OREAD Diary July 1-31, 2012
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Tuesday July 31, 2012
午後2時半、家人と松本へ。明日の期末試験の印刷をしに。そしてついでに George
のための服を買いに。NZと日本は季節が逆。12月の1歳の誕生日に服を贈ろうと思っても冬服しかない。今のうちに買っておこうと家人が言う。
印刷が済んだあと、井上へ。5階の子供服売り場。一着購入。子供服は小さいのに高い。次にユニクロへ行き、George
のお父さんとお母さんにも服を1着ずつ。子供服コーナーがあったので、George
のためにも一着。値段はデパートよりずっと安い。国道19号線をさらに下るとトイザラスとベイビーザラスというのがあった。入ってみることに。ウム、最初からここにくるべきだった。安い!
服だけでなく、赤ちゃん用のものがたくさんある。半年後のものでなく、今着れるサイズのシャツをいくつか購入。それに若干のおもちゃも。
いろんなところに寄っているうちに、遅くなってしまった。Coco's で夕食を食べて帰ることに。混んでいた。夏休みになったのだろう、子供連れの家族が多い。かつてわが家にもそういう時代があった。時はなんて速く過ぎ去るのだろう。
Monday July 30, 2012
結局、今朝6時までかかって何とかエッセイを修正。徹夜をしたのは久し振り。でも夜中はすべての邪魔をシャッタウトして集中できる。おかげで何とか以前のよりもいいものになった(と思う)。いくつか新いアイディアも浮かんできた。タイトルは:
ウディ・ガスリー、ボブ・ディラン、そしてスティーブ・ジョブズ
-- Here's to the Crazy Ones!
原稿用紙にして40枚ほど。ちょっと長くなりすぎたかも。
6時過ぎにベッドに入り、9時に起きて、もう一度読みなおし、Music Life Plus
へ送る。問題なく差し替えてもらえればいいが。
午後また2時間ほど昼寝。夜、でれっと、うとうとしながら、オリンピックの中継を見る。
Sunday July 29, 2012
午前中、とうもろこし畑に金網で柵をし、網で覆う。ハクビシンよけ。汗びっしょり。
午後から、エッセイの書き直し。以前送ったものを読み返したら、中途半端で、あまりにもお粗末。編集者にお願いして、最初と最後を書き直させてもらうことに。頭の中では、だいたいの構成は出来ているのだが、実際に書いてみると、思うように進まない。
締め切りは明日の朝。何とかしなければ。
仕事をしていると、猫たちが入れ替わり立ち代わり、邪魔をしにやってくる。フィービーは膝に乗り、ソフィーは受話器の上に。
Saturday July 28, 2012
静かなオープンマイク。まずぼくが「フィールド・オブ・ドリームズ」「私は風の声を聞いたメドレー」、そして「Death Is Not the End」。メドレーは「信州フォークフェスタ」に向けての練習。
唐沢千夏さん、「広島にて」「秋のうろこ雲に乗って」、そして前回初めて歌った新曲「旅をする雨」。3曲目は前回よりずった安定していた。それにタイトルがいい。唐沢さんは、前から希望していた通り、8月5日と6日に広島原爆ドームの前で歌うことになったとのこと。素晴らしい行動力。
坂井俊水さん、「Winding Road」「Don' Look Back in Anger」「It' My Life」。1曲目と3曲目がオリジナル。いずれもいい曲である。
久々登場の原田和夫さん、何年か前に町の傾聴ボランティアの講習を受け、今は施設などへお年寄りの話を聴きにでかけているとのこと。いつものことながら、そのアクティブな行動力に感銘を受ける。90歳で亡くなった詩人のドン・エンブレンを思い出した。2004年にサンタローザで会ったとき彼は85歳だった。ボランティアでお年寄りの送り迎えをしていると言っていた。
ここで休憩。スピーカーからは武居先生が聞きたいといっていた Forever Young。ディランのこの歌をもとにして絵本があるらしい。
後半、原田和恵さん、「宣教の歌」、そして「トロイメライ」。今夜はここでオープンマイク終了。しばらく歓談したあと、早目に閉店させていただくことに。家人の体調が少々悪く、ぼくもエッセイが気がかりで。
Friday July 27, 2012
昨日で前期の授業が終了したので、期末試験と採点は残っているものの、気分は夏休み。昨夜遅くまで、というか今朝早くまでサッカーを見てしまったのもそのせい。日本がスペインに勝ったことを世界中のメディアが驚きをもって報じている。
http://edition.cnn.com/2012/07/26/sport/spain-japan-football-olympics/index.html
朝食後、3つの畑の草を刈払機で刈る。そのあと、家の周り。汗だく。シャワーを浴びるとき体重を計ったら、仕事着に着替える前に計ったときよりも1k減っていた。
昼食後、午睡。夏の昼寝は午睡という言葉がよく似合う。2時間ほど眠る。それから
Music Life Plus のエッセイの修正を開始する。月曜朝までに最終的な原稿を送ればいいというお許しが出た。紙の印刷の場合は難しくても、online
の場合は、差し替えがかなり自由にできる。ありがたい。
夜、オーリアッド。エッセイの修正。原田さん、1番テーブルでラヴェンダー・スティックづくり。
古い写真がでてきた。1969年8月10日、サンフランシスコの港を出たプレジデント・ウイルソン号は、その日の夜、ロサンゼルスの港に着き、一泊した。翌朝ロサンゼルスでも乗客が乗り込んできた。サンタフェスプリングスに住むイレインの家族に、前もって、船がロサンゼルスに一泊する旨、伝えておいたので、イレインのお姉さんとお姉さんの娘のブレンダが会いにきてくれた。この写真は、デッキの上でブレンダと一緒に撮ったもの。
『追憶の60年代カリフォルニア』では、お姉さんとブレンダが船まで会いにきてくれたことは触れなかったが、イレインに関しては第14章「サウンド・オブ・サイレンス」の後半(pp.
118-125)に書いた。その後、彼らがどうしているかわからない。ブレンダはもう50歳前後だろう。
Thursday July 26, 2012
夜11時前、オーリアッドから戻ると、家人がこれからオリンピックの男子サッカーが始まると言う。前半少しみて、2階にあがろう思っていたら、日本が先制点を入れ、俄然面白くなった。スペインは、一人の選手がレッドカードで退場。数の上でも有利に。ハーフタイムまで見てしまう。
ハーフタイムで2階にあがったが、サッカーが気になって仕事に集中できない。また下に降りてテレビをつける。後半10分が過ぎていた。日本は終始試合を有利に進め、シュートを何本も打つがゴールならず。結局、1-0の勝利。
7時半過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。ひとりのお客さんがカウンターに。以前に製氷機を修理してくれたTさん。彼は演歌の歌手でもある。8月4日にさいたま市で、200人ほどの演歌歌手が集まるコンテストがあるとか。一曲持参されたCDのカラオケで歌ってもらう。うまい!
このコンテストで優秀賞をとると、キングレコードからCDデビューの可能性があるとか。是非がんばってほしいもの。またコンテストの報告にきてくれることになっている。
午後、2コマのクラス。一人、昼休みに、10曲歌詞を見ないで歌う試験をしてもらいたいと言いにきた。ただし、今日5曲、来週5曲に分けてほしいとのこと。そうしようということで、4時10分過ぎ、中庭で歌ってもらう。3曲はまあよかったが、1曲はあやふや。今日のところはここまでと打ち切る。来週、どこまで覚えてくるか。
朝食後、昨日買った刈払機に燃料を入れ、畑の草を刈る。刈払機も進化しているようだ。実にスムーズにエンジンがかかり、切れ味もいい。30分ほどで汗だくに。
今日も一日暑かった。
Wednesday July 25, 2012
お昼を挟んで2コマのクラス。この2つのクラスは、歌声がいい。特に昼過ぎのクラスは、長年歌を取り入れて英語を教えてきたが、その中で一番。教育学部で、女子が多いせいだろうが、それにしてもすばらしい。
昼休み、講師控え室へ行くとジョナサンがいた。イギリスから戻ってきたようだ。もう少しで夏休みで、向こうにいればオリンピックを見ることもできたのに、そうしてもいられなかったみたいだ。
帰路、久々に TSURUYA に寄り、アボカドなど購入。アボガドがかなり安くなっていた。今メキシコは最盛期なのか。
そのあと、ホームセンターに寄り、刈払機を購入。今まで使っていたのは、数週間前、燃料の配合を間違えて、壊れてしまった。一番安いのを買う。
6時過ぎオーリアッドへ。
原田さん、ラヴェンダースティックづくりに。オーリアッドがラヴェンダーのいい香りに満たされる。坂井君、ピザのテイクアウト。焼けるまで、スピーカーから流れるブルーズに合わせ、ギターを弾く。
久々に、昔愛読したJ. Krishnamurti の Life Ahead を本棚からとりだし、読み始めた。まだ数ページながら、初めて読んだころのことを思い出した。1967年の夏、
Isla Vista の Red Lion Bookstore で働いていたニコラスに教えてもらって購入した本。
Tuesday July 24, 2012
朝8時20分から、10分間、中学校で読み聞かせ。読み聞かせでは、そのときぼくが一番感動しているものを読みたいといつも思っているが、今回はなかなか決まらなかった。今朝目覚めて布団の中で、「いじめ」をテーマにしようと決める。スティーブ・ジョブズのいじめられた体験を短くまとめ、さらに「それぞれの道」という歌ができた経緯を書いたものを「ですます調」に書き直し、中学校へ。途中、Bのハーモニカとハーモニカホールダーを取りにオーリアッドに寄る。
1年生のクラス。教室に入ると、みんなニコニコ、いい笑顔。なんども読み聞かせに行っているが、こんないい笑顔のクラスは初めて。暗いイジメのテーマに気が引けたが、予定通り実行。終わって教室を出ようとすると、先生がやってきて、「途中からしか聞かせてもらえませんでしたが、涙が出てきました」と言う。そして「実話ですか」と付け加えた。前半、この歌のできた経緯を読んだときにはいなかったようだ。用意した資料を差し上げる。
家に戻ると、家人が庭のテーブルのところにいた。よく見たら、2匹の猫も一緒。今朝8時半ごろに彼女の弟と彼の友人が京都から、富士見高原のユリを見に行く途中寄ることになっていた。もう来て帰ってしまったのかと思ったら、まだだと言う。しばらくして彼らがやってきた。友だちは浄土宗のお坊さんだという。弟の茂樹君は以前はかなり太っていたが、カロリー制限が効を奏したとかで、スリムになっていて驚いた。更に驚いたのは彼の車の色。真黄色。これなら目立って事故は起きないかも。
その後、on and off 終日、エッセイ。ようやく夜11時過ぎ、送る、時間切れで、スティーブ・ジョブズの部分はカット。ウディ・ガスリーとディランについてのみ。読み直してみて、あまり感動できなかった。苦労したわりに文章が散漫。でももう書き直している時間はない。校正の段階で少し手直しさせてもらえるかも。
イチローのヤンキース移籍には驚いた。
Monday July 23, 2012
午後6時半から諏訪の公民館でLSECのクラス。それまでにMusic Life Plus のエッセイを書き終えたいと朝からパソコンに向かって四苦八苦。現在9000字ほど書いたが、まだ終わらない。ウディとボブとジョブズを繋ぐ線をもう少し明確にしなければ。
明日中には何としても送らねば。
LSEC、Think Different のディクテーションと暗唱。みなさんそれぞれいいリズムで読めるようになった。発音も始めたころに比べるとずっとよくなった。歌を歌う前に、新しい方がお見えになった。自己紹介をしてもらう。日本語でもいいですよと言ったが、英語で堂々と話された。
英語の5つの異なる「ア」の解説のあと、いくつか歌を歌う。Blowin' in the
Wind の1st verse には多くの「般若のア」がある。man (x 2), sand, cannonballs,
banned, answer (x 2)。この音だけでもしっかり出せれば、かなり英語の音に近くなる。特に、answer
の 「a」は要注意。
明朝は中学へ行き、読み聞かせ。1年生のクラス。何を読むか思案中。
Sunday July 22, 2012
簡単な朝食をとり、安曇野、碌山美術館横の研成ホールへ。9時から柴野道夫さんの講演「井口喜源治に学ぶ」と、日野原重明先生の講演「たましいの故郷」を聴くため。
柴野さんの講演では、井口喜源治についての話もよかったが、それ以上に興味をもったのは、柴野さん自身のお話。北大で学んだあと、大洋漁業に勤め、定年後は故郷、安曇野に戻り、農業をしながら絵を描き、井口喜源治の研究をし、「偉くならなくてもいい、良き人になれ」という彼の教えを実践している。因みに研成ホールの名前は、井口喜源治が一人で教えた学校、研成義塾からきている。
日野原先生は、3.11の大震災後に南三陸町を訪れたことや、いじめ問題がクローズアップされている今、いのちの大切さを子供たちに教えようと、沖縄などの小学校を訪問されていることなど、聖書の句を引用されてお話しされた。100歳とは思えぬ行動力。常に何か新いことを始めようと、数年前からは俳句を始めたとか。常に前向きな先生のお話を聞いていると、ぼくもまだまだ老け込んではいられないと思わされる。そうそう、先生は最近、髪型も少々変えたようで、去年よりも若く見える。ダンディである。
11時50分から12時50分までの「感話会」は失礼して、急いで家にもどる。
昼食後、村の神社へ。水無月の大祓いの儀。凛とした白装束の神主さんの指導のもと、区長さんと4人の神社委員が儀式に参加。そのあと直会。
エッセイを今夜中送らねばいけないので、お酒は飲まないでおこうと思いながら、勧められるままに少しいただく。その結果、家に戻ってから、少し横になったら3時間近く眠ってしまった。もう今夜は送れない。
Saturday July 21, 2012
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Friday July 20, 2012
今日は涼しくなった。夜には雨も降り、さらに涼しくなった。
終日、エッセイ。現在3000字ほど。あと、1,2日で何とかなりそう。
夜、オーリアッド。垣内さんが、「祈りの歌」のYouTube 用の動画を作ってきてくれた。いくつか要望を出す。それにしても、彼は、1998年の高遠少年の家の野外ステージのこけら落としのとき以来、さまざまな場面でのぼくの写真を撮ってくれたものだ。
一番の思い出は2002年春、プサンのイ・スヒョン君の両親にCDを届けにいったとき、一緒にきて写真を撮ってくれたこと。金浦空港ではふたりともスリの被害にあった。ヨン先生に連れられて警察に行き、被害届を出したが、スラれたお金は返ってくるよしもなし。今となっては、いい思い出、とはいえないが、いい教訓。
空港のエスカレータに乗るところで、ケープのようなものを羽織った南米人と思われる女性とぶつかった。ぼくは彼女がスリとは思わずに、「Excuse me. Go Ahead」とお人よしにも道を譲ってやったのだ。彼女はぼくが近くの売店で封筒からお金を出して買い物をし、その封筒をシャツの上着のポケットに入れたのをどこかで見ていたのだ。何と無防備な。
11時過ぎ閉店し、外に出る。路面が濡れている。雨が降ったようだ。家に帰ると家人が大雨が降ったとのこと。気がつかなかった。
Thursday July 19, 2012
午後2コマのクラス。期末試験が近づいて、試験の準備やレポート作成でがんばっている学生たちに、今朝届いたメルマガの話を、授業の合間にする。それはある漫画家の話。この漫画家についてぼくは最近まで何も知らなかった。学生とのemail
のやり取りを通して彼の作品が若者に広く読まれていることを知った。
その人は17歳のとき、出版社のコンテストの短編マンガ部門に応募したところ、準入選する。編集者がついてくれることになり、九州から上京する。しかし、何度作品をもっていっても、ボツになる。ボツの山。最後に彼は自分には才能がないと絶望し、倒れ、一週間ほど寝込んでしまう。そんなとき、常に彼の作品を否定しつづけた件の編集者が声をかけてくれた。
「こんなに頑張って報われなかったヤツを俺は今まで見たことがない」
その言葉に救われた。彼はもう一度マンガを描く。それが『ONE PIECE 』というマンガなのである。作者の名前は尾田栄一郎。
以上は「名言セラピー」という今朝届いたメルマガの記事をパラフレーズしたもの。作者のひすいこうたろうさんは最後に次のように言う。
人生というシナリオには法則があります。トコトンまで頑張って、それでも結果は出ず、「もうダメだ」と力尽きるその瞬間に、あなたの人生を一変するシーンと出合うようになっているのです。まさに『ONE
PIECE』』の世界観そのものです。人は、力尽きるところまで頑張ったとき、尽きることのない無限の力が湧きあがるのです
編集者が彼のもってくるもをなかなか認めなかったのは、彼の才能を見抜き、中途半端な形では世に出したくなかったからだろう。
ぼくはこのマンガの名前も作者の名前も、学生から教えられるまで知らなかった。家人にその話をすると、こともなげに「ウチにもあるよ」。息子たちが中学、高校のころ読んでいたという。
7時半過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。原田さんが1番テーブルでラヴェンダースティックを作っていた。
エッセイの方向を少々軌道修正。ウディ・ガスリーが与えたボブ・ディランへの影響について書くことに。スティーブ・ジョブズとディランのかかわりは、最後にコーダのようにつけることに。切羽詰ってようやく何か書けそうな気がしてきた。この週末一気に書いてしまいたい。
Wednesday July 18, 2012
お昼を挟んで2コマのクラス。今日も暑い日。教室にはエアコンがあって助かる。期末試験に向けて、歌とディクテーションの練習問題。すこしでもヒアリングの力がついてくれているといいのだが。メールの宿題は当分お休み。学生はこの時期忙しい。試験準備やレポートで。
今日は、生協のブックストアに寄り、本を2冊買い、TUSURUYAに寄らずに帰宅。買った本の1冊は荒川洋治著『詩とことば』(岩波現代文庫)。立ち読みしてページをめくっていたら、「歌うことははずかしいことである」という見出しが目に入ってきた。そこをじっくり読みたいと買うことに。
夜、オーリアッド。夜といっても、7時になってもまだ明るい。遅くに田中先生。今試験期間中でお忙しいようである。見事にピアノを弾くが、その演奏が心に響かない学生に、ひとことアドバイスしたら見違えるようになった、というような話をされた。教えられることが多い。
Tuesday July 17, 2012
一日いい天気。各地で真夏日になったようだ。39℃を超えたところもあったらしい。ありがたいことに、ぼくが住むこの村は、窓を開けておけばいい風が入り、30℃を超えていても、かなり涼しい。
写真。一段目、左上は王城山。その右の2枚は裏山。二段目はようやく赤くなりだしたトマト。3段目右は毎年芝生に生えてくる「もぢずり」。百人一首に登場する「みちのくの しのぶもぢずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに」の「もぢずり」である。下段左は、「隣の潔さん」。ガレージの西の柿木の枝が道路にはみ出ていたので、切ってほしいと先週頼んでおいたら、いつの間にか切られていて、その様子を見にきてくれた。秋、実をとったあと、もう少し切ってくれるとのこと。
以上は朝撮った写真。最後の2枚は夕方撮ったもの。夕飯の支度をしていた家人が、大きな声で「咲いてる!」と叫ぶので、何が咲いているかと思ったら、沙羅双樹だった。昨年の秋、「隣の潔さん」が、この木を大胆に剪定してくれた。そのせいか、春先に少し変わった葉をいっぱいつけた。数日前、それが花の代わりで、今年は咲かないのかもしれないと話していたところだった。一輪咲いた沙羅双樹を撮ろうと庭に出たらソフィーもついてきた。
夜、明日のクラスの準備。そして、Online Music Life のためのエッセイ。うむ、なかなか先に進めない。
Monday July 16, 2012
今日はとてもいい天気。全国的には猛暑だったようだが、山際のわが家には涼しい風も吹いてきて、過ごしやすい。節電をしているという意識はないが、今年はまだエアコンのスイッチを一度も入れてない。
朝食後、NHK BSの Wild Life なる番組を見る。アリューシャン列島の近くの海に大量発生したオキアミを目指して、物すごい数の海鳥、鯨、魚が押し寄せる「アリューシャン・マジック」なる映像を見る。見る価値のある一大スペクタクル。
その後、一日中、Online Music Life のためのエッセイを書こうと四苦八苦。頭の中ではいろいろアイディアが沸くが、いざ書きはじめるとまとまらない。午後しばらく気分転換に外に出て野菜をとる。少し見ぬ間にキュウリが大きくなっていた。雑草も伸びている。耕運機をかけてきれいにしなければと思いながら、エッセイを書くまでは力仕事は控えることに。
そうでなくても、身体は相当疲れている。ほたる祭りライブからの疲れが蓄積しているようだ。午後遅く横になったら、3時間眠ってしまった。
夜しばらく、学生からのメールの返事を書く。英語でメールを書くことに慣れてきた学生も何人かいる。
Sunday July 15, 2012
小雨の中、岡谷東高校着。8時35分ごろ。早速会場の体育館へ行き、簡単な音出しをさせてもらう。そのあと校長室へ。昨日の午後、サウンドチェックをさせてもらってよかった。文化祭のイベント用に業者のPAが入り、エンジニアもついていて、サウンド的には申し分ない。
校長室の横の会議室で少し声を出させてもらったあと、再び会場へ。暗くなった会場には500名ほどの生徒が集まっている。9時から15分間、福島のいわき市の視察に行ってきた生徒たちのスライドを交えての報告。そのあとぼくが10時15分まで、トークライブ。「風に吹かれて」「菅野有恒」「雨ニモマケズ」「それぞれの道」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」。あと2曲用意していたが時間切れ。でもなんとかまとめることはできた。
このトークのテーマのひとつは、「風に吹かれて」の2番の一行: How many times can a man turn his head and pretend that he just doesn't
see?
終了後、校長室でお茶をいただきながら何人かの先生方とお話する。驚いたのは、ぼくを文化祭の講師として呼びたいと言い出したのは、もう10年以上も前、高校生のとき、長野吉田高校で行われた長野県の高校の生徒会役員研修会で、ぼくのトークライブを聞いたY先生とのこと。10年以上もたって、反応が返ってくるというのはなかなかうれしいもの。
もうひとつ驚いたのは、7,8年前、信大でぼくの「アメリカ大衆文化」をとったというK先生が、英語の歌を使って英語の発音やリズムを教えていると知ったこと。彼は一度オーリアッドへ来たが、閉まっていたとのこと。オーリアッドは日曜から火曜までお休み。土曜の夜に是非歌いにきてほしいもの。
写真を撮ってくださったのは I 先生。先生は、2005年7月31日に戸倉上山田のホテルで開かれた新英研の全国大会でぼくが歌ったときに参加しておられたとのこと。思い起こせば、新英研の先生方に聞いてもらいたいと、I
Have a Dream のもっとも有名な部分に曲をつけたのは、その前夜のこと。だから、この曲
I Have a Dream ができたのは新英研のみなさんのおかげである。
今日は、スティーブ・ジョブズ言うところの点と点が、いくつも結びついた日。
Saturday July 14, 2012
2週間ぶりのオープンマイク。トップは、7月は今日しか来れないとのことで、ひと月に1曲の約束を果たすべく新曲「ソウル・ブラザー」をもってやってきた田中創さん。前半のみの参加。「ヴィンセント」「ソウル・ブラザー」、そして「小さなルーカス」。今月の新曲はなかなかいい。
続いて、CDのジャケット用の写真を撮りたいと、2名のカメラマンと一緒にやってきた丸山俊治さん。「椅子取りゲーム」「白雪先生」、そして「小さな王様」。いい写真が撮れたらいいが。CDはお盆前までに完成させたいとのことだが、若干遅れるかもしれないとのこと。
金子昭二さん、大利小のボディパーカッションのテープを流し、実演。坂井俊水さん、新曲を弾き始めたところで弦が切れ、ぼくのギターで、「恋心」「ワインディング・ロード」。唐沢千夏さん、「旅をする雨」。新曲。飯島夕帆さん、「喜びの歌」など。原田和恵さん、「ラルゴ」、そして「芭蕉布」。ここで休憩。
後半トップは赤羽真理さん。「フリー」と「今すぐに」。1曲目はずっと前にも聞いたことがある。いい曲である。次にぼくが、今日がウディ・ガスリー(生きていれば100歳)の誕生日なので、「Deportee」を歌い、明日の練習のために「菅野有恒」を歌う。丸山さん「あの道この道」と、8月が近づいたことを感じさせる「とうもろこしの葉っぱ」。金子さん、The
Boom の「風になりたい」をテープでかけ、手話パフォーマンス。唐沢さん、「広島にて」「秋のうろこ雲に乗って」。前半の新曲に比べると歌いこんでいることがわかる。飯島さん、「月光」と「悲愴」。美くしいメロディ。柔らかいタッチ。原田さん、「トロイメライ」など。最後に赤羽、丸山、原田の三人で「アメイジング・グレイス」。
ちょっと家人が体調をくずしていたが、みなさんのご協力で無事終了。
家に帰り、赤いTakamine の6弦を調節する。七夕コンサートの楽屋でひがしの君から6弦の鳴りが悪いと言われた。よく見ると、6弦のブリッジのピンが浮いている。おそらくそれが原因だろう。弦をはずし、付け直した。今度はピンが確実に弦を押さえている。しっかりした音が出るようになった。
Friday July 13, 2012
朝起きると、家人が言う、「トウモロコシが倒れている」。朝食後、畑に出てみると、すべてではないがかなり倒れている。雨で土がぬかるんだ上に、強風が吹いたらしい。竜巻の跡のように、一定方向に倒れている。一本一本杭を打ち、倒れたトウモロコシを起こし紐で結ぶ。かなりの時間が取られた。シャツは汗でびっしょり。そのあと、キュウリとズキニ、韓国トウガラシ、レタスなどを収穫。トマトはまだ赤くならない。
夜、オーリアッド。開店直後から今夜はお客さん。原田さんは1番テーブルで今夜もラヴェンダースティックづくり。垣内さんは先日の七夕コンサートの話をしに。そして孫のハナちゃんの話。ふっくらとした可愛い赤ちゃん。息子さんの家族は、京都は桂川の近くに住んでいるらしい。
■
Online Music Life のエッセイのために、Walter Isaacson の伝記を読み直していたら、スティーブ・ジョブズが小学生のときイジメられていたというところがあった。そのイジメは彼が、5年生を飛び越して、6年生になったときから始まった。実は4年生の学年が終わったとき、先生が彼の学力をテストしたら、高校1年生のレベルであることがわかった。先生は2学年飛び級して、中学1年に行くことを提案したのだが、彼の両親が反対して1学年だけ飛び級したのである。
彼が行った6年生のクラスは、それまで通っていた小学校とは違う学校で、人種の違いによるケンカが日常的に行われていた。スティーブはすぐにイジメのターゲットになった。中学1年になってもイジメはなくならなかった。それで彼は両親に嘆願する―「転校させてくれ」と。両親は同意しなかった。経済的に難しかったのである。彼は断固として言う、「転校できなければ、学校に行かない」と。
両親はとうとう折れて、なんとかお金をかき集めて、マウンテンヴューからロスアルトスへ引越す。距離にして3マイルほどの引越しだったが、そのおかげでスティーブはその地域でもっとも安全で優秀な学区の中学に通うことができたのである。(Walter
Isaacson, Steve Jobs, Little Brown, pp.12-14)
スタンフォード大学の近くの今でいうシリコンバレーの中心に、彼らが引っ越したことが、世界のコンピュータの歴史を変えることになる。
先日、LAに隣接するカルヴァーシティでスクールカウンセラーをしているサンディと話していたら、アメリカでは(maybe
カリフォルニアでは)最近飛び級を推奨しなくなったと言っていた。飛び級はメリットよりディメリットのほうが多いと考えられるようになったのだろう。
スティーブの話から分かるもうひとつのことは、いじめのターゲットになったら、学校を変わる、それが無理なら学校へ行かない、という選択をすべき、ということ。
ぼく自身の経験からも、いじめられていることを親に言うことは極めて難しい。スティーブ・ジョブズは親に話すだけの勇気と独立心があった。もしいじめられている児童や生徒がいたら、勇気をだして親に相談してほしい。親も、しかりつけるのではなく、子供の言葉に耳を傾けてやってほしい。自戒の念をこめて、切にそう願う。
Thursday July 12, 2012
11時過ぎ、サンディとケンウッドを塩尻駅まで送り、松本へ。彼らは今夜は名古屋に泊まり、そのあと京都、大阪、広島へ。そして折り返し、東北を訪ねる予定。3週間の休暇をフルに活用している。
One more cup of tea for the road.
午後2コマのクラス。ファイナルが近づき学生は忙しそう。
7時過ぎ、オーリアッドへ。すでにジブランの会の方々。食材が足りないとのことで、雨の中、デリシアへ。大きな雨粒が激しく路面を打つ。九州に大きな被害をもたらした豪雨を思う。「これまでに経験したことのない大雨」という新たに取り入れられた警告文が大袈裟でなかった大雨。
今夜は雨にもかかわらず、大忙し。最後に原田さん。四間飛車で応戦したが、あえなく完敗。11時過ぎ、家に帰るころには雨は上がっていた。よかった。
Wednesday July 11, 2012
サンディとケンウッドを乗せて松本へ。彼らを松本城で下ろし、キャンパスへ。お昼を挟んで2コマのクラス。講師控室に戻ると、LA出身のリチャードがいた。カルヴァー・シティから友人夫妻が訪ねてきたという話をすると、彼は「カルヴァー・シティに近いイングルウッド高校へ通った」と言う。あとで、その話を二人にしたら、彼らは息子と娘のバスケットの試合を見によくイングルウッド高校へ行ったとのこと。イングルウッド高校からはポール・ピアースという有名なNBAの選手が出ているらしい。
3時半、あがたの森の喫茶店で彼らに会い、途中 TSURUYA に寄り、家に戻る。
6時、オーリアッドへ。7時前、彼らが家人とやってくる。そこへ坂井君。ピザのテイクアウト。焼けるのを待っている間に一曲歌ってもらう。ジェイムズ・ブラウンの
You Are Beautiful。サンディとケンウッドが大喜び。
そのあと、夕食。夕食後、ぼくにも歌えというので、Bird on the Wire と Death
Is Not the End を日本語と英語で。彼らが帰ったあと、長島君が息子とやってくる。息子は中学2年だという。彼がまだ3,4歳のころお父さんとよくやってきたのを思い出した。期末試験が今日終わったとのこと。
大津市の中学校でのいじめ問題が、大きくクローズアップされている。隠蔽することによって、その意図とは逆に、衆目の的に。
Tuesday July 10, 2012
45年ほど前、UC Santa Barbara で学んでいたとき、ロサンゼルス出身の日系人サンディと知り合った。彼女が今日、夫のケンウッドと二人でやってきた。彼らは14、5年前にも一度きたことがある。そのときは、彼らの息子がカリフォルニアの選抜高校バスケットボールチームの選手に選ばれて、応援のためにやってきたのである。能代工業の田臥が活躍していたころで、彼らは秋田まで応援にいった。
その翌年ぼくが彼らを訪ねた。『追憶の60年代カリフォルニア』の資料を補充するため、サンタバーバラを訪れた際、彼らの住む
ロサンゼルス近郊のカルヴァー・シティまで脚を伸ばしたのである。
今回彼らは千葉に住むサンディの従兄弟の招待でやってきた。木曜日に到着し、千葉、東京を見学し、辰野から名古屋、京都、大阪、広島へ行き、また千葉に戻り、その後東北へ行き、帰国することのこと。
昨夜は東京でスカイツリー見物に行き、予約なしで上れる7階まで上ったとのこと。もう定年退職しているが、エレベーターのメンテナンスの仕事をしていたケンウッドは、スカイツリーのエレベータの見事さに驚嘆していた。
サンディは数年前、スクールカウンセラーとマリッジ・セラピストの仕事を一旦定年退職したが、昨年からまたスクールカウンセラーの仕事を週に20時間ほどするようになったとか。夕食後、アメリカにおける、というよりは彼女が身近に経験したロサンゼルス近郊における子供たちが直面している問題について話を聞く。イジメ
(bullying)から、ドラッグ、銃犯罪まで。日本の子供たちの世界とはちょっと桁が違うようだ。ドラッグに関しては、母親がドラッグに依存していることによって、麻薬中毒の状態で生まれてくる赤ちゃんも多いとか。
オンラインの Music Life より原稿の依頼があった。ボブ・ディランを特集するらしい。いくつかのメールのやり取りのあと、ぼくがいかに60年代、ボブ・ディランの音楽と出会ったかについて、そして彼の作品の宗教的な側面について、更に、ディランとスティーブ・ジョブズとの関係について、書くということになった。
夜、少し構想を練り、書きはじめたが、疲れていて何もアイディアが湧いてこない。今夜は早く寝ることに。
Monday July 9, 2012
京都から新幹線、名古屋で高速バスに乗り換えて帰ろうと思っていたが、ホテルのパソコンで高速バスの時間をチェックしていたら、京都駅に止まる茅野行きの高速バスがあることを知った。9時50分発。まだ時間は十分ある。家人に電話し予約してもらうことに。折り返し電話があり、すでにバスは梅田を出ていて、予約できないが、空席がかなりあったので、直接バス停へいけば乗れる、と言われたとのこと。
それで、市バスで京都駅へ。その高速バス停を探すのに一苦労。数人の人に聞いたが誰も知らない。JR高速バスのオフィスで聞いてようやくわかった。市バスのバス停から道路を隔てた新阪急ホテルの前にあった。京都タワーから西へ100メートルほどいったところ。午前9時50分。バスに乗る。14時05分には辰野に着いていた。
いつからここに高速バスのバス停が出来たのだろうか。今までは京都からバスに乗るときは、いつも深草まで行った。京阪・藤ノ森駅から深草のバス停まで歩くのが不便だった。京都駅前のバス停は少々荷物が重くても、大丈夫。長く歩かなくてもいいし、深草のように階段を上がる必要もない。
中央道に入り、恵那山トンネルを抜けると長野県。真っ青な空を背景に、南アルプスの稜線にそって白い雲が浮かんでいる。信州に戻ってきたと実感する。
3日間、歌い、語り、そして少々飲み過ぎた。疲れたが、いい3日間だった。いろいろな人に出会い、いろいろな歌を聞き、大いに刺激を受けた。
Sunday July 8, 2012
遅い朝食のあと、河原町へ。若干の買い物。毎年、翌日の日曜日には河原町へ行くが、毎年町の様相が変わっている。ぼくが京都に住んでいた頃の熱気は最早ない。それは仕方のないことだろう。
今日の順番は、ひがしの君、豊田君、ラビちゃん、三浦、そして古川君の順。昨日も悪くなかったが、今日はみんな本当によかった。ぼく自身も、3日間のうちで、初めてステージを、ひとつのストーリーにすることができたように思う。意外にも意外、「私は風の声を聞いた」に対する反応がよかった。この歌ひとつを携えて、ぼくは1969年秋、京都の町へ乗り込んだ。振り返れば、この歌に常に助けられてきた。
最後にまたみなで Hobo's Lullaby と Goodnight Irene を歌い、40回目の「七夕コンサート」終了。今夜はもと朝日新聞カメラマンの大塚努さんが、フィドルで参加。
最後の挨拶で、豊田君が次のようなことを言った。「40年前、ベトナム戦争による孤児を助けるために1回限りの七夕コンサートを開いた。それがきっかけとなり、コンサートは40年も続いてきた。今になって思えば、われわれが孤児を助けたのではなく、彼らがわれわれを助けてくれたのだ」。その通りだと思った。少なくとも、ぼくは、このコンサートのおかげで、歌い続けることができた。41回目の開催についてはあやふやなところがある。一応開催するという方向で話がまとまったが。5人が元気なうちは是非続いてほしいもの。
今夜は多くの懐しい人たちに会うことができた。最後の写真は、昔ガロの編集をしていた石黒さんと井上先生と一緒に。石黒さんは長野県移住を画策しているようである。
Saturday July 7, 2012
岡山を10時ごろ発ち、京都に昼ごろ着く。ホテルの堀川インにはかなり早く着いたが、チェックインできた。しばらく休んで、拾得へ。
第40回七夕コンサート。初日。3時過ぎ、拾得に入る。テリーがミキサーをチェックしていた。リハーサルのあと、5時開場。6時開演。いつもより1時間早い。恒例のくじ引きにより順番を決める。ラビちゃんは舞台衣装を着たり脱いだりに時間がかかるとのことで、3番目を希望。その結果、古川豪、豊田勇造、中山ラビ、ひがしのひとし、三浦久の順に。
それぞれ意欲的なパフォーマンス。古川君は先ず商店街の歌から入り、40数年ぶりに復刻されたアルバムの中から「トカトントン」など。豊田君は最近の新曲をいくつか。「小さな町のライブハウスで」が印象的。ラビちゃんは3年前から劇団に呼ばれて歌っているとのこと。舞台衣装もさることながら、ヴォーカリストとしての面目躍如。艶のある声。声量が半端でない。ひがしの君は半年ほど体調を崩していたとのことだが、回復したようである。いつものように淡々と。ぼくは陸前高田で写真屋をやっていて、3.11の津波でなくなった人の歌を、昨日に続いて歌う。まだ完成したとは言いがたい部分もあるが、3.11の記録としても残しておきたい歌。
いつものように、 Hobo's Lullaby と Goodnight Irene をみなで歌って終了。
垣内夫妻がくるということは知っていたが、岡谷の宮沢さんが客席にいたのには驚いた。息子さんが京大大学院在籍中に一度来たかったとか。ドーシーさんも千葉からやってきた。テリーを含め、みなさん、宮沢さんの諏訪神社についての話に聞き入る。
Friday July 6, 2012
岡山禁酒會舘でのマンスリーライブに呼んでいただくのは今日で4回目。いつものように尾崎ユニットの演奏から。しかし今日はいつもとちょっと違う。いや、大いに違う。マンスリーライブを中心になって担ってきた尾崎さんが、体調を崩し、数日前に入院してしまったのだ。でも尾崎さんのいない尾崎ユニットの演奏もすばらしい。次に鳥取からやってきた歌い手の方が、しばらく歌う。軽快なギターワーク。そのあとぼくが1時間半ほど歌わせていただく。
今夜久しぶりに「フィールド・オブ・ドリームズ」を歌う。長い歌ではあるが、ストーリーがあるので歌っていても退屈しない。退屈しないどころか、ほんとうに久しぶりに歌ったので、ストーリー展開が新鮮だった。最後のキャッチーボールのシーンでは思わず胸が熱くなった。
コンサートそのものをひとつのストーリーにしたいと思っているが、今夜は、なぜか選曲に迷い、終わってみれば、かなり
disorganized な印象。尾崎さんの不在に動揺し、ひとつの流れを作り出せなかったのかも。
終了後、いつものように居酒屋で打ち上げ。12時前ホテルに戻る。
Thursday July 5, 2012
午後2コマのクラス。英語の5つの「ア」について、菊池建彦著『イングリッシュ・モンスターの最強英語術』(集英社)より引用しながら解説。5つの異なる「ア」の発音の仕方がわかりやすく書かれている。著者は10年引きこもって英語を独学し、最初に受けたTOEIC
の点数が970点。以後24回連続、満点の990点を取りつづけているという。モンスター以外のなにものでもない。
いずれにしろ、彼がこれだけの実力をつけたのは猛勉強のたまもの。寝転んでCDを聞いていて、突然英語が聞き取れるようになったわけではない。
松本へ行く前に、畑に出て野菜をとる。黄色い花がいくつか。左はズキニ、中はカボチャ、右は、去年のヒマワリ畑に自然に生えてきたヒマワリの中で、最初に咲いた一輪。
家に入ろうとしたら、サンデッキの上に家人が猫用につくってやった日よけシートを引っ張り落とし、その中にフィービーがうずくまっていた。
7時半過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。珍しいお客さんが二人。そのあと、しばらくして原田和恵さん。1番テーブルでラベンダースティック作り。
閉店前、しばらく歌の練習。明日から岡山、京都へ。
オーリアッド、明日(6日金曜)は営業しますが、明後日(7日土曜)は休業いたします。
Wednesday July 4, 2012
お昼を挟んで2コマのクラス。両方のクラスで ピート・シーガー90歳の誕生日を祝うコンサートでの
We Shall Overcome の 映像を見る。客席の誰かが撮った映像。残念ながらピート自身は登場しないが、コンサートの雰囲気は伝わってくる。
帰路、TSURUYAへ。今日もアボカド、アーモンド、チーズなど購入。
6時、オーリアッドへ。しばらくして、「カホンのチューニングをさせてください」と言いながら坂井君がやってきた。土曜日に使ったとき、音のバランスが悪かったらしい。石巻まで買いにいったのかと聞くと、そうではなく、東北支援のため、通販で購入したとか。
しばらくして長男より、パソコンの調子は直ったかとの電話。昨夜遅くに「画面設定を開いて解像度を調整すればいい」とのメールをもらい、何度か試したができなかった。解像度を調整したあと、その画面を下げることはできるが上げることができないので、「適用」と「OK」をクリックできなかった旨伝える。
それを聞いていた坂井君、「Alt とキーボードの A を押すと、適用を押したことになりますよ」と教えてくれた。「家に戻ったらすぐに試してみる。ありがとう」と半信半疑で礼を言いながら、忘れないように
Alt +A と紙に書く。
遅くに原田さん。久々の一局。終始形勢不利。長考の連続。原田さんはケイタイのメールなどを見ながら余裕綽々。ところが、どこで何が起こったのかよくわからないが、一挙に形勢逆転。2二金で王手。相撲に負けて勝負に勝つとはこういうことか。
11時過ぎ、家に戻り早速、坂井君に言われた Alt+A を試してみた。なんと不思議、画面設定の画面が縮小され、すぐに
OK を押すことができた。今夜の将棋と同じく、一発で形勢逆転。坂井君に感謝。
そのあと、メールを開けたら、いつもこのようなときはアドバイスを送ってくれる、先日大阪からほたる祭りライブにやってきた庄司さんからのメールがあった。
7/3付の日記にあるトラブルは、画面の設定で解像度を変更すればすぐ解決するでしょう。30秒以内で済む方法なので、試しに以下の手順で設定を変更してみて下さい。
画面上の任意の場所で右クリックして、画面のプロパティを表示し、「設定」タグ〜「画面の解像度」のバーを移動して解像度を上げ、「適用」をクリック_これで、おそらく解決するでしょう。
「画面の解像度」のバーを移動して解像度を上げるところまではできていたが、「適用」をクリックできなかったのである。庄司さんは、そのほかにもパソコントラブルに対する対処法を詳しく書いてきてくれた。庄司さんのこのメールは永久保存しておかなければ。感謝。
そのあと、半分眠りながら明日の授業の準備。
Tuesday July 3, 2012
昨日とはうって変わって、一日中雨。一時はかなり激しく降った。
午後昼寝を少ししたことを除いて、明日の授業の準備と学生のメールの返事を書く。合間に少し歌の練習。
午後遅く、古いパソコンに接続して、「フィールド・オブ・ドリームズ」の歌詞を探したが出てこなかった。あたらしいパソコンにつなぎ直したら、文字もアイコンも、画像もすてべ大きくなっていて、元に戻すことができない。いろいろ試したが駄目だった。
まあ、不都合ではあるが使えないことはないので、しばらくこのままで我慢して、来週京都から戻ってから、考えよう。
夜、階下から断末魔の叫び声。またフィービーの仕業だなと思ったら、案の定、「ネズミ、ネズミ、大きなネズミ。まだ生きてる!」と叫ぶ。「テーブルの下」というので覗いてみると、真っ黒な色艶のいいモグラが一匹。あの大声では、蛇かもしれないと思いながら、階段を駆け下りたが、モグラでよかった。蛇だったら、ぼくもびびっただろう。
血は出ていないが傷ついているのだろう、速く走れない。箒でチリトリに入れようとしたが、テレビの裏に逃げられた。テレビ台を前に引くとコンセントのところにうずくまっている。何とかチリトリに入れ、雨の中、裏山の麓の畑まで走り、逃がしてやる。助かってくれればいいが、おそらく無理だろう。
Monday July 2, 2012
梅雨とは思えないカラッと晴れ上がった気持ちのいい朝。日中はかなり気温が上がった。
金曜日には岡山で、土日は京都で歌うことになっている。日頃あまり歌っていない歌の練習。「フィールド・オブ・ドリームズ」の歌詞が見当たらない。古いパソコンに入っているかも。
夕方近くなって、西の山に日が沈んだあと、ガレージ裏のカボチャ畑の周りに杭をうち、金網をぐるりと回し、その上に網をかける。猿対策。「隣の潔さん」の家では、奥さんによれば、まだ小さなカボチャを5,6個猿にかじられたとか。わが家も一個かじられていたが、猿ではなさそう。ハクビシンか何かか。
カボチャ畑の作業のせいか、夜は疲れて仕事にならない。今夜は早く寝ることに。
Sunday July 1, 2012
いよいよ、今日から7月。
不思議なことがあるものだ。もう何年も前に鳥取県の羽合町というところへ呼ばれてトークライブをしたことがある。この町の教育委員会がぼくを呼んでくれたのは、同町のシンガーソングライター石川達之さんが働きかけてくれたからである。
ユング風に言えばシンクロニシティーとでも言おうか。今朝彼のブログを見たら、ぼくの「死は終わりではない」についての一文を、午前8時47分にアップしていた。その歌をぼくはほんとうに久しぶりに昨夜のオープンマイクで歌ったのだが、オープンマイクについて書いた昨日の日記は一日遅れて、今日の夜アップしたので、彼がそれを読んでから書いたということはありえない。
先日のほたる祭りライブに、大阪から、中学時代に天王寺の野音であのねのねのコンサートを見たというSさんがやってきた。今夜遅くに彼からメールが届いた。ぼくの知らない「あのねのね」の結成当時の話を教えてくれたあと、オーリアッドでの彼らのパフォーマンスについて書かれていた。
・・・とにかく、久々に生のステージを体験してみて、心底舌を巻きました。さすがは一時代を築き、全国区の人気を得ただけのことはある。この人たちの才能は並みのものではなく、やはりただ者ではないな、と改めて再認識をしました。ステージに現れて、ほんの一言ふた言喋り始めた時から、絶妙の間合いで話に引き込んで行き、ものの数分も経たないうちに、場の空気を完全にコントロールして自由自在に操ってしまう。まるで魔法使いが人形に生命を吹き込んで踊り出させる芸を見るようで、本当に凄い力だと思いました。
まったく同感である。おそらくあの晩オーリアッドにいた人は全員Sさんのこの言葉に同意するだろう。清水君は(会場が
or ステージが)狭くて身動きできないというニュアンスのことを何度か口にしたし、客が近すぎてやりずらいとも言ったが、今思えば、あれほどの感動は至近距離で彼らの一挙手一投足を見ることができたからではないだろうか。一週間経った今でも、あのときの「感動」が続いている。
夜、Eテレで新渡戸稲造と内村鑑三についての番組を見た。感激した。ぼくは小学生の高学年のとき(何年だったかは忘れた)の国語の教科書で、荒廃したデンマークの大地に木を植えて歩いたというエンリコ・ミリウス・ダルガスのことを知った。それ以来、そのややこしい名前を忘れたことはない。それが内村鑑三の『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)に載っている話だと知ったのはずっとあとのこと。今夜もその話をこの番組で聞き、感動を新たに。
『武士道』を書いた新渡戸稲造の生涯も感銘深いものだった。二人とも、札幌農学校で学び、クラーク博士の教えを受けた。いくつかの点と点が結びついて、彼らは偉大な足跡を残した。
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