OREAD Diary
December 1, 2018 --December 31


December 31, 2018









Saturday December 29, 2018

午前中、姉が娘と孫を連れてやってくる。すぐに雅樹とみゆちゃんは打ち解けて遊び始める。二人が会うのは2月の終わりに日本にきてから3回目。








Friday December 28, 2018

お昼近く、家人と岡谷のLakewalkへ。明日、姉や、長男たちがくることになっているので、そのお土産やお茶菓子を買いに。まずフードコートでお昼を食べる。先日家人がリンと来たときに食べて美味しかったというチーズを挟んだナンとカレーを注文する。これは実に美味しい。次回もおそらくこれを注文するだろう。お土産はKaldi というコーヒーと輸入食品の店で詰め合わせてもらうことに。数年前に辰野東小学校で講演をしたとき、PTAの役員の方がここで働いていて、謝礼に添えて輸入食品の詰め合わせをいただいたことがあった。それ以来このお店のファンである。


Thursday December 27, 2018

毎年、年賀状の発送が遅れてしまう。今年もようやく年賀状を書かねばと思い、どんな写真を使うか、文面をどうするか考え始めたが、いい写真が見つからない。形骸化した年賀状の交換はもうやめようと思いながら、それでも心のこもった年賀状をもらうのはうれしいもの。ときには、長い間音信不通だった人から、思いがけず届くこともある。人にはそれぞれの事情があって年賀状を書けないこともある。

夕方、何も決まらず、疲れてしまったので、村をひとまわり歩くことに。しばらく歩くこともおろそかになっていた。寒くなってきたし、写真に撮りたい景色もすくなくなってきたので。







ひとまわりして、写真に撮りたい景色はなかったが、それでも歩いてみたら、少しは気分がよくなった。雪が降れば歩けなくなるので、寒くても、これからは毎日歩かなければ。


Wednesday December 26, 2018

先週水曜日、学生から来週はクリスマスソングを歌いたいという要望があった。25日ならいざ知らず、26日にクリスマスソングを歌うのはちょっと間が抜けているようで、躊躇していたが、オバマ前大統領の素晴らしいクリスマスのビデオクリップを見つけ、Jingle Bell を歌うことに。そのビデオの最後に Jingle Bell を大統領と奥さん、それに周りの人たち何人かが歌うシーンがある。この歌を歌うことにしたのは、学生たちに、ホワイトハウスに住んでいる人によって、国の雰囲気がかなり違うということも感じてほしかったので。

それに、ビング・クロスビーがフランクシナトラと歌う White Christmas のいいビデオクリップも見つけた。この歌も歌うことに。二人の声が素晴らしいというだけでなく、この名曲を、学生たちにも知ってほしかったので。

同時にこれらの歌は発音の練習にもなる。例えば What fun it is to ride and sing a sleighing song tonight の部分をスムーズに歌うのはなかなか難しい。不定詞の to は状況によっていくつかの発音の仕方がある。この場合は、トゥ よりもタと読むと滑らかに歌える。それに White Christmas であれば、Just like the ones I used to know の冒頭のJust のジャは摩擦音ではなく破擦音であることを意識して歌うことが重要である。

そのあと、キング牧師の I Have a Dream の最後の部分を読む。最後に、後期の歌で最近歌った歌 Take Me Home, Country Roads, Let It Be, The Sound of Silenceを歌って終了。

今日は家人も一緒にきて、アルプス市場でお正月の縁起物を買い、イオンモールでお昼を食べ、そのあとぼくは授業に行き、彼女はキャンパス・ブックストアで本を探し、喫茶室でその本を読んで過ごした。

今日が冬休み前最後のクラス。1月は9日が最初の授業。


Tuesday December 25, 2018

朝起きて階下におりていくと、昨夜雅樹がトレイに置いたニンジンもクッキーもなくなっていた。サンタクロースがきたようだ。朝食後、みなでリビングに集まってプレゼントを開ける。子供たちの笑顔と歓声が続く。われわれも子供たちから手造りの金メダルをもらう。









                 ■

今夜のディナーはリンのおかげで本格的なクリスマスディナー。美味しかった。メインのチッキンもデザートも。デザートの名前を聞くと、「trifle」とのこと。trifle という英語は名詞だと「つまらないもの」というような意味があるが、辞書によれば、「果物入りのケーキをワインなどにひたしカスタード・生クリーム・ジャムなどをかけたデザート」のことでもあるらしい。「つまらないもの」どころか、ほんとうに美味しかった。家人は早速その作り方を聞いていた。







明日は午後松本で1コマのクラス。それで冬休み。今年は前期はお休みにしたので、後期があまりにも早く終わってしまった感じがする。



Monday December 24, 2018

いつもは夕食後、お風呂に入り、本を読んでもらってから、ぐずぐずしていてなかなか寝ない雅樹が、今夜は本も読んでもらわす、すぐに寝るという。寝る前に、自分でニンジンとクッキーを用意し、ミルクもグラスに入れ、お盆に載せて暖炉のそばに置いて、そそくさと寝室に入っていた。サンタクロースがきたかどうかは、明日の朝ニンジンが食べてあったり、ミルクが飲まれていたりした形跡でわかるのだという。ニンジンはトナカイのためか。





明日の朝は、雅樹にも千昌にもサンタクロースがくるだろう。きっと、ニンジンもクッキーも、食べられているだろう。


Saturday December 22, 2018

今年最後のオープンマイク。最初にやってきたのは、フランケン池上さん、それから味沢ひろしさん。そのあと、お会いしたことのないカップルが一番テーブルに。本だなから西東三鬼の句集をとって読んでいる。何か楽器を演奏しますかとたずねると、楽器は演奏しないが、川柳をやっているとのこと。川柳の朗読をお願いする。7時半に別のライブにいく予定があるというのでトップでお願いする。

そのとき彼が、昔は辰野に住んでいて、辰中時代、ぼくの講演を聞いたことがあるという。演題は「私の Long & Winding Road」だったとのこと。驚いた。何度か辰中で講演らしきものをしたことがあるが、ぼく自身演題まで覚えていない。

トップバッターはその川合大輔さん。ノートに書いてあるいくつもの川柳を早口で読む。ぼくの難聴の耳では聞き取れず、笑うこともできなかったが、ぜひまた聞かせてもらいたい。



そのあと、その時までに集まっているみなさんで、ジャンケンをして出演順を決める。1番は、ジャンケンに最初に負けた長島功さん。彼はオーリアッドにくる常連の中で今年最高に大化けした。2,3年前から絶不調で、人前に出ることさえはばかられたとのことだが、今年の1月から定期的にオープンマイクに参加し、意欲的に歌を書いてきた。その結果いくつかの「傑作」が生まれた。中でも最近凄いと思ったのは「迷子」というこの数年の自身の体験を歌にしたもの。歌を書くだけではなく、人は何かを「創る」ことによって「苦悩」から脱却できる、というのがぼくの持論。彼はそのことを実証してくれた。


2番手は丸山俊治さん。久々の登場。77歳。ディランよりも数日年上。ディラン同様、丸山さんも精力的に活動されている。前半1曲目は昔よく聞いた「小さな王様」。わが家にも今、小さな王様と小さなお姫様がいるので、この歌の内容がよくわかる。丸山さんちの王様は、来年は中学1年生になるとのこと。早いものだ。後半は、松本市中山の公民館活動で始まった歌作り講座の一環で、他の人が作詞したものに丸山さんが曲をつけた2曲を披露してくれた。その1曲目「五月の雨」は名曲である。


3番手は味沢ひろしさん。彼が最近書く歌が変わってきた。より具体的で、歌の対象が明確になった。もともと彼は小説家。ストーリーを組み立てることはお手のもの。「平成の若者たちへ」「沖縄・Henokoを守れ」などの今日歌った歌のタイトルからもそのことがわかる。


次はフランケン池上さん。今年の10月2日、彼から10月20日のオープンマイクに歌いたいとのメールが入った。驚いた。もう何年も、おそらく20年以上も前、何度かお会いし、オーリアッドにも歌いにきてくれたが、その後音信不通だった。いくつかの紆余曲折を経て、現在、某製造会社のCEOをしているとのこと。10月20日の再登場以来、昨日まで毎週歌いにきてくれた。新しい歌もあるが、昔の歌に多くの佳曲がある。その一つは今晩も歌った奥さんとの出会いの歌、「夢よさめないで」。最近の歌では震災を歌った「海」が印象に残った。


坂井俊水さん。今日は連休初日。奥さんとでかけ、その帰路、オーリアッドによってくれた。結婚してもたまには歌いにきて欲しいと思っていたが、ほぼ毎週のようにきてくれている。1曲目は奥さんのことを歌った「ブラック・ハイヒール」。そして「この街の色」。最後に彼の最高傑作「僕らの夢」。何度聞いてもこの歌はいい。


赤羽真理さん。長い間、開店直後からオーリアッドをを支えてくれたことに感謝。彼の誠実な人柄は彼の書く歌に、彼が歌う歌に、反映されている。今夜は「御手のなかに」「鹿のように」「森の小道」など、賛美歌中心に。そうそう、前半ではフラットマンドリンの弾き語りも。


前半最後は三浦久。久々に今夜は、前半後半合わせてCD『碌山』に入っている全4曲「碌山」「次郎」「千の風」「新しい光迎えよう」を歌う。今年は意欲がなかったわけではないが、諸事情あって、なかなか新しい歌が書けなかった。赤羽さんとも終了後話したが、お互い、来年は新しい歌に挑戦する年にしたいものである。


オープンマイクは今年は今夜が最後。来年は1月5日(土)から。どんな年になるか、どんな歌や人に出会うことができるか楽しみである。


Friday December 21, 2018

オーリアッドの看板の西側の覆いが剥がれ落ちていた。この看板ができてから33年が経った。東側はどうもないのに、西側だけが、大きくゆがんでいた。33年間の西日のなせる業である。次男から脚立をもってきてもらって、グレーの粘着テープで応急処置を施す。なんとかしばらくはもつだろう。



夕方、家に戻ると、雅樹の担任の先生がお見えになっていた。今日が2学期の最後の日、雅樹たちは来月初めにはニュージーランドへ戻る。先生には大変お世話になった。雅樹は音楽と美術に対してはいい感性をしているようだ。親ばかならず、爺ばかかもしれないが。今日、学校から持ち帰った「あさがおらんどであそんだ」という絵には驚いた。色合いといい構図といい、発想といい、実に素晴らしい。






Thursday December 20, 2017

午後2コマのクラス。4講時めのクラスは50人を超える大きなクラスだが、とてもいいクラスだ。キング牧師のスピーチを読み、解説し、映像を見る。そのあと、 I Have a Dream を歌っているぼくのYoutube を見てもらい、時間が少しあまったので、続いて「碌山」を見てもらう。彼らが松本にいる間に碌山美術館を訪れてくれるように。

I Have a Dream: https://www.youtube.com/watch?v=Qy65zaQpou8

碌山:https://www.youtube.com/watch?v=wunI0u29z-U



Wednesday Decemeber 19, 2018

午後1コマのクラス。キング牧師の I Have a Dream の新しいプリントを配る。以前に配ったものは数行抜けていたところがあった。その後、先日購入したクリップ式のサングラスをつけて家に戻る。確かに効果はある。しかしそれでもまだかなりまぶしい。

歌声喫茶。天竜づくだし倶楽部主催。今日が今年最後なので、恒例のクリスマス歌声喫茶。休憩時間には豪華なケーキや苺が並ぶ。休憩後、ぼくも請われて、 Amazing Grace の英語の歌詞の1番を解説し、みなさんと歌う。






Tuesday December 18, 2018

午前中、南箕輪村の「あじーな」へ買い物にいったついでに、農学部のキャンパスを見に行く。今年は農学部での授業がなく、四季折々の美しい景色を見ることができなかった。すでに紅葉の季節は過ぎ、先日降った雪がまだ残っているところもあった。やはりこのキャンパスは美しい。来年は再びこのキャンパスに戻れそうだ。





夕方5時、「みちばた」の博幸さんの葬儀の打ち合わせにいく。博幸さんのことで思いだすことは2つある。1つは、雪が降ると彼が朝早く、まだ暗いうちから、家の前で黙々と雪かきをしていたこと。もうひとつは、彼が勤めていた日進プロセスという印刷会社で、20数年前、ぼくのポスターを作ってもらったことである。マンダラ2での最初の年末ライブは、27、8年前、あのねのね事務所主催で行われたのだが、清水君が紹介してくれたカメラマンが撮った写真が実物以上によく撮れていた。その写真をもとに、200枚だか300枚だかポスターを作ってもらった。けっこう値切って格安でつくってもらったが、今思えば、あんなに値切らなければよかった。May Hiroyukisan rest in peace.


Sunday December 16, 2018

Amazon から、DVD6枚組のKING FUが届き、今日はその最初の1枚を見た。スプリングスティーンの Springsteen on Broadway のなかで、彼が聴衆に向かって「Grasshopper」と語りかけるところがある。これは1972年から75年にかけてアメリカで人気のあったテレビドラマ「燃えよ!カンフー」の中で、少林寺の老僧が少年のケインにむかって呼びかけた名前である。通常、これはバッタとかキリギリスを指す言葉であるが、このドラマを京都にいたころよく見ていたが、字幕では、「コオロギよ」と訳されていたと思う。

今日見たいくつかのエピソードでは老僧が少年のケインに、各エピソードで必ず1回は、Grasshopperと呼び掛けている。

「燃えよ!カンフー」のシリーズがアメリカで人気を博した時期はスプリングスティーンが1枚目のアルバムGreetings from Asbury Park から3枚目のBorn to Run までの間である。



Saturday December 15, 2018

午後、スプリングスティーンの 自伝的なアルバム Springsteen on Broadway を聞いていたら、昔よく歌った「俺が生まれて育ったとこは」を思い出した。この歌のリズムは1拍目と3拍目にアクセントがあって、長い歌で歌っていると途中で飽きて、いつの間にか歌わなくなっていた。それで、2拍目と4拍目にアクセントを置いて歌えるように、書きなおしてみた。ちょっと「六朗」のメロディーに似ているが、このほうが歌いやすい。夜、オープンマイクで歌ってみた。もう少し歌いなれれば、全編自伝的な歌だけでライブをすることができそうだ

オープンマイク。今夜の出演者は初回出演順に、坂井俊水、長島功、フランケン池上、味沢ひろし、赤羽真理、三浦久、 John Barrs, 北原輝美。

北原さんはジョン・バーズさんの奥さんで、青年海外協力隊やユニセフなどとのかかわりでモルディブ共和国の幼児教育と長年かかわってきたとのこと。現在は駒ケ根市の姉妹都市ネパールのポカラ市の安心安全な出産母子保健改善事業に協力し、頻繁にネパールを訪問し安全なお産の指導をしているようである。ネパールのお母さんたちがどんなに酷い状況になっても「何とかなるわよ」と未来に対して常に楽観的であるという話は印象的だった。



Friday December 14, 2018

雅樹の7歳の誕生日。今年の2月の終わりから一緒に生活してきた。そのときから10か月、いろんな点で大きく成長した。先ず驚くのは一年足らずの間に日本語を聞き話す力がかなりついたこと。小学2年からでなく、1年から、ほかの子供たちと一緒に最初から学んだことがよかったに違いない。身体も大きくなった。妹に対する思いやりのきもちもしっかりある。

朝起きたら、ほんとうにうっすらと雪がつもっていた。雅樹は学校へ行く前、溶けてなくなりそうな雪と少し遊ぶ。





午後、伊那のトヨタ南信へ車の一か月点検に行く。その帰路、箕輪のバイパス沿いにできた眼鏡市場により、クリップ式のサングラスを購入。ついでに補聴器の調整もしてもらう。箕輪に眼鏡市場ができてよかった。補聴器の調節や電池の購入に伊那までいかなくてよくなった。サングラスを買ったのは、週2回、松本からの帰路、夕方、対向車のライトがあまりにもまぶしいから。ときには危険に思うこともある。

夕食は雅樹の希望で、回転寿司へ。運よく6人分のカウンター席にすわることができた。雅樹も千昌もタッチパネルを使って自分で注文するのが好きである。彼らがニュージーランドに帰って、日本を思い出すとき、「回転寿司」は日本の思い出トップ3に入るのではないか。





Springsteen on Broadway 今日発売。「広告が出てましたね」とトヨタの小澤さんが新聞をもってきてくれた。朝日新聞。わが家でも朝日をとっているが、その広告を見逃していた。通常の音楽CDとは違うが、ソングライターにとっては多くの示唆に富むアルバムである。どんな反応があるか楽しみだ。現在 amazon売れ筋ランキング 44位。トップはあの「ボヘミアン・ラプソディ」(オリジナルサウンドトラック)である。


Thursday December 13, 2018

午後2コマのクラス。最初のクラスは登録している学生が30名を超え、次のクラスは50名を超えている。以前、およそ10年前、選択科目のアメリカ大衆文化を教えていたときは常に100名を超える学生が受講していたが、必修科目の語学のクラスで50名を超す登録者というのは経験がない。採点をするにも、テストを返すにも時間がかかる。しかし、このクラスの学生はまじめに授業を受けているし、テストの結果も悪くない。

夜、ジブランの会 at オーリアッド。お茶を淹れるお手伝いに。


Wednesday December 12, 2018

午後1コマのクラス。テストの返却。

Tuesday December 11

Springsteen on Broeadway のサンプル盤が送られてきた。ぼくが訳したところをさっと読み返してみた。いくつか修正したほうがいいとおもうところもあったが、全体的にはわるくない。いろいろな人のCDの対訳をしてきたが、このアルバムを訳しながら、レナード・コーエンの Live in Londonを訳したときに感じた感動に近いものを感じていた。まったくスタイルの違うアルバムなのだが。それにしてもスプリングスティーンのストーリーテラーとしての力量にはただただ圧倒されるばかり。

これは音楽CDというよりも、スプリングスティーンが幼い頃からの思い出を語りながら、その間に関連する歌を入れるというトーク中心のアルバムである。しかもそのトークの部分のスクリプトがないとのことで、それを聞き取って10日ほどの間に訳さなければいけないという、ある意味無謀とも思える仕事だった。たまたま今年の2月の終わりから、1年の予定で、次男の家族がニュージーランドから来ていて、彼らの助けを借りて、3日ほど徹夜をし、2日学校を休講にし、なんとか間に合わせることができた。このアルバムは、コーエンの Live in Londonがそうであったように、多くのシンガーソングライターに、ステージ上のプリゼンテーションに関して多くの示唆をあたえるだろう。

先日の精華50周年のイベントでお会いした図書館学の荒岡さんから宇治茶とご丁寧な手紙が届いた。

先日は30数年ぶりにお会いして感激しました。私はプログラムを見て、三浦さんの弾き語りを聞こうと50周年同窓会に出席しました。思いがけず食堂でお会いして、すぐ私の名前を呼んでいただいたのでびっくりしました。在職中は野球だけの付き合いでしたのに、よく名前を思い出してくれました。・・・私が音楽方面に暗いため、あまり話をしなかったのを残念に思っています。三浦さんの弾き語りは、直接心に響き、魂に訴えるものがありました。家に帰り、さっそくいただいたCDを聞かせてもらいました。どの歌も凄いと思いましたが、中でも「中谷勲」「カムサハムニダ、イ・スヒョン」「碌山」が圧巻でした。ほんとうに素晴らしいCDをありがとうございました。

こんなふうに聞いてもらえる人がいたというだけで、出かけていってよかった。今はどうかしらないが、当時精華は教員同士、○○先生と呼ばず、○○さんと呼んでいた。講師、助教授、教授という肩書も対外的には使われたことはあったが、たいがいは京都精華大学教員と記された。給料は、食堂で働く人も、事務局で働く人も、教員も、専任であれば、年齢が同じであれば同じであった。いろいろな問題はあったとしても、当時の精華は実におおらかで、自由だった。放課後には、よく教職員で野球をした。ライト方面に打つと、球が山に入ってしまい、みんなで探したものだ。

Sundaay December 9, 2018

村の三浦姓の会 at パークホテル。まず温泉に入り、会食。お料理がおいしかった。だんだんと参加者が少なくなってきたが、これも時代の趨勢、しかたのないことだろう。今日は今年の春、佐久に引っ越したSさんもきてくれた。今年83歳とのことで、来年は来てもらえるかどうか。来年は我が家が当屋なので、連絡はするつもりだが。

三浦姓は明治時代にはこの村に23軒あったとのこと。今は5軒にまで減ってしまった。

Saturday December 8, 2018

5時半、荒神山のイルミネーションを見に行く。以前は美術館前の広場だったが、今年からスポーツ施設の駐車場になった。雰囲気的には前の場所のほうがよかったと思うが、これだけのイルミネーションを飾った努力には頭が下がる。先に出発した孫たちにも会えるかもしれないと思ったが、彼らは太鼓の演奏と花火大会の野球場近くにいたとのこと。われわれはオーリアッドのオープンマイクの開場に合わせ、30分ほどしかいられなかった。





               ■

オープンマイク初回出演順(敬称略):長島功、坂井俊水、フランケン池上、赤羽真理、三浦久。










Thursday December 6, 2018

午後、2コマのクラス。I Have a Dream の最初の部分の解説、それから映像を見る。キング牧師のスピーチはスティーブ・ジョブズのスピーチより、聞き取りやすいが、内容は難しい。格調高く詩的表現に満ちている。

昔、アメリカ大衆文化のクラスでよくつかった、The Complete Beatles (ビートルズのすべて)がYouTubeで何回かにわけてみることができるようになった。今日はその最初のinstallment を見た。

https://www.youtube.com/watch?v=kTjqnTZ-2Rg


Wednesday December 5, 2018

午後1コマのクラス。このクラスは翻訳の仕事が立て込んだときに休講したり、振り替え授業があったりして、まだスティーブ・ジョブズの 3rd story をすませてなかった。急遽、3rd story を読み、解説し、映像を見る。この有名なスタンフォード大学の卒業式でのスピーチは3つの storyから構成されている。その中でぼくが一番重要だと思うのは 3rd story で、その中でも、次の部分がこのスピーチの骨子である。

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary. あなたの時間は限られています。だから誰か他の人の人生を生きることで無駄にしてはいけません。ドグマの罠にかからないように。それは誰かほかの人の考えた結果を生きることです。他の人の意見の騒音があなた心の声をかき消してしまうことがないように。そしてもっとも重要なことですが、あなたの心と直感に従う勇気をもってください。あなたの心と直感はなぜかあなたが本当になりたいものをすでに知っています。そのほかはすべて二次的です。

Let It Be の歌詞を解説し、映像を見て、歌う。最後に中間テストの返却。数人いる留学生のヒアリングの力が際立っていることを知る。


Tuesday December 4, 2018

今朝は朝から小雨が降っていた。日中しばらくやんでいたが、午後遅くからまた降り出した。この時期にしては気温はかなり高い。西日本には25℃を超えたところもいくつかあったよう。雪よりもいいが、例年の天気と大幅に違うのは少々不気味である。

終日、先日の中間試験の採点。明日のクラスの分はなんとか返せそうだ。


Saturday December 1, 2018

昨夜泊まったホテルは四条烏丸の地下鉄駅の近くにあった。10時にチェックアウト。地下鉄で国際会議場へ。イベント会場を探す。国際会議場とは別の隣接する建物にそれはあった。ぼくが記憶するかぎり、昔はこの建物はなかった。広々としたスペース。そこに卒業生と現役生の作品が展示されている。ステージの前には椅子が並べられ、ぼくが着いたときには、パネルディスカッションが行われていた。

ぼくの出演までには時間がある。12時から、学校でホームカミングの式典があるとのことで、訪ねてみることに。タクシーで行こうとしたら、卒業生だというカメラマンの方が話しかけてきた。スクールバスがピストン運行しているとのこと。彼もこれからそのバスに乗ると言う。彼についていって、バスに乗る。驚いた。学校に着くまでの道の両側には住宅が密集している。ここは、以前は田園地帯だった。地下鉄ができたことによって便利になり、多くの人が移り住んできたにちがいない。

ホームカミングの式典まではまだ1時間近くもある。ほとんど誰もいないと思っていたら、ぼくが勤めていたころ図書館学を教えていた荒岡さんが話しかけてきた。お元気そうである。係の方々から、まだ時間にはならないが、食べ物の用意ができているので、食べていくようにと勧められる。国際会議場でもお昼を用意してくれているとのことだったが、お言葉に甘えて、少し頂く。その後、再びスクールバスに乗って、国際会議場へ。京都産業大学のスクールバとすれ違った。産大も国際会議場からスクールバスを出しているようだ。地下鉄の効果大である。以前は、出町柳で京福鞍馬線に乗り、精華には木野の駅で降り、産大へ行くには二軒茶屋で降りた。今は精華大前という駅があるようだ。

イベントホールでお昼のお弁当をいただいたあと、在校生や卒業生の作品をみたり、他の出演者の演奏を聞いたりしているうちにぼくの出番がやってきた。







演奏時間は正味40分。何を演奏するか迷った。1曲目を「私は風の声を聞いた」にするか「碌山」にするか歌い始めるまで迷っていたが、結局後者にする。そのあと、「電線の鳥」「菅野有恒」「ありがとう、ミスター、コーエン」とつづき、「祈りの歌」。ここでタイムアップ。最後に、ぼくのクラスにいた学生であればだれもが知っている(と思われる)「パーティーは終わったよ」で締めくくろうとしたが、時間がない。さらにどこで教えても、必ず最初のクラスで教えた All My Loving をみなで合唱したたいと思ったが、それもできなかった。でもみなさんがしっかり聞いてくれているという感じが伝わってきて、歌いやすかった。





終わったあと、ぼくのクラスにいた人たちが何人か残っていてくれて、一緒に記念写真。このうち一人は長崎からきたとのこと。最初は顔も名前も思い出せなかったが、じょじょにおぼろげながら思い出した。



10年後の60周年に、ぼくがまだ元気で歌い続けている場合は、是非来たいと話したが、そのときぼくは83歳。ちょっと難しいかも。40周年の行事は2009年4月12日に行われた。そのときの日記には次のように書かれている。

 「京都精華大学40周年記念式典には間に合わなかったが、祝賀会には間に合った。少し遅れたが。多くの懐かしい方々にお会いする。キャンパスには昔の面影はまったくない。大きな立派な建物がたくさんたっている。いくつかの記念撮影。
  在校生数人、それに荒井舞さんの演奏のあと、ぼくの番。何を最初に歌うか迷っていたが、歌う前に、ぼくが在籍していた頃、韓国からの留学生だったキム・ギジョウさんに会った。名刺には大邱大学、造形芸術大学長と書かれていた。それで1曲目は、キムさんに聞いてもらいたいと「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を歌うことに。そのあと「祈りの歌」「碌山」など。最後に「山頭火」のリクエストがきた。歌い終わると、「ライク・ア・ローリング・ストーン」という声が聞こえてきた。それは歌えないので、代わりに「ガビオタの海」を。30分の予定が、トークを含めてかなりオーバーしてしまった

精華では非常勤の2年を含めて10年しか教えなかったが、その10年はかけがえのない10年だった。




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