓子箱の中にはいつも、二拾疋
ぐらいの鼠が戯れていた。
手の平にのせて、頬のあたりにすりよせて、にこにこと、
何か鼠に話しかけている。天真爛漫な和尚の童顔は、凡そ
無我の化身のような、美しい姿であった。
「遊んでおいで、また来るからね」
戸締りを厳重にして、何食わぬ顔で出てくる和尚であった。
林栄道著 『大愚即宗和尚行状記』より
この部分もなんとか歌に入れたいもの。
6時、オーリアッドへ。春分の日。日増しに日が長くなり、6時でもまだかなり明るい。先ず、先日宮木公民館のライブで使った機材をおろし、メールボックスを開けると電気代の請求書。ほとんどすべての電球をLEDに換えた成果が出た。前年の同時期より5000円ほど安くなっている。LEDだけでなく、小型の灯油のヒーターを追加し、エアコンで暖房する回数を減らした成果もあったはず。
スピーカーからは小山卓治のCD『ひまわり』。LPレコードが聞けないので、先日CDを取り寄せた。やはり一番いいと思ったのは「ひまわり」。そして2曲目の「煙突のある街」。後者は、昔LPで聞いていたときには気づかなかったが、作詞作曲、真島昌利だ。
しばらくして坂井君が友人と。電車の時間があると友人が帰ったあと、坂井君が何曲か歌ってくれた。「またラブソングですが」と言いながら新曲も。ラブソングでもなんでも書けるときはどんどん書いたらいい。ぼくも彼の歳ぐらいのときは、年間20曲も書いたことがある。そのうち今も歌える歌は数えるほどしかないが。
世に流布している歌のほとんどはラブソングである。それだけに、ライブソングを書くのは難しい。でも、坂井君の新曲はなかなかよかった。おそらく土曜日にもその歌を聞くことができるだろう。
11時、閉店して外に出ると、町はひっそり。小雨が降っている。もう雪は心配しなくてもいいだろう。
Tuesday, March 19, 2013
即宗和尚の歌を書きたいと、ここ数日四苦八苦してきた。急に思いついて、彼のゆかりの真金寺を見に行くことにした。何度も道に迷い、たどり着いたお寺は、とても見晴らしのいいところにあった。南アルプス、そして天竜川が一望できる丘の上にある。生憎、ご住職さんはお留守でお会いできなかったが、実際に、即宗和尚が住んでいた場所に立つだけで、inspire されるものがあった。
帰りに、ホームセンターに寄り、花の苗を買う。ぼくが2階で仕事をしているうちに、家人が二つの鉢に分けて植えてくれた。休憩しに階下に降り、その鉢を見に行くと、フィービーもついてきて、珍しそうに鉢植えの花を眺めたり、匂いをかいだりしている。庭を見渡すと、水仙のつぼみも膨らみ始め、ふきのとうもいくつか出ていた。いよいよ春だ。
即宗和尚の資料はかなりそろった。それをひとつの意味のある物語にまとめることができるかどうか。明日またがんばろう。
Monday, March 18, 2013
朝10時から、WBCの準決勝を最初から最後まで見る。結果は残念だったが、台湾戦に代表されるように、よくがんばった。楽しませてもらった。しかし、テレビで見ていて、どうこう言っても始まらないが、8回裏の痛恨の内川のミスは、監督の指示の出しかたがあいまいだったとしか思えない。単独スチールならいざしらず、ダブルスチールを、「いけたらいけ」というのはどういうことか。走者二人が阿吽の呼吸でいけると判断して、同時にスチールを試みるなんてことはありえない。
勝利が決まった瞬間、プエルトリコの選手が全員小躍りしたりハイタッチをして喜んでいる姿を見て、彼らが勝つために真剣に努力してきたことが伝わり、また試合の前後のプエルトリコの監督の言葉の端々に日本の野球に対する尊敬の念が伝わってきて、好感がもてた。負けてもすがすがしく感じさせてくれるチームだった。
内川のミスを責めることはできない。今回は、メジャー選手不在だったにもかかわらず、内川、井端、坂本のような職人的選手がよく活躍した。特に井端の活躍が目覚しかった。接戦になればなるほど、彼らのような小技のきく選手が必要である。
今日は朝から雨が降り、強風が吹いた。ニュースによれば、各地で被害が出ている。沖縄では車が風に飛ばされて土手の下に落ち、北海道では、モーターグライダーが墜落し2名死亡した。夕方、庭に置いてあるアルミのテーブルを片付けた。明日の朝まで風は強いとのこと。
Sunday, March 17, 2013
垣内彰さんに声をかけてもらい、宮木還暦会主催の「あの日を忘れない栄村復興支援チャリティコンサート」に長島君と共に出演。最終的な報告は聞いていないが、5万円ほどの寄付が集まったようだ。額としては多くはないが、多くの関心が東北の被災地に向けられる中、同じ長野県の被災地に住む方々に、「忘れてはいませんよ」というメッセージを伝えられたなら幸いである。
All photos by k. miura
「ふるさと」と「辰野西小学校校歌」を全員で歌って終了。垣内さんを初め、実行委員会のみなさんに感謝。みなさんの努力のおかげで、とてもいいコンサートになった。
この出演を機に前から気になっていた「夢のブックストア」の最後の部分を修正する。歌い込んでいないため、本番では少々間違えたが、修正できてよかった。
家に戻り、夕食後、23日午後の「ひびき」の発表会のための歌を書こうとしたが、疲れている。早目に寝ることに。
Saturday, March 16, 2013
開店直後に坂井俊水さん。「ワインディング・ロード」と「君が幸せであるように」のあと、ぼくのギターを使わせてほしいと言う。何を歌うのかと思ったら、「赤いタンバリン」だった。以前にも一度この歌を聞いたが、軽快な歌で、とてもいい。特にスローなラブソングの後では。
次にぼくが小山卓治さんの「種の歌」を歌おうとしたが、途中で音が取れなくなり、断念。家では歌えたのに。仕方なし、ぼくが世界三大ラブソングであると考えている歌を歌う。ディランの「明日は遠く」、エルヴィスの「愛さずにはいられない」、そしてぼくの「ここがぼくのふるさと」(笑)。
長島功さん、「花は咲く」と「無縁坂」。明日の「栄村復興支援チャリティーコンサート」で歌う予定の歌。続いて、歌声喫茶の伴奏者としては何度か来たことがあるが、オープンマイクには初登場の岩垂賢治さん。「まだ君に恋してる」。そしてオリジナルで「春を見に行こう」。
次は常にコンスタントに淡々と歌う赤羽真理さん。「私が悩むときも」と「千両梨の実」。ここで休憩。
後半、まず垣内彰さんに明日のチャリティーコンサート準備の進捗状況を聞く。何かを主催し、実行するのは大変なこと。ステージの正面に飾る垂れ幕や、スポットライトなど、すでに設置したとのこと。
長島さん、例の鼻笛で「ふるさと」、そして「ブリキの魔法」と「いのちの理由」。岩垂さん、「涙そうそう」と「なごり雪」。雰囲気が実にフォークシンガー。赤羽さん、前半の淡々とした歌とは違うロックンロール、「愛しのマリー」。そしていつもの賛美歌「鹿のように」。最後に再度ぼくが「種の歌」にチャレンジ。しかしすぐ断念。小山さんからは、この歌を5月17日のライブで一緒に歌おうと提案されている。練習しなければ。
Friday, March 15, 2013
朝10時から、朗読の会「ひびき」の3月23日午後の発表会に向けてのリハーサル。ぼくは最後に、歌を歌うことになっているが、また歌う歌が書けないでいる。明治時代に辰野(当時は朝日村)の真金寺の住職だった曹洞宗の僧、即宗和尚についての歌を書くように依頼されている。まだ海のものとも山のものとも分からない。方向性は決まっている。来週一週間でなんとかしなければ。
オーリアッド。小山卓治さんのいい歌を見つけた。「種の歌」という歌で、アメリカの同時多発テロに触発されてできた歌とか。この歌は是非歌わせてもらいたい。
たんぽぽの種は 空を飛び
小さな庭に 花を咲かせた
少女がちっちゃな 指で花を摘み
海を渡る父に贈った
花は歌う小さな声で
笑って、さあ笑って、と
海を渡って行く父は、兵士として出かけて行くのだろう。
この歌を聞いて、元気になった。「感動すると疲れない」といつも思ってきたが、まさにこの歌を聞いて、心が大きな衝撃を受け、身体の細胞がすべて活性化されたような。こんな歌を書きたいもの。こんな歌を歌いたいもの。
Thursday, March 14, 2013
昨日の朝、マリブ在住の斉藤君からメールが入り、ICU時代の共通の友人、新井君が昨年亡くなっていたと知らされた。斉藤君は、新井君とは親しく、よく連絡を取り合っていたようだが、しばらく連絡が途絶えていて、昨日、ロンドン経由で彼の逝去を知らされたという。ぼくは新井君と同じ年(1963年)に、AFS program でアメリカへ行き、ICUでは同じ寮に住んだ。
一度新井君に助けられたことがある。あるとき、家庭教師先で、「今日は銀行へ行けなかったので、お月謝は来週にしてください」と言われた。財布の中は空っぽだった。育英会の奨学金が出るまで2日あった。さて困った。動けば腹が減る。2日間、寮のベッドで寝ていることにした。そこへ新井君がやってきた。「三浦、おまえどうしてこんな天気のいい日に部屋で寝ているんだ」。事情を話すと、500円貸してくれた。借りた500円札をもって食堂へ走った、そのとき食べた牡蠣フライ定食の美味しかったこと。
彼にそのお礼をいいたいと思っていながら、とうとう言うことができなかった。新井君、ありがとう。あのときは助かった。May you rest in peace!!
コンピュータのトラブルについてこの日記に書くと、いつも適切なアドバイスを送ってくれる庄司さんからメールが入った。今回はコンピュータではなく音楽について。拾得と並ぶ京都のライブハウス磔磔(たくたく)でポール・ブレイディのライブを聞いてきたと書かれていた。そして、ぼくがかつて訳したディランの『バイオグラフ』のライナーの一説が引用されていた。
これは一冊の新書になるくらい量の多いライナーで、もうずっと前、LPレコードのときに訳したもの。5,6年前にCD盤が出るときに、訳しなおさせてもらった。LP時代の歌詞やライナーの訳はどれも校正をさせてもらう時間的余裕がなかったばかりでなく、原稿用紙に書くぼくの悪筆を読み間違えられることもあり、今読むと冷や汗が出るものが多い。彼が引用した次のボブ・ディランの言葉は、おそらくCD盤のために校正したものと思われる。(これも今読むと、いくつか修正したくなるが)。
... 名声の罠にかからないように注意しなければならない。アンディ・ウォーホールの1分間有名法のようなことからはね。マスコミは大きな肉挽き機で、決して満足することがない。常に供給し続けなければならない。しかし影の権力者がいて、ものごとを常に目に見えない状態にしておく。ナポレオンはどうだ。彼はヨーロッパを征服したが、誰も彼がどんな姿をしているか知らなかった。・・・最近、人々はあまりにも急速に、あまりにも有名になってしまう。名声が彼らを破壊してしまう。上手く処理している人たちもいる―レナード・コーエン、ポール・ブレイディ、ルー・リード、隠れた英雄たちだ―ジョン・プライン、デビッド・アラン・コー、トム・ウエイツ、ぼくはいま流行しているものよりこのような人たちの音楽をよく聞く。彼らはこの惑星にまじないをかけるわけではない。彼らは障壁を打ち建てたりはしない。・・・ゴードン・ライトフット、彼の歌を聞くたびに、ずっとこのまま終わらないで欲しいと思う。
庄司さんからメールをもらうまで、ぼくが訳したものの中にポール・ブレイディという名前があったことさえ覚えていなかった。正直に言うと、ぼくは彼の歌を一度も聞いたことがなかった。早速YouTubeで聞いてみた。顔つきも音楽も地味ではあるが、とてもいい。庄司さんに、感謝。
http://www.youtube.com/watch?v=CD4eS2Xb6Ls
They say the skies of Lebanon are burning.
Those mighty cedars bleeding in the heat.
They're showing pictures on the television.
Women and children dying in the street
And we're still at it in our own place.
Still trying to reach the future through the past.
Still trying to carve tomorrow from a tombstone...
But Hey! Don't listen to me!.
This wasn't meant to be no sad song.
We've heard too much of that before.
Right now I only want to be here with you.
Till the morning dew comes falling.
I want to take you to the island.
And trace your footprints in the sand.
And in the evening when the sun goes down
We'll make love to the sound of the ocean
Wednesday, March 13, 2013
午後、身体が冷え切っていたので、温泉へ行くことに。いつもの隣町の「ながたの湯」へ。駐車場はほぼ満車。やはり寒い日は皆同じことを考えるようだ。
温泉につかっていると、お年寄りの会話が聞こえてくる。「そろそろ免許を返上しようと思っている」「車がないとここまでくるのも大変だよ」「バスもあるよ」「わしのところはバス停まで遠いんだ」。他人事ではないと思いながら聞く。
サウナに入り、露天風呂に行き、さらにもう一度、中の温泉につかって出る。暖まった。帰路、突風が吹き、茶色い土ぼこりが舞い上がり、前面が一時見えないほど。昨日今日と風が強い。
夜、オーリアッド。久しぶりにY先生。ぼくとそれほど年齢は変わらないはずだが、若くみえる。50代前半といっても通るかも。若さの秘訣は何か。お聞きすると、家族や親戚に長寿者が多く、数年前103歳で亡くなった叔父さんは、亡くなるまで、顔に皺がなかったとか。
そのあと、長島君、そして垣内さん。3月17日(日)の打ち合わせ。「あの日を忘れない、栄村支援コンサート」。宮木区の還暦を迎える人たちの集い。還暦を祝う会を単なる飲み食いの会にしたくないというのが主催者の思い。多くの方々に参加していただき、できるだけ多くの支援ができたらいいのだが。
そのあと、原田さん。遅くなって一局。久しぶりに接戦を制して、辛勝。
*
1.あの日を忘れない「栄村復興支援コンサート」
出演:三浦久、長島功
日時:2013年3月17日(日)午後1時30分開場、2時開演
会場:宮木公民館2階大広間
参加費:500円の支援カンパ
主催:宮木還暦会、栄村復興支援コンサート実行委員会
*今年還暦を迎える方でなくても、他の市町村にお住まいの方でも、どなたでも参加できます。
2.先週金曜日遅くに来られた方々が置いていった「自閉症を知ってもらおう」というイベントの詳細。
日時:2013年4月2日(火)午後5時 雨天決行
集合場所:諏訪湖ヨットハーバー/高島城までウォーキング
主催:ライトアップ委員会
共催:シーズ
後援:諏訪市/諏訪市教育委員会/長野日報/LCV
協賛金: 一口500円
Tuesday, March 12, 2013
夕方5時、散歩に行くことに。家にばかりにいて、身体を動かさなかったせいか、気温は真冬ほど低くないのに、寒い。身体がとても冷えている。いつもの城山公園へ行こうと徳本水を過ぎ、「山の腰道」の入り口で、鉄パイプのゲートを押して開けようとしたら、積もった雪が凍っていてゲートが開かない。仕方なしに、国道153号線に出て百々橋(どうどばし)を通って、左に折れ、今村へ戻るコースに変更。
左上の写真は百々橋の上から撮った横川川。真ん中は、線路の西側を歩いているときに、入日があたる冬枯れの王城山が美しく、思わず撮った写真。右は、徳本水近くの横川川。もうすっかり雪がなくなっている。旧道に入り、家に続く坂を上り始める頃には、身体がぽかぽか。
小山卓治さんから昨日届いた手紙に、午後メールで返事を送る。早速返信があり、5月17日(金)に、阿佐ヶ谷のAcoustic Live Bar Harness でジョイント・ライブをさせてもらうことになった。ちょっと信じ難い思い。夢を見ているような。楽しみだ。
Monday, March 11, 2013
朝、目が覚めて外を見たときの、空の色、陽の光、そして澄んだ空気。信州に戻ってきたと実感。
今日は、3月11日。あれから2年。テレビはどこも特集番組を組んで、3.11の悲劇を、そして復興の遅れを、報じている。未だに仮設住宅に住んでいる人たちがいる。2年前の突然の理不尽な喪失に何とか耐えながら。
繰り返し放映される津波や原発事故の映像は何度見ても、リアルタイムで見たときの恐怖を思い出させる。その恐怖を映像ではなく、直接経験した人たちに、どんな慰めの言葉をかけることができようか。彼らを癒すことができるのは、時間だけ。でも多くの人にとって、癒されるだけの時間さえ残されていない。
小山卓治さんから手紙が届いた。メールではない。封筒に入った手紙である。彼がいろんなシンガーと定期的に行っているジョイントライブへの出演依頼だった。驚くと同時に感激した。著名なミュージシャンからそのような依頼を受けたのは初めてなので。またぼくの「祈りの歌」を気に入ってくれて、すでにライブでも歌ってくれたとか。そのことにも驚いた。小山卓治の歌う「祈りの歌」はぼくも聞きたい。早速、返事を書くことにする。
小山卓治 「ひまわり」http://www.youtube.com/watch?v=lE3KStiNkMc
Sunday, March 10, 2013
おのぼりさんツアー2日目。
ホテルへ迎えにきてくれた長男と茅場町の駅に向かって歩いていると橋があり、その下を川が流れている。天竜川や横川川とは大いに趣が異なる。思わず「春のうらーらーの、すーみーだーがわー」と口ずさみたくなるような、のどかで、ゆったりした流れ。隅田川にしては狭いと思っていると、長男がスマートフォンで調べてくれた。亀島川という隅田川に合流する川のようだ。
茅場町で電車に乗り、再びスカイツリーへ。昼間見るスカイツリーは、それほど綺麗ではない。スカイツリーは夜景に限る。今日の空が特別どんよりしていたせいかもしれないが。
家人が長男と一緒に買い物をしている間、ぼくは禁断の「抹茶アイスクリーム入りあんみつ」を食べながら休むことに。昨日今日と、長い間歩いて、足が痛い。そこへ車椅子に乗ったお年寄りが5人やってきた。それぞれにヘルパーさんがついて総勢10名。お店の人は、ていねいに応対し、てきぱきと椅子を片付け、テーブルをくっつけ、それほど広くない店内に、5台の車椅子が入れるようにしてやっている。
全員が車椅子に乗ったままテーブルについたのを見届けて、席を立ち、レジに向かう。お店の人が「おさわがせしました」と言う。とんでもない、ぼくはお店の人の対応を感心して見ていたのだ。それにヘルパーの方々の機敏な動きを。車椅子に乗ったお年寄りたちの、嬉しそうな顔も。このあんみつ屋に幸あれ、と思った。
Tokyo Onoborisan Tour, March 2013
買い物をすませたあと、電車で赤坂見附へ。駅から料亭へ歩いていると、家人が鳥居を見て、「ここは前に来たことがある」と言う。よく見ると「日枝神社」と書かれいる。数年前、something great の村上和男さんの講演を聞きに来たとき寄った神社だった。
1時から会食。和気藹々とした楽しい会になった。最初はWBCの台湾戦の話題で、後半は、畑作業の話題で。大阪出身で阪神ファンだというY先生は「もう負けたと思って寝てしまったけれど、あとで知ったのだが、鳥谷の盗塁が勝因。鳥谷は阪神のキャプテンだからね。嬉しいね」と根っからの阪神ファン。ぼくは阪神ファンではないけれど、あのスティールは見事だった。そして、次に打った井端のタイムリーも。野球の醍醐味を味あわせてもらった。
奥さんは、快活でよくしゃべる方。畑の話をするときは特に生き生き。家の近くに畑を借りて、サツマイモや大根など、いろいろ育てているようだ。草取りをすることさえ大好きだという。家人も畑はまったくの素人だったが、辰野にきてから始めて、今はぼくよりもずっと詳しくなった。
話は尽きなかったが、帰る時間が近づき、お別れをして新宿へ。バス停へ行き驚いた。ぼくがネットで予約したチケットは、受験生専用のチケットで使えないとのこと。すったもんだの末、別の便に変えてもらうことができた。バスに乗ろうとしていると、そこに守屋先生。同じバスかと思ったら、先生は1号車、われわれは2号車だった。
途中、乗用車の横転事故があったとのことで、しばらく一般道に出て、40分ほど遅れて、家に着いた。テレビをつけると、日本がオランダに10対0で勝っている。一瞬目を疑った。最終的には、16対4で、7回コールドゲーム。広島の前田の好投が光る。
2日間にわたる「おのぼりさんツアー」、長男のおかげで楽しい旅になった。
Saturday, March 9, 2013
おのぼりさんツアー初日。
バスにて新宿へ。迎えにきてくれた長男に連れられて八芳園の河津桜を見に。今が満開。椿も咲いていた。名前の知らない白い花も。彼が打ち合わせをしている間に、われわれは庭を散策したあと、近くのBook Off Cafe へ。CafeのあるBook Off は初めて。これは便利。買った本をコーヒーを飲みながらすぐ読める。何冊か購入。そのうち2冊は英語のリズムと発音について。4月からのクラスに使えそう。
Tokyo Onoborisan Tour, March 2013
そのあと、茅場町のホテルにチェックイン。おのぼりさんよろしく、スカイツリーに比較的近いという理由で決めたホテル。1週間ほど前、スカイツリーに上る予約をしようとしたが、予約制のチケットはすべて sold out。春休み中の土曜日。無理もない。ホテルでしばらく休憩したあと、スカイツリーの夜景を見て、「そらまち」で夕食をとろうと出かけることに。夜空に聳えるライトアップされたスカイツリーは綺麗だった。初めて東京タワーを見たときのような感激はなかったが。
食事をし、お店を見て回る。しばらくすると「ほたるの光」が流れてきた。お店が閉まる時間。買い物は明日また来ることにして、長男とは茅場町の駅で別れ、ホテルへ。
Friday, March 8, 2013
宮沢賢治記念館を昨年9月に訪問したときに、副館長さんからお名前と住所をお聞きした賢治さんの姪の娘さんにようやくお手紙を書いた。彼女は覚えていないかもしれないが、1971年夏、東北・北海道への野宿とヒッチハイクの旅の途中、花巻のご自宅に押しかけ、賢治さんの位牌に線香を上げ、般若心経を唱え、彼女と彼女のお母さんの前で歌わせていただいたことがある。そのとき歌った「こおろぎが歌うように」が入っている『千の風』と「雨ニモマケズ」の入っている『祈り』を明日お送りすることに。これが成績提出後にしようと思っていたことの一つ。3月11日までにはどうしてもお送りしたかった。
夜、オーリアッド。久振りに名取ご夫妻。今朝おじさんがお亡くなりになり、千葉から駆けつけたとのこと。そのあと、長島君、原田さんもやってきて、しばらく近況を語り合ったあと、ミニオープンマイクに。名取(友)さん、プリンセス・プリンセスの「M」をピアノで。久しぶりに聞かせてもらった。すごくうまくなっていた。毎朝、ピアノを弾いてから学校へ行っているとのこと。原田さん、名取さんのおじさんが亡くなったと聞いて、教会の葬儀で、出棺のときに歌う「主よ、御許に近づかん」を歌う。映画「タイタニック」では、船が沈みつつあるとき、バンドがこの歌を演奏し続けたとか。長島君、「ブリキの魔法」。初めて聞く、名取夫妻大いに感動する。名取(芳)さんには、ほたる書房の田中さんの思い出を語ってもらう。そのあと、ぼくが「ブックストア・オブ・ドリームズ」を歌う。不完全な歌詞しか手元になく、尻切れトンボに終わってしまったが。
そのあと、軽度自閉症の子供たちについて啓蒙するイベントを開催しようとしている方々がお見えになった。(そのイベントについては後日お知らせします)。彼らがお帰りになったあと、早目に閉店し、外に出る。雨が降っている。雪でなくてよかった。
家に戻ると、家人がWBC の日本対台湾の試合を見ていた。9回表、3対3になったところ。結局最後まで見てしまった。延長10回の表、日本が1点を入れ、4対3で勝利。井端のような地味だが野球のうまい選手をもう少し入れておくべきだった。
明日は東京へ。
Thursday, March 7, 2013
今日は暖かった。庭の雪も一気に溶け始めた。山際の畑はまだ雪に覆われているが、家の前の畑の雪はおおかた溶け、玉ねぎの芽や、冬越しのほうれん草も見え始めた。これからまた畑の仕事が始まる。昨秋、耕運機のエンジンがかからなくなっていた。業者の方に修理にきてもらう。あら不思議。こともなげにエンジンがかかった。な、なんと。燃料が空だった。
オーリアッド。空のCDケースが4、50枚あり、積み上げられたディスクがほぼ同じ数だけある。今夜はお店に着くと同時に整理を始めた。首尾よくマッチしてケースに入れられたのはその半分ほど。残りはどこにいってしまったのか。
スピーカーからは中西龍のナレーションの入った唱歌集。実は、この唱歌集は3枚組だが、ディスクは2枚しか入っていない。もう1枚はどこへ。ナレーションの中で、子供のときお母さんが亡くなり、継母に育てられたつらい思い出を語っているところがある。彼について書かれた小説『当マイクロフォン』を読んだとき彼の原点がここにあると感じた。それは大変に辛い思い出。しかしそのことなしに中西龍は存在しなかった。山頭火が山頭火になりえたのも、同じような苦い体験があったからこそ。
碌山の言葉に、Struggle is beauty. というのがある。「相克は美なり」と訳されている。その意味が明確に分かったと感じたのは、スヒョン君のお母さんに、高麗(コリョ)大学鳥到院(チョチウォン)校の学長室で初めてお会いしたとき。最近読んだエリザベス・キューブラー・ロスの言葉もそのことを裏書している。
The most beautiful people we have known are those who have known defeat, known suffering, known struggle, known loss, and have found their way out of the depths. ― Elisabeth Ku"bler-Ross
私たちが知っているもっとも美しい人々は、敗北、苦悩、苦闘、喪失を経験して、そのどん底の状態から抜け出す道を見つけた人たちである。―エリザベス・キューブラー・ロス
カウンターの上は相手の見つからないケースやCDで雑然としている。そこへ丸山さん。隣町での歌声喫茶の帰りとのこと。しばらく四方山話。月に4回歌声喫茶の伴奏に出かけるという。それも松本以外の場所で。しかも場所によって、ベースを弾いたり、ギターを弾いたり、ピアノを弾いたり。テレビ出演のあと、CDの注文も増え、コンサートの依頼も増えて忙しいのに、遠路はるばる伴奏に出かける律儀さには頭が下がる。
家に戻り、玄関先の温度計を見る。+6℃。本当に暖かくなった。
Wednesday, March 6, 2013
即宗和尚の歌を書きたいと、資料をもう一度丁寧に読み始めた。彼は17歳で師家を求めて北陸、関西、九州とめぐり、最終的には原担山老師に師事したと書かれていた。
原担山老師が雲水だったときの逸話が残っている。この逸話をUCSBの宗教学の教科書で読んだときは、衝撃を受けた。その教科書には、雲水の名前は書かれていなかった。京都へいってから、福島慶道老師にその話をしたら、「それは原担山」だと言われた。「はら・たんざん」という名前はそのとき聞いただけで忘れていたが、「即宗和尚行状記」の中に原担山老師の名前が出てきて、どこかで聞いた名前だと思い調べてみたら、江戸から明治にかけて活躍した曹洞宗の師家で、その逸話の主人公だった。その逸話は大体次のようである。
二人の若い雲水が行脚の途中、雨で増水した川にさしかかると、一人の娘が川を渡れずに途方に暮れていた。架かっていた丸木橋は朽ちて使えない。ひとりの雲水が申し出て、その娘を抱きかかえて川を渡してやる。ふたりの雲水は川を渡ったところで娘と別れて旅を続けた。2,3里行ったところで、もうひとりの雲水が突然言う、「おまえは出家の身なのになぜ女を抱いたんだ」。娘を渡してやった雲水が言う、「おまえはまだあの女を抱いているのか。わしはあの川のところへ下ろしてきたよ」
実話ではないかもしれないが、はっとさせられる話である。調べてみたらもうひとりの雲水は久我環渓(くが・かんけい)という禅僧で、即宗和尚は原老師の指導を受ける前に、久我老師にも教えを受けていた。「行状記」には即宗和尚は「慶応から明治にかけて、名だたる久我環渓禅師に隋身して手きびしい鉗鎚を受け、また、原担山老師に師事、血のにじむような勉学に三昧した和尚・・」と書かれている。即宗和尚はこの逸話のふたりの僧から教えを受けたことになる。その和尚がこの辰野町の赤羽地区にあるお寺の住職だったというのは、うれしい話である。
歌にできるかどうかわからないが、こんなエピソードを挿入できたら面白い。
オーリアッド。坂井君がやってきた。先週水曜日にもやってきたが歌声喫茶があり、ギターを弾いてもらえなかった。今夜はしばらく歌っていった。その中に「赤いタンバリン」という言葉が出てくる歌があった。その言葉ひとつで、イメージが広がった。はっきりしたイメージを喚起する言葉やフレーズがある歌は、印象に残る。
オーリアッドへ行こうと家を出ようとしているところに電話。小山卓治(おやま・たくじ)さんのファンという人から。小山さんといえば、「ひまわり」という歌が大好きで、昔よく聞いたもの。その歌のコーラスの部分は今でも覚えている。
ガソリンが水溜まりに虹を作る道の向こう
すすけた赤い屋根が続いてる
「ガソリンが水溜りに虹を作る道」と歌われても、若い人たちにはピンこないかもしれない。戦後の貧しい時代を生きた人たちにはすぐにわかるはず。そのころの道路はどこも舗装されていなくて、でこぼこ道だった。雨が降るとあちこちに水溜りができた。そこに車からもれたガソリンが色鮮やかな模様を描き出した。ひょっとしたら、近い将来小山さんに会えるかもしれない。
遅くに長島君。一緒に阿知波さんの新しいCDと、10数年前のCDを聞く。「パトナの少年」を今度のCDに入れてほしかった、と長島君が言う。確かに名曲である。二人が同意したのは新しいCDでは「田中さん」が断然いいということ。
Tuesday, March 5, 2013
一昨日の日曜日の夜遅くにオーダーした補聴器「パナソニック onwa WH-103jj」が今朝9時に届いた。「大至急お送りいただければありがたい」という備考欄への記入に迅速に対応し、至急便で送ってくれたのである。値段といい、梱包といい、極めて良心的な業者である。早速耳につけてみる。凄い。よく聞こえる。テレビの音量を抑えても聞こえる。今まで聞こえなかったフィービーが鳴らす喉か鼻の音まで聞こえる。
いままで使っていたomron AK-5 は全体が薄いプラスティックでできていて、小さな丸い電池入れる部分がよく壊れた。その部分だけを何度も取り寄せた。今日届いた補聴器は頑丈である。ちょっとやそっとの力ではびくともしない。電池は単4の充電式。高価な補聴器用電池 PR41 を頻繁に買う必要もない。
最近ウオーキングをしていなかったので、午後散歩に行こうということになった。いつもの城山公園への道にはまだ雪があって危ないので、ミニエコーの写真を撮りに行くことに。3月15日を最後に廃止される辰野・塩尻間を走る1両の赤い電車である。もう何ヶ月もの間、松本へ行く途中、上島や小野の線路が見えるところで、たくさんの鉄道マニアが写真を撮ろうと身構えている姿を見かけた。
赤い車両が、春夏秋冬、四季折々、田圃の中を走る姿が美しかった。
今日は風は冷たかったが、太陽が明るく射し、庭の雪はだいぶ溶けた。電車の写真を撮りにいった帰り、田圃のあぜ道にふきのとうを4個見つけた。早速夕食にふき味噌をいただいた。美味しかった。早春の味。天気予報によれば、明日はかなり暖かくなるようだ。もうしばらくしたら、庭にもふきのとうが顔を出すだろう。
Monday, March 4, 2013
10時過ぎ、松本へ。お昼を、やまびこ道路沿いの「小沢」で食べる。大きな水車と小林一茶が子供たちと遊ぶ銅像が目印の蕎麦屋さん。何度もこの店に入ったが気がつかなかった。こんな大きな布袋さん(写真)が店内にあることに。そのあと井上デパート、そして丸善へ。帰路、TSURUYA に寄り、食材を購入。大きなビンに入ったオリーブオイルがあった。買い物カゴへ。
3月23日(土)の午後2時開演の「第14回 お話を聴くひととき」の詳細が届いた。一昨年、辰野町の礎を築いた人々をとりあげて、彼らにまつわる文章を朗読したのだが、今回はその第二弾としてアララギ派の歌人・松井芒人や「辰野の良寛さん」とも言うべき明治時代の僧、即宗和尚などが取り上げられる。一昨年の会のために「中谷勲」を書いたが、今回は即宗和尚についての歌ができるかどうか。資料を読む限り、魅力的な人物である。但し、歌を書くにはドラマが必要である。善とともに悪が、光とともに影が。もう少し丁寧に資料を読む必要がある。
第14回 お話を聴くひととき― 礎(いしずえ) II
日時:3月23日(土)午後1時半開場、2時開演
会場:オーリアッド
入場料:500円(ドリンク&お菓子付)
1.松井芒人、武井覚太郎、即宗和尚などについての文章の朗読
2.三浦久「辰野を歌う」ミニコンサート
主催:朗読グループ「ひびき」
Sunday, March 3, 2013
今日は終日、うとうと。かなり疲れている。家人は朝から伊那市のJA会館へ。大正琴の発表会。上伊那地区の8グループが参加したらしい。午後3時半ごろ帰ってきた。なんとかうまく行ったとのこと。丸山さんの歌ではないが、参加したおばさんたちからいただいたお土産がどっさり。干し柿、落雁、金柑の砂糖煮、饅頭、チョコレートなど。
夕食後ニュースを見ているとき、音が聞こえずらいことに気づいた。左右の耳につけている補聴器 omron AK-5 のひとつが反応していない。電池を入れ替えても駄目。同じものを注文しようと思ったが、思いきって別の機種を探すことに。パナソニックonwa モデルjj なるヘッドフォン・スタイルを試してみることに。問題は音楽を聞いたり、歌ったりするとき、どうなるかである。その点、omron の Ak-5はよかった。しかし、とてもデリケートな機器で、電池を入れる部分が壊れてしまったり、頻繁に電池を換えなければならず、大変だった。onwaモデルjjは充電式である。しかも料金はAK-5を二つ買うより安い。
眼鏡、補聴器、部分入れ歯。嗚呼。仏教で言う六根、眼耳鼻舌身意、すべてが衰えて、人は死に向かう。厚生労働省の先日の発表によれば、長野県は平均寿命が、男女とも全国一、男性は80.88、女性は87.18だという。ぼくが子供の頃は人生50年といわれた。そのうち人生60年になり、70年になり、今は80年。平均寿命ぐらいまでは、なんとか元気でいたいもの。
Saturday, March 2, 2013
最初に入ってきたのは、インフルエンザをこじらせしばらく入院していた太田裕士さん。今日退院し、修理に出していた松本の楽器店へサックスを取りにいってきた帰りとのこと。2月1日のジャズコンサートに参加できなかったことのお詫びかたがた、挨拶して帰るつもりだったようだが、太田裕士ナイトといってもいいほどの引っ張りダコに。
それに今夜はもう一人、岩手県は花巻出身の高橋幸大(こうだい)さんが、ケルトン・ボイヤーに連れられてやってきた。ケルトンからの電話では、高橋さんは岩手県出身でミュージシャンであるということしかわからなかったが、最初にお会いしたとき、彼が花巻出身だということを知った。そしてそのあと、彼のMCで、18歳で東京に出て、長い間、B:ridge style というバンドで活動してきたということがわかった。驚いたことに、昨日、東京生活を終わりにして、塩尻へ越してきたばかりという。彼の歌い方は名前のとおり、 ハッピーで大らか。聴衆を魅了した。
聴衆を魅了したといえば、金子昭二さん。今夜の後半のパフォーマンスは、彼がオーリアッドへ初登場してから最高だった。彼の唱える言葉が今夜は聞き取れたことが大きい。いつもはヘッドフォンで歌を聞きながら、それをシャドーイングよろしく少し遅れて口真似するのだが、聞いている人には何をいっているのかわからない(ことが多い)。
*
トップバッターは、太田さん。彼もまた東京から戻ってきた一人。先ずピアノ弾き語りで「虹の中へ」「宇宙の歌」を歌う。彼はふるさと宮田へ戻ってきてしばらくして、オーリアッドのオープンマイクに顔を出すようになった。その後彼は歌を書くようになり、今夜歌った2曲を立て続けに書いた。その2曲のあと、彼が天川神社でインスピレーションを受けて作曲した「天の河原で」をピアノとサックスで演奏。彼のサックスは技術的に上手いというだけでなく、聴衆の心を躍らせる何かがある。(要注意、吹く者も聴く者も、あまり心を踊らせ過ぎないように)。
太田さんの「宇宙の歌」のあと、自らを宇宙人と称する金子さん登場。諏訪中卒業後、給費生として横浜学院で学び、その後早稲田へ進学し、長年教員をしたという半生を語る。そして横浜学院が、後の相馬黒光、星良(ほし・りょう)が学んだフェリス女学校に近かったことから、碌山、相馬愛蔵、黒光について語り、ぼくの「碌山」の歌詞の一部を朗読する。
それを受けてぼくが「碌山」を歌うことに。幸大さんが花巻出身と知って「雨ニモマケズ」を歌う予定だったが、急遽変更。太田さんにサポートをお願いする。何年振りだろう、彼のサポートでこの歌を歌うのは。
幸大さん、太田さんのサポートで、途中から坂井さんもジャンベで加わり「 Smile」、そしてオリジナルの「星に願いを」を。大きなよく響く声。そして歌いながらの満面の笑み。みんなびっくり。藤森さんも太田さんにサポートを頼み、愛音ちゃんと「上を向いて歩こう」。そして妹のレイナちゃんも加わり「カントリー・ロード」。坂井俊水さん、先ず、お母さんが今日勤めていた会社を定年退職したとのことで「職人になったおじさん達」を歌う。丸山さんのCD発売記念のときよりも、歌い込んだのか、説得力が増している。そして「ワインディング・ロード」。赤羽真理さん、「御手の中で」と、太田さんのピアノとサックスのサポートで「千両梨の実」。原田和恵さん、坂井さんに続いて丸山さんの「雪のかくれんぼ」のカバー。そして、3人のイケメン若手ミュージシャンを起用しての「翼をください」。聞きごたえがあった。
前半最後、ケルトン・ボイヤーにスピーチをお願いする。ペンシルバニアの高校を1979年に卒業後、早稲田や慶応で学び、その後何度かアメリカに一時帰国したが、人生の半分以上を日本で過ごしてきたと語る。流暢な日本語。彼が日本語を話すのを初めて聞いた。こんなに上手とは思わなかった。客席から「日本人よりうまい」との声も。ここで休憩。
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後半のトップは久々登場水野哲男さん。マラソンやスキーのせいか、かなりスリムになっていた。白馬の小学校で教えた生徒が、16歳のときスキーのジャンプ台で亡くなったときのことを書いた「16」。そしてギターインストラメンタルで「アンジー」。次に太田さんと幸大さんで3曲。「愛燦々」「Peaceful Mountain」など。金子さん、宇宙飛行士星出彰彦さんの15回目のドッキングミッションのときのテーマソングだという「ああ無重力ココロがはづむ」を、脇に抱えた太鼓をたたきながら、アカペラで。大きな喚声、そして拍手。86歳、ますます元気。藤森さん、師匠の「雪」のカバー。坂井さん「君が幸せであるように」。赤羽さん「十字架の勝利の印は遠く海に架かる虹」という言葉が印象的な「フリー」。
原田さん、「君は愛されるために生まれた」を手話を交えて。手話はひとつの言語である。手話をしながら歌うということは、2つの言語を同時にあやつること。これは難しい。最後にぼくが、前半に予定していた「雨ニモマケズ」を、宮沢賢治の実家を40年前に訪問したときの話のあと歌う。
最後の最後、太田さんが、もう1曲と申し出る。お母さんが友人と始めた会社「食ごころ」のドレッシングのCMソング「ドレッソング」を歌う。先日のジャズライブの際、お母さんからドレッシングやソースかつどん用のソースをいただいたが、とても美味しかった。
これで今夜のオープンマイク終了。大変贅沢な楽しい夜になった。「武居先生今夜くればよかったのにね」とは家人の弁。
来週の土曜日、3月9日は都合により臨時休業いたします。次回のオープンマイクは3月16日(土)です。
Friday, March 1, 2013
先月20日に成績を提出してから、しようと思っていたことがいくつかあった。しかし、急遽パーソナルドメインを移転しなければいけないことになり、そのことで結局時間を取られて、延ばし延ばしになってしまった。今日は、1月22日の中学校での読み聞かせの時間のあと、担任の先生に約束した We Shall Overcome の歌詞と音源のCD-Rを作る。音源は、 Joan Baez, Pete Seeter, Springsteen の3人。卒業式の前には渡さなければ。
簡単にできると思ったが、歌詞がそれぞれに若干違っていて、それを聞き取ったり、RealPlayer が不調だったり、すっかり時間がかかってしまった。4時過ぎ、何とか完成し届けることに。外に出るとはげしい雨。事務局へ行き、先生に渡してもらうようにお願いする。そのあと郵便局へ。今朝届いたユニクロの冬物が入った小包をスモールパケットでNZへ送るため。郵便局へいって気がついた。財布がない。ということは免許も?急いで家に戻り、再度郵便局へ。こんなことの繰り返し。嗚呼!
オーリアッド。遅くに珍しいお客さん。ビートルズ好きのNさん。赤羽(真)さんが勤める会社の社長さんだったが、ほぼ2年前退職され、現在は霧が峰に住んでいるとか。少し太られ、日焼けしている。家のベランダから富士山や南アルプスを眺めることができるとか。すぐ近くにゴルフ場があり、ゴルフもよくやっているようである。
「今日はお礼をいいに寄りました」というので、何のことかと思ったら、レナード・コーエンの Live in London のDVDのお礼だという。Nさんがお釣りを受け取らなかったとき、代りに、カウンターにあったDVDを差し上げたことがあった。社長をしているときそのDVDを見ることができなかったが、霧が峰に移ってからよく見るようになったとのこと。
こんなに見たり聞いたりしたDVDは他にないと言われる。わかる、わかる。あのDVDは見始めたら3時間、途中で止められなくなる。そしてすぐまた見たくなる。あのDVDが出てからぼくは、ほぼ1年半、よく見た。オーリアッドでも、いつもそのCDをかけていた。
しばしレナード・コーエン談義。驚いた。以前はレナード・コーエンについては何も知らなかったのに、今は曲名はもちろん、曲の内容についてもよく知っている。ほぼ1年前に出た Old Ideas を聞いてもらう。暖かくなったら、霧が峰の家をお訪ねしたいものである。