Sunday March 8, 2020

長い間、放っておいたOread Diary を再開したのは東京在住のMiyazawa さんという方からメールで再開を促されたからである。昨日彼女から「Oread Diary 楽しんでおります!」というメールが入った。それはありがたい言葉ではあるが、少々すまなくも感じている。Homepage builder の調子が悪く、スムーズにタイプが打てない。ときどきインクが出なくなるペンで書いているような感じで、思考が連続しない。それでもネットサーフィングをしているよりも脳に少しは刺激を与えたり、内省的になったりしているようだ。

彼女もPPMのひとり、メアリ―・トラバースに会ったことがあるようだ。

「私にも Peter, Paul and Mary の思い出があります。私の場合、お会いしたのは Mary さんだけです。黒澤プロダクションで働き始めた1967年、黒澤夫人とお嬢さんの和子さん Mary さんと夕食をするので、一緒に行ってくれないかと突然言われ、あの Peter, Paul and Mary Mary さん!とびっくりしたものです。今となっては、どこで(市ヶ谷あたり?)何を食べたか、どんな話をしたかは思い出せませんが、Mary さんが、離婚しお嬢さんと暮らしている、とお嬢さんの写真を見せてくれたことだけ覚えています。Peter さんが三浦さんに、日本ではビートルズと同じぐらい人気があったと言っていたのが1966年とのことですが、私が Mary さんと会ったのは翌年です」

Saturday March 7, 2020

3月最初のオープンマイク。本日の出演者は、初回登場順に、藤原和義、坂井俊水、長島功、畑春彦、赤羽真理、三浦久。それぞれに味のあるいい演奏だった。藤原さんは1曲目、低い小さな声でぼそぼそ歌っている。みんなが笑っている。耳の遠いぼくにはなにを歌っているか皆目わからない。あとで聞いてみたら、

  〇〇〇はダメダ、〇〇〇はダメダ、〇〇〇はダメダ
  強行採決ばかり
  〇〇〇〇はダメダ、〇〇〇〇はダメダ、〇〇〇〇はダメダ
  ウソついてばかり

という内容のヴァースをいくつか歌ったとのこと。1行目の○○〇には政党名、3行目の〇〇〇〇には、その党の総裁の名前が入る。ヴィクトル・ハラやイザベル・アジェンデについての歌を書いた反骨精神はいまだ健在である。

藤原さんが帰り際に「マコちゃんと長島君が上手くなったねえ」と感嘆していた。マコちゃんとは、アカハネ・マコトさんの愛称である。聞くことろによると、二人とも、学生時代から藤原さんを知り、彼の歌に大いに影響を受けてきたらしい。藤原さんは以前しばらくオーリアッドの常連で、二人の歌を聞いたことがあるが、一念発起し、松本に「懐柔」という餃子の店を開いて以来、オーリアッドから遠ざかっていた。10年経ったのを機にお店をやめ、再び歌いだした。13年ぶりにオーリアッドにくるようになって、彼らの歌を聞き、その豊かな表現力に驚かされたようだ。ぼくは彼らの変化に徐々に接してきたので、驚きはそれほど大きくはなかったが、13年ぶりに聞いた藤原さんには、かなりの衝撃だったようだ。



ライブハウス受難の時代である。小さな田舎町の小さなライブハウス Oreadは、休まず営業を続けます。


Sunday March 1, 2020

家人が手作りのお雛様を Chiakiの誕生日に間に合うように送ったところ、3歳になった今日、お雛様と一緒に撮った写真が送られてきた。大きくなって、ますます可愛くなった。






Saturday February 29, 2020

札幌の深見順也君とスペース「たま」のマツザワ・ヨージさんを迎えてのオープンマイク。先週に引き続き藤森和弘さんがきてくれて「今日は土曜日」「小さな幸せ」を歌ってくれた。特に後者は長年のブランクを感じさせない見事な歌いっぷりだった。芦部さんの「林檎」にも感銘を受けた。






Wednesday February 25, 2020

今度の土曜日、深見君とスペースたまの松沢さんがやってくる。前から一度松沢さんに会いたいと思ってきた。楽しみである。

夜遅く、BS-TBSで、「風に吹かれて」のドキュメンタリーを見た。特に新しい発見はなかったが、オデッタとピーター・ヤーロウの比較的最近の映像が見られてよかった。1966年秋、UCSBのロバートソン・ジムPeter, Paul and Mary のコンサートを見た。終了後、ステージ脇に行って、彼らに会った。正確には、ピーターとポールに会った。メアリーは出てこなかった。ぼくが日本からの留学生だと知るとピーターが言った。「ぼくたちは日本ではビートルズと同じくらい人気があった」。すくなくとも、当時はぼくにとっては彼らはビートルズ以上だった。


Monday February 24, 2020

午後、BSのチャンネルを回していたら「シンドラーのリスト」をやっていた。途中からだったが最後まで見た。というより最後まで見ないではいられなかった。以前に一度映画館で見たことがある。いつだったかはっきりした記憶がない。京都にいたころか、信州に戻ってきてからか。終わった後、Wikipedia で調べてみた。この映画がアメリカで制作され上映されたのは1993年で、日本で公開されたのは1994年2月だと書かれていた。そうするとこの映画を見たのは信州へ戻ってきてからということになる。いつ見たかも定かではないし、どこでみたかも覚えていない。映画の展開もほとんど忘れていた。覚えていたのは、アウシュビッツでのいくつかの残酷なシーンと、主人公を演じた俳優の名前が、ライアム・ニーソンだったということとその風貌。。そして彼が多くのユダヤ人を助けたということ。そういえば、ライアム・ニーソンとイグナッチ・ヤン・パデレフスキーの風貌が似ているような。

監督のSpielberg はE.Tやインディー・ジョーンズ・シリーズで知られているが、将来彼は「シンドラーのリスト」の監督として思い出されるだろう。見終わって、こんな歌を書きたいなと思った。心にずっしり響き、余韻が静かに長くつづくような。

それにしても、この映画を見て、人間はどれほど残酷になれるのだろうかと思った。

新型コロナウイルスが世界中で猛威を奮っている。これからいくつかライブがある。パブリシティをしなければいけないが、気分的にあまり積極的になれない。困った。


Sunday February 23, 2020

昨夜のオープンマイクに、ほんとうに久しぶりに藤森和弘さんが奥さんと一緒にきてくれた。一昨年、松山千春のバックでギターを弾いていたという人のコンサートに、長島さんの呼びかけできてくれたことがあったが、そのときは、頼んでも、ギターを手に取ろうとはしなかった。今日彼が歌う前に話したことによれば、ここ数年アルコール中毒の治療を受けてきたとのことだった。時には幻覚があったり、幻聴があったり、かなり重症だったようだ。今は、禁酒禁煙をし、節制に努めているようだ。彼は以前にもよく歌った「東京」と「恋」を歌った。1曲目は少し、音程がずれたり、声もあまり出ていなかったが、2曲目は、もとの藤森さんに戻っていた。是非また歌いに来てほしいものだ。



今日はNHKのど自慢大会の決勝の様子が、12時15分からNHK総合テレビでライブで放映された。伊藤外科の伊藤先生が「伊那の勘太郎」を歌った。鐘は鳴らなかったが、その意欲には感嘆した。彼のセキギョク性は賞賛に値する。


Thursday February 20, 2020

今回こそ成績は郵送ですませようと思っていたのに、結局、午後、もってい
くことに。このしめきり間際まで、ぐずぐずと仕事を引き延ばす悪癖はなおらないだろう。いずれにしろ、4月の初めまで、音楽に集中できる。いくつかこれから歌う機会がある。

ソニーからスプリングスティーンの歌の対訳の依頼が昨日あった。映画 Blinded by the Light (邦題『カセットテープ・ダイアリーズ』のサントラ盤唯一の未発表曲。締め切りは来週月曜日とのことだが、できるだけ早く送ってしまいたい。

今日は眠い。翻訳は明日とりかかろう。


Monday February 17, 2020

血圧はいつも高めで、病院から降圧剤をもらってのんでいる。高い時は上が170まであがることがある。今日は午前中、桜を見る会の領収書に関しての辻元清美さんの首相への質問を聞いて溜飲を下げた。それに対する返答を午後するというので、1時からまたテレビの前へ。その首相の返答を聞いていたら気分が悪くなった。血圧を測ったら190あった。あわててテレビのスイッチを切って、深呼吸。なんと往生際の悪いこと。

午前午後共に期末試験の採点。大後頭神経痛、それにシラバス作成で遅れていたが、今日はだいぶ進んだ。明日一日あれば、なんとか終わるだろう。できたら明日中に送ってしまいたい。午後には訪問客の予定がある。難しいかも。


Saturday february 15, 2020

今夜のオープンマイクに、「バラライカ」で有名な藤原和義さんがきてくれた。驚くと同時に嬉しかった。13年ぶりだという。老いて声が出ないといいながら、以前と変わらぬ説得力ある歌声。歌というものがどうあるべきかを教えてくれる歌ばかりを3曲、歌ってくれた。



武居先生は伊那へ用事があっていった帰りとのことで、久しぶりに聞きに来てくれた。亀万の高遠饅頭の差し入れと共に。みなさんに休憩時間にお配りした。美味しかった。小野の「こめはなや」の草餅をよく差し入れてくれたが、今年になって閉店したとのこと。先日飲食店組合の新年会で、「こめはなや」を経営していた小澤なおこさんにお会いした。武居先生から草餅を何度もいただいたと話すと、今度武居先生に連絡して一緒にオーリアッドにきてくれるとのことだった。武居先生のあとから小澤さんが入ってくるかなと思ったが、誰も入ってこなかった。



今日は、赤羽さんが急遽来れなくなったが、坂井くん、長島くん、ふあさん、味沢さんに加えて、藤原さんの渋い歌が加わり、すばらしいオープンマイクになった。特に今夜の味沢さんの歌は、poignant ということばがぴったりくる哀切に満ちたものだった。素晴らしかった。

Wednesday February 12, 2020

シラバスの作成作業終了。前期と後期の両方があり、全部で7コマ分つくらねばならず、終わったと思って見直すと、前期と後期が逆になっていたり、1年生と2年生が逆になっていたり、何度もやり直さなければならなかった。確実に認知機能が衰えている。それでもとりあえず、終了できてよかった。あとは、期末試験の採点を残すのみ。ある程度はすんでいるので、明後日には終わるだろう。例年最終日に締め切り時間ぎりぎりに駆け込んで提出したが、今年は郵送できそうだ。
野村監督が亡くなった。昨日からテレビもネットもそのニュースでいっぱいだ。



ぼくは「哲のカーテン」の川上哲治さんのファンだった。小学生の高学年だったか、中学になってからか、クラス全員で先生に連れられて今はなき辰野劇場へ「川上哲治物語」という映画を見に行った。大いに感銘を受けた。その映画に出ていた川上の妻役、新玉美千代さんの美しさにも圧倒された。川上のあと監督になった長島には、彼の派手なパフォーマンスが鼻についてあまり好きになれなかった。彼がもっとも活躍した時代にぼくが日本にいなかったということもあまり親しみを感じない理由なのかもしれない。

野村監督は選手としても監督としても偉大な功績を残した。彼のぼやきを嫌う向きもあるが、亡くなったあと彼を慕う元プロ野球選手が多いことからも、彼の偉大さがわかる。彼の再婚相手に関してはあまり好きになれないが、あのキャラクターで、彼は癒され励まされていたのかもしれない。



Tuesday February 11, 2020

シラバス作成。シラバスを書くようになってからもう15年ぐらいは経っただろうか。毎年苦労する。一日中、コンピュータと睨めっこしていて、なんとか目途がついた。それが夜になってコンピュータがおかしくなった。「インターネットに接続されていません」の表示。接続するためにはパスワードが必要とのこと。そんな馬鹿な。覚えていない。それが夜遅く、すべての接続を抜いて入れなおしたら、直ってしまった。明日、もう一度見直して送ることにする。明日の夜中の12時がdeadline。

後頭神経痛はだいぶいいが、突然痛むことがあり、まだ完治していない。困ったものだ。歌の練習もしなければ。できたら構想中の新曲にも取り組みたい。

Sunday February 9, 2020

今日は2時から松本ロフトで丸山さんとふあさんのコンサートがある日。朝起きて頭痛がなおっていたら、行こうとチケットは予約しておいたが、昨日より悪くなっている。家人に行ってもらうことに。3月29日にはぼくと阿知波さんのコンサートがある。その下見をしたいと思っていたのだが。

午後、期末試験の採点の続き。 突然襲う後頭部の痛み。なかなか集中できない。テストの採点とシラバス作成はなんとか締め切りに間に合わせなければならない。

5時半すぎ、家人が戻ってきた。コンサートは盛況だったようだ。丸山さんは親戚の若い女性ピアニストの伴奏で何曲か歌ったとのこと。印象に残った曲は「満州の丘」、それに「椅子取りゲーム」とのこと。その2曲はぼくも好きだ。そうそう、常に新しい言葉に置き換えられて version up される「70歳になったのだ」もよかったとのこと。

ふあさんが歌う発達障害の子供の歌は以前から彼女のお気に入りだったが、その歌と久しぶりに聞いた「島」が印象に残ったとのこと。ぼくもこの2曲は好きだ。残念なことに、ディラン作ふあ訳の A Hard Rain's Gonna Fall は歌わなかったらしい。長い歌なので、時間の関係で割愛したのかも。

そうそう久しぶりにCDの注文が入った。

<「ポジティブリー寺町通り」「セカンド・ウインド」「ガビオタの海」「千の風」を各1枚お送りください。小山さんのライブで「祈りの歌」を聞いたあと、アマゾンで「祈り」と「九つの物語」を購入しました。顧問をしている部活のお別れ会で毎年歌うのですが、今年は三浦さんの「祈りの歌」と「あの果てしない大空へ」を歌おうと練習しているところです> という嬉しいお便り。オーリアッドにも行ってみたいと書かれていたので、9月28日の小山卓治コンサートとその日の午後行われるファンの方々によるオープンマイクの案内をそえて、明日、お送りする旨のメールを打った。


Saturday February 8, 2020

朝起きて、階下へおりていく。頭はまだ痛い。髪の毛に触れただけでも、痛みが走る。家人が言う「お医者さんに診てもらったら?」彼女が以前かかった岡谷の脳神経外科へ電話をし予約をとる。今日は土曜なので10時までにきてほしいとのこと。

いくらかの問診のあと、すぐ近くの湖畔病院でCTスキャンを撮ってもらうようにと言われる。車でいったほうがいいかと聞くと、歩いたほうが速いとのこと。最終診断は、右大後頭神経痛。クスリは痛み止めを飲むこと。2週間から3週間で直るとのこと。そんなに長い間、この痛みに耐えねばならないと思うとぞっとするが、脳内に腫瘍があるとか、脳梗塞とか、クモ膜下出血とか、重い病気でなくてよかった。

夜はオープンマイク。今日は、茅野からひとりの若者が予約なしで歌いにきた。オーリアッドは初めてだが facebookでオーリアッドのオープンマイクの写真は見ているとのこと。予約なしだったので、最初は2曲歌ってもらおうと思ったが、今夜別のところへ歌いにいくつもりだったが、オーリアッドのことを思い出し、思い切ってオーリアッドへきたと言うので、他の人と同じように3曲歌ってもらうことにする。

1曲目はビートルズの Here There and Everywhere を英語で歌う。これを聞いて、ちょっと頭を抱えた。これを3曲聞くのは辛い。ぼくに合わせて英語の歌を歌おうとしたのかもしれないが、2曲にしておけばよかったと後悔。しかし、その後は、自作の曲を含む日本語の歌。そして後半最後の最後に歌った自作の「月が見ていた夜」をピアノの弾きながら歌った。素晴らしかった。ピアノも上手いし、歌もいい。また歌いに来てほしいものである。


Friday February 7, 2020

今日は朝から偏頭痛がする。2日続きの送別会と新年会に出て疲れたのかもしれない。熱もないし、咳も出ない。夕方2時間ほど昼寝をしたが直らない。明日になったらなおっていてほしい。過去4年の間に2度転倒して頭を打っている。専門医に診てもらったほうがいいかもしれない。昨日今日と、この冬一番の寒さになったのも関係しているかもしれない。

午後、少し採点を続けたが、頭が突然痛むので集中できない。

千昌と雅樹の写真が送られてきた。子供の成長ははやい。雅樹は2月から小学4年生。千昌は元気いっぱい、可愛いいたずら小僧のようだ。




Thursday February 6, 2020

午後2時からパークホテルで町の飲食店組合の新年会。オーリアッドは昨年から組合の「理事」になっていて、12時集合で、会場の準備などをする。パークホテルで働いている松井さんという方が話しかけてくれた。「今年も小山卓治さんは来ますか」と。「ええ、9月26日に来ることになっています。もし仕事の都合で夜の彼のコンサートにこれなかったら、午後のオープンマイクにきてください。彼も歌いますし、話しもできますよ」。松井さんとは過去にも何度かスプリングスティーンや小山さんのことで話をしたことがある。当日の夜、都合をつけて来れたらいいのだが。

飲食店組合の新年会は時間通り2時に始まり、4時少し過ぎまで続いた。最近はあまり参加していなかったが、今年は理事になってしまったので久しぶりに参加した。まず感じたのは組合員が若返っているということ。それに昔はいたるところタバコの煙が立ち込めていたが、今は皆無。町の飲食店はいま苦境にあると聞く。それでもみなさん和気あいあい、気持ちのいい新年会だった。




Tuesday February 4, 2020

午後、松本へ。2時から英語科教員の来年度のシラバスなどに関する研修会。6時から、縄手通りちかくの Baden Baden で、3月末で退職するアイリーン・W
生の送別会。自家製ソーセージやサイコロステーキなど、美味しい料理。車だったのでお酒は飲めなかったが、シャーリー・テンプルというジンジャーエールを主体にしたノンアルコール・カクテルを飲んだ。けっこうジンジャーが効いていて辛かったが美味しかった。 

昨年ぼくは規則にしたがって半期休んだが、来年度の前半を休む先生もいて、その中のひとりM先生は、新年度、前期にぼくが教えるクラスの後期を受け持つとのことで、話しかけてくださった。彼女はぼくが発音やリズムを教えるために歌を取り入れているということを人づてに聞いたらしく、どんな歌を歌うのかと訊いた。それで、学生に評判がいいのは、The Rose, The Sound of Silence, Take Me Home Coutry Road, Let It Be などだというと、The Rose は彼女も大好きだという。時にはカラオケで The Rose を歌うことがあると言う。それで、前期のぼくのクラスで歌う歌に The Rose を入れておくので、後期は学生と一緒に歌ってください、とお願いした。

また彼女はオーリアッドへぼくの歌を聞きに行きたいというので、松本でも近々歌いますと伝えておいた。3月29日(日)午後2時から、松本ロフトで歌うことになっている。共演は北海道の阿知波一道さん。詳細は近々発表される。阿知波さんに久しぶりにお会いするのが楽しみだ。その場にいた数名の先生が聞きにきてくれそうである。


Monday February 3, 2020

梓みちよさんが亡くなった。それで思い出したことがある。

1963年8月末からほぼ1年、カリフォルニア州サンタローザのモンゴメリー高校で学んだ。なぜか外国語としてフランス語をとった。そして50年以上経った今でもそのクラスの先生の名前を覚えている。Mrs. Hedgepeth. ヘジぺス先生。今、当時の日記を探したが、手元にみあたらない。あてずっぽうではあるが、確か、64年の1月か2月のことだった。高校の同級生高橋尚から1枚のシングル盤が送られてきた。それが梓みちよが歌う「こんにちは赤ちゃん」だった。「今日本で大ヒットしている」と高橋君は書いてきた。フランス語のクラスでその話をすると、ヘジぺス先生が、「そのレコードもってきてクラスのみんなに聞かせてください」と言う。それで次のクラスのとき持っていき、皆で聞いた。先生が「タイトルは何か」というので、「こんにちは赤ちゃん」、「Hello, My Baby」と言うと、みんな冷やかすように笑いぼくを見た。彼らは Baby を赤ちゃんではなく、「恋人」の意味でとったのだ。先生は真面目な顔で言った。「ヒサシ、あなたの国の文化を分かち合ってくれてありがとう」。

今日は2019年度南箕輪キャンパス、最後の日。期末試験。印刷は先日すませておいたので、安心して出かけたが、答案用紙を配って解説を始めて、いくつかのタイプミスや勘違いがあることに気づいた。見直したつもりだったが、集中していなかったのだろう。慌てて修正して事なきを得た。最近はこういうことが多くなった。明らかに老化が進行している。なんとか、あと1年、大過なく過ごさなければ。


Sunday February 2, 2020

昨夜のオープンマイクは盛況だった。久々に再開したオーリアッド・ダイアリーを読んで、きてくれたという方がいた。ありがたいことである。Oread Diary を再開して数日しか経っていないが、数名の方からはメールでフィードバックが寄せられた。今度は何としても続けなければ。日記をつけることの効用について書かれた Huffpost の記事 Why Keeping a Daily Journal Could Change Your Life という記事を最近読んだ。毎日日記をつけることはストレスを減らし創造性を高めるとのこと。まさにその2つを、ぼくは今一番必要としている。tpsがんばろう。

昼前、昨夜のオープンマイクの写真を facebook にアップし、大分別府マラソンの前半を見て、後片付けのためオーリアッドへ

大河ドラマはずっと昔に放映された「宮本武蔵」以外見たことはなかったが、昨年の「いだてん」はオリンピックについてのドラマどいうので最初から見た。が、そのあまりのつまらなさに1か月半でギヴアップ。今年の「麒麟がくる」は見ないでおこうと思っていたが、家人が1回目を見ているのを、横で見ていたら、最後まで見てしまった。結局、今日の3回目まで全部見たことになる。大好きな黒澤明の「七人の侍」を彷彿させるシーンもいくつかあった。衣装担当は、黒澤明の長女とのこと。しかも彼女は黒澤の「夢」から衣装を担当したとか。「夢」で使われた鮮やかな色彩が、「麒麟がくる」でも使われている。

昨日今日と朝方は冷えたが、それでも例年に比べるとずっと暖かい。きれいな朝やけの写真を撮ろうと外に出てもそれほど寒くない。。ありがたいような、心配のような。

夕方、外に出て立春前の黄昏時の写真を撮る。





明日は南箕輪キャンパスで期末試験。それであとは、採点と成績づけを残すのみ。そうそう、来年度に向けてのシラバス作成があった。シラバス作成は苦手だ。
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Saturday February 1, 2020

オープンマイク。今夜はいつもより多くの歌い手が参加してくれて盛況だった。それぞれが独自のいい味を出していた。坂井、長島、赤羽の三氏は前回の新曲発表会で歌った歌をさらにブラッシュアップしてきた。前回これなかったが、月に一度くるときは、必ず新曲をもってくる、ジロー・ヤマオカは、新曲はないといいながら、ディランの名曲 Blind Willie Mctell を訳して歌った。充分に新曲である。久しぶりにやってきた味沢さんとフランケン池上氏もそれぞれ「静かな朝」と「sakura」という新曲を歌った。みんなそれぞれに凄いポテンシャルをもっている。みんなが刺激しあい、影響し合っている。

ぼく自身に関していえば、老化現象が烈しく根気がつづかない。その上、期末試験期間とかさなり、問題作成、採点などに時間がとられて、思うように歌と向き合えなかった。いやいや、これはすべて言い訳。初心わするべからず、来週に向けて頑張ろう。





Friday January 31, 2020

急遽、松本へ。来週火曜午後の英語教育研修会と、そのあと開かれる退職される先生の送別会参加のサインアップをするため。送別会はBaden Baden というところで行われるとのこと。帰路、下見をかねてそこを覗いてみようとしたが、ナビの不調か通り過ぎてしまった。渋滞していて引き返す気になれず、そのまま家に帰る。

わざわざ松本まで行ったのは、マスクを買うため。一昨日、家人は薬局でマスク1箱と消毒液をかった。昨夜、西宮に住む彼女の妹からマスクを買って送ってほしいとの連絡があった。西宮ではどこへ行っても売り切れとのこと。今朝家人が再び薬局へ行ってみると、売り切れだった。それで一緒に松本へいって買おうということになった。驚いた。多くの薬局で売り切れ、乃至、「お一人様一箱」の表示。先日、初めて入ったワークマンで黒いマスクを一箱買ったので、行ってみると、そこも売り切れ。最後に入った塩尻のホームセンターにあった。しかし、「お一人様一箱」。2人で2箱購入。

新型ウイルスによる肺炎が広がっている。「新型ウイルス分離成功」というニュースが流れた。その意味がよく分からないが、そこからワクチンをつくることが可能になるとのこと。ワクチンや新薬ができて、新型ウイルスによる肺炎が激減してほしい。オリンピックの開催を危ぶむ声も聞こえてくる。金まみれのオリンピックに最初から反対していた人たちもいる。招致運動のとき「福島の原発事故の放射能漏れはすべてunder control」と豪語した男もいた。それでもなお、オリンピックが開催されてほしいと思っている。この大会を目指して苦しい努力をしてきたアスリートの人たちのためにも。そして、人間の限界に挑戦する彼らの感動的なパフォーマンスを見たいと思っているぼくを含む多くの人たちのためにも。


Thursday January 30, 2020

午後6時から、村の公民館で森林組合の2019年度総会。昨年度の活動の報告と、本年度の予定について。すべて「異議なし」。拍手で承認。その後懇親会。車で行ったが、少しお酒をいただいたので、歩いて帰宅。

新型ウイルスの急速な広がりには恐怖を覚える。人口の3分の1から3分の2が亡くなったという中世ヨーロッパのペストの流行を思わせる。しかもそのペストはまず中国で起こり、中国の人口を半減させたあと、ヨーロッパへ広がったというから恐ろしい。

創世記に登場するノアの方舟は水によって、ソドムとゴモラは火によって、驕慢で放縦な民が滅ぼされる物語である。最近の天変地異のニュースを耳にするたびに、その2つの話を思いだす。

毎晩寝る前ベッドの中で眠くなるまで本を読む。ベッドの周りは読みかけの本が山積みになっている。気をつけないと、ときどき崩れ落ちる。最近読んでいるのは、瀬上敏雄さんの『一期一詩』(春秋社)。瀬上さんには1970年8月鎌倉円覚寺でお会いした。紀野先生の真如会で初めて歌わせていただいた時である。そのときは坂村真民さん、相田みつをさん、原田道一さんなど大勢の方々にお会いしたが、瀬上さんとお会いしたことは覚えていなかった。おそらくその時は言葉を交わさなかったのかもしれない。しかし翌年6月、お手紙をいただき、名古屋の大乗教本部のお寺で歌う機会を与えていただいた。

瀬上敏雄さんは当時大乗経本部の管長であり、無手無足の中村久子さんの自伝『こころの手足』を世に出したことで知られていた。『一期一詩』は平成11年から亡くなるまで月1回中日新聞に連載したエッセイを集めたものである。

瀬上さんは素敵な序文のついたぼくの歌集をつくってくださった。

「青一色の風景の中で、どんなに遠くからでも朴の木はすぐ分かる。はるか山の中腹に風にひるがえり、葉裏を光らせてそびえている木が必ず朴の木なのだ。白い駅名標の見える車窓からはるかな朴の木を望むと、わたしはふるさとを思い、ふるさとに帰った日のやすらぎを覚える。三浦久さんの歌を聞いたときわたしは、「ああ、朴の木だな」と思った。三浦さんの歌には地味ではにかみ屋で決して華やかさはないが、聞く人が聞けばこころに残るやすらぎがきっとわかる。三浦さん、引っ込み思案にならないで、あなたの信ずるまま、これからもわたし達のこころの底を清冽に流れる歌のいのちを歌っていって下さい」(瀬上白鳥)

こんな素晴らしい序文を書いていただきながら、いまだに彼の期待に応えらえずに右往左往している。彼に頂いた『一期一詩』の表紙の裏に献辞が書かれていた。

  人生
   一歩
   一歩
   ゆっくりと

ちょっとゆっくりしすぎたような。


Wednesday January 29, 2020

期末試験の問題を当日印刷したのは恐らく今日が初めて。すべての作業が、年を取るにつれて遅くなっている。昨日印刷しに行こうと思ったが、雪が降り、躊躇してしまった。問題作成も遅れていた。今朝はいつもより30分早く家を出て、試験開始40分前に着いた。そのあと、2クラス分の試験問題を印刷する。

帰路、あがたの森へ寄り何枚か写真を撮る。前回寄ったときは10月の終わりだったから、3か月振りということになる。そのときはドウダンツツジが色づいていて奇麗だったが、今日は少々侘しい冬枯れの景色。それにはそれなりの美もあるが。





新型ウイルスによる肺炎の脅威が世界中を震撼させている。何か仕組まれた筋書きがあるようにも思えるが、少々うがちすぎか。


Tuesday January 28, 2020

5時半に起き外を見る。思ったほどではなやはり積もっている。6時、昨日物置から出しておいた「雪かき」をもって旧道へおりていく。除雪機で一度除雪した跡があるが、そのあと降った雪が積もっている。家の下のところと、国道へ出る道のところの雪をかく。この村に戻ってきたころは、雪が降れば村人総出で雪をかいた。ぼくより年上の方々がたくさんいた。そのときから37年が経ち、まわりを見渡せば、ぼくより年上の人は数えるばかり。心細いこと限りなし。

今日は1日がかりで、4つのクラスの期末試験をつくる。前から、苦手な作業だったが、年を取るにつれてますます時間がかかるようになった。本来なら先週のうちに印刷し、事務局に預けておくべきもの。明日早めに家を出て印刷することに。先ほどお風呂に入ったあと、外を見たら、雨が降っていた。雪でなくてよかった。

今地球はかなり追い詰められている。イランの洪水、オーストラリアのブッシュファイア―、各地で頻発する地震。それに武漢で勃発した新型ウイルスによる肺炎。本当に地球はどうなったしまうのだろう。もう取り返しのつかないとこへ来ているのかも。削り取った放射能に汚染した土を農地に戻すなんていう発想がどこからくるのだろう。


Monday January 27, 2020

今学期、南箕輪村キャンパスでの最後の授業。最初の20分はいつものように「テストのようなもの」。アメリカの小学4年生用に書かれたキング牧師についての文章の和訳と、Let It Be の1番のディクテーション。その後、期末試験の範囲などを確認し、後期に歌った歌を通して歌う。途中、休憩をかねてキング牧師の I Have a Dream に関する5-paragraph エッセイを返却。2コマ目のクラスでは、前列左にすわっている普段あまり声の出ていなかった学生たちが大きな声で歌っている。こには感動する。

最後に授業アンケートをとる。発音法のクラスではないが、「英語の発音がよくなった」と書いた者が多かった。「勉強としての英語ではなく生活の中の英語を学ぶことができた」と書いた者もいて、我が意を得たりの思い。

彼らがこれから生きていく上で、Steve Jobs やキング牧師の言葉を思い出してくれたらと思う。そして時にはこのクラスで歌った歌を、困難に直面したときなどに、口ずさんでくれたら、と思う。

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom Let It Be

夕方から降り始めた雪が夜10時にはかなり積もった。明日の朝は雪かきだ。





Sunday January 26, 2020

3日前に、東京在住の方からメールが届いた。いただいた年賀状に対し返礼したのだが、それに言及するメールだった。

「先ず、Oread Diary を楽しめる機会が少なくなり、とても寂しく思っておりますとお伝えしたく思います!いただいた年賀状に、3年がかりで書いた 「パデレフスキー」 が好評だったとのことで大変興味を持ちました。 早速、この件に関する情報(YouTube で歌も)が得られるかと思い、検索してみましたが残念ながら結果は得られませんでした。私は、1998年仕事も兼ねポーランドへ行く機会があり、2ケ月間ワルシャワのポーランド人のお宅に滞在しました。 それ以来ポーランドに関心を持つようになりましたので、三浦さんがパデレフスキーの歌を作られるようになった経緯、その歌詞など、とても興味があります」とメールの冒頭に書かれていた。

Oread Diary に関してはほかの方々からも、どうしたのかとの問い合わせがありました。日記が継続して書けなくなったのは、ほぼ2年前、コンピュータがダウンし、ホームページビルダーやメールアドレスを含む、多くのデータがが失われてしまったからである。その後すぐ新しいホームページビルダーを購入して、再開した。そうしたら以前の日記がホームページビルダーの会社に保存されていて、かなり復活することができた。しかし、活字が大きくなったり小さくなったり、突然書いたものが消えてしまったり、続ければ続けるほどストレスがたまるので、しばらく諦めていたのである。

さて、「パデレフスキー」はまだ録音してないので、歌詞のみをお送りしたところ、すぐ返信があった。

"Oriad Diary 、沢山の方々が日記の復活を待ち望んでおられると思いますので、上手くいくといいですね。 そして,、4月のボブ・ディランのコンサートの模様を Diary 読めることを願っています。 「パデレフスキー」 の歌詞、ありがとうございます。彼の一代記が語られていて、彼の生い立ち、溢れる才能、そして国際的な活躍に魅了させられました。 語られているワルシャワ、ベルリン、ウイーン、パリ、カリフォルニア、そしてアイオワまで私が訪れたことがある場所で、時代は違いますが、頭にそれらの風景が浮かび、より歌詞が膨らんできました。 このスケールの大きい歌詞がどのようなメロディーにのって歌われているのか、楽しみにしております"

多くの人がぼくのとりとめのない日記の再開を待ち望んでいるとは思えないが、日記を書くことはぼくの混乱した頭の中を整理する上にも役立つ。 これを機会に再開しようと思う。いつまで続くか自信がないが。読者のみなさんの感想やご意見などをお寄せいただければ、がんばれるかもしれません。

 

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Saturday November 30, 2019


昨日は村の長老の葬儀があった。享年93歳。長年、町の役場に勤め、町の短大誘致にもご尽力された。町議も二期務めた。息子さんの家族は近くに家を建て、10数年前、奥さんが亡くなられたあとは、一人住まいだった。数年前まで軽トラにのって農業をされていた。あまり社交的な方ではなく、どちらかというと孤高の人。

彼には猫が一匹いた。ウオーキングの途中、彼が猫と一緒にいるところを何度か見かけた。一度、その猫の写真を撮り、100円ショップで買った額に入れて、プレゼントしたことがある。昨日、葬儀が始まる前、息子さんが話してくれた。その写真は彼の机の上にあって、いつも眺めていた、納棺のときには、一緒に棺に入れさせていただいたと。それを聞いて嬉しかった。ぼくの拙い写真が、わずかであっても、彼の孤独を癒すことができたかもしれないと。
葬儀のあと、導師を務めたご住職から、その猫の話を聞いた。納棺のための読経が終わり、いよいよ、棺の蓋をしようとしたとき、いままで、おそらく、多くの見慣れぬ人たちを避けて隠れていた猫が「ニャー、ニャー」と啼きながら棺に近づいてきた、と。最後のお別れを言いにやってきたのだ。

動物には不思議な力がある。何も知らないようでいて、その場の雰囲気から、多くのことを理解している。ずっと昔のこと。1963年から64年にかけて、一年間お世話になったサンタローザのハーヴィー家には、エリックという名の犬がいた。

「エリックのことを書くことを忘れていた。ハーヴィー家での一年間の生活で、ぼくが一番親しくなったのはエリックだったかもしれない。エリックは茶色に黒の混じった大きなジャーマンシェパードで、学校から帰ってくると、どこからともなく現れて尻尾を振りながらぼくに挨拶した。リビングで本を読んでいる時など、足元にじっとすわっていた」(『追憶の60年代カリフォルニア』p. 31)

そのエリックが、ぼくが帰国するためにハーヴィー家を出る日の朝、ぼくがまだ寝ているうちから、部屋の外にいて、悲しげにクンクンと啼いていた。ドアを開けると勢いよく飛び込んできて両前脚を上げてぼくにしがみついてきた。そして再び部屋の外に出ると家中を啼きながら走り回った。その日からぼくがいなくなることを彼はしっかり認識していたのだ。

この村に戻ってきたとき、ぼくは37歳だった。それから37年が経った。その間、多くの方々をお見送りした。いずれまもなく、間違いなく、ぼく自身が見送られる時がやってくる。

生きてくことは
悲しいことばかりだけど
もう一度やってみよう
ボビーが歌ってる限りは

 (「王城山に黄色い月がのぼり」より)


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