OREAD Diary January 1-31, 2012
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January 31, Tuesay 2012
昨夜はスプリングスティーンの新しいアルバムの13曲のラフの訳をつくって送ろうとしたが、11曲目の途中で睡魔に襲われ断念。とりあえず訳した部分のみ送り、今朝起きてから、最後まで訳す。どんな内容かだいたいのところを知りたいとのことで、ほとんど見直しもせず送ったが、役に立ってくれたらいいが。いろんな意味で、このアルバムは彼の初期のもっとも彼らしかった頃の作品を彷彿させる。歌詞の内容もサウンドも。現在のアメリカの抱えている闇の深さを思わせる。
facebook にアメリカ人が、次のような漫画を投稿していた。そしてそこに添えられていたキャプションに思わず大笑いしたが、笑い事ではないのかもしれない。Clean
your plate, young man. There are starving children in America. (残さず食べなさい。飢えてる子供たちもいるのよ、アメリカには。)
この漫画の家族は中国人か、日本人か。最初は中国人と思い込んでいたが、よく見れば、お母さんと思われる女性は、着物を着ている。しかも、中国人は床にすわって食事をする習慣はないらしい。とするとやはり日本人か。
午後2コマのクラス。3講時のクラスの最後に、N君のバイオリンの伴奏入りで
Amazing Grace を歌う。恥ずかしがって前に出てこず、席にすわったままで演奏したのだが、とてもよかった。前期にも一緒にやろうとしたが、結局恥ずかしがっていて出来なかった。そのときは誰もいない教室で音を合わせた。今日は最後のクラスということで彼も思い切って演奏することに。半年でものすごく上達した。驚いたことに一人の学生がケイタイで写真を撮って
facebook に載せていた。現在経済学部。近々教育学部の編入試験を受けて、音楽の先生を目指すとか。がんばってほしいもの。まさに
Stay Hungry. Stay Foolish である。You've got to find what you love.
昨夜の無理がたたり、今夜は眠い。早く寝ることに。
■
「第4回キング牧師の日チャリティーコンサート」にご協力いただいたみなさんへ:
今月15日に行われた「第4回キング牧師の日チャリティーコンサート」にご協力いただきありがとうございました。お寄せいただいたお金のうち10万円を昨日民際センターへ送金しました。今年は多くの方々のご協
力を得て、カンボジアの子供5名、ラオスの子供5名、計10名を一年間学校へ通うお手伝いができることになりました。詳細は次のURLをクリックしてくださ
い。http://www.secondwind.jp/kingfurikomi2012.htm
January 30, Monday 2012
午後2コマのクラス at 南箕輪村。9月の半ばに急に先生が辞めて、半年だけという条件でお引き受けした。大変だったが、このキャンパスで教えることができてよかった。熱心で意欲的な学生たち。来週は試験。それで終了。
家に戻ると、スプリングスティーンの新しいアルバムの歌詞が届いていた。しかしすぐに取り掛かれない。6時から村の森林組合の総会。会議だけで出て、慰労会はパスさせていただく。早速翻訳にとりかかる。
家人によると、午後、民際センターへ、カンボジアの子供5人、ラオスの子供5人を一年間学校へ送るお金を振り込んだとのこと。先日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」でみなさんにお寄せいただいたご好意の賜物。詳細は明日ご報告いたします。
January 29, Sunday 2012
今朝の気温は今年の冬一番低い-13℃。
午後、大阪女子マラソンを見る。話題の福士加代子は30キロ前で減速、優勝したのは天満屋の重友梨佐。23分台の好成績。それにしても天満屋は重友が五輪出場となると、4大会連続で五輪出場とか。このチームの監督は目立たないが、すごい人だ。
夕方偶然BSで「スティーブ・ジョブズの子供たち」という番組を見た。2005年にスタンフォード大学の卒業式に列席し、スティーブのスピーチを聞いた卒業生たちのその後を追ったドキュメンタリー。スタンフォード大学卒業のエリートたちにも、現在のアメリカの不況は影を落としているようだ。それだけでなく、スティーブのスピーチの言葉が頭の片隅に残っていて、自分は本当にこの仕事をしたいのかと自問し、職を変えた人もいた。ウォール街で働くインド出身の男性の年収は2000万円以上。でも彼はその仕事をやめ、奥さんとインドのふるさとの町に戻り、介護にかかわる仕事を創設する。彼の語った言葉で印象にのこったのは、「世界の夢」。「アメリカの夢」ではない。世界共通の、人類共通の夢を実現したいというのである。
1月初め、カリフォルニア在住 H・サクライさんからメールが届いた。彼女のお祖父さんは相馬黒光さんのお兄さん。彼女のメールによるとアメリカはかなりの不況のようだ。
アメリカは大変な不況、特にカリフォルニアは5人に1人は失業者。車でサンフランシスコ、サクラメントの中心街を通ると巨大なテント村、通りの角には金を恵んでくれと書いたダンボールの端切れを持って立っている人々の多いこと。
2009年4月にオークランドへレナード・コーエンのコンサートに行ったときは、まったくその気配はなかったが、現在オークランドでは
Occupy Oakland の掛け声のもとに、City Hall 周辺で大規模な抗議運動が展開されているようだ。
Occupy Oakland の様子を報道する新聞記事。写真も多数載っている。
「学校より3分間のレコードから多くのことを学んだ」とスプリングスティーンはかつて歌ったが、彼の新しいアルバム
Wrecking Ball、特にその中の1曲 We Take Care of Our Own は、そのような世相を反映している。
明日の朝も寒くなりそうだ。
January 28, Saturday 2012
寒い一日。開店後すぐに入ってきたのは秋澤成吉さん。LSEC (Lake Suwa English
Club) のリーダー。しばらくぼくが、LSECで歌った歌を歌い、最後に Steve Goodman
の The City of New Orleans を歌って、丸山俊治さんにお願いする。久しぶりに「ブルペン・エレジー」から。そして先月亡くなった親友丸山卓朗さんに捧げた「ルート66
マザーロードの旅」。それを歌ったのは、今夜初めて丸山さんと一緒にオーリアッドへ来た和田敦さんに聞いてもらうため。和田さんは丸山さんの高校と大学時代の友人。次に、久々病院から一時帰宅中の原田和男さんのために「白雪先生」、そして自らの白雪先生の歌「セピア色した安曇野」。
和田敦さん。学生時代にやっていたウクレレを、数年前から富士弦楽器のウクレレ教室でまた習い始めたとのこと。ウクレレ弾き語りで「アロハオエ」「ふれあい」、そして「津軽海峡冬景色」。「アロハオエ」が歌われたとたん懐かしさでいっぱいになり、思わず一緒に口ずさんでしまった。このウクレレは松本神社の御神木のケヤキで作られたものとか。
原田和男さん、病院での快適な楽しい日々のお話。持ち前の好奇心とセキギョク性で、病院内の多くの人たちとかかわり、有意義な時を過ごしているようだ。時には度を越して看護師さんに注意されることもあるようだが。原田和恵さん、体調がもうひとつとのことで、「ラルゴ」を1曲。赤羽真理さん、「森の小道」「鹿のように」「千両梨の実」。坂井俊水さん、Pink
の Fucking Perfect と「かりゆし58」 の「アンマ」。前者は、恋人に向かって「誰がなんと言おうと、おまえは俺には完璧だ」という主旨の歌。後者の「アンマ」は沖縄の言葉で「お母さん」とのこと。苦労をかけた母親への思いが切々と歌われる。ここで休憩。
(Larger photos on Oread Facebook page)
後半は、ぼくの「前立腺肥大の歌」と「紙ヒコーキ」から。そして秋澤さん、今月誕生日を向かえ、長年勤めた会社を定年退職したという話から始め、今後の抱負を語る。よく図書館へ行って中国語や英語の勉強をされているようだ。
大月高志さん、ひょっとしたら若者のバンドでピアノを弾くことになるかもしれないという話をしたあと、
The Rose 、新曲「抱きしめたい」、そして Canon をメドレーで。丸山さん、冬ヴァージョンに言葉を変えた「あの道この道」。そして小野の老婦人たちの会が「まつのき小唄」のメロディで歌っていたという「ぼけます小唄」を「70歳になったのだ」のメロディで。最後に丸山さん自らのヴァースをひとつ加える。丸山さんは呆けている暇がない。
和田さん、「バラが咲いた」とリクエストで再度「アロハオエ」。和田さんは、松本の劇団にも入っていて、「おひさま」の野辺送りのシーンでは村長役で出演したとか。丸山俊治、丸山卓朗、和田敦の三氏を見ていると、県陵魂というか、進取の精神というか、何か共通するものを感じる。とにかく若い。66歳の6月6日にLAからシカゴまでルート66を車で走ろうなんていうことは誰もが思いつくことではない。思いついたとしても、それを実行する人はそう多くはないだろう。そう思うと卓朗さんの人生は、その一点だけとっても完結していた。
赤羽さん、新しい家を建てて薪ストーブ入れてから冬は極めて快適になったが、今年は薪を去年の2倍使い、来年の分まで使ってしまったとのこと。今年はそれだけ寒いということか。「人生の海の嵐に」、そして「私を待つ人がいる」。
最後に坂井さん、秋澤さんが、彼の名前は長野県では極めて珍しいと話したのを受けて、東京にいたとき TBSラジオのパーソナリティ秋沢淳子さんと会ったことがあると話す。そしてオリジナルの Missing You と、前回も歌った James Brown の You Are Beautiful を歌う。後者を歌う前、東京の高速道路を走っているときにこの歌をラジオで聞いたのだが、そのとき、「日本が誇ることができるもの」との話題で、リスナーからのレスポンスを募っていたと話す。そして若いトラック運転手が 3.11 の震災のとき、都内の高速道路も大渋滞したが、クラクションひとつ聞こえなかったが、それは大いに誇れることだと語るのを聞いて感銘を受けたと話す。
ここで今夜のオープンマイク終了。10時半過ぎ。今夜は異常に寒く、そのせいか、終了と同時、みなさん帰ってしまった。来週はもう少し暖かくなってくれるといいのだが。
そうそう、県陵といえば、「三丁目の夕日」の監督も県陵出身とか。
January 27, Friday 2012
レナード・コーエンの12枚目のスタジオテイクのアルバム Old Ideas の発売が近づいている。アメリカ及び多くの国では、1月31日。日本盤は2月22日。発売日が近づくにつれて、さまざまなメディアがこのアルバムを取り上げている。中でももっとも参考になったのは、New Yoker に載った Culture Desk というセクションに載ったブログ。参考になったのは、そのブログ自体というよりも、読者のコメント。
このアルバムの1曲目 Going Home の中の、Though he knows he's just really
nothing/ But the brief elboration of a tube のa tube は何をさしているかと、多くの読者がコメントを寄せている。ここは訳したところで最も苦労したところ。tube
には管、テレビ、地下鉄などさまざまな意味がある。ニューヨーカーの読者のコメントでわかったことは、ネイティブスピーカーにとっても、このtube
がさまざまな異なる意味をもっているということ。
ぼくの訳を決定づけたのは、ブックレットに載っているレナード・コーエンが描いた裸婦の絵。横すわりにすわった女性の股間近くに頭蓋骨が描かれている。このアルバム自体のテーマが、生と死、そして老いであることを考えると、人の一生は「卵管」から「頭蓋骨」まで?
しかし同時に、この歌詞が載っているページに、イラストとして I was nothing
but a hunger/ A televised invention という語句があり、テレビという線も消し難い。両方の意味を含める訳を何とか考えたが、成功したかどうか。とにかく、ネイティブスピーカーでも意見が分かれるとすると、本人に聞いてみるより仕方ないだろう。そうできれば一番いいのだが。
夜、オーリアッド。寒い。暖房をフル回転させてもなかなか暖まらない。今夜も暇で、倍音声明の本を読み、そして昔の日記を拾い読みした。facebook
friend に昔サンタローザの高校とサンタバーバラの大学で一緒だったレスターがいる。彼の書き込みの中に「ジョンソン先生の公民
(Civics)のクラスをおまえはとったか」というのがあった。そのクラスをとった覚えがないので、レスターと何のクラスで一緒だったのかと思い、古い日記を読みなおしたのである。Speech
& Debate のクラスで、スティーブとレスターのチームが「いい仕事をした」と書かれていた。彼は、UCSBのあと、UCBの大学院に進み、現在は
University of Wisconsin-Madison (ウイスコンシン大学マディソン校)で哲学を教えている。
January 26, Thursday 2012
午後2コマのクラス。両者とも、1年間楽しいクラスだった。前者は、基本的にはライティングのクラス、後者は、リーディングとリスニング。1年間で目覚しい進歩をとげた学生が何人かいる。彼らに共通する特徴は好奇心。
ジョブズも好奇心の人だった。
And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition
turned out to be priceless later on.
そして自分の好奇心や直感に従うことによって遭遇した多くのことが、後になって、計り知れないほどの価値のあるものになった。
7時半、オーリアッドへ。家人と交代。寒い夜。おそらく今年一番の寒さだ。家に戻ったとき、玄関先の温度計は−10℃だった。明朝はもっと寒くなるだろう。
Facebook に、フランス人の facebook friend が下の写真を投稿していて、即座に「いいね」をクリックした。ウサギに、ネズミに、ネコにイヌ。みんな赤ちゃんだ。ベイビー・ラットを見守るベイビー・キャットの表情といい、前脚の仕草といい、なんとも可愛い。
Facebook には毎日13世紀のペルシャの哲学者であり詩人であったルーミーの言葉が画像つきで届く。今日の言葉は次のよう:
What hurts you, blesses you.
Darkness is your candle.
あなたを苦しめるものが、あなたを祝福する。
暗闇はあなたの灯火である。
January 25, Wednesday 2012
岡谷のスカラ座へ「三丁目の夕日 64」を見に行く。午前9時20分スタート。迷わず3Dを選択。2Dでもよかったかも。3D用の眼鏡をかけると画面が暗くなる。
1964年のことはよく覚えている。その年の6月21日、ほぼ10ヶ月滞在したサンタローザでの生活を終え、ベイエアリアの他のAFS生30名ほどと一緒にグレイハウンドに乗り、1ヶ月近くかけて西海岸から、ワシントンDCを目指した。各地で滞在しながらの1ヶ月ほどの旅であった。同時に、全米の各地に滞在していた世界中のAFS生が、同じようにバスに乗り、ワシントンDCを目指し、一堂に会した。そして7月20日には、ホワイトハウスの中庭で、ジョンソン大統領に会った。そのあと、サンフランシスコ、ハワイ経由で、7月23日夜、羽田に到着した。
入国手続きを済ませてゲートを出ると、先ず上の姉が見えた、。彼女は身を乗り出して手を振りながらぼくの名を呼んでいた。彼女の周りには母や下の姉、そして何人かの関東在住の親戚もいた。高校時代の同級生も何人か。今では海外から戻っても、こんな大げさな出迎えはないだろうが、当時はまだ海外旅行が珍しい時代だった。
蒲田で電車に乗ったときの、車内の薄暗い感じと、乗客の疲れた顔が印象的だった。その晩は、今は亡き小金井に住んでいた叔父の家に泊めてもらい、翌日辰野へ。オリンピックが開催されたのは、その年の10月だった。
「三丁目の夕日 64」はちょうどその頃の東京の下町が舞台である。父と息子の葛藤を伏線に、当時の人々のほのぼのとした、貧しいけれど希望にあふれた生活が、少々マンガチックに描かれる。見るか見ないか迷っている人がいたら見ることをお勧めする。2Dで。
夜、オーリアッド。寒い、小雪が舞う日。しかも水曜日。それでも今夜は、珍しく忙しかった。最後は田中先生が学生と。
January 24, Tuesday 2012
昨日だったか一昨日だったか、Facebook に、松本に住む学生が、大雪が降ったと書き込んだので、身構えて行ったが、道路は山麓線を含めて大丈夫。市内もキャンパスも、わが家の周りほど雪はない。
前期に歌った歌3曲、後期に歌った歌を4曲歌って、ディクテーション。そのあと教科書の最後のエッセイ
Genetically Modifined Food( 遺伝子組み換え食物)を読む。GM food 擁護のエッセイ。
ダルビッシュの札幌ドームでの会見の様子をニュースで見た。好感を抱いた。一昨年、ラスベガスへレナード・コーエンのコンサート見にいったとき、成田空港でダルビッシュとすれちがった。すれちがったと言っても、すぐには気づかず、通り過ぎてから、見知らぬ人が大きな声で「あれはダルビッシュだ」と教えてくれた。振り向くと、お父さんらしき人と、もう一人の男の人と3人で歩いていた。後ろから見ても、確かにダルビッシュだとわかった。背が高い。首ひとつ突き出ていた。
4月からMLBの放送を見るのが楽しみだ。
January 23, Monday 2012
南箕輪村。補講を含め3コマ。さすがに3コマ連続すると疲れる。6時近く、授業が終わって外に出ると、真っ暗。来週もう一度クラスがあり、再来週は試験。松本のほうも、明日と木曜日が最後のクラス。そして再来週は試験。
Facebook に friend request があった。フランス人の禅を学んでいる人。吹き矢もやっているようである。結跏趺坐して吹き矢を構えた姿は美しい。facebook を始めたころは何が何だかわからず、長い間放っておいたが、最近は、facebookを開けることが多くなった。地球の反対側に住むまったく見知らぬ人とも、共通の関心、興味を通して、コミュニケーションをとることができる。Google Translate を使えば、それほど問題なく、意思の疎通をはかることができる。
西洋人が墨染めの衣を着たりすると、以前は違和感を感じたものだが、今はそんな感じはしなくなった。よく似合っている。昨日は優勝したバルトの奥さんが和服をきて枡席にいたが、凛とした美しさと気品にあふれていた。
6時半過ぎ帰宅。夕食後はさすがに疲れ、うとうと。なんとかこの2週間を乗り切らねば。そうすれば春休み。但し、まだ音源も資料も届いていないが、それらが届いたら、春休みは返上しなければならないだろう。
January 22, Sunday 2012
有賀さやかピアノ教室の「冬のコンサート」が午後1時から始まった。17人の年長さんから小学校5年生までの子供たちの発表会。お父さんお母さんを含めると40人以上。緊張のせいか、なかなかスタートできなかったり、途中で中断してしまう子もいたが、みんな一生懸命。小学校高学年になるとさすがに上手である。演奏のあとは、軽い食事をし、ビンゴを楽しんだ。先生と先生のお姉さんのピアノとフルートによる「手紙」(アンジェラ・アキ)の演奏があり、ぼくも請われるままに、子供たちには難しいと思いながら、「祈りの歌」を歌わせていただく。
わが家の息子たちも小さい頃ピアノを習っていて、何度かこのような発表会で演奏したことがある。懐かしく思い出した。
夜、対訳のため、ひとつの語句をあれやこれや考えていたら、3時間が過ぎていた。どうもぴたりとくるものが見つからない。明日考えることに。
January 21, Saturday 2012
開店後すぐに丸山俊治さん。「早いですね」というと「名古屋へ行ってきた帰り」とのこと。中京地方の箕輪町出身の人たちの集いに、出前歌声喫茶に行ってきたとのこと。
丸山さん、先ず「雪」シリーズから「雪のかくれんぼ」、「新宿に降る雪」。そして「職人となったおじさんたち」、「マザーロードの旅」。それぞれの歌が歌うたびに進化している。2曲目の救急車の音は本物に聞こえてきた。原田和恵さん、一番下の妹さんが今日嫁ぎ先の秋田へ引っ越したと「涙ながら」に語ったあと、「そばにいるよ」を歌い、「ラルゴ」をピアノで。家族に対する深い想いに感動する。
ぼくの「テネシー・ワルツ」を挟んで、赤羽真理さん、「許し」「今すぐに」、そして大月高志さんのサポートで「千両梨の実」。大月さん、先日の「チャリティー・イベント」の荒このみさんの講演でマルコムXの話が聞けたことがよかったと話したあと、「抱きしめたい」と「カノン」。前者は、そのイベントでも演奏した新曲。今夜はそのときにも増して美しく響く。「抱きしめたい」はビートルズの
I Wanna Hold Your Hand の邦題と同じながら、異性に対する気持ちというよりは、両親や被災した人たちに対する愛惜の気持ちに近いものだとか。ここで休憩。丸山さんの名古屋のお土産の信州のお菓子をいただく。
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後半トップは久々登場の坂井俊水さん。What Wonderful Days!, You're Beautiful,
そして大月さんとのセッションで Just Do It Now。最初と最後はオリジナル、2番目は、東京へドライブに行き、海岸沿いをドライブしているときにラジオから聞こえてきた歌とか。James
Brown。3曲目はタイトルからして、即興で歌ったのかも。
丸山さん、1曲目、意表をついて藤森さんの「チェインジ」。そして「セピア色の安曇野」と「一番最後に」。原田さん「巡り会い」と「G線上のアリア」。赤羽さん「森の小道」など。最後に、赤羽、三浦、大月で
We Shall Overcome と Amazing Grace。
寒い冬の一夜、歌いにきてくれた方々に感謝。明日はピアノ発表会があるため、いつもより若干早目に閉店させていただく。外に出ると小雪が舞っているが、国道には雪はない。しかし、旧道に入り家に近づくと突然の雪国。
January 20, Friday 2012
朝起きたら、やはり今年一番の大雪。と言っても深いところで15センチほど積もっただけだったが。朝6時、旧道の雪かきへ。大部分は小型除雪機が雪を取り除いてくれるので、手でかくところは、除雪機が入りづらいところや、崖の近く。20分ほどで終了。
昼までかかって、レナード・コーエンの対訳および訳者ノートの最終校正を済ませ、送る。ほぼ1ヶ月このアルバムに取り組んできたが、これでとりあえず、コーエンからは手が離れた。
と、一息ついているところへ、午後新たな依頼が。スプリングスティーンの Wrecking Ball. まだ音源も歌詞のデータも届いていないが、We Take Care of Our Own だけネットで公表されている。先ずそれを訳すことに。今の格差社会の現実を反映している歌詞。
夜、オーリアッド。日曜日にオーリアッドで、子供たちのピアノ発表会をする先生から確認の電話。21人の子供たち。父母を含めると40人。
January 19, Thursday 2012
11時過ぎ、民際センターのニューズレターのための文章を何とか書き、送ったあと松本へ。2コマのクラス。木曜日のクラスはあと来週を残すのみ。再来週は期末試験。
4講時終了後、デイヴィッドの研究室に顔を出したら、イギリスの quality paper
のひとつである The Gurdian にレナード・コーエンの記事が載っていると教えてくれた。新しいアルバムの理解に役立つ情報があったかと聞くと、まだ読んでないと言う。さっそくURLをメールで送ってもらい、家に戻って読んだ。
出だしの文章は次のようなものだった。
His detractors may sarcastically call him Laughing Len, but Leonard Cohen kept a roomful of journalists entertained on Wednesday night as he launched his first album in eight years.
彼を批判的に見る人たちは、彼を「笑うレン」と揶揄するかもしれない。レナード・コーエンは、8年ぶりのアルバム・リリースに関してインタビューに応え、部屋いっぱいに詰めかけたジャーナリストを、水曜日の夜、笑顔で歓待した。
彼の Live in London の DVDを見たり、直接彼のライブを見たりした人にとっては、彼の笑顔は違和感なく受け入れられただろうが、若い頃のコーエンしか知らない人たちは驚いたに違いない。どのアルバムカバーの写真も暗く沈んだ顔をしている。9歳のときに父親が亡くなり、それ以来彼はうつ病に悩まされてきた。しかし、60過ぎて5、6年、マウントボールディでの禅の修行をしたのだが、山を降りる頃には、うつ病はうそのようになおっていたという。Live
in London のDVDの中で、彼は次のように述べている。
前回、ロンドンのステージに立ってから長い時が経ちました。およそ14、5年前のことで、私は60歳の、クレイジーな夢をもった子供でした。それ以来、プロザック、パキシル、ウェルビュートリン、イフェクサー、リタリン、フォカリンなど、抗うつ剤をたくさん服用しました。また哲学や宗教も深く勉強しました。そのうち、愉快な気持ちが抑えても抑えても出てくるようになりました。
その言葉を証明するかのように、コンサートでは上機嫌で語り、歌い、スキップしながらステージに上ったり、降りたりしたのである。だから記者会見の席で笑顔を見せたとしても少しも不思議だとは思わない。
夜7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。寒い夜。帰るころには雨まじりの雪が降り始めた。今年一番の大雪になりそうだ。
January 18, Wednesday 2012
9時に起き、昨夜送った訳者のノートを若干修正し再送する。
昼過ぎ、再び睡魔が襲い、眠ることに。目覚めたのは5時過ぎ。
オーリアッドへ。日曜日のイベント以後初めて。食器の片付けは日曜日、白馬童子さんの奥さんが手伝ってくれて済ませってあったので助かった。椅子やテーブルなどの整理。スピーカーからはスティーブ・ジョブズのスピーチ。何度聞いても感動する。
民際センターから、先日のイベントについての文章を依頼されていたが、今夜は書けそうもない。明日ということに。
January 17, Tuesday 2012
午後2コマのクラス。両方のクラスとも、キング牧師の I Have a Dream 冒頭部分のリシテーション。I'm
happy to join with you today in what will go down in history as the greatest
demonstration for freedom, in the history of our nation.. から In a sense
we have come to our nation's capital to cash a check. まで。期待していた以上に学生はしっかり準備し、かなり正しいリズムと発音でリサイトできるようになっていた。まったくぼくの話を聞いていず、自己流に読む者も何人かいたが。完全に暗記してきた者も何人か。
そのあと、この部分のスピーチをCDで聞く。家で何度も練習してきたところなので、よく聞き取れたようである。もう少しリシテーションを授業に組み入れてもいいかも。問題は時間がかかること。
夕方家に戻り、コーエンの新しいアルバムのライナーというか「訳者ノート」を書く。もう猶予してもらえない。真夜中までには送らなければ。何かを書き始めるとき、最初はなかなかエンジンがかからない。書いては消し、書いては消ししているうちに、「水源」をヒットすることがある。そうするとようやく、スムーズに前に進むことができる。
今夜はなかなか水脈が見つからない。11時過ぎようやく見つかった。それはブックレットの中の大きな位牌のようなイラストに書かれていた言葉。その言葉ひとつで、今までおぼろげにしか把握できなかったこのアルバムを、はっきりと理解できた気がした。
最終的に書き上げ、メールで送ったときは午前4時を過ぎていた。夢中になっていて、担当のSさんに12時までには送れないと連絡しなかったので、ひょっとして長い間待っていてくれたかもしれない。すみません。
January 16, Monday 2012
午後3コマのクラス in 南箕輪村。うち1つは11月に休講した分の補講。ほぼ4時間半、立ちどうし、喋りどうし。昨夜疲れて早く寝て、今朝早く起きて解説(ライナー)を書いた。今夜書き終えて送る予定だったが、今夜もかなり疲れている。今夜中には送れそうもない。先ほど、もう一日待って欲しい旨メールを打った。
昨日の「キング牧師の日チャリティーコンサート」は、おかげさまで盛況だった。入場者数(出演者、主催者を含む)
64人で、64,000円。コンサートには参加されずに寄付のみ方も多く、総額 29,000円。昨年度の残高
6,200円を加えると、今年は10名の子供たちの就学支援ができそうである。寄付金の中には荒さんが提供してくださった『マルコムX』(岩波新書)5冊分の売上金も含まれている。(詳細は民際センターへ送金が済んだあとご報告いたします)。
January 15, Sunday 2012
多くの方々のご協力により、素晴らしい Martin Luther King Day Celeberation
になった。中でも、荒このみさんのレクチャー(「キング牧師とマルコムX、そしてバラク・オバマ」)には多くの方々が感銘を受けたようだ。荒さんは「私は話が下手だから」とマンダラ2でお会いしたとき謙遜されていたが、なんのなんの、最初に口を開いた瞬間から、彼女の声、姿勢、話の内容に魅せられた。そして、後半に話のピークをもっていき、時間ぴったりに終わる離れ業。さすがである。
ダニエルのパワーポイントを使っての東北被災地支援の話もよかった。神社の支援をしていたときに宮司さんの一人から聞いたという話には驚いた。津波がきたときその宮司さんは車に乗っていた。車は海のほうへどんどん流され始めたが、途中で何かにひっかかって止まった。津波が引いたあと、車から降りてみたら、車を止めていたのは、彼のお母さんの墓石だった。
午後1時半、家人の昨年度の報告と挨拶からスタート。そのあと、このイベントの発起人スーザン・ブランツの話。そしてぼくが
I Have a Dream を歌い、飯田の中島・松下・島岡トリオの I Shall Be Released。トリオの前に中島さんのオートハープの演奏。美しい音色。次はデレク・ハースト
from Tokyo。オリジナルのピアノ弾き語り。好青年である。原田和恵さん、「そばにいるよ」。この歌を聞きながら涙を流している人がいたと後で知らされた。大月さん、短いオリジナル「抱きしめたい」のあと、「カノン」。久々に聞いた大月さんのピアノがよかったというメールが入っている。前半最後はダニエル・ピアスのプリゼンテーション。短い時間しか提供できなかったが、彼がおこなったボランティア活動の様子がわかった。ここで前半終了。
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後半は、堀越哲朗さんのエスラジの演奏。オートーハープを初めて見た人が多かったが、エスラジにいったてはほんどの人が初めて。キング牧師とインドとのつながりを語ったあと、聞きなれたメロディを含むエスラジの演奏。続いて丸山俊弘さん、「70歳になったのだ」。今日もっとも大きな拍手喝采。爆笑につぐ爆笑。特に大阪からやってきたスーザンの友だちの笑い声は、群を抜いていた。
ここでいよいよ、みなさんお待ちかねの荒さんの講演。キング牧師とマルコムXは対立していたのではなく、互いに理解しあっていたが、この二人が手を結ぶのは極めて危険だと考えた政府が、マスコミを使って二人の対立を煽った節があるという主旨のところでは、さもありなんと思わされた。いずこも同じ。「アメリカ史、特に奴隷制度を支えた当時の白人のメンタリティを深いところで理解できた」というメールが届いている。
そのあと、ぼくが「雨ニモマケズ」と「祈りの歌」を歌い、最後に、ギター、三浦;ピアノ、大月さん;ベース、Takashi
Osaka さんで、会場のみなさんと Amazing Grace, We Shall Overcome, Blowing
in the Wind を歌う。オーリアッドの空間に割れんばかりの大きな歌声が鳴り響いた。ここで終了。ほぼ3時間にわたるコンサートだったが、長いとは感じなかった。荒さん、ダニエルのトークのみならず、すべての演奏者の演奏が素晴らしかったからである。
このセレブレイションに参加してくださったすべての方々に感謝。ありがとうございました。
January 14, Saturday 2012
久々に山岸豊さんを迎えてのオープンマイク。山岸節健在。
先ず山岸さん。「雪降る夜に小布施で」「時間が言葉に意味を与える」「三連休の真中の日は何をしよう」。山岸さんの歌のタイトルはユニークだ。次にぼくが「中谷勲」「バード・オンザ・ワイヤー」「電線の上の一羽の鳥のように」。そしてまた山岸さん、「歌はかけがえのないもののひとつ」「木陰のの季節」「I
Shall Be Released」。山岸さん、今年は活発に音楽活動を展開し、8月にはソロコンサートを開く予定とのこと。そしてまたぼくが「テネシー・ワルツ」「Death
Is Not the End」「その人がこの町に嫁いで来た頃」。そしてまた山岸さん、「音楽は贈物」「ここを出て行く幸せ」。
続いて、久々登場の大月高志さん。Amazing Grace, The Rose, Canon 組曲。流れるような演奏。トレモロがきれいだ。赤羽真理さん、「鹿のように」「バラは憧れ」、そして人生の海の嵐に」。ここで休憩。
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後半トップは前回に引き続きやってきた田中創さん。松本の奥さんの実家での新年会の帰りとか。Jim
Cox の Nobody Knows You When You Are Down and Out, Alan Toussaint の Freedom
for the Stallion、そしてオリジナルで「ヴィンセント」。山岸さん、「時間が言葉に意味を与える」「夕暮れのように」。赤羽さん「ホーボーズ・ララバイ」「千両梨の実」with
大月さん。田中さん「ハレルヤ、ハレルヤ」、そして久しぶり大月さんんとのセッションで
Sweet Home Chicago。最後は田中、三浦、大月で Amazing Grace。
January 13, Friday 2012
午後、対訳の校正をしていると、家人の呼ぶ声が。猿でも出たかと、あわてて階下へ降りていくと、電話だという。波田町に住むという男性の方。市民タイムスで、ぼくのCD『祈り』が発売されたという記事を読んで、ぼくが辰野町に住んでいることを知り、電話したとのこと。昨年北海道から引っ越してきたばかりで、40年間絵を描いてきたという。以前にお会いしたことがあるかと問うと、ないとのこと。ただ、昔NHKのラジオでぼくの歌とトークが流れたのを録音してあって、今でもときどき車の中で聞いているという。その番組の中で「「辰野へ帰る」という歌があったが、本当に帰ったんですねと言う。通常、過去のテープを聞いたりビデオを見たりすることはないが、興味がわいた。「そのテープのコピーをもらえませんか」とお願いした。
CDが欲しいというので、明日オーリアッドのオープンマイクに来ることができれば、お渡ししますと伝えたが、無理とのことで、郵送することに。
夕方、対訳の初校を送る。訳者注および短いライナーは明日ということに。対訳を校正しているうちに、この難解なアルバムの輪郭が、おぼろげながら浮かび上がってきた。アルバムタイトル
Old Ideas とは何か。「古い考え」。「古い考え」とは? アルバム全体を通して、旧約聖書、中でもモーゼ五書(トーラー)の掟、戒律、律法に再三言及されているところから、「古い考え」とは「旧い考え」、「旧約聖書」の考えに違いない。その中心は「正義」と「怒り」。それに対して「新しい考え」は「赦し」と「愛」である。ここらへんまで考えて、立ち往生。そこに仏教の四聖諦や生老病死がからんできて、話はますますややこしくなる。
小雪が降る中、オーリアッドへ。長島君が友達とやってきた。クリスマスに東京へ息子と聞きにいったという白鳥座というグループのCDをもってきた。早速聞かせてもらう。さだまさし作の「心にスニーカーをはいて」が印象に残った。
「キング牧師の日チャリティーコンサート」はいよいよ明後日ということになった。ありがたいことに、参加者がここにきてまた増えてきた。荒このみさんからも、資料が送られてきた。みなさんのご協力により、「第4回キング牧師の日チャリティーコンサート」はいい会にになりそうである。
January 12, Thursday 2012
寒い朝。家人の言うには、午前7時に新聞を取りに出たとき、−13℃だったとのこと。朝食後、外に出ると、青空がきれいに広がっている。庭には一面まだ雪が残っている。
午後2コマのクラス。Tennessee Waltz, Let It Be そして前期で歌った歌 Over and Over, The Rose, Greensleeves を歌う。それに、大型スクリーンで Steve Jobs のスピーチと Apple のCM Think Different を見る。
7時過ぎオーリアッドへ。ジブランの会の方々がすでにお見えになっていた。
今夜は珍しいお客さんが何人か。そのうちの一人は製氷機を修理してくれた業者の方。前から施設などを慰問して歌っていると知っていたが、今夜はカラオケのCDをもってきたとのことで、ジブランの会の方々がお帰りになったあと、歌ってくれた。「赤いランプの終列車」「君恋し」など。キングレコード専属の作曲家からレッスンを受けているとは聞いてはいたが、さすがに上手い!
彼が 歌いおわったところへ田中先生。よもや田中先生が演歌が好きとは思わなかった。「君こそわが命」が大好きとのこと。土屋・田中即製ユニットで「君こそわが命」。田中先生はピアノだけかと思っていたら、歌もすごい。学生時代には歌手としてスカウトされたこともあるとか。能あるある鷹は爪を隠す?
家に戻ってから、対訳の校正を送ろうと思ったが、少々眠い。明日がんばろう。
January 11, Wednesday 2012
午後1時から農協のマリーパレスでの葬儀へ。お孫さんのおばあさんへの言葉も、友人代表の弔辞も故人の人柄がしのばれて感動的。幸せな一生だった。精進落としの席で、彼女が10人兄弟の一番上だったと知る。末の弟さんが「面倒見のいい」お姉さんについて語る。
午後3時半。病院へ定期健診。診察の前に血液検査をし、診察終了中に、検査の半分が看護士によってもってきた。先生はそれを見て、「大丈夫です」とのこと。しかしよく見ると、γ-GTPと
TG に H がついている。γ-GTPの上限は 42 なのに、ぼくのは 82 ある。それに
TG (中性脂肪)は上限が 149のところ、266もある。先生はそれでも心配ないとのこと。
TGは食事によってすぐ変わるとのこと。病院へ行く直前に精進落としのテンプラなどを食べたのがいけなかったか。
夜は、久々のオーリアッド。冷え切っている。中々暖まらない。外には小雪も降っている。お客さんも来そうもない。いくつか歌の練習をして、今夜は早目に閉めることに。家に戻ると、メールで校正用ゲラ刷りが届いていた。それを見て、対訳修正の継続。オリジナルブックレットの歌詞と実際に歌われている歌詞が違うところがいくつかあるが、とりあえず歌詞どおりに訳し、訳者注でその箇所を指摘することに。
キング牧師の日チャリティーコンサートへの参加希望者がさらに増えてきた。ありがたいことである。
January 10, Tuesday 2012
午後2コマのクラス。 Tennessee Waltz を歌い、前期で歌った歌のいくつかを歌い、久々に
Steve Jobs のスピーチを見る、4月に初めてこの映像を見たときよりも、学生たちが聞き取れるようになっていることを期待しながら。前列にすわっている2,3の学生に聞いてみると、肯定的な答え。英語を聞き取ることも重要だが、ジョブズがスタンフォードの卒業生たちに伝えようとした内容をしっかり心にとどめておいてほしい。
そのあと、教科書の「動物園」についてのエッセイを読む。その主旨は動物園は動物虐待以外の何ものでもないというもの。psychosis ならずzoochosis という檻の中に長く閉じ込められている動物たちがかかる精神病があることを知った。
4講時終了後すぐ家に戻る。6時から、先祖の地に戻ってから大変お世話になったご夫婦の、奥さんの通夜に参列。通夜というよりは納棺の儀と言うべきか。享年90歳。この地域では、結婚するときに、仲人の他に、近所の信頼できる夫婦に親様と呼ばれる後見人になることをお願いする風習がある。英語でいえば Godfather だろうか。ぼくの父母の親様も、われわれの親様の親だったので、二代続けて親様をお願いしたことになる。
前日まで元気だったのに、突然亡くなられたとのことで、遺族の方々の悲しみは大きかった。彼らの流す涙を見ながら、親様の奥さまがいかに慕われ愛されていたかが伝わってきた。ご主人はもと小学校の校長先生。94歳の今もお元気である。
夜、対訳の修正に四苦八苦。でもようやく光が見えてきた。 A thread of light/
A particle a wave. この2行も、今訳している歌詞の中にある。これにも悩まされた。「一筋の光/粒子、波動」とそのまま訳しておいたが、何のことか分からない。ところが、光は何でできているか調べたら、まさに粒子と波動であった。困難な状態にあっても、一筋の光だけは大切にしてきたということか。いずれにしろ、一筋の光が射してきたような。
January 9, Monday 2012
シンクロニシティーというのが実際あると実感できた日。先日、昔ぼくが教えていた短大の先生で、今は茨城県の大学で教えている
le Pavoux 先生は、どうしているかなと思い、facebook でチェックをしたら、ちゃんと名前があった。メッセージを送ったら、2日後に返信がきた。
ご無沙汰しております。新アルバム「祈り」買いましたよ!とても
素敵です!先生の新曲を聴かせていただいた直後にメッセージ
をいただけるなんて、ものすごいシンクロニシティーです。
ぼくがメッセージを送ったので、CDを購入してくれたのかなと思ったら、その後のやり取りで、ぼくがメッセージを送る前に、ぼくはどうしているかと思い、アマゾンでチェックしたら『祈り』のジャケット写真が出てきたのですぐに注文したという。
彼女はおそらく2001年の3月に、ぼくは2002年の3月に、その短大を退職したので、オンラインではあるが、言葉を交わすのは11年ぶりということになる。不思議なこともあるものだ。
朝から、コーエンの新しいアルバムについての訳者注を書こうとしたら、対訳そのものを修正する作業になり、収拾が付かなくなってしまった。対訳のゲラ刷りが送られてくるまでに何とかしなければ。
1月15日(日)の「キング牧師の日チャリティーコンサート」についての記事が今朝ローカル新聞に載り、FM長野の「ほんのーり辰野町」という番組でも紹介されたとのことで、徐々に参加者も増えてきた。感謝。
January 8, Sunday 2012
現在前橋に住んでいる吉田さんから、今朝、「キング牧師の日チャリティーコンサート」に参加したい旨のメールが入った。吉田さんは、去年6月のほたる祭りライブにも、12月のマンダラ2の年末ライブにも来てくれた。
そのメールの中に次のようなところがあった。
「祈り」の清水さんのコメントは、清水さんのブログで読みました。
清水さんは、3月11日以降、何度も被災地に足を運び、支援を
続けていました。その中で生まれた「ひとりにしないで」は、何度
聴いても胸が痛くなります。
ご存じのとおり、私は1974年からあのねのねのファンですが、翌
1975年は、あのねのねが休業復学宣言をして、大学に戻った時
期です。その年に発刊された「新若者思考」での清水国明さんの
一言が、私の人生を決めました。当時15歳でした。
その雑誌のことはよく覚えている。ぼくも一文を寄せているはず。15歳の吉田さんの人生を決定づけた言葉とはどんな言葉だったのだろう。
吉田さんに教えてもらった「ひとりにしないで」がYouTube にあった。驚いた。作詞:清水国明、作曲:佐久間順平となっていた。
演奏も彼らである。佐久間さんは、一度、垣内彰さんに連れられてオーリアッドにきたことがある。何曲か歌ってくれたが、What
a Wonderful World の日本語ヴァージョンに感銘を受けたことを覚えている。
清水君は3.11後、ほぼ毎週被災地に足を運んだばかりでなく、彼が主宰する河口湖の「森と湖の楽園」へ6000人を超える被災者や避難者の子供たちや家族を招いてきたという。ぼくには真似のできない行動力。
ぼくが敬愛する老哲学者が、『祈り』について彼のブログに書いてくださった。彼にお会いしたことは一度もない。再三お会いしたい旨、連絡をとったが、そのつど断られた。お会いはできないが、彼の存在はいつも近くに感じている。
January 7, Saturday 2012
今年最初のオープンマイク。
ステージ正面のキング牧師の垂れ幕の両脇に貼られているのは、左側が5人のカンボジアの子供たち。右側が4人のラオスの子供たち。昨年の「キング牧師の日チャリティーコンサート」に寄せられた寄付金で一年間学校に通う支援をすることができた子供たち。丸山俊治さんが、写真を貼るのを手伝いに早目にきてくれたのに、肝心の写真をぼくが忘れてきて、あわてて家に取りに戻ることに。うむ、今年は早々に忘れ物が多い。
まずぼくが、昨年の年末ライブで歌うのを忘れていた「千の風」。そして「こおろぎが歌うように」と「雨ニモマケズ」。丸山俊治さん、軽快な「山スキーの歌」から。そして親友畏友、丸山卓朗さんに捧げた「マザーロードの旅」。そして明日が命日というお母さんのために書いた「満州の丘」。BSで「開拓者たち」を見たあとだけに、以前にも増してリアルに響く。
続いて二回目登場の85歳の金子昭二さん。今夜はYouTube でHallelujah を歌う
Bon Jovi を見て感動したとのことで、巻紙に書いた歌詞を見ながら Hallelujah
をアカペラで歌う。原曲をとどめぬ歌い方ながら、そのパフォーマンスには見るべきものが。彼の歌う
Hallelujah がコーエンの書いた歌と同じか察しかねたが、よく聞けば、それらしい。最後に、宮沢賢治や高村光太郎が登場する自作詩の朗読。
続いて奥さんの茅野の実家に暮れから滞在しているという神戸の山口恵三さん。Scarbourgh
Fair, Blowin' in the Wind そして、「愛燦々」。最初の2曲のギターは、S&G
とPPM を思い出させる見事な演奏。iPad を購入したとのことで、歌詞カードのかわりにiPad
を譜面台に置いて歌う。便利といえば便利だ。
続いて久々登場の田中創さん。リチャード・トンプソンの Walking the Long Miles
Home そして、Robert Johnson の Love in Vain。最後はトム・ウエイツの Sunny
Street。田中さんにはいいオリジナルがたくさんあり、最近はあまり彼のカバーを聞く機会がなかった。最初の頃はよく彼のカバーを聞かせてもらって、感心したものだ。今日のギターは、人前で弾くのは初めてという昨年末に購入した北アイルランドの
Lowden というギター。柔らかい優しい響き。
赤羽真理さん、「御言葉なり」、そして「千両梨の実」。ちょっと調子が悪るそうで、この2曲で早退。ここで休憩。山口さんからの差し入れ、西宮甲陽園の銘菓
Tsumagari のクッキーをいただく。スピーカーからは、久々に Live in London
の「ハレルヤ」。
後半トップは、これまた体調が思わしくないという原田和恵さん。今日はトークのみ。自主的に入院しているという「元気な」お父さんの近況報告など。ぼくが「明日は遠く」と「祈りの歌」を歌ったあと、丸山さん、「演奏列車」と「70歳になったのだ」。丸山さんの歌はいつも進化していて、両者共に歌詞がいつもと変わっていた。左の絵は、丸山さんがお孫さんのレン君用の年賀状に描いた「演奏列車」の絵。レン君がラッパを吹き、丸山さんがギターを弾き、そのあとに、いろんな動物が続く。
ここで垣内彰さんにトークをお願いする。前回の話を受けて、長男が東京から長野県に帰ってこられるようになったとの報告、それに新しい年への抱負。最後に彼の好きな三好達治の「駱駝の瘤にまたがって」の朗誦。
春日淳也さん、田中さんにリードギターを頼み、「ロッキーを越えて」と、ボブ・マーリーの
Redemption Song に影響を受けて書いた歌。山口さん、「大阪に生まれた女」と「ぼちぼちいこか」。後者はリードギター田中創、ピアノ大月高志、マウスハープ春日淳也のサポートでブルーズの一大セッション。大喝采。
大月さん、「ローズ」「アメイジング・グレイス」「カノン」をメドレーで。素晴らしい演奏。久々に大月さん本来の演奏を聞かせてもらったような。
最後に田中さん、「今夜は踊ろう」と「ハレルヤ」。田中さんの今年の抱負は1ヶ月に1曲新曲を書くことという。オーリアッドにも出来る限り歌いにきたいとのこと。
今年最初のオープンマイク、無事終了。その後しばし歓談。
オーリアッドのオープンマイクが、出会いと創造の場であり、互いに影響しあい、啓発しあい、共に成長できる場でありたいと思う。今年もよろしくお願いいたします。
January 6, Friday 2012
「キング牧師の日チャリティーコンサート」のための準備。ステージの垂れ幕の横に貼るために、年末に届いたカンボジアとラオスの9人の子供たちの写真をプリントアウトする。新しい
Canon のプリンターがその威力を発揮。おそらく今では常識なのだろうが、一台のプリンターに、プリンター、コピー機、スキャナーの3種類の機能がついている。こともなげに、写真をスキャナーし、きれいにプリントアウトできた。
高校時代の同級生から『祈り』を5枚欲しいという電話があった。2年前の同級会の席で、アカペラで「祈りの歌」を歌った。帰りに同じ電車に乗ったとき、彼が「祈りの歌」がよかったと言葉を尽くして誉めてくれたことを思い出した。後から人ずてに、彼が、今は回復しているが、大きな病気をしたと聞いた。
「祈りの歌」の一節に;
偉大なことを成しとげようと
健康を求めたのに
与えられたのは病気だった
何が偉大か学ぶように
というところがある。
最近寝る前に少しずつ読んでいる本は、『いのちを拝む』(春秋社)である。著者の瀬上敏雄さんからいただいた本である。瀬上さんには、昔本当にお世話になった。1972年、東北北海道への野宿とヒッチハイクの旅をしたとき、「三浦久の歌」という手作りのソングブックをたくさん作ってくださった。その本を道端で売りながら旅を続けた。
いただいた本の中で瀬上さんは、村上昭夫の「病い」という詩を引用したあと、次のように述べている。
この世に病むということは、人間にとって忌まわしいものです。
病みたくないですもの。でもお釈迦様は生老病死とおっしゃい
ました。生まれた者は病み、老い、死ぬということは、もう免れ
ることが出来ません。しかし全てのものは一つも無駄はないん
ですね。村上昭夫は病を通して魂が本当に清らかになってい
きました。(p. 238)
瀬上さん自身、現在病気で寝たきりの生活を余儀なくされているようである。この本の最後に瀬上さんは次のように書かれている。
病の底に、本当の自己に遇わせていただくというものは必ずあ
ります。そして私は、どういう姿であろうとも、今あるものを戴く以
外に本当の「自己に遇う道」はないのではないか、というふうに
思わせていただいております。(p. 245)
瀬上さんのこの言葉の中に、「何が偉大か学ぶように」の「何」が何かを理解するヒントが与えられている気がする。
January 5, Thursday 2012
久々の松本へ。正月ぼけか、用意した資料や、CDやDVDのディスクが入ったケースを忘れて、ちょっと困った。休んだ学生もいつもより多い。今日の歌は、後期最後の歌。Tennessee
Waltz。歌詞を解説したあと、一緒に歌う。そのあと、藤原和義さんの日本語ヴァージョンを、藤原さんの後輩たちのために歌う。
3講時のクラスで Google翻訳について語る。日本語から韓国語に訳し、その韓国語を日本語に訳しなおすというプロセスを何度か繰り返すと、ほほ正しい韓国語を書くことができると得意になって話したら、授業が終わったあと、一人の学生がやってきて、「Yahoo翻訳では、一々、訳したものをコピペして翻訳しなおさなくても、訳文を再翻訳する機能がついてますよ」と言う。その機能があれば便利だとぼくも思っていた。デジタル・ハイテク機器については学生から教えられることばかり。
夜、7時過ぎ、オーリアッドへ。家人と交代。遅くに丸山さん。1月15日は先日亡くなった親友のお別れの会があるが、なんとか参加できそうとのこと。荒このみさんの話を是非聞きたいとのこと。
荒さんを知ったのは1963年、高校3年生のとき。ぼくも彼女もAFSプログラムで1年間アメリカの高校に留学した。1963年8月24日の夜、AFS留学生130人が羽田を経ち、同じ日の夜に、サンフランシスコ国際空港に到着した。すぐにバスでスタンフォード大学へ連れていかれ、学生寮に3日間泊まってオリエンテーションを受けた。そして8月27日にそれぞれのホームステイ先へ移動したのである。ぼくはサンフランシスコから北55マイルのところにあるサンタローザへ。荒さんはロサンゼルス郊外のサンガブリエルへ。(当時、荒さんと個人的面識はなく、この情報は今回彼女のプロフィールの一環として教えてもらったもの)。
このことを書いたのは、1963年8月27日という日付を強調したかったから。つまり、キング牧師が、あの歴史的な「私には夢がある」というスピーチをワシントンDCのリンカーン記念堂の前で行ったのは、その翌日だったのである。
January 4, Wednesday 2012
昼前にようやく対訳を送ることができた。その後、「キング牧師の日チャリティーコンサート」のパブリシティーのため、2つのローカル新聞社を訪問。ひとつが終わらないと、次に移れない。特に翻訳しているときは、集中しなければいけないので。
今年の「チャリティーコンサート」には、黒人アメリカ文学の著名な研究者、荒このみさんが「キング牧師とマルコムX、そしてバラク・オバマ」というタイトルでお話してくださることになった。12月16日のマンダラ2での年末ライブに来てくれた彼女に、ライブ終了後お願いし、クリスマスの日にOKの返事をいただいた。卒論の指導などで忙しい中、来ていただくことになり、感謝している。
新年最初のオーリアッド。ステージ正面の壁にキング牧師の垂れ幕をかける。
年末ライブと言えば、今朝石崎さんから、ライブの音源が届いた。今、そのトーク抜きのヴァージョンを聞いているが、悪くない。レコーディングのときもこのくらい肩の力を抜いて歌えたらいいのだが。
午後遅くから雪が降り始め、オーリアッドへいく時までにはかなり積もっていた。戻るときはやんでいたが、踏みつけられた雪が凍っていて、バリバリと音がする。徐行運転。気温は−8℃。
明日は、久々に松本へ。
January 3, Tuesday 2012
朝食後、箱根駅伝6区の初めの部分を見る。東洋大学の優勝は間違いないと確信する。その後、両腕と首筋にモーラステープを貼り、2階に上がる。終日翻訳。英詩の確定はすでに済んでいるので、和訳の行数を英詩の行数に合わせる作業。これに意外と手間取る。
歌詞の中に、the Eye of the Camp というフレイズが出てくる。強制収容所の監視の目かなと思ったら、スーザン・ソンタグの
Against Interpretation という本の中に "Camp eye" という表現があることを知った。この場合のCamp
はわれわれが通常使う Camp とはまったく違う。ここをどう訳すかで、今日一日かかってしまった。
今夜送ろうかと思ったが、明朝もう一度見直して送ることに。
東洋大学はやはり圧勝した。昨日と今日の合計タイム、10時間51分36秒の大会新記録。なんと、昨年早稲田が出した大会記録をさらに8分以上縮めたというから驚く。この記録はしばらく破られないだろう。
January 2, Monday 2012
新年2日目の恒例のとろろ汁の朝食のあと、箱根駅伝を2区の途中まで見て、2階にあがる。しばらく仕事をしたあと、山登りの天才、東洋大学の柏原の快走を見るために、階下へ。ちょうど柏原にタスキが渡ったところだった。この人は凄い。彼にタスキが渡ったところで、勝負あった。4度目にして始めて前にランナーがいなかった。しかも5分ほどの差をつけて。
レナード・コーエンの Old Ideas という新しいアルバムの対訳に先月後半から取り掛かっている。これが難しい。まあ、今まで彼のアルバムを訳して易しいと感じたことは一度もなかったから、今回が特別というわけではないが。
大晦日の日に原田君から電話があって驚いたが、清水君は、ぼくの新しいアルバムについて、その前の日に、彼のブログに書いてくれていた。気に入ってくれたようでよかった。アルバムを聞いてくださった他の方々からもいくつか好意的なメッセージが届いている。
「今回のCDは内容、録音、装丁ともに素晴らしい出来上がりですね。車の中で聞いていて、つい目の奥に熱いものを感じてしまいました。深い内容の歌詞が切々と歌われていて感動的です」
明日の夜には、翻訳を送りたい。
January 1, Sunday 2012
今年は神社とお寺にお参りをしないことにしたので、朝はゆっくりとお雑煮とお節をいただくことができた。ニューイヤー駅伝を少し見たあと、仕事部屋へ。締め切りは3日。ほとんで出来ているのだが、数行の訳がどうしても気に入らない。もう少し考えてみることにする。
新年の決意というものを、子供のころはよくしたものだが、最近は、1月1日も一年の他の日と変わらず、ハレもケもなく、改まって新年の決意をすることもなくなった。
ボブ・ディランが彼のラジオショーでアメリカ人の最もポピュラーな10の新年の決意について語るYouTubeがあった。
その10の決意とは次のようなものである。
1. Spend more time with family and friends(家族や友達と過ごす時間を増やす)
2. Exercise more (もっと運動をする)
3. Lose weight (体重を減らす)
4. Quit smoking (タバコをやめる)
5. Enjoy life more (もっと人生を楽しむ)
6. Quit thinking (くよくよ考えることをやめる)
7. Get out of debt (借金をなくす)
8. Learn something new (何か新しいことを学ぶ)
9. Help others and volunteer (困っている人を助けたり、ボランティア活動をする)
10. Get organized (整理整頓をしっかりする)
2012年のぼくの新年の決意は 2, 3, 10 にしよう。特に10 は切実である。このまま行ったら、自分の部屋に足を踏み入れることができなくなってしまう。
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