OREAD Diary July 1〜July 31, 2004

To OREAD Homepage




July 31, Saturday 2004

船橋の齊藤皓太さんを迎えての飛び入りライブデー。最初のうちは出足が悪く、聴衆は6時前からオーリアッドの前で待っていたぼくの中学時代の同級生2人。その一人は千葉の松戸から帰省中。彼女は何度かご主人と一緒にマンダラ2へきてくれたことがある。あまり待たせてはいけないと、7時過ぎぼくが「碌山」「千の風」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」、それに「門」「明日は遠く」を歌う。3曲目ぐらいから、徐々にお客さんと歌い手が増え始める。

トップバッターは、先週に引き続き堀内千晴さん。韓国語で「故郷の春」「果樹園への道」、ロシア語で「ともしび」。彼の場合、韓国語の歌がいつ聞いても安定している。特に「故郷の春」は何度聞いても懐かしい感じがする。次にふあさん登場。「ぞうさん」などの替え歌をいくつか披露したあと、「激しい雨」と、岡山市在住の詩人秋山基夫さんのベトナム反戦の詩を「夢は夜ひらく」のメロディで歌う。ぼくも秋山さんの詩は好きだ。彼の人柄も。

その後、今晩のメインフィーチャー、齊藤皓太さん登場。去年2回はギタリストの秋元さんと一緒だったが、今回は一人。「ミー&ボビー・マギー」「吾妻橋から」「ノーザンライト」「カブト虫」「青い山」、そしてリクエストに応えて「何もない青空」。「チンチロリン」のリクエストが客席からあったが、これはセカンド・ラウンドにお願いすることにする。今回印象に残った歌は「ノーザンライト」。そしてもちろん「何もない青空」。齊藤さんが「何もない青空」を歌うのを聞きながら、この歌は、そのコード進行において、ぼくの「千の風」に大いに貢献していることを確認した。おそらくこの歌を聞いてなかったら、「千の風」はまったく違ったメロディになっていただろう。

 

次に大ちゃんこと安藤則男さん登場。1曲目はかなり変わった歌。中年の女性のくどくどとした「夫の悪口」にメロディをつけたもの。歌うというより、早口でまくしたてる感じ。安藤さんのギターが聞かせる。その後「銀」そして「成人たちの夜」。ひょっとしたら「聖人たちの夜」、あるいは「性人」かも。次に原村の篠原一弘さん。今まで全員ギターだったが、篠原さんはピアノの前にすわり4曲。「コスモス」「初恋」「ひまわり」「君がいた夏」。ピアノと伸びのある高音の歌声が見事にマッチし、印象深かった。今晩は「初恋」が特に印象に残った。

その後、芦部清志さんが2曲「ムルロアの海」「街道(みち)の傍らで」。後者はぼくが「すこやかに」に次いで好きな歌。松沢美由紀さんがピアノで加わり、WISHのユニットで「東京」「林檎」の2曲。「林檎」を歌う前に、迷走する台風10号について芦部さんはコメントしたが、ぼくの記憶でも、こんな動きをした台風はない。京都から辰野へ戻った年の1982年8月1日、台風10号が長野県を直撃した。今回もそれに近い進路をとるだろうと身構えていたが、意外や意外、四国、九州へそれてしまった。いつも台風の通り道になっている地域の方々にはお気の毒なこと。

 

その後、10分ほどの休憩。記念撮影を何枚か。昨夜初めてお見えになった熊谷市からのお客さんも来ていて、民謡を歌っていただけないかとお願いするが、固辞された。逆に「千の風」をリクエストされた。昨夜お話している最中に、彼の娘さんが2年前、38歳の若さで亡くなったということを知り、「千の風」を聞いてもらったのである。だから休憩後のセカンド・ラウンドの最初にぼくが再度「千の風」を歌う。その後、遅れて到着した歌い手を含めて全員に一曲づつ歌ってもらった。



赤羽真理さんは「千両梨の実」を歌う。出だしから「おっ」と思わせる初めて聞く歌。赤羽さんが『命の泉を掘り当てる』という本の「個性の実を結ぶ」という記事に感動して歌にしたものとのこと。赤羽さんの新境地を感じさせる歌。その後、6時からきていた二人の同級生、後藤郁子さんと丸山永子さんが、松沢さんの伴奏で「大きな古時計」を歌う。次に長島功さんが今まで聞いたことのない「ふるさと」という歌を歌う。おそらく彼の好きなさだまさしの曲だと思われる。

 

次に堀内さんが奥さんとの「チハルナ」コンビで「冬の星座」。その後、大ちゃん「夜明け」、篠原さん「ぼくがぼくであるために」を歌う。



ふあさんが大ちゃんのリードギターを入れて「たまごまごまごの唄」。ふあさんはこのようなことば遊びの歌を好んで歌う。彼のほんわかした人柄と相まって実にいい雰囲気だ。その後、大月高志さんがピアノを弾き、篠原さんが「道化師のソネット」。WISHの二人は定番「月と海」。



最後に、齊藤さんが「チンチロリン」と、大ちゃんのリードギターが加わって「Time Is on My Side」を歌い、本日の飛び入りライブ終了。ここで最後まで残っていた人たちに、わが家の畑でとれたスイカを食べてもらう。
「甘い、甘い」と好評。朝晩の水遣りが報われたというもの。スイカを食べながら、大月さんが先週歌った「関白宣言」が聞きたいという声があり、篠原さんもギターで加わり、二人で「関白宣言」。



先週と比べて盛り沢山の、そして大いに盛り上がった飛び入りライブだった。


July 30, Friday 2004

開店後間もなくして先日大工哲弘さんの写真をもってきてくれた藤江さんが入ってくる。これから横浜の実家へ戻るとのこと。何度かオーリアッドへきてくれたことがあるが、親しく話したのは初めて。スプリングスティーンと一緒に撮った写真を見て、「これは国際フォーラムの最終日ですか。ぼくもその日いましたよ」という。ブルースがアンコールで「ガルヴェストン・ベイ」をぼくに捧げてくれたことも知っていた。4列目の席にすわっていたというので、「よく取れましたね」というと、ウン万円払ったという。昨年は、ニューヨーク、シェア・スタジアムまで「ライジング・ツアー」の最終公演を聞きにいってきたという。こんな身近に、ボスの熱狂的なファンがいるとは知らなかった。

見慣れぬ年配のお客さんに、「毎日暑いですね」というと、「いやいやこっちはいいですよ」という。聞くと、熊谷市から仕事にきているとのこと。そういえば最近、「本日の最高気温を記録した町」として熊谷市の名前を何度か聞いた気がする。彼は民謡と尺八をやっているという。明日は飛び入りライブで誰でも演奏できますから、お出かけ下さいと勧めておいた。

長島功さんが、遅くになってきた。「齊藤さんが去年きたとき、来年お会いするときまでにはオリジナルを書いておきますと約束したのに、できてないんですよね。困った、困った」という。完璧を目指すといつまでたってもできないから、とにかく、短くていいから1曲作ってしまったら、とアドバイス。しかし、歌が書けないときはどうもがいても書けないことはぼくも十分知っているつもり。オリジナルでもカバーでも、自分が歌いたい歌であれば、いいのでは。

最後に長島さんと一緒に阿知波さんのCDを聞く。これは自家製のCD-Rだが、このままCDとして売り出してもいいくらいのクオリティ。長島さんは、「阿知波さんが4月にオーリアッドにきたとき、本番では歌わなかった<空は飛ぶ鳥を選ばない>をぼくだけのために歌ってくれましたが、本当によかったです」という。この歌と「時間という名の列車に乗って」「踊ってよギリヤ−クさん」が彼のお気に入り。

「時々、阿知波さんの歌と齊藤さんの歌を、無性に聞きたくなるときがあるんですよね。明日は、公民館の子供映画会があるので少し遅れますが絶対にきます」といって帰っていった。

明日の飛び入りライブのメイン・フィーチャーは船橋の齊藤皓太さん。「何もない青空」「青い山」などいくつもの心に響く歌を持っています。ご都合がつきましたらお出かけ下さい。


July 29, Thursday 2004

少し遅れて店に入る。大月高志さんがカウンターでジャックダニエルズを飲んでいた。夏休みが始まったとのことで、今日は家でレコーディングをしたとのこと。「香月!」のCDが出来上がってくるのが楽しみだ。

その後、先週土曜日「山小屋の灯」を歌ったという赤羽孝昌さんが奥さんと一緒に来てくれた。赤羽さんは泡盛のシークワサー割りが美味しいとお代り。確かに爽やかな味。いくらでも飲めてしまう。アルコールというよりもジュースを飲んでいる感じ。沖縄の夏の海辺で飲むのにふさわしいカクテルだ。

赤羽さんの奥さんは大工さんのコンサートにもきていたとのことで、伊那から英語のことで質問にきていた工藤さんも含め、ひとしきり「大工哲弘コンサート at オーリアッド」の思い出話。大工さんが「伊那節」を歌ったとき、歌詞を書いた紙を譜面台代わりにもっていたのが工藤さんだったとは知らなかった。

赤羽さんの奥さんは子供の頃、オーリアッドの近くに住んでいたとのこと。母がやっていた店によくお菓子を買いにきてくれたようで、母のこともよく覚えていた。最後はお二人だけになったので「千の風」と「父よ」を聞いてもらう。

赤羽さんはほたる書房の田中さんの友人とのことだが、二人の風貌は全体的によく似ている。中でも笑い声はどっちがどっちだかわからないほど。赤羽さんはエリック・クラプトンの大ファンで、すべてのアルバムを持っているが、最新のロバート・ジョンソンをカバーした Me and Mr. Johnson はまだもっていないという。貸せてあげようと思い、探したが見つからない。探し物がまたひとつ増えてしまった。



July 28, Wednesday 2004

土曜日以来のオーリアッド。店は暇で、石崎信郎さんから送っていただいたオーリアッドでの大工さんのライブのCD-R(3枚)を聞きながら、今朝ソニーから届いたロバート・ジョンソンの復刻版『キング・オブ・デルタ・ブルーズ』のライナーを翻訳する。これは、一週間ほど前にそのライナーを訳した『キング・オブ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』のvol. 2 と考えたらいいアルバム。今回のライナーは前回の3分の1ほどの長さ。閉店までになんとかラフの訳を終えた。

大工さんの「Live at オーリアッド」はそのままCDにして売り出してもいいほどの音。大工さんの語りも、聴衆の拍手や笑い声も入っている。大工さんがすぐそこで歌っているかのようだ。いくつもの印象に残る歌があったが、「ゴンドラの唄」が今晩は特に印象に残った。

そういえば今日の午後、大工さんから暑中見舞いのハガキが届いた。文面から大工さんの暖かさが伝わってきた。



July 24, Saturday 2004

昨夜は、高校時代の同級会が諏訪であり、9時過ぎにオーリアッドに入る。同級会は母校諏訪清陵の決勝進出の話題でにぎわう。ぼくがオーリアッドに戻る前に、堀内千晴さんが、ドイツ語で「花はどこへ行った」、ロシア語で「ともしび」、韓国語で「果樹園の道」、フランス語で「枯葉」を、さらに日本語で「冬の星座」と「学生時代」を歌ったとのこと。特に「冬の星座」は奥さんのルナさんと二人で。

また、お会いできなくて残念だったが、ほたる書房田中さんの友人という赤羽孝昌さんが奥さんと来て、「山小屋の灯」を歌ってくれたとのこと。赤羽さんは山男でよく山に登るようだ。山上の、あるいは山中のテントの中で歌っているらしい。いい声だったとのこと。また歌いにきてほしいもの。奥さんは大工さんのコンサートにもお見えになっていたとか。

ぼくが入ってから、赤羽真理さんに歌ってもらった。「鹿のように」「陽のあたるところへ」「人生の海の嵐」「森の小道」。最初に歌った「鹿のように」は初めて聞いた気がする。賛美歌、あるいは、それに準ずる内容の歌で、赤羽さんにとてもあっていた。

Google で検索してみたら、英語の歌詞が出てきた。直訳すると次のようになる。

  鹿が水を求めるように
  私の魂はあなたを追い求める
  あなただけが私の心の願い
  あなたをほめたたえたい
    As the deer panteth for the water
     So my soul longeth after thee
     You alone are my heart's desire
     And I long to worship you


もちろんこれは神に対しての思いであるが、恋人に対する思いとしても通用するだろう。

赤羽さんのあと、ぼくが「どっちでもよいのです」「スーとジョンのバラード」「門」を歌う。「どっちでもよいのです」は無神論とはいわないまでも不可知論的な歌。

  神が人間をつくったのか
  人間が神をつくったのか
  ああ、私にはどっちでもよいのです

でも決して赤羽さんや堀内さんの信仰を否定するものではない。いや、むしろ彼らの真摯な生き方に共感するところが多い。

その後、大月高志さんにお願いする。いつもはピアノだが、今晩はギター弾き語り。それも、中学時代に歌って拍手喝采され、それがきっかけでポピュラー音楽の道に入ったという2曲。1曲目は、「長島さんがいたら歌えませんが」といいながら、「関白宣言」。2曲目は、「よくここで歌っているスキンへッドのあの方がいたら歌えませんが」といいながら「素顔」を歌う。ここでも拍手喝采。1曲目は知っていたが、2曲目は知らなかった。(スキンヘッドの)藤森さんが好んで歌う長渕剛の歌らしい。

噂をすれば影で、大月さんが歌い終わったら、長島功さんが入ってきた。「晩鐘」「無縁坂」を歌う。最初の歌は初めて聞いた。

今晩は WISH がきて歌ってくれることになっていたが、都合でこれなくなったと9時過ぎ芦部さんから電話が入った。

なお、デジタルカメラが不調で修理に出してある。ここに載っている写真はすべて「オーリアッドのママさん」のケイタイで撮ったもの。まだ慣れていないので不鮮明なものが多いが、雰囲気は伝わるだろう。

トシ・コンサートの予約が10名を超えた。まだ2ヶ月ほど先ということを考えれば幸先のいいスタートである。


July 23, Friday 2004

開店してしばらくして、大工さんのコンサートにきてくれた松本の藤江泰一さんが入ってきた。「コンサートよかったですね」というと、彼は「ええ、毎日『蓬莱行』聞いています」という。そして「そのとき撮った写真をもってきました」という。手にもっていた大きな封筒を開けて見せてくれた。立派な額に入った大きな写真だ。早速壁に飾らせてもらうことにした。オーリアッドの東側の壁面は、今、左から、ボノ、ディラン、大工哲弘、ビートルズ、スプリングスティーン、そしてまたディランということになった。

以前にも書いたが大工さんの最大の魅力はその声である。豊田(勇造)君が4月にオーリアッドに立ち寄ってくれたとき、「大工さんは日本を代表する歌い手の一人」といっていたが、本当にそう思う。それは技術とか技巧を超えた何か。ぼくはそこに歌を感じる。商品として売ろうとしている歌ではなく、大地から湧き出てきた歌。だから彼の歌を聞くと元気が出るのだ。

明日は飛び入りライブ。WISH(芦部清志&松沢美由紀)が歌いにきてくれることになっている。そしておそらく、何人かの「飛び入り」のシンガーたちも。オーリアッドの飛び入りライブに参加するシンガーたちの歌を聞いていても、ときどきそこに「歌」を感じる。プロの歌い手にはないリアルなものを。



July 22, Thursday 2004

午後、泡盛とシークワサーを買いに行く。「泡盛のシークワサー割り」が好評だ。夏向きの爽やかな味。同時に、北西に位置する厨房の窓を覆うための簾も買う。昨年は感じなかったが、今年は、西日が強く、夕方、厨房に入るとものすごく温度が上がっている。西日と冷蔵庫が放出する熱のせいだと思われる。

前半、セカンドウインド英語教室。英語特有の口を前後にすばやく動かす訓練をするために日本語の早口言葉が有効であることがわかった。she をスィーと発音する者が多く、
スィーではなくシーだといってもなかなか直らない。そこで She sells seashells at the seashore. をいわせ、スィーとシーの口の形の違いを理解させようとしたが、うまくいかない。

そこで、日本語の早口ことば、「武具馬具、武具馬具、三(み)武具馬具、合わせて武具馬具、六(む)武具馬具」と「蛙ピョコピョコ三ピョコ、合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ」がスムーズにいえるまで繰り返させる。そのあと、 She sells seashells at the seashore. をいわせると、これが不思議、見事に口が前後に動き、英語らしい音になっている。

おそらく、早口ことばの定番「生麦、生米、生卵」や「隣の客はよく柿食う客だ」でも同じ効果があるだろう。要するに口を左右ではなく前後に動かす筋肉と反射神経を発達させることが大事である。

後半、店に下りていくと久しぶりに長島君がきていた。彼は大型バスの整備士。疲労がピークに達しているとのこと。無理もない、この暑さである。彼は船橋の齊藤皓太さんの歌が好きで、7月31日(土)の飛び入りライブには何があってもきたいといっていた。



July 21, Wednesday 2004

開店後すぐにボブ鈴木夫妻が入ってくる。ソニーから最近出たBest of the Blues をかけた直後だった。それを聞いてボブ、「これはロバート・ジョンソンでしょう」。さすがボブ。ロバート・ジョンソンの Cross Road Blues が流れていた。このアルバムには、Blues : A Musical Journey の5枚組みのアルバムからピックアップされた21曲が収められている。そのいくつかは、

Cross Road Blues (Robert Johnson), Hoochie Coochie Man (Muddy Waters), Thrill Is Gone ( B. B. King), All Your Love (Eric Clapton), One Good Man (Janis Joplin), Red House ( Jimi Hendrix), I Pity the Fool (Shemekea Copeland)

しばらくボブとブルーズについて話す。今まで一度もブルーズの熱狂的なファンだったことはなかったが、昨年から多くのブルーズの歌詞やCDのライナーを翻訳してきたので、ブルーズに詳しいボブとも、ブルーズやブルーズシンガーについて、曲がりなりにも、会話ができるようになっていた。驚いた。

ボブが帰ったあと、本当に久しぶりにスプリングスティーンの Ghost of Tom Joad を聞く。前から気に入っていたが、今回聞きなおしていいなと思ったのは、Across the Border。そういえば、ボブはスプリングスティーンのファンでもあった。



July 19, Monday 2004

昨夜はオーリアッドで、ナタリー・コーニッシュを迎えての小さなパーティがあった。ナタリーは11年前、ロータリークラブの交換留学生として1年間辰野町の4家族に3ヶ月づつ泊まり、諏訪清陵高校に通った。その後故郷タスマニアに帰り、大学で外国人に英語を教える資格を取った。その後、ギリシャ、イスラエル、さらに南米各地を旅した後、3年前、香川県の三本松高校のALTとして教え始めた。その年の冬休みにも辰野を訪ねてくれたが、今度3年間の契約がおわり帰国するとのことで、三連休を利用して、律儀にも、別れの挨拶にきてくれたのである。明日、三本松高校の終業式があるとのこと。

聞くところによると、本来契約は2年だったのだが、香川で知り合った友人が白血病で入院し、その友人のお父さんもほぼ同時に入院することになり、看病と友人の家族の援助のために1年契約を延長したとのこと。その友人は、残念なことに、昨年末亡くなったらしい。

彼女は、8月の初めに日本を経ち、中国へ渡り、そこからベトナム、カンボジアを経由して、クリスマスにはタスマニアに戻り、しばらく家族と過ごした後、インドへ行って1年ほど滞在する予定とか。彼女は菜食主義で、とても華奢な身体つきをしているが、もの凄い行動力だ。香川では少林寺拳法を習い、バイクの免許を取り、250ccのバイクに乗っているとか。インドへ行くのも、少林寺拳法の道場がある町があるかららしい。

彼女の旅が安全で豊かなものであらんことを! We all wish her Godspeed!


July 17, Saturday 2004

こじんまりとした飛び入りライブだった。それもまたよし。8時過ぎ、まずぼくが「一通の手紙」「紙ヒコーキ」「千の風」を歌う。続いて堀内千晴さんがロシア語で「ともしび」、韓国語で「故郷の春」「果樹園への道」を歌う。彼は今、市の職員として諏訪湖スタジアムを担当している。高校野球の予選が始まり、負けたチームの選手たちが控え室で涙を流している姿を目撃するとどう声をかけていいか戸惑うことがあるという。

6年前に0対122で負けた青森県の深浦高校が、今年、初出場から18年、部員が足りずサッカー部から応援を頼み、初勝利をものにしたというニュースもあった。負けることは勝つことよりも貴重な体験であることもある。

  For the loser now
  Will be later to win
  For the times they are a-changin'
  今負けている者は
  後では勝つだろう
  時代は変わっているのだから

次に芦部清志さんが、環境保護を訴える「ムルロアの海」を歌う。この歌を歌う前に彼は、映画 The Day after Tomorrow の話をした。新潟の集中豪雨のニュースに接し、その映画を思い出したというのだ。地球に氷河期が訪れる話だが、それは地球温暖化による異常気象が引き金になっているとのこと。ぼくも先日京都でこの映画を見たが、最初の15分を見てないので、矛盾するように思える温暖化と氷河期との関連が説明された部分を見逃したのかもしれない。

「ムルロアの海」のあと、松沢美由紀さんが加わり、WISHとして「蝉しぐれ」「ストリート・チルドレン」「月と海」を歌う。そして最後にアンコールに応えて「すこやかに」。

 

次に大月高志さん登場。「エンドレスレイン」と「Merry Christmas, Mr. Lawrence」を弾く。大槻さんは、X Japan の最盛期、3、4回、武道館や東京ドームへ彼らのコンサートを聞きに行ったことがあるとのこと。

最後に松沢さんに伴奏をお願いして、みんなで歌う。「夏の思い出」「おぼろ月夜」「ともしび」「学生時代」など。




なお、8月21日(土)の飛び入りライブで、香月!とWISHの競演が決まった。最近の表現では、競演ではなく、対バンというのだろうか。


July 16, Friday 2004

この週末はいくつか予定が入っているので、King of the Delta Blues Singers のライナーの復刻盤の翻訳を急いでいる。というわけで、今晩前半は家で翻訳をし、後半オーリアッドに入った。

母の主治医だった Dr. Tsuchiya が事務局のUさんときてくれた。Uさんは、今年1月、若くして惜しくも亡くなった根橋
さんから、20年も前にぼくのレコードのテープをもらったことがあるとのこと。そのとき根橋さんが「ぼくはこの中の<紙ヒコーキ>が好きなんだよ」といったと教えてくれた。Dr. T と Uさんに泡盛のシークワサー割りを勧め、ぼくは根橋さんを偲んで「紙ヒコーキ」を歌った。

ライナーの翻訳はかなり進んだ。1961年に最初にリリースされたときのライナーが面白い。ロバート・ジョンソンの人となりがよく伝わってくる。



July 15, Thurdsay 2004

ジブラーンの会の方々がきてくれた。月に一度オーリアッドに集まって、昔一緒に訳した『預言者』の中の1章か2章を読み、話し合っている。この本を訳す勉強会が始まったのは1984年か85年で、1987年に訳本が出た。もう20年も前のことになる。今晩は「喜びと悲しみについて」の章を読んだようだ。ぼくはコーヒーをいれたり、タコスをつくったりしていないときは、復刻版 King of the Delta Blues Singers のライナーの翻訳。

 あなたの喜びは、悲しみの仮面がはがされたもの
 あなたの笑いが立ち上がる井戸は、しばしば涙で満たされる
 どうしてそれ以外でありえよう
 悲しみがあなたを深く削れば削るほど、多くの喜びを容れられる
 ワインを容れる杯は陶工の窯で焼かれたもの
 鎮魂の楽を奏でるリュートは、ナイフでくり抜かれた木
 喜んでいるとき、心の中を深く見つめなさい
 喜びを与えているものは、悲しみを与えたものだとわかるだろう
 悲しんでいるとき、心の中をもう一度見つめなさい
 喜びであったものに対し、泣いていることがわかるだろう

大工さんに同行してきたメタカンパニーの高沢章雄さんからコンサートの写真が収められたCD-RとDVDが送られてきた。98枚の写真をすべて見たが、さすがプロの仕事。そのいくつかをここに。


photos by akio takazawa

大工さんの表情、写真から飛び出してきそうな踊っている人、それに背後の六地蔵のプラスティックのカバーに映る大工さんの背中など、小さくて見づらいかもしれません。時間があるときに、大きな画像のarchive を作りたいと思います。


July 14, Wednesday 2004

土曜日の大工さんのライブ以来のオーリアッド。6時少し前に店に入る。あの超満員の盛況がウソのようにひっそりしている。

玄米をとぎ炊飯器にかけ、スイッチを入れる。ライブのときに使った補助椅子をしまい、テーブルを元の位置にもどす。そして大工さんの声が聞きたくて、『蓬莱行』の disc 2 をプレーヤーに入れる。誰もいないオーリアッドの空間に「懐かしい」大工さんの声が響き渡る。

先週金曜日、ソニーからロバート・ジョンソンの King of the Delta Blues Singers という復刻盤のライナーの翻訳を依頼される。1961年にリリースされたLPレコードの復刻盤である。その仕事に取り掛かろうとしていると、ドアが開く音がする。可愛らしい女の子が入ってくる。みわちゃんというその女の子は、6月中旬のYAMA-SHOWSのライブのとき初めてオーリアッドにきたのだが、オーリアッドの雰囲気が気に入ったので、彼女が描いたイラストの入った絵葉書と、そのイラストをマグネットにしたものを置いてもらえないかとのこと。オーリアッドの雰囲気を気に入ってくれる若い人たちが増えてくれることは嬉しいこと。西宮の主婦たちの手作り作品の横に置くことにした。

このカードを購入すると右のような Thank you note もついてくる。


July 13, Tuesday 2004

大工さんのコンサートの余韻がいまだに残っている。多くの方々からよかったという感想が寄せられている。田中誠一君は彼のホームページの日記に次のように記している。

  沖縄の風が、波の音が、太陽の眩しさが長野の辰野に
  ある小さなライブハウスで静かに流れた。ぼくは泡盛
  を飲みながら風を波を太陽を目を閉じ聞いた。ライブ
  が終わり打ち上げも楽しかった。大工さんと話してい
  るうちに、何人もの共通の友人の名が出てくる。・・
  大工さんたちと朝まで飲み明かした。沖縄へ行けば間
  違いなく朝まで飲み明かすことになる。まさにその沖
  縄で飲むのと同じ飲み方で大工さんたちと長野の辰野
  で飲み明かした。

田中君から写真が送られてきた。コンサートの翌朝、わが家の庭で、武道家の岡部武央さんに無理にお願いして型を見せてもらったときの写真である。彼は何かの格闘技の世界チャンピオンだったことがあるらしいが、普段は決してそんな風には見えない。とても柔和な男である。ところが、型の姿勢をとった途端に一変した。すごい迫力だ。

        

いいコンサートだった。そして、いくつもの出会いがあった。生きているのはいいものだという思いにさせられた数日。


July 10, Saturday 2004  「大工哲弘コンサート」

素晴らしいコンサートだった。八重山(やえやま)の島唄を中心に、『蓬莱行』の中の「国民の煙草、新生」「標準語励行の唄」などの歌謡を三線のリズムに乗せて歌った。途中「木曽節」まで飛び出し聴衆を喜ばせた。「きそのなーあ、なかのりさーんー」と子供のころから聞きなれた歌が始まったとき、大工さんの民謡歌手としての真の力がわかった。今までに聞いたことのない伸びと艶のある「木曽節」。木曽の鬱蒼とした森に沖縄の海と空の明るさがミックスされたかのよう。

 

昨年6月オーリアッド再開以来最多の聴衆で、東京からも10人が聞きにやってきた。そのうち3人は彼のお弟子さん。そのうちの一人が、最近聞いた大工さんのコンサートの中で最高だったというほどだから、いかに素晴らしかったか想像できるというもの。後半、軽快な三線のリズムが始まると、踊り始める人たちもいた。踊らないまでも、身体をゆすり、手を打ち、お囃子をいれ、会場が一体となった。特に「安里屋ゆんた」の「マタ、ハーリヌ、ツンダラカヌシャマヨー」というお囃子は今でも耳に残っている。



歌と演奏のみならず、大工さんの語りも印象深かった。写真で見たとき、大工さんは少々気難しい人かなと思ったが、あにはからんや、ユーモアのセンスのある面白い人だった。彼のトークに会場は何度も爆笑の渦。

早く終わって「夜明けまで(夜明け前)」を飲みたいと大工さんはいったが、拍手が鳴り止まず、2度もステージに呼び戻された。最後はお父さんや生家にも話が及び、しみじみとした雰囲気になる瞬間もあった。とにかく素晴らしいコンサートだった。さらに拍手は続いたが、3度目のアンコールはなかった。

「夜明け前」は辰野の小野酒造のお酒。午後遅く到着したとき、「泡盛も用意しておきました」というと「泡盛もいいけれど、地酒も飲みたい」というので、純米大吟醸「夜明け前」を取り寄せて、出演前に味わってもらった。一口飲んで「ジュースのように飲みやすいね。夜明けまではもたないかも」という。それ以後彼は「夜明け前」を「夜明けまで」と呼ぶ。



打ち上げにもたくさんの方々が残って下さった。大工さん専用の「夜明けまで」はすぐになくなり、あとは、沖縄から戻ったばかりの田中誠一君がもってきてくれた30度の本場の泡盛。泡盛をいただきながら、大工さんを囲み大いに盛り上がる。田中君と大工さんは共通の友人知人も多いらしく話に花が咲く。



家に着いたのは12時をはるかに過ぎていたが、残った泡盛をもう少し飲もうということになり、庭に出て飲み、また語る。われわれは2時には休ませてもらったが、後で聞くと、4時ごろまで飲んでいたとのこと。大工さんは前日も5時まで飲んでいたというから、本当にタフだ。聞くところによると、夜明けまで飲むのが沖縄の酒の飲み方だとか。




泡盛のシークワサー割りというのを初めて飲んだ。実に美味しい。オーリアッドのお酒のメニューに早速加えようと思う。一度お試しを。


July 9, Friday 2004 

この数日の「大工哲弘コンサート」への反響は凄まじく、ついに予定の数に達し、予約をお断りしなければならなくなった。最後に予約をされた方は伊那市の沖縄出身という方。また、チケットを代わりの人に取りにきてもらった宮田村の方は、以前に大工さんと何度かお会いしたことがあり、是非またお会いしたいとのことであった。

今晩はずっと大工さんのCDをかけた。「蓬莱行」「ウチナージンタ」など。ぼくが彼の歌に感じる一番の魅力は、その声。純粋な沖縄民謡を聞くと意味はわからない。しかし、彼の声のシャワーを浴びると身も心もほぐれていくのを感じる。

Dr. Yajima、それに母がお世話になった介護福祉士の古村さんとご主人、それに赤羽真理さんが別々にやってくる。リクエストに応えて、ぼくが「千の風」を、赤羽さんが「アメイジング・グレイス」を歌う。

いよいよ待ちに待った「大工哲弘コンサート」。どんなコンサートになるか、どんな出会いがあるか楽しみだ。



July 8, Thursday 2004 

寄藤先生ご夫妻が寄って下さった。先生が水彩画を描いているということは知っていたが、今晩、作品の絵葉書を何枚かいただき感銘を受けた。いずれも南アルプスの仙丈ケ岳の風景である。信大農学部のほうから見る夕焼けに染まる仙丈ケ岳はぼくの好きな風景のひとつである。


all paintigs by T. Yorifuji

「大工哲弘コンサート」は盛況が予想される。ここにきて予約が相次ぎ、チケットは残り少なくなってきた。東京の田中誠一君からは「月曜から沖縄取材です。沖縄から帰ってきて、沖縄ではなく長野で大工さんのライブが聴けるなんて不思議な感覚です。当日は泡盛とシークワサーの差し入れを持って行きます」とのメールが入っている。



July 7, Wednesday 2004 

久々のオーリアッド。夕方になっても30度近い猛暑。クーラーを入れてもなかなか冷えない。まだ梅雨明けも宣言されていない。どうなってしまったことか。台風が多かったり、局地的な豪雨や竜巻が起こったり、異常気象である。

異常気象といえば、七夕コンサートで京都に行った際、地球に再び氷河期が訪れるThe Day after Tomorrow という映画をみた。4日の午後、東福寺の老師とお会いするまで時間があったので、暑さを避けるために映画館に退避したのである。同時に上映されていた Spiderman 2 のほうは長蛇の列だったが、「明後日」のほうはがらがらに空いていた。マンハッタンが氷に覆われる映画を、空席の目立つ涼しい映画館で見ていると、しばし猛暑を忘れることができた。しかし、外に出ると、映画の荒唐無稽さをあざ笑うかのような猛暑。南極と北極の氷が溶けてマンハッタンが水没する映画のほうが信憑性があっただろう。

映画館の入り口に入場料一般1800円と書かれていた。「一般を一枚下さい」というと、係りの女性が「一般ですか」と聞く。「学生には見えないだろう」と思いながら、「一般です」と答えた。そう答えながら、彼女の視線の先に目をやると、「60歳以上1000円」と書かれていた。嗚呼。

以前に堀内千晴さんからいただいた「思い出のうた―明治より昭和50年代まで」という歌集を見ていると、ぼくが好きでよく歌った歌は、当然のことながら、昭和20年代と30年代に書かれた歌であることがわかる。三浦洸一の「踊子」、仲宗根美樹の「川は流れる」などを歌ってみる。昔よく歌った歌であるにもかかわらず、ほとんどことばを覚えていなかった。新鮮だった。

   天城峠で会うた日は
   絵のようにあでやかな
   袖が雨にぬれていた
   赤い袖に白い雨

七夕コンサートで会った人々。http://www.secondwind.jp/peopletanabata1.htm


July 3, Saturday 2004 「飛び入りライブ」

店主不在にもかかわらず、多くの方々が歌いにきて下さったとのこと。ありがたいことである。伝え聞くところによると、英語の歌や長いドイツ語の歌なども飛び出し、見たこともない打楽器が叩かれたりと、いつもとは違う「のびのびとした」雰囲気のライブだったようだ。

歌った人は、ふわさん、芦部清志さん、WISH(芦部清志さんと松沢美由紀さんのユニット)、堀内千晴さん、ボブ鈴木さん、長島功さん、赤羽真理さん、中村進さん。

松沢美由紀さんからケイタイのカメラで撮った写真が送られてきた。とりあえず、それらをアップします。ありがとうございました。

     

    

   
All photos by Miyuki Matsuzawa except for the one with WISH.

長島さんと中村さんの写真は含まれていなかったが、長島さんも写真を撮ってくれたとのことなので、入手次第アップします。

また松沢さんはいつも表に出ず働いている「ママさん」の写真もアップしてほしいと写真を送って下さった。年は若いのになかなかの気配り。最後の写真の右のほうに伸びてきている手は誰の手?(7月5日記す)


July 2, Friday 2004

蒸し暑い一日。オーリアッドへ着いてまずしたことは、駐車場や入り口前の熱く焼けたアスファルトにホースで水をまいたこと。それに花壇にも。開店の6時はもちろん7時になってもまだ明るい。

愛用してきたTakamine のネックにひびがいっていると、今晩長島君から指摘された。先日のほたる祭りライブのときのギターの音がこもっていたと水野先生からもメールでいわれていた。長島君からは低音と高音は強く出るが、真ん中の音が出ていないとライブの後でいわれた。確かによくみるとネックの裏の部分に筋のようなものが見える。困った。

明日の七夕コンサートには昔使っていたGuild をもっていくことにし、急遽弦を張り替える。ギターのネックにひびが入るなんて考えたこともなかった。何度かうっかり倒してしまったことがあるが、それがいけなかったか。

オーリアッドは明日3日は飛び入りライブデー。


July 1, Thursday 2004

前半セカンドウインド英語教室。クラスが終わり店に下りていくと、ボブ鈴木から、明後日(3日)の飛び入りライブに来るという電話があったとのこと。彼の友人で先週の土曜日もきてくれた中村進さんも、山梨県高根町から来てくれるようである。3日4日はぼくは七夕コンサートで不在だが、多くの方々に歌いに、そして聞きにきてもらいたいもの。

土曜日だけ出していたピザをレギュラーメニューに加えようと、昨日今日と、ピザの作り方の特訓を受けた。丸めた生地を均等に丸く延ばすのが難しいが、手順を見ながら、なんとか作れるようになった。なかなか美味しい。

夏は炭酸飲料も飲みたいという声もあり、サイダーも加えた。

七夕コンサートのための練習を少しする。まだ具体的に何を歌うか決めてないが、「千の風」を中心とした選曲になるだろう。「こおろぎが歌うように」のような古い歌もいくつか歌おうと思う。

   静かにただ一人、あの人のことを思っている
   貧しい東北の地ですべてを打ち捨てて
   命のある限り、人々のために働いた
   悲しい目をした青年のことを思っている