OREAD Diary  

September 1-September 30, 2003


To OREAD Homepage
      
September 30, 2003 Tuesday

加島祥造さんの展覧会の最終日。もう一度見てみたいと、午後遅く駒ヶ根高原美術館へ。館内にはいると他にお客はいないようだ。常設の展示場を素通りして、シーンとした館内を進んで行くと、薄暗いビデオ室のソファに誰か横になている。よれよれの作務衣を着た老人だ。うたた寝をしているようだ。顔を近づけてみると、加島さんだった。彼もぼくに気づいてにっこりと微笑む。立ち上がろうとするので、「そのままで、そのままで」といって、ポケットからデジカメを取り出した。シャッターを押そうとした瞬間、「CFカードがありません」という文字が目に入ってきた。

しまったと思ったが、後の祭り。「カードが入っていなくて、撮れません。いい写真が撮れたはずなんですが」というと、加島さんは「そういうもんだよ。それでいいんだよ」とおっしゃる。そうかもしれない、「伊那谷の老子」がゆったり横になってまどろんでいる姿はぼくだけの網膜に焼き付いている。

加島さんと握手をして別れ、展示場へ行き、時間をかけて一つ一つの絵とそこに書かれたことばをゆっくりと見て回った。気に入ったことばがあればメモした。前から気に入っていた3つの柿の絵の前に立った頃は、見はじめてから1時間ほど経っていただろうか。誰かが近づいてくる気配がする。振り向くと、あの作務衣の老人が立っている。「もういいだろう、お茶を飲みに行こう」と誘われる。

美術館の近くの喫茶店へ行く。しばらくして、館長さんと加島さんの息子さんの裕吾さんも加わり、しばし歓談。

近い将来、是非、加島さんにオーリアッドで、詩の朗読とお話しをしてもらえたらいいのだが。「切に願うことは必ず遂ぐるなり」とは道元のことば。きっと、実現するだろう。

   ここに独りでいる
   そのこと自体が
   喜びなのではない
   ここにひとりでいることで
   いまを生きている
   という意識が
   鋭くなる
   それが喜びなのだ
         −加島祥造


September 29, 2003 Monday


午後、岡谷の北條楽器店へ今度の土曜日のYAMA-SHOWSコンサートと、10月26日の「エミグラント&ひがしのひとし」のコンサートのちらしを置かせてもらいに行ってきた。そのついでに、古いアコースティックギターの糸巻きの部分を付け直してもらうために持っていった。このギターは、Ibaneseのアコースティックギターで、もう何年も前に、昔教えた学生のお母さんからいただいた2台のギターのうちの一つ。

その2台のギターは学生のお父さんが作ったもので、亡くなる前に、ふたりの娘に残していったものとのこと。そんな大切なギターはいただけませんと固辞したが、娘たちはギターを弾かないので、ぼくに持っていてもらうのが一番いいといわれて、いただいたもの。

糸巻きの一本が歪んでチューニングしずらくなっていた。糸巻き全部を取り替えてもらうように頼んできた。直ってきたら、おそらく今まで以上にいい音がすることだろう。


September 27, 2003 Saturday

横浜の水口公也さんを迎えての飛び入りライブ。彼は言葉を大事にするシンガー。京都オーラル派詩人の系譜に属するといっていいだろうか。片桐ユズルさんや有馬敲さんの影響が顕著である。

事実彼は、20数年前、片桐さん主催の集会や、神戸インカウンター・スクールの表現の教室などで歌い始めたらしい。

            

昨夜の彼の歌で最も印象に残ったのは、「北白川教会の思い出」。この歌は、北白川教会の「説教をしない」牧師だった横川澄夫さんの同名の詩をもとに彼が歌にしたもの。横川さんは「鶏が飼えるところに住みたい」と、牧師をやめ、宮崎県へ移住したとのこと。

  市バスの終点の草に埋もれたチャペル
  祭壇もない、説教もない、賛美歌もない
  人それぞれの旅路に道しるべはない
  破れた天井を見つめ祈る、未来への手探り

コーラスの部分は次のように繰り返される。

  南へ行こう、昔語った夢をかなえに
  国境を越えて、陽がふりそそぐ
  新しい暮らし、国へ
             

「にわにわにがいる」「すでに心はナイジェリア」のことば遊びの歌も楽しい。他に彼が歌った歌は、「新しい道」「ムーンリバーは誰のもの」「北鎌あたりで飲んでます」「いつも戸口までだったね」「夏の終わり」。

昨夜は他に、水野哲男さんが「君の声が聞こえない」「C」等、芦部清志さんが、りんご農家の両親の苦しみと喜びを歌った歌、新曲のラブソング等、長島功さんが作りかけの、亡くなった父親に捧げる歌、5か国語を話すという諏訪市図書館の堀内さんが「花はどこへいった」のドイツ語ヴァージョン、を歌い、ふりーぱさんがなぜ来週土曜日オーリアッドでYAMA-SHOWSのライブをやることになったかを語る。有能なエンジニアであった彼が、なぜフリーター・パパになったかという経緯についても触れる。

       

水口さんは、2回目の登場で、「明日は遠く」と「ミスター・ボージャングル」を歌う。

水口さんの「ムーンリバーは誰のもの」の中に「うたはうまいもんだけのもんやない / ギターは達者なもんだけのもんとちゃう」というところがあった。60年代の初めフォークソングがアメリカでリバイバルし、それが日本にも伝わったころ、プロの作詞家作曲家の手による歌をプロの歌手が歌うのとは違う表現方法が多くの人たちに支持された。誰もがギターを手にし、歌を書き、歌った。オーリアッドが、上手い下手にかかわらず、自らを表現したいという人たちの活動の場になれたらと思う。

歌ってくださった皆さん、聞きにきて下さった皆さん、ありがとうございました。おかげでいい一夜になりました。



September 26, 2003 Friday

歌声喫茶を、つまり、アコーディオンの演奏でロシア民謡を歌うような集まりをやってほしい、という声が以前からあり、今晩、アコーディオンを弾く方を紹介されてお会いした。その方は日曜日の午後なら都合がつくとのことであったが、10月から12月までの日曜日の午後はぼく自身の予定もいくつかあり、農繁期や地域の行事も目白押しで、日を設定するのが難しかった。もう少し様子を見て決めようということになった。

その打ち合わせをしている最中、急に外がうるさくなった。安協(交通安全協会)のパレードのようだ。ぼくが安協の支部長をやっていたとき、各支部で交通安全を訴えるたて看を立て、その優劣を決めるというコンクールがあった。町中に脇見をさせる看板が立ったのである。ぼくが支部長の間は、ぼくの支部(第何支部か忘れてしまった)は看板を立てなかった。そして、たて看は交通安全に寄与しないという主旨の意見書を本部に提出した。その意見が取り入れられたのかどうか、気がついてみたら、たて看コンクールはいつの間にかなくなっていた。

平凡社のSさんから送っていただいた『ラプソディ・イン・ブルー/ガーシュインとジャズ精神の行方』という本を読みたいと持参したのだが、今日は忙しくて本を開くことさえできなかった。


September 25, 2003 Thursday

店を開けるとほぼ同時に、東京から出張で数日辰野に滞在しているという若いビジネスマンが、辰野にこんな店があったんですねといいながら入ってきた。ジミー・ヘンドリックスが好きでギターを弾いているという。食事の後、どうぞ弾いて下さいというと、ステージに上って弾き始めた。アコースティックギターに慣れていないらしく最初は弾きづらそうだったが、けっこうな腕前であった。

翻訳を頼まれていた3枚のCDのうち、2枚は翻訳が終わりメールで午後ソニーに送った。今晩オーリアッドで最後の1枚のCDを聞いた。ピアノによるブルーズをフィーチャーしたもので、このアルバムを聞いていると、ブルーズとジャズの接点というか、ジャズはブルーズから進展してきたということがよく分かる。録音が新しいのか、最初の2枚よりも英語が聞き取りやすい。


September 24, 2003 Wednesday

久々のオーリアッド。外は雨。Ron Sexsmith の Whereabouts を聞いている。齋藤皓太さんが8月の終わりに歌いにきたとき、「とてもいいアルバムだから」と言って置いていってくれたもの。人恋しい肌寒い秋の夜に聞くには、とてもいいアルバム。いくつも気に入った歌があったが、Riverbed という歌が特によかった。

  以前感じていたことすべてが
  今ではもうまるで辻褄が合わない
  そして今感じていることは
  夢でしか見ることができない

  川の流れは冷たく、澄んでいる
  まるで天国の鏡のよう
  そして枯葉のようにぼくは地面に横たわる
  久し振りに戻ってきたこの町で

歌詞もメロディも、Sexsmithの声も、心を落ち着かせてくれる。

                   

September 21, 2003 Sunday


NHKBSで、ビオレッタ・パラの「人生よありがとう」の歴史をたどる番組を見た。メキシコの若い女性歌手が、母親が生前歌っていたこの歌のルーツを求めて、チリへ旅するというセッティングだ。

60年代後半に書かれたラブソングだったこの歌が、作者の死後、1973年の軍事政権樹立後、民主化運動を支えるプロテストソングに変わっていく過程が描かれていた。

この番組を見ながら、売れないながらも、歌い手であることに感謝したい気持ちになった。どのくらい残されているか分からないが、残された人生で、いい歌を書きたいものだ。

                   

September 20, 2003 Saturday

飛び入りライブデー。6時開店と同時に、8月のマンスリーサロンでお話しして下さった田中美智子さんが総勢5人で来て下さった。そのうち2人はキルギスタンの若者、ゼン君とカナ君。ふたりとも21歳だという。これからキルギスタンはよくなるだろうと思わせるに足る好漢。

                    

彼らは1週間ほど前に辰野に来て、来月初めまで辰野町のTさん宅に滞在するとのこと。Tさんによれば、Tさんの息子さんが中国の大学でゼン君と同じ寮に住んでいて、大変お世話になったとのこと。

キルギスタンの歌を歌ってくれないかと頼むと、ゼン君が "The title of the song is "Where Are You?" といって、キルギスタンの歌をアカペラで歌ってくれた。次に彼は、ぼくの知らない日本語のポップソングを歌った。Tさんによると彼は5か国語を話すらしい。日本語の理解力もかなりある。ぼくが歌った「カムサハムニダ、イ・スヒョン」の内容をほとんど理解していた。

9時過ぎ某小学校の先生方が総勢8人で来て下さる。うち7人が女性である。1名の男性は水野さん。水野さんは、先に来ていた長島さんとしばらくギターでセッション。「錆びた耕耘機」「君の声が聞こえない」を水野さんが歌ったあと、女の先生の一人がステージに上がり、ふたりのギターに合わせて、「あーだから今夜だけは、君を抱いていたい〜」を歌う。その後、しばらくオーリアッドはカラオケハウス。盛り上がる。穂高町に住むという旧姓三沢さんも何曲か歌う。

                     

9月の初めに箕輪町でぼくの歌と話を聞いたという方が、『カムサハムニダ、イ・スヒョン』のCDを買いにきて下さった。「丁度いい」の入ったCDもほしいというが、まだCDになっていない。ライブで聞いてもらう。

まだ書きたいこともあるが長くなるのでこのくらいに。来週の飛び入りライブはいよいよ横浜の水口公也登場。


September 19, 2003 Friday

今晩のオーリアッドは完全にブルーズ・ハウスと化した。一晩中 Robert Johnson, Johnny Shines、Muddy Waters, Taj Mahal, Son House, Charley Patton, John Lee Hooker 等の歌が流れていた。歌詞を丹念に聞くと、ブルーズには性的なニュアンスの表現が多いことが分かる。

「俺がいなくなってから誰が俺の車を運転している?」とか、「メンフィスに行って、俺の骨付きハムをボイルしてもらわなければ」等。「朝目覚めて、靴を探す」なんていうのも、考えようによってはセックスを示唆しているともいえる。

                         

オーリアッドの入り口近くの丸テーブルに、柳沢京子さんの1年 365日、365枚の切り絵の絵葉書を置いてあります。ご自分の誕生日の絵葉書をご自由にもっていって下さい。すでに同じ誕生日の人がもっていってしまっている場合は、ご容赦下さい。

明日、9月20日は飛び入りライブデー。お気軽にご参加下さい。


September 18, 2003 Thursday

昨日この日記に書いた新潟大学医学部の安保徹先生の「自律神経免疫療法」は、ぼくが知らなかっただけで、世間ではかなり知られているものらしい。すでに何冊もの本が出ているし、テレビや雑誌などでも紹介されている。

免疫力を高める具体的な方法として、「爪もみ療法」がある。やり方は簡単だ。薬指を除く指の爪の付け根を少し痛いくらいに揉むというものである。特に高血圧を治すには小指の爪の付け根を揉めばいいとのこと。この治療法にはお金はかからないし副作用もないので、早速試している。関心のある方は、http://www.d9.dion.ne.jp/~shohei-c/s-4.html をクリックしてみて下さい。このページの最下部に「掲載記事」という項目があります。ここをクリックすると、「自律神経免疫療法」に関する記事やエッセイを読むことができます。


久々に知念良吉さんの『オキナワンボーイの憂鬱』を聞く。「裏町の唄」が好きだ。何年か前、国立市の「かけこみ亭」で会ったことがある。辰野町の米玉堂で働いていたことがあると言うので驚いた。機会があったら一度歌いにきてもらいたいものだ。



September 17, 2003 Wednesday

             

久々のオーリアッド。先日のスペースAKでのライブに来て下さったSさんが送ってくれたコーエンのライブ盤を聞く。長野ジャーナルの83回目のエッセイ「チェルシー・ホテル#2」の中で、マイケルがこの歌で歌われている女性はジャニス・ジョプリンだと教えてくれたと書いたが、コーエン自身が、この歌はジャニス・ジョプリンのために書いたと語っているライブ盤があるとスペースAKでSさんが話してくれた。そのCDを送って下さったのである。

「チェルシー・ホテル#2」もよかったが、そのCDの中で最も印象深かったのはコーエンが歌う「テネシー・ワルツ」。彼はかつてカントリーシンガーになりたかったと語ったことがある。カントリーシンガーになる前に「スザンヌ」が世に出てよかった。


September 16, 2003 Tuesday

オーリアッドのメニューは基本的に健康食品で成っている。玄米野菜ピラフ、玄米ビーフカレー、各種100%ジュース、高麗人参茶、どくだみ茶、イチョウの葉茶、ヨモギ茶など。

午後、「文藝春秋」9月号を読んでいたら、安保徹という新潟大学の先生が書いた「すべては免疫力で決まる」という記事が目にとまった。

この記事をぼくなりに要約すれば、健康でありたかったら、自律神経を整え、血液中の白血球の働きを整え、免疫力を強めよ、といういうことになるだろうか。

彼は免疫力を強めるための食事として、玄米が有効であると考えている。「
玄米を主食にして、野菜、魚、納豆などを食べて、深呼吸や体操や入浴などで血行をよくする。あとは鏡を見て一日3回笑うこと。笑顔のおかげで顔色がよくなって、玄米のおかげで便がいい臭いになってくれば、もう大丈夫ですよ」と彼が患者に言うだけで、患者のリンパ球が増え始め免疫力が高まるとのこと。それは患者が医者たちから脅され続けて生じたストレスから解放されるかららしい。

さらに彼は玄米について次のように述べている。

  玄米は、殻の部分の食物繊維がキノコ同様に腸管を刺激するうえ、実の
  部分には炭水化物、脂肪、タンパク質、ミネラルなど、生命をつくる素
  がふんだんに入った完全生命体ともいうべき食品なのです。

是非一度、オーリアッドの玄米野菜ピラフをお試し下さい。

参考までに安保式ガンにならないないための6か条を挙げておきます。

  1.働きすぎをやめて十分な睡眠をとる
  2.心の悩みを抱えない
  3.腸の働きを高める
  4.血行をよくする
  5.薬漬けから逃れる
  6.ガン検診は受けない



September 15, 2003 Monday

阪神が優勝した。先週訪問したスペースAKのある天神橋筋商店街も、宮里ひろしさんの経営するショットバー Heaven Hill も今夜は大賑わいだろう。

子供のころから巨人ファンだった。しかし、10年ほど前、あまりにあくどい選手集めや、プロ野球全体を考えないW氏の言動、N監督の行き当たりばったりの采配に嫌気がさして巨人ファンをやめた。

今はどこのチームのファンでもない。強いていえば巨人以外のすべてのチームを応援しているといえるだろう。しかし、パリーグはもちろん、セリーグのどのチームの選手よりも、ヤンキースの選手のほうがよく知っているのだから、どのチームのファンでもないというのが正確なところかもしれない。

いつもは無愛想な大柄な伊良部が、小柄な赤星と抱き合って、顔をくしゃくしゃにして喜んでいる姿には心打たれた。

よかったですね、齋藤さん。阪神優勝おめでとうございます。



September 14, 2003 Sunday

                     

放送大学OBの方々によって作られたLSECというの英語勉強会が諏訪にあり、昨年11月から月に一度一緒に学ぶようになった。ぼくの前に教えておられた方は、『森の生活』(岩波文庫)の訳者である信大の飯田先生だったが、都合が悪くなり、ぼくがピンチヒッターとして受け持つことになったのである。

その会では、年に1、2度「シンポジウム」と称する飲み会をすることが恒例になっているらしく、今晩、辰野町役場前の「小佐加」という鰻屋で会食した。今日の「シンポジウム」には11名が参加した。諏訪ではなく辰野で行われたのは、諏訪ではぼくが飲めないだろうという皆さんの配慮から。

小佐加のあとオーリアッドへ移って、英語の歌、日本語の歌を合唱した。中に、5か国語を知っているという人がいて、ステージにのぼり、ロシア語で「ともしび」を、ドイツ語で「花はどこへ行った」を歌った。この人は英語も積極的によく話す。語学の習得には積極性は極めて重要な要素である。

夕方、小佐加へ行く前に、昨夜使ったマイクスタンドをオーリアッドのステージに戻していると、ドアが開いて、いつもお世話になっているデンティスト、Dr. Yajimaが入ってきて、開いてますか、という。少しの間ならいいですよというと、辰野中学の新しいAETを含め総勢6人が入ってきた。

辰野中学のブラスバンド部と合唱部のジョイントコンサートの帰りとのこと。Nickという名前のAETはとても若く見えた。21だという。うーん、ぼくが歳をとったのだろうか。彼とゆっくり話す時間はなかったが、一度話したいものだ。土曜日の夜にはライブをやっている旨、伝えておいた。


September 13, 2003 Saturday


飛び入りライブの土曜日なれど、青年塾にてトークライブ。やむなく臨時休業。



September 12, 2003 Friday


ジヴォンの訃報に続いてジョニー・キャッシュが亡くなったというニュースが届いた。ぼくはキャッシュのファンだったことはないが、存在感のあるシンガーだった。1969年6月、ディランはジョニー・キャッシュ・ショーに出て久々に人前で歌った。歌った歌は「アイ・スルー・イット・アウェイ」「北国の少女」「リビング・ザ。・ブルーズ」の3曲。2曲目の「北国の少女」は、その年の4月に出た『ナッシュビル・スカイライン』同様、ディランとキャッシュがデュエットした。ぼくはアイラヴィスタのカレッジ・インという学生寮で偶然この番組を見た。緊張した面持ちのディランが印象に残っている。

今晩オーリアッドで、宮里ひろし『Heaven Hillにて』、西岡恭蔵『ディランにて』、ひがしのひとし『水の記憶』を聞いた。その後、気分転換にビートルズの『Please, Please Me』をかけ、ステージ脇においてあるPCでCNNのサイトを覗くと、キャッシュの訃報がトップニュースで報じられていた。

その後しばらく繰り返し『ナッシュビル・スカイライン』を聞いた。ディランとキャッシュのまったく合っていないデュエットがいい。今夜このアルバムを何度か聞き、ぼくの好きなディランのアルバムのひとつだと再確認した。

ボブ鈴木からファックスが届き、明日のオーリアッドの予定を聞かれた。折り返しファックスを打ち、明日の臨時休業を伝えた。11月22日(土)に再び「齋藤皓太&秋元雅一」が来ることになりそうだと付け加えた。ボブ鈴木も秋元さんとのセッションは楽しかったようだ。

これからしばらくの土曜日の予定

  9月13日(土)臨時休業
  9月20日(土)通常の飛び入りライブデー
  9月27日(土)水口公也さんを横浜から迎えての飛び入りライブデー
  10月4日(土)YAMA-SHOWSコンサート 


September 11, 2003 Thursday


               

9月7日に大阪へ行ったとき宮里ひろしさんの新しいCDを彼の店 Heaven Hillで購入した。辰野に戻ってから車の中で、それからオーリアッドで、何度も聞いた。逆立ちしてもぼくには書くことのできない歌ばかり。世の中にはすごい人たちがいるものだ。

まず最初にいいと思ったのは、「えらい事してもた」。生命保険を解約し、借金までしてショットバーを開いたが、お客が入らず素面ではいられないので、売り物のバーボン飲んで酔っ払い、「えらい事してもた」と後悔するユーモラスな歌。分かる分かる。

このアルバムの傑作は「へろへろ」だ。この歌をかけているときに、この夏何度か顔を出してくれた人が店に入ってきた。明日東京へ帰るとのことで寄ってくれたのである。話しているうちに、娘さんが現在日本に64人しかいない「過誤腫性肺脈管筋腫症」という非常に難しい名前の病気にかかっていると話してくれた。発作が起こると呼吸困難に陥る非常に危険な病気らしい。

本当にこんな名前の病気があるのかなと思って、Googleで検索してみたら、101件ヒットした。いずれにしろ、この人は、かなり重苦しい気分で店に入ってきたのだが、「へろへろ」を聞いているうちに気分が上向きになってきた。結局、ウイスキーのダブルを2杯、ビール2本を飲んで、かなり「へろへろ」になって帰っていった。おそるべし宮里ひろし。

この歌のセカンド・ヴァースを憂歌団の木村充輝さんが歌っている。「上手い!」と思わずうなってしまうほどの上手さ。さすがである。

宮里ひろしさんの「Heaven HiLLにて」の詳細は、次のURLで。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/ulmado/miyazato.htm


September 10, 2003 Wednesday

       
Warren Zevon(ウォーレン・ジヴォン)が9月7日に死んだということを、今日知った。享年56歳。彼の名前は知っていたが彼の歌を聞いたことはなかった。彼の人生について何も知らなかった。

先日、千葉から歌いに来てくれた齋藤皓太さんからジヴォンの最新の(そして最後の)アルバム The Wind をいただいた。ジヴォンは、昨年8月の終わり、末期の肺癌で余命3か月と宣告された。このアルバムはそれ以後作り始めたアルバムである。彼は、医者の宣告よりも9か月長く生きた。アルバム制作が彼に生きる意欲を与えたのだろうか。

ディランの「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」がカバーされている。スプリングスティーンがギターを弾いている曲もあれば、バックヴォーカルで参加している曲もある。エミルー・ハリス、ジャクソン・ブラウン、トム・ぺティ、ドン・ヘンリーといったそうそうたる名前もクレジットされている。ライ・クーダーも1曲目のDirty Life and Times でギターを弾いている。友人たちが死を直前にしたジヴォンを支えたということがわかる。

そしてぼくの注意を引いたのは Special Thanks の中にみつけたスポーツ・コラムニスト、Mitch Albom (ミッチ・アルボム)の名前だった。彼が書いた Tuedsays with Morrie (邦題『モリー先生との火曜日』)はぼくの愛読書の一つである。余命いくばくもない恩師から受けた14回の「レッスン」について書いた本である。おそらくジヴォンは病床でこの本を読んだのだろう。

今晩、そのアルバムをオーリアッドでじっくり聞いた。いい歌が多い。彼の冥福を祈って、アルバム最後の曲 Keep Me in Your Heart の一部ををここに訳すことにする。彼の切なる気持ちが伝わってくる。
あたりが暗くなり、息切れがしてきた
ぼくのことを忘れないで、しばらくの間
ぼくがこの世を去ろうとも、君への愛は変わらない
ぼくのことを忘れないで、しばらくの間

朝目覚めて、あのご機嫌な太陽を見るとき

ぼくのことを忘れないで、しばらくの間
夜毎、万事終了という名の汽車が出発している

ぼくのことを忘れないで、しばらくの間

運転士は汽車を北に向け、プレザント・ストリームを目指している
ぼくのことを忘れないで、しばらくの間
車輪は回り続けている、でもだんだん蒸気がなくなってきた

ぼくのことを忘れないで、しばらくの間

September 8, 2003 Monday

昨日は大阪天神橋筋商店街のスペースAKで行われた小林隆二郎さんとのライブに参加した。スペースAKは様々な活動を行っているが、ベースは古本屋さんで、四方の壁が床から天上まで本で埋まっている。PAの設備もなく、最初はどうなることかと思ったが、本に囲まれて肉声で歌うというのは得がたい体験であった。

                                               

今回の大阪への小旅行は、往復バスを使ったし、大阪・西宮の暑さもあり、とても疲れた。しかし、いろんな意味で刺激を受けた。スペースAKで行われている活動のいくつかはオーリアッドでもできそうだし、宮里ひろしさんのショットバーHeaven Hillのノウハウのいくつかも活用できそうだ。また今日義妹に連れて行ってもらったエイジャングッズのお店も参考になった。まあ、急にすべてを始めるわけにはいかないが、オーリアッドをより魅力的な空間にできたらと思う。



September 6, 2003 Saturday

飛び入りライブデー。Miss Katsunoのピアノ演奏。Miss Katahiraの唱歌独唱。クリスチャンの鈴木夫妻の賛美歌合唱。オーリアッドに賛美歌は合う。「アメージング・グレース」「イェスは汝れを呼びたもう」「神ともにいまして」など。よかった。昔教会へ行っていたころ、一番好きな賛美歌が「イェスは汝れを呼びたもう」だった。

その後、二人の若者がやってきた。そのうちの一人、大月さんは15年前高校生のときに、旧オーリアッドでバンドで演奏をしたことがあるとのこと。オリジナル曲もあるが、今晩は、アルフィーの歌を歌った。バンドで活動していて、松本のライブハウスなどで演奏しているらしい。近い将来、オーリアッドでライブをしたいとのこと。いつでもどうぞ。とりあえず、飛び入りライブデーに来て歌って下さい。

かなり遅れて長島さんがやってくる。50万円だったというマーティンがまぶしい。最近オリジナル曲をつくり始めたとかで、そのさわりを聞かせてもらう。いい感性をしている。どんな歌ができるか楽しみだ。

今日の飛び入りライブデーはいつもと若干違っていたが、とてもよかった。いろんなジャンルの音楽が演奏される空間でありたい。オーリアッドで琴を弾きたいという人もいるらしい。飛び入りライブに琴の演奏が入るのも楽しい。中村さん、今晩はお出かけ下さりありがとうございました。次回は、是非クラシックギターを弾いて下さい。
                               
                           
September 5, 2003 Friday

JA上伊那箕輪町地区生活部会の「いこいの夕べ」で夜6時45分から1時間ほど歌う機会を与えられた。50代以上の女性150名と聞いていたが、ちらほらと若い方々も目に入った。定番のぼくの歌の他に「あざみの歌」「ふるさと」「赤とんぼ」を皆さんと歌う。最後は「丁度よい」。ぼくのあと、血液の流れをよくするというレインボー体操の時間が1時間あるとのことだったが、オーリアッドを8時半に開けるために残念ながら早退。
今、スピーカーからはエヴァリー・ブラザーズの「テイク・ア・メッセージ・トゥ・マリー」が流れている。この歌は、ディランの『セルフ・ポートレート』で初めて知った。好きな歌だ。
  マリーにメッセージを、でもぼくがどこにいるか言わないで
  マリーにメッセージを、でもぼくが苦境に立たされているなんて言わないで
  世界を知るために船で旅立ったと伝えてほしい
  ぼくを待たないように言ってほしい、でもぼくが刑務所にいるなんて言わないで
明日は、通常の土曜日、飛び入りライブデー。歌いたい方も、聞きたい方も、お気軽にお出かけ下さい。


September 4, 2003 Thursday
オーリアッドを再オープンしてから、以前に聞いたCDをゆっくり聞きなおす機会がが増えた。お客さんがいないときはかなり音量を上げて聞くことができる。今晩は『ゴースト・オブ・トム・ジョード』を聞いた。このアルバムが出たとき、『ネブラスカ』と比較し、『ネブラスカ』のほうが好きだという人が多かったが、ぼくは訳しているときから、断然『ゴースト』のほうがいいと思った。

「ゴースト・オブ・トム・ジョード」「ヤングズタウン」「シナロア・カウボーイズ」「ガルヴェストン・ベイ」など、ストーリーのある歌もいいが、今晩もっとも心に響いたのは、「アクロス・ザ・ボーダー」。美しいメロディ、美しいハーモニカ。「おそらくこのアルバムは商業的には『明日なき暴走』や『ボーン・イン・ザ・USA』ほどには成功しないだろうが、いずれ彼の最高傑作であると評価されるようになるだろう」と書いたことがある。今晩このアルバムを聞いてその思いを新たにした。ぼくの中では昨年話題を呼んだ『ライジング』よりはるか上位に位置している。

                               

最近よく来てくれるお客さんが、オーリアッドで「歌声喫茶」をしたらどうかと提案してくれた。以前にもそういう声があって、是非一度やってみたいと思っていた。来週、箕輪町に住むアコーディオンを弾く人を紹介してもらえることになった。彼はまた桂九雀という落語家の独演会をオーリアッドでできたらともいう。九雀さんは毎年辰野で独演会をやっているとのことで、今年も近々やることになっているらしい。今年は無理としても、オーリアッドで落語を聞くのもいいかもしれない。子供の頃よく本棚にあった落語全集を読んだものだ。


September 3, 2003 Wednesday

9月になって最初の営業日。久しぶりに阿知波一道さんの『そらは飛ぶ鳥をえらばない』を聞く。カウンターにいたお客さんが「踊ってよギリヤークさん」を聞きながら、「ギリヤークさんの姿が目に浮かびますね」といった。ギリヤーク尼崎さんのパフォーマンスを2度見たことがあるとのこと。彼は、最後のアルバムタイトル曲が終わったとき、「この人の歌を生で聞きたいですね」という。

久々に阿知波さんのアルバムを、ことばに注意しながら聞き、その一つひとつの作品の質の高さに驚かされる。ことばのみならず、読経で鍛えた深い声がいい。またいつかオーリアッドで歌ってもらいたいものである。

9月13日(土)の臨時休業はすでにお知らせしましたが、明後日の9月5日は都合により、開店の時間が大幅に遅れます。おそらく午後8時半ごろになるだろうと思います。



September 2, 2003 Tuesday

9月27日(土)の飛入りライブに横浜から参加してくれる水口公也さんからプロフィールが届く。それによると、片桐ユズルさんの「かわら版」100号記念のイベント(1979年)に共に参加していたらしい。彼のことを知ったのは数年前「にわにわにがいる」というCDを送ってもらってから。そして今年6月7月と芦屋と船橋で続けてお会いした。オーリアッドでゆっくりと彼の歌を聞いてみたい。


September 1, 2003 Monday

9月になった。6月のほたる祭りに合わせてオープンした新生オーリアッドもそろそろ4か月目を迎える。閑散としている日が多いが、土曜日やイベントのある日などは、ありがたいことに、多くの方々が集まって下さるようになった。

9月の予定は今のところ27日(土)の水口公也さんを迎えての「飛び入りライブ」だけだが、マンスリーサロンを含め、いくつか後半に入る可能性がある。

9月13日(土)は都合により臨時休業。それ以外の土曜日は通常の飛び入りライブデー。お気軽にご参加下さい。