OREAD Diary December 1-31, 2012
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Monday, December 31, 2012
2012年、大晦日。日中しばらく雪が激しく降る。右の写真は、一昨年、玄関前に植えたナンテンである。赤い葉、赤い実に、白い雪
ケルヒャーのスティームクリーナーを使って窓拭き。子供たちが家にいたころは、彼らがやってくれたもの。今、二人は家にいず、窓拭きはぼくの仕事。両腕が疲れる。
長男が明日帰るとのことで、御歳取りのご馳走は少し控えめ。それでも、いつもよりも多くの料理が食卓に並ぶ。義母は「これも作ったの?」と娘の料理に驚きの声。
ボクシングと紅白をとぎれとぎれに見る。正直に言って、紅白はつまらない。いいと思ったのは「ヨイトマケのうた」だが、昔、深夜放送で聞いたときの感動はなかった。そのほか、ギター弾き語りで歌った女性歌手もいいと思った。全部の歌を聞いたわけではないので、公平な判断ではないが。
今年も多くの方々に支えられて一年が過ぎた。新しい人、新しい歌との出会いもあった。もっとも印象に残っていることは、9月後半の東北への旅。被災地の惨状に驚くと同時に、佐沼の町を訪問し、父が実在したことを実感できて嬉しかった。親しかった何人かの友人との別れもあった。誰も死を免れることはできない。人は誰も100パーセント死ぬ。それは分かっている。でもあまりに早すぎた。
Sunday December 30, 2012
朝9時少し前、雪かきをもって村の神社へ。ぼくが着いたときには、すでにみなさんお集まりだった。元旦の行事に向けて、石段下の大鳥居にしめ縄をかけたり、本殿の掃除をしたりしていた。ぼくは境内の雪をかくことに。作業は1時間ほどで終了。
そのあと家に戻り、玄関や神棚にしめ飾りを飾る。そのあと、オーリアッドへ。昨夜の後片付け、そして入り口のドアにしめ飾りをかけ、年末年始の休業の張り紙を貼る。この村へ戻ってきたころは、母も健在で、家中の部屋だけでなく、ガレージや石の祠にまで、松の小枝のついた輪飾りを置いたり、いくつかの場所にお供えのお餅を置いたりしたのだが、だいぶ簡略してきた。
それでも家人は意外と信心深く、一夜飾りはいけないと、今日中に飾り物を飾ることに。
午後、1時間ほど昼寝。夜遅く、長男とスカイプで話す。明日は用事があり、元旦の昼ごろ戻るとのこと。
Saturday December 29, 2012
田中創君は今年の最初のオープンマイクにやってきて、「今年は新年の抱負として、一ヶ月に一曲新曲を書き、それを毎月オーリアッドのオープンマイクで歌うことにした」と話してくれた。そして、その言葉どおり、一月の「ブーツマン」に始まり、12月の「こころの道路」まで、全12曲、毎月一度オーリアッドにきて、新曲を披露してくれた。それは彼ほどに卓越した才能をもったソングライターにとっても、難しい課題だっただろうと容易に想像できる。ときには「ここへ来る直前に、完成しました」などという月もあった。
最初のうちはぼくも半信半疑だった。そのことはその日の Oread Diary に新曲「ブーツマン」について何も書かれていないことからも分かる。彼がその歌を歌ったことは覚えているのだが。しかし半年が過ぎるあたりから、彼がその月の最後の土曜日、来るのが遅れると心配になった、「今月は無理だったのかも」と。そして彼がドアを開けて入ってくると、ほっと胸をなでおろしたものだ。
今夜、彼が新曲を発表する前、奥さんの安希子さんに、その辺の経緯を語ってもらった。「近くで見ていて、苦労していることがわかりました。当日、午前2時に起きて、必死に完成させようとしていたこともありました」。そして安希子さんは次のように続けた。「今月の歌は、この一年の集大成となる内容にしたいと奮闘していました。どうぞみなさんの曇りなき眼(まなこ)で聴いた感想を教えていただけたらと思います」。
そのあと、出演者はそれぞれ一言「曇りなき眼」による感想を述べたが、その感想の言葉がよかった。オーリアッドに文化があるとすれば、それは、田中君や他の出演者が創り出す作品の中に、そしてそれらの作品に真摯に耳を傾け、語る言葉の中に、ある。
大げさで、手前味噌に響くかもしれないが、オーリアッドがこれらの歌を作り出す触媒になりえたことに、そしてこのようにオーリアッドを愛してくれる方々が集ってくれたことに、誇りを感じ、感謝しないではいられない。そしてこれからも、オーリアッドが、出会いと創造の場であり、謙虚に互いの歌に耳を傾け、触発しあい、影響しあい、成長しあえる場であってほしいと、願わずにはいられない。
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今夜の出演者は順に、三浦久、原田和夫、坂井俊水、朝見英吉、田中創、原田和恵、長島功、三浦久、赤羽真理、田中安希子、田中創、朝見英吉、垣内彰、原田和恵、長島功、赤羽真理、そして All Star Session Band with Satoru Nagashima。
みなさんのおかげで、今夜は一年の最後を飾るにふさわしいオープンマイクになりました。ありがとうございました。オーリアッドの2012年の営業は今日で終わりです。2013年の最初の営業日は1月4日(金)、オープンマイクは1月5日(土)です。
Friday December 28, 2012
今朝も裏山へ。午後から雪の天気予報。焚き付け用の杉の小枝と枯葉を拾いに行く。枯葉は麻袋に、小枝は縄でしばって抱えられるだけ。これで雪が降っても大丈夫。
予報どおり、午後3時ごろから粉雪が舞いはじめ、オーリアッドへ出かける夕方までに5cmほど積もった。オーリアッドに着いて先ずしたことは雪かき。ついでに外回りの写真を撮る。掲示板には過ぎてしまったイベントのポスターもいくつか。キング牧師チャリティコンサートは来年1月20日(日)。
その後も雪は降り続け、大雪に。「雪は降る、お客は来ない♪」だろうと思っているところへ、原田和夫さんが奥さんと一緒に。会社の忘年会の帰りだとか。奥さんから若いころの貴重なお話を伺っているところへ、さらに何名か。和恵さんには、何曲か歌っていただく。
11時閉店。外に出るとまた雪が積もっている。歩道の雪を簡単にかいてから、国道を通って家に帰る。雪のときは国道が一番安全。除雪車はまだ出ていないらしく、道路は大雪のときはそうなるように、でこぼこ。旧道に入り、坂を上り、上の段の農道へ。一面の雪景色。庭のテーブルには10センチ以上積もっている。
明朝はまた雪かきだ。
Thursday December 27, 2012
午前7時半、玄関先の温度計、−12℃。今期最低気温。午前5時ごろはもっと寒かっただろう。朝食後、裏山へ暖炉の薪の焚き付け用の小枝を探しに行く。家の墓地の横、枯れた葉のついた杉の小枝がたくさんあった。縄で一束ゆわえて持ってきた。早速、暖炉に火をつけた。よく燃える。
近くのホームセンターでは100W相当のLED電球は売っていないが、通販にあった。頼んでおいた5個が今朝届いた。早速リビングにつける。さすがに明るい。さらにもう5個注文する。
夜、オーリアッド。CDプレイヤーのトレイが寒さのせいで開かない。そこへ太田君。しばらくピアノを弾いてもらう。そのうち暖かくなって、CDトレイがオープンした。ジョルジュ・ブラッサンスをかける。そしてレナード・コーエン。
太田君は、来年2月1日(金)午後7時半スタートでオーリアッドで開く「太田裕士 Quartet ライブ」のチラシをもってきた。太田裕士 Sax、 若井俊也 Bass、 渡辺ショータ Piano、柵木雄斗 Drums。開場7時、開演7時半、チャージ 2000 円 with one order。
2月2日(土)には駒ヶ根の MOKK で、2月3日(日)には飯田の TESSHIN で、同じメンバーで行われる。
後半しばらく歌の練習。寒い。早目に終わることに。家に着くと、頭上にまん丸のお月さん。満月か。明日の朝も冷え込みそうだ。
Wednesday December 26, 2012
沢底の「信州木の駅プロジェクト」へ電話。薪を注文する。早速、楢の薪を40束分、軽トラに積んでもってきてくれた。これでしばらく薪の心配はしなくていい。薪代も市販よりずっと安い。火をつけるとき必要な焚き付けの小枝は裏山へ取りに行こう。
午後はいつもの散歩コースへ。守屋山がきれに見えた。遠く南アルプスの雪をいただいた峰々も。気温は0℃前後だが、風のあたる顔以外は寒くない。数年前に買ったオーバーズボンが役に立っている。これをはいていると、下半身がぽかぽかで、仕事部屋のヒーターも常時つけていなくてもいい。しかもフィービーが膝に乗ってくれば、更に暖かい。重いけれど。
夕方、オーリアッドへ出かけるとき、−5℃。11時、帰宅したとき、−8℃。明日の朝は更に冷え込むだろう。
通常、将棋の勝負は1回だけと決めているが、今夜は、あまりにも早く勝ってしまったので、2回することに。2回目も優勢に進んでいたが、桂馬と角で攻められ万事休す。前にも同じ手で負けたことがある。
■
Facebook friend の投稿の中に素敵な詩を見つけた。Facebook の功罪がよく言われるが、ぼくにとって Facebook は、会ったことはないけれど、同じような感性や美意識をもった世界中の人たちと交流するかけがえのないメディアである。
When the song of the angels is stilled,
When the star in the sky is gone,
When the kings and princes are home,
When the shepards are back with their flock.
The work of Christmas begins:
To find the lost,
To heal the broken,
To feed the hungry,
To release the prisoner,
To rebuild the nations,
To bring peace among brothers and sisters,
To make music in the heart.
―(Howard Thurman)
天使たちの歌声が止み
導きの星が消え
王や王子たちが家に帰り
羊飼いが羊の群れに戻ってから
真のクリスマスの仕事が始まる
道に迷った者たちを探し出し
打ちひしがれた者たちを癒し
飢えた者たちに食を与え
囚われた者たちを解放し
国々を再建し
兄弟姉妹の間に平和をもたらし
そして、心の中に音楽を作るという 仕事が
―ハワード・サーマン (miura訳)
Tuesday December 25, 2012
起きて階下へ行き、テーブルの上にのっている「たつの新聞」を手にとり、真っ先に、1面の左下を見る。今年もあった。原田技研のクリスマス広告。 1982年の春にこの町に戻ってきてから、毎年クリスマスの日の朝には、この広告を見かけた。「いと高きところでは神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」「水と空気以外は何でも印刷しま す」―何とセンスがいい。
今ではこの広告を出す人と毎週のようにお会いするようになった。いろいろなお話を聞かせていただいたり、将棋を教えてもらったりするようになった。この人に魅かれるのは、彼が群れることなく、わが道を行く独立独行の人だからだ。そして見えないところで、人々のためになることをひそかに行っているからである。まさに「施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」の実践者である。
オーリアッドのおかげで、多くの方々に、多くの歌に、出会わせていただいている。ありがとうございます。
Monday December 24, 2012
午後、ウオーキング。いつもの散歩道ではなく、今日は国道153号線を横切り、中央東線の支線を渡り、横川川沿いの堤防(というよりは田圃の畦道)を北へ歩く。オーバーズボンをはき、ヒートテックのシャツの上にフード付きのフリースを着ていたので、身体は寒くないが、風が直接あたる顔は切れるような冷たさ。
線路をわたってから振り返ると、わが家の裏山に日が沈むところだった。光を浴びた雲の模様がきれいだ。でんで原まで行き、そこからまた線路、国道を横切り、村の上の段の農道へ出て、戻ってきた。結構疲れた。
子供たちが家を出てからは、クリスマス・イヴといっても特別なことはしなくなったが、今夜の夕飯のおかずはアジの干物だという。クリスマスにアジの干物ではちょっとわびしい。買い物へ行き、白菜、牡蠣、豚肉、そしてシラタキの鍋をすることに。お刺身も。
ケーキを食べてから2階に上がり、仕事をしているところへ、ドアベルが鳴り、家人が下からぼくを呼ぶ。誰が来たのだろうと思いながら、降りてゆくと、はたして教会の聖歌隊のみなさん。家の前でクリスマスキャロルを歌ってくださった。これには感激。寒いところ、ありがとうございました。
そのあとまた2階に上がり、メールを開けると、次男からマサキくんの1歳の誕生日の写真が送られてきていた。「お人形さんのような」とか「女の子のような」という形容詞がぴったりの可愛いさ。(とうとう孫自慢の爺さんのひとりになってしまった。)クリスマスは、この子のような小さな子供たちのためにある。この子たちが大きくなるころには、戦争も原発もない地球になっていてほしいものである。
Sunday December 23, 2012
一日のんびり過ごす。毎年この時期は対訳の仕事が入るのだが、今年はない。こんなときこそ、新曲を書くとか、エッセイを書くとか、何かクリエイティブなことができそうだが、実際はそうはいかない。切羽詰って、時間がないときのほうがアイディアが湧いてくることがある。
午後、フィービーの餌を買いに隣町のホームセンターへ。ソフィーがいなくなり、フィービーだけになり、尿路結石予防のphコントロールの餌を取り寄せなくてもよくなった。餌代が大幅にかからなくなった。餌代はかかっても、ソフィーがいてくれたらと思う。フィービーも遊び相手がいなくなって淋しそう。仕事部屋に入りたがり、すぐにぼくの膝に乗ってくる。これが重い。Sophie, Come Back!!!
雪の積もった庭に出て、転んではいけないので、義母はわが家にきてからずっと家の中。耳がほとんど聞こえないことを除けば元気である。足どりも85歳とは思えない。フィービーと遊びたがって、声をかけるのだが、耳の遠い人特有の声の大きさに怯えて、フィービーは逃げ回っている。もう少ししたら慣れるだろう。義母とフィービーがいっしょに遊んでくれたら、大助かり。
夜、お風呂に柚子を入れて、柚子湯を楽しむ。いい香りである。昨日の朝、坂牧さんが柚子をたくさんもってきてくださった。高価な市田柿も。坂牧さんは、雪が降ると、天然記念物に指定されている枝垂栗(しだれっくり)の写真を撮りに行くとのことで、昨日の朝もその帰りだった。
寒くなって血圧が高くなった。睡眠不足がいけないらしい。午前1時、2時まで起きていることが多い。今夜は12時には寝ることに。
Saturday December 22, 2012
朝起きたら大雪。村道の雪かきは、区の決まりとしてウイークデイは午前6時から、休日は7時から。7時少し前、村道へ降りて行く。大部分は区の除雪機で雪はかかれていて、除雪機のかき残した雪と、急勾配の坂道の雪をかくだけ。短時間で終了。家の周りは、サンデッキの雪を降ろし、あとはガレージに行けるように、細い道筋をつける。残りは自然に溶けるのを待つ。全部かいていたら、身体がもたない。
午後には太陽も出て暖かくなり、かなり溶けた。下の真ん中の写真、月の左側に鳥が飛んでいるのが見えるだろうか。
■
オープンマイク。この大雪で出演キャンセルがあいつぐかと思ったら、松本から丸山俊治さん、大町からきらきら旅団の山口夫妻、それに諏訪の金子昭二さんが予定通りやってきた。聞くところによると、大町、松本はそれほど降らなかったようだ。
トップバッターは坂井俊水さん。U2のカバーで With Or Without You。声に力がある。続いてオリジナルを2曲。Winding Road と「君が幸せであるように」。金子昭二さん、堀越芳江さんのタブラに触発され購入した脇に抱える太鼓をたたきながら、井上ひさし作詞宇野誠一郎作曲の「釜石小学校校歌」を歌う。確かにユニークな歌詞。
きらきら音楽旅団の山口夫妻、宮沢賢治の「牧歌」、Down by the Salley Gardens (with Santa Clause Is Coming to Town)、そして「今日はクリスマス」(with We Wish You a Merry Christmasn)。丸山俊治さん、久々に「新宿に降る雪」。エンディングの救急車のサイレン音が印象的。そして、「国会中継」。長島功さん、「ブリキの魔法」と「無縁坂」。新年には、お母さんにささげる歌を聞くことができるかも。ぼくが「ブックストア・オブ・ドリームズ」と「テネシー・ワルツ」を歌い、前半終了。武居先生差し入れの草餅をいただく。休憩時間に流れたのはカーリー・サイモン。My Bonnie Lies over the Ocean。
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後半トップは遠藤徹さん、お母さんが亡くなる直前に書いたという「合歓の木の子守唄」、そして持参された丸山さんのCD用音源「70歳になったのだ」を聞く。佐久間順平さんがバイオリンやバンジョーを加えたという豪華盤。来月後半には出来上がってくるとのこと。楽しみである。続いて丸山さん、名曲「職人になったおじさんたち」。金子さん、前半と同じ作詞作曲者による「ひょっこりひょうたん島」。客席から金子さんをサポートする歌声が。きらきら旅団のお二人、アイリッシュのインストラメンタル「ラスリング・アイランド」、そして宮沢賢治作「星めぐりの歌」。原田和恵さん、「きよらに星澄む今宵」を含むクリスマスの歌2曲。赤羽真理さん、「御手の中で」、そして「千両梨の実」、ではなく「祈ってごらんよ、わかるから」。初めて聞く歌。
最後、高齢、いや恒例のセッション。「アメイジング・グレイス」。今宵は14歳の中学2年生も加わり、平均年齢がぐんと下がる。「高齢」とは言わせない、と思ったが、71歳と67歳を加えて平均すれば、やはり高齢か。とにかく、14歳から85歳までの幅広い年齢層によるセッション。これはすごい。
大雪にもかかわらず、おでかけくださったみなさんに感謝。
来週土曜日12月29日が、2012年オーリアッドの最終営業日。および最終オープンマイク。2013年は1月4日(金)が最初の営業日。オープンマイクは5日(土)から。
■
しばらく次男のスカイプ付きパソコンが不調で交信できなかったが、新しく買い換えたとのことで、今朝、久しぶりにマサキくんと「話す」ことができた。一歳の誕生日を過ぎ、少し歩くことができるようになったとのこと。「ワーワー」とよくしゃべる。何を言っているかわからないが、笑顔が可愛い。年末年始をわが家で過ごすために昨日やってきた家人のお母さんも、大喜び。
Friday December 21, 2012
家人は早朝まだぼくが寝ている間にバスで京都へ。年末年始を一緒に過ごしてもらうために、お母さんを迎えに行く。夕方、オーリアッドを開けた直後に到着。弟が送ってきてくれた。駐車場で挨拶し、すぐに家へ行ってもらう。しばらくの間のんびりし過ごしてもらえたらと思う。
午後、先日同姓の会で会食したときもらった割引券を使おうと、「ながたの湯」へ。先ず、室内の湯船に入り、そのあとサウナ。それから露天風呂。露天風呂のあと、もう一度室内の湯船に入る。
露天風呂には先客がひとりいたが、かなり離れていたので、聞こえないだろうと低い声で Tennessee Waltz を英語と日本語で練習。更衣室で服を着ていると、話かけられた。「さっき歌っていたねえ。上手いね」。「絵を描いているかね」。「いえ、歌を歌ってます」。知らない人から一度も「歌を歌っているか」と声をかけられたことがない。「絵を描いているか」ときかれたことは何度か。「土方か?」といわれたことが一度。
その人は髪が耳の上に少しあるだけで、あとは何もない。かなり老けて見える。70ぐらいには見える。75でもおかしくない。「おいくつですか」と聞くと「66」だと言う。思わず「若いですね」。彼が66なら、ぼくはおそらく50代後半、少なくとも60代前半には見えるだろうと思っていたら、「ワシよりは上だろう」とのこと。えっ、と思いながら、「ひとつ上です」。人はおそらく誰でも鏡の中の自分の顔を見るときは、そこに別人を見ているのだろう。
オーリアッド。坂牧勉(龍角)さんがやってくる。市田柿で知られる下伊那の高森町で甘柿から作られるという平無核(ひらたねなし)という干し柿をもってきてくださった。ハーモニカを吹いてもらって、Tennessee Waltz を歌う。いい感じである。明日のオープンマイクは区の委員会があってこられないとのこと。
11時過ぎ、帰宅。雪が降っている。明日の朝は雪かきか。
Thursday December 20, 2012
午後2コマのクラス。最初のクラスのテストは返せたが、次のクラスのは、ぎりぎりまでがんばったが時間切れ。冬休み明けということになった。今日も、What a Wonderful World は、歌詞の解説をしてCDを聞くだけ。歌うのは休み明け。どうしても1箇所しっくりするコードがみつからない。それにリズムが後半合わないところも。
最初のクラスの「歌の時間」が終わり、教科書を開く前、ボブ鈴木の話をする。ちょうど彼の葬儀が始まる頃。教科書の内容は TOEFUL Study Kit を online で注文するというもの。ボブ鈴木は茅野でジーンズショップを開いていた。しかし格安ジーンズがオンラインで販売されるようになってから、経営が難しくなった。そのあと彼は諏訪のデパートに勤めた。彼のやさしい人柄とさわやかな笑顔は営業に向いていると思っていたが、そのデパートも数年前に閉鎖された。その頃から闘病生活を余儀なくされ、ついに今月16日深夜、亡くなった。葬儀には、ぼくに代わって家人に参列してもらった。
9月に亡くなったほたる書房の田中さんとともに、忘れられない人がまた増えてしまった。田中さんとボブ鈴木には共通するところが多い。先ず、その人柄と笑顔。online shopping の普及によって、仕事を変えざるをえなくなったが、二人とも人柄が買われ、営業の仕事をした。共に昭和24年生まれ、団塊の世代の真っ只中、激動の60年代、70年代に青春時代を過ごした。それに、彼らには彼らの死を悼む多くの友がいる。May you rest in peace, Bob!!
夜、オーリアッド。家人と交代。家人が帰ってすぐに、山口さん。明後日のオープンマイクに来たいが、明日は神戸に帰らなければとのこと。オープンマイクではゆっくり話す機会はないが、今夜はご家族についてなど、プライベートな話もお聞きできた。赤いエレキギターを買ったとか。
What a Wonderful World の話をすると、不思議なことに山口さんも今、Over the Rainbow と What a Wonderful World を合体させたヴァージョンを練習中とのこと。早速コードを教えてもらう。なるほど。山口さんが使っているコードならば、ぼくにも歌えるかも。それにエイトビートのストロークの仕方も。
そこへ、忘年会帰りのお客さんが9人。てんてこまい。そのうちの一人は、某会社の社長さん。ぼくが昔「犬と歩いているところをテレビで見た」という。もう20年以上も前だと思う、SBCテレビで『三浦久フォークの世界』という番組が流れた。その最後の部分は、家人と犬のベンジャミンと、粉雪の舞う村の道を歩いているシーン。ベンジャミンはもう15,6年前に死に、われわれも歳を取った。この番組を制作してくれた野沢さんからも先月末、「今月末をもってSBCを退社することになりました」とのメールが届いた。Time and tide wait for no man. 嗚呼。
Wednesday December 19, 2012
昼をはさんで2コマのクラス。歌、教科書、そしてテストの返却。
帰路、TSURUYAに寄り、いくつかの食材の購入。
夜、オーリアッド。垣内さんがやってくる。新しいカメラを見てもらい、縦横の割合が従来のサイズで撮れるようにしてほしいとお願いする。さすが垣内さん。こともなげに変えてくれた。そのサイズを調整したカメラで、3人の顔写真を撮らせてもらう。そう、縦横がこの割合の写真が欲しかったのである。ありがたい。(昨日の日記の写真と比べるとその違いがわかる。)
坂井君から、友だちから送られてきたという宝石のように美しいイクラをたくさんいただく。家人の大好物。11時過ぎ、家に戻り、家人にわたす。歓声と笑顔。
寒い一日。夜、家に戻ったとき、玄関先の寒暖計は−7℃をさしていた。
明日が冬休み前、最後のクラス。
Tuesday December 18, 2012
「松本は寒い寒い。寒さをしのぐ何かいい方法はありませんか」と書かれた英文の宿題メールが、10月半ば、気温が低くなり始めたころから増え始めた。今年の4月から松本に住み始めた学生たち。ぼくの返事は決まっている―「寒さに慣れるより仕方ない」
去年ぼくのクラスにいて今年は長野市に住んでいる奈良県出身の学生が今日 facebook に書いていた。「ここ最近の長野県って・・・めっちゃあったかい。気温が夜で5℃もあるなんて幸せすぎる。5℃であったかいって考えるなんて…ちょっと感覚がブレてきているかも…」。寒さに慣れるには彼のように長野県で一冬越す必要があるのかも。
午後遅く、ウオーキングへ。目的はウオーキングというよりも、新しいカメラを試すこと。冬枯れのいつもの散歩道。空はどんより、気温は2℃。ヒートテックのフリースを2枚重ねて着たら、暖かい。少々暗くても、しっかりと撮れる。フラッシュを焚くと不自然な色になる。3列目、左下は徳本水の湧水。かなり暗かったので最初はフラッシュを焚いたが、フラッシュなしで撮りなおした。国道から旧道に入り、坂を上って家に戻ったときは真暗。
コンパクトで軽くて、首にかけても重くない。操作も簡単。しかし、写真の出来ばえは COOLPIX P100 のほうがやはりいいようだ。
■
先週末のライブの感想がいくつか届いている。東中野のマ・ヤンでのライブは慣れないところだったので心配したが、みなさん楽しんでくれたようだ。両方に来てくれた方は、共によかったが「私は、マ・ヤンの構成がとてもよかったと思います」とのこと。マンダラ2のテーマは「死」で少々重過ぎたかもしれない。
マ・ヤンには 主催された方のfacebook friends が何人かきてくれたが、「face の友達みんな感激してました」とのことだった。 マ・ヤンでの演奏が前夜のマンダラ2と比べて、もうひとつだったと感じていたので、うれしかった。
またマ・ヤンの狭さに触れて、「とっても楽しみました。あのような小さいところもいいですね」と書いてくれた方がいた。「感慨深い夜をありがとう。最初から深く心に響き(過ぎ?)、あのあと一人で余韻を楽しんだり、何かひっかかるものを、むしろ大事にしようと思ったり。小さなお店での少人数のライブならではですね」と書いてくれた人も。
また今年は誰のサポートもなく一人の弾き語りだったが、そのせいかメッセージが鮮明になったという主旨の感想がいくつか。「楽しく聞かせていただきました。今までよりメッセージ性(ヒューマニズムというか宗教性というか)を強く感じました」。「三浦さんの歌は年々シンプルになっていると感じています。今年、一人でステージに立たれたことがよりそれを引き立てていたと思います。メッセージがストレートに伝わってきました」等々。
Monday Decemb er 17, 2012
朝起きてメールををチェックする。コータロー君から「残念ながら、昨夜遅くボブが亡くなった」とのメッセージ。病院へ行く予定を変更し、自宅へ。彼の自宅へ行くのは初めて。原田泰治美術館の近くと聞いたことがある。住所を入力したら大体の位置を示す地図が出てきた。有賀峠を越えて諏訪へ行くときにいつも通っていた道沿いだ。
玄関を開けると奥さんが出てきた。「ご愁傷さまでした」と言うと、「オーリアッドへもう一度行きたいね、と話していたのに残念です」。合掌し、線香を上げる。顔を被っている布をそっと取ると、そこにボブ鈴木がいた。額に手をやると冷たかった。
どこで最初に彼に会ったか定かではない。30年前京都から辰野へもどってしばらくしてからだった。その頃彼はスプリングスティーンの大ファンだった。後年彼はロックよりもブルーズに傾倒した。
オーリアッドができてからは、よく友達をつれてやってきて、渋い歌を歌ってくれた。飄々とした彼の風貌が好きだった。そして彼の歌も。レコーディングしているという話を直接聞いたことがある。出来上がっていたら一枚欲しい。目をつぶると彼のはにかんだような、やさしい笑い声が聞こえてくる。
終日、中間試験の採点。何とか今週は返せそうだ。
■
2010年5月1日の日記にボブが会いにきてくれたときの様子が、写真入りで書かれていた。
6時少し前、オーリアッドの駐車場着。車を止めて横を見ると、高級車が入ってきた。中には、片手を上げ、ぼくを見て微笑んでいる紳士が一人。どなたかと思いながら近づくと、果たしてボブ鈴木だった。豊田君のコンサートのときにレナード・コーエンの Live in London (DVD) を買ってくれたのだが、あまりによかったので、上げたい人がいるともう3枚買いにきてくれたのである。
「こんなに何度も見たDVDはほかにありません」とのこと。Ditto! (『ゴースト、ニューヨークの幻』風に)。(ぼく自身)1年以上経った今でも、そのCDをよ く聞いている。オーリアッドで、車の中で。ボブに1曲歌うように頼む。最近はギターをもつこともなく握力が落ちていると言いながら、「バーボン・ダブル」を歌ってくれた。ボブ 鈴木節健在。更に体力を回復して、また歌いにきて欲しいもの。
Sunday December 16, 2012
10時、タウンホテルをチェックアウト。徒歩で新宿駅へ。昨日は一日雨だったが、今日はいい天気。長男からもらったあずさの回数券をもってみどりの窓口へ。11時発の指定席がとれた。
1時25分、岡谷着。4分の待ち合わせで飯田線の電車に乗り換え、1時45分、辰野着。岡谷駅で、家人に電話。パークホテルでの法事の会食はまだ終わっていないとのこと。歩いてオーリアッドへ。しばらく待っていると家人がやってきた。
夜、選挙の結果をしばらく見る。でも最初から勝負あった。敗走につぐ敗走。この結果を見て、2日続きのライブの疲れがどっと出てきた。早目に寝ることに。
コータロー君からボブ鈴木危篤の連絡が入っていた。明日の朝、見舞いに行くことに。
■
新しいカメラで、帰りの電車の中から山なみの写真を撮る。なかなか使いやすいカメラである。但し、家に戻り、アップしてみると、写真のサイズというか形が、今までのカメラよりも縦の長さが短かい長方形である。これをどこか操作することで、今までのカメラと同じサイズにできるだろうか。
下の写真左は、カメラを購入した直後、喫茶店で長男を試しに撮ってみた写真。その右2枚は、マ・ヤンで撮った写真。こうして見ても、写真が横に細長く見える。慣れればこれで自然に見えるようになるのだろうか。
Saturday December 15, 2012
カウンセリングの講習が午後穂高であるとのことで、家人は8時過ぎ吉祥寺の東急インを出て八王子から特急あずさに乗り、辰野へ。ぼくは、12時前、長男が迎えにきてくれ、新宿へ。今から思えば、2晩東急インに泊まったほうがよかったが、東中野は新宿に近いだろうと駅に近い安ホテルを予約した。
ギターとキャリーバッグをコインローカーに預け、駅から徒歩10分のタウンホテルへ。とりあえずチェックインをすませ、再び駅へ。小田急百貨店のレストランで昼食。食事をするために並んで待つということに慣れていないが、東京に住んでいる人たちはあまり気にしないようだ。とんかつ定食。実に美味しかった。並んで待つ価値あり。
東中野のマ・ヤンに入る時間は4時。少し時間があるので、ヨドバシカメラへ。前からポケットにはいる小型カメラが欲しかった。今使っているカメラは、それほど重くないが、かさ張って、気軽に持ち運ぶには不便だ。Nikon の COOLPIX S6400 を購入する。
中央線の各駅停車に乗り、2駅後の東中野へ。マ・ヤンはすぐに見つかった。ドアを開けると東田敬子さんが迎えてくださった。しばらくして、このライブの話をもってきてくれた北村さん(現在の名前は弟子丸さん)が入ってくる。北村さんは、1977年に出た諏訪優訳のレナード・コーエン詩集『神話を生きる』」を出版された方で、そのとき京都でお会いしたことがあるようだ。あるようだというのは、そのことをあまりよく覚えていないからである。北村さんとほぼ同時に録音機材をもって石崎さんが入ってくる。石崎さんは昨夜に続いて来てくださることに。おかげで、音響のことで大いに助けられた。20名、つめて20数名という客席に、20名弱のお客さん。
荒このみさんが友人たちと来てくださった。それに高校生のときサンタローザでお世話になったヒサエ・フェルプスさんの弟さんご夫妻も。セットリストは、昨夜に続いて今夜もきてくださった方がいたので、少し変更する。休憩を挟んで6時から8時10分まで。
お店の常連の方々は初めてぼくの歌を聞く方ばかり。願わくは、2時間余のぼくの歌に退屈されなかったことを。
終了後、2人の方から花束をいただく。その一人の方は、あとで紹介されたのだが、『中央線なヒト』(小学館文庫)をはじめ多くの著書のある三善里沙子さん。そのあと、スコッチのジンジャーエール割りをいただきながら歓談。そして最後に、常連のフォーク歌手2名の歌を聞かせてもらう。迫力ある演奏。お店のママさん、シャンソン歌手東田さんの歌も聞きたかったが、今夜はピアニストがいないとのことで、歌ってもらえなかった。
10時過ぎ、タクシーでホテルへ。長男には送ってこなくていいよと言ったが、忘れ物がおおい方向音痴のお父さんの面倒を見るため、ホテルまで同行してくれる。老いては子に従え?
慣れない場所で少々疲れたが、いい夜になった。
Friday December 14, 2012
恒例のマンダラ2での年末ライブ。今年が19回目。テーマは「死」。母の死を契機にできた「千の風」から入る。そして「紙ヒコーキ」。つづいて、ボブ・ディランの「死は終わりではない」。そしてほたる書房の田中さんに捧げた「ブックストア・オブ・ドリームズ」。東京へ向かう電車の中で最終的にできあがった歌。リハーサルと本番のときのメロディが若干違うような。でも「よかった」という声が数人の方々から。この歌のあと「ガビオタの海」。
客席を見たら真ん前に井上ともやすさん。ステージに上がってもらい彼が最近アメリカで経験したというスプリングスティーンのコンサートについて語ってもらう。彼がフェイスブックか何かで「今まで見たコンサートの中で一番感動した」という主旨のことを書いていたので。また齋藤皓太さんには、彼が書いた「何もない青空」を歌ってもらう。親しい人の死後の喪失感が見事に歌われている歌。齋藤さんともスプリングスティーンつながりで知り合った。客席にいた、19回の年末ライブのうち18回きている佐々木君と知り合ったのもプリングスティーンが縁。考えてみれば、ボスから多くの恩恵を受けている。
3.11の津波で亡くなった菅野さんのことを歌った歌。そして「祈りの歌」で休憩。
休憩のあと、ジェームズ・ドーシーさんと短い対談。彼が書いていた岡林信康論について尋ねると、近々その論文がアメリカの雑誌に掲載されるとのこと。是非読んでみたいもの。
後半は長編「フィールド・オブ・ドリームズ」をはじめ、「六朗」「碌山」「流転のうた」など。そして「山頭火/俺のいない町」。そして最後にみなさんと一緒に Goodnight, Irene を大合唱。かなり時間も押していたので、これで終わろうと思っていたら、アンコールの拍手。最後の最後、安曇野三部作のひとつ「中谷勲」を歌う。
そうそう、このアンコールを歌う前に、岡山市から奥さんと聞きにきてくださった尾崎ツトムさんに、手短に彼の「臨死体験」について語ってもらう。もう何年か、彼の招待で毎年7月のはじめ岡山市の禁酒會舘で歌わせていただいている。今年は彼がそのライブの数日前、脳内出血で倒れた。主催者不在でライブは行われた。面会も叶わなかった。数ミリ切れる場所がずれていたら、助からなかったか、一生寝たきりになっていたとのこと。その尾崎さんを年末ライブの会場で見かけたのだから、本当に嬉しかった。尾崎さんはぼくが当日用のチラシに書いたスティーブ・ジョブズの死に関する言葉の一言一言が心に入ってきたと話してくれた。
この一週間多忙で準備不足は否めなかったが、みなさんのおかげでとてもいいライブになった。「山頭火/俺のいない町」に関しては「そのドライブ感といい重厚さといい、スプリングスティーンのデトロイトメドレーに比肩するものでした」という面映い感想が届いた。この歌は先月偶然出てきた1992年のぼくのライブのテープがを聞いて、何度か練習したもの。他の数人の方からもこの歌がよかったという声が届けられた。
コンサートが終わり、後片付けをしているところへお店のスタッフが声をかけてくれた。「戸倉小学校の出身です」。「中谷勲」の中の「埴科郡戸倉小学校/長野師範を出たばかり」という部分を聞いて驚いたとのこと。
一時はぼくのマンダラ2でのライブは平均年齢が一番高いとマスターの中野さんがいっていたが、最近は高校の大先輩たちはすでに80を超え、さすがにお見えにならなくなり、平均年齢もかなり下がったように思われる。一人90歳になるという方がお見えになっていた。彼女に紀野一義先生が主催された円覚寺での真如会の結集でお会いしたとき、ぼくはまだ25、6歳だった。それ以来、彼女は、ときどき東京で歌うときはきてくださる。最近は娘さんご夫婦と来られることが多かったが、今年は一人でお見えになった。お身体に気をつけて長生きをしてほしい。
明日もライブがあるので、今夜は早目にホテルに戻ることに。[曲目、曲順など、当日の録音が届いてから変更する可能性あり]
Thursday December 13, 2012
午後2コマのクラス。4時間目のクラスではジェンダーに関するエッセイを読む。「chairman が chairperson、policeman がpolice officer、stewardess が flight attendant というように gender-freeの単語が一般的になってきて、言語の上では、かなり性差別はなくなっているが、Gossipy nurses were complaining about the chief doctor's powerful and aggressive manner.(噂話を好む看護士たちが医局長の強権的で攻撃的な態度に不平を言っている)という文章を読んで、看護師は女性で医局長は男性だと想像するようだと、意識の上では性差別がなくなっていない」と言われると、確かにその通りだと思う反面、極端なまでに gender-free の社会や言語を追求することが本当に男と女にとって幸福なことなのか、と反論したくなる。
今夜はジブランの方々がお見えになる日だが、オーリアッドは家人に行ってもらい、ぼくは家で明日と明後日のライブの準備。半分できている新曲を完成したいと、ああだこうだと、言葉を搾り出そうとしているが、思うように頭が働かない。さあ、困った。
Wednesday December 12, 2012
お昼を挟んで2コマのクラス。今日の歌も先週に引き続き Tennessee Waltz。教育学部のクラスは女子学生も多く、とても美しい歌声。教科書の解説のあと、最後にキング牧師の演説の全編をDVDで見る。学生のヒアリングの力がついていてくれることを望む。
帰路 TSURUYAへ。チーズ、生姜など食材を購入。家用にシシャモを。生臭さの苦手なぼくは魚は敬遠しがちだが、ここのシシャモは安くておいしい。
オーリアッド。信州ずくだし倶楽部主催の歌声喫茶。長島君が中心になってやっているもの。彼のお母さんが亡くなってからしばらく中断していたが、11月に再開。会場はいつも公民館だが、今年最後の歌声喫茶とのことでオーリアッドを利用していただくことに。
いつもより若干参加者は少なかったが、その歌声は実に美しかった。丸山さんのピアノも実に素晴らしかった。休憩時間に長島君が「ブリキの魔法」、丸山さんが「白雪先生」を歌う。
前半、坂井君、原田和夫さんが顔を出してくれた。終わってから和恵さんも。歌声喫茶終了後、早目に閉店させていただく。明日のクラス、そして週末のライブの準備のため。
Tuesday December 11, 2012
今朝は寒かった。家人によれば、新聞を取りに出たとき、玄関先の温度計は−10℃を指していたとのこと。報道によれば、菅平は−20℃以下だったようだ。1月、2月の寒さである。
今朝は町の中学校で10分間の読み聞かせ。2年生のクラス。昨夜、何を読むか考えたがいいアイディアが浮かばない。今朝、急遽思いついて、ずっと前に、ひすいこうたろうさんのメルマガで読んだ漫画家の話とスティーブ・ジョブズの スピーチの最後の部分(Stay Hungry. Stay Foolish.という言葉の由来の部分) を繋げて話すことに。
この漫画家は17歳のときに短編マンガが認められ九州から上京する。しかし何度原稿を持っていっても編集者が認めてくれず、すべてボツにされてしまう。意気消沈し、一週間ほど寝込んでしまう。漫画家になることを諦めようとしているところへ、編集者がやってきて言う、「こんなに頑張って報われなかったヤツを俺は見たことがない」
その言葉に彼は発奮して再びマンガを描き始める。そうして描いたマンガが「ONE PIECE」である。実はこのマンガのことは昨年、学生からの email で教えられるまで知らなかった。とにかくよく売れているマンガらしい。 Wikipedia によれば、「累計発行部数は国内最高の2億8000万部を突破している」とのこと。ちょっと想像できない数である。
中学2年というのは難しい学年である。来年は受験で大変になる。少しでも彼らが強い意欲をもって勉強に向かってほしいと、この読み聞かせをしたのだが、老婆心が伝わったかどうか。
終日、だらだらとテストの採点。それに宿題の email の返事。ときどき、ギターを取って歌の練習。明日もテストは返せそうもない。来週はなんとしても返したい。
そうそう、読み聞かせのあと、土曜日の後片付けをしてオーリアッドにいる家人を迎えに行き、役場へ。不在者投票。14日、15日と東京でライブがあり、帰ってくるのは16日の午後遅く、ひょっとしたら夜になる。
Monday December 10, 2012
大雪のニュース。北海道や東北や信越の日本海側は大変のようだ。ニュースでは長野県70センチと報じられているが、それは北部の飯山あたりで、ぼくの住む長野県南部(南信)は、小雪が舞った程度。しかし気温は低い。夏が長く、秋は短く、冬に突入した感じ。去年もこんな感じだった。
午後、疲れていたと見えて、コンピュータに向かいながらうとうと。仕事にならない。思い切って、ベッドに横になる。目が覚めたら5時過ぎ。3時間も眠ってしまった。
先日のオープンマイクに参加予定だった金子さんから、その日の朝、積雪のためキャンセルする旨のメールが入った。85歳の金子さんが夜運転するだけでも心配なのに、雪のつもった有賀峠を越えてくるのは危険だと、ぼくのほうから彼に連絡をとろうとしていたところだった。
先ほど彼から再びメールが入って、22日には参加したいとのこと。雪が降らねばいいが。そのメールに「ゲルニカが壁面に飾られた経緯を差し支えなかったら聞きたい」と書かれていた。
土曜日のボサノバのコンサートが始まる前、ディランとボサノバはあまり合わないと思い、ディランの大きなポスターを降ろし、いつもの「六地蔵」にかえようとしたら、「ゲルニカ」に気づいた。六地蔵よりも「ゲルニカ」のほうがボサノバには合うかもしれないという単純な理由で飾ったのだが、実際飾ってみると、これがなかなかいい。アラン・ラオの描いたディランの「時代は変る」の肖像画を「ゲルニカ」の左に移し、垣内彰さんが撮ってくれたぼくとイ・スヒョン君の妹さんの写真を、左のドアからアランの絵のあった右のドアに移す。
「ゲルニカ」はもう20年以上も前、今は亡き叔父(父の弟)からいただいたもの。長い間、家の食堂の壁にかけておいたが、額が重過ぎて壁板が下がり始めた。はずして物置に入れておいたのを、昨年オーリアッドにもってきた。飾るのはこれが初めて。
今週は年末ライブまでの間、予定が目白押し。体調を崩さないように頑張らねば。
Sunday December 9, 2012
「いるみ寄席」。箕輪町松島コミュニティーセンター。5時開演。4時半開場時にはもう大半の席が埋まっていた。ぼくの出番は前半3番目。龍角さん、菊龍さんの落語を袖で聞く。ぼくの持ち時間は25分と聞いていたが、菊龍さんの落語が終わる時間を聞いていなかった。途中から、後ろに回って菊龍さんの落語を聞いていたが、意外と早く終わる。慌てて、ステージに駆けつけ、袖に置いておいた機材をスタッフの方々に手伝ってもらってセット。
幕が開くと、今まで笑いに包まれていた会場が静まりかえっている。咄嗟に年齢についての話。ロータリークラブ・インターシティミーティングの懇親会の席で、85歳の方がぼくを見て「わしより年上かと思っていた」という例の話。どっと笑いが起こる。少し緊張がほぐれる。「カムサハミムニダ、イ・スヒョン」「千の風」「中谷勲」「祈りの歌」の4曲。ここで休憩。
後半は、先ず、小粋なたかこさんが三味線にのせて俗曲や端唄を歌う。途中、箕輪の南小河内(みなみおごうち)に住むという方が客席から「南小河内音頭」を歌って拍手喝采。続いて楽四季一生(たのしき・かずお)さんの唖蝉坊を思わせるバイオリン演歌。たかこさんと楽四季さんの出し物によって、会場は江戸、明治、大正のノスタルジックな雰囲気に。
後半の最後は、菊龍さん。5円とご縁をかけた「持参金」という面白い噺。さすが真打ち。
終了後、近くの居酒屋で打ち上げ。美味しい鍋料理にお酒、それに楽しい話。あっという間に2時間。
驚いたことがひとつあった。この日記を読んでいるという方から「ソフィーはまだ帰ってきませんか」と言われた。彼女の飼っている猫の名前がフィービーだと聞いて更に驚く。フィービーなんていう猫の名前はわが家だけかと思っていたが、隣町に同じ名前の猫がいた。
この機会を与えてくださった金沢さんはじめ、みのわTMOネットワークのみなさんに感謝。
Saturday December 8, 2012
どなたもお見えにならない間、明日の「いるみ寄席」に向けて、「中谷勲」「千の風」などの練習。そこへ丸山俊治さん、そして飯田から中島裕志さんをはじめ4名が到着。
丸山さん、親友の卓朗さんに捧げた「月食の夜」など2曲。誰にも見取られず亡くなった友人を、最後に、月食がおわった満月が見下ろしているシーンは胸にせまる。
飯田から初登場の城田祐輔さん。ギターを弾き出したとたん「Heart of Gold」だとわかる。そして「Knockin' on Heaven's Door」を日本語で。久々登場の島岡博さん「本当はみんな」と名曲「さらば東京南台」。本当のタイトルは「さらば南台」らしい。松下元英さん「雲遊天下」とオリジナルの「梅雨」。今夜の松下さんの風貌はいつにもましてダンディ。
さらにその上を行くダンディな人がいた。中島さん。黒装束に黒のダービーハット。オートーハープを優しく抱え「ファニー・パワー」のインストゥラメンタルと「ブラザー軒」。初めてオートーハープを見たという坂井俊介さん曰く「幸せな楽器ですね。赤ちゃんのように抱かれて、優しく爪弾かれるなんて」。彼のその言葉のせいではないと思うが、中島さんのオートーハープの音色が、以前よりもずっと優しく、そして豊かに響くように思われた。
坂井さんLinkin Park の「The Messenger」を英語で力強く歌う。そのことによって次に歌ったオリジナル「君が幸せであるように」がいつにもまして説得力をもった。前半最後は赤羽真理さん。「鹿のように」と昔の失恋を歌った歌という「闇の中に独り」。ここで休憩。
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後半トップは、長島功さん「最終案内」、そしてオリジナルの亡き父に捧げた「ブリキの魔法」。キーをさらに一音上げてもいいような。丸山さん、今歌わなければ賞味期限が過ぎると「近いうち」改め「国会中継」。最後の「トキ」に至って大きな笑い声。城田さん「500マイルズ」を日本語で、そして「Time Goes Around」。緊張がとれたのか前半よりずっとのびやかに。島岡さん「ボブ・ディランに捧げる歌」と彼の名曲「こおろぎのうた」。前者はコーラスを4th verse のあとだけにし、そのほかはハーモニカを入れたが、そのハーモニカが素晴らしかった。是非、あの吹き方を教えてもらいたいもの。原田和恵さん、久々に「おひさまのテーマ」とクリスマスの歌「O Come All Ye Faithful」の日本語ヴァージョン。荘厳な清らかな響き。松下さん「生活の柄」と「追憶」。風貌のみならず演奏も円熟の境地に。
松下さんのあと、ぼくが「ジョン・レノンに捧げる歌」。後半2つのヴァースのうちの最初のヴァースを冒頭に歌ってみたが、うまくいったかどうか。中島さん「Banks of the Ohio」を日本語で、そして「峠」。なんと軽やかに指が動くことか。最後は恒例のセッション、中島さんのボーカルをフィーチャーした「陽のあたる道」。山口ヴァージョンとは違ったしっとりとした「陽のあたる道」。
小雪の舞う中、遠方よりきてくださった丸山さん、それに飯田の4人の方々に感謝。久々に聞く飯田の方々の演奏が実に素晴らしく、場数を踏み、精進していることがわかる。いや、飯田組ならず、オーリアッドの常連組もそのつど、新しい側面を見せてくれる。進歩がないのは、ぼくだけか。
Friday December 7, 2012
Thursday December 6, 2012
午後2コマのクラス。今日も Tennessee Waltz。そして、ジョンの命日の2日前ということで、 Imagine。4講時のクラスでは、「音楽とは何か?」というテーマのDVDを見る。結論から言うと、音楽とは "the organization of sound woven with threads of silence"だと言う。つまり「沈黙の糸で織られた音の構成」。わかったようなわからないような定義だが、重要なことは「沈黙」だろう。ずっと昔に読んだ本に、武満徹の『音、沈黙と計りあえるほどに』というのがあった。
邦楽には沈黙が、墨絵には何も描かれていない部分がある。古池に蛙が飛び込む音によって沈黙はさらに深くなる。
7時半過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。「いるみ寄席」主催の金沢さんがお見えになる。130名定員のところ、現在120枚売れているとのこと。完売間違いなし。しばらくして坂井君、そして垣内さん。垣内さんは譜面台やマイクスタンドの緩みを直しにきてくれた。感謝。丸山さんが遅くに。今度の土曜日はオープンマイクに来れるとのこと。CDの発売は若干遅れて、年を越しそうである。
家に戻り、車から降りて見上げると満天の星空。冬の星座。玄関先の温度計を見たら−2℃。
Wednesday December 5, 2012
お昼を挟んで2コマのクラス。今日の歌は Tennessee Waltz。CDの入ったケースを家に置いてきてしまいCDがかけられない。歌詞の説明のあと、ぼくが一度通して歌ってから、全員で歌うことに。この古い歌を知っている学生は少ないと思うが、すぐに歌えるようになった。
I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
学生に注意したところは、すでに4月から何度も話したことだが、2行目の when an old はウエン・アン・オールドではなく、ウエンナンノールと一語のように発音するということ。それに dance のダの音が chance と同じように、口の両端を横に開き、エの舌の位置でアと発音するということ。そして、 waltz はウォールツと発音するということ。アカデミー賞をアカデミー・アワードと発音するキャスターが多いが、award もアウォードである。
キング牧師のスピーチの最後の部分を解説したあと、教科書に入る。内容はイギリスに短期留学したいと思っている学生が、旅行社を通さず、メールで直接イギリスの大学に問い合わせるというもの。短期留学しただけで英語が急に上達するものではないが、それが刺激となって、帰国後目の色を変えて勉強をはじめる学生がいる。3講時のクラスにその生き証人がいる。両方のクラスで、彼の了承を得て、彼の話をする。大事なことは、「目の色を変えて」取り組むこと。これはすべてのことに言えるだろう。
今朝、スウェーデンに住む日本人の翻訳家の女性からメールが入った。今彼女が訳している本にスプリングスティーンの歌詞が挿入されているが、ぼくの訳を使わせてもらえないかと書かれていた。ぼく自身は問題ないが、ソニーミュージックに問い合わせたほうがいいだろうと、電話をしたところ、問題ないとのこと。早速、夕方、「どうぞお使いください」とメールを打った。
オーリアッド。開店直後、「いるみ寄席」のチケットを買いにきてくださる方がいて、これで預かった5枚のチケットは完売。
垣内彰さん、宮木区の還暦祝賀チャリティコンサートの相談。とりあえず、お引き受けすることに。そこへ原田和夫さん。しばらく将棋ができなかったが、今日は遅くなったが、とにかく一局。あわてて指した前半の不利な局面を、後半なんとか挽回。辛勝。
家に戻ってメールを開けたら、スウェーデンの翻訳家からメールが入っていた。来年出版予定の今訳している本は、生まれつき手足がない人の自伝で、彼はスプリングスティーンの音楽に、若いころ支えられたと書かれていた。
Tuesday December 4, 2012
朝9時、病院へ。定期健診。今日は検査をするから少し早目に来るようにといわれていたが、結局着いたのは9時。早速、レントゲン室へ。胸部のレントゲン撮影。そのあと、検査室で、今まで受けたことのないCAVI という検査。
CAVI は、調べてみたら、Cardio Ankle Vascular Index: の頭文字。直訳すれば、心臓・足首・血管・指数。両腕と両足首の4ヶ所の血圧を同時に測り、その数値によって動脈硬化の度合いがわかるらしい。検査の結果、ぼくの動脈硬化の度合いは、右が 8.2 で、60代前半に相当し、左が 7.6 で、50代前半に相当するとのこと。動脈の詰まりの程度も、両方とも正常範囲だった。
最近、血圧が高めだったので心配していたが、ちょっと安心。
新しい病院にはコーヒーショップがあって、前回も今回も診察のあと、寄ってきた。前回はお客さんはぼく一人。今回は、お客さんは、ぼくのあとに入ってきて、コーヒーを飲んですぐに出ていった老夫婦のみ。ぼくは持参した Anita Shreve 著のLight on Snow という小説がちょうど佳境に入ったところで、長居をしてしまった。静かで、コーヒーも美味しく、焼き立てのパンもあり、次に行くときも寄りたいもの。時間帯によっては、お医者さんや看護師さんたちで混雑するかもしれないが、午前中は空いていて、実に快適。
テストの採点を始めたが、明日は返せそうもない。しばらく忙しく、返すのは冬休み前ということになるかも。
レナード・コーエンがポール・サイモンの「サウンド・オブ・サイレンス」の歌詞を朗読するYouTube があった。コーエンもポール・サイモンのこの詩には敬意を表しているようだ。
各ヴァースのあと、コーエンは なぜか Paul Simon, Wednesday Morning, 3 A.M. 1964 と繰り返す。「Wednesday Morning, 3AM」は、1964年にリリースされたサイモン&ガーファンケルの最初のアルバム。この中に60年代を代表する名曲「サウンド・オブ・サイレンス」が入っている。
http://www.youtube.com/watch?v=VGEWQRL2sJk
Monday December 3, 2012
夜、家人と辰野と箕輪のイルミネーションを見にいく。なかなかのものである。3人の学生が宿題のメールで、安曇野公園のイルミネーションを見にいったと書いてきたので、「辰野にもいいイルミネーションがあるよ」と猫バスの写真を貼り付けて返事を書いた。
Sunday December 2, 2012
今日も寒い一日。朝食後、少し暖かくなったところで、野沢菜を採る。ほしいという知り合いのために、少し残して。その後、三ヶ所の畑の棚やマルチや杭などを片付ける。午後には大型耕運機で耕してもらい、きれいになった。
中央道笹子トンネルの崩落事故には心が痛む。ぼくも何度もあのトンネルを利用してきた。この事故で亡くなった方々は実に気の毒。生と死の隔たりはまさに紙一重。
午後、福岡マラソンを見る。優勝は、2時間3分台の記録をもつエチオピアの選手かと思ったが、途中棄権。マラソン初出場ながら優勝候補の筆頭だったケニア人で日本のチームに所属するマーティン・マサシも、そのあと棄権。川内か藤原に優勝の期待がかかったが、優勝したのは一般参加のケニア人選手。過去の最高記録が2時間20分台の選手が、2時間6分台で優勝したのだから、凄い。日本人トップは2位の堀端。藤原4位、川内6位。
夜、歌の練習。喉が少しいがらっぽい。早く寝ることに。
Saturday December 1, 2012
カウンセラーの研修に穂高に行く予定だった家人が、雪が舞始めたのを見て、行くことを断念。それなら野沢菜を漬けようと、昼前、5キロほど採り、昼過ぎ、荒神山の温泉お菜洗い場へ。待っている人がいるくらい混んでいて、結局オーリアッドの厨房で洗い、家に持ち帰り漬ける。あと5キロは明日。
6時前、再度オーリアッドへ。先ず、昨夜、堀越さんからいただいた柴山老師の色紙をステージの壁に飾る。
最初に入ってきたのは、山口恵三さん。坂井俊介さんにリードギターを頼んで、上田正樹と有山淳司の『ぼちぼちいこか』から「梅田からナンバまで」「「あこがれの北新地」など3曲。坂井さん、「ウォーク」「ワインディング・ロード」「君が幸せであるように」、オリジナル3曲。原田和恵さん、冬の歌「冬景色」「冬の星座」を含む3曲。垣内彰さん、新装なった東京駅写真コンテストに応募するため2000枚撮った話。優勝賞金20万円。優勝したら、インド・バングラデシュの旅に行くか、カメラを買うか迷っているとのこと。年末ジャンボよりは確率は高い。
ぼくが「流転のうた」と「パーティーは終わったよ」。そこへ入ってきたのが、龍角さんこと坂牧さん。早速ハーモニカで2曲お願いする。渋いところで「悲しい酒」と「吾亦紅」。赤羽真理さん、「私が悩むときにも」「千両梨の実」。そして前半の最後、坂牧さんのハーモニカをフィーチャーして、みなさんで「アメイジング・グレイス」。キーは坂巻さんのハーモニカに合わせてD。ここで休憩。原田さん差入れのリンゴをいただく。
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後半のトップは、本来なら最後にくるべきだが、赤羽さんが9時40分には帰らねばならないとのことで、山口さんのウクレレと赤羽さんのマンドリンをフィーチャーした「陽のあたる道」。大いに盛り上がる。特筆すべきは垣内さんがジャンベで加わったこと。彼が演奏者としてステージに上ったのは初めてではないだろうか。そのあと、山口さん、蕎麦打ちの話をしたあと名曲を2曲。「Sunny Side of the Street」「コーヒー・ルンバ」。坂井さん「夕陽」と彼の初期の、といっても1年ほどまえの名曲「ミッシング・ユー」。坂牧さん、山口さんのウクレレの伴奏で「大きな古時計」をハーモニカで。原田さん、賛美歌「羊は眠れり」とピアノ演奏「ラルゴ」。ぼくは「山頭火/俺のいない町」を歌うが、最後のお経が上がるところが声が出ない。そして最後は長島功さん、「ブリキの魔法」。
雪の舞う寒い一日だったが、みなさんのおかげで、愉快な「あたたかい」オープンマイクに。感謝。