OREAD Diary
September 1-30, 2012
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Sunday September 30, 2012
恒例の辰野教会「秋のチャーチコンサート」。今年で7回目とか。過去一度、何かの事情で参加できなかった。そのときは確か太田君が参加したはず。
前半は、教会の若者たちのグループ「オリーブ」、赤羽真理さん、大月高志さんの演奏。後半は、田中創さん、丸山俊治さん、三浦久の演奏、最後は全員で「Amazing
Grace/ 驚くばかりの」。
「それぞれの道」「ガビオタの海」「祈りの歌」の3曲を歌わせていただく。3曲目の「祈りの歌」は原田和恵さんと一緒に。数週間前、オーリアッドのオープンマイクで彼女がこの歌を歌ったとき、とてもよかった。それで「今度のチャーチコンサートで一緒に歌いましょうか」ということになった。その後数回の練習。練習の成果あり。多くの方々から「よかった」との声。
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終了後、お茶をいただきながら、丸山さんの、金賞を獲得した松商学園放送部によるビデオ作品を見せていただく。パソコンの小さな画面ではなく、大きなスクリーンで見ると、説得力が増し、より感動的。
コンサートの後半、台風17号の影響で雨が降り出した。コンサートの始まる前に台風が直撃しなくてよかった。
家に戻り、庭に出ているテーブルや椅子をガレージに片付ける。そのあと、家人がオーリアッドのまわりの風に飛びそうなものも片付けたほうがいいと言うので、強風と雨の中、オーリアッドへ。バケツや空のダンボールなどを物置に入れる。
オープンマイク、チャーチコンサートと続いて、今夜は疲れている。早目に寝ることに。
Saturday September 29, 2012
今夜のオープンマイクは、田中創さんの上松技術専門校の「同級生」6名が聞きにきてくれ、大いに盛り上がった。そのうちの一人、手塚幸さんは、以前東京で歌っていたという人で、素晴らしい歌声と笑顔を披露してくれた。
6時開店直後、藤森玉穂さん。彼女から「中谷勲」を過去2回リクエストされたが、そのつど歌詞が見つからず、この次にということになっていた。今日は歌詞をプリントアウトしておいた。彼女のために「中谷勲」を歌おうとすると、「ガビオタの海」もお願いします、とのこと。「田中正幸さんを送る言葉」を読まれたのに違いない。まだ他の歌い手が誰も到着しないうちに、この2曲を藤森さんのために歌う。
そのあと、続々とみなさんがお見えになり、オープンマイク、スタート。先ずぼくが、田中さんの友人、大西玄生さんのために「Bird
on the Wire」を日本語と英語で歌う。前から、レナード・コーエンの好きな人がいて、オーリアッドに来たがっていると聞いていた。玄生と書いて「げんき」と読むとのこと。
次に田中さん。前半は英語の歌を3曲。Love in Vain, Ol' 55 など。丸山俊治さん、「おじさんたちよ」「マザー・ロードの旅」「心の鏡」。坂井俊水さん、新曲「会いに行くよ」「君が幸せであるように」「ウォーク」の3曲。次から次へと新曲を生まれ、先週の新曲は、もう新曲でなくなっている。
続いて、手塚さん、「オーロラ」「一輪の花」「ほんの少しだけ」。彼女が歌い出したとたん、その力ある透明な歌声に圧倒される。しかも、歌っているときの表情が実にいい。オーリアッドを再開して10年、これほど表情豊かな歌い手は初めて。プロも含めて。
赤羽真理さん、「御手の中に」「千両梨の実」。歌に関してあまり発言しない家人が、ぼそりと言う―「千両梨の実は何度聞いても、感動が色あせない。内容のせいかしら」。
ここで前半終了。丸山さんのお土産の「ほたるいか姿焼き煎餅」をみなさんに。東北への小旅行のお土産「くりこま饅頭」も。
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後半トップ、富士見町出身の大西さんに一言お願いする。レナード・コーエンを知ったのはお父さんの影響とか。息子に「玄生」という名前をつけるお父さんと,、レナード・コーエンは相性がよさろう。続いて、原田和恵さん、「G腺上のアリア」と「君は愛されるために生まれた」。次は、川島茂さんと娘さんの夕希乃(ゆきの)さん。「最愛」と「翼をください」。夕希乃さんはもう何年も前にお父さんとオーリアッドに来たことがあった。思わず、「大きくなりましたね」と声をかけた。現在保育園の保母さんをしているとのこと。
手塚さん、「君が歌う歌」「感謝」の2曲。歌に込めた思いが彼女の表情から伝わってくる。続いて藤森さん、前回お見えになったとき「マシュケナダ」のセッションが素晴らしかったので、彼女が「Fly
Me to the Moon」を歌いたいと言ったのに、「マシュケナダ」をお願いしてしまった。でも突発的に、スポンテイニャスに起こった「奇跡」を意図的に再現しようとしても、難しいと、過去何度も体験しているのに、同じ間違いを犯してしまった。藤森さん、すみません。次回はお好きな歌を歌っていただきます。
次に、ぼくが東北旅行の話を少しして、「雨ニモマケズ」を歌い、原田さんと一緒に「祈りの歌」。明日のチャーチコンサートの予行演習。ここで田中さんの仲間の川原孝太郎さんに一言お願いする。彼は福岡から来ているとのこと。聞くところによると、仲間には北海道からきている人もいるとか。今夜オーリアッドにきてくれた田中さんの仲間はみなさん、元気がよく、フレンドリーで、セキギョク的。
丸山さん、「小さな王様」と「椅子とりゲーム」。今日は、池田町で「小さな王様」の運動会があったとか。「小さな王様」、来年春には小学一年生。最後に、田中さん、9月の新曲「いつからだろう諦めることに慣れたのは」で始まる「This
Time」を含む2曲。タイトルを訳すとすれば、「今度」というよりは、」「今度こそは」だろうか。
最後に、彼の仲間を含むスペシャルバンドで「Sweet Home Chicago」。突発的で
spontaneous な出来事を、意図的に再現しようとして成功する例外が、田中さんのこの歌。大いに盛り上がる。
上松技術専門学校のHPに昨年度の学生の作品集があった。どの作品も素晴らしい。今日お会いした田中さんの仲間たちが、皆とてもいい表情をしていたのは、自らの手で、何かを創り出しているからだろうか。生きて行く上で何が大切かということを再認識させられた思いがする。
Friday September 28, 2012
隣町のホームセンターへ、鶏糞の肥料3袋と、鍬やジョレンの柄を固定する鉄の楔を4個買う。それに補聴器用の電池。補聴器
(OMRON AK-5)を使うようになってから2,3年経つ。確実に難聴が進んでいる。両耳の補聴器をはずすと、ほとんど聞こえない。単に難聴が進んだからかもしれないし、補聴器を使い始めたのでさらに悪化したとも考えられる。
昼食後、パンを作る。今回は、かなりの部分家人にやってもらった。「週刊いな」のカフェ特集の広告に「オーリアッド」も参加させてもらった。オーリアッドでのライブの案内をよく載せていただくお礼として。その広告は昨日掲載されたのだが、すっかり忘れていた。今朝見たら、オーリアッドの「コーヒーと手作りパン」の写真が載っていた。
今夜と明日のために、20個のパンを作り、今夜は10個をもっていった。お客さんも少ないだろうし、それほど売れないだろうと思っていたら、完売した。そのうち1個は、ぼくのお腹の中。
スピーカーからはボブ・ディランの新譜『テンペスト』。日本盤には英語の歌詞がついているだろうと思っていたら中川五郎さんの訳のみ。ディランサイドの要望のようである。Official
Site にもまだ歌詞は与えられていない。Google で検索したら、次のサイトですべての英詩を読むことができる。正式なものかどうかは分からないが。
http://www.metrolyrics.com/tempest-album-bob-dylan.html
めずらしいお客さんが1人。オーリアッドの外を通るとよく音楽が流れてくるので、一度中に入ってみたいと思っていたとのこと。おそらく土曜日のオープンマイクの夜に通ったのだろう。明日はいろんな人が歌いに来るのでお出かけください、と伝える。そして、オープンマイクの雰囲気を感じてもらうために、5番テーブルにいた原田さんに、「君は愛されるために生まれた」などを歌ってもらう。ぼくも「ガビオタの海」を聞いてもらった。明日は無理でも、土曜日に来てほしいもの。
11時過ぎ、家に戻ると、大きな月が南西の空に。満月は明後日の日曜日。中秋の名月。台風が近づいているらしい。雨にならなければいいが。
Thursday September 27, 2012
家人は朝から隣町の高校へ。ぼくは、東北の旅で撮った写真の整理、礼状など。Facebook に旅のアルバムをアップしようと思ったが、被災地の写真と中尊寺の写真を同じアルバムに入れると、連続したひとつのストーリーを感じられないかもしれないと、とりあえず、ぼくの好きな中尊寺の経蔵の写真をアップする。驚いたことに、多くの方々、特に外国の方々が、「Like (いいね)」を押してくれた。書き込まれたコメント中に確かにこの建物はそこにあるだけで、実に美しい。すべてにバランスが取れている。
Wednesday September 26, 2012
祖父母は佐沼の町に明治の終わりから昭和20年の終戦まで住んでいた。片倉殖産の仕事の関係でこの地に派遣されていたのである。祖父母には息子が3人いた。長男がぼくの父、伊那治である。次男はわれわれが「鎌倉の叔父さん」と呼んでいた正夫で、三男は佐沼で生まれ、2,3歳で夭逝したと聞いている。伊達夫という名前で、祖母はよく「名前負けした」と言っていた。祖父母は、更に男の子と女の子を一人づつ養子に迎えている。鎌倉の叔父さんも、養子として迎えられた叔父さんも、もうすでにこの世にはいないが、養子として迎えられた叔母さんは、85歳の今も元気に佐沼に住んでおられる。何度か辰野でもお会いしたことがある。
その叔母さんが、8時半、宿にお孫さんの運転する車で迎えにきてくださった。叔母さんの案内で、祖父母が住んでいた辺りを見に行く。今は跡形もなく、七十七銀行という銀行の建物が建っていた。祖父母が寄付したという高校の校門を見にいったが、すでに当時のものはなく、別の新しい門になり、寄贈者の名前も変わっていた。小学校の門は祖母がずっと昔に寄付したと、子供の頃から、何度も聞かされて育った。それを見に行くと、驚いたことに、百周年記念の昭和47年に立て替えられた門の後ろに、祖母の名前が刻まれていた。昭和47年といえば、わが家は貧乏のどん底、門を寄付する余裕はなかったはず。鎌倉の叔父さんが祖母に代わって寄付してくれたのかもしれない。
次に、八幡神社の境内の二つの石灯篭を見に行く。それはぼくの父が寄付したもので、父の名前が刻まれているとのことだった。行ってみると、二つとも3.11の地震で崩れ落ちていたが、確かに父の名前と母の名前が刻まれていた。母の名前は一恵だが、「かづゑ」と表記されていた。在りし日の石灯籠は上の写真(下段左)のように建っていたようだ。この写真は、「八幡神社」のページからお借りした。
境内で話していると、男の人がやってきた。神社を管理している人とのこと。ぼくが石灯籠を寄付した人の息子だと知って驚き、「三浦さんですか」と言った。彼の言うには、灯篭の修復も予定しているが、このあたりの石屋さんはみんな、地震で倒れた墓石の修復に忙しく、灯篭まで手が回らないとのこと。灯篭の修復の際には、多くはできないが、寄付をさせてもらいたいと、住所と名前をお渡しする。
そのあと、叔母さんの家にお邪魔しお昼をご馳走になる。そこへ、祖父母と縁の深かった方の娘さんが、ご主人と近くの町からやってきた。彼らは一度今村のわが家を訪ねてくれたことがある。実は神社の石灯篭に父の名前が刻まれているということは、この方の妹さんが知っていて、この方が電話で今朝叔母さんに話してくれたのである。この方のお母さんは数年前に亡くなり、今回佐沼を訪問した目的のひとつは、彼女のお母さんのお墓参りをさせていただくことであった。
お墓参りをしたあと、叔母さんの孫の堅太さんの運転する車で、新幹線のくりこま高原駅まで送ってもらい、帰途に着く。叔母さんはじめ、叔母さんのご家族には大変お世話になった。おかげで、ぼくが生まれる前に亡くなった父のふるさと、佐沼の町が、より身近なものになった。
85歳の叔母さんの元気がいいのには驚いた。顔には艶があり、皺もなく、座っていて立ち上がるときも、手もつかずすくっと立ち上がった。駅まで送ってくださったときも、車から降りると、誰よりも先にすたすたと歩いた。その健康の理由のひとつは小さな頃、ぼくの祖母に連れられて、お寺や神社をよく参拝したからだとか。確かに祖母は今村にきてからも、よく各地の神社にお参りしたものである。ぼくも幼いとき、ときどき一緒に連れていかれた記憶がある。
家人の希望で、東京駅に着いてから外に出て、復元された駅舎を見る。レンガの色が予想していたよりは地味だった。そのあと、新宿に出て、バスに乗り、8時ごろ帰宅。出発するまで、いろいろ迷ったし、2泊3日の強行軍で疲れたが、いい旅になった。いくつもの出会いがあった。
Tuesday September 25, 2012
朝起きると雨。かなり激しく降っている。予報は、午前中晴れ、午後曇りだった。朝食をいただいたあと、宿の主人と記念撮影。そのあと駅へ行き、レンタカーを借りる。アメリカとニュージーランドでは何度かレンタカーを借りて走ったことがあるが、日本では初めて。コンパクトな乗用車を頼んでおいたら、プリウスが用意されていた。エンジンをかけるのにキーが不要という代物。
先ず、近くの宮沢賢治記念館へ。雨の平日、早朝にもかかわらず、かなりのお客さん。宮沢賢治の人気がわかる。時間があればもっとゆっくり見たかった。自筆の原稿などを見て歩きながら、もう一度賢治の全作品を読み直したいと思った(田中さんはオーリアッドを使って、読書会をしたいと、常々語っていた)。
ギフトショップで買い物をしたあと、「雨ニモマケズ」の入ったCD『祈り』を、記念館のみなさんに聞いてほしいと、ショップの人に差し上げる。そして40年前、賢治さんの生家を訪問した話をする。今から思えば、昔は無鉄砲というか、ずうずうしかった。弟の清六さんはお留守だったが、奥様がおられて、仏壇に線香を上げさせてもらい、「こおろぎが歌うように」など宮沢賢治のことを歌った歌を数曲歌わせていただいた。歌う前、奥さんが娘にも聞かせてやってほしいと、嫁ぎ先から丁度帰省していた娘さんを奥から連れてきた。
そんな話をしているうちに、副館長さんが現れた。副館長さんに再度その話をする。奥さんはもう亡くなっているが、娘さんはお元気とのこと。彼女は現在ご主人と花巻の町に住み、宮沢家の跡を継いでいるという。副館長さんは娘さんの名前と連絡先を教えてくださった。40年前にお邪魔したことを書いた文章のコピーとCDをお送りしたいと思っている。
副館長さんは、「イーハトーブ館」というところに、ぼくのCDを置いてくださると言う。そこには、宮沢賢治の作品をはじめ、彼のことを扱った作品(本、CD、ビデオ)などが集められていて、誰でも見たり聞いたりできるようになっているという。ありがたいことである。
「イーハトーブ館」にも寄りたかったが夕方までに、陸前高田経由で平泉、そして一関まで行かなければならない。車に乗り、先ず遠野を目指す。雨はまだ激しく降っている。遠野では道の駅に止まり、早めのお昼を食べただけで、陸前高田を目指す。陸前高田には、かつてぼくのCDを注文してくれたり、ディラン、コーエン、スプリングスティーンなどのことでメールを交換したりした菅野有恒さんが住んでいた。彼の和光堂という写真館は陸前高田の駅前にあった。2年前の3月11日までは。
町に着いたら、「ジョニー」というお店を探すつもりだった。彼の主催で豊田君のコンサートを何度も開いたという店である。町に入る前の道路を進んでいるとき、家人が、今「ジョニー」という看板が見えたと言う。半信半疑で引き返すと、仮設の店舗のひとつに「ジョニー」と書かれていた。店の前に車を止め、よく見ると「火曜日定休」とある。連絡先に電話をかけても誰も出ない。CDを2枚を裏の入り口におき、1枚は菅野さんのお母さんに渡してほしい旨の伝言を書く。新しいCDが出るたびに、注文してくれた菅野さんの霊前に、供えてほしいので。
陸前高田駅とナビに入力しておいたので、その指示に従って進む。徐々に津波の影響が見えてきた。津波に流されなかった病院や郵便局など、いくつかのビルがところどころに残っている。しかし、窓ガラスは割れ、中は真っ黒。その様子から、かなり高いところまで津波が来たことがわかる。瓦礫の山の周りで、何台もの重機が作業をしている。
ナビが「目的地に到着しました」と告げても、そこには何もない。草が生えているだけ。おそらくそのあたりの瓦礫はすべて撤去されたのだろう。プラットホームだったところに立っても、線路もない。撤去されてどこかへ運ばれたのだろう。
駅のロータリーだったところまで戻り、彼の写真館があったであろう方向に向かい、般若心経を唱える。途中から家人も加わった。そのあと、「菅野有恒」の歌詞を取り出し、アカペラで歌う。生前一度もお会いすることはなかったが、彼のことを思うと、何故かとても懐かしい。
そのあと海岸へ。目を覆いたくなる光景が続く。急ごしらえの防波堤にのぼったら、大きな声で叫びたくなった。誰を呼ぶのでもないが、何度か大声で「おーい」と呼びかける。
陸前海岸を後にし、平泉中尊寺を目指す。このあたりは穀倉地帯が続く。稲の長さが信州で見るのより短く見える。稲の干し方も違う。陸前高田とは対照的な、のどかな風景。
平泉に到着したのは4時15分。長い坂を上る。40年前の夏にもこの坂を上った。蝉時雨が印象的だった。中尊寺経蔵(写真下段左)の佇まいが好きだ。本堂に参り、門の前で写真を撮る。有名な金色堂は、40年前、拝観料が払えなかったからか、修理中で拝観不可だったか、見た記憶がない。5時ぎりぎりに入る。われわれが最後の拝観者。文字通り、黄金に輝くお堂である。だが、ぼくにはやはり、経蔵のほうがいい。金閣寺より銀閣寺が好きなのも同じ理由によるに違いない。
中尊寺をあとに、一関へ向かい、一関でレンタカーを返却する。東北本線一関駅で仙台行きの各駅停車に乗り、新田駅で下車。タクシーで登米市佐沼の町へ。佐沼はぼくの祖父母が長く住み、父が生まれ育った町。ネットで検索したら、その町の真ん中に喜久森旅館という旅館があった。オンラインでは予約できず、電話で予約しておいた。
たくさんの宿泊客。全員男性。話しぶりなどから、3.11の災害復旧工事のために、遠方からやってきている人たちのようだった。後で知ったが、このあたりの宿泊施設はどこも、工事関係者でいっぱいとのこと。あまり快適なところとは言えないが、泊まる場所が確保できてよかった。
Monday September 24, 2012
夏休みが終わるまでに東北へ行きたいと思っていたが、いざ出かけるとなるといろいろ迷うところがあった。一番心配だったのは体力。最初は車で行こうと思っていたが、バスと電車で行き、着いてからレンタカーを借りることに。
辰野から新宿までバスで、そこから大宮まで電車で行き、新幹線で新花巻へ。仙台まではワンライド。仙台からは各駅停車。大宮から新花巻まで、乗り換えの時間を含めても3時間もかからなかった。駅前の食堂で「わんこ蕎麦」を食べる。但し、食べるたびに加えてくれる正統わんこ蕎麦ではなく、数が決まっている定食わんこ蕎麦。美味しかった。
駅の近くの「ケンジの宿」という宿へ歩いて行く。大きなホテルはひとつ手前の北上駅周辺には多かったが、翌日のことを考え、新花巻に泊まることにした。見つかった宿はこの宿だけ。しかも夕食がつかず、お風呂は共同で、トイレは一部屋だけについている。そのトイレつきの和室に泊まることができた。
結果としてこの宿に泊まってよかった。宿の主人は鹿児島出身で、中学のときの国語の先生の影響で宮沢賢治が好きになり、今、この宿を営んでいるという。笑顔の素敵な爽やかな人である。
オープンマイク、田中さんの葬儀、そしてバスと電車での移動と続き、疲れている。早く寝ることにする。そうそう、バスの中でも、電車の中でも、田中さんのことを思いながら、「ガビオタの海」を口ずさんでいた。
Sunday September 23, 2012
田中さんの葬儀は午後1時から、彼を送る言葉を書き終えたのは午後12時半、家人に会場まで送ってもらい、何とか間に合った。
多くの参列者。ホールはもちろん、ロビーもいっぱい。心のこもったいい葬儀だった。10名以上の方々が弔辞を読む。これも最近参列した葬儀では異例で、彼の人柄が偲ばれた。
ぼくも最後のほうで、「田中正幸さんを送る言葉」を読ませていただいた。「ガビオタの海」の最後の部分は読むか歌うか迷ったが、歌うことにした。後で、東京からきた彼の大学時代の友人から、「歌が歌われた弔辞は初めて聞きました」と言われた。
精進落しのあと、中村東茂一さんに送ってもらう。
家に戻り、千秋楽を見る。白鵬と日馬富士の一戦は稀に見る大勝負。相撲の醍醐味を味わわせてもらった。子供の頃に見た、栃錦と大内山の一戦に匹敵した。いや、それ以上か。
夜、明日の朝出発する東北への小旅行の準備。
■
田中正幸さんを送る言葉
田中さん、今日ここでこうしてあなたを送る言葉を読むことになろうとは、思ってもいませんでした。あまりにも突然のことで、いまだに信じられません。
奥様から、弔辞を依頼されたときは、「他にもっとふさわしい人がいるじゃないですか」とお断りしたのですが、「主人も喜ぶと思いますし、娘たちも望んでいますので」とおっしゃられて、お引き受けすることにいたしました。
お引き受けはしましたが、自信がありません。最後までしっかり読むことができるかどうか。
あなたの訃報を聞いてから、さまざまなことが思い出されました。その多くは、この小さな町に奇跡のように存在していた「ほたる書房」にまつわることでした。お店に入って行くと、あなたが笑顔で迎えてくれ、新しく入った本やCDを紹介してくれました。ぼくが短大に勤めていた頃は、研究室に本を配達してくれて、しばらく話をしていきました。あなたは、そんなときは無口で何もしゃべらず、ぼくの話を聞いてくれたので、つい言わずもがなのことを言ってしまい、あとで後悔したこともありました。
そんな無口なあなたが、本当は饒舌だということを知ったのは、ぼくがオーリアッドという小さなライブハウスをつくってからでした。お酒が入るとあなたは、よくしゃべり、よく歌いました。時には、外が明るくなるまで飲んだこともありました。
あなたが慕っていた中村東茂一さんが、「まあちゃは、人を傷つけるようなことは一切言わなかった」といみじくも、語ったように、饒舌ではありましたが、あなたはいつも誠実で、温厚でした。
1982年、30年前、ぼくがこの町に戻ってきてから、あなたは今はなき根橋唱二さんとともに、売れないぼくの歌を支え続けてくれました。あなたが好きなぼくの歌は「ガビオタの海」で、一緒に歌うときなど、ぼくが歌詞を忘れてしまっても、あなたはしっかり覚えていました。
その歌は次のように始まります。
川の流れはとても静かだ
葉を落とした木々が並んでいる
黒いシルエットの枝のむこう
オレンジ色の太陽が沈む
岸辺に一人腰をおろし
川の流れみつめている
なんて多くの年月が
流れ去ったのだろう
多くの人と巡り合い
多くの人と別れてきた
喜びの朝、涙の夜
そのすべてを生きてきた
そして、あなたは最後の次の歌詞が特に好きでした。
あなたもぼくもあの時代を抜けて
なんとかここまで歩いてきた
いくつもの過ち、後悔を抱きながらも
今ここにこうして生きている
あなたに平和がありますように
あなたの願いが叶いますように
あなたが喜びに満たされますように
あなたが自由でありますように
誰も自分の寿命を知ることはできません。確かなことは、スティーブ・ジョブズが述べたように、「今日が自分の最後の日だと思って生きていたら、必ず当たる日がくる」ということです。
短くても、誠実に生きたあなたの人生が、あなたが後に残していかなければならなかったお母さん、奥さん、そして季恵ちゃんと智恵ちゃんにとって、大きな慰めになることを願わずにはいられません。
田中さん、あなたがこの町からいなくなって、淋しくなります。でも、あなたの笑顔、あなたの誠実さ、あなたがこの町に生き、そして残した物語は、ぼくの心の中に、ずっと生き続けるでしょう。多くの人たちの心の中に、生き続けるでしょう。
あなたが好きだった「ガビオタの海」を歌うときは、ぼくは、あなたがぼくの横で、一緒に歌っているのを感じるでしょう。
長い間、ご苦労さまでした。そして、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
2012年9月23日
三浦久
Saturday September 22, 2012
先ず入ってきたのは、坂井俊水さん。このあと伊那のライブへ行くので早目に来たとのこと。昨日書いたという新曲「夕陽」を先ず歌い、3曲のオリジナル「Walk」「君が幸せであるように」「Winding Road」。
彼が歌い終わるまでに、何人かのお客さん。特に1番テーブルには、オープンマイクとは関係なく、通りすがりにコーヒーを飲みに入ったという遠方からのご夫婦。ディランが好きとのことで、ぼくが「風に吹かれて」「明日は遠く」、そして「死は終わりではない」を歌う。次に、カウンターにすわっていた女性にお願いする。誰かと思ったら、箕輪進修高校の中西先生だった。10月末の文化祭での講演の打ち合わせのために、今日お店に来てくれるということをすっかり忘れていた。彼女が歌った歌はビートルズ、というよりもジョン・レノンの
「Strawberry Fields Forever」。とてもいい発音。当然といえば当然だが。英語の先生。
次に原田和男さん、先週、副牧師さんと、「キリストには代えられません」を歌うと約束していたが、来られなかったとのことで、今日やってきて、約束を果たす。歌う前に、薬の話。その薬を飲むと体が女性的になるとか。石吾忠志さん、以前、宮木公民館の役員の方々ときて、歌ったことはあるが、ソロで歌うのは初めて。カーペンターズの「Top
of the World」。
赤羽真理さん、先ず、何度か赤羽さんが歌うのを聞いたことがあるが、名前を聞きそびれた賛美歌。そして「千両梨の実」。前半最後は原田和恵さん。ぼくのリクエストで「祈りの歌」、そして「G線上のアリア」。ここで休憩。副牧師さんからいただいたマンゴーなどのドライフルーツをいただく。
後半トップは、前半早くからきていたが、「今日は歌わない」と言っていてビールを飲んでいた藤森和弘さんに「無理やり」お願いする。ぼくのギターを使って、彼の師匠の「さよなら」「生命」「流浪」を歌う。歌ってないので声が出ないといいながら、誰よりも出ていたような。赤羽さん、最近歌い出した傑作「闇に独り」と、「フリー」。後者もいい歌。原田さん、「God
Bless You」と「君は愛されるために生まれた」をメドレーで。
最後にぼくが、「花語らず」を歌う。歌う前に、この歌を書くことになった柴山全慶老師と福島慶道老師との出会いについて話す。明日は田中正幸さんの葬儀。奥さんから弔辞を読んでほしいと、午後遅くに依頼があった。急いで家に帰って書かなければ。10時30分に閉店させていただくことに。
外に出ると、雨。国道153号線に出て、北へ向かう。高畑の信号あたりから土砂降りに。家に近づくにつれますますひどくなる。こんな豪雨の中を家に帰ったのは初めて。
Thursday & Friday September 20, 21, 2012
田中さんの訃報がボディブロウのように徐々にきいてきて、頭がぼっとしている。言葉が出てこない。単なる、ボケの始まりか。
この2日間で、東北への旅の itinerary が決まった。24日(月)早朝出発。花巻、遠野、釜石、陸前高田、気仙沼、平泉、一関、佐沼、仙台と、バス、電車、レンタカーで、巡る予定。佐沼はぼくの祖父母が仕事で長年住んでいた町。父はこの町で生まれた。彼らが住んでいた家が今もあるとは思わないが、家があったあたりを訪ねると考えるだけでも、厳粛な気持ちになる。
Wednesday September 19, 2012
追悼 田中正幸さん
Lest we forget
8/7/1949-9/18/2012
Tuesday September 18, 2012
今日は午前、午後ともに外で働いた。先ず、北西の隅に生えているなつめ(棗)を採る。異常気象のせいか、今年はなつめの木に実がたくさんついた。しかも枝が伸びて、背が高くなったので、剪定も兼ねて、実がついたままの枝を何本かノコギリで切り落とした。家人がその枝から実をもいだ。「もぐ」とか「もいだ」というのは標準語だろうか。いずれにしろ、量ってみたら10k
以上あった。
午後は、先日半分掘り起こしたハーブ畑を花畑にしたいという家人の要請で、もう一度耕運機をかけ、チューリップの球根20個を植え、更に、ポピーとルピナスの種を撒く。来年の5月、いっせいに花開いてくれるといいが。
■
夜、10時前、階下から家人の叫び声。何かテレビで重大なニュースでも流れたかと思い降りて行くと、リビングのほうを指差して、何かいる、フィービーが捕まえてきて遊んでる」と言う。リビングの電気をつけたが、ネズミもモグラもいない。フィービーも見当たらない。と思ったら、本棚とピアノの間で音がする。よく見ると、ソフィーが、CDの入った箱と箱の間に手を伸ばしている。いくつかの箱をどかすと、、ネズミが飛び出した。生きている。かなり大きい。
フィービーはすばしっこく、ぬかりないが、ソフィーはおっとりしていて、不器用である。追いかけていったん捕まえたが、また逃げられ、ネズミは玄関の下駄箱の下へ。家人に箒をもってきてまらい、玄関のドアを開け、ネズミを外に追い出すことに。ドアを開けたら、ソフィーは外へ出ていった。そのあと、箒で下駄箱の下をsweep
すると、ネズミが外に飛び出した。そしてサンデッキの下へ。ソフィーも追いかけて行く。
しばらく物音が聞こえていたが、そのうち静になってソフィーが戻ってきた。ちょっと悲しげだった。雨に濡れていた。
Monday September 17, 2012
今日も暑かった。その暑さの中、汗だくになって断捨離。コンピュータに入れておいた2つの辞書がなぜか消えてしまったので、そのCDの入ったケースを探すために、結果として、いくつかの部屋の断捨離となった。たくさんのビデオテープを捨てることに。よくもまあこんなにためたものである。母の部屋にあった、「がらくた」も整理。ぼくが生まれる前の父や母が若かったころの写真は、もう少し時間ができたら、スキャナーで取り込んで整理することに。
テレビを見ていると、今にも戦争が起こりそうな怖さを感じる。さらに怖いことは、その恐怖心ゆえに日本がますます右傾化することである。そんな中、facebook
friend のごっちゃんがシェアした中国人の若者の投稿には救われる思いがした。彼は次のような主旨のことを書いていた。かつて日本の大学に留学していたようで、日本語で書いている。
「一般市民の中に、デモの批判と不参加を呼びかけている人たちが増えています。・・・私は、結果として、保守派(反日デモをしている人たち)の完敗を予想します。なぜかというと、今回のことで、一般市民は一気に目覚め、文化大革命の怖い記憶が蘇えり、中国の変革が加速すると思うからです。私の予想が外れたら、どうなるでしょう。第二次文化大革命に突入します。しかし、一度「ドアが開かれ、光を見た」中国が、このような時代に逆戻りするとは思えません。今回の事件で被害を受けた日本の企業や中国在住の方々は、本当に気の毒です。個人的に、中国人の一人として、「申し訳ありませんと」と言いたいです」
彼の予想がはずれないことを、切に願う。
Sunday September 16, 2012
今日は暑い日だった。日中、玄関先の温度計は32℃を指していた。夜になっても気温はあまり下がらず、蒸し暑い。
夏休みが終わるまでに、東北へ行きたいと思っている。それで昼前、隣町のオートーショップへ、Navigator
の最新のものを見に行った。TVの地デジ化にともなって車のTVが写らなくなっていたし、CDプレイヤーも調子が悪い。しかし新調するとなると、かなり費用がかかることが判明。少し古くなっているが、ナビゲーターも機能しているし、CDプレイヤーも、時間が経てば鳴りだすので、古いのでがまんすることに。
久しぶりに「得得」で冷やしうどんのダブルを食べる。美味しかった。お腹いっぱい。家人はシングル。その脚でオーリアッド。昨夜の後片付け。
家に戻り、畑を一回り。水を撒き、野菜をとる。今よくとれるのはピーマン、韓国唐辛子、茄子、それにトマト。トマトは猿対策をしっかりしているため、網をはずすのが少々面倒。
夜、後期の授業に使う歌について考える。今年も The Rose は入れたいと思う。What
a Wonderful World もできたら入れたいが、まだコードがよく分からない。
Saturday September 15, 2012
今夜のオープンマイクは、家人が都合で遅れ、ぼくが厨房に入ったり出たりしていたため、前半の出演者の方々の演奏やトークをしっかり聞くことができず、曲名など、聞きそびれたものがたくさんあった。間違ってるのもあるかもしれない。あらかじめお断わりを。
今夜、開店直後にお店に入ってきたのは、初めてお見えになった方。千葉は習志野在住、ふるさとは辰野の赤羽とか。オーリアッドのHPを偶然見つけ、帰省したついでに寄ってみたとのこと。先日は東京在住、先祖の墓が今村にあるというロックバンドのリーダーが寄ってくれた。オーリアッドを通して、こうした新しい出会いがあるのは、嬉しいもの。
今夜は、珍しく相撲好きのお客さん。連休でグループホームから外泊が許されたのか。それに何人かの食事のお客さん。相撲好きのお客さんは秋場所について、それに共にファンである日馬富士について、筆談をしたかったはずだが、てんやわんやで、それどころではなかった。
そこへ山口恵三さん。ありがたい。山口さんにウクレレ弾き語りで歌ってもらっている間、厨房へ。この間、山口さんにはかなり歌っていただいた。残念ながら、それらの曲名を思い出せない。そのときは、すべて知ってる歌だと思い、書き留めなかったのがいけなかった。
続いて、金子昭二さん。前半はトークのみ。見事な虹を見た話から、スティーブ・ジョブズ、そして後半手話で表現する「オワリはじまり」という歌について。85歳の今、自分も「オワリのはじまり」を迎えつつあると感じるとのこと。誰にとっても生まれた途端、「オワリのはじまり」が始まっている。しかし、金子さんは、衰え知らずの好奇心と情熱をもち、世間体など気にせず、我が道を進んでいる。
次に、休暇で赤羽に千葉からやってきた上原さんにトークをお願いする。彼の話でもっとも驚いたのは、
Skype を使って、フィリピン大学の学生から毎日30分を英語を学んでいるとのこと。レッスン料は1回130円ほどとか。なるほど
Skype の使い方にもいろいろある。
手塚淳さん。今夜はモニターアンプとスピーカー持参で、山口さんとのコラボーレーション。「22歳の別れ」など2曲。次にぼくが、「それぞれの道」と「雨ニモマケズ」。前者は副牧師さんに聞いていただくため。
坂井俊介さん、「Missing You」と、意表をついて「The Rose」。なぜか2nd verse
を省略。次に副牧師の長谷川ひさいさん、9月30日(日)に教会で開かれる「秋のチャーチコンサート」について。赤羽真理さん、1曲目「私が悩むときも」。美しいメロディ、そして歌詞。2曲目はご存知「千両梨の実」。
前半最後は、垣内彰さん、前回話のあった Nikon の1万数千円のカメラについて。場合によっては数十万円のカメラよりもよく撮れるとか。ここで前半終了。
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後半トップはぼくが「碌山」を歌い、次に原田和恵さんが「主の愛が今」と「トロイメライ」。演奏の前、ぼくのリクエストで、上原さんの話と共通するノルマの厳しかった時代の話をしてもらう。
次に長島功さん。「いのちの理由(わけ)」とオリジナル「一通の手紙」。前者はさだまさしさんの歌とか。確かにこの歌の言葉のように、すべての人が、すべての出来事が、網の目のように繋がって世界はできていると昔よく感じたことがある。山口さん、「さらば青春」、それに先週も歌った「日曜日よりの使者」。後者のメロディは頭に残る。さすが甲本ヒロト。
金子さん、「オワリはじまり」の歌をポータブルテープレコーダでかけながら手話の実演。クリアーの音だったらも少し
convincing だったかも。この歌の 1st verse は印象的:
もうすぐ今日が終わる、やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい、燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
「オワリはじまり」(YouTube)
坂井さん、後半はオリジナル2曲。「Walk」と「君が幸せになるように」。歌う前に駒ヶ根のカントリーキャフェで開かれる「ブルーズナイト」の告知。
赤羽さん、「闇に独り」と「旅人の木」。前者のギターワークが素晴らしい。そのあと、原田さんにピアノをお願いし、赤羽さんとぼくが、英語と日本語で「Amazing
Grace/驚くばかりの」。
そして最後は、一週間前の二匹目のドジョウを狙って「陽のあたる道」。ボーカル、山口恵三&赤羽真理、演奏、
Oread All Star Band。今夜も楽しい演奏。画像的には金子さんのオレンジ色のTシャツがいいアクセントになっている。笑わない金子さんが笑っている写真もあり、これもよかった。
その後、閉店時間まで歓談。上原さんは、先週 Oread のFacebook page の「Like」をクリックしてくれたとのこと、家に戻ってチェックしたら、確かに彼の名前があった。彼の
Skype を使っての英会話レッスンについて、10月、後期が始まったら学生に教えてやろう。
■
Skype といえば、今日の午後、家人が留守の間、NZの次男から Skype がかかってきた。Masaki
George と2度目の対面。Masakiの後ろで、卓也とリンが、盛んに「Masaki, it's
your Ojiichan. Ojiichan.」というようなことを言っている。お爺さんがどこかにいるのかと一瞬思ったが、すぐにぼくのことだと分かり、愕然とする。そうか、見たところも、実質的にも、ジイサンになったようだ。
それでも金子さんに倣って、「燃えるような恋」は無理としても、やり残したことがないように生きたいもの。
Friday September 14, 2012
1982年3月に先祖の地に戻ってから、家人に毎年「上高地へ行こう」といわれ続けて、ようやく今日実現した。彼女がそう言うたびに、上高地も今村もそうかわらない、と言ってきたが、実際行ってみると、ちょっと違った。実に美しい。
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ただ河童橋は、TVなどで見たときの印象と比べると、小さく思えた。高知市の中央公園脇にある、はりまや橋を見たときほどの違和感はなかったが。
すべて美しかった。中でも、最も感動したのは梓川の源流の美しさ。手を入れると文字通り、切れるように冷たい。「中谷勲」の歌の中に、ぼく自身の小学校時代の体験を踏まえて、「時には川原へ泳ぎに出かけ/真っ黒に日焼けして帰ったことも」と書いたが、当時子供たちが実際にこの冷たい川に入って泳いだかどうか不安になった。ぼくが子供の頃は学校にプールなどなく、誰もが横川川の冷たい水に跳びこんで、喜々として泳いだもの。おそらく、倭小学校の子供たちも梓川で泳いだに違いない。
夜、オーリアッド。今夜は多くのお客さん。先週土曜日からいいバイブレーションが続いているような。初めて上高地へ行ってきたと話すと、みなさん驚かれた。わが家から、波田町のサラダ街道を行けば、往復100キロもない。沢渡というところでバスに乗り換えるというのが厄介と思っていたが、なんの問題もなかった。逆に自分の運転で最後の狭い道を対向車に気を使いながら行くほうがもっと大変だろう。
Thursday September 13, 2012
家人が午後留守をする間にパンを焼こうと、昼前、小野のスーパーへ。ドライイーストとクルミを買う。農協のスーパーとばかり思っていたが、一般の業者のスーパーになっていた。品物は少なかったが、こじんまりした感じのいいお店である。そのあと、セルフのガソリンスタンドへ。
昼過ぎ、パンを焼く。今日は、クルミと干しぶどうを最初から粉に入れて練ることに。結果はいいような悪いような。干しぶどうとクルミがつぶれて原型をとどめていない。しかし食べてみると、ブレンドされた2つの風味が口に広がって、なかなか美味しい。
パンを焼いたあと、畑に出て、トウモロコシの畝の防御ネットをはずし、杭を抜き、刈り払い機でトウモロコシの茎を切り倒す。これだけで汗だく。実は、ウオーキングに出るか畑に出るか迷ったが、畑に出ることに。ウオーキングより確実に効果がある減量方法。昨日よりさらに0.8kg減っている。夏の初めからだと、5kg減。
7時過ぎ、オーリアッドへ。すでにジブランの会の方々がお見えになっていた。ご主人を亡くし、半年ほど休んでいた方も、後半お見えになった。ジブランの『預言者』をテキストにスタートした勉強会。今は、ほかのものを読んでいるようだ。帰り際、「パンが美味しかった」とのこと。デザートは昨日家人がカウンセリングに行った高校で購入した梨。これも「美味しかった」ようだ。
Wednesday September 12, 2012
朝、昨日雨で中断したウオーキングを続けようと外に出たが、畑を見て、家人が出掛けに言った言葉を思い出した。「草が伸びてきたので、耕運機をかけておいて」。
ウオーキングよりも畑仕事のほうが減量にはいい。ひまわり畑だったところにイチゴと白菜と野沢菜の畝が農道沿いにあるが、あとは山際まで何もない。先ずそこに耕運機をかけることに。いつもは大型耕運機で近所の人に耕しもらうところ。ぼくの小型の耕運機ではなかなか大変。1時間ほどかけて、4分の3ほど終了。休憩後、家の近くの畑の畝と畝の間を耕し、午前の仕事を終える。体重を量る。1.4kg 減。
午後、旧ひまわり畑の残りの部分を耕し、3つの畑の水遣り。少々疲れたが、畑はきれいになった。体重は昨夜と比べて
1.4kg減 をキープ。
オーリアッド。秋の教会でのコンサートやマンダラ2でのコンサートに向けて、新しい曲を書こうとアイディアを練っているところ。いいストーリーが思い浮かばない。古い歌をいくつか歌ってみる。重要なことは諦めないで、歌を書こうとしつづけること。そうすることで、無意識のうちに、何かが醸され、突然に歌が飛び出てくることがある。いつもそう上手くいくとは限らないが。
遅くにお客さん。四方山話。先週土曜日のオープンマイクの写真を見てもらう。「みなさんの笑顔がいいですね」とその人が言う。コメントにもそういう声が多かった。驚くべきことに、facebook
にアップした先週のオープンマイクの写真は現在のところ、101 people saw this
post となっていて、今までで最高。まだ増え続ける可能性がある。オーリアッドのfacebook へのアクセスは 9/4/12--9/10/12 の間に 504 People Reached となっている。9月4日から9月10日の間ということは、写真をアップしたのは9日のことだから、2日間ほどで極めて多くの人がアクセスしてくれたことになる。
Tuesday September 11, 2012
午後には雨が降るというので、10時すぎ、小さな秋の写真を撮ろうとカメラをもって、ウオーキングに。徳本水のカーブから、山の腰道へ入ると目の前は別世界。水引草がきれいに咲いている。朝顔は秋ではなく夏の花
― 99月も10日を過ぎたというのに、夏のような暑さ。
ローカル新聞に、かなり前、この地域をコンニャク芋の産地にしようと、有志が集まって使われていない農地に種芋を植えたという記事を読んだ。その写真が右下の写真。わが家の畑にも、5本、コンニャク芋の「木」が生えているが、こんなに立派ではない。
この写真を撮っているうちに、雨が降り始めた。神社を通って、城山公園まで行こうと思っていたが、引き返すことに。徳本水のところまで戻ったら、本降りになった。カメラをシャツの下に隠し、大股にいつもより早く歩く。家に着いたときにはびしょ濡れ。
今日はボブ・ディランの新譜 Tempest の発売日(日本盤は9月26日)。奇しくも、11年前のこの日も、ボブ・ディランの
Love and Theft の発売日だった。
次の文章は、9.11 の2日後に書いたエッセイの一部である。
「21世紀になれば」「21世紀には」と、誰もが21世紀を待ち望んでいた。20世紀は戦争と殺戮の世紀だった。しかしこの新しい世紀が始まってわずか9か月で、世界は再び地獄を見ることになった。9月11日はアメリカでは、ボブ・ディランの新しいアルバム
Love and Theft (愛と盗み)の発売日だった。いつもより遅れて届いた HWY61-L
というメーリング・リストの投稿者の多くが、CDを買いにいく気になれないとか、手には入れたがどうしても聞くことができないと書いていた。その中でハワードという人が、数日前に聞いたという話を投稿していた。彼が、ワールド・トレード・センターの悲劇の起こる3日前に、エイミーという女性の両親から直接聞いたというその話を次に要約しよう。
エイミー・ビールは、大学卒業後、アパルトヘイトが終わりつつある南アフリカへ行った。ネルソン・マンデラが彼女の英雄で、彼女は歴史的な平和と和解のプロセスに参加したいと強く思った。
彼女は1年間ボランティアとして働いた。そしてアメリカへ帰る日の2日前、4人の黒人の若者に車から引きずり出され、殺されてしまった。4人は裁判 にかけられた。彼らは、彼女について知っていたことは、彼女が白人だということだけだったと言った。裁判長は彼らに懲役18年の刑を言い渡した。
しばらくして、エイミーの両親のところへ南アフリカから1本のビデオテープが届いた。それは、殺人犯の1人の若者の母親が泣き崩れながら、エイミーの母親に許しを乞うているテープだった。このテープがエイミーの両親を変えた。
彼らはエイミーの生と死が意味を持つことができるためには、娘の理不尽な死に対する怒りや悲しみを乗り越えなければいけないと感じた。そして、その事件を引き起こした社会的・文化的な背景を理解しなければならないと感じた。
4年後、4人の若者は、「真実と和解委員会」に恩赦を願い出た。エイミーの両親は、委員会に恩赦を認めるよう嘆願するために、南アフリカへ渡った。南アフリカへ行く前に、彼らは、会社も家も売り、さらにいろんな団体から寄付を募り、「エイミー・ビール財団」を設立した。
今日、数百人の人たちがエイミー・ビール財団と財団が支援する会社によって雇われている。エイミーの両親が最初に雇ったのは、エイミーを殺した4人の若者だった。彼らは今、財団を担う中心的な役割を果たしている。
ハワードは次のように投稿を締めくくっている。
「彼らの話を聞いたとき、どうしてそんなことが可能だろうかと思った。言葉では理解できる。しかし、自分の娘に同じことが起こった
ら、彼らのように行動することは無理だと思った。しかし、今日の悲劇を目撃した後、ぼくはエイミーの両親と同じ場所に立つことを学ばなければならないと感
じた。しかも今すぐに。時間はあまり残されていない。ぼくは今、世界の指導者たちが、人類のために、エイミーの両親が立っている場所に行くことができる地図を作成することを切望する。手遅れになる前に」
エッセイの全文は次のURLから。
http://www.nagano.net/journal/miura/010914.html
Monday September 10, 2012
10時に「三丁目介護予防事業」の会が始まる前、ソフィーを獣医さんのところへ連れて行く。昨日から尿の出が悪く、苦しそう。まだ小さかったころ、ソフィーだけに尿路結石ができ、獣医さんの勧めで、PHコントロールの餌を与えてきた。2匹飼っている場合は療養食は両方に与えなければいけないとのことで、月々の餌代は7,8千円に。先日、ホームセンターで、極めて安い療養食を見つけ、跳びついたのがいけなかったかも。
獣医さんの話では、膀胱に尿はたまっていないので、尿は出ているとのこと。膀胱炎を起こしているかもしれないと、抗生物質の注射を打ってもらい、一週間分の飲み薬をいただく。PHコントロールの餌はまだ残っているので、しばらくそれを与えることにする。
家人は先に行き、会食の準備。ぼくが入ったのは、会が始まる10分前。歌う準備もできないまま会長さんの挨拶が始まり、歌うことに。歌った歌は「それぞれの道」「碌山」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。そして「祈りの歌」。間に「みかんの花咲く丘」「ふるさと」「紅葉」をみなさんと一緒に。
ぼくの歌はどうかわからないが、会食はみなさん楽しんでくださったよう。
12時半、家人は伊那の合同庁舎へスクールカウンセラーの会に行き、ぼくはお皿を洗って、家に戻る。ソフィーとフィービーが出迎えてくれた。ソフィーは昨日よりは気分はいいようだ。
いつの間にか大相撲が始まっていた。今のところ日馬富士は調子よさそう。
Sunday September 9, 2012
昨夜のオープンマイクの余韻が朝になっても残っていた。心地よい波長に包まれた一夜だった。Oread
の facebook への訪問や書き込みもいつもより多いようだ。みんなが笑顔で演奏している一枚の写真が、世界中のfacebook
friends からポジティブな反応を引き出したのだ。そのほとんどは個人的には知らない人たち。でも彼らがアップする写真や絵を通して、彼らが好む音楽や文学を通して、そして彼らが書き込む日常の思いを通して、人種、国籍、性別、年齢を超えて、似たような美意識や価値観を共有していることがわかる。
日本、タイ、マレーシャ、中国、イラン、イタリア、フランス、アメリカ、イギリス、スペイン、南アフリカ、ニュージーランド、イスラエル、韓国、など、facebook
がなければ繋がることができなかった人々。少しでも、互いに啓発しあう関係でありたいと思う。
Facebook を通して、昔の古い友だちと「再会」したり、世界中に新しい友だちができたりすることは、何て素晴らしいことだろう。しかし、facebook
friends の数だけを増やすことに興味はない。まったく知らない人から friend
request がきて、今では旧知の間柄のような人も何人かいる。しかし、時には、
request だけ届いて、message が書かれていない場合がある。その人の facebook
page を訪ねて、その人に関する情報が得られればいいが、情報がまったく与えられていない場合は、闇夜に覆面をした人に話しかけられたようで、直ちに
confirm をクリックすることは難しい。
午後、オーリアッドへ。昨夜の後片付け。そして、明日の東町三丁目介護予防事業の会でお店が使われることになり、その準備。前半1時間はぼくの歌と話、後半、会食。70歳前後の方々が20名ほど集まるようである。ぼくが洟垂れ小僧だった時代を知っている方も多い。偉そうなことを言っても、説得力に欠ける。やりずらいが、同時に楽しみでもある。
7歳のときに、現在の家のある先祖の地から、距離にして3,4キロほどある宮木東町三丁目に引っ越した。まさに「三丁目の夕日」の世界だった。家のまわりにはたくさんのお店があった。石屋、洋服屋、時計屋、糸屋、餡子屋、魚屋、煙草屋、洗濯屋、豆腐屋、こんにゃく屋など。まだ舗装されていない道路を、子供たちが群れて走り回った。中には小さな弟や妹をおんぶしている者もいた。紙芝居がきたり、カバヤキャラメルのカバの形をした車がやってきたりした。遠い記憶。
夜、明日のトークライブの準備。一緒に歌える歌も2曲歌ってほしいと言われている。「紅葉」は欠かせないだろう。
Saturday September 8, 2012
The City of New Orleans, Tennessee Waltz, DU (Depleted Uranium) などを歌っているところへ山口恵三さん。そして、春日淳也さんも今夜はいつもと違って早目に、(中学時代同級生だったという)梅原靖典さんと一緒に。
山口さん、前半はウクレレで、On the Sunny Side of the Street, Day Dream
Believer、それに「座・ロンリーハーツ親父バンド」。ウクレレの音も歌声も素晴らしい。最後の歌は初めて聞く歌。さだまさしが書いて加山雄三が歌っているとか。なかなかいい歌である。春日さん、梅原さんのジャンベのサポートで、オリジナルの「雨は降っているかい」「モースト・オブ・ザ・タイム」「走り出そうとしている人の歌」。春日さんはこの1年で歌もギターも長足の進歩。ボトルネックも板についてきた。
更に、山口さん「ビキニスタイルのお嬢さん」「コーヒー・ルンパ」のあと、春日・梅原ユニット「トモエ食堂」。
そのあと、長野市から高速を飛ばして帰ってきたという原田和恵さん。「輝く日を仰ぐ時」を歌い出したとたん、その伸びやかな歌声と今までにない声量に驚かされる。続いて「G線上のアリア」と「アヴェマリア」。「G線」は従来ピアノ演奏だけなのに、今夜はスキャットまで入った。
ここで再び、山口さん、「日曜日よりの使者」。春日・梅原ユニット、「河童ブルーズ」。前半最後は赤羽真理さん。「鹿のように」。「私を待つ人がいる」。ここで、原田さんのお土産のケーキをいただきながら休憩。
休憩時間、数名が3,4番テーブルに集まって、即興のジャミング。なかなかいい。高石友也とナターシャ・セブンの「陽のあたる道」とのこと。今夜の最後のセッションはこれで決まり。
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後半トップは、長島功さん。白鳥座の「鬼無里村から」とオリジナル「一通の手紙」。不遇の死を遂げた親友に捧げた歌。今年3月に亡くなった彼のお母さんのための歌として聞いても、伝わるものがある。坂井俊水さん、「君が幸せになるように」と「ワインディング・ロード」。前者は初めて聞く新曲。彼の歌を半年聞いてきたが、見事に独自の世界を築きつつある。
山口さん、ギターに持ち替えて「コットン・フィールド」と「パフ」。今夜は山口ワールド全開。春日・梅原ユニット「ブルーズに気をつけろ」「幸せの黄色いハンカチ」。原田さん「紅葉」をみなさんと一緒に、そして「君は愛されるために生まれた」。赤羽さん「旅人の木」と「千両梨の実」。後者は久々に聞かせてもらった。とてもよかった。
ここで最後のセッションの前、藤森玉穂さんに前回好評だったMais Que Nada を歌ってもらうことに。サポートはオーリアッド・オールスター・バンド。こんなに楽しい演奏はそうあるものではない。歌うほうも聞くほうもみんながhappy
になる演奏。写真をみただけで、その様子が伝わるとみえ、Oread の Facebook に"Now there's a bunch of happy campers!" という書き込みがあった。happy camper とは、キャンプとは関係なく、「とても幸せな人」という意味。直訳すれば「とても幸せな人たちの一群ですね」。つまり、「みなさん本当に楽しそう」。
最後に Oread All-Star Band の「陽のあたる道」。これまた見事な演奏。ジャンベとカホンが軽快にリズムを刻み、そこに春日さんのマンドリンがカントリータッチを加え、山口さんと赤羽さんのボーカルがハーモニーになってオーリアッドの空間を満たす。
YouTube でナターシャセブンの「陽のあたる道」を聞いたが、今夜のOread All-Star Band は負けていない。みなさんのおかげで素晴らし夜になった。感謝。
Friday September 7, 2012
朝から一騒動。
猿の大群がわが家の畑を襲い、遅まきのトウモロコシ、サツマイモ、トマト、ニンジンなどをとられた。特に猿の大好物のトウモロコシは壊滅的。家人が見つけて、外に出たときはすでに遅し。たくさんの猿がわが家の畑から、それに隣の畑から、山のほうへむかって一目散。ぼくは見なかったが、家人は子猿を腰に乗せて逃げて行く親猿を2匹見たとのこと。
下の写真左は農道に散乱しているトウモロコシの皮や芯。中は、隣の畑からとってきたキュウリを食べ散らかし、その真ん中に落としていった糞。かなり大きい。右は、捨てられたトウモロコシの芯を悔しそうに眺める家人。慰めにもならないが、子猿たちがお腹いっぱい食べられたのなら、よしとするか。
昼過ぎ、パンを作る。2回目。今回は最初に指示を受けたが、家人が用事で外出したので、ほぼ全行程一人で作ることに。あと何回か作れば、完全に一人でできるようになるだろう。
6時丁度、オーリアッド着。駐車場に「不審な」車が。誰かが無断で駐車していると思ったら、「週刊いな」の記者の方だった。コーヒーショップの広告特集をやるので、広告を出しませんかと連絡をいただいたのは、2週間ほど前。広告を出したからといって、お客さんがくるわけでもないので、お断りしようと思ったが、「週刊いな」にはいつもお世話になっている。ほたる祭りライブやキング牧師の日チャリティーコンサートなど、無料で案内を出していただいている。一口乗せてもらうことに。
今晩6時にオーリアッドでお会いすることになっていた。時には15分、たまには30分も遅れて入ることもあるのに、今日は時間通りに入ってよかった。
取材を受け、写真も何枚も撮られる。その最中に原田お父さん。しばらく一緒に取材を受けていたが、区の会に行かねばならないと、お帰りになる。今夜も将棋はできなかった。
そうそう、中村ブンちゃんから電話があった。ぼくの『千の風』を聞いていたら、ぼくの声が聞きたくなったとか。9月の半には「ぼけ経」のシングル盤が出たり、9月28日には大きなコンサートが予定されていたりで、忙しくなるとのこと。何よりである。
Thursday September 6, 2012
早朝は涼しいが、日中はかなり気温が上がり、真夏並みの暑さ。昼食後、しばらくの間、はげしい雨。英語のことわざに、When
it rains, it pours. (降れば土砂降り)というのがあるが、最近の雨はいつも激しく降る。ことわざの意味は、「泣き面に蜂」のような意味。
朝から、Max Dodds の歌詞の対訳の修正。午後3時過ぎ、一応完成し、送る。隣町へオーリアッドの食材などを買いに行き、帰ってきたら、彼からメールが入っていた。歌詞を訳していて感じたのは、彼の歌詞がスプリングスティーン、ディラン、コーエンの影響を強く受けているということ。その旨メールに書いたら、"Dylan,
Springsteen and Cohen are three artists who have influenced me a great
deal." と書かれていた。ぼくが彼について知っていることは、彼がカナダ人で、ぼくの古い友人の知り合いの友人で、京都に住んでいるということだけ。彼の年齢も、経歴も何も知らない。
オーリアッド。7時過ぎに家人と交代。スピーカーからは Amenesty International
の50周年を記念してリリースされたトリビュート・アルバム Chimes of Freedom
Songs of Bob Dyaln の disc 2 が流れている。このアルバムを取り寄せたのは今年の3月。だけど、もうずっと前のことのような気がする。時間はますます加速度的に速くなるようだ。
Lay Down Your Weary Tune が流れた。好きだ、この歌は。
Wednesday September 5, 2012
朝食後、久しぶりに隣村の公園までウォーキング。今朝は寒くて目がさめた。それで血圧が上がったのかもしれないと、運動することに。
そのあと、家人の指導でパンを作る。粉をまぜるところから、オブンで焼くまで、いくつもの工程がある。作ったというよりは、ちょっと手を出したといったほうが正確だが、美味しくできあがった。
午後少し午睡。
夜、オーリアッド。日が短くなった。6時を過ぎると薄暗くなる。前半、ひとりのお客さん、洋楽の歌詞をもってきて、いくつか聞かれる。何行か、英語の歌詞が間違っているところがあって、これでは分からないはず。後半、何人かのお客さん。そのうちの一人、原田さんとカウンダーで話す。彼は最近は傾聴ボランティアに週2回は行っているとのこと。明日は松本で開かれる「新老人の会」に参加するとのこと。セイギョク的。
できたら明日のうちに、カナダ人シンガー、Max Dodds のCDの対訳を修正して送りたい。明後日から、来月半ばまでアイルランドへ行くとのこと。
I am off to Ireland on Friday and will be back on the 16th. Have you ever
been? It's a magical place. と書かれていた。アイルランドは行ったことがない。NHKBSで、著名なバイオリニストが、アイルランドへ行き、フィドルの名手たちと交流する番組を見たことがある。クラシックのバイオリンと、フィドルでは奏法がかなり違うらしい。でも最後には見事に仲間に入って演奏していた。街角から音楽が流れてくる「魔法の国」。行ってみたいな。
Tuesday September 4, 2012
今日は朝からほぼ一日外にいて、花壇にするために、ハーブ畑をの半分を掘り起こしたり、家と畑の周りの草刈りをする。特に北側の無人の隣の畑から、大量の蔓草がのびてきていて、紫陽花や木瓜などの潅木や、キクイモんの背の高い茎にからまりついて、手に負えなくなっていた。それを刈り払い機で、おおざぱに刈り、あとは手で引き抜く。疲れる仕事。
そうそうもうひとつ余計な仕事をしなければならなかった。朝、大きな猿が出て、囲ってあるトウモロコシの畝から7,8本食べ散らかしていった。再度、網で囲い、しっかり固定したが、猿の力を考えると気休め程度。
夜は、BSでやっていた「相棒」を偶然見つけ、ほぼ最初から最後まで見てしまった。このドラマは、最初から犯人がわかっている、あるいは推測できるという点で、「刑事コロンボ」に似ている。最後にいくつか仕掛けを仕組んでいて、それがうまくいくと、小気味よいが、失敗すると、リアリティに欠ける。しかし面白い。
そのあと、カナダ人シンガーの対訳の修正を少し。彼から直接修正を依頼してきた部分、それに訳抜け、および、オリジナルの詩が抜けていた部分などを検討し修正する。いつものことながら、一人称と二人称の代名詞をどうするか、苦労している。最初はすべて「俺」と「おまえ」で訳しておいたが、彼から1曲、「おまえ」ではなく「あんた」がいいのではないかとの提案があった。ぼくとしては、どちらかといえば「あんた」は使いたくないが、さてどうしよう。「おまえ」ではなく「あなた」を使いたい歌も、2,3曲ある。
最近、12時前には寝ようと努力しているが、今夜はむずかしい。
Monday September 3, 2012
午前中、3コマのブックトーク。金曜日の2回を加えて計5回したことになる。今日の2コマ目には、町の広報の記者が取材にきた。3コマ目には教頭先生が様子を見にこられた。全体的に金曜日よりも今日のほうが、時間配分も含めて、よかったような。今日は、「ローザ・パークスの歌」から入り、「アメイジング・グレイス」「I
Have a Dream」、そして最後に、スティーブ・ジョブズが小学校6年から中学1年にかけて、いじめられていたという話をしたあと、「それぞれの道」。
このブックトークのお手伝いをさせてもらってから今年で5年目になる。早いものである。
午後、芝刈り。モウアーを押していると、小雨が降り始めた。ありがたい、水まきをしなくてもいい、と思っていたらすぐ止んでしまった。芝刈りのあと、3つの畑に水をやり、最後に野菜をとる。キュウリ、ゴーヤ、韓国唐辛子、オクラ、最後にトマト。
9月になってもう3日が経ってしまった。今日も早く寝ることに。
Sunday September 2, 2012
長男、午前中、ぼくのパソコンやプリンターの不調なところを調整したあと、元祖Osakaでお昼を食べて、東京へ。
駅からの帰り、オーリアッドに寄り、昨夜の後片付け。午後遅く、先日作った畝に野沢菜の種をまく。いつもの年よりも少し多めに。先日まいた大根の芽が、2,3センチの大きさになった。ここ2,3日の雨のおかげ。土と太陽と水のありがたさ。
夜、明日のブックトークの練習を少し。遅くに階下から呼ぶ声がする。降りていくと、長男の顔が家人の新しいパソコンの画面に。スカイプ。家族間の連絡にこれは便利。
今夜は少々疲れ、早目に寝ることに。
Saturday September 1, 2012
いよいよ9月。昨日は曇り空で、ブルームーンを見れなかったが、、今夜、忘れ物を取りに家に戻り、再びオーリアッドへ向かうとき、王城山の上に大きな月。そこで今夜の1曲目、「王城山に黄色い月がのぼり」、そして月曜日のブックトークの練習を兼ねて「I
Have a Dream」と「ローザ・パークスの歌」。
次に原田和恵さん。他の歌い手がやってくるのを待つ間、たくさん演奏してもらうことに。先ず最初に「すすきの中の子、一、二の三人」ということばで始まる「秋の子」。昔の子供たちの生活がしのばれる歌。そして「はるかな友に」「ひだまりの歌」「ラルゴ」「アベマリア」、そして「渚のアデリーナ」。最後の曲は懐しい。1980年代半ば、初期オーリアッドがオープンしたころ、時々ふらりとやってきてピアノを弾いてくれた人がいた。その中にこの曲が含まれていた。その人はその後不遇の死をとげたと風の便りで聞いた。ぼくがリチャード・クレイダーマンというピアニストの名を知ったのは彼のおかげである。
長島功さん、8月19日の「信州フォークフェスタに行ってから、また歌いたくなった」と先週に続いて登場。1曲目はフォークフェスタでも歌われた「白い冬」。そしてオリジナルの「最後の手紙」。後者はもう何年も前、親友の思いがけない死に直面して書いた歌。赤羽真理さん、「闇の中に独り」と「約束」。後者は初めて聞く歌。「そんな小さな孤独のために、死んではいけない」と訴える歌。長島さんの2曲目に呼応しているような。ここで休憩。スピーカーからは、ジョニー・キャッシュが歌う
「One Too Many Mornings」。
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後半、先ずぼくが「菅野有恒」を歌ったあと、坂井俊水さんにお願いする。1曲目は、なんと「No
Woman No Cry」。彼の声質、歌い方にあった曲。ぼくには思い入れのある歌。そしてオリジナルで「恋心」。「心の中から自分の声が聞こえても、聞こえない振りをする」という主旨のことばが印象的。
原田さん、「夕焼け小焼け」と「ささやかなこの人生」。長島さん「無縁坂」、そして「ふるさと」。後者は白鳥座というグループの曲とか。赤羽さん、「鹿のように」「千両梨の実」。
3巡目は1曲づつ。坂井さん、新曲「Walk」。ウイークデイにきて、何度か聞かせてもらったが、いい曲である。原田さん、坂井さんの新曲を聞いて予定を変更して歌いたくなったと「祈りの歌」。「Walk」から「祈りの歌」へのつながりは定かでないが、今夜の原田さんの「祈りの歌」は素晴らしかった。長島さん「春雨」。赤羽さん「フリー」。最後にぼくと家人で「Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Foot?」。
これで今夜のオープンマイク終了。帰り際、赤羽さんが、原田さんの「祈りの歌」を絶賛。みなさんのおかげでいい夜になった。
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長男が昼ごろ、東京からやってきた。家人のノート型は10年ほど前のもので、ワープロとして使うには支障はなかったが、パソコンとしては、ときどきトラブルが生じていた。ここが替え時と、次男がスカイプを始めたということもあり、スカイプ機能のついたノート型を買ってきてもらった。早速、設定してもらい、次男をスカイプで呼びだした。8ヶ月を過ぎたジョージの笑顔を見ることができた。
映像や音声がもう少しクリアーだといいのだが、贅沢は言えない。映像を見ることができるだけでなく、通話料無料である。