OREAD Diary February 1-29, 2012

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February 29, Wednesday 2012

時差ぼけのせいだろう、夜中に何度も目が覚める。そのつど、明かりをつけてボブ・ディランの本を読む。ボブ・ディランがピート・シーガーと南部へ行って農場労働者たちのために行った無料コンサートについて書かれた文があった。ノーギャラの出演だったようだ。そのとき歌った歌のひとつが Only a Pawn in the Game。この映像は何度かドキュメンタリーで見たことがある。朝方までに読了。そのあと、少し眠る。

午前中、リカトン・モールというショッピングモールへ。クライストチャーチで一番大きなモールらしい。お土産をいくつか買ったあと、書店で Walter Isaacson の Steve Jobs という伝記を購入。分厚い本である。出版されたときに買って読もうと思ったが、何かがそうすることを思いとどまらせた。うまく説明できないが、ジョブズが亡くなったあとの喧騒に近づきたくなかったのだと思う。

午後3時過ぎ、ワイトモ時代からの知り合いのマーグとポールが次男の家まで迎えにきてくれた。ポールはクライストチャーチの隣のセルウィン・ディストリクトのCEO。先ず、数年前に新築された庁舎を見学させてもらう。素晴らしいモダンな建物。そのあと歩いて3分の彼らと新しい家へ。前回2006年に来たときに訪問した大きな家は地震の被害を受け、昨年末に庁舎の近くのこの新しい家を購入したとのこと。




ラム肉のバーベキュウをご馳走になる。時間が経つのを忘れるほどに、四方山話。古い話、そして新しい話。9時過ぎ、モーテルまで送ってもらう。マーグはぼくと同じ歳、ポールは1歳若い。二人とも、歳を取らないかのように若い。


February 28, Tuesday 2012

昼前、次男が高校在学中にホームステイでお世話になったデニーさんの家を訪ねる。彼女はギターを弾いてカントリーを歌うのが趣味。最近は、バンドで歌うこともあるとか。昨年CDを作ったとのことで、ぼくの新しいCDと交換。彼女の住む地域は地震が凄かったらしい。家の中にいたが、立っていられなかったとのこと。大きな被害はなかったが、家の壁にいくつか亀裂ができ修理中。近所には被害が大きく取り壊された家もあるとのこと。

お昼をいただき、おいとまし、昨夜予約した、バスツアーの始まる博物館近くへ。屋根のない2階建てバスでの3時間ツアー。先ず市内の被災地の見学。まだ息子たちが小学生と中学生だったころ、いくつかの家族でこの町を訪ねたことがある。そのとき訪問したパークロイヤルというホテルも、モナベールというレストランも、有名なサイン・オブ・タカヘという建物も地震で閉鎖されていた。

そのあと、海辺のサムナー (Sumner) というリゾート地へ。ここも地震の被害が大きかったよう。崖があちこちで崩れ、夏というのに海辺には誰もいない。一緒乗っていた初老の紳士が話しかけてきた。子供のころよくこの海岸で遊んだとのこと。45年前にクライストチャーチを離れ、現在はフロリダに住んでいるとのこと。





5時過ぎ、次男の家へ。リンは7時半から教会の勉強会へ。しばらくジョージのお守りをしてからモーテルへ。


Feberuary 27, Monday 2012

何度も夜中に目が覚め、持参した The Bob Dylan Companion: Four Decades of Commentary を読む。昔読んだはずだが、あまり覚えていない。初めて読むかのよう。

午前中に次男がポリテクニックにレポートを提出しに行くというので、一緒に乗せていってもらい、学校の中を見せてもらう。地震がきたとき彼は図書館にいたとのことだが、その場所へも行ってみる。学内は地震のあとは感じられないが、校舎の外ではいろいろ工事が行われていた。そのあと、地震の被害がもっとも大きかった市の中心地へ。大聖堂を中心に広い範囲で中に入れないように柵ができている。重機があちこちに見える。エイボン川のほとりでは、作業員がお昼を食べている。そこへアヒルが餌をもらいにきていた。のどかな風景。キーボードを弾いている女性がいた。手前のボードには次のように書かれていた。

 Hi. I am saving up for teachers' college and also
 trying to bring some life to the City Center.
 Donations Welcome!
 教員養成大学へいく費用を貯めるために、またシティセンター
 にわずかでも活気を取り戻すために、演奏しています。
 カンパをお願いします。




そのあと、Festival of Flowers (花祭り)をやっているハグレー公園へ。以前にも何度かきた公園。




午後はリンの祖父母、ジョージのひいおじいさんとひいおばあさんに挨拶に。ジョージの名前はこのおじいさんのファーストネームである。おじいさん90歳、おばあさん88歳。二人とも若々しい。家具職人だったというおじいさんは無口で実直。おばあさんは明るく社交的。昔はさぞ美しかっただろうと思われる。今でも背がまっすぐに伸びて美しい。家人が、息子たちのお宮参りのときの着物を持参し、おじいさんとおばあさんの家の庭でお宮参りの真似事をする。



そのあと、次男の家に行き、しばらく伸び放題伸びた芝生を刈、庭木の剪定をする。身体を動かして汗をかいたせいか、気持ちがいい。夏時間なので、9時近くまで明るい。


February 26, Sunday 2012

午前10時過ぎ、クライストチャーチ着。靴をはこうとしたが、足がむくんで靴に入らない。素足になってなんとか押し込む。やはりコンプレッションソックスを忘れたのが痛かった。

前回来たのは、次男がカンタベリー大学を卒業し結婚した2006年12月のこと。5年と数ヶ月ぶりということになる。入国審査も税関も簡単に済み、荷物をカートに積んでロビーに出る。次男が笑顔で立っていた。クライストチャーチの空港は町に隣接している。10分ほどでモーテルに着き、チェックイン。2 bedroom でキッチンがついて、一晩180NZドル。一人あたり3500円ほど。今、クライストチャーチのモーテルはどこも復興作業員で満員とのこと。次男の家の近くに空き部屋があってよかった。



それからリンとジョージの待つ家へ。
ジョージはまだ生後3ヶ月も経っていない。一週間ほど前、リンから、ジョージがぼくの声を認識できるかどうか興味があるというメッセージが届いた。ジョージが生まれてから、毎日ぼくのCDを聞かせてきたらしい。リズム感が悪くならないかと恐れたが、リビングに入って一安心。ビートルズが流れていた。ジョージのお気に入りとか。

一通りの挨拶が終わり、家人がジョージを抱っこしたとき、ソファに立てかけてあったギターを弾いて「千の風」を歌う。しっかりと目を開き、歌声に耳を傾けている。そして、にっこり微笑んだ。リンもぼくも、彼がぼくの声を認識したと確信した。単にギターを弾いて歌う突然現れた風変わりな老人に目を見張っただけかも。

リゾットの夕食をいただき、歩いてモーテルへ。飛行機のなかではほとんど眠れなかった。今夜は早く寝ることに。


February 25, Saturday 2012

午後1時半、新宿駅で長男と待ち合わせ、成田エクスプレスで空港へ。EチケットをNZ航空のカウンターで搭乗券に換えてもらう。荷物を預け、出国手続きへ。6時半離陸。NZとの時差4時間。日本時間午前6時、NZ時間午前10時にクライストチャーチに着く予定。上手く眠れるといいが。エコノミック症候群予防のためのコンプレッションソックスを家に置いてきてしまった。


February 24, Friday 2012

今朝起きたら身体が疲れている。頭が少し痛い。12月の半ばから、年末ライブ、キング牧師の日チャリティーコンサート、いくつかの対訳の仕事、それに試験、採点、成績付けと、休む間がなかった。それが一昨日のシラバス入力で一段落ついて、ほっとしてしまったのかも。以前にもそういうことがよくあった。学期が終わり長期休暇に入るとよく体調を崩した。

しかし、今回は休んでいるわけにはいかない。明日からNZへ。次男夫婦に生まれた赤ちゃんに会いに。それに何人かの古い友人にも。クライストチャーチにも一年前大きな地震があった。そのあと連絡が取れない人がいる。彼の安否も確かめたい。

夜、オーリアッド。今夜もスピーカーからは Old Ideas。多くの場合、翻訳が終わったあと、その作品を聴くことはあまりない。訳している最中に何度も聴くので、少々食傷気味になるのである。ところが Old Ideas は、Live in London ほどではないにしても、よく聴いている。聴けば聴くほど、だんだんと味が出てくる。今夜いいと思ったのは、アルバム最後の曲 Different Sides。

さまざまないいレビューも出だした。
http://www.pastemagazine.com/articles/2012/01/leonard-cohen-old-ideas.html

オバマ大統領が Sweet Home Chicago を歌う映像があった。ホワイトハウスでブルーズナイトが行われ、B.B. King らの演奏のあと、彼もちょっと歌った。恥ずかしがって少ししか歌わなかったが、悪くなかった。
http://www.youtube.com/watch?v=9Q8ZTMLoEWk

この日記には、3月2日まで、書き込むことはできませんが、Facebookには写真を載せたり、書くことができるかもしれません。



February 23, Thursday 2012

朝起きると雨。雪でなくてよかった。昼過ぎには上がった。

音楽ライターの和田さんから、イギリスの音楽雑誌 MOJO に載っていたというコーエンのインタビュー記事が送られてきた。シルヴィー・シモンズという人が昨年の12月14日、コーエンのロサンゼルスの自宅に招かれてインタヴューした記事。足掛け3年にわたるワールド・ツアー、そして新しいアルバム『Old Ideas 』の録音が終わったあと、彼にこんな形でインタビューできたのは彼女だけとか。

彼女がコーエンの家に着いたとき、コーエン自身も、佐々木老師を健康診断のためにクリニックへ送って戻ってきたばかりだった。その2週間前にも、彼はニューメキシコの老師の僧院で開かれた接心にも参加して、朝3時におきて、坐禅と参禅を繰り返したようだ。佐々木老師は105歳とのこと。お元気だ。77歳の伝説的ポーエット・シンガーソングライターが105歳の禅僧を車で送り迎え。二人の絆は強い。

Old Ideas の全10曲のうち、4曲はパトリック・レナードとの共作とのこと。それは Going Home, Show Me the Place, Anyhow, Come Healing の4曲。驚いた。Anyhow を除き、他の3曲はこのアルバムの中でぼくがもっとも気に入っているもの。パトリック・レナード、恐るべし。

今夜も、このアルバムを聴く。そこへ原田和夫さん。久々の一局。完敗。


February 22, Wednesday 2012

大分暖かくなった。朝食後、外に出ると、石の祠(ほこら)の前、福寿草が咲いている。朝のうちはあまり開いていなかったが、昼ごろには、太陽の光を浴びて大きく開いた。いよいよ春が近い。ソフィーものんびり庭を散歩している。時々猛スピードで走ったりしている。自由に外に出すようになってから、彼は本当に落ち着いた。




午後、来年度のクラスのシラバスをオンラインで打ち込む。雛形があるので、教科書が決まればあとは簡単。教科書は比較的やさしいものにする。ハンドアウトの資料を使う時間を確保できるように。

夜、オーリアッド。今日発売のレナード・コーエンの『オールド・アイディア』を聴く。断然3曲目の「ショウ・ミー・ザ・プレイス」がいい。何という声だろう。確かに彼は Golden Voice を持っている。

久々にY先生。元気そう。四方山話。地震の話題に。もうずっと前、親しい友人たちと一緒にニュージーランドへ行ったことがある。彼もそのメンバーだった。「あのとき上った大聖堂が崩れてしまったなんて驚きました」。数日後には、直接この目で地震の傷跡を見ることができる。

家に戻るとサッカーをやっていた。後半を見る。4−0で日本の勝利。



February 21, Tuesday 2012

午後3時半家を出て松本へ。先ず、ファーマーズマーケットに寄り、少し買い物。そのあとキャンパスへ。終に成績を提出。シラバスについて担当の先生と話す。教科書を何にするか迷っている。教科書なしで、独自のプリントでやれるのが一番いいのだが、そうもいかないらしい。シラバス入力の締め切りは24日。明日には済ませたい。

家に戻ると、家人が知らない人から電話があり、石巻に歌いにいかないかとのこと。前に一度電話で話したことがある人らしい。7時過ぎにその方から電話があった。まだ確定したわけはないし、半信半疑のところもあるが、実現してほしいもの。

明日は、クライストチャーチで大きな地震があってから丁度一年。崩壊した大聖堂の写真を見たときは驚いた。次男はそのとき、そこから1.5km ほど離れた学校(Christchurch Polytechnic Institute of Technology )の図書館にいた。TV でニュースを見たあとすぐに電話をしたが、繋がらなかった。午後になって彼から電話があり、無事を確認した。

そして明日は、レナード・コーエンの『オールド・アイディア』国内盤発売日。


February 20, Monday 2012

かろうじて採点は終了したが、成績表に記入するまでにいたらず、今日提出することを断念。予定としては、今日の午後成績を提出して、その後、丸善と、井上デパートに寄るつもりだった。

成績は提出できなかったが、予定通り、午後遅く松本へ。先ず昨年12月にオープンした丸善へ。以前井上デパートの新館があったところ。京都の丸善は閉店して久しいが、京都に住んでいたときはよく通ったもの。京都の書店の中では洋書売り場がもっとも充実していた。河原町へ出かけるときは、必ず丸善に寄った。

松本の丸善の洋書売り場は期待はずれだったが、地下、1階、2階と蔵書数は100万冊とか。久しぶりに立ち読みを楽しんだあと、幼児向けの本と、DVDつき歌の本を買う。その後、井上デパートへ。靴と衣類を少し。ピッツェリアに寄って帰宅。

明日こそは採点を提出しなければ。



February 19, Sunday 2012

今朝の気温は玄関先、−14℃。日中は陽がさしたが、風は冷たい。

夕方テレビを見ていたら、コロンビア大学白熱教室というのをやっていた。サンデル教授の二番煎じかと思ったが、そうでもない。どちらかというと少人数の教室でのこの講義のほうがぼくには合っている。思わず最後まで見てしまった。調べてみたら、シーナ・アイエンガーという全盲のインド系アメリカ人の女性の先生。両親はインドからの移民で厳格なシーク教徒とか。講義のテーマは「選択」。ぼくが見たのは第3回目で、あと2回、2月26日(日)と3月4日(日)午後6時から、Eテレで。

3月4日(日)の第5回(最終回)の「幸福になるための技術」の概要には次のように書かれていた。

皆、幸せになりたいと願っている。それは人の本能である。でも幸せになるのは簡単ではない。最新の科学実験の研究結果を見ると、人は自分が進もうとする道 に、つまづくための石を自ら置く習性があることが分かってきている。いかにして自らの限界を知り、障害物を回避し、幸せを獲得するための選択の力を強化さ せるか、その方法を考えていく。

是非これは見たいもの。「つまづくための石を自ら置く習性」というのはなんとなくわかるような。NZへの機中で読もうと、
Sheena Iyengar 著 The Art of Choosing をアマゾンに注文する。

次のようなサイトもあった。
http://www.ted.com/talks/sheena_iyengar_on_the_art_of_choosing.html

終日。採点。全6クラス。学生数にして200人ほど。単純なマルティプルチョイスの問題だと簡単だが、和訳や英作の採点は大変。脳細胞がおかしくなりそう。それでも夜までに、合計点を出すのを家人に手伝ってもらって、かなり進む。



February 18, Saturday 2012

先ず、三浦が、タウンズ・ヴァンザントの If You Needed Me の日本語ヴァージョン「もし君がぼくを必要としたら」、そして「祈りの歌」と「流転のうた」。続いて、東京からやってきた武藤&溝部の「二人組」寒い、寒いといいながら3曲。3曲目は Keep on dreaming higher というフレーズが繰り返される歌。丸山俊治さん、先週のスキーツアーの話をしたあと「あの道この道」(冬ヴァージョン)、「雪のかくれんぼ」、そして久しぶりに「愛しいあなたへ」。ラストの曲はバレンタインデイに亡き夫にチョコレートを贈る妻の歌。

和田敦さん、1曲目 懐かしい「Pearly Shells」、そして「知床旅情」と「愛燦燦」。1曲目は昔よく歌った歌。でも歌詞をすっかり忘れていた。原田和恵さん、体調が回復したようで何より。「ラルゴ」「芭蕉布」、そして意表をついて「友よ」。昨年の「ほたる祭りライブ」のジェームズ・ドーシーさんを思い出した。原田和男さん、2月15日に無事退院したとのこと。入院生活の思い出について。ひとつはいつも忙しく働いている看護師さんたちについて。もうひとつは、将来はヘリコプターの操縦を覚えて、救急患者をたすける医者になりたいという5歳の少年との交流について。坂井俊水さん、HI STANDARD の「Stay Gold」「恋心」「Missing You」。HI STANDARD というのは英語で歌う日本のロックバンドのよう。前半最後は、田中創さん。Any Old Time を含む2曲。いつもながらのimpressive な歌とギター。ここで前半終了。

休憩時間に、丸山さんをフィーチャーした松商学園放送部制作の作品を、みなさんと一緒に見せてもらう。丸山さんの若い頃の写真がたくさん写っていた。ハンサムだった。今ならイケメンというのかな。この作品は、長野県、そして北信越大会でも最優秀賞を獲得したとのこと。5分という短い時間に丸山さんの人生と音楽とのかかわりが見事にまとめられている。








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後半のトップを、早く今月の歌が聞きたいと、前半の続きで田中さんにお願いする。後半はオリジナル2曲。1曲目はご存知「ヴィンセント」。2曲目が2月の歌「魂の隠れ家」。一日の仕事に疲れ、君の待つ魂の隠れ家へ。毎月1曲書くという新年の決意が2ヶ月守られた。3月が楽しみ。

オーリアッドの暖房が不十分で、東京からきた「二人組」には寒さが堪えたよう。できるだけ早く東京へ戻りたいとのことで、ここで3曲お願いする。1曲目は「星あかりを頼りに」で始まる歌を溝部さんが歌い、武藤さんがギターのサポート。今回は溝部さんが歌う歌が前回よりも多いようだ。更に「真夜中の海岸で踊り」というフレーズの入るMr. Tambourine Man を彷彿させる歌など2曲。

原田さん、先ず最初に歌を歌う。癒しの歌声に聞きほれていて曲名を聞きそびれた。思い出した、「ゴッド・ブレッス・ユー」だった。続いて「G線上のアリア」。和田さん、「寒い朝」と「愛燦燦」。前回とてもよかったので「アロハオエ」をリクエストしたが、残念ながら今夜は楽譜をもっていないとのこと。

丸山さん、「演奏列車」と「そんなブルーズ」。後者は田中さんのギターのサポートが入り、大いに盛り上がる。続いて坂井俊水さん、即興で歌った「Whitney, I Love You」ともう1曲。両者ともに田中さんのギターが入る。最後に、田中さんに1月の歌「ブーツマン」をリクエスト。これで今夜のオープンマイク終了。

来週は臨時休業でオープンマイクなし。次回のオープンマイクは3月3日(土)。聞きに歌いにお出かけください。



February 17, Friday 2012

昼過ぎ、久しぶりにポールウオーキングへ。山の腰道には雪があるかなと心配したが、まったくなかった。城山公園から守屋山の写真を撮り、次に樋田のお不動さんへ。バイパスができる前の国道を通って徳本水の湧き水へ。今年は寒いと思っていたが、ツララが少ない。多いときは、一面ツララで覆われている年もある。




家に戻り、塩尻のホームセンターへ、猫ドアを補強する木材を買いにでかける。行くときは雪は降っていなかったのに、帰りは激しい雪。見る見るうちに道路は真っ白。善知鳥(うとう)峠にきたら、トラックが一台立ち往生していたが、完全に道をふさいでいなかたので、脇を通りぬけることができた。

6時前、オーリアッドへ行くために家を出た。旧道から、国道に出ようとすると、橋のほうでパトカーの点滅するライトが見えた。事故か?近づいていくと、軽トラと軽自動車の衝突のよう。完全に雪によるスリップ事故。気をつけねば。雪は怖い。

2月22日発売のレナード・コーエンの『オールド・アイディア』のサンプル盤が届いた。やはり一番好きなのは3曲目の Show Me the Place である。1曲目のGoing Home、2曲目の Amen もいい。それに7曲目の Come Healing も好きだ。

白馬童子さんから次のリンクが送られてきた。少々hyperbole (誇大広告)気味のヘッドラインではあるが、彼のヨーロッパでの人気は確かにすごいようだ。Live in London 以来、アメリカでも支持者が増え、今回のアルバムは全米チャート初登場3位とのこと。

http://www.barks.jp/news/?id=1000076978&ref=rss


February 16, Thursday 2012

今朝は8時までぐっすり眠った。7時間ほど熟睡したことになる。こんなことは珍しい。10時過ぎ、来週末に出かけるNZへのお土産を買いに、下諏訪、岡谷へ。大社煎餅のお店は閉まっていた。定休日か。下社へいく。長い間社殿の屋根の葺き替え工事をしていたが、それが済んで、覆いがとられていた。岡谷では書店に寄り、子供たちが小さい頃喜んだ「いないいないばあ」などの本を何冊か購入。それに子供の歌のCDも。

午後はうとうとしながら採点。もっとも苦手な作業。早く済ませてしまわねば。来年度のシラバスも作成して入力しなければ。

夜、オーリアッド。堀越さんが整理してくれた本棚に『リルケと日本人』(第三文明社)という本を見つけた。以前にも読んだはずだが、読み始めたら、引き込まれて下に置けなくなった。著者は高安国世。この人が訳したリルケの『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』(新潮文庫)は若い頃の愛読書だった。他の人が訳した同じ本も2,3読んだが、この人の訳でなければ駄目だった。訳書にも相性というものがあるようだ。波長が合うとでもいうか。

リルケ、トーマス・マン、そしてカフカに共通する点に言及して彼は次のように言う。


彼らは自己を古い時代の「最後の人々」と感じている。肉体的にはかならずしも病気というのではないにしても、精神的にはほとんど持って生まれたと言ってよい一種の欠陥をそなえている。リルケは一生いわゆる「男性」の世界へはいれない人間であり、マンは「死への共感」をひきずって歩き、カフカはどんなにもがいても幻の共同体に属することのできない悩みをえがき続けた。いずれも世間的に見れば欠陥人間であり、負の世界の住人である。そののがれられぬ負に苦しみつつ、しかもそれをごまかすことなく見つめ、いかにしてついにそれを大いなる正に転化したか、これがリルケなどにおけるもっとも興味ある問題であり、また時代と芸術家、孤独と社会という現代の問題にもつながると思われる点である。 (p. 9)

「いずれも世間的に見れば欠陥人間であり、負の世界の住人である」というところに驚くと同時に、そうだろうなと思うところあり。高安氏について調べてみたら、彼自身は、その正反対であるように思えた。でも分からない。人の内面は誰にも分からない。



February 15, Wednesday 2012

昨夜届いた2回目の校正を始めたら、次から次へと修正したり書き加えたりしたいところが出てきて、昨夜はほとんど眠れず、朝方少し仮眠をとり、今日正午過ぎに送ることができた。

午後は昼寝を2時間ほど。そして6時から、オーリアッド。静かな夜。本を読んでも、音楽を聴いても、パソコンに向かっても、うとうと。10時半閉店。外に出ると町もひっそり。寒い。

お店にいるときから、左腕の付け根が痛むことに気づいた。筋を違えたような痛さ。家に戻ったらますます痛む。「どうしてだろう」というと、家人曰く「月曜日に猫ドアをとりつけたからじゃない? 年を取ると一日あとに出るというから」。なるほど。しかし、あんなことで、こんなに痛むというのは、筋力が衰えている証拠。



February 14, Tuesday 2012

大月さんから電話でオーリアッドの駐車場の電気がついているとの知らされた。早速行ってみると、階段の電気と2階の和室の玄関とキッチンの電気もついていた。土曜日夕方、堀越さんと本を探しに入ったときに、蛇口から水がもれているのに気づいた。日曜日の朝、水道屋さんに直してもらったのだが、そのときからだろうか。しかし昼間は駐車場の電気をつけることはないから、ひょっとしたら駐車場の電気は土曜日からかも。

堀越さんが土曜日、2階の本を見たいと言わなければ、あの水漏れはずっと続いていた可能性がある。蛇口にヒビがいったのはおそらく、家の玄関先が−18℃だった2月3日のことだと思う。

いずれにしろ、大月さんと堀越さんに感謝。


February 13, Monday 2012

採点の続きは明日からということにして、今日は一日休むことに。といっても、何もしなかったわけではなく、念願の猫ドアをつけた。格子をはずし、ガラスを切り、ドアが入るように格子を切り、ドアをはめ、ネジで止める。こう書くと簡単なようだが、試行錯誤、いったんはめたドアをはずして、位置をずらしたり、結局3時間かかってしまった。ガラスが割れてしまい、テープで補強したり、隙間から風が入らないように応急措置としてガムテープをはったり、体裁は悪い。でも何とか所期の目的は達せたようだ。

2006年の11月に仔猫を2匹もらってきたときは、家の中で飼うつもりで、外には出さなかった。でもそのうちに,可愛そうになって、ときどき紐で結んで庭に出すようになった。数年前から、一匹が家中にスプレイをするようになった。いろいろ試してみたが一向にやまない。家中臭くてたまらない。それで、数ヶ月前から自由に外に出したら、スプレイングは即座にとまった。家の中に閉じ込められていて、ストレスがたまっていたのだろう。新たな問題は、猫が出たいときと家に入りたいとき、ドアを開けてやらなければいけなくなったこと。それで猫ドアをつけることに。

もうひとつ今日したことは、コンピュータのウイルス駆除。どうもこのごろ、動きがおかしい。それで久しぶりに Spybot-Search & Destroy でスキャンしたら,Babylon toolbar というのが出てきた。Babylon には何年も前にも取り付かれて往生したことがある。しつこい spyware である。一回では駆除できず、再起動して再度スキャンしたら、跡形もなく消えていた。動きがスムーズになった。ありがたい。

夕方、原田君の事務所から電話があった。6月23日(土)に都合をつけてきてくれるとのこと。本人も楽しみにしているとのことだった。清水君からは一週間前にオーリアッドにきたときOKをもらっているので、これで今年のほたる祭りライブのゲストは「あのねのね」に決定。


February 12, Sunday 2012

昨日の朝9時過ぎに送った原稿が早くも、昨夜寝る前、対訳と一緒に、校正のために pdf で送られてきた。速い! それで今朝からその作業。かなり大幅に書き換える必要があったし、午後には少し家の周りを歩いたり、うたた寝をしたりで、時間がかかってしまったが、夜10時前には送ることができた。

昨年の12月半ばから始まったコーエンとスプリングスティーンの仕事は、これでほぼ終了。大変だったが、楽しかった。何よりも、学ぶところが多かった。

ご存知の方は教えてください:
今日、以前に一度会ったことのあるアメリカ人から、「60年代に松本にあったDaimaru (大丸、ダイマル?)というギターメーカーを知らないか」というメールがはいりました。その工場は火事で焼けてしまったようです。そしてその工場で作られていたギターのひとつに Prestige (プレステージ)という名のギターがあったようです。そのギターメーカーについて何かご存知の方がいましたら、是非教えてください。
(I am just contacting you to make an inquiry about a Guitar Maker called Daimaru based in Matsumoto in the 60's who's factory burnt down. I don't have too much information about them but one guitar they made was called “Prestege” Just because you likely have some knowledge on this question being the person you are...)


February 11, Saturday 2012

久々に「次郎」を歌ったあと、堀越哲朗さんにお願いする。堀越さん、前半はギターでナナオサカキさんの詩に曲をつけた3曲。「7行」「ハタラキ」、そして「廃屋」。2曲目のタイトルはよく聞き取れず不確か。3曲目は内田ボブさんの作曲とのこと。1曲目の詩は次のよう。

  雨あって 濡れずということなし
  風あって 吹かれずということなし
  口あって 喰らわずということなし
  手あって 働かずということなし
  足あって 歩かずということなし
  声あって 歌わずということなし
  心あって 躍らずということなかれ

確かに7行である。この詩は、次に登場した金子昭二さんを呼び込むための歌のよう。85歳の金子さん、先ず、ヘッドフォンでボンジョビの歌う「ハレルヤ」を聞きながら、同時に歌い踊る。「7行」の最後の2行を地で行くようだ。そのあと、椅子にすわり、遠藤賢司の詩「亡き岡本太郎に捧ぐ」の熱い朗読。

坂井俊水さん、Fucking Perfect, Missing You ともう1曲。いつものようにエネルギッシュな演奏。金子さんとの歳の差、57歳。老いも若きも。これがオーリアッドのいいところ。赤羽真理さん、今週はずっと自らすすんで夜勤を買って出たとのことで、寝不足気味と話したあと、「鹿のように」「人生の海の嵐に」、そして「千両梨の実」。原田和恵さん、「G線上のアリア」、そしてトモノリ君の歌「君は愛されるため生まれた」。最後に「ラルゴ」。

ここで、原田さんから差し入れられたチョコレートをいただきながら、休憩。坂井さんのお母さんからもいただく。是非今度お母さんにも聞きにきてもらいたいもの。いや、歌ってもらいたいもの。親子デュエット。






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後半、トップにぼくが先日清水君が家族できてくれた話をしたあと、彼と出会ったころ歌っていた「こおろぎが歌うように」、そして彼と先日練習した「祈りの歌」。次に、「キング牧師の日チャリティコンサート」にきてくれた萩原健斗さん。三重県出身。現在駒ヶ根市の会社に出向中とか。音楽が好きで、南信のほとんどのライブハウスのオープンマイクには顔を出したことがあるとか。ハンチングが似合うダンディな方。

大月高志さん、原田(伸朗)君の奥さんのファンだったという話をしたあと、「抱きしめたい」と「カノン」。前者のオリジナルは、聞くたびにそのメロディの美しさに魅せられる。堀越さん、後半はエスラジで、「夜明けのラーガ」。全部弾けば30分はかかるとのことで、その三分の一ほど。美しいメロディ。エスラジを弾く堀越さんの姿は美しい。

金子さん、「私の岡本太郎」ということで、若い頃諏訪で岡本太郎と出会ったときの話。そういいえば、岡本太郎さんと金子昭二さんは似ているような。わが道を行く。こんな元気な85歳に最近会ったことがない。赤羽さん、「今すぐに」と「ホーボーズ・ララバイ」。坂井さん、「ファースト・ラブ」と Don't Look Back in Anger.

そして、最後に大月さんと坂井さんのセッション。素晴らしい演奏。タイトルを聞きそびれた。これで本日のオープンマイク終了。その後、しばし歓談。

来週2月18日(土)のオープンマイクには、東京から、中目黒のケルアックの「二人組」が登場する予定。その翌週2月25日(土)は臨時休業。



February 10, Friday 2012

結局、昨夜は徹夜。いいかわるいか分からないが、何とか書き上げ、今朝、9時過ぎに送る。昼まで昼寝をしメールをチェックしたら、4年生の成績は今日が締め切りという事務局からのメール。ぼくのクラスには8年生が一人、6年生が一人。松本まで行かねばならないかと思ったら、ファックスで送ったあと、23日締め切りの他の成績と一緒に郵送したらいいとのことで、一安心。

この8年生の学生は頑張った。これだけ頑張れたなら、もっと前からそうすればいいと思うけれど、人間そううまくはいかないもの。ぼくが、いつもそう。徹夜するなら、もっと前からすればいい、と思うが、切羽詰らないとアイディアが沸いてこない。徹夜をしたのは何年ぶりだろう。最近では記憶にない。

そうそう、昨夜遅れた理由のひとつは、ワードの調子が急に悪くなったこと。文字を入力しようとしても入力できなくなった。モニターの上のほうにその文字が出てくるが、それを移動しようとすると「エラー」とかなんとか出て、入力していた画面が消えてしまう。どこに行ったかと探すと、「中断されました、保存しますか」というような注意が出てくる。こんなことを何度か繰り返した。

午後も昼寝をし、オーリアッドへ。成績の締め切りは23日。これには間に合わせないと。今夜も少し採点。


February 9, Thursday 2012

終日、パソコンに向かう。深夜を過ぎてもまだ書けない。今夜は徹夜になりそうだ。


February 8, Wednesday 2012

終日、パソコンの前にすわり、ああでもないこうでもないと頭をひねっていたら、以前紀要の原稿を書いていた頃のことが思い出された。いろんな資料を集めてもなかなか書き出せない。締め切り間際になって、ようやく書き出し、一気呵成に書き終えるというのがいつものパターンだった。学生には、ブレインストーミングだ、アウトラインダだ、トピックセンテンスだ、サポーティングセンテンスだと、したり顔で説明しながら、いざ自分が書くとなると、行き当りばったり。書き出してみなけらばどこへ行くかもわからない。

午後、定期健診に病院へ。血圧は140/92。先生によれば、「この寒さで血圧が上がっている人が多い中、この数値は悪くない」とのこと。レスベラトロールに関して半信半疑だった先生が、「レスベラトロールをのんでるせいかな。でももっと痩せたほうがいいですよ」。確かに。先月の血液検査、尿検査の結果も悪くなかった。
6時、オーリアッド。静かな寒い夜。10時過ぎ閉店。家に戻り、仕事再開。明日中には送らなければならない。

Facebook の使い方は今でもよくわからないが、最近はよく見ている。いろんな情報や写真が投稿されていて勉強になる。なぜかフランスの人たちとの交流が増えてきた。彼らの感性や美意識には共感するところが多い。彼らが投稿する写真や絵を見て Like (いいね)をクリックすることが多い。今夜も一人フランス人の画家から friend request があった。



February 7, Tuesday 2012

2011年度の後期は、今日の2つの期末試験で終了。まだ採点と成績提出が残っているが、一段落。机に鼻をかんだティッシューを山のように置いているテストを受けている学生がいた。しんどそう。大丈夫かと聞くと、大丈夫との返事。夕方家に戻り、メールをチェックしたら、「先ほど病院で検査したところインフルエンザでした。マスクをして受験していたので飛散はあまりないと思いますが、念入りに手洗いなどの予防をしてください」との良心的なメール。ぼくは大丈夫。少々熱があるかなと思っても、大丈夫と思っていれば、たいていは大丈夫。最近は、寝る前に葛根湯をお湯に溶いて毎晩飲んでいる。これが効いてるかも。

今日は朝から雨。キャンパスの駐車場に着いた12時半にはすでに止んでいた。いつも採点に苦しむ。今学期は月曜日が加わり、6コマにになったので、試験は中間と期末だけにし、隔週に行っていた小テストはしないことに。これをすると、採点地獄に落ちる。

家に戻り、夕食後ニュースを見る。小5の女の子が久しぶりに訪れた祖父母の家で、屋根から落ちた雪の下になり死んだというニュースには心が痛む。そのうちにうたた寝をしてしまった。1時間は寝たかも。

明日が締め切りと自分で決めているエッセイを書かなければ。しかし疲れているのか、アイディアが浮かんでこない。困った。今夜は早く寝て、明日にしたほうがよさそうだ。

こんな映像を見つけました。いいですね。

http://www.youtube.com/watch?v=USV2KCGPW30&feature=related


February 6, Monday 2012

朝9時過ぎ。階下から「電話よー!」の声。誰からかと思ったら、清水国明君からだった。今日松本へ行く予定があるが、会えないかとのこと。南箕輪でのクラス(期末試験)のあと、オーリアッドで会うことに。奥さんと4歳になる国太郎君も一緒とのこと。

午後、試験。印刷する都合で早めに家を出てよかった。というのは試験問題の歌の部分をまったく見当違いをしていた。事務局でパソコンを借りて、問題をつくり直す。開始時間に5分ほど遅れてしまったが、事なきを得た。

2コマ目のクラスが終わったところで、ベトナムからの留学生が最後に残っていた。しばらく話す。ぼくが10年ほど前、ベトナムへ行ったときには、バイクに乗っている人たちがヘルメットをかぶらず、交差点で一斉に突進して危険だったが、最近テレビで見る限りヘルメットを被っている人が多いと話すと、法律でヘルメット着用が義務づけられたとのこと。しかし、交差点での突進はまだ続いているようだ。

わずか一週間ほどの滞在だったが、かつてサイゴンと呼ばれた町に滞在して、とても元気になったと話す。それは事実である。とにかく混沌としていて、みんな生きるために一生懸命。人間と人間のかかわりが強く残っていた。一度、土曜のオーリアッドへ来て、ベトナムの歌を歌ってくれないかと言うと、歌は駄目だとのこと。それじゃあ、ベトナムの話をしてくれないかと言うと、それならできるとのこと。

行くときから、雨が少し降っていたが、帰りはもっと激しくなった。激しいといっても、春の柔らかい雨。辰野へ向かう農道脇の草や木も雨に打たれて嬉しそう。一雨ごと春に近づく。

5時半。大きな白い車がオーリアッドの駐車場へ。富士山ナンバー。

テレビではときどき見てはいるが、会うのは何年ぶりのことか。マンダラ2の最初の年末ライブをプロデュースしてくれたときだとすると17、8年前ということになる。一度辰野に講演にきたときに、わが家に寄ってくれたことがある。それが年末ライブの後だったか先だったか記憶にない。

清水君の3番目の奥さんはダンサーで振り付け師とのこと。エグザイルなどの振り付けをし、バックで踊ったりもしているらしい。国太郎君はとても元気。おもちゃの銃をもって、オーリアッド内を走り回る。何度も撃たれた。

「祈りの歌」がよかったというので、一緒に歌ってみることに。何度か一緒に歌い、歌えるように。3月18日の「あのねのね還暦ライブ」で歌ってもらえるかもしれない。このコンサートのチケットは即日完売したとのこと。





彼らが帰り支度をしているところに、家人のケイタイに家の電話から転送された電話が入った。な、なんと、紀野先生からだった。紀野先生に、42年前の夏、お会いしたことがぼくが京都レコードに入るきっかけになった。そして、40年前、清水君と原田君に会うことで、彼らが京都レコードに入ることになった。出会いというのは不思議である。

紀野先生がぼくを鎌倉の円覚寺での結集に呼んでくださった経緯は次のURLから。このときぼくは坂村真民さんと相田みつをさんともお会いしている。それに原田道一老師にも。紀野先生にはお世話になりながらご無沙汰ばかり。先生は現在90歳。暖かくなったら、お詫びかたがた、一度お訪ねしたいと思っている。

http://www.nagano.net/journal/miura/990914.html


February 5, Sunday 2012

今朝も昨日の朝も、温度計は−8℃を指していた。しかし、それほど寒く思われない。−18℃を体験すると怖い物なし。諏訪湖もついに完全結氷し、御神渡り(おみわたり)が起こったとか。

今日は終日、依頼されたエッセイを書くための資料を集める。便利なものを見つけた。聖書の語句を検索すると旧約新約の両方のどこにそれがあるかをたちどころに教えてくれるサイト。便利である。英語と日本語両方。

英語用:http://bibleresources.bible.com/index.php
日本語用:http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi

今度のスプリングスティーンのアルバムには、聖書からの引用、あるいは聖書へのアルージョンが多い。

Facebook に The Tsunami & The Cherry Blossom という、3.11 の津波とその後に咲いた桜についての映像と言葉が投稿されていた。2分半ほどの映像だが、見終わったあと、その印象は長く心に残る。生と死について、日本人のものの見方、感じ方について、多くのことを考えさせてくれる。撮影は、2010年度アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞部門にノミネートされた映像作家ルーシー・ウォーカー。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=RNMRl_VJ3OQ

彼女の詳しいプロフィールは次にURLから。

http://www.geki3.jp/web/director05/lucywalker.php


February 4, Saturday 2012

まだ誰もいないオーリアッドで、2011年度のクラスで学生と歌った歌を歌詞を見ないで歌ってみる。学生にそうするように勧め、ぼくが歌えないのでは様にならない。5,6曲歌ったところへ丸山俊治さん。今日は寒いので歌い手は少ないかもしれないと思っていたが、最終的には大勢の人が歌いに、そして聞きにきてくれた。

先ず丸山さん。オーリアッドへ来るようになって5年が経ったと話し、先ず、ここへ来るようになって最初に書いた歌「山スキーの歌」を歌う。そして「職人になったおじさんたち」「アルプスのヨーデル歌い」。いずれもハーモニカつき。原田和恵さん、いまだに喉の調子が悪いとのことで、前半のみ。「子供の情景」「トロイメライ」をピアノで、そして岩谷時子作詞の「アメイジング・グレイス」。

坂井俊介さん、Smile, 「25個目の染色体」、そして最近よく歌う You Are Beautiful、そして最後に Don't Look Back in Anger。最後はオアシスの曲とか。田中創さん、Henry (I can hear the delta calling)、I'm So Lonesome I Could Cry、そして Sitting on Top of the World。ギターといい歌といい、素晴らしい。前半最後は大月高志さん、ギター・インストラメンタル、Anji と Sweet Bitter Samba。後者はいつ聞いても懐かしい。京都の下宿で夜中にラジオを聞いていた頃のことが蘇ってくる。








(Larger photos on Oread Facebook page)

後半トップは丸山さん。いよいよブルーズに進出か。先ず新曲「そんなブルーズ」。何でも歌にしてしまう丸山さんの面目躍如。誰のことを歌っているやら。2曲目は、「70歳になったのだ」と「呆けます小唄」をドッキング。老いらくの恋の勧め?春日淳也さん、「悲しい気持ち」と Golden Boy。ファンキーなギターの音がいい。

大月さん、「カノン」と「抱きしめたい」。カウンターにすわった田中先生が熱心に耳を傾けている。坂井さん、Fuckin’Perfect と Missing You。田中さん、今年の新年の決心は1ヶ月1曲歌を書くこととのことで、先ず今年の1曲め「ブーツマン」。いい曲である。lそして、古いオリジナルで「小さなルーカス」。久々に聞いたこの曲も素晴らしい。最後に、ぼくが「バード・オン・ザ・ワイヤー」を歌い、薪を運んでいて指を怪我してギターを弾けないという赤羽真理さんと一緒に「アメイジング・グレイス」。大月さんにピアノのサポートをお願いする。

終了後、しばらし歓談。春日、坂井、丸山の三氏は1,2番テーブルの横でブルーズギター・セッション。

今月のオープンマイクは、あと2回。11日と18日。25日は都合により臨時休業いたします。



February 3, Friday 2012 節分

昨日の朝の気温に対し、ンジラレナーイ!と書いたが、今朝はもっとシンジラレナーイ!! 新聞を取りに出た家人に聞くと、−18℃とのこと。そういえば、1980年代の初めにこの先祖の地に戻ってきたころ、−18℃があったことを思い出した。今日は日本全国各地で今年一番の冷え込みだったようだ。

朝から対訳の仕事をし、夕方オーリアッドへ出かける前に、発送する。今回は、英詩が届いた段階で、24時間以内に、とにかく全13曲を、いろいろ考えず、見直しもせず、とにかく訳すという力技をしたおかげで、そのあとの仕事が楽になった。さもなくば、一曲ごとに、ああでもないこうでもないと頭をひねって、時間ばかり経っていたところ。

夜、オーリアッド。とにかく寒い。電気代と灯油代が心配になるほど。どうも灯油のヒーターを買い換えねばならないかも。なかなか暖まらない。

「たつの新聞」に『祈り』を紹介する記事が出たおかげでCDを購入してくださる方が何人か。久々に、今夜通して聞いてみる。ああすればよかった、こうすればよかったと思うところがないわけではないが、いいアルバムである。

昨日のテストの採点を少しして、今夜は早目に閉店。外に出ると突き刺すような寒さ。



Feberuary 2, Thursday 2012

寒気が日本列島を覆っている。松本からの帰路、路傍の温度計は−9℃を示していた。夜、オーリアッドから戻ったとき、玄関先の温度計は−13.5℃。シンジラレナーイ!

午後一年生の2クラスの期末試験。最初のクラスの学生の一人が、放課後、今学期クラスで歌った歌をすべて歌詞を見ないで歌うことにチャレンジ。もう何年も前から、テストの成績が悪くても、全部歌えれば、パスすると公言してきた。過去数名がチャレンジしたが、いずれも不可。

しかし、今回は、2つの小さな間違いはあったものの見事に歌いきった。ギターを弾く友人と何日も夜遅くまで練習したとか。今学期歌った歌は全9曲― Yesterday, Beautiful Brown Eyes, Greensleeves, Imagine, Heart with No Companion, Scarborough Fair, The Sound of Silence, Let It Be, Tennessee Waltz。この学生の名誉のために付け加えておくと、彼がチャレンジしたのは、テストの結果が悪かったからではない。今学期、 Mr. Tambourine Man が入っていなかったのは、彼にとってはラッキーだった。

彼らと別れたあと、デイヴィッドの研究室へ。昨夜探して見つからなかった聖書の引用箇所を聞きに行ったのだが、彼にもわからないとのこと。ひょっとしたら聖書の言葉ではないのかも。その他いくつか質問。

7時半、オーリアッドへ。堀越夫妻がお見えになっていて、本棚の整理をしてくれていた。東京で本屋さんをしていたことがあり、今もオンラインの古書店を開いている堀越さんは、オーリアッドの乱雑な本棚が前から気になっていたとのこと。奥さんのいうには、本棚を整理していれば機嫌がいいとか。うそかまことか、本当にありがたい。右端の棚は、詩集と音楽関係の本だけになった。本棚が整理されたばかりでなく、何冊か引き取ってもらうことになり、お金までいただいた。感謝。

堀越哲朗著『山暮らし始末記』(太田出版)の一読をお勧めする。お二人が生きてきた「すさまじい」人生の一端を垣間見ることができる。Stay Hungry. Stay Foolish. な人々である。アマゾンに中古品が何冊か出品されている。

February 1, Wednesday 2012

朝起きたら、雪。かなり激しく降っている。風も強い。

天気予報は常に、「長野県、雪」となっていて、ニュースは豪雪地帯の映像を流すので、「雪は大丈夫ですか」と時々メールや電話をいただくが、長野県は北から南まで、その名前の通り、とても長い。北信と南信では積雪量はかなり違う。ぼくが住む南信は、今年は今のところ大雪は降っていない。本当に気の毒、3メートルもの雪に埋もれている豪雪地帯の人々は。

午後、オーリアッドで、ふたつのローカル新聞の記者から新しいアルバムについて取材を受ける。

6時、オーリアッドへ。小雪が舞っている。道路は凍っている。3つのストーブをつけても暖まらない。床の板敷きの隙間から冷たい風が入り込んでくるのかも。対訳のため、聖書からの引用部分を確定しようと調べたが、一ヶ所どうしても分からないところがある。

今夜は早目に閉店。店の前の道路はひっそりとしている。人も車も見当たらない。家に戻り、玄関先の温度計を見たら、−8℃。



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