ひとをおもえど

ことしもくるだろうか
毎年、夏になると
軽井沢からとどく、一枚の葉書 ―
いつしか老人は
それを期待し、賭けるような気持ちになっている
そのひとに初めて会ったのは
東京駅の雑踏の中
予期せぬぐうぜんの出会いだったが
たがいに、相手がひと目でわかって
ふたりは同時にかけよった

あれからい幾年になるだろう
なんとなく会い なんとなく疎遠になったひとが
高原の山荘からくれる 夏の便りである
八月の山かげに咲く
合歓の花にも似た ほのかなものが
老人の胸に ぽっちり灯をともす
老人は
なかば自分に言いきかせるように つぶやくのだった
 「ひとをおもえど こいにはあらぬ」

      野長瀬正夫『晩年叙情』(かど創房)より