『碌山ノート』
2000年8月18日夜、ライトアップされた碌山美術館本館入口をステージにして行われた「三浦久、戸張弧雁のこころをうたう」というコンサートは今でも印象に残っている。
このコンサートで初めて「碌山」を歌った。この歌は、碌山について、そして彼のニューヨーク時代からの親友、弧雁について知りたくて読んだ本に触発されて書いた歌である。
そのとき読んだ本は、荻原守衛著『彫刻真髄』(碌山美術館)、仁科惇著『碌山と信州の美術』(郷土出版社)、『愛と美に生きる』(碌山美術館)、相馬黒光著『黙移』(平凡社)の4冊。
以後、各地でこの歌を歌ってきた。この歌を聞いて、碌山美術館を初めて訪れた人も、再度訪れた人も、相当いるようである。CDにしてほしいという声も当初から多く、2004年12月にリリースした『千の風』に収めた。
ミニアルバム『碌山』を制作するにあたり、『千の風』所収の「碌山」「千の風」「新しい光迎えよう」に加えて、井口喜源治記念館の承諾をえて、井口喜源治の詩「次郎」に曲をつけ、アルバムに収めた。
井口喜源治は、明治3年、東穂高村生まれ。明治法律学校に学び、東穂高組合小学校で教えたのち、故あって研成義塾という私塾を創立し教え始める。彼の教育理念は、彼が常に子供たちに話したという「偉い人でなく良き人になれ」ということばによく表されている。
碌山は塾生ではなかったが、研成義塾創立以前から井口喜源治に師事し、創立後は、絵の勉強のために上京するまで、ほぼ一年間、助手のような形で井口喜源治を助け、また、夜学で、彼から英語やキリスト教を学び、大いに啓発された。井口喜源治との出会いがなかったなら、現在われわれが知る碌山は存在しなかっただろう。
「次郎」は、文語調の難解な詩である。しかし、何度か歌詞カードを見ながら、聞いていただければ、自ずとその意味がわかってくるはず。「偉い人でなくよき人になれ」という井口喜源治の教育理念の真髄がそこにある。
なぜこの詩のタイトルが「次郎」なのか、碌山美術館および井口喜源治記念館の関係者にお聞きしたが、どなたからも明解な答えをいただけなかった。
「千の風」は同名の作者不詳の英詩を一部翻訳し、更に新たなことばを加え、曲をつけたもの。2003年11月に亡くなった母の死の直前に飛んできた鳥によって3番の歌詞ができた。この歌に対して、多くの方々が共感を示して下さったが、おそらく、心の中の共通の想いゆえに違いない。
「新しい光迎えよう」は、2002年6月、北海道のホテルの一室で書いた歌。思い悩むことがあり寝つかれないまま、カーテンを開けると、地平線が明るくなり始めていた。その美しさに息を飲んだ。その場でメモ用紙にことばを書き曲をつけてできた歌。
ミニアルバム『碌山』の制作にあたり、碌山美術館関係者のみなさんに大変お世話になりました。一文をお寄せいただいた仁科惇氏、山田芳弘氏、榊原好恭氏、美術館でのコンサート実現にご尽力いただいた垣内彰氏、山下利昭氏を始めとする友の会のみんさん、コンサート開催を快諾して下さった当時の碌山美術館館長、柳沢廣氏に感謝申し上げます。
ジャケットと歌詞カードに使われている美術館および彫刻の写真は碌山美術館から、コンサートの写真は榊原好恭氏から提供していただきました。併せてお礼申し上げます。
2005年3月 三浦 久
All photos by Y. Sakakibara
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